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2024-04-25

anond:20240425134334

お知らせ、速報にしか使えないなんてことはなさそうやね

 

実用日本語表現辞典

取り急ぎ

読み方:とりいそぎ

取り急ぎ(とりいそぎ)とは、一時的に急いで対処することや、緊急性が高い事柄に対して優先的に行動することを指す言葉である。主に、時間的制約がある状況下で、最も重要な事項に焦点を当てて対応する際に用いられる表現である。また、取り急ぎは、他の事項に対する対応が後回しになることを意味することが多い。

取り急ぎの語源は、古くから使われている日本語言葉で、「取り」は「取り上げる」、「急ぎ」は「急ぐ」の意味を持つ。これらの言葉が組み合わさって、「取り急ぎ」という言葉が成立し、現代日本語でも広く使われている。

取り急ぎの使い方は、主にビジネスシーンや日常生活での緊急時適用される。例えば、会議重要な決定事項が発生した際に、その事項に対して速やかに対応することを意味する場合や、災害発生時に避難所への避難を優先することを示す場合などがある。また、取り急ぎは、メール手紙の冒頭に記載されることがあり、その場合は「取り急ぎの連絡」として、緊急性の高い情報を伝える意図がある。

2024-04-10

anond:20240406143711

部首なんて説文解字やら康煕字典やらの辞典で引きやすいように勝手に設定されたもんだし斬新も枚数もありにしちゃっていいのでは

2024-03-25

昔の日本ではハート形を何と呼んでいたのだろう

気になるねえ

何故気になったのか

昨晩の鉄腕DASH自然薯を掘っているのを見たか

自然薯を探すときはまず特徴的なハート形の葉を探すとよい」のような説明がされることがままある

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

調べましょうね

とりあえず「ハート 昔 日本」でぐぐってみるか……

なるほど、西洋からいわゆる「ハート概念が伝来する以前から土器織物ハート形の文様存在する、と

神社仏閣など建築物には「猪目」と呼ばれるハート形の意匠が施されている、と

なるほどねえ

じゃあ昔の日本自然薯を探すときは「猪目型の葉っぱを探すとよい」と説明されていたのだろうなぁ~

……とはならない

西洋ハート伝来以前から猪目と呼ばれるハート形の文様存在した」イコール自然薯など芋系のハート形の葉っぱを当時の人は猪目のような形の葉っぱと呼んでいた」とはならない

芋掘りする農民が「猪目」というある種の専門用語日常的に使用するか?という点を疑う

農民が子を連れて山に入り、山芋の探し方を教える時に「山芋はこういう形の葉っぱだ」と伝える時、その葉の形をどういう形と表現するか?

勘だけど逆なんだろうな

すなわちハート形を「芋の葉のような形」と呼んでいたのではないか……という勘

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

の問いの答えは「自然薯山芋の葉のような形はそのまま『芋の葉のような形』と呼んでいた」ことになる

農民が子に山芋の探し方を教える時も、山芋の葉の形を何かに例えたりせず「こういう葉っぱの形は芋の葉の形だ」と表現する……?

さて、この勘由来の仮説を検証するにはどんな文献を探せばいいのか

とりあえず昔の植物図鑑記述を探してみるか?

いろいろぐぐってみるか

……「大和いも」のwikipediaのページの記述

大和いも - Wikipedia

1911年明治44年)、奈良県農事試験場(現農業研究開発センター)がツクネイモの品種試験を開始した。黒皮ツクネの特徴として「所謂大和薯にして本県の原産なり 蔓褐色にして太く葉は広き心臓形にして葉肉厚く濃緑なり 草勢強壮にして本県の風土に能く適正す 塊根は球状にして豊肥凹凸なく外皮粗厚にして小亀裂をなして亀甲形の斑点をなす 肉質純白水分少なく粘気強くして品質頗る佳良 料理菓子蒲鉾用等に用途広く四ヶ年平均反当収量六百三十二貫四百匁(2.37t)にして種薯に対する生産割合は約八倍に達し供試各品種第二位にありと雖も其価格高きが故に経済上は寧ろ第一位を占む 該薯は零余子(むかご)は頗る小にして二ヶ年間栽培せざれば種薯に供養し難し[9]」と記録されている。

20世紀初頭時点で「心臓形」という表現が使われている

キリスト教伝来から300年以上経過しているかハート形という概念が浸透していても不思議じゃない

キリスト教伝来以前の記述を探したいところだが……

いや、リンネ分類学著作日本に伝来した時期あたりも調べる価値があるか?

西洋植物図鑑で「heart-shaped」のような説明がされているのが翻訳されたことで明治期に一般に普及の可能性……

『日葡辞書』になんか自然薯記述とかないかなあ……いや、あったとしてもポルトガル目線記述から意味いか……

江戸時代アサガオ流行したようだ

園芸アサガオの葉っぱの形で「芋葉」と呼ばれる変異パターンがあるようだ

この呼称江戸時代からあったかどうか?

もし当時からそう呼ばれていたとすれば傍証にはなるか……?

時間切れ、また夜に調べるか……

しかハート形の葉っぱなんて芋に限った話じゃない

例えば徳川家三つ葉葵紋とかもハートの形しているし

三つ葉葵紋は西洋人にハート形と誤解されたみたいな逸話をどこかで読んだような……

いも限定で探すのは筋が悪いかもしれない、再考すること

これは日記です

---

追加で調べたメモ書きを追記しましょうね

葉身 - Wikipedia

Wikipediaの「葉身」の「葉の概形を表す用語」を見ると興味深い

自然薯や葵のような葉は「心臓形(cordate)」と分類されている

その一方でカタバミのような葉は「倒心臓形(obcordate)」と分類されている

へえ……カタバミの方が逆位置扱いなんだ?

