はてなキーワード: 講談社現代新書とは
エックスでフォローしている研究者が「私の新書が出来ました」という言葉と共に書影のあるリンクをポストしていた。
前々からフォローしていただけあって私の興味のある内容のようで、これはめでたい、ぜひ購入して新書を読もうとリンクへ飛んだ。
飛んだ先には、確かにその新書の書影がある。そしてその画像には「わたしの現代新書、できました。」とある。
だがなぜかその内容や購入する方法が一切かかれておらず、その代わりになぜかでかでかと「AI編集者とつくろう!わたしの現代新書」という文字がある。
いや、私は別に新書を作りたくはないのだ。あの面白そうな親書を読ませてくれ。そう思いながらそのページを読んでも一切知りたい情報は書かれていない。
???となりながらも、もしかしたら電子書籍のような形で、自分が書いた文章を公開できるサービス?みたいなものなのか?
メニューを開いてみてもやたらと親書を作らせたがっている。なんなんだ。
仕方がないので「おすすめ60冊の一覧」というのを開いてみる。もしかしたらこの一覧に読みたい新書の情報があるかもしれない。
読みたい本を探しているときに知りもしない編集者のご尊顔が何の役に立つというのか。
知らない。知らないんだよお前らのことなんか。だれなんだ。どうでもいいんだ。本は?ここは出版社のホームページだろう。お前らは編集者なのだろう。
頼むから本を読ませてくれ。
だが、似顔絵の下にある一覧にはそれぞれAmazonへのリンクがある。この中にあればいいのだが…
しかし、一冊ごと1画面くらいの大きさで紹介されているので60冊から探すとなると60スクロールしなければいけない。
まぁいい。アマゾンへのリンクがあるということはすでに私の勝利は確定している。
60スクロールかけてじっくりと獲物を追い込むのも悪くない。
・・・ない。なかった。ないのかよ。
意味が分からない。フランツ・カフカの「城」を追体験するサイトなのか?いや、カフカの城は新潮文庫だからそれは無いか。
どうやら講談社現代新書の60周年を記念したサイトらしいことは分かったが、説明が無さ過ぎて意味が分からない。
しきりに本を作らせようとするが、その「本」とは何なのか?私は最初、出版されたのかと思ったが、どうやら違うらしい。
電子書籍のような形で公開されたものなのかと思ったが、どうもそうでもないらしい。
どうやらこれは、ユーザーが入力したタイトルで親書の表紙と帯をAI編集者がそれらしい画像と共に作ってくれて、その画像を使ったグッズが貰えるキャンペーンのようなものらしい。
インターネットでは昔からある「なんとかジェネレーター」みたいなやつか。
そうかそうか。いやいや私はすっかり騙されてしまったようだ。講談社の知的なユーモアセンスには脱帽だ。
クソみてぇなキャンペーンしやがってよ。
なにが「わたしの現代新書、できました。」だよ。端的に嘘じゃねーか。
ユーザー騙してリンク踏ませるってやってることがスパム業者と一緒だぞ。
嘘なら嘘でせめて開いた瞬間にそうとわかるように明示しろよ。
私の紅衛兵時代: ある映画監督の青春 (講談社現代新書 1008)
目次
●群仏──街に繰りだす紅衛兵
●狂灰──いくつもの死と生
概要
一九六○年代後半,中国の若者を熱狂させた紅衛兵運動は,いまや全面否定されるに至っている.しかし,そもそも彼らは何に反発し,いかなる理想を抱いていたのか.「紅衛兵」という名称の生みの親であり,運動初期のリーダーでもあった著者の体験と思索の遍歴から,文化大革命に激しく揺れ動いた時代の中国の姿が鮮やかに浮び上がる.
