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はてなキーワード: あのころとは

2024-10-27

弱者男性だったころの歪んだ考え方

弱者男性として苦しんでいた時期を振り返って

振り返ると、弱者男性だったころの自分は、いろんな偏った考え方にとらわれていました。「女性は善、男性は悪」という極端な世界観支配されていたんです。それが「正しい」とさえ思っていましたが、今考えるとずいぶん苦しい考え方でしたね。

「女は善、男は悪」って思い込み

当時の私の思考の根っこには、「女性は善、男性は悪」という強い思い込みがありました。男性いるか社会は悪い方向に進む、なんて決めつけていて、そんな自分をどこかで嫌っていたんですね。

男には「原罪」があるという重たい思い

男性には生まれながらにして罪がある」と考えていて、それを償うためにひたすら女性に尽くすべきだと思い込んでいました。無理をしてまで女性優遇するのが「救い」だなんて、今なら「やりすぎだよ」と声をかけてやりたいです。

男性特権放棄して女性優遇すべきだという信念

この考え方が日常にも影響していて、「男性特権を捨て、女性優遇するべきだ」と強く思っていたんです。でも、その結果、自分否定するばかりで心も体もどんどん疲れ果てていきました。

女性男性を憎むのは当然だと思い込んでいた

女性男性を憎むのは当たり前」という考えにも支配されていました。何を言われても「自分が悪いんだから仕方ない」と納得しようとしていて、結果的自己嫌悪ループに陥っていました。

女性男性に対して何をしても許されるべきだという極端な考え

そして、「女性男性に何をしても、それは許されるべき」と思い込んでいたんです。どんなことも「それでいい」と思いこんで、周りの意見にも耳を傾けなくなっていました。

カウンセリングで考え方が変わった

そのままだと本当に自分が壊れそうだと感じ、カウンセリングを受けることにしました。カウンセラーさんは優しく話を聞いてくれて、「罪悪感を抱く必要はないんですよ」と気づかせてくれました。そのおかげで少しずつ、自分を縛りつけていた偏った考え方から解放されていきました。

カウンセラーの優しさに救われた

カウンセラーさんの優しさに本当に救われました。共感しながら話を聞いてくれる存在がいることで、自分も少しずつ変わることができたんです。

こうして振り返ると、あのころ自分はとても不安定孤独でしたが、カウンセリングのおかげで前向きな考え方を取り戻すことができました。今では優しい妻と子ども、そして温かい友人たちに囲まれて、毎日を楽しく過ごしています

anond:20241021131553

2024-10-18

氷河期悲惨なことの一つに、すぐ上の世代バブルだったことがあると思っている

奴らの就職活動は引くて数多、大手なんかだと囲い込みで別荘や旅行にまで招待されるような状況だった

同じ努力をしても結果がまるで違うどころか、成績やポートフォリオ資格取得に相当の努力をしたこちらより

確実に努力の量が劣る遊び呆けてた連中の方があっさり就職が決まってた

就職氷河期努力が足りないって言われるのは腹が立つが、もっと腹が立つのは同じような努力でも時代全然結果が違うことだ

そして俺らの就職活動では早けりゃバブル期で入社したやつやバブル期の就活生に鬱憤溜まってたやつが面接

どうにか就職しても先輩や直属の上司バブル世代

イージーモード就職したやつらに努力がどうこう言われる屈辱

バブル世代のツケをいつまでも払い続けなければならないほんとうにロスジェネって言葉がぴったりだよ俺らは

かろうじて就職できて世代の中では勝ち組までいかなくてもそこそこ上手くいった方だと思うがそれでも

あのころに感じた理不尽いつまでも消えないしバブル世代永遠に憎み続けると思う

2024-10-17

氷河期ってどういう時代だったのかっていう思い出話を氷河期おっさんがする

あのころは本当に寒かったなぁ。

毎朝起きると、テントの外は一面の氷。

俺たちはみんな、厚手の毛皮を着こんで、マンモス狩りに精を出してたもんさ。

マンモスが現れたときなんて、みんながワクワクしながら狩りの準備をして、「今日晩飯が豪華だ!」ってな感じだった。

あのごっつい牙を避けながら協力して仕留めるのが、何とも言えないスリルでさ。

今思うと、あの時代狩猟が、俺たちの人生の一部だったな。

それから鉄器発明ってのはまさに俺たちの時代の一大イベントだったんだ。

みんな、木と石だけで戦ってたのに、誰かが突然「これ鉄だぜ!」って得意気に見せてきたんだよ。

最初はみんな「何それ?」って感じだったけど、一度使ったらもう戻れない。

槍も斧も一気に性能アップだ。

狩りの効率も爆上がりで、マンモスだってあっという間に仕留められるようになった。

ただ、そうやって少しずつ技術進化して、俺たちの生活だんだん便利になったんだが、同時に「こんな便利で大丈夫か?」って不安もよぎってたんだよな。

でも、楽しい氷河期生活も、いつまでも続くわけじゃなかった。

徐々に暖かくなってきて、氷が解けて、大地が豊かになると、今度は稲作が到来してきたんだ。

あのとき切なかったね。

狩猟採集時代が終わるっていうのは、まるで氷河期のものが終わってしまうかのようだった。

あの厳しい寒さの中で、みんなで団結して生き抜いてきたのに、温暖な気候のせいで次の世代はすっかり農耕民族なっちまった

今思えば、あの氷河期の寒さも、なんだか懐かしいもんだよ。

https://anond.hatelabo.jp/20241017135731

2024-10-04

anond:20241003012901

あのころのほうがよっぽど熱狂してたやんとはおもいますね。

別に単なる物語の一類型として消費してるだけにしかみえない。

2024-10-01

朝ドラおむすびを見た元平成ギャル感想

昨日から放送が開始した朝ドラおむすび

平成後期の美人基準もとい流行の顔に該当する橋本環奈主人公である

ギャルは古いと1話2話で主人公が言ったが、舞台2004年はどうだっただろうか。

あのころギャルは古い扱いはされてないと思う。ただコギャルとかはもう消えてたかな。鈴木えみ絶頂期か。木村カエラとか。実際減ってはいたが、古いと言われる時代ではないと思う。

あえていうとルーズソックスが古い。2004年にはほぼ死滅してたと思う。大紺ハイソ時代だ。

ちなみにみんなで集まってプリ撮るのは別にギャルじゃなくてもやってるので脚本の人はおそらくあのころギャルでも、あのころの子供でもないのだろう。教師雰囲気も含めて平成感が若干違和感ある。

一番気になったのは、ギャルたちのメイクだ。

最近涙袋ブームだ。涙袋というものは、笑ったときに膨らむところの下に薄い影を描いたり、物理的に注射器で注入をしてふくらませ、ぷっくりと見せるのが令和の掟であるが、平成のあの当初、涙袋には白いラメペンハイライトをいれるのが基本であり「ぷっくり見せる」とかではなかった。民族感と生命力に溢れるメイクだった。

朝ドラに出演しているギャルたちはみんな揃って涙袋ナチュラルにある。それは自分創作したものか、はたまた橋本環奈のようにナチュラルにあるタイプなのかもしれないが、一気に令和感を漂わせている。

さらに一番の違和感眉毛だ。あの頃ギャルだったやつはな。もう眉毛無いんだよ。抜け。眉毛を抜け。細く、鋭利に、アホみたいに厳つく、相手を威嚇するナイフのように細くなければいけない。それか薄く。

ギャルじゃなくても眉毛は本当に薄かった。宮里藍高校卒業写真を見てほしいものだ。

あとチークほぼしない時代なら頬骨やノーズのハイライトをしっかり入れていいのではないだろうか。リップもっと存在を消してほしい。唇能面でいい。

髪の毛ももっとスカスカがいい。梳いて梳いてスッカスカでいい。

まつげはもっとひじきにして欲しい。非ギャルですらひじきまつ毛だったので。

2006年ギャルサーというドラマがあった。あれも小奇麗に描かれたギャルだが、役者たちが隠れギャルなので朝ドラほど浄化はされていない。露出も多いしちょっと肉ついててもあんまり気にしていないあのころは良かったと思う。あのころは良かった。そう言い出したらもう年寄りなのだろうか。いや、でも最近の痩せ過ぎは良くないよ。

