「国民統合」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 国民統合とは

2018-08-27

マックを食べると、120バーツ=380円くらいする。

タイ人女子学生それを普通に買うのに、白人が好き好んで、より安い物を買い求め、食事を取っていくのを見ると、なぜか辛くなる。

少し通りを出れば、オッさんが一日中同じ場所道路に座っている、スラムとはいえ、いざ格差というものに直面してしまうと、切ないものだ。

かに日々、勤勉な人たちが富を得ていくのはいいとは思う。しかし、いかにも貧しい路上生活者たちがいるのにそのままというのはやはり違和感を感じてしまう。

もちろん、本人の努力不足で自己責任と言い切ることができるし、好き好んでやっているのかもしれない、そういう人にも寛容ということだけなのかもしれない。そういう社会なんだろう。

実際のタイがどうかはわからないのだが、少なくとも日本はそういった社会ではない。ホームレスはいるが、あってはならないという認識がある。

仕事がないのだろうか。確かに食べ物行商タクシーは多すぎる。これは年収も低いだろうなと。しか若い人まで。仕事にこだわりがないとは聞くけど、いかにも金持ってなさそうなおっさんやおばさんを見て、将来を憂えないのだろうか。

日本人手不足だというのにな。不衛生になりやすく、どうでも良くなってしまうような気候も影響しているのかもしれないが、常夏なら寧ろ、管理やすそうな気もするけどね。

ただ、国民性は温厚で大変よろしいと思う。詐欺も少なく、大半の人は親切だ。寺院王室モニュメントに近づくと自然と手を合わせるその様は美徳だと思う。感謝だとか、尊敬だとか、しばしば、日常生活から遠ざかりがちな温かい心を取り戻せる。彼らが手を合わせる姿はそうした心を大切にしていることを覗かせてくれる。

民族国家ならではなのかもしれないが、こうした国民統合象徴を愛する行為はその国民が愛を感じやすくさせる効果があると思う。

民族というアイデンティティを消耗するのではなく、敬意を払うことで、ほんの少し、人は幸せを噛みしめるようになれるのだろう。反対意見もたくさんあるだろうから、心の中だけに留めることになってしまうだろうが、こうした、チャンスはフルに味わさせてし、幸せに生きたいものだと、私は思う。

2018-03-24

anond:20180323162850

戦後焼け野原からみんなが物がない中で育った現・皇太子らの世代と比べて、その一つ下の世代はすでに格差開いた中での都会暮らしから国民統合象徴なんかの役目果たすのにものすごい荷が重いだろうね

2018-03-04

anond:20180304205413

この発言国民統合象徴たる日本国天皇と、いるかどうか分からん「神」をいっしょくたにし発言なので、憲法を愛する日本国民はみんな怒るべき

2017-10-24

グッドルーザー

こう書くとまた出羽守呼ばわりされるだろうが、日本選挙に足りないのって、グッドルーザーだよね。

ヒラリーははっきり言って微妙だったけど、例えばマケイン敗戦の弁とか、オバマ勝利演説は、とりあえず表面的ではあるにせよ、相手を称えてノーサイド宣言をするじゃない(形式的にはではあるだろうが、その形式を守らなかったヒラリーの罪は重い)。

あれをほとんどやらないのはなんでなんだろうねぇ。あれこそが国民統合必要ものだと思うんだけど

2016-08-08

http://anond.hatelabo.jp/20160808162900

我々国民天皇陛下お気持ちを伝えてくださった。

ここに僕がどう受け止めたかを書く。

お気持ちをどう捉えるかは国民個々人に任せられたものであるからして、これは僕個人の受け止め方です。

あなたがたがどう思うかは分からないが、書かずにはいられないので書く。

「もう高齢から引退したいよ」という話でもなければ「憲法があるから言いたいこと言えない」という話でもないので、陛下尊敬する国民として重く受け止めたい。


天皇陛下お気持ちを表明(全文)/ NHK

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626811000.html

本日は、社会高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います

ツイッターなどを見ていて、陛下のこのお気持ちの表明に対して「憲法があるから遠回しに表現したんだね」的にとらえている人が多いように思いますが、僕はその理解では陛下お気持ちを半分しか分かっていないのではないかと思います

