はてなキーワード: 統計学的とは
そんな増田に幸い数多くのお見合い申し込みがあるのだが、ごく稀に家事手伝いが
混じっているのだ。
。。。
でもそういう肩書きの人にかぎって、容姿が少し個性的で体型も自然に身を任せたような欧米スタイルでありこちらも大いに戸惑っている。
おそらく統計学的には0%と断定できてしまうと増田は考えているが、当人が1%でも可能性があると思っているのだとしたら、
それは婚活の担当者の欺瞞であり、いかに可能性が低いか入会前に統計データとともに説明する義務があったのでは?と思う。
例えば男性が年収300万円台で婚活市場で成婚する可能性これも極めて低いというデータがあるわけで、そんな人間から毎月徴収するのだ。
成婚する可能性もないのに、毎月徴収しながら現実の厳しさを学ばせるのだ。
あと余談だが、婚活者のプロフィールに添えられる担当者コメント、これいちいち容姿に触れるのは失礼極まりないと思う。
美人だの目がかわいいだの、笑うとかわいいだの、明らかに褒めるに値しない人間もいるのに、こんなところで差をつけてどうする?
逸失利益裁判の敗因は原告陣営に数学力(特に統計学の知識)がある人がいなかったからと考えてみる。
そもそもなぜ障害者という括りの中で算出されなければならないのか?個人には無数の属性があってその数だけ括り方もあるはずだ。
聴覚障害があるという共通項で集めた人の収入の分布は確かに低いところにピークがある山なりのグラフになって、それは健常者で集めたものの85%に相当するのかもしれない。
しかし件の女子も該当するような、成績がこういう数値以上という基準で集めたグラフだと、むしろ健常者という基準で集めたグラフよりも高いところにピークがあるものになるかもしれない。あるいは基準とする属性の取り方によっては、障害者のピークより上にしか分布してないグラフになるということもありえる。
そうなったグラフの対象となっている人に障害者も含まれてるなら、いっそう件の女子の逸失利益も健常者平均より高いとする確度も上がるだろう。
もちろん属性の取り方に応じてたとえばk個の属性があるとしたならΣ(i=1→k)kPi通りのグラフが考えられることになり、グラフの母集団の大きさとかグラフに障害者がどれだけ含まれているかに応じて数学的に適切な重みづけをして、数学的として合理的に算出されるべきだろう。
しかし少なくとも単に健常者平均の85%というのは明らかに知識不足ゆえの統計学的に稚拙に過ぎる考えである。
もちろんここで裁判官を咎めてもしょうがない。立証責任があるのは原告側である。原告陣営が統計学の専門家と弁護士も交えたうえで係りあって、数学的に説得力ある主張としてまとめたものを弁護士が力説する必要があるのである。
とはいえなるべく易しく説いたとしてもそれでも裁判官が理解できるのかという疑問はある。
裁判官には国会の委員会にあたるものもないから、結局これ以上易しくできないというところまでやさしく力説したのも虚しく理解できないからと今回の判決と同じ結果になっていたかもしれない。裁判官の向学心に無関係に自由心象主義を採用していることの問題である。
(元増田)
死の絶対性に怯えるっていう価値観は珍しくないと思う。うちの両親もそんな感じ。
ドキュメンタリーで見たことあるけど、妻との死別後にお金が足りなくて施設をたらい回しになってる老人がいて、当然身寄りがないから終末期のケアの希望(延命治療の可否など)を市役所の担当課の人が聞くんだけど、どれだけ病気や苦痛を抱えてても延命治療を施してほしい、生きたいと思う、という人はいた。
そこのところを考えると、自分はそういったケースになった場合、苦痛があるから死にたいということになるけど、そのドキュメンタリーの老人の場合は違う。
思うに、ある事象に対する価値観は、すべての人間が何らかの影響(人種・生まれ・周囲の思想等)を受けた上で判断されるもので、万人に等しく共有されるもの自体はまずない。死生観がどうあるかもその中の一つに過ぎない、というところかなと自分は思う。
ちなみにブッダが生を苦しみと捉え始めたのはある時に老人・病人・死人を初めて見たエピソードがきっかけだったはず。(四門出遊でググってみてほしい)
ブッダはそこでそれまでの自分の生活の栄華や若さが永遠ではないことを知るんだよね。
だから自分のような価値観は、先天的にではなく後天的に獲得したものなのかもしれない。
生きることに対する苦痛の思想がマイナーかどうかは、どうなんだろう…。統計学的な数字があればいいのにな。
(生きるのが苦痛の苦痛の部分をどういう尺度で測るのか難しそう)
生きることを辛いと思っている人が必ず死ぬわけではなく、辛いが生きる、辛くて死ぬ、みたいなところでまた細分化していきそうだね。
で、それはすべての人がそうかというと全くそうではなくて、死ぬことが辛いから生きる、辛いが死ぬ、という人もいるはず。
自分は、生きたい・死にたくないと思う人が死を選ばされるのは嫌だな。