エイベックスが監修に入っているというのは浜崎あゆみとかそのへんだろうかと思うんだが、あゆピークはこの時代の2年前とかなのでそういう記憶で辿っていくと色々なものが思い起こされる。

ギャルのみんなもあのころギャルを思い出してみよう。

2024-09-30

 言えば言うほど、人は私を信じて呉れません。逢うひと、逢うひと、みんな私を警戒いたします。ただ、なつかしく、顔を見たくて訪ねていっても、なにしに来たというような目つきでもって迎えて呉れます。たまらない思いでございます。  もう、どこへも行きたくなくなりました。すぐちかくのお湯屋へ行くのにも、きっと日暮をえらんでまいります。誰にも顔を見られたくないのです。ま夏のじぶんには、それでも、夕闇の中に私のゆかたが白く浮んで、おそろしく目立つような気がして、死ぬるほど当惑いたしました。きのう、きょう、めっきり涼しくなって、そろそろセルの季節にはいりましたから、早速、黒地の単衣に着換えるつもりでございます。こんな身の上のままに秋も過ぎ、冬も過ぎ、春も過ぎ、またぞろ夏がやって来て、ふたたび白地のゆかたを着て歩かなければならないとしたなら、それは、あんまりのことでございます。せめて来年の夏までには、この朝顔の模様のゆかたを臆することなく着て歩ける身分になっていたい、縁日の人ごみの中を薄化粧して歩いてみたい、そのときのよろこびを思うと、いまから、もう胸がときめきいたします。  盗みをいたしました。それにちがいはございませぬ。いいことをしたとは思いませぬ。けれども、――いいえ、はじめから申しあげます。私は、神様にむかって申しあげるのだ、私は、人を頼らない、私の話を信じられる人は、信じるがいい。  私は、まずしい下駄屋の、それも一人娘でございます。ゆうべ、お台所に坐って、ねぎを切っていたら、うらの原っぱで、ねえちゃん! と泣きかけて呼ぶ子供の声があわれに聞えて来ましたが、私は、ふっと手を休めて考えました。私にも、あんなに慕って泣いて呼びかけて呉れる弟か妹があったならば、こんな侘しい身の上にならなくてよかったのかも知れない、と思われて、ねぎ匂いの沁みる眼に、熱い涙が湧いて出て、手の甲で涙を拭いたら、いっそうねぎ匂いに刺され、あとからあとから涙が出て来て、どうしていいかからなくなってしまいました。  あの、わがまま娘が、とうとう男狂いをはじめた、と髪結さんのところから噂が立ちはじめたのは、ことしの葉桜のころで、なでしこの花や、あやめの花が縁日の夜店に出はじめて、けれども、あのころは、ほんとうに楽しゅうございました。水野さんは、日が暮れると、私を迎えに来て呉れて、私は、日の暮れぬさきから、もう、ちゃん着物を着かえて、お化粧もすませ、何度も何度も、家の門口を出たりはいったりいたします。近所の人たちは、そのような私の姿を見つけて、それ、下駄屋のさき子の男狂いがはじまったなど、そっと指さし囁き交して笑っていたのが、あとになって私にも判ってまいりました。父も母も、うすうす感づいていたのでしょうが、それでも、なんにも言えないのです。私は、ことし二十四になりますけれども、それでもお嫁に行かず、おむこさんも取れずにいるのは、うちの貧しいゆえもございますが、母は、この町内での顔ききの地主さんのおめかけだったのを、私の父と話合ってしまって、地主さんの恩を忘れて父の家へ駈けこんで来て間もなく私を産み落し、私の目鼻立ちが、地主さんにも、また私の父にも似ていないとやらで、いよいよ世間を狭くし、一時はほとんど日陰者あつかいを受けていたらしく、そんな家庭の娘ゆえ、縁遠いのもあたりまえでございましょう。もっとも、こんな器量では、お金持の華族さんの家に生れてみても、やっぱり、縁遠いさだめなのかも知れませぬけれど。それでも、私は、私の父をうらんでいません。母をもうらんで居りませぬ。私は、父の実の子です。誰がなんと言おうと、私は、それを信じて居ります。父も母も、私を大事にして呉れます。私もずいぶん両親を、いたわります。父も母も、弱い人です。実の子の私にさえ、何かと遠慮をいたします。弱いおどおどした人を、みんなでやさしく、いたわらなければならないと存じます。私は、両親のためには、どんな苦しい淋しいことにでも、堪え忍んでゆこうと思っていました。けれども、水野さんと知り合いになってからは、やっぱり、すこし親孝行を怠ってしまいました。  申すも恥かしいことでございます水野さんは、私より五つも年下の商業学校の生徒なのです。けれども、おゆるし下さい。私には、ほかに仕様がなかったのです。水野さんとは、ことしの春、私が左の眼をわずらって、ちかくの眼医者へ通って、その病院の待合室で、知り合いになったのでございます。私は、ひとめで人を好きになってしまうたちの女でございます。やはり私と同じように左の眼に白い眼帯をかけ、不快げに眉をひそめて小さい辞書のペエジをあちこち繰ってしらべて居られる御様子は、たいへんお可哀そうに見えました。私もまた、眼帯のために、うつうつ気が鬱して、待合室の窓からそとの椎の若葉を眺めてみても、椎の若葉がひどい陽炎に包まれてめらめら青く燃えあがっているように見え、外界のものがすべて、遠いお伽噺の国の中に在るように思われ、水野さんのお顔が、あんなにこの世のものならず美しく貴く感じられたのも、きっと、あの、私の眼帯の魔法が手伝っていたと存じます。  水野さんは、みなし児なのです。誰も、しんみになってあげる人がないのです。もとは、仲々の薬種問屋で、お母さんは水野さんが赤ん坊のころになくなられ、またお父さんも水野さんが十二のときにおなくなりになられて、それから、うちがいけなくなって、兄さん二人、姉さん一人、みんなちりぢりに遠い親戚に引きとられ、末子の水野さんは、お店の番頭さんに養われることになって、いまは、商業学校に通わせてもらっているものの、それでもずいぶん気づまりな、わびしい一日一日を送って居られるらしく、私と一緒に散歩などしているときけが、たのしいのだ、とご自分でもしみじみそうおっしゃっていたことがございます。身のまわりに就いても、いろいろとご不自由のことがあるらしく、ことしの夏、お友達と海へ泳ぎに行く約束をしちゃったとおっしゃって、それでも、ちっとも楽しそうな様子が見えず、かえって打ちしおれて居られて、その夜、私は盗みをいたしました。男の海水着を一枚盗みました。  町内では、一ばん手広く商っている大丸の店へすっとはいっていって、女の簡単服をあれこれえらんでいるふりをして、うしろの黒い海水着をそっと手繰り寄せ、わきの下にぴったりかかえこみ、静かに店を出たのですが、二三間あるいて、うしろから、もし、もし、と声をかけられ、わあっと、大声発したいほどの恐怖にかられて気違いのように走りました。どろぼう! という太いわめき声を背後に聞いて、がんと肩を打たれてよろめいて、ふっと振りむいたら、ぴしゃんと頬を殴られました。  私は、交番に連れて行かれました。交番のまえには、黒山のように人がたかりました。みんな町内の見知った顔の人たちばかりでした。私の髪はほどけて、ゆかたの裾からは膝小僧さえ出ていました。あさましい姿だと思いました。  おまわりさんは、私を交番の奥の畳を敷いてある狭い部屋に坐らせ、いろいろ私に問いただしました。色が白く、細面の、金縁の眼鏡をかけた、二十七、八のいやらしいおまわりさんでございました。ひととおり私の名前や住所や年齢を尋ねて、それをいちいち手帖に書きとってから、急ににやにや笑いだして、  ――こんどで、何回めだね?  と言いました。私は、ぞっと寒気を覚えました。私には、答える言葉が思い浮ばなかったのでございますまごまごしていたら、牢屋へいれられる。重い罪名を負わされる。なんとかして巧く言いのがれなければ、と私は必死になって弁解の言葉を捜したのでございますが、なんと言い張ったらよいのか、五里霧中をさまよう思いで、あんなに恐ろしかたことはございません。叫ぶようにして、やっと言い出した言葉は、自分ながら、ぶざまな唐突もので、けれども一こと言いだしたら、まるで狐につかれたようにとめどもなく、おしゃべりがはじまって、なんだか狂っていたようにも思われます。  ――私を牢へいれては、いけません。私は悪くないのです。私は二十四になります。二十四年間、私は親孝行いたしました。父と母に、大事大事に仕えて来ました。私は、何が悪いのです。私は、ひとさまから、うしろひとつさされたことがございません。水野さんは、立派なかたです。いまに、きっと、お偉くなるおかたなのです。それは、私に、わかって居ります。私は、あのおかたに恥をかかせたくなかったのです。お友達と海へ行く約束があったのです。人並の仕度をさせて、海へやろうと思ったんだ、それがなぜ悪いことなのです。私は、ばかです。ばかなんだけれど、それでも、私は立派に水野さんを仕立てごらんにいれます。あのおかたは、上品な生れの人なのです。他の人とは、ちがうのです。私は、どうなってもいいんだ、あのひとさえ、立派に世の中へ出られたら、それでもう、私はいいんだ、私には仕事があるのです。私を牢にいれては、いけません、私は二十四になるまで、何ひとつ悪いことをしなかった。弱い両親を一生懸命いたわって来たんじゃないか。いやです、いやです、私を牢へいれては、いけません。私は牢へいれられるわけはない。二十四年間、努めに努めて、そうしてたった一晩、ふっと間違って手を動かしたからって、それだけのことで、二十四年間、いいえ、私の一生をめちゃめちゃにするのは、いけないことです。まちがっています。私には、不思議でなりません。一生のうち、たったいちど、思わず右手が一尺うごたからって、それが手癖の悪い証拠になるのでしょうか。あんまりです、あんまりです。たったいちど、ほんの二、三分の事件じゃないか。私は、まだ若いのです。これからの命です。私はいままでと同じようにつらい貧乏ぐらしを辛抱して生きて行くのです。それだけのことなんだ。私は、なんにも変っていやしない。きのうのままの、さき子です。海水ひとつで、大丸さんに、どんな迷惑がかかるのか。人をだまして千円二千円としぼりとっても、いいえ、一身代つぶしてやって、それで、みんなにほめられている人さえあるじゃございませんか。牢はいったい誰のためにあるのです。お金のない人ばかり牢へいれられています。あの人たちは、きっと他人をだますことの出来ない弱い正直な性質なんだ。人をだましていい生活をするほど悪がしこくないから、だんだん追いつめられて、あんなばかげたことをして、二円、三円を強奪して、そうして五年も十年も牢へはいっていなければいけない、はははは、おかしい、おかしい、なんてこった、ああ、ばかばかしいのねえ。  私は、きっと狂っていたのでしょう。それにちがいございませぬ。おまわりさんは、蒼い顔をして、じっと私を見つめていました。私は、ふっとそのおまわりさんを好きに思いました。泣きながら、それでも無理して微笑んで見せました。どうやら私は、精神病者のあつかいを受けたようでございます。おまわりさんは、はれものにさわるように、大事に私を警察署へ連れていって下さいました。その夜は、留置場にとめられ、朝になって、父が迎えに来て呉れて、私は、家へかえしてもらいました。父は家へ帰る途中、なぐられやしなかったか、と一言そっと私にたずねたきりで、他にはなんにも言いませんでした。  その日の夕刊を見て、私は顔を、耳まで赤くしました。私のことが出ていたのでございます万引にも三分の理、変質の左翼少女滔々と美辞麗句、という見出しでございました。恥辱は、それだけでございませんでした。近所の人たちは、うろうろ私の家のまわりを歩いて、私もはじめは、それがなんの意味かわかりませんでしたが、みんな私の様を覗きに来ているのだ、と気附いたときには、私はわなわな震えました。私のあの鳥渡した動作が、どんなに大事件だったのか、だんだんはっきりわかって来て、あのとき、私のうちに毒薬があれば私は気楽に呑んだことでございましょうし、ちかくに竹藪でもあれば、私は平気で中へはいっていって首を吊ったことでございましょう。二、三日のあいだ、私の家では、店をしめました。  やがて私は、水野さんからもお手紙いただきました。  ――僕は、この世の中で、さき子さんを一ばん信じている人間であります。ただ、さき子さんには、教育が足りない。さき子さんは、正直な女性なれども、環境於いて正しくないところがあります。僕はそこの個所を直してやろうと努力して来たのであるが、やはり絶対のものがあります人間は、学問がなければいけません。先日、友人とともに海水浴に行き、海浜にて人間向上心必要について、ながいこと論じ合った。僕たちは、いまに偉くなるだろう。さき子さんも、以後は行いをつつしみ、犯した罪の万分の一にても償い、深く社会に陳謝するよう、社会の人、その罪を憎みてその人を憎まず。水野三郎。(読後かならず焼却のこと。封筒もともに焼却して下さい。必ず)  これが、手紙の全文でございます。私は、水野さんが、もともと、お金持の育ちだったことを忘れていました。  針の筵の一日一日がすぎて、もう、こんなに涼しくなってまいりました。今夜は、父が、どうもこんなに電燈が暗くては、気が滅入っていけない、と申して、六畳間の電球を、五十燭のあかるい電球と取りかえました。そうして、親子三人、あかるい電燈の下で、夕食をいただきました。母は、ああ、まぶしい、まぶしいといっては、箸持つ手を額にかざして、たいへん浮き浮きはしゃいで、私も、父にお酌をしてあげました。私たちのしあわせは、所詮こんな、お部屋の電球を変えることくらいのものなのだ、とこっそり自分に言い聞かせてみましたが、そんなにわびしい気も起らず、かえってこのつつましい電燈をともした私たち一家が、ずいぶん綺麗な走馬燈のような気がして来て、ああ、覗くなら覗け、私たち親子は、美しいのだ、と庭に鳴く虫にまでも知らせてあげたい静かなよろこびが、胸にこみあげて来たのでございます

