はてなキーワード: 日焼けとは
仮に他人の目から完全に解放された場合待ってるのはカオスでしかない
https://anond.hatelabo.jp/20241108221745
口に出すのは論外だけど、知らん人の情報なんかビジュアルでしか見られないだろ。
骨格云々は厳しすぎるだろうけど、体型維持とか髪型とか日焼け対策とか、いくらでも相手の精神性をうつす要素があるじゃん。だるすぎる。
男女限らず努力が足りないのにそのままで受け入れて欲しいとか評価されたいと思ってる人、垢抜けてる人よりも他人との距離感おかしくてマジ空気読めないんだもん。オタクに多いじゃん。
求めてないから放っておいては自由だし、周りも意見は押し付けちゃダメだけど、それで人とうまく関われないのは諦める(またはそもそも1人でいい。気にしない)という姿勢は必要じゃない?人に合わせたくないけど人に近寄りたいはもう怖いんだよ。
・自民
わりと多様。「自民もアレだけど他よりマシだから……」という消極的支持者の声から、「自民以外に入れるのはバカ反日」という声のでかいネトウヨまで。
岸田はダメ、ゲルもダメ、なんで高市さん首相にならなかった……という支持派閥ごとの対立も激しい模様。
・公明
リアルでは選挙前に「久しぶり、元気してた?」と電話かけてくる信者がウザいけど、ネットでは自分から近寄らないせいかほとんど印象無い。
・立憲民主
今の野田路線と、かつての「立憲共産党」路線で支持者が割れて憎み合っている印象。
「これから立憲が取るべき戦略」みたいな物を長々と語る支持者が多い。
・維新
なんか氷河期世代勝ち組の日焼けした自分の顔をアイコンにしているオッサンのアカウントが支持している印象。
いま話題の党。4倍に増えて勝ち馬に乗る支持者も激増した模様。投票では自民に入れた層も混じってないか?
・れいわ
経済政策が被るせいか今は国民民主への攻撃に力を入れている模様。
・共産
左翼ポジションが被っているはずのれいわに対する攻撃は意外に少ない。
・社民
支持者を見たことがない。
ギャルっていっても、まぁ今どきの清楚系とか地雷系とかじゃなくて、完全に昔ながらのガングロ系。
真っ黒に日焼けしてて、目の下には涙袋をこれでもかと強調するメイクをしてる。
だからうちに帰ってきてから、怒りと悲しみのあまり、リビングで大泣きしだした。
その泣き方が凄まじくて、涙でアイラインが滲んで顔がぐちゃぐちゃになりながらも、なおかつ涙袋だけは頑張って強調されているという、なんとも言えないカオスな状態。
その時、私の頭にふと浮かんだのがベヘリットだった。
あの不気味な形をした、泣いているか笑っているか分からないような顔のアイテム。
姉が泣いている顔が完全にそれだった。
なんだか神秘的ですらあって、思わず見入ってしまった。ギャルが感情をむき出しにして泣き叫ぶ姿っていうのも、ある種の儀式に見えてしまうぐらいだった。
「もう絶対男なんて信じない!もう恋愛しない!」なんて叫びながら、部屋中にクッションを投げつけ、ティッシュの箱が吹っ飛んで、リビングがちょっとした戦場になっていた。
見ているこっちとしては、どうしてもその光景がベヘリットに見えて仕方がなかった。
いや、たぶん姉が真剣に泣いているのは分かってるんだけど、涙袋が強調されすぎていて、涙がそこから滲んでくる度にどんどんベヘリット感が増していく。
こういったことも初めての事じゃない。
毎回、全力で恋愛して、そして派手に振られる。これまで付き合った男たちはみんな何らかの問題を抱えていて、姉はその度に今度こそ本物の愛!と信じて突っ込んでいくんだけど、結局裏切られて大泣きするのがいつものパターン。
そんな姉を見ていると、「またベヘリット発動か…」って、私の中でいつの間にかそんなセリフが浮かぶようになってしまった。
姉にとっての恋愛は、常に危険な賭けであり、心のどこかでそれを楽しんでいるようにも見える。