きっと西洋メジャーハート形の葉が葵みたいなタイプで、後からマイナーな側に倒心臓形と名付けられた、みたいな流れがあるのだろう

ヨーロッパメジャーハート形の葉っぱの植物……西洋菩提樹とかかなあ

知らんけど~

おそらく現代人の葉っぱの形に対する分解能が昔と比べて落ちている

色の分解能が上がって青と緑が別々になった現象の逆

葵の葉の形と芋の葉の形を現代人は一括りにハート形としてしまうが、昔の人は正しくそれぞれ「葵の葉のような形」「芋の葉のような形」と認識していた可能性がある

ゆえに、「ハート形」に類する形を指す言葉不要だった……とか

その場合

ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのか、というのを知りたい

に対する回答は「ハート形より細分化されたそれぞれの植物の葉の形に例えられた表現で呼ばれていた。芋の葉は芋の葉のような形と呼ぶほかないし、葵の葉は葵の葉のような形と呼ぶ。」

となる

本当に?ちょっと怪しい理屈な気がする

そもそも葉っぱ以外でハート形をしたモノが例えば江戸時代にどれだけあったというのか、という話がある(桃とか……しかし葉っぱを指すときに「桃の形の葉っぱ」とは言わんやろ、たぶん)

市松模様とか唐草模様とか、古くからある文様でいわゆるハート柄っぽく見えるものはないっぽいしなあ……一応「猪目文」があるのか

それこそ数少ない葉っぱ以外のモチーフハート形が現れたときそれを「猪目」と呼んでいたのではないか

検証できるかどうか

うーんどうだろう、例えばこういう攻め方はどうか

本草学」という昔の日本学問ジャンルがある

博物学医学薬学中間みたいなジャンルという認識なのだが、植物の葉の形で分類するみたいなことをやっていたらしい

そういう文献にはきっとハート形の葉の説明文章があるはず

ただなぁ~、学者先生が使う言葉認識と、市井の人々の使う言葉認識って別だろうからな……

自分が欲しい情報じゃないかもな

とりあえず1759年ごろに書かれた『花彙』という名の植物図鑑国会図書館デジタルコレクションで読んでみよう

---

ああそうだ、江戸時代には和算というものがあった

面積を求める和算問題で、ハート形の図形の面積を求めよ……みたいな問題あるかもな

もしあったなら「〇〇に似たこの図形の~」みたいな記述があるかも

一応調べること

→軽く調べてみたが無さそう……こち方面調査頓挫

---

調査がとっちらかったので自分の関心の向き先を言語化しておこう

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

調べがいがありそうなテーマだし、焦らずゆっくり調べていこう

---

メモ

こういう調べものをしていると古辞書に何と書かれているか確認したいというシーンがしばしばある

インターネット上で閲覧できる古辞書を調べる事

また、現代語訳された古辞書書籍として売ってあるなら購入も検討すること

辞書で「猪目」をひいて何と書かれてあるかを確認したい

辞書辞典であるならば形の説明文章でしている可能性がある

また、もしも辞書に「猪目」が載っていないなら当時の一般的な語彙の中に「猪目」が含まれていないとみなすことが出来るかもしれない

ここまでの調べものは「猪目は確かに日本古来から存在するハート形の模様だけど、昔の日本の多くの人は猪目って単語を知らないのではないか」という話が前提にあるので、その裏取りにもなる

神社仏閣に猪目模様があって、その模様があると知っている人でも、その模様の名前を知っているかどうかは完全に別

例えば……コンクリートブロック塀の松みたいな模様の穴が開いたブロック、あれの名前を知っている現代人は少ないのではないか

似たような構造があることを疑っている←この例は適切ではない……「身近にある模様でも名前を知らないものはある」という意図で例示したが、……上手く言語化できないな、後で再考する バックスペースを押さないことがアウトプットやすくなるコツみたいな文章を何かで読んだ

トランプハート柄が「猪目柄」と呼ばれないという傍証はあるんだけどな……→昔の日本人でも猪目という単語を知っている人は少ない説

それはそれとして、そろそろくずし字を読めるようにならないと調べものが滞る……教材を探して勉強してみるか

---

■メインクエス

・「ハート形」という概念が無い昔の日本だと自然薯山芋の葉のような形を何と呼んでいたのかの調査(昔の人は山芋の探し方をどうやって伝えたのか問題

→率直に「芋の葉の形」と何にも例えず呼んでいた、あるいは「芋の葉に似た植物の葉の形」を例に挙げて説明していた……と思われる

直接的な物証発見できず

しかし古い植物図鑑を見ていると、例えばサツマイモの葉の説明をするときに「葉は朝顔に似る」のように別の植物で例える記述が多くみられた

(余談だがアサガオヒルガオ科サツマイモ属なので葉が似ているのは納得、リンネ階層分類体系は偉大っすなあ)

であれば別の植物の葉の形で例えるのがまあ自然か……

■サブクエスト

・昔の日本における(芋の葉以外の)「ハート形」と類似した図案、文様使用例、またその呼称調査

→これは猪目、家紋で描かれるカタバミや葵あたりが該当

芋って家紋モチーフにないんだなあ、考えてみるとちょっと意外(芋桐紋とかあるけど、これは芋ではなく桐モチーフと呼ぶべきだろう)

♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称という意味では、そのような概念存在しない……か?

猪目が一応それではあるんだけど、市井の人々に広く知られた概念ではなかった(これも証拠なし)

からこそ芋や葵の葉も「♡の幾何学的な図形の特徴を指す呼称」で形を例えられないということになる

幕末明治期の文献からハート形」」「心形」「心臓形」の記述を探して市井の人々の中に「ハート形」という概念が定着していった流れの調査

→ https://web.archive.org/web/20181002182121/nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/261341.html

