はてなキーワード: 動物実験とは
例えば、
・同性婚を認めていない(そもそもLGBTの権利すらまともにない)
・部落差別がひどい(被差別部落民の国立大学の入学枠すらない)
・障がい者差別がひどい(障がい者の法定雇用率が2%。アメリカですら7%なのに。※アメリカは障がい者の法定雇用率がないと紹介されることもあるが、政府の補助金や税制優遇措置を使う場合は法定雇用率が課される)
・外国人差別がひどい
(外国人参政権すら認められていない)
・女性差別については書ききれないのであえて書かないわ
ちょっと考えただけでもこれくらいある
日本人は劣等民族ってのは客観的な事実なんだよね。生きるに値しない民族としか思えないんだわ
ヒトだと、高額医療費制度があるので、医療費の負担額が月に20万を超えることはない。所得が低ければ10万くらいだ。お金がなくて医療を受けられないというケースはほとんどない。植物状態でずっと入院でも、食事と寝る所と着るものとがついて、年金でお釣りがくる。親族が100人中99人は延命を望むのは、下賎な話、家計を圧迫しないからというのは大きい。後期高齢者は2割負担、つまり保険適用無しで考えると5倍の医療費がかかってる。高額医療費の上限に届いてる場合、それ以上。窓口で負担してないから忘れているだけ。簡単に言えば、ヒトの終末医療には、延命する手段があれば、年間に100万でも1000万でもかけて当然。じゃあ、動物の医療に年間1000万出せる人がどれだけいるのか。100万だって二の足を踏むと思う。50万だって厳しいと思う。
基本的に獣医は診療科が分業化されてないので、ヒトでいうところの総合診療科しかない。CTを使わない脳外科はないだろうけど、総合診療科がCTを抱えられるか。例えばCTは2000万からだが、2000万の機器を年に何回使うのか。年に3回くらいの頻度だとしたら、撮影の請求が20万としても10年で600万の売上にしかならない。もちろん20万なんて請求はできない。高額な医療機器の導入はできない。
卵が先か鶏が先かだけど、レベルが低いから高額な高度医療がないのか、高額な高度医療がないからレベルが低いままなのか。
そもそも、心臓の手術も脳の手術が概念すらほとんどない。心電図やCTが読めても、予後不良か健康かの2択が9割。治せない病気とほっといても治る病気かを調べるための検査なら、検査の意味がない。
心臓や脳の手術が技術的に絶対にできないのか?と聞かれたら、もちろんヒトの医療は動物実験での結果の積み重ねなので、犬や猫どころかマウスだって成功したから、ヒトでその手術を行ってる。適正がある人に訓練さえすれば、ペットの手術も理論的には出来ないわけではない。が、獣医学部のカリキュラムにはおそらくない。現在の獣医に脳外科や心臓血管外科の授業がどれほどあるか知っている人がいたら、教えてほしい。
じゃあ、医療のレベルが低いから尊敬できない、安楽死を進めるくらい医療倫理のレベルが低いから尊敬できないは乱暴。
獣医のレベルが医師より低いから尊敬できないというのは、ジャングルの奥地の部族の村でトイレットペーパーもないなんて不潔と叫ぶようなもの。紙がなければ紙以外で拭くしかない。文化的に劣ってるとか、精神的に劣ってるとかいってはならないと思う。ドクターコトーの診療所のように、高度医療を身につけたスーパードクターが僻地にきて大活躍、なんてことは夢物語。聴診器一本で診断できることは限られて、仮に診断できてもなにもできない。ドクターコトーならヘリで内地の病院に送れるが、獣医だと送る先の病院がない。
もちろん、手で肛門をふけといわれても、虫を食えといわれても、無理なように、ヒトの医療を知る人にとっては、安楽死が受け入れられないのは当然のこと。生理的に受け入れられないのであれば、離婚もやむなしだと思う。
輸入レモンは危なくない。古い情報に惑わされないで[食の安全と健康:第16回 文・松永和紀]
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/oishi-kenko.com/articles/shokunoanzentokenkou16
山岡「まったくお話にならないよ。ADIは動物実験で安全と判断した量の百分の一基準でしかない。」
