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はてなキーワード: 演繹とは

2019-01-13

anond:20190113180106

女性加害者になることは原理的にありえず、そこから演繹的に真の敵を見つける(大抵は男)のがフェミニズム理論だもんな

キリスト教神学における神の無謬性、あるいは物理学数学での公理と同レベルのものとして、フェミニズムでは女性無謬性が前提となる

このことを頭に入れておくと、トランス女性に関する論争だけでなく、障害者問題女性専用車両から障害者男性の締め出し、カサンドラ症候群を巡る自閉症への攻撃など)はじめ他の論争に関するフェミニストの主張の論理も上手く理解することができる

アドリブで話をかんがえられん

話考えるときに、演繹タイプ帰納タイプいると思う。

自分後者

やりたいことやメインやラストなど先に決めておいて、その間を埋めたい。

演繹アドリブというか、頭から順番に作ってくタイプ

演繹で話を転がせる人にも憧れるけど、自分には難しかった。

演繹タイプ帰納タイプ物事に対する見方や考え方が少し違いそうだ。

前者は連載向き、後者短編向きだろうなぁ。

2018-12-17

論理信仰、あるいは、科学宗教

ヒトの意識には二つの車輪があって、それが論理信仰だ。

意識とは、感覚器官から情報統合するために生み出されたもの(らしい)。

統合技術の一つが論理だ。演繹帰納数学、他、論理の例いくつかめんどくせえから割愛

もう一つが信仰だ。意識の方向付け、計測および測量による統合技術だ。なにも神や迷信を信じるに限らない。鉄道かっけえ、熱い友情琴線に触れるものなら全てだ。

さて、ヒトは感知(入力)、認識(処理)、行動(出力)する装置だ。その各段階での正誤、善悪、好嫌は論理信仰によって定義される。

論理信仰は、車軸を共有していない。それぞれが独立しているが、意識は両輪に跨っているので影響し合う。

先日、信仰否定される体験をした。論理的な破綻はなかったが、意識には相当なダメージがあった。鼓膜は言葉悪魔が宿っていると警鐘を鳴らし、嗅覚は死の匂いに飛び退いた。

そこで気付いた。

論理とは価値付けるもの信仰とは意味付けるものではないかと。

意味のない論理価値はないのではないか

価値のない信仰意味はないのではないか

意見求む

2018-11-24

考察力がほしければ読んで読んで読みまくれ

anond:20181123002740

当たり前だが無から有は生まれないし考察も無からまれない。ぶっちゃけ考察なんて慣れの問題で誰にでもできる。

まず、「考察」って一言で片づけずに解像度を上げろ。

ある作品に対して、

お前が思う「すごい」はどれだ。そしてどの能力を伸ばしたい。

1に必要能力物語論であって、キャンベルでもシドフィールドでも石川千秋でもいいからその手の本をいくつか読んでみろ。たとえば貴種流離譚という概念を知っているだけでスター・ウォーズバーバリとかの作品の捉え方が変わる。

2に必要能力キャラクター論で、大塚英志キャラクター小説の作り方』や新城カズマ物語工学論』あたりでも読んでみろ。キャラクター類型という概念を前提に作品に触れてみろ。

3に必要なのは作品読解というよりその作品にあてはめうる「テーマ」について持っている自分自身の引き出しの問題だ。ラブストーリーひとつとっても、恋人未満の二人が恋人になる話、共依存関係破綻するまでの話、三角関係の話、NTRもの、泥沼群像劇等々色々あるだろう。たとえば、コーマック・マッカーシーロード』は火を運ぶというメタファーから「受け継いでいく話」というテーマが読み込める筈で、そこからあの世界観において「受け継ぐ」が「世代交代」に繋がるというのは一つ言える。無数に存在する「テーマ」の類型の引き出しを作れ。

4はとにかく数をこなすことだ。小説なら作者の過去作品インタビューを全部調べて読み込め。映像作品なら監督脚本演出その他諸々(全部とは行かないだろうから最低前述の3つ)の過去作品を調べてみろ。できればインタビューも読め。そして過去作品のなかのどの部分がその作品共通しているのかを読みこめ。

5はこれまでの全部に共通する「演繹力」を磨け。「この設定であれば、この要素が欠けているのはおかしい」という想像を働かせつづけろ。「このキャラクターがこのような性格をしているのには理由があるはずだから、きっと過去にこういうことがあったのかもしれない」「この作品はこの作品オマージュなので、きっとこういう展開になる」等々、上記必要な引き出し全部を使っていけ。

