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はてなキーワード: 避難とは

2017-11-18

anond:20171118190644

そこまでわかってくれているなら話は早い。

言いたいことを代わりに言ってくれてありがとう

要するに、結婚して子供を作ってそれでいて働くということはそういう「自ら握りつぶされに行く層」にしかならないということを言いたいの。

そもそもとして結婚をしなくても法的・社会的立場を認められたり、従来の価値観ではない子育て方法をしていても避難されないようにならないと、到底子供を産んで育てようなんてモチベーションは生まれてこないと言いたいの。

いい加減結婚子育て(と、夫婦円満アピール)をワンセットにするのやめてもらえねえかな。

2017-11-17

anond:20171117215803

うーん、政策がうまくないというのは同意。ただ君が政府避難するなら君が政府に入って中から変えるべきではないかな?

あるいは別の仕組みを作るでも良い。

2017-11-15

anond:20171115185507

一生懸命勉強して資格を取ったりスキルをアップする。

他人会社で働くよりも、自分会社を作って好きに働いた方が人生幸せだと思うよ?

 

自分1人ならいいよ勝手関東に住み続けて癌になって苦しめばいいさ。

子供はなんでおまえに苦しめられなきゃいけないんだ?

お父さんは仕事あるからおまえら子供には癌になって苦しんで死んでもらう。なんて事が許されるわけないだろがこのバカども。

てめえが苦労したくないか子供には犠牲になってもらう。人間以外のもっと下等な動物だってそんな事しねえぞ。

住宅ローンで損しない事のほうが子供健康より重要なんだよなこの守銭奴

もう遅いけどな。おまえらみんなもう鬼畜の業を行なってしまってるんだよ。

2017-11-14

anond:20171114160837

失敗のない人生を送っているものけが陰キャを避難しろ

そうでないなら黙ってろ

2017-11-10

anond:20171109193649

うちの犬は、一番は母に懐いてたけど、

犬を洗うのは100%私の役目

犬は風呂に連れて行くと全身激しく震えだすくらいの風呂嫌い

洗った後はヒステリーで部屋をかけずりまわっていた

それでもめちゃ懐いてくれたし、

雷雨も怖がってて、そういう夜はなぜか必ず私の部屋に避難してきてた

普段絶対登れない急な階段の2階の部屋なのに…(そのため降りることができない)

厭な物担当?みたいになってたのだろうか

嫌われる行為と全体の2割くらいの散歩をしていたけど、ちゃんと愛情は伝わっていたと思うのです

それより姉、すごいキャラだしそんな何匹も飼えるご家庭すごいすね

2017-11-05

トランプが来た

もし北朝鮮がほんとに核開発完了していて、

もしほんとに日本に打ち込む気があるのなら、

トランプ来日した今が絶好の機会のはずなんだけど、

みんなそれに対する危機感ってゼロだよね。

地方避難する人で高速道路が大渋滞してもいいぐらいだと思うんだけど。

2017-11-04

かつて大惨事のあった公園

こないだ両国にある横網町公園に行った。無料で入れる普通公園なんだけど、たまたま入って見たらなんだか石垣の立派なお城のような建物が建っていて、花が供えてあったりして慰霊してる雰囲気説明書きの看板もあったけどスマホ検索したらなかなか凄かった。

横網町公園 - Wikipedia

公園は元々陸軍被服廠があったところであったが1922年赤羽現在東京都北区)に移転し、東京市(当時)が買収し公園として整備したものである工事1923年7月から始まったが、その最中9月1日関東大震災がおきた。直後、周辺の下町一帯から多くの人が、この造成中の公園を絶好の避難場所とみなして集まったが、16時ごろ、地震で発生した火災による熱風が人々を襲った。避難の際に持ち出した家財道具に火が移り、さらに巨大な火災旋風が発生、人はおろか荷物や馬車までも巻き上げ、炎の中に飲み込んでいった。結果、横網町公園避難した人だけで38,000人が犠牲になったという。震災後、その38,000人の遺体はその場で火葬され、3メートルの高さになるほどの大量の遺骨はその場に急遽作られた仮設の慰霊堂に収容された。


火災旋風で38,000人が犠牲に」って想像を絶するけど、東日本大震災の死者が確か2万人くらいと思うと凄い事件だなと思って。(今調べると東日本大震災は死者16,000人弱の行方不明者が約2,500人だった)

