はてなキーワード: スクーターとは
要らないものを捨てるのは環境に悪いという一心から、ジモティーで出品をしています。
きょう、出品していたちゃぶ台(500円)にメッセージが届きました。現物確認してもよいかとのこと。
はっきり言って対面取引に割く時間ですべき仕事が山のようにあるので、ふだんは非対面取引にしています。でも休日で家にいるし、まあいいかと思ってその旨を伝えました。
ちゃぶ台と衣類を合わせて1,000円、それぞれ手にとって眺めた後一瞬上目遣いの間があって、「合わせて500円でどうですかね?」と。
お前...スクーターのナンバープレートから見るに、きっと隣の市から片道15分はかけてきてるだろうに、たかだか500円を値切るのか...?
っていうか現物を見たいって値引き交渉したいってニュアンスだったのか...?キモい...
別に値引きしてもよかったのだけど、こちとら住所まで晒してるのに「こいつは値引きが通じるやつだ』と思われるのが嫌すぎる。
「バイクで運びづらい」だの「天板が思ったより汚い」だの言い訳が二転三転するのも腹が立つ。写真載せたしサイズも書いたろうがよ...💢
値引き交渉が楽しいのは認めるけど、それはフリマかどこかで勝手にやってくれ。
おじさんは結局ちゃぶ台は買わず、洋服だけを500円で買っていきました。
というわけでまとめると
・値引き交渉をするな
・仮にするとして後出しでするな
・ええやん!
続編作られたら観にいく
・面白いけど怖え〜〜!
激アツだが見飽きたではない展開
・残り199体いるので売れたら続編作れます!を感じる
町並みすごいきれいだもんなあ
途中までエクソシストの精神とかノウハウを継承する感じかと思ってた
でも激渋主人公だけだと完成しすぎて移入するのが難しい感じするから伸びしろ枠の色男助手?神父さんがいてちょうどよかった 続編で2人の退魔道中、見たい
・神職おじさんがスクーターに乗るシーンが萌えると聞いてて「そういう萌の受容体は持っていない」と思ったが見たら萌えた絶妙
・田舎の平日回だしそんなに人おらんじゃろと思ったら映画好きそうな50〜60位の…男女が10人弱いた
・急な「名著である」の圧わろた
だがしかし、スクーターの見た目がかっこいいと思えなくて買いたくない。
これ、ずっと仕組み変わらないけど進化の余地はもうないということなのか?
DCTもあるけどミッションが大きくなってオイル量も増えるんだとか。
車との違いとして、
足指でペダルを上げるため靴が痛む。
車はエンストしてもまたセル回すだけだがバイクはエンストからのたちゴケの危険性がある。
低速でバランスとりながら半クラ、シフトインジケータあるなら見て、2速くらいにして曲がりながら駐車スペースへ。フロント握りすぎるとエンストからのたちゴケ。
気使うよなーと。この前ローソンの駐車場でレブル乗ったねーちゃんがエンストしてこけそうになってた。そこそこ重さあるから周りの人に助けられてた。
クイックシフターもそこじゃないんだよ。半クラを自動にしてほしいのよ。普通に走っててギア変えるときの操作は別に大した負担はないんだよ。
そんなこんなでハンターカブに乗ってるけどこのミッションもっと増えてほしい。
なんか長編の夢見てたなあ
その10人くらいでゲームをして、当たれば新しい仕事が増えるというもの
けど主催側の担当者が何か仕込んでおり、それはタネもしかけも無いとでもいうようにテーブルの上で行われていた
どうやら当てる人は既に決まっているようだと、そのあえて見せられた種からわかった
自分じゃないのでいいや、と思った
そんな夢
あともう一つ、車を運転する夢を見てる
それもバスだ
乗り込んで動き出したけど止め方がわからない
あれこれやってるうちに、ここを押せば減速していくようだというボタンに気づく
それを押し続けるとちょうど交差点の前で止まった
運転席に横付けして人が来た
そういうことがあったのに、また車を運転してる
今度は分かる、と一つ一つ動作を確認して運転、特定の場所までたどり着いた
そこにいた人たちに、一度運転したので覚えたと言う、ちょっと誇らしい気持ち
けど夢でみたその運転方法は最近練習しているスクーターのハンドルだった、ハンドルをぐりっと手前に…とかやってた
夢の覚書として書き捨てる
