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はてなキーワード: ラストシーンとは

2020-05-26

断固として、映画 #天気の子に抗議します 

ネタバレ含みます

これから書くことは、新海誠の描く女の子気持ち悪さをディスるとかそういうことではありません。

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の発動により、人々が経済的に困難な状況に陥り苦しみを体感しました。人の往来が規制されるだけで、どんな過酷事態が発生するか私たちは痛感しました。

そんな経験をした直後に、あの忌々しいアニメ映画リリースされるなんて、これほど国民感情を刺激する出来事はありません。

関東を海に沈めて数十万人の命を奪う元凶となった男が、女とデートしていい感じになって、このあと絶対セ〇クスするんだろうなと、匂わせるラストシーンはらわたが煮えくり返り、ネット誹謗中傷をして自殺に追いやりたくなる胸糞の悪さです。

擁護派は「3年間かけて徐々に水没したのだから死者はいない」と言います

しかし、たとえゆっくりゆっくり風呂に水を張っても、いつかは浴槽から水はあふれて流れ出すのです。

東京には多摩川水系荒川水系利根川水系鶴見川水系と言った多くの河川が流れています。これらが一斉に増水し、氾濫を起こす悪夢想像してください。

国も河川が氾濫したときの死者数を想定しています国土交通省の試算によると荒川が氾濫した場合3500人が亡くなるとされています。すべての河川の想定を合わせると大変な数になります。水害は様々な被害を及ぼします。令和元年の台風19号汚水を逆流させ部屋を糞まみれにしました。また地盤の緩いところで土砂崩れを発生させるなど、多くの災害を発生させています。そう言った様々な事象を想定すると死者の数はもっと膨れ上がります

映画にはレインボーブリッジが水没しているシーンが登場します。レインボーブリッジと言うのは橋桁の高さが約50mあります。それが水没したと。つまり海面が50mは上昇したということです。

ここで海面50mが上昇したときシミュレーションをご覧ください。

リンク「Flood Maps」

http://flood.firetree.net/?ll=35.7174,139.7531&zoom=10&m=50

ご覧の通り東京だけでなく、海抜が低い埼玉県千葉県群馬県茨城県までもが海の藻屑となります

電車が止まって会社に行かなくていいなど、甘いものではありません。

経済が完全に止まります

東京機能しなくなります

どれだけの打撃があるでしょうか?

緊急事態宣言の1か月でどのような生活の変化があったか、だれもが知っていると思います

セックスは生きた人間しかできません。しかしそのために他の命を犠牲にして良いのでしょうか?

見ていて耐えられるものではありません。

こんな心ない作品ではなく、子供たちには道徳的アニメ作品を見て欲しいのです。

以上の点を踏まえ、私は映画「天気の子」に断固として抗議します。

2020-05-19

鬼滅の作者への女性差別は見つからないけど、作家男性差別はわりとすぐでてくるね

鬼滅の刃は作者が女性がっかり!炎上!

結局作者がそれでどれだけ困ったかでてこなかったけど、男性作家女性作家として振る舞うよう圧力かけられた話が出てきた。

津原泰水、つはらやすみと読むらしい。

デビュー時では津原やすみという名義で活動していたそうな。

女性だと誤解される余地を残してくれ」

という編集部要望があったらしい(wiki調べ)

ツイッターをやっていて、本人のアカウントを覗くと男性差別を受けた話が投稿されてる。

性別は書くな、あとがきでは女性のふりをと命じられ、パーティに出れば「男だから」と座席が無く、取材は受けられず、他ジャンルから担当編集者から小説と認められず、田舎ではホモロリコンだと嘲られ、すべて笑顔で耐え忍んでも、売行きが翳ればラストシーンも書かせてもらえない世界だった。

本人のツイッターから

売れ行きが翳ったらしょうがないと思うが、新人の扱いにしてもひどい。

ファンの呟きをやたらひがみっぽい解釈引用してたりするので、この通りのことだったかは少し怪しいけど、少なくとも女性名で活動せざるを得なかった模様。

本人の認知によほど問題がなければ、担当編集だけと折り合いが悪かったわけじゃなさそう。

まぁ見落としがあったからってダブスタにはならないと思うけど、フェミっておじさんの被害告白基本的に見落とすよね。不思議だなぁ。

2020-05-12

今更ながらコナンゼロ執行人(金ロー版)見た感想

名作傑作と言われている割には響かなかったなあという駄文

アニメにおけるCG描写が苦手

青山作品はかつてハマってコナンは50巻近く、まじ快は3巻まで、YAIBAは全8巻のうちの真ん中の一部以外は集めた。

劇場版コナンは全部見たわけではないが、こだま作品、銀翼、紺青が好き。確か水平線上、鎮魂歌、純黒は見た。

相棒科捜研の女は多分見たこと一度はあるとは思うけど、よく見てて好きだったシリーズとしては記憶してない。100の資格を持つ女や紅蓮次郎法曹系の女主人公のが好きだった。

警察組織については詳しくない。司法組織も詳しくない。

~~

 正直これコナンでやる必要あるかなと思った。ベイカー街の亡霊と同じくやりたい題材のために、名探偵コナンを利用した匂いがした。問題は、ベイカーはコナンファンホームズファンの中でも賛否わかれるところはあっても一般受けは良く対象あくま子供であるのに対し、執行人は対象大人で一応コナン推定ファンの年齢層だろう子供を捨て去っている節があった。正直良い意味で心動かされたのが、①毛利家(園子緑さんも含む)の描写、②少年探偵団がストーリー意味があって足手まといではない、③ポアロのお姉さんの変なジェスチャー、④カーアクション電車の側面を走るところ、⑤博士が有能(クイズだけや場所や道具提供だけではない)……くらいしか思い出せない。あと車のCG結構目に入った。

~~ベイカーは「現実ゲームのように甘くない」っていう最後のが言いたかった題材と思う。今だったらアンチゲーム大人に都合よく使われそうな雰囲気がある。今の価値観でみるとゲームを軽んじているような説教臭さを感じる。

~~

 まず、ストーリー燃えるところがあまりない上に大人向けで暗い。公安警察が元警察官で、現有名探偵(背後のコナンという強力な協力者が目当て)とはいえ一般人を巻き込んで拘束するようなことはどうなんだろうと思う。警視庁地方警察所属警察官を好感の持てるキャラクターに描いてきた本シリーズにて、公安関係者キャラクターとして好感が持てなかった。公安歴史を考えれば好感を持てないキャラクターというのは考えられることではあるが、純黒の風見のあまり無能さにキュンとしただけに残念に思った。すべての元凶公安といってもいい物語であったが、燃えるところが少なく、対象大人だけに振り切らないでほしかった。犯人動機が協力者を失うことになった公安復讐するためであるが、犯人も協力者もコナン安室自身正義の上で行動している。正直安室登場後のコナンに関してはあまり正義を問われたくないが、正義は一つではなく難しいものであるだけにコナンでやるのならストーリー自体もう少しは明るくした方がいいのではないかと思う。公安という立場をメインに出してきただけに難しいものではあるが、あまり視覚物語的暗さになんだかなという気分でいっぱいだった。正直自家用テレビで見たが、夜設定とはいえ画面的にあまりにも暗いと感じた。またゲストキャラクター(いつもの芸能人枠)の弁護士の方のラストシーンで激昂するところがあるが、彼女もそれまでに公安の協力者として暗躍する中で監視していた対象に惹かれたものの、事件が起こり協力者に協力を頼んでいた中で自殺される。そのまま協力者を続けていたら実は公安によって、自殺していたとされていた恋人は生きてましたなどという自身判断によるものであれど公安人生を振り回されているのは、哀れみの感情をいだいてしまった。しか彼女も暗さを増長した一因である

~~

 次に犯人サイドの事情や処理に面白みがないなと思った。ここでは犯人の協力者は含むとする。推理モノやサスペンス個人的に楽しみにするのは、犯人動機が大きい。犯人犯行を起こす動機が、同情する余地があったりカリスマ性があれば正直娯楽として好きになってしまう。犯人の処理もそうだ。ただ今回の犯人周りはつまらなかった。犯人上司に対して火傷負わせ他のが犯人と分かったときはよくやったと思ってしまったが、協力者の生存を知らされて諭されてすぐパスワードを言ってしまったりコナン言葉にすぐ諭されてしまったりというのは、尺の問題が大きいかもしれないがやった規模や抱えていた自身正義に対して描写が薄いなあと思った。協力者の方は結局自分正義感に酔いすぎて就職できなかっただけで死んだと思ったらなんだかんだのうのう生きてたし、あと正直ミスキャスト演者に対してキャラが抱えているものが大きすぎて演者が頑張っている分ちょっとなあと思った。おそらくもっと丁寧に描写されていたら協力者の生存に残念だとは思わなかっただろう。正直犯人サイドのキャラクターとしての描写あんなに有名作なのだからもう少し掘り下げしていると期待していたために残念に思った。犯人よりも公安傍若無人さの方が印象に残り、それがクライマックス燃え上がるはずのところでうまく自分には火が付かなかった。

~~

 またクライマックス少年探偵団が活躍するところと安室コナン活躍するところがある。少年探偵団が足手まとい過ぎない(足手まといの例:水平線上)、灰原が原作スペックから考える必要以上に出しゃばらない(一応薬学が専門のはずなのに薬学以外で博士よりも活躍している場面など)、博士が有能(ただの見守るお爺さんや道具・場所クイズ提供者じゃない)など個人的には好きだと思った。ただ、何も知らされずに衛星探査機子供たちが迎撃するというのはどうなんだろうかと疑問には思ったが。目暮警部をはじめとするいつもの警察関係者ポーズに近いのもあるとは言えど、子供に危ないことをさせないために止めるのに慣れているだけに、博士以外ためらう姿が絵として見られないのが少々残念に思った。まあコナン・灰原以外の事情を知る大人公安関係者だけなことはあるために納得は行くが。今回は探偵たちの鎮魂歌のように実は危険な目にあっていたし、その状況を対処したのは少年探偵団という描写だった。彼らなら事情を知ったうえできちんと対処できる(例:天国)という期待があっただけに、実は自分たちで破壊した探査機を間近で見られなくて悲しむ姿に言ったうえで協力してもらってもよかったんじゃないかなと思った。

