はてなキーワード: 聖人君主とは
長い事アニメオタクをやってきて、人生ではじめて三次元の俳優にドはまりした。2.5とかじゃなくて普通の俳優ね。
その推しが今、大炎上している。テレビでは何もやってないけど、ここ数か月ありとあらゆる芸能人の不祥事をSNSに上げまくっている某氏にリークされた。今度出馬するらしいね。
まあ、実際にやったやってないは別、もしやっていたならそれは悪い事だと思うので、とりあえず、オタクのお気持ち長文を。
二次元界隈も炎上がないわけじゃないけど、私の界隈は作品が古いこともあって(最盛期は2000年代じゃないかな?)、ほぼ炎上とは無縁の、幸せなオタク生活を送ってきた。それが突然、コレである。やっても意味ないと分かっていつつ、推しの名前で検索をかけて、バッシングツイートを山ほど見て、ちょっと泣いてから寝る。せっかくの睡眠タイムなんだからもっと幸せな気持ちで寝たらいいのに、検索をかけて自分から傷つきに行く癖があるんだなぁ……。私はもちろん一般人だから炎上なんてしたことないけど、推しがバッシングされているのを見てると、自分がバッシングされているような感覚になる。そこでやめておけばいいのにやめられない。
私個人としては、某氏がまったくの嘘を持ってくるとは考えにくいと思ってる。だとしたら事務所はもっとキビキビ動くだろうし、ターゲットが推しである必要もない。今をときめく人気俳優はもっといるので。ただ、裁判欠席事務所ダンマリ、再来週からの新作ドラマのツイッターアカウントがコメ欄を閉じてるのは「そういうこと」なんだろうなぁと。
私は何も聖人君主であれと思ってない。誰だって、いい面悪い面がある。性格が悪い噂のある芸能人とかたくさんいるしね。けど、犯罪は別じゃない? これは犯罪、って、分かるよね。
今この状況ではっきり「○○が好き」と声を大にして言えないのがとても辛い。犯罪がダメなのは分かってるけど、彼を応援する気持ちとの両立ができない。今応援したら犯罪を擁護しているような気がしてしまって。実際はそんなことないんだろうけど。
そして、推しだけ見ていればいいものを、私はまた余計な部分に注目してしまう。
某氏を応援しているアカウントは星の数ほどあるが、そのどれもが、「応援していた芸能人が某氏にリークされた」という気配が感じられないこと。とりあえず叩けそうなものは叩こう、面白そうな炎上があれば見てみよう、そんな気持ちしか感じられなかった。結局、野次馬根性で、楽しくて叩いているのだろうと感じた。推しをリークした某氏よりもはるかに、彼らへの怒りの方が強かったかもしれない。普段は推しのことなんて見向きもしないくせに。
映画ファンコミュニティuni cinemaの代表が、四年前に彼女に性加害をしていたらしい。
https://twitter.com/kaiheijp/status/1515009464427945984?s=20&t=Mt7Wa0_-Ik84CEPPkxdFFw
この代表は最近「映画界の性加害に反対!」とはっきり意思表示してるらしく、
「どの口が言っているんだ?」と元カノがキレた形になっている、と。
あー、これは相当恨みを買ってたんだろうなーってのが感想。
で、問題はそっちじゃなくて。
「四年前にあんなことしておいて、どのつら下げて性加害反対とか言ってんの!?」って主張において、
私はこの「四年前」って時期がキーになっていると思うんです。
四年前って、今ほどネットにフェミニズムが広まってない時代でしょ。
フェミニズムがドッと流れてきたのって、この3-4年だと思う。
(「フェミニズムという学問はずっと前から存在していて、フェミニストの人たちはそれより前からずっと頑張ってきたんです!」
って主張はもちろんわかってます。でも実際にネットでその言葉が市民権を得たのは3-4年のはず。はあちゅうのmetooとか四年前くらいじゃない?)
だから、まだフェミニズムがインストールされていない時代において、この代表の男は本当にクソだったのかも。
当たり前に男尊女卑するし、パワハラしてたから、もうそもそも加害意識がなく無自覚に加害してた可能性もある。
そいつが今になって聖人君主のように「映画界から性加害を無くそう!」って言ってるのが巨大ブーメラン、
って話だと思うけど、
でも、この四年間でさ、私たちはフェミニズムを知ったじゃん。過渡期じゃん。
それでアップデートされたから、「性加害良くない!」って、この代表は言えるようになったんじゃないの。
「四年前はひどかった。でもいろんな知識を得て、今、アップデートされた。」
こういう男、これからたくさん出てくるんじゃないのかな。
アップデートされて、変わろうとする男たち。
でも、この代表みたいに「お前、四年前あんなことやってただろ」で出鼻くじかれたらさ、
もうこれ、男は詰んでるんじゃないすかね?
