はてなキーワード: 宴会とは
舞妓を呼ぶと金をとるくせに、舞妓自身は見習い扱いで無給ってのは問題じゃないかな。
舞妓を1人育てるのにえらく金がかかると言っても、就労に必要な研修を受けさせるのは雇用者の義務だし。
と思ったら、給料出したら、未成年を就労させてるってことでもっと問題なんだな。
めっちゃ闇深い。
他の伝統芸能とかだと、後継者育成として助成金が出たりするけど、税金で三味線やら日本舞踊を学ばせて、座敷に上がらなければ問題解決なんかな?
それでも、酒を飲んだ客がいる座敷で芸を披露しなくちゃ舞妓芸妓じゃない、ただの日本舞踊や三味線じゃなく、あくまで酒を飲んだ客が必要ってんなら、酒の席を盛り上げることに舞妓芸妓のアイデンティティがあるわけで、やっぱり本質は宴会コンパニオンということになるんじゃないかな。
もう終わりだろ。
一見さんお断りって、舞妓を守るためみたいに言ってるけど、裏風俗の言い訳にしか聞こえないよ。
エプスタイン島となにが違う?
https://anond.hatelabo.jp/20220630040756
ブコメ返信書きました!沢山おすすめしていただいてありがとうございます!
知らないのも多くて嬉しい
好きな漫画探しても既読か知ってるか読んでも微妙以外が3%しかない!助けて!!
自分の好みど真ん中のやつ
キーワードにするとすこしふしぎ、日常物、児童書っぽさなどが好き
・モモ
・白乙一
長い道
クロクロク
虫と歌
働かないふたり
変身のニュース
足摺水族館
夜とコンクリート
無限大の日々
最果てアーケード
鞄図書館
バーナード嬢曰く
つづきはまた明日
雨柳堂夢咄
クレマチカ靴店
放課後保健室
GA学園
棺桶担ぎのクロ
夢の博物誌
二度寝してた……すまん
夢幻紳士(何篇かは忘れた)
あかりや(無料公開しているのにAmazonで買ってから気づいた)
https://www.mangaz.com/book/detail/46061
最果てのソルテ(水上悟志作品は完結済みだとサイコスタッフ、惑星のさみだれ、戦国妖狐読んでて戦後妖狐大好きだけど児童書よりは少年漫画寄りかな?と思って上げなかった。ソルテは児童書感が一番強いので一番に好きになりそう!)
銀のニーナ
なんてないことのふつうの夜に
春と盆暗
回転銀河
となりのロボット
ゆうてテガミバチもネウロもハガレンも大好きな人間なので別にとにかく面白いけどマイナーな漫画でも投げてくれて全然かまいません!小説映画曲アニメゲームドラマでも可
③なんでもいいので知らないおすすめ作品ぐらいの優先順位でお願いします。
児童書とラノベ読んで育ち漫画描き出してからは漫画ばかり読んでいるので他分野
ゲーム、映画、ドラマ、アニメ、女性向けの漫画は知識が薄いです。
つーわけで漫画に詳しいブクマカ頼みましたよ……私は寝ます……
無事本日の漫画増田になれたようで沢山ブクマでお薦めしていただきありがとうございます。
【宣伝】カシワイさんに影響受けてた時に描いた漫画まとめてるから、すこしふしぎ日常ファンタジー短編読みたい人は読んでみてね!
https://twitter.com/i/events/1446098829112070146?s=21&t=vKyvx4ZJwyhLKOX26W6q6Q
俺は独身のおじさんだけど、サイゼリアは一回だけ行ったことがある。何かのイベントのあと、帰りが遅くなって、たまたま前を通りかかったサイゼリアにふらっと入って、ひとり宴会みたいな感じであれこれ一品を取って手持ちのパンフレットや何かを眺めながらちょっと遅くまでチビリチビリやってた。ちょっとひとりで休みたかったのでね。客は俺ひとりだったから貸切状態だったので気楽だったよ。晩酌みたいな感じ?