2024-09-29

チャレンジャーズ感想[映画感想]

https://wwws.warnerbros.co.jp/challengers/

最後のシーンが良かった。

アートは、タシのおかげで全仏とかを数回制すトップレベル選手になれたけど、いまはタシのコーチングを聞きすぎて心が死んでいた。

アートマッチポイントで、パトリックサーブとき例のサインで、タシとやったことを伝える。それは、10代のころに作ったアートしか伝わらない方法で。

パトリックの動揺作戦成功し、アート激怒してポイントを失う。この段階では結婚している夫としての気持ち

・ただ、おもえもやったんかいという気持ちになり、次第に10代のころのように二人でタシを追いかけていて、テニス切磋琢磨していたころを思い出す。

・その気持ちパトリックにも伝わり、あのころの感じで最後ラリーをする

・それはまさにタシが最初テニスとは、二人の関係、と言っていたことと関係がある

・ともにタシを追い求める二人の男の関係に戻ったのだ

アート感情や心を取り戻す

パトリックも動揺作戦の直前にわざと負けようとしていたときは顔が死んでいたが、動揺作戦の発動時にはやっぱり選手としてわざと負けることはできないと立ち直ることで心が戻っていた。そこからさらに、最後アートと心が通じて最後ハグ友情を取り戻すこともできた。

伏線がいろいろ張ってあり面白かった。でもメインは心情描写であり、伏線による謎解きというわけではなく、話に彩りを添えるという感じで良かった。

アートとタシの夫婦関係テニスが無くなったら終わっていると思うから全米オープンが終わってどこかのタイミング離婚するのではないかと思う。

その後タシがパトリックコーチになって、35歳くらいにピークを迎えるような大器晩成でやってほしい。

でも、タシとパトリックも一緒にいてうまくいくはずがないと思うので、その後は3人はつかず離れず、一時的には連絡がとれずにやっていくのではないか

2024-09-18

この前のポップアップショップで火がついて吉住渉漫画アプリで一気に読み返してた(コミックも持ってるけど実家にある)