二次創作もそれと同じだ。パターンだ。パターンを考えろ。AがBに対して愛情表現をするとする。どういうアプローチが考えられるか。気持ち言葉にするかしないか身体スキンシップを含むか含まないか、そのときに照れるのか照れないのか、笑顔を浮かべるか浮かべないか言葉にできないならどう表すか、ものを渡すのか、第三者にのろけるのか、色々パターンはあるだろう。考えて考えて考えろ。そのためには読んで読んで読みまくれ。自分なかに引き出しを作れ。質は量で担保される。

2018-11-17

ハッシュタグの使われ方がいつもおかしく感じる

最近「#私を布教して」というハッシュタグツイートが頻繁にTLに流れてくる。

アマチュア活動している人や絵師などが作品ツイートして「RTして宣伝しろ」という主旨のものである

布教」とは、こういう使われ方をする言葉だったか

もちろんオタク自分の好きなものを「他人に勧める」とき

よく使われる言葉だとは知っている(つもりではある)。

そしてこれが「宣教」、つまり宗教を広めることが由来であることも

理解しているつもりではある。

しかしこれは「その作品好きな人」が使う言葉ではなかったか

もしくは好きな作品をしつこく勧めてくる迷惑さを

いくら揶揄するために使われる言葉ではなかったか

私はこれを「言葉誤用」や「言葉意味の変容」だとは捉えていない。

宣伝広告費なしに行うことで物事が歪まされる過程である認識している。

そしてハッシュタグとはのきなみ(広告費なしに)宣伝を行う際に多用されるものである

すでに私は「ハッシュタグ嫌い」になりつつある。

Bボタンを押して望まぬ進化キャンセルするまで、もうほとんど余裕はない。

しかし誰もこのBボタンを探さないし、押すつもりもない。そもそも存在を知らない。

そして、我々にこの流れを押し止めるような強い力はない。

たとえ嫌悪の怒りを垂れ流したとして、金を求める動きには敵わないだろう。

個人としては、どのようにハッシュタグを避けていこうかという課題喫緊となっている。

諦めだ。私は諦めたのだ。この冷めた思いに、金への欲求は火を灯さない。

ぐんねりとハッシュタグにも絡みつく金への有象無象欲望の炎を、

いつ枯れるとも知れぬ焚き火のように見つめるしかないのだろうか。

演繹的には、そうするしかないのだろう。

2018-11-05

なぜ火は熱いのか

それは私達が火を触り熱いと感じるからだ。

普通説明だろう。

これは経験的な話になる。

火を触る、熱い、火は熱いのだと言う具合に。火を触らなければ熱いと理解できなかった。

経験から抽象し、経験することを除き、熱さを痛点とすれば火は痛いのだ。

熱いという表現が火であることを前提としている。

もちろん火に熱した鉄板が熱いということも、鉄板が火を前提にしているわけではなく、鉄板を熱した火を前提にしている。

では、なぜ痛いのか。

これは私には知識がなく語ることが出来ない。

つまるところ、私達は経験的な物事を語っているに過ぎないということだ。

火は熱い、火を触れば分かることだし、大体の人間は火は熱いということを経験から知っている。

経験心理的事象であるとする。

火を触ることで発生する、痛いという事象が私達の心の中で発生する。

これは同じ人間であるのなら普遍的なことだ。

痛点が無い人間であっても、痛点を持てば感じることができるだろう。

しかし、経験がそのまま普遍的なことになることはない。

火を触って熱いと感じるか、痛いと感じるかはその本人以外に分かることはないのだ。

火を触って熱いと感じるのが普遍的事象で、痛いと感じるのはよくわからない。

経験統計的に考えれば、ある程度の予測はできるだろう。

それは私達が火を触って熱いと感じるかどうかを統計すれば結果は明らかになる。

経験から演繹に、それは科学でもある。

先程言ったように火を熱いと感じるか痛いと感じるかはまた別なのだが、

多分一緒にしてしまうだろう。

では、火は熱いのか、痛いのか、統計しても分かることはない。

これは言葉問題なのか、統計問題なのか、それとも心理的事象普遍化する試みが問題なのか

まず、火が熱いのだろうが、痛いのだろうが分けることに意味はない。

なぜ問題ないのかと言うと、それは経験的な話だからだ。

私達が話すのは演繹的な一般的法則のことだ。

タイトルを変えるなら、なぜ火は私達の皮膚に刺激を与えるのか

だが、やはりこの言い方だと痛点のない人を想定していない。

やはり心理的事象ではなく、外部の事象から考えるべきだろう。

皮膚を熱することでどういう事象が発生するのか、火が熱いことで特有現象が起き、それが熱い状態だと記録できるかもしれない。

