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はてなキーワード: 60年代とは

2021-05-04

anond:20210504202232

作品紹介・あらすじ]

2060年代後期。個人情報企業提供することにより収入を得られる世界で人々が「個」を失いかけていたさなか、データ管理するトランスランス(透明性)社の元社長が、殺人の罪に問われる。

温暖化で存亡の危機が迫る人類に、彼女が用意した壮大な計画とは

2021-05-02

コロナ対応改憲必要」57%、一理あるかもしれない

コロナ対応改憲必要」57% 共同通信世論調査

https://news.yahoo.co.jp/articles/7ec1d495b848a971128aff7c5fc0dedf1a2c92ee

共同通信社は30日、憲法記念日5月3日を前に憲法に関する郵送方式世論調査結果をまとめた。新型コロナウイルスなどの感染症や大規模災害対応するため、緊急事態条項を新設する憲法改正が「必要だ」とした人が57%、「必要ない」は42%だった。内閣権限強化や私権制限が想定される緊急事態条項新設を容認する声が反対意見を上回った。長引くコロナ禍が影響したとみられる。

ちょっと長めになってしまったので、はじめに要約すると、

改憲なくとも法を生かせば緊急時行政権限をフル活用できるはず、と思ってきたが、過去公害の教訓を思い起こしてみると立法行政不作為が目立つ。

憲法の制約で権限がないのではなく、あっても使わないのが問題だった。そこにメスを入れるには、行政立法指導する上位の規律必要で、「今まさに緊急時シフトチェンジしろ

行政立法に促す仕組みが必要なのでは。それはひょっとすると憲法役割なのかもしれない。

という趣旨


+++++++

改憲の是非でいえば、基本的スタンスはノーだ。

内閣権限強化」、これは橋本行革の結果、小泉政権内閣官房の強化の恩恵を受け、その後、安倍がめちゃくちゃにした経緯から

これ以上の内閣官房の強化などナンセンスだと思うし、

現行の制度運用できないのか?と言われれば、

公害立法歴史を振り返っても、現行の規制権限は決して弱くはない。立法余地もある。

実際60年代から70年代にかけて、深刻化した公害に山ほど立法を制定、70年はとりわけ公害国会などと呼ばれた時代もあった。

そうやって公害を克服しようとしてきた歴史の教訓をみても、現在感染症コントロール問題が、憲法改正でしか解決しえないとは思えない。

から問題はできることをしない、立法不作為行政権限の不行使のほうで、それを改憲論議にすり替えるのはおかしい、という意見も納得できる。

しかし。

それこそ公害の教訓を振り返れば、という話なのだが、

改憲世論が盛り上がるのは、だからこそ逆に、一理あるのかもしれない、とも思う。

もちろん、行政立法性善説に立てば。。という留保はつくが。

というのも、水俣病を例にとって、公害被害を振り返ってみると。

なぜ今日に至るまで長年、放置されてきたか。長年の放置もさることながら、振り返ると、初期の対応のまずさが際立つ。

チッソ工場への排水をやめさせる権限のある水質二法の適用

漁業法による禁止措置漁民への補償食品安全法による有機水銀汚染された可能性のある魚類販売禁止

すべて見送られた。つまりすでに対応可能な法的ツールがあったにも関わらず、被害が拡大した。

こうした行政権限の不行使が最終的に裁判で争われ、最終的に結審したのは2004年

国は高度経済成長をとめたくないがゆえに、規制権限行使しなかった、というのが結論

これは初期の対応が間違っていたことを指摘したものだ。

1970年代公害社会問題の深刻化を受けて山のように公害立法が制定されたが、それ以前の問題として

そもそも1950年代、すでにある水質二法等で権限行使できただろが、という。

法の不備ではなく、繰り返すが、すでにある法を使いこなせなかった行政責任が厳しく断罪されたわけだ。

ここから導き出される本当の教訓というのは、規制権限があったにもかかわらず

なぜ初期の対応がこれほどまでに、被害者をないがしろにしたものになったか、という問題

それは経済を優先した政治意思決定メカニズムだ。

そこには、何か異常な事態が発生したときに、立ち止まって物事を考え直す、

シフトチェンジの仕組みが欠落していたともいえるのではないか

かつて辺見庸は、地下鉄サリン事件の際に、丸ノ内線駅構内で、人々がバタバタと倒れているなか、

通勤している乗客枕木でもまたぐかのように出口へ向かった光景について

日常的なことを目の前にしても、脳が適切に処理できず、

惰性で日常論理で動こうとする「慣性イナーシャ)」が働いているといったが、

ここ一年を振り返ってみると、そういう政治的な意思決定がかなりよくみられた気がする。

この問題解決されない限り、改憲による緊急事態条項検討など、全く意味をなさない。