陛下は以前から、そして今回のお気持ち表明で「象徴」や「天皇という立場」に強いこだわりを表明されています

憲法があるから思っていることをストレート表現できないのではありません。違います、たぶん。

このお気持ちの表明をよく読み返せば、陛下が「象徴天皇であることを誇りに思われていることがわかるかと思います

僕は陛下のお言葉を聞き、何度も読み返して、

現状とこれから問題点に対して「私はこうしたい」や「こう変えるべき」ということを言わず憲法民主主義(国民国民の選んだ政治家)に委ねることこそ象徴天皇のあるべき姿であるという強い意思を感じました。

憲法があるから思っていることをストレート表現できないのではありません。違います、たぶん。

この観点をもって、陛下のお言葉を読み返してみてほしいです。

私が天皇の位についてから、ほぼ28年、この間私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。
私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。

天皇象徴であると共に、国民統合象徴としての役割を果たすためには、天皇国民に、天皇という象徴立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。

こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇象徴行為として、大切なものと感じて来ました。
皇太子時代も含め、これまで私が皇后と共に行って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

陛下は、ここで『天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。』と仰られています

ここは僕の解釈ですが、「直接的・短絡的な存在意義を問いにくい存在である象徴天皇とは何のためにいるのか、自分に何ができるのかを陛下が自問し、求道者的・修行者的とでもいうべき数十年があったように感じました。

日本国天皇とは」ではなく「象徴である天皇存在意義とは」を強く意識されてこられたのだと思います

繰り返しになりますが、現状とこれから問題点に対して「私はこうしたい」や「こう変えるべき」ということを仰らないのは、それが憲法で縛られているからでなく、自らが象徴であることを『天皇として~幸せなこと』と感じられているからであり、「象徴天皇自覚を育て続けてきたから」という陛下のご意思であると僕は受け止めています

象徴であることに強いご意思を感じるお言葉です。

天皇高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。
また、天皇未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇行為を代行する摂政を置くことも考えられますしかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

ここは重要な件です。

単にご公務を減らし、皇太子殿下秋篠宮殿下に任せるのでは「行うべき仕事をしていない人が象徴というおかし状態になる」、天皇存在意義が問われると陛下はお考えであると僕は受け止めました。

僕個人は陛下がご公務を減らしても天皇としての存在意義は揺るがないと思いますが、陛下は上記のようにお考えなのではないでしょうか。

象徴天皇は、その歴史的権威だけではなく、憲法法律によって成り立っています

血筋でなるのではなく国民存在を認められるからこそ象徴でい続けられる、陛下はそこまでお考えなのではないでしょうか。

代理やご公務の削減をしているのでは、「行うべき仕事をしていない人が象徴」では国民理解敬愛を得られるはずがないという強いご意思を感じます

天皇健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。
更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き、その後喪儀に関連する行事が、1年間続きます。
その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。

こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります

ツイッターなどで「我々国民負担を考えてくれる陛下マジ陛下」的な受け取り方をした人が多いようで、僕もそう思いました。

もうひとつ、書いておきたいことがあります

これは僕の勝手な推測ではありますが、陛下はご自身の力が及ぶうちに皇太子ご夫妻へバトンを渡してサポートしたいとお考えなのではないか、ということです。

残念なことに、世の中には皇太子家族を悪くいう国民がいます(国民が良し悪しを評価するのではなくサポートするべきではないのかと思いますが…)。

陛下とともに歩んでこられた皇后美智子さまも60年台から90年台にかけてバッシングをうけたことがあります(wikipedaあたりを読んでください)。

陛下秋篠宮殿下皇室全体で皇太子ご夫妻の即位後をサポートしていくことで次世代継承をより良いものにできるとお考えなのではないかと、勝手ながら僕はそのように感じ取りました。


めにも述べましたように、憲法の下、天皇は国政に関する権能を有しません。
そうした中で、このたび我が国の長い天皇歴史を改めて振り返りつつ、これから皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちお話しいたしました。 