多分、火を熱いということを心理的事象から普遍化する試みは失敗するはずだ。

心に発生する事象が、熱いかいかどちらが生成されるかよくわからいからだ。

もし、熱さを痛みだとしても、何か別の表現をしてくる人もいるかもしれない。

なにか経験論を心理的事象に反映することを反論したくなってこのような文章を考えてみたが、いまいちか。

批判されるべきは心理学統計学のミックスかなぁ

低知能が差別主義者や右翼になりやすいなど、という研究批判されるべきだと思う。

あれは統計学なのかよく分からん・・・

2018-11-03

anond:20181103091018

くだらない

論理学教養とするのは賛成だが、それは仮定と推論規則による演繹という思考パターンを身に着けるためだけだ。ゲーデル数を作って論理の不完全性を理解することが現実社会との折り合いに何の影響があるというのだ。

2018-11-02

論理的」って言葉

使ってる人それぞれ込めてる意味が違い過ぎてほとんど無内容な概念になってる。

「具体的な根拠が十分に付されている」、「正しい前提から演繹しているから正しい」、「議論筋道を容易に追うことが出来て検証やすい」てな感じで具体的に書いてほしい。

2018-10-09

頑張ったから報われる

であるけがない。

絶対的真実なんてあるわけない。

恣意的仮定ならば演繹的に仮説を提示可能

ということで、おやすみセカイ。

anond:20181009215700

演繹的に仮説を提示しているんだから帰納的にデータ証明する必要はないよ。科学論勉強しなさい

anond:20181009212641

それが、まごうことな真実なんていうことはひとことも言ってない。反証可能命題を提出しているんだよ!演繹的な数学理論瑕疵はないけれど、外部環境が常に変化する社会モデルに完全な回答なんかないんだよ。

anond:20181009212349

そうじゃない。社会的影響力を客観的事実検証演繹的な理論反証するのが、人文・社会科学者の使命だと思ってる。ただし、社会的訴求力を持たない絶対真理を求めるのことは人文社会科学には無理だと言っているだけ

https://togetter.com/li/1274544

自分メモ社会学では査読付き論文がなぜ重要視されないのか

人文学社会科学の国際化について」(独立行政法人日本学術振興会人文・社会科学の国際化に関する研究会 p.73-75)

https://www.jsps.go.jp/j-kenkyukai/data/02houkokusho/houkokusho.pdf

阪大を去るにあたって: 社会学危機希望

http://sociology.jugem.jp/?eid=277

Laudanの研究伝統論による社会学理論発展法の考察 - J-Stage

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsr1950/57/1/57_1_41/_pdf/-char/ja

太郎丸博氏の論↑の極私的まとめ)

日本社会学には「学説研究」と「理論形成(構築、発展含む)」の2つがある。

学説研究」とは優れた理論を適切に読み、解釈することである

社会学」を欧米から輸入した日本では、この「学説研究」が(すくなくとも2000年代まで)社会学の中心となってきた。

一方、「理論形成」は社会の諸問題経験問題)を「以前より効率よく解決する」ためのものである

創造的で想像力必要仕事であり、歴史的にはフーコーハーバーマスのような一部の天才的な英雄によってなされてきた(英雄史観)。

例えば、新しい人間観や社会観の創造採用、適切な概念を作り出すことがこれに当たる。

日本でも「学説研究から理論形成」へと移行すべき時期なのだが、「どうすれば理論形成できるようになるのか」というハウツー世界中のどこにも未だ存在しない。

1970年代アメリカでは理論構築のためのテキストが数冊出版されており、

1.学説専門家ではなく,統計数理モデルに詳しい研究者によって書かれており,

2.具体的な現象説明するための理論=モデルをどう作るかを学生向けにひもといたものであり,

3.しばしば数式で理論のコアは表現され,

4.思想哲学的問題最初に登場するだけで,その後はほとんど登場しない

といったものであった。

データ収集分析重要であるという考えは社会学の「統計学化」として社会学から懸念されていた。

これは理論形成データから帰納命題から演繹によってのみなされるわけではないかである

(「社会学理論役割」を考える際、統計学化された社会学では認識論存在論、人間観や社会観などの哲学的問題が脇に追いやられてしまう)

