はてなキーワード: 演繹とは
微分積分とは、帰納と演繹に置き換えることができるのかもしれない。
つまり、データから法則を出す営みと、法則からデータを出す営みである。
グラフ上にプロットされたデータをいちいち t=1の時x=2, t=2の時x=4 …などと列挙していてはキリがないので、
この式はデータだったのだ。
ようやく「微分せよ」という表現が何を言わんとしているのか分かった気がする。
そうすれば、勉学で躓くこともなく、周囲の学生たちに劣等感を抱くこともなく、
自分が将来なりたい目標を考えたうえで進路を選択できたかもしれない。
しかし、そうはならなかった。
勉学で挫折し、不登校に陥り、モラトリアム延長で名前を書ければ入れる専門学校に進み、
その専門学校すら不登校に陥り、主体性を喪失したなし崩しの人生を転がるに任せ、
論理とはそもそも何か。前提A1,...,Anから結論Bを導出するルールのこと。このルールのことを演繹と言う。
議論において知りたいのは、「前提から何が導き出されるか」であって「ルールミスを指摘して勝つこと」ではない。
確かに討論ではそのような側面も存在するだろう。しかし討論にそもそも価値があるかと考えてほしい。
共通の目的に対して価値のある情報を導出したいのである。そのときに、ルールミスの指摘で勝って、どこが生産的なのか。論破という言葉は精神年齢が小学生の人間しか使わない(皮肉)。
しかし議論する人物の前提が相反するもので、一方の前提を加味するともう一方の前提を取り入れられなくなる、といったケースがあるだろう。
こういうケースでは、とりあえず論理的に結論だけ導き出し、現実世界への適合性、つまり現実のデータとの合致性などを検証できるようにしたほうが良い。
平成時代に発売された数学雑誌や科学雑誌のたぐいで、数学上知られている面白そうな定理や結論を面白おかしく紹介しているものであれば東大の図書館やNewtonに大量にあるが
数学において面白いのは結論としてのものだけではなく、なんでその結論になるのかを演繹してくる証明の方にもあるのに、その証明の方を面白おかしく紹介している雑誌もネットのサイトも
ほとんど皆無で、数学科のきもさは異常である。通常の思考であれば数学の証明や構成は難しい話で子供に受けないというのは欺瞞であって実際には子供でも適当な定理について
証明したいと思っているのに、その証明過程に関する面白おかしい本、ないし、テクニックの種類などを紹介している本が一切なくてきもすぎ。
反陰謀論からすると反感を買うかもしれないが、世間の常識を無批判で受け入れる姿勢が陰謀論にハマるきっかけになる。
きっとそういう人はエーテルが常識だった時代に相対論を唱えるアインシュタインをバカ扱いしていただろう。
天動説が常識だった時代に地動説を唱えるガリレオをバカ扱いしていただろう。
世間の常識は多くの場合正しいが、絶対に正しいわけではないし、調べて自分の頭で考えて受け入れるべきだ。
そういう意味で陰謀論を"無批判で"バカにする反陰謀論者も同様にバカである。
「誰々が言っていた」「どこどこに書かれていた」だけを証拠にしない。
なぜそんなことが言えるのか。
「正しく疑う」を言語化するのは難しいけど時間がある時もっと具体化したい。
科学論文や権威ある論文は英語で書かれている。英語で調べ読むことができることは重要になる。
誰がなんの証拠でそんなことを言っているのか。
衆愚が声高く己の自己保全の為に叫ぶ根拠に、科学がある。が、そこにこそ現代日本の敗北があると私は認める。渋谷のセンター街、なんなら東京駅前で歩く屍のような彼らに尋ねるがいい。あなた方はレイチェル・カーソンをご存知か。そして地動説の確たる根拠をもご存知なのかと。約束してもいい、彼ら自身或は他人の採ったデータで証明出来得る者は皆無だと。今や情報化社会にあって我らは肝心のデータそのものの価値を忘れた。そればかりか、どうすれば演繹出来るかすら忘れてしまったのだ。今や知識に訴えかける時代は終わった。故に学生闘争は終わったのだ。いつしかインテリの自己満足に人々が飽きてしまったから。
思い出して欲しい。放射性物質のウラニウム塗料が蔓延った旧時代を。そして放射性物質が医療の役に立つと、顎を失ったあの男を。が、当時の人々からすれば現代からすれば愚行そのものとしか呼べぬ行為こそが科学だったのだろう。どこまで行っても我々は不可知論者である。全ての弊害を知り得ることなどない。気が付いたら手遅れだった、無論、尊い犠牲を払われたマーキュリー夫人にしてもそうだ。彼女の時代には有害性は認識されていなかった。が、結果として彼女は今尚隔絶せられた棺に収まっている。
そう、私が言いたいのは現状の枠組み、現代で言えばトリチウムその他諸々の半減期はあれども有害に間違いはない汚水を垂れ流すことに対して危機感を持つべきだと言いたい。データはただの他人の考えた情報の推移である。アーレントは政治的な意味合いで凡庸な悪と表現した。それは取りも直さず思考を外部に委ねた、傀儡と自ら欲した存在のことを言っているのだと解釈する。確かに凡庸な一市民に一々今回の汚染水を調べろ、とは酷であるのは承知している。が、一市民に於かれては各自考えて欲しい。その上で判断して欲しいのだ。