陛下はご自身が『象徴天皇』≒『権能を持たないEMPEROR』であることを誇りに思われているのだな、と感じる件です。

あくまでも、お気持ちを我々と我々の選んだ政治家に委ねられているのですから

国民理解を得られることを、切に願っています

天皇陛下がですよ、大君大王でありEMPERORたる陛下がですよ、『国民理解』を、『切に願って』いるんですよ。

何度も言いますが、陛下は「こうしたい」とも「こうしたらいいんじゃないかな」とも仰っていません。

ただ、お気持ちお話になられ、それが我々と我々の選んだ政治家がどうするかに委ねていらっしゃるのです。

「もう高齢から引退したいよ」という話でもなければ「憲法があるから言いたいこと言えない」という話でもない。

こんなに自分職務真摯な方が、僕らにお気持ちを託してくださった、それだけで僕は胸がいっぱいです。

正直今の今まで生前退位には反対だった

実際のところ、真新しい内容は何もない。

国事行為が満足にできなくなるのが理由というのも、この話題が出た頃からニュースで言われていた。

直接意向を示すことはできないので、理解を求めるというスタンスだったのも、大方の予想通りだった。

しかし、自分は考えを改めざるを得なかった。

現行憲法に定められている通り、天皇とは日本国象徴国民統合象徴である

しかし同時に、陛下平成という時代象徴で、いずれ来る崩御によって平成という時代が終わる。

そういう一種舞台装置のようなものだとも思っていた。

それに比べれば、国事行為が減るなど些細なことで(なんなら摂政にやってもらえばいい!)、

退位という形で平成に終わってもらっては困るという考えすら、心のどこかにあった。

けれども、そういう考えで、将来の国民の支持が得られるだろうか。

だいたい、今でも天皇廃止論はある。

今後、「ただ君臨するだけ」という状況が続くことがあれば、さらにその声は増していくだろう。

仮に、共産党政権を取ることがあれば(今は彼ら自身すら、現実的とは思っていないだろうが)、

彼らはすぐさま廃位に向けて動き出すことだろう。

からこそ陛下は、皇室皇室として存続させるためには、国民の支持が真に不可欠であり、

そのためには国事行為が求められると判断されたのだろう。

自分はそういうことに対して、あまりに考えが足りなかったのだ。

2014-09-22

[]天皇葬儀から宗教色を排する取り組み

吉川春子君 官房長官にお伺いいたします。

 葬場殿の儀というのは、どうも皇室の私的な行事ではなくて、国として見ても公的な行事のようですね。国事行為である大喪の礼、そして皇室行事である葬場殿の儀、これを一連の行為として時間的にも連続性を持たせて場所も同じところで行うというのは、テレビに映し出されるのを見ている国民からもあるいは諸外国代表からも当然一つのものとして映るわけです。かつて吉田総理葬儀国葬として行われた際に、カトリック教会で個人の宗教によって私的に葬儀を行って、そして一週間後に東京武道館宗教色を排除して国葬が行われています

 今度、こういう天皇葬儀についても、憲法政教分離を厳密に貫くべきでありますから、そういうような配慮をどうしてなさらなかったんですか。

国務大臣小渕恵三君) 吉田元首相の例をお挙げになられましたが、立派な方だと尊敬はいたしておりますが、天皇陛下におかれては憲法一条規定をされた我が国の象徴国民統合象徴でございますので、同じような考え方に存するものではない、このように考えております

吉川春子君 そうしますと、宗教色を排してやるというようなことではなくて全部一つとして、それは天皇葬儀として連続して行われて、宗教色の盛り込まれているものも交互にあるわけですけれどもそういうものでやっても天皇場合差し支えないんだ、これが政府のお考えですか。

国務大臣小渕恵三君) 国民の間にいろんな御意見のあることも政府としては承知をしなければならない立場でございますので、種々検討いたしました結果、大喪の礼の御式は国の儀式として行われ、葬場殿の儀は皇室行事として行われるもので、両儀は法的に明確に区別されるのみならず、実際上も大喪の礼御式においては開式を告げること、祭官は退席すること、鳥居撤去すること、大真榊撤去すること等とされており、両儀ははっきり区別をされた形で行われるということで大喪の礼委員会で決定いたした次第でございます

