はてなキーワード: 抽象化とは
先鋒「msdbkm」
アニメや映画やバーチャルユーチューバーが大好きなオタクだが、精神は病んでないので、メンタルに悩みを抱えているタイプオタクには勝てる。
必殺の1日に3本映画観賞で敵を薙ぎ払う。
次鋒「近田」
野菜を食べないと具合が悪くなるコンビニ店長やその奥さんとは違い、二ヶ月カレーでも問題なく過ごせる牛。
中堅「whkr」
アイコンが可愛いだけでなく、ドット絵により審査員の郷愁を誘うことができるため、並大抵の可愛いアイコンよりも可愛いと判定されがち。
また、ハッカーなので、相手のはてなIDからリアルの住所や顔を特定する技が使えると格好良いなあ。
6歳児なので、相手が手を出したら犯罪で警察を呼ぶことができる、秘技通報の使い手。
あの人形が変形して、東京と大阪を繋ぐ新幹線よりも早いのは周知の事実。
子供たちもあの人形に乗りたいと思っているため、人気ナンバーワン。
大将のAQMが大阪から会場にくるまでの乗り物の上で食べるもの「サバカレー」
大将のAQMが決勝戦最終試合で負けそうになるときに負けないで! と声をかける幼馴染「KariumNitrate」
「あっちが神なら、こっちはカリウムだとよ」
大将「AQM」
今年入ってから一番言及されてるんじゃね? と思うぐらいの人気者。
当然、人気と実力は比例するので、どんな敵にも負けない。
増田ファーストブクマカチームは、三回戦で株式会社はてなチームの「はてな匿名ダイアリーのID晒しの術」により恥ずかしくて負けてしまいました。
「小島アジコ」
え? 今週はコウシンマルの話じゃないの? コウシンマルの修理費を稼ぐために武術会に参加するんじゃないの? と思っている人も多いでしょう。
ですが、加山雄三には、バイオハザードを通じて知り合ったゲーマー仲間。
鈴木史朗さんや、アルカノイド大好きおばさんらがいることを忘れてはなりません。
彼らは今でも週に一回はコウシンマルの上のホームシアターでPSVRのバイオハザード7をゆうゆう自適に楽しんでいるのです。
燃え盛るコウシンマルの上でプレイするバイオハザードは格別です。
それにくらべて、小島アジコさんは京都アニメーションに裏切られてからというもの、誰一人仲間がいません。
以下、例です、はてなIDを持っている人はすべからくアスカ派なので、綾波レイではないです。
なお、山本寛はこの戦いのレベルにはまだ達していないので入れられません。
先鋒「青二才」
すごい喜んでたから。
漫画を描いてもらうだけであれだけ喜べる何事にも一喜一憂する感受性の高さは、FX投資の才能とイコールだから。
次鋒「鳴見なる」
ラーメンが好きな女を漫画にすることと、ザーメンが好きな女を漫画にすることは、同じだから、同一人物。
FGO大好き仲間。
それだけでなく、小島アジコの奥さんがアナルに何かを入れる創作物が好きなのと同様、マフィア梶田さんは尿道に何かを入れるのが大好きなので、きっと仲良しになれる。
はてなー弄りブクマを稼ぐことで承認欲求と小銭を得る必殺技「君はあのひかるほし、おれんじすたー」は大人気。
どんな敵も、面白面白ドチャクソ面白漫画によって抽象化します。
本ひたすら読んだらいいんじゃない?
あと、宗教はあくまで道具に過ぎない。宗教家が言っていた中身こそが全て。
17世紀のデカルト以前は全部「誰かが言ったから正しい」の世界。
だから、昔は宗教が世界のすべての知識を担っていたが、次第に科学的検証で宗教の取り扱う世界が狭まっていった。
と言っても、科学は再現性が取れるように物事を取り扱うために、物事を細かく見るため、「心」のような複雑なものは苦手としている。
なので、昔宗教の聖人たちが言っていたことがそのままいまでもつかえる。
と言っても、自分の頭で考えて比較検討しないとならないけどね。
神への信心なんていらない。
というより、神というのは、自分の外のものを抽象的に取り扱うツールみたいなものだと考えてる。
例えば、なんか知らないけど山の木を切りまくったら洪水がいっぱい起こるようになった。
今でこそ植物の根の保水効果ということが言える。でも昔は原因なんて確かめようがなかったから、「山の神が怒っている」と抽象化して取り扱った。
たとえば、今通りすがりの人を助けたとしても、それが必ず君に帰ってくるとは帰らないが、そうやって助け合いが当たり前の社会になれば、君が困った時に誰かが助けてくれるかもしれない。
カトラークラスのエンジニアが数十人、数十年かけて磨き上げた Linux カーネルにかなうわけねーだろ。
もはやFreeBSDは人手不足で、Meltdown, Spectre にも満足に対応できない有様。
カーネルがごちゃごちゃしてたのは v3 初期までで、その後、徹底的な抽象化・#ifdefによる機能の分離化、CPU依存の排除をしたおかげで、configでオプションを最小化したら恐ろしいまでに小さいサイズのカーネルになる上に、オレオレCPUへの移植もそれほど大変でなくなった。LLVMのSSAなどの技術をBPFが取り込んだおかげで、カーネル内のモニタリングも perf関係からの置き換えの目処がたったら、そのあたりの余計なコードも削ぎ落とせる夢がある。
おかげでconfigオプションが数千にもなってしまったが、ディストリビューションも多様化してくれたお陰で、自分の用途に合わせたカーネルの選択に困ることもあまりない。WindowsやMacでも Linux システムコールラッパがほぼ完全に動くようになり、「Write Once, Run Anywhere」をVMを介さないで実現する POSIX以来の夢がいま正に実現しようとしている。
よくある「完全放置!」「全自動更新!」「何もしなくても儲かる!」みたいなアフィがあるけど
おそらく、その1つである全自動更新のエログ作って一ヶ月近くたったからその結果を書く。
何かしら作品を作ったらQiitaとかにアウトプット上げるけど、内容が内容なのでここで。
URLは多少内定自慢できるくらいの会社に内定貰っているから伏せますね><@バレなさそうなら晒す
・仕組み
・お金の話
・技術的な話
・結論
仕組みは簡単、いくつかの既存のエロサイトにWebスクレイピングをかけてウチのエログでも全く同じ情報を配信する。
そんなエログに全く価値が無いと思われるが、既存のエロサイトと比べてウチのエログを使うメリットはいくつかある。
1. share-videosを使っているので削除されていても案外見れたりする。
3. エログ特有のアクセストレードを行っていない(コピペなのでそもそもアクトレサイトに申請出来ない)ため、色んなサイトを行き来せずにめっちゃ見やすい!