~~

 毛利家の描写(園子緑さん含む)は結構好きだった。近年のコナン映画は蘭にとりあえずアクションさせ、雑でも新一と叫ばせればいいという個人的偏見がある中新一を必要とする理由おっちゃんの逮捕)がわかりやすく、コナンから蘭への愛情ちゃん尊重している(安室コナンから蘭への感情言及している)など、蘭の扱いがラブコメ中心ではない映画にしては良いと思った。純黒の蘭の存在意味が無に近いのを最近見返したので、思っていたよりはよかった。コナン映画といえば蘭に精神デバフをかけるのが恒例ではあるし、よくそれで叩かれている(空手強いのに騒ぎすぎとか)のを考えると新しい精神的負荷のかけ方だと思った。小五郎を蘭が疑うというのは14番目の標的でもあったが、今回は異例の起訴という事態に陥っているため精神的に弱っても不自然ではないと思う。妃さんも身内には弁護できないという状況でおっちゃんのことを考えているのが伝わってきてよかった。エンディング毛利夫妻はやっぱりこうでなくちゃと思った。園子は不安な欄に付き添ってあげているいいやつだし、緑さんも毛利家のことを思っている(正確には妃さんのことだろうけど)し、色々と手助けしてくれたりしてよかった。正直毛利家がこの映画視覚的にも物語的にも癒しとなっていたところあった。

 あと途中で車が泣き顔に見えるほどズタボロになっているのがかわいそうだけど、頑張ったねって感じで好き。カーアクション電車と真っ向から衝突し、電車の側面走ったりと本当お疲れ様だった。最後はもう廃車確定なのかもだけど、MVPは君だったよ。

~~まとめ

 総括すると、「名探偵コナン」の傑作として持ち上げられていた割には基本的物語が暗くてスンって気分でいた時間が多かった。ベイカーみたいに「名探偵コナン」としては異色という認識だとしても、それまでの認識していたコナン像と違ってたぶん困惑しただろう。これがコナンでなければもうちょっと先入観に踊らされることなく、楽しめたのかな。正規駄作とまでは言わないけど、公安警察方面に明るくもなく、コナン知識に自信があるわけでもない身としてはもうちょっと説明が欲しいなと思った。例えば、なぜ犯人共犯者を選んだのか、共犯者自殺した()あとどうしていたのか、コナンスマホに盗聴アプリを仕込まれいたことを博士に調べてもらって知っていたのなら調べてもらう際にバレなかったのか、NAZUは侵入された後に犯人によってパスワード変更されるまで(された後も)何もしなかったのか、警察公安)以外の省庁のお偉方が無能に見えたけど本当に何もしてないのか、犯人上司公安検察の人)が結構嫌なだけの不美人に描かれていたけど何か信念とかはあったのか、あのあと女弁護士はどうなるのか、あたりの説明は欲しいなと思った。小説を読めばいいのかもしれないけど、こだま時代の疑問点はあっても雰囲気とかでだいたい満足みたいなのに慣れすぎてて手を積極的に出す気にはなれないんだよなあ。世間評価のわりにあんまり響かなくて残念だった。安室というよりも公安の降谷を見るための映画だなと思った。だけど映像アクションごまかすんじゃなく、降谷という人についての描写をもうちょっと色濃くやってくれたら今よりも好みの作品になってくれたかもしれない。

2020-05-02

今更ID:INVADEDの疑問(半自己解決

まず百貴という名前から。このアニメ神道関係していることは明白なので、そこにツッコミはないと思います

百貴の名前貴船明神関係しています。そしてこの貴船明神本来縁結びの社であり、また同時に願いが叶うとされた社でもあります。丑の刻まいりなどの呪詛場として有名になったのは、願いが叶うという働きが転じて誤解されたもの。そして貴船明神と対を成す水神を弥都波能売神(ミズハノメ)といいます。両者は合祀されていることが多いそうで、この二名のうち貴船明神が百貴に対応し、弥都波能売神が飛鳥井木記に対応します。この理由は作中にて飛鳥井木記こそがミヅハノメの中核である、という推理がなされているためです。

ここまででもずいぶんわかることがあります。まず飛鳥井木記はジョン・ウォーカーが仕込んだ殺人鬼達によって殺されなければならなかった。その理由世界飛鳥井木記の力によって変化させ、自らの生を永遠のものにできる考えてのことです。これは貴船神社の心願成就呪詛に関連します。高淤加美貴船明神自体にも火之迦具土を殺した際に生まれたとする伝説があり、そもそも飛鳥井木記の人生は死によって彩られています。弥都波能売(ミズハノメ)はそもそも火之迦具土を生んだ伊邪那美の尿によって生まれた神であり、系譜に注目するとクラの室長早瀬浦宅彦に似た波邇夜須毘古神(ハニヤスビコ)という神も見つかります。ただしこの神が弥都波能売(ミズハノメ)を利用して殺そうとしたという話は、神話からは読み解けません。より重要な点は殺人呪術が結び付けられていることです。

少し脇道にそれましたが、ラストシーン近くで二人が想い合っているかのような描写がありました。これは貴船神社にもともと縁結びの神としての性質があるためでしょう。貴船神社のお参りは夜行われ、彼らが出会うシーンも夜になります。そしてミズハノメに囲まれたクラのビルの外壁はまるで滝のような効果表現されます。これは両者が水神であることからと思われます。ただ、貴船神社の縁結びは結社(ゆいのやしろ)の瓊瓊杵尊木花咲耶姫、磐長姫に由来するものであり、モチーフにするには少し強引かもしれません。

多少小ネタになります飛鳥井木記という名前は『記紀』であり、彼女自身潜在意識侵食編纂してしま性質を表しているように思えます

anond:20200502023103

2020-04-29

[]あのね商法、あのねされる

あのね商法

TV放映作品を放映期間だけで完結させず、DVDOVA劇場版など有料コンテンツでのみ最終話を放映する行為を指す言葉

アニメかしまし~ガール・ミーツ・ガール~」のラストシーン(「あのね、」で切られた)が由来。

あのねされる

世界樹のあのね』とは、世界樹の迷宮シリーズプレイヤー達に愛されている同人誌(18禁)である

転じて、世界樹の迷宮シリーズ触手系の敵にヤられてしまったり、それに関連する事を「あのね」「あのねされる」という事もある。

2020-03-16

三島由紀夫金閣寺

 三島の描いた金閣寺は、美と地獄象徴なんだよ

 作中で登場する、柏木という人物セリフがそれを物語っている

地獄とは、一切が明晰に見えることであるしかも闇の中で!」(新潮文庫129ページ)


 ラストシーン金閣寺炎上する直前、夜闇の中を主人公金閣寺に忍び寄ろうとする

 そのさなか、突如として金閣寺が、一筋の光明もない筈の闇の中で、輝きを放ち始めるのである

思い出の力で、美の細部はひとつひとつ闇の中からきらめき出し、きらめきは伝播して、ついには昼とも夜ともつかぬふしぎな時の光りの下に、金閣は徐々にはっきりと目に見えるものになった。これほど完全に細緻な姿で、金閣がその隈々まできらめいて、私の眼前に立ち現れたことはない。私は盲人の視力をわがものにしたかのようだ。(p.319)

 記憶の力を借りて蘇る金閣の姿、それは正に美であり地獄であったのだ

2020-02-25

anond:20200225040133

俺を不当に攻撃してくる奴は死ねって思う事を良くあるけど

俺より幸福な人は死ねとは思わないな

どちらかというと路傍のピクニックラストシーンだな

2020-02-19

anond:20200218205316

ウイルス拡散テロを察知した主人公が、暗号解読やら敵味方入り乱れての駆け引きやらを上中下巻繰り広げた挙げ句ラストシーン不妊ウイルスが全世界に撒き散らされた、っていう小説があったよ。ネタバレになるからタイトルは書かないけど。

2020-02-17

ラブコメは最も執念があった人に勝ってほしい

お話の中ぐらい公正世界を求めたいです。

恋愛における公正とは、執念の順に望みのものをゲットするということです。


恋愛とはつまりは執念、執着です。

みっともない、正しくないものです。

たとえば「相手幸せであれば自分のものにならなくてもいい」というのは

よりステージの高い心であって恋愛ではありません。


相手幸せは願うとしても

それは当然自分と一緒での幸せでなければならない。

断じて他の人間に渡したりはしない。

ライバルを押しのけてもいじましいアピールをしても相手を手に入れたい。


そういう欲望エゴ、みっともなさ、

仏教三毒人間根本的無明である貪欲

それが恋愛です。


具体的に何が言いたいのかといえば

『5等分の花嫁』のあの勝者は私には面白くないということです。


の子は確かに立派です。

道徳的です。

姉妹のうちで最も心が清いと言ってよいでしょう。


けれども恋愛は心の清い人が勝つべものではありません。

長い期間片思いというなの執着を燃やし続けたり、

普段なら絶対やらないような行動に出たり、

好きな相手や親しい人に必死でみっともない姿を見られたり、

そういう恥さらしな人こそが勝つべきなんです。


からニセコイも当然小野寺さんが勝つべきでした。

長年片想いしながら意中の人を観察し続け、

機会を掴んでは本人なりに必死になって距離を縮め、

ようやく手にした快適な友人関係を失う覚悟告白する、

こういう欲望と恐怖と勇気を見せてくれた人に勝ってほしいでしょう?

そういう人を差し置いて、後から来て物語終盤で恋愛感情自覚した人に余裕綽々でホイホイッともっていってほしくないんです。


5等分で言ったら、

最初敵愾心むき出しで暴言を吐きまくってたのに

途中から好きとか言い出して、誰が見ても突っ込みたくなる恥さら状態

自分でもディスアドバンテージ自覚しながらそれでもがんばるという人とか、

姉妹の中でお姉ちゃんとして常に自分を抑えて大人の振る舞いをしていたのに

ちょこちょことせこい贈り物作戦好感度稼ごうとして反応に一喜一憂していたり

途中からぶっ壊れて妹達に変装して情勢操作をもくろむという大反則に打って出る人とか、

そういう人の方ががぜん応援したくなるんですよ。


あの勝者の子は何ですか。

見苦しい手や汚い手を一度も打たなかった。

誰に対しても恥ずかしくない振る舞いしかしなかった。

ライバル姉妹を出し抜いてでもアピールするような心がなかった。

モラルを捨てて汚い人間になって恥をかくことをしなかった。

こんな子に勝たせちゃダメでしょ。



男の方も不見識です。

ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女を選ぶんです。

なんてつまらない男でしょう!



追記

ストーカーヤンデレ、腹黒属性のあるキャラが必ず勝っていつも正ヒロインになってしまうってのはちょっと多様性がないと思わんかね

あーもー長々例示つきで書いたのにこういう全然わかってないレスが来るとがっかりちゃう

小野寺さんはストーカーヤンデレや腹黒だった?

長女と次女だって別にサイコ的な人物じゃないでしょ?


ヤンデレとかストーカーとかそんなもんなんにも面白くないんだよ

それらはそういうジャンルキャラ造形として最初から設計されて宣言されて受容されるっていう退屈なお遊びだよね


ちゃんとまともな社会的人物として生きてきた、普段そんなことしない人として立てられたキャラが、

そこを踏み越えて汚いことや恥ずかしいことをしちゃう、そういう総体がいいんだよっていってるでしょ


というかねえ、ヤンデレだのストーカーだの腹黒だの、人の人格をそういう極端な類型説明してしまうような創作あんまり程度高くないと思います

そんなんばっかり読んでるからもう少し解像度の目の細かい話してる人間に向かって「つまりヤンデレやな?」みたいな粗雑なまとめでかえしちゃうんですよ

あなたの脳が粗雑な創作によって型にはめられているってことなんですよそういうのは、もっと危機感持った方がいい


まり増田姉弟子派だな!