関東大震災で習った事って「大きな被害」「朝鮮人井戸に毒を放り込んだというデマで殺された」くらいな気がする。東京の人はもっと詳しく習ってるのかな。

関東大震災Wikipediaを見てみたらこ火災旋風のことは直接書いてないみたい。公園に建ってた慰霊堂のことがちょっと載ってるけど。

一見長閑な公園でかつてこんな大惨事が起きていたなんてと、なんか不思議な気分だった。調べたり看板を読んだりしなかったら何も知らないままだったわけで。また東日本大震災の話になっちゃうけど、「ここから下には家を建てるな」って立て札があってそれを守ってた村?町?は被害が無かったとかいう話とかさ、奇跡の一本松を残すだの残さないだのの話とかさ、語り継いでいかないと記憶って無くなっちゃものなんだなって。

横網町公園検索すると「心霊スポット」と出てくるから少しは知られた話なのかもしれないけど。(あと今年の7月殺人事件起きてる)


(追記)

ブコメ見てURL最後スラッシュ消してWikipediaちゃんと読み直してたら関東大震災のページに横網町公園火災旋風のことしっかり記述してあった…長いんで読み飛ばしてた…

やっぱり地元の人はちゃんと教わってることとか、神奈川の「どやぁ」とか知れて面白かったので書いて良かったです。

2017-11-03

絶縁していた親から電話に出た話

離婚して2年。

この2年間、両親とは絶縁状態だった。

両親とは元々性格価値観が合わず、私の人格形成に大きく影を落とした元凶だ。

離婚する時、こんな時だけ親を頼るのもという葛藤の末、自分の命と精神をまずは守ろうと思い実家へ少しの間避難させてほしいとお願いした。

「いいよ」みたいな軽い返事で拍子抜けしたが、迎えに来た父親

「◯◯君(元夫)がそんなことするとは思えないしどうせお前が悪いに決まっている。お前を引き取ったら夫実家へ示しがつかない。お前はうちに来るな」

と言い出し帰っていった。

その後私は自力で別居のための家を借り、生活のため転職し、離婚した。

家を出た後しばらくは両親から毎日鬼のような回数の電話がかかってきた。

メールも思い出したくないくらい来た。

何もない部屋でスマホの電源を切って一人静かに寝た。

ようやく安心して寝れるようになった。

やっぱり信じられるのは自分しかないと確信した。

友達もだいぶふるいにかけられた。

しばらく経ってから、「あの時は悪かった。悪気はなかったんだ」というメールが両親から届くようになった。

全て無視した。

「一度話がしたい」と言われても特に話すこともないので無視し続けた。

何事もなかったかのように近況を伝えてくる母のメールが怖かった。

「お父さんのことをどうしても止められなくて…」と自分悪くないアピールする母にも心底むかついていた。

親子の縁を切る方法ネットで調べまくった。

メール電話をなぜ着信拒否しなかったかというと、変に警察沙汰にされても面倒だったからだ。

私は今の住所を親族の誰にも伝えてない。

この家が見つかったら、私の安寧が壊れてしまう。

だが私の精神状態は安寧とはいかなかった。

両親を許さな自分を責めたり、または両親と絶縁状態にあることが足枷のように感じた。

社会人であると「正月はご実家に?」とか「ご両親は…」みたいな悪意無き挨拶がマサカリのように頻繁に飛んでくる。

その度に言葉を濁し、嘘をつき、心は沈んでいった。

離婚たことに加えて両親と絶縁状態だなんて、なかなか受け入れてもらえる話ではないし変な親孝行推奨説教みたいなものも聞きたくなかった。

でもこのことは私の、自分自身への自信を確実にすり減らしていった。

自己肯定感を失うと何もかもがうまくいかない。

体重も10kg近く増え、2年間の間に2回転職美容ファッション自分自身への興味は薄れ、不眠と鬱で大量の薬を飲む日々だった。

変化があったのは今の会社入社してから

この会社他人否定する人がいない。

腹の底では何を思ってるかわからないが、少なくとも表には絶対に出さない。

「あの人はああいうところがすごいですよね」という会話が多かった。

最初は上っ面だけで仲間意識が強いやつかと警戒していたが、皆本当に悪意がないと分かった時、自分発言ネガイブすぎて心底反省した。この2年間で誰かを信用すること、尊敬すること、助け合うことを忘れてしまっていた。他人と話し合い価値観の違いも受け入れ、それでも共存していくことの大切さを改めて実感した。