山岡「そうなんだ。ADIは、人が、毎日、一生涯、食べ続けても、健康に悪影響がでないと考えられる量
とよく言われるが、実際に一生涯食べ続けて確認した人はいない。」
山岡「食品安全委員会の資料を見ればわかるけど、あくまでも、ADIは安全と考えられる量であり、悪影響がないと判断される量としか書いていない。」
https://www.fsc.go.jp/emerg/adi.pdf
栗子「人間と動物では体重も寿命も何もかも違うのに、本当に大丈夫なのかしら・・」
山岡「実は厚労省もADI基準について懐疑的なフシがあるんだ。
防カビ剤であるイマザリルはみかんを除く柑橘類とバナナのみに利用許可されているんだが、
なぜみかんが除かれているのかというと、日本人はみかんをたくさん食べるからなんだよ。」
https://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/oto/otodb/japanese/mondai/subject/200010104.html
栗子「毎日、一生涯食べ続けても健康に悪影響がでない量を超えて、食べると危険になる???」
山岡「そう。ADIは微量なら安全という基準でしかないから、たくさん食べたら危険になるということだ。」
これから書くことは、自分でも分かっているのだけど本当に趣味が悪い。知らない人の人生について触れるし、それについてめちゃくちゃ好き勝手考えるので、そういうのが嫌いな人は読まない方が良いと思う。ほんと、ひとつ宜しくお願いします。
動物実験を伴う昔の研究で、足のつかないプールに入れられたラットが何分間泳ぎ続けるか、ということを調べたものがあるらしい。
何の操作もせずただプールに入れられたラットは数分~十数分で力尽きてしまうんだけど、溺れる→少し休ませてもらえる→また溺れさせられる…を繰り返す操作を加えられたラットは、なんと数十時間も泳ぎ続けるのだとか。結果の違いは、一説には「いつか助かる瞬間が来るかもしれない」という希望をラットが持つかどうかだ、と言われているとかなんとか。実験について最初に知った時は(なんと残酷な…)としか思わなかったんだけど、昨日この話をふと思い出して、ぼーっと実験について考えていたら、ずっと前に見たブログのおじさんのことが浮かんできた。
そのおじさんは東大の医学部だか法学部だかを目指していて、その年齢でもなお「仮面浪人生活」をしていた(ような気がする)。50歳前後くらいだったと思うんだけど、定職には就かず(就けず?)学習塾のアルバイトをしていて、そして女性への(特に20歳前後の女子大生)強烈な憧れがあった。
おじさんは高校の頃男子校に通っていて、当時共学へ通う同級生をとても羨ましく思っていた。学校帰りに彼女とファストフード店に寄ってたわいもない話をするような、そんな生活にあこがれていた。それを易々と叶える同級生を横目に、そうできない自分へのコンプレックスを着々と形成。自分もチヤホヤしてもらうためには、一流大学に入ることだ!と一念発起した。そこから怒涛の受験生活が始まるのだけれど結果は全くついてこず、結局4浪?して「現役の時に受かっていた大学」に入学する。念願だった共学キャンパスライフの幕開けなわけだけれど、実のところは大学で"自分より年下でバカな男”が女の子とキャッキャとしている現実を見せつけられてしまう。かたや、4浪を経てねじれ肥大化した自意識を培ってしまったおじさんは彼女どころか友人もできなかった。やはり一流大学に行くしかない、行けば女の子の方から寄ってくるさと偏りまくった判断をして、そして現在に至る。つまりおじさんにとって「女の子の関心を得る」というのは願っても願っても手の届かない光で、そこに1度も(まじで1度も、女子との会話というレベルにかみ砕いたとしても1度も)到達できていないからこそ、過去に回収できなかった「青春時代」を取り戻すべく、現職場での同僚女子大生と仲良くなりたいとひそかに思っていた。
だけど、そもそも大学時代くらいから人とまともに関わってこなかったおじさんが、すんなり女子と仲良くなれるはずもない。そもそも50前後である彼が20歳前後の大学生にまじってバイトしている事態そのものが尋常じゃないと思う。
