はてなキーワード: 抗がん剤とは
おととし(2022年)の夏、母親が76歳でホジキンリンパ腫(ステージ3)になった。A-AVD療法を受けたのであるが、それで9割が治るようなので、治るとばかり思っていたのであるが、治らなかった。
標準量の6割しか投与されていなかった。別の病院に転院して、免疫療法(キイトルーダ)を受けたものの、こちらでも寛解せず(3割くらいは寛解するらしい)、延命になってしまった。
6割しか投与されていないので、髪の毛もそれほどは抜けなかった。
医者は投与量が減らされていることを全く説明しなかった。1,2回目の投与の時に入院している時、看護師同士が部屋で減薬していることを喋っていて、母はそれを聞いたので知ってはいたのだけど、そのとき医者に問い質せばよかった。そういうこともあるのかなくらいしか思っていなかった。
高齢だと医者が副作用を怖れて、投与量を減らすことはあるらしい。しかし、転院した先の先生は、うちなら全量入れますと言っていた。そうすれば必ず治ったとは限らないが、いいところまで消えていたので、たぶん最初からそこに行っていれば治っていたと思う。
最初の主治医は、がんの名前が分かったときの説明も「抗がん剤が効きやすいがんです」だけだった。説明が乏しく、たいがい一言しかない。
4クール(1クールで2回投与)が終わったときに、母が「いつCTを取るんですか」と聞いても「決めてます」としか答えなかった。このあたりでちょっとおかしいと思いだした。
最後の抗がん剤のときに、母が「しんどいです」と訴えると、「じゃあ緩和ケアに行ったらどうですか、緩和ケアも立派な治療ですよ」と言われ、この先生はちょっとやばいんじゃないかと思ったものの、時すでに遅し。
骨髄を取るときも、その先生は、麻酔をしてからすぐに骨髄を取ったから、ものすごく痛かったそうだが、転院した先の先生は、少し時間を置いてから取ったので、そこまでは痛くなかったらしい。歯医者などでも麻酔をしてから効き目があるまで待っているはずであり、そのくらいの配慮もできないようだ。
聞くところによると、その病院は生え抜きを優遇していて、そのため優れた医者が軒並み辞めていっているらしい。麻酔科しか良い医者が残っていないそうだ。看板だったある診療科などは、名のある先生がいなくなったので、その科ごとなくなったらしい。
弁護士に相談しに行ったけど門前払いで、医者の裁量の範囲であれば(今の主治医によるとそうらしい)、説明があろうがなかろうが、同意書にサインをしているので、説明義務違反で訴えても負けるらしい。
医者との会話を録音しておらず、説明がなかったことの証明はできないので期待はしていなかったが、それ以前の話のようだ。
これだと説明などしなくてもいいわけで、弁護士は「だからお医者さんって優しくないでしょう」と言っていた。
長くなってしまったが、教訓を二つくらい記しておきたい。
一つは血液のがんを甘く見てはいけないということである。もし他のがんであれば、手術が必要になってくるだろうから、当初の病院では治療を受けなかったと思う。しかし、血液のがんということで、抗がん剤を打つだけなので、どこでも同じなのではないかと考えてしまった。
しかし、そうではない。抗がん剤は副作用が出てくるので、それに対処できるかどうかは医者の腕次第であり、高齢者は副作用が出やすいので、腕がないと安易な減薬をしがちなようである。だから、血液のがんでも、いい先生に診てもらった方がいい。こういう次第なので、高齢者こそいい先生に診てもらうべきなのかもしれない。
もう一つは、当たり前のことであるが、言葉の足りない医者は避けるべきであるということである。頭のいい先生であれば、ちゃんと答えるくらいは朝飯前であって、それができないというのは悪い兆しでしかないようである。
この経験で知ったのは、医者には天と地くらいのレベルの差があるということである。転院した先の先生は、説明は当然のようにちゃんとしてくれたし、質問にも答えてくれた。腕もあるようだ。最初からここに来ていたらたぶん助かったのにと思うと後悔でいっぱいが、転院できただけでも良かったとは思う。
こういう失敗はありがちなのだろうとは思うが、病院選びの失敗は本当に命に関わるし、後悔も大きいので、この文章をここまで読んでくれた人はくれぐれも注意してほしい。
父が放射線治療をしたのだが、放射線をした後にもう一回同じ場所に再発した場合
もう一回放射線をする事が出来ないと言われた。
放射線はそもそもの細胞自体にダメージを与えてしまう一度放射線を当てたところにやっても
ただダメージが蓄積されるだけということだった。