ランダムウォーク以前の作品だと単行本に元々挿入されてた柱スペースのフリートーク現在の作者による一言コメント差し替えられてたのは知ってたんだけど、ウルトラマニアック3巻14話①の柱スペースにそのことについての説明があって、「『ハンサムな彼女』の時も余白にこういうふうにフリートークを書いていたのですが、今見ると内容が古いし、けっこうしょーもないことも書いてるので(あのころコミックを読んでくれる人を親しい友達か何かとカンチガイしていて礼儀がなっていませんでした…)とってもらうことにして、代わりに100問100答というインタビューを載せることになりしました。」とのことでなんかざっくばらんで面白かった。

以前の柱スペースも別に意地悪だったり塩対応なわけではなく無邪気に脳直でだべってるかんじなの面白くて私は好きだったけど

あとその柱は

「(ハンサムな彼女は)絵とかめちゃくちゃ下手ですごく恥ずかしいんだけど、今でも私の作品の中で1番好きと言って下さる方も多い、大切な作品です。」で絞められていてよかった。

2024-09-11

anond:20240911213018

いやいやいやwそれ以前からだよ

正確に言うとうごメモやったこからだな

あのころから任天堂信者流入してソニー叩きが加速した

うごメモMiiverseとかイカリングとかもはてなが協力してるよな

2024-09-06

anond:20240906160303

三周くらいしてるでしょ

あのころポモポモ言ってた連中が現状についていけてると思う?

2024-08-29

メンヘラの果て

このあいだ、母にこう尋ねられた。

「おまえ、外出るときローション持ってってんの?」

んな、バカな。と思う前に、

しまった」

そう、感じた。

買ったおもちゃから、ローションだけ取り出して捨てるはずが、ポケットに入れたまま忘れていたのだ。

そのとき適当にやりすごした。さあね、とぼけるように。

自分限界について、強く感じている。もう生きているのが困難だな、苦しいな。主治医には、

理由は、あるでしょうか……?」

と、言われても毎年おもい当たらない。

完全におもい当たらないわけではなく、借金だとか、交際関係だとか、こうやって精神状態が悪くなると、この二つがだいたいおかしくなる。

借金は、お金が親管理になってから、いっさいのお金を渡されなくなった。ほしいものは、親にお願いするしかない。親は嫌そうにグチグチ言って、買う。あとは、何か売って買うしかない。

親は、あるときお金についてのやりくりを、自分お金を渡す方向で提案してきた。それは好条件で、よいやり方だった。でも、自分は親とお金の話をしたくは、ないのだ。どれだけ好条件でも、話をしたくないのだ。私は、今年も借金をし、150万くらい、いった。

ものを買う自分を止めることができない。Kindle本を買う。あの作家はあるのか、あの本はあるのか。ポチポチポチ……。気づくと、三万くらいはなくなっている。何故?

次の日、Kindleを眺めて、私は

「昨日の私は、いいラインナップを買ったな」

買った本を覚えていないから。

だらしない。私は、だらしない。なのにどうして、毎年ちがう交際相手がいる。どこに惹かれるのか、いや、私がだらしないからか。そうか。

中学から連絡を閉ざす癖があった。いや、私としてみれば、もうあなたと話したいことは、何もないのだ。もうなにも考えられない。

ごめんなさい。

そんなことを思っているのか?

からない。

本当に、わからない。

あなたはどうして私のことがそんなに好きなの?

私は今年、はじめて死にたくて死にたくて、頭を抱え、頭をベッドに押し付け、呻き続ける体験をした。

と、思っている。

たぶん、これまで生きてきて、こんな体験はしている。

じゃあ、どうしてそう思っているのか。

その頃とは違う、つよい苦しみを感じているからだろう。

なら、どうして?

わかりません。

精神的に異常がある。病院で診断されたさい、死にたくてしかたなかった。いまとは別のしかたで。しかし、生きるならば、障害年金だの生活保護だの、そういった支援のもと、生かされるんだと思った。かたや、もう生きるのはラクだ。かたや、国は人を生かしたがっている。と思った。

はじめに書いたエピソードが、ここ数日、死にたくなると思い出す。

外に出て、たばこやらを買うと、近所に友達の家を見つける。けっして比較しているわけでも、ひがみでも、自分を下げているわけでもない。けれど、私は、もう、どこに出ても恥ずかしい人間なんだ、と思う。

同窓会に呼ばれたことは、一度もない。成人式に行かなかった。だから当たり前だとおもう。

ネットで見ていた、2chとかの、こういったことを話している人を

「そんなんあるのか」

と、思っていた。

中学で、いきなり変にグレた友達をみて

「こいつは成人式にも行かないし、同窓会にも呼ばれないだろうな」

と、思っていた。

でも、なにかしらのSNSは、当時の友達と繋がっているのだ。

私には、それをできるほど、友達との関係を、いい加減にできなかった。

違うだろう。大好きな友達しか会いたくないんだろう。

しかも、大好きな友達とも会えなくなる時があるだろう。

話すことも苦しくて、一挙一動に責められる可能性があると考えているだろう。

会えないんだ。喋れないんだ。苦しいけど、なにが苦しいのかわからない。

あのころから、ずっと変わらない。

助けてと言えない。いう理由がないんだ。

ながれるままに、おなかがすいたから、ご飯を食べるように、死にたいんだろう?

死にたいんだ。

そうなんだ。

私は、3日に一回くらいは、夢に小学中学友達が出てくる。

恩師や大好きな友達出会う。

そのたび私は苦しい。

2024-08-01

ふたたび精子観察キットを使ってみた

 少し前に、精子観察キットで自分が放った精子を眺める増田を書いた。

https://anond.hatelabo.jp/20240711233856

 相変わらず仕事漬けの日々で、なかなか友達に会うとか旅行に行くような時間も取れず、最近は夜な夜な性教育の実技というか実験を試すのが楽しみになってしまっている。少し成果があったので、学んだことを書こうと思う。

新たな精子観察キットとの出会い

 前回の記事で、ロート製薬が発売している精液検査キット・ドゥーテストという商品が気になっていると話した。ドゥーテストというのはもともと妊娠検査薬ブランドのようで、そこに精液検査ができるキットが追加されたようだ。2回測定できて、5500円というやや高価なセットであるが、そこそこきちんとしたセルフ検査キットとなると、それくらいの値段が相場なのだらうなと言う感覚を受けた。

 なぜ、このドゥーテストが気になったのか。それは他の精子観察キットにはないレンズに魅力を感じたかである。これまで試してきたSeemやメンズルーペは、小さなレンズスマートフォンに貼り付ける方式採用していた。しかしドゥーテストは置き型の筒状のレンズ採用している。しかも他の製品にはできなかったピント調節機構を有している。メンズルーペは安価精子を観察できると言う特徴を有していたが、反面、精子解像度には弱点があった。seemがサービスを停止したいま、高解像度精子観察キットを探すことが筆者の中で大きな課題なのである

購入

 ドゥーテストロート製薬通販で発売している商品だが、Amazonで購入できるようになっていた。実家ならしながらこんな研究に興味を持ってしまった筆者はAmazon宅配ロッカーを愛用している。速さでいえばヨドバシに軍配が上がるとはいえ、ナイショなものAmazonで買うに限る。

 ある程度の金額を購入すると送料が安くなるため、今回のような高額商品は細かいアダルトグッズ抱き合わせで買うようにしている。今回は女性立小便するときに使える使い捨てトイレ用品を抱き合わせで購入した。このレビューはいつか別の記事で紹介しようと思うが、そんなふうにあれやこれやを買っては秘密レンタルロッカー収納していける、便利な時代に生まれたことをこんなに喜べる瞬間があるだろうか。そうやってこの日も、時折コンビニに行ってはこそこそと不透明紙袋を受け取った。ネカフェ開封して取扱説明書を読む。