トラバ言及いたここに詳しい(情報提供感謝

調査がひと段落したのでクローズ

anond:20240325095136

あとはリズム感鍛えて国語辞典英和辞典でもあてがっとけばいいじゃん

2024-03-23

anond:20240323120331

外人用の和英辞典で「素直=obey(従う、服従する)」と書かれていてなるほどと思った思い出

自分は正直の意味で使いがちだった

あの人は素直ないい人だから、というのは、あの人は自分には奴隷のように従うからいい人、という意味なのだ

海外文化から日本を知った

2024-03-18

最初ネコキャラクター最初に「~ニャ」のように喋るキャラは何なのだろう、ちょっと気になるね

あるいは犬のキャラで「~ワン」でもいい

革命なのは「~ロボ」みたいな類の語尾だよな……これは『メダロット』に登場するキャラクターの語尾

「~ウサ」「~ゴロ」のような種族名、個体名を語尾とする、という新たな用例が産まれ

しかし、軽く調べてみたが「~ロボ」以前にもこのような用例は存在する

「~ニャロメ」という語尾

赤塚不二夫は偉大ということか

キャラ語尾

役割語の中の一分類

フィクションキャラクター個性付与するための変な語尾

例)「~ザウルス」「~ナリ」「~だわさ」「~だなも」

キャラ語尾をさらに二つの分類に分けたい

「もともと現実話者存在する語尾」「もともと現実話者存在しない語尾」

前者は「~ザマス」「~ぜよ」「~じゃ」「~だっちゃ」など方言由来だったり老人口調だったり

後者は「~ニャ」「~ッピ」「~ロボ」「~ゲソ」など鳴き声由来だったり種族名由来だったり

分類してみて整理できた、自分の興味は後者側の歴史ということか

面白そうなテーマなだけあって先行研究豊富にある

『〈役割語〉小辞典』を購入しましょうね

「~ニャ」「~ワン」の初出なんかも書かれてると嬉しいんだが

のらくろ』は変な語尾を付けてしゃべっていないようだ

手塚治虫作のキャラで変な語尾は……「~だわさ」はあるけど、後者タイプの語尾はなんかあったかなあ

鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」の回が載っている単行本kindleで購入し読んでみたが、語尾でのキャラ付け全然やってないんだなあ

こういう調べものをしている時が一番楽しい

参考:語尾の一覧 | ニコニコ大百科

役割語(キャラクターとことばの結びつき)に関する簡単な読書案内 - 誰がログ ここら辺の本読みましょうね

これは日記です

---

漫画やアニメなどで、一番最初に猫のキャラクターの語尾に「〜ニャ」をつけた作品は何でしょうか? | Quora

うーん

「にゃん」のもつ意味としては

動物キャラクター言語学リンク切れURL)の(13枚目 注14)に

14)山口(2002)によれば、ネコの鳴き声を表す「にゃん」は、江戸時代から用いられており、当時は、「現代 よりも淫靡意味合いを帯びていた」と述べている。

とあるので、江戸時代からそういう意味で使われてるんですね。

相当古いな……ただ、語尾として使用されていたかどうか明記されていない、出典元をさらにひかないと

「~ワン」もウナギイヌ以前に存在するかどうか

またしても赤塚不二夫

まり資料が膨大で掘り切れず、調査頓挫

2024-03-14

「先ず隗より始めよ」はどう使っているだろうか。

まあたぶん「授業で習ったけどそれ故事成語だとは思ってない」って人が大半だとは思う。いちおう先従隗始という四字熟語にもなっているのだが、手元のIMEでは登録されていない。まあその程度の認識だったと思う。

はいものの、四字熟語辞典に載っている、ということはまあ故事成語ではあるのだ。たぶん、これも「妙齢」と同じように、人によって意味を違って取るために使われなくなった言葉だろうと自分は思っている。

初出

戦国策」「史記」「十八史略」といろいろあるらしい。まあ十八史略はあとからの切り抜き編集まとめみたいなものだしね。

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E6%BC%A2%E6%96%87/%E5%85%88%E5%BE%93%E9%9A%97%E5%A7%8B

ここにその原文の1つが載せられている。

今王必欲致士、先従隗始。況賢於隗者、豈遠千里哉。

読んで見れば分かる通り、この故事はもともと「隗」って人の自己PRなのだしかも、自分の有能さをPRするのではなく、自分が大した人じゃない、ってことを前提に、自分を雇わせるための言い訳、そしてそれをやる戦略について語っているわけだ。

現在

ところが、この故事成語現在では「まず自分がやれよ」という意味、もしくは「身近なことから始めよう」という意味になっている。まあ「隗」は一番身近な人の1人だったわけだから後者意味はとれなくもないのだけど、前者ちょっと意味を取り違えているんじゃないかという意味になっている。

https://shingakunet.com/journal/exam/20201124000002/#:~:text=%E3%80%8C%E5%85%88%E5%BE%93%E9%9A%97%E5%A7%8B%E3%80%8F%E3%81%8B%E3%82%89,%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

「先従隗始』からまれ格言は『隗より始めよ』。読み方は、「まづ かいより はじめよ」と読む。

その意味は「言い出した者から実行せよ」で、物事を行うときは、まず身近なことから始めるべき、という教えになっている。

個人的には、この言葉がまともに使われなくなったのは、このなんか微妙意味違いにあるせいじゃないかと思っている。

anond:20240313182336

「先ず隗より始めよ」はどう使っているだろうか。

まあたぶん「授業で習ったけどそれ故事成語だとは思ってない」って人が大半だとは思う。いちおう先従隗始という四字熟語にもなっているのだが、手元のIMEでは登録されていない。まあその程度の認識だったと思う。

はいものの、四字熟語辞典に載っている、ということはまあ故事成語ではあるのだ。たぶん、これも「妙齢」と同じように、人によって意味を違って取るために使われなくなった言葉だろうと自分は思っている。

初出

戦国策」「史記」「十八史略」といろいろあるらしい。まあ十八史略はあとからの切り抜き編集まとめみたいなものだしね。

https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E6%BC%A2%E6%96%87/%E5%85%88%E5%BE%93%E9%9A%97%E5%A7%8B

ここにその原文の1つが載せられている。

今王必欲致士、先従隗始。況賢於隗者、豈遠千里哉。

読んで見れば分かる通り、この故事はもともと「隗」って人の自己PRなのだしかも、自分の有能さをPRするのではなく、自分が大した人じゃない、ってことを前提に、自分を雇わせるための言い訳、そしてそれをやる戦略について語っているわけだ。