彼女が次の男に夢中になっている姿を見るたびに、「またあのベヘリット顔を見る日が来るのかな」と思ってしまうのが、なんとも複雑な気持ちだ。
翌朝、姉はケロッとした顔で起きてきた。そして鏡の前でまた涙袋をしっかりと描き直して、派手なギャルメイクを完成させた。その姿を見て、私はなんだか笑ってしまった。まるで何事もなかったかのように、また「恋愛の戦場」に出ていく準備をしているようだった。
「もう大丈夫?」と私が聞くと、姉は振り返ってニヤリと笑った。
「当たり前じゃん!泣いたのは昨日だけ。今日からは新しい人生のスタートだし!」と、自信満々に言い放った。
この強さこそが姉の魅力なんだろう。私には真似できないけれど、何度振られても立ち上がる姉の姿には敬意を感じずにはいられない。
そんな姉を見て、私はまた思った。
姉の強さ、そのものなのかもしれない。
涙袋が再び強調された顔が、今度は勇敢に見えた。
そして、その姿を見ていると、私はなんだか勇気をもらえるんだ。
自宅、学校、バイト先の位置関係の都合で繁華街を歩くことが多く、しょっちゅうナンパやスカウトに遭い辟易していた。
先に断っておくが、自分が可愛いと言いたいわけではない。普通の容姿だが、若くて歩くスピードが遅いので声をかけやすいだけだと思う。
足に障害があるため声をかけられても急ぎ足で逃げるのが難しく、気も弱いのでトロトロと並走しながらやんわり無視する程度の対応をとることしかできない。
どうしたら声をかけられずに済むだろうと色々と試行錯誤した結果、100発100中で声をかけられなくなる方法を見つけた。ヒジャブを巻く、ただそれだけ。
宗教的な意味合いが大きいものなのでそんな目的で日本人が着用しちゃうのはどうなの?と思われるかもしれないが、今はファッションのヒジャブもあるらしいのでまー良いかなと思っている。
今年の夏、髪用の日焼け止めについて友人と会話していた折にインドネシア出身の子が「ヒジャブいいよ〜」と勧めてくれて、試しに着けてみたのがきっかけだった。
やや蒸れるが帽子よりは蒸れず、首周りも日焼けせず良い感じだったのでちょこちょこ日常使いしてみることにしてから、一切の声掛けを受けなくなった。
これまで、左手の薬指に指輪をつけても声をかけられたり、スマホの壁紙を赤ちゃん(甥)にして「子どものお迎えがあるんで…」と言っても引き下がらなかった男たちが、ヒジャブをひとつ付けるだけで視界から消えた。
デメリットは他人からの視線と、ヘアスタイルの制約のみ。まあそれが大きいんだけども…それさえ気にしなければ快適に街を闊歩することができる。
いいよヒジャブ。
「非モテや弱者男性は努力もせずにモテようとしている」みたいな煽り。
そういう事にしたいのかな?したいんだろうな。努力もしない人間の自業自得って事にしたいのだから。
20代の頃からファッション誌読んで研究しては実践して、美容院にも月1~多い時は月2で通い。勿論身だしなみは職業柄もあり、常に清潔を保つ。
更にはパーソナルスタイリストを使ってコーディネートもして貰っていた。キモがられるかもしれないけど、メンズメイクも当然やっている。
そして30過ぎた今、居ない歴=年齢。
原因は分かってる。顔。とにかくデカくて四角い。ザブングルって芸人をイメージして貰えれば分かると思う。
整形外科に相談に行ったらそこがハッキリ言う人で、骨格レベルで顔が大きく四角いので、これを小さくするのは難しいですね、と言われた。
それでも目とか色々弄って貰ったけど、結果は変わらず。
肌も色白で不健康、不気味、顔が更に大きく見える。メイクで多少マシにはしてるけど、やっぱり限界はある。
日焼けサロンに行ったら肌悪くして大変な事になった。週末にはランニングする様にはしてるけど、健康的な人間の肌色には程遠い。
自分でも「努力はしてるブサメン」と思うので、同性からはともかく異性からは普通にキモがられている。