モチロンソウヨ

イカちゃんも期待してたんだけどまさに粗雑なヤンデレキャラという第一印象のままフェードアウトしてしまってもう影すらない

ジョバーと化して小学生大天使にすら負けるし、女子最高の才能とはなんだったのか・・・

anond:20200216204655


kuzudokuzu 残念ながら増田の言い分自体が「俺には執念がある!だから俺の執念を通せ!!」なので、それに気づかない人ぐらいしか「よしやってやろう!」と話に乗ることはない。

2020/02/18

誰が「俺の執念」とか、私個人の話やリアルの話をしてるんですか。

「よしやってやろう!」というのも何をやってやるのかわからないし。

上の雑な人と違って何言ってるのか全く分からない。

大丈夫なのかこの人。


追記

お話の中ぐらい公正世界を求めたい」はフィクションに対する愚弄であるフィクション現実的であってもなくても理想的であってもなくてもよいのだ。皆、好きに作るべきだし、私も好きに読むし、君も好きに読め。

2020/02/18 リンク Add Star

こんなの勿論私の趣味・私のお気持ち表明であってこれが世間ルールになるべきとは思いません

ただ自分趣味をこうやって整理して熱弁したらみんなもその趣味をどう思うかとか自分趣味はこれであるとか言ってくれるでしょう



自分を信じて『夢』を追い続けていれば、夢はいつか必ず叶う!」って言ってた人が負けるのは許せない派?

これは確かに断りを書き忘れた私の落ち度です

学園ラブコメで言ったらライバルいじめ対象にして蹴落とすとかそこまで行ったら肯定しません。

私が挙げたキャラもみんなそこまではいってない。

また、ジュビロそもそも恋愛を描いたのではなく「執着が人を不幸にする」という世の真理の方を描いたと思います

一時期萌えおじさんになって恋愛を描いてましたが(蛇足と言われてるけどあの村の3姉妹とか好き)、

「行き過ぎた執着で自分も周りも不幸にした悪のおっさん」を描くことのほうがずっと多いです。

ニセコイで一番執念あったのマリーな気もするが

設定的にはその通りなんですが

ぶっちゃけ作者から「この子の目はありません」という目配せのような扱いのギャグさがあったのと

マリーを例にすると特定キャラへの思い入れで言ってると思われそうなので

千棘と最後まで競る形だった小野寺さんを挙げました。


追記3

まぁ押しが強いキャラって、当て馬というか、主人公ガンガンアプローチすることで正ヒロインがやきもち焼いたり、気付いていなかった恋心に気付かせる役割ばっかりなので、まず勝てないってのは哀しくはあるな…。

その問題は原因が3つあると思っていて

1.積極性が強い=「遊び人」「フシダラ」という古来の非難や敵視の目線

2.創作において古来から固まったパターンを疑わない踏襲主義

3.押しの強さの中で粗密やドラマを作るという複雑なことに挑戦出来なかった技術不足

ですが、

どれも現代では解決されてると思います

そういう意味では2が本当の敵かなと。


ごめんなさい、truetearsとschooldaysがまじったタワゴトを書いてました。

どっちもしってて全然違うのになんだこれ怖い。


その論で行くと、マリーさんは千葉県に嫁ぐことになるな

あの漫画の中で最も執着と献身性、純白の狂気を見せてくれたのは千葉県さんだからね、しかたないね


恋愛は執念ではないわ。見た目等の自分の売りのステータスを伸ばし相手好感度を上がる選択を選ぶのが大前提!突き進むだけの猪では現実でもバウムクーヘン確定よ。/変態仮面は清楚では無い二号ヒロイン選んだな。

恋愛ゲーのあのシステムも一面の正しさを含むかも知れないけど、それ以上にあのはっきりしたステータス主義の結果として「そうか、中スペの自分恋愛は無理なんだな」と考えて身を引く奥手男性結構生み出したのではないかと思っています

ステータスを伸ばしてからどうこうっていうのがそのまま役に立つの恋愛というよりむしろ婚活のような気がしますがボリューム世代で未婚が増加した後の日本ではもう手遅れなかんじ


伝説藤崎詩織さんのあの振る舞い(デフォステータスでは一緒にいるのが恥ずかしいといって偶然出くわして一緒に下校することすら拒む、ステータスが上がると寄って来るし高ステータス時にデートに誘わず放置してるとキレる、これで問題のある高慢ヒロインではなくメインヒロインという設定)を作った人

恋愛工学創始者並みに恋愛シニカル嫌悪ながら見てたのではと思う


お前の攻撃には執念が足りんぞ

あの概念凄く好きです

昔の少年漫画で敵が言ってくることとして相当凄いですよね

お前の攻撃には欲望が足りん、執念が足りん、そういうアドバイスが出てくる世界

その後の無想転生は我執を捨てた境地ですが


伊藤伸平先生「素敵なラブリー・ボーイ」はいいぞ。電子書籍版は驚くほど画質が悪くて驚くけど。どういうデータなんだよ

読んでみます

伊藤伸平は『はるかリフレイン』がすき。

夕焼けでぱっと終わるラストシーンがね。


自分の考えが支持されないのはどう考えてもお前らがおかしい」というお気持ち表明。春だなあ。

いやそういう話じゃないって言ってるでしょう。

あなたがそんな読解力のないコメントをするのは意外だし残念です。

書き換える前のコメントの方が良かったな。


完全にストーカー理論やんけ、怖いわ。むしろ恋愛がもたらす煩悩的な執着をしないほうを人は選ぶよね、というメッセージとして作品が成り立ってるのに。自分だって執着するだけの相手選ばないだろ…知らんけど

なんかやたらストーカーストーカー言う人達がいるんですが、

この人達は「ノーマル恋愛」を清いものだとかいかぶっていると思います


増田ToLoveるについての見解を聞いてみたい

ちゃんと読んでないからアレなんですが、あれは恋愛漫画じゃないと思います

確か宇宙人の妹がハーレム志向提唱しだしていたとおもいます

一種の優しい世界としての勝ち負けなしのハーレムで終わればいいんじゃないですか。

そういう風に終わったのかは知らんけど。


五等分の花嫁は読んでないけど、「ただただ一番自分のことを支えてくれた、害を及ぼさずに利益を与えてくれた女」って主人公に一番尽くしてるってことじゃないの?公正さを求めるなら、むしろ選ばれて当然なのでは。

「私の考える」「恋愛における公正」がなんなのかは文頭で説明しましたよね?

あなたが言ってるのはあの子が一番性格が清くて善だということです。

それは私も同意しています

あなたも私の話をよく読んでください。


増田根本的に勘違いしている。これは読者層で違うんだよ。少年漫画なら、控えめな優しい女が勝つ。少女マンガなら、努力する気丈な女が勝つ。例。「恋はつづくよ どこまでも」 / 男の願望と女の願望は違う。

そうでもないです。

少女漫画でも気丈に努力してアピールしてきたハイスペ美人が振られて途中まで「あいつのことなんてどうも思ってないし」とかとぼけたこと言ってた主人公が勝ったりします。同じくそばでジッと主人公を狙ってた男もよく振られます

ヒロイン失格」はどうや?イケメンの幼馴染という特別地位に甘んじて舐めプしてた主人公ノーマークの地味喪女BSSされたショックをバネに物凄い顔芸を繰り出しながらイケメンに縋り付くパワー系ラブコメ

あれの作者は主人公イケメン偏差値低そうな人間ばっかり自覚的に描くのがすごいですね

このみ確立してて作家性だと思う

アマゾンレビュー主人公が卑しすぎるとか最終巻表紙の笑顔マジキチすぎるとか怒ってる声多いけどわたしは楽しみました

ただし逆転で捨てられた地味子がベタメンヘラビッチになるのだけはいらなかったと思うけど

主人公イケメンのやったことがそれぐらい人を傷つけることだと作者は自覚し認めてるんですよね

同作者の次の漫画がまた主人公友達イケメンの先輩(たしか留年)も全員偏差値低そうな感じで笑いました

うどんちゃん世界を楽しくポジティブに生きてる感じ


追記4

気持ち分かるけど空灰で野球で落ち込んでる男にウザく絡みまくった幼なじみが振られる話好きなんだ

あれはフィクションでやたら予定調和的に上手く行く「あえてきついことを言って奮起を促す」コミュニケーションが実際は上手くいかんやろみたいな試みですよね。

ただあの子最初はそんなことしようと思ってなかったけど全然取り付く島がなくてああなったんだし怪我のことも知らされてなかったしあの場のコミュニケーションを間違えたというより最初から上手く行く選択肢が出てなかった感じ。

そしてあの球児のほうは何の誠実さもなく甘やかしてくれるだけの青田買い打算女に励まされて復活するのですが、次の試合ぐらいでメタくそに打たれて敗退することが別の話で示唆されています


スネイプ先生最後に勝つハリーポッター的な?もうお母さん死んでるけど。

スネイプ先生はしょせん最初から最後まで死者を追い続けてるので自分は何も報われずに死すところまでが美しいんですが、

ハリー女生徒だったりスネイプ先生女性だったりしたら一点してキワキワの危険人物になった可能性ありますよね。

そのケースの生の匂いと厄みが増大したスネイプ先生も見てみたかったです。


ラブコメではないが、ハイキューの田中と潔子なんかは増田にとって理想のゴールインだろうなあ

あそこはあんまりそういう目で見てなかったので「え!?」ってなりましたよね。

潔子先輩が大好きなんですが、それゆえに後日談でもあの中の誰かとくっついたりしないだろうなと思ってたら

え、田中? 一途に頑張れば普通に手が届く存在だったんだ???

