はてなキーワード: 辻加護とは
自分が書いたのかと思った…!
増田さんが、ご自身で呪いを解き始めていて読んでいて泣きそうになってしまった。ちょっとだけ自分語りさせておくれ。
小学生の頃ストレートパーマ全盛期(辻加護ちゃんの直毛ヘアがブームだった)だったんだけど、わたしはくるくるの天パ+ふくよかな体型だったから、当時はブロッコリー・おばさんパーマ・天パがうつるだの男女問わずめちゃくちゃにイジられて、心のバランスが取れなくなった結果道化するようになった。
「くるくるビーム出すぞ!ワァー!」とかふざけて返すようになってから、自然といじりも収まり、クラスのおもしろキャラに昇格した。めでたしめでたし、のように思えるけど、その時強烈に「自分はみんなと同じスタートラインに立つにはふざけないといけないハンデがあるんだ。おしゃれしてはいけない側の人間なんだ。可愛い女子グループには一生入れないんだ」と思ったんだよね。実際ピエロ役をやめようとすると「キャラじゃない」「突然どうしたのw」など女子たちに揶揄されまくって、心がボキッと折れたのもある。
変われたきっかけは増田さんと全く同じで、社会人から一人暮らしを始めたら周囲に容姿を揶揄する人がいなくなり、自炊をしたらげそっと痩せた(標準体型になった)。あれ、これはおしゃれしても許されるかもしれないと思った。世間で天パがゆるふわと呼ばれ始めて市民権も得たのも大きかった。紆余曲折あって今はアパレル企業で働いている。あんなにおしゃれが怖くてお店に入るのすら憚っていた人間が、まさかお店の中の人になるとは思わなかった。(販売員ではないんだけどね)
一度極端に削り取られた自尊心というか、自己肯定感はなかなか埋められないし、私の場合つい癖でピエロをやったり自虐をやったりしてしまうのだけど、幸いなことにいじってくる人のいない・容姿をよく見せようとする努力を素直にいいね、と言ってもらえる環境に身を置いてることで、少しずつ傷は癒えていると思う。増田さんも、いい人たちの中で仕事ができているようで良かった。増田さんのお人柄もあると思うよ。もう、ブスという呪いはといていいんじゃないか、と思う。わたしは、徐々に自分の髪型も、体型も、自分自身もちょっとずつ好きになれてきているよ。
10年ちょい前。
俺中3。
テキストサイト全盛~やや衰退期。
ISDN。
通信速度は7kb/sとか。
アングラとかプロキシって言葉がさも大層なものに聞こえて(当時はググるなんてことはできなかった。yahoo全盛期。)、友達がすごく頭がよく見えた。
(アイコラサイトでやたら見かけるから相当需要があるんだろうなとは思ったけど。)
慣れない人差し指タイピングで長時間かけてノリツッコミを書き、すごく明るくておちゃらけてノリのいい男を演じていた。
事前に友達がプリクラを渡していたらしく、ジャニーズの誰それに似てる~と言われており、お互いまんざらではない感じだった。
数ヶ月メールをやりとりして、紹介してくれた友達とそのメル友と合わせてダブルデートすることになった。
女子と付き合ったこともない、メールで増長しまくっただけの薄っぺらい人間がそれに耐えられるわけもなく、終始友達の陰に隠れるような形でろくに話せなかった。
その日以来メールの返事は来なくなった。
ブスのくせに生意気な、と内心で負け惜しみをぶつぶつ言ってた。
実際、可愛くはなかったけど、ここまで明らかに切られるってのはきついなーとかなりショックを受けた。
それからもMSNメッセンジャーとyahooゲームで小学生とか中学生とかと仲良くなっては疎遠になりを繰り返した。
有名人の電話番号を売るという人間がいて、真偽確認のために後払いということで郵送してもらった。
そんで電話かけたらほんとにかかった。
マジだーと思ったけど怖くなってお金は払わなかった。
今考えたら住所氏名バレてるから怖すぎるんだけども。
ファイル共有ソフトで拾ったのかな、とか今なら思える。
つーか今考えたらただの同姓同名って方が可能性高い。
あとはチャット。
そんで受験だから自重しようということで、いついつにまたチャットルームで会おうと約束したが結局行かなかった。
今思い出すだけでも恥ずかしすぎて死にそう。
高校生になってケータイを買ってもらってADSLも普及してきたけど、運動部に入ったのと、家のネットがISDNのままだったから自然とネットからは離れていった。
大学生になってからまとめサイトとか2chとかに入り浸って堕落した。
そして今に至る。
ご存知、タレントを集めて学力テストをさせ、馬鹿すぎる誤答を晒してイジる人気企画。
いつのまにか女子高を模して女タレントばっかり登場する企画になっていた。
小森純とはるな愛が可愛いかどうかは意見の別れるところかもしれんが俺は雑食なのでなんでも好きだ。
3人出てるAKB軍団と、重盛さと美は文句なしに最高に可憐だ(重盛が一番タイプだ)。
しかし、あいつらあまりにも馬鹿すぎる。なにか脳に障害でもあるんか?