4. 「PageSpeed Insights スマホ 82 PC 93」「【GTmetrix】 PageSpeed Score 99 YSlow Score 87(CDN入れたら94)」平均読み込み4秒のエログの割に読み込みが早い
5. スクレイピングするエログは動画のクオリティが高いサイトに厳選しているため良いネタがすぐに見つかってずく抜ける。(自分でも毎日使ってる)
事実、友達に悪い点とかのフィードバックを頂戴とお願いしたが「特に悪い点は無い、、、むしろ使いやすい」と好評。セッション継続時間は平均4分でみんな動画をちゃんと見てるみたい^^
自慢はここら辺にして、アクセス結果とかサイト情報はざっくりを晒す。
2月の総アクセスはざっと2400くらいで、1日大体70〜100くらい。流入は検索からのアクセスが100%。
検索ワードはjk 個人撮影みたいなワードからが割と多い。記事の数は10000件くらい。
こんなものか?正直Web系ではあまり無いから何をいえば良いかわからない。GAで取っているからみたい値があれば追記で。
完全放置のコピペかつ検索からの流入100%で1ヶ月目にしてはじょうじょうかな?
鯖の無料枠で運営しているため向こう1年はタダで運営出来ますが、もっとアクセスを稼がないと厳しいです。(何せshare-videosしか収入がないから)
月極広告のお話が来たら安定するのですが、スクレイピングでこの程度であれば来ないでしよう。
CMSとしてWordpressを採用。理由はSEOとかプラグインで楽そうだから(事実楽)(KUSANAGIの存在を知っていれば使ってたのにと今更後悔)
WebスクレイピングはGolangを採用。理由は速いから。並列処理でもっと速いから。あと書きやすい。てか。。。普通に好き。。。><
速さを求める理由はFunction as a serviceでスクレイピングを実行しているから。Python使おうと思ったけど、実行時間の制限があるためある程度早くスクレイピングを終わらせなければならなかった。
鯖側で常駐かcronを使っても良かったけど、常駐はメモリ食べてパニックだし、cronは設定がめんどくさいから。FaaSだとWeb上で実行間隔を弄れて無料で最高。
詳しい内容はウチのサイトの強みだから言えないが、他のエログのURLをリストに貼るだけで勝手に取得し投稿する。神。
Webスクレイピングエログはおすすめしない。手動で毎日更新したほうがアクトレで確実に儲かる。
黒字化するのであれば現行の方法ではなく、全自動で日本中のエログ全てのから記事を取得してshare-videosに張り替えて投稿するサイトかな。
https://anond.hatelabo.jp/20130722013200
ここで言う吉野家コピペとはTwitterで吉野家コピペ貼ったらマジレス飛んできたと言う話題に対してである。
https://togetter.com/li/1195871
これって別に今の若者は吉野家コピペ知らない、といった局所的な現象として捉えられるのではなくて、抽象化して捉えると要は言語ゲームだよね、と。
そこら辺にサッカーボールが転がっていれば足で蹴る、手は使わない「サッカー」をやるように。
で、一人だけサッカーのルールの運用方法がわからず、手で持って投げたら当然イエローカードなわけですよ。
つまり、「昨日、近所の吉野家行ったんです。吉野家〜」から始まる言葉を見た時に、吉野家コピペという対象に対し、過去に運用されてきた言葉の交わし方のルールに対する共通認識を持った人間がゲームをしてるわけで、そのゲームのルールと違ったことをしたら叩かれるわけですよね。
何が言いたいかって言うと、吉野家コピペというルールが形成されている以上、一連の現象の中で言われている「インターネット老人」という主体が「知ってるのが当たり前」と思ってるのは当然なんだよね。ルールだから。
これってどうなんでしょうね?
ようやくわかってきたぞ、と思ってコメントしようとしたらここに見事に書かれていた。
けど自分なりに似たようなことを書いてみる。
「勧める」というのは「価値を認めたものを差し出す」ということに他ならない。
そして、あらゆる価値判断を一般化・抽象化したときに最上位にくるワードが「面白い/面白くない」なんだ。
だから、「勧めるときに『面白い』と言うな」という主張は、それ自体が矛盾しているから、みんな「???」となっている。
「面白い」という表現を使うな、と言っているけど、何かを勧めるときの表現はすべて「面白い」を詳細化したものにすぎないからね。
たぶん言いたかったのは、「(価値判断を含めずに)紹介してほしい」ということだったんじゃないかな。
タイトルとか、ジャンルとか、簡単なあらすじとか、そういうのだけでも「紹介する」ことはできるし、キュレーションってまさにそういうことだよね。
一般的に「勧める」のと「紹介する」のとは同時に行われることが多いから、混同されてしまうのはしかたがない。
でも今回の場合、そこははっきり分けて、「勧める」という行為自体を望んでいないんだ、と言うべきなんだと思うよ。
高校を卒業して、進路担当の先生に勧められるまま地元の工場に就職して働き始めてからもう6年になる。
23歳になった。
世の中に楽な仕事はそんなには無いのは知っているが、零細企業の工場で働くというのは、まぁ、それなりにキツい。
体力勝負だし若い社員が少ないせいで、年配の上司にこき使われる様にして毎日働いている。
若いんだから、という理由でキツい仕事はこちらに回ってくる事も多い。
そんなこんなで仕事を終え、家に帰って両親や弟と夕食を食べる。
大学生の弟が今度彼女とデートしてくると両親に話していて、青春してんなぁと俺は嬉しくなった反面、こう思う。
んー、なんか俺このままで大丈夫なのかなぁ、って。
インターネットでここ最近、所謂「キモカネ」という単語を見かける様になった。
キモいせいで性的な魅力も無ければ、経済力もなく、もう若くない人の事。
三重苦だ。
しかしこういった概念に人を当てはめて、抽象化して判断するのは良くない事かもしれないし、こういう事は個人の問題、という意見もある。
