はてなキーワード: コミュニケーション能力とは
元々コミュニケーション能力低いほうだとは思ってたけど、いうて日本人平均よりちょい低いくらいやろ、程度に軽く考えてたんだよな。
ただ大学卒業して会社員(法人営業)やってると周りより格段に劣る能力を痛感することが多くて泣ける。
全然思い出せないけど例を挙げるとこんな感じ
みたいなことを、慣れとかではなくずっと繰り返してる。
どうも「人に話しかける」「メールを送る」といった処理コストが俺の脳には重たいらしく、仕事を始めると速攻で気力を使い果たして人と関わりたくなくなってしまう。
逆に客先の売り込みとか説明とかは全然楽しいんだけど、上のことができなさすぎて準備時間がほぼないまま突撃して糞みたいな結果に終わることも多い。
とはいえ提案自体は上手くいってもお客さんとの仕事以外の雑談とか会食とかは無理すぎるのでまあ営業としては広がりがなくて終わってる。
先輩も最初は気を遣って遊びとか飲みとかに誘ってくれてたけど、俺のおもんなさとおもんなさそうさを察したのかほぼ完全放置されるようになった。
後輩は今のところ気を遣ってくれてるのかとりあえず媚び売ってくれてるのか、楽しく話せるようにいろいろ話題を振ってくれるけど申し訳ない気分になる。その先輩への気遣いも俺がやろうと思っても全くできない行動なので猶更負い目がある。
最初は一瞬部署が合わないせいかと思ったんだけど、冷静に考えると俺が溶け込めそうな場所なんて殆どない。
かといって適応するために無理すると心が壊れそうなので流れに身を任せて諦めつつある。
人生でこれだけはなりたくなかった、無口で仕事のできないおじさんに、まさに今なりつつある。
仕事でも遊びでもなんでもいいから積極的に人と関わって、それを楽しいと思えるようになっておくって大事だったんだなぁと糞当たり前のことを今さら痛感した。
これからどうしたらいいんだろうな、って質問には色々答えがありそうだけど、そのどれにも応えられなさそうな自分が容易に想像できる。悲しいなあ
ここまで極度の寂しがり屋が7年も一人暮らししておいて日常的にワイワイやる友達も恋人もいないというのが理解し難い。
コミュ障かつ寂しがり屋ということなのか。コミュニケーション能力を決める遺伝形質と孤独耐性を決める遺伝形質は全く独立しているということなのかな。
実際問題、
社会ではうまくやれないけどネットではうまくやれるのは只の陰キャだが
社会ではうまくやれず文字コミュニケーション能力もないただのギリ健の居場所ってどこなんだろうな
いじめや友達のいないことなど、少しばかりでしょうが増田さんと私には似ているところがあったので参考になるか分かりませんが私の人生を語らせてください。
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幼稚園時代のことはあまり覚えていませんが中のいい友人が1人おりましたので子供らしい時間を過ごせていたと思います。
よく「◯◯ちゃんと結婚する」などと友人と言い合っていたのを今でも覚えています。
親が教育指導に熱心なタイプだったため、小学校での学業成績は悪くありませんでした。
1~3年生ぐらいは平和に暮らせていたと思います、しかし、仲のいい友人というのはおりませんでした。
4年生ぐらいになると、粗暴な子供達がクラス内で権力を効かせるようになってきており、身体が細く運動神経に恵まれなかった私はいじめのターゲットとなってしまいました。
朝教室に入ると、クラスメイトが声を揃えて私をバカにする歌を歌いだしたりするのは本当に屈辱でした。
小学校5年生ぐらいではあまりの屈辱に耐えきれず、いじめを行っていた、粗暴な子供のグループの中でも最上位に属しているクラスメイトを殴って階段から突き落としたことがあります。
幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、突き落としたクラスメイトに大きな怪我はなくその問題は学校内で内々にもみ消されることとなります。
その後、クラスメイト全員からの嘲笑は無くなったものの階段から突き落とした子供のいるグループから執拗なリンチを受けることになります、
学校の先生については、私は全く信用していなかったので相談することはありませんでしたし、親にはいじめられていることが申し訳なくて相談することが出来ませんでした。