みたいなちょっとリアル不思議気持ちを味合わせてくれたのでそっちの意味であのオチはとてもよかったです。

振り返ってみるとちょっとしたハーレムもの主人公みたいな田中

2020-02-12

パラサイト 半地下の家族感想メモ

アカデミー賞を取ったとのことで便乗して観に行ってきた。

映画を見慣れている人は面白いのかも(そういう人のコメントパンフに並んでいた)しれないが、あん日本じゃ受け入れられないかもとも思った。

テンポよく話が進み、最後最後までどうなるのか分からないストーリー金持ちと半地下の高さの差を描いたシーン、俳優陣の演技、セリフ回しなど確かに良い作品だなぁと思った。

1番お気に入りは溢れかえる便器の上でタバコをふかすシーン。

反対に次が気になった。

1. 韓国社会との構造の違い。「有名大卒の家庭教師」という設定に最初引っかかり、家庭教師=大学生アルバイト前提の自分には違和感があった

2. 貧乏レベル格差レベルがよく分からない。金持ちの家に行くにはそれなりの服で行くと思うが、その服はどこで手に入れたのか

3. 半地下の家族は内職をしているほどの貧乏だが、家族崩壊していない。家族愛が前提だとは思うが、欧米日本ドラマならばらは貧乏な家は大抵崩壊寸前だったりするのだが、彼らは助け合っている

4. 息子は大学に行きたいらしいが、その金はどこから出るのかわからない。つーか、勉強しろ

他にも全員の設定が都合良すぎるとかあるが、それはこの際置いておいて、ラストシーンの捉え方含めて"まだ""ギリ"格差の広くない日本の観客には解釈が難しいのではないか

面白いと思えるシーンもそんなになくて、次から次へと面白いシーンって書いてあったけど、そうは思えなかったなぁ。個人的にはジョーカーの方が面白かった

あと、チョン・ジソ超かわいい

2020-01-31

ジョーカー』おもんなかった

少年時代描写がなかったので、どんな虐待を受けていたのか分かりにくいところがあった

父親に捨てられたトラウマジョーカーを育てたところがあるというんだったら、それをもっと丁寧に描いて欲しかった


病院カルテだったか診察のデータだったかあんなに簡単に盗めるか?

というか、ああいう30年前の古い文書は残しておく価値があるのか?

あるんだったら電子化して残すものじゃないか


ホテルで『モダンタイムス』(だったかな)を上映中にホテルマンに扮したジョーカー劇場(?)内に立っているのは、絵になるからだったんだろうけれど不自然


ラストシーンホアキン・フェニックスをアップで撮り過ぎて暑苦しく感じた


Twitterジョーカーが撃つリボルバーの弾数がおかしいというツッコミがあったが、それは気にならなかった

一気に7発撃っているのはおかしいという話だったが、弾を再装填する時間はあったと見た

2020-01-08

スターウォーズシティハンター

去年、最新アニメ版劇場版シティハンターを観てきた。

正直言わせてもらえば、今の時代には全くマッチしない、古臭い映画だろう。

だが、自分の年齢からだろうか、最初から最後まで観たかったシティハンターが観れて、とても満ち足りた気分で劇場を後にしたのだった。

さて、話は変わるが昨年末はあのスターウォーズの最新作にして、7以降の三部作の完結編にあたるエピソード9が公開され私も初日に観に行った。

スターウォーズシリーズは4〜6までは私もリアルタイムで観れてはいない。

そもそもスターウォーズを知ったのがエピソード1の公開が話題になったときだった。

エピソード1を先に観てからエピソード4〜6を観たので、ファンからはお叱りを受けるかもしれないが、アクションシーンや映像などに目が行きがちな子供だった私にはルークの旧三部作は、ストーリー世界観は好きだが全体的にやや退屈な古臭い映画に感じられたものだ。

正直皇帝との決着付け方はあの当時は拍子抜けした。

エピソード3を観た後に見返した時は自分が成長したからか、アナキンに思い入れが出来たからか、とても胸を打ったのだけれども。

そして今回の最新三部作

これを言うと批判されるかもしれないが、私は正直あの中ではエピソード8が一番好きで、一番スターウォーズだったと思うのだ。

エピソード7は私には後半になるまでは少々退屈に感じた。

というのもまるでエピソード4の焼き直しのように感じられたからだ。

勿論後半にもそれに似たシーンはあったが、思い入れのあるキャラクターの死に心乱され、あまり気にはならなかったし、後半の決戦シーンは新たなスターウォーズの幕開けを感じられ、ワクワクした。

しかしやはりどうしても、古さを感じてしまい、それがノスタルジーならよかったのだが、あくまで私としてはプラスには感じられなかった。

そしてエピソード8。

こちらは賛否好き嫌いが分かれるのは仕方がない話だろう。

開始時点では私も戸惑った。

これは本当に公式スターウォーズ映画なのかと。

実際私の周りは酷評していた。駄作だ、汚された、と。

しかアナキンの三部作スターウォーズ視聴のきっかけとした私にとっては、終わってからはむしろこれこそがスターウォーズだと感じられた。

かにやり過ぎと感じる人も多いような、まるで日本アニメーションのような描写も見受けられた。

しかアナキンをリアルタイムで追っていた私にとって、その描き方は技術進化を利用し、新しいことに挑戦するスターウォーズのもののように感じられたのだ。

ラストシーン、紡がれる伝説と吸い寄せられるホウキ

英雄には相応しくない孤独人生を歩んできた彼が伝説になった瞬間は涙が溢れた。

最後エピソード9。

多くのセルフオマージュに溢れた、ファンサービス溢れる作品だっただろう。

しかし、なんと言えばいいのだろうか。

私にはまるで人間フォース奴隷になってしまたかのように感じられた。

主人公はいものの、群像劇様相をしていた今シリーズだが、決着をつけさせるためだろうか、いまいち一人一人を掘り下げられていないようにも思えた。

しかファンが求めていたスターウォーズはこれなのかもしれない。

恐らく私こそが老害というやつなのだろう。

実際この三部作よりもローグワンのほうが好きなのだから、やはりスターウォーズ自体が向いていなかったのかもしれない。

しかし、最初に書いたシティハンターの話を思い出してもらえるだろうか。

私はあの映画レトロさに心を躍らせていたのに、最新三部作についてはレトロさに気分が沈んでしまった。

好きなはずの両シリーズ

なぜ私はこんなにも真逆の印象をもってしまったのだろうか。

もっと素直に映画を楽しみたいのに。

2020-01-05

劇場版パトレイバー3が地味に一番好きだな

ラストシーン入道雲みながらおっさんアイス食ってるのが特に好き。バブルが弾けたことでパトレイバー時代から切り離されて作品として死んだと思うけど、パト3で本当に死んじゃったんだな…と実感する。

2019-12-31

スター・ウォーズスカイウォーカー夜明け」感想

(とりあえず年内中に吐き出したかったので、すべて記憶に頼って書いてる。間違いがあったらすまない。)

ネタバレ注意。)

 

一言でいうと「やっぱり無理だったか」。

 

そもそも、ep6の続きを作るなんて、本質的に無理だと思っていた。

スター・ウォーズ世界は、その全てがルーク・スカイウォーカー活躍させるために構築されている。

ep6でルークが「あがり」をむかえ、わだかまりが解消された以上、もう「めでたしめでたし」で終わった話なのである。その先には、もう何も残されていない。

から正史の続きの映画シリーズが作られると聞いたとき大丈夫なのかと心配になった。プリクエル(前日譚)でもスピンオフでもなくep6の続きを、ドラマシリーズでもアニメでもビデオゲームでもなく実写映画でなんて、完璧にやったとしても二番煎じしかならなそうなのに、どうすんだと。

何か勝算があるのかと思った。正史の隙間を埋める二次創作しかできない部外者と違って、公式ならばどんな飛び道具でも使える。これならいけるぞというアイデアが何かあるのかなと。

そしてep9が終わってみてわかった。結局、何もなかったのだ。

 

全てがルーク・スカイウォーカー活躍させるために構築されている、というのは、たとえば血統によってジェダイになったこと。

スターウォーズ世界設定では、ジェダイ世襲ではない。ジェダイの掟は恋愛結婚を禁じている。ep1~ep3では、たくさんのジェダイがワチャワチャ出てきたが、誰の血縁だなんて話は特になかった。作品世界歴史においてはep4~ep6の出来事例外的なのである

また、親父が一代にしてレジェンドになった傑物、というのも重要だ。考えてみてほしいが、ルーク家系が代々続くジェダイ家系だった、なんて設定だったら楽しくないのだ。幼いころから厳しい修行を強いられ、偉大な先祖比較されて品定めされ……ウンザリするだけだろう。堅苦しい伝統とは無縁でありながら、血の繋がりによってスゴい能力を授かっている、というのが心地よいのだ。

ジェダイが滅ぼされたというのも重要である。同世代ライバルと競わされ選別されることはない。「あいつがいから、おまえいらない」と言われる心配が無い。

ルークはただジェダイなのではない。歴史的にも特別ジェダイなのである

 

ジェダイだのフォースだのも、ルーク活躍支援するために存在する。

超能力チャンバラ! うわ超かっけえ、文句なしだ。

ジェダイ思想? そんなもんクソどうでもいい。ep5で、ルーク師匠の言うことに逆らってハンを助けに行く。頭の固い年寄りの言うことを従順に聞く主人公なんて魅力的ではないのだ。ジェダイの掟なんぞは、友情を引き立てるダシにしとけばいい。(余談だが、あのあとヨーダとオビワンはわりと辛辣に「あいつはダメだ」って批判してた気がする。)

 

帝国も、ルークのために用意されたものである

悪の帝国を倒せ。うん、わかりやすい。

ストームトルーパーも、顔が見えないので、人を殺している感じがしない。(スターウォーズを初めて見た幼少期の私は、ロボットだと思っていた。ep4のデススター侵入でアーマーを奪って着たりとか、叫び声がドロイドとは違う感じになってるとかで、「推理」することはできたが、あまり実感はなかった。直接的な描写は避けられていたように記憶している。)

反乱軍兵士は顔出ししていて、その死は人の死として弔われるが、帝国兵はそうではない。

 

ライトセイバービームブラスターも、鉄の刃や弾丸による戦闘と違って、血が出ない。生々しい人死にの感触はいらないのだ。

 

このように、ルーク活躍ストレスフリーで鑑賞するための仕掛けに満ちている。

 

そんな、ルーク・スカイウォーカーのための世界は、ep6の後どうなるだろう。

たとえば、帝国が倒れて銀河平和が戻ったらどうなるだろう。

ジェダイは、子供たちに嫌われる習い事みたいになるだろう。健康診断で素質ありとなったら、ジェダイスクールに通わされる。遊ぶ時間も奪われる。

そんな退屈な平和映画の観客にとっては退屈だが、そこの世界で暮らす人々にとっては尊い平和

ep6の続きが作られることになったため、平和は訪れなかった。

観客は退屈な平和なんて見たくないのだ。

 

カイロ・レンが生まれたのも、観客を退屈させないためだ。レイアとハンの子供が順風満帆ジェダイになるなんて話が見たいか

みんな大好き「血統物語」だが、前述の通り「親はポッと出」「他と比較されない」といった要素と組み合わさった場合にだけ楽しいのだ。ep4~ep6でそれは消費されてしまったため、ep7~ep9では使えない。そのせいでベン・ソロは歪んでしまった。