初対面で異性からは警戒されてるのは分かるし、会社の一度も話した事ない人から「あの人の顔だけは無理w」みたいな陰口叩かれる事もあった。
自分でも顔だけデカ過ぎてキモいなって思う。痩せ寄りの普通体型(身長も174cmと普通~やや小柄ぐらい)なのに顔だけデカいから、マジでエイリアン。
体型を大きくすれば良いのかなって一度は太る努力をしてみたら、顔から肉がついて四角いアンパンマンになり、余計に悪化しただけだった。
友達に紹介して貰ったりして女性と何人も会ってデートを重ねるも、最後にはお断り。
理由は「良い人だし話も面白く優しかったけど…顔がちょっと生理的に…」という事だったと。(友人紹介の人達、後から友人経由で理由を聞いた)
内面を見て貰う前からNGか、内面を見て貰いそれなりに評価して貰った上で、外見でNG。もうどうしようも無い。完全に詰んでいる。
さすがにもう諦めた。心が折れたと言っても良い。やっぱ清潔感ってのは、一定の顔面が無いと清潔感として認定されないんだなと痛感。
仕事ではインパクトがあるのか、良くも悪くも覚えが良くて、営業職だから結果には繋がる事もままあるけど、自分が欲しかったのは
普通に仕事して普通に恋愛して、普通に家族を持つ事だった。それはクリーチャーに産まれた時点で望めない事だったんだろうな。
その現実を認めたくなくて、いっぱい時間と金と神経使って努力したけど、ぜーんぶ無駄だった。
がんばったけど駄目だった分、何もせずに非モテの喪って人よりも悲惨だと思う。言い訳が出来ない。失った物も多いし、希望も無い。
趣味らしい趣味も無く、せいぜい一人旅をたまにするぐらいで、それすらも外見にかける出費で年1程度だから趣味だとも言えない。
次の人生は、人並みにオシャレして、化粧して、清潔にしてれば、交際したり結婚出来る様な人間に生まれ変わりたい。
【追記】
やはり「もっと努力しろ」「努力の方向性が間違っている」「仕事や他の事を頑張れ」という反応が多かった。
他の事に努力していないのか、と聞かれると、どうなのだろう?外見程では無いが、社会で普通に働いていける程度にはしている気がする。
外見に使う金はそれなりにかかるので、仕事も人並みには頑張ったつもり。最初の文章では一々書かなかったけど。
仕事は普通か。年収でいうと32歳で800万ちょっと。ブクマカや他の増田の人達ほど高収入では無いものの、世間的には平均値には達していると思う。
現に同僚や、同程度の稼ぎがあるであろう友人達は、皆結婚しているか、交際相手がいる。(現在フリーな人も過去にはいた)
過去(20代前半の頃)には、話し方教室なるものに1年半程通っていた。
営業職なのもあり、仕事でのコミュニケーションには良い結果に繋がったと思う。異性に関しては無駄だったが。
「内面を磨け」そんなアドバイスは友人や知人からも何度も何度も聞いた。
ただそこまで悲惨な内面なのか?同性から見てもおかしい所ある?とオブラートに包んで聞くと
「いや君は真面目で良い奴だし気も利くし話してて楽しい、だから(高校や大学を卒業しても友人関係が)続いているんでしょ?」と言われる。
じゃあ内面には問題無いじゃないか、と言いたくなったが言わなかった。そういう藪蛇な事を言ってはいけない、それぐらいは分かる程度のコミュニケーション能力も持っているつもり。
ならばどこを磨けば良いのか。外見でキモがれる、拒絶される、生理的に厳しいとまで言われる以上、内面など磨いても意味はあるのか…と内心は思っている。
それでも悪徳な人間にはならない様に自分を律しているが、どう考えても自分より倫理観が無く、性格が悪く、コミュに問題がある男性でも、外見は自分よりまともだからか普通に交際し、結婚している事実を見かける度に暗澹たる気分になる。
骨を削るのは何度も検討した、けど結局やらなかった。何人かの医者に「オススメしません」とハッキリ言われたのもあった。
(素人目でも分かるけど)普通の人間よりは骨を削らなければいけないから、リスクが強く、仮に手術しても望む外見になるとは限らないと。