感染者の情報登録がボトルネックとなってそこかしこが破綻するのは全くもって好ましくなく、全感染者の詳細な情報登録を取りやめるのは妥当だろう。一方で、感染者数の把握を引き続き行うことにしたことは評価できる。陽性率が異常に高くなっている現在、捕捉感染者数が実感染者数から相当乖離していると推測されるが、それでもなお、感染者数は感染状況の把握や統計学的検証に有用であると考えている。特に波の真っ只中で数の基準を変えることは、そのような検証を無為にしかねず、数の把握を維持したのは妥当だ。
今回の全数把握の緩和は妥当であると考えているものの、これはやむを得ずそうせざるを得なくなったという前提での妥当であって、そこに至った経緯は全く評価できない。まず、この変更が、状況がいよいよまずくなってきてから議論され実行されていることだ。こういうのは落ち着いているときに話をすべきであって、逼迫してから急いで変えると無駄な過ちを犯しかねない。現に、都道府県への「丸投げ」が問題とされているが、これは結局、何のために情報登録をしていたのか、そして何故今やめることができるのか、そこが曖昧なまま、ただ逼迫しているからやめたという短絡的な対応をしていることの現れだろう。
また、同じように全数把握を行っている韓国は、日本よりもはるかに多くの感染者数を出しながら破綻していない。マイナンバーや医療機関のデジタル化など広範に渡る政治的問題だが、なぜ韓国のようにできなかったかは省みられるべきだろう。
リスク低減の観点からは水際対策を続行するのが好ましいが、諸外国とのバランスや、日本国内で感染拡大している現状を考えれば、この施策の合理性を見出すのがいよいよ難しくなってきており、やむを得ないだろう。ただし、今後も変異株の可能性は消えず、どういった条件でどのように水際対策を復活させるかはあらかじめ決めておくべきだろう。
ウイルスの流入を防ぐという目的に立てば、検査免除の対象をワクチン3回目(以上)接種者に限定しているのは意味不明である。オミクロン株に対して、現在使用されているワクチンの感染予防効果は数か月で急速に低減する。2回目以降のワクチン接種後の期間を指定するのであればまだしも、3回目以上とするのは合理的ではない。一気に緩和したくないので、クッションを設けたかったのかもしれないが、理由が立たない規制はすべきではない。これもまた全数把握と同じく、施策の目的が曖昧になってしまっている。
これはまだ決まった話ではないが、感染者の隔離期間短縮が検討されている。現在の10日間という期間は感染者の感染性(発症後ウイルス量)の検証結果から決められた値で、これを短縮するのは明確にリスクを増加させるものである。またもや同じような話になるが、「社会が成り立たないので、短くします」という短絡的な判断があってはならない。短縮するのであれば、リスクを評価した上で国民に提示し、明確な目的を持った上で実行すべきだ。
(※予め断っておくと、タイトルは誇張である。全ての人文・社会村がフシギというわけではない。したがって、以下の文章では適宜「一部の」という修飾語を脳内で補って読んでもらいたいし、該当しない人文・社会学の人は頑張ってもらいたい。)
現代はネット環境が普及したおかげで、自分が知らない学問について学んだことの有る人、詳しい人と繋がる機会が得られるようになった。学びの機会が増えることは、喜ばしいことである。
人文・社会系の学問を修めたと思しき人とも、接する機会、言葉を交わす機会が増えた。そんな中で「なぜ、この人(人文・社会ムラの人)は、こちらが質問したことに、素直に、具体的に答えないのだろう?」と、しばしば私は不思議に思う。
私は理系学部の出身だから、疑問に感じることや無知なことについての質問というものは、する側の立場もされる側の立場も両方を経験してきた。
学生・院生時代、学会や他大学の研究室との交流などの機会に、私よりも実績やキャリアが遥かに上の教授や研究者の方々と、質問されたり意見を交換したりする経験をした。
はてなブックマークでは「『素人質問で恐縮ですが』という枕詞の後には、必ずクリティカルな質問が来て殺戮される」という認識が主流のようだが、現実はそうではない。その人の専門分野ではないトピックについては、いくら凄い先生や研究者であっても、本当に素人のような質問をしたり頓珍漢な発言をしたりすることは、決して珍しくはないのである。
こういう「初歩的な質問や素人ならではの頓珍漢な発言を、しても構わないのだ」という空気は、けっこう大切なことだ。これによって、自由闊達な学問的議論を促したり、素人に分かってもらえるように自分の説明能力を向上させる契機になるからである。
もちろん理系学部ムラにも、質問や疑問に答える際にイヤな感じの物言いをする人間が、全くいないわけではない。
「Molecular Biology of the Cellぐらい原文で読めなきゃダメだよ」とか「スネデカー&コクランの『統計学的方法』は難しいかな?君の頭じゃあ」とか。なんか思い出したら、腹が立ってきたな。それは兎も角。
自分が学んだ学問分野に関係している専門家の存在や、その人たちの活動内容や業績について質問されたのなら、それを答えればいいだけなのに、何故、人文・社会ムラの人は素直に答えないのだろうか?