ベン・ソロダークサイドに堕ちるに足る理由なんぞ、結局、何もなかった。意外性を出すためにダークサイドにしよう、と、それだけ。

無理やり悪をやらされてる感があって気の毒なのであった。だが、そのどっちつかずな感じが「何かある」という錯覚を生み、それらしい苦悩の描写と、アダム・ドライバーの熱演もあって、妙な奥深さを感じさせていた。ep8までは。

ep9で痛感した、「やっぱり無理だったか」。

マスクの扱いが象徴であるダースベイダーにとって、マスク生命維持装置でもあり、必要があってかぶっていた。カイロ・レンにとっては、マスク特に必要ない。ダースベイダーの表層的なモノマネに過ぎない。これが、「必要ないのにマスクをつけてるワナビー(なりたがりの未熟者)である」という意味をなしていた。

ep8でスノークはこれを看破して、マスクをボロクソに貶したのだろう。マスクを捨て、カイロ・レンは悪として成長を見せた。劇場で見た当時の私は、期待を込めて「ep9では完成した悪としてついに大成するであろう。ただ、その後すぐ死んでしまうだろう」などと書いていた。

ep9でカイロ・レンは再びマスクをつけた。ep8での成長を経て一体どういう心境なのだろうかと注目していたが、特に意味はなかった。

結局、最後最後までワナビーしかなかった。

 

みんなep4~ep6が楽しすぎたせいで目が眩んでるのだろうが、血統物語のオイシイところはもう使い切っちゃったし、スターウォーズ血統物語じゃなくてもいいんだよ。

ep8で、レイは「何者でもない」としたのは、慧眼だと思った。ep1~ep3の頃のノリに戻るだけだし。だが一部のファンには不評だったようである。ep9で台無しにされた。

 

ep9は、ep8の良かったところを台無しにした。

ep8は野心的だがガタついてる印象がある。ベン・ソロダークサイド転向したきっかけとか、ワープ特攻とか、無茶すぎる。だが、フィンとローズのバディムービーっぷりとか、カイロ・レンの成長とか、レイ出自とか、レイロ(レイカイロ・レンのカップリング)とかは良かった。

特にレイロ。ep9の意趣返しについては、べつに好きにやったらええよアンタの映画だし、という気分だが、レイロだけは違う。ep8は最高のバトンを渡して来たんだから、他のなにもかも台無しにしてでも、そこだけはちゃんと引き継いでほしかった。

なんであの程度でカイロ・レンからベン・ソロに戻るのかと。ep7で父殺し、ep8で師匠殺しを達成して、これは過去正史映画で誰も成しえなかったことなのに(ep6のは、ベイダーからアナキンに戻ってるので何か違うじゃないすか)。

みんな小物だとバカにしていて、実際小物な面もあるんだけど、それでもやることやってんだなあ、というところが、見るから威圧的尊大なふるまい一辺倒の悪役よりも「新しい」気がして感心していたのに。

ep9で大成すると期待してたのに、なんだか小さくまとまって終わっちゃって。ああ、ワナビーのままだったな、と。

カイロ・レンが締まらなかったせいで、レイもなんだか微妙な感じになってしまった。悪い意味で揺るぎねえから自分ダークサイドに堕ちるかもしれないッス、ってシーンでも「ふーん」って感じで。ep7,ep8のカイロ・レンの方がまだ、こいつライトサイドに戻っちゃうんじゃねえのとハラハラした。

レイシリーズを通して成長しているが、カイロ・レンもまた成長していた。極まった二人の力がぶつかり合う瞬間を楽しみにしていた。だが、二人の対決は、なんか普通ライトセイバー戦で終わってしまった。

で、キスちゃうのな。レイロ勢に媚びた安易な燃料投下だと感じたが、まあ、対決が不発だったうえに燃料投下も無かったらマジで残念な感じになるので、ダメージコントロールとしてアリだったのかもしれない。(少なくとも、「ローグ・ワン」やep8の無意味キスシーンよりはマシだったし。)

 

ラストシーンも締まらなかった。

レイ自分のことを「レイスカイウォーカー」と名乗ったが、なんだか釈然としない。

ep8の頃の「何者でもない」レイだったら、納得できたかもしれない。スカイウォーカーの魂は血縁を超えて継承されていくんだなあ的な。だが、シディアスの孫とかやっちゃったのにそれは。

かといって、レイパルパティーンとか名乗られても、銀河悪名高いシス名前からちょっと不穏すぎる。

このシーンで私は、「ハン・ソロ」でソロファミリーネームが成り行きで決まってしまうシーンを思い出した。だがレイソロって名乗るも、やっぱり違う。

書いてて気付いたのだが、母方の姓を名乗るのが無難な気がしてきた。でもそんなん名乗っても、観客としては「何?」だろう。

 

まあ、ぶっちゃけスターウォーズ人間ドラマにはそれほど期待してないので、レイロが微妙でもメカの出来さえよければ満足だった。私の原体験がそれだからスターウォーズを初めて見たのは幼少期の頃で、ストーリーとかまったくわからなかったのだが、それでもメカ活劇に夢中になった。光る剣。宇宙疾走する戦闘機や艦船。月のように大きな要塞

だがメカ描写はずっと低調だった。

ep7で、レイスターデストロイヤーの残骸を漁ってるシーンと、カイロ・レンが焼けただれたダース・ベイダーマスクを拝むシーンには、制作陣の「我々はこうやって偉大なる旧作の遺産を食いつぶして細々とやっていくしかないのだ」という諦めの入ったメッセージ言葉ではなく映像で叩きつけられたような気がして、ちょっとビビった。新しいものを作るんだっていう虚勢を張るもんだと思ってたら、こんな赤裸々に弱音を吐くんだ、って。

ep7~ep9のメカを振り返ってみて、旧作から続投しているものを省けば、記憶に残ったのはbb-8とカイロレンのマスクくらいだ。

ep9は特に低調だった。なんだファイナル・オーダーって。あの世界の乗り物は、製造されてるわけじゃないですか。「ローグワン」とep4でデススター設計者・設計図を巡るドラマがあった。「ソロ」では、製造中のスターデストロイヤーを望むシーンとか、ファルコン号を巡るドラマがあった。それが、念力を込めたら地中からボコボコ出てくるとか。ただでさえスターデストロイヤーをたくさん並べただけという芸の無さがキツいのに、もうちょっと真面目にやってほしかった。

 

できれば、メカデザイン体系を新しくしてほしかった。

ep1では、ep4~ep6とは明らかに違ったデザイン体系のメカがでてくる(アールヌーヴォーって言うの?)。ep2,ep3と話が進むにつれてep4の体系に近づいていくというのが、帝国の勃興とメカデザインが連動していておもしろかった。

帝国という魅力的な装置はep6で使い切っちゃったので、ep7~ep9ではなんの変化もなかった。

面白い新作メカを作る余地はあったと思う。現在、「トポロジー最適化」「ジェネレーティデザイン」といったものが登場したので、それを取り入れるとか。

あと、バトルドロイド可能性は掘りつくしてない気がする。ep5で少し登場しただけの賞金稼ぎロイドには妙な存在感があった。ep1でドロイデカの登場には、なるほどこれはep4~ep6制作当時のVFX技術じゃ作れなかっただろうと興奮した。ep1より後に作られた「ローグ・ワン」のk-2soといい「ハン・ソロ」のl3-37といい、キャラが濃くて面白かった。ep7~ep9で、改めてバトルドロイドを登場させたら良かったかもしれない。

だが、「こんなのスターウォーズじゃない」と不評に終わる可能性が高いだろう。それが予想できたから、きっと冒険しなかったのだろう。

 

というわけで、ep9の感想は「やっぱり無理だったか」。

スターウォーズはep6で完結してたんだなあ、という思いを新たにした。

2019-12-29

スターウォーズep9を見た

休みになったのでスターウォーズep9を見てきた。

冒頭の例の皇帝復活のところで笑ってしまったが、あとの部分を見ていくごとによくいわれるような「こういうのでいいんだよこういうので」的な感情支配していくのを感じた。

ep8であからさまに冗長に感じたクリーチャー満載の惑星への寄り道も「こういうのがスターウォーズだよな!」って高揚してしまった。

「あっ、ここは本当はローズ活躍する場面だよな」みたいなところとか、「ルーク、おまえ死ぬ前と全然違うやんけ」とかはたくさんあった。

あと本来ep8までにこなしていかなければいけないイベントを消化しなかった関係なのかやや詰め込みすぎているようで、説明不足でわかりにくいシーンもあったかとおもう。

(ウェイパスファインダーのところとか、一緒に見に行った人は「あれ、なんで3つめがあるんだよ」みたいな反応だった。あとはたぶん意図的なんだろうけどラストシーンとか)

でもまあ見終わったおおよそ満足だったな。

と、終わっていればよかったのだけど、これ結局ep4-6のリメイクしかなくない?そこのリメイクするんなら素直にリメイクとして作った方がよっぽど面白いのでは?とかビッグバジェットの有名作品でいちいちこんな焼き直しする意味とは?とか考えてしまってなんとも複雑な気持ちになった。40年以上にわたるサーガの終章がこれなの?ほんとこれでいいの?と。

2019-12-07

[] JOKERラストシーン

いまさらながら映画 JOKER を見てきた。すごい映画で衝撃を受けた。
そしてラストシーン解釈について諸説ありそうなんで、自分考察を書いておく。激しくネタバレ注意。

ラストシーンはそれまでと時系列が異なる

暴動のシーンと、ラスト精神病院のシーンは、時系列連続していない。
素直に見ると「暴動後に逮捕されたアーサーが、精神病院に送られた」となるかもしれない。だがそうするとおかしな点がいくつかある。
例えば、アーサーは少なくとも5人を殺している。そんな凶悪犯に手錠をかけただけで、ソーシャルワーカーが1人で会おうとするだろうか。警備が軽すぎる。
また笑い出す病気についてソーシャルワーカーが知らないのもおかしいし、髪の色も緑ではなく黒に戻っている。

全ては作り話

時系列が異なるとすると、どう解釈すればよいのだろうか。
ラスト精神病院にいる男を「アーサーでありジョーカーである」とするのは前述の通り不自然だ。「アーサーでもジョーカーでもない」はやや飛躍しすぎだ。
すると「アーサーではないがジョーカーである」とするのが自然だ。つまりそれまでのお話もアーサーの存在も、全てジョーカーの作り話だ。

そもそもジョーカーは嘘つきだ。ダークナイトでも口の怪我理由説明していたが、2回説明してどちらも全く違うものだった。どちらかが正しいというよりは、どちらもデタラメだろう。
「アーサーがジョーカーになるまでの物語」も、そうしたデタラメな作り話の1つだったのだ。

作り話 = 裏切り なのか?