また、理論を発展させるためには「解くべき問題発見(未解決問題発見)」が必要である

「なにが未解決であるか」「すでに言及している・使える学説はないのか」を知るためには、今までの学説研究研究伝統基本的な文献)が結局のとこと必要となる。

まとめると、社会の諸問題経験問題)を解くにはデータ収集分析重要であるが、手法問題概念問題)の解決への手掛かりは学説研究の中にある。

凡人であればあるほど、二兎を追うべきなのである

(まとめここまで)



北条かやインターネット死ぬということ』

https://twitter.com/kaya_hojo/status/1049257254552125440

私は研究者というよりコラムニストになりたかったんだな。もともと東浩紀上野千鶴子大塚英志宮台真司に憧れて社会学を志したのだから研究者というよりは表現者への憧憬が強かったんだろうな。でも社会学を学んだ6年間はすごくキラキラしていて充実していたよ。合掌。

ここに挙がっている名前がすべてで、学者じゃなくて文壇の延長線上にいるコラムニストだよなという感じ。

権威付けで学者を名乗っているだけで、天才にあこがれて社会の諸問題を論じているだけの人々という印象。

2018-09-30

この思考法に名前はある?   ネットでダラダラ議論してるフェミ&反フェミネトウヨパヨクありがちなコレ

1,無自覚なまま、感情結論を決める

2,その結論を正しいことにするために、後付で正しそうな理由を作り上げたり、都合の良い統計だけを鵜呑みにする

こういう思考法って名前あるのかな?

1と2に分けてみたけど、それぞれ名前があったりする?

もしくは、良い呼び名がありそう?

演繹帰納みたいな感じで教えてもらえたら嬉しい。

2018-09-13

論理的思考が出来ない人に、論理的思考とは何かを別の手段説明できる人は賢い。

頭のいい人にとっては、当たり前なことなのかもしれない。

最近になって、アナロジーロジックではない。

論理的な回答とは、演繹的な回答である

類推での回答は似たものを当てはめただけである

類推での回答は、論理的ではない。

  

世間一般の人は、論理的な説得では動かない。

情緒的な部分に訴えた方が、話が早いときがある。

損得に訴えた方が、話が早く行動に移してくれることがある。

そんなことを学んだ。

  

リベラルとかの歴史勉強したいのだが、入門書を教えてほしい

自身は、都会育ちで、中学から大学まで比較的同質な集団と過ごしていた。

みな概ね理性的だし、そもそも似たような集団なので、その中では差別とか偏見とかはほとんど発生しようがなかった。

そのため、昔は、リベラルだとか差別だとか、そこまで興味がなかった。

しかし、社会に出てから色々と経験した。

個人的に親しい友だちが実はLGBTで、家族にもカミングアウトしていないらしく、色々と苦しんでいた事がわかった。

基本男女平等だと思っていたが、女性が多い職場マネジメントした結果、例えば女性男性とは違って結婚出産というイベントがはさまる事から男性とは全く異なるキャリア観を持っている事がわかった。男性女性を等しく扱う真の男女平等は、女性にとってむしろ行きづらい世の中を作り出してしまうと考えるようになった。

海外留学して、外国の方やそれぞれの宗教を進行する人と接して、違う価値観理解した。欧州移民問題に触れて、移民政策理想現実を感じた。

日本に来ている移民の人と接して、彼らなりの希望や苦労を感じるとともに、外国人を極度に恐れる日本人にも会った。

そういった中で色々な記事を読んでいると、最近では、リベラルだとか、極右だとか、様々な言葉があまり定義されずに使われていて、議論がとっちらかっているように感じる。

自身も、断片的に色々と経験したけど、帰納的ではなく、演繹的に全体像を眺めたいと思っている。

セリーナ・ウィリアムズの件は、自身被害者に仕立て上げて、他社との分断を図ろうとするアジテーションだと思う。

きっとそういった現象には名前があるのだと思うけど、それを自身は知らないので頭が整理されない。

というわけで体系だって勉強したいと思うのだが、これはなんという分野になるのだろうか?