CGで手術後のイメージを見た事もあった。ブサメンが不自然な人工物に変わっただけだった。さすがに医者も自分も苦笑してしまった。
異性に関して求めている要素は、自分がもうどうしようもないので、余程人格が破綻していない限りは、自分を求めて相手にしてくれる方なら外見等は一切気にしない…つもり。
現に、友人の紹介等で、失礼ながら外見的には優れているとは言い難い人とも何人か会っている。
ただ経験則だけで言うと、顔合わせした瞬間からギョッとした顔をされ、席に着いた時からあからさまに塩対応をされる(スマホをずっと弄りながら、こちらが懸命に話しかけても話題が広がらない生返事など)
自分とは外見が釣り合ってない、一緒に歩きたいとも思えない、というニュアンスの事を初対面の際に直接面と向かって言われるなど、といった経験から、失礼ながら不美人の方がより異性に対してのルックスには厳しい傾向がある様に思える。
自分はそんな事無いのに…とか、これだけ努力して、外見に対して磨いているとか努力しているとは言い難い異性からも、露骨に嫌われ見下されるのか…と、更に惨めになっただけだった。
経験則だと、外見の良し悪しに関わらず、ちゃんと身なりを整えている人の方が、断られる際もあからさまにに失礼な対応は取られなかった様に思える。
やはりちゃんとしている人は、ちゃんとしている分、心の余裕があるのだろうか?
そうなると、自分には心の余裕は無いだろう。必死感、卑屈感が出ていているのも余計に駄目なのか。
けれど、ここまで外見にコンプレックスがあり、内面を見てもらった上でも尚外見が理由で撥ねられる事を繰り返して、なお前向きのままでいられるのは、余程の聖人では無いか?
少なくとも自分には無理だった。結果が出ないと辛いし、他の男性よりも外見に関しては努力をし続けているという自覚がある分、こんなに努力しても
普通の外見の男性が得られるであろうモテを、異性からの承認を、どんなに努力しても得られないという惨めな現実がプライドを育てる余地を極限まで無くしていく。
バッターボックスにはちゃんと立てているのだから、誰にも言い訳が出来ない。何より自分自身に一番言い訳が出来ない。
仮に年収が今の倍以上、例えば2000万になるまで努力したとして、それでモテが得られるのであればやるが、恐らくはそうならない可能性の方が高いと考える。
倍以上になるまで何年かかるのか?その頃にはどう考えてもアラフォーだ。いない歴=年齢のアラフォーなど、いよいよ異性どころか同性にすら相手にされなくなる段階だろう。
そうなったら、もう自分の人生を生きていける自覚が無い。せめて両親が先に逝くまでは生きていたいと願っている。文字通り命懸けだ。
それでもモテるのであれば、努力してみるが、そうなる保証は誰がしてくれるのか?きっと誰もしてくれないだろう。
つまりはそういう事だ。自分で自分を救えない様なブサメンクリーチャーを救ってくれる他人はいない。
努力しても無駄だった、外見で異性から拒絶される様な人間は、所詮は排他されるべき弱者なのだろう。
こんな惨めなコンプレックス塗れの人生を送りたくなかった。只管に悲しい。
次の人生は、普通の外見で生まれて、普通に生きていれば普通に異性から承認される、そんな人間になりたい。
この文章は、「非モテはどうせロクな努力もせずにありのままの自分を認めて欲しいだけなんだろw」という多数の意見に、悲しいやら怒りやら嘆きやら
反発したい思いがあって書いてみた。ザブングルに生まれて努力もせずありのままの俺を認めろ!と世の中を恨んでるとでも思ってるのか?と。
清潔感、内面、努力、仕事、性格、服装、髪型、がどうのこうの…そういうのは「外見がまともなら」という前提が必要なんだよ。
未だに初対面の見ず知らずの通行人から「キモっ」「あの顔、何?w」などと嘲笑され、その度に傷つき惨めな思いをする日々で、これ以上何を努力しろと言うのか?