今回の映画はコナンたちがホエールウォッチングに訪れた八丈島で事件に巻き込まれるというストーリー
「美しい鰭(ヒレ)」はクジラのヒレととらえてもいいけどコナンファンにとってはヒレと言えばそれ以上の意味を持つ
灰原は18巻で登場してからずっとうっすら蘭のことを避け続けていて、31巻では蘭は人気者のイルカ、私なんてどうせサメよとひねくれたことを言っていたけど
蘭の言葉に心を動かされ勇気を出してようやく自分から話しかけるというファンにとっては印象深いエピソードがある
劇中でもそれを踏まえてサメ型の水中スクーター、イルカの置き物がさり気なく描かれている
もしや草野マサムネ氏は原作既読者でサメとイルカのエピソードに感銘を受けモチーフにしてくれたのでは……?と一部で憶測が広がり
偶然だが最近、銀英伝のアニメ見たんだよ。まあ全編じゃなくてyoutubeに上げられてる細切れのエピソードを数十個って感じで。
この増田みたいに銀英伝への憎悪を顕わにする高齢オタクが憤懣ぶちまけてるのをたまに見るので気になってたんだな。特にヤン提督っていうのがリベラル代表として憎悪されてるのが多い。
https://anond.hatelabo.jp/20230407234853
結構面白かった。民主政の意思決定のダメさとか現場の意見が無視されて甘い見立てが人気を得ちゃうのとか色々テーゼが山盛りなのな。
でもTwitterやヤフコメで暴れてるオタクがヤン提督にイキってるのってヤン提督の態度や思想でしょう?特に有名なところだと
それは、権力を持った人間、権力に媚びを売る人間が、安全な場所に隠れて戦争を賛美し、他人には愛国心や犠牲精神を強制して戦場へ送り出すことです。
宇宙を平和にするためには、帝国と無益な戦いをつづけるより、まずその種の悪質な寄生虫を駆除することから始めるべきではありませんか。」
ってやつ。
何でかと言えば、最近というかここ数年「軍師」批判がポピュラーになってる。特に叩かれやすいのがネトウヨで軍師は居るが兵隊は居ないっていう界隈になっていて、己の能力の客観視と自意識のすり合わせが出来ていない集団を外から見たらそりゃ軽蔑されますわな。
はてブのコメでもよく見るが、自我の防御として言ってるケースが目立つ。言われたら痛い事を自分から言うってやつね。
特に2/5chでなんJとアフィまとめブログが衝突を繰り返すようになった5年くらい前から叩きの言葉として流行しており、ストレスが溜まっているのではないか?
先に引用したセリフはまさに軍師批判エッセンスみたいなもんで良く貼られてるのを見るしその度にイライラした反論チックな事がされている。
また元増田の
というのを見た事が無いのだが、どういうのなのか?ポリコレなどに過剰適応?
それに
とナチュラルに常識へのルサンチマンが出てるのってどういう事なのかね?
「元増田が新しい社会常識」についていけない老害なのではないかとの疑念がわく。
1970年に「増産より公害対策を」と言っているのは共産党などの左翼が中心だった。だが20年後の1990年には公害対策は規制に組み込まれあらかたの公害は解決に向かっていた。既に工業規格と共に公害規制を熟知していないと倒産する時代になっていたわけだ。
1975年にはどこにでも痰ツバ吐き放題、だが1995年に道端に痰ツバ吐いたら顰蹙だし客先の敷地でやったら出入禁止の懲戒解雇だ。
もしかしてその痛い第二世代ってはてな村の旧村長みたいな人の事を言っているのか?
この度のコラボ攻撃やその前の温泉娘擁護で批判者を炎上みたいなムーブメントに冷淡な人らの事を言っているのか?
温泉娘では吹き上がったオタクはオタクイラストへの攻撃だとの扇動にまんまと乗ったが、その実はイラスト拒絶じゃなくて昭和脳な運営の黒岩知事流出メールみたいなオヤジの小汚い性意識開陳でそれへの炎上だった、っていう所まで見ていて覚えているところとかが一体感に水を差して不愉快なのか?
その前の中野まんだらけ騒動では対面の商店主の批判は「お気持ちだ!」とフェミへの批判と同じ道理で炎上させて潰せるとオタクたちは思っていたが、その一体感に背を向けてこれは風営法案件である事、風営法の管轄官庁は警察署である事、行政権と司法権が近く更に裁量権が大きい分野である事、などを説明する人を見つけ出して読み、オタクの一体感には冷淡だった事が不愉快なの?