単純な足し算でつまづく。小学校レベルの漢字が書けない。中1レベルの英語が読めも訳せもしない。
出題範囲は小中学なのに、てんで正解できてない。
女は多少馬鹿な方が可愛いとか言うけど、あそこまで馬鹿だと度肝を抜かれすぎて、むしろ気持ち悪い。
かわいい女の子大好き^^と思って喜び勇んで見はじめたはずなのに
いざ誤答イジリが始まったらなんか知らんがあまりの馬鹿ぶりにゾッとしてしまった。
昔男女混合だった時の放送は、よゐこ浜口とかのバカ誤答に腹抱えて笑ってたし
イケメンでも醜男でも、男が馬鹿晒して笑い取るのはあんまり気にならない。
なんでかわいい女に限っては、馬鹿ぶりを目の当たりにすると気持ち悪いのか、自分なりに考えてみたが
おそらく、俺は見た目のかわいい彼女たちに一度は一目惚れして、イイな!と感じるが、
彼女らの衝撃的な馬鹿ぶりのせいで一気に恋愛対象から外れてしまい、心の底からどん引きしてしまうんだ。
だから、なんだか超スピーディーな失恋を味わったようなショックを受け、不快感を催す。
(まあ俺なんかは彼女たちと実際対面したら歯牙にもかけてもらえないしがない一般人なので、上から目線な話ですが。)
あと思い返してみれば、昔の男女混合時代のこの企画には
たしかモー娘。矢口とか辻加護とかも出てて、そいつらの馬鹿ぶりは別に気にならなかった。
それは多分あの子らがもともとオバカを自己申告してて、ウリにしてたからだ。
俺は馬鹿が嫌いなので、馬鹿を自己申告してる奴はそもそも好きになれない。よって失恋もない。
なんか調べてみたら重盛さと美ってそもそも馬鹿がウリのキャラのようだが
俺の場合それを知らなかったので、まんまと一目惚れしてしまったんだ。
あと、もしかしたら「あれはヤラセだ、馬鹿を演じてるんだ、実は賢いんだ」というご意見があるかもしれないが
自分自身馬鹿女が嫌いなので、馬鹿を演じることでなんのメリットがあるのか理解できない。
好きで馬鹿のふりしてるんだとしたらそれはそれでやっぱり気持ちが悪い。
結局なにがいいたいのかというと、
改変元→http://anond.hatelabo.jp/20080721222220
まあ、どのくらいの数のハロヲタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「ハロヲタではまったくないんだが、しかし自分のヲタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らない最近のHello!Projectの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、最近のハロプロを紹介するために
聴かせるべきシングル10枚を選んでみたいのだけれど。
(要は「宇多丸のマブ論」の正反対版だな。彼女にアイドル世界を布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、経済的に過大な負担を伴うイベントDVDやコンサートDVDまでの言及は避けたい。
できればマキシシングル、例外としてミニアルバムも可としたい。
あと、いくらハロプロといっても古びを感じすぎるものは避けたい。
市井ヲタが『青いスポーツカーの男』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じなので、2003年以降の作品に限った。
彼女の設定は
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「辻加護卒業以前」を濃縮しきっていて、「辻加護卒業以後」と「久住加入以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。2もあるし。
ただ、ここでヲタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、ヲタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「ヲタクが考える一般人に受け入れられそうなユニット(そうヲタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「ハロヲタとしてはこの二つは“混成ユニット”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のアイドルヲタが持ってるアダルトなエロスへの憧憬と、あき竹城監修のクチャーズ的な衣装へのこだわり((そんな事実はない))を
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにもつんく♂な
の二人をはじめとして、ヲタ好きのする仕草を振り付けにもちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを聴いた彼女は「ビーチボーイズだよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これが美貴ヲタでは大人気になったこと、
美貴ヲタならこれがミリオンになって、ハロプロ大復活の原因になってもおかしくはなさそうとすら思っているのに、
