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はてなキーワード: 抗がん剤とは

2024-11-21

がんの猫の通院、10時間かかる

タイトル通りである

ほぼ週一で猫の通院に10時間かけているので、インパクトを持つタイトルであるか否かの感覚も既にかなり曖昧になってきている。

しかしながら10時間だ。

所定労働時間

月延べ40時間、猫の通院に時間をかけている今は、人生を振り返ってみてもかなり稀有体験をしている時期だ。

このエントリは、そういう時期についての個人的な記録です。

敬意

この記録を残そうと思うにあたり、まず、担当獣医師、及び飼い猫(順不同)に敬意を払いたい。

健康だった時期の飼い猫を知っている身としては、通院に時間を費やさなければならない現状に文句たらたらではあるが、獣医療と猫に対しての敬意だけは常に忘れてはならないと感じている。

担当獣医師は、少なくとも飼い猫を診せる日は、おそらく10時間以上勤務しているはずだ。重病を抱え、寿命がそう長くはないであろう犬や猫が集まる医療センター10時間、ないしはそれ以上の勤務、それによる凄まじき労苦は想像に難くない。

対して飼い猫は、朝から晩までの間、檻に入れられているか抗がん剤の投与をされている。週に一度とはいえ人間エゴイズムによりそんな訳のわからない目に遭わせてしまって、心底申し訳ないとは思っている。

担当獣医師と猫に敬意を持ち、それぞれの境遇にも思いを馳せながら、文章を記すことにする。

患う猫(とその見た目について)

猫は現在15歳の老雄猫である。約一年前にがんであることが発覚し、経口薬その他による対処や諸々の検査を経て、約二か月前から血液投与による抗がん剤治療を開始した。

チャーミングな見た目についても少し記しておこう。

毛並みはサビ模様と白い胸毛(および腹毛)、靴下のような白い足先がトレードマークで、なかなか洒落雰囲気だ。

耳の形は猫らしい三角形ではなく、丸みを帯びていて、常にぴん、と立っている。

猫らしからぬその耳の形状故に、電車の隣席に座った女性からケージを見つめながら「うさぎちゃんですか?」と訊かれたことがある。猫です。

そんな茶目っ気すら感じる飼い猫が、がんにより闘病中だ。なかなか、ままならないものである

狂気時間

10時間も何するんすか、と改めて思うが、時間割としては以下の通りである

1) 午前8時~午前9時(1時間):往路(自宅から病院まで)

2) 午前9時~午後13時(4時間):猫を病院に預け、抗がん剤投与前の検査

3) 午後13時~午後16時(3時間):検査結果確認後、抗がん剤投与

4) 午後16時~午後17時(1時間):医師との面談、薬の処方、会計

5) 午後17時~午後18時(1時間):復路(病院から自宅まで)

1)、5)の往復路にかかる時間や、4)に関しては大した話ではない。

2)、3)が曲者だ。

「通院」の大部分を占める7時間をどのように過ごすか。

医療センター辺鄙な立地にあり、周辺に存在している施設はごく限られたものになる。

飲食店で過ごすのも手だが、せいぜい潰せる時間は2、3時間程度である

そもそも、猫の検査結果や現在の体調、検査中の猫の姿を思いながら過ごす時間というのは、憂鬱であり、賑やかな飲食店で過ごすには心が落ち着かない。

少し足を延ばせばラブホがあるが、毎週ラブホに行くのも滞在費が嵩んで仕方がない。観光できるような場所も近くには存在しない。

そうなると、行きつく先は自然と定まってくる。

鬱箱収容7時間

通院時間のメインである7時間を過ごす場所として最終的に落ち着いたのは、インターネットカフェ通称「鬱箱」である。(これは世間一般における通称ではなく、私が便宜的に名付けたという意味での通称です)

人々が蚕の繭のように小箱収納されており、その小箱は窓がなく、暗い。曇っていようが晴れていようが、空が見えない。常に暗い。

パソコンの画面には、よすがを求める者に向けた結婚相談所広告や、行く当てのない者に向けた入寮可能、即金の仕事を勧める広告が忙しなく踊っている。

そんな小箱の中で、猫のことで気を揉みに揉みながら7時間過ごす。

鬱を加速させるしかない、暗い、箱。まさに鬱箱である

しかしながら、7時間という迫力のある長い時間を過ごすには、やはり鬱箱以外にはなかなか見当がつかない。

7時間のうち2割はパソコンでの作業に充て、1割は食事病院との連絡に充て、4割は眠り、3割は『あたしンち』(これ以外に鬱を加速させない漫画を知らない)を読む時間に充てる。

不穏な時間の中、暗闇で読んでも鬱が加速しない漫画を知っている人がいたら、ぜひ教えていただきたい。

現在の救い

ここまで散々陰鬱トホホ文章ばかり記してきたが、救いはある。

猫が元気なのである

猫は少々痩せてはいるが、闘病中ながら食欲は大変旺盛で、便通も申し分ない。家の中を悠然と徘徊し、腹を天に向けて放り出し、ぐうぐうと眠る元気がある。

先日も通院から帰宅し、屋内に開放した途端に人間の足元に纏わりつき、ニャンニャンと大声で啼いて飯の催促を始めた。もちろん大盛りの猫缶を食わせてやった。処方された薬も忘れずに。

