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はてなキーワード: モー娘とは

2017-06-19

https://anond.hatelabo.jp/20170619125428

成功するモデルケースはモー娘AKBみたいな形で受け継がれるけど

ビッチアイドルの受け皿なんてねーだろ

例外中の例外マジョリティ中のマジョリティ持ってきて鬼の首とったぜみたいな顔されてもどんな顔すればいいのか困るんだが

2017-03-27

レイヤーに限らず若いオタクってヤンキー的な

あっちのサークルうざいから潰そうぜみたいなノリで

自分たちに似た存在に変な対抗意識持ってる人たちが結構いるみたいで

オタク界にヤンキーが入ってきてるというのはラブライブ!あたりから言われてたけど

最近は一段階進んでもう少し広く見られる現象になったようにも思える

ただこういう系譜って昔はなかったのかというとそうでもなくて

1990年代では椎名へきるライブなんかには明らかにステレオタイプオタクとは全然違う

血の気の多い人が妙に集っていたりもしたので10年代特有現象ってわけでもないんですよね

00年代はそういう人たちはどこに行っていたのだろう?モー娘

2016-06-30

アイドル全般きじゃない

アイドル」といわれるものが好きではない。

他称による賞賛としての「アイドル」ではなく、職業としての「アイドル」だ。

はいっても、冷静に曲を聴くと「わりとちゃんといい曲だなあ」と思ったりする。

基本的に派手なショー的なものは好きなので、ライブも行ったら面白いのかもしれないと思う。

でも、好きじゃない。

何がこんなに嫌なんだろうなと思うんだが、

なんというか、思い出すのは、その昔バラエティでやってた「ポケビ」と「ブラビである

バラエティ番組の中で、彼らはときライバルとして競わされ、とき意味の分からない像を手売りさせられ、

「これに負けたら解散」「これができなきゃCD出させない」と散々に追い詰められていた。

当時子どもだった私は追い詰められる千秋ビビアンを心から気の毒に思っていたし、番組のゆくえにハラハラした。

そういう幾重の困難を乗り越えて出された曲も覚えて何度も口ずさんだ。

けど、不意に気がついた。

こんなの全部うそっぱちだな、と。

くだらない試合だの課題だの、それができなければこの世の終わりみたいに演出されてるけど、

そんなの全部番組のさじ加減一つだ。

彼ら彼女らはすごく一生懸命がんばっている(ように描かれている)けど、

そのがんばりは、言ってみれば、誰かがつくった回し車を一生懸命回しているだけだ。

あれだけボロボロになって涙を流してがんばってるのに、その努力の方向は「私たちはこんなにたくさん回し車を回せました!」なのだ

そんなの見ていられない、と思った。

歌いたいなら歌えばいいのに、なんでそれじゃだめなのだ

ASAYANが同じことをしてモー娘を売り出していたが、それは見てなかったのでよく知らない)

今となってはあそこまで露骨リアリティショーめいた見せ方をするアイドルも少ないだろうが、

結局、今もアイドルというものの売り方はそう変わっていないんじゃないか、と思う。

AKBにはAKBの中のルール規範があり、

ジャニーズにはジャニーズルール規範がある。

彼らは、基本的に、その狭い枠のルールの中で競い、勝ち取り、メディア露出する。

そしてファンたちもまた、そのルール規範を共有し、事情通がそれを解説したりする。

彼らがいま売り出されてるのはこうこうこういう理由なんだよ。

なんだか、スポーツを見せられてるような気分になってしまう。

どっかの眼鏡のふとったおっさんや、

90歳の少年趣味のおじいさんとその一族や、

そういう誰かがつくった、狭い世界の中の狭いルールで競うスポーツである

あそこで華やかにライトを浴びているのは、その、せっまい世界スポーツの勝者というだけだ。

彼らは歌唱力ダンスなど、本来の売り物については、非・アイドルに比べ多くを求められない。

というか、グループ内での優劣は苛烈なまでに強調されグロテスクなまでに書きたてられるのに、

グループの外の人間とは、比較されることもないし同じだけの技量を求められることもない。

あたりまえだ。彼らのスポーツグループ内でしかルールを共有されていない。

仮におなじ「アイドル」と呼ばれていたって、他のグループならば違うスポーツをしているのだ。

どこかのドラマに出たって、舞台に出たって、彼らは過剰な期待はされない。

外の人間も、「アイドル」という枠組み以上の技能がないことはある程度当然として受け止めるからだ。

けれどもなんだか釈然としない。

彼らが「アイドル」というマイナースポーツに興じているのは勝手だし、その勝者としてたたえられるのも勝手だが、

マイナースポーツの一流選手からといって、他のジャンルでまで彼らを尊重する理由があるだろうか。

ポケビブラビの対決に一喜一憂していたころ、私は「ウリナリ」というマイナースポーツルールを把握して、その枠組みの中にいた。

けれど、今のアイドルたちのルールにははまれない。なんだかばかばかしいからだ。

音楽ダンスバラエティドラマも好きだけど、そのどの分野もきちんと優劣を競い優れた結果を残してる人たちがいる。

内輪のマイナースポーツいちばんになることに全力を注いできた人たちに、特別用はないのである

かんけいないけど「タイミング」は未だにいい曲だな…と思うし

奥田民生カバーとか聞くと涙出てくる。

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トラバブコメに回答。

スポーツも嫌いなのか

正直あまり興味がないので詳しく知らない。

が、別に嫌いでもない。

スポーツは各種競技ルール制定に関して公正であろうとしてる(と、信じてる)し、

スポーツルール別に選手たちを遮二無二「努力」させて、その過程見世物にしようと言う意図で作られてないからだ。

サッカールールに準じて得点を得ようとする行為はべつに嫌いじゃないけど、

どこかの草サッカーが、試合の感動を高める目的

「これから試合まで、いちばん練習時間が長かったチームに、3点を追加する」みたいなハウスルールを作ったりしたら嫌いだと思う。

アニメアイドルは?

