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2024-07-16

母親しんどい

癌の猫を安楽死させたことを、母親に「結局殺したんでしょ?」と軽く言われてめちゃくちゃしんどくなってる。

獣医師とも相談した結果で行ったことだから後悔はないけど、「殺した」と言われたことにショックを受けている。抗がん剤に支払った額に対しても馬鹿にするような態度だった。

から自分の子供を見下したり馬鹿にする人だと分かってはいたはずだけど、悲しんでいる相手に対してそんな言葉をぶつけてくる人間性とは思っていなかった。

言われた時はびっくりしすぎて何も言い返せなかったけど、怒ればよかった。こういう時何も言い返せない自分しんどい

2024-07-10

説明なく抗がん剤の量を減らされた

おととし(2022年)の夏、母親が76歳でホジキンリンパ腫(ステージ3)になった。A-AVD療法を受けたのであるが、それで9割が治るようなので、治るとばかり思っていたのであるが、治らなかった。

標準量の6割しか投与されていなかった。別の病院に転院して、免疫療法(キイトルーダ)を受けたものの、こちらでも寛解せず(3割くらいは寛解するらしい)、延命になってしまった。

6割しか投与されていないので、髪の毛もそれほどは抜けなかった。

医者は投与量が減らされていることを全く説明しなかった。1,2回目の投与の時に入院している時、看護師同士が部屋で減薬していることを喋っていて、母はそれを聞いたので知ってはいたのだけど、そのとき医者に問い質せばよかった。そういうこともあるのかなくらいしか思っていなかった。

高齢だと医者副作用を怖れて、投与量を減らすことはあるらしい。しかし、転院した先の先生は、うちなら全量入れますと言っていた。そうすれば必ず治ったとは限らないが、いいところまで消えていたので、たぶん最初からそこに行っていれば治っていたと思う。

最初主治医は、がんの名前が分かったとき説明も「抗がん剤が効きやすいがんです」だけだった。説明が乏しく、たいがい一言しかない。

4クール(1クールで2回投与)が終わったときに、母が「いつCTを取るんですか」と聞いても「決めてます」としか答えなかった。このあたりでちょっとおかしいと思いだした。

最後抗がん剤ときに、母が「しんどいです」と訴えると、「じゃあ緩和ケアに行ったらどうですか、緩和ケアも立派な治療ですよ」と言われ、この先生ちょっとやばいんじゃないかと思ったものの、時すでに遅し。

入院しているときに病室に訪れることもなかった。

骨髄を取るときも、その先生は、麻酔をしてからすぐに骨髄を取ったから、ものすごく痛かったそうだが、転院した先の先生は、少し時間を置いてから取ったので、そこまでは痛くなかったらしい。歯医者などでも麻酔をしてから効き目があるまで待っているはずであり、そのくらいの配慮もできないようだ。

聞くところによると、その病院生え抜き優遇していて、そのため優れた医者が軒並み辞めていっているらしい。麻酔しか良い医者が残っていないそうだ。看板だったある診療科などは、名のある先生がいなくなったので、その科ごとなくなったらしい。

弁護士相談しに行ったけど門前払いで、医者裁量範囲であれば(今の主治医によるとそうらしい)、説明があろうがなかろうが、同意書にサインをしているので、説明義務違反で訴えても負けるらしい。

医者との会話を録音しておらず、説明がなかったことの証明はできないので期待はしていなかったが、それ以前の話のようだ。

これだと説明などしなくてもいいわけで、弁護士は「だから医者さんって優しくないでしょう」と言っていた。

長くなってしまったが、教訓を二つくらい記しておきたい。

一つは血液のがんを甘く見てはいけないということである。もし他のがんであれば、手術が必要になってくるだろうから、当初の病院では治療を受けなかったと思う。しかし、血液のがんということで、抗がん剤を打つだけなので、どこでも同じなのではないかと考えてしまった。

しかし、そうではない。抗がん剤副作用が出てくるので、それに対処できるかどうかは医者の腕次第であり、高齢者は副作用が出やすいので、腕がないと安易な減薬をしがちなようである。だから血液のがんでも、いい先生に診てもらった方がいい。こういう次第なので、高齢者こそいい先生に診てもらうべきなのかもしれない。