https://x.com/himasoraakane/status/1806139424671150100
【都知事選】石丸伸二氏「当選したら全ての都立高校の生徒会長に100万円配る」
https://twitter.com/honnoinosisi555/status/1525035509642211328
「被害者が、いじめられるのを拒否すると、多くの場合、加害者のほうが、このような「態度をとられた」ことに、独特の被害感覚、屈辱感、そして激しい憤怒を感じる。そして、全能の自己になるはずの世界を壊された「被害」に対して、復讐をはじめる」(内藤朝雄『いじめの構造』講談社現代新書、P79)
「被害者が、いじめられるのを拒否すると、多くの場合、加害者のほうが、このような「態度をとられた」ことに、独特の被害感覚、屈辱感、そして激しい憤怒を感じる。そして、全能の自己になるはずの世界を壊された「被害」に対して、復讐をはじめる」(内藤朝雄『いじめの構造』講談社現代新書、P79)
弱者男性につきまとわれ(加害)た女性は防衛のために「キモい」という言葉で弱者男性の拒絶を試みるが、弱者男性はそれを「被害」だと思っているんだな。
そもそも弱者男性が女性に付きまとうこと自体が加害であり虐めだという一般常識が全くなく、「自分はいきなり女性にキモいと言われた被害者だ」という認知の歪みがある。
マジレスすると学術書をきちんと読むのは大学教育きちんと受けてないと難しいし(大卒でもちゃんと読めない人一定数いるでしょ)、学術書って内容が細分化されててマニアックだから売れないと思う。仮にうちの分野の学術書が3,000円で売ってたら「安っ!」って驚くレベル。学術書は研究費で買うか人からもらうか図書館で借りるかするものであって基本的に個人で買って読むものではないんだよね(もちろん院生とかのときは身銭を切らなきゃいけないこともあるけどさ。あと『想像の共同体』みたいな有名な古典ならそこそこ安い)。
知的水準上げたいなら、新書と学術系選書の充実だろうね。岩波新書と中公新書とブルーバックスと岩波ジュニア新書は無条件で入れる、講談社現代新書はそれなりに入れる、ちくま新書は良さそうなのをピックアップして入れる、星海社新書や集英社新書や光文社新書は良さそうなのがあれば入れる、扶桑社新書とかは良いのがあったら入れる、くらいの感じ。選書系だと、講談社選書メチエ・筑摩選書・新潮選書・NHKブックス・河出ブックス・フィギュール彩・歴史文化ライブラリーあたりは全部入れておこう。文庫だったら岩波文庫・岩波現代文庫・講談社学術文庫・ちくま学芸文庫あたりを入れておくといいぞ。
2001年7月24日、仁川地裁は仁川国際空港公社に対し、「『オーマイニュース』記者が記者室に出入りし、取材することを妨害してはならない」という仮処分命令を出した。
これは『月刊現代』2002年9月号に掲載された、ある司法ジャーナリストの匿名レポートの再録です。
「導火線というのは、シュッシュッと音をたてていたと検察官は言っていますが、導火線は音を立てないで燃えるものです。芯が燃えていくと、色が少しかわるだけで、音なんかしません。私は鉱山で働き、工事現場で、いつも導火線を扱う仕事をしています・・・」
拷問での尋問と自白強要、これに基づく供述調書作成などが、同僚警官の告発書により明らかとなった。
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E4%BF%A3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
警察官が人骨を発見した後、また元どおり埋めているのを見て驚いたという記事が新聞に
ttps://megalodon.jp/2011-0301-0631-14/www.ne.jp/asahi/kojima/law/trail/trial_book_7_3.htm
「被疑者の衣服に被害者の血を垂らす」(p142)、「被疑者の毛髪を被害者の体につける」(p145)、「尿やDNAをすり替える」(p149、p158)
ttps://web.archive.org/web/20200119104435/https://www.amazon.co.jp/review/R1OACBI3K7O8KM/
自民党政権がなんらかの政策を行おうと「検討」をする。(この「検討」は内輪での「決定」と同じと思われる)
こういう流れが年間をとおして繰り返されているように見える。
はてなブックマークだけ見ていると、そこで見かけたコメントが世論そのものだと思い込む典型的なエコー・チェンバーに陥いるかもしれないからだ。
だがそれにしても、偶然にしては上記のような流れが多すぎる気もする。
やはりはてなブックマークは政治的な影響力があるのではないか?
もしあるとすれば、どういう因果関係でそうなっているんだろう?