推しは、お育ちがいい。
自分の推しは今をときめくアイドルグループのメンバーである。メンバーの1人だけが好きなのではなく、全員のことが大好きのいわゆる箱推しだ。アイドルとしての魅力はもちろん多分にあり、簡単には語り尽くせないほど彼らのことが大好きなのだが、その辺のオタク語りは割愛する。
このグループの大きな売りの一つに「メンバー全員家族仲が良く、お育ちがいい」という要素がある。
それ自体はとてもよいことだ。当たり前に。自分自身、彼らの両親に健全に愛されて培ってきた人間としてのあたたかなふるまいを好ましく思うし、両親とのほっこりエピソードを微笑ましく思っている。愛されて育った人間というのは、とかく愛される要素が多く愛おしい。
ただ、「お育ちがいい」という言葉が持つ攻撃性に気付かないでいられる彼らにとって、自分のような人間はファンとして適さないか、そもそも見えてもないのだろうな…と感じる瞬間が多いのだ。繊細や〇ざかよって?分かる。だからそんな繊細お気持ち仕草を公にしてしまわないよう、今回は殴り書きをして供養しようと思う。
まず、このグループはメンバーの半数がいわゆるお金持ちの生まれだ。小金持ちや成金等ではない。本当に純粋培養のお金持ちの家で育った、心清らかで豊かなおぼっちゃまである。それもネットによく落ちてる適当な身辺調査記事が出典ではなく、しっかりと本人出典のお墨付きだ。具体的には書けないが、あっけらかんと出てくるエピソードも一般人にはなんだそのエピソードは!?(笑)本物の金持ちってすげえや……となるようなものが多く、それは非常に面白いので書けないのがもったいないくらいである。
特に親との仲が非常に良く、成人後も実家暮らしで家事の一切ができないままなメンバーもいる。それ自体は、まあ結婚相手や交際相手なら是非を問えるかもしれないが、別に両親との仲が良好で双方同意の上なら完全に本人の自由だし、むしろアイドルとしてはおいしいキャラ付けと安心要素があって個人的には良いと思う。
なんなら自分もそこを可愛いとさえ感じているし、自分の好きな人が恵まれた環境にいて幸せに生きられるのは素晴らしいことだと思う。それはちょっと気持ち悪いか。まあオタクの推しへの感情なんてそんなもんだろう。
しかし、だ。良くも悪くも純粋培養のおぼっちゃまな彼らは、悪意無く次の言葉を発する。
「おまえその行動はお育ちが悪いぞw」
「(グループ名)は本当にみんないい子で、人柄からお育ちのよさがわかる!」
「みんな親と仲が良くてお育ちがいい子たちだから、このグループは素敵!」
…悪意の無い言葉の攻撃性、すごい。悪意が無い・誰かを傷つけてやろうという意思が無い分、それがアイドルや大多数のファン側…つまりマジョリティ側の本音なんだなと、ドストレートに心臓に突き刺さる。人柄からお育ちが分かる、お育ちがいいから素敵、か。
いや、何も間違ってない。環境は悪いよりいいに越したことはない。実際「お育ちのいい」人はいい人が多い。余裕があるから、人にやさしい。豊かだから、人へ分け与える慈しみを持っている。けど、お育ちの良さを褒めるとき、反対に「お育ちが悪い」という言葉で人を貶すとき、そしてそれを笑うとき。自分が何を踏んで何と比較して下げることになっているかには、メンバーも大多数のファンも無自覚でいられるんだな…という虚しさが、ただあるだけで。
自分語りを挟んでしまうが、ここまでのお育ち関連の発言に対する拒絶反応からお察しの通り、自分は「お育ちが悪い」に分類される人間だ。