寝た子を起こせ

 箱の中身は至って普通精子観察キットである。至って普通とは、精子を貯めるカップ、観察するためのプレート、レンズ説明書、という組み合わせだ。取扱説明書は注意事項だけ書いてあり、主な使い方はスマホアプリグラフィカルに誘導すると言う流れもだいたい共通している。そこで手が止まる。説明には「2〜7日の禁欲をすること」と書いてあった。しかし筆者は息子ともども我慢ができない。早くこのキットの真価を見たいのである

 そうは言っても、筆者の足を引っ張るのが、まさに股間の息子張本人である男性諸君には理解してもらえると思うが、ちんちんとは自身身体の一部ながら、自らの意思を全く尊重してくれない気まぐれな生物であるカメラを向いてくれない子供オモチャで気を引くように、オカズを用意してみてもちっとも反応しない。ところが仕事で退屈な会議を聞いていると、突如として下腹部突っ張り始めるのである。そして帰宅する頃にはすっかり眠ってしまう。まるで駅ではトイレに行かないくせに電車に乗った途端モジモジし始める子供のようではないか

 そんな息子を、まず「やる気」にさせる必要がある。別に、やる気にならなくとも、手で刺激すれば時代勃起し、射精まだ持っていくことはできる。しかし筆者の体感として、射精時の精液の量はメンタルに大きく関係していると思う。

 自慰行為において、快感射精は必ずしも同時に起こらない。物理的に射精できたとしても、残尿感のように精液が出てこず中途半端感覚を覚えたり、真逆に全く快感なく精液だけ放出してどっと疲れることもある。漠然右手でシコるよりも、交際相手キスをしながら手コキをしてもらった方が、快感も上回るし、コンドームを付けて出された精液の量も比べても気持ち多めのように感じる。精子の量が変わらないとしても潤滑剤になる前立腺液などが多ければ精子は活き活きするのだから、出せるものは出しておいた方がいいのである

 なにより、2発で5500円の高級キットを購入したからには、なんとしてでも"質の高い精液"を生み出したいのは、誰もが思うことであろう。出したい、けど、出せない。筆者の欲望と体力、そしてちんちん意思が重なる時が訪れるのを待たなくてはならない。

時は来た

 某日、家族も寝静まった夜、漠然テレビを見ていた時、それは来た。股間に建ったテントの中で遊んで欲しいと誘っている。時はきた。早速準備をするのだが、手間取るとあっという間に萎えしまう。いざ挿入しようとコンドームを箱から取り出すうちに萎えしまった経験はないだろうか。そこで、キットを準備する前にスキンシップを図る。

 こんなこともあろうかと、あらかじめdlsiteでオナサポASMRを購入しておいた。これはダミーヘッドマイクと言う特殊マイクを使って、耳を舐められる感覚再現したり、耳元で囁かれるシチュエーション再現した音声作品だ。「気持ちよくなっちゃうね」などと囁かれながら息子はご満悦だ。右手を竿に当て、左手に探し物をさせる。パッケージの封は予め開けておいたから片手で採精カップさえ取れればいい。

 準備は整った。あとは耳舐めお姉さんにリードされながら竿に当てた手を動かすだけである刹那、疼いていた下腹部がぎゅっと強張った。裏筋を抑えて漏れないように気をつけながらながら採精カップの底を尿道口にあてがって精液を注ぎ込む。これはseemと同じ使い捨てプラスチックカップだ。計量はできない仕組みになっている。

セットアップ

 出した精液を20分以上放置して、粘度がなくなるのを待つ。酸性の膣内に放たれた精子たちは長く生きられない。アルカリ性の粘液に包まれながら、子宮への道が中和されるのをじっと待っているのである。しばらくして子宮からアルカリ性の体液が出ることで中和され、精液をエネルギー源にして精子たちは卵子は向かって泳いで行く。別々の生き物を繋げる仕組みとしてよくできていると感じる。

 その待機中に機材のセットアップを行う。股間の息子はもう一仕事をおえて、もう筆者の眼中にもないほどに存在感を失っている。まず射精に専念し、そのあと機材の設定を行う。これこそが賢者ベストプラクティスというものだ。

 前回の精子観察の課題として、スマートフォンレンズの大型化を挙げた。今時のiPhoneレンズが大きく、机に置いても水平にならないため、上に検査キットを置くと精液が流れてしまう。すると死んで流されている精子と泳いでいる精子の見分けが難しくなってしまう。

 この対策を考えていたのだが、先日大手300円均一ショップスマホスタンドが売られているのを発見し、300円なら失敗しても痛手がないと思い購入して試した。しっかり水平になった。そしてレンズを取り付け、ピント調節を行う。スマホインカムの周りに滑り止めの両面シールを貼り、その上にレンズを貼り付けるのだが、ピント調節のためにクルクル回せば簡単シールが剥がれてしまう。デモ映像スムーズに回していたがどうやって対策しているのであろうか。

 しばらく待っていると、スマホがカタカタと震え出した。固定がイマイチだったのかとスマホスタンドを確かめていると、今度は床が揺れ出した。地震だ! よりにもよってこんな時に揺れるのか。筆者の心臓は爆発しそうであった。家族が気にかけてやってきたら、こんな光景を目にしたらどうする。慌てて精液カップを物陰に隠し、寝室の動きを警戒しながら、セットアップを続けた。レンズを装着し、試料台に模様が映っていることを確認した。どうやら試料台に等間隔に溝が掘ってあり、この模様をゲージとして1区画に何個の精子存在するかで精子濃度を測っているようだ。

精子との対面

 液化した精液を試料プレートに垂らす。プレートは顕微鏡のプレパラートに相当し、カバーガラスが接着されている。精液を棒の先につけて、この棒を試料プレートに載せると、カバーガラスの間に毛細管現象で精液が染み込んでいく。カメラ越しにも、液体が流れ込んで粒々の精子たちがなだれ込んでくるのが見える。かなりの密度だ。しばらくすると浸透して、精子の流れが落ち着く。すると精子たちが四方八方に動き回る様子を見ることができるのである

 青い精子に再び会うことができたことに喜びを感じながら、測定を始める。しばらくして結果が出た。1600万匹/mlと言う数値で、WHO基準より上回っているとの結果だった。しか過去データを見れば、筆者は2400万匹/mlの濃度で精子を出せていた。あのころから月日が経ち、時代健康診断医者から注意される項目も増えてきた。身体の衰えには抗えないのかもしれない、と感じて切なくなってしまった。仕事も忙しいので一過性のものかもしれないが、このまま測定を続けて数値が上がらなかったらどうしようという不安もある。いや嫁もいない男が受精能力ことなど気にしても仕方ないのだが、大切なことは目に見えないのである

 それはそうとして、このレンズ精子をよく拡大してくれるところは面白い。改めて観察するとすでに半分くらい動いていないように見えるが、それを除けば元気に泳ぎ回っている様子を観察して、アプリとは関係なくスマホ動画を撮ってみる。同じような構造レンズではseemのほうがピントがきっちり合って観察できたように感じるがこれほどの倍率はなかった。

ピントが合いづらい理由を考えてみたが原因はよくわかっていない。スマホ保護フィルムなどの厚みが焦点距離に影響してしまうのだろうか。しかし、精子観察のためにわざわざスマホ保護フィルムを剥がすのは、少し考えものである。真面目にやるならバキバキになってもいいiPhoneSEでも調達して観察した方が良いのではないかと思う。

生殺与奪

 一通りの観察を終えた。精子受精卵にたどり着くことを使命とし、精液に守られながら子宮を目指す。したがって厳しい外界では長生きできない。

 しかし前回の増田でこの精子にあれやこれや実験をしてみてはというコメントを見た。そして精子はまだ細胞でありながら生命ではない。片付けるついでに気になったことを試してみる。筆者はこの精子たちの生殺与奪を握っている。