まあ、サイゼリアにデートで行こうとは考えもしないなw 単なるファミレスのひとつととらえているのでね。ファミレスは僕にとっては時間帯を選んでたま〜に行ってひとりで何かをやって時間を過ごす場所ですね。ファミレスはテーブルが広いのと座席が柔らかくて疲れないので助かります。(ホントはロイホが一番いい)
ゴールデンウィークだったので、インターネットのいくつかのサイトでゴールデンカムイの感想を語り合った。
こんなことならゴールデンカムイをただ読み返すだけのほうが良かっただろう。
まあ言いたい事は分かるんだが同じ話題を何度もやりすぎ。
あとあれって回天丸の主砲が活躍するって部分が話の片輪なはずなのにそっちは誰も言わんのな。
インターネット的にはマンスールの片輪は「誰なの?こわいよぉ」つながりであのマジで誰だか分からないオッサンの方らしい。
うーん……悪名高い新選組がいつの間にか仲間や敵になって一緒に暴れるという部分がゴールデンカムイのウェスタン要素なんだがなあ。
そんなウェスタンな奴らが最終的に本場で西部劇を作ってカルト人気になるオチがマンスール周りの面白さなんだがそこが伝わらないのかあ?
いや違うだろ。
白石の王国はキャバクラで豪遊するような三日天下で作られているから簡単にできただけ。
ウィルクはロシアやアイヌや色々なこと考えすぎて自縄自縛になってただけ。
白石はぶっちゃけ金塊運び出してそれでバラ撒いて終わりでしょ。
全く違うものを僅かな接点で結びつけて比較するのが意味わからん。
ウィルクならいくら弄っても許されるって雰囲気の延長なんだろうか。
なんかそういうのつまんねえと思うんだよな。
コイツは弄っていいから弄るなんて現実のニュースで散々やってるのに漫画のキャラに対してまでやる必要ねえだろ。
ロジックが破綻してないならまだしも、ロジック破綻してるからね。
「頭悪いし性格も悪いなあコイツら一緒に語り合いたくねえ……」って気持ちにしかならんかったよコッチは。
そういう漫画じゃねえし。
「俺は不死身の杉本だ!」って合いの手入れて欲しいんだろうなって意識がレス乞食すぎて無理。
まあ最終回だしこういうお祭りムードもありかなーって傍観してたら更に「なんで?なんで?」と言い出すやつがいてビビる。
不死身の杉本だから不死身だったで終わるからこそ不死身が成立すんだよ。
なーんかもうやんなっちゃったよ。
漫画を読むセンスも語るセンスもないんだなー今のネット民はー。
もう俺は読むだけでいいや。
事件が起きたのは数年前のこと。練習後にコーチ提案のもと、リフレッシュ目的で開かれた宴会で、男子選手のAが、その飲み会にはいなかった女子選手のBさんに好意を持っていることを浜野選手らに打ち明けたという。
「宴会後に宿泊所に戻ると、ロビーでBさんとAが話をしていたので、僕らは自分の部屋に戻ってすぐに寝ました」
しばらくしてBさんからLINEで「すぐ部屋に来てほしい」と、別の選手宛てに助けを求めるメッセージが届いた。
「『今行く』と返信して彼女の部屋に駆けつけると、Bさんが部屋から飛び出てきました。あとを追うように出てきたAに『何をやっているんですか』と問い詰めましたが、泥酔している様子でした。Bさんは『押し倒され、服を脱がされそうになった』と震えていました。
スポーツ界にも性加害…日本ボブスレー連盟が男子選手の「レイプ未遂」を隠蔽!現役日本代表が実名告発(SmartFLASH) - Yahoo!ニュース
https://news.yahoo.co.jp/articles/9447d96ab7551b5ebee365f976fccb25b7ef1def
あさ3時まで宴会してる近所もあるんですよ。
両者は2本別々の作品だが、文庫化された当時、一冊にまとめられたもの。
共通するテーマは旅。いずれも見開き2ページで一話完結。さまざまなエピソードを収録している。
高度経済成長を経て経済大国となった70年代半ば、ブームになったのはハワイや香港などの海外旅行。