全ては作り話と聞いて、なにか裏切られた気がしなかっただろうか。あれだけ感情移入したアーサーの苦難が作り話だなんて、と。
でもそれはおかしい、そもそもこれは映画なのだからアメコミヒーローもの映画だ。創作に決まってる。それは観る前からわかっていたはずだ。

もちろんそれも作り手の狙いだろう。
だがラストシーンがなくとも十分面白い映画なのに、なぜそんな仕掛けを入れたのだろうか。

物語危険

フェイクニュースのように、人間本能の、ある種のバクを突いた攻撃が増えている。煽情的言葉で怒りや妬みを誘い、人々を誘導するような攻撃が。
そうした感情への訴えが厄介なのは、理性で理解したとしてもなお影響が残ることだ。「人を殺すのは悪いことだ」と理解していても、証券マンを撃った時にスカッとしなかっただろうか。

人は物語さえあればヴィランにも感情移入してしまう。「アーサーは俺達の物語だ」といとも簡単に手玉に取れてしまう。
だが、物語はわかりやすいが、わかりやすいことが真実なのではない。物語世界理解したような気分になっていると、ジョーカーにつけこまれしまう。

ラストシーン解釈

今日もまた新しいジョーカー誕生物語を思いついた。この物語なら、大衆どもは飛びつくだろう。そうして共感を操れば、面白い遊びができそうだ。最高のジョークだ。
わず笑っていると、目の前でソーシャルワーカー怪訝そうな顔をしている。こいつを片付けて、そろそろ病院の外に出る頃合いか
そう、いま、この時が、ジョーカー誕生の瞬間だ。

■槙野さやかさんの『ジョーカー』評が滅茶苦茶

「ほんとうはもっと与えられるべきだった」と無根拠に思いこむ人間の恐ろしさ  映画ジョーカー』|槙野さやかnote

https://note.mu/kasa_sora/n/n8554d186e08e

滅茶苦茶すぎる。

映画の内容と合ってる部分が皆無と言ってもいい。

これはさすがに解釈違いなどでは済まされない。


さあ、おわかりいただけただろうか。アーサーは貧しく不運だからジョーカーになったのではない。貧しく不運な人はこの映画の中にも彼の他にいくらでも出てくる。ではなぜアーサーが、アーサーだけがジョーカーになったのか。

自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす

いったい何なんだろうこれは。

アーサーは、一度も、こんなこと言ってない。示唆もされてない。

アーサーは実に延々と様々に苦悩や不満を吐露するし顔でも踊りでも強烈に表現するが

こんなことは表現されていない。

以下3点で説明する。


1.アーサーは「奴らを燃やしたい」と願った?

より議論余地のないところからだが、

アーサーは「燃やす」というイメージを持ったことはない。

全然ない。全く。

結果的ラストで街は燃えるが、アーサーはあんなことは少しも意図していなかった。

イメージ豊かな妄想の中ですら街を燃やしたことなんてない。

ていうか、燃やすことを計画して燃やせたならそれはもう別のジョーカーでありアーサーではない。

ちゃん映画を見てんのかよ


2.アーサーの言いたいのは「自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかった」?

これも言ってない。

明らかに

そんな理路ではやってない。

そもそもアーサーの不満なんて自分で散々言っている。

誰も自分ことなんて気に掛けてくれないこと。

なのに「普通にしてろ」という注文はずーっと付けられること。(あの脳障害精神病を持つアーサーにはそれが何よりも困難なのに。)


アーサーは大富豪の息子かもと思わされた時だって

「あのウェイン家の素晴らしい財産名誉も何もかも俺のものだ!」みたいに有頂天になったりはしていない。

そーっと近づいて、彼なりに精いっぱいの優しくナイスな態度で弟かもしれない少年に接してみて

出てきた執事に「父かもしれないかトーマスさんと話がしたい」って言っただけ。

その後に「父」と直で話をする機会も訪れるけど、その時に何を願ったか

(槙野さんはこの簡単問題も答えられない可能性がある。半々ぐらいの確率で間違えると思う。)


3 アーサーの殺人ルール

そしてアーサーが殺す対象にはわかりやすい特徴がある。

「アーサーを舐めてる」ということ。

特にだんだん計画的になっていく同僚殺しやマレー殺しではっきりわかるはず。

自分のことを知的障碍者だと思って舐めた奴を殺してるわけ。

アーサーは笑いのツボや行動はかなりズレてるし愚鈍に見えるけど

実は相手意図とかはほぼ常に機敏に正しく察知してる。

マレーの番組自分テープが取り上げられて幸せそうに見てた時も

マレーがいじった瞬間にぱっと表情変わってる。

あの速度は健常者と同等以上に鋭い。

あのでかいだってうだつの上がらないあの職場の同僚で、

貧者として富める者を嫉視してのジョーカーだったらなんであん自分と大差ない人間クレバーに惨殺する?

(槙野さやかさんはこの問いにもぼんやりした答えしか出せないと思う。)

あいつが殺されたのは徹頭徹尾同じ職場障碍者っぽい人間を舐めてて

アーサーのことも脳まで愚鈍人間だと勘違いしてたから。

自分が色々こずるい裏切りや保身ばっかしてることについて、アーサーはあんまり認識出来てないんじゃないかと思ってる。

なんとなく怖いからいつも馬鹿にしてる小人を帯同したけど基本的にはやっぱ舐めてる。

アーサーはあいつのそういう人格や振る舞いはとっくに見抜いてたので、ほとんど何も聞かずにぶっ殺したわけ。

脳障害精神病に覆われてるけどベースにはかなりちゃんとした知性がある人物として演じられてるの。


マレーも同じで、アーサーを馬鹿にするために招いた上に「ジョーカー」と呼んだことまで忘れてる。

動きややることが愚鈍から内面愚鈍で何も感じないと勘違いしてたから殺されたわけ。

マレーが豊かだから殺されたんじゃねえよ。



4.【余談】槙野さやか氏は何を参照して映画評を書いているのか

ここまでいくつかのポイント説明してきたけど

これらは別に何かの深読みや事前知識がないとわからないネタとかじゃないわけ。

普通にちゃんスクリーン見てて脳が機能してるなら誰でもわかることしか持ち出してない。

じゃあこの槙野さやか氏の

「ほんとうはもっと与えられるべきだった」と無根拠に思いこむ人間の恐ろしさ

 さあ、おわかりいただけただろうか。アーサーは貧しく不運だからジョーカーになったのではない。貧しく不運な人はこの映画の中にも彼の他にいくらでも出てくる。ではなぜアーサーが、アーサーだけがジョーカーになったのか。

自分にはもっとすばらしいものが与えられるべきだったのに、そうではなかったから、自分が与えられるべきだったはずのものをもらっているやつらを燃やす

こういう『ジョーカー』の内容と全く関係のないうわ言は何を参照して書かれているのか、出どころはどこなのか。

自分脳内妄想とか、別の映画ぼんやりしたイメージからなる、記憶泥団子


「燃やす」なんていうのはほぼ間違いなく『ダークナイト』でしょ。

あっちのジョーカー混同している。

あのメジャーすぎるヒースジョーカーダイナマイトガンパウダーとガッソリーンを愛しててとにかく燃やしまくりで

世界燃え上がるのを見たい」という意味不明動機人種アルフレッド解説するシーンも印象的だった。

ヒースジョーカーは損得を解さないし、どのような種類の怨恨も抱えてない。

ダークナイト』のジョーカー混沌使者であり人間ではなく世界燃え上がる光景を愛し人類SAN値チャレンジしてくる存在だけど

ジョーカー』のジョーカー社会不適合で打ちのめされた末に「ここで人を撃ち殺したら面白い」という自分ルールで生きると決めただけのやけっぱち。

間違いなく別存在だし時間的もつながりようがない2者だということは心ある人はみんなわかってる。

ダークナイト』と『ジョーカー』は続編関係ではないし繋がるようにもなってない。

で、槙野さやかさんはこの2作が続きものだと早とちりしてジョーカー情報を混ぜているんならまだいいんだけど

おそらくはもっとナチュラルにただ記憶イメージがぼやーっと混濁してる。

まりジョーカー』のシアターに座りながら、スクリーンを見ておらず、自分脳内の雑な記憶を参照しながら映画見てた。

それで以前に見ていて何度か反芻していた『ダークナイト』のほうがイメージが強かったので『ジョーカー』の情報あんまり頭に入ってこなくて

その自覚がないまま映画評なんか書いている。


これはそこまで特殊な症状ではなく、こういう人は実は結構いて、

「いったい何を見てたの??」というぐらい内容と違う感想を言う人はだいたいこれなんだよね。

その感想を聞く方も記憶力が鈍かったり頭が弱かったりすれば違和感に気づかれないので普通に会話が成立したりもする。

脳の機能が少し弱い。

これの人は集中力欠如とか妄想癖とかも抱えてることが多い。脳が現在に固定されにくいの。


5,アーサーは王子様願望じゃねーよ

指摘したいことは一通り書き切ったけど残りの部分についても一応突っ込んでいきたい。

そう、彼は自分王子さまだと思っているのだ。

思ってねえよw

マレーの番組見てるときの痛々しい妄想を思い出してほしい(といっても槙野氏の記憶は多分ぼやぼや)。

アーサーにとって都合の良い展開の妄想ではあるものの、彼はあの妄想の中でも全然冴えない。

自分のたどたどしい振る舞いや母と同居していることなどが笑われることすらシミュレーション出来ちゃってる。妄想の中ですら。

あの妄想現実と違うのは、マレーが優しいということだけ。

アーサーには何のスーパーパワーも貴種としての生まれも発現してない。

冴えない何もない自分を、マレーがただ目をかけてくれて、優しく対応してくれて、最後に抱きしめてくれるというだけ。

あの妄想ってマレーが少しそんな気分になれば完全に実現可能だということは注意していい。

王子なんかどこにも出てこねえよ。


さあ、おわかりいただけだたろうか。アーサーの怪物性がいかなるものであるかを。アーサーはなぜジョーカーになったか。アーサーは貧しかたかジョーカーになったのではない。アーサーは不運だったかジョーカーになったのではない。アーサーは「自分大金持ちの有名人の子に生まれテレビスポットライトを浴びて子どもたちに大人気のコメディスターであるはずなのに、そうじゃなかった」からジョーカーになったのだ。アーサーは、自分無限賞賛を浴びて当然の人物だと(無根拠に!)思い上がっていたから、ジョーカーになったのだ。