現在

ところが、この故事成語現在では「まず自分がやれよ」という意味、もしくは「身近なことから始めよう」という意味になっている。まあ「隗」は一番身近な人の1人だったわけだから後者意味はとれなくもないのだけど、前者ちょっと意味を取り違えているんじゃないかという意味になっている。

https://shingakunet.com/journal/exam/20201124000002/#:~:text=%E3%80%8C%E5%85%88%E5%BE%93%E9%9A%97%E5%A7%8B%E3%80%8F%E3%81%8B%E3%82%89,%E6%95%99%E3%81%88%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%80%82

「先従隗始』からまれ格言は『隗より始めよ』。読み方は、「まづ かいより はじめよ」と読む。

その意味は「言い出した者から実行せよ」で、物事を行うときは、まず身近なことから始めるべき、という教えになっている。

個人的には、この言葉がまともに使われなくなったのは、このなんか微妙意味違いにあるせいじゃないかと思っている。

anond:20240313182336

2024-03-07

日本人は「だから」を「だぁ」と発音する

@Kazuma_Kitamura

英文解体新書』『英語の読み方』『ロゴフィリア』などの著者。

https://twitter.com/Kazuma_Kitamura/status/1764604375891317124

日本語ネイティブと会話していると、それなりの頻度で「だから」のことを「だぁ」と言ってしまっている場面に遭遇するが、

日本語ネイティブに「日本人やって「だから」のことを「だぁ」と言ったりするやろ?」と言っても「そんなやついないよ」と返されるんだよな😇

@IIMA_Hiroaki

国語辞典編纂者(出版社社員ではありません)。『三省堂国語辞典編集委員

著書『日本語はこわくない』PHP、『日本語もっとつかまえろ!』毎日新聞出版、『知っておくと役立つ 街の変な日本語朝日新書、『ことばハンターポプラ社 他。『気持ちを表すことばの辞典ナツメ社 も監修。

https://twitter.com/IIMA_Hiroaki/status/1764955281539444910

「だから」を私たち普通に「だー」と発音することは、1990年代大学院生の頃、他の院生に教えられました。

以来「みんな『だー』と言ってるなー」と思いつつ、さすがに辞書の項目に「だー」は立てていません(読者がぴんと来ないと思われるので)。

https://twitter.com/cicada3301_kig/status/1765128227348238468

なんか否定的意見が多いけど、フリートークして録音して自分の声を聞きなおしてほしい。絶対に気づいてない人がいっぱいいる。まあ音素と音声の関係みたいなもんですわ。

https://twitter.com/Kazuma_Kitamura/status/1765379070039372190

昨日のツイート、やっぱり「だから」のことを「だ」なんて言わない、聞いたことない、というお声もチラホラあったので、こちらを引用しておきます😇


https://twitter.com/sanomaru364/status/1419024529590919169

たし🦀

2024-02-28

anond:20240228163411

電子辞書逆引き辞典とかシソーラスとか)なんて有料コンテンツとしてならだれでも簡単正確につかえるやつやろ 

生成AIさんに入れてもむしろノイズであり無駄

生成AIの作者さんはのらくらと言い訳が上手にみえるくらい人間味をだしたかったんだよ

2024-02-27

オムレツオムニバスいかにも「オム」の部分の語源が同じっぽさがある

とりあえず語源由来辞典見るか

オムレツの意味・語源・由来を解説 : 語源由来辞典

オムニバスの意味・語源・由来を解説 : 語源由来辞典

このサイトコピペ禁止しているのか

オムニ - Wikipedia

あー、なるほど……「オムニ」で区切るのね……

じゃあオムレツ無関係だわ

omni- - ウィクショナリー日本語版

うーん、語例を見てもオムニバス以外は知らない単語だった

ロボコップのオムニ社はこれが由来なんだろうな

スプーンから宇宙戦艦まで」……はべつの企業だけど、そのくらい全てやるということなのだろう

帰宅したら改めて新明解語源辞典を引いてみよう

日記

2024-02-25

anond:20240225154920

論語為政編での使い方(https://manapedia.jp/ より)

子夏問孝、子曰、色難、有事弟子服其労、有酒食先生饌、曾是以為孝乎。

子夏孔子に孝について尋ねました。孔子がおっしゃるには「自然笑顔になるのが難しいのです。仕事があればその仕事を全うし、おいしいお酒食べ物があれば年上の人にまず差し上げる。このような行いをもって孝と言えるでしょう。」と。

  

子貢君子、子曰、先行其言、而後従之。

子貢孔子君子について、尋ねました。それに対して孔子は、「まず実行をすることです。実行をした後に自分意見を述べるのが君子というものです。」

  

菜根譚での使い方(https://jsdmcp31.jp/tusroacs-zensyuu1-50 より)

降者、先降自心。心伏則群聽。橫者、先此氣。氣則外橫不。

魔を降す者は、先ず自心を降せ。心伏すれば則ち群魔は二退き聴く。三横をする者は、先ず此の気をせよ。気平らかなれば則ち外横は侵さず

  

肝受病則目不能視、腎受病則耳不能聽。病受於人不見、必發於人共見。故君子欲無得於昭昭、先無得於冥冥。

肝、病を受くれば則ち目視ること能わず、腎、病を受くれば則ち耳聴くこと能わず。病は人の見ざるところに受けて、必ず人の共に見るところに発す。故に君子はを昭々に得ることなきを欲せば、先ずを冥々に得ることなかれ。

  

先=「まず」 順番として過去みたいな用例が多い。まぁ辞典で調べればいいんだけどね。

https://cjjc.weblio.jp/content/%E5%85%88 ←中国語

https://www.weblio.jp/content/%E5%85%88 ←日本語

日本語と大違いだぜ!

2024-02-16

anond:20240213172512

モノを学ぶ基本姿勢を教えておいてあげる

女陰説はガセ

なんでそう思ったの?