私は、もしも自分が学生・院生時代に研究対象として用いていた生物やその周辺分野について質問されたなら、喜んで「あんな参考書籍がある。こんな専門家がいる。こんな研究をしている/いた」と話すと思う。自分の専門分野や詳しい分野について、何も知らない人が興味を持ってくれて、質問してくれるのは、専門家や詳しい人としたら嬉しいし、舌舐めずりして答えたくなるものではないのか。
しかし、どうも人文・社会ムラの人は、そうではないようなのである。一度など「知らないなら質問するな」と言われて、仰天した思い出がある。物事に関して知らないからこそ、詳しくないからこそ、質問というものはするのだと思っているのだが、人文・社会ムラではそうではないのだろうか。
素人から質問されて「こんな人間の質問に対応するのは時間の無駄」とか「質問の意図は別にある」とか「そんな物事/人間は、あなたが知らないだけでたくさん存在する(しかし具体的に示さない)」とか、そんなことを言ってはぐらかすことしか出来ないのなら、一般人から人文・社会系の存在価値・意義に疑問を呈されても仕方が無いのではないだろうか。
人文・社会ムラは「一般人の質問に対応するのは時間の無駄。答える必要は無い」と、自分たちはジャッジする側の立場と思っているのかもしれない。しかし、一般人から「人文・社会ムラの人には、質問するだけ無駄。この人たちは、質問しても何も答えようとしない。もしかしたら、学問的な蓄積が何も無いのでは?」と訝しまれ、ジャッジされる側になっていることに気づいた方が良い。
ちなみに、これを書いている増田は、大学を出てから何年も経過した今頃になって、大学数学を学び直しているところである。文字どおり初歩的な部分から学び直しているのだが、数学恐怖症だった私の頭のレベルに合わせて「こんな本が有るから読むと良い」と、具体的な形で質問に答えてくれた人たちには、感謝と尊敬しかない。おかげで最近は、数学の勉強が面白くて楽しい。質問した相手から「一般人の質問に対応するのは時間の無駄」とか「知らないなら質問するな」とか「あなたが知らないだけで良い教科書はいくらでもある(しかし具体的に教えない)」とか言われていたら、数学の勉強を面白いと思ったり、数学の学問的な価値を知ることは無かっただろう。
なぜなら、統計学的に、子どもを産まない女性が少しでもいる社会では焼け石に水だから
https://pbs.twimg.com/media/FSUWM1jagAI2o0g.jpg
「でも、このまま人口が減っていけばどこかで均衡するんでしょ」
そう思ってるそこのあなた、
https://pbs.twimg.com/media/FTEjXoaUsAE1xTa.jpg
社会は産めない人を含んでいるので、3人が基本でないと維持状態にならないのに、すでに1人産む人が減っている。
人口減少してスカスカになったな、これは産みやすいから3人以上産むか、と考える人はいませんよね?
なにか、ハードランディングが起きるまでこの状態はつづくと言えます。
今年生まれた子どもが寿命で死ぬ頃には5000万人を切ります。
https://www.ipss.go.jp/pr-ad/j/jap/03.html
この辺りまでは国土維持はできるでしょう。
ではその”子”はどうでしょうか?
2000万人を切ってくるでしょう。これは江戸時代前半と同じなので江戸の街並みくらいは維持できるかもしれませんね。
移民は2世代目からはその国の風習に合わせるので産まなくなることがわかっているんですね。
https://crisis.ecmonet.jp/ 2022.4閲覧
”2022年1月から2022年3月初頭までにCRISISに登録のあった重症コロナ207例について、予後調査を実施した。予後が確定し、報告のあった149例が解析対象となり、その149例のうちワクチン接種者は93例、ワクチン未接種は56例であった。ワクチン接種群の死亡率は18%であったが、ワクチン未接種群の死亡率は34%と約2倍に達しており、両群には統計学的な有意差がみられた。ワクチン接種は、重症患者の予後を改善する可能性が示唆された。”
”一方、CRISISデータベースを使った本調査では、重症登録のあった207人の患者のうち、47人は新型コロナウイルス感染症ではない病態によって重症化していた。その47人を除外し、真に新型コロナウイルス感染症によって重症病態となった160人にて同様の解析をした。その結果、予後確定の報告があった107例が解析対象となり、ワクチン接種者は63例、ワクチン未接種は44例であり、
ワクチン接種群の死亡率は16%で、ワクチン未接種群の死亡率は27%で、ワクチン未接種群において死亡率が高い傾向がみられたが、統計学的な有意差は認めなかった。コロナが直接的な重症化の病態であった107名の解析においても、有意差は認めないものの、ワクチン接種は重症化死亡を半減させていることがわかった。”
前々からずっと気になっていることがある
彼らは車やバイクに金をかけるし、暴力的、口調も荒い。でもモテる
キモくてだらしない男が寄ってきた時に隣にDQNがいれば目すら合わせず消え去る
とてもわかりやすい
とはいえだ
自分のやりたい事だけやってきて、何事も暴力で解決してきたDQNと結婚して子供ができたとしよう
2人で子供育てるとかできると思う?
子供出来たら変わると思う?
それはちょっと夢見すぎじゃないですか?