もう一つは、当たり前のことであるが、言葉の足りない医者は避けるべきであるということである。頭のいい先生であれば、ちゃんと答えるくらいは朝飯前であって、それができないというのは悪い兆ししかないようである

この経験で知ったのは、医者には天と地くらいのレベルの差があるということである。転院した先の先生は、説明は当然のようにちゃんとしてくれたし、質問にも答えてくれた。腕もあるようだ。最初からここに来ていたらたぶん助かったのにと思うと後悔でいっぱいが、転院できただけでも良かったとは思う。

こういう失敗はありがちなのだろうとは思うが、病院選びの失敗は本当に命に関わるし、後悔も大きいので、この文章をここまで読んでくれた人はくれぐれも注意してほしい。

2024-07-05

癌について誤解していた事

父が放射線治療をしたのだが、放射線をした後にもう一回同じ場所に再発した場合

もう一回放射線をする事が出来ないと言われた。

俺はこの意味理解できなくて医師説明を求めたのだが

放射線そもそも細胞自体ダメージを与えてしまう一度放射線を当てたところにやっても

ただダメージが蓄積されるだけということだった。

まり俺は癌を病原菌みたいなものだと思っていたのだが「元々は正常な細胞」だったもの変異したものなので

それを手術で取り除いたり放射線をやるということは細胞自体が無くなってしまうということだった。

もし同じ所に癌が出来上がってもそれはダメージが蓄積されている場所になるので

そこに更に放射線を当てたら正常な細胞ダメージを受けてしま逆効果ということだ。

から手術で切除もできない。放射線も駄目。

父が放射線をした理由抗がん剤がほぼ効かなくなってしまたからだ。

まりこの先癌が大きくなったらあとは手立てがない。

緩和ケア死ぬまで待つだけ。

何もできない。

現実が辛い。

舌がんになった男の一人語り

経歴

28歳。国立経営学部卒業新卒食品メーカー就職

およそ一年前に大腸がん罹患した疑惑が出るも、上下内視鏡超音波内視鏡超音波血液検査などあらゆる検査の結果問題なく、一年間のほほんと楽しく生活してきた。

舌癌に気がついたきっか

3日前、友人と飲食店唐揚げを食べた。

唐揚げを食べている時に「痛!」と痛みを感じていた。

唐揚げを強く噛み締めた時に舌の側面を強く噛んだので、その痛みだろうと思った。

実際にその時、口の中で血の味がしたのを覚えている。

一昨日と昨日もチクチクした痛みと違和感があったが放置

そして運命の今朝。

朝起きると口の中に強い違和感と痛み。

水を飲んでも痛い。口を動かしても痛い。飲み込みでも痛い。とにかく痛い。

恐る恐る痛い場所を見ると、下の側面に小豆のようなドス黒い腫れができており、その真横には小さい白い点ができていた。

少し触ってみた。ドス黒い大きな腫れは痛みがなく、痛みの原因は小さなさな白い点。

当初は口内炎思い込み安心しようとしていたが、ネットで調べてみたところ進行した舌がんの見た目が自分の口内の出来物とそっくりというかほぼ同じであった。

自分の症状

・舌の側面にできた異様でグロテスクなできもの

体重減少。社会人になって、一人暮らしを始めて食事がお粗末になったことがきっかけだと勝手に思い込んでいたが、進行した舌癌転移したことによるもの

・口の中の強い痛み。

・咳。職場流行っている夏風邪と思っていたが、肺転移の影響。

頭痛中学時代から頭痛持ちだったが、なんとなく昔から偏頭痛とは違う。脳転移によるものと思われる。

年齢、血の繋がった家族や親戚にガン罹患者がいないことなから最初は信じられなかったが、舌ガンについて色々調べていると二十代や三十代の患者の闘病記がXやアメブロなどでゴロゴロ出てきた。亡くなった方も。