つまり俺は癌を病原菌みたいなものだと思っていたのだが「元々は正常な細胞」だったものが変異したものなので
それを手術で取り除いたり放射線をやるということは細胞自体が無くなってしまうということだった。
もし同じ所に癌が出来上がってもそれはダメージが蓄積されている場所になるので
そこに更に放射線を当てたら正常な細胞もダメージを受けてしまう逆効果ということだ。
父が放射線をした理由は抗がん剤がほぼ効かなくなってしまったからだ。
つまりこの先癌が大きくなったらあとは手立てがない。
何もできない。
現実が辛い。
およそ一年前に大腸がんに罹患した疑惑が出るも、上下の内視鏡、超音波、内視鏡超音波、血液検査などあらゆる検査の結果問題なく、一年間のほほんと楽しく生活してきた。
唐揚げを食べている時に「痛!」と痛みを感じていた。
唐揚げを強く噛み締めた時に舌の側面を強く噛んだので、その痛みだろうと思った。
実際にその時、口の中で血の味がしたのを覚えている。
そして運命の今朝。
朝起きると口の中に強い違和感と痛み。
水を飲んでも痛い。口を動かしても痛い。飲み込みでも痛い。とにかく痛い。
恐る恐る痛い場所を見ると、下の側面に小豆のようなドス黒い腫れができており、その真横には小さい白い点ができていた。
少し触ってみた。ドス黒い大きな腫れは痛みがなく、痛みの原因は小さな小さな白い点。
当初は口内炎と思い込み安心しようとしていたが、ネットで調べてみたところ進行した舌がんの見た目が自分の口内の出来物とそっくりというかほぼ同じであった。
・体重減少。社会人になって、一人暮らしを始めて食事がお粗末になったことがきっかけだと勝手に思い込んでいたが、進行した舌癌が転移したことによるもの。
・口の中の強い痛み。
・咳。職場で流行っている夏風邪と思っていたが、肺転移の影響。
・頭痛。中学時代から頭痛持ちだったが、なんとなく昔からの偏頭痛とは違う。脳転移によるものと思われる。
年齢、血の繋がった家族や親戚にガン罹患者がいないことなどから最初は信じられなかったが、舌ガンについて色々調べていると二十代や三十代の患者の闘病記がXやアメブロなどでゴロゴロ出てきた。亡くなった方も。
しかし、もし進行していたらと考えたらいけなくなってしまった。病院のベッドに縛り付けられ、舌を切除され、全身を切り開かれ、その後効くのかどうかもわからない抗がん剤(抗がん剤を毒物と呼んで使用禁止を呼びかける医師がいることも知った)を投与されボロボロになって死ぬ。担当医は高級キャバクラで俺が死んだことを電話で聞かされ「あーそう。死んだか。はいはい。忙しいから後でね」と電話を切って再び女の子を口説き始めるんだろう。
仮に進行していなかったとしても、退院後一生再発の恐怖に怯えながら生きることになる。
実際に癌を経験した職場の人の親はいまだに倦怠感や水を触った時に「ヒャッ」っとなって手を引っ込める時があるという。
また病院のベッドで弱っている俺を女手一つで育ててくれた母や結婚の話もしていた彼女に見せたくない。
そう考えた結果、「もうあと一瞬で死ぬ」という所まで放置することに決めた。これから段々症状の悪化や痛みに苦しむのかもしれないが、俺が耐えれば良いだけだ。
「倒れたと思ったら、すぐに死んだ」
舌ガンが発覚するまでは「これから先も毎日仕事して、彼女と結婚して、子供が産まれて、あっという間に年取るんだろうなあ」なんて考えていた。しかし現実は違った。俺は年を取る間もなく死ぬ。
専攻医時代のこと
右半結腸切除において重要な上腸間膜静脈前面の主リンパ節に対するアプローチ
カンファレンスにて指導医や先輩たちは鈍的なアプローチにて郭清し抗がん剤で叩くべきという見解で一致
当時の僕は科長含め指導医や先輩たちを下に見ており、頼りのない医師であると感じていた
こいつらは大胆なアプローチが取れない度胸なしであり、すぐに抗がん剤に頼り消化器内科に患者を送りつけるクズだと
僕は筋層を越えていないT2止まりでそんな臆病な選択をするなど自分勝手な責任逃れだと指導医を非難した
いざ手術開始
順調に切除部位に到達
出血が始まる
ベテランのオペ看の「あ…」と言う声を皮切りに手術室内がざわめき出し、麻酔科医はずっと椅子から立ち上がりこちらを見ている。
途中で手術室に入ってきた指導医が周りを落ち着け「最後までいける?」と僕に聞いた
僕は至極冷静に「もちろんです」と答えた
さらに止血のため術野を確保しようとした結果スパーテルで血管を傷つけさらなる出血を起こした
先日兄が逮捕された。
いつも通り家に帰ると両親が項垂れた様子でそう語った時、もう無理だと思った。