霞が関で働いている人や政党の政策立案担当者が、情報収集のためにはてなブックマークを見ている可能性はありそうだ。
「保育園落ちた日本死ね!!!」というエントリは国会で紹介されて話題になった。
https://anond.hatelabo.jp/20160215171759
これは増田が政治的な影響力を持ったというよりは、エントリについたブクマ数が多かったせいで、これを国会に持ち込むことができる誰かの目にとまったはずだ。
もうひとつ考えられる可能性は、はてなブックマークが自民党の「ソーシャルリスニング」の対象になっていることだ。
民主党に政権を取られた後、自民党はネット上での選挙対策を強化した。
『情報参謀』 (講談社現代新書)という本は、自民党の初期のネット選挙対策を担った人が書いた本だ。この本の冒頭に登場して威圧的に著者と話すのは、現在の茂木敏充外務大臣だ。
ネット上で自民党の擁護工作を行う団体に自民党ネットサポーターズクラブがある。これは現在の平井卓也デジタル改革担当大臣(電通出身)が中心になって2010年に立ち上げた組織だ。
さらに自民党はネット上で世論対策をやるために、民間の調査会社にネットの監視を委託した。
その中には「ソーシャルリスニング」サービスを提供する会社(電通の資本が入っている)も含まれる。
ここからは仮説だが、自民党が使っている「ソーシャルリスニング」の指標にはてなブックマークのブクマ数が含まれているんじゃないだろうか。
おそらく複数の経路で、はてなブックマークが自民党の政策決定に影響を与えている、という仮説を立ててみる。
これを「陰謀論」だと断定するブクマコメントやトラバを残して、考えるのをやめるのは簡単だ。たぶん99%以上の人がそうするだろう。
だが社会科学的なリサーチの対象として、真面目に、計量的に調べて判断するにはどういうリサーチデザインをやったらよいのだろう。いまのところ自分にそれをやるスキルはない。なんとかしたいとは思っているのだが。
【追記】
確かに、別のソース(新聞雑誌等)の言説と比較してその影響(相関?)の程度を調べないと意味がなさそうですね。。。
そもそも「影響」という言葉の定義が曖昧すぎることに気づいた。
影響=「はてなブックマークの批判的なコメント数、ブックマーク数があるしきい値を越えると、自民党政権は報道された「検討」内容を撤回する傾向がある」ぐらいかな?
どっちも高くないで
単純に読む必要性を感じないだけ
あというほど読書家か?ブクマカどもは増田程度の文量も読めないよ
2020-07-11
ブクマカさんはてなーの大好きなクオリアおじさんこと茂木先生の本が出るよ
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200711093806
クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20200711093806
クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
クオリアと人工意識 (講談社現代新書) (日本語) 新書 – 2020/7/15
その「鏡」の中には、果たして、「クオリア」に満ちた私たちの「意識」もまた、映っているのだろうか?
人工知能をつくることは、「人工意識」を生み出すことにつながっていくのだろうか。
<本文より>
〇眠る前の「私」と、目覚めた後の「私」はなぜ同じなのか?
〇私たちは、「ホモサピエンス」(知性を持つ人間)である以上に「ホモコンシャス」(意識を持つ人間)である。
〇物質に過ぎない脳から、「意識」や「クオリア」が生まれてくる不思議。
〇人工知能をめぐる議論に、ときに驚くほど終末感が漂うのはどうしてなのか?
〇記憶を「外套」だとすると、脳は、その外套を引っ掛けておくための壁に打たれた「釘」に過ぎないという考え方。
〇「私」という「意識」は、この宇宙の全歴史の中で一回だけのものであり、一度死んでしまえば二度と戻らないという「セントラルドグマ」は正しいのか?
