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はてなキーワード: 抽象化とは

2017-10-09

トリプルA面という日本語のヤバさ

普通シングルCDにはメイントラック以外にも付属となる曲(カップリング)がついている。

このメイントラックをA面、カップリングB面と呼ぶのはレコード時代の名残だ。

知らない方もいるかもしれないから念のため説明しておくと、レコードは表裏両面に曲を書き込み再生することができるので、メイントラックを収録して余った片面にカップリングを書き込むのである。これがA面B面である。(カセットテープも両面が使えるので、A面B面呼び名が受け継がれている)

そんな中、どっちかがおまけじゃなくて、両方メイントラックでいいじゃない。という発想から出てきたのが、両A面レコードである。どっちかが表なんじゃなくてどっちも表というわけである

これがCDになっても引き継がれて、ダブルA面シングルなどと言われている。CDではトラック順が決まってしまうので、どちらも対等というわけにはどうしてもできないが。

ところでトリプルA面である

この日本語自分は感動している。

語源から考えるとトリプルA面とは意味不明のシロモノになる。けれど、その日本語は立派に存在し、その指し示す意味を伝えるという役割果たしている。

レコード時代の具象的な用語CD時代になっても抽象化されて生き残り、抽象化されたまま拡張して初めて成立し得た単語である

言葉ってすごい。そう思った。

2017-09-28

https://anond.hatelabo.jp/20170928190248

私は君の発言を見ていて何か非常に気の毒になったので、余計な忠告と知りながら、敢えて書き込みをさせていただく。


いきなり不躾な質問をさせて頂くが、君は大学卒業しているだろうか?

無論、大学を出ているから良いなどと言うつもりはないし、大学を出ていなくとも何も恥じることはない。

ただ気がかりなのは、どうも君が中学卒業程度の知的水準、つまりそういった言葉遣い論理的思考しか持ち合わせていないように見える点だ。


まず如何に君が有能であれ、人を侮辱するような言葉遣いは控えた方が良い。

君が賢いと思う人物想像してみると良い。その人物は、人のことを低脳などと呼ぶだろうか?

また仮に人のことを低脳などと呼んだ場合、その人物は賢く見えるだろうか?

少し考えれば解ることだ。人を低脳と呼ぶとき、君自身が低脳である告白しているようなものだと自覚した方が良い。

また君は発言の自信の無さを誤魔化す為に語尾にwなどと付けているが、これも誉められたやり方ではない。

一度wを外し、冷静になって君自身発言見直して見給え。どれだけ愚かな発言をしていたか知る良い機会になるだろう。


次に、論理的思考力を語る上において、具体的な事例を以て物事抽象化し、さらにそれを類推して別の事例と照らし合わせるというのは極めて一般的プロセスである

いくら立派に見える論理を積み上げたとて、それを形而下の事物に当てはめることができなければ、机上の空論に過ぎない為である

もし君が論理的思考力を持ち合わせているのであれば、君の掲げる理屈正当性が認められるか、具体的な例を出して考えてみると良い。

それができないというのなら、その理屈はその場限りの出任せ、謂わば屁理屈であり、とても論理と呼べるものでないと認めざるを得まい。

無論何かと比較する場合、何から何まで同じであっては意味を為さない。適切な例を持ち出すというのも知性が試される問題であるが、君が他人の例示に納得いかないのであればその理由を明確にし、相応しい例を提示することをお勧めする。

そうすれば君も議論に値する存在だと認められるだろうし、罵り合いではなく、建設的な意見交換というのが成り立つのではなかろうか。


そもそも君が建設的な意見交換を求めていないのなら、仕方が無い。私の意見は見当違いであったろうし、もし君を不愉快にさせたのなら謝罪したいと思う。

2017-09-19

江川紹子はわかっちゃいない

江川紹子「おいTwitter菅野完永久凍結した理由を明らかにしにゃいと『言論プラットフォーム』としての責務が果たせにゃいぞ!」

https://togetter.com/li/1152419

こういうのは絶対に「理由」を説明してはいけない。

Twitter『「死ね」といったからです。』

Twitter民『「死ね」といっちゃいけないのね。じゃぁ「○ね!」』

Twitter『「○ね」も駄目です。』

・・・

理由説明し始めると、それを回避するための隠語正当化され、それを禁止すると別の隠語を呼び、そうするとより禁止理由抽象化され、どんどん言論の場が狭くなるか、または場が荒涼としてしまう。

