はてなキーワード: 被爆者とは
2006年頃のこと。ニコニコ動画に「ハレ晴れユカイを広島の平和記念公園で踊ってみた」といった動画が投稿された。そこにはたしか、原爆ドームをバックにそこそこの数の人たちが音楽に合わせダンスを踊る様子が収められていたと記憶している。違ったらごめん。単に平和公園内で踊っていただけかも。
ともあれ、あの頃、涼宮ハルヒの憂鬱が大ブームを巻き起こしていた頃。全国でオタクたちが「ハレ晴れユカイを踊ってみた」動画を作成して、ニコニコ動画などに投稿していた。平和祈念公園での踊ってみた動画もそのひとつだった。
投稿された動画を見て、広島市生まれ広島市育ちの私は「楽しそうなことやったんだな」と思った。単なるオタクたちの思い出作りだと。いいよねそういうの、と。
ところが、動画に流れていたのは、楽しそうな雰囲気に全く似合わない大量の批判コメントだった。「平和を祈る神聖な場所で踊ってみたなんてありえない」「被爆者を侮辱している」…そんな感じのコメントが溢れていた。
率直にびっくりした。「どういうこと?」と首を傾げた。え、だって平和公園だよね? 平和公園でダンス踊ってる人たくさんいるし、音楽を奏でる人もわりといるし…、集まったのだってせいぜい数時間くらいで、ゴミをばらまいたわけでもないなら、特に誰にも迷惑かけてないよね?と思った。そりゃはたから見れば変な集団だったろうけれど。でもコーラスしてる集団とか時々見かけるし。原爆ドームの前で動画を撮ったのがよくなかったのかな? でもあれって単に広島らしさの象徴であって、そりゃ中指立ててたとか明らかに貶める目的なら炎上することもあるだろうけど、ダンスだよね? 考えても、なぜ炎上したのかよくわからなかった。
騒動を知った周囲の10〜20代のオタクたちも一様に首を傾げていた。特に広島育ちは「平和祈念公園で原爆ドームをバックに撮った動画で批判? 何で? 誰が批判してるの? というか、駄目なの?」など、私と同じ感想を持つ人が多かった。ただし、「うーん、でも、よその人から見れば不謹慎かも…」。県外から広島に来た人たちは、そう言っていた。
あの頃は少なくとも、広島に住む一若者からすれば、平和祈念公園が神聖で特別な場所になるのは8月6日だけだった。せいぜい、その数日前には式典準備が始まるから、邪魔はしないようにと思っていたくらいで、日頃は踊る人も歌う人も奏でる人もいた、ただの広い公園だった。まあ夜になると治安が悪いとはよく言われていたけれど。とはいえ、今よりずっと身近だったのは間違いない。
一体誰があの時、不謹慎だとコメントを書き込んでいたのだろうか。私は勝手に、多くは広島市外の人だろうと思っている。広島以外の人たちからすれば、平和公園は厳かに平和を祈る場所であって、ハレ晴れユカイを踊る場所ではなかったのだろう。(もちろん、広島市民にも不快な思いをした人がいなかったとは言わない。単純にオタクが気持ち悪かったとか。)
あの炎上以降、私の中に平和祈念公園は8月6日以外でも「特別な場所」であるという意識が芽生えた。今の50・60代以上の世代の人たちが幼い頃は、あの広い芝生の上でピクニックをしていたらしいが、最近は、踊る人も歌う人も奏でる人もめっきり見なくなった。暑いからというだけではない。
いまだに、8月6日以外の平和公園が特別な場所である必要はないと思っている。暴力と無縁であり、園内を汚さないのであれば、歌ったり踊ったり奏でたりする人がいる場所の方が、憩いに近い存在ではないかと。まあ今更遅いのだろうけれど。
こんな事を言う奴も、それに賛同する馬鹿が多いのも理解出来ない
こいつらは結局原爆の被害を「ポリコレ叩きの道具」としてしか捉えていないらしい
マジで全く理解出来ないんだけど、なんで自分自身が被爆者でもない奴等が、自分達に原爆弄りを許す権利があると勝手に思い込んでんの?「日本人だから」なの?