男はちょっと気持ちいい思いをしただけで、お腹に赤ちゃんを何か月も抱えたわけでも、体調が悪くなったわけでもない
「こどもできたうれしー」とは思うかもしれないけど、それで車やバイクにかけるお金が減るわけでも問題の解決方法を暴力以外に変えられるわけでもない
子育てに向かない男を選んでおいて、旦那が育児を手伝ってくれないとか
そりゃそうよ
としか言えなくない?
だったら馬鹿なんですねご愁傷様ですで終わり
だからといってよ
子供の面倒見てくれそう。優しそう。子育てにお金回してくれそう。な男って
超当たりか超ハズレの2択
しかもこいつらだってまともに子育てできるか(する気があるかとは別)どうかは確実ではない
それならまだ男として優性(強い)なDQNと子作りして、旦那が子供に興味持ってもらえる可能性に賭けた方が統計学的に正しい
世の彼女さんたちは「こいつカッコいい事言うけど、結婚してもこのままか?」って警戒心を持つべきで
世の奥様方は一人目で様子を見て、旦那ガチャが当たりだと確認してから2人目に行くべきですよ
という話
もうなんか間違ったことしか書いてなくて増田が何でこんなもの書こうと思ったのかちょっと意味が分からないんだけど
一応気になったところだけ訂正・説明を入れておく。(ほぼ全文にわたっているが…)
途中で「なんでこんな中間テストの採点みたいなことやってんの…」みたいな気分になったけど
万が一これを読んで本気にしている人がいるといけないので義務感で最後まで書きました。
あまりの衝撃に最初からテンション高いですけどね。もう疲れたからこのまま上げます。
なんなんやいったい...
遺伝病の断種は、遺伝病の根絶について特に有効ではないと考えられています。まず、潜性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、両方の染色体に、多くは遺伝子機能欠失型の遺伝子変異があると起こります。親は、片方しか持っていなければ健康なのですね。すると、両方の遺伝子変異を持つ遺伝病患者を断種させたところで、片方だけを持つ親が世の中にたくさんいるわけです。どれくらいの数いるか?実はね・・・地球上の全人類で、これを持ってない人はいないと考えられています。今、個人の全ゲノム塩基配列決定とか普通にできてますからね。観察的にそうです。さてそれでも、両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくでしょうか?実はね・・・そうならないと考えられます。ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。
まず、
「ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。」じゃねーよ。
選択があるのに対立遺伝子(A、a)や表現型(AA、Aa、aaの組み合わせ)の頻度が変化しなければハーディ・ワインベルクの法則じゃないだろ。
潜性のホモ接合aa(つまり発病してる人)を継続的に人口から取り除いていけば人口中の対立遺伝子Aに対する対立遺伝子aの頻度は低くなるにきまってるだろ。
対立遺伝子aの頻度が低くなるんだからAA、Aaの組み合わせに対するaaの組み合わせの頻度(発病する人の割合)は低くなっていくにきまってる。
つまり両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくんだよ。ハーディとワインベルクによれば。
学部レベル以下の知識がないぞ自称ゲノム科学者。というか論理的な思考が出来てないだろう。どうやって大学はいったんだ?
頑張れ。もっと頑張れ。
さてそれでは、顕性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、染色体の片方にでも遺伝子変異があれば発症するもので、つまり、遺伝病を発症している人を断種させれば理論的に根絶できます、が、実はね・・・ヒトゲノムには突然変異が起こるのです。もちろんこれが進化の原動力なわけですが、これにより、顕性遺伝病も発生します。つまり、両親が健康で、遺伝子変異を片方持つわけではない場合でも、子に突然変異が発生して顕性遺伝病は起きるのです。デノボ突然変異って言います。
「実はね・・・」じゃねーよ。今どき突然変異が起こることを知らねー人間が存在するのか? 進次郎か。プラスチックの原料か。
そもそも突然変異の発生率がとても低くて、ひとつの遺伝子につき平均で一世代で一万分の一から百万分の一(*1)。しかもアミノ酸のコドンには冗長性があるからベースペアが一ヶ所変異してもアミノ酸は変わらないことの方が多いし、アミノ酸がひとつ変っても即タンパク質の働きに影響が出るわけではないから機能不全が新たに発生する率は実際にはひとつふたつ低いオーダー(十万分の一から一億分の一)。
だから新しい変異による発病はほぼ無視できるんだけど、実際の変異率がいくつにしろ発生率より速いレートで変異を取り除いていけば全人口中の有病者の割合が下がっていくのは当たり前のことだし、変異を取り除かない場合の有病者割合の増加率は継続して取り除いた場合に比べれば絶対に高くなる。当たり前の話だ。
そもそも(十万分の一から一億分の一の確率で)「子に突然変異が発生して顕性遺伝病は起きる」ことと「顕性遺伝疾患を持つ親の子供は100% 50%-100%の確率で(素で間違えた。恥ずかしい)おなじ遺伝性疾患を持つ」ことは別の話だ。子に突然変異が発生して顕性遺伝病が起きたら当然「その子が」生殖することを許さず新たな有病者の発生とそれによる社会の負担の増加を防止しようというのが優生思想だし、それは可能なんだよ。
優生学は「特定の個人が病気を持つかどうか」の話じゃあない。優生学は集団遺伝学の話(集団中の有病者の割合・それがどう変化するか)なんだよ。この違いが分かってない生科学者なんて存在するのか?
