はてなキーワード: 抽象化とは
上司1「あーAWSの資格勉強してるんだ。まぁあと5年はいけるから無駄にはならんか」
僕「あと5年?」
上司2「AWSとかクラウドって2021年ごろがピークって感じだよね」
上司3「ぶふぉ!まーた同じこと新人に吹き込んでるでござるかぁ!」
上司1「でも実際そうじゃね?サーバーレスとかでてきたしさ。皮肉な話だけどクラウドも抽象化するとAWSいらねーんだもんw」
上司1「Lambda以外が糞。CloudflareとかSupabaseがのびてるのはその証拠」
上司3「IaCもいいんだけどさ、そもそもコード書いてる時点でおかしいよな」
最初にヒトカクというサイトみてみてくれhttps://www.asahi-net.or.jp/~zm5s-nkmr/index.html
・とりあえず、○の最初と最後をあわせることができない自分、というのにきづいてみよう。人間は見てるものが書けない手をもってうまれてくるんだ。
次に30秒ドローイングをやってみよう。https://www.posemaniacs.com/ja/tools/thirtyseconds
・とりあえず、書く対象を見ることに30秒だけ必死になろう。それ以上は人間って集中力がつづかないんだ。
逆に最初から2時間対象を見つめ続けられればデッサンができ、ゆくゆくは美大に合格できる。
この二つを交互に見ながらかいてみて、半年くらいやったらまたききにおいで。
・モチーフについて
とにかくなんかいい感じの絵が手から出力してみたければ、風景、特に自然の遠景が楽(うそがつきやすいので)。
ウインドウズの待ち受けとか写真みながら模写しなよ。名所ばっかだし。
ま、小学校の図画工作のスケッチ遠足もそこらへんでとまっちゃうんだよね。
でも人間の絵はかなり嘘がつけない。骨折してるとかいわれちゃう。あるいはだれがみても不細工な顔にかける。線をいっぽんまちがえるだけでそうなる。
心が折れそうになってつらかったら一度風景やってリセットしといで。
自分でがんばらなくてもいらすとやでええやん。センスええし。https://www.irasutoya.com/
forループからなる処理があり、データに対して、条件に合致する行にスコアを与え、スコア判定されたものは(id, score)というペアを出力し、それ以外のデータはリストにまとめて返す、という処理がある。
このパターンが6回ぐらい連続で続いていたが、条件合致部分が複雑で、処理が一致していることに気が付かなかった。
処理が一致していることに気がついて、abstractメソッドに実装(条件合致部分)を与えるという方式にして抽象化したらコードがスッキリした。
フロントエンドにクリーンアーキテクチャとかDDDの考え方入れようとしてみたんよな。
具体的には、外部APIやローカルストレージとのやり取りをlinterで限定したり、業務知識はライブラリに依存しないEntityとしてモデリングしたり、
あと、Service層みたいなの導入して、テストしにくい処理とかは抽象化してDIできるようにしようとした。
テスト時にモックをDIせずにglobalスコープで上書きしたり、コンポーネントがAPIから取得したDTOみたいなデータに直接依存してたり、バックエンドと文化がだいぶ違うなって感じた。
そもそもクリーンアーキテクチャとかDDDってフロントに適用するもんじゃないのか?って疑問も湧いてきた。
バックエンドだとフレームワークに依存しすぎないようにして、例えばSpring+RESTからgRPCに移行なんてのもクリーンアーキテクチャの思想に則って作ってれば規模にはよるけどそこまで大きくならなかったりするけど、
ReactからVueに切り替えるって考えて、どんなに設計頑張っても、それってほぼ作り直しになるだろうし、バックエンドほどのメリットも感じられない気がする。
俺が目指してるのってなんか根本的に間違ってる気もするんだが、どうなんだろうか?