被爆国ナショナリズムなるレッテル貼りには反対だが、こういう意見がこうも支持を得ている以上はそれも仕方がないだろうと思わざるを得ない
https://twitter.com/PKAnzug/status/1685854481970593792
𝑷𝑲𝑨
@PKAnzug
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バービーハイマーの件は、また英語圏の奴が日本に向けてポリコレポリコレしてきた時に、「お前ら、うちの国民の虐殺に使った兵器をおもしろネタにしたのをロクに咎めもしなかったのに、今更何がポリコレだ。頭バービーかよ」って返せる形で向こうが自爆してるだけなので、まぁ。
日本法人謝罪「バービー」抱き合わせの「オッペンハイマー」がヒットだが…
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/76335
映画業界通によれば、ユニバーサルが満を持して公開した「オッペンハイマー」は、バービー人形の世界を実写化したコメディー映画「バービー」(ワーナーブラザーズ)との抱き合わせ。
2作品を同日に観られるようチケットを発売する「バーベンハイマー」(Barbenheimer)と呼ばれる鑑賞方法が功を奏した、と見ている。
もっとも、これに悪乗りしたワーナーブラザーズは7月31日、「バービー」に合成された原爆投下を想起させる画像の投稿に対し、同作品の米公式アカウントで好意的な反応を示した。
この映像は、原爆投下を想起させる背景に(オッペンハイマー役の)キリアン・マーフィーが右手を上げて喜ぶ(バービー役の)マーゴット・ロビ―を肩に乗せているもの。
「オッペンハイマー」は、公開と同時に副次的な現象を起こしている。
原爆第1号を投下実験したニューメキシコ州トリニティ・サイト周辺地域に住む住民の被爆者補償運動が再燃したのだ。
1945年7月16日午前5時29分、アルバカーキーから203キロ離れた実験地「トリニティ・サイト」*1で人類初の原子爆弾が投下された。
(略)
高さ30メートルの鉄塔の上に固定されて投下された原爆は、「アントロポセン」(Anthropocene=人新世)の幕開けでもあった。
当時は、原爆実験周辺の村落住民が被爆したという話は聞かなかった。
しかし、その後110キロ離れたトゥラローサ(Tularosa)に住む住民の中から脳腫瘍や唾液腺ガンに罹る者が続出した。
米国には「放射線被ばく補償法」(Radiation Exposure Compensation Act=2022年制定)があるが、トゥラローサ住民は法定適用基準を満たしていないとの理由から補償を受けていない。
そうした動きに追い風となるプリンストン大学、コロラド大学ボールダー校などの科学者が共同で行ってきた研究成果が7月20日公表された。
それによると、トリニティ・サイトで投下された原爆は4日後には2400キロ離れたカナダ東部トロント郊外のクロフォード湖にも拡散されていたことが判明した。
ひええええ
「制作者の作品に込めた執念などはまるっきり分かっていないのだろう。第2次大戦とは何だったのか、原爆が投下されてどのくらい人が死んだのか全く知らない無知な人間たちが、うようよいる」
高齢者たちは世界に先駆けて原爆を製造した古き良き時代を描いた映画を満喫しようとした。
中にはバービー人形のようなカラフルなドレスや「原爆の父」ロバート・オッペンハイマーが描く第2次世界大戦時のファッションで映画館に出掛ける者もいるという。
Z世代にとっては、原爆開発をめぐる科学者同士の裏切りや当局が狙うスパイ追及といったサスペンス映画だ、とするユニバーサルの宣伝文句に飛びついたのだろう。
これはどれも近代化の最大のポイントで、現在につながっている。
したがって死んだほうを気にかける人間は少ない。
日本は日本人の間だけで西南戦争とか起きたので。何もなかったわけではない。これには官軍墓地はあるけど、この時代は原爆はなかった。
まあお金があれば映画見に行くけど、あいにくと持ち合わせがない。インフレで食費が上がっているし。
バービーを責めて核武装はやろうとする日本、ただただ卑怯なんじゃないか?