有効だよ。上に書いた通り。「抑制」は「根絶」じゃないしそもそも根絶は目指してないから。
問題は「個人に遺伝病が起こるか起こらないか」じゃないんだよ。問題は「全人口の中の有病者の割合をどう抑えるか」だよ。
さて、ここまで読んでくれば読者は気づいたでしょうが、運動能力、見た目の美醜、学歴、といったものは、これは単一遺伝子型ではありません。もし、学歴を問わない父親と、東大卒の母親から生まれた子の1/2が東大卒になると言うなら、これは単一遺伝子型の顕性遺伝と言うことになりますが、そんなわけはありません、経験的に。誰も行かないこともあるし、佐藤ママみたいに4人全部行くこともあるでしょう。単一遺伝子型なら、こういうばらつきは起きません。ばらつきが起きるが、一定の遺伝性はあるように見える形質、これは多遺伝子型です。
ちょっと待て。
「単一遺伝子型なら、こういうばらつきは起きません。」じゃねーよ。
たとえ「東大卒業する」が顕性単一遺伝子だとしても子供がその顕性遺伝子をもつかどうかは確率の問題で、必ず「生まれた子の1/2が東大卒になる」わけじゃねーだろ。ひとりひとりの子供が「東大卒業する顕性単一遺伝子」を持つ確率が1/2なら「子供4人中誰も東大卒業しない」も「4人全員が東大卒業する」も6.25%の確率で(ばらつきが)起こるだろ。
性染色体はひとつの遺伝子じゃないけどXとYはクロスオーバーしないから単体として遺伝するだろ? 男が生まれる確率(子供がYを持つ確率)は常に1/2だな? それでも全ての家庭で常に「生まれた子の1/2は男」になるか?経験的に。誰も男じゃないこともあるし、佐藤ママ(誰やそれ)みたいに4人全部男のこともあるでしょう? 遺伝というのは確率だから顕性だろうと単一だろうとばらつきは起こるんだよ。
この多遺伝子型の形質には、単一ではないとするならどれくらいの数の遺伝的変異が関与するでしょうか。これはここ10年くらいで確定してきた最新のところではあるのですが、どうも最低数千あるようです。それぞれの形質に、それぞれ数千です。こんなにたくさん因子があるとどうなるかというと、中心極限定理により正規分布します。多遺伝子型の形質は、正規分布するのです。すると何が起こるでしょう?
平均への回帰です。
「平均への回帰です。」じゃねーよ(笑)溜めをつくって関係ねーことを言うな。渾身のボケか。(ちょっとウケた)
無数の試行の平均が母集団の平均値に回帰するのは母集団が(またはサンプルが)「正規分布だから」じゃねーよ。大きい値も小さい値もランダムに抽出するからだよ。
親と子の身長に相関があり、長身の親(正規分布の一方の端)だけ取り出したら(つまりランダムではない。これが優生理論)、その子供の平均身長は「長身の親の平均値」に近づくにきまってるだろ。「長身も低身長も含めた母集団の平均値」に回帰するわけがない。
おまえ本当に大丈夫か? なんかわざと間違ったこと言おうとしてる? ツッコミ待ちか?(たぶんそうなんだろうなぁ...)
いみじくも優生学の創始者ゴールトンが明らかにしたのが、親の身長とその子の身長を比較すると、極端に身長の高い親の子は、どちらかというと平均側、普通っぽい身長の方にシフトする、と言う現象です。それで回帰というわけですね。平均に戻る、ってことです。
ゴルトンの観察が平均に回帰した(ように見えた)のは実験の条件が一定じゃなくて子供のサイズが親のサイズよりも環境から受ける影響の方が大きかった(つまり親のサイズという変数に対して無作為抽出になっていた)からだろ。だいたいゴルトン自身が気付いて生物学的根拠のない統計上のアーチファクトだって言ったものを掘り出して差し上げるな。晒し上げか。
どういうことでしょうか。メジャーリーグMVPの大谷翔平の子は、みんなメジャーリーグとかよりもずっと普通っぽい才能になるだろう、ってことです。ええ、皆さん、知ってますよね。長嶋茂雄の子もそうだった。野村克也の子もそうだった。あれが理論通りなんです。教育環境がいいから、それでも普通よりはいい方に行くわけですけど、親と同じような超絶スーパーエリートにはならなくて、それは統計学的に予想通りでして、確率統計の基礎の基礎、正規分布の性質により説明できます。大体さ、大谷翔平の親はどうなのよ。メジャーリーガーだったわけじゃないわけですね。
大谷翔平、長嶋茂雄、野村克也が周りより一歩も二歩も抜きんでてたのは遺伝形質(身体的特性)に加えて本人が努力したからに決まってんだろ。努力の結果が遺伝するわけがない。遺伝疾患や体格と一緒にするな。わざとか。どっかの詭弁のテンプレートにこういう例があるのか。
まあ、それでも、意味があるじゃないかっていうかもですね。平均への回帰って言っても極端だったのが極端でなくなる、ってわけで、身長が高い親の子の平均値は、身長が低い親の子の平均値よりは高いです。平均だけの話で、大幅にオーバーラップしますが。それでも平均を徐々に上げていけばいいじゃないかと。
だから初めから優生学の対象は特定の個人の能力(大谷翔平の子供は野球が上手いかどうか)じゃなくて集団全体の性質だって言ってるだろう。もともと「全体の平均を上げること」「全体の中で望ましい(くない)ものの割合を増やす(減らす)こと」が目的だ。「背が高いことが社会にとって良いことだ」となったら(どういう理由でそうなるのか知らんが。軍事強化?)長身の者に優先的に生殖の機会を与えて国民の平均身長を大きくするのが優生学の目的と手法だろう。むしろそれ以外になんだと思ってるんだ?
