はてなキーワード: 人生哲学とは
今日のふらっと
元々自分のような人間が聞くようなタイプのラジオではないんだと思うけど、向井自身は決して陽性だけの人間ではないし喋りが面白い人なのとどんぐりたけしが出ているのと、あとリアルタイムの人間の声を聞きながら仕事をしたいのでここまで聞いてきた
朝の番組らしさといえばそれまでだが、それにしてもポジティブシンキングとほっこりの押し出しというか、それをやるのです、人間、みたいな空気が自分にとっては脅迫的なレベルに達していた
人生哲学というかここまでの生き方に確固たるものを抱いていて、ともすれば断罪的になるものの本人がそれを意識していない人の話は疲れてしまう
メールの雰囲気もそれに引きずられてなんだかひとつの善い価値観に基づいたエピソードに収束していく感じがあり、だんだんムリだな…ってなってきてた
生きてる世界の違う人たちが朝にはいっぱいいるんだなっていうか
ヒャダインでなくとも一人くらいこういう人にいてほしい、続投してほしい
ヤーレンズは隔週じゃなくてもいい
前提としてシステムの問題点の話をしてるのであって精神論とか人生哲学とか個人的利益の話はしてないです。
存在を教えればそれが出来るようになるわけではないのだからほぼ何の意味もないですね。
あとは税務署に行けば、申告書の書き方は教えてくれる。
そのような行動力のある人間前提のシステムというのもまあやはり奇妙に感じますね。
一部のマニアが使うだけならいいですがほとんどの国民が利用しなければならないシステムであることを考えるとユーザービリティに欠けてると言わざるを得ないです。
経費を計上したり控除制度を適用して納税額を減らしたいなら、自分の利のための話なんだから、それくらい自分で知識得て活用する努力せえや。
こういうのも税金に限らずシステムを有効活用するためにシステムについて学ぶ必要があるというのもシステム的にみればひどく無駄に感じますね。
PCを使うのにコンピューターサイエンスの知識が必要だとすればそれはかなり不親切で使いにくいシステムと言わざるをえないでしょう。
死んだら人はどうなるの?終わり?
→おわり。分解されて地に還る。そしてまた何かとして存在する。
→熱いね。でも飲み心地や味が変わる。
ビールも薄いガラスで飲むと味わい変わるって聞いたことない?飲む時のカップの厚みと質感、温度で味わいも変わるよ。
・スヌーピーってなんで今も人気なの?
あと絵本の人生哲学が中々深いから大人にも子供にも受けやすいのかな。
・なんでおじさんは自分の話ばかりするの?
→おじさんだからだよ。年を重ねると思い出が増えて、1聞けば10の思い出や関連情報がでてくるもんよ。それを懐かしみつつ伝えたくなっちゃうんよ。
→今はy2k流行ってるよね。へそだしのチビTシャツとか厚底靴とか。でも基本オーバーサイズブームはもうしばらく続くんじゃないかな。ジェンダーレスで男女兼用できるとか、そういう社会的な理由も相まってね。
→あれ?もう4つじゃないんだっけ?
・最強のふりかけって何?
→のりたまかなー
→何歳でも!でもいい歳して露出度の高いジェラピケで宅配に出るのはやめたほうがいいよね
・増田って本当に漏らしてるの?
→自分は漏らしとらんね
ただの甘々ご都合セックスファンタジーやザマァだけじゃなくてさ、
説教や小難しい話になって息苦しくならない程度に、人生哲学なり人付き合いなり生活のヒントがあれば、
読者の人生の結果が少し違っているんじゃねぇかな・・・って思ったわ
IT・オーディオ家電って寿命短いんだよな。物理的な寿命を迎える前に利便性や仕様の寿命が来てしまう
勿体ないな、捨てるの物に対して申し訳ないなって思うと直ぐに積み上がってしまう
いやー・・・、モニターもマザボもグラボもノートPCもまだ使えるし・・・で、無駄にタブっていた過去があるので
(引っ越す時死にそうになりながら処分した)
他人事じゃなかったな
庶民のくせに本は紙派とか言っているやつは寝言を言ってないで、とっとと電子書籍に切り替えましょうね(厳選した100冊くらいなら手元に置いていいが)
「この前いい雰囲気になったA子ちゃんは、胸は大きいけど、趣味が合わないんだよな〜」
「この前告白してくれたB子ちゃんは、胸は大きいけど、人生哲学が合わないんだよな〜」
あれから20年、婚活では胸が大きい人も笑顔が可愛い人も趣味が合う人も人生哲学が合う人も、誰ともマッチしない。誰ともだ。誰も見つからない。今ではあの子たちも2児の母だ。年収が高くて甲斐性もある夫がいる。
俺はどうやらここまでのようだ。
35歳前の人たち、あなたのそばで笑顔をくれた人ととりあえずお付き合いしてみることをおすすめします。
健闘を祈る。
■追記
考えてみればもし次に誰か好みじゃない人が見つかっても、その人が今の年齢で見つかる人の中で最高(一番マシ)な人の可能性があるよね。
ということは、腹くくるしかないな。