コラボ騒動ではそれらの経験を踏まえてオタクらの一体感に水を差し、「また同じ理路と実存操作で扇動されてる」と冷淡だったところが気に入らない?
最初から「共産党との癒着で」「NPOのスキームを乱用して公金ガバガバゲット」「保護した少女を管理売春」「汚部屋宿舎に超高額請求」というところから始まっているので今までの経験から絶対にまともな批判にならないと見抜いていた事がポリコレ的?
それらがデマである可能性が高い上にそのデマがネットでは既存の形式なのでセットになるデマがあり、駅前の放置自転車のカゴの様にデマがデマを呼ぶ展開となって、社会的な物事を知らないオタクへの軽蔑を深める展開となる事を最初から見抜いていた事が「新しい社会常識」への恭順的で気に入らない?
新聞が産経を除いて記事にしない、更にそれに対して「マスゴミが報道しないフンダダラ」「報道しない自由」という反応があるのを観察して「ああいつもの」と冷淡だったのが気に入らない?
まず2002年頃まで。ここでは2chはネオ麦茶を生み出した悪意垂れ流しのバカの集まりで近づいてはならぬもの。
2002~2007年くらい。2chの影響力が増す。特に後を押したのが小泉改革で、既存の道徳を破壊してもいいし我らはその抑圧されていた主体だ。僕らが目指すのは常に上。
2007年~10年代前半。Mixiが流行。そもそもMixiがあれだけ成功したのは「2chではない」からに尽きる。顔出しや所属明記してのネット活動は2chのエサになるので出来なかった。その普通の人らの欲求に合致した為に大流行。
一方、コアな2chユーザーは2chで炎上して炎上側に居たらネットでの正義、という一体感と全能感の前提が崩れてしまいMixiに異常な悪意を抱いていた。病的なやつは「2chは自由、Mixiは北朝鮮」と数千ものコピペを貼りまくっていた。
10年代前頃~後半。ネット広告の伸長によりまとめブログが大隆盛。不愉快な反対意見を削除してまとめてくれるので閲覧者は全能感全開で気持ちがいい。だが広告単価が高くなるとヘイトスピーチの様に反社会的で程度の低いコンテンツは掲出拒否や契約解除されるようになり低調に。
オタク第二世代というのはこのオタクを中心としたネット民が共同性を持ち、強い隣組的行動則で異論をパージし「若者の異議申立」の文脈で企業脅迫や誤情報流布での評判操作をもしていくという中で人格を形成していった世代だ。
そんな不遜な態度に異を唱える者もいた。例えば大塚英志などだ。
大塚の主張は大人ならオタク産業は給与や報酬の交渉権すらない(労働組合や職業組合)のに目を向けろというものだが、単に一体感や全能感を棄損するオタクバッシャーとして異端追放されるだけだった。
『さらば青春の光』っていう英国映画があるんだが、モッズという暴走族の物語だ。イタリアのベスパスクーターにミラーやライトなど過剰な飾りつけをして陸軍の野戦コートを着て集団で走り回り大人が目をひそめる事や喧嘩してばかりいる。
警察に捕まった主人公はカリスマモッズのエースに出会って心酔する。エースのベスパはGSという高級車種だ。
裁判では仰々しい説教の後の判決が罰金刑だったので「そんなもん今この金で払ってやるよ」とコケにして仲間で大ウケ。
だがエースたちもやがて「大人になる」時が来るのな。エースはホテルのベルボーイになってヘイコラする労働者になった。
主人公はこの姿を見るや、世間に迎合した憧れのエースに憤懣やるかたない。日経新聞と朝日新聞を併読する大人になんかなりやがって!いや間違えた、こっちは反ポリコレしか知らないのに法規制や過去の慣行やその上での現在の業界事情を知りやがって!これも間違えた、とにかくお前はあのエースじゃない、俺の心の裏切り者だ!
エースの愛車だったベスパGSを盗んで走り出した主人公は速度をつけて崖からGSでダイブ。エースのGSがグチャグチャになったところでフィルムはストップ。
だがその後主人公は生きていてトボトボと歩いて行く…っていうのがあらすじだ。
元増田らあんたらは結局世間的なものに迎合して己を変化させて行くオタク第二世代のいくらかがインフルエンサとして目立つの気に入らないんだろう?