いずれにしろ「身長が高い親の子の身長も身長が低い親の子の身長も平均に回帰する」というのは単純に間違い。もしそうなら長身の者だけに生殖させても平均値が高くなるわけがないし(どういう理屈で「平均への回帰」と「平均を徐々に上げていく」が両立できるんだよ?)長身のものが優先的に子供を残せば集団の平均身長が高くなるのはすでに事実としてわかってる。(*2)
ところが、多遺伝子型には数千もの遺伝的変異が関係するというのはどういうことかというと、単一遺伝子型のように、どれか一つの遺伝的変異はどれか一つの遺伝病に対応する・・・ということになりません。重複しちゃうんです。ある遺伝的変異は、ある形質にも、別の形質にも、関係する。多面的関連と言います。例えば身長を高くする遺伝的変異は、同時にがんになりやすくする多面的関連を持つことが多いことがわかっています。するとどうなるか。身長を高くするように、集団の結婚相手を操作していくと、がんが多くなって寿命が短くなるでしょう。では学歴はどうか?学歴を高くする遺伝的変異は・・うつ病になりやすくすることがわかっています。
ここの部分は必ずしもすべて間違っているとは言えないが、身長の高さとガンの発生にについてはそれぞれが関連する遺伝子座の間に統計的な相関が見つかったというだけで身長を高くする遺伝子がガンの原因になるというわけではないし、長身の集団が低身長の集団に比べ短命であるという証拠もどこにもない。後者(学歴)に至っては関連が指摘されているのは「うつ病」と「低学歴」だし(*3)、それが共通の遺伝子の多面作用によるものだという考えは否定されている(*4)のである。
ていうか今気付いたけどこいつ遺伝的変異ってずーっと 「mutation(突然変異)」の意味で使ってない? 遺伝的変異は variation だから「数千もの遺伝的変異」とか「どれか一つの遺伝的変異」とかないんだけど...
これ、マジでまちがい探しかなんかか? なんで書いてあることがことごとく間違ってるんだ? 罠?
どうでしょうか。基本的に優生学というのは、国家の文脈で語られます。学歴の高い国民をより多数生み出し、国家の生産性を上げたい、というわけです。しかしどうでしょうか。うつ病が増えると、生産性はどうでしょうか。私はうつ病の人は生産性が悪いと言いたいわけではありません。しかし、優生学論者のロジックは成立しますか?(明示的に成立するとは言えないのではないですか?)と言いたいのです。
多遺伝子型の遺伝構造はまだわかっていないことも多く、「優生学的操作」をしてどうなるかすらわかっていないんですよ。形質に遺伝的因子があるなら、優生学的操作をすれば人類は必ず優秀になる・・・というのが元増田の議論の開始点だと思いますが、そこ、すでに間違ってるんです。
だからなんで話を「まだわかっていないこと」だけに限定するんだよ。じゃあわかってることには優生学的手法を使ってもいいのかよ。国や医療システムにかかる負担を軽減するために「遺伝病患者は子供つくっちゃいけません」っていいのか? 問題はそこじゃないんだよ。
優生思想がダメなのは「科学的に間違ってるから」でも「有効じゃないから」でもないんだよ。優生論の生物学遺伝学的手法が有効なのは動植物の繁殖で既に実証されてるから。元増田が優生学とは何かをそもそも理解していないのは確かだが、おまえの言ってることもほぼすべて間違ってる。
結論としてすでに社会的に受け入れられてない優生思想を否定したいんだったら、ウソを書いてまで「科学的」根拠をでっちあげる必要がないだろう。
なにが目的だ?
まさかゲノム科学者(自称)がこれらの間違いを本当に信じているはずがあるまい。
特にうつの「高学歴」と「低学歴」入れ替えてるところなんてワザとじゃなきゃどうやって間違えるんだよ...