この代表が、「加害するのやめようー!」と言う前に被害者に謝罪してたらOKになってたのかしら?
そうすると今度は、加害者が謝罪すること、償うことは、加害者自身のためにやってることだから、救済の余地ナシ、みたいな話になりません?
聖人君主みたいに「これまで加害歴が一切ない男」だけが「加害するのやめようー!」って言える世の中であれ。ってことですかね。
やっぱり、男は「変わろうとすること」すら許されていない気がする。
DaiGoを擁護するわけじゃないけど、普通のサラリーマンはこういう気持ちあるよね?
大半がセーフティネットがなんとか言ってて確かに自分がお世話になる可能性はあるよ
ただそれとは別にタイトルみたいなことを思うのは普通じゃないかな
だって朝から晩まで働いて手取り20万ない人からしたら年金取ってるやつムカつくでしょ
聖人君主みたいなコメント多くて違和感感じてこれ書いてるけど同意してくれるよね?
DaiGoを擁護するわけじゃないけど、普通のサラリーマンはこういう気持ちあるよね?
大半がセーフティネットがなんとか言ってて確かに自分がお世話になる可能性はあるよ
ただそれとは別にタイトルみたいなことを思うのは普通じゃないかな
だって朝から晩まで働いて手取り20万ない人からしたら生活保護取ってるやつムカつくでしょ
聖人君主みたいなコメント多くて違和感感じてこれ書いてるけど同意してくれるよね?
もちろんムカつくからと言って生活保護廃止しろって話じゃないよ
ただそれとは別になんかムカつくし嫌だなって思うのは人間なんだからしょうがないよって言いたい
【追記】
恩恵がでかいとかじゃなくて働かなくて生活してる人ムカつくよねって話を書いたんだけど
【追記2】
殺人ゲームが許されるのに、軽犯罪レベルの痴漢的ゲームが許されないわけ無いだろ。という意見が大半のようだが、
実は両者には大きな違いがある。
日本人にとって、殺人はリアリティがない。人口10万人当たりの殺人発生率が0.3人以下の日本では、
殺人とは非日常であり、現実感が無いからこそゲームとして楽しめるのである。
一方、軽犯罪レベルの痴漢的行為は、人口10万人当たり2千人程度が現行犯もしくは未遂で糾弾されるほど
メジャーな犯罪行為である。実行したかどうかはさておき、舐めてみたいと考えたことのある男子は非常に多いうえに、
自分の縦笛が舐められたかもしれないと不安に感じた女子も少なくない。
おおむね、ポリコレ的にアウトとかポリコレ的にセーフみたいな話をするときには、その定義の範囲を正確に捉えた方が良いと思う。
元増田が例示しているムスリムの例は大変示唆に富んでいて、「宗教的正しさ」を理由にした運動だったら、たぶんもう少し考える人が増えると思う。
ここでは「BLはポリコレ的にアウトなのは事実」というのが、明らかでは無いと説明してみる。
「宗教的な正しさ」とすると、アウトかセーフかは宗教ごとの教義によるだろう。
「自民党的な正しさ」とすると、(自民党の言う)日本の伝統的な家族観からはアウトかもしれない。
「民主主義の政治的な正しさ」とすると、多様性の観点からはむしろセーフとして守られるべき対象かもしれない。
「(いまTwitterで話題になっている)ポリコレ」とすると、自分はアウトだと思うが、全員が同意するかは疑問だ。
何言ってんだ?と思うかもしれないが、いま「ポリコレ」とは「ある差別が存在したとして、それを追認もしくは強化、一方的な見方を助長するときには、積極的に止めるべきだ」という運動だと定義できるからだ。これがポリコレ棒などと揶揄される運動だ。
(いまの「ポリコレ」は、政治的に正しい言葉を、公文書を作成する際に使うべきだ、政治家が発言する際には利用すべきだ、という運動では無い)
民主主義の正しさが世界を覆いつくすのが、本当に正しいのかは、大いに疑問が残る。
例えばこれが「ある宗教にとっての正しさ」を広げる運動であれば、かなりの人が眉に唾を付けて、そのうえで取捨選択するはずだ。
いまの「ポリコレ」は「ある文化圏にとっての正しさ」を立ち止まることなく広げ続けているように見える。これは大変怖いことだ。
はてブ受けする人物で言うならアラン・チューリングは、当時彼が所属する法治国家で違法とされている行為で逮捕されている。
そう、同性愛だ。少なくとも1952年のイギリスでは、同性愛は違法だった。
違法なのだから、それは(当時のイギリスの)政治的には正しくない行為だ。