対応

すぐに病院受診することも考えた。

しかし、もし進行していたらと考えたらいけなくなってしまった。病院のベッドに縛り付けられ、舌を切除され、全身を切り開かれ、その後効くのかどうかもわからない抗がん剤抗がん剤毒物と呼んで使用禁止を呼びかける医師がいることも知った)を投与されボロボロになって死ぬ担当医は高級キャバクラで俺が死んだことを電話で聞かされ「あーそう。死んだか。はいはい。忙しいから後でね」と電話を切って再び女の子口説き始めるんだろう。

仮に進行していなかったとしても、退院後一生再発の恐怖に怯えながら生きることになる。

実際に癌を経験した職場の人の親はいまだに倦怠感や水を触った時に「ヒャッ」っとなって手を引っ込める時があるという。

また病院のベッドで弱っている俺を女手一つで育ててくれた母や結婚の話もしていた彼女に見せたくない。

そう考えた結果、「もうあと一瞬で死ぬ」という所まで放置することに決めた。これから段々症状の悪化や痛みに苦しむのかもしれないが、俺が耐えれば良いだけだ。

「倒れたと思ったら、すぐに死んだ」

その方が母や彼女の心の傷も悲しみも少ないかもしれない。

これからのこと

舌ガンが発覚するまでは「これから先も毎日仕事して、彼女結婚して、子供が産まれて、あっという間に年取るんだろうなあ」なんて考えていた。しか現実は違った。俺は年を取る間もなく死ぬ

日常も将来も一気に崩壊した。とりあえずその時が来るまでは周りを心配させないように元気よく明るく生きていこうと思う。

2024-06-23

立候補しようよ

ストレスたまって 癌になるまで

告発告訴裁判 棄却され

抗がん剤で ハゲになったら

立候補しようよ 知事選

 

あの世に行けばもう 金もいらんし

冥土土産に 立候補

選挙ポスター 遺影にしよう

供託金など くれてやる

 

ストレスたまって 癌になったら

立候補しようよ 知事選

2024-06-11

抗がん剤こわいか応援して

生きるためにがんばるけどこわい

2024-05-30

鋭的重視で手術した医師の末路

専攻医時代のこと

右側結腸癌の50代女性

右半結腸切除において重要な上腸間膜静脈前面の主リンパ節に対するアプローチ

カンファレンスにて指導医や先輩たちは鈍的なアプローチにて郭清し抗がん剤で叩くべきという見解で一致

当時の僕は科長含め指導医や先輩たちを下に見ており、頼りのない医師であると感じていた

こいつらは大胆なアプローチが取れない度胸なしであり、すぐに抗がん剤に頼り消化器内科患者を送りつけるクズだと

僕は鋭的アプローチ選択した

僕は筋層を越えていないT2まりでそんな臆病な選択をするなど自分勝手責任逃れだと指導医非難した

指導医や先輩は僕の意見尊重してくれた

いざ手術開始

順調に切除部位に到達

そこから一気にアプローチする

出血が始まる

ベテランのオペ看の「あ…」と言う声を皮切りに手術室内がざわめき出し、麻酔科医はずっと椅子から立ち上がりこちらを見ている。

途中で手術室に入ってきた指導医が周りを落ち着け最後までいける?」と僕に聞いた

僕は至極冷静に「もちろんです」と答えた

しか出血が止まらない

さらに止血のため術野を確保しようとした結果スパーテルで血管を傷つけさらなる出血を起こした

結果的患者は目を覚ますことなく亡くなった

外科アプローチ及び根治にこだわり過ぎた結果、患者は癌と闘うどころか失血死したのだ

これに懲りた僕は以降、指導医や先輩たちの指導や助言を素直に受け止めることができるようになった

2024-05-17

足掻いても足掻いても人生が上手くいかない

先日兄が逮捕された。

いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。

ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイはいれつつ身の上話を聞いてほしい。

私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。

ただ、我が家貧乏だった。

理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。

現実は他の子家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。

それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。

そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。

余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである

話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。

そんな状態起業するものから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。

そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。

よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。

この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。

高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかたからだ。

この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。

そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。

兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。

この頃の私は我が家普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種男性普通生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。

高校生が思う浅はかな思考回路で思いつく安定した職業とは。

公務員である

公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。

だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。

だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死携帯参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。

そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこから調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったか人生終わったと思った。

そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。

頭が良くなかったので大学私大

学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。

それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ち奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。

とにかく大学バイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。

父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。

就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。

さて同僚の方達はい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。

まず親の職業公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。

それはそう。

それはそうなんだが。

貴方は払いたくても払えない立場になったことがあるのか。

我が家は車がなかった。

厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。

から4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。

せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古アウディを買った。

わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったかである

ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。

父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤治療が始まり、家でのサポート必要になったため母は派遣をやめた。

いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。

そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社お金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。

毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだからお金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。

SNS結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休彼氏家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。

私はどこで道を間違えたのだろうか。

高校卒業して働くべきだった?