ブログに書くのは、もう周りに吐き出せる人間がいないからだ。身バレが怖いなという気持ちがあるので、少しフェイクはいれつつ身の上話を聞いてほしい。
私は仲睦まじい両親と、優しい兄がいる家庭に生まれた女だ。両親は中卒であったが、真面目に仕事もしていて母が専業主婦をしていけるほど稼ぎもあったように思う。
理由は単純で、土日になると両親はハマっているパチンコ屋に出かけて行くからである。小さい頃はこの事を不思議に思わないどころか、むしろ子供を入れても黙認してくれていた店もあったりして、連れていってもらったときにはテーマパークに遊びにきたかのような気分にすらなっていた。
現実は他の子は家族で色んな場所に連れて行ってもらっているにもかかわらず、私達は私が5歳を迎えた以降の家族写真がない。写真を撮るような場所に行っていないから。
それでも小学生くらいになると規制が入ったのか兄と家で2人留守番をすることが多くなった。留守番をしている間は、兄からちょっかいをかけられて始まる喧嘩が絶えなかった。パチンコ屋の閉店時間である23時を過ぎるまで両親は帰ってこないことを分かっていながらも、一度だけ喧嘩に負けた私は窓を開け、「お母さん帰ってきて」と泣き叫んだことを今でもはっきりと覚えている。現代なら児相案件かもしれない。
そんなことがありつつも、寂しいと感じなかったのは兄だって土日に友達と遊びに行ったりしたかっただろうに、私の面倒を見るために家にいてくれていたことも何となく感じ取っていたし、平日学校から家に帰ると母は笑顔で迎えてくれ、ご飯は必ず4人揃って食べていたからなのかもしれない。
余談ではあるが、今SNSで嫌な呼び方をされている某スナックパンや、最近内容量が減った某薄皮クリームパンにいたっては、本当に毎日朝ごはんで食べていたためその投稿を見たときには苦笑いしたものである。
話を戻してそんなある日、父が仕事をやめて起業すると言い出した。普通は起業するとなると辞める前に運転資金を準備するところだが、前述のとおりパチ狂いの父にそんなお金があるはずがなかった。
そんな状態で起業するものだから、もちろん手元にお金なんて残るはずもなく。貯金なんて夢のまた夢な話で、税金保険料年金関係は滞納、市役所からの督促やらの封書は毎週のように届く。この時期から母は専業主婦をやめ、働きに出るようになった。
そしてとにかく両親の喧嘩が増えた。
よく究極の質問で「愛かお金どちらが大事か」というものがあると思う。お金があっても愛がなきゃ意味がない、愛を選ぶ人はみんなそう言う。確かにその考えもあると思うが、私はやはりお金だと思う。お金さえあれば、本来しなくていい喧嘩はあるからだ。
この頃どれくらい貧乏だったかというと、私の高校入学の制服代が足りないからとパチンコいったら大当たりしてなんとか入学できたという最低なエピソードがある。
高校入学後はバイトをするようになった。このあたりから自分の家の経済状況はなんとなく分かってきていたから、自分のことは自分で、と皆に迷惑をかけてはいけないと思うようになった。それとはまた別に先にバイトを始めて自由に使えるお金がある兄が羨ましかったからだ。
この頃にはパチ屋に行く金すらも無くなっていたので、両親はパチ屋に行くことを意外にもあっさりやめた。
そして高校生活も後半、進路について考えることになりふとどうするか考えた。
兄は高校卒業後、働きに出ていたため自分も働く前提で考えたがそれが本当に正しいのかと思ったからだ。
この頃の私は我が家は普通の家庭ではないと分かっていたので、私の望みは私は低収入でもいい、毎月給料が入ってくる職種の男性と普通の生活がしたい。たとえ1人で生きていくことになっても困ることがないように自分も食いっぱぐれない職種につかなければと思うようになっていた。
公務員になろうと思った。どうせ働くなら世のためや人のためになる仕事がしたいと思っていたので、思いついた時には天才かと思ったぐらいだ。
だが思いついたはいいが高卒枠で公務員になるにはあまりにも準備が遅すぎたため、進路を大学進学に変えた。あんまり出席日数も成績も良くなかったのもあって、当時の担任には大変心労をかけたと思う。
だが勉強するにも塾へ行くお金がない。時間がない。参考書がない。それでも必死に携帯で参考書について調べ、貯めてたバイト代で参考書を買って勉強した。嫌いではないが両親のようにはなりたくないと反面教師にしていたところもあった。