投薬の効果か否かは定かではないが、本当にがんなのか疑わしいほどの生活ぶりだ。

ともあれ、本猫に今、有り余る元気があるのは何よりなことだ。

猫が生きて十五年を過ぎ、これからもまだ元気でいてくれるなら、通院10時間も苦ではないと思っている。

いや、少ししんどいが。会計金額を見て、毎回眩暈がするような思いをしているが。頑張りたいと思っている。

病院を訪れて、病院から猫を連れて帰る頃には日がとっぷり暮れていようと、鬱箱に7時間籠ろうと、猫が元気ならば、頑張りたい。

猫も、もしま人間寝床に潜り込んでくることが楽しいのならば。申し訳ないが病院へ連れていくことを、どうか許してほしい。

猫、通院を我慢してくれて、元気でいてくれてありがとう

担当獣医師も、毎回真摯に向き合ってくれて本当にありがとう

そして、鬱箱の店員さんも、いつも私に温かいポテトフライを揚げてくれてありがとう

鬱箱って言ってすみません。でも、ネカフェって鬱箱すぎます

これからもお世話になります

2024-11-19

anond:20241118074251

愛猫享年5歳)を悪性リンパ腫で亡くした元飼い主だけど

生きて欲しいと抗がん剤や投薬を頑張って貰っても

飼い主のエゴで怖い通院、入院で辛い思いさせただけだったのかな

と思いながら家で涙して看取った二ヶ月だった

2024-11-17

マイナンバー保険証によせて

マイナンバー保険証の期日も迫ってきたところで、医療事務ちょっとだけわかる増田保険請求についてつらつら書いてみる。

登録制

病院にかかると患者は一部の負担金だけを払い、残りは保険から病院に直接支払われる。

というのが皆さんご存じの保険医療で、どこの病院でもそんなものと思っているけど、実は保険医療登録された医療機関登録された医師歯科医師薬剤師によってしか行うことができない。

登録なので、登録自体比較簡単に行うことができるが、逆に言うと登録抹消も医師免許取り消しなんかに比べ簡単に行われる。

国民皆保険体制下で医師登録抹消されれば、もうまともな病院で働くことは出来ないし、医療機関登録抹消されれば、もう廃業しかない。

やばい医師があちこち病院不正を行うことと、やばい医療機関医師使い捨てにして不正を行うことの両方に網がかけられているわけだ。

レセコン

保険医療機関診療した費用のうち、患者自費負担分を除いて保険者(保険会社の公的なやつ)に請求する。この請求レセプトという。

このレセプトを処理するコンピューターを略してレセコンである

医療事務入力する端末に対してサーバー保険者のサーバーに対してクライアント。日々入力されたものを月一のバッチ処理保険者へ送る。

保険医療制度は膨大で複雑である。使える薬だけでも1万5千種以上、それぞれに使える病気・処方できる量・価格が決まっている。当然検査や手術などもそうだ。費用負担割合一定ではなく、老人・結核難病など負担割合が変わり、乳幼児一人親家庭など自治体によって補助が変わるものもある。これらは定期的に更新される。

また、病院会計待ちでイライラした人もいるかもしれないが、これらは可能な限り速く正確に入力されなければならない。病院ごとに採用医薬品は異なり(大規模病院で1000種ぐらい)ショートカット記号割り当て、約束処方、Do処方などカスタマイズの限りを尽くすことになる。ベテラン新人医療事務で100倍くらい(は言い過ぎか)処理速度が変わる。ITにつよいはてなー諸氏はもうワクワクしてきたのではないか

レセコンの歴史は古い。古くは1970年代初頭から導入が始まったと言われ、増田が入職した2000年初頭には、Cobolを使うサーバーで巨大な磁気保存装置ぶんぶん回り懐かしい穴あき用紙を使う高速プリンターが毎月段ボール何箱ものレセプト(保管用)を吐き出していた。大規模な医療機関ほど人件費から導入の圧力は強く、保険請求周りの電子化の進展はかなり速かった(一方、零細診療所は設備投資が重く今だ紙である)。

返戻

保険請求はだいたい3ヶ月くらいで支払われるが、支払われないこともある。これこれの理由で支払えません、と戻ってくるそのことを返戻(へんれい)という。

不正請求600万件!!とか盛り上がってるその600万件は返戻のことである。なお、この不正は、違法意味するのではなく、コンピューター用語で使われる不整合くらいの意味である

内訳は圧倒的に保険番号の間違いが多い。なぜかというと世の中には種々の都合で保険が変わる人がいるが、病気手続きを待ってくれないので、前の保険証病院にかかることになるからだ。結果として、そんな加入者いないよという返戻が来るので、患者さんに新しい保険証確認して請求しなおすことになる。マイナ保険証でこの手間がなくなるのだが、正直なところ、毎月の定型事務作業なので大した手間ではないのに対し、マイナ保険証周りの患者対応相手人間なのでそれなりの手間である。読み取り機など設備投資も、前述のレセコンとは全く別建ての話となる。患者対応から残業や種々のコスト病院経営悪化し、それを救済するためにあちこち数字をいじって、まわりまわって医療費増ということになりかねない。

閑話休題医師権限は強いので、医療必要となれば何でもできる。電カルがエラー吐こうが無視すれば何でもできる。結果として返戻をもらう。

病院が原因の返戻というのはとても痛い。本屋万引き一件の損害を取り戻すためには大量に売らないといけないのと同じで、利益率が極薄の病院返戻を食らうと経営に大きなダメージがある。

病院長は毎月青筋を立てながら返戻率とにらめっこして、やらかし医師シバキ上げることになる。

湿布の出し過ぎなどなら実際には金額的に大したことはないのだが、最近怖いのは抗体医薬品など超高価な抗がん剤だ。超高価だから保険でも使用できるがんの種類は厳格に制限されている。しかし、ほかに手立てがなくて小さな子供が「ママ死なないで」って縋り付いてたりして… それで一線を越えてしまい、その上効いてしまい「先生は命の恩人です」みたいになってしまったら… 病院の存続にかかわることになる。

指導

保険医療機関保険から指導を受けることになる。

指導には集団指導個別指導がある。

集団指導は、毎年行われるもので、制度の新設や変更の説明や、返戻となりやすものの注意など、運転免許更新講習をイメージしていただくとそんな感じである

個別指導は、監査である

個別指導が当たるのは、新設された病院、大規模病院、しばらく当たってない病院、それと怪しいことをした病院である

個別指導に当たると、ある一定期間のカルテなど全資料を持って出頭するように命じられる。そのうえで、保険者があらかじめリストアップしてきた怪しい処方について片っ端から問い詰められることになる。