さあおわかりいただけただろうか、はこちらのセリフである

おわかりいただけただろうか。槙野さやか氏の脳機能いかなるものであるかを。

アーサーの妄想なんてのは、絶頂のものでも「ちょっとしたバー場末コメディアンとしてちゃんとやれてて親しい人がそれを見てくれてる」というものなんです。

これはつまりなんなのかといったら、「社会ちゃんと溶け込めている自分」ですよ。これだけ。

どこに大金持ちとか王子様とかスーパースターなんてイメージがあったんだよ?? あれだけの妄想人間が一度もそんな妄想ちらともしてねーのに。


要するに槙野さんという人は、おそらく映画館に足を運びはしたのだろうけどほとんど映画を見ておらず、

脳の括約筋が緩いので昔見た別の映画イメージがだばだばと入ってきて混ざり

ジョーカー』の内容とは似ても似つかないへんてこな像を脳の中に描いている。

それで全然困らないのは、元から映画の話なんかする気はないから。

この人が本当にしたい話はもう一つの材料自分脳内で以前から練っていた妄想の方で、

それはつまり「思いあがって不相応に欲しがっているけしからん負け組男がいる」というイメージと怒り。

ジョーカー』はその話のダシでしかいから内容の認知記憶が滅茶苦茶でもどうでもいいのだ。


「アーサーはこんなに身の程知らずな願望を持っている!」という槙野さんの数々の告発映画のどこにもそんな描写のない電波であり

しろ妄想してるのはお前だろとしか言いようがない。

まり、こういうのをそう呼ぶのもちゃんとした人に失礼だろうが、

この人は一種フェミニストであり、「負け組の癖に身の程知らずな願いを持った男」への怒りを抱えていて、脳の機能も少し弱かったために、

ジョーカー』という映画の内容をまるっきり自分に都合の良い妄想や別の映画記憶と置き換えてしまったのだ。

ここまでくればアーサーはお前じゃと言いたい。

ただしアーサーは

父親のようなおじさんに優しくハグしてほしいな」とか「ちゃん職業人として社会に溶け込めてる姿を親しい人に見てほしいな」とか

あれだけの冴えない人生精神病障害や要介護親に圧迫されてる人としては、非現実的なぐらいにつつましく清らかな願望しか持ってない。

反芻していた暴力的妄想と言えば自殺妄想

怒りと攻撃妄想を抱えた槙野さんよりどこまでも控えめでだいぶ高潔ですらある。

槙野さやかさんが求める「負け組の癖に身の程知らずな願望を持ったオス」を探すならこの映画じゃなかったはずだ。

他にもっとそうこじつけられる映画はいくらでもあるだろうに、脳の機能が弱いからうまく探せなくて、世間的ヒット作にとびつくのである



6.ジョーカーは何も与えられてねえよ

仲間をつのって煽るのではない。仲間が勝手にやってきて祭り上げてくれるのだ。徹底している、と私は思った。狂を発して「アーサー」からジョーカー」になるときでさえ、彼は「与えられる」側でなければ気が済まないのだ。りんご食って寝てるんだ。永遠に家出をしない白雪姫なんだ。

映画を見てない人に映画の内容を諭すのもむなしいが、

仲間を募って煽った結果暴動が起きたんならアーサーの人生と彼の決めた開き直り全然浮かび上がらない。

ヒースジョーカーなら人を煽って好きなように混乱や暴動を作り出せるが、アーサージョーカーはそんな存在ではない。

アーサーは自分主観勝手にすると決めたのだ。だから暴徒達は別に仲間ではない。

通じ合うわけがないだろう。通じ合うことをついにあきらめて手放したんだから

何も与えられてないのだ。受け取らない存在になると決めたのだから

最後に血で笑顔を作った時の感情が「仲間ができてうれしいな」とか「僕もついにサクセス」だと槙野さんは思うのか。

マジでアホじゃないのか。

ラストシーンのカウンセリングで、

変なジョークを思いついて一人で勝手に笑っているところがあの映画でアーサーが心から笑っている唯一のシーンである

内容を聞かれて「どうせ理解できないさ」と答えるアーサーは晴れ晴れとしている。

信奉者なんか必要としてるわけがないだろう。

ついでに最後絶対言っておきたいのが、『ジョーカー』は社会的な映画じゃないということだ。

映画を真面目に見ないあんたにはわからないだろうが、不審なところや悪ふざけを感じるところだらけだ。

監督脚本演出役者の演技が一致してないんじゃないかと思われる個所もやたらたくさんある。

バカが弱い脳の機能で見ると政治映画に見えるのかもしれないが、絶対そういうんじゃないだろうこれ。

槙野さんは映画を見る能力がないので、当然映画自分の怒りのアジに結び付けるのも向いてない。

「こんな悪い男がいた」といったストーリー嘘松でもやる方がよいと思う。

2019-10-29

JOKER気づいたところメモ(完全ネタバレあり)

話題になってるJOKER、予告だけ観た状態で1回目観て色々圧倒され、いろんな方々の評論を読んだあとにもう1回観て気づいたとこを備忘録がてらメモ。核心に触れるネタバレ多数なので未見の方はこの先非推奨です。

 

 

 

 

 

 

 

物語構造について

  • まず、映画の中でアーサーが一番最初に語る言葉が「狂っているのは、僕か?世間か?」というセリフであり、これで大きな問題提起がなされている。
  • この答えすら人によって異なると思うが、個人的には、アーサーも世間も両方狂っていて、本編の事件きっかけにその歯車ががっちりと噛み合い高速回転し始めた、というところだと思う。
  • 物語の大枠としては、アーサーが母親を殺すこと、そして「俺の人生悲劇だ、いや違う喜劇だ」というセリフを軸にしてアーサーの行動が対称的に描かれている。
  • 前半では、悪ガキに看板を盗まれアーサーが追いかけているシーンで、車に轢かれそうになるが轢かれない。後半では、アーサーが刑事に追いかけられるシーンで、車に轢かれてしまう。アーサーが追いかける/追いかけられるという物理的な状況だけではなく、街にとって敵になったかどうかの暗喩も含まれている様に思う。
  • 前半では、アーサーは母が待つ自宅へ帰る途中うつむきながら階段を登る。後半では、ピエロの格好をして階段を楽しそうに踊りながら降りていく。まだ険しい道でも登ろうとしていた意思があったアーサーが、行く先(母親)や様々なものを失い、開き直って落ちていくという対比。
  • 前半では、地下鉄若い証券マンを殺した後に、アーサーは暗いトイレに閉じこもり、太極拳の様な舞いを静かにかに踊る。後半では、同僚を殺した後に、アーサーは光の差す階段の踊り場で明るく楽しそうに踊る。
  • 前半では、妄想ではあるがマレーに親愛の情を抱き父親を感じるが、後半ではマレーに恨みを抱き殺す。

 

ラストシーンについて

 

アーサーの行動原理について

 

とりとめもなくつらつらと書いてしまったが、あくま備忘録なので悪しからず。

2019-10-23

映画ジョーカー』のタイトルは「ジョーカー」だから

ジョーカー』の感想みるとどいつもこいつもアーサーについて語ってるけど

ジョーカー』はアーサーの映画じゃなくて「ジョーカー」の映画だぞ

泣く子も黙るスーパーヴィランジョーカー誕生までの物語

ダークナイトで言ったらビギンズ(の前半1時間くらいまで)の物語

からアーサーがいかに不幸だったかとか

KKO弱者男性がどうのとか

社会の分断がどうのこうのとか

そんな要素はこの映画のメインであるジョーカー誕生」を彩る「スパイス」程度のものなの

アーサーの一番の不幸は虐待されてたことでも、精神疾患があることでも、貧乏なことでもない

世界で最も有名なサイコパスの一人であるジョーカーのくせに普通世界で生きようとしてしまっていたことだろ

この映画ドラゴンボールに例えるなら何をやっても上手く行かないコンビニバイトベジータが、いろいろあって「俺は誇り高きサイヤ人王子ベジータ様だ!」と覚醒するまでの物語なわけ

あのベジータコンビニバイト人生ハッピーになるか?ならねーだろ(意外となるかもしれんが)。ベジータサイヤ人王子として輝く人物だ。

それと同じで「あのジョーカー」が母親介護をしながらコメディアンを夢見る心優しき青年アーサーとして幸せ人生歩めるはずがないんだよ

因果が逆なんだよ

アーサーにいろんな不幸が積み重なってジョーカーになったんじゃなくて

ジョーカーのくせにアーサーでいようとしたから生きるのマジつら…ってなっちゃってるの

アーサーの数々の不幸はジョーカー爆誕までのなが~い「溜め」なの

最初に例えで出したバットマンビギンズでトーマス・ウェインが言ってただろ

「人が落ちるのは這い上がるためだ」って

そう、これは言うなればジョーカー ビギンズ』

「アーサーがジョーカーになるまでの物語」じゃなくて「ジョーカーがアーサーだった頃の物語」として観ればすげえシンプル面白い

ラストシーンで最大のライバル存在を匂わせるとこなんかもそっくりだよね

まあ次回作はないだろうけどさ

映画感想

映画感想ネットで見て回ったとき?と思うことが多い

筆者がちゃん作品を見ているのは分かるんだけど何か俺の感じたものと違う…ということが多くて今まで不思議だった

最近わかったけど多くの人は「こうだ!」という結論めいたものを求めてる気がする。

例えば明日ジョーラストシーンで「ジョーは死んだかもしれないし生きているかもしれない」と俺は余韻に浸るのが好きだけど

「いや!あの階級であれだけのパンチを受けて無事なわけがない!最低でも脳に障害が残っている!」みたいな話にしてしまう人が多い

演出あやふやであればそのままを楽しむほうが作品の奥行きを感じられて良いのでは?と俺は思うんだけど

2019-10-20

好きな作品を❝絶対的正義の御旗❞にしないでほしい

献血ポスターの件で憤ってる両陣営共に譲れない部分があるのは分かるけど、宇崎ちゃんやその他の萌え表現海外モダンデザインどちらかが絶対的正義というわけではない。

理論上は正しかったとしても、憎悪外野無駄に煽った結果、作品を取り巻く文化自体死に体状態になってしまった実例がある。「ジャングル大帝」という漫画だ。

この作品はもはや完全にディズニーを叩くためのこん棒としてしか扱われておらず、本編の再評価OPフラミンゴラストシーンが語られるのみで、中盤の動物による文明創造物語無視されてしまっている。

政治談議に夢中になるのは結構だが、その礎になっている文化を粗末に扱わないでほしい。

2019-10-19

トゥルーマン・ショーを今更見た。

なんだったのだろうあれは。

素晴らしく感動した。シュタインズゲートラストを初めて見た時のような感覚を味わった。

もう20年も前の作品とは思えない。

流石に映像の画質や演出台詞回しは多少古臭さはあったし、突っ込もうと思えばいくらでも突っ込める設定ではある。

が、そんなもの些細なことだ。


一応、あらすじを説明すると。

主人公名前トゥルーマン

おはよう。そして会えないときのために、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい」というセリフを爽やかな笑みでよく言う青年だ。

彼は本人も知らぬ間に、自分人生をずっと世界中生放送されていた。

彼以外の人間は全て役者演者だ。近所の人や会社の同僚やそこらへんを歩いている通行人新聞屋店員、果ては両親や親友や妻に至るまで。

いや、そもそも彼を取り囲む世界すべてが作り物だ。建物道路も空も海も何もかも。

トゥルーマン・ショー』というテレビ番組面白くするために作られた巨大なドームの中で、彼は何不自由なく暮らしていた。

だがある日彼は日常に疑問を抱く。何かがおかしい。そう思った彼は、その謎を探るべく行動を開始する。

ここまで読んで興味を持った方は、ここから先はネタバレ全開なので、ブラウザバックして本編を見てもらいたい(アマゾンプライムに入っているのであれば今すぐ見れる)