*1 https://www.sciencedirect.com/topics/biochemistry-genetics-and-molecular-biology/mutation-rate
*2 https://www.science.org/content/article/did-natural-selection-make-dutch-tallest-people-planet
まあ、なんちゅうか、トラバも盛大に伸びているので、私の書くここまで、元増田は辿り着かないかもしれませんが・・・
私はゲノム科学者ですが、元増田の持つ疑問は、別に自然なものだと思うんですよね。というより、ゲノム配列決定が非常に身近になっている昨今、ちゃんと向き合っていかなければならない疑問だと思っています。私は私の持つ知識の範囲で、疑問にお答えしたいと思います。倫理は専門外なので扱いません。タブーとか扱いません。裏の意図を読もうとしているブコメが多数ありましたが、理系なのでよくわかりません。
まず、元増田の挙げているような、運動能力、将棋の能力、見た目の美醜とか、学歴、といったヒト個人ごとに異なる特徴を「形質」と言います。形質を遺伝学の観点から見ると大きく分けて二つあり、単一遺伝子型(メンデル型)と多遺伝子型(多因子型)です。
おそらく優生学にせよ遺伝にせよ、専門外の人が通常頭に思い浮かべるのは単一遺伝子型です。この場合、メンデルの法則により顕性(優性)または潜性(劣性)のモードで、親から子に形質が伝達されます。単一遺伝子型の形質として最も簡単に思い浮かべられるのは遺伝病です。あと、お酒飲める飲めないもギリギリそうです(これは本当は少数遺伝子+多遺伝子型だけど)。あと、耳垢が乾いてるか湿ってるかとか。親指が90度以上後ろに曲がるかとか。
そして、この遺伝病に対して優生学政策を行ったのがナチスドイツというわけです。遺伝病の人を断種させようとしたんですな。流石に元増田はそんなことが良いと思っているわけではないと思いますが。
遺伝病の断種は、遺伝病の根絶について特に有効ではないと考えられています。まず、潜性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、両方の染色体に、多くは遺伝子機能欠失型の遺伝子変異があると起こります。親は、片方しか持っていなければ健康なのですね。すると、両方の遺伝子変異を持つ遺伝病患者を断種させたところで、片方だけを持つ親が世の中にたくさんいるわけです。どれくらいの数いるか?実はね・・・地球上の全人類で、これを持ってない人はいないと考えられています。今、個人の全ゲノム塩基配列決定とか普通にできてますからね。観察的にそうです。さてそれでも、両方の遺伝子欠失を持つ遺伝病の人を断種させれば、徐々に遺伝病は減っていくでしょうか?実はね・・・そうならないと考えられます。ハーディ・ワインベルクの法則って言うんですけどね。
さてそれでは、顕性遺伝病の場合はどうでしょうか。これは、染色体の片方にでも遺伝子変異があれば発症するもので、つまり、遺伝病を発症している人を断種させれば理論的に根絶できます、が、実はね・・・ヒトゲノムには突然変異が起こるのです。もちろんこれが進化の原動力なわけですが、これにより、顕性遺伝病も発生します。つまり、両親が健康で、遺伝子変異を片方持つわけではない場合でも、子に突然変異が発生して顕性遺伝病は起きるのです。デノボ突然変異って言います。
ただしね・・・現在では、人工授精の際、受精卵の染色体やゲノム配列を調べて、遺伝病になるゲノムを持つ受精卵を選択しない、という医療、これって、実現化してるんですよ。ダウン症はすでに一般化してますが、単一遺伝子疾患もできます。この、遺伝病の子になるなら産まない選択・・・これは優生学的判断ではないのか?これってめっちゃ難しく、元増田を多くの人が簡単に批判しているほど単純な問題ではないと思います。私は、個人の選択は優生学とは言わず、個人の自由であるとは思うものの。倫理の専門家ではないので理論武装がしっかりしているか、自信はありません。受精の時点で人権が生じるという考えからすれば、これは殺人であり、虐殺です。ただ一つ言えるのは、ナチスドイツの断種法と異なり、この受精卵選択は、科学的に有効な医療であると言うことです。
さて、ここまで読んでくれば読者は気づいたでしょうが、運動能力、見た目の美醜、学歴、といったものは、これは単一遺伝子型ではありません。もし、学歴を問わない父親と、東大卒の母親から生まれた子の1/2が東大卒になると言うなら、これは単一遺伝子型の顕性遺伝と言うことになりますが、そんなわけはありません、経験的に。誰も行かないこともあるし、佐藤ママみたいに4人全部行くこともあるでしょう。単一遺伝子型なら、こういうばらつきは起きません。ばらつきが起きるが、一定の遺伝性はあるように見える形質、これは多遺伝子型です。
単一遺伝子型は、確かに、遺伝情報を調べると病気になるかどうかかなり高い確率がわかって、この事実だけを見ると、遺伝子決定論を信じたくなります。ところがですね、幸いなことに、遺伝病ってとっても稀なんです。世の中のほとんどの病気は多遺伝子型です。あなたのコレステロール値すら予測が難しい。多遺伝子型は、遺伝的変異が多数関わるだけでなく、環境によって大きく変化するんです。学歴も、運動能力も・・・そして見た目もです。
この多遺伝子型の形質には、単一ではないとするならどれくらいの数の遺伝的変異が関与するでしょうか。これはここ10年くらいで確定してきた最新のところではあるのですが、どうも最低数千あるようです。それぞれの形質に、それぞれ数千です。こんなにたくさん因子があるとどうなるかというと、中心極限定理により正規分布します。多遺伝子型の形質は、正規分布するのです。すると何が起こるでしょう?