どこかに目にしたのだろう

 

昨今の若者は答えを一つ、結論のみを欲したがる

これを辞めなさい

 

漢字の字源、由来だけの話ではない

学問全般科学であろうと、論文が出揃っていようと、現時点での仮説、一つの論にすぎない

 

さて、「也」の字源も諸説ある

女陰説を否定している学説もあれば、これを肯定している説もある。

 

漢字辞典は種々あり、どの学者はどうだと例示もしてやれるが、そりゃ割愛する。

そこを論じるつもりはない、学者やらせておけば良い。

と言うても納得しないだろうからざっと

大漢和辞典(諸橋)/字通漢語林は女陰

学研漢和大辞典サソリ字統女陰説を大否定し水桶(水器)

その他にも芽吹いた種などいろんな説がある

ここに「正しい」答えなんてものは無いんです

 

ドヤ顔で正しい答えはコレ、結論はコレ

明確に示されると信じちゃうよね

でも飛びついちゃダメなの

科学的に絶対にこれが正しい、最終結論、あんものが数年であっさり覆されるなんて往々にしてあるんです

 

学びの場だけではなく生きる知恵でもある

簡単に騙されなさんなよ

2024-02-09

anond:20240209233236

なんか中高生の頃に趣味海外の、英語圏雑誌を買ってしまったはいいけど読めなくて、とりあえず単語だけでもと英和辞典で調べて意味を書き出してったけど、それを繋げてもぜんぜん文章になってくれなくて、横から見ていた親が呆れて「慣用句というか、その言語ならではの言い回しがあるのではないか」と指摘されたのを思い出した

鯖と錆が読みも漢字も似ているのなんでなんだろう

語源が同じなのかな

ぐぐりましょうね

こういうとき漢字の「鯖」の語源大和言葉の「さば」の語源の両面から攻めないといけない

さば

→小さい歯を意味する「小歯」「狭歯」という説、あるいは多数で群れをなすことから多いことを意味する古語「サハ」が濁音化して「サバ」になった説

さび

→いわゆる「わびさび」の「さび」と同じ語源か、すなわち古びたもの意味する「寂び」、これをさらに遡ると「荒び」

うーむ、「さば」と「さび」で音が似ているのは偶然と

じゃあ「靑」のつくりが「さば」みたいな読みをするのかな?……って、それはない

音読みの音が似ているならともかく

音読みなら「セイ」と読みたくなるわな

そうか、この疑問って「似た漢字音読みが似るのはよくあるというか当たり前だけど、似た漢字訓読みが似るのは珍しい」という発想から来たものだったのだなあ

銅が錆びると青くなるから「錆」……と思いたくなるが、どうもその説は薄そうだ

元々は金属の澄んだ音を表す漢字だった?澄んだ様子を表す「靑」が「金」とくっついた漢字ということか

それが日本誤用されて金属酸化したアレを指すようになったという説か←なぜ誤用されたのか?ここの疑問を掘るのも面白そう

じゃあ鯖の方の成り立ちはなんやねん

もともとは魚や肉を混ぜて煮た料理を「鯖」としていた?なんか怪しいサイトばっかでてくるな

本当はちゃんとした辞典を引きたいのだが出先だから仕方ない

それがサバが青々とした魚だから「鯖」という漢字をあてた……ということらしい

うーーーーん、こっちも漢字が似ているのは偶然じゃあないか

両方ともたまたま青に連想される性質を持っていたからってこと?

まとめると

「さば」と「さび」の音が似ているのは偶然

「さば」と「さび」の両方がたまたま青っぽい性質を持っていたから「鯖」と「錆」の漢字があてられた←「錆」の説明を端折りすぎだろ

こういうことって結構あるんだよな

なんか関連のありそうな二つの言葉語源を調べたら全然違うってこと

「偶然なわけない、釈然としない」と言う気持ちを「偶然だぞ」と説き伏し組み伏せるパワーが必要になる

日記

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帰宅したら『新明解 語源辞典』で引いてみよう

あーそうだ、「青」じゃなくて「靑」なのは何故なのかって視点での調べ方はしてなかったな

「靑」が使われてある程度日本メジャー漢字は画竜点睛の「睛」くらいか

鯖と錆でつくりが旧字の青なのは同じ理由があるのか?という疑問文を作ることが出来るか

これも偶然くさいなあ(未調査

---

おすすめエントリに出てきた「帝王切開語源のややこしさの話」って日記おもしろかった

語源を調べるのが好きって人はやっぱそこそこの数いるんだな

2024-01-31

anond:20240131122519

そういや英語の掛け算(×)ってtimesって読むけどそうすると日本算数バカ文系がよく言う「掛け算の順番」論とかバカみたいだよな、って思ったら、英和辞典にまんまその説明が載ってた。

[掛け算の読み方]

⑴2×3=6は通例 Twice [Two times] three is [are, make(s)] six. (3の2倍は6)と読む.日本人の「2の3倍は6」という理解とは逆であることに注意.数式表現では動詞は今は単数呼応ふつう. なお, 子供に教える掛け算の読み方は If you times 2 by 3, you get 6(→times)

ジーニアスmultipleの項より)

2024-01-24

anond:20240124143616

セルフコメ追記

http://m-sugaya.jp/sci-fi.htm

https://web.archive.org/web/20190804191818/http://m-sugaya.jp/sci-fi.htm

第二次世界大戦後、「Famous Monster Magazine」を編集していたフォーレスト(フォーリー)・J・アッカーマンという編集者が、ステレオの「Hi-Fi(ハイファイ)」の発音にヒントを得て「Sci-Fiサイファイ)」という「Science Fiction」の略語を生み出しました。これがウェブスター辞典いうところの1955年なのでしょう。アッカーマン氏は、自分の車のナンバープレートも「Sci-Fi」にして、この言葉の普及につとめたようです。

 アッカーマン氏はファンジンの祖としても知られている人でして、日本ではマンガ主人公になったこともありますが(^_^;)、コンピサーブ会員の説明によると「(もちろん本人は認めないが)クズSF映画(trashy sf movies)」の愛好者で、彼がこれらの映画に「Sci-Fi」の名前を冠したため、一般メディアは、ゴムぬいぐるみが出てくるモンスター映画のようなもの総称して「Sci-Fi映画」と呼称するようになったのだとか。