映画「バービー」上映禁止、中国の「九段線」ゴリ押しで南シナ海に不穏な空気
ベトナムが不安を抱く「挑発行為」、中国に何が起こっているのか?
https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/76031
わざとなのかな?
原爆死没者は「汚れなき小羊の燔祭」であり、
ということになるのだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E7%87%94%E7%A5%AD%E8%AA%AC
もちろん、福島で「放射線の影響は、実はニコニコ笑ってる人には来ません。」「マスク不要、外遊びOK、セシウム摂取も全く問題なし」「私が死ぬ頃には県民の皆様の命の責任はとれませんが、私達は国が定めた基準に従う義務があるのです。結果がわかるころには私は死んでいます。」と暴言を連発したあの山下だ。
原子力の問題が出たときには、昭和20年の10月に書かれた永井隆の原爆救護報告書の最後の一文を述べるようにしています。原子力という科学の光、力を利用してより良い世界を作って行くべきだ、ということを彼はその当時既に書いているのです。
上の増田で批判の声の例に「被爆者は同和っぽい」というものを挙げといて以後同和問題に関して何のフォローもせずってことは「部落差別とは違って被爆者の主張は正当(同和問題の被害者の主張は不当)」と言ってることに等しいが
映画を観てきたので、流行りに乗って感想を共有したい。個人的にはネタバレを気にするような映画ではないと思うけど、思いっきり内容に触れるのでネタバレ注意。
アメリカ中部の田舎町、おそらく典型的な赤い州在住。自分が見たときは6割くらい席埋まってた。ほぼ白人で、いわゆる普通の(ウォールマートにいるような太った)人から少々意識が高そうな(ホールフーズにいるような痩せた)人まで満遍なくいた感じ。
映画の内容はこのリンク先がいい感じに説明してくれてた。これくらいは予習していかないと字幕なし英語では理解できないのでありがたい。
https://www.newsweekjapan.jp/reizei/2023/07/post-1319_1.php
まず全体的に印象が強かったのは、日本眼中にないな、ってこと。実際史実だとおもうけど、開発の動機はナチスが開発したらやばい、だしドイツ降伏したけどどうする?ってときもソ連に見せつけとかんといかんしやっぱちゃんと実証すべきだよねーって感じだった。よく言われる、本土決戦回避で日米トータルでは犠牲者減らせたって話もたしか言及はされてたけど。
そもそも映画そのものに被爆者はおろか日本人もでてなかったはず。だからどうだって話ではないけど。
これも映画の主題ではないんだろうけど、たしかに原爆の残虐描写は最小限だった印象。広島への原爆投下が「成功」したって知らせがロスアラモスに届いたあと、イェーイって大喜びしてる人々を前に、オッピー(オッペンハイマー)が皮膚が剥がれ落ちる人とか黒焦げの死体とかを幻視するくらい。日本人はでてこないので、実際のところどうだったのか?を伝える場面はなかった。このオッピーの演説シーンが1つのハイライトで、かなり露悪的に人々の喜びとオッピーの高揚を描いてて(I hope Japan did like it!って言ってたと思う、ちゃんと聞き取れてれば。なかなか強いセリフ。)、日本人としてはきついシーンかも。
「普通のアメリカ人」が映画を観てどう思うかは分からないけど、日本人なら小中の平和教育で遺伝子レベルに刻みこまれた原爆の威力のイメージと、この映画での、あの綺麗なトリニティ実験のイメージには確かに乖離があったと思う。漂白された上澄みだけをみてるな、というか。アメリカ人の反応で興味深かったのは、投下都市の会議してるシーン。ブラックジョーク気味に大統領が「京都は妻のお気に入りの町だからやめとこう」って言うんだけど、それにhahahaって笑うのは自分が聞き取れてないウィットが含まれてたのか、やっぱ感覚にズレがあるのか、どうだろう。
映画としては、オッピーはソ連のスパイか?みたいな謎が主題で、それに対して原爆の被害を見て罪の意識を感じた彼は反核論者になっていたのでした!みたいなのがメインストーリーなんだけど、個人的にはそのあたりは微妙に感じた。戦後に彼が「私の手は血塗られている」とか「私は殺人者だ」とか言うんだけど、日本人的視点だとそれはうんうんそうだねそれで?って感じになっちゃうのでそこをメインに据えられると驚きとかはなくなっちゃう印象。アメリカ人にとっては違うんだろうか。