から絶対に「理由」を説明してはいけない。「規約」を示すだけで十分だ。

Twitter私企業成功させた「言論プラットフォーム」だとは思うけど、意見交換の場の運営者は「寡黙な独裁者」でいる方が、利用者安心できる面は強いんだよね。

2017-09-18

anond:20170918221807

アホはお前だろう

初出の意味にこだわってるだけで抽象化して物事を考えられないんだから

2017-09-09

https://anond.hatelabo.jp/20170908230300

近親相姦法規制の是非について、いろいろ議論拡散しててモヤモヤするので自分なりにまとめてみたい。

<2017/9/10 12:21 ブクマ数187users 追記した。イヤマウンターへの回答になるか分からないけど…あと微細な誤字修正

 2017/9/10 23:01 ブクマ数350users 良い指摘も貰ったので再追記&読み辛い記号は省略して浄書した。>

近親相姦と近親婚の区別

まず、近親間の「性交」と「婚姻」を分けて考える必要がある。

前提の確認として、2017年現在日本には、成人(=18才)した近親間のセックスを取り締まる法律はない。

ただし、13歳未満に対しては例え同意があっても強姦罪強制性交等罪)が構成される。(刑法第177条)

18歳未満であれば、地方自治体が定める青少年保護条例に基づいて規制されうる。(淫行条例

また、3親等以内の近親間は婚姻はできない。(民法第734条)

成人した近親間の合意に基づくセーフセックスなら許容されるか?

たとえ法律的に禁じられていなくとも、現時点では、近親間でセックスすることについて、単純に不快感を感じるから反対するという意見大勢を占めると思われる。

しかし、不快感だけに戻づいて法規制を行うことは、「ゲイ不快から反対する」となんら変わらず、その他の行為にも「利害関係にない他人の心情」という不確かな要件法規制を成しうるため、不快感法律根拠にするのは避けるべきだろう。

規制根拠としては、「年長者が年少者に対して、権力的優位を利用して性交する虐待可能性がある」から禁止という論理展開をとるのが適当だろう。

そして「権力的優位を利用した強制性交」というところまで抽象化すれば、これは何も近親相姦に限らないと気付くはずだ。最近大学教授学生を言いくるめ性的関係を迫る事件が起きた。

慶応大教授女子大生を「洗脳不倫 “先生とだったら世界征服も”週刊新潮 2017年9月14日掲載

https://www.dailyshincho.jp/article/2017/09061659/?all=1

年齢差、年収差、肩書、男女…あらゆる要素で権力勾配は生じうる。相手の弱い立場につけ込み強制的関係を迫るのは近親間に限らない。20歳差以上もある男女や玉の輿と呼ばれる婚姻を訝しむ人は、暗黙的に権力勾配による強制性を疑うのだろう。

かと言って、権力勾配がない平等な男女でなければ性交婚姻できないとするのは現実的ではないように思われる。

生物として長年同棲した人間は互いに性欲を感じない」という意見もある。(ウェスタマーク効果

では、年長・年少の差異(=権力勾配)がない双子が、生まれてすぐ別々に過ごし、互いに成人した後出会ったのちの近親相姦はどうか?