2001年宇宙の旅からスターウォーズ」までの期間の前後は、「Sci-Fi映画」といえば目玉の大きなグロテスク宇宙人ロボットなどが出てくるホラー系、モンスター映画代名詞となっていた(いる)のだそうです。

 さら60年代に入ると、出版業界の中で、モンスター映画に似た安っぽいSF小説を「Sci-Fi」と書いて「Skiffy(スキッフィー)」と呼称するようになったのだそうで、「サイファイ」と並行して「スキッフィー」もポピュラー呼称となっていったようです。

Sci-Fi(スキッフィー)」という呼称には、多分に侮蔑的ニュアンス、あるいは自嘲的な意味合いも含まれていたようで、ジョークの中には「SFファンの前でスキッフィーというときは、逃げ出す準備をしてからしろ」というようなものであるそうです。

このような経過を経たせいか、「Sci-Fi」には屈辱的、あるいは差別的ニュアンスがつきまとうようになり、SF作家の中には「Sci-Fi作家辞典」への掲載を断ったりする人も出てきたのだとか。

 そのためコンピサーブの「Sci-Fiフォーラム」は、その名称を「SF/Fantasyフォーラム」に変更し、「GOコマンドからも「GO Sci-Fi」が消えることになったとのこと(1990年頃のことらしい)。ここでいう「SF」とは、「Science Fiction」であり、また「Speculative Fiction」であり、ハインラインクラーク伝統を引き継ぐ作家作品を指しているようです。ちなみにニューウェーブサイバーパンク作家名は出ておりませんでした。

 ただし、ここで留意しないといけないのは、コンピサーブは元もと料金が高かったこともあって会員の年齢層と地位も高く(これを称して「コンピサーブの3高(c)Mitsuru Sugaya)」という)、大半のフォーラムではハンドルが使えないなど、保守的オンラインサービスとしても知られているところです。

 ……てなことを書いていて、またコンピサーブアクセスしたら、最近までは使えなかった「GO Sci-Fi」が復活しておりました。「SF/Fantasy Forum」グループメニューが出てきますコンピサーブもAOL親会社になったことで、ポリシーを変更したのかな? それとも前に探したときタイピングミスしたのかな?

 しかし、このコンピサーブの「Sci-Fi」に関する議論は、なんとなく「ハッカー」についての議論を思い浮かべてしまいました。はい、「ハッカークラッカーを一緒にするな」というアレでございますケーブルテレビにも「Sci-Fiチャンネル」という、24時間連続SF系のテレビ映画などを放映しているテレビ局もあるくらいですから、すでにアメリカでは「Sci-Fi」という言葉市民権を得ているといってもいいのでは……なんて思っちゃうんですよね。これも、「面白ければSFでもSci-Fiでもかまわない」というこだわりのなさからなんでしょうが

 15年ほど昔、手塚治虫先生に、「最近、『ゲームセンターあらし』は、すっかりSFになってますねえ」と言われ、「げえっ! 手塚先生が『コロコロコミック』まで読んでるう!」とビックラこいたものでしたが、そのとき「スキッフィー」という言葉を知っていたら、「いえ、ぼくのマンガはスキッフィーです」と言えたのになあ。あのマンガで目指していたのは駄菓子屋マンガだったから。

すがやみつる(1999/3/20記:1999/8/2一部書き足し)」

😌スッキリした

2024-01-21

心は折れてないけど迷走中の二次創作字書き(雑魚)

 タイトルの通りの身分です。学生です。自分の書いている文章客観的に見れず、もうどうしたら良いのか分からなくなってきました。文章遍歴です。長ったらしいです。

 まともに文章を書き始めて一年ほどの若輩者です。二次小説を書き始めた動機は絵が下手だからというとても不純なもの本が好きで、作品が好きで、なおかつ小さい頃から人並みよりさくさくと文章を書けるタイプだったので軽い気持ちで書き始めてしまいました。

 普段は旧Twitter支部短編を上げています。人気ジャンルCPで書いたものが400ブクマ付いて喜んでいる程度の薄っぺら書き手です。

 衝動で書いた一作品目に評価がついたとき、初めて文章の質というもの意識しました。そういえばこれって他人に読ませる文章じゃん、と。慌てて自分の書いた文章と、自分が大好きな作家さんの文章を比べました。適切な比喩、ちょうど良い一文の長さ、形容詞位置描写の順番……などなど、素人でも分かる違いが山ほどありました。それはもうバスタオルと羽毛布団くらい違いました。要するに幼稚な文章なんです。色がありません。温度もありません。パッサパサの乾パンでした。

 次に文章を太らせようと思いました。もうちょっと情報量を増やそうと。そしたら今度はすごく冗長でつまらないものが出来上がりました。文字の量を増やすだけでは10Lに薄めたカルピスみたいな読むのが苦痛作品になるだけでした。

 

 ここまでもし読んでくださった方がいたらこいつど素人にもほどがあるだろうとお思いになると思います。字書き経験のある先輩方でしたら尚更です。ごめんなさい。

 語彙を増やそうと思いました。毎日通学時に周囲の写真を撮って、匂いや気温を書き取って、その時に見た景色メモ帳描写しました。Web辞典と、プロの一次作家様の文章を横に並べながら。なんだかちゃん文章を書いてる気がしてだんだん楽しくなってきました。「春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際、少しあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる……」また比喩を使っちゃいますが、枕草子みたいな感じです。

 よっしゃやるぞーと思ってまた二次創作を書き始めました。今度はプロットなるものが立ちはだかりました。起承転結というやつです。この辺りで私は、あれ、小説書くのって想像以上に難しいのでは……と気づいてしまいました。二〜三千字くらいのワンシーン切り取り型の書き方ならともかく、私は数万字に及ぶ長編に憧れてしまったのです。プロット無しの見切り発車で書くのはあまり危険でした。しかし、見様見真似で書き起こしてみるもの全然上手くいきません。浮かぶのはつまらない展開ばかりでした。そんなこんなで今は三千から五千字のものをちまりまりと書きながらいつか長いもの書きてぇとぼやいています