中学校時代、小学生のころにいじめを行っていたグループは地域の不良グループ(暴走族のようなものだと思う)に取り込まれていって学校内では特定の誰かをターゲットにした目立ったいじめを行うのではなく、
自分たち以外のグループをおもちゃのように見立てているようで、彼らの気分で暴力などをふるっていました。
小学校の頃と比べると比較的穏やかに過ごせるようになりました。
穏やかではありましたが彼らの遊びの中で彼らがおもちゃと思っているクラスメイト同士に殴り合いをさせる遊びがあり、これは今でも到底許しがたいものだと記憶しています。
私はそのターゲットに選ばれてしまったとき、嫌いでもない人間を殴るぐらいならと不良グループの1人に殴りかかったところ返りうちにあい、その後地域の不良グループも含められた集団からリンチを受けました。
幸い(私の心情としては幸いというべきではないのですが…)、このリンチは継続するものではなく一度限りで終わりました。
さすがにこのときの怪我で親にも学校のことがバレたのですが、親は「生きていればいいから無茶はしないで」と泣きながら言われたのは今でもとても胸に残っています。
当時の私としては彼らの言いなりになるぐらいなら死んだほうがましだと考えていましたが、親となった今ならあのときの言葉の意味が分かる気がします。
私の地域では高校の進学は、不良、就職、進学組にキレイに分かれる風習があり中学までの不良は殆どが不良の行く高校へと進学していきました。
勿論、不良の中でも就職、進学組の高校に進むものもいましたが、これまでの仲間を失ったかれらはとても大人しいものでした。
さて、私は親の教育方針もあって進学組の高校に進むことになります。
高校に入って驚いたことは、皆非常に穏やかな人間だったということです、私にとってはその光景が異常なように移りました。
これまでは、いじめなり、不良グループに目を付けられないように怯えながら暮らしていました、高校ではそれがないのです!
友達は相変わらずおりませんので、体育の授業では誰ともペアを組むことが出来なかったり、偶数でちょうどペアを組む相手はなんだか気まずそうな雰囲気を出しておりました。
(それでも露骨に嫌な顔はしませんので、悪い人間ではないのです)
学校の先生も非常に親切で、あまりにものんびり過ごしている私にも根気を持って指導してくださり、このときに親以外の大人でも信用出来る人間はいるのだなと認識を改めました。
私はこの暮らしの中で安穏と日々を過ごしてしまい、学業を疎かにしてしまったことであまり良い成績ではありませんでした。
大学の進学は希望した大学には入学出来ず滑り止めで受けた大学に入学することになります。
アルバイトは短期間のものを数ヶ月おきにこなす程度で余暇を多く持て余していました。
幸いにも住居のそばに図書館があったことから学生時代の余暇は本を読むことに費やしていました。
友達がいないとせっかくよんだ本の感想を誰に共有することも出来ずもどかしい思いを抱えますので、当時の携帯電話(いわゆるガラケー)で読書した感想などを適当なサイトにつらつらと書いてはアップロードしていました。
(当時の携帯電はが文字を打ち込むために同じ物理ボタンを数回押さなければならないのですが、文章を入力するためにボタンを押しすぎたおかげか殆のボタンにはヒビが入ったり欠けたりしていました。)
友達がおりませんので就職活動のための情報というのが自分の元には全く集まりませんから大学卒業後は就職すること叶わず派遣労働者として過ごすことになります。
この時期からようやく手元にある程度の資金が貯まるようになり念願のPCを自宅に導入することが出来るようになりました。
PCが手に入ると友達がいなくても情報を手に入れることが出来るようになったため、就職に関する様々な情報を得られるようになります。
第二新卒というものの存在を知り、卒業後すぐに就職出来なくてもまだチャンスはあるのだと知ることが出来ました。
そこからは就職に向けて情報を集め、必要な知識を得るために自習を行い、なんとか正社員として就職することに成功します。
最初の会社は就職のための対策をして臨んだため面接時のコミュニケーション能力の高さを評価されてしまいました。