心が少し柔らかくなったような気がした。

そして昨日、父親から電話があった。

3秒ほど悩んだ末に電話に出た。

「元気か?」

最近物騒な事件があるから気をつけて欲しい」

「もう干渉はしない。絶対にしない。だから一度顔を出してくれ」

という内容だった。

所々、嗚咽のようなものが混ざっていた。

私はとりあえず「はい、わかりました」と言って電話を切った。

切りぎわ、「電話に出てくれてありがとうありがとうな…」と聞こえた。

父親干渉しないという言葉は正直なところ全く信用していない。干渉されたくもないけど勝手に悪い者扱いされた怨みは忘れない。会いに行くのも正直嫌だし、これを期にまた鬼電されるのではと怯えてるところもある。

ただほんの少し、自分への自信が回復したのを感じた。

私は両親とはあまり仲良くない、それでもいいのかなと少し思った。

幼少の頃から「味方が欲しい」とずっと思ってきた。それは今でも変わらないけど、またいつか味方になってくれる人に会えるような気がしている。

親に関してはこのまま会わない方がよい気もしているのでゆっくり考える。

この2年間、本当に疲れてしまって、でも少しだけ休憩できそうな感じがしている。

私は自分の力で手に入れたこの安寧の場所で、もう少し充電したいんだ。

2017-11-01

anond:20171101161439

概ね同感。

自身自分古典的自由主義者リベラル)だと思っているけど、日本では教条主義的な人たちがリベラルと呼ばれたり自称したりしていて、かなわん。 (まあ、日本だけじゃないのかもしれないけれど)

今では古典的自由主義者(classical liberals)は、むしろリバタリアン寄りに避難しているのかもなぁ。(僕もそっち寄りの傾向)

あと、重箱のスミで申し訳ないんだけど、リベラリストって語はどうなの? Liberalist???