いや、例えば今まさに黒人が迫害され、白人と同じことをしているだけで突然射殺されるのは間違っているだろう!と思うかもしれない。
自分もそう思う。
もちろん軽重は違うだろうが、日本の技能実習生は問題だと思うし、サウジアラビアで同性愛が違法とされている現状も個人的には痛ましいと思う。
「人種や肌の色によって差別することを許容しない」とするなら、
同じように「BLを正しくない表現方法」とすべきだ、とするのは、とても乱暴で、あいまいな境界をもとに表現規制を行っていると思う。
少し話題が逸れるが、個人的には「表現は規制されるべきだ」という認識を持っている。
「表現規制があった方が良い」と「表現規制は無い方が良い」という話のときにスッポリ抜け落ちがちな視点として、表現は普通に規制されているという点がある。
例えば、マッツ・ミケルセンの出ていたドラマのハンニバルといえば良いだろうか。アートの観点から、美しい肉体を持つ人間を殺して紐で括り付けて芸術作品に仕上げる、というのは一般的には許容されないし、日本で発覚すれば普通に犯罪だろう。そういった表現方法は規制されている。
きっと美しいだろうからと金閣寺に火を放っても捕まるだろうし、神々しいまでに美しいと言ったところで男子小学生のヌードを撮影すれば犯罪だろう。既にしてある種の表現は規制されている。
当たり前だろうと思うなかれ、同性愛が普通に犯罪だった国は多いし、現在進行形で違法の国もまだある。
(自分の息子の上半身裸の写真撮影が規制されるべきかどうか、日本において自明ではないだろう)
だから、思想は自由だとしても、それを表に出す、現実世界に影響を及ぼす際の表現方法は規制されて当然だ。
ただし、どこまで何を根拠に規制されるかは、その時々の社会情勢によって影響を受ける。
(だから規制して欲しい派がロビー活動を行うのも正しいし、規制して欲しくない派がロビー活動を行うのも正しいだろう)
義を見てせざるは勇無きなり。
だから、自分の信じる正義のために活動することは、(その当人にとっては)正しいことだ。
自分の信じる正義が、たまたまTwitter上のポリコレ運動と一致しているなら、それをもとに活動することもまた、(その当人にとって)正しい。
ただ、その「Twitter上のポリコレ」が人類普遍の正しさかどうかは、一度立ち止まる必要があると思う。
「ポリコレ」としか呼びようのない運動について共感したとしても
「政治的に正しい」振る舞いが、どの国のどの政治なのかは意識すべき時期が来ていると思う。
無自覚に「これは正しいことだ!」とすると、まったく同じ理路で突然自分が否定されることもまたあり得る。
(別に矛盾のない聖人君主だけが住まう国でもないので、あちらとこちらで一貫性がなくてもまた人間的だとは思うが、どこかで折り合いはつけるべきだとは思う)
そして同じように、みそもくそも大雑把にくくったうえで、「だからコレはクソだ」として無視するのもまた、誤っていると思う。
純粋に善意で、自分の規範を教えなくては!という熱意を持った人はわりと自分の周囲にも多い。
そういう時、(相手が話を聞いてくれるときには)「その”正しさ”を、”正義”に置き換えても、まだ薦められる?」と聞くことにしている。
「ポリコレ的にアウト」ではなく、「自分の信じる正義に則ってアウト」と言えるかどうかが、たぶんアクションに起こせることだ。
もしくはもっと広く「日本国民が信じるだろう正義に則ってアウト」でも「民主主義の正義に則ってアウト」でも良い。
だから、元増田はひねくれているとは個人的には思うけれども、「自分の信じる正義としてBLはセーフ」「Twitterで言われるポリコレ的にアウトというのは、自分の信じる正義とは違う」と言い切って良いと思う。
私は「自分の信じる正義に則ってアウト」という言葉を「ポリコレ的にアウト」と言い換える途中にゴッソリと抜け落ちた部分が怖い。
「(自分の信じる正義であり、世界不変の正義でもある)ポリコレ的にアウト」と考えているとすると、とても怖い。
その世界には、自分のようなマイノリティの席はお情けで確保されているにすぎないと思っているからだ。
ぜひ、自分の信じる正義が、どの世界やどの政治体制の正義と同じだと思っているか、自問して欲しい。
そして、もし違う正義を信じる者がいたとして、彼ら彼女らにどう接するべきか、自問して欲しい。