それで彼は職場で孤立しているんだけど、その「孤立している」っていう状況もブログの文面からこちらが推察しただけで、おじさんはあまりそのことに気づいていない様子だった。おじさんは、職場ではあえて「チョイ悪の孤高の人」を「演じている」と言っていた。だから人から話しかけられなくても自然なことだし、女子がおじさんと関わりを持つことが出来なくても仕方ないのだ、と。
なぜそう思えるのか、信じられるのかが理解できない。バイトに来て黙って仕事して何も言わない50のおじさんなんか、浮いてしまうに決まっている。でもおじさんにとってはごく自然に「孤高の人だから話しかけられないのだ」と思えていたようだった。
あるいは、意識のどこかでは「孤高」ではなく「孤立」なのだと気が付いていたのかもしれない。でもそれを自覚してしまうともうどうしようもなくなるから、直面化せずにいただけなのかもしれない。
ブログは、おじさんが実家を出て(追い出されて?)一人暮らしを始めたくらいで更新が途絶えている。多分おじさんは(何か大きな変革が自身の中に起こらなければ)これから先も女性と付き合ったり仲良くなったりすることはないんだと思う。そう確信させるくらい、そのブログは赤裸々に、そして正確に、おじさんについて正直に書かれていた。
そしてそんな彼の姿が、冒頭のラットの実験となんだか重なってしまうのだ。
おじさんは多分、目の前の女子大生と仲良くしたり付き合ったりできるかもしれないという叶うはずもない「希望」を持っていたんだと思う。だからこそ、20代のバイト学生に交じることができたし、彼らと一緒に青春時代を取り戻すことを夢見れたんだと思う。やってくるかもしれない「いつか」を心待ちにできたのだと思う。
念のために書いておくと私はおじさんのある種の”異常性”をあげつらいたい訳でも、馬鹿にしたい訳でもない。ただ、希望を与えられたラットも最後は力尽きてしまったように、おじさんがどこかの場面でしっかりと「絶望」できていますようにと祈るような気持ちにはなる。どうかどこかの時点で、「あぁ、もう過去は取り戻せないのだ」と、永久に失われたのだと、気が付き受け入れられますように、と願う。だって、ありもしない「希望」を胸に走り続けるのなんか辛すぎるもの。ラットのようにどこかの時点でちゃんと「死んで」いてほしい。それで初めて、自分の人生を引き受けるためのスペースが生まれるんじゃないかと思う。
実は手元にそのブログのURLがあるのだけどなかなか見る気持ちにもなれないし、ここに挙げることもしないでおきたいなと思う。おじさん、元気かな。美味しいものがたくさん食べられていると良いな。
セアカゴケグモに自分を噛ませた高校生が話題で、まぁやめた方が良いよとか猫猫の真似する子供が増えたら嫌だなぁとかそういう話はさておき。
毒を試してみようってなったときに、普通は小さな生物から試すだろう。きちんとした研究倫理の教育を受けていない幼児〜高校生であれば、まぁ虫あたりから始めてだんだん大きな生物に発展させるのは探究心の発露として自然な流れだ。それが哺乳類(ネズミ)になる前に止まるのか猫になる前で止まるのかヒトになる前に止まるのかは、誤差でしかない。
自分で試してみる人の中には、こうした動物実験を経る事なくいきなり自分で試す人が結構いる。
一つには他者の観察から得られる情報が少ないからだが(特に、生体信号の測定装置を持たない高校生以下)、他の理由として、動物実験の倫理的問題、というより倫理的葛藤をクリアできるという点も大きいように思われる。
このように自分に毒を盛る人は、他人には毒を盛りにくい。少なくともモルモットに毒を盛る人よりは、他者利用について倫理的葛藤を乗り越えていない。
ところで人体実験といえば華岡青洲である。野良犬での実験では人体に処方するに不十分であるから、母と妻が協力した。己の身で実験したかどうかは定かでは無いが、患者を実験台にするような研究手法では無かったようだ。
「自分」の範囲は社会によって異なる。青洲にとっては母や妻は「身内」だったのかもしれない。現代人であるかの少年は自分の体が自分だけのものと考えているであろう。「自分」を拡張すれば母妻に慎重に毒を盛るし、限定すれば軽々に自ら服毒する。
東大・北大両方でここ10年以内に教員をしていた増田による怪文書だ!
