はてなキーワード: バッターとは
圧倒的って感じがする。
何が違うんだろうな。
面白さに好みや運で片付けられない確かな方程式みたいのがある。
どうやったら良いのが出来るのか理解した上でやってないと出ないような打率というか。
バッターがボールを打つ時にヤマカンで次の球種を当ててるんじゃなくてシッカリ目で把握してからバットを当てていくような確実さ。
深夜アニメが何をやれば客に望んだものを提供することになるのか理解した上で、客が「サラダ食いたい」と言うのは無視してビッグマックを提供するような安定感。
つまんない表現になるが「化け物じみてる」とでも言うんかね。
少年野球とかで「ボールをよく見ろ」って指導してるけど、間違いらしいね。
https://anond.hatelabo.jp/20220522134825
小学校で特にルールの説明もなにもなく、チーム組んで野球やりなさいという体育教師からの指示。
野球に興味のない当時の俺にとって「ボール投げて、バットでボール打って、打てたら塁に進んで、一周したら点とれる」くらいの知識しかないので(今でも大して変わらない)、
打ったボールが野手にキャッチされるとアウトになるなんて知らず(知ってる人からすれば「常識」なんだろうけど、野球自体に興味ない小学生なんだから知らねえよ!)
先に運よくヒットを打って塁にいた俺は次のバッターが打ったのを見て走り、野手にダイレクトキャッチされたので戻らないといけない(んだよね?今でもよくわからん)ところ、そのまま次の塁まで走り、なぜか野手が1塁にボール投げたあと2塁に投げてこないのでそのまま次の塁に走り続け(それができるのは知ってた)、ベースまで走り得意げにランニングホームランを果たしたのだった。
仲間からの称賛を期待して皆のいるところを見た俺に向けられてたのは、怒りと呆れの混じった表情と「○○、何やってんだ!」という罵声であった。
その後、相手も小学生なので「なんでアウトになったのに1塁に戻らず進んでるんだよ!~~~なんだよ!」とよくわからない説明を早口で言われ、何かいけないことをやってしまったのはわかったが何がだめなのかは理解できないままで、その後も「何か野球には俺の知らないルールがいろいろあるようだ」とビクビク戸惑って、塁に出ないようにあえて空振りして終わらせたのだった。
なんで体育の球技、座学の説明なしでいきなりやらせるんだろうね。
みな俺と同じレベルの幼稚園児なみの知識なら「打って、走って」だけで楽しめただろうけど、俺みたいな興味無し子供と、少年野球やってて知識はプロ同等にある子供が一緒にやって成り立つわけねーじゃん。
あれから高校に至るまで、根本的な球技センスのなさ(運痴)もありずーっと体育の授業の集団競技が嫌で嫌で苦しんできた。体を動かすの自体は嫌いでなかったのでマラソンや短距離走なら「今日の体育は当たりだ」と嬉しかったが、中高では体育全体が嫌いになってきた。
高校卒業して大学に入って一番うれしかったのが「もう体育の授業がない!」だったし、就職するとき一番心配だったのが「職場対抗○○大会がないか心配だなぁ」だったくらいだ。
学校の体育の授業がなければこれほど運動嫌いにならず、今もっと体を動かしてただろうなぁと思う。
体育嫌いのきっかけになった小学校の野球の一件は40歳になった今でも人生10本指に入る嫌な思い出として残ってて、ホームベースの俺に向けられた友達たちの怒りと呆れの混じった表情はいまでも焼き付いてる。
今の体育の授業は改善されてるんだろうか?
昨年辺りからバッターランナーの【二塁進塁意思判定】というのが厳しく取られるようになった気がする。
一塁を駆け抜けた後、暴投などを見て二塁方向にビクッと動いたら進塁意思ありと判断してタッチアウト可能になるようになるケースを見かけるようになった。
なので、それを利用してこんなのはどうだろうか?
旧来のジェンダー観ってなに?そして男性はみんなそれに染まってるの?若年男性は辛うじて「染まりきってない」やつもどこかにはいる、とかなの?なんなのその男性観。人の偏見には意識高いのに自分の偏見感知するアンテナは死んでんな。
その男性観が間違っている理由を一切言ってない。旧来のジェンダー観とは何か、発言者に聞いてないし調べようともしてないよね。偏見を喝破しようとするのに言ってる自身は無根拠に自分の考えを信じ込んでいる。
依存心強いタイプの女が欲しがってるシーンを見たことがあるの? ワンストライク。
そんなんホストか、詐欺師か、媚びまくることでコミュニティに居場所を作ろうというスタンスの精神的に歪んだやつで、どれであっても健全な存在じゃない。
ホストは健全な存在じゃない。それ、実名のアカウントで言ってみろよ。ツーストライク。
だいたい描いてるのが若くも男性でもない人で、
若い男性じゃなかったら、リアルな若い男性を書かないなんてそんな馬鹿げた話はない。作者の性別年齢は創作キャラクターの実在性を論ずる際になんの説得力も持たない。すべての創作は現実世界を観察して、空想の中で作られるもの。スリーストライク、バッターアウト。偏見にまみれながら偏見を指摘する死んだアンテナ持ちはバッターボックスから退場してください。ちょっとは反転して考えるってできないの、とは誰の言葉だったかしら。
読者をどうしたいか、って狙いは作家の多くにあると思うけどさ。それをイチイチ、ずるさだのとあげつらうのも歪んでると思うよ。逆に、ずるくない作家って一体誰だよ。
迎合的なへつらいに満ち溢れたサービス精神で生み出された理想像だとしてさ、発言者はそこに「旧来のジェンダー観に染まりきってなさ」を見出して、そういう男性はいるかもしれないって希望を言ってるんでしょう。整くんそのものな人がいる、とは言ってない。
彼本人の設定上の下心の有無も、作者の意図も関係なく、理想の限定的な一部分をピックアップしている。オタクの熱弁だって同じことだ。主張が乱心なのかは「こういう子」がどこまでを拾っているかによる。
フィクションの感想を全面的に現実と混同していると拡大解釈して、勝手に恐怖する。そういうこと言い出すやつがいるからキショ怖いんだよなあ。