現実アイドルの有様を踏まえたうえで成り立ってるエンタメだと理解してる。

なので好きではない。

てか、このエントリを書こうと思った動機は、知人に某アイドルソシャゲを猛プッシュされ

「嫌だ、どうしても嫌だ、アイドルってだけで正直やる気なくす。でもなんでこんなに嫌なんだ」

と自問自答した結果を文章にしとこうと思ったからだ。

舞台ミュージカルで評判いい人だっている

知っている。それにもいくつか段階があって、

アイドル枠で客寄せに出てるだけかと思ったら意外と善戦してた」

アイドルファン向けの舞台だけど、作品として作り込まれてた」

アイドルかどうかにかかわらず役者として素晴らしかった」

などあって、一、二段階目はやはり「過剰な期待はされていない」し「アイドルという枠を出た実力は求められていなかった」結果だと思ってる。

三段階目にあたる人が全くいないとは言わないけど、全体としては少数、例外だと思う。

あとベテランレベルアイドルだったこと自体忘れ去られてる人か。

ただ、そもそも私は、活躍するアイドル出身の個人を否定する気はない。

だれか個人が嫌いなわけじゃなく、現代アイドルというシステムが好きになれないのだ。

(余談だが、蜷川氏なんてのはまさに商業理由からアイドル起用してた人なので、反論として出されるのに疑問がある。

 起用理由に関してであって、舞台上での個人の努力を疑うものではないけれど)

>曲は残る

そう思う。あと10年して、アイドルのありようとかがどうでもよくなったら、

その時はじめて、曲としてフラットに聞けるんじゃないかと思う。

アイドル以外にも聞く曲はたくさんあるので、

今あえて、製造過程に疑問の残るものを聞こうと思わないだけで。

2016-02-27

嫌だから見ないフジテレビ

めちゃイケって今までと比べて物凄く面白くない。

だってめちゃイケって課題みたいなのを見つけて挑戦するってバラエティ番組なのに視聴者が一切望んでいない番組作りをしてるから

SMAPモー娘EXILE岡村ダンスで絡むというコーナーは理解できるし、過去岡村に挑戦状送りつけたヨモギダ理解できる。

だけど、三中にみちのくプロレス入りするコーナーって誰が得するの?一切理解できない。

みちのくプロレスって設立者のグレートサスケなんて野々村竜太郎と同じく政務調査費岩手県から騙しとったクズだし、そもそもプロレス自体過去から現在まで超絶ブラック企業プロレスラーなんてごくわずしか視聴者に知られてないのに、それを素人の三中に強要して苦しんでる様子を流す番組作ってどこがバラエティ番組なの?どこに笑いがあるの?

そのコーナー以後めちゃイケって見ても笑えなくなってしまった、ブラタモリの方が断然面白く土曜の夜はフジテレビからNHKに移ってしまった。

フジテレビテレ東よりも面白く無い理由、それはバラエティ番組で笑えないからでしょ。

お笑い番組プロレスラーを育成するのって違うでしょ。それが理解できないフジテレビはとっとと新規番組を作らず過去ドラマアニメのみを再放送して下さいね

2016-02-21

劇場版ラブライブ!批判考察

 一時期、ラブライバー界隈で話題になった劇場版ラブライブ!批判記事があった。

 それは、おりあそ氏による

アイドルはなぜ魅力的なのか? あるいは、劇場版ラブライブ!』はなぜ失敗作なのか。」http://oriaso.seesaa.net/article/421134088.html

である


 自分TVアニメ第2期以来ラブライブ!という作品うんざりしており、ほぼ既に内容に希望を抱くことを諦めた立場だった。

 そのため、劇場版の内容を目の当たりにしても、2期の調子から続きを作ったらこんなものかという程度に軽くとらえていた。

 批判記事についても早い段階で拝読の機会を得ており、概ね同意はしたのだが、批判へ寄せられた賛否両論意見の軽さと2期以来の作品の現状の救いようのなさに呆れていたこともあり、あまり触れないようにしていた。しかし、ラブライブ!(以下ラブライブ表記)という作品が何と言おうとフィナーレを迎えようとしている今になって、少しは気分が落ち着いたこともあって改めて自分なりに読み解いたものを記しておこうかと思う。


彼の批判文の序盤はTV第1期から劇場版の終わりに至るまでの説明なので割愛。その直後の文章から批判問題提起が始まる。

しかし、アニメラブライブ!』のラストを飾るイベントが、このようなものであっていいはずがないのである


問題点明確化するために、3年前に現実世界で開催されたあるライブイベントと対比してみたい。それは「ゆび祭りアイドル臨時総会~」といって、普段ライバル同士である人気のアイドル10組が一堂に会し、次々にライブを行うというイベントであった。このイベント話題となった最大の理由は、指原莉乃という当時AKB48で人気を急上昇させていたメンバーが自らプロデュースをしたことにある。つまり「ゆび祭り」は、μ'sが企画してライバルであるスクールアイドルを集めた、劇場版クライマックスを飾ったあのお祭りと非常によく似たイベントだったと言えるだろう。


実は「ゆび祭り」は感動的なイベントであった。それは何故かというと、指原莉乃というアイドル人生物語象徴するイベントだったかである。もともと指原は故郷大分県において、熱狂的なアイドルファンとして育った。モー娘の全盛期に小学生時代を過ごし、様々なグループライブに通い詰める重度のアイドルオタクになったのだ。そしてアイドルへの憧れが高じて上京自分自身AKBメンバーとなり、ブレイク果たしてこのようなイベント企画できるほどの地位に登りつめた。つまり「ゆび祭り」は、指原のアイドル愛が余すところなく表現されたイベントであり、アイドルオタク成り上がりストーリー体現たからこそ、感動的なイベントだったのである

 この部分、ある意味では三次元アイドルへのアンチテーゼ的な役割が求められる二次元アイドルアニメというジャンル批評実在アイドルAKBを持ち出したきたことで一瞬、辟易した読者も多いことだろう。自分もその一人であったが、よく読んで考えれば、その意図も分かるものになっている。