日本は、意思決定の仕方、会議の仕方を根本から見直したほうがいい。


いや、だけど一方で、

緊急事態条項のようなシフトチェンジトリガーがないからこそ、漫然と経済優先で動いてしまうのか?という疑問も頭をもたげる。

どっちなのだろう。

そんなことを思い出したのは、さっき、尾身会長インタビュー記事を目にしたからだ。

尾身茂氏が語った「マスクを外せる日」「3回目の緊急事態宣言なんて聞く気になれねぇ」への意見 | 文春オンライン

――東京都墨田区長野県松本医療圏など、基幹病院支援に回る地域病院医師連携が回っている地域の取り組みも報じられているが、厚労省は、こうした体制づくりのため各地の医師民間病院に強い指示が出せないものか。

尾身 医師病院に対して国が強い指導力を発揮する英国のような仕組みとは違い、日本厚労省というのは公立民間などさまざまなステークホルダー意向尊重する必要があって、上から目線はいわない。平時はそれも大切ですが、危機局面ではどうなのか。この機会に考えてみる必要はあります

――医療提供体制の拡充やワクチン接種準備で、国民が納得するだけの結果を示せないことに国民は苛立ちを感じている。強権的なイメージが強い菅義偉首相だが、結果を示せない理由は?

尾身 それは政治のことだから、私にはわかりません。ただ、総理大臣は、いろいろなことを今、四方のことを考えなければいけない立場にあるんでしょう。そう思います



平時から非常時へのシフトチェンジ

これが明確な意思決定メカニズムとして組み込まれていないことが、水俣病の初期対応問題もつながっているように思えた。

それを可能にするのは、規制権限の強化と行使、という既存立法行政機構のあり方の、もうひとつ上段の制度として構築する必要があるのかもしれないといえなくもない。

改憲への渇望というのは、案外、そういった視点で考えることも可能ではないかとふと思った。

しかし、憲法踏み込むのではなく、

危機対応専門の省庁を創設する、というのもひとつ方法。非常時のガバナンス体制を整備する。

米国FEMAアメリカ合衆国連邦緊急事態管理庁)、CDCアメリカ疾病予防管理センター)のように。

現在のように、菅、西村田村河野小池、、、、、みたいに

船頭多くして船、山に登る、という問題への処方箋となろう。

そうすれば、現在河野太郎のような感染症素人新型コロナウイルスワクチン接種推進担当大臣として奮闘する、といった話もなくなるはず。

彼はおそらく、急に任命されて困っただろうが、実質やれることを模索した結果、

ロジ担当となり下がってしまっているように見受けられる。住民心配に答えるのは基礎自治体役割だ。

大臣仕事じゃない。本当の危機管理はそういうことではない。

危機管理のプラットフォームができれば、アメリカのファウチ博士のように、

集団免疫獲得に向けた仮説を立て、何%の接種があればOKで、ワクチン効果が切れる前の接種完了を逆算してスケジューリングする。

目的ロードマップ国民に示したうえで協力を仰ぐという、専門家による意思決定ベースとなったリーダーシップ重要だ。

今は「高齢者の接種」そればっか。もっと全体の話をすべき。

ガバナンスの基本は、法、規則基準科学的な予測を明示した意思決定を行うことだ。

これは世界銀行の借用だが、世銀では途上国行政改革支援の際に、ガバナンスを以下の4要素で因数分解して

能力評価している。

説明責任財政リソース)、予測可能性(法的枠組み)、透明性(情報公開)、参加(連携)の4つ。

テーマ出しした瞬間、近年の日本がどの分野でもガタガタになっていることがわかる。

いずれにしても、緊急時ガバナンスの訓練を積んでゆくことが大切で、こうした組織を立ち上げることには意義があるだろう。

現在菅政権は、こうしたガバナンスの観点から落第点であり、

首相が何を考えているかからず、結局、リーダーの一挙手一投足に注目が集まる意思決定となっている。

急に決心して、緊急事態宣言を発出したりやめたりする。このように国民から予測可能性を奪うやり方は国民から自由を奪うのも同然だ。


国民からすれば、知らず知らずに国のリーダーシップ注視せざるを得なくなり、いつの間にかリーダーシップ問題錯覚してしまうが

本当は危機管理はリーダーシップの欠如の問題ではなくて、ガバナンス問題だ。リーダーが誰であれ、ある程度、やるべきこと、基準が決まっていて

どのように対応するかが決まっていること、この予測可能性が確保されることが大切。

国民にとって予測可能でなければ、国民自身計画を立てられず、急に決断されても、ついていけいけない。

水木しげる漫画で、上官が急に玉砕を決心したので部下の大半が付いていけず、結果として敗残兵として生き残った兵士に、すでに全員立派に玉砕したことになっているのだ、として、ラバウル本部が改めて玉砕を命じる、という話がある。日本人のリーダーシップ象徴する話だと思う。)