リベラルでいいじゃん。

2017-10-30

電車内にマスク無しでゴホゴホ咳をする人がいたので

隣の車両避難したらそこにも咳をする人がいて地獄

2017-10-29

一度くらい、自治体避難しても…

なんてね。不謹慎な事考えちゃった

2017-10-27

anond:20171027185157

マネージャーも大変だろうと思う。お疲れ様

でもこの他責の裏には、「目の前の人を責めないでおこう」という心理があるんじゃないかと思うんだよね。

人間イラッとしたら咄嗟には目の前にいる人間に対して怒りをぶつけそうになる。

でも理性ある人はそこで押し留まる。いやいや、これでは八つ当たりだ、と。目の前の相手は悪くないんだと。

それに直接の知り合いと揉めるのは色々な意味で賢いふるまいではないし。

じゃあ抑え込んだ感情はどうするか? 自分に向かってしまい、自責の念鬱状態になる人も居るだろう。

ネットパブリックエネミーを見つけてぶっ叩きまくりストレス発散する人も居るだろう。

或いは、聖人の如くよくできた人であれば、具体的な対象に向けて怒りを発散することなく、別な方法で解消してしまうかもしれない。

そういった「怒りの避難先」の一つとして、目の前にいない上司とか、政治とか、社会というのがあるのだと思う。

2017-10-26

自己保身とニコニコ笑って見捨てる能力さえあれば。

漬け込まれなかったのかなぁ。

しろ、お人好しになったが、こうすればうまく行くというアドバイスをして、逆恨みされて、

お前がアドバイスとかせずににこにこしてればうまくいくのにと周りに避難された。

まあ、アドバイスを聞かない愚痴悪口となって、悪口を嫌がられたというのが正解だね。

わい、悪口野郎、いえーい。

結果的に、周りみんなの信頼を失ってる。仲間となって手伝ってくれる人はこの土地はいないのはわかる。

いたとしてもあのクソガキと仲良くするというのが前提だが、

商売知識センスも全くないのに、自分が勝ちたい、かつためには迷惑かかろうが何でもするというホンマに最低の絶対関わりたくない人間

ということで、関わりたくないから、仲間はいないし、この土地では仲間はできないということには代わりはない。

そもそも、こんな能力の分を超えたような起業をするなんてとんでもない、というのはそうかもな。

一人で大学研究としてあと5年ぐらい続けられたらいいのに。

2017-10-22

死ななきゃいけない気持ちに振り回されていた僕のお話

内面の整理のために吐き出しています、その関係上乱文になってると思います

僕の中学時代地獄だった。

間違いなくあそこに地獄があった。

少なくともあの時の僕にとっては地獄だった。

虐められた、とても虐められた。誰も味方がいなかった。

虐められるターゲットだった。友人は居なかった。一人だった。

家の中にも安らぎはなかった。家もまた気を張る場所であった。信頼ならない場所であった。

母は精神障害者だった。弟は知的障害として小学校の時分から養護学級の者として生きていた。父はそんな二人の世話に明け暮れていた。

とても頼ることなど出来なかった。

学校では「死ね」「キモイ」そんな言葉がずっと浴びせかけられていた。常に居場所がなく、昼休みは別の校舎の廊下音楽室の陰といったひと気のない場所避難する時間であった。

とても辛かった。そんな場所だった。

部活小学校の時にサッカーが好きだという理由サッカー部に入った。大失敗だった。

部活にも勿論居場所はなかった。選ぶ場所を間違えた。

部活中にも時折、野球部の方からボールが飛んできて僕に当たっていた。たぶん、ぶつけられていたのだと思う。頭に何度も当たっていた。とても辛かった。

中学校1年の2学期から休みがちになった。1学期でも体調を崩しがちであったが、休むために休んでいたのはこの頃だったように思う。

とても行くことが嫌だった。そんな風に休むものから勉強も遅れがちになった。宿題が溜まったのもより行きづらさに拍車をかけた。

英語がついていけなくなった。

家は貧しかった。貧しいが故に常識も知らなかった。小学校宿泊研修で初めてリンス存在を知る程度には貧しかった。

とても閉じていた。服もなく、娯楽を知らず小学校夏休みの絵日記に苦労していた、そんな記憶が残っている。

旅行に行く人達を羨ましく思いながら、隣町の祖父母の家に行く位が一番の遠出だった。

どんどん私は中学校に行けなくなっていた。田舎中学校故だろうか、治安もよくない学校であったのも一因だったとは思う。

通学の自転車指定自転車だったが、指定の物ではないものを買い与えられ、そのことがまた虐めの原因にもなっていた。

通学することが苦痛だった。

家の中では良い子でなければ、迷惑をかけないようにしなければならず、学校には居場所がなく、そんな状況が続いていた。

中学1年の三学期にはほとんどいけなくなっていた。ひたすら虐めの恐怖に怯えていた。布団の中でまるまって何故虐められるのか分からず、相談できる相手もいない、一人で苦しみ続けていた。

家の外に出るのが怖くなっていった。休んだことを揶揄されることもまた恐怖だった。ひたすらに家の中で時間を過ぎ去るのを願っていた。夜になってようやく少しだけ外に出られるような有様であった。

中学2年には全く通うことができなくなっていた。申し訳ないと感じつつも動くことができなかった。昼に父が職場から帰ってきてお昼の支度をしてくれる時間が僅かばかりの気晴らしといった毎日であった。