車は買わずお金を貯めるべきだった?

それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?

私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。

それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。

2024-05-03

抗がん剤はほぼ効かない、放射線意味がない

なんでこんな病気になったんだよ

2024-05-02

がん保険入ってて本当に良かった

40代独身増田

民間保険とは無縁だったんだけど、

近所のショッピングセンター保険ショップの人がティッシュを配ってて、なんとなく気になって相談した。

  

説明してくれた人が死んだ母親と同じ名前でなんとなく縁を感じて、勧めてもらったがん保険をその場で入った。

そして半年後、職場健康診断の再検査大腸がんが見つかった。

まだ4万くらいしか保険料払ってないし、もらえるか心配だったけど、診断金で200万出て手術も抗がん剤給付も出た。治療1年目で合計350万受け取れた。

治療が続く限り、毎年100万+抗がん剤代が毎月10万もらえるらしい。

惜しむらくはケチって保険料免除のオプションをつけなかったことだ。

がんになってから仕事セーブしてるから給料が下がったけど、保険から金出るし、と思えば治療に専念できる。

YouTuberとか巷のFP保険なんていらない、とか言ってるけど、少なくとも増田は助かったし精神的にかなり救われた。

貯金が減る一方で仕事セーブしなくては、となったら独身増田にはかなりのダメージだったと思う。体調が悪い時に金の心配までするなんて最悪だ。

今のところ経過も順調だし、あのときの「なんとなく」に救われた。

2024-04-23

親がさー、ガンになっちゃったのね。

抗がん剤治療を始めたんだけど、聞いてた通り、副作用で味を感じにくくなっちゃっただってさ。

でも抗がん剤味覚障害だと酸味は比較的感じやすいって言うからさ、ポッカレモンとかああいう酸っぱい調味料なんかを試してもらったのよ。

そしたらやっぱりレモン系の味は比較的美味しく感じるって言うもんだから地方名物レモン系の味の食べ物買って渡そうかなってお取り寄せしたんですわ。

したんだけど、がんの転移が急速に進んでて、体力的に抗がん剤治療も手術ももう無理ってなっちゃったの。

それは残念だけどせめて一緒に食べればいいじゃんって思うわけだけど、抗がん剤治療やめたら、反動なのか今度は味がちょっとでも濃い物がダメらしくてさ。

自分一人でそれ食べてる。

2024-04-07

anond:20240407092459

ばあああああああああか!

抗がん剤タグリッソがきかなくなったら

俺は死ぬんだよ!!!

そんな長生きできねーんだよ!

はい論破ああああああああああ!

俺の肺は大破あああああああああああ!

オラ謝れ!!!!!

2024-03-23

喪失感でやる気がおきない

去年おかあさんが亡くなった

おとうさんは介護施設に入っている末期がん

今年度は会社退職者がとても多く、仲がいい人や優しい人がいなくなった

3月末の退職者もいるのでまた人がいなくなる

去年他部署パワハラの報告をして一旦落ち着いたがまたパワハラを繰り返している

会社雰囲気がどんどん悪くなっている

仕事の調整は頑張ってやってくれと言うだけ

残業で疲れていても上司は何もしてくれない

鳥山明など著名人が亡くなったことでおかあさんが亡くなったことを思い出し悲しくなる

葬式の時はおかあさんの死を悲しむ時間がなかったのと最近になって仕事が辛いせいかおかあさんとの思い出が浮かび上がってくる

おとうさんも抗がん剤が効いてるけどしんでしまうと思うと悲しくなってくる

頑張って生きていかなくちゃと思うけどただ疲弊している日常が辛い

休日に色々考えても人生いい方向になれそうにない

才能とかそういうのはからっきしだからこのまま死ぬまで今の仕事をやるのを考えると億劫

あぁ

2024-03-11

難関大学中退者には性犯罪者と同じ評価を下す

性犯罪者に対する社会の風当たりは厳しい。 最近四谷大塚講師Mが女子生徒をロリコン性犯罪者グループに売ったことで 中学受験業界全体が揺れている。 Mはおそらく大した罪には問われないだろう。 だからこそかも知れないが、「Mを死刑しろ」という声が絶えない。