そして受験。もちろん落ちたが奇跡的に補欠合格となったので、家族でお祝い騒ぎになった。後でこっそり「落ちててもお金はなんとかするから浪人させてあげようと思った」と、某有名塾のパンフレットか案内文かをどこからか調達して見せてきた母と、合格後の入学金が必要なことを同業者から聞いていた父が一括でお金を用意していた時は反面教師にしてごめんと心の中で謝った。普通に入学金をすぐ払わないといけないなんて知らなかったから人生終わったと思った。
そして私はここから出会う人々と育ってきた環境のあまりの違いに愕然とすることになる。
学費については親が負担してくれるのは基本で、奨学金を借りるとしてもいざと言う時の保険でか少し借りる程度くらいのもんで、卒業後は一括返済、そこの心配なんて全くしていない人達だらけだった。もちろん車の免許も親が出してくれる。
それに対し私はもう4年間分の学費を全部そこから出す気持ちで奨学金を借りていた。頭は良くなかったので有利子。友達は何にも悪くないのに、なんとなく場違い感を感じていた。
とにかく大学はバイトと並行して真面目に勉強し、3回生の頃には大学で用意されている公務員コース(別料金)に入って就活対策も始めた。予備校に通うお金はなかった。
父の会社はというと、相変わらず上手く行っていなかった。支払いがやばい月には家族からお金を借りることが増えた。高校卒業から勤めていた兄はブラックだった会社を辞め、父のところで働くようになった。極端な話、大人が4人もいるにもかかわらず、まともな収入が母が派遣で稼いでくるお金だけだった。しかも兄はいつの間にかパチ狂いになっていた。兄は本当に優しかったのでそれを知った時には複雑な気持ちだった。
就活については、事前準備を頑張ったのもあって結果公務員になれたのでここらへんは省略。
さて同僚の方達はいい人達なのだが、ここでも育ちの違いをまざまざと思い知らされることになる。
まず親の職業は公務員だったり医者だったりと更に金銭面に苦労したことはまずないんだろうなという人達が多い。もちろんみんながみんなそうではないことは強めに言っておきたい。そんな人達が多いから滞納者の必死の訴えなんて伝わるわけもない。だって所得から計算されている税金なんだから払えない額ではないでしょうと市民に直接言わないがそう思っている様子だ。
それはそう。
それはそうなんだが。
我が家は車がなかった。
厳密にいうと4人で乗ってどこかに乗っていける車がなかった。軽トラはある。
だから4人でご飯を食べに行く時もいつも兄は原付で店に向かっていた。冬は寒そうに信号待ちをしている兄を見ていた。
せめてみんなが乗れる車が欲しかったので、私は中古のアウディを買った。
わざわざ外車にしたのは、父の仕事で商談やらで軽トラで行くのはって場面が会った時に恥ずかしい思いをすることがないようにと思ったからである。
ただ外車はとにかく維持費がかかる。中古なのでローンやら修理費やら車検代やら保険代やらで、今度は私の手元に残るお金がなくなっていくことになった。
父と兄は毎日仕事をしている。休みなんて概念はなかったので、ついに父は体調を崩してしまい、癌になった。抗がん剤の治療が始まり、家でのサポートが必要になったため母は派遣をやめた。
いい大人が4人合わせても中で手元に残るお金はごく僅かとなる有様だ。
そして話は最初に戻り、兄が逮捕された。父との会社の金銭管理は兄がやっていたようで、働いても自分にまともな給料が入ってくることはない、友達と遊ぶのも1ヶ月に1回あるかないか。もちろん鬱憤は溜まるだろう。会社のお金を少しだけ使い込んでいたらしく、お金を下ろしにいくといって兄が帰ってくることはなかったそうだ。
毎日働いているのに稼ぎが出ないことを何か原因があるんじゃないかと私と母はよく父を責めていた。お金が足りない時には私と母にお金を貸してくださいと頭を下げる父を、兄はどんな思いで見つめていたのだろう。優しい兄のことだから、お金がないことを私や母にバレたら、父がまた責められるので言い出すことが出来なかったんだろうと父は今も項垂れている。
SNSで結婚したと、子供が何歳になりました、大型連休は彼氏と家族と○○に行きました。みんなの素敵な投稿を見る度に、素直に祝うことが出来なくなっていく。そんな自分が嫌になる。人は人にあった人生レベルで生きるべきなのだろうか。現に今の私には素敵な投稿をするレベルになんていけそうもない。必死に足掻いても足掻いても私の人生は一向に良くなる気配がないし、まるで底なし沼にいるような気分だ。きっとこれからもっとお金がかかる。公務員になってしまったので副業をすることもできない。申請すれば通る状況なのだろうが、周囲にバレてもかまわないと思う覚悟ができない。
私はどこで道を間違えたのだろうか。
それとも逃げるように一人暮らしをするべきだった?