成人した両者が合意の上で、子どもも儲けず血も交わらない安全なセーフセックスをする分には、外部の人間がそれを規制する根拠は乏しいと思われる。

「両性の合意に基づく婚姻」の捉え方

現在日本には同性婚制度が存在しないが、近年の議論として、「同性愛者・両性愛者・性転換者(LGBT)にも同性同士の婚姻を認めるべき」という意見がある。

日本国憲法第24条では、「婚姻は、両性の合意のみ」に基いて成立すると定めている。

ここから(もちろん歴史的な経緯からも)長らく「婚姻とは、男女間の契約であることが含意されている」と認識され、現在同性婚は認められていない。

しかし、この「両性」には男同士・女同士も含まれるとして、LGBTにも婚姻を認めるべきという容認論が出てきた。

アメリカでも同様の議論がなされ、リベラル派は賛成し、宗教保守派は反対している。

保守派は、反対理由として「LGBT間の婚姻が認められるならば、近親婚、複婚(ポリガミー一夫多妻多夫多妻制)、児童性愛ペドフィリア)も認めることになるだろう。」と主張している。

http://www.hrc.org/blog/texas-legislators-argue-same-sex-marriage-leads-to-incest-polygamy-pedophil

まり、「両性」にLGBTが含まれるなら、なぜその「両性」が近親ではダメなのか?なぜ「両性」が2人の関係でなければならないのか?3人でも4人でも彼らが合意すれば外野が口を出す必要はないではないか?相手児童でもいいのではないか?(いやダメである。)という論理だ。

親子ときょうだいの区別

次に、近親の組み合わせが、親子ときょうだいの場合を分ける必要がある。

一般的に、親子ならば、父×娘、母×息子。

きょうだいなら、兄×妹、姉×弟が想定される。

しか最近LGBTを擁護する世論考慮すれば、近親相姦・近親婚においても父×息子、母×娘、兄×弟、姉×妹の組み合わせすら理論上ありえる。

そして、異父母きょうだい×異父母きょうだい、親×連れ子、親×養子、連れ子×連れ子、3親等まで広げれば叔父×姪、叔母×甥、祖父母×……さらにそれらの複婚関係……といった創作の題材になりそうな組み合わせも無限にありえる。

多様性絶対善」なのか?形を変えた優生学批判されないか?

「近親交配しないのは不利な劣性遺伝子顕在させず、生物的な多様性を保持するため」として近親交配に反対する意見がある。

ここで注意したいのは、劣性(潜性)遺伝とは、即、不利な形質を示すわけではない。

もちろんハプスブルク家ロマノフ家の例を出すまでもなく、近親交配によって虚弱体質等の潜性遺伝子顕在することもありえる。

しかし、サラブレッド育成や家畜品種改良に見られるように、近親交配(インブリード)によって、人間が有利と認める形質を顕現させる交配は日常的に行われている。

では、優れた(とされる形質を持つ)人間を顕現させるための手段として近親交配を行うことは許されるのか?

かつて優生学として批判されたのではなかったか

優生学」とは、表層的には「優れた人間人為的に作り出す」を意味するが、もっと抽象化すれば「社会に貢献する人間遺伝子操作で生み出す」ことである。「優れた子を産み、社会へ貢献せよ」という繁殖圧力が埋め込まれている。

同様に、遺伝子多様性を守るべきという立場は、(遺伝多様性を備えた「=優れた」)子どもを儲け、社会に貢献することを暗示的に求めていないか?

「多様な遺伝子(=新たな「優れた人間」の基準)を持つ子を産め」という圧力である

日本の国力を維持するために子どもを2人以上作るべき」という意見は、時代遅れの家父長制として批判されるだろう。

では、この考えを拡張した「人類繁栄遺伝子多様性のために、近親相姦子どもを儲けるべきではない。遺伝子的に遠い組み合わせを選ぶべき」という意見優生学として批判されないのだろうか?