この時の基準は明確なものだけではなく、医療の進展により諸説出てきたものや、場合によっては指導員(偉い医師)の個人的判断にもよる。

指摘を受けたものに対し、カルテなどを示し、医療的に必要ものであったことをその場で即答しなければいけない。奇跡が起きれば、問題なしということで支払いされる。だいたいは、医療的に間違いとまでは言えないけれど、保険診療の枠内ではないと言われて返戻となる(大ダメージ)。舐めた対応をとると、最悪保険医療機関登録取り消しで廃業である即死)。

個別指導に当たると、事務長が禿げあがるとか入院するとか言われる極めてストレスフルな行事である

そのため、普通病院患者によるものも含め不正に対して見た目よりかなり敏感である(片言の外国人日本人保険証を出したりしたら即通報)。

いかがでしたか

2024-11-14

大病は何らかのバチなのか

現在、私は夏にステージIVの癌と宣告されて闘病中。この癌の転移期の平均生存期間は1年と少しほど。現在治療を進めている。運悪く抗がん剤との相性が悪く、薬疹を繰り返して治療はなかなか進まない。ステージ生存期間なんかの細かいことは書いていないが、SNS趣味アカウントには癌になり、先の治療スケジュールが読めないことや体調面を考慮して今後リアルイベントへの参戦が難しくなることを呟いていた。

治療のため一昨日入院し、昨日退院。昨晩、家で趣味アカウント流れるフォロイーの呟きを眺めていた時のこと。

──職場不倫している人が居る。

──気持ちが悪いからバチが当たってほしい。

──神様は見ている。

──現に悪いことをした人は大病を患った。

──だから不倫したその人も大病を患ってほしい。

自分よりも一回りほど年上の相互の呟きだった。

決して私個人に宛てられたものではないものの、「悪いことをしたバチとして大病になってほしい」という趣旨の呟きに心はどんよりとした。

かに不倫は良くない。不倫当事者家族への裏切り行為だ。当事者の後先を考えていない浮ついた出来心によって家族人生を大きく変えてしまう。なんて浅はかな行為だろうと思う。

ただ、それはそれとして、「悪いことをした=大病になる(なってほしい)」という考えはどうなんだろう。不倫が良くないのは大前提として、その罰として「社会的制裁を受けてほしい」ならまだ分かるが、誰がいつなるか、本人の意思や日頃の行いに関係なく患う「大病」を不倫の罰に繋げるのはちょっと違うんじゃないかと思う。

この相互ツイートを宛てた先はあくまでも不倫した社内の人だと思う。この相互には実際に大病を患った人のことなんて目に入っていないし、考えてもいない。不倫した罰として大病になってほしいと言う趣旨ツイートをするが、大病は悪さをした人が受けるバチでもなんでもない。私は既婚者だが、不倫をしたから癌になったわけではない。大病が何かしら悪さをしたバチだと言うのは、あまりにも大病を患った人に失礼すぎる。この相互の周りにはおそらく大病を患ったことがある人はいないのだろう。なんて幸せ世間知らずなのだろう。

私自身は20代でガン宣告を受けたことや度重なる薬疹で進まない治療治療副作用に苦しめられていること等諸々の理不尽なことが積み重なり、もう神の存在なんて信じちゃいない。しかし、「神様は見ている」と言う相互の言う通りに神がいるのだとしたら、こんな不謹慎発言をしたこ相互こそが何かしらの罰を受ける対象になるんじゃなかろうかと思う。ただ、私は大病は悪さをしたバチでもなんでもないと思っているので、「大病を何か悪さをした罰だと言ったこいつが大病になりますように」とは思わない。願うこともない。

私が願うのは、

趣味アカウント自分当事者でも何でもない不倫について延々と呟くことが場違いなことに気づけないこと(この相互は「日常のこととヲタクのことでアカウントを分けたい」という理由日常垢は別に持っている)

不倫の罰として大病になってほしいと発言したこと

この相互フォロワー上記について、この相互の考えのおかしさに気づき、こいつのことを嫌いになること。価値観を疑うこと。離れること。ただ、それだけだ。

どうかこの愚痴を見て、大病をまるで何らかの罰かのように「悪いことをした人は大病になれ!」と言って、大病を患っている人やその家族の人を傷つける人、また、そういう考えを持つ人が1人でも減るといいなと思う。

大病は何かしら悪さをしたから患うものではありません。

2024-11-01

被爆たかもしれん

動物の死に関する話題なので苦手な人は以下読まないでください

経緯

飼い猫ががん宣告を受けた。

これだけでも大変つらい。が、老猫なのである程度は覚悟が出来ていた。

なんと今は抗がん剤の飲み薬があるそうだ。

副作用が強く出る子もいるし、体に合ったとしても延命できるのはせいぜい数ヶ月しかない、その上でどうするか家族で話し合ってください、と獣医先生から言われた。

実は3年前にも腫瘍が見つかっており、その時に猫の将来、つまり終末期については会話していた。

(なおこの時の腫瘍は手術後に良性だと確認が取れ、get KOTONAKIだった)

その時から家族全員で意識共有が出来ていたため、今回もほぼすんなり結論が出た。

「とりあえず1サイクル試してみる。もし体に合うのであれば継続副作用が辛そうであれば諦める。」

先生結論を報告すると、さっそく抗がん剤が処方された。

ラディア錠、という名前だった。

それを今日初めて与えたのだった。

我が家の猫様は高齢故に持病があり、元々そちらの薬を毎日与えていたため、上記抗がん剤も同じような手順で一緒に与えた。

すなわち、錠を砕いて粉末にして、液体おやつに混ぜて、人間の指で掬って一口ずつ舐めてもらう、といういつもの手順で。

ラディア錠は鮮やかなオレンジ色をしていた。

猫が全て舐め終わった後に石鹸で何度も洗ったが、指の黄色が落ちない。

カレー粉を想像してもらいたい。一度染み付いたあと洗うと少しは色が薄くなるものの黄ばんだのは直らない、あの感じだ)

これ他の人はどうやって落としてるのかな、と軽い気持ちで薬の名前検索すると、関連ワードも表示される。

素手」そう、それで困ってるんだよ。

手袋」似たようなワードだな、みんな同じ道辿ってるのかな。

被爆」……うん?