おりしもジャンボジェット機が就航し、高価だった海外旅行が庶民の手に届くようになった時代。
それまでの日本人の旅行といえば、熱海など温泉旅行。そして企業など慰安旅行が当たり前で、宴会どんちゃん騒ぎに温泉コンパニオン。
そんな温泉社員旅行のノリで、庶民たちが海外ツアーに出かけると、一体何が起こるのか。。。
バスタブを初めて使い、トラブルになる場面、当時のお土産の定番だったジョニ黒をネタにした作品、常磐ハワイアンセンターにダンサーを引き抜かれて本場のハワイではすっからかん、お土産にアロハシャツを棚ごと買い占める成金、といった当時の世相をユーモラスに描いている。
こんな客もいた。
英語をしゃべってみたくて、外人のスチュワーデスをコールするが、全く通じない。ワンスカッッチャンドワーラープリーズ!などと必死に連呼するも歯が立たず、添乗員を呼びつける。
スコッチの水割りを頼んでるのに英語が通じないんだと添乗さんに話すと、そばでその日本語を聞いていたスチュワーデスがオー!スコッチ・エンド・ウォーターのことね、とはじめて理解した、という。
全く英語のわからない外人スチュワーデスも困ったもんだねえ!と添乗さんに文句をいうオチ。
こういう人、いるよねぇ。。
安孫子先生の人間観察とそのユーモアあふれる描写の仕方は本当に好きでした。
海外旅行ツアーが大ブームになった70年代、一方、国内では、一人旅がブームとなっていた。
当時の日本の歌謡曲も、心の旅(1973)、岬めぐり(1974)、いい日旅立ち(1978)など一人旅をテーマにした曲が流行していた。
こちらの作品ではサラリーマン生活に疲れ、癒しを求めて一人旅にでた孤独な青年の旅先での小話が描かれている。
添乗さんが日本人の集団心理を切り取ったものだとすれば、こちらは日本のそうした組織風土に疲れて旅に出た青年を描いている。
モーレツ、と言われた時代が去り、しらけ世代という言葉が登場した70年代半ばというのは、どこかに誰も知らないところへ出かけたい、そういう時代だったのだろう。
なかでも印象深いのは、寝台列車に乗って、普段通勤していた駅に到着した朝、カーテンを開け、ホームで通勤列車を待つサラリーマンにわざと、お酒を飲んでくつろぐ姿を見せつけるエピソード。
線路わきでのんびり昼寝をしていたら、蒸気機関車の音にむっくり目が覚まし、
いまどきSLなんてめずらしいねーなどと、近くでのんきにSLを眺め、見送るエピソード。
驚愕したのは、朝からポジションを決めて待っていた撮り鉄たち。
線路わきから突如、人がにょきっと立ち上がって姿を現したため、予想外の出来事に動揺。邪魔だ、どけー!と叫んでも機関車の音で聞こえない。
「添乗さん」では、ホンモノをゲットすること、象徴的な意味での旅の証明としての戦利品を収集したり体験することが旅の重要なアジェンダとなっている。
例えば、マカオでニセモノに騙される日本人や、ビーチでナンパを試みたツアー客が間違えて日本人女性に声をかけながらも外人女性だけを探し求める姿などを風刺している。
一方、「さすらいくん」のほうでは、旅の目的は疲れ切った日常から逃避する場所を求めた癒しであり、ぬくもりだ。旅先の情報など何一つ収集しないし、旅の思い出を語る誰かもいない。
どちらも哲学的な意味での旅の本質をさらっと描いているのが秀逸だ。
この2作品は、旅というテーマを通じて、当時の日本人が何を思い、旅先にどんな夢を描いていたかを、
藤子不二雄Ⓐ先生にしかなしえないユーモアでもって簡潔に描写している、という点で同氏の傑作のひとつ。
どうもありがとうございました。
線状降水帯の雨にも負けず、日本に急接近した数十年に一度クラスの台風にも負けず、コロナの冬の感染力にも気候変動により年々最高記録を更新する夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、五輪打ち上げで宴会を開きたい欲は無く、メンタリストの炎上商法にも決して怒らず、いつも静かに笑っている。