なぜ、見ず知らずの他人社会のために、子ども遺伝子多様性を考え子作りしなければならないのだろう?また、子どもを作らなければならない社会的圧力は、不妊夫婦LGBTカップルにも襲い掛かる。

(※再追記)「遺伝子多様性」についてコメント重要な指摘があった。

要旨としては、「一個体単体での多様性存在しない。遺伝子多様性とは、社会全体で見たときに様々な遺伝子をもった個体がいて、あらゆる環境変化にも社会全体として生き残る可能性のある個体を総体として保持する状態を指す」というものだ。

まさに、そのとおりである

元増田コメント欄 http://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20170908230300 で、「近親交配は遺伝子多様性を狭める」「『血が濃い』子どもを産むのは多様性に反する」といった反対論がいくつか見受けられた。

似た遺伝子を持つ近親が交配することで生まれ子どもは、その遺伝子一族が持つ因子以外の多種多様な因子を持たず不都合が生じるといった主張だろう。

これを受けて、一族が持つ因子と異なる個体と交配することを「遺伝多様性」と表現した。

だが、「社会全体の遺伝多様性」と捉えなおしても、やはり結論は変わらないだろう。

社会全体の遺伝子多様性考慮せよ」ということであれば、近親交配で生まれた「血の濃い」子どもだろうが、高齢出産で生まれ障害児やダウン症児だろうが、互いに遠い因子を持つ両親からまれた「(元コメントが支持する)多様性を実現した」子どもだろうが、すべてイコールなのである

どんな組み合わせの子もも、何に役に立つかわからないから全て尊いのだ。

酷い貧血で苦しむ鎌状赤血球を持つ個体は、マラリアに耐性を持つ。

「血が濃い」ことによって何らかの潜性遺伝が顕現し生活不自由を生じるかもしれない。だが、それすらも何らかの環境で役立つかもしれないのだ。


カンブリア大爆発で生まれた珍奇な生物は、ほとんどが「失敗作」だったかもしれない。

生物ミクロにおけるあらゆる試みは、現時点で正しいかどうか判断できない。

しかしたら将来、障害児が持つ因子がを生かしておくことが正解だったと判断される時代が来るかもしれない。

ミクロレベルでは、将来どんな因子を持つのが有利なのか判断できないし、そんなことを判断して子孫を作るわけではない。

(※再追記ここまで)


互いに愛し合う両性は、人類遺伝子多様性を守るために子どもを儲けるのではないはずだ。

多様性を善とするならば、近親交配で生まれ子ども多様性一種として認められないのか?

「生まれ子ども可哀想」という意見もあるだろう。

「やーい、インブリード」「お前の母ちゃんふーたり」「淫乱家族」「本能自然の摂理に反している」「相続税が複雑になる」といった差別罵倒を受けるかもしれない。だが、これはLGBTが受けてきた偏見のものである歴史は繰り返す

富裕層節税に使う」といった意見は単なる税制の失敗であり、状況に合わせた税制改正対応すべきであって、税制設計ミスが人々の自由恋愛を拘束してよい理由にはならないだろう。

意図的遺伝子編集は許されるか?

近年、CRISPR/Cas9の登場で、生物遺伝子を直接改変する「ゲノム編集」が技術的に可能になってきた。

まるでタトゥーを彫るごとく、遺伝子編集し、発現する特質コントロールする時代がいずれ訪れる。

多様性が善」ならば、各人が好き勝手自分遺伝子編集することは許容されるのか?

自分の子希望通りに設計する「デザイナーベビー」もいずれ可能になるだろう。

果たしてデザイナーベビー子どもに対する人権侵害なのか。アメリカ宗教保守派は、受精卵にも人権は生じると主張する。だが、精子卵子状態から設計」し始めたらどうなるのだろう?

予め遺伝子由来の病気が顕現することが分かっていて、予防的にゲノム編集による遺伝子治療を施すこととの線引きはどうするのか?

また、近親交配に反対する理由として挙げられていた、生活上不利な劣性(潜性)遺伝子の発現を抑えることができるのならば、近親交配は許容されるのか?

「近親交配で生まれた『失敗した』子どもは間引かれる」という意見もある。だが、遺伝子治療によって間引く必要がなくなったらどうなるのだろう?