なぜだろうか? それはきっと、以下2つの理由によるものだろう。

1.性犯罪社会にとって危険である

2.性犯罪者はどうせまた再犯する

1は自明だが、2の理由はなんだろうか?

そもそも犯罪者とは何だろうか? それは、犯罪を冒した人間のことである。 ではなぜ人は犯罪を冒すのだろうか? それは、犯罪を冒すことがその人にとって有益だと判断されたからだ。

ふつうの人は犯罪を冒さない。 なぜならば、犯罪を冒さなければ平穏生活が手に入るからだ。 言い換えると、ふつうの人の中では平穏生活が手に入ること > 犯罪を冒すこと という不等式が成り立っている。 しかし、犯罪者にとってはこの不等式が逆になっているのだ。 特に性犯罪のように意思を持って行わなければ成立しないもの場合はそうであるといえる。

この不等式は、ふつうの人にとっては絶対に逆にならないものだ。 でも犯罪者にとっては逆になっている。 これが何を意味するかというと、犯罪者は明らかにふつうでない感覚、あるいは人生観を持っている ということだ。

なぜだろうか? それはきっと、脳の気質レベルでなにかがふつうではないからだろう。 だから犯罪者のこの気質修正不能であり、 犯罪者はどうせまた再犯するということになる。 事実性犯罪者再犯率は極めて高い。

対象者のうち,調査対象となった性犯罪事件裁判確定から5年が経過した時点において服役中等の者を除いた1,484人について,罪名は問わずいずれかの再犯を行った者の比率である再犯率は20.7%であった。性犯罪再犯率は13.9%であり,全再犯を行った者のうちの約7割を占めていた。

昨今、東大京大といった難関大学中退する人間が目立つようになった。 SNSの影響うんぬんの前に、はっきりいって、頭が悪いんだろうと思っている。 ガイジと言っていい。

大学を22歳で卒業し、大学院を24歳で卒業するストレートに失敗する要因としては、 浪人留年中退の3つがあるが、 このうち就職における影響は、大きい順から 中退留年浪人となる。

中退は、そもそも高卒と同じ扱いになっているからというのもあるが、 特に難関大学においては別の理由もある。

難関大学卒業して、例えば京大卒になることと、 中退して高卒になることには大きな開きがある。 人生は全く違ったものになるだろう。 しかし、彼らはそれを放棄して中退という道を選んだことになる。 つまり彼らは、難関大学卒業して輝かしい学歴を手に入れることより、 中退して勉学の苦しみから解放されることを優先したのだ。 これは明らかにふつう感覚ではない。 これらの高みにたどり着くために、多くの人は子供の頃から塾に通い、 時には泣きながら勉強して、 それでもなお届かずに諦めたのだ。

日本大学卒業することはそう難しいことではない。 だから、あと少しだけ努力すればその高みに届いたはずなのに、 それすら辛いという理由放棄して中退してしまったということになる。

これは、平穏生活を手に入れることを難関大学卒の学歴を手に入れることに対応させて、 犯罪を冒すことを中退して楽になることに対応させれば、 性犯罪者論理と全く同じことに気づくだろう。

難関大学中退する人間は、大抵の場合仕事が出来ない。

これは以下のような理由による。

まず、仕事をするためにはそのプロダクトなりビジネスを ある程度はジブンゴト化する必要がある。 難関大学中退者というのは、自分人生という最重要プロダクトすら まともにジブンゴト化出来ずに放棄した人間であり、 このような人間が しょせんは他人定義したプロダクトなどをジブンゴト化することが出来るはずがあるだろうか(いやない)。