しかし、一方、リーダーシップ問題は残る。

緊急時へのシフトというのは、なにかしらリーダーとして発動するトリガー必要なのではないか

憲法、というのも、民主的意思決定の根源として、

そこに非常時へのシフトチェンジ記載されることにも意義があるのかもしれない、という考えに傾いてゆく、そういう世論の動きもわかる。

もちろん、そんな非常時に平和ボケして判断の鈍いおっさん首相だったらなんの意味もなさないが、誰かがシフトチェンジを発動しなければならない、

それが立法危機管理のプラットフォームづくりだけでうまく機能しないのであれば、ある意味大統領的な権限を期待する傾向が出てくるのは自然なことのように思う。大統領権限というと、合衆国建国当時まで振り返ると、当時の議論のなかで、リーダー聡明さ(アリストクラシー)というのは、欠かせない条件だったように思う。

日本政治社会にそんなことを期待できるのか、と考え始めた瞬間、改憲には激しく首を横に振らざるを得ないのだが。

そんなことをインタビューの印象として持った。

2021-04-16

日本CMってなんでいつもいつも

サイレンっぽいシンセブラスリードで)パーーープゥ パーーープゥ・・・・パピラッピラー・・・ ピーー!ってPHS京セラAU KDDI?)のCMで使われた曲を使ったり

Lenny KravitzとかBlack Sabbathみたいな感じの60年代70年代グラムロックメタルとかの低音のねちっこいギター音作りの)

デンデロデ~~ンデ デ~デー。

デンデロデ~~ンデ デ~デー。

ってリフを使うんだ?色々なCMで使われてるのを見るんだけど

才能無いのかそれともここぞって時のオハコなのか?

2021-04-12

働く女性・専業主婦・風俗嬢を広く救えるフェミに戻ろう

男女雇用機会均等法(1986)で「女性社会進出」というフェミニズムの具体的課題一定の達成を遂げた後、主流派フェミニズム売れっ子研究者達は社会における女性表象批評男性批判など、より抽象的な男女差別の話に目を向けるようになっていった。それはそれで大事なことだと思うけど、女性貧困というリアルテーマについては結果的に徐々に主流派フェミニズムから言及されなくなった。1990年代には『ふざけるな専業主婦』の石原里紗彼女フェミニストではない)が火を付けた「専業主婦論争」というのもあったけど、このとき専業主婦についてのフェミニズム側の評価ははっきりしないまま下火になってしまった。私見では、当時の主流派フェミニズムでは専業主婦というのは「間に合わなかった人」の扱いだったような気がする。女性みんなが(男性並みの待遇給与で)働く女性になれば、女性生活をめぐる諸課題は解消に向かうけど、いま専業主婦をやっている人達はそれは難しいかもしれませんね、でもシャドウワークにも価値があるんだからちゃん評価しましょうね、みたいな。認めてるけど結果的バカにしてる、みたいな。

女性貧困」というテーマについて地道に調査研究していた女性/男性研究者達はその後もずっといたけど(後述)、そういった人達上野千鶴子小倉千加子のようなスター研究者になることはなかった。当事者の声では、自分の知る範囲だと、専業主婦たちによるオルタナティブフェミニズムの読み解きをしていた「シャドウワーカー研究会」が、そうした主流派フェミニズムに対して同人誌模索舎とかで売ってた)で非常に辛辣な指摘をしてた。最近だと『ぼそぼそ声のフェミニズム栗田隆子もこの系譜に連なるものだと思う。

あと、もうひとつ女性貧困と密に関わるテーマとしてセックスワーカー問題があるけど、これも主流派フェミニズムでは微温的な取り扱いのままだった。SWASH要友紀子さん(『売る売らないはワタシが決める』)ほかワーカーの当事者運動が出てきて、ようやくフェミニズムの界隈でもそれなりの認知を得た形だけど、未だに主流派フェミニズムにとってさほど重視されているテーマとはいえない。特に地方女性支援センターみたいなとこに巣くってる公務員フェミニストは毛嫌いすることも多い。