女性を交換財産としていた時代の名残

文化人類学観点から近親婚に反対する意見がある。

「女は、他の家に嫁がせ血族ネットワークを拡大し一族繁栄を図るための道具」という認識から、女は他の一族に対するプレゼントとして考えられていた時代があった。

まり、「身内で女を消費するな。嫁入り前の性交大事な贈答物が『キズモノ』になる」から近親相姦を禁じる論理だ。

これも現在では、前時代的家父長制と批判されないだろうか?

婚前交渉を『キズモノ』となじる貞操観念も、もはや薄れつつある。

そもそも婚姻」の意味が変容しつつある

何のために婚姻をしていたのか?

家督」を守り繋げるため?

子どもを育てるため?

相続上の利益を守るため?

家族になったという感情的な満足を得るため?

婚姻制度形骸化し、婚外子一般化しているフランス北欧では、事実上多夫多妻制度に移りつつある。

皮肉なことに、女性は一度子どもを儲けると長期間にわたって身体不自由が続くため、自由恋愛事実婚社会では一夫多妻に近い形態をとる。(奥さんが子育てをしている間に、男が他の女に会うなんてスキャンダル最近もあったね。)

一人の恋愛強者男性精子バラまき、多くの女性子どもを産ませる。恋愛弱者遺伝子は途絶える。(安心したまえ、恋愛強者の子ども達は社会全体とキミの税金でしっかり育てるから。)

まり一夫多妻制の基では、社会遺伝子プール多様性を減らす方向に働く。

これは、社会遺伝子多様性を守るために規制されるべきだろうか?

自分の頭の整理のために書き散らしたので、結論はない。

※「気持ち悪い」「素直に近親相姦したいだけって言え」⇒つまりフィクションお姉ちゃん最高!飯田ぽち。先生の「姉なるもの」好評連載中!

http://comic-walker.com/contents/detail/KDCW_AM09000031010000_68/

相手クトゥルフ神だったらいいよね!自然に反したおかし衝動創作物で紛らわそう!

2017-08-29

https://anond.hatelabo.jp/20170829163233

それが違うんよ。これは「顧客ターゲット」の話。

抽象化するということは、属性その他ターゲット共通点を探りだして狙って顧客を獲得していくこと。

それに対して具象化されたもの、つまり特定会社個人ターゲットにするやり方がある。

この場合ペルソナはどう肉付けしたところで、現実には存在しないものなので、この顧客ターゲットは、どうあっても「抽象化されたもの」なのよ。


わかるかな?

「肉付け」が「特定顧客」という具体物に向かっていないから、「具体化」じゃないんよ。

(仮に、これが、警察がやるモンタージュ写真似顔絵のような行為だったら、具体化・具象化と言っていい。)

https://anond.hatelabo.jp/20170829162217

「○○化」は方向の意味でも使うだろ

観念のほうへ向かうのが抽象化

実体のほうへ向かうのが具象化

ペルソナ抽象化された顧客イメージを具体的に肉付けしたもの

なら、方向として具体物の方へ向かってるだろ

抽象化原理抽出を同じベクトルとして捉えてるとしたらそっちのがやばい

https://anond.hatelabo.jp/20170829152557

抽象対義語は具象だわな。

具象、すなわち形を備えているもの

BtoBビジネスなどで、取引先の社名がはっきりわかっている場合顧客抽象化必要ない。

ペルソナ抽象化された顧客イメージを具体的に肉付けしたものだ。

ただこれは「顧客ターゲット」としての「具象」ではない。

ペルソナ自体イメージであって、現にそこに存在しているものではないからだ。

https://anond.hatelabo.jp/20170829151928

誰に届けたいかを考えるのが、増田が言う「抽象化」なの?単なる条件の取捨選択抽象化って言ってるだけみたいに思ったけど。

あと具体化すて分かりやすく伝えるために必要なのがペルソナなので、ペルソナ作る作業抽象化じゃなくてむしろ逆だよ。

https://anond.hatelabo.jp/20170829151357

何言ってんの?