私はかつての夢だった結婚して普通の家庭を築くことは叶わないにしても、ただ4人で普通に暮らしたいだけだ。4人で家族旅行に行ってみたいだけだ。
それがどうしてこんなにも遠いんだろうか。
近所のショッピングセンターで保険ショップの人がティッシュを配ってて、なんとなく気になって相談した。
説明してくれた人が死んだ母親と同じ名前でなんとなく縁を感じて、勧めてもらったがん保険をその場で入った。
そして半年後、職場の健康診断の再検査で大腸がんが見つかった。
まだ4万くらいしか保険料払ってないし、もらえるか心配だったけど、診断金で200万出て手術も抗がん剤の給付も出た。治療1年目で合計350万受け取れた。
治療が続く限り、毎年100万+抗がん剤代が毎月10万もらえるらしい。
惜しむらくはケチって保険料免除のオプションをつけなかったことだ。
がんになってから仕事はセーブしてるから給料が下がったけど、保険から金出るし、と思えば治療に専念できる。
YouTuberとか巷のFPは保険なんていらない、とか言ってるけど、少なくとも増田は助かったし精神的にかなり救われた。
貯金が減る一方で仕事もセーブしなくては、となったら独身の増田にはかなりのダメージだったと思う。体調が悪い時に金の心配までするなんて最悪だ。
今のところ経過も順調だし、あのときの「なんとなく」に救われた。
親がさー、ガンになっちゃったのね。
で抗がん剤治療を始めたんだけど、聞いてた通り、副作用で味を感じにくくなっちゃったんだってさ。
でも抗がん剤の味覚障害だと酸味は比較的感じやすいって言うからさ、ポッカレモンとかああいう酸っぱい調味料なんかを試してもらったのよ。
そしたらやっぱりレモン系の味は比較的美味しく感じるって言うもんだから、地方名物のレモン系の味の食べ物買って渡そうかなってお取り寄せしたんですわ。
したんだけど、がんの転移が急速に進んでて、体力的に抗がん剤治療も手術ももう無理ってなっちゃったの。
それは残念だけどせめて一緒に食べればいいじゃんって思うわけだけど、抗がん剤治療やめたら、反動なのか今度は味がちょっとでも濃い物がダメらしくてさ。
今自分一人でそれ食べてる。
去年おかあさんが亡くなった
おとうさんは介護施設に入っている末期がん
今年度は会社の退職者がとても多く、仲がいい人や優しい人がいなくなった
去年他部署のパワハラの報告をして一旦落ち着いたがまたパワハラを繰り返している
仕事の調整は頑張ってやってくれと言うだけ
鳥山明など著名人が亡くなったことでおかあさんが亡くなったことを思い出し悲しくなる
葬式の時はおかあさんの死を悲しむ時間がなかったのと最近になって仕事が辛いせいかおかあさんとの思い出が浮かび上がってくる
おとうさんも抗がん剤が効いてるけどしんでしまうと思うと悲しくなってくる
頑張って生きていかなくちゃと思うけどただ疲弊している日常が辛い
才能とかそういうのはからっきしだからこのまま死ぬまで今の仕事をやるのを考えると億劫
あぁ
性犯罪者に対する社会の風当たりは厳しい。 最近、四谷大塚の講師Mが女子生徒をロリコン性犯罪者グループに売ったことで 中学受験業界全体が揺れている。 Mはおそらく大した罪には問われないだろう。 だからこそかも知れないが、「Mを死刑にしろ」という声が絶えない。
なぜだろうか? それはきっと、以下2つの理由によるものだろう。
そもそも、犯罪者とは何だろうか? それは、犯罪を冒した人間のことである。 ではなぜ人は犯罪を冒すのだろうか? それは、犯罪を冒すことがその人にとって有益だと判断されたからだ。
ふつうの人は犯罪を冒さない。 なぜならば、犯罪を冒さなければ平穏な生活が手に入るからだ。 言い換えると、ふつうの人の中では平穏な生活が手に入ること > 犯罪を冒すこと という不等式が成り立っている。 しかし、犯罪者にとってはこの不等式が逆になっているのだ。 特に、性犯罪のように意思を持って行わなければ成立しないものの場合はそうであるといえる。