本来、私は友達のいない人間なので日常のコミュニケーション能力は皆無に等しいのです。
私の本性を知った会社は私を試用期間中に能力が至らなかったということで解雇します。
非常に落ち込みはしたのですが、業務内容自体は私の適正に合っていたようで(勿論、就職活動時に自分の適正を考えて合いそうな業界を選んだというのはあるのですが)、
解雇されはするものの取引先の会社にツテを作ってもらいそこに入社することになりました。
次の会社でも業務内容自体は同じでそれをこなす能力自体は評価していただけましたが、そこから出世していくにはコミュニケーション能力が必要だと常々言われておりました。
私としては業務能力を持って勝負していきたいと考えており、せっかくのツテを作ってもらった中で申し訳無さもあるのですが次の会社に転職することを決めました。
このようなコミュニケーション能力の無い人間がツテもなく転職出来る会社は社会的にもまっとうな会社ではないのですが、それは反面、私の人間性も無視してくれるということです。
次の会社は非常に労働時間が長く、業務量が異常に多かったのですが、それを求めて入ったということもあり、この頃の私は仕事が楽しくて仕方がありませんでした。
同僚も私のように何らかの欠陥がある人間が多く所属しており、私のコミュニケーション能力というのを咎められることがなかったのも良かったと思っております。
(尤も、私のいない場所で私に対するかなりの誹謗中傷があったらしいのですが…)
業務能力や馬車馬のように働くことを評価して頂いたのか、幹部候補としての待遇を打診されました。
しかし、社会的には悪影響をあたえるような会社でしたのでその中で幹部になることに後ろめたさがあり転職することになります。
この会社で得た経験がこの次の転職に活きており、簡単に転職することが出来ました。
次の会社では私のコミュニケーションに関するコンプレックスを取り払ってくれる上司に出会います。
彼はコミュニケーションのことを「業務を遂行するために最善の状況を作るのがコミュニケーションであり、日曜日にバーベキューに行って楽しむものではない」という信条を持っており、
この考え方のお陰で、人と仲のよい距離をわざわざ作る必要などないのだいう自信を持つことが出来るようになりました。
もともと、知識を仕入れた上で自身がどのように振る舞えば効果が高いのか?というのを考えて行動するタイプでしたので、上司の言う考え方は私の考え方に非常に相性が良かったのです。
知識の仕入れや引き出しというのは大学時代に大量の読書を行ったことで下地が出来上がっていたというのもあります。
自信を持てば人生は上手く回るもので、今では自分の感性に合う伴侶を得て、子供にも恵まれ、大きなストレスもなく平均的な収入を得られる仕事に就けています。
最初の仕事を解雇されたときは人生は積んだのだろうと絶望したものですが、時代の背景や運の要素もあったかもしれませんが、何とかなるものです。
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さて、長々と書きましたが大学生活を楽しむためのコツでしたね?
私の場合は本を読むことが大学生活の楽しみでした、それは自分の人生を好転させる材料の1つにもなりました。
読書は1億円の投資などとも言われますが、本を読む、つまり知る、考える楽しさを知ることは人生を上手く過ごす方法の1つなのかもしれません。
模試の結果が帰ってきた夢を見た
用紙1枚分の長文を書いていたがページの端までかかるバツがつけられていて部分点もゼロ
それに対して「そんなわけないだろ!」と採点用紙を破いたところで目が覚めた
起きた後もイライラが残りすぎて体調悪い
例えば「昨日両親が死んでしまった。しかも今日道端でカエルが死んでいた。悲しい」という文章があるとする
普通なら「あぁ、両親が死んで悲しい気持ちなんだな」と想像するが、
センターでは「今現在悲しいと言っているので、悲しい理由は死んでいたカエルを見たことが原因。死んだ親と照らし合わせてる」みたいな選択肢が正解になる
当然いや知らんし、カエルの死体の話はどうでもよくてメイントピックは両親の死と悲しいことだろうとなる
でもセンター国語では文章中で無駄な文字などなく、両親の死もカエルの死も等しく平等になる