顧客ターゲット抽象化されないBtoCビジネスなんか存在しないだろ。

抽象」の意味わかってる?

https://anond.hatelabo.jp/20170829151036

ターゲットを決めることが「原理原則を決める」ことに包括されていることもわからんとは。

この「30代女性」が抽象化されたものであることは分かってる?

https://anond.hatelabo.jp/20170829145044

マジでそう思ってんのか…

抽象化して枝葉を捨てないとまとまらない意見はあるだろうに。

少なくとも事象が発生する前に、原理原則を定めるときには抽象化された議論必要だろ。

2017-08-12

なんでもかんでも歴史に学べっていう人

抽象化してエッセンスを拾って現代でも使えるところを学べというのなら理解できるんだけど、

声高に歴史を語りだす人ほどそのまま同じことをやろうとするケースが多くて始末に負えない

金田正一がそのまま現代にいてもベスト選手にはならんだろって想像つくと思うんだけどな

2017-07-11

エンジニアの適性

エンジニアは得てして現状に不満を抱きやす人種かと思うので、不満タラタラなのはいいんだけど、

不満のある現状の問題に対して、要因分解をしてさらにその中で本質的根本原因を見抜く技能こそがエンジニアエンジニアたる力だし、適性なので叙情的に不満を並べる人は早めに転職した方がいい。

優秀なエンジニアであっても、要因分解も根本原因分析をいろいろ間違えるけど、優秀な人ほど完結かつ大胆に現状を抽象化する力があって、多分その抽象度の高い思考がないと辛い。

https://anond.hatelabo.jp/20170710185326

2017-06-23

バカ相手説明というのはザックリ抽象化するということだけど

https://anond.hatelabo.jp/20170623101536

応仁の乱がそのざっくり抽象化をしにくい理由

期間的にも地域的にも広すぎる事象を括って概念化してるからなのね

個人的には「応仁の乱」という概念自体が間違ってると思うよ

どう?これならバカでも納得できるでしょ

この場合の納得というのはなんらかの新しい答えを得た気がするってことね

俺はマジで頭がいいからもちろん頭いい側に立つけど

お前の聞き方は「頭いいやつ応答してくれ」ではなく「応仁の乱を上手く説明したら頭いいと認める」になってるので

説明チャレンジ挑戦者しか応答しないっつーだけだよ

2017-06-20

窪之内英策アニメキャラデザに起用するセンスのなさはヤバい

窪之内英策の絵は1人で描いて漫画スケッチとして世に出してる限りは「ちょっといいな」になるのであって

アニメキャラデザインとしては抽象化にたいした決断を見せないつまんない絵であって

かっこよくもないし動かしやすくもないし面白くもない

あの絵をキャラデザに置いて「ちょっといいもの拾ってきました」みたいな顔をする代理店の奴?のセンスのなさとモノのわかってなさはすごい

2017-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20170530233852

からこそ、crud使えるようにフレームワークが発達したんだろうね

近いうちにアセンブラのようなわかる人だけわかるくらい抽象化してほしいな

2017-05-22

今更だけど東京五輪ロゴ騒動について

東京五輪ロゴ騒動もひと段落したので、ロゴタイプ、及びシンボルについて、思うところをまとめてみようと思う。

シンボルマークを考える時、切り口がいくつかある。

まずは、形態としての美しさがある。

これについては、もはやシンボルマークにおける美は死んでしまった、と言っても過言ではない。

シンボルマークに求められる美は、単純の美である。円や三角形のような、これ以上削れない、というところまで形態をそぎ落として行った先に、シンボルマークに相応しい美がある。

ところが、世の中にシンボルが溢れた結果、先行して作られたシンボル商標登録され、後発は同じようなかたちを使えない、もしくは模倣であるというレッテルを貼られる、という事態に陥っている。