いろいろ書いたけど、別に自分としてはアメリカ人に対して悪感情とかはなくて、歴史認識の壁はまだまだ分厚いなって感想。日本人もアジアの人からしたら我慢ならないところもたくさんあるだろうし、全てはお互いさまだよね、たぶん。
バービーとオッペンハイマーが、とんでもなく意味深なこと気づいて欲しい
説明にあたって、スティムソンは日記にあるようにメモランダムを書いた。正確にはこのメモランダムは、スティムソンの陸軍省における顧問で、ニューヨーク生命保険会社の社長、東部金融家のジョージ・ハリソンが下書きを作って、補佐官のハーベイ・バンディと一緒に原稿に仕上げ、マンハッタン計画の陸軍側総責任者レスリー・グローブズとその上司である陸軍参謀総長のジョージ・マーシャルの了解を取り付けてから、このメモランダムを持参してトルーマンとの会談に臨んだものだ。
盧溝橋事件に日本の生命保険が関わっていた、米国の生命保険はそれを凌駕した
被爆者の強い声には保険の片鱗も現れず、声は次第に薄れてゆき、システムは平然と営業
勘違いしてる人が多いようだから言うけど、「原爆という過去のことでいつまでも騒いでいる」とか「被爆者の権利を訴えているのが同和っぽい」とか、そういうコメント自体がズレている。
もちろん、いろいろな差別も健康被害も受けている被爆者の人権を守る活動もある。
でも、今の被爆地や被爆者団体・被爆者遺族が願っているのは、「もうこれ以上、核兵器を使ってほしくない」ということなんだ。
そのために、核兵器の被害の深刻さ・威力の強さを世界中の人に知ってほしくて発信している。この地獄が二度とこの地球上で発生しないように。それが願いなんだ。
ある調査によると、2023年6月現在で世界には12520発の核弾頭がある。戦術核の威力は1発あたり、広島原爆の5〜10倍だ。
広島の原爆では、当時の人口 35万人に対して、1945年12月末までに14万人が亡くなった。
今の核兵器が実際に使われたらどうなると思う?
軽々しく核武装論を唱える人は「リアリスト」だと自称しているだろうけど、この現実の脅威が分かっていないと思うね。
もう一度言う。「原爆は過去のこと」ではない。現在進行形なんだ。
G7サミット「期待裏切られた」 被爆者団体、失望と怒り | 共同通信
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1032938303942427592
元広島市長「岸田首相、ヒロシマを利用するな」 核抑止力維持に憤り:朝日新聞デジタル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.asahi.com/articles/ASR5P6F6KR5PPTIL00R.html
G7サミット「期待裏切られた」 被爆者団体、失望と怒り | 共同通信
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1032938303942427592
G7サミット「期待裏切られた」 被爆者団体、失望と怒り | 共同通信
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1032938303942427592
敗戦後の日本人は原爆で大量虐殺したアメリカに感謝して媚びを売る「ストックホルム症候群」の患者
強い者(在日米軍)には逆らえず、弱い者イジメと嘘と妥協が蔓延
愛国ビジネスで儲ける売国奴は宗主国アメリカ様のケツ穴をなめるのに忙しいですね
パンとサーカス(羅: panem et circenses)は、詩人ユウェナリス(西暦60年 - 130年)が古代ローマ社会の世相を批判して詩篇中で使用した表現。
権力者から無償で与えられる「パン(=食糧)」と「サーカス(=娯楽)」によってローマ市民が満足して政治的無関心になっていることを指摘した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/3S%E6%94%BF%E7%AD%96