 試しに、試料台にティッシュペーパーの切れ端を載せてみる。液が吸い寄せられ、精子たちも漂うように吸い寄せられていく。しか精子たちはそれでも元気に泳いでいる。

 次に気になった点として、このキットを水洗いしてみると言うものだ。説明書では使い捨てと書かれているが、正確な数様に影響するにしても精子を見るだけなら洗えば使えるのではないかと思った。ものは試しだ。水につけて洗い流してみて、再びレンズの上に乗せる。

 驚くことに、まだ精子がいた。本当に少なくなってしまったが、よろよろと泳ぎ回る個体がところどころ残っている。カバーガラスの間に水を流し込むのは難しいらしいが、水道水に流してもある程度は生きられるのかと驚いた。まだ精液の粘液部分を身に纏って生き続けていたのかもしれないが、筆者が想像する儚い細胞というイメージ覆った。

 これではキットを再利用できないということを改めて実感したとともに、一度放たれてしまった精子を完全に追放する仕組みの難しさも感じた。もちろんカバーガラスの中の狭い空間というのは特殊空間だが、膣内だって広い空間ではない。筆者な単純計算で一発で8000万ほどの精子を送り込むことができる。そんな数の精子たちが膣内に放たれてしまったら、僅かも子宮に辿り着いてしまったら。膣を水洗いするなんて簡単にはできないであろう。よくコーラを流し込めば避妊できるなんて俗説を信じるなという性教育を見かけるが、イメージに反して精子はしぶとく生きることのできる細胞なのかもしれない。

 そしてここまで書いて気づいた。せっかくなのだからコーラを垂らして精子が本当に死ぬか確かめてみればよかったのだ。精子はもう片付けてしまったし、うちの冷蔵庫三ツ矢サイダーなのだ。なんて愚かなことをしてしまったのだろう。大学時代理科実験はやり直しが効かないか実験計画作成重要であると散々言われたのを、今更思い出した。筆者の2800円がこうして散っていった。

実験を終えて

 ドゥーテストは、倍率も大きく、精子をよく見ることができた。さら精子の量を測定してくれる貴重なサービスとなったので、妊活指標としたい人には向いているかもしれない。

 ただ、ピント調節が少し難しく、はっきりと精子を観察できるわけではないという点も課題として感じた。採精カップメンズルーペが優れていると感じているので、メンズルーペのカップ射精し、ドゥーテストレンズで観察するのが最も効率よく精子観察ができるのではないかと思った。またカップも使い回すと精子が残ってしま可能性があるので、入念に洗うことが必要であると学んだ。

 また、ドゥーテストの高倍率レンズ精子の動きを観察するのにとても良いので、可哀想だが精子にあれこれ試して動きを観察してみると面白いと思う。酸性状態にしてどれほど生存できるか、などは特に気になった。しかしこう言う実験をするのであれば、闇雲に料理酢を流し込むなどと言うのはナンセンスで、pHを正確に測らないと意味がない。測定するための試験紙を買うのが良いのか、紫キャベツを煮出すのがよいのか、と頭を抱えながらamazonで調べると、2000円もしないpH測定器が売られているのを見る。ガチャポンを回すくらいの気持ちオモチャと割り切って買うか、やめておくか。悩ましい。

 そして筆者は実際の膣がどれほどに酸性環境なのかを知らない。どうやって測定するのがよいだろうか。一番シンプルなのは交際相手女性に、「膣内にph測定器を突っ込ませてくれ」と頼むことだが、ひみつ道具存在すら打ち明けられずにいる相手にこんな話をしたら精子をどうこうするまえに筆者の人間関係がどうにかなってしまうし、女性の性周期を知らない筆者にとって測定するタイミングも難しいと感じてある。どこかに膣のpH趣味で測っている物好きなレディは居ないものだろうか。

 さて、前回のコメントでこんなものがあった。

男性顕微鏡を買うと精子を観察してみるらしい」とのこと。顕微鏡なんて一般のご家庭にあるわけがないだろうと、試しに500倍の顕微鏡の値段がいかほどのものか調べてみた。するとヨドバシに5000円くらいの子供向け顕微鏡があることを発見してしまった。最初からこれを買えばよかったのではないか……? しか顕微鏡なんてますます置き場に困る。でも精子観察し放題、好きな時に好きなだけ射精して観察できるのである20代の筆者がコンスタント精子を観察して何十年かデータを溜めたら、それこそ何か世の中に役立てることができたりしないだろうか。いや精子よりもっと仕事とか町内会とかできちんと社会貢献した方がいいことはわかっているのだが。

 あとは一案として、とりあえず顕微鏡を買って、しばらく精子観察に使ったあと、飽きたら近所の子どもらに寄贈してやろうか。子供を産むか産まないか、それ以外にも未来世代にできることはあるだろう。

 いや、思春期学生顕微鏡プレゼントする財団でも作るなんてアプローチもあったかもしれない。これは教育振興である。まずは花粉とかプランクトンとか観察してもらって、科学に興味を持ってもらう方が重要で、そこからどういった方向に探究心が芽生えようとそれは本人の自由である科学大国日本を支える若者を増やしたいと願っている筆者の気持ちに偽りはないのだから

2024-07-30

似たような話で anond:20240730132833

テレビ相撲中継なんか見てて、どこがおもろいの?

...って子供の頃からだいたい40歳前後まで思ってたんだよなーw

相撲やってる時期には、オヤジ絶対TVチャンネル権もってて、夕方アニメ番組とか見れなくて不満だったこと夥しい。

しかし、自分あのころオヤジと同じくらいの歳になってみると、なーんか相撲ちゃうんだよなー不思議とw

いろんな力士の経歴背景その他のエピソードとか、そういうのちょっとずつアタマに入ってくると、興味とか思い入れとか湧いてきちゃう、て感じか?

2024-07-15

今回も抜けないかな〜って思いながらもつ◯きの新刊を買うでしょ?