最後に私がせめて政府に望むのは、今回の件に纏わる風評被害を被るであろう漁業関連の人々、そしてもしかすると農業の人々への手厚いフォローをお願いしたい。復興したとは言え、完全ではない。今の日本は片腕のもげた人間が雑魚寝している痩せた人に己が食べるべきものを与えているに過ぎない。そしてもしかしたら癌細胞が今すぐそこで、例えば肘でも膝でも、或は心臓で発生しているのかも知れない。その為の包括的な経過観察は最低限必要ではないか。
ここで最後に格言を記す。樽一杯のワインにスプーン一杯の汚水を混ぜると樽一杯の汚水になるのだと。
未だ我々は海水の推移をさえ解らぬ下卑た存在。矮小な科学の知識で最小限被害の少ないと見積もった先が今の対処なのだろう。それは危険だと、予め申し上げる
衆愚が声高く己の自己保全の為に叫ぶ根拠に、科学がある。が、そこにこそ現代日本の敗北があると私は認める。渋谷のセンター街、なんなら東京駅前で歩く屍のような彼らに尋ねるがいい。あなた方はレイチェル・カーソンをご存知か。そして地動説の確たる根拠をもご存知なのかと。約束してもいい、彼ら自身或は他人の採ったデータで証明出来得る者は皆無だと。今や情報化社会にあって我らは肝心のデータそのものの価値を忘れた。そればかりか、どうすれば演繹出来るかすら忘れてしまったのだ。今や知識に訴えかける時代は終わった。故に学生闘争は終わったのだ。いつしかインテリの自己満足に人々が飽きてしまったから。
思い出して欲しい。放射性物質のウラニウム塗料が蔓延った旧時代を。そして放射性物質が医療の役に立つと、顎を失ったあの男を。が、当時の人々からすれば現代からすれば愚行そのものとしか呼べぬ行為こそが科学だったのだろう。どこまで行っても我々は不可知論者である。全ての弊害を知り得ることなどない。気が付いたら手遅れだった、無論、尊い犠牲を払われたマーキュリー夫人にしてもそうだ。彼女の時代には有害性は認識されていなかった。が、結果として彼女は今尚隔絶せられた棺に収まっている。
そう、私が言いたいのは現状の枠組み、現代で言えばトリチウムその他諸々の半減期はあれども有害に間違いはない汚水を垂れ流すことに対して危機感を持つべきだと言いたい。データはただの他人の考えた情報の推移である。アーレントは政治的な意味合いで凡庸な悪と表現した。それは取りも直さず思考を外部に委ねた、傀儡と自ら欲した存在のことを言っているのだと解釈する。確かに凡庸な一市民に一々今回の汚染水を調べろ、とは酷であるのは承知している。が、一市民に於かれては各自考えて欲しい。その上で判断して欲しいのだ。
最後に私がせめて政府に望むのは、今回の件に纏わる風評被害を被るであろう漁業関連の人々、そしてもしかすると農業の人々への手厚いフォローをお願いしたい。復興したとは言え、完全ではない。今の日本は片腕のもげた人間が雑魚寝している痩せた人に己が食べるべきものを与えているに過ぎない。そしてもしかしたら癌細胞が今すぐそこで、例えば肘でも膝でも、或は心臓で発生しているのかも知れない。その為の包括的な経過観察は最低限必要ではないか。
ここで最後に格言を記す。樽一杯のワインにスプーン一杯の汚水を混ぜると樽一杯の汚水になるのだと。
未だ我々は海水の推移をさえ解らぬ下卑た存在。矮小な科学の知識で最小限被害の少ないと見積もった先が今の対処なのだろう。それは危険だと、予め申し上げる
このキャラクターorカプ関係性はこうである、これが自分の解釈!
こういうのよく見る。
私は本当に解釈ってやつを言語化するのが苦手で、できる人すごいなって思ってる
なんで苦手なのか?解釈を決め打つと、二次創作の幅が狭くなるので。自分で自分に無意識で制限かかるというか。
解釈には幅がある?
それとも解釈と、こういうものが見たいから描くはまた別のはなし?
私のスタンスはどれなんだ
このキャラはこう考えてるはず!とは少し違う?
でもこういうシチュエーション・こういうリアリティライン・こういうIFならきっとこうするかも。の上で話を考えてる。
リアリティラインを私の得意な方面に寄せがち。なので本編とは少し倫理観の雰囲気がズレる。
本編通りのキャラクターではない気がする。
解釈の方がなー。
それと解釈は別と思ってるが。
Aくんはきっと家族がいないから今のような性格になったに違いない。とかは解釈なのか?設定捏造?
風呂入ってる時に敵に襲われたらどうするの図みたいなやつ?
ああいうの見るの大好き。
あれは解釈かもなぁ。○○な時、各キャラはどういう行動とるか。それをあらゆるシーンで考える。
あれを単体で考える時と、同人誌の話考える時で多少誤差が出る。
二次創作は演繹タイプで作れる人の方が圧倒的に向いてると思う。キャラ動かしてなんぼなので
眠くて頭回ってないな
また後日考える。ここは私の日記帳なので。