3S政策(さんエスせいさく)とは、主にGHQが日本占領下で行ったとされる、screen(スクリーン=映像鑑賞)、sport(スポーツ=プロスポーツ観戦)、sex(セックス=性欲)を用いて大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策とされている。
ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム(英語:War Guilt Information Program)は、
(大東亜戦争)終結後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)が日本占領政策の一環として短期行ったといわれる日本国民に対する再教育計画。
日本と米国とのあいだの戦いであった大戦を、現実には存在しなかった「軍国主義者」と「国民」とのあいだの戦いにすり替えようとする底意が秘められている」と分析。
また、「もしこの架空の対立の図式を、現実と錯覚し、あるいは何らかの理由で錯覚したふりをする日本人が出現すれば、CI&Eの「ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム」は、一応所期の目的を達成したといってよい。
つまり、そのとき、日本における伝統的秩序破壊のための、永久革命の図式が成立する。
以後日本人が大戦のために傾注した夥しいエネルギーは、二度と再び米国に向けられることなく、もっぱら「軍国主義者」と旧秩序の破壊に向けられるにちがいない」とも指摘している。
「軍国主義者」と「国民」の対立という架空の図式を導入することによって、「国民」に対する「罪」を犯したのも、「現在および将来の日本の苦難と窮乏」も、すべて「軍国主義者」の責任であって、米国には何らの責任もないという論理が成立可能になる。
大都市の無差別爆撃も、広島・長崎への原爆投下も、「軍国主義者」が悪かったから起った災厄であって、実際に爆弾を落した米国人には少しも悪いところはない、ということになるのである」としている。
国民にバービーを与えることで、国民は政治や経済、歴史の問題から関心がそらされて、目先の喜びだけを求める愚民になる。
自分より賢い人間を支配するのは難しいけど、自分より愚かな人間を支配するのは簡単。
だから、バービー程度で喜んでいる人間はアホと言わざるを得ない。
骨の髄まで奴隷根性が染みついた負け犬のマゾ「原爆で殺してくれてありがとうございます!」
「奴隷が再び逆らったら、在日米軍の核兵器で日本人を皆殺しにしてくださいね!」
基地外の日本人は、基地内に行って、現実を直視して、目を覚ませよ?
サーロー節子さん、G7の広島ビジョンは核兵器の肯定「被爆地からの発信許されない」 | 中国新聞デジタル
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.chugoku-np.co.jp/articles/-/308507
首相あいさつ93%一致 広島と長崎、過去例とも類似 被爆者「ばかにしている」 | 毎日新聞
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/mainichi.jp/articles/20200810/k00/00m/040/241000c
G7サミット「期待裏切られた」 被爆者団体、失望と怒り | 共同通信
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/nordot.app/1032938303942427592
当方、ヨーロッパ某国にいるので、先日クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』を視聴することができた。
同日公開だった方向性の全く違う『バービー』との造語がミームになるなど、英語圏を中心に話題になっているが、『オッペンハイマー』は原爆開発のマンハッタン計画を指揮した物理学者の伝記映画であるため、日本での公開は未定であるという(しかも8月が近いこの時期なので)。
ネタバレ等は気にしないで書くので、情報を入れないで視聴したい向きは注意されたい。
戦中の原爆開発まで、戦後の赤狩りによるオッペンハイマーの失脚、さらにその後のストラウス(オッペンハイマーへの個人的因縁から裏で糸を引いた人物)の議会公聴会だ。