そのため今日見たカエルの死が相手のメイントピックになってしまう
こんなアスペ御用達の試験では平均点が5割になっても仕方がない
普通のコミュニケーション能力から逸脱した能力を図っていることは自明だ
それと高校生の間半年ごとにやらされてた作文力テスト?みたいな謎のテスト
「少子化は何が原因?」、「環境問題はどう対策したほうがいい?」といった感じの社会テーマから選んで作文するのだが、
そのため必然的に少ない知識をもとに感想を織り交ぜて作文するしかない
採点結果はたしか八角形のレーダーチャートで帰ってくるが、毎回俺のは小ぶりな七角形だった
かけた頂点は根拠という採点項目だ
全体的に小ぶりというのも結構効いたが、根拠が欠けていると言われて毎回イライラしていた
そもそもテーマに対して何も調べずにかけというのが現実から乖離している、何も調べずに書けるほうがかっこいいということなんだろうか
卒論でそんなことしたら間違いなく落第だけどな、採点官は大学生のアルバイトとかだったんだろう
結局俺は高2からは根拠だけ満点のレーダーチャートを目指して知っていることを連呼するという形をとった
私は悪くない大学を出て、それなりに良い会社に就職して数年働いた。ほぼ純粋な頭脳労働で、30歳時点の基本給は500万円程度だったはず。自分のように中の上くらいの学業成績が限度な人間にしては、かなりよい条件である。しかし中堅社員になるにつれ上司と上手くコミュニケーションがとれなくなり、頭と体がおかしくなって休職→退職に至った(その後いろいろ診察を受けて最終的に自閉スペクトラム症の診断が出た)。しばらく貯金を食いつぶして無職をやっていたのだけど、とうとう尽きたので働かなければ生きていけなくなった。今は倉庫で誰でもできるような肉体労働をしている。面接らしい面接もやってないから、名前や住所が自分で書けて、毎日決まった時間に出勤できればとりあえずヨシの仕事だ。ちなみに私の学生時代の体育の成績は、5段階で2とか3であった。典型的なお勉強以外だめなモヤシである。肉体労働が得意だからやっているのではない。
このとおり、客観的に見て私の経歴は有能ではない。げんに非正規の肉体労働者なのだから、世間的にも底辺と呼ばれる身分である。しかしどういうわけか、私は職場で有能扱いされている。「やっぱり有能な人間は何をやっても有能だねー」とそのものすばりなことを実際に言われたこともある。社員雇用試験にも誘われた(当然だが務まる気がしないので断った)。数少ないまともな人は全員誘われているのかと思ったけれど、そうでもないらしい。
いちおう先に言っておくと、誰でも入れるような職場なので、大学卒業程度の知能があるだけで有能扱いされる側面は当然ある。そんな事ある?と思うくらい飛び抜けてバカの人もいるので。ただそれだけで「何をやっても有能」とはならない。実際に作業スピードランキングみたいなものを見ても、トップ20%に入るかどうかぐらいだった。20%なら優秀じゃんと思うかもしれないが、下半分くらいは白髪の生えた主婦のお婆ちゃんとか、ちょっと耳が遠いお爺ちゃんとか、何度教えても言われた通りに作業できない知能の人だ。それらの地獄みたいな人材を除いて考えれば上位40%とかだろうか。悪くはないが飛び抜けて良くはない。にもかかわらず、他の人をさしおいて有能呼ばわりされる。職場にのべ100人ぐらい居るのに、「有能」なんて呼ばれ方をしているのは多分5人いるかどうかだ。そして私はそのうちの1人。アスペガイジなのに。自分や事実と他者の認識にギャップが有る。めちゃくちゃ怖い。周囲の高すぎる期待値に付いていける気がしない。以上語り終わり。
このままだと意味わかんなすぎて怖いので、理由をさぐるために周囲の人間を観察した。そこ得た当座の結論は「普通の人は大体何かしら下手」ということだ。
具体例があったほうがわかりやすいと思うので私の職場の話をする。現場にはだいたい10個ほどのポジションがある。倉庫なので荷物を持ち上げたり、分けたり、運んだりする肉体作業は当然ある。ただし例外処理が必要なもの(壊れている、ビチャビチャに濡れてる、実在しない送り先が書いてある、etc.)は荷物によって適切な処理が変わるから、少々知識とか判断が必要である。またスケジュールが押してるところに追加人員を呼ぶとかの原始的頭脳労働も一応ある(その日限定のバイトリーダーみたいな業務だ)。当たり前だがいきなり労働者がその場にポップするわけはないので、他の配置から人を抜いてこなければいけない。よそのチームと揉めない程度のコミュニケーション能力も必要だ。