今まで自分の立ち位置を自分で確認した事があるのか?みんなで炎上させれば正義になる、だけど隣組がキツくて「これは違う」という事は許されない、そんな村落共同体みたいなところにずっと居ていいのか?因みに暴走族とかアウトローの世界はみんな同じ行動規範だ。そうやって「世界を閉じる」事で共同性や象徴性が堅固なものになるのだ。
暴走族も学生運動もいつか卒業するんだよ。18や22でな。あんたらはいくつだ?40代だろ?
オタクのくせにオタクの共同性に埋もれないやつらは元増田にとってのエースだ。レゾンデートルを否定するやつらだ。
だがそいつらはオタクの実存の外の社会でやっていくことでオタクコンテンツが価値を産むことを判っているからベルボーイをやっている。共同体の失敗を見ないという隣組規則は焼畑であり行き詰まり誰かが尻ぬぐいをする事になる事を知っているからやっている。
温泉娘は老若男女の旅行客に訴えてアピールする為にある。年喰ったオタクの性欲を開陳したいから掲出してくださいというんじゃ温泉宿もお断りだ。
https://anond.hatelabo.jp/20230105180645 の続き
カフェレーサーというのは1960年代にイギリスで流行ったロッカーズという街道レーサー達の乗っていた改造バイクで、ハンドルを下げて前傾姿勢にしてロケットカウルを付ける。因みに当時の英国ではモッズという改造VESPAやランブレッタスクーター乗りのもいて、両者は反目して喧嘩ばかりしていた。モッズとはmodern+sである。
カフェレーサーで使われるロケットカウルはセパレートハンドル、通称セパハンとの組み合わせが前提だ。フロントフォークの上に付く一本バーハンドルを取っ払って両方のフロントフォークに直接短いハンドルを付けて高さを下げるのがセパハンだ。
このロケットカウルを族車ではプレスライダー由来の上向き絞りハンドルと組み合わせてしまう。
すると、カウルのハンドルの逃げの切り欠き位置が合わないのでハンドルが切れない。
そこでハンドルの逃げの位置が合うようにカウル高さを上げる→族車の珍奇なデザインの完成だ。
珍奇とは他と違うという事だから、所属を表す象徴の作用が出てきて、要するに「カウルがより高い方が暴走族的である」という文脈が出来てくるんである。「過剰」の意味付加である。
これはバックミラーを鬼のように付けたモッズのベスパも同じだな。歌舞伎のすみとりとか戦前の祭りの山車の高さとか豪華なのに耐火性が消えたうだつとかもそうだ。実用や元の文脈から切り離されると非実用的であることが意味を持つので「過剰」が持て囃され時には粋の評価がされる。
一方で上り龍のようにとんでもない高さにカウルを上げる族車バイクもあるが、これは実は実用の問題が絡んでいる。
カウルの真ん中にはヘッドライトがあるので、ある程度の高さまでカウルが上がると前が見えなくなるんである。当たり前だ。
だから更に上げたい場合は前が見えるように目の位置より上にヘッドライトが来る高さまで上げるって事である。
あんな高い所にカウルとヘッドライトがあったら、スラロームしたら慣性が凄そうなんだが、スラローム中に取れちゃったりしないんですかね?ハリボテエレジーの悲哀再びである。
車両からは離れるんだが、google:image:コルク帽とかコルク半と呼ばれるヘルメットについて。被ってると暴走族に狩られるってやつ。
これは確か昔、増田かどっかで詳しい説明のエントリがあったはずだが忘れてしまった。
もともとレースでの保護帽というのは革帽子だった。保安性は余りなく、頭を強打すれば脳がやられて死んでしまう。
次に出来たのが半帽で、半球型のプラスティック保護帽に革の耳当てと顎ひもが付いたもので、1950年代~60年代のバイクレースで使われた。クロムウェル(Cromwell)というメーカーが有名だ。ヤマハSRなどに乗る人らに好まれている(危ないから使うべきではない)。
これは内装材がコルクだった。発泡スチロールが普及する前の製品だ。
次に保護面積が大きくなったジェットヘル→フルフェイスと進化してきて、内装材は発泡スチロールと発砲ウレタンになった。
現在ヤンキーの間でコルクと呼ばれているのは、半帽にツバ(前バイザー)がついて端をビニールテープで巻いてあるという簡素な製品(但し端部の始末はクロムウェルなども同じ)で、元々主婦向けである。
1968年に富士重工がラビットスクーターをディスコンにし、イタリアのランブレッタも1971年にディスコンになるとスクーターはベスパ以外製造されない時期が続いた。
ホンダはここにバイクと無縁な主婦の市場があると見抜き、1976年にラッタッタでお馴染みのソフトバイク、ロードパルを開発した。因みにラッタッタというのはエンジンスタート用のゼンマイを足でキックして巻く動作の事で、軽量化と低価格化の為にバッテリーを搭載せず、キックスタータより楽な始動方法としてゼンマイスタータを採用したのだな。足でゼンマイを巻いてハンドル部のボタンでリリースする。