だけれど俺は自分自身に対して将来自分がそういった所謂「キモくてカネの無いオッサン」という存在になってしまうのではないかという危惧感を抱いている。
これは肉体労働系の仕事だから仕方がない事で、そしてコレは全く個人の意見でその上ちょっと極論的でもあるから一般論としては見ないでもらいたいのだけれど、男というのは視野の狭い生き物だ。
話題に上がるのは大体風俗とギャンブルの話ばかりこれに辟易している毎日なのだがこれに加えて、肉体労働系の仕事ではまず自分の見た目に対して物凄く無頓着になる。
まずヒゲを剃らなくなる。ヒゲを剃るために早起きしなくてはいけないぐらいなら伸ばして週一で剃るぐらいが丁度良い。
そして次に顔を洗わなくなる。
うちの工場は粉塵が舞うので人によってはマスクを着用して作業するが、そうすると顔を晒す事が飯を食う時と昼の休憩中ぐらいしかないので、誰も見ないなら良いだろうと、俺のような自堕落な人間は考えてしまうのだ。
そうすると、キモくてカネのないオッサンの「キモい」という条件が完成する。
不潔にしてる奴はキモいのだ。
そして次の問題はカネだ。
カネを自らの欲しいものと交換して得られる幸福感というのは、得てして他人から自分への愛によって得られる幸福感の代替と成りうるので、これを欠かしてはいけない。
うちの会社は金払いが悪い。
俺達は金に飢えたマネー・ドッグスなので金払いさえ良けりゃどれだけこき使われようとも納得出来るのだが、うちの会社の社長というのは安く労働力をこき使おうとしやがる上変な所で見栄っ張りなのだ。
社長が「ウチの会社一部上場したぞう」とドヤ顔で言ってきた時は、これで俺たちの給料も上がる!とまだ若い同期や先輩達と喜んだものだったが、社長がしたのはまず自分のダサイ型落ちのスポーツカーを真っ白の高級ベンツと取っ替えた事だけである。
もし日本が法に縛られていない無法地帯の荒涼たる大地であったならば「白は血が映えるから良い色だよね!!」と叫んで、マチェテを振りかざす気の触れた俺と対峙する事になったであろうから。
それはともかくとして、こういうことがあるのを踏まえた上、6年間も働いているのに未だ昇給しない事も考えると「全く金のない」という事にはならないだろうが、「同年代の中年男性と比べて」金のないオッサン、という事にこのままではなりそうである。
やがて訪れるその瞬間まで人々は悲しみを味わい喜びを噛みしめるのだ。
その様子はまるで狂乱の渦に巻き込まれていくパレードの様で、誰ひとりとしてその宴の列を抜け出す事は出来ないししてはならないのだ。
だがなっていたいのは、自らをキモくて金のない中年だと自称して悲しみに暮れるおっさんではない。
俺はモテなくてもいいし、特別金持ちでなくても良いから(ポップコーンとドリンクを買って映画館で映画が見れて、楽しみにしていた新作ゲームを躊躇なしに買えるぐらいには金が欲しいけれども)ユーモラスなおっさんでありたいのだ。
支離滅裂な怪文書の様になってしまったけれども、自己肯定感さえ持っていればキモカネおっさんから抜け出せると信じていたい。
https://twitter.com/hirosetakao/status/943094107626491904
ちょっと待てよ(笑) 「童貞」って、言っちゃいけないの? それって、身体障害者か何か? 生まれ持った障害なら配慮することは必要だろうけど、ダーウィン的には童貞はみんな「負け犬」だろ? それは差別じゃない。日本だけは「地動説」で動いている国なのかい?
ちょっと待てよ(笑)生まれながらに童貞じゃなかった男っているの? それって、処女懐妊したマリア様の逆バージョン?
童貞disが罪深いのは、「世の中には常に童貞が供給され続ける」という自然の摂理を無視しているところ。日本国内だけでも毎年約50万人ずつ、新規参入してくる童貞がいる。個人の努力で解決できるのは個人の童貞だけで、社会的に童貞は固定層として有り続けるのよ。構成メンバーは新陳代謝するけど供給は途切れないので、見かけ上は層として固定しているとみなしていい。
初心者マークのドライバーとか、学校の新一年生と同じ。今のそれらが巣立ったり進級したりしても、定常的に新たな構成員が補充されるので、世の中から彼らが消えることはまずない。だから、初心者いじめが好きな悪質ドライバーはいつまででも初心者をいじめ続けることができる。
童貞disも同じことである。傷つく人がいつでも必ず一定数いるのだ。「お前が童貞なのが悪い。悔しかったら童貞なんか早く捨てればいいじゃん、ソープ行けよ(藁」という意見は、一見正論にも思える。個々人に対しては確かにそのとおりなのだが、ここで述べている「抽象化された層としての童貞」は、理論的にこれを克服することができない。抽象化された層としての童貞は一生童貞のままなのである。
「個人が努力で克服できるものはいくらでも侮蔑してよい」などというルールが存在しないのはもちろんのこと、まして、「ある属性を理論的に克服できない人間集団を侮蔑すること」は、もはやれっきとした差別である。抽象度の高い人間集団なので攻撃性を感じにくいかもしれないが、きわめて下等で、下賤な振る舞いだろう。
ちなみに童貞disに腹を立てているのは童貞だけではない。こうした差別意識そのものに対する反感は非童貞にとっても気分の悪いもので、許せないし、見たくない。
この記事は女子高生 Advent Calendar 2017 18日目の記事です。
ダブルチーズバーガーチキンマックナゲットコーラセット。ちらっとカロリーを計算する。ちょっと気になるけどハンバーガーはコーラで飲まなければならない。ウォンテッドリーのフィードを流し見していると番号が呼ばれた。ちょっと重くなってるトレイをコーラが滑り落ちないように水平を保ちながらそろそろと2階へ登る。平日の3時半、人はまばらでシンクパッドでエクセルを打っているスーツ姿のおっさんとパーカーを着てアズールレーンしてる若者ぐらい。目の前が一面ガラス張りになってる細長いテーブルには誰もいない。一番奥に陣取る。すっとトレイを置きメイのリュックをひざの斜め前にあるはずの空間に向けて押し込む。ブレザーを脱いで背もたれにかけ、下ろしていた髪をゴムでポニーテールに結ぶ。状況開始。ストローを包む紙袋の端をちぎり、ドュゴォォォと音を立てながらコーラにぶっ刺す。そっとくちびるを当てちゅるちゅると吸いながら糖分が脳にまわっていく感覚を楽しむ、大麻吸うときよりは全然弱いけどまあまあいい感じ。チキンマックナゲットを一つバーベキューソースにつけて食べる(ここはバーベキューソースだと決まっている)。ダブルチーズバーガーの包装を少しずつ引き剥がしていくと、パン肉チーズ肉チーズピクルスとケチャップパンの順に重なったパラレルな縞模様がのぞく。いざ口に運びパン肉チーズ肉チーズピクルスとケチャップパンが一斉に味覚に襲いかかられているとふと、ある問いが頭にポッと持ち上がった。