大学生の頃、教職課程の介護実習でデイサービスセンターに5日間お世話になったことがある。そのとき90歳も越えようかというあるおばあちゃんと色々とお話したことが今でも印象に残ってる。そのおばあちゃんは僕の顔を見ると毎日口癖のように「今あなたが生きてるのは親のおかげなんやから親に感謝しなあかんで」と言っていた。僕自身恵まれた家庭環境で育ったわけではないし、何より哲学という捻くれた学問を多少なりともかじっていたこともあって、彼女の言葉を素直に受け取ることができなかった。「いやいや、『存在』の原因の話をするなら第一原因にまで遡るべきだし、神ならまだしも何で親で遡及を止める必要があるんだ」とか思っていた。哲学を少しでもかじったことのある人間は基本的に、肯定するにせよ否定するにせよ、いま・ここという仮象の世界と、そうではない真実の世界という二元論を前提として持っている。そして得てして二元論を持つ自分は一元論に留まる大衆よりも正しい仕方で豊かに世界を認識していると思いこんでしまう。もちろん自分もその例外ではなかった。おばあちゃんの説教はとても素朴な一元論の立場からの言葉にしか聞こえなかったし、そこに道徳的、政治的なある種の危うさすら感じた。そして実際そういう側面はあったのだろうと思う。けれどもおばあちゃんを不快に感じたことは一度もなかった。一人で起き上がることすら出来ないほとんど骨と皮だけになったしわしわのおばあちゃんを見ていると、その言葉が実際のところ何に規定されているのであれ、少なくとも一世紀近く生きてきた中で彼女自身が確信してきた信念から出てきた言葉なのだということを感じた。だからと言ってその人生哲学だか生活哲学を無批判的に受容すべき理由にはならないのだが、そうなのだが、あのおばあちゃんをイドラに囚われた啓蒙すべき人間としか見なさないような哲学に豊かさはあるのかと強く思う。
体と手を動かして実になることやった方が、そんなしょーもないモン講釈垂れてるよりも、いくらかマシに人生を豊かにしてくれるわ。
もちろんnoteにある記事全てが価値がないと言っているわけではない。中には具体的な技術の話だったり、自身がやってみて気づいたこと、得難い情報を提供してくれているライターもいる。
だがいけすかないのは、パソコンの前から一切動かず、ギーボードとマウスだけを動かしてネットから得た情報だけから結論を導き出してる奴。しょーーもなっ! んなこと誰でもできんだよ、お前がやってるのは「私がまとめました!」で悪名高いNaverまとめと同じなんだよ。
日々こんなことがあった、こう感じた、自分はこうなりたいと思ったー、なんて言葉どこにでも溢れてんだよ。んなもん書くのわざわざnoteじゃなくてえぇやろ。ブログに書け。カッコつけんな。
そして読者も、人生の意味だとか日々を豊かにするだとかの答えを、ネットの記事に求めるな。そんなものがなかった時から、人はそういった悩みを解決してきただろ。そうじゃなかったらとっくに人類滅びてるだろ。自分の身一つ動かして、人と関わるなり運動するなりしてただけでなんとか出来るんだよ。そもそもそういった悩みを持つまでもなく日々が忙しかったのかも知れんが。
noteは誰でも自由にコンテンツを投稿できる場であることはたしかだ。何を書いてもいい。その点は同意する。
だからせめて恥を知れ。今の俺みたいに。
他の、輝ける宝石のように素晴らしい記事に遥かに劣る道端の石ころ以下であることを自覚しろ。
看護師、理学療法士、診療放射線技師などの養成校に就職目当てで軽い気持ちで入るのはやめた方がいい。
特に発達障害の傾向が少しでもある人には絶対にやめろと言いたい。
具体的には先延ばし、遅刻癖、コミュ障のうちどれか一つでも当てはまったら別の道を考えるべきだ。
7年、8年通った挙げ句に卒業できず去って行った人を何人も見てきた。目的意識の高いはずの社会人学生ですら挫折した人が複数人いた。
華々しくホームページやパンフレットに飾られる国試合格率や就職率の裏にどれだけの留年者・中退者がいることか。
コメディカルに向く人は、与えられた課題をコツコツやるのが苦ではないが、秀才になれなかった人だろう。
医療保健学は学問ではないと思う。学問とはきつさの中にも面白さがあるものだろう。
医療保健学は職業訓練以外の何物でもない。もし入学するならば、それこそ学生になるのではなく軍隊に入隊するのだというくらいの覚悟が必要だろう。
やりたいことが見つからない高校生や浪人生は社会学科(社会福祉学科ではない)に行けばいいと思う。もちろん興味があれば哲学科だろうが数学科だろうがそこに行くのが一番いいが(哲学科に関して言えば、生きる意味といった人生哲学的なことをやりたいのなら慎重になったほうがいい。あそこは半分ドイツ語学科かフランス語学科である)。
社会学科は卒論的な意味で潰しが利くと思う。アニメ・ゲームや性産業まで研究対象になるから、在学中に何か興味の持てる対象が見つかりそれを研究に生かせる可能性は他学科より高いはず。
良いか悪いかはわからないが、元AV女優が東大院に入って本を出したなんていうこともあった。
コツコツ型でない人間が何よりも避けなければならないのは、中退である。
コメディカルを勧める人は口を揃えて「資格を取れば食いっぱぐれない」と言うが、ある年齢以上から給料は伸び悩むし、コスパが良い選択とは言い難い(看護師は夜勤をやれば結構稼げるだろうが)。
もし人体に興味があるなら、それこそ医学科に行かなければ間違いなく後悔する。
どんなに研鑽を積んでも、制度上新米の医師にすら敵わないというのは非常に精神的にきついと思う。
しつこいようだが、就職目当てでコメディカル養成校に入っても得をするのは学校経営者のみである。既に泥沼に足を踏み入れてしまった人は、一留が決まった時点でなるべく早く撤退すること。