 冒頭に戻ります。本当に良い描写脳みそにスッと入ってくるんです。たった一文で全部を分からせてくるアレです。難しい言葉も要らないし、何度も言い換えて重ねる必要もない。あれって天賦の才なんですかね。最近解像度の高いものを書こうと思って気合を入れて書いた作品が、2週間後に読み返してみたら装飾過多、結局何が言いたいの?と思われそうな駄文になっている、ということを繰り返しています。カッコいい文章に憧れます

 ネット上の二次創作においては、流麗な描写よりもオタクに刺さる台詞のある作品のほうがたぶんウケます自分もそういう作品は好きでした。自分自身、以前は難解な地の文なんかポイポイっと読み飛ばしキャラ読み(?)していたわけですから。でも書き始めてから読み手ウケるかどうか以前に自分が「こんな適当文章推し表現したくない!」という執着に取り憑かれてしまったんです。もう自己満足の部分もあると思います推しの眺めている花はただの花じゃなくて、真っ白で、透けるくらい薄くて、とても良い匂いがして……

 文学オタクの扉が見えてきました。もう戻れません。知れば知るほど、私の小説はつまらない。どうつまらないのか分からないけどとにかくつまらない。引き込まれ表現が足りない。たぶん内面描写も浅いし、そもそも二次創作として、公式設定資料を読み込むのを怠っていました。なんてことだ。しっかりとした長編評価されている方々は本当に凄いです。

 拙文がバレバレだと思います。重ね重ね、ごめんなさい。

 自分が心底納得のいく小説が書ければきっとある程度の評価はついてきます。でも、その「自分が納得のいく小説」までにどれだけの差があるのか、具体的にどこがダメなのか、分かりません。あぁ、誰か私の小説に適切に文句をつけてくれる人居ないかな。雑魚メンタルですが最近批評が欲しいと思えるようになりました。

 長々と書き連ねましたが、要するに良い作品全然書けなくて、目標までが遠すぎて死にそうです。文章指南書をこの前注文しました。でも本当にあんな凄いものが書けるのか……?神字書きの皆様へ尊敬と羨望と、諸々の気持ちが溜まっていきます

 文章うまいね、そんな言葉1ミリも要らないんです。いや嬉しいは嬉しいんですけど、要らないです。正直やっぱ欲しいです。でも上手くなるほうが大事です。批判が欲しい。

 

 そういえば触れてませんでした。一次創作書けばいいじゃんっていう話についてです。私の今のモチベーションの核は、ひとえに好きなキャラを最強の文章構成表現したいという衝動で成り立っています。つよつよな文章推しが喋ってる……うおお……という感動を味わいたいです。それだけです。

 世の中、腹が立つ作品には批判が飛んできます。でもつまらない作品には何も言ってもらえません。ありふれた話ですが、それをとても実感しています

2024-01-15

anond:20240115100628

https://www.weblio.jp/content/%E5%8F%8D%E7%9F%A5%E6%80%A7%E4%B8%BB%E7%BE%A9

反知性主義(はんちせいしゅぎ、英語: anti-intellectualism)または反主知主義(はんしゅちしゅぎ)とは、英語辞典によれば、知識人知的理論に向けられる反対・敵意を指す言葉

2024-01-14

anond:20240108080849

ブルガリア語のтрикоの意味ちょっと調べてみた。

まず、響き(「トリコー」と読む)からして明らかに外来語なので、こういうときwiktionaryを引くのだ。

Borrowed from French tricot.

Noun

трико́ • (trikó) n

1. tricot (soft knitted fabric)

https://en.wiktionary.org/wiki/%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%BA%D0%BE

もともとはフランス語から来た言葉で、「柔らかいニット生地」というのがтрикоの意味だ。念のために、英語フランス語tricot意味も調べてみよう。

https://en.wiktionary.org/wiki/tricot

どの言語でも「ニット生地」の意味だということがわかる(「tricot」で検索するとニット生地画像ばっかりヒットする)。

これだけだと「レオタード」という意味は出てこないが、単にwiktionaryに載ってないだけでそういう語義があるのかもしれないので、勃勃辞典も引く。

1. Плетен вълнен или памучен плат.

2. Дреха от такъв плат, обикн. спортен костюм за гимнастика. Гимнастичките се представят с черни трика.

https://rechnik.chitanka.info/w/%D1%82%D1%80%D0%B8%D0%BA%D0%BE

ニット生地からできた衣類も含み、体操用の衣装も含むらしい。

問題は、「体操用の衣装」が「レオタード」と同義かどうかだ。「спортен костюм за гимнастика」と書かれても読めないかもしれないが、「sporten kostyum za gimnastika」と翻字すれば何となくわかるだろう。「体操のためのスポーツ衣装」と書いてある。これ、「体操着」「体操服」って意味なんじゃないか? だって、原義は「ニット生地」って意味だろ? そこから派生してるんだから広く「体操着」全般を指すんじゃねえの?

ただ、「Гимнастичките се представят с черни трика(体操選手たちは黒いトリコーを着て演技する)」という例文があるから、「体操着」から派生して「レオタード」って意味もあるのかもしれないけど、やっぱり本来意味は「体操着」だと思うんだよな。だって語源が「ニット生地」だろ? 「ニット生地」→「ニットの衣類」→「体操服」→「レオタード」って語義変化を考えるのが自然じゃないか

したがって、「Девойките с черно или синьо трико и бяла тениска.」というのは、「黒/青の体操服に白いTシャツ女の子たち」という意味だ(Девойкитеが「女の子たち」の定冠詞形、сはwith、черноは「黒い」の中性形、илиは「もしくは」、синьоは「青い」の中性形、трикоは中性名詞トリコー」、иが「and」で、бялаは「白い」の女性形、тенискаが女性名詞「Tシャツ」)。

ただし、レオタードと訳された言葉は「трико」であるが、ロシア語では同一の言葉表現される水着翻訳すると「бански костюм」(banya kostyum)で、これは別の言葉だ。「костюм」がスーツ意味する。「бански」だけでも水着意味するようだが、音の響きからして入浴するに関連する言葉だろう。現に風呂は「баня」(banya)だ。