家近良樹『歴史を知る楽しみ』(ちくまプリマー新書、2018年12月)
石川松太郎監修・小泉吉永編集『女大学資料集成〈別巻〉』(大空社、2006年)
伊藤セツ『山川菊栄研究――過去を読み未来を拓く』(ドメス出版、2018年12月)
今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』(ベストセラーズ、2014年)
岩田真美・桐原健真編『カミとホトケの幕末維新』(法蔵館、2018年11月)
大塚英志『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』(星海社新書、2017年)
小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川学芸出版、2016年)
金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』(慶応義塾大学出版会、2017年)
上條宏之『絹ひとすじの青春――『富岡日記』にみる日本の近代』(NHK出版、1978年)
神谷大介『幕末の海軍――明治維新への航跡』(吉川弘文館、2018年1月)
神谷大介『幕末期軍事技術の基盤形成――砲術・海軍・地域』(岩田書院、2013年)
佐々大河『ふしぎの国のバード』1~3巻(ハルタコミックス、2015~16年)
サビーネ・フリューシュトュック他編『日本人の「男らしさ」――サムライからオタクまで 「男性性」の変遷を追う』(明石書店、2013年)
篠田信一『殴り合う貴族たち――平安朝裏源氏物語』(柏書房、2005年)
中公新書編集部編『日本史の論点――邪馬台国から象徴天皇制まで』(中公新書、2018年8月)
内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書、2019年2月)
中野節子『女はいつからやさしくなくなったか』(平凡社新書、2014年)
長山靖生『帝国化する日本――明治の教育スキャンダル』(ちくま新書、2018年9月)
本郷和人『戦いの日本史 武士の時代を読み直す』(角川学芸出版、2012年)
松浦だるま『累』全14巻(イブニングコミックス、2013~18年)
宮地正人『日本史リブレット人68 土方歳三と榎本武揚 幕臣たちの戊辰・函館戦争』(山川出版社、2018年8月)
森正人・鈴木元編『文学史の古今和歌集』(和泉書院、2007年)
山川菊栄記念会・労働者運動資料室編『イヌとからすとうずらとペンと 山川菊栄・山川均写真集』(同時代社、2016年)
山本ルンルン『サーカスの娘オルガ』第3巻(完)(ハルタコミックス、2019年)
吉田麻子『知の共鳴 平田篤胤をめぐる書物の社会史』(ぺりかん社、2012年)
和田裕弘『織田信忠――天下人の嫡男』(中公新書、2019年8月)
渡部周子『〈少女〉像の誕生――近代日本における「少女」規範の形成』(新泉社、2007年)
渡邊大門『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』(PHP新書、2019年9月)
渡辺尚志『江戸・明治 百姓たちの山争い裁判』(草思社、2017年)
★再読★
鬼頭宏『日本の歴史19 文明としての江戸システム』(講談社、2002年)
ニコライ著・中村健之介訳『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫、1979年)
中屋敷均『ウイルスは生きている』(講談社現代新書、2016年)
家近良樹『歴史を知る楽しみ』(ちくまプリマー新書、2018年12月)
石川松太郎監修・小泉吉永編集『女大学資料集成〈別巻〉』(大空社、2006年)
伊藤セツ『山川菊栄研究――過去を読み未来を拓く』(ドメス出版、2018年12月)
今井幹夫『富岡製糸場と絹産業遺産群』(ベストセラーズ、2014年)
岩田真美・桐原健真編『カミとホトケの幕末維新』(法蔵館、2018年11月)
大塚英志『日本がバカだから戦争に負けた 角川書店と教養の運命』(星海社新書、2017年)
小川剛生『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』(角川学芸出版、2016年)
金澤裕之『幕府海軍の興亡 幕末期における日本の海軍建設』(慶応義塾大学出版会、2017年)
上條宏之『絹ひとすじの青春――『富岡日記』にみる日本の近代』(NHK出版、1978年)
神谷大介『幕末の海軍――明治維新への航跡』(吉川弘文館、2018年1月)