政治史社会学?思想史???

リベラルだとかナショナリストだとか、差別と寛容に関する歴史思想が体系だった入門書みたいなのを教えてほしいです。

できれば、何かに偏ったやつではなく、バランスが取れたものだと嬉しいです。

差別偏見がなくなる事は一生ないと思っているけど、知る事で少なくとも理性的物事を捉えられる助けになると考えています

2018-08-25

anond:20180825083543

下方婚あきらかに成功している例として自分を挙げたいがもうすでに終わったのとソースを出せないので、

リアタイ例としてhttp://www.kawauchisyun.com/ こちらの主夫さんを挙げておく。

また、勝間和代さん、女性芸能人(覚えてる限りで夫は歯医者など比較的高給とりだけでなく、ADや脚本家などもいる。歯医者にせよさほどの高給取りではないと思える)なども

おそらくすべて下方婚にあたるとおもう。

そのすべてが失敗例とはとても見えない。

(あとりゅうちぇるご夫妻なんかも最初色物扱いで女性のほうがしっかり稼いでいたように見えた。これは逆転婚とでもいうべきか)

勝間さんなど、結局は離婚しているものの、また再婚というかパートナーを見つけて子供を育てている。

旦那さんの意識を変えるのと、自分の属している方の意識を変える簡単な手として、

離婚協議転職おすすめするが、それはおそらく今ではない。

今は産休・育休を使って将来を見据えたり、あと体にうめこまれ出産ダメージという爆弾を除去してほしい。

 

だれにとってもこどもという愛しいくびきをつけたままの自己実現というのは難しいけれど、そのすべてが下方婚のせいではない。

これを言うのは残酷なことかもしれないが、あなたよりちゃんとできてる下方婚女性現実にいる。

だんなさんも「生まれたての子供さえいなければ今すぐにも転職して上方婚状態にしてあげたい」と思っているかもしれない。

話し合うことが第一歩。

===

26日の追記みたけど、貼ったリンク先を一個も読んでないよなーと。

ようするに、「男がこんなに気が利かないなんて。下方婚なんてするんじゃなかった」は二重に誤認がある。

あなたの男だけが気が利かないのであって全体に演繹してはいけない。

下方婚はするべき場合もある。

なので炎上ネタとしては男女ともにケンカを売るという基本的なやり方で成功してますが、

ほんとに胎盤剥離とかしたんならネットなんかしてないでとりあえず寝れば。

親戚に写真送って子守相談できそうな人を探すとか保育園活動とか解禁と同時に注射しまくりとか、別にやるべきことが相当あるわけで。

2018-08-21

演繹を積み重ねていって緻密に構築された「理論」と

単なる単一事実提示しかない「情報」とを

同等に扱うこと自体そもそもおかしいんじゃないの

2018-08-15

anond:20180815232150

ワイも若いころそう思っとったが

世の中には演繹が出来ず丸暗記でしか覚えられん可哀そうな人らがおるんや

2018-08-07

anond:20180807151258

フランス市民革命などみてみれば、納得しないやつを排除するという意味で、最後は力であることは間違いないと思う。

君が「神の見えざる手」を期待しているのだと思っていたが、そうではなかったか。失礼した。

最後は力」を認めるならテロリスト論理裏付けしてしまう。

議論こそ重要

少なくとも私には、議論の素が従来の価値観を覆すものである確信を得るまでには至っていない。

これは見解の相違。

価値観を覆されてからでは遅い、自分から修正していくべきと私は思っている。


塩がなくて困る者の憎しみが、商人という属性に向かうのは感情的には理解できるが積極的には肯定しない。また、手元に来ない塩自体を恨むのは違うというは間違いだという立場であることは明確にしておく。

一部の商人(たち)に集中してしまうのは、「塩商人は一部の商人に売るべき」だとか「一部の商人以外には塩は必要ない」とか社会的規範が原因だったりする。(塩の実際の市場がこうであるということではなく、塩はあくま比喩である

感情的理解できるのならば十分である

また、「社会的規範」というのも「個人選択」の集積、結果である以上属性としての批判も免れえないと考える。

私は、その社会規範を壊したうえで自由市場的にすべきであると考えている。もちろん、自由市場である以上、競争は働いて競争に負ける人は出てくるかもしれない。現代日本では、その人たちの救済する手段がなにもない状態であることは間違いない。

「救済する手段がなにもない」ことが問題本質だ。

なお、個人選択が集合しても差別にはならない。そこは明確に否定する。差別とは、属性理由排斥することであり、選択正当性があれば結果的特定属性排斥される形になっても認められるべきだ。演繹的か帰納的かの差だ。

聞いておきたいが、「属性」とは何を指しているのだろうか?特定パーソナリティ(e.gオタクパリピ)や造形も私にとっては「属性である。その排斥は許されるのか?