西に疲れた介護福祉施設職員あれば行ってその要介護者の体を負い、南に急性肺炎で死にそうな人あれば行って怖がらなくてもいいと言い、北に台湾を国家と呼んだことによる炎上あればつまらないからやめろと言い、日照りのオリンピックのときは感動の涙を流し、豪雨の夏はおろおろ避難し、コロナ脳と呼ばれ、感染対策を万全にしても褒められもせず、感染対策を人に強要しないため苦にもされず、そういうものに私はなりたい。
小池百合子がまた何かを言っている。どうやら電力需給が逼迫しているから節電に協力してほしいそうだ。
曰く「トイレの便座が温かいおうちも増えてると思いますが、ちょっとレベルを下げてみると、ほんの少しの電力の消費を削減するという意味で東京中の方がなさると大きい」とのこと。
またか…。何故どれほど効果があるかわからないものを思いつきだけで市民に求めてくるのだろうか。折しも昨日まん延防止重点措置が解除されたばかりだ。あれは果たしてどれだけ意味があったのだろうか。その検証はされるのだろうか(されるわけがない)。
コロナなら医療の対策が本丸。電力なら発電の対策が政府の行うべきことで全力を尽くした上で足りなければ市民にお願いするのが筋だろう。鉄道の減便は検討したのか?計画停電は?そして何より原子力発電所の再稼働はどうするんだ?
コロナで国民が学んだ最大のことは、政府の外出自粛のお願いに協力しても得することはなく、誰にも感謝されず、そして政治家は宴会をしていたという事実だろう。昼の間部屋の電気くらいは消そうじゃないか、でもそれ以上はねえ…どうする?と煌々と付く65型のテレビを見ながら考えている。
花見シーズンの宴会自粛などを呼びかけるため東京・上野公園に設置された看板(9日)
有権者の7割がコロナ禍の自粛生活に「最大で1年程度しか耐えられない」と感じていることが、読売新聞社の全国世論調査(郵送方式)で明らかになった。政府は従来のコロナ対策について、早期の見直しを求められそうだ。
調査では、自粛生活にあとどのくらい耐えられると思うかを5段階で聞いた。最も多かったのは「1年程度」42%。次いで「半年以下」19%、「2~3年」16%、「3年以上」13%、「もう耐えられない」9%の順だった。「もう耐えられない」「半年以下」「1年程度」を合計した「自粛生活は最大1年」と考える人は70%いた。
男女別、年代別にみると、いずれも最も多い回答は「1年程度」だった。ただ、男女別で2番目に多い回答は男性が「2~3年」18%、女性は「半年以下」22%と違いが出た。
年代別では、18~29歳は「もう耐えられない」が19%で、70歳以上の4%を大きく上回るなど、若い世代ほど自粛生活に強い拒否感を示す人が目立った。ただ、50歳代から上の世代も「半年以下」と「1年程度」(合計63~70%)に回答が集中し、「3年以上」の回答は若い世代より少なかった。高齢の人が、長期の自粛生活に我慢できるというわけではなさそうだ。
コロナに感染して重症化する不安を感じるかとの質問では、「大いに」「多少は」を合わせた「不安を感じる」の回答は、「1年程度」の人が80%と最多で、逆に「3年以上」の人が66%と一番少なかった。感染防止と経済活動のどちらを優先すべきかとの問いでは、「もう耐えられない」と答えた人を除いて、いずれも感染防止優先との答えが経済活動優先を大きく上回った。
自粛生活は1年程度が限界と感じていても、その多くが感染による重症化に不安を感じ、感染防止は引き続き重視してほしいという、切実な気持ちでいることが浮かび上がる。
岸田首相は12日、自民党本部で開かれた全国幹事長会議で感染状況は落ち着き始めているとの認識を示した上で、「決して気を緩めることなく、感染拡大防止策をしっかり進めながら、出口に向けての動きも進めていかなければならない」と述べた
私たちはいつから肉食になったのか?日本人の肉食の歴史を徹底解説!