 実際、AKB指原がAKBとしてデビューする以前からアイドルオタクだったことは有名な話らしくいろいろとエピソード写真が残っているようである

 そんなアイドルオタクが、一応トップアイドルとなり、事務所などの枠を超えて自分リスペクトしてきたアイドルを集めて「ゆび祭り」という大きなお祭り主催したことは確かに快挙である

 そして、この「ゆび祭り」というイベントチケット代は指原の愛称「さしこ」にちなんで345円という特価であったらしい。自分の好きを極めて走ってきた上で積み重ねてきた成果を現在アイドル達やアイドルオタク還元するという意味で確かに素晴らしいイベントだったといえよう。


 それに対して、劇場版ラブライブにおけるお祭り比較されながら述べられているのが以下である

では、アニメラブライブ!』のストーリーを締めくくったあのお祭りは、どのような物語性を内包していたのだろうか。筆者の考えでは、残念ながら「どのような物語性もない」のである。あのお祭りでは、「スクールアイドル」がキーワードになっていた。しかし今までの『ラブライブ!』で、「スクールアイドルはいかにあるべきか」とか「スクールアイドル未来」とかいったことが主題になったことは一度もない。穂乃果たちは、今まで他の(A-RISE以外の)スクールアイドルことなんかちっとも考えてこなかったのである最後最後になっていきなり《スクールアイドルという問題》を提示されても、あまりにも唐突だと言わざるをえない。

 指原には長年アイドルオタクとしてアイドルに憧れ続けてきた上でトップアイドルになり、先述のお祭り主催したというプロセスがあるのだが、ここで述べられている通り、μ'sもとい穂乃果にはそんなプロセスはない。

 廃校を阻止しようという目標最初に生まれたが、スクールアイドルという手段は後付けであり、(スクール)アイドル活動は積み重ねてきて目的となるような価値としては弱いものだったといわざるをえない。TVアニメ第1期途中で廃校問題有耶無耶になり、自分達はアイドル活動をこの9人でしたいんだという方向に物語は動いたのだが、それも行き当たりばったりで賛否両論であった。作中でもまだ比較的まともだった頃の矢澤にこに「穂乃果の(アイドルへの)好きはいい加減」と批判されている。

 また、自分達のスクールアイドル活動には目を向けても、他のスクールアイドルに対して何らかの注目を向けたのは穂乃果にアイドル活動をさせるきっかけを作ったA-RISEくらいであり、それも主に廃校阻止や後のラブライブ出場&優勝という目標を達成するための当面の壁やライバルとして注目された程度に留まっているため、おりあそ氏の批判にある通り、指原のような他のアイドルへの想いが高じて開催につながったイベント比較すると、劇場版で急に穂乃果やμ'sの「スクールアイドル」に対する想いが打ち出され、スクールアイドルを集めてイベントをやろうと言い出すのは唐突であり、付け焼き刃だとか行き当たりばったりといった表現揶揄されても仕方がないものといえる。

 一方で、そのイベントや発想自体は悪いものではない。スクールアイドル全員で楽しい大きなお祭りしましょうというのはとても魅力的で素晴らしいものであるしかし、作品上仕方ない部分もあるとはいえ、「スクールアイドル」全体のお祭りへの想いを一旦は語り、イベントを開催してみたらμ'sしか目立っておらず、他はバックダンサーに近い扱いというのは、劇場版という大きなお祭りという面を考えてもどうにかならなかったのかとか、他のアイドルファンへの還元の面でも現実アイドルに大きく負けているのはどうなのだろうとか考えてしまう。

 したがって、あのスクールアイドルお祭りは作中における開催への過程や内容の意味だけでなく、ラブライブ劇場版というお祭り観点でも説得力と盛り上がりに欠ける粗末なものだったといえるのではないだろうか。


 その次に述べられているのが劇場版単体の内容の問題点である

今回の劇場版ラブライブ!でとにかく目につくのが、このように行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーである映画の前半では、脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行くことになるが、そこで何かを得ることはなく、後半ではまったく無関係ストーリーが始まってしまう。後半のストーリーから逆算すれば、前半では「スクールアイドル」の問題提示されていたり、μ's活動終了への伏線が描かれていたりしなければならないはずだが、そういったことは全然なく、ライブ場所を求めて街を探検したりアメリカ人交流したりするだけである。また、ニューヨーク迷子になった穂乃果は、彷徨っているうちに一人の女性シンガー出会いホテルまで連れ帰ってもらう。この女性シンガーはいろいろと不思議な点があり、穂乃果以外のμ'sメンバーには見えないなどの設定があるため、「未来の穂乃果」だというのがネット上では最も有力な説である。この女性シンガー帰国後にも一度穂乃果の前に現れるのだが、それっきりストーリーからは退場し、穂乃果に思い出されることもなく、謎も一切明らかにならない。映画キーパーソンであるかのように登場しておきながら本筋にはちっとも絡まないというこのキャラクターは、何のために出てきたのか本当に謎なのである。他にも、映画冒頭で描かれる、穂乃果が水たまりを飛び越えるという過去エピソードがこの映画ストーリー全然そぐわないなど、とにかくこの映画脚本はいたるところが継ぎ接ぎだらけの雑なものであり、一貫したテーマがないので物語性を感じられない。「物語性がない」と言うと、『けいおん!』なんかの例を持ち出してくる人がいるかもしれないので予め書いておくと、『けいおん!』にはストーリーはない(大したことは起きない)が、物語性はある(一貫した主題がある)。それに対して劇場版ラブライブ!』には、ストーリーはあるが物語性がないのである

 と、ここも個人的意見の相違はないのではあるが、突っ込みたい点が何点かある。

 そもそも行き当たりばったりで物語の流れを無視したストーリーというのは劇場版に限らず、第1期から指摘できる問題点であり、ラブライブというよりも花田十輝氏の脚本によく見られる傾向ともいえる部分である。その点を、恐らくブログ著者は第1期を評価したい立場であるために触れないでいるのだろうが、後々2期や劇場版でそれが起因して物語性やキャラクター性の破滅につながっていることは無視できない。