吉川春子君 大喪の礼もそれから葬場殿の儀も儀式の内容というのは旧皇室喪儀令で定められているものほとんど違わないわけですね。こういうもの部分的に取り出してここだけは国事行為だといっても、憲法政教分離規定クリアできないと思うんです。憲法十条というのはまさにそういう儀式を行うこと自体を禁止しているわけです。

 政府は、大喪の礼のみではなくて葬場殿の儀にも出席を要請して、節目節目には一同に起立を求める方針だと、こういうふうに言われています。これは宗教行事への参加ではないですか。

 そこには、先ほども話がありましたけれども、神道象徴である鳥居が建てられている。大真榊が置かれる。

 広辞苑によると、鳥居というのは神域、神の領域を示すものであると言われています。これをくぐることは神社への崇敬の念を示すことになるわけです。榊は神のよりしろとして枝に白幣をつけて神霊象徴として祭礼が行われるわけですね。

 こういうような宗教儀式総理が出席されるというのは、これはまさに憲法違反じゃないですか。

政府委員(味村治君) 国事行為として行われます大喪の礼は、ただいま官房長官が申されましたとおり、皇室行事であります葬場殿の儀とははっきり区別をされているわけでございます

 国事行為たる大喪の礼は、祭官は退席し、鳥居撤去し、大真榊撤去されておりまして宗教色はないわけでございまして、国事行為たる大喪の礼が宗教儀式に該当ししたがって憲法十条第三項によって国またはその機関が行うことを禁止されている宗教的活動に該当するという疑いは全くございません。まずそのことを申し上げておきます

 その前に葬場殿の儀が行われるわけでございまして、これは皇室行事として行われるわけでございます。これにつきましてはいろいろ宗教的な色彩があるということは否定ができないわけでございますしかしながら、そこに総理総理たる資格で御出席になりましても、それは先ほど飯田委員との論議の中で申し上げたのと似たようなことになるわけでございますが、日本国象徴であり日本国民統合象徴あられます亡き昭和天皇に対する哀悼の意を表し、また、御遺族と申し上げるのは失礼かと思うんですが、御遺族であられます天皇に対してお悔やみの意をあらわす、こういう意味でそういういろんな儀礼を尽くすというような意味で出席されるわけでございまして、特定宗教助長するとか援助するとかそういうようなことで出席されるわけでないということは、これは明らかなわけでございますから、したがって、内閣総理大臣総理大臣としての資格皇室行事たる葬場殿の儀に御出席になってもそれは憲法十条三項の禁止する宗教的活動には該当しない、このように理解をしているわけでございます

第114回国会 内閣委員会 第3号

平成元年二月十四日(火曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/114/1020/11402141020003c.html

2014-09-20

[]キリスト紀元

参考人(鷹司信輔君) 私は神社本庁の鷹司として参りましたので、神社神道のものの考えといたしましてこの点を申上げたいと思います

 この問題につきましては、是非日本の伝統を保有して行きたいと考えております。併し私共は決してキリスト紀元排斥するものではございません。キリスト紀元の便利なところもございますので、現在のように元号式の年代表示法と、キリスト紀元法とを適宜に併用して行くのがよいと考えております日本元号は千三百何年の長い伝伝統を持つておりますのでありまして、それは国民象徴と仰ぐ陛下の御名によりまして常に公布せられました。これは決して天皇主権などというような権力関係のものとは思われません。朝廷から兵馬の権も政治権力も全く消え失せた時代にありましても、日本人元号だけは朝廷公布せられましたところに従つております。官公文書はもとより私人の往復文書、日記等何にでも元号を用いておりました。神社人も仏教徒も又キリスト教徒もこれを用いて怪しまなかつたのでございます国民のあらゆる党派、教派の人々が如何なる対立関係に立つた場合でも、多くは元号だけは同一のものを用いておりました。このあたりに国民統合象徴というような意義も感ぜられるのでございます英国におきましては、公文書エドワード七世第何年とかジヨージ六世三年とかいうように、君主の在位年限を以て年代を表示する方法が用いられておるようでございます法学書や歴史文献におきましても、そのような年代表示法がキリスト紀元と併用されて用いられておる例が決して少くありません。その一般的な普及程度においては、大小の差こそあれ、これは日本の現行の一世一元の制本質的には同様のものであろうと思われるのであります英国では外交的文書や條約文書等は勿論キリスト紀元一本で君主年号を用いないのでありますが、日本におきましても同様でよいと思います外交文書には現在でも公式キリスト紀元が用いられておりますキリスト紀元採用せねばならんからといつて必ずしも日本式元号を廃止せねばならんとは考えられないのでございます