次に、なぜ彼らが大学中退することを選んだかというと、 これは大抵の場合勉強が嫌だったからだ。 彼らは多く場合アスペルガー気質があり、 好きなことはとにかく熱中するが、嫌いなことは絶対にやらないという 傾向がある。 このような傾向は、仕事をする上では致命的となる。

一方でふつう人間というのは そのような近視的なもの見方はせず、 より高い視点物事を見ることが出来る。 つまり自分人生にとって卒業ないし学歴がどういう価値があるかという包括的視点ものごとを見ることが出来るから、 興味のない科目や授業があったとしても、ある程度は受け入れることに成功し、 単位を落とすまでには至らない。

最後に、彼らは努力出来ない。 これは、嫌いなことに対して努力することが出来ないということでもあるが、 彼らは内心、中退したことを悔いている。 この後悔は、履歴書門前払いされるごとに深くなっていき、 次第に、こんなはずじゃなかったという思いに支配されることになる。 世の中のほとんどの大人は、もっと勉強して少しでも上位の大学に行けばよかったと後悔しているのである。 であれば、大卒になる権利すら自分放棄してしまった人間の後悔というのはこの比ではなく、 場合によっては自分を認めない社会に対する恨みすら抱くようになる。

このような人間は、中退せずに難関大学卒業した人生と、今の人生比較してしまい、 今の人生をこれ以上改善しようとは思わない。 なぜならば、その努力は、前者の場合に比べて報われる可能性が低いと考えるからである池江璃花子白血病から立ち直り、世界水泳に出場するまでに復活をしたが、 大抵の人間白血病になったら、仮にそれが治ったとしても、またトップレベル選手を目指そうとはならない。 なぜならば、白血病治療において抗がん剤放射線治療をした影響によって 自分身体は確実に弱化しており、努力しても虚しいだけだと考えるからである。 こうした状況において最大の努力をしてトップレベルまでカムバック出来るのは、 池江璃花子池江璃花子からに他ならない。 ふつう人間は、今日ほんの少し疲れているだけでも、今日はお休み明日から本気出すと言って それを繰り返すものである

では、低学歴はどうだろうか。 低学歴も、高学歴になることを諦めているのだから、 同様の論理適用出来るのではないかと思うかも知れない。

その考えは、大体は合っているが、性犯罪者というほどにはならない。

東進林修は、最後の授業においてこのようなことを言うらしい。

「これから一ヶ月間、必死勉強しろ必死勉強すれば、結果がどうであれ、人生の糧になる。 必死勉強しなければ、結果がどうであれば、 自分は一ヶ月間すら必死努力出来ない人間なのだと 生涯苛まれることになる。」

この論理学歴の高低に適用すると、 仮に必死勉強した結果が低学歴なのだとしたら、それは別に構わない。 しかし、必死勉強せずに低学歴なのだとしたら、その人は確実にだめだということになる。 ただ残酷なことに、最大に努力した結果低学歴なのだとしたら、 それはやっぱりだめということになるから結論として低学歴はやっぱりだめということになる。

実際、使えるか使えないかは概ね出身大学偏差値と相関がある。 特に論理思考力など仕事をする上で重要能力は、 低学歴の人には備わっていないことが多い。 生まれつき知能指数が低い場合受精しかやり直すしかないが、 そうでない場合でも、思考力というのは思考しなければ養われることはない。 難関大学問題思考力を要求するため、受験生の中には その訓練のために難問を何時間も考え続けたという経験をしたものが少なくない。 中学受験出身者の論理思考力が高いのは、膨大な量の論理パズルを幼少期に訓練しているからだ。 だから低学歴基本的には使えない。

しかし、その使えない度は、難関中退者よりはマシだとは言える。 大学受験は時の運もあるし、環境によって十分な準備を出来なかった人もいるだろう。 それに、大卒高卒の差に比べれば、大学偏差値の高低はそこまで大きな問題ではないから、 誰しもが最大限の努力をするという前提には無理がある。 実際、マーチ関関同立レベルで十分に高学歴という価値観を持っている人の方が大多数であることは間違いない。