 たとえば2期においても用いてプロジェクト開始初期から掲げていた「みんなで叶える物語」というキャッチフレーズ。それが本来コンテンツ全てを統括する一つの物語性やコンセプトになるべきだったし、アニメ化以前は細かなキャラクター設定のブレはあっても、その点においてのブレはなかった。個性事情を違えるキャラクターが集まった上で廃校阻止やアイドルになるといった目標を叶えること、また結果的に初期からそのコンセプトやキャラクターを支持してきたファンの思いを叶えるという意味もつながってくることになる。

 しかし、アニメにおいてその作中の物語性は破棄された。廃校阻止という目標プロジェクトを束ねる大きなコンセプトの一つだったが、それは第1期で大会に出たわけでもなく他のアイドルと大々的に競ったわけでもなく達成される。その後μ'sは文化祭における穂乃果の件もあり活動休止となることもあり、せっかく大きな目標を達成できたのにカタルシスが弱い。

 アニメラブライブ肯定的ファンの間では「アイドル活動廃校阻止というコンセプト自体に無理があるから、1期でそれを消化したのは悪くない」という見方があるが、無理があることを簡単にあっさり達成・消化させてしまったたものをよしとする神経や論理にこそ無理があるように思える。

 また、裏を返すと、大会に出ずとも廃校阻止につながるくらいにスクールアイドル活動の影響力や効果が大きいことを描写してしまったともいえる。さらに2期では、次に開催された大会に出場し、プロアイドルを上回るとも言われていたA-RISEをも倒し優勝を達成してしまったのだから、その後のμ'sの人気や知名度は絶大なものとなっていただろう。少なくとも地元東京関東地区では。

 ところが、劇場版はその描写から矛盾点を生じさせている。

 脈絡の無い強引な展開でニューヨークに行きライブを行い、間違いなく関東空港である日本空港に帰ってきたところでファン出待ちされて知名度を得た自分達に驚くというシーンについてであるが、既に廃校阻止や大会優勝の時点で雑に考えてもかなりの人気と知名度を得ていたはずである。ましてや地元であり、さらに出迎えたファンは同年代であったから今さら驚くことではないはずだが、それに初めての体験であるように驚く描写を入れてしまったことで、劇場版アニメラブライブという作品自体がどの場面においても何かを得ることはなく、いつもまったく無関係ストーリーが乱雑に入れられるだけの作品だと物語っているかのようである


 続いて、ブログではそのような内容や批判を受け入れるファンの態度についての批判が述べられている。

さて、劇場版ラブライブ!』は以上のように脚本に重大な瑕疵を抱えているにも関わらず、この劇場版が良かったという人々の多くがこのことを大した問題ではなかったと考えているようだ。ここがポイントである。もし以上で挙げたようなことがそもそも物語上の瑕疵ではないと言うのなら、それは根本的なセンスの違いだからどうしようもない。しかしそうではなく、瑕疵だとは認めつつもそのことによってこの映画価値が損なわれないと考える人々が多くいるという、その点にこそ本質的問題がある。なぜなら、これほど重大な物語的欠陥を目にしておきながらそれを大した問題ではないと言うのは、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という物語性軽視の態度に他ならないと考えられるからである


ラブライブ!』はTVアニメ第1期以来2年半のあいだ爆発的に人気を拡大し、日本二次元コンテンツ代表する作品の一つにまでなったが、残念ながらそれと同時に、物語性をひどく軽視するファンを増やしてしまったように思う。そういった人々は、μ'sを一方的かつ即物的に消費するだけであり、μ'sのメンバー共感したり、あるいは彼女から何かを学んだりしようとするチャネルを持たない。そしてそういった人々の消費態度は、実際に『ラブライブ!』の作品のものに反映されるようになってしまった。その結果がこの劇場版における脚本崩壊だと考えられるのである

 そもそも、「アイドルアニメなんだから可愛ければそれでいいじゃん」「百合さえあればなんでもいいじゃん」という擁護を持ち出すのも苦しい点がある。

 何故かというと、このアニメラブライブ脚本家である花田十輝氏や監督京極尚彦氏は自分たち志向する物語性を作るために、キャラクター性やプロジェクトの大きなコンセプト(一貫した主題)を変更して犠牲にした経緯があるためである。(電撃ラブライブ!3学期http://www.amazon.co.jp/dp/B00BW8MRVY等参照)

 いくら結果売上が出たとか人気が出たとはいっても、道理に背く大きな決断を下したからには内容に責任を負うべきである。自らが企画原案から打ち立てた作品なら構わないだろうが、ラブライブは三社合同のプロジェクトであり、原案公野櫻子であるため、彼らは作品物語性の中枢部分に適当にメスを入れられる資格はない。つまり覚悟を持ってメスを入れてしまったのだから、それ相応の義務責任を負わなければ話にならない。

 本来あったキャラクター性や物語性を軽視した上で、打ち立てたストーリーに不備が生じ、それを擁護するために切り捨てたものを持ち出すというのは都合が良すぎるし、つまりストーリーコンセプトの変更やキャラクター性の変更の失敗を証明しているようなものである

2015-12-05

μ's解散が潔すぎてモー娘からAKBまでに繋がるメンバー卒業新規加入のループは糞だと気づく

ももクロも早く引退した方がいい伝説になれ

2015-10-27

ここ数年のモー娘が、最近いくらいの昭和の超体育会系ビビ

ソースは先日のゴールデンテレビ放送

タイトルは忘れた。

最近歌巧くなってるはダンス完璧だわ美形ぞろいだわで、あきらかにAKBより仕上がりが丁寧なのが気になってたけど、バックヤードはそんなんだったわけねと納得しますた。

あと足りないのは何かしらの天性の魅力をもったナニモノかで、そいつが加入するかメンバーの誰かがそれに気がつけばまた再ブレイクする罠。

2015-10-18

女性アイドル脱退、男性アイドル脱退の比較

追記

http://anond.hatelabo.jp/20151017175922

AKBモー娘あたりが卒業イベントを大々的にやるのに対して

ジャニーズメンバー脱退は不祥事と同等の扱いであって、

そのあとは脱退メンバーについてはタブー扱い


男女差がはっきり表れる部分だと思う

あの違いはなんなんだ


身近に女性アイドルのファンがいないからよく分からないけど

そもそも推しメン脱退後、ファンはついていくの?