 我々神道人といたしましては、キリスト紀元による年代表示の方法外交文書で用いられようと、学校教科書や年表で用いられようと決してこれに反対するものではありません。我々の間におきましても年表的な場所では大いに利用しておるのでございますが、あらゆる場合キリスト紀元一本に統一されて強制されるということは到底承服しがたいのでございますキリスト紀元一本になるという法案は、必ずしも政教分離憲法に反するものではないという理論は、理論としては成立ち得ると思います政教分離米国におきましてもキリスト紀元を用いております。又キリスト教に対してはむしろ反抗的でさえあつたナチスドイツでもキリスト紀元を用いておりましたし、又反宗教無神論者指導下にあるソ連邦においてさえもキリスト紀元を用いられておるのであります元号とか紀元というものは、少くとも近代国家においては政治的主権というような問題には直接的な関係を持つものではないと申せます。併しながら我が日本国民感情を考えますと、決してドイツソ連と同様には行かないと思うのでありますドイツソ連では、過去におきまして長いキリスト教文化伝統がありましたので、国民キリスト紀元を用いても、それがキリスト教という一宗教特殊関係を持つておるということを全く感じない程までになつておるのでございます。非キリスト教的な宗教教派が別段に存在しないからでありましよう。ところが我が日本におきましては、国民圧倒的多数神道仏教に属しておりますキリスト教徒全日本人口のうちの僅々百分の一に過ぎんのでございます。ここで今後は一切キリスト紀元を用いる。少くとも公式文書ではキリスト紀元以外のものを用いてはならんということになると、神道人や仏教徒は何んだか、国家特にキリスト教を支持しておるように感ずるでありましよう。これは法理論的に申すのではございません。感情問題と申すべきでございましようが、政教分離憲法の円滑なる連用という点から考えますと、このような感情問題も極めて愼重を要することと存じます

 今日では国家公式文書に用いられるのと同様の元号が、神道人、仏教徒キリスト教徒のいずれによりましても用いられておりますが、国家キリスト紀元一本で行くことになりますと、神道仏教では自然国家と別の年代表示法を持つことになりましよう。神社の祝祠などにキリスト紀元を用いたり、仏教寺院の墓碑銘にキリスト紀元を用いることは、我々宗教人として想像し得ないことでございます。現にこの問題新聞紙上に報道せられますと、全国の神社人や氏子、崇敬者から随分と熱心な反対意見を申し送つて参つております過去東京新聞社の世論調査でも、現在のままの元号を存置するがいいという意見が、キリスト紀元一本の意見よりも二倍以上も多いということを報道しております。これはキリスト教文化伝統が浅く、神道仏教徒の多い日本世論としては当然のことであろうと存じます元号キリスト紀元の便利、不便利の問題や法理上の問題議論は多いここと存じますが、私は全国の神社神道人を代表する宗教人立場といたしまして、神道人も仏教徒キリスト教徒も、如何なる敵宗派に属する人も極めて自然に受入れることのできる元号を存続させて頂きたいと切に希望するものでございます日本人のあらゆる政派、教宗派の人々がひとしく国民統合象徴として仰いで来た皇室と縁りの深い元号が将来も尚用いられて行くことを我々は希望するものであります。右のような考えを持つております

第007回国会 文部委員会 第8号

昭和二十五年三月二日(木曜日

http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/007/0804/00703020804008c.html

 
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