突然混ざる不穏な単語が気になったのでタップする。

素手等についてしまった場合には十分な流水で洗浄してください」

なんだか劇薬に触れた場合対応方法みたいな説明なんだが。

いやな気配を察知して検索結果を追っていき、やがて製薬会社が出してる薬剤情報みたいなPDFに辿り着いた。

ファイル名のせいで正しくリンクできなさそうなのでアドレスコピペしてくれ)

https://www2.zoetis.jp/content/_assets/Palladia/index/medication_information_sheet-(3).pdf

「取扱いの説明」より、このエントリに関わる部分を引用させていただく。

>このおくすりは、(中略)割らないでください。

>(前略)飲み残してしまっとおくすりに、ご家族がうっかりさわってしま危険を減らすためです。

かなり取り扱い危険なんじゃん!

そんな危険な薬をなぜろくな説明もせずに渡してきたんだ動物病院の人たち!!

そして今に至る

自分被爆が怖いから猫の治療やめるのか?と言われたら断じてNOなのだが、手袋使えとか砕くなとかは事前に知ってれば回避できたルートというのが業腹である

というか自分だけなら「ショックだけどやってしまった以上はまあ仕方ないか」で済ませられるのだが、問題家族である

さな子供がいない家庭なのはいであったが、だからって老い先短い両親や今後妊娠可能性が無くもない妹まで、自分のせいで被爆させてしまたかもしれないという事実が重い。重すぎる。

ただでさえ猫のがん宣告でめっきり落ち込んでいたメンタルに更に大ダメージの追撃が入った。

つらい。

そしてこの情報を朝になったら家族に伝えなければならないというのが更につらい。

あとがき

というわけで今後ペットのがん治療をされる皆様は、どうかこのエントリ反面教師にして頂きたい。

なお薬を飲ませてから1時間半くらい経つが猫は静かに寝ているので今のところ一安心だ。

ここまで読んでくれた人、良かったらうちの子長生きを祈ってもらえると嬉しい。

世界中の猫や動物健康幸せであらんことを。

2024-10-13

anond:20241013203542

池田清彦 - Wikipedia

人為的地球温暖化に対する懐疑論を主張している。しかし、当該分野の専門家[4]からは、不正であるとの指摘を受けている[5]。また、IPCC第4次評価報告書結論とは異なっている。たとえば、温暖化ヒートアイランド現象以上のものではないと主張しているが、ヒートアイランドの影響範囲地球全体のごく一部のため[6]、ヒートアイランドの影響量は産業革命以降に観測されている温暖化の2-4%程度に過ぎないと見積もられている[7]。



池田早大教授「がんは放置するのが一番いい」 | 概要 | AERA dot. (アエラドット)

近藤の主張は、血液のがんなどの特殊ながんを除き胃がん肺がん大腸がんなどのいわゆる固形がんは、治療をしても延命効果は期待できないというものだ。がんは基本的放置しておくのが一番というのだから医学から蛇蝎のように嫌われるのは当然だ。近藤一般書を積極的に書きはじめた1990年代の半ばから、私は近藤の主張を私なりに検討した結果、データ豊富さ、推論の正しさなから近藤説はほぼ正しいと確信するに至った。

本の売れ行きを見る限り、今また近藤の主張は多くの人に支持されて拡がりつつあるようだ。医学界は必死抵抗を試みるだろう。がんは放置しておくのが一番いいということになれば、がんの手術に携わる外科医抗がん剤製造している製薬会社おまんまの食い上げになるからだ。しかし、患者医学界の金儲けのために存在するわけではない。がん患者が手術や抗がん剤で殺されることはあっても、外科医おまんまの食い上げになって死ぬことはない。どちらがいいか自明であろう。

2024-10-09

anond:20241006211836

30代前半にてガンに罹患

手術、抗がん剤によるハゲからの髪の毛復活、ホルモン注射を経て投薬のみで生き延びてる。

手術による20cm以上の傷跡、投薬が継続していることによる影響での不妊からおそらく婚活市場から大きく外れた存在となりました。

おかげさまで再発もなく元気ですし、婚活市場から放り出されたことでわざわざカタログギフトからものを選んだり、選ばれたりというような行為から抜け出すことができました。

抜け出しても全然いいや、なんだったんだろうあの時間くらいな気持ちです。それでも友だちが結婚していくともの寂しさはありますが。

本当にそこまで欲しいかからないけど、損かもしれないし皆やってるし、それが社会の当たり前だしみたいな延長で必死に個を削って女になろうとして、皆と一緒になろうとしていたけどどうでも良くなってしまった。

手術経験やがん罹患経験出産しない女であることを伝えるだけで「いいね」をしない多くの異性たちと結婚しようとしてたのかあ、みたいな。そうじゃない人もいるだろうけどさ。

よくわからないことにこだわって皆と一緒の社会ステータスを得よう、でもそうじゃない人を笑ってはいけないか尊重してる素振りだけ見せとかないと(ゆうても自分社会ステータスがあるw)みたいな態度が透けて見えてる人のしょうもなさを感じてしまって人間関係もほそぼそとなっている。

仕事治療中も在宅で頑張って続けたおかげで収入も上がってきた。けどそれだけが私の人生ではないし、

一人で生活しながら、たまに友人や誰かのために料理したりプレゼント考えたりしてると本質的誰かのためにしているな、って思える。

実家にいた時は家族から一応しないと…だったけど心の底から誰かのために何かをしたいと思って行動してるな、と感じることも増えた。

いまはまだ手術後3年程度なのでお金借りるのが難しいんだけど数年内に家を買ってのんびり過ごしたいなって思う。

最近は今後発生するだろう親の介護とか自分が死んだ時の始末を考えてる。

考えることもやることもいっぱいだし、一人で生活してると全部自分でやらないとだからいろんなことに興味出るし知識つくし生きてるのが楽しくなってきた。

2024-10-05

anond:20241003112628

AYA世代乳がん患者です。化学療法・手術・放射線やっていまホルモン治療中。

標準治療選べば大丈夫抗がん剤によっては毛も抜けないし、傍目からはがん患者だなんて気がつかれない。

ホルモン陽性なら5〜10年のホルモン治療あるから長い付き合いになるけど、お互い頑張りましょ〜!