案の定抜けないんだよな

あのころのも◯あきを返してくれ

2024-07-14

anond:20240707104455

かつての医学部入試問題かよって思った。

まあ、人が握ったおにぎり食べられない人ってのはいるね。

中村うさぎが潔癖というのは距離感みたいなことを言っていて、彼女なりの下品な言い方で好きな人ならちんこもしゃぶれるんだろみたいなことを書いてたのを思い出した。

それを読んでハッとさせられたが、あのころ自分は何が嫌だったのか自分でもわからないけれど、親父のすべてが汚いと感じてたな。

2024-06-19

家族が一番ぐちゃぐちゃだったこ

小学生の娘たちが喧嘩とき

刃物を持ち出して罵り合ってたって

問題が片付いて落ち着いて1年も経ったころに娘から告白された

あのころ子供教育方針の行き違いがきっかけで夫婦仲が最悪で

夫は家を出て

私も鬱になりかけてて

それでも子供たちとはできるだけ接するようにしてたつもりだったけど

完全にそれはネグレクト状態だったんだなって

私が思ってたよりずっと家族は危ない状態だったんだなってゾッとした

あのままあそこにいなくてほんとによかった

2024-06-16

あのころの「ちいかわ」はもういない

2020年ごろからずっと好きだった「ちいかわ」。

いまではさまざまな企業コラボし、なんでもかんでもグッズ化されている。人気グッズは転売ヤーによって駆逐され、

オンラインストアに関しては注文したものは数ヶ月経っても届かないことがザラにある。殿様商売だ。

アニメ放送され、お台場や各ポップアップストアでイベントが開催され、子どもから大人まで、そして日本だけでなく海外でも人気だ。

もの凄い盛り上がりを見せ、日本経済はちいかわによって動かされていると言っても過言ではないほど影響力を持っている。

だけど、僕が好きだったあのころの「ちいかわ」はもういなくなってしまった。

僕が好きだったのは、可愛いグッズとかアニメとか撮影イベントとかそんなものじゃない。その世界観だった。

いかわの世界は、僕らが生きているこの世の中の縮図だと思っている。

いかわの世界でも労働によってお金を稼ぐ。登場人物ほとんどは日雇い労働者だ。

ハチワレちゃんに関してはホームレスに等しい。

日本にもこういった世界はいまだに存在している。山谷西成寿町など日本三大スラム街では見慣れた光景だ。

いかちゃんたちは「草むしり」や「討伐といった仕事をすることで報酬をもらえる。特に討伐は危険仕事で、大怪我をしたり、最悪「死」となり帰らぬこともある。

その労働で得たお金を使う先にはいだって鎧さんたちがいる。鎧さんたちが、ちいかわの世界を牛耳っている支配者だ。

鎧さんが募集する仕事をこなし、そこで得た報酬を鎧さんが運営するお店で使う。まさに食うもの・食われるもの、僕らの世界のものだ。

見た目はかわいいが、この世界の縮図そのものなのだ。それこそがちいかわの根底眠る物語面白さだ。

いまのファンほとんどは、ストーリーはよくわからないけどかわいいからグッズを購入している人がほとんどだろう。

部屋に大量のグッズを並べて写真をアップしている人たちもよく見かける。表面だけを見て本質を見極められていない、薄っぺらファンばかりだ。

よく中国人転売ヤーについて文句を言っている人がいるが、日本人もたいがいだ。

代理購入したり転載禁止画像転載してアップしていたりする。やってることは転売ヤーと変わらないだろう。

モラルリテラシーのないファンの行動にもううんざりだ。本当にファンの質が急激に下がった。

から僕は、これからは遠くから見守ることにした。

嫌いになる前に、あのころの好きだった「ちいかわ」のままでいるために、僕はもうファン卒業する。

2024-06-14

本当にしてよかったセックス

学生時代のこと

入学当初、地方から出てきた俺は期待や緊張やらで毎日がなんとも言えないそわそわした気分だった。

ある日学生課で手続きことなどを色々聞いていたら、後ろから声をかけられた。

「あ、~学部ですか?私もです」

淡い茶色ふわふわしたパーマが特徴的な、明るそうな女の子だった。

それをきっかけにして入学当初はその子(以下M)と一緒になることが多かった。

徐々にそれぞれ別の友達も出来ていったが、共通友達同士でのグループ付き合いもあり、よく一緒に遊んだりしていた。

そしていつの間にかMは俺の友達の一人と付き合うことになった。正直Mは俺の事を内心気になってるんじゃないか勝手に思いこんでたので少し驚いた。

でも自分から積極的にモーションをかけるようにも見えなかったし、押しに弱そうだったので流れで付き合うことにしたのかなと思ったりした。

俺は俺でMのことはなんとなく気になってはいたけど、これといったきっかけもないまま友達関係になってしまったので、

結局告白してきた他の子と付き合うことになった。

学生時代の変化は大きいもので、1年もすれば遊び方なども互いにだんだん変わってきて、一緒になることは減っていった。

Mは実家から通っていたし真面目タイプだったが、俺は少しずつ悪い遊びなども覚えていって大学サボる事も増えていった。

それでもたまに、なにかのタイミングで二人だけになることがあった。

人が少なくなった夕方過ぎの食堂や、同じ科のたまり場になっていたソファを置いた棟の踊り場なんかでばったり会ったりすると「おう」なんて言って

そういう時はいつも周りの友達といた時の空気と違って、

最近どうなの?そちらは」なんて昔なじみのようなしっとりとした会話になった。

俺は大学にいる間、何人かの女の子と付き合った。

それらについてMとは深い話はしなかったけど、「なんか面食いだよね~」とかからかうような事は言われたりした。

Mは俺の友達と付き合っていたのでそのどちらからも話を聞くことはあった。

俺の友達は少し強引なタイプで、Mを振り回してるなと感じる事も多かった。

たまに心配になって聞くと、まあ腹立つけど、そういう振り回されるの嫌いじゃないのかもと言って顔を赤くしてた。

俺は特に嫉妬心もなかったし、へーそうなんだなあくらいにしか思ってなかった。

大学生活が終わりを迎えようとするころには俺もMも付き合ってた相手とは既に別れてしばらく経っていた。

恋愛より就職の事で忙しかったし、他の友だちも含めてみんなで集まるということもその頃にはずいぶん減ってしまっていた。

大学は少し田舎にあったので、東京就職する予定だった俺はアパートを引き払う必要があった。

先に東京に住んでいた兄弟の家にしばらく居候させてもらうことになって、必要もの友達に手伝ってもらって運んだりしていた。

俺の借りていたアパート大学にかなり近かったこともあって、在学中はちょっとしたたまり場のようにもなっていた。

卒業間際には在学中よく遊びに来ていた友達が入れ代わり立ち代わり、懐かしむように俺の部屋に遊びにきた。

ある日、大方荷物も運び終えてほとんど空っぽになったその部屋にMがやってきた。

「なんかさー~ちゃんに聞いたらみんな〇〇くんの家に遊びに行ってるって聞いてー じゃあ私も行ってみようかなーって」

Mも以前は時々遊びに来ることがあったのだ。

久しぶりにゆっくり二人で話せたこともあって、昔話は尽きることがなくて昼に来たのにあっという間に夕方になっていた。

色んな笑い話、共通友達が心を壊して大学を辞めた時のこと、一緒にしたバイト先のこと、重い話もあったけどとにかくたくさん話した。

Mとはそんなに遊ぶこともなくなっていたのに、こんなに共有していたことがあったんだなって改めて驚いたりもした。

・・・なんかさ、入学たころ覚えてる?」

さすがにそろそろ話題も尽きたかなというころ、急に思い出したかのようにMがそう言った。

色んな話はしていたけど、出会った入学当初の事だけはいつの間にか二人の間で絶対に話に出ることはなくなっていた。

まるでタブーみたいに、なかった事かのようになっていたのだ。

からその頃の話題が出てドキっとした。

「覚えてるよ学生課が最初じゃない?」

「そうそう!ね!」

そこまで言ってMはしばらく黙ってしまった。

「あの頃パーマだったよね、ふわふわした感じの」と言ったら

「あーそうだ、恥ずかしいわーw」

と言って顔を赤くしてまた黙ってしまった。

沈黙がしばらく続いてなにか違う話題を切り出そうとした時に

あのころさー 私さーけっこうあれ、、◯◯くんの事けっこう好きだったんだよね~アハハ」

Mがそう言って顔を真赤にしたまま大きく笑った。

内心やっぱそうだったのかと思いながらも「え、えー、そうなの?」と白々しく俺は驚いてみせて「でもいつくらいから?」と聞いた。

「いやーわかんない、好きなのかもなーって感じ?ふはは」

「そっかあ、、でも俺もけっこう気になってたよ」

「えーー嘘だあ、だって全然私〇〇くんのタイプじゃないじゃん!」

「いやほんと、かわいいし」

そんな会話を一通りして、学生生活忘れ物のような答え合わせを二人で終えた。

ベッドはもう運んだ後だったけど寝るためにマットレスや布団はまだ残っていた。

そこに座って話していたか距離は近かった。

特になんのきっかけもなくごく自然彼女キスをしてしまった。

そのまま二人でセックスをした。

ゴムをつけてるときに「フフ」と笑った彼女が急に大人びて見えた。

してる最中はなんとも不思議な気分だった。

感動はないしすごくドキドキするというのもないけど。

とにかく心地よかった。

事が終わって二人で横になって手をつないだ。

しばらく顔を見つめ合ってどちらともなく笑いだしたらその後発作のように笑いが止まらなくなった。

そうやって二人で爆笑しながら、ああこれは生涯忘れないセックスかもしれないと思った。

anond:20240614122144

「2位じゃ駄目なんですか?」も今ではすっかりバッシングした側が悪いことになってるしな。

俺たちがあのころ必死でやってたネガキャン無効化されてるのが痛い。

2024-06-10

「戻らないんです…」「知らん!」

おととしのちょうど今頃かあ

大正区の おもろ ばっかり行ってたの

何を考えたのか東関東アジサイ寺に遠征して、千葉モノレール乗って来てたり

職場ではデジタル表示で温度指定できるハンダゴテや瞬間的にダブついたマイクロビットを売ろうと無い脳ミソしぼって顧客アピールしてた

あのころはよかったなあ

あのころあのころで日々に飽いてたけど

2024-06-09

大昔、ニコニコ動画投稿者だったんですよ

なんで増田に書くかって、投稿ジャンルが「例のアレ」だったからなんですけどね

まあぼかしてもしょうがいから書くと、メインは神社アレンジでした

もちろん無名です、でも今の下手すりゃ再生一桁な零細ユーチューバーとかとは違って、例のアレジャンル(今は知らないが)はどんなに底辺でも一定は伸びるんですよね

当時(2016年)はもう神社アレンジブームピークすぎてるはずだけど、どんなに伸びなくても3桁は行きましたし、一つだけ10000再生を超えることができました

神社アレンジの中でも既存曲のメロディ神社に変えて出すタイプで、独自性あんまりなく作曲EDMもよくわからないまま(そもそもEDMソフトじゃなくて楽譜作成ソフト使ってたし、音源ほとんどレ淫棒サウンドフォント固定だし)最後は飽きて終わってしまったけれど、リアルの知り合いにこそ誰にもいえませんが自分の中では割といい思い出です