女子高生ってなんや?女子高生ってなんや??とりあえず個ではなく概念としての女子高生について考える。≒制服とする説もあるが、制服はあくまで女子高生を際立たせ識別しやすくするためのわかりやすい符号であり概念の本質ではないだろう。思うに女子高生とはいわば中途の期間であり体は大人ではあるが心など諸々は子供である。この未完成で矛盾している状態が女子高生に心が体をもてあそばせ、体が心にいらだつという状況を強制している。過ぎ去った時代に対する哀愁の説もあるが現役女子高生としてこの点についての判断は控える。ざっと抽象化するとこのように捉えることができるであろう。
アメリカンライフスタイルことアメリカ型大量消費社会とグローバル化の象徴であるがゆえにたびたび店舗襲撃なども発生したマクドナルドと画一的なイメージに閉じ込められた形而上学的な女子高生が同時に語られることがあるのは皮肉とも言えるだろうがわたしがマックを商品そのものにフォーカスして語ったように女子高生においても概念から解脱し個々にその内面に着目していくべきなのではないか。そんなことを考えながら街を見下ろした。
これは個人的な男女間におけるトラブルを抽象的な理論にまとめたもので、これに当てはまったからといっても何か解決するわけではない。
これらは女性が怒る基本的理論と、そこから派生する理論という2つに分類され、1の基本理論に対し、派生理論として2と3がある。
1の「女性の怒りの基本理論」から説明すると、女性が男性に対して怒る多くの原因を抽象化すると、"男性の行動が期待に達しなかった"ということに帰着するということである。
具体的には
「◯◯をしてほしいのにしてくれなかった」
「◯◯と言ってほしいのに言ってくれなかった」
「◯◯に気がついてほしいのに気がつかなかった」
という内容である。
逆に男性からこのような理由で怒ることは少ないのではと感じていて、特に女性に強く見られる怒る基本的な理論だと思っている。
そしてそこから次に派生する「正のカルマと負のカルマ理論」であるが、
基本理論で反省し、男性は予め女性の思考を予測して行動するようになる。
「これをやっておいた方が喜びそうだな」
「こうした方が後で文句を言われなそうだな」
これらの行動が結果女性の怒りを未然に防いだ場合、この正解行動を「正のカルマ(業)」と呼んでおり、この行いを実行することを「カルマを積む」と言う。
逆に女性の怒りに繋がってしまい、未然に防くことが出来なかったことを「負のカルマ」と呼んでいる。
そして負のカルマに当たってしまったとき、男性からすると、正のカルマを積んでいたのに何故そんなに怒るのか、正のカルマと負のカルマで相殺はされないのか、と思うのだが、負のカルマは決して相殺されないというところがポイントである。
それを理解しないと、いつまで経っても諦めの精神が身につかない。
そして、3つ目、「負のカルマの結びつき理論」だが、負のカルマは女性からすると結びつきが発生しており、この結びつきによってより大きな負のカルマと成長してしまうということである。
そして男性からするとこの負のカルマ同士の結びつきは理解出来ず、よく混乱する。
何で昔話を今更持ってくるのか理解出来ないし、そんな怒るとこでもないのではないか?と思ってしまうが、女性ならではの結びつきの理屈が裏にあるため、負のカルマが増大し、より大きな怒りへと発展してしまう。
https://adventar.org/calendars/2660
とかやってて乗り遅れた。乗り遅れたので増田に書く。
最初に少し自己紹介をする。新卒は出版社、そのあとベンチャー2社を渡り歩いて、いまはわりと大きい会社でWebの仕事をしている団塊ジュニア。出版社時代は概ね雑誌の編集で、連載やったり特集やったり。ムックや書籍も同時進行でやっていくスタイル。このアドベントカレンダーに参加してるやつらはだいたい友達(そうでない人もいる)。とくに仲が悪いのは……って、そういうことを増田だからって書くのはよくない。
以下に書く内容はタイトルの通り、編集を辞めて違う仕事をしても、あー意外と編集者やってたときのスキル役立つよなーって話。最初に目次的なものを書くとこうなる。
なんか真面目くさいな。最悪だ。最悪だと思っても書けちゃうのがプロ(鼓舞)。
別に言葉は「仕組み化」とか「見える化」「体系化」でもいいんだけど、乱雑にいりみだれてる言葉や事象を、いい感じに整理して、まとめなおす作業一式。まとめた結果は図とか短い文章になってコミュニケーション素材として用いる。会議資料になったり、営業ツールになったり、報告書になったりする。
出版社じゃない場所で仕事してみると、この「まとめなおす」機能が壊れていることがわりと少なくない。だいたい仕事はなんでもたいへんで、状況はかんたん明快!なんてこともあんまりない。だからといって、いい感じに整理しておきましよ!みたいなこともほとんどない。見てるだけで整理して章立てしたくなる。ラフを書くノリでホワイトボードにポンチ絵書いて、適当にキャプションを口で言うだけで「わかりやすい」という反応が得られる。便利。
で、部下や同僚が同じことできないと不便だから教えてみると、抽象化能力とか、抽象化したモノとモノの関連を整理する能力に欠けているとわかる。デザパタみたいにして教えてあげると、すいすいできるようになったりする。まあ地頭はわりと効くけど、どっちかっていうと訓練。取材やインタビューのまとめとかした編集者は鬼訓練されてる感じ。あとクソ原稿を直すのも似た作業ですね。量が質を作るジャンル。