中学3年のころには少しだけ保健室登校のようなことをしていた。それでもほとんど休んでいた。勉強についていけなくなっていた。将来の恐怖に押しつぶされていった。

受験があった。とてもできず、また遠方へ通えるような財力はなかった。地元の県立高校に進学した。

高校に入った。周りは大人になっていたからか、虐められることはなかった。だが、僕自身人間不信になっていた。やはり一人だった。

そして、とても落ち着かなくなっていた。

授業中に突然笑いだすようなこともあった。エア友達脳内会話して笑いがこぼれていた結果だった。

ギャップを感じていった。普通が分からなくなっていった。休むようになっていった。精神科へ通うことを勧められた。ここで初めて通うようになった。

月イチでの通院の日々だった。それでも行けないことには代わりはなかった。

出席日数が足りなくなっていった。補修を受けるようになっていた。補修にも行けなくなった。単位を落としてしまった。通わなくなった。

単位複数落ちてから、一つだったら頑張ればなんとかしてあげれたと言われた。もう遅かった。手遅れだった。

留年するか転校するか退学するかの選択肢となった。金銭上、転校することは出来なかった。そのまま退学することになった。

高校に入ってからしばらくしてから与えられた携帯ネット依存するようになっていった。

普通じゃなくなっていく苦しみを誤魔化していた。なんとか逃れようとしていた。

ネットに居場所を求めるようになっていった。その間は少しだけ救われていた。

現実は苦しかった。

将来への絶望は消えなかった。

父母弟の介護をしつつ、田舎から出られず永久にそのまま終わるようにしか思えなかった。

ネットへの依存は加速していった。

17になった。心を誤魔化すためのゲームで繋がりができていた。オフ会に参加することになった。

オフ会に参加するのが唯一の遠出だったと思う。

隣の県まで電車で行った、少しだけその時は救われていた。

18になった。早く頑張らなければ、何かしなければという焦りと苦しみがちりちりと焦がしていたが見ないようにしてゲームに没頭していた。

19になった。オフ会で会った友人たちが大学生になっていった。僕は一人取り残されていった。

また一人になった。

一人の時間が長くなった。その分だけ余計に焦りと苦しみが増していった。向きあおうとして、オフ会の友人との繋がりを控えた。

より苦しくなっていった。薬に甘えないようにせねばと思ってあまり通院してなかった時期でもあった。

夜に原付飛ばしてみたり、自分なりの反抗をしていた。それでも苦しさは消えなかった。

夏の終わり、自殺を図ろうとした。海の近い町だった。このまま砂浜から海に入っていけば泳げない自分死ぬのではないかと感じていた。

服が海水を吸って重くなっていった。明確に死の恐怖を感じた。このまま自分が死んでいなくなる恐怖だった。この世から消え去りたくないと感じた。

砂浜へ引き返した。びしょ濡れのまま、一人家に帰った。自殺しようとしたなんて打ち明けることなど出来なかった。

死ななきゃいけないという感情はそれでも消えなかった。僕は考えを捻じれさせていった。

死ななきゃいけないなら、自分自身死ぬことを納得できる人間になろうとすればいいじゃないかと考えるようになっていった。

当時のニュースの影響もあって、大量殺人者に憧れるようになっていった。ああすれば死ねる!と。

30になったら行おうと思っていた。そこまでの命ならと思って、散財するようにもなっていった。

課金ゲームにハマっていった。諫められても、助けてくれなかった親への恨みから正当化していった。

深みにはまってどんどん続けていた。

20になった。成人式を迎えた。流石に焦りを迎えた。

バイト探しをするようになっていった。田舎から求人は貴重だった。

毎度のごとく落ちていった。

21になった。レンタルショップバイトに受かった。バイト代はすべて課金ゲームにつぎ込んでいった。

22になった。僕はバイトのままだった。世間就職にまた焦っていった。

23になった。友人の誘いで地元原発作業員になった。入ってウキウキ気持ち原発への嫌悪感がごちゃ混ぜになっていた。

半年で辞めてしまった。よりヤケになっていった。クレカ借金を作れば自分死ぬことに納得いくだろうと破滅的な行動が増えていった。

24になった。転職サイトで中途で入社した。ネット販売員だった。営業だった。件数全然取れなかった。頑張っても取れなかった。

頑張ることの意味が分からなくなっていった。努力しなくなっていった。ネットへの依存は深まっていった。

グループ内で転籍させられた。借金は増えていった。死にたくてたまらなかった。

25になった。課金ゲーで出会った友人に職に誘われた。僕は後先考えずに飛びついた。殴られるような営業から逃げられると思った。