で、私より仕事が速い人達を見ていると、定常作業は速いが例外的な対応は出来ないから他の人にやってもらってるとか、仕事は超速いのにヘルプ出さないから過剰な業務量抱えててスケジュールはすごい押してるとか、だいたいのことは一通りできるけど永久に誰かの文句言ってるからコミュニケーションが必要な配置には置きづらいとかで、彼ら彼女らは得意とする一部業務以外、私より下手か全く務まらないことに気づいた。先にも述べた通り、私は1つ1つの仕事は決して上位ではない。しかし無能というほどではない。おそらくこれが重要である。仮に1つ1つの仕事は上位40%に入れる程度の平凡な能力だったとしても、10個の仕事全部で上位40%程度に入れるなら、それは40%の10乗で0.01%の希少人材である。たかだか1、2個の仕事で上位10%に入る程度ではがんばっても1%の人材にしかならないので、私のような0.01%人材よりは有能でないことになる。
そういうわけで、私はどうやら自分で思っているよりも遥かに有能な人間であったらしい。ただ今述べた通り、それは有能だからというよりも、「何をやっても下手くそすぎることがない」程度の意味でしかない。そもそも私は頭脳労働の職場で全然仕事ができなくて頭がイカれたアスペガイジである。たんに今の職場では評価されない項目だから困ってないだけだ。ともあれ、気負うことはないとわかったのは良かった。有能扱いされるのは気が重かったが、理由がはっきりしたので。
さて、ここから今日のまとめ的な自分語りである。現代は苦手なことを潰す努力をしてゼネラリストになるよりも、得意なことを伸ばしてスペシャリストになるべきだとの風潮が強い世の中だ、と思う。違ったらごめんなさい。だから何をやってもスペシャルになれない自分は無能だと思っていた。しかしスペシャリストになるべきというのは、転職とか個人事業をやるときに専門性がないとアピールできるポイントがなくて困るからなのだろう。ちょっと前まで死んでもいいやとか上司殺して一生刑務所でも良いやとか思ってた私としては、意識高すぎてついて行けない世界の話だ。しばらくは底辺職場でゼネラリストとして頑張った方が精神には良さそうである。幸か不幸か、肉体労働はしばらくAIに取って代わられる見込みもない。ロボットにも100年ほど奪われないまま来ている。非正規有期雇用だからあと何年かしたらやめなきゃいけないけど、次の非正規労働でも見つければ食いつなげるだろう。そんな感じで生きてきた年上の人が職場にもたくさんいるしね。あと今の時期は汗かくから仕事終わりのラーメンとかめっちゃ美味しい。これは爆アド。
だから頭がおかしいみたいになって人生詰んだ人は、とりあえず死ぬ前に肉体労働現場に来ることをおすすめしたい。パワハラ上司がいたら半日で逃げたら良いし。どうせたいした職歴にならんけど、明日死ぬなら職歴いらんでしょ。私は裕福な老後のための、将来性ある仕事を得るための、キャリア形成を行うための、上流大学進学のための~みたいな人生からは落伍したのでそうしている。以上自分語りサンドイッチ終わり。
事務連絡であるなら、調べるのに時間がかかって遅いんじゃなくて、めんどくさくて遅いだけだし、
Excelででも、その他のツールでも簡単に回答絞らせれるんだから悩むような問題でもないでしょ。
元の文章がある程度わかりやすく書かれてたから、そんなところで悩んでるとは想像してなかった。
それに税金関連であるなら、税務署が脱税対策のため、口座を確認したいと考えている場合はすべての口座を提出するような法律になってても
おかしくないから書き方の問題でしょ。一義に絞れない表現使ってるのに自覚がないのが原因だから、問題はあなたのコミュニケーション能力っぽそうだけど。
あ~~~~もうめんどくせーよそんな当たり前のこと前提に決まってんだろ 増田あぁいえばこういうやつ多すぎる
「セックスを軽視しすぎてる女性はそこそこいるよな」とかそういう書いてること無視する割に、脳内で勝手に補完して対象を広げるのマジでなんなん