2024-10-04

母が陰謀論に染まりそう

助けてほしい。

完全に染まりきってないから今ならまだ引き返せるかもしれない。

母は今話題のレプリコンワクチンについて、Xでネガティブ意見をたくさん読んでいる。

から自然派っぽいところがあり、私が風邪を引いたときキャベツの葉をかぶらされたし、食品添加物とかをものすごく気にしていた。味の素ヤマザキ食パンマーガリン食卓に並んだことがない。

HPVワクチンも私が打つというとずっと反対していた。一回本気でケンカになって「もういい、勝手しろ」と言われた。来週1回目打ってくる。キャッチアップ、短縮日程になってしまったが仕方ない。

母は今までのコロナワクチンは4回目くらいまで打っているし、今もわりとコロナを気にしていてあまり遠出もしていない。

なぜ今になってこんなふうになってしまったんだろう。

美容院とか大手ヨガ教室とか札幌大谷とかが声明を出してるのを間に受けてて、打った人の呼気や汗からシェディングで〜と毎日私に話してくる。

そんなもの非科学的だ、といっても信じてくれない。私もあんたも理系じゃないから、理系のえらい人が言ってるなら信じる、だそうだ。とてもつらい。

私が受験生とき勉強を軽視していたし女は家に入ればいいんだ、とか言ってたのになあ…

抗がん剤では曝露があるからワクチンのシェディングも絶対ある、という。抗がん剤の曝露は正直私も初めて知ったので、うまく反論できなかった。こういうとき知識がないのと、ディベートが下手なことを心から悔やむ。

私の前ではシェディングを信じてもフラットアーサーになっても構わないけど、父とか友達とか親戚とかの前では絶対に言わないでほしい。

どうしたらいいんだろうなあ…

2024-10-03

anond:20241003143506

検診に行かなくて発見が遅れれば恐ろし抗がん剤コースになる

死ぬまでガンに気づかないなんてことないんだから早く定期的にいけ

anond:20241003112628

残念ながら抗がん剤によっては味覚の変化や脱毛は起きちまう可能性があるけど20年前といくらか違うのは抗がん剤の種類が増えたのと吐き気コントロールいくら進歩した点です。

しかしたら長い道のりになるかもしれない。けど、生き延びて。

anond:20241003112628

29歳で乳がんになって手術で全摘抗がん剤やっていま投薬のみですが元気です!

最長部分が10cm近くあるBIG腫瘍で脇のリンパマイクロ転移してたけど元気です!

髪も生えてきて再発もなく元気!

いまは35歳!元気!

乳がん全摘したとこの皮膚がつっぱるとかはあるけど、乳がなくなったことでむしろ「女らしさ」から降りられて気持ち的に楽にもなった!

スポブラで十分や!

結婚もしてないし薬飲んでる間妊娠しづらいらしいけど別に産みたい気持ちもなくなった!あれたぶん周りが産んでるから自分もその波に乗らなきゃってだけだね、アホらしかったな!って気付いた!

いままで思ってた以上に「女らしさ」としての結婚しないと…とか、子ども産まないと…みたいなのに縛られてたんだな!っていうのに気づけた。

みんなと同じことをやれない雰囲気の体になったおかげでそういうの軽く蹴飛ばせるようになった!

乳がんしてる、全摘して乳がない=女としての価値がなくてかわいそうみたいな空気を感じても、あら〜そういう考えなんだ〜そういう貧困思想の人のほうがかわいそうだなあ!くらいで気に病まない。

昔の私もこんなだったのかな〜みたいなノスタルジーちょっと感じる。

でもこれは結果として再発してないからだけどさ、検査中なんかは不安だよね。

私も仕事たまたま在宅できる仕事だったから良かったけどさそうじゃなかったらもっと不安だったろうな。

でも生きてる人がいるのも、かわいそ〜みたいな考えで遠巻きに見てくるやつよりも残念ながら友人たちとハッピーに生きてる人がいるのも事実からここに残しておくね。

乳がんが見つかった

40代前半、絶賛小学生育児中でいきなり乳がんが発覚した。

胸がちょっと痛いな…。生理前だからかな。ちょうど市からマンモグラフィクーポン来てるし行ってみよ。って行ってみたらあれよあれよ検査され、「乳がんです」って宣告された。

1月に定期検診でマンモして何も言われなかったのに!)

乳がん痛くない」ってネットに書いてるけど、痛かったよ。

私の周りの人や、SNSでいる乳がん経験結構「痛い」って言ってる人多いので これだけは覚えていってください!

胸の痛みは乳がん可能性、あります!!!

(ちなみにネックリングが痛い乳を冷やすのにちょうどいい形ってハック見つけたけど、ほんと それおかしいので病院行こうね…)



で、乳がんが見つかり手術して 今検査結果待ち中です。

詳しい結果はまだわかってない。

なんだけど、私母を乳がんで亡くしてる。

母も40代後半で見つかって、取ったものの再発して見つかって3年後に亡くなった。


母を亡くした後は本当に寂しかった。

もともと父や兄弟喧嘩しがちだったけど、ストッパーの母をなくして喧嘩は酷くなった。

私は家を早々に出た。

その後結婚出産育児(+若干の介護)を経験したが、「母が居てくれたらな」とおもうことは多かった。

母が好きなものが賑わってたら「母なら楽しんでたんだろうな」って考えたり。

そして出産育児していくと見えてくる「こんなタイミング乳がん分かったなんて、しんどかっただろうな」という気持ち…。

下の兄弟はまだ高校生だったし、心配だっただろうな。



そして今。

私はあの時の闘病生活のことを考える。

正直、母の闘病は数年だ。抗がん剤治療を行ったのは多分数ヶ月だ。

でも、母と20年一緒に居たはずなのに、母の姿を思い出そうとすると その時の数年…なんなら最後の数ヶ月の姿が 一番思い出す母の姿になってしまってる。

家族写真の母は、楽しそうで若くてきれいな人なのにな。仕事も楽しそうで、新しいことを学ぶことが好きで、好きなものがあって、夫婦喧嘩もせず 苦手なことはあったけど いつもニコニコ楽しく過ごしていた大好きな母だったのに。