だいたいどんな会社でも、会議などの社内コミュニケーションで残念なことをいうやつはいる。モチベーション下げる能力がすごい高い人、たぶんユビキタスに存在するんだ。これはアレだ、どんないい記事で、売れて、読者の評価高くても、DISってくる人はいるアレ。元編集者的にはそっくり。そういえば売れたこともDISられたこともない編集者さんはがんばろう。
若いうちはなかなか難しかったり、傷ついたりするかもだけど、想定能力と、度胸、切り返し能力あたりが見についてくる。予測力っぽい感じ。これがめっちゃ効く。だいたい知的労働をする会社は、対人コミュニケーションが主たる仕事、かつストレッサになりがちなんで、そこの予測力や度胸、切り返し能力があると、とりあえずバカ扱いはされない。
あいまいな定義を、ほどよく確認したり、論理の矛盾をいらいらさせないように指摘したりってのは、取材やインタビュー、あるいは査読した結果をフィードバックする感じとよく似ている。人格攻撃しないで、コンテンツそのものに目線を向けながら品質を上げる行動みたいな。結果議論が進む。これ便利。
なお人格が壊れている編集者は、ここがだいてい壊れてる感じする。そういう人ほど優秀ってのもまたある。人格壊れたまんま、かつて優秀だった、みたいな人もいて、これはしんどい。若くしてこじらせちゃうのと同じくらいしんどい。ぼくにもしんどみがあります。メンタルヘルス〜
メーカーっぽい会社の場合、プロダクトアウトが強すぎてマーケ不在ってことはわりとよくある。わりといけてる雑誌屋の場合、ここがしっかりしてて、自分の仕事がどう部数(=売上)に効くかを体で覚えてて、これがよい。例えば定期購読者増やしたいとか、ECでまったくおんなじ構造の話があるので理解がはやい。
プロの物書きやプロの編集者は「うけてなんぼ」の世界だということをよく知ってるゆえ、勝手に学んじゃうってことだと想像する。いまのWebマーケはいろいろ計測できるけど、impだCVRだCPAだってのは、知ってる概念がなんか別のアメリカ人言葉で言い換えられただけで「うけてなんぼ」を知ってて、自分でやってたって人は、たいてい難しくない。
広告仕事もしてた人だとなおわかりよいかも。Web媒体というか、読者さん課金がない媒体の経験だけだと厳しいかもしれない。炎上だけやってる人のうち、インターネットを利用してインターネットの価値を下げてるってわかってやってる人ははやくほろんでほしいな。でてくる広告をマイナスクリックする技術まだか。
なんかふつうの会社の人をみていると、書くことで精神エネルギーを使い切って、読む人のことまで神経届いてないっぽい人が少なくない(全員だとはいってない)。いや出版社にもそういう残念な人いるけど、割合がだいぶ違う。あと、読む人をわりと簡単にダマさえると信じてる人も多い。ちゃんとした編集者のみなさんはよくご存じの通り、そんなわけない。
プロ編集者は目の前の文章が読者にどう読まれるかの想像力を発揮してる時間が長い。めっちゃ長い。結果訓練されまくって、文章を書く前に脳内読者の文句が想起されたりするまでゲシュタルトが鍛えられる。これがめっちゃ便利。結果として「まとめたもの」の生産性が高い。これに、最初に書いた抽象化能力や構造化能力が組み合わさると「優秀」って思われやすい。いや訓練の結果なだけなんですけど…。
逆にいうと、そこらへんを売りにしていくとうまくいきやすいってことかも。決められた手順の繰り返しより、乱打戦とかゲリラ戦に向くみたいな売り込み。いやせっかく編集やめるんだったらもう少し落ち着いて仕事したいってのはわかるんだけどもまあ(時代)。
だいぶだるくなってきたので、ここから先は端折ってく。コミュ力とか交渉力はふつうにみんな使うし、編集者ノリのままでわりとOK。会社や業界によっては謙譲の度合いとか忖度の度合いとか変わってくるけど、まあ大事なところは本音ってのは間違いない。服装や出社時刻は違う。外資はいったことないのでよくわからん。なんだっけ、まあ誠実ならOK。不誠実なやつはすぐに編集者やめてくれ。
世の中の人は恐ろしいほど、本も雑誌も読まない。Webも見ない。読み続けることに慣れてない。一方編集職の人は、大食いチャンピオンレベルで文字を摂取する。結果として知識量は多くて、かつ元ネタとして活用するように脳内におさまってるんで、そのまんま役に立つ。くそ便利。意識高まらないようにしつつ大量に読む技術、まじで編集者を支える技術だと思う。なお筆者はいまでも奥付から読むみたいなクセが抜けない。習慣怖い。
まあこれは編集じゃなくても仕事してりゃわかるか。てか編集スキルじゃなくね?
おしまい。こういう尻すぼみなスタイルよくないと思いつつも、読み直すとかあんまりしなくなってる元編集者なので初稿ってことで。どうせ編集アドベントカレンダーなんだから、もうちょっといけてる感じにだれか編集してくれたらうれしいかも。元原稿がこれじゃ、だれもやりたくないかw 送り仮名とかたぶんそろってないし。まあ項目5つくらいにして、順番入れかえたいよねふつう。
***
編集を離れてもう5年ほどになる。やってたころは「編集はぼくに向いている仕事」って思っていたけど、まあそれ以外でも別に極端に向いてないってことはないなって感じ。たぶん知的活動とコミュニケーションがない仕事ってほとんどないってことなんじゃないかなー。
ということで、まだ編集で消耗しているみなさんは、年末進行まっただなかな人も少なくないと思いますが、なによりご健康に留意してほしいなと思いつつ、これからもよい仕事をぜひおねがいします。今はいち読者として、いろいろな記事や読み物を楽しみにしています。ノシ
■元編集者が書く、編集じゃない仕事でも役立った7つの編集スキル
https://adventar.org/calendars/2660
とかやってて乗り遅れた。乗り遅れたので増田に書く。
最初に少し自己紹介をする。新卒は出版社、そのあとベンチャー2社を渡り歩いて、いまはわりと大きい会社でWebの仕事をしている団塊ジュニア。出版社時代は概ね雑誌の編集で、連載やったり特集やったり。ムックや書籍も同時進行でやっていくスタイル。このアドベントカレンダーに参加してるやつらはだいたい友達(そうでない人もいる)。とくに仲が悪いのは……って、そういうことを増田だからって書くのはよくない。