https://intojapanwaraku.com/culture/48024/
疲れている時、あるいは気合を入れて勝負に臨みたい時、もちろんなんでもない時にでも「お肉食べたい!!」と思うことはありませんか? 焼き肉、から揚げ、ハンバーガー、さまざまなお肉をわたしたちはすぐに食べることができます。しかし、こうしてお肉をなんのためらいもなく食べられるようになるまでに、わたしたちのご先祖さまたちは葛藤を繰り返してきたのです。
日本人の肉食について『肉食の社会史』(山川出版社)の内容と、著者である上智大学教授・中澤克昭先生のお話をもとに追ってみました。
うつりかわる肉食への考え方
日本史の教科書などで「文明開化」の言葉とともに「牛鍋」を食べる人の絵を教科書などで見て、なんとなく近代(明治時代)以降に肉食が始まったと思っている人は圧倒的に多いのではないでしょうか。けれども中澤先生によれば、肉や魚を食べることは、伝統的な食文化だったそうです。ただ、平安時代からは「食べないことが高貴な身分のふるまい」「食べるのはいやしい」と思われるようになったとか。また、家畜は労働力を提供してくれる大切な存在であり、食べる対象としては見ていなかったようです。
3世紀ごろの日本(ヤマト)には、誰かが亡くなった際、喪主は肉食をがまんする習慣があると『魏志倭人伝』に書かれているそうです。これは「物忌み」のひとつとして肉食を慎む「禁欲」だったと考えられています。つまりこの時点では日常における肉食は「禁忌」ではなかったのです。その後、6世紀に仏教とともに「殺生」を「罪業」とする考え方が伝来します。喪に服したり何かを祈願したりする時に肉食をガマンする習慣と仏教の殺生罪業観、このふたつが融合して、のちの肉食忌避(タブー)につながっていくのです。
しかし、肉食忌避が強まるのは中世からで、古代には天皇も肉を食べていました。天皇は各地でとれたものを食すことで統治していることを示していたからで、イノシシやシカも食べられていたことが、さまざまな記録や古代の遺跡から出土した木簡からわかっています。中澤先生によれば、「大地を象徴する生き物を狩ることで土地の所有権を確認する儀礼でもあった」と考えられているそうです。
古代には禁欲の対象だったお肉も、平安時代になると禁忌つまり忌避されるものへとかわっていきました。たとえばイノシシは何世代も飼育されるとことで「豚」という家畜になりますが、奈良時代にはヤマトでも豚が飼育されていたそうです。ところが平安時代になると、食用に育てられている動物が確認できなくなります。野生のイノシシを食べることは続くので、家畜は食べないほうがよいというメンタリティを持っていたことはまちがいなさそうです。
「天神さま(菅原道真)の牛のように、神話や伝承の世界にも動物は出てきますが、家畜を食べるという物語はまずありません。タブーだったのです。死んだ家畜、いわゆる斃牛馬(へいぎゅうば)はいわば産業廃棄物で、専門の人々によって処理されましたが、その仕事にあたっていた人は捨てずに食べていたと思われます」(中澤先生)。ただ、そのことは公の記録には残っていません。馬刺しも牛の内臓(ホルモン)も食べられていたはずですが、身分の高い人には忌避されていたのです。おおっぴらに食べられるようになったのは、近代以降ではないでしょうか。
新鮮な馬肉
では、鶏肉に関してはどうだったのでしょうか。「鶏も『時を知らせる、占いをする』という性質が強いので、おおっぴらには食べられていなかったと思います。卵は食べたはずですが、それもあまり記録にのこっていません」(中澤先生)。闘鶏に使われた軍鶏などは「筋肉質で硬くて、現在の鶏ほど美味しくなかったでしょうね」と先生はいいます。「牛も体脂肪が少なく、現在の『霜降り』のような食感とはほど遠かったのでは」とのこと。