この当時、原付にはヘルメット装着義務はなかったが、広告などでは安全の為にヘルメットを被る写真が使われた。当時はすでにジェットヘルが一般的だったがそれだと軽快感がない。気軽に乗れます、バイクとは違うものですってイメージにならない。
そこで採用されたのが「70年代の半帽」だったのだ。50~60年代の半帽と違うのはポップでツバ付きになってる事。更に旧型品なので安価。どういうのかについては1972年発売のカワサキマッハⅢの広告を見てもらった方が早い。
http://captain-alfred.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/post-6b6e.html
歴史上のバイク広告で一番カッコいいんじゃないかこれ。モデルは小川ローザだ。
それで主婦層が乗るソフトバイクの激安ヘルメット=このタイプの半帽というイメージが出来た。主な販売場所はスーパーや自転車屋であってバイク屋ではない。内装はナイロンベルトやプラスティックと布、発泡スチロールなど。
ヤンキー層はその頃はノーヘルやフルフェイスを使っていてこのタイプのは使われていなかった。
1986年に原付もヘルメット義務化されるとノーヘルだったヤンキー層は一番安くてノーヘルに近い効果のこの半帽を被らずに首の後ろにぶら下げて走るというスタイルになった。
こんな安全性が無くて昔の主婦向けのダサいヘルメットを被るのなんて暴走族やヤンキーしかいない。なのでまた所属の象徴化である。それで90年代にはヤンキーや暴走族を象徴するアイテムになった。
だからロードパルが発売されて主婦向けマーケアイテムとして流行した頃から10年以上経っている。「ダサい」が一回りして肯定的意味が出る現象の一つなのだ。
更にこのヘルメット内装にはコルクは使われていない。使われていたのは60年代だ。呼称は60年代を借用して実体のオリジナルは70年代にある、という錯綜した現象なんである。
ついでなんだが、マッドマックス1の暴走族が被ってるようなフルフェイスヘルメットをgoogle:image:族ヘルという。今のものと違って下側の首回りが丸くすぼまっていなくて寸胴になってるのが特徴だ。
70年代末~80年代前半の暴走族もフルフェイスを被っていたので、バイク免許実技試験参考書(大型は教習所では免許が取れなかった)などには「フルフェイスは暴走族的なのでジェットヘルにしましょう」などと書かれていた。安全性より暴走族的でない事の方が重要だったのだ。
このタイプのデザインは今でもレトロアイテムとして人気があるが、危ない代物である。下側がすぼまっていないので、高速で下や後ろを確認すると風圧でヘルメットが浮き上がり、顎ひもで引っかかって脱げ掛かった状態になってしまう。デザインが変更されたのには理由があるのだな。
暴走族が振り回す旗やステッカー見ると、○○レーシングみたいな峠ドリフト小僧的チーム名と○○聯合のような画数が多い漢字の名前と分かれている。
これは前述の通りに街道レーサーチームから変化してきた名残で、別にレースしなくてもレーシングという名前や峠小僧的なカタカナの名前を使う。
一方、時代が下るにしたがって硬派=学ランや右翼に傾倒してきて、軍国主義モチーフや漢籍的な名称が好まれるようになる。夜露死苦とか漢籍じゃない訳なんだがそこは偏差値の問題である。
街道レーサーから右翼標榜へと変化した為に、時代が下るに従ってメカ音痴になっていったという面もある。初めは自分でエンジンも改造してその技術も先輩から後輩へと受け継がれていたが、やがて改造は外見に留まり工具も持っていない、という風になっていく。
こういう風に族車デザインは当初はスピードの象徴であったものが文脈から切り離されて過剰になり、「過剰」それ自体が価値を持つという現象である。
特に大きい影響を残したのがバイク便の前身で「PRESS」や新聞社旗をはためかせてすり抜け爆走していたプレスライダーだった。
カウル昇竜拳みたいなデザインも組み合わせ不可のプレスライダーとロケットカウルを組合わせ、その珍妙さがそれ自体意味を持つようになった為である。
こんな珍奇な族車だが、実は日本のキッチュを好む人々というのは世界中に居て暴走族もその一つとして愛好されているのだ。
試しに「google:image:bosozoku」で画像検索してみて欲しい。多数がヒットするばかりか、自国でBosozokuカスタムをしている変態愛好者もいる。しかもその竹槍出っ歯の車がランボルギーニだったりするのはいかがなことなのか?