以下に書く内容はタイトルの通り、編集を辞めて違う仕事をしても、あー意外と編集者やってたときのスキル役立つよなーって話。最初に目次的なものを書くとこうなる。
マーケティングの基礎
なんか真面目くさいな。最悪だ。最悪だと思っても書けちゃうのがプロ(鼓舞)。
別に言葉は「仕組み化」とか「見える化」「体系化」でもいいんだけど、乱雑にいりみだれてる言葉や事象を、いい感じに整理して、まとめなおす作業一式。まとめた結果は図とか短い文章になってコミュニケーション素材として用いる。会議資料になったり、営業ツールになったり、報告書になったりする。
出版社じゃない場所で仕事してみると、この「まとめなおす」機能が壊れていることがわりと少なくない。だいたい仕事はなんでもたいへんで、状況はかんたん明快!なんてこともあんまりない。だからといって、いい感じに整理しておきましよ!みたいなこともほとんどない。見てるだけで整理して章立てしたくなる。ラフを書くノリでホワイトボードにポンチ絵書いて、適当にキャプションを口で言うだけで「わかりやすい」という反応が得られる。便利。
で、部下や同僚が同じことできないと不便だから教えてみると、抽象化能力とか、抽象化したモノとモノの関連を整理する能力に欠けているとわかる。デザパタみたいにして教えてあげると、すいすいできるようになったりする。まあ地頭はわりと効くけど、どっちかっていうと訓練。取材やインタビューのまとめとかした編集者は鬼訓練されてる感じ。あとクソ原稿を直すのも似た作業ですね。量が質を作るジャンル。
議論力
だいたいどんな会社でも、会議などの社内コミュニケーションで残念なことをいうやつはいる。モチベーション下げる能力がすごい高い人、たぶんユビキタスに存在するんだ。これはアレだ、どんないい記事で、売れて、読者の評価高くても、DISってくる人はいるアレ。元編集者的にはそっくり。そういえば売れたこともDISられたこともない編集者さんはがんばろう。
若いうちはなかなか難しかったり、傷ついたりするかもだけど、想定能力と、度胸、切り返し能力あたりが見についてくる。予測力っぽい感じ。これがめっちゃ効く。だいたい知的労働をする会社は、対人コミュニケーションが主たる仕事、かつストレッサになりがちなんで、そこの予測力や度胸、切り返し能力があると、とりあえずバカ扱いはされない。
あいまいな定義を、ほどよく確認したり、論理の矛盾をいらいらさせないように指摘したりってのは、取材やインタビュー、あるいは査読した結果をフィードバックする感じとよく似ている。人格攻撃しないで、コンテンツそのものに目線を向けながら品質を上げる行動みたいな。結果議論が進む。これ便利。
なお人格が壊れている編集者は、ここがだいてい壊れてる感じする。そういう人ほど優秀ってのもまたある。人格壊れたまんま、かつて優秀だった、みたいな人もいて、これはしんどい。若くしてこじらせちゃうのと同じくらいしんどい。ぼくにもしんどみがあります。メンタルヘルス〜
マーケティングの基礎
メーカーっぽい会社の場合、プロダクトアウトが強すぎてマーケ不在ってことはわりとよくある。わりといけてる雑誌屋の場合、ここがしっかりしてて、自分の仕事がどう部数(=売上)に効くかを体で覚えてて、これがよい。例えば定期購読者増やしたいとか、ECでまったくおんなじ構造の話があるので理解がはやい。
プロの物書きやプロの編集者は「うけてなんぼ」の世界だということをよく知ってるゆえ、勝手に学んじゃうってことだと想像する。いまのWebマーケはいろいろ計測できるけど、impだCVRだCPAだってのは、知ってる概念がなんか別のアメリカ人言葉で言い換えられただけで「うけてなんぼ」を知ってて、自分でやってたって人は、たいてい難しくない。
広告仕事もしてた人だとなおわかりよいかも。Web媒体というか、読者さん課金がない媒体の経験だけだと厳しいかもしれない。炎上だけやってる人のうち、インターネットを利用してインターネットの価値を下げてるってわかってやってる人ははやくほろんでほしいな。でてくる広告をマイナスクリックする技術まだか。
なんかふつうの会社の人をみていると、書くことで精神エネルギーを使い切って、読む人のことまで神経届いてないっぽい人が少なくない(全員だとはいってない)。いや出版社にもそういう残念な人いるけど、割合がだいぶ違う。あと、読む人をわりと簡単にダマさえると信じてる人も多い。ちゃんとした編集者のみなさんはよくご存じの通り、そんなわけない。
プロ編集者は目の前の文章が読者にどう読まれるかの想像力を発揮してる時間が長い。めっちゃ長い。結果訓練されまくって、文章を書く前に脳内読者の文句が想起されたりするまでゲシュタルトが鍛えられる。これがめっちゃ便利。結果として「まとめたもの」の生産性が高い。これに、最初に書いた抽象化能力や構造化能力が組み合わさると「優秀」って思われやすい。いや訓練の結果なだけなんですけど…。
逆にいうと、そこらへんを売りにしていくとうまくいきやすいってことかも。決められた手順の繰り返しより、乱打戦とかゲリラ戦に向くみたいな売り込み。いやせっかく編集やめるんだったらもう少し落ち着いて仕事したいってのはわかるんだけどもまあ(時代)。
だいぶだるくなってきたので、ここから先は端折ってく。コミュ力とか交渉力はふつうにみんな使うし、編集者ノリのままでわりとOK。会社や業界によっては謙譲の度合いとか忖度の度合いとか変わってくるけど、まあ大事なところは本音ってのは間違いない。服装や出社時刻は違う。外資はいったことないのでよくわからん。なんだっけ、まあ誠実ならOK。不誠実なやつはすぐに編集者やめてくれ。
世の中の人は恐ろしいほど、本も雑誌も読まない。Webも見ない。読み続けることに慣れてない。一方編集職の人は、大食いチャンピオンレベルで文字を摂取する。結果として知識量は多くて、かつ元ネタとして活用するように脳内におさまってるんで、そのまんま役に立つ。くそ便利。意識高まらないようにしつつ大量に読む技術、まじで編集者を支える技術だと思う。なお筆者はいまでも奥付から読むみたいなクセが抜けない。習慣怖い。
まあこれは編集じゃなくても仕事してりゃわかるか。てか編集スキルじゃなくね?