そして、私は今「私もそうなるんじゃないか」という恐怖がすごい。

母が今までの元気な姿じゃなく変わっていき、気持ちもふさいでいった姿は 20代の私にはしんどかった。

私もああなるのではないか…。怖い。

夫はしょうがない。そうなっても受け入れてもらおうと思う。伴侶として。

ただ、こどもに私と同じような気持ちになってほしくないって思った。

元気な、いつも楽しそうにしてる私だけを見ていてほしい。

そんな私だけを覚えておいてほしい。

そう思ってしまっている。

母もそう思ってたんだろうか…。(もう最後はそういう気力もなかっただろうけど…)


それに私は子どもがどんな大人になるのか、見るのが楽しみだった。

声変わりしたらどんなんだろう、どんな道を選ぶんだろう。楽しみにしてる。

それなのに、私がいなくなったら、子どもは「お母さんがいなくなった子」という目でみられるんだよな…、「こういう時にお母さんがいたらな」って思いながら育っていくんだよな。私みたいに 今の私とは違った私を見ながら過ごしていくことになるんだよな…と悲しくなってしまう。


病気いやだ。

ほんと、なくなればいいのに。



母がそうだったので、私もなるのかなっていう不安はあった。

なのでがん保険には入ってた。

ちゃん申請したらまとまったお金が入ることになってる。

でも、今私が欲しいものお金じゃない。

健康だ。

数十年後の子もの姿を見たい。

でも、病気だし仕方ない、という気持ちもあるんだ…。

ーーーー

追記

皆さんやさしいコメントありがとうございます。元気だよという体験談も嬉しかったです。

+母の抗がん剤についての表記が気になったので変更しました。

気づくと今月10月ピンクリボン月間だった。

乳がんは早期発見であればあるほど生存率は高いということがわかったので、ぜひ定期検診は行ってください。

40代からは検診メニューにも入ってくるけど、20〜30代の癌患者さんも増えてきてるようです。(AYA世代といいます

違和感感じたら、都合つけて検診に行ってみてください。

2024-09-21

anond:20240915195228

色々と制作・それに伴う活動してる

呑めないし食もあんま興味ない

若年性がんやって、抗がん剤と手術の後遺症のせいで身体に無理きかないんで旅行とかは難しい

2024-09-12

ホットペッパービューティで「レプリコンワクチン予防接種した人は空気感染するから入店禁止」みたいなのをたくさん見たけれど、どこまで本当なんだろう??

ワクチンの毒?が空気感染する仕組みがどうしてもわからない。

抗がん剤と一緒、というけれど、抗がん剤のばく露だってそこまで感染力強くないでしょう?

一緒にいるだけでうつるくらいの毒だったら、接種直後に亡くなりそうなもんだけど。

そして、日本を滅ぼす目的でそんなのが作られたんだ!って意見もよく分からない。

何の目的日本を滅ぼすんだろう。

他国利益になるから

優秀すぎる日本人が怖いから、って意見も見たよ。

でも日本が滅びたら、日本に輸出している外国企業は損しませんか?

日本への旅行者や住んでいる外国人はどうなる?感染してしまますよ。

色々謎だらけでよくわからん

だれかおしえて

2024-07-10

説明なく抗がん剤の量を減らされた

おととし(2022年)の夏、母親が76歳でホジキンリンパ腫(ステージ3)になった。A-AVD療法を受けたのであるが、それで9割が治るようなので、治るとばかり思っていたのであるが、治らなかった。

標準量の6割しか投与されていなかった。別の病院に転院して、免疫療法(キイトルーダ)を受けたものの、こちらでも寛解せず(3割くらいは寛解するらしい)、延命になってしまった。

6割しか投与されていないので、髪の毛もそれほどは抜けなかった。

医者は投与量が減らされていることを全く説明しなかった。1,2回目の投与の時に入院している時、看護師同士が部屋で減薬していることを喋っていて、母はそれを聞いたので知ってはいたのだけど、そのとき医者に問い質せばよかった。そういうこともあるのかなくらいしか思っていなかった。

高齢だと医者副作用を怖れて、投与量を減らすことはあるらしい。しかし、転院した先の先生は、うちなら全量入れますと言っていた。そうすれば必ず治ったとは限らないが、いいところまで消えていたので、たぶん最初からそこに行っていれば治っていたと思う。

最初主治医は、がんの名前が分かったとき説明も「抗がん剤が効きやすいがんです」だけだった。説明が乏しく、たいがい一言しかない。

4クール(1クールで2回投与)が終わったときに、母が「いつCTを取るんですか」と聞いても「決めてます」としか答えなかった。このあたりでちょっとおかしいと思いだした。

最後抗がん剤ときに、母が「しんどいです」と訴えると、「じゃあ緩和ケアに行ったらどうですか、緩和ケアも立派な治療ですよ」と言われ、この先生ちょっとやばいんじゃないかと思ったものの、時すでに遅し。

入院しているときに病室に訪れることもなかった。

骨髄を取るときも、その先生は、麻酔をしてからすぐに骨髄を取ったから、ものすごく痛かったそうだが、転院した先の先生は、少し時間を置いてから取ったので、そこまでは痛くなかったらしい。歯医者などでも麻酔をしてから効き目があるまで待っているはずであり、そのくらいの配慮もできないようだ。

聞くところによると、その病院生え抜き優遇していて、そのため優れた医者が軒並み辞めていっているらしい。麻酔しか良い医者が残っていないそうだ。看板だったある診療科などは、名のある先生がいなくなったので、その科ごとなくなったらしい。

弁護士相談しに行ったけど門前払いで、医者裁量範囲であれば(今の主治医によるとそうらしい)、説明があろうがなかろうが、同意書にサインをしているので、説明義務違反で訴えても負けるらしい。