また、最初のマンハッタン計画までを除けば、基本的に法廷劇である。
当方は英語のリスニングに慣れているとは思うが、聞き逃した事柄もあった。日本語字幕で見ればこの苦労は少なかったかもしれない。
さらに3時間と長い。劇場は結構混んでいたが、途中で携帯を見たり同伴者と話したりするガキ共もいた。
映画的なクライマックスは、一応ロスアラモスでの原爆の爆発実験に置かれており、中盤に訪れる。
これによってオッペンハイマーはプロメテウスとなり、世界に滅亡をもたらす「死」となる。
オッペンハイマーはこの後苦悩し、戦後の水爆開発に反対し、それが戦後の公職追放の憂き目を見る仇となる。
日本人として気になる広島・長崎の描写は、直接行うことは避けられている。
しかし、罪の意識に苛まれる主人公が投下後にロスアラモスの職員を前に演説する際、喜びを口にしドイツに落としてやりたかった(オッペンハイマーはユダヤ人)と盛り上げながらも、皮膚がポロポロと崩れ落ちる幻影を見せる(これは『はだしのゲン』での描写が思わず想起された)、職員向けの広島視察報告会で残虐な写真を想像させるリアクションを演じさせる、という程度は行っている。
などと軽い調子で話し合う場面は生々しい。
僕は被爆地出身ではないし、広島に高校の修学旅行で一度訪れた程度なのだが、上述の演説中のフラッシュバックの場面では、被爆者が受けた残酷な苦悩を思い、思わず涙がこぼれた。
これはアメリカ人が憎いとかどうのという話ではなく、(戦後も含めた)歴史という大きな対象と個人との対比に心が動いたという話と言えようか。
あとちょっと思ったのは、爆発前のカウントダウンはAVのJOIみたいな効果がある。
個人的営為の究極であるAV鑑賞と、大衆娯楽にする装置であった映画館での映画観賞との接続は興味深い。
アメリカ合衆国の原罪のようなものも、映画に盛り込まれている。
まず、ロスアラモス研究所を作った砂漠は原住民の土地であり、オッペンハイマー自身が戦後にインディアンに返せと言う台詞がある。
原住民から取り上げて作った研究員の居住空間は、まるで西部劇の舞台である。
ガランとした土埃舞う道、左右に並ぶ木製の建物。
妻がシーツを取り込む場面はフォードにありそうだし、ロスアラモスに引っ越してきたオッペンハイマーの妻はサルーンがあれば完璧ねと言う台詞もある。
事程左様に西部劇的な舞台が用意されるが、アメリカ合衆国が西部劇で描いてきた神話や、その自警的な暴力性と法による支配との相克は、これまで様々な映画で繰り返し取り上げられてきた主題である。
この映画でも、原爆を無事作り終えて職員に肩車されるオッペンハイマーの背景には、星条旗がはためく。
オッペンハイマーはナチズムへの反発から、アメリカ軍の原爆開発をリードする役目を引き受けた。
科学と政治の関係というテーマは、コロナ禍での専門知の活用、学術アカデミーの問題、そして2011年の原発事故など、日本でも問題になってきた。
この映画のテーマはもちろん原爆というプロメテウスの火である。現代的なテーマである。
しかし今一度思い返してみると、科学、共産主義、資本主義の関係にも踏み込まれているのではないかと思う。
科学の進展と共産主義は切っても切れない関係にある。ソ連は科学を推し進め、オッペンハイマーもマルクス主義(科学的社会主義)に興味を持つなど、科学者も共産主義で楽園が訪れるのではないかと期待した。
しかし共産党による独裁となったソ連は崩壊し、その混乱を収めたプーチンがウクライナに核の脅しをかけている。
では資本主義の勝利かと言えば、その限界が指摘されて久しい。アメリカ合衆国は共産主義への恐怖から赤狩りを進める。さらに戦争に勝つために原爆まで作ってしまった当事者である。
この映画は、冒頭で述べたように3分の2が赤狩りに関するものである。
原爆の映画ではあるのだが、共産主義と科学に関する映画と考えることもできよう。
3時間という長尺の映画であるが、これだけ多様で重層的なテーマを盛り込み、商業作品にしたクリストファー・ノーランと製作チームの意欲は素晴らしい。
しかし、あくまでもアメリカ国内の話であるという感じもする。ソ連、そしてヨーロッパや中国の動向も薄い。
そして日本では、まずもって娯楽作品ではないから、商業的成功は見込めるのかは分からない。