おしまい。こういう尻すぼみなスタイルよくないと思いつつも、読み直すとかあんまりしなくなってる元編集者なので初稿ってことで。どうせ編集アドベントカレンダーなんだから、もうちょっといけてる感じにだれか編集してくれたらうれしいかも。元原稿がこれじゃ、だれもやりたくないかw 送り仮名とかたぶんそろってないし。まあ項目5つくらいにして、順番入れかえたいよねふつう。
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編集を離れてもう5年ほどになる。やってたころは「編集はぼくに向いている仕事」って思っていたけど、まあそれ以外でも別に極端に向いてないってことはないなって感じ。たぶん知的活動とコミュニケーションがない仕事ってほとんどないってことなんじゃないかなー。
ということで、まだ編集で消耗しているみなさんは、年末進行まっただなかな人も少なくないと思いますが、なによりご健康に留意してほしいなと思いつつ、これからもよい仕事をぜひおねがいします。今はいち読者として、いろいろな記事や読み物を楽しみにしています。ノシ
https://anond.hatelabo.jp/20171027082453
id:m_shinzaki 「いやだから、それを回すのが管理職の仕事であって産休育休のせいじゃないですよ。/書いた http://blog.tinect.jp/?p=44204」
id:lejay4405 「育休病気怪我で発生する穴、この人手不足でマッチできる都合のいい人そんなに簡単に見つかるもの?それとも日頃からリソース多めにしておくの?そんな体力ある?納期伸ばせる?管理側はスーパーマンなの?わからん… 」
っていう感じで、「産休育休悪くないだろ、マネジメント頑張れよ」vs「いや、マネジメントに多く求めすぎだろ」っていう意見に分かれてるんだけど、私はここ一年くらいで、部下のうち二人が妊娠して、その二人とも笑顔で産休・育休に送り出して、なおかつ残された現場の人間の残業時間を増やすこともなかった管理職です(課長クラス)
笑顔で送り出しながらも、内心「人減ってやべーな」とは思ってたけど、よくよく今やってる仕事を見返してみると、これやらなくてもよくね?っていうのが色々見つかるものなので、そういう余計な仕事やらなくて良いようにして二人が帰ってくるまでしのいでました。
だからと言って私は聖人君子ぶるつもりはありません。ただ、一つどうしても声を大にして言いたい、どうしても訴えたい、矛盾があります。それはどういうことかというと、
まず、無事に生まれてきた赤ちゃんは、ママのおっぱいを吸う権利を有しています。しかし、その赤ちゃんを産み、育てられる環境を整備するにあたって、間接的にでも功労者といって良いはずの私は、誰のおっぱいも吸っていません。
無事に生まれてきた赤ちゃんが、ママのおっぱいを吸えるのは、いうまでもなく赤ちゃんの当然の権利です。ならば、その赤ちゃんが健やかに育てられる環境を陰ながら支援した私も、おっぱいを吸えるべきではないでしょうか。
念のため言っておくと、当然ですが、私が吸いたいのは、その赤ちゃんを産んだママのおっぱいではありません。そこには全く関心はありません。
僕が吸いたいのは、もっと抽象化されたおっぱい、おっぱいのイデーというべきものであります。強いていうなら、有村架純のおっぱいがいいです。なぜ、私は有村架純のおっぱいが吸えないのでしょうか?
まあ一点だけだし、日本美術の西洋への影響っていうまじめな展示ってことで「わいせつではない!」ってことになってるんだろうけど(中略)。
法的な意味で”わいせつ物”だった場合、『子どもに』見せる云々ではなく、人に見せることそのものが違法となる。刑法175条案件だ。
わいせつな文書、図画、電磁的記録に係る記録媒体その他の物を頒布し、又は公然と陳列した者は、二年以下の懲役若しくは二百五十万円以下の罰金若しくは科料に処し、又は懲役及び罰金を併科する。
この条文に該当する。条文そのものはともかくとして、大人相手に限定して売るのも違法になるもの(例:裏ビデオ)が存在することは多くの人が知っている。だが、この法律が何を目的にしているのかは案外と知られていない。
刑法のこの条文が保護しているのは、性的な物を見たくない人の権利……ではない。よって、「国立施設でわいせつなものを見せるな! 不快だ!」のような訴えは法律上の権利の裏付けあってのものではない。
では何を保護しているか、というと。判例上は”最低限の性道徳”である。(この解釈については流石に時代錯誤を指摘する声は複数あるし、筆者もおかしいと思うが前提として現時点ではそうなっている)
わいせつ図画の判例では比較的有名な(高校の公民の教科書にも載っているかもしれない)チャタレー事件で「社会の平均ではなく、あくまで最低限」という解釈が出され、、四畳半襖の下張事件で「その時代に合わせた性道徳」を基準にすることになった。
春画はこの条文には該当しない。仮に該当しているのならば仮に未成年に見せていなくとも当該春画を展示している主催者が逮捕されるし、過去に開催された春画展も開催自体が違法ということになったはずだ(が、そうはならなかった)
なお、この条文には「18禁などの表示」について定めた部分は無い。18禁などの表示の法的根拠は都道府県の定める『青少年の健全な育成に関する条例』にある(後述)。
今の日本で、『わいせつな図画』の明確な基準は”性器をはっきりと描写しているか”これだけである。
法律上明記されているわけではないが、事実上そのようになっている。
これに関しても過去には(主に写真集絡みで)争いがあった。具体的には以下のような流れだ。
警察「アンダーヘアが見えたらアウト」→写真家「じゃあパイパンならOKですね」
→警察「性器が完全に露出していたらアウト。なお、アンダーヘアも性器の一部とする」 →写真家「じゃあパンツはかせます。アレ、少し透けてるような気もしますけど、着てるからセーフですよね」
→警察「じゃあアンダーヘアはOKだが性器そのものが見えたらアウト」 →写真家「ヘアヌードはOKですね」 →警察「一応セーフにしておくか」
ということで、現在では成人を撮影した物については性器そのものは写さない、もしくはモザイクなどの修正があればセーフということになっている。(児童ポルノは別である)
だからAVやエロ漫画では性器にはモザイクをかけなければならないとなっているし、
逆に性器が写っていないヘアヌード写真集はわいせつな図画には該当しない(から、書店で普通に販売されている。18禁ゾーンの先であることが基本であるとは思うが。)
保護するものはあくまで『最低限の性道徳』であるから絵であってもアウトであり、だからこそエロマンガやエロゲでもモザイクは必要になっているが、十分に抽象化されていればセーフである。
初期のドラゴンボールは悟空のチンコを一応描いているが、それが理由でわいせつ図画に該当することは価値観の大転換でも起こらない限りは無い。
余談だが、上で例に挙げたドラゴンボールの場合、ブルマの股間部には特段、何かを描いてはいなかったはずである。
”女性の股間部に何も描かない”というのはR-18ではない男性向けちょいエロではしばしば採用される手法である。
BLではその辺どうなっているのかは知らない(筆者が男性であるため)が、謎の光などを描いて男の股間に何も描かなければ、BLでもR-18指定は免れ得るはずだ。
これは無論、”性器をリアルに描いているものは全てわいせつ図画であり、刑法175条違反だから作成・販売自体が違法”ということを意味しない。
当たり前の話だが、医学書は実写で性器を掲載してもわいせつ図画にはならない。
つまり、元増田のこの文は微妙に違う。”芸術”と”性欲”を厳密に線引きすることは困難であり、悪徳の栄え事件の最高裁判決でも
「文学性や芸術性が性的刺激を緩和することはあり得るが、文学性や芸術性がある文書(・図画)が同時にわいせつ性を持つことはあり得る(意訳)」としている。
Q1:エロ同人は?