以下単に東大、北大と書いてある場合は東大農学部獣医学専修、北大獣医学部獣医学科を意味する。
やっぱり日本トップの大学である東大のネームバリューはすごい!
北大は旧帝大であることすら知られず一地方大学だと思われていることもある!
獣医界隈だけなら東大・北大は並び立つツートップという印象が強いが、もし企業就職を狙うなら東大のネームバリューはやはり強い!
「獣医学教育モデル・コア・カリキュラム」ってのがある!獣医系大学はこの科目についてこれを教えなければいけないと細かく決められたガイドラインだ!獣医系大学は(おそらく)どこもこれに従ってる!つまりどの大学でも最低限学べることは同じ!
ただしコアカリは大学のカリキュラム3分の2で、残り3分の1は各大学自由に決めていい。
北大はEAEVE認証(欧州の団体による「この大学は一定の獣医学教育水準を満たしている」という認証)を受けている!他にも国内に数大学あるが東大は含まれていない。
あと設備のところで述べるが、東大は産業動物分野の実習が貧弱!ちなみに北大は産業動物分野も普通に扱うというだけで、べつに伴侶動物(ペット)分野が貧弱な訳ではない。
北大は学部に加えて人獣共通感染症国際共同研究所(実質的に北大大学院獣医学院の一部)に教員がいるので、教員数が東大より多い!
あと留学生は北大の方が多い!東大大学院生60人中12人が留学生、北大大学院生52人中22人が留学生。(参考:https://www.hokudai.ac.jp/pr/3.R5_zaisekishasu.pdf・https://www.hokudai.ac.jp/admission/shihi_admissionR06.pdf)
学生活動の活発さ・まとまりの強さで言えば北大が強い!北大はSaSSOHという小規模国際シンポジウムを毎年開催しているが、これは大学院生が主体として運営している。
学生への支援は体感同程度!東大はSPRING GXというプロジェクトが走ってる。北大はOne Healthフロンティア卓越大学院プログラムってのが走ってる。どっちも学生への支援はある。
どこでも同じ!!東大・北大・その他国公立私立どれも変わらん!
去年の合格率は東大が二番手に15%以上の大差をつけてぶっちぎり最下位だったが(他大学も合格率が例年に比べ低い)、去年以外はどの大学も大差ない。(参考:https://www.maff.go.jp/j/press/syouan/tikusui/attach/pdf/230314-3.pdf)
あえていえば東大は獣医師免許が必要ない職(国家公務員など)に就く学生が多いからか若干合格率が低め。
私大は国試対策が手厚めだが、卒業試験の成績が悪いと卒業試験の再々試と国家試験を同日に実施することで、成績の悪い学生の国試受験を防止して合格率を高くしているところもある(再々試までいくことはめったにないと聞くが)。
構内に農場がないしもちろん大動物用の動物実験施設もない!ウシを触るためにわざわざ茨城の附属牧場まで行かなきゃいけない!獣医学教育の場なのに産業動物に触れる機会が圧倒的に少ないのはどうなのか。
BSL3実験施設もない!つまり北大では扱えるが東大では扱えない病原体がある!
北大には当然農場もBSL3施設もあるし、AAALAC認証(アメリカのNPOによる動物福祉に配慮した実験動物施設であることの認証)を受けた動物実験施設もある。あと人獣共通感染症国際共同研究所。
北大は「日本の獣医系大学で唯一・最初に○○をする!」というアクティブさが強い。東大は「他大学の多くがやりはじめたらやる」。
北大が日本の獣医系大学で唯一・最初のものはいくつもある。東大にあって他の獣医系大学にないものは残念ながら思いつかん。
これは増田の印象だが、東大獣医は農学部の一部、北大獣医は学部なのが大きいと思う。東大は農学部の一部なので予算も農学部内の他の専修と奪い合いになる。獣医学専修が「○○したい」と思っても農学部の許可を得なきゃいけないし、さらに学部内での優先度に左右される。北大は獣医だけで一学部をなしているので、「○○したい」と獣医学科が思ったらすぐ実行できる。
ホームページを見ると内容の充実さにいかに差があるか分かるぞ!