残る他のメンバーを推すことにシフトするのだろうか?

2015-10-17

女性アイドルのファンって

応援してるアイドルグループ解散したりグループメンバーが変わってももいいの?

萎えないの?

デレマスプリパラみたいなアイドルアニメでそういう話やたら出てくるから・・・

アイドルアニメ自体その2つくらいしか知らんけど


現実女性アイドルでもモー娘とかAKBって卒業していくシステムだけどそれでいいの?

そのシステムに反対してるファンとかいないの?

今まで何年間もずっとメンバーと一緒に頑張ってきたのに

ある日それが全部崩壊するって辛いし萎えそう、と思ってしま


私はとある男性アイドルグループのAくんのファンだけど

グループ解散して卒業してAくんはソロ活動ってなっても萎えてもう応援できないと思う


どんなに外でソロ活動してても結局グループに戻ってくる、基盤はグループ活動っていう基本があるし

メンバー同士の関係性の変化、それに伴う成長を見守るのが楽しくてファンやってる

2015-08-05

後藤 まき(ヤンキー

安倍 ほのか(主役補正

飯田 のぞみ(天然)

中澤 エリチカ(まとめ役)

保田 海未(ボケ

矢口 にこにー(小さい)

辻 凛(小さい)

加護 花陽(小さい)

石川 ことり(あざとい)

吉澤

辻加護加入あたりの頃のモー娘ラブライブを当てはめたらヨッシーだけいなかった

2015-07-29

アイドルラジオ体操やらせ動画がほしい

最近体がなまってきていて辛いなと思ってたんだけど、

ふとラジオ体操の動きをやったら、体が良い感じにほぐれて気持ちよかった

これからラジオ体操毎日やるようにしたい

最初動画見ながらじゃないとちゃんとした動きがわからないので、動画が欲しいのだが、

毎日見ても飽きないような動画がなかなか見つからない

どうして可愛いアイドルがしっかりラジオ体操してる動画が無いんだ?

みんなラジオ体操は1度くらいやったことあるだろ

AKBでもモー娘でもいいので、ラジオ体操動画を作ってください、DVD買います、お願いします。

2015-03-05

なぜ美少女アイドルグループは人気を保ち続けることが出来ないのか?

日本三大美少女アイドルグループといえば、「おニャン子クラブ」「モーニング娘。」「AKB48であるが、おニャン子は消滅してるし、モー娘は全盛期の勢いはない。一方、美少年アイドルグループたるジャニーズを見ると、若いから活動してても、人気を保ち続けるグループは多い(例えばSMAPTOKIO)。この差は、ずばりグループの「核」の違いに起因する。

美少女アイドルグループは、その名の通り、「メンバー美少女である」ことを最大の売りとしている。その為、いくら人気メンバーでも時間が経過すれば、「卒業」させざるを得ず、せっかく築いたメンバーごとの人気度がリセットされてしまう。一方の美少年アイドルグループは、「メンバーキャラが立っていること」が最大の売りである。その為、メンバーが全員年をとり、「美中年アイドルグループ」になっても何一つ問題がない。そもそもメンバー交代自体不祥事でもない限り、滅多にない。

最大の問題は、何故、美少女アイドルグループがそのままメンバーを交代せず、美熟女アイドルグループになることが許されない(あるいは一般的ではない)かである。それは女性アイドルが年をとると急激に人気がなくなるのと全く同じ理由である。ファンという生き物は、男性がとしとるのと比べ、女性が年をとることに大変不寛容なのだ

では、AKB48はこのまま、おニャン子クラブや、モーニング娘。のように衰退してしまうのだろうか。そう話は単純ではない。AKB48の最大の強みは、「数の暴力であるAKB48正式メンバーだけで48名、AKBグループ全体では300名以上いるそうだ。これだけ人数がいれば、主要メンバーの同時交代による衰退が防止できる。企業のように、ベテランが若手を育てるゆとりが生まれるのだ。

あるいはPUFFYのように圧倒的個性で、年齢など関係ないと言わせられる活動ができれば、メンバー交代を、せずに女性アイドルグループを維持できる。職人になるか大企業を目指すか、いずれにせよ、女性アイドルグループの前途は多難である

参考:AKBの人数

http://s.ameblo.jp/hypo529/entry-11501055132.html

2014-09-21

http://anond.hatelabo.jp/20140921010954

今の若いからすると信じられないかもしれないけど

モー娘が世に出てからしばらくの間

サブカル的にハロプロを持ち上げて語るってのがアリだった時代があるんだよ

からテキストサイトの流れを汲むはてなーにはハロプロ寄りが多いんだと思うよ

なんつーか普段硬派気取ってるバンド野郎とかが突然

モー娘いいじゃんお前この良さがわかんないの?」みたいなこと言い出す寒い逆張りゴッコとかよくあったわけよ

もう思い出したくもないけど

2014-01-26

きな子が二重になってしまった

動揺を抑えられないので書き込ませてください。

彼女は昔から細い一重を気にしていた。

でも俺はそんな目が大好きだった。

モー娘の鞘師みたいな目。

切れ長で和風っぽくて控えめな目が良いと思っていた。

照れもあるし、あんまりかわいいと言えなかったのを後悔している。

久しぶりに会ったら誰だか分からなかった。

ものすごい濃いメイクと、幅の広い二重。

ますわかつばさとか、きゃりーぱみゅぱみゅみたいな顔になっていた。

嘘だろ。

目やったろ?と聞いてみたら「うん、ちょっと、、、やっちゃった」

と照れながら話す彼女

「でも、昔から気にしてたしいいんだあ」

何がいいんだよ。

あのかわいい一重の女の子はどこに行ったんだよ。

2013-12-21

男性アイドル女性アイドルの違い

SMAPとかV6とか嵐とか、30歳40歳になっても結婚して子供が出来てもコンサートバリバリ踊ってて、

ファンも1020単位でついてきてて凄いと思う


対して、女性アイドル1020代前半が中心で、30歳になるとふっと消えてしまイメージがある。

売れている人はバラエティで顔を見るけど、コンサートはやらないのだろうか。

芸能界なんて水商売なので売れなくなったら消えるのは当たり前なんだけど、

モー娘AKB卒業という形で若い子のみを残すシステムだ。

30代だろうが歌って踊れる女性はたくさんいると思うんだけど。

需要がなくなるのだろうか?