転職先は良いところだったが付いていけなかった。そのころにはもう考えてもストレス意識が飛ぶようになっていた。

転職先を辞めてしまった。

無職になった。生活保護を受けるようになった。治療を受けても、あまり合わなかった。借金は残ったままだった。

四か月経ち、今日バイトを始めた。あまりのおぼつかなさに愕然とした。

死ななきゃいけない声が聞こえていた。今までは、周りを批判的に見たり、自分の実力を弱く見せたりして補助を貰おうとして誤魔化していた部分も遂に終わりを迎えた。

虐められていたときに亡くなった祖父母へのお別れの気持ちも1週間ほど前に整理がついた。

中学のころからの死ななきゃいけないを外すときが来た。そんな風に思えた。

借金は今、自己破産手続きが進んでいる。

2017-10-19

anond:20171019203916

政界に限らず病気で辞める人ってたくさんいると思うんだが

「病型を理由に辞めたって」その病の他の人を避難してるわけでは無いと思うの。

安倍さん下痢政権を放り出した」

がその他の難病の方への差別になるとは文章読解上もありえないと思うが。

肩に避難中の女性2人、後続トレーラーにはねられ死亡

http://www.asahi.com/articles/ASKBM32C0KBMPPZB001.html

https://www.google.co.jp/maps/@35.0615056,133.8673043,3a,75y,153.35h,65.53t/data=!3m7!1e1!3m5!1s_lcxvpnRw5i2NVgH5fT3eg!2e0!6s%2F%2Fgeo0.ggpht.com%2Fcbk%3Fpanoid%3D_lcxvpnRw5i2NVgH5fT3eg%26output%3Dthumbnail%26cb_client%3Dmaps_sv.tactile.gps%26thumb%3D2%26w%3D203%26h%3D100%26yaw%3D357.37918%26pitch%3D0%26thumbfov%3D100!7i13312!8i6656

まあタイヤ車道に何故か放置されているのが事故原因とは言え中央分離帯もまともにない道なんだな

2017-10-18

anond:20171017230422

長屋を薄い壁でしきった

薄い壁で仕切ったのが長屋じゃないのかと思って検索した。

http://www1.odn.ne.jp/knisizawa/nagaya.htm

長屋共同住宅の違い

どちらも複数独立した住戸が集合して全体で一棟の建物になっている建築物です。

共同住宅は二以上住戸が階段廊下ホールエレベーター等を共有しているものです。

建築基準法上は特殊建築物に入るため、窓先空地などの敷地避難通路避難器具の設置、主要出入

口の位置、その他自動火災警報機などの設備関係と数多くの規制を受けます

長屋は各住戸と住戸の間の界壁以外共有する部分がなく、各住戸に外部から直接出入り出来るものです。

戸建住宅と違うのは界壁の構造共同住宅も同様)が告示によって定められています



共同住宅マンションと呼ぶのは日本だけと聞いたことが有るが、

アパートアパートメントと呼ぶと「マンションです」って怒られるから言わないけど、

区切られた住居と言う意味アパートは正しいと思うんだけどね。

古い時代アパートと言うイメージが有ってダメなんだろうね。

ワンルームマンション、何だそれって思っても、マンションですねと言わなきゃいけない。

こんなとこからも、正しい呼称がどっか行っちゃってるって、思ってしまうよね。

2017-10-12

[]10月11日

○朝食:なし

○昼食:助六寿司

○夕食:ご飯、納豆(二つ)、生卵減塩野菜たっぷり味噌汁フリーズドライ)、大根水菜サラダ水菜って野菜の中で一番美味しいな、大根は二番目に美味しいから、このサラダはよく食べよう)

○間食:アーモンドカルピス

調子

はややー。

仕事適当にそれなりにこなした。

来週の木曜日から東京に一週間出張なので、体調を崩さないように頑張るぞいや。

360

デッドライジング2

6月だか7月だかでプレイを中断していたのを、昨日の次にプレイするゲームアンケートでなんと最も票を獲得したので、プレイを再開しました。

ゾンビがアホみたいにウヨウヨしているフィールドで様々なアイテムを使って自由ゾンビを殺しまくる系ゲーム

1と、2の前日談になるCASE:0から続けてのプレイ

(ちなみに、2の後日談CASE:WEST、続編の3、続編の4とあと三本も積んでいる)

さすがにストーリーの筋を忘れているので、最初からプレイ

1とCASE:0のあらすじは自分日記を読み返すことで把握した。(2017年6月あたり)