詳しく語ると身バレしそうなのでだいぶざっくりとワードを連ねるが「面前DV」「経済虐待」「ヤングケアラー」「アル中」「離婚」…あんまり書いても不幸の詰め合わせマウントにとられそうでやめるが、まあだいぶ不健全な環境で育ったとだけ伝わってほしい。だから彼らに対して妬み嫉み、羨ましさが一切無いとは言えない。でもそれが至極勝手な感情であることもちゃんと分かってる。
だからそんなことは、表立って口にしない。別に彼らの家庭環境の良さは彼ら自身の努力の成果じゃないじゃん、なのになんで「お育ちが悪い」ことを「お育ちのいい」側がそうやってバカにして嗤うんだ。…とかいう繊細仕草なお気持ちは、胸に閉まっている。だのに、「お育ちのいい」彼らは自覚も悪意も無く、そんな胸の内のやわらかいところをこじ開けてくるのだ。それが、つらい。
メンバーの1人は、インタビューなどで自分の発言が取り沙汰されるとき、決まってこのようなことを言う。
「環境のせいでやりたいことに挑戦できないなんてことはない、環境は関係ない。自分は恵まれた環境じゃなかったが、努力して夢に近付いた」
あまりにも綺麗でまばゆい言葉だと思う。そのメンバーの努力はもちろん凄まじく、口先だけの人間じゃないことは1オタクとしてよく分かっているから。
ただ、環境は関係ない、なんてひどく残酷なことを言い切って発信してしまえるんだな…、と自分のような繊細ヤローは悲しくなるのだ。
ここで彼の言う「恵まれた環境じゃなかった」はなにも家庭環境の話ではない。とある事情のある地方に生まれた、という話なのだ(そうは言っても都会へのアクセスはぶっちゃけ悪くない)
また、彼は留学へ行ったことがあり、大学にも通い、しかしアルバイト経験は無いと本人の口から語られている。…それは恵まれた環境ではないのか!?と、自分は正直思ってしまう。
人には人の~…などと言うが、さすがにそれを自分は恵まれなかったが努力した!だから環境は関係ない!と言い切る材料に使うのは、あまりにも軽率なんじゃないか…?いや、大いに関係あるよ、環境。なんなら上京して上手くいった、あのまま地元にいたら無理だったかもと同じ口で言っていて、いやじゃあやっぱ環境関係あるじゃんかよ(笑)と少し意地悪なことも思った。
別に今や家を出られない事情があるとか、虐待やヤングケアラーだとか、そういうのはレア中のレアケースでもなんでもないよくニュースでも聞く話じゃないか。もちろん彼だってファンに発信していない部分で苦労したことはあるだろう。だとしても、環境は関係ないというのは、やはり成功者バイアスのかかった暴論だろう。少なくとも、アイドルが不特定多数を励ますときに使う言葉じゃないんじゃないか。
そんな家庭環境のことなんて想定していないのだからしょうがないだろう、揚げ足を取るな。ってかいつまでも環境を言い訳するな。もしかしたらそう思うかもしれないが、環境なんて関係ないと言い切るならそこは想定してくれよと思う。
第一、言い訳ってなんだ。何を言い訳したって周囲は自分の状況を変えてくれないっていうのは「お育ちが悪い」人はよく分かってる。自分もごくごく普通の社会人として社会に溶け込めるよう、努力した。「お育ちのいい」人が夢を叶える努力と、そう変わらないであろう努力を社会で普通に生きるためにするのが「お育ちが悪い」人でも大半だろう。
スタートラインがあまりにも後ろに後ろに設置されていて、夢なんて見ていられなかった。でもそれは環境が悪かったから仕方ないよね、となんとか飲み込もうとしているところを、何周もリードしている側が環境なんて関係ないという言葉で背中を殴るようなマネするなよ。そう思ってしまう。それも、推しからすれば言い訳の内なのだろうか。