ママタレの方に需要を感じてシフトしていくのだろうか?

子育て優先で踊りの練習など出来なくなってしまうのだろうか。

Perfumeアーティスト寄りなので30代になっても舞台上で踊り続けてくれるのかな?


地下アイドルというものがある。

ファンとアイドルがとても近い距離で触れ合えるような。

地下アイドルほとんど女性だ。

男性地下アイドルの形式で活動しているという話を聞いたことがない。

また男性地下アイドルのファンという女性も。

地下アイドル現場を見て感じたのは、キャバクラのようだということ。


この男女差に見るアイドルの活動の仕方は何だろうか。

女性出産に年齢制限がある。出産の後には子育てをしなければならない。

男性結婚後も仕事を続ける必要がある。


  • ファン側-

女性男性に魅力を感じる際年齢を重視しない。

男性女性に魅力を感じる際年齢を含めて判断する。

男性女性単体に魅力を感じる

女性男性同士のコミュニティのものにも魅力を感じる



ここまで考えたけど、これ全部日本アイドルの話だよね

海外アイドル事情ってどうなんだろう

向こうにも地下アイドルかいるのかな?

2013-11-16

http://anond.hatelabo.jp/20131115230908

女性客と身長差のないチビデブオヤジで埋まった会場画像をよく2chで晒されてる

モー娘ヲタも、狼に身長スレが立つ度に「男は身長より顔!」など反論ばっかりするしな。

2013-11-14

http://anond.hatelabo.jp/20131113191038

ちょっと前にネットに上げられてたモー娘握手会会場の画像も、一割いる女性客と身長差のないチビデブオヤジばかりで悲しかった。

一人高身長で肩幅の広い男性(頭髪は薄い)がいて、スタイルの良さで浮きまくっていた。

http://anond.hatelabo.jp/20131113191038

ちょっと前にネットに上げられてたモー娘握手会会場の画像も、一割いる女性客と身長差のないチビデブオヤジばかりで悲しかった。

一人高身長で肩幅の広い男性(頭髪は薄い)がいて、スタイルの良さで浮きまくっていた。

2013-09-26

マスダ80年代女性アイドル論~総論

80年代女性アイドル格付

マスダ80年代女性アイドル論~松田聖子論

マスダ80年代女性アイドル論~中森明菜論

マスダ80年代女性アイドル論~小泉今日子論

マスダ80年代女性アイドル論~インターバル

マスダ80年代女性アイドル論~薬師丸ひろ子論

マスダ80年代女性アイドル論~南野陽子論

マスダ80年代女性アイドル論~斉藤由貴論


こんにちは。8月後半からはてな匿名ダイアリー80年代女性アイドル論を連投したマスダです。この総論では、最初にお知らせ、そしてコメントに対する返答、最後80年代女性アイドル歴史性の話をします。


お知らせと言っても大した話ではなくて、記事をまとめる意味いからも、ブログを開設しました、という話です。

はなぶさときいちブログ

です。

先日読んだ、

http://anond.hatelabo.jp/20130920220312

こちらの記事に共感します。例に出されていた人がどうだと言うのではなく、政治クラスタの人たちが、相手を叩き潰すのを目的罵倒し合っているのは、なんだかな、といつも感じています。もちろん、それも含めて政治と言うか、そういうものから完全に逃れられるとは私も子供ではないので思っていませんが、今度開設したブログでは、楽しい話を中心に書きたいと思います。

自分で言うのもなんですが、今回のシリーズ割合好評でした。中には政治ジャンルでは私の考えとは絶対に相容れない人たち、私が書いた政治向けの記事では私を魑魅魍魎のように罵倒した人たちも好意的なコメントを残していました。思うに、それが文化の力でしょう。

私たちは他人なのですから、親子や夫婦であっても別の人間なのですから100%考えが一致することはないし、100%違うこともありません。違って当たり前、それが人間ですし、そのことをやっぱり心のうちではわきまえておきたいですね。その、つながれる余地の部分を重視したい、今度のブログでは、そういう話をメインにしたいと思っています。


1.なぜランキング形式にするのか

これに限らず、私は自分の考えの整理のために、ランキングを作ったり、ベスト何々を選ぶ、というようなことをよくします。はてな匿名ダイアリーで言えば、

5大天才漫画家

これも私が書いた記事です。

アイドル論に絡めて言えば、かつて郷ひろみが「歌に順位をつけるのは違うと思うので、ランキング番組には出演しない」と言って、「ザ・ベストテン」「ザ・トップテン」に出演拒否したことがありました。当時私は、そもそも滅多にベストテン入りしなくなってから言い出すのは、ヒット曲が出なくなったのを誤魔化したいのだろう、毛色の違ったことを言ってアーティストぶりたいのだろうと思っていましたが、それは邪推であるかも知れず、歌い手立場としてはそういう意見が出るのも分からなくもありません。それに対して確か黒柳徹子が、確か「ザ・ベストテン」の番組中で、「その週ごとのチャートであって、楽曲のいい悪いを言っているのではありません」と反論をしていましたが、ランキング形式そのものにある種の不遜さ、失礼な要素があるのは確かだと思います。