この不等式は、ふつうの人にとっては絶対に逆にならないものだ。 でも犯罪者にとっては逆になっている。 これが何を意味するかというと、犯罪者は明らかにふつうでない感覚、あるいは人生観を持っている ということだ。
なぜだろうか? それはきっと、脳の気質レベルでなにかがふつうではないからだろう。 だから、犯罪者のこの気質は修正不能であり、 犯罪者はどうせまた再犯するということになる。 事実、性犯罪者の再犯率は極めて高い。
全対象者のうち,調査の対象となった性犯罪事件の裁判確定から5年が経過した時点において服役中等の者を除いた1,484人について,罪名は問わずいずれかの再犯を行った者の比率である全再犯率は20.7%であった。性犯罪再犯率は13.9%であり,全再犯を行った者のうちの約7割を占めていた。
昨今、東大や京大といった難関大学を中退する人間が目立つようになった。 SNSの影響うんぬんの前に、はっきりいって、頭が悪いんだろうと思っている。 ガイジと言っていい。
大学を22歳で卒業し、大学院を24歳で卒業するストレートに失敗する要因としては、 浪人、留年、中退の3つがあるが、 このうち就職における影響は、大きい順から 中退、留年、浪人となる。
中退は、そもそもが高卒と同じ扱いになっているからというのもあるが、 特に難関大学においては別の理由もある。
難関大学を卒業して、例えば京大卒になることと、 中退して高卒になることには大きな開きがある。 人生は全く違ったものになるだろう。 しかし、彼らはそれを放棄して中退という道を選んだことになる。 つまり彼らは、難関大学を卒業して輝かしい学歴を手に入れることより、 中退して勉学の苦しみから解放されることを優先したのだ。 これは明らかにふつうの感覚ではない。 これらの高みにたどり着くために、多くの人は子供の頃から塾に通い、 時には泣きながら勉強して、 それでもなお届かずに諦めたのだ。
日本の大学を卒業することはそう難しいことではない。 だから、あと少しだけ努力すればその高みに届いたはずなのに、 それすら辛いという理由で放棄して中退してしまったということになる。
これは、平穏な生活を手に入れることを難関大学卒の学歴を手に入れることに対応させて、 犯罪を冒すことを中退して楽になることに対応させれば、 性犯罪者の論理と全く同じことに気づくだろう。
これは以下のような理由による。
まず、仕事をするためにはそのプロダクトなりビジネスを ある程度はジブンゴト化する必要がある。 難関大学中退者というのは、自分の人生という最重要プロダクトすら まともにジブンゴト化出来ずに放棄した人間であり、 このような人間が しょせんは他人が定義したプロダクトなどをジブンゴト化することが出来るはずがあるだろうか(いやない)。
次に、なぜ彼らが大学を中退することを選んだかというと、 これは大抵の場合、勉強が嫌だったからだ。 彼らは多く場合、アスペルガー気質があり、 好きなことはとにかく熱中するが、嫌いなことは絶対にやらないという 傾向がある。 このような傾向は、仕事をする上では致命的となる。
一方でふつうの人間というのは そのような近視的なものの見方はせず、 より高い視点で物事を見ることが出来る。 つまり、自分の人生にとって卒業ないし学歴がどういう価値があるかという包括的な視点でものごとを見ることが出来るから、 興味のない科目や授業があったとしても、ある程度は受け入れることに成功し、 単位を落とすまでには至らない。
最後に、彼らは努力出来ない。 これは、嫌いなことに対して努力することが出来ないということでもあるが、 彼らは内心、中退したことを悔いている。 この後悔は、履歴書が門前払いされるごとに深くなっていき、 次第に、こんなはずじゃなかったという思いに支配されることになる。 世の中のほとんどの大人は、もっと勉強して少しでも上位の大学に行けばよかったと後悔しているのである。 であれば、大卒になる権利すら自分で放棄してしまった人間の後悔というのはこの比ではなく、 場合によっては自分を認めない社会に対する恨みすら抱くようになる。