医者との会話を録音しておらず、説明がなかったことの証明はできないので期待はしていなかったが、それ以前の話のようだ。

これだと説明などしなくてもいいわけで、弁護士は「だから医者さんって優しくないでしょう」と言っていた。

長くなってしまったが、教訓を二つくらい記しておきたい。

一つは血液のがんを甘く見てはいけないということである。もし他のがんであれば、手術が必要になってくるだろうから、当初の病院では治療を受けなかったと思う。しかし、血液のがんということで、抗がん剤を打つだけなので、どこでも同じなのではないかと考えてしまった。

しかし、そうではない。抗がん剤副作用が出てくるので、それに対処できるかどうかは医者の腕次第であり、高齢者は副作用が出やすいので、腕がないと安易な減薬をしがちなようである。だから血液のがんでも、いい先生に診てもらった方がいい。こういう次第なので、高齢者こそいい先生に診てもらうべきなのかもしれない。

もう一つは、当たり前のことであるが、言葉の足りない医者は避けるべきであるということである。頭のいい先生であれば、ちゃんと答えるくらいは朝飯前であって、それができないというのは悪い兆ししかないようである

この経験で知ったのは、医者には天と地くらいのレベルの差があるということである。転院した先の先生は、説明は当然のようにちゃんとしてくれたし、質問にも答えてくれた。腕もあるようだ。最初からここに来ていたらたぶん助かったのにと思うと後悔でいっぱいが、転院できただけでも良かったとは思う。

こういう失敗はありがちなのだろうとは思うが、病院選びの失敗は本当に命に関わるし、後悔も大きいので、この文章をここまで読んでくれた人はくれぐれも注意してほしい。

2024-07-05

癌について誤解していた事

父が放射線治療をしたのだが、放射線をした後にもう一回同じ場所に再発した場合

もう一回放射線をする事が出来ないと言われた。

俺はこの意味理解できなくて医師説明を求めたのだが

放射線そもそも細胞自体ダメージを与えてしまう一度放射線を当てたところにやっても

ただダメージが蓄積されるだけということだった。

まり俺は癌を病原菌みたいなものだと思っていたのだが「元々は正常な細胞」だったもの変異したものなので

それを手術で取り除いたり放射線をやるということは細胞自体が無くなってしまうということだった。

もし同じ所に癌が出来上がってもそれはダメージが蓄積されている場所になるので

そこに更に放射線を当てたら正常な細胞ダメージを受けてしま逆効果ということだ。

から手術で切除もできない。放射線も駄目。

父が放射線をした理由抗がん剤がほぼ効かなくなってしまたからだ。

まりこの先癌が大きくなったらあとは手立てがない。

緩和ケア死ぬまで待つだけ。

何もできない。

現実が辛い。

舌がんになった男の一人語り

経歴

28歳。国立経営学部卒業新卒食品メーカー就職

およそ一年前に大腸がん罹患した疑惑が出るも、上下内視鏡超音波内視鏡超音波血液検査などあらゆる検査の結果問題なく、一年間のほほんと楽しく生活してきた。

舌癌に気がついたきっか

3日前、友人と飲食店唐揚げを食べた。

唐揚げを食べている時に「痛!」と痛みを感じていた。

唐揚げを強く噛み締めた時に舌の側面を強く噛んだので、その痛みだろうと思った。

実際にその時、口の中で血の味がしたのを覚えている。

一昨日と昨日もチクチクした痛みと違和感があったが放置

そして運命の今朝。

朝起きると口の中に強い違和感と痛み。

水を飲んでも痛い。口を動かしても痛い。飲み込みでも痛い。とにかく痛い。

恐る恐る痛い場所を見ると、下の側面に小豆のようなドス黒い腫れができており、その真横には小さい白い点ができていた。

少し触ってみた。ドス黒い大きな腫れは痛みがなく、痛みの原因は小さなさな白い点。

当初は口内炎思い込み安心しようとしていたが、ネットで調べてみたところ進行した舌がんの見た目が自分の口内の出来物とそっくりというかほぼ同じであった。

自分の症状

・舌の側面にできた異様でグロテスクなできもの

体重減少。社会人になって、一人暮らしを始めて食事がお粗末になったことがきっかけだと勝手に思い込んでいたが、進行した舌癌転移したことによるもの

・口の中の強い痛み。

・咳。職場流行っている夏風邪と思っていたが、肺転移の影響。

頭痛中学時代から頭痛持ちだったが、なんとなく昔から偏頭痛とは違う。脳転移によるものと思われる。

年齢、血の繋がった家族や親戚にガン罹患者がいないことなから最初は信じられなかったが、舌ガンについて色々調べていると二十代や三十代の患者の闘病記がXやアメブロなどでゴロゴロ出てきた。亡くなった方も。

対応

すぐに病院受診することも考えた。

しかし、もし進行していたらと考えたらいけなくなってしまった。病院のベッドに縛り付けられ、舌を切除され、全身を切り開かれ、その後効くのかどうかもわからない抗がん剤抗がん剤毒物と呼んで使用禁止を呼びかける医師がいることも知った)を投与されボロボロになって死ぬ担当医は高級キャバクラで俺が死んだことを電話で聞かされ「あーそう。死んだか。はいはい。忙しいから後でね」と電話を切って再び女の子口説き始めるんだろう。

仮に進行していなかったとしても、退院後一生再発の恐怖に怯えながら生きることになる。

実際に癌を経験した職場の人の親はいまだに倦怠感や水を触った時に「ヒャッ」っとなって手を引っ込める時があるという。

また病院のベッドで弱っている俺を女手一つで育ててくれた母や結婚の話もしていた彼女に見せたくない。

そう考えた結果、「もうあと一瞬で死ぬ」という所まで放置することに決めた。これから段々症状の悪化や痛みに苦しむのかもしれないが、俺が耐えれば良いだけだ。

「倒れたと思ったら、すぐに死んだ」

その方が母や彼女の心の傷も悲しみも少ないかもしれない。

これからのこと

舌ガンが発覚するまでは「これから先も毎日仕事して、彼女結婚して、子供が産まれて、あっという間に年取るんだろうなあ」なんて考えていた。しか現実は違った。俺は年を取る間もなく死ぬ