東京五輪の事案で、佐野ロゴをあまり気に入らないとは言いつつも、ほとんどの見識あるデザイナーが「最初から作り直した方が良い」とは言わなかった理由がここにある。

シンボルにおいて、単純であることはそのまま美に直結する。しかしながら、単純であればあるほど他のシンボル類似やすくなる。

このジレンマ理解している人であれば、あのような騒動に加担しようとは思わない。

外野ながら事の進展に全く暗澹としたが、あの泥沼の中から凛然と輝く野老案が選ばれたのは奇跡的といえる。

次に、理解のしやすさ。

具象性、と言い換えてもいい。要するに、「この図は何を表しているのか」ということである

これは、難しい。なぜか。

シンボルあくまシンボルであり、決して具象絵画ピクトグラムではないかである

上で述べた通り、シンボルマークにおける美は、抽象化し、単純明快に切り取るところにある。

これは、具象性とは正面から相対するものである。多くの場合、両立は出来ないが、

良識あるデザイナーはここで「何とか両立できないか」と腐心する。

最後社会性(汎用性である

シンボルは、使われてこそのシンボルである

社会の中でどのように利用されていくのか、ということを考えたとき、引き伸ばして使われる場合ポスターの一部として埋め込まれ場合

またはエンボス加工される場合、はたまた布地に印刷される場合など、様々な利用シーンを想定して作られている。

さなものから大きなものまで、どんなシーンでも一定イメージを伝えられるシンボルマーク面目躍如といったところだろう。

この様々なものに使っても問題のない設計は、経験者でなければ難しい部分がいくつもある。

小さく使って潰れないように。多少滲んでも形態認識できるように。大きく使ってもエレガントなように。別メディアで展開しても色等の統一に困難がないように…など、

気を遣うポイントが大量にある。ただマークを作って終わりではないのである

この、美と具象性と社会性の区別がついていない人々によって、佐野ロゴは引き摺り下ろされたと言っていい。

氏にとってはとんだ災難だったろう。

また、五輪ロゴにとどまらず、騒動の際に氏のデザイン事例を「オリジナルではない」としてやり玉に挙げる記事が多く出回ったが、

それらがオリジナルかどうかと、五輪ロゴ問題とは切り離して考えなくてはならない。

仮に、氏のデザイン表現オリジナルではないものがあったとしても、大きな問題があるとは思えない。

先に述べたロゴ問題と同様、デザイン表現においても、何かを「これがオリジナルだ」と認めるのは大変難しいのである

少なくとも、平面におけるデザイン表現には、必ず先行事例がある。

これは先行事例がない、と言える例はきわめて稀で、

多くの場合、「先行事例はない」=「先行した権利者がいない」というだけの話である

過去デザイナーたちが李朝の民画や、琳派などに参考事例を求めた一端には、

この「先行した権利者がいない」ところを求めた結果という、泥臭い理由もあったのではないか

そして、不幸にも「表現における先行した権利者」がいた場合であっても、

基本的には当事者同士の間だけの問題であり、

両者間で話がついてしまえば、我々外野が声を上げる理由などどこにもない。

本来ワイドショーで取り上げるような話ではなかったのである

五輪ロゴ問題が下火になった後、今度は築地移転先、豊洲市場問題ワイドショーで取り上げられた。

現在では次第に「既定路線が(現実的には)正だった」という像が明らかになりつつあるが、どうも話の構図が似ている。

共通点は「素人が、ドキュメントも読まずに、素人考えのままちゃぶ台をひっくり返す」というところだ。

結果的に多額の税金無駄になった点も同じだ。

これらから得られる教訓は、

「知らない話は勉強してから参加しないと、場合によっては多くの人を不幸にすることがある」ということだと思うが、

かかったコスト勉強料にしても高すぎる上、今も支払が続いていると思うと、暗澹たる気持ちにならざるを得ない。

2017-05-20

http://anond.hatelabo.jp/20170519233514

キレてないですよ、キレてるのおたくじゃない……。

へたに禁煙概念の近いダイエットなんかを例え話に出したか抽象化しきれなかったのかなあ。

方法論の話なんかしてない。レイヤーが違う。

A 効果は高いが実施はキツい選択

B 効果はAよりも低いが実施はラクな選択

このふたつがあったとして、Aができれば立派なものだがBを選ぶのも何もしないことに比べればずっとマシだと言っている。

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