まぁ色々面白いシーンはあるのだが、やはり衝撃的だったのはラストシーンだ。

紆余曲折を得て。

トゥルーマンはとうとう、そのドームの端っこまで行き着く。

彼はその世界から出たがっていた。

偽物ではない、作られた物ではない、真実の、本当の世界に彼は行こうとしていたのだ。

そしてドームの端っこにあった階段を登ると、EXITと書かれた出口があった。

トゥルーマンはそれを引いた。さぁ行こう、とした所で、彼に背後から声が掛かる。

それは、その番組プロデューサーの声だった。

「聞いてくれ。外に真実などありはしない。私の作った世界こそが真実なんだ。嘘や偽善はあっても、私の世界では、何も恐れるものはない」

プロデューサーは言う。

「君は恐れているんだ。だからそこから出られない。それでいいんだ。よく分かっている」

「ずっと君のことを見てきたんだよ。生まれとき、初めてよちよち歩きをしたときも。初めて学校に上がった日も、歯が抜けた時のことも知っているぞ」

「君はこの世界を出られない。ここに居るんだ。私と」

プロデューサーはずっとトゥルーマンを見てきた、30年以上も。だからトゥルーマンを実の息子のように思っているのだろう。

言っている内容は残酷だが、語りかける口調はとても優しかった。

しかトゥルーマンは悩んでいるのか、迷っているのか、押し黙ったままだ。

トゥルーマン、なにか言ってくれ。生放送なんだぞ! 世界中の人が君を見てるんだ!」

プロデューサーがそういうと、トゥルーマンはようやく反応した、カメラに向かっていつもの爽やかな笑みを浮かべて口を開く。

「会えないときのために、こんにちは、こんばんは、おやすみなさい」

そう言ったあと、演劇が終わったあとの役者カーテンコールの時によくやるお辞儀をして、新しい世界へと踏み込んでいった。


すごい。素晴らしい。

こんなにあっぱれなラストを、俺は初めて見た。

俺の文章力では、あの爽やかさを、感動を、十分の一も伝えられていないのが口惜しいが。

本当に、気づいたら拍手していた。何度もうなずきながら。

まるで名作落語オチのような。サッカーバレーで、ここしか、そこしかないという場所パストスが出たような。

そんな感覚だった。


このオチに何故深く感動したのかと言えば、それはきっとトゥルーマンが成長する瞬間を見れたからだ。

彼はプロデューサーに、怒っても良かった。いや、激怒するのが普通だろう。

だが彼は怒らなかった。何故自分を選んだ、と疑問をぶつける事もせず、プライバシー侵害だ、訴えてやる! 金を寄越せ! 謝れ!と要求するでもなく。

彼はただ、今までお世話になった世界視聴者プロデューサー感謝した。

本人も知らぬ間に世界中自分人生生中継されていたという凄まじい運命を、彼は受け入れたのだ。笑みさえ浮かべて。

そして最後最後までトゥルーマン・ショーの中のトゥルーマンを演じきって見せた。

それがすごい。あの場面で、あんなにもスマートかつクールに別れと感謝を告げられるのは、成熟した大人しか出来ない。

しかしそのシーンに至るまでの彼は、子供だった。妻も親友も居て家も仕事もあったが、それでも彼は子供だったに違いない。

なぜならそれらは、番組を盛り上げるために与えられたものからだ。彼自身が手に入れたものではないからだ。

しかし彼は、ずっと私の世界に居ろ。ずっとこの世界の子供でいろ、というプロデューサー言葉を振り切って、自分意思を貫き通し、ドームから出ていった。

彼は子供から大人になったのだ。

彼の親代わりであるプロデューサーが作った安心かつ安全な作られた世界から出ていき、危険現実に足を踏み入れ、自分人生を生きることを決めたのだ。

本当にかっこよかった。

出ていった先の、本当の人生で、トゥルーマンの思うように行かない事もあるだろう。失敗も挫折経験するに違いない。

あるいはドームに戻りたいと思うくらい、打ちのめされる事もあるかもしれない。

それでも彼ならきっと大丈夫だと思う。彼はもう子供ではないのだから。きっと上手く行くに違いない、と視聴者に思わせてくれる。

そして同時に、トゥルーマンは俺だ、俺たちだ、とも思った。

多分、多分ではあるが、大多数の人間安全な道を選んでいる。

行きたいと思う道や、やりたい事があっても、それは押し殺される。あるいは自ら押し殺す。

周りの人間世間から批判される。誰もが選ぶ道を行けば安心なのに、何故お前はそちらに行くのかと。誰もが我慢しているのに、何故お前だけがやりたいことをやるのか、と。

安心安全自分たちと一緒に居ろ、と世間や周りの人間はそう言ってくる。

そう言った言葉に対し、トゥルーマンは、こうすればいいと俺たちに教えてくれた――そんな気さえする。

本当に本当に、素晴らしい映画だった。

ああ、誰かと語り合いたい……。

2019-10-14

映画HELLO WORLDが最高だったが解釈が難しかたから整理

映画HELLO WORLD」を観てきた。

面白かったが話が複雑で鑑賞中は頭をフル回転させていた。

ラストシーンで「?」となったが、後から考えれば考えるほどストーリーの出来がよく、イイハナシダナーと感動していた。

自分なりに解釈した物語構造をここに書き残す。

ネタバレなので未鑑賞の方は注意。
















ラストの月面のシーンで映画物語瑠璃がナオミを助ける話だったことが分かる。

この世界現実なのかどうかも不明だが、物語の起点になっているここを世界0とする。

世界0でナオミ0は瑠璃瑠璃0とする)と結ばれるが、瑠璃0が落雷に遭い脳死になってしまう。

アルタラは現実(つまり1つ外側の世界)の出来事再現するシステムであり、劇中でもアルタラ内部の世界で同じことが起きたこから、この事件世界0でもあったと考えられる。

そこで、事故から10年経ちアルタラの管理者となった世界0のナオミ(ナオミ0とする)はアルタラの世界世界1とする)に入り、世界1に住む瑠璃瑠璃1)の人格を育てて世界0の脳死状態瑠璃0に移植する。

しかし、この時点でアルタラの世界に入るためのシステムは不完全であり、代わりにナオミ0が脳死状態になってしまったのだと思う。

ここまでは映画物語以前の出来事だが、劇中のアルタラ内で起きた出来事から予想できる。

映画物語脳死状態になってしまったナオミ0を瑠璃0が助ける話である

ナオミ0が脳死状態になり瑠璃0が助かった後、世界1は瑠璃1の人格を取り出したことで不整合が生じてリセットせざるを得なくなったのだろう。

劇中でも上記とは別のタイミングだが瑠璃や直実が外の世界に出てきてしまたことでリセットすることになっている。

千古教授がその際、再起動まで80時間1000倍=8万時間かると言っている。

8万時間はおよそ9年なので、世界0でナオミ0が脳死してから世界1がリセットされ、再び同じ世界再現されるのに9年ほどかかったと考えられる。

世界1をリセットして再現し直した世界を「世界1’」と呼ぶことにする。

まり最初事件から9年後、一度リセットされた世界1’に瑠璃0が入っているのである

やっと映画本編の話にたどり着いた。

この世界1’に住むナオミ(ナオミ1’とする)が映画に出てきた大人のナオミだと考えている。

世界1’でも瑠璃落雷脳死になってしま事故は起き、ナオミ1’はアルタラに入り高校生瑠璃瑠璃2)の人格を取り出そうとする(この世界世界2とする)。

映画に出てくる主人公高校生直実(直実2)は世界2の住人である

ナオミ1’は同様に計画成功させるが、この時点で瑠璃0がカラスアバターで介入していたことで違う結果になったのだろう。

あるいは、瑠璃0が瑠璃2を奪われてしまった直実2も助けたいと思ったのかもしれない。

かくして瑠璃0のはからい(?)で世界1’に直実2は出てくることができた。

しかし、この出来事により世界1’内に同一人物(ナオミ1’&直実2)が存在することとなってしまい、不整合が生じた結果狐面の修正プログラム達と戦いを繰り広げる。

最終的には千古教授修正プログラムを停止させたことで戦いは終わるが、瑠璃0はこれも意図していたのだろうか?

アルタラの内部世界から人格を引き抜くとどうしても不整合が生じ修正プログラムに殺されるか世界リセットされてしまう。

直実2と瑠璃2、ナオミ0と瑠璃0の2組が両方助かるためにはこうするしかなかったのかもしれない。

修正プログラムが停止されたことで、各々の世界はその外側の世界と同一である必要はなくなり、各々の歴史を歩めるようになった。直実2と瑠璃1'はこの中のどこかの世界で生きてゆくのだろう。

ナオミ1’も修正プログラムに刺されて消えた時点で精神世界0に取り出され救済された。


世界 0                          1                              1'                           2                        ?
----------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------

瑠璃0が落雷脳死

10年経つ

ナオミ0が世界1へ ----→ 直実1に瑠璃1を助けさせる
                                  │
瑠璃1の人格を                     │
瑠璃0に移植    ←-----------------┘

ナオミ0が脳死
世界1のリセット----------→世界1終了

8万時間経つ

リセット完了
世界1’ができる -----------------------------------→ 世界1'開始

                                                    瑠璃1'が落雷脳死

                                                    10年経つ

瑠璃0が世界1’へ---------------------------------→ナオミ1’に接触カラスとして)
                                                                                      映画本編開始

                                                    ナオミ1’が世界2へ--------------→直実2に接触

                                                                                      直実2が瑠璃2を救う
                                                                                            │
                                                   瑠璃2の人格を                            │
                                                   瑠璃1'に移植 ←--------------------------┘

                                                              ←----------------------直実2が世界1'へ

                                                   世界2のリセット ------------------→世界2終了
                                                千古「80時間1000倍かかる」
                                                おそらく世界1のリセットにも
                                                同じ時間がかかった

                                                 世界1'も仮想世界と判明
                                                 修正プログラム発動

                                                 ナオミ1'と直実2が
                                                 修正プログラムと戦う

                                                千古教授修正プログラムを停止

                                              ナオミ1'が修正プログラムに刺される
ナオミ1'の人格を                                         │
ナオミ0に移植 ←-----------------------------------------┘
ラストシーン
                                               修正プログラムの停止により
                                               新しい宇宙が出来る------------------------------------------------→直実2&瑠璃1'
                                                                                                                 「HELLO WORLD

直実1は瑠璃1を奪われ絶望したままリセットにより消えてしまったのだろうか……

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