日常も将来も一気に崩壊した。とりあえずその時が来るまでは周りを心配させないように元気よく明るく生きていこうと思う。

2024-06-23

立候補しようよ

ストレスたまって 癌になるまで

告発告訴裁判 棄却され

抗がん剤で ハゲになったら

立候補しようよ 知事選

 

あの世に行けばもう 金もいらんし

冥土土産に 立候補

選挙ポスター 遺影にしよう

供託金など くれてやる

 

ストレスたまって 癌になったら

立候補しようよ 知事選

2024-06-11

抗がん剤こわいか応援して

生きるためにがんばるけどこわい

2024-05-30

鋭的重視で手術した医師の末路

専攻医時代のこと

右側結腸癌の50代女性

右半結腸切除において重要な上腸間膜静脈前面の主リンパ節に対するアプローチ

カンファレンスにて指導医や先輩たちは鈍的なアプローチにて郭清し抗がん剤で叩くべきという見解で一致

当時の僕は科長含め指導医や先輩たちを下に見ており、頼りのない医師であると感じていた

こいつらは大胆なアプローチが取れない度胸なしであり、すぐに抗がん剤に頼り消化器内科患者を送りつけるクズだと

僕は鋭的アプローチ選択した

僕は筋層を越えていないT2まりでそんな臆病な選択をするなど自分勝手責任逃れだと指導医非難した

指導医や先輩は僕の意見尊重してくれた

いざ手術開始

順調に切除部位に到達

そこから一気にアプローチする

出血が始まる

ベテランのオペ看の「あ…」と言う声を皮切りに手術室内がざわめき出し、麻酔科医はずっと椅子から立ち上がりこちらを見ている。

途中で手術室に入ってきた指導医が周りを落ち着け最後までいける?」と僕に聞いた

僕は至極冷静に「もちろんです」と答えた

しか出血が止まらない

さらに止血のため術野を確保しようとした結果スパーテルで血管を傷つけさらなる出血を起こした

結果的患者は目を覚ますことなく亡くなった

外科アプローチ及び根治にこだわり過ぎた結果、患者は癌と闘うどころか失血死したのだ

これに懲りた僕は以降、指導医や先輩たちの指導や助言を素直に受け止めることができるようになった

2024-05-17

足掻いても足掻いても人生が上手くいかない

先日兄が逮捕された。

いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。

ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイはいれつつ身の上話を聞いてほしい。

私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。

ただ、我が家貧乏だった。

理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。

現実は他の子家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。

それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。

そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。

余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである

話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。

そんな状態起業するものから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。

そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。

よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。

この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。

高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかたからだ。

この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。

そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。

兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。

この頃の私は我が家普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種男性普通生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。

高校生が思う浅はかな思考回路で思いつく安定した職業とは。

公務員である

公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。

だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。

だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死携帯参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。

そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこから調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったか人生終わったと思った。

そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。

頭が良くなかったので大学私大

学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。

それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ち奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。

とにかく大学バイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。

父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。

就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。

さて同僚の方達はい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。

まず親の職業公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。

それはそう。

それはそうなんだが。

貴方は払いたくても払えない立場になったことがあるのか。

我が家は車がなかった。

厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。

から4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。

せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古アウディを買った。

わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったかである

ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。

父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤治療が始まり、家でのサポート必要になったため母は派遣をやめた。

いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。

そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社お金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。

毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだからお金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。

SNS結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休彼氏家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。

私はどこで道を間違えたのだろうか。

高校卒業して働くべきだった?

車は買わずお金を貯めるべきだった?

それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?

私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。

それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。

2024-05-03

抗がん剤はほぼ効かない、放射線意味がない

なんでこんな病気になったんだよ

2024-05-02

がん保険入ってて本当に良かった

40代独身増田

民間保険とは無縁だったんだけど、

近所のショッピングセンター保険ショップの人がティッシュを配ってて、なんとなく気になって相談した。

  

説明してくれた人が死んだ母親と同じ名前でなんとなく縁を感じて、勧めてもらったがん保険をその場で入った。

そして半年後、職場健康診断の再検査大腸がんが見つかった。

まだ4万くらいしか保険料払ってないし、もらえるか心配だったけど、診断金で200万出て手術も抗がん剤給付も出た。治療1年目で合計350万受け取れた。

治療が続く限り、毎年100万+抗がん剤代が毎月10万もらえるらしい。

惜しむらくはケチって保険料免除のオプションをつけなかったことだ。

がんになってから仕事セーブしてるから給料が下がったけど、保険から金出るし、と思えば治療に専念できる。

YouTuberとか巷のFP保険なんていらない、とか言ってるけど、少なくとも増田は助かったし精神的にかなり救われた。

貯金が減る一方で仕事セーブしなくては、となったら独身増田にはかなりのダメージだったと思う。体調が悪い時に金の心配までするなんて最悪だ。

今のところ経過も順調だし、あのときの「なんとなく」に救われた。

2024-04-23

親がさー、ガンになっちゃったのね。

抗がん剤治療を始めたんだけど、聞いてた通り、副作用で味を感じにくくなっちゃっただってさ。

でも抗がん剤味覚障害だと酸味は比較的感じやすいって言うからさ、ポッカレモンとかああいう酸っぱい調味料なんかを試してもらったのよ。

そしたらやっぱりレモン系の味は比較的美味しく感じるって言うもんだから地方名物レモン系の味の食べ物買って渡そうかなってお取り寄せしたんですわ。

したんだけど、がんの転移が急速に進んでて、体力的に抗がん剤治療も手術ももう無理ってなっちゃったの。

それは残念だけどせめて一緒に食べればいいじゃんって思うわけだけど、抗がん剤治療やめたら、反動なのか今度は味がちょっとでも濃い物がダメらしくてさ。

自分一人でそれ食べてる。

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