神谷大介『幕末期軍事技術の基盤形成――砲術・海軍・地域』(岩田書院、2013年)
佐々大河『ふしぎの国のバード』1~3巻(ハルタコミックス、2015~16年)
サビーネ・フリューシュトュック他編『日本人の「男らしさ」――サムライからオタクまで 「男性性」の変遷を追う』(明石書店、2013年)
篠田信一『殴り合う貴族たち――平安朝裏源氏物語』(柏書房、2005年)
中公新書編集部編『日本史の論点――邪馬台国から象徴天皇制まで』(中公新書、2018年8月)
内藤一成『三条実美 維新政権の「有徳の為政者」』(中公新書、2019年2月)
中野節子『女はいつからやさしくなくなったか』(平凡社新書、2014年)
長山靖生『帝国化する日本――明治の教育スキャンダル』(ちくま新書、2018年9月)
本郷和人『戦いの日本史 武士の時代を読み直す』(角川学芸出版、2012年)
松浦だるま『累』全14巻(イブニングコミックス、2013~18年)
宮地正人『日本史リブレット人68 土方歳三と榎本武揚 幕臣たちの戊辰・函館戦争』(山川出版社、2018年8月)
森正人・鈴木元編『文学史の古今和歌集』(和泉書院、2007年)
山川菊栄記念会・労働者運動資料室編『イヌとからすとうずらとペンと 山川菊栄・山川均写真集』(同時代社、2016年)
山本ルンルン『サーカスの娘オルガ』第3巻(完)(ハルタコミックス、2019年)
吉田麻子『知の共鳴 平田篤胤をめぐる書物の社会史』(ぺりかん社、2012年)
和田裕弘『織田信忠――天下人の嫡男』(中公新書、2019年8月)
渡部周子『〈少女〉像の誕生――近代日本における「少女」規範の形成』(新泉社、2007年)
渡邊大門『関ヶ原合戦は「作り話」だったのか 一次史料が語る天下分け目の真実』(PHP新書、2019年9月)
渡辺尚志『江戸・明治 百姓たちの山争い裁判』(草思社、2017年)
★再読★
鬼頭宏『日本の歴史19 文明としての江戸システム』(講談社、2002年)
ニコライ著・中村健之介訳『ニコライの見た幕末日本』(講談社学術文庫、1979年)
中屋敷均『ウイルスは生きている』(講談社現代新書、2016年)
>プロフィール画像の背景は、 http://twitpic.com/81moa2 福島原発事故の危険性について(個人的考察): http://bit.ly/hPeUyF 物性理論の研究者@東京大学物性研究所
韓国やイタリアなどは、軽症あるいは無症状の感染者も最大限捕捉して、そこから感染が広がるのを抑えようとしています。専門家会議は、そのような努力は日本では非現実的として既に放棄したわけです。もはや全国的な蔓延は諦めており、ピークを抑えられるかどうかの「瀬戸際」を論じています。 https://t.co/vukyBWqFec— Masaki Oshikawa (押川 正毅) (@MasakiOshikawa) 2020年2月24日
>大学教員。専門はこの世。Literature, Culture, and Society. Kunitachi, Tokyo.著書に『戦う姫、働く少女』(堀之内出版)など。 講談社現代新書ウェブサイトにて「イギリス階級物語」を連載中。ご連絡はs_kono400あっとhttp://yahoo.co.jp まで。
テレビではイタリアや韓国の徹底的に見えるウイルス対策を報道してて、明らかに日本の無策が浮き彫りになっているのだけど、それは言わないのね。— 河野真太郎/Shintaro Kono (@shintak400) 2020年2月24日
>東京大学 東洋文化研究所 教授 (マイケル・ジャクソンのブログはこちら http://ameblo.jp/anmintei/ )平智之氏より、二代目「とんち博士」を襲名。
イタリアがやってるんだから、日本もやるべき。 https://t.co/zKAGocQqHR— 安冨歩(やすとみ あゆみ) (@anmintei) 2020年2月24日
https://togetter.com/li/1323842
…とかで話題になってるこの話、自分は1990年頃に、新書の後書きで読んだ記憶がある。
内容は
『童夢』が出て評価された(SF大賞をとった1983年あたり?の)時期に、パーティで同席した大友に手塚の方から寄ってきて
「大友くん、童夢を見たけど、あのマンションが崩壊するシーン、すごいね。ボク一つずつ定規をあてて確かめたんだけど、破片の一つずつも、パースが狂ってない」
と言われて、大友が「ありがとうございます」とか何とか受け答えしたら、手塚がじっと大友の顔をのぞき込んで