私は彼らと同年代で、もう親元からは逃れているからまだグッと堪えられる。しかし、まだ幼く、親元から逃げられずに毎日虐待を受けていた環境でこの言葉を推しから投げられたら…と想像すると、背筋に冷たいものが走るのだ。実際、現在進行形でそういう状態にいるファンが0なわけはない。表立っては言わないが、鍵垢で実は…と語る人を何人も目にした。
実は家庭環境がすごく悪かったから、彼らが悪意無く「お育ちがいい・悪い」をギャグにするのがキツいとか、「環境は関係ない」と言ってるとき自分のようなファンは輪の内に入れていないんだと感じる、とか。推しから努力不足の烙印を押されているようだ、と。
でも、自分を含めその誰もが表ではそんなことを言わない。言っても遠回しに、かつ推しの名前は出さない。なぜなら彼らはエゴサをよくするし、おすすめにファンの投稿がよく流れてくると言うから、配慮している。わきまえているのだ。あとこういう意見は言論統制したがるファン、特にお母さん世代から空リプで遠回しにdisられるしね。いや陰湿~。まあ人間がたくさんいれば陰湿な人もその分いる。ここに殴り書きしてる自分もたいがい陰湿なヤツだと思うし。
話は逸れたが、表立って言わないのは別に彼らにお育ちがいいことを隠してほしいわけでも、罪のように思ってほしいわけでもないからだ。ただ、私たちはそのとき、推しにいないものとして扱われることを受け入れるしかない。
しかし、私は一度だけ、彼らの発言に対してお問い合わせをしたことがある。発言に対してお問い合わせなんて厄介オタクのすること…と思って耐えてきた私も、さすがに我慢ならなかった。それは、彼らが肌の色に対してネガティブな発言をして笑いにしたときだった。
肌が黒いメンバー(と言っても、スポーツをしている人の日焼け程度の褐色肌)が自虐を頻繁にしたり、自分や他メンバーの肌の黒さをいじる流れを作ろうとするのだ。
「おまえ肌黒すぎw」とか「(黒い服で暗いとこだと)髪の毛だけ浮いてたよw」とか「(黒い服が似合うという発言に)あー色黒をごまかせるから?w」とか。
一部のファンも一緒になって肌黒いwwwといじり倒して、メンバーが「肌黒いって言うな!w」という流れができている。
いやこのご時世に?ハイハイ嘘乙。と思ってくれる人もいるだろうが、本当である。私も嘘や誇張だと思いたい。このご時世にこんな大胆かつ雑な肌の色いじり、いくらなんでも嘘すぎる。
あんまそういうこと言うなってw触れづらいわwというメンバーの半笑いツッコミも、なにわろてんねんと率直に思う。このノリを1回や2回じゃなくしつこいくらいにやっているんだから、さすがにヒヤヒヤしてお問い合わせの1つや2つもするだろう。
当然、なにも彼らが差別心から言ってるわけではないのは分かってる。むしろ、親や周囲から肌の色をいじられたコンプレックスで言っているのだろうな…というのは彼らのコンテンツをよく見ていれば察せられることだ。
しかしこんな発言が令和に、仮にも名の知れた事務所所属のアイドルから出てきて、その上周りの大人が誰も諫めることなく世の中へと放出されるのか…と驚いた。
ライブや配信なら止められなくて笑いに昇華するのは百歩譲って仕方ないにしても、FCで載せる動画は編集でいくらでもカットできただろ。本人もスタッフもコンプラ研修とかしてないのかよ、しろよ。しててこのザマならそれは事務所、濡れ衣着せてごめん。
でもたぶん、してないね。してたらこんな、拡散されようによってはあっという間に【差別主義者】とバッシングを受け炎上する可能性のある発言を見逃すはずがない。そう思うのは希望的観測なのだろうか。