A1:性器を無修正で描いたらわいせつ図画になりますが、コミケット準備会は警察とほぼ同様の基準に従って修正させています。無修正・修正が甘いと見本誌を提出したときに販売停止になるはずです。
Q3:裏ビデオは?
Q4:無修正の性器が違法でない国からの、インターネットを介した配信は?
Q4:サーバーの所在国の法律で取り締まるのが原則だとは思いますが、正直なところ何ともいえません。
Q5:ろくでなし子さんは?
A5:3Dプリンターのデータはセーフで『でこまん』はアウトなんでしたっけ? 増田はでこまんを見たことが無いのではっきりとしたことは言えないのですが、女性器がある程度はっきり見えているのがアウトだったんでしょうねえ。
だれか頓珍漢な人が「国立施設でわいせつなものを見せるな! 不快だ!」とかって騒がねーかなあ。 議論の糸口としては面白いと思うけど。
実は法律上、見たくない権利を保護する規定はほとんど存在しない。というと「公然わいせつ罪は?!」と思うかもしれないが、実は違う。
公然わいせつ罪と言われてまず思いつく犯罪は露出狂や青姦だろう。『どの範囲から罪とするか』についてのボーダーラインについては議論があるだろうが、それ以外に議論はない……と思うかもしれない。
だが実は、公然わいせつ罪が保護しているのも、上述したわいせつ物頒布と同じく、最低限の性道徳である。
だから、公然わいせつ罪になる行為は露出狂や青姦だけではない。『乱交パーティーの参加者を不特定多数相手に募集した』『ストリップ劇場で性器が見えた』『キャンプ場でAVの撮影をした』などが取り締まられた事例がある。
今の時代にそれらをわざわざ取り締まって「最低限の性道徳の維持」につながるのだろうか。私は真剣に疑問に思う。
もっとも、公然わいせつ罪が保護するものを『見たくない権利』にすることは別の問題があるが、今回は省略する。
学芸員さんは付近にいたんだけど、もし「いかにも中高生」な感じの人が来たら注意するのかとか、微妙な感じの人がきたら身分証明書の提示をもとめるのかとか、ちょっと思ったけど、そんな感じの来場者もおらず、あえて聞いてみる勇気もなかったので、そのまま帰ってきたけど。
でも、あれ、なんとなく前の人についていくように見てったら「警告」見落としてみちゃいそうだったけど。
今思えば、子供連れが何組がいたんだから、ちゃんと避けられたか、みとけばよかったかな。
あ、そうなればさすがに学芸員が注意するか。
元増田も含め、ある程度エロいものが18禁として売られていることも99%の人が知っている。
だが、18禁として販売することの法的根拠や、18禁の指定をしているのが誰かというのはまず知られていない。
結論から言うと、18禁表示をしているのは出版社自身、もしくは自主規制団体である。
1.で書いたわいせつ文書図画頒布罪をよくよく見てもらえば分かるのだが、わいせつな文書・図画(や、児童ポルノに関する罪)を問われるのは製造者や所持者だけではない。法律上は、(たとえ大人相手であっても)販売した者も罪に問われる場合がある。
が、店員にとってみたら『わいせつっぽい物を販売したらある日突然逮捕されるかもしれない』は恐怖である。
そのような販売店の恐怖が『それっぽいものは全部売らない』になるのは商業的にも文化的にもマイナスなので、
ビデオ・映像関係の年齢表示や、成年向けコミックのマークはそのような販売店の声に対し、『自主規制団体が、刑法および児童ポルノ法に違反していないことを確認したと責任を負います』という意味がある。
だからこそ、過去に何度か『AV女優が実は18歳未満だった』という事件があったが、そのAVを置いていたツタヤの店員や経営者が全て逮捕されるわけではないし、
以前薄消しが流行ってビデ倫の関係者が逮捕されたことがあるが、問題になったビデ倫の作品を扱っていた販売店の関係者は逮捕されていない。
逆に言うと、そういう団体を通していない、いわゆる裏ビデオを分かっていて売ったら店員が逮捕される可能性もあるはずだ。
そして「18歳未満には販売できません」で書店やアマゾンで売っている商品はどのような法的根拠で年齢制限をかけた上で売っているか。実はその法的根拠は国の法律ではなく条例にある。
第九条の二 図書類の発行を業とする者(以下「図書類発行業者」という。)は、図書類の発行、販売若しくは貸付けを業とする者により構成する団体で倫理綱領等により自主規制を行うもの(以下「自主規制団体」という。)又は自らが、次の各号に掲げる基準に照らし、それぞれ当該各号に定める内容に該当すると認める図書類に、青少年が閲覧し、又は観覧することが適当でない旨の表示をするように努めなければならない。
この手の条例がほぼ全ての都道府県にある。まどろっこしいが、要は『一定の倫理基準に該当する物は、青少年に閲覧・販売できないように努力せねばならない。(そして、成人に販売する分には問題ない)』ということである。
"18禁"などに関する(映像作品やゲームではR-15も一応は存在する)法令上のもっとも重要な(もしかしたら唯一の)根拠はこの条文だ。
この条文があるからリアルでもネットでも、18禁の作品を売る際には専用のゾーンを設けなければならない。その区分が雑だという話(特にネットにおいて)はノーコメント。
A:春画はわいせつではないし、(性器が見えていなければ)ヌードもわいせつではないけど、春画とヌードを同時に掲載したら取り締まりの対象になるらしいよ。意味わかんない(マジで)。