投稿しなくなっても数ヶ月に一度思い出したとき自分投稿一覧見に行って、再生数増えたかとかコメント増えたかとかチェックして、たまにお褒めのコメントが増えていたり2525再生達成通知きてるの確認して、その作業ちょっとだけ自己肯定するわけです

思えば人生においてやった趣味において、ほぼ唯一発信型の趣味、まあ発信先が今思うとありえなさすぎますが、ああいアングラでないと発信する勇気はでなかっただろうなと思います

サーバー攻撃の影響でもしかするとニコニコ動画が消えるかもしれないとXでみて、自分動画達はもう闇に消えてしまうかもと思うと、複雑な気持ちです

あのころ自分作品が消えてしまうのは悲しいけれど、よく考えたらあん人権侵害ジャンルにいた痕跡なんて、本来は消えたほうがいいんですよね

界隈離れてああいう界隈が存在することの酷さがわかるようになって、それでも、消えないでほしいなあと思う自分もいます

だって全然伸びてなくたって、私は私の作り出したものが大好きだから!どんなに下手くそでも、どんなに他人に言えるものでなくても、自分のこだわりが入った作品がけっきょく自分にとって一番心地いいものから

からニコニコには頑張ってほしいと思います自分投稿確認するとき以外サイト開いてなくてごめんね、復旧したらちょっとは他の動画再生しま

2024-06-04

漬物が腐ってて1週間徹夜した実体験を思い出したので書く

https://togetter.com/li/2377866

漬物製造許可の話を見ていて、入社2年目そこそこ位のころにおきたトラブルのことを思いだしたので書く

入社2年目くらいのころ、時代はたぶん21世紀なるかならないかのころ、某食品会社プレゼントキャンペーン仕事をした。

プロモーション会社とあれこれやって、商品キャラストラップQUOカード(当時はテレカだったかも)とか用意する中で、クライアントから特等を漬物の定期便にしたいという要望があった。

その食品会社は自社で漬物なんかあつかってないので、別のところから調達する必要があった。

プロモーション会社相談して、あれこれ探り、奈良漬物会社半年6回の京漬物定期便をやってくれるところを見つけた(会社奈良だけど京漬物…)。

上代的にもクライアント要望にはまったので無事実施となった。

漬物頒布会の当選人数はたしか30名程度。

キャンペーンも終わり、当選者も決まり発送が始まった。

こうなると僕は仕事は精算に向かうので、あまり仕事はなくなるし意識もそちらに向かなくなる。なので、しばらくこのキャンペーンのことは忘れていた。

ある日、プロモーション会社の人(Aさん)から携帯電話がかかってくる「増田さん、当選者の方から漬物が傷んでいたという連絡が入ったのですが…」

へっ!なにそれ、そんなことあるんか?と状況を詳しく聞くと

漬物は定期便で毎月1回送られてくる。

・その会社は通常の通販(だけでなく、スーパーなどに卸す際もだったらしい)でも常温で行っていて、今回の配送クール便ではなかった。

当選者は定期便のタイミング旅行に行っていて不在で、荷物配送会社(〇川)は宅配ボックスに放り込んだ(当時はまだ宅配ボックスは登場したてだったと思う)

・運が悪いことに季節は8月宅配ボックスの中で漬物ガンガン発酵が進み、さらには雑菌で傷んでいった

・かくして、当選者が旅行から帰ってきてロッカーを開けたら激臭を放つ謎の物体がそこにはあり、さすがに伝票にあった問い合わせ事務局に連絡を入れた次第。

僕の第一声は、えっ、漬物って常温で発送するの?と。Aさんは、ちょっと口を濁しつつ、ええ、まあそういうもんらしいですと。

というか、食べ物宅配ボックスいれないよねえと言ったが、その時代特にそういうルールもなかったらしい。

まあ、不在が1時間なのか1日なのか1週間なのかなんてわからんもんね。

僕は顔を真っ青にしながら、上司営業に報告。営業第一報はクライアントに入れ平謝りしつつ、方針を決める打ち合わせをスタート

その日から僕は1週間くらい半泣きで徹夜仕事だった。

結果、30人の当選者全員にうちの会社営業が5人くらいで手分けをして、マニュアルを作りつつ連絡を入れる。

3日くらいで全員に連絡はついたが、結果、たまたまだがそういう事態にあった人はいなかった。

当初不在でもその日のうちに受け取れていたようだ。

クライアントと今後の方針検討した結果、配送会社は変更してクール便対応(もちろん金額こちらの持ち出し)しつつ、漬物会社クライアントと弊社の偉い人で視察に行くことに

漬物会社出張から帰ってきた上司にどうでした?と聞いたら、苦笑していた。

「まあ、小さい会社だろうし、漬物ってもう地元のお店が町工場仕事広げましたみたいなところだろうとは覚悟していたがそれ以上だったよ。もうほぼ店の奥に工場があって、そこで作ってるってレベル工場なんてもんじゃない。厨房よあれは。衛生管理なんてあったもんじゃないわ」

マジかと僕の顔が青ざめていたのを見た上司は、まあ落ち着けと言いながら

「まあ、クライアントもこうだろうなとは思ってたみたいで、こちらでコントロールできる最善をやろうとなったよ」

といって、結局、残り3回の宅配クール便。パッケージこちらで厳重に封をするスチロールケースを用意(前は紙箱だった)、発送は漬物会社ではなくプロモーション会社から行い、プロモーション会社側が発送前に発送予定日を連絡。3日以上の長期不在時は送らず、それ以外の方も日時変更を引き受ける。

そのため、漬物の種類は若干日持ちが長いものに変更。

といった対策を行うことになった。(ほかにもいろいろやったが、詳細は書かない)

残りは9月10月11月の3回だったのは不幸中の幸いで、夏ほどには長期不在の人はほとんどおらずそれからトラブルはなかった。

クライアントには平身低頭しつつ、僕はこの辺の火消しを真面目にやったので僕自身への怒られはそこまではなかったし、社内での評価もさほど下がらなかった。

元々こういうのは利益10%もでれば御の字だったが、たしか5%を切っていた記憶事由書を書いたと思う。

 

なので、漬物がそんなに腐るかと言われたら、いや、現代漬物は腐るよ(現代じゃなくても当時もたぶん腐ってるよ)と僕は言うと思うし、あのころよりも今の方がはるかに厳しい時代から、おばあちゃん善意と小遣い稼ぎのために漬けた漬物道の駅で買って、それがたまたま腐っていたのを食べたことをSNSで大騒ぎにしたりしたら、おばあちゃんはショックで不幸なことになるんじゃないかなと思うと、ちゃんと線引きをするのは大事だと思うんだよ。今時の猛暑は昔よりもはるかに急速に発酵を進ませるというのもあると思う。経験則上、今の夏の冷暗所って全然冷暗所じゃないし。

なので、このニュース自分伝統だとか大企業の横暴だみたいな憐憫は全く感じない。

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