しかしそれだけに、相当な論理客観性がなければなりません。単に自分が好きだから、嫌いだから、というのではなく、なぜ2位の人が1位でないのか、少なくともご当人にもご納得いただけるような、出来得る限りでの冷徹さを目指さなければなりません。それが私にとっては、ランキング形式を採用する意味です。

2.はてなおっさん向けか

まあ、おっさんホイホイの記事ですからね。そう思うのも無理はありませんが、私世代団塊ジュニア世代)より前の大人と、それ以後の大人ではいろいろと違う部分もあります。私が子供だった時の、アラフォーの大人たちは、漫画も読みませんでしたし、アニメも見ませんでした。歌謡曲だってほとんど聴かなかったのではないでしょうか。大人向けと子供向けにははっきりと境界があり、現在日本メインストリームになったサブカルバブルから私たち世代にかけてが消費者となって育成して来たものです。これは80年代ポップカルチャーが未だに「権威」として残っていることにつながっています。

ガンダム」も「中森明菜」も「ファミコン」も境界のこちら側だったからあちら側では評価もされなかったのです。そういう悔しさを、私たち世代はそれぞれに経験しているはずです。そして今の文化状況は、こちら側が肥大化した世界であるわけです。いや、そうした境界のもの無意味だということを知っている世代です。

はてなおっさん向け、LINEは若者向け、こう言う言い方が奇妙だと思うのは今のおっさんLINEを使うからです。今のおっさんはAKBもモー娘も知っている、そのうえで80年代女性アイドルを評価している、あるいはその限界も知っているのです。今の若者は、クリエイティヴフォーマット自分で作っているわけではありません。単に過去を知らないだけです。

3.斉藤由貴尾崎は同志発言

この発言は私も聞いたんですが、不倫発覚の時か、尾崎が亡くなった時のコメントちょっと記憶が定かではないですね。どちらにしても時期的にはそう離れてはいないんですが。

私は地方出身者ですが訛りがないんです。今では実家に帰っても、方言で話すのはかなり難しい。けれども実家にいた中高生の頃からその傾向がありました。当時はかなり乱読していましたので、話し言葉が書き言葉みたいになってしまうんです。読書家に一般的な傾向化どうかは分かりませんが、斉藤由貴ちょっとそういうのを感じます。同志って、実際に人間が発語しているのを見たのはあの時が最初最後でしたよ。赤旗でも見かけないんじゃないでしょうか。既に相当にフィクショナルな言葉で現実の人間関係を構築した斉藤尾崎、非常に彼ららしいと思います。80年代と言う特に即物的な時代にあって、尾崎はああいう形で決着をつけました。斉藤由貴はフィクショナルな部分を、穏やかに現実に着地させていったように見えます。これは男と女の違いでしょうか。

3.作詞家としての斉藤由貴

浅香唯の『セシル』で知られる作詞家麻生圭子さんは「京都評論家(?)」としても知られ、いけず京都人から「なんでよそから来た人にあれこれ言われんといかんのやろ」とか言われているらしいですが、彼女が作詞家をやめたのはアイドルたちが猫も杓子も作詞をして、ならば作詞家なんていらないじゃんと思ったからと以前、言っていました。作詞日本語の読み書きができるなら誰でもできるわけですよ。一応の形にはなる。ではなぜ作詞家という職業が成り立つのか。作詞家の作品のレベルが圧倒的に優れているからですね。特に楽曲としても文学としても優れているのは阿久悠松本隆の作品だと思います。どれをとりだしても、素人には絶対に書けない、優れた言語感覚が裏打ちされています。

しかし考えてみれば、シンガーソングライターほとんどは作詞も手掛けているわけで、書かせてみれば相当に良い詞を書ける人は意外といるのかも知れません。

斉藤由貴アイドルの手すさびレベルではない詞を書きます。しかも曲に調和するように書かれている。無作為に抜きだしてもどれもはっとする、面白い作品ばかりですね。彼女に文学者としての才能があるのは間違いありませんが、主に後期のアルバム曲で書いているので、一般には知られていないのがもったいないですね。彼女の作詞作品としては『あなた存在』『うしろの正面だあれ』が好きですね。

4.なぜ映画『野菊の墓』の相手役を伏字にしているのか

一般の方だからです。

5.マッチ明菜を騙したのか

例の金屏風会見ですが、本当のところは知りませんが、どういう形であれ釈明会見をすべきであったとは思います。やはり他人の家で自殺未遂をするのは尋常ではありません。百歩譲って自殺を試みるとしても自分の家でやれ、と言われても仕方がないでしょう。あの件に関してはマッチ被害者だと思います。

6.松田聖子歌唱力について

私が聖子を初めて見たのは確か小川宏ショーではなかったかと記憶しています。逆算して考えると私は当時すでに小学生だったのですが、どういうわけかその日、その時間は家にいて、母と一緒に朝のワイドショーを見ていました。デビュー直後、聖子のお母さんが娘のプロモーションのために共演することが多くて、その時もお母さんと一緒にゲスト出演していたと思います。そして『裸足の季節』を歌ったのですが、スタジオ空気が変わったのを感じました。私の母が「この子は大スターになるね」と言ったのを覚えています。ですから聴いてみればたちまち、聖子歌唱が優れているのは誰の眼にも明らかだったのですが、それでもアイドルなので下手扱いされることが多かったのです。なんで淡谷のり子なんかに、むかしはいざ知らずあんなに声量も出ない、表現力もない下手くそ歌い手聖子が下手呼ばわりされないといけないのか、理不尽を感じました。これはパロチンなんて何の効力もないとみんな知っていながら、発見者が東大の偉い先生だったって言うんでずっと使われ続けてきたというのと同じ問題です。当時はサブカル全体がこういう扱いを受けていました。宮崎駿だってまともに大人が論じるような作品とは捉えられていなかったんですから。今はそういうのよりはずっと良い時代ですね。

7.ナンノ代表曲は『話しかけたかった』だろうにjk

その通りでございます。はねた髪っ!!!