また、「選択正当性」とはいったい誰が担保しうるのか?それが「社会」だとするならそれは個人問題ではなく、社会としての差別と言える。個人だとするなら「正当性のない選択」はあり得ないことになる。


私はこの段には賛成しない。なぜなら、自分の望まない相手をあてがわれたくないし、そのデメリット相手がいないというデメリットを比べると、相手がいないという状況の方がマシであると考えるからだ。

見解の相違は認める。

だが、あなたのいう「デメリット」「マシ」とはあなた個人感情論であり、それは「女をあてがえ」という個人1人の感情論イコール価値しかない。

anond:20180807141511

他者を納得させられるだけの理由」が人権の条件だとすれば、結局最後は力になるのではないだろうか。e.g南北戦争

そして、「通過点」の議論の素は少しずつ表れて来ている。たとえばそれは未婚率・少子化と言った現象であったりインセルのような暴徒であったり。

それらを無視して「神の見えざる手」を期待するのが議論と言えるだろうか?

フランス市民革命などみてみれば、納得しないやつを排除するという意味で、最後は力であることは間違いないと思う。

君が「神の見えざる手」を期待しているのだと思っていたが、そうではなかったか。失礼した。

少なくとも私には、議論の素が従来の価値観を覆すものである確信を得るまでには至っていない。

この論は一面においては正しい。

ただし、「個人属性の一部」ということを軽視しすぎている。

ある商人伯方の塩だけを買い占めたとして、ほかの商人がそれぞれ別の塩を買い占めると結局塩は行き渡らない。

塩がなくて困るものの憎しみが「商人」という属性に向かうのは必然ではないか

個人選択」が集合すると「差別」と化すのはこれまでの歴史から見ても明らかではないだろうか。

独占市場でないことは、健全市場であることを意味しない。

思うにこれは買い手・売り手双方のニーズ問題であると考えている。

恋愛価値を上げ過ぎたのだ。

塩がなくて困る者の憎しみが、商人という属性に向かうのは感情的には理解できるが積極的には肯定しない。また、手元に来ない塩自体を恨むのは違うというは間違いだという立場であることは明確にしておく。

一部の商人(たち)に集中してしまうのは、「塩商人は一部の商人に売るべき」だとか「一部の商人以外には塩は必要ない」とか社会的規範が原因だったりする。(塩の実際の市場がこうであるということではなく、塩はあくま比喩である

私は、その社会規範を壊したうえで自由市場的にすべきであると考えている。もちろん、自由市場である以上、競争は働いて競争に負ける人は出てくるかもしれない。現代日本では、その人たちの救済する手段がなにもない状態であることは間違いない。

なお、個人選択が集合しても差別にはならない。そこは明確に否定する。差別とは、属性理由排斥することであり、選択正当性があれば結果的特定属性排斥される形になっても認められるべきだ。演繹的か帰納的かの差だ。

から言わせてみれば、これこそ新世代に求められるものだ。

ヒトが差別を生み出すもの、つまり感情という不合理なものを抜け出す第一歩として機能するだろう。

私はこの段には賛成しない。なぜなら、自分の望まない相手をあてがわれたくないし、そのデメリット相手がいないというデメリットを比べると、相手がいないという状況の方がマシであると考えるからだ。

2018-08-02

anond:20180802023518

その考え方は危うい感じがする。

You生物学の正しさのために生き、そして死ぬのか?違うだろう。

帰納演繹が混乱している感じ。

2018-07-06

anond:20180706182044

その理屈でいくと世界韓国からまれたことになるな

要因から演繹される観測的な事実と、特定観測者による結果を絶対的ものとしたうえでパーツを組み替えたり隠したりする「事実」は違うから

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