フロントエンドの人教えてー
たぶん遊戯王エアプ勢だと思うけど、遊戯王には総合ルールが存在しないよ。
https://mtg-jp.com/gameplay/rules/docs/0006836/
https://www.onepiece-cardgame.com/pdf/rule_comprehensive.pdf?20240419
遊戯王のパーフェクトルールブックは総合ルールに似せた攻略本だ。また冊子になっているものは簡易的なものなのであちらも総合ルールとは言えない。
大きな違いは基本的な考えやルールや用語の定義が抽象化され明確になっていること。
一番わかりやすいものとしてワンピースにはこういう項目が1ページ目にある。
これはあらゆるカードゲームが採用している非常に汎用性に富んだ原則的なルールであり、黄金律の一つとされる。
仮に「モンスター1体を対象とする。そのモンスターを破壊する。そのコントローラーは1ドローする」という効果があったとしよう。
対象にしたモンスターAが破壊耐性を得て破壊できなかったする。この場合、遊戯王では1ドローできるかどうかは微妙なテキストの書き方(その後など)や裁定によって状況が異なる。
しかし、「可能な限りその行動を行う」という黄金律が総合ルールによって定められている場合、破壊できなくともそのコントローラーは1ドローする。
最初の破壊という処理が実行不可能で無視されてもそれ以外は可能だからだ。もちろんこうならない場合も存在し、例えば対象がすべて不適切(解決時に存在しない)ならばその後の処理はすべて行わない。
これらの処理はテキストと総合ルールによってどうするかが明確であり、なぜそうなるかは個別の裁定で決めることはない。なぜなら「実行可能だから」という理由があるからだ。
実行可能でも実行するかどうかはカードの個別ルールや過去の裁定基準が握っている。
この「同時に実行されるから」というのも実は明文化されているわけではない。
たとえ裁定があったとしてもそれは一種の慣例に過ぎないからだ。
除外と同時に行うという表現も、結局はカクリヨノチザクラが同時か異なるかの裁定を持っているかに左右される。
遊戯王は
それはテキストに付随する裁定に依存するのと、総合ルールなどで処理が明文化されていないからだ。
そもそも、総合ルールは遊戯王には存在しないことが多くの人に理解されていない。
例えばパーフェクトルールブックは最新版でもサイキック・ブロッカーのような禁止令構文を記載していない。
総合ルールが数年に一度発売される書籍に依存するとか現代カードゲームではナンセンスすぎるし、そもそも総合ルールとしての体裁をとっていないのだから同人誌や攻略本の類と区別できない。各項目にナンバリングすら振られていないんだから。
裁定はあくまでも挙動を個別に具体的に示すものであり、理由や根拠は別に存在する。その理由や根拠が曖昧なんだよ。
というか、最近は裏守備のルールや強奪系のルールも裁定の変更だけですませているし、総合ルールなんてもので「コントロールのルール」という項目が作られる気配もない。
こういうのが遊戯王の良くない点だ。
社会に分断と敵対をこしらえまくってきたこの手の先鋭化した左翼思想はもうすでに別のネタを見つけたか、中国とかのまだウブな国に行くことだろう。
フェミニだの何だのが今後弱体化するから平和な世の中になる?バカを言ってはいけない、彼らはもうだめになった思想はぽいっと捨てて別のとこに言って社会に火種をまきちらしに行くだけだ、程度に俺はアイツラを警戒している。
どういうことかを軽く書いてみる。これは俺の考えだから。
まず、ここではこういった奴らを「左翼」とかく。
左翼の中には「フザケンナ一緒にするな」という人もいるだろう、そう思う人はここに書かれたことは自分たちのことじゃないと思っていればいい。ノットオール左翼だ。
左翼の中には例えば「本当は共産主義者なのに自分たちのやっていることを抽象化することで社会主義者だ」というような人もいる。これは嫌悪していいと思う。ワードウオッシングだからな。
こうやって言葉をいたずらに抽象化したりして左翼全体をわけわからなくした奴らがいることは理解するが、それを放置することで推進したんだから同罪だと言ってもいいだろう。痴漢を放置することで認めたと言っているんだから彼らは受け入れざるを得ないだろう。同じことをしている。
では左翼と俺が読んでいる奴らは例えばここではフェミニズムを例に出すが、何をしたかったのかということを書いてみたい。