日本でも一時流行った巨大フルエアロパーツ、フェイクファー敷き詰め、巨大スピーカー搭載で浜崎あゆみを流すハイエースもBosozoku Vanとしてカスタムカーの一ジャンルになってる上に、タイでは社会現象に近いくらいのブームになっている。バンコクのあちこちが大黒パーキング状態なんである。というかタイ人は日本のキッチュ大好き国民なんじゃないかな?
更にebayで探せばBosozoku刺繍特攻服もわんさか出てくる。 https://www.ebay.com/sch/i.html?_nkw=bosozoku
出品&発送元が中国企業のケースが多い。日本の暴走族ファッションを中国で作って発売して世界中に出荷しているというビジネスだ。色々とおかしい。レディースの特攻服風着物が特に人気のようだ。
そういう訳で、英語が出来る人らは是非海外でBosozoku愛好してるトンチキ変態さんらに、デザインの源流が報道の爆走バイクである事やシルエットフォーミュラの事などを教えてあげて欲しいと思う。
・前半は自分でわかっているようだが、公共広告の古い定義にこだわった揚げ足取りにすぎない。
ウィキペディアの定義が万能というわけではないのはもちろんだ。
本来なら「子供の目に触れる場所」が表現の議論における「公共の場」の定義だろうな
アメリカではスクールバスだの本人が運転する自家用車・バイク・スクーターで通えばいいから目にしないだろうけど。
就職前の学生に人生の早い段階からスマホゲームでギャンブルと女におぼれてろって広告出すのはさすがに教育に悪すぎやしねえか?
まあどんな大手ゲーム会社であれ事務次官の無職息子みたいなのが百万単位でつぎ込むおそろしいゲームつくったのにまた電子麻薬で人をだめにしようとしてるのかとしかおもわれないぜ。
・後半、
「本来」って言葉をわざわざいれて書いてるからうすうす自覚はあるんだろうが、
二輪でブイブイ言わせていた祖母を親族総出で説得して、電動スクーター(こういうやつ→ https://www.abilities.jp/fukushi_kaigo_kiki/fukusiyougu/wheelchair/810800 )を導入したらいい感じだったので紹介
膝が悪く、歩いてスーパーやバス停に行くのは難しかった。祖母の足代わりは二輪で、私はあまり詳しくないのでよくわからないが、他の親族は年寄りが乗るような二輪じゃないと言っていた。あんまりよくわからんけど。
大きく二つ、ニュースでみる高齢者の事故と、祖母が軽めの自損事故を起こしたことだ。自損事故は二輪もそこまで傷付かず、祖母も怪我はなかったが、ぶつかったのが電柱ではなく信号待ちの人だったらと思ったら背筋が凍った。また、事故を起こしたあとの対応のできなさに、祖母の認知能力の低下を感じ、ニュースでみる事故を起こしたことをよくわかっていないような老人の姿に重なった。
うちは早い段階で地域のケアマネさんに入ってもらった。身内には強気だが外の人には弱気な祖母の性格のおかげで、一時期の嵐が嘘のようにあっという間に決まった
購入ではなくリースで活用してる。カゴが大きいしたくさん入るから、牛乳とかトイレットペーパーとか、80後半のお年寄りが運ぶのは大変なものもたくさん買える。運転面でも最高時速が6キロなので、とても安心。バックのときも大きな音が鳴るので、周りの人が気づいてくれる気がするし、バックの最高時速は3キロで大人の歩く速度より遅いのでそれも安心。
登り坂で段差越えて一度減速してしまうと、進まず止まってしまうことがあるらしい。スクーター辞めたいというかなと思ったかだ、祖母が暮らすのは都営団地で色々人が助けてくれて、そこから挨拶する仲になったりと人のあたたかさを感じて嬉しいとポジティブな感情がまさっているらしい。東京も捨てたもんじゃないな、郊外地域だけどね