キッズヲタにこういう感性が理解されないこと、なんかを非ヲタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりハロプロは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「Buono!」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかけるnkskの思いが好きだから。
断腸の思いで雌伏の時期を経てそれでもイマイチ意味不明のユニット、っていう不遇さが、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「キッズオリメン」ということへの諦めきれなさがいかにもnksk的だなあと思えてしまうから。
nkskのダンスを俺自身は最高とは思わないし、まだ伸びしろはあるだろうとは思うけれど、一方でこれが
夏焼雅や鈴木愛理だったらきっちり一万枚は売ってしまうだろうとも思う。
なのに、がきさん・みっつぃー・nksk・ちさとでユニットを作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないハロヲタ」としては、たとえnkskがそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今のキッズヲタで安倍のシングルもチェックしてる人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
キッズ発表を含むハロマゲドンよりも前の段階で、つんく♂の哲学とかアイドル理念とかはこの人物で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がセールス的に振るわなくてもこの時代にもリリースできるんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくハロプロ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆる黄金厨的視点でしか安倍なつみを知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
嗣永桃子の「尻」あるいは「キャラづくり」をヲタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない青春を毎日生きる」的な感覚がヲタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそ2007年SSAでのBerryz単独コン「桜満開 Berryz工房ライブ?? この感動は二度とない瞬間である!」のクールダウン用VTRは本作所収の「ありがとう! おともだち」以外ではあり得なかったとも思う。
「青春化した30代を生きる」というヲタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「ヲタクの気分」の
源は「ありがとう! おともだち」にあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういう女は早起きして薄化粧くらいしとけ風味の恋愛をこういうかたちで歌詞にして、それが非ヲタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的に℃-uteを選んだ。
娘。から始まって℃-uteで終わるのは全然収まりはよくないんだろうけど、℃-uteのメジャーデビューとなった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。℃-uteに全く触れないわけにもいかなかったし。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
I-Pod表記でiPodを意味する人はI-PodとiPodを同一視しているわけだ。同一視しているということは、区別がつかないんだよね。区別がつかないってのは、区別をつける能力が無いの。脳に区別をつける回路が無いんだよね。能力が不足している、簡単に言うと能無しってことだ。
日本人ってさ、外国人や外国の区別がつかないよね。お前らオランダ人とベルギー人の違いわかんないだろ。イランとイラクの違いも。外国人の顔が全部同じに見えるって、よく言うだろ。逆にあっちの人たちはさ、日本と北朝鮮の区別つかないんだよ。日本と中国も区別つかないわけ。やつらは日本に来たら日本人の顔はみんな同じにみえるんだよ。辻加護の区別がつかないオヤジと同じだ。
この「区別がつかない」っていう能力不足は、みんな根が同じわけ。脳に区別回路が無いの。つまり「I-PodとiPodを同一視」と「日本と北朝鮮を同一視」は同じ原因の間違いだってこと。同じくらいひどい勘違いだって主張したいわけ。
間違うなって言ってんじゃないよ。間違うのはしかたない。区別する能力が無いんだから。でもね、能無しだからといって、失礼が免責されるわけじゃない。
大切なのは、間違いに気づいたときにどうするか、だよ。人は困難な状況でその本性を現すよね。自分の間違いを指摘されたとき、その人の本性が少し見えるよ。内容と関係ないことで誤記を指摘されたらさ、モヒカンうざいっていう気持ちは分かるよ。でもね、名前を間違えたらさ、まずは失礼をわびようよ。名前を間違えた対象に失礼したんだからさ。「失礼しますた」の一言でいいよ。モヒカンと戦うのはその後だ。
名前じゃない間違いあるよね。的を得るとかさ。そういうのは誰にも失礼じゃないから、誰にも謝る必要無いよ。堂々とモヒカンと戦うといいよ。