その例が示す通り、残念ながらコミュニケーション能力というのは筋力のように個人にとってあればあるだけ有利っていうわけではない
弱者のコミュニケーション能力は「社会にとっては」有用だが
「弱者にとっては」積極的に組織の奴隷になるという方向性で働いている
現代資本主義社会で必要もないのに何らかの奴隷になってしまうというのはコミュニケーション能力に起因している
逆にある種のコミュニケーション能力が欠如していたほうが他人を従えたり、有利な立場に立ちやすいという場面も多い
ごめん、だから何?って感じなんだ
XY染色体に決まった時にコミュニケーション能力は破壊される
みたいな説あったんだけど
それが本当なら
男はコミュ力に乏しくて女は筋力に乏しいみたいな
話ズレて申し訳ないけど、投稿内容がいろんな角度から突っ込みやすい内容すぎて面白い文章だわ。
なんでそんな内容になっちゃってるか考えてみたんだけど、はてなーが短絡的に吹き上がってるコミュ障とか高望みとか、そんなありがちなキショ男女論はどうでもよくて、
自分のやりたいことと行動と投稿内で言及されてる内容がバラバラ、断片的で脳内でまとまってなさそうなのが延々と突っ込まれ続けて本人もロクに納得できない原因じゃないかと邪推した。
例えば
異性の同僚や同期ともするような会話
が具体的にどういうものなのかほぼ言及がなくて、実際のところ増田本人も曖昧なイメージしかできていないものを、具体的な像として掴めてると錯覚して脳内で処理してるような節がある。
だからこれらを具体的にマッチングアプリの相手に求めてるのか求めてないのかも第三者から見てよくわからないし、増田本人も実際のところ相手に何をしてほしいか具体的に考えられてないのかもしれん。
結果、出会いの現場では「なんかいい感じのコミュニケーション」を目指して脊髄反射的に対応してるけど、事後に振り返った時に「こっちとしては仕事以外の話(どんな?)も頑張って振った(どうやって?)のに満足(どのくらい?)のいく答え(具体的には?)が返ってこなかった」みたいな超ふわふわした感想しか出てこなくて、それを増田に書きなぐって大漁旗を掲げるに至ったってワケ。
加えて言うなら
これとか、明らかに自分の悩みの解決には結びつかないどうでもいい情報を「なんか実のあるっぽいこと言いてぇ」って衝動だけで書いちゃってるんだよな。いやここ増田だし全然いいんだけど、その違和感に釣り釣り言ってキャッキャしちゃうブクマカが湧くだけで実益はゼロでなんにもならん。
結論として、増田は自分のやりたいことだったり目標を具体的にまとめるのが苦手で、それをあまり自覚できないってことをまず自覚すべきじゃないかと思った。
大学生の時に、友達とファストフード店に入ったんだ。それぞれ会計して、品物を受け取った時に友達がさらっと「ありがとうございまーす」って言って受け取ったのを見た。
それが本当に衝撃的で、「あ、そうか私は今店員さんからものをもらったんだ」「友達にもらったらありがとうっていうのに、知らない人からもらったらありがとうって言ってない」と気づいた。
正確には物をもらったらお辞儀はしてたけど声に出してお礼なんてしないし、言っても「ありがとう」ではなく「すみません」と言っていたと思う。コミュ障なので横暴なことはできないけど、急に声を出せないので先に身振り手振りが出てしまっていた。普通に挙動不審だったと思う。
その後「ここはありがとうだよね」ってはっきり指摘されることがあり(一回だけだけど)、私って人にお礼を言えない人間なんだなと気づいた。それから、受け取る時は「ありがとうございます」、お皿を返す時は「ごちそうさまでした」を言うようにしている。
友達本人は私にそんなこと言ったのを覚えていなくて、「私あの時ああ言ってもらえて本当に人生変わった、本当に感謝してる」と伝えたら「そんなこと言った…?覚えてない…」と真顔で言われた。
店員さんにありがとうと言ってる人なんてそこらじゅうにいるのにあの瞬間まで見えてなかったのが不思議でしょうがない。
副産物なんだけど、こちらから「ありがとう」の一言を言えるようになって会話の自信がついた。
第一声で変なことを言ってしまったらという不安で会話に強烈な苦手意識を持っていたけど、お礼ならどんなタイミングで言っても問題ない。