「でも、僕もあの絵は描けるんだよ」
と言った
的な話だった。十分狂気を感じさせるこの話、著者がどこから仕入れたんだかは知らないけど、そういうわけでこれはかなり古くから流通してる話で、今更関係者の証言とか又聞きで噂されてる話とかではないはず。たしか「手塚が死んだ(1989)からこういう話も表に出るようになったんだなー」と思った記憶があるので、おそらく、この本かと思う。レビューとかで見た本の内容的にもそれっぽい。
日本語がまともに読めない日本人が世の中に大勢存在するというのはショッキングな事実などではなく、普通は中学の段階で察する常識だ。公立校の教師は頭が悪すぎて優秀な生徒に呆れられているし、クラスメイトの大部分もやはり頭が悪くテストの平均点はいつも異常に低い。この事実を知らない人は中高一貫校の私立出身なのだろう。
ところで、「新書」と言ったら普通は「岩波新書」「ちくま新書」「講談社現代新書」「中公新書」などを指すが、世間の人たちは割と「ハードカバーの新刊」のことだと思っていたりする。
新書はあまり賢くない人たちでも読めるように易しく書かれたものがほとんどだ。だが世間のあまり賢くない人たちははあまり賢くない人たちに向けて書かれた新書すらまったく読まない。読まないから存在すら知らないのか、存在を知らないから読まないのか。とにかく彼らは新書という言葉を知らない。専門書など読まないし読めもしない彼らが直接的に知へアクセスするのは難しい。だからこそ新書がある。あまり賢くない人たちでもその気になれば知へアクセスできるようになっている。だが、その新書が存在すら知られていない。これではあまり賢くない人たちは人生において知に触れる機会がほぼまったくないということになるのではないだろうか。
おそらく彼らには知に触れるという発想自体がない。彼らにとって世の中はとにかく簡単で、いつも通りの馴染みのやり方ですべてが解決が可能で、すべての情報は彼らが既に知っている情報の確認でしかない。だから新しい考え方というものを知らないし、当然多様な考え方があることも理解できない。「今までこれでうまくいっていたのに!」となる。ネットでもよく見た光景である。
読まなくてもいいので新書というものの存在くらいは知っておいてほしいと思う。ふと気が向いた時に扉をあけてみたらいい。扉があることを知らなければ開けようもないが。
【承前】
https://anond.hatelabo.jp/20190216023228
本章では、オタク同士の関係性をテーマにした創作作品や、バーチャルYouTuber同士の関係性が消費されることについてより深く考察していく。
1章で述べたバーチャルYouTuber同士の関係性に視点を戻すが、バーチャルYouTuberは現在6000人が活動している。その中で人気を得ている配信者こそ、関係性を構築し、バーチャル上での物語を消費者に提供しており、姿かたちや趣味嗜好こそ多様なものの、ひとくくりにいえば大体の生まれは「オタク」である。つまり、「オタク」だからこそ萌えられるキャラクタと関係性をセルフプロデュースし、それをまた「オタク」が消費しているのだ。これがループのように連続することで、時には自らも憧れてバーチャルの世界に踏み込んでいくためにバーチャルYouTuberは日々増え続けているのである。自分の人生や趣味嗜好を、キャラクタというフィルターを通すことでシェアし、自らが創作物/キャラクタそのものになるということは、自伝やエッセイを執筆し、その読者と直接対談するようなことだ。「オタクの人生」を物語として消費し、絶え間なく新たな物語と関係性が発生していくというコンテンツに、オタクは萌えることができる。たとえパーソンが基底現実においてどんな人物であったとしても、「生けるキャラクタ」としてのバーチャルオタクの魅力に、オタクはシンパシーと巨大なエモーショナルを感じざるを得ないのだ。自分と近しい存在の人生を物語として消費することは、永久機関のような底の知れない魅力を持っている。
また、「このマンガがすごい!2019」*4 では、オンナ編第1位に鶴谷香央理「メタモルフォーゼの縁側」(2018)、第8位に町田 粥「マキとマミ」がランクインしており、この作品はどちらも腐女子同士の関係性を主題としたものである。2章で述べた「腐女子」特有の親密さは、既に広く認知されており、さらに創作物として女性からの支持を強く得ているということである。この背景にも、自らのオタク的言動やコミュニケーションを「あるある」と思いながら読むような自伝・エッセイ的な要素ももちろんのことだが、「腐女子特有の親密さへの愛着」や「登場する腐女子同士の関係性のリアリティに即した萌え」が確実に存在していると考えている。