私はあの曲を最初に聴いた時、ユーミンの『DESTINY』を思い出したのですが、『DESTINY』は振られた男に万が一、会った時のためにいつでも小奇麗な恰好をしてたのに、実際に再会してしまったその時に限って安いサンダルを履いてた、という話なんですが、『話しかけたかった』は髪がはねていたので話しかけられなかったという話、全然違いますね。


さて、総論として、80年代アイドル特に女性アイドルとはなんぞやという話です。

アイドルと言う言葉が出始めたのは、70年代初頭、1962年フランス映画に『アイドルを探せ』というものがありますから、それ以前からスターの置き換え語としてアイドルと言う語はあったのかも知れません。アイドルとは何ぞやと言えば、それは芸ではなく、存在によってファンの憧憬を集める存在、そのうち、特に歌や演技を表芸にしている人たち、ではないかと思います。

天地真理以後の言葉だろうと思いますが、それ以前からアイドルと言うべき存在はいたわけですが、彼らはスターと呼ばれていました。しかし表芸としては、俳優歌手であるわけで、最初期のアイドルである天地真理小柳ルミ子らは「歌手」がメインであって、アイドル性は付加価値でした。その付加価値肥大化したのがそれ以後の流れです。

ここで男性アイドルに簡単に触れておきますが、男性アイドルはなかなかビジネスとして成立しにくい傾向があります。これは単純に、女性女性アイドル消費者になるけれども男性男性アイドル消費者にはならないからです。この構造は基本的には変わっていません。ジャニーズ事務所市場を寡占することで、規模の利益を上げているだけです。70年代男性アイドルのうち、ビジネスとして成立したのは新御三家フォーリーブスくらいでしょう。80年代には市場を寡占したジャニーズでさえ、ソロ売りは難しくなり、近藤真彦以後、ソロで売ったのはほとんどいません。

アイドルが、存在自体でスター性を獲得するのが特徴だとすれば、本格的にアイドル時代が訪れるのは、石野真子大場久美子榊原郁恵あたりの世代からです。山口百恵桜田淳子ではまだ歌がうますぎます。

そう言えば、以前、NHKの番組で、さだまさしが司会をしていて、歌を作りましょう、みたいな講座があったのですが、あなたが作った歌をプロの歌手が歌いますと言っていて出てきたプロ歌手西村知美だったのでのけぞったことがありました。それ単に、さださんの仲良しで選んでいるだけでしょう、と思いました。西村知美も確かにプロ歌手と言えばプロ歌手ではあるわけです。しかしプロ歌手と言う言葉と彼女の実態は大きくかけ離れています。そういう意味では南野陽子西村知美新田恵利らが出てきて、アイドルが完成したのだと言えます。

80年代アイドルは、芸人として表現者劣化した時期かと言われればある程度はそうです。劣化すること自体に意味があったわけではなく、付加価値のウェイトが強まった結果、歌唱力のウェイトが弱まったのです。そういう中で、トップアイドルたちは、アイドルとして「見せる」方向に特化していきました。


アイドルはなぜいなくなったのか。

いや、今でもいるよ、という声はあるかも知れません。しかし、彼らは明らかに80年代アイドルとは受容のされ方が違います。どう違うのか。

本田美奈子が「私はアーティストです」宣言をした時、松任谷由実が「本田がアーティストなら私は神様だよ」と本田のアイドル性を揶揄して言いました。この時すでに、アーティスト性の方がアイドル性よりも上という認識が両者にあった、ということになります。この話はこれでおしまいではなく、音楽雑誌ライター松任谷のこの発言を批判して、「自分だってアイドル時代があったのだから他人のことをとやかく言える立場か」と書いたところ、松任谷は「私にはアイドル時代なんてないんだからね!」と激怒していました。そりゃそうでしょう。松任谷ソングライターにはなれてもアイドルにはなれません。

おそらくそライター竹内まりやあたりと勘違いしていたのではないかと思います。アイドル不在の70年代末期、いわゆるアーティスト系の女性シンガーアイドルのように遇された時期がありました。竹内まりや桑江知子、それとこぶ平のお姉さんとかです。このことは、エンターテイナーとして実力があることと、アイドル性は決して矛盾しないことを示しています。90年代以降のミュージックシーンは、70年代への回帰アイドル性とエンターテイナー性の両立が生じました。

まり純粋アイドル性が生じたのは80年代のみと言っていいかと思います。AKB48エンターテイナーとしての水準が低いのは、80年代集合アイドルであるおニャン子クラブ模倣しているからです。


英米圏にもニューキッズオンザブロックとかバックスリートボーイズ、ベイベベイベと歌っている子とか、アイドル性の強いタレントはいます。しかエンターテイナーとしての水準が極端に低く、そのため純粋アイドルとして成立しているタレントほとんどいません。現在K-Popでも、アイドル性を訴求しながらも歌唱ダンス、肉体表現おいて、プロの水準に達していて当たり前です。80年代日本おいてのみ、純粋アイドルが成立した、これは特異な現象ではないでしょうか。

もちろん80年代アイドルでもほとんどはエンターテイナーとしての水準が高く、その高度なアーティスト性のために聖子明菜純粋アイドルとは言えないでしょう。しかし彼女たちの付加価値はあくまで当初は付加価値であり、商品としてのコアはアイドル性にありました。「まず歌手であり、次にアイドルであることと「まずアイドルであり、次に歌手であることは似ていながら全然違います。このアイドルという現象がなぜ80年代日本で進んだのか、なぜ90年代初頭に終焉したのかを考えると、私が思うに、70年代末期から80年代にかけて、日本人国民的自信が強まったこと、同時に世界標準への憧れが消えたこと、その結果、日本的な「縮み志向」が進展したこと、バブル崩壊とともにその前提条件がなくなったこと、等々が要因ではないかと推測しています。


では、一応ここまでにしておきます。長々とありがとうございました。

2013-06-24

http://anond.hatelabo.jp/20130624131122

80年代とかアイドル全盛期だったわけで

間(90年代中盤~モー娘台頭まで?)が何故アイドル冬の時代だったのか、の方が問いの立て方として正しいのかもしれない

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