このような人間は、中退せずに難関大学を卒業した人生と、今の人生を比較してしまい、 今の人生をこれ以上改善しようとは思わない。 なぜならば、その努力は、前者の場合に比べて報われる可能性が低いと考えるからである。 池江璃花子は白血病から立ち直り、世界水泳に出場するまでに復活をしたが、 大抵の人間は白血病になったら、仮にそれが治ったとしても、またトップレベルの 選手を目指そうとはならない。 なぜならば、白血病の治療において抗がん剤や放射線治療をした影響によって 自分の身体は確実に弱化しており、努力しても虚しいだけだと考えるからである。 こうした状況において最大の努力をしてトップレベルまでカムバック出来るのは、 池江璃花子が池江璃花子だからに他ならない。 ふつうの人間は、今日ほんの少し疲れているだけでも、今日はお休み明日から本気出すと言って それを繰り返すものである。
では、低学歴はどうだろうか。 低学歴も、高学歴になることを諦めているのだから、 同様の論理が適用出来るのではないかと思うかも知れない。
その考えは、大体は合っているが、性犯罪者というほどにはならない。
東進の林修は、最後の授業においてこのようなことを言うらしい。
「これから一ヶ月間、必死に勉強しろ。 必死に勉強すれば、結果がどうであれ、人生の糧になる。 必死に勉強しなければ、結果がどうであれば、 自分は一ヶ月間すら必死に努力出来ない人間なのだと 生涯苛まれることになる。」
この論理を学歴の高低に適用すると、 仮に必死に勉強した結果が低学歴なのだとしたら、それは別に構わない。 しかし、必死に勉強せずに低学歴なのだとしたら、その人は確実にだめだということになる。 ただ残酷なことに、最大に努力した結果低学歴なのだとしたら、 それはやっぱりだめということになるから、 結論として低学歴はやっぱりだめということになる。
実際、使えるか使えないかは概ね出身大学の偏差値と相関がある。 特に、論理的思考力など仕事をする上で重要な能力は、 低学歴の人には備わっていないことが多い。 生まれつき知能指数が低い場合は受精卵しかやり直すしかないが、 そうでない場合でも、思考力というのは思考しなければ養われることはない。 難関大学の問題は思考力を要求するため、受験生の中には その訓練のために難問を何時間も考え続けたという経験をしたものが少なくない。 中学受験出身者の論理的思考力が高いのは、膨大な量の論理パズルを幼少期に訓練しているからだ。 だから、低学歴は基本的には使えない。
しかし、その使えない度は、難関中退者よりはマシだとは言える。 大学受験は時の運もあるし、環境によって十分な準備を出来なかった人もいるだろう。 それに、大卒と高卒の差に比べれば、大学の偏差値の高低はそこまで大きな問題ではないから、 誰しもが最大限の努力をするという前提には無理がある。 実際、マーチや関関同立レベルで十分に高学歴という価値観を持っている人の方が大多数であることは間違いない。
だから、偏差値が低い大学出身の人間でも、 大学に入ってから努力をして、そこから伸びてくるというケースはある。 しかしそれは決して一般的ではない。
初期のうちに見つかった?のか、余命は…みたいな話は出なかったが、相当ショックは受けた。父もメンタルにきているようで心配しすぎて病んでいるらしい。母は今通院しながら抗がん剤を打っている。
免疫が下がるから人と会うことに抵抗があると、実家には帰ってこないようにと言われた。
そして同時期に私は子供を授かった。
とても喜んでくれると思っていたが、実家が母の病気で手一杯で言うタイミングが見つからなかった。
仕方ないことだけど、入籍の挨拶も未だにできていない。両家顔合わせの予定も立てられない。パートナーには母の免疫で体調が変化するから予定が立てられないと伝えたら 気の持ちようだとクソみたいな発言が飛び出して、めちゃくちゃ怒鳴った。瞬間湯沸かし器になっている。