東大:http://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/
北大:https://www.vetmed.hokudai.ac.jp/
東大の現教員数50名、学科定員30名、学生一人あたり教員数1.7名!(参考:http://www.vm.a.u-tokyo.ac.jp/service.html)
北大の現教員数59名、学科定員40名、学生一人あたり教員数1.5名!(参考:https://www.vetmed.hokudai.ac.jp/research/detail/)
ただ北大は大学院に人獣共通感染症国際共同研究所があり、こちらに独自の教員が+25名いる。(東大には大学院独自施設はない)
知らん!
他の分野はどうか知らん。
北大の方が獣医学部内のまとまりが強い!学科内パーティー・飲み会・イベント、学科内サークルなどが北大の方が活発。東大は農学部の建物内のあちこちに獣医学科の研究室が散っているが、北大は獣医学部内に研究室がまとまっているのも結束の強さの原因だろう。
ずいぶん東大下げになってしまったが、ぶっちゃけ東大は獣医教員の中にすら「東大獣医とか潰したらどう?」と言う人が複数いるくらいだ!(増田ではない)
よく知らん!
岡山理大における増田と同分野の研究室の教員も学生も、獣医学会でも同分野オンリーの小規模学会でも見かけたことがない。どこで学会発表してるんだ?
性欲の一種である支配欲は、実は、男性ホルモンによって誘引される。
これは動物実験で確認されていて、今では科学界に認められた事実だ。
結果、実際に電車内での痴漢は100%が男性犯罪者によるものという統計になる。
マウンティング欲求、なんて言い方で一緒くたにされがちだけど。
男の支配欲と女の庇護欲は、仕組みの時点で全然異なる別の感情。
だから男の人の支配欲のように、他人を人格無視してモノ化・道具化する動機は女性には無い。
責任を持って庇護しようとする女の感情を、男の支配欲に置き換えて解釈するのは異性への理解放棄だ。
「かわいい問題」の指摘を受けて反省する女性の書いたエントリーは多い。
https://anond.hatelabo.jp/20230519002016
動物福祉関係者の意見を見ていると、競馬は他の動物産業に比べると動物に対する扱いが手厚いので意外と比較的好意的だったりする。
ただ、あくまで「比較的」に過ぎないので、動物実験や畜産が「地獄に堕ちろ」レベルだとしたら競馬は「死ね」レベルという程度で、もちろん基本的なスタンスとしては「競馬は動物虐待。さっさとやめろ」である。
かれらにとって動物虐待とは程度問題ではない。動物から搾取し、動物を害するすべての行為が絶対的な悪だ。
ヴィーガニズム、というとベジタリアンと同一視する人も多いが、こうしたいかなる形においても動物の利用を許されないとする立場を指す。
そういうわけなので、当然動物園にも反対するし、ペットを飼うことにも反対する。
いやいや、人間の管理下へ入ることが直ちに動物の不幸にはなんないでしょ? という人もいるかもしれない。
たしかに、人間の飼育下にいる動物はまともに飼われればだいたい野生より寿命は伸びる。餌も野生環境では考えられないほど質的にも量的にも安定して供給されるし、病気や怪我のときも治療してもらえる。天敵もいない。
しかし、室内で飼われるペットは多大なストレスに苛まされている。アメリカの一軒家レベルでも犬が本来ストレスフリーに動き回れる環境としては全然足りない。いわんや日本では(サラブレッドだけは飼育下でも広い原っぱで走り回れる例外的な存在だったりする)。
そもそも犬はちょっとヤバいレベルで遺伝子的にいじられている。耳や骨格が奇形レベルに変形した結果、その特有の病気を抱えている犬種も多い。
特にパグやフレンチブルドッグといった短頭種はすごい。頭がでかすぎるせいで出産時に母犬の産道を通れない。なので、出産時にはほぼ帝王切開になる。