まず最初に言えることは「フェミニズムを広めることで女性にとっていきやすい社会、性差別のない社会を作り上げたい」なんて言うことには全く興味がないだろう、ということだ。
それは彼らがフェミニズムを頑張れば頑張るほど男女間の分断が深刻になっていき、女性は生きづらさを強め、あらゆることが男性による女性への差別・攻撃になっていく。挨拶するだけでセクハラなんていう極端なやつも出てくる九代らが、フェミニズムを頑張っている左翼は何一つ苦言を呈することがない。
つまり彼らがやりたいのは「社会を分断すること」であると言っていいだろう。
他のあらゆる運動を見てみてもそうだが、社会問題を申告にすることはあっても解決に向かわせることはまったくない。
最近トランス男性が女子の大会で無双しているという話を頻繁に見ることが増えたが、左翼は美味しいところを見つけたなと思う。この状況も他の左翼が作ったのでどう見てもマッチポンプだが、見方を変えるなら左翼同士でも分断が生まれていると言ってもいいかもしれない。
一部の左翼がセクシャルマイノリティ問題で社会を分断しようとしたら、フェミニズムを使った左翼たちと利害が衝突してしまった。今後この二陣詠が血みどろの戦いをすることになるだろうか?そんなことはなく、多分どっちも別の戦場に行くだけだと思っている。
フェミニズム陣営は中国に行くことにしたようだ、良かったじゃないか、彼らの大好きな国に行けて。じゃぁセクシャルマイノリティはどうなるか?問題の一切を放置したままなにか別のことを言い出すかもしれない。
1. まだ自分たちの思想が浸透していない国に言って大暴れする(本人は暴れない、その国にシンパを作ってそいつらに暴れさせる)
2. 自分たちの使う道具を別のものにする(何でもでっち上げ可能なので何が起きるかは予測不能)
左翼思想というのは要は「貧富の差」というのを解消したいと考えているのだが、残念だが解消はしない。これが現実だ。
フランス革命を起こそうが、マルクスが宣言しようが、国家を作ろうが結局貧富の差は解消しない。これが現実だ、頭囲ことを受け入れられないのだが、左翼は「自分たちの考えた現実と合わないなら現実が間違っている」と考える人々なのでもうどうしようもないが、左翼の洗脳を受ける前にアイツラはそういう奴らだ、ということをしっかりしておくことは大事だろう。
ただ残念ながら彼らは「思想を浸透させるためならあらゆる手段は正当化される」と考えているので、平気で正体を隠して正論めいたことをいう。最初は控えめ名感じに言っているが、段々と先鋭的な人が増えていく、という流れを時間をかけて作っていく。SNSは彼らにとってベストなツールだ。これを最大の効率で実行できる。こういう流れをつくつことで人々はゆでガエルの如くに洗脳されていく。
「マジメ」な事をマジメな顔して言うとヘンな奴と思われてしまうかもしれない。社会生活の中でのそういう気付きが、心の柔らかい部分に気恥ずかしさという感情で鍵をかけてしまう。
それを経ているからこそ、抽象化された普遍的でナイーブな混じりっ気なしの言葉がスルリと入り来んで刺されるのかもしれない。友達とのバカ話なら軽く流されそうな、口にするのも躊躇してしまうような言葉が。
歌詞にそういうセオリーがある事に割と最近になって気がついた。ジャブで崩してからストレートを入れるような。
最初から「人生は情熱が全てなんだよ!!!」とだけ言われてもあんまり響かない。お前に何が分かんだよって。
出かけるには遅くて寝るには早い、悶々とするばかりの時間とか。通勤ラッシュでもカッコつけて席をガツガツ取りに行こうとはしないけど、足踏んどいてイヤホン着けたまますまし顔の奴にイラつきながら座っときゃ良かったって思うとか。
そういう言葉で生活の重力や怠惰や嫌気を綴ればガードが緩む。コイツも自分と視座を持っているのかって。そうなって初めて、それでも、それでも、と奮い立たせる言葉が輝く。
あんまりそういうテクニックめいたものに意識を向けると冷めてしまうものもあるし、どうなんかなとも思うけど。
これを悪用するとインターネットの悪口にもなるんだよなって思う。
歩くの早そう。チーズ牛丼食ってそう。誰にも反応されないTwitterで独り言い続けてそう。滝沢ガレソバカにしてればいいと思ってそう。
陰気だからとてチーズ牛丼って言うほど食わないと思うけどな。子供舌とかそういうこじつけ方をしたいのかな。あれは言葉でなくイラストに引っ張られてんだと思う。
そうやってガードを緩めさせた隙に社会性がないだのザコだの好き放題罵倒すらば、「図星」でなくともダメージを与えられてしまうのかもしれない。