ストーリーは、CASE:0のあとフォーチュンシティーでゾンビ虐殺ショーに参加して日銭を稼いでいたチャック。

しかし、そのゾンビ虐殺ショーのためのゾンビが何者かにより暴走し始め、恒例のゾンビ山盛りフィールドに閉じ込められてしまう。

そして、国のなんか警察だか軍隊だかの人と避難するも、なぜかチャックがゾンビ解放した映像テレビで流されてんやわんやしだす。

キャスターレベッカさんをセーフハウスに連れてくるところまで、ストーリーは進めた。

デッドライジング1のときも思ったけど、シナリオを進めたい気持ちと、レベルを上げたい気持ちがうまく合致しないから、まずはレベル上げを頑張ろうかなあ、と思った。

というわけで、救助者を助けたり、サイコパスと戦ったり、バケツに電動ドリルコンボアイテムや、車椅子バッテリーコンボアイテムなどで、経験値を稼いで、レベル12まで上げた。

レベル12かあ、最大が50なので、まだまだまだまだまだまだだなあ、スムーズストーリーだけを追うには、もっともっともっと欲しいよね。

この辺は効率のいいやり方をググるかいなか悩ましいところだなあ。

2017-10-10

防衛省がまとめた報告書によると、原子力災害派遣に投じられた隊員は延べ8万人にのぼる。東日本大震災自衛隊によって救出された人は1万9286人。収容された遺体は9505体。一方、原発から30キロメートル圏内では、自衛隊が救出した人数については記述なし、収容された遺体は六二体となっている。(2011年12月防衛省東日本大震災における災害派遣活動」)

震災の翌朝、大熊町には100名ほどの消防団員行方不明者の情報を得て待機していた。ところが、全町避難の指示が出るやいなや、団員は急遽1万1000人の住民避難させる役目を負わされることになった。

避難完了予定の8時前、木村家のある熊川地区では、8名の消防団員最後の捜索活動を行った。木村家の敷地から南へ「おーい、おーい」と声を出して進んでいたとき、第四分団(当時)の猪狩広さん(55)は人の声らしきものを耳にした。

「捜しはじめて4、5分したころです。『おー』という声が聞こえた気がしたんですよ。私を含めて2人の団員が。私は王太朗さんだと思いました」

避難完了時刻が迫り、団員たちは後ろ髪引かれる思いで現場をあとにした。翌月、その近くから王太朗さんの遺体が見つかった。汐凪さんが見つかったのは、そこからわずか50メートルほどのところだった。(つづく)

http://www.asiapress.org/apn/author/japan/post-54824/2/

XXXXが120体遺体担いだって言ってたのはどこだってまあ聞きそびれてしまったな

2017-10-02

滅びの言葉バルス

今回の金曜ロードSHOWでも2323分に盛大に祭りに参加した。

それにしてもだ。

ラピュタ破壊してしまうというとんでもない命令が、わずか3音節というのはどういうことだ。

「困ったときのおまじない」は、うろ覚えになって永久に困難から立ち直れないかもしれない

ほど長いというのに。

しかも「バルス」なんてくしゃみした時などについつい言ってしまいかねない。

  

そこで、安全性観点から国王とその後見人2名以上が同時に呪文を唱えることを要することとし、

最終破壊起動時には「本当に破壊しますか? Y/N」というプロンプトを出すべき。

たった3音節で最終局面までズドーンと行っちゃうなんて設計が甘いんだよ。ヒューマンエラー

考慮しないなんてエンジニア失格だろう。

その上で「ラピュタの最終破壊モードが実行されました。あと600秒でコアが破壊されます」と

放送を流し、避難を促す機能実装しておかないと後で検収しないとか無茶なクレームがきっとくる。

  

また、予算問題はあるが、完全なる複製である「影のラピュタ」を作成しておき、来るべき

再興の時を待つこともできますというのも事前に提案しておきたい。月次でバックアップ

取っておくのも必須

この辺の運用契約をとってくればラピュタが空を飛んでる限り売上を計上できるぞ。

  

かなり話が逸れてしまったが、あれだけ機械工学に長けたラピュタの人々が、どうして最終破壊命令

たった3音節にしてしまったのか、それが謎なのだ。ていうかパヤオの異常なまでのメカの作り込み方に

比べて、どうして滅びの言葉は手を抜いたのか。

まあ絵コンテに書いた仮セリフがそのまま本番に使われたとかそんなとろこか。

  

追記)