ときどきパニクって、相手から謝られてるのに「ありがとうございます!」って返して相手を混乱させたこともあるけど、多少会話でミスっても死ぬことはないと学んだ。
いまだにコミュ障ではあるけど、あの時のコミュニケーション能力と比べたら雲泥の差があると感じてる。
逐次お礼を言うことは身についたので、次は相槌レベルで「すみません」と言ってしまうことを改善したいな。
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早々に「増田でこんな事書くんじゃありません」って言われたからこんなに伸びると思ってなかった。
人気エントリー入っててびっくりした。
少しだけ釈明させてください。
友達が「ここはありがとうだよね」って言ってきたのは友達が私が遅刻した授業の配布プリントを多めに確保してくれて、それを受け取る時だったと記憶してる。つまり、私が恩知らずだっただけって事。
「あの時言ってくれたから〜」って話をしたとき本人全く覚えてなかったけど、「そんなこと言うなんて性格悪くない…!?」ってびっくりしてたので、普通に失礼すぎて腹に据えかねたんだと思うよ。
零細企業の偉い人やってるけど、本当にそう思う。
逆に言えばそういうやつじゃないと求人応募に来るわけない。
能力の平均値が20点ぐらいのおっさん集団を眺め、あるいは個々人を眺め、
ぎりぎり50点を出せる得意分野にフォーカスして鍛えてあげる。
あるいはチームになれば50点が出せるように動かしてあげる。
やってることは学芸会みたいに幼稚でレベルが低いことだけど、クソゴミ零細企業はクソゴミ零細企業なりに社員と向き合っているのです。
零細企業に流れ着くようなおっさんにコミュニケーション能力と業務処理能力と会社全体を見る広い視野のすべてを求めるなんて土台無理。
そういうおっさんを俺たち零細企業が抱えてあげてるから、大企業様は優秀な若者たちだけで運営していける。
感謝してほしい。
なんていうか、こういうものを「コミュニケーション能力」と言うのが問題だと思うわ。
職場の同期なんだけどなんか一挙手一投足が良い。好き。なんだけどそもそも職場恋愛って時点でハードルが高い。自分のコミュニケーション能力が低いのでロクに世間話もできない。あと趣味もまるっきり違う。
20代中盤までロクに恋愛してこなかったツケが来ているなと感じる。
なんか後から裏でやたら顔を褒められているとかいう話を聞いて「内心うおおおおお」とはなるけど、だからなんだって話なんだよな。
そもそも職場だし同僚にも「暗いぞ~w」とか言われがちな自分が急に誘って来たらぬいペニどころの騒ぎじゃない。「職場陰キャ唐突サシ飯要求」、そのままの字面でもう露悪足りうる。
とかウジウジしてる間に向こうはさっさと良さげなパートナーを見つけて結婚でもするんだろう。NTR嫌いじゃないし悪くないかもしれん。この場合はBSSか。(でも一番好きなのは純愛ものなんだよな)
別にこれまで経験あればここでうまくいけたはずなのにとか思ってないけど、じゃあ今後これを放っておいて改善されるわけもない。
このしょうもないループから抜け出せないのか?抜け出せた、抜け出せなかった人の体験談がほしい。どちらも人生の励みにしたい。
仕事のコミュニケーション能力は女が社会生活上で培ってきたそれとは性質が違うからね
男が女にもとめるコミュニケーション能力はオカンと同レベルのものです。
小3の息子の授業参観に行ったが、無理ゲーすぎて不安になった。
ただ、それを隣の人と相談してつくることになっていた。
文が完成したら、次は4人グループになって、それぞれの文章を出し合ってストーリーにする。
その際に「そして」などの接続詞を使うこと。
完成したら、最後にクラスみんなで文を出し合ってストーリーを作り上げる。
いやいや、難易度高すぎる。
文章を作るだけでも難しいのに、隣の人と相談してってのが難しい。
コミュニケーション能力が必要だし、隣がやる気ないと詰む。実際詰んでるペアもいた。
そしたら次に4人組になってもう一回ストーリーを作る。それも難し過ぎる。
「小2の漢字を書ける」
「文章を作る」
「ストーリーを組み立てる」
「隣と話し合う」
「4人で話し合う」
「接続詞を使う」
実際時間内にできなかったし、4人とも黙って何もしてないグループもいた。
親としてどうすればいいのか。