ロシア語のтрикоには複数意味がある。これもwiktionaryを引こう(URLは上に同じ)。

  1. tricotトリコー)
  2. tights, leotard(タイツレオタード
  3. jogging bottoms, sweatpants(ジョギングボトム、スウェットパンツ

「трико」で検索すると体操レオタード写真がいっぱい出てくるので、ロシア語では「レオタード」っていう意味がメインなんだろうか。ただし、「ジョギングボトム、スウェットパンツ」っていう語義を見ると、やっぱり「ニット生地の服」→「体操服」→「レオタード」っていう意味の変化を遂げている語なんじゃないかなぁ……。

で、ロシア語水着は「трико」じゃないぞ。купальник(クパーリニク)あるいはкупальный костюм(クパーリヌィ・コスチューム)だ(купаниеが「入浴」とか「治療のための水泳」とかそういう意味)。Wikipedia日本語版水着からロシア語版に飛べばすぐわかる。ブルガリア語でбански костюмなのは元増田の書いた通りだけど、ローマ字だとbanski kostyum(バンスキ・コスチューム)になる(お察しの通り、баня「風呂」に由来する形容詞がбански)。костюмは衣装全般だけど、「コスチューム」って書けば意味はわかるよね。まあ原義通りに訳せば「入浴着」か。

ついでにだな、ポーランド語のSokółは「ソクウ」と読む。「ソコウ」じゃないぞ。元ネタになったチェコの「ソコル」については、日本語研究書が出てるので気になるなら読んでみるといい(https://www.hup.gr.jp/items/65002123)。チェコ語で「trenýrek(トレニーレク)」がショートパンツって意味らしいので、「Jednotný cvičební úbor(イェドノストニー・ツヴィチェブニー・ウーボル、直訳すると「ユニフォームの体育用の服」、つまり学校指定体操服)」というひとまとまり検索語で調べるよりも、ひょっとすると「トレニーレク」とか、「イェドノストニー(「ユニフォーム」つまり単一形態の」の意、服装文脈で使われるなら「指定の」)」を抜かした「ツヴィチェブニー・ウーボル」で調べた方が良いかもしれない。

2024-01-11

「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた

おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる

結論から言うと、明治元年1868年)ごろから急速に地震信仰は失われたと思われる

天保元年ごろ(1830年ごろ)

高野長英蘭学者

『泰西地震説』を執筆

オランダ辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した

安政元年(1854年

安政の大地震

鯰絵が大流行した

しかし「鯰絵が流行した=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……

というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化け妖怪実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる

お化け妖怪実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚21世紀に生きる人間感覚だろうか

『泰西地震説』が世に出ておおよそ20年後出来事

『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまりまれなかったのだろうか?

江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?

当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?

ここは特に追加調査必要

鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査図書館本屋資料を入手してからになる

明治元年1868年

小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物

天変地異』を執筆

小学校教科書にもなった本

雷、地震彗星、虹といった自然現象に科学解説を行った本

地震原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている

こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか

明治元年でいきなりこんな教科書を出すとは正直驚きを感じる

西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする

明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた

これによって明治に生きた若者地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう

明治に書かれたエッセイ新聞記事を探したい

「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……

また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?

追加調査必要

民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?

明治13年(1880年

横浜地震

M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ

この地震体験したジョン・ミルンというイギリス人地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した

明治24年(1891年

濃尾地震

安政の大地震以来の巨大地震という言及が当時の新聞にある

科学者が地震調査のため派遣された、のような記事新聞に載っている

大正12年1923年

関東大震災

このときいくらかは鯰絵が描かれたようだ

ただ「鯰絵が描かれた=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう

大正15年(1926年

井上江花、新聞記者

『江花叢書』第1巻

当時のエッセイ的な読み物

関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある

一部引用する

鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、

「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る

1926年時点で安政の大地震はおおよそ70年前くらいか

「おじいちゃん子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ

科学とか西欧合理主義流行った結果、地震信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ

ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい

あと、柳田國男著作をまだどれも読んでいない

先に読んだ方が民俗学視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない

日記

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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない

あるいは調べ方が悪いのか……

幕末日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?

あるいは最初からモノの喩えだと認識していたのか?

もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか

そういった研究痕跡を見つけることができない

見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない

儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい

日本儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸民衆のその説をどの程度認知していた?

あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か

日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない

調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史選択しておけばよかった

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施政者が失政すると地震が起きる」みたいな思想もある

また、火山雷雨地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある

ナマズじゃなくても結局別の信仰になってしま

ナマズが俗説ってそういうこと?

まり俗説でない主流の説は鹿島神だとか龍神に原因を求める?

この観点でも調査

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本屋に行ったが鯰絵関係の本が一冊もなく購入できなかった

しかし『陰陽五行日本民俗』という本を購入

陰陽五行について何も知らないに等しいので勉強しなければ

しか本来本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事関係ない本ばかり買って読んでしま

悲しいね

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トラバブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率不毛なので)、今回は必要を感じた

鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感

ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズ地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……

これに強い疑いを抱く

しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロ研究家が思いついていないわけがない……

なにか根拠があるはずと信じる

あと、この日記以外に書いている場所はない

清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない

追加調査資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い

追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある

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先行研究

記録表現にみる中世日本の地震認識

ナマズ地震が紐づけられる以前の地震認識

断層沿いに立地する神社とその周辺環境に関する研究

近世地震認識記述がある!これをベースに調べるのが最善か

江戸時代の宗教観と芸能の盛行

幕末明治海外の人から見た日本人の宗教観記載がある

神や仏に敬虔祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる

この庶民信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治来日したアメリカ女性教育者アリスベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘不可思議事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。

考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ

この引用箇所は別の文献から孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……

該当箇所は『逝きし世の面影』という本から引用……kindleあるじゃないか、買います

これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない

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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴン実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか

(「実在」という言葉定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)

同様に幕末江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化け実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある

ここらへんは本当に現代日本パラダイムに考えが支配された人間にとって想像しにくい領域

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