人の手を借りないと出産すらできないわけ。そのへんはインブリードを繰り返した結果、ガラスの脚と喩えられるほど折れやすくなったサラブレッドとかもいっしょなんだけど。
ちなみに仮に人類が今すぐいなくなったら、パグみたいな犬種は滅んで、犬たちの多様性はどんどん先細っていき、交雑のすえに野犬やディンゴみたいな見た目に収束していくだろうと考えられているらしい。
つまり、なんだね、動物虐待といいだせば動物にまつわること全部虐待なわけ。
だから、矛盾を抱えているのは競馬関係者や競馬ファンだけじゃない。おれたちみんなそう。
ペット買ってなくても肉は食うだろう。
肉は食わない人でも化粧品は使うだろうし、病気にかかれば薬の世話になるだろう。
「医療費を払い続けるためには会社に居座り続ける必要がある」というインセンティブを病気の老人に与えてしまない方法が難しい。
極論を言えば「金輪際社会に利益を生み出すことがない、投資詐欺にすらなってない老人たちは切り捨てるのが資本主義的合理的判断」なのだが、それをやってしまうと今度はミクロ単位の老人たちの生存戦略によって社会の動脈硬化が加速して社会が死んでしまう。
死にかけの老人に対しての社会保障を圧縮しつつ、彼らが「より良い医療を受けるために重役として無意味に仕事をしているふりを繰り返してお金を稼ぎ続けよう」と考えないようにするための方法を考える必要がある。
理想を言えば、わざわざ生かしてやっている老人共から労働を搾り取っていきたいわけだが、死にかけのボケ始めた老人というのは全くもって使い物にならないので難しい。
判断力が落ちている上にプライドだけは高く責任能力もないので何かを決定する仕事にはつけられないし、単純労働をさせるには身体能力が劣化しすぎているし、頭脳労働なんてボケた頭で出来るはずもない。
治験のようなことをさせようにも、体が元々バグった人間が更にバグったとしてそれがプラシーボなのか単なる老化なのかの切り分けさえ個体ごとに千差万別となると社会が利益を得るレベルの動物実験に出来るかも怪しいものだ。
だが「死にかけの老人は殺す」という社会は「死にたくないから重要なポジションに居座る老人」を大量に作るわけだ。
誰か賢い人はもう思いついているんだろうか
よーわからんけど、BMI的な研究したいなら日本でも可能でしょ? (どうしても企業でやりたいってこと?)
まだ30くらいなら大学か大学院入り直して、最終的に論文一本でも書ければこの分野に功績残したことになるし、絶望するには早いと思うが
金の問題はしらんが
2年前に自殺未遂をした。
自称進学校から特に何も考えず明治大学法学部に進学。大学をそこそこ楽しみ総合電機メーカーに新卒で入社。学生時代からの彼女もいてそれなりに充実していた。
しかし、とあることがきっかけで関わりたい分野が見つかり転職を決意した。その分野を知るきっかけとなったアメリカの企業(電気自動車とTwitterで有名なアイツが設立した会社の一つ)の応募フォームを見たところ、「計算機工学、計算機科学、電子工学、脳神経科学、医学のいずれかの学位を取得していること」となっていた。その分野は動物実験に不寛容な日本では流行っておらず、大学で細々と研究されているのみでアメリカと中国に集中している。その企業以外の応募フォームを見ても全て「工学、科学(脳神経科学)、医学の学位又は脳神経外科医としての実績」とあり詰んだ。大学名より専攻重視のアメリカを実感した。勉強し直そうと思ったが、その時既に26歳で貯金もない。この先やりたい仕事には就けず、やりたくない仕事を続ける人生が続くことに嫌気がさし、衝動的に自殺に踏み切った。
結果としては親に見つかり失敗。数日間後に意識を取り戻した。助かって良かったという気持ちはあったが、これから頑張ろうという気持ちもなかったので仕事を辞めた。彼女とは自然消滅。足に鋭い痺れが残り歩くことができなくなった。
現在は公的扶助をもらいながら生活しているが、やりたくもない仕事を続けながら生きていても辛いだけだったので、結果オーライだった。