上記のようにキャラクタ化したオタクや、親密さの自覚を持った腐女子は、基底現実においても関係するようになる。1章で述べた「バーチャルYouTuber同士が三次元で会った時の飲食物の画像」や、腐女子特有の「なりきりアカウント」文化の「背後交際」などが主な例だ。バーチャルYouTuberでコラボ放送をしていた親密なパーソン同士が3次元でも会うようになり交際に至ったという例も、キャラクタとして表沙汰にならずとも存在する。また、腐女子コミュニティにおける「なりきりアカウント」とは、主にTwitterなどで作品のキャラクタのロールプレイをし、自分の好きなカップリングの相手とネット上で交際したり、同作品のキャラクタと日常会話をする文化である。このアカウントの運用主を「背後」と呼ぶのだが、彼女たちは基底現実でもオフ会をし、実際にロールプレイで交際していた相手と現実でも交際に至ることがあるという。
つまり、関係性消費が加速し、自らもキャラクタ化したオタクは、パーソン同士としての基底現実でも「萌える関係性」を実践しているのである。この状況において、「わたしたちの関係性は萌える」という自覚の有無はもはや必要ない。パーソンとキャラクタの境界があいまいになり、オタクは自らを自らで消費することが可能になっていくのだ。
本論では、関係性消費が牽引していくというトピックからオタクそのもののキャラクタ化、そして完全なる相互消費の永久機関にまで言説が行きついてしまった。しかし、現実での関係性消費において立ち上がってくる問題はやはりジェンダーとルッキズムである。これに対するアンサーは2つある。1つは、すべてのオタクが理想のバーチャルキャラクタとしての3Dモデルの肉体を手に入れることである。バーチャル空間での関係性の構築はYouTubeだけでなく、「VRchat」という果てしない多様性を持ったもう一つの世界ともいえるVR空間でも今まさに進行中だ。全オタクが理想のキャラクタとなり、主体的に交流してその関係性すべてを消費することができれば、そこにはジェンダー格差もルッキズムによる格差も存在しなくなるのではないだろうか。2つ目は、キャラクタ化しない、あるいは関係性に参入せずあくまでも傍観者としての消費・あるいは創作を貫く選択肢を選ぶことである。2章で述べたように、創作物と消費者のセクシャリティ/あるいは創作物と作者のセクシャリティなどは分けて考えるべきというスタンスに基づく在り方である。
これらの二つの未来像は両極端にも見えるが、しかしこれらが混じりあい議論が巻き起こっているのが現状である。しかし、バーチャル空間上でのルールやマナーが議論の末に整えば、それぞれが理想の関係性を追い求めて基底現実とバーチャル世界を横断していくようになるのではないだろうか。創作だけに留まらず、現実世界と拡張現実へ侵食する「関係性消費」は、しかし古典の時代から物語として脈々と行われてきた文化である。オタクと文化、双方がその形を変えて混じりあう瞬間に、今わたしは立ち会っていると思うと感慨深い。
関係性を志向するファンたちのこれからは、今後のオタク市場の動向と、バーチャル技術の発展にかかっていると感じた。これからもジェンダー・セクシャリティ論とカルチュラルスタディーズ、両方の視点からわたしも一当事者として今後の動向を研究していきたい。
【引用文献】
*1 東園子,2015,「宝塚・やおい、愛の読み替え 女性とポピュラーカルチャーの社会学」新曜社
*2 難波優輝,2018,「バーチャルYouTuberの3つの身体 パーソン、ペルソナ、キャラクタ」『ユリイカ』第50巻:117-125
*3 斎藤環,2009,「関係する女 所有する男」講談社現代新書
*4 このマンガがすごい!編集部,2018,「このマンガがすごい!2019」宝島社
【参考文献】
玉川博章,名藤多香子,小林義寛,岡井孝之,東園子,辻泉,2007,「それぞれのファン研究 I am a fan」風塵社
山岡重行,2016,「腐女子の心理学 彼女たちはなぜBLを好むのか?」福村出版
2014,「ユリイカ 特集*百合文化の現在」第46巻第15号 青土社
2018,『ユリイカ 特集*バーチャルYouTuber』第50巻第9号 青土社
【あとがき】
期限ギリギリで提出したので粗も多いが、これをベースにディスカッションできる地盤固めができたので良かったと思っている。オタク!人生で遊んでいこうな!