実際、私も彼らがそのような捉えられ方をして道が閉ざされてしまうのは怖かったから、お問い合わせという形を取った。ヒヨったのだ。炎上しても自分は責任が取れない、と。
ウケるwwwとか今日いちだんと肌黒すぎwwwなんて笑ってる一部のファンを尻目に、さすがにこれはよくないからお問い合わせした…という表明もちらほらと見かけたが、結果は特に何も変わらなかった。なんでや。
口うるせーなと思ったのか、それともお問い合わせにはまったく目を通してなくてたまたまなのか。どちらにせよ、彼らにそういう声は届かないんだなと感じた。
しかし、だ。「お育ちがいい」と周囲も本人もおっしゃるなら、肌の色を揶揄する文脈を使うのはいかがなものかと気付いてくれよ。それとも、そんなマイノリティの問題には無自覚でいることこそが世間の言う「お育ちがいい」なのだろうか。
冗談も通じない口やかましいマイノリティなんか相手にする必要ない、もしくはそもそもそんなことに問題意識など持ったことがない、というのが大多数の人間なんだろうか。
そして私も正直、お育ちが悪かった分人の痛みの分かる優しい人間…なんてなんの益にもならない称号を貰うよりも、無自覚でいられる大多数の側へ行きたかったのだろうと思う。
率直に、うらやましいのだ。「お育ちがいい」のも「お育ちが悪い」ことやマイノリティを踏みつけることを笑える側でいられるのも。でも現実的にそうはなれないから、つらいのだ。
別に肌の色を揶揄うくらいいいじゃないか、現実の差別とは関係ないじゃないか、いちいち過敏なんだよ。そう思われるのだろうが、そんなことはない。現に、ファンはコメントやXで書き込んでいるじゃないか。肌が黒いこと=面白いことという価値観を発信してしまっているじゃないか。
平成のテレビではまだまだコンプラ意識なんてものは無く、このような価値観を大っぴらに放送していたが、それによる価値観の刷り込みはすごい。肌が黒い人…なかでも特に、海外ルーツを持つ肌の黒い人がそういう世論の中、学校で、社会で、どのような扱われ方をしたか。
ルーツを持たなくてもいじられた経験があるなら、少しは想像力を働かせてほしかった。「お育ちがいい」なら。
自分たちのファンにも海外ルーツの人がいることを、知らないわけではないのに。ていうか君ら、海外進出意識してたじゃん。なら一層分かってなきゃだめだろ。
それはいけなかったのだと是正されているのが今なのに、よりによって周回遅れを行かないでくれよ。自分の好きな人が誰かを踏みつける価値観を発信する側にならないでほしい。最悪自己保身のためでもいいから「お育ちがいい」ふるまいをしてほしいのだ。
…こうやって「お育ちのいい」人に期待してしまう自分が、つらい。「お育ちがいい」ならこれくらい考えてくれよ、これくらい想像力を働かせてくれよとキリキリして、誰よりもお育ちの良し悪しにこだわって押し付けてしまうのが、つらい。
彼らも人間だから間違えることはある。でも、その間違いが致命的に誰かを踏んでる場合、それをなあなあにすること以外オタクには求められていないのが、つらい。ごちゃごちゃ言うならとっとと降りろよと思われるのが、つらい。
世間が「お育ちがいい」と彼らを褒めるとき、マイノリティを踏む発言もまるっと込みで受容されているようで、つらい。「お育ちが悪い」を笑える推しが、つらい。それでも彼らのことをだいすきな自分に酔ってるだけのようで、つらい。
こんなことをつらつらと書きながら、結局彼らには成功してほしいから表立って問題にしようとはしない、姿勢の一貫していない自分が、つらい。