平均への回帰です。
いみじくも優生学の創始者ゴールトンが明らかにしたのが、親の身長とその子の身長を比較すると、極端に身長の高い親の子は、どちらかというと平均側、普通っぽい身長の方にシフトする、と言う現象です。それで回帰というわけですね。平均に戻る、ってことです。どういうことでしょうか。メジャーリーグMVPの大谷翔平の子は、みんなメジャーリーグとかよりもずっと普通っぽい才能になるだろう、ってことです。ええ、皆さん、知ってますよね。長嶋茂雄の子もそうだった。野村克也の子もそうだった。あれが理論通りなんです。教育環境がいいから、それでも普通よりはいい方に行くわけですけど、親と同じような超絶スーパーエリートにはならなくて、それは統計学的に予想通りでして、確率統計の基礎の基礎、正規分布の性質により説明できます。大体さ、大谷翔平の親はどうなのよ。メジャーリーガーだったわけじゃないわけですね。
まあ、それでも、意味があるじゃないかっていうかもですね。平均への回帰って言っても極端だったのが極端でなくなる、ってわけで、身長が高い親の子の平均値は、身長が低い親の子の平均値よりは高いです。平均だけの話で、大幅にオーバーラップしますが。それでも平均を徐々に上げていけばいいじゃないかと。ところが、多遺伝子型には数千もの遺伝的変異が関係するというのはどういうことかというと、単一遺伝子型のように、どれか一つの遺伝的変異はどれか一つの遺伝病に対応する・・・ということになりません。重複しちゃうんです。ある遺伝的変異は、ある形質にも、別の形質にも、関係する。多面的関連と言います。例えば身長を高くする遺伝的変異は、同時にがんになりやすくする多面的関連を持つことが多いことがわかっています。するとどうなるか。身長を高くするように、集団の結婚相手を操作していくと、がんが多くなって寿命が短くなるでしょう。では学歴はどうか?学歴を高くする遺伝的変異は・・うつ病になりやすくすることがわかっています。どうでしょうか。基本的に優生学というのは、国家の文脈で語られます。学歴の高い国民をより多数生み出し、国家の生産性を上げたい、というわけです。しかしどうでしょうか。うつ病が増えると、生産性はどうでしょうか。私はうつ病の人は生産性が悪いと言いたいわけではありません。しかし、優生学論者のロジックは成立しますか?(明示的に成立するとは言えないのではないですか?)と言いたいのです。
多遺伝子型の遺伝構造はまだわかっていないことも多く、「優生学的操作」をしてどうなるかすらわかっていないんですよ。形質に遺伝的因子があるなら、優生学的操作をすれば人類は必ず優秀になる・・・というのが元増田の議論の開始点だと思いますが、そこ、すでに間違ってるんです。
1 Anonymous[sage] 2021/11/02(火) 14:23:39.45 ID:QIAbYuqk
依頼より
https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20211031-OYT1T50080/
[衆院選2021]投票所の中には午後4時終了も…3分の1が閉鎖時刻繰り上げ
https://www.yomiuri.co.jp/election/shugiin/20211030-OYT1T50202/
・事前調査や各社の出口調査はかなり幅を取っていたにも関わらず何故か外す
出口調査の結果と食い違うのは異常
テレビ各社の調査結果が±数%で収斂してるのにそこから15%近くズレるなんて統計的にあり得ない
15%もずれるのは統計学的に見て異常
・今まで外さなかったNHKの出口調査では立民は99〜141議席
めっちゃストライクゾーン広かったのに実際は96で外している異常事態
・投票数が、投票者の数より11票多い…原因不明のまま票を確定 橿原
第5波で、入院できず自宅、待機施設で亡くなられた方に関しては残念でなりません。
もし入院できていたらその方々が全員助かったとは言えないかもしれませんが、何人かは亡くならずに防げたはず。
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第3波第4波 と 第5波 との2群間の違いがワクチン接種だけだったら(対象群VSワクチン介入群)ワクチンに死亡抑制効果(≒重症化抑制効果)があるということになる。
対象群にワクチンを打たないのは倫理的に問題があるとして、テストが途中で中止になるレベルの差がある(統計学的検定さえ不要)ということになるが、そうはいかない。
上記2群は異時点のものであるためワクチン接種の有無(接種率の高低)以外にざっと考えただけでも他に
・処置・治療の違い(医療従事者の習熟度や新薬により発症後の対応が違った)
など複数の違いがある。
緊急事態宣言の有無の違い・人流の違いは考慮する必要は基本的にはなく、同様に、マスク供給の潤沢さ、マスク装着率の高低も基本的に考慮する必要はなさそうだ。
感染後の経過の検討なので。 (「感染前にちゃんとマスクをしていた方が後日重症化しにくい」という仮説もあり得るが、無視してもよいだろう。)
続く