ど田舎は無理だけど、スーパーとか駅とかが家から3.4キロ以内にある郊外くらいに住んでる年配の親、孫を持つ方は電動スクーターを検討してもいいんじゃないかなと思います。
これに対して”自動車乗り”が、法規制強化!”自転車乗り”ザマァ!と言ってるの本当地獄だと思う。
何も分かってないよ。
自動車乗ってる側からしたらチャリが車道走るなんてクソうぜえとしかならんだろ。
まともな人間はチャリに対して感じるのは、歩道で10km走行してなさいなしかないだろ。
今、歩道を逆走してるクソチャリどもが今度は車道の真ん中を突っ込んでくるようになるってことだって想像できてないんだろうな。
逆走クソチャリに罰金払わせるようにしても結局罰金で終わりだから減らないのは明白なんだよ。
だって大多数のカスい”自動車乗り”のオービスに対しての姿勢がそれじゃん。
免停食らうまでは「チッ……反省してまーす(クソがよぉ!無駄金ぇええ!!!)」で終わりじゃん半分ぐらいのカスは。
ハンドル握ってる時にクソガキやクソチャリが突然飛び出した挙げ句に自分からコケたとき心臓止まりそうになるじゃん。
あそこでABSかかる勢いでブレーキ踏みながらハンドルぎゅわわわわわってしてギリ自分の人生が死なずに済むスピードが大体法定速度だって感じる。
クソガキ多発地域が20制限速度標識で速度超過ブービートラップしかけてきてるのはちゃんと理由があるのは嫌でも感じるわけだけど、頭の悪い”自動車乗り”はそれを理解できないからこの世界のすべての速度標識を憎むことしかしてない。
そのレベルのカスがチャリに乗ったときは当然のように何度でも逆走を繰り返すわけで、その場所が歩道から車道に変わるのが今回の締付け強化なんだよね。
もう終わりだよ。
「車道を走る自転車が悪い」でも「歩道を走る自転車が悪い」でもなく、「車道を走る自動車が悪い」にさえなりかえないよ。
たとえば今度の火曜に登下校クソチャリ共が大量に車道逆走始めたら俺はもう泣き出すと思う。
別に逆走じゃなくてもアイツらが並走しながら車道を塞いで10kmぐらいの速度でズーっとチンタラチャリチャリして道が塞がったらもう完全に終わりだと思う。
もしも一直線になってもチャリがズラーって10台も20台も道路の端っこにつながって、体育会系のクズが文化系の雑魚を抜かすために追い抜きモード入ったら結局道は塞がるよ。
完全に終わり。
もう車は走れない。
つうかそんな状態にトラックとか来たら死角に無数のチャリが潜むデッドゾーンが誕生する。
怖すぎるだろ。
想像しただけで泣きそうだよ。
マジで勘弁して欲しい。
原則もクソもねえよ。
オイルも変えたばかりだし、ベルトやウエイトも交換してまだ1万キロも走ってない。
原因はわかる。バッテリーだな。
先輩が壊れた2stのYB-1を持っていて、修理できたら1万で譲ってくれとお願いした。
完全初心者だったが見様見真似で手を入れ始めた。
約束通り譲ってもらい、だましだまし乗っていた。
本当に金がなくて、タンク洗浄剤とキャブクリーナーを買っただけで金欠状態。
いつも悩まされていたのは、エンジンをかけてしばらくはアイドリングが安定しないこと。
だが20~30分くらい走っていると急に良い子になる。
俺は2stという言葉すら聞いたばかりの素人だったので、エンジンが温まらないと普通に走れないのだと思いこんでいた。
今ならわかるけど、アレはバッテリーが死んでいたな。
今はアイドリングストップ車用の高性能バッテリーをなんの気無しに買うようになってしまったな。
車も軽だし、バイクも110ccだし。
でも、あんなに貧乏でも歳を取ると普通に生活できるようになるもんなんだと、なんかしみじみ思っただけよ。
さて、それじゃあバッテリーの交換でもするかね。
そのあと飯くったら、ちょっと走ってくるか。