から偏差値が低い大学出身人間でも、 大学に入ってから努力をして、そこから伸びてくるというケースはある。 しかしそれは決して一般的ではない。

2024-02-17

母に悪性リンパ腫が見つかった。いわゆる血液のガン

初期のうちに見つかった?のか、余命は…みたいな話は出なかったが、相当ショックは受けた。父もメンタルにきているようで心配しすぎて病んでいるらしい。母は今通院しながら抗がん剤を打っている。

免疫が下がるから人と会うことに抵抗があると、実家には帰ってこないようにと言われた。

 

そして同時期に私は子供を授かった。

とても喜んでくれると思っていたが、実家が母の病気で手一杯で言うタイミングが見つからなかった。

実家に帰れないし、言うタイミングが分からない。

仕方ないことだけど、入籍挨拶も未だにできていない。両家顔合わせの予定も立てられない。パートナーには母の免疫で体調が変化するから予定が立てられないと伝えたら 気の持ちようだとクソみたいな発言が飛び出して、めちゃくちゃ怒鳴った。瞬間湯沸かし器になっている。

 

私の仕事音楽業、楽器フリーランス

妊娠が発覚した時は正直 あぁ、業界から淘汰されてここで私は終わるんだ と思ってしまった。

まだそこまで売れていたわけでもなく、細々と楽器講師業をやっていただけなので妊娠してフェードアウトしても誰もなんとも思わないだろう。

この業界、だれが仕事を掴めるか、誰かが手放した仕事をだれが次勝ち取るかの世界、一度手放したもの基本的に帰ってこないと思ってる。

敗北だ。キャリア形成の失敗だ。

しかし、私より出世していた後輩が先日出産すると聞いていたが、出産1ヶ月で復帰していた。なんとしてでも仕事他人に渡すまいと執念を感じた。悔しかった。仕事を続けるにはここまで苦しまなければいけないのか。

 

母のガン

授かった子供を親に伝えられない

自分キャリア不安

神様、こんないっぺんに色々出さなくても。日々鬱々としています

2024-02-08

anond:20240208104130

ありがとう

肺に他にも細かいつぶつぶ腫瘍があるらしくて、悪性度が高いと抗がん剤かもしれない。

良性だったらそのまま、悪性だったら治療して、なんとか、元気に就労したいな。親から自立したくて、マメルリハが殺されてからずっと、なかなか実らなかったけど、がんばってきたんだから

anond:20240207201725

お前は悪くないよ

そしてマメルリハを殺したお前の親は許さん

悪性の腫瘍だとして、手術で取りきったのならフォローアップに抗がん剤使うかどうか。ただ、大きさ次第ではそもそもいらないと思う。生活保護でも問題なく治療は受けられる

頑張れよ

2024-01-13

anond:20240113170049

外科処置でなんとかなるうちに見つけられるようにしっかり定期的に健康診断受けてるんだけど、そんな言い方しないでよ

あと「介護させられる周りが大変」って意味がわからない

介護させないために抗がん剤人工肛門もしないで死ぬって決めてるよって話

ポリープ、陰性

大腸カメラで取ったポリープが陰性だった

生理的機能を大幅に損なう治療はしない」と決めているので、外科処置でどうにもならない病気治療しないと決めている

ポリープ直腸付近だったから今回は焦った

医師から「もう完全に取ったから仮に陽性でも大丈夫」と言われたがそれでも心配だった

結果は陰性

抗がん剤人工肛門、胃の全摘

「その後に生活を変えなければならない治療」は治療ではない

から絶対受けない

母は抗がん剤乳がんを克服し元気になったが、今でも冷たい水でヒェッとなったり、食べ物の好みが化学療法中に変わったきり昔好きだった食べ物は食べられていない

会社上司とその奥さん人工肛門になった父の介護に相当苦しんでいた

生理的機能を大幅に損なう治療なんてして生きてる意味はない

から抗がん剤人工肛門透析なんかを使わないと生きていけなかったり、胃を全て取らなければ生きていけないならそもそももう生きないと決めているのだ

俺はまだなんとか生きられる

2023-11-21

緩和ケアが発達しすぎて増える医療訴訟

緩和ケアの発達により、末期がん患者の痛みやせん妄を抑えることはもちろん食欲や体重、すなわち体力まである程度のコントロール可能になった。

岩崎弥太郎が末期胃がんの痛みや苦しみにのたうち回って亡くなってから138年、大きな医学進歩であり、末期がん患者でありながら「最後に山に登りたい」「最後旅行に行きたい」「自宅で家族と過ごしたい」など、QOLを維持しながら最後時間を過ごせるようになった。