なるほど「生体認証王家の血)とハードウェアトークン(飛行石)とパスワードバルス)による多要素認証」か。

自分で書いてて気づかなかったが、この程度のことは既に誰かが考察してるんだな。

その昔出版された「ウルトラマン研究序説」じゃないけど、ラピュタは知っている人が多いので、工学見地

法学見地政治学見地等々、様々な切り口でみんなが考察することができる良い素材だ。

2017-09-29

 クリミア併合後の一四年四月に本格化したウクライナ東部での親ロシア派武装勢力政府軍紛争現在停戦合意が徹底されず、国連によると死者は一万人超。ロシアプーチン大統領は今月、東部への国連平和維持活動(PKO)部隊派遣提案したが、ウクライナポロシェンコ大統領は「紛争永久に凍結する結果を招く」と否定的だ。

 ウクライナ西部カリニフカでは二十六日夜に軍の弾薬庫が爆発。翌日も燃え続け周辺住民三万人が避難ウクライナ政府は、ロシア破壊工作非難した。

 国連人権高等弁務官事務所は二十五日、クリミアロシア治安機関人権侵害が頻発し、ロシア併合に反対する数百人が拘束され、暴行拷問を受けたと指摘。マティス米国防長官は八月末にウクライナを訪れてポロシェンコ氏と会談ウクライナ政府軍への武器供与検討中とした。

 ロシア来年大統領選クリミア併合三月十八日に設定する方向。愛国心あおりプーチン氏再選へ弾みをつける思惑があるとみられ、ウクライナでの挑発行動が今後も続く可能性がある。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/list/201709/CK2017092902000111.html

いつまで冷戦やってんだ馬鹿

2017-09-27

アベシンゾー万能(悪)論。

人質拉致され、銃どころか核とミサイルで脅しをかけてくる犯罪者集団避難しようとすると、「すべてアベシンゾーが戦争を起こしたくて仕組んでいる事だー!」とか、MMRかな?と思うようなトンデモ陰謀論ベースバッシングが飛び交う、愉快なSNS

平和主義とかリベラルが誤解されるので、もうちょっとマシな理論ベース構築して欲しいとしか・・・

2017-09-25

ここ数年ずっと

2、3年前位からうろ覚えだけど、2ch犬猫大好き板が殆ど機能していない

正確に言えば動いてるスレもあるけど、荒らしが暴れて住民がほぼ居なくなってるスレがある

(ひとり暮らしの猫飼いや猫の質問スレとか)

どこの板でも荒らしが居るのは2chの常だから分かるけど、こんなにずっと執着し荒らし続けてる板は自分は見たことない

最初動物グロ画像連投、その後質問にみせかけた長文連投だった記憶

一部は諦めて別に避難してると思ってるけど、これどうにかならないのかな

2017-09-24

日本には朝鮮戦争の「避難民」を受け入れる義務はない

難民条約難民議定書が定義する「難民」は下記の通りだが、

人種宗教国籍若しくは特定社会的集団構成員であること又は政治的意見理由迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖を有するために、国籍国の外にいる者であって、その国籍国の保護を受けることができないもの又はそのような恐怖を有するためにその国籍国の保護を受けることを望まないもの及びこれらの事件の結果として常居所を有していた国の外にいる無国籍者であって、当該常居所を有していた国に帰ることができないもの又はそのような恐怖を有するために当該常居所を有していた国に帰ることを望まないもの(難民条約第1条A(2)より抜粋)

この定義では例えば「脱北者」のような政治難民は該当するけれども、紛争から逃れた「避難民」は該当しない。

朝鮮半島全体の国籍国は韓国から朝鮮戦争難民が発生したとするとそれを保護する義務韓国政府にある。

まり日本政府としては朝鮮半島から難民は受け入れる義務はなく、ことごとく韓国送還すればよい。

しかし、ボートで漂着した避難民を拿捕して送還することが実務上可能なのかという問題になる。

海上保安庁だけで対処可能なのか、海自治安出動しなきゃいけないのか。上陸されてしまったらどうするのか。

拿捕できたとしてもその時点の韓国避難民を受け入れる能力があるのか。等々、検討しなきゃいけない課題がたくさんある。

その検討の中で「拿捕・送還しようとした避難民が武装してて抵抗された場合にどうするのか」ということも当然考えなきゃいけない。

不法入国に限らず、銃器を持って抵抗してる犯罪者は最悪射殺もやむを得ない。

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