なお、近代以前に肉を地方から京都や江戸へ運ぶとき、塩漬けにするか干し肉にする場合が多かったそうですが、キジの新巻や干し肉も存在していたとか。案外さまざまな加工肉があったそうです。……鮭では見たことがありますが、鳥が新巻にされるなんて想像もつきませんでした。また、少し前にグルメ界を席巻していた熟成肉もあったそうです。遠くから生で運ばれた場合、その可能性が高いとか。よく食べられていたのはシカやイノシシでしたが、貴族社会の宴会ではメインディッシュとして鳥のキジが好まれたそうです。焼くだけでなく、刺身でも食べられたそうですが、味付けは摂関家であれば、ひしお(現在の味噌・醤油の原点と考えられている調味料)や酢などが使われたと考えられています。
肉食を考えるうえで必ず登場するのが「鷹狩り」です。鷹狩りは、神々へのお供え物の調達手段としても大切で、仏教の殺生禁断の思想が広まってからも続けられました。古代には貴族の間で行われて、鷹狩りのための狩場もつくられ、鷹狩りに用いる鷹の繁殖のために狩猟や入山を禁じた巣山や巣鷹山と呼ばれる山もありました。その後、貴族から武家に権力が移ると、キジだけでなく白鳥や雁もよく狩られるようになり、小型の鶴が狩られたこともあったようです。武家の食事のマナーでは、鷹狩りの獲物は箸ではなく指で食べることになっていました。食材としての価値が高く、食べ方にも特別な作法があったようです。
江戸時代になると、徳川家康が好んだ鷹狩りを、代々の将軍が受け継ぎ行っていました。江戸幕府第5代将軍・徳川綱吉が発した「生類憐みの令」のころまでは史料上確認できますが、その後しばらく姿を消してしまいます。復活するのは8代将軍・徳川吉宗のころ。吉宗は徳川家康を尊敬していたので、家康が好んでいた鷹狩りを復活させたようです。その後、大政奉還が行われ明治新政府が発足した後は、鷹狩りは大名の特権ではなくなりました。明治天皇も御料場で鷹狩りを行ったようです。在位中の天皇が狩猟に出かけたのは、白河天皇が1073年に嵯峨野で鷹狩りをして以来のことでした。天皇は800年ものあいだ狩猟をしていなかったわけですが、この800年はそのまま武士の時代と重なっているのが興味深いところです。
明治天皇は1872年に牛肉を食べましたが、近代以降もしばらくは肉食に対する忌避感がありました。しかし、食の欧米化や大規模な多頭養豚経営、乳用種雄の肥育牛の食用への転用などにより、1955(昭和30)年ごろからは急速に肉食が一般化していきます。結果、戦後生まれの世代からは肉食があたりまえの世の中になって現代に至ります。食肉生産が進み、ブロイラーが出てきたからこそ「帰りに焼き鳥でちょっと一杯」ができるようになりました。そんな生活も高度成長期にようやく成立したもので、まだ現在のような「お肉を食べたい」「お肉を食べよう」の歴史は50年ほどしかないのです。
一方で2030年ごろには、世界の人口の増加が食肉生産を追い越してタンパク質が足りなくなる「プロテイン危機」が起こるという研究があり、昆虫食の研究などが進んでいます。今のようにお肉を食べられる時代は、日本史のなかの、ほんのわずかな期間で終わるのかもしれません。
「動物を殺す」肉食に対してはさまざまな意見もありますが、人間の食欲がそれを抑え込んでいるのが今の時代です。お肉はいつでも好きなだけ手に入りますし、食べることもできます。「中世には動物を殺すことやそれを食べることがタブーとされていましたが、実際に食べる人は少なくありませんでした。うしろめたさと食欲との葛藤があって、そこからさまざまな言説が生まれました。現在も肉をめぐってさまざまな問題があります。もう少し葛藤があっても良いのかもしれません」と中澤先生は言います。「お肉が食べたい」という気持ちを自由に満たせる今だからこそ、食文化についてちょっとだけ考えてみませんか。