ただ、喜ばしいことばかりではない。

末期がん患者のご遺族などによる医療訴訟が増えているのである医療訴訟とまではいかなくとも医師説明に納得しないご遺族は多い。

治療をやめて緩和ケアのみに移ると、抗がん剤副反応も抜け、薬によって痛みやせん妄もなく、食欲が低下していないことから患者さんや家族は「まるで治ったみたい」「もしかしてこのままよくなるのでは」と考えてしまうのである

しかし、その間にも癌は進行を続けておりモータルな状況に達すると突然意識不明となりそのまま亡くなるのである。ここ最近のがん患者意識急変→永眠までのスピード最後まで積極的治療を行う小児患者や若年患者を除くと恐ろしくあっという間である

このことは患者とその家族に繰り返し伝えているのだが、納得されずに調査希望したり訴訟を起こされるケースも多い。

2023-11-15

anond:20231115172045

癌治療で、抗がん剤副作用から、髪の毛がまだらハゲになってるんでわ。

それがあまりにみすぼらしいので、キャップで隠している。

本人だって、店の中で帽子をとるマナーぐらい百も承知してる。

それでも、あまりに醜い頭皮を衆目に晒すことのほうが、

周囲のお客様無駄なご心配不安感、生理的嫌悪感引き起こししまうので迷惑なのではないか

自分が無作法者として責められるだけで済むのであれば、

室内で帽子を取らない罪を進んで被ることにしよう。帽子だけに。

なんて覚悟をしてるのでは。

2023-11-05

anond:20231105120812

癌恐怖症

このタイプの人は老若男女問わずいるけど死に損ないの老人と同じくらい医療逼迫させてて迷惑なんだよなぁ…

ちなみにポリープの段階で切除した胃癌大腸癌を除くと現状の医療技術じゃリンパへの転移完璧に見抜いて郭清したり抗がん剤リンパに飛んだ癌細胞を消し切るのは不可能

残酷なようだけど早期発見は末期で見つかった人に比べて「若干寿命が伸びる」程度であり、癌になった段階で早期だろうが癌にならない人に比べると寿命は縮まる。

癌なんて気にせず些細なことで病院に行かず元気なうちに後悔しないように生きろ。

2023-10-24

凡人が幸せになるのキツすぎ

何かを成し遂げることができない、歴史名前を残すことができない無名の顔のない庶民幸せになるには

①親より長生きする

結婚する

③心身共に健康子供を持つ

子供が自立するのを見る

孫の顔をみる

⑥80超えて心不全老衰眠るように死ぬ

これ全部満たさないといけないのがキツすぎる。

まず現時点で俺は②、③は満たしている。DNA検査もこっそりして2人とも実子であることは確認済み。

④、⑤に関しては出来る限りのことをする。勉強、進学、コミュニケーション服装髪型、異性と関わる機会など。

キツイというか、プレッシャー、生き辛さの原因になっているのは①、⑥の2つ。

親はとにかく健康で、俺は一人っ子なのでプレッシャーキツイ。親より先に死んだらその時点で俺も親も「ああ、可哀想」って思われるだろうから幸せ人生失敗。

仮に親が死んでくれて①を達成しても、癌になって消化器摘出系の手術でQOL低下したり、抗がん剤で痩せ細ったり手の痺れが残ったらやっぱり「かわいそう」と思われて幸せ人生失敗。

道を歩く時も事故に巻き込まれないように細心の注意をしてるし、街を歩くとき看板飛び降り自殺者が落ちてこないよう注意してる。病気にならないように必要な検診は全て受け、食生活や習慣にも気をつけている。

それでもまだまだ不安

例え健康なまま生きることができても子供が死んだり、障害が残るような事故に遭ったり、事件を起こしたり、学校社会で躓いて社会からコースアウトしたらその時点で終わりだし。

幸せになるのキツすぎる。

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