妊娠が発覚した時は正直 あぁ、業界から淘汰されてここで私は終わるんだ と思ってしまった。
まだそこまで売れていたわけでもなく、細々と楽器講師業をやっていただけなので妊娠してフェードアウトしても誰もなんとも思わないだろう。
この業界、だれが仕事を掴めるか、誰かが手放した仕事をだれが次勝ち取るかの世界、一度手放したものは基本的に帰ってこないと思ってる。
しかし、私より出世していた後輩が先日出産すると聞いていたが、出産1ヶ月で復帰していた。なんとしてでも仕事を他人に渡すまいと執念を感じた。悔しかった。仕事を続けるにはここまで苦しまなければいけないのか。
母のガン
授かった子供を親に伝えられない
「生理的機能を大幅に損なう治療はしない」と決めているので、外科的処置でどうにもならない病気は治療しないと決めている
医師から「もう完全に取ったから仮に陽性でも大丈夫」と言われたがそれでも心配だった
結果は陰性
母は抗がん剤で乳がんを克服し元気になったが、今でも冷たい水でヒェッとなったり、食べ物の好みが化学療法中に変わったきり昔好きだった食べ物は食べられていない
会社の上司とその奥さんは人工肛門になった父の介護に相当苦しんでいた
だから抗がん剤や人工肛門や透析なんかを使わないと生きていけなかったり、胃を全て取らなければ生きていけないならそもそももう生きないと決めているのだ
俺はまだなんとか生きられる
緩和ケアの発達により、末期がん患者の痛みやせん妄を抑えることはもちろん食欲や体重、すなわち体力まである程度のコントロールが可能になった。
岩崎弥太郎が末期胃がんの痛みや苦しみにのたうち回って亡くなってから138年、大きな医学の進歩であり、末期がん患者でありながら「最後に山に登りたい」「最後に旅行に行きたい」「自宅で家族と過ごしたい」など、QOLを維持しながら最後の時間を過ごせるようになった。
ただ、喜ばしいことばかりではない。
末期がん患者のご遺族などによる医療訴訟が増えているのである。医療訴訟とまではいかなくとも医師の説明に納得しないご遺族は多い。
治療をやめて緩和ケアのみに移ると、抗がん剤の副反応も抜け、薬によって痛みやせん妄もなく、食欲が低下していないことから患者さんや家族は「まるで治ったみたい」「もしかしてこのままよくなるのでは」と考えてしまうのである。
しかし、その間にも癌は進行を続けておりモータルな状況に達すると突然意識不明となりそのまま亡くなるのである。ここ最近のがん患者の意識急変→永眠までのスピードは最後まで積極的な治療を行う小児患者や若年患者を除くと恐ろしくあっという間である。
何かを成し遂げることができない、歴史に名前を残すことができない無名の顔のない庶民が幸せになるには
①親より長生きする
②結婚する
④子供が自立するのを見る
⑤孫の顔をみる
これ全部満たさないといけないのがキツすぎる。
まず現時点で俺は②、③は満たしている。DNA検査もこっそりして2人とも実子であることは確認済み。
④、⑤に関しては出来る限りのことをする。勉強、進学、コミュニケーション、服装、髪型、異性と関わる機会など。
キツイというか、プレッシャー、生き辛さの原因になっているのは①、⑥の2つ。
親はとにかく健康で、俺は一人っ子なのでプレッシャーがキツイ。親より先に死んだらその時点で俺も親も「ああ、可哀想」って思われるだろうから幸せな人生失敗。
仮に親が死んでくれて①を達成しても、癌になって消化器摘出系の手術でQOL低下したり、抗がん剤で痩せ細ったり手の痺れが残ったらやっぱり「かわいそう」と思われて幸せな人生失敗。
道を歩く時も事故に巻き込まれないように細心の注意をしてるし、街を歩くときは看板や飛び降り自殺者が落ちてこないよう注意してる。病気にならないように必要な検診は全て受け、食生活や習慣にも気をつけている。
それでもまだまだ不安。
例え健康なまま生きることができても子供が死んだり、障害が残るような事故に遭ったり、事件を起こしたり、学校や社会で躓いて社会からコースアウトしたらその時点で終わりだし。
幸せになるのキツすぎる。