いまは働く女性専業主婦セックスワーカー、みんなを支えるような「お金労働の話をするフェミニズム」が求められてるんじゃないか。これは新しいフェミニズムというより、伝統的なフェミニズムへの回帰だ。かつて山川菊栄というものすごい女性解放運動家がいた。明治まれで、山川均の妻で、戦後労働省の婦人少年局長をやった。母性保護論争で与謝野晶子平塚らいてうの論争に乱入して歯に衣着せぬ論理的批判で両方ともノックアウトし、ついでにモブ役だった伊藤野枝までボコボコにした驚異のつよつよフェミニストだ。後期江戸文化についても造詣が深く文化史家としても評価されているがそれはまた別の話。このひとはもともと社会主義者だから女性労働問題というのを生涯のテーマにしてきた。戦前家事育児社会化を主張し、60年代日本高齢化社会について警鐘を鳴らし、70年代北欧福祉政策を紹介した。未来学者としても卓越していたんじゃないかと思う。

その彼女名前を冠した山川菊栄賞という賞があった。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%B7%9D%E8%8F%8A%E6%A0%84%E8%B3%9E 受賞者の研究テーマをみれば、決して社会的には目立たなくても、さまざまなかたちで「社会的に弱くある立場女性たち」に注目して課題を掬い上げる実直なフェミニズム女性学の伝統がみてとれる。声の大きいスター研究者にも山川菊栄精神に立ち戻って、具体的に実践的に女性生活を良くするような取り組みに力を貸してあげてほしい。

あと「弱者女性弱者男性のどっちがしんどい」みたいな議論は、ぶっちゃけ言えば低付加価値寄りの労働者階級が男女でいがみ合ってるだけで、どっちが勝っても勝った側がすごく得するような対立じゃないと思う。抜本的に良くするには、横(異性)から取るより、上(上の社会階級)から収奪されてるものを一緒に取り返したほうがいい。幸いこれからしばらくは働き手は不足し続ける。労働運動の軸では弱者女性弱者男性は協力できる部分もある。ミソジニー持ちのクソ男やそれを再生産する社会構造のことは批判しつつ、それでも「もらってない人間」同士で連帯していったほうがいいんじゃないかと思う。

anond:20210412131854

2021-04-08

50〜60年代ロックのカッコ良さなんなんだよ

ビートルズとかストーンズとかビーチボーイズとか、なんか普通に現代のオシャレ映画とかドラマ劇中歌にできる感じあるじゃん

80年代とかだと逆にダサい感じある

2000年代とかでもダメ

時間が経って趣味が一回りしたのか?って気もしないでもないんだけど、そうは言っても2000年代の曲が2070年とかにオシャレなものとして使われる光景想像できねえ

You really got me とかすげーかっこいいよ

あの感じなんなんだよマジで

2021-03-29

anond:20210329002253

愛するという行為が愛されたいという感情混同してしまうのが現代恋愛の歪みだって60年代くらいに指摘した人がいて現代でもあてはまる重要問題提起だね。ただ悪いことだとは思わない。

2021-03-11

anond:20210311185321

何を見て60年代と思い込んでいるのかね。

海外だとテープは今も人気なんだけど。

2021-03-06

anond:20210306093054

さらいなんていまどき少ないけど、60年代フツーにあったんだなあ。

ブラックジャックで人さらいの鬼子母神というエピソードがあった。

2021-02-27

anond:20210227094045

SNSもそうだが、「現代文明地方風習が洗浄されてしまう」ことが問題

洗われてしまうと、何も残らない。

学習塾パワハラ指導をやる連中が1950-60年代まれ日本人に多かったのは、そのため。

あの年代が一番、田舎地方に生まれて苦労を強いられた世代から

コピー機がないので、手で写していたとかそんなの。

コピー機田舎地方にできると、それまでより勉強も楽になった。これが1970年代まれ

1980年代まれになるとicレコーダー恩恵語学勉強がはかどるようになった。

なので、1970年代まれ以降は「田舎差別うんざりする、そこまでして差別するほどでもない」とつい言ってしまう。

このままだと、東京文明も完全に洗浄される可能性があり、「東京だって田舎地方と変わらないくら馬鹿!」といわれる未来が待っている。

SNSができるまで、格差を感じる児童ゼロだったのかというと、そうではないからね。

習い事で優劣のついた児童は、私のようにみんな黙っていたんだよ。

それが誰もが吠えるようになっただけの話。

2021-02-15

90年代の曲と60年代の曲

先日、日曜夕方ももクロラジオをなんとなく聴いていた。そのラジオは、ももクロメンバー二人と、40代半ばのアナウンサーの三人で進行する番組なのだが、その中でKANの「愛は勝つ」が流れて、それについてひとしきりトークをする、というくだりがあった。

愛は勝つ」は、90年のヒット曲から40代半ばのアナウンサーがひとしきりエピソードを語って、ももクロの二人はただ、へー、っていう反応だった。

俺も40代半ばだから、そのアナウンサーの語っていることは肌感覚としても理解できるけど、ふと、今の10代、20代はどう思うんだろう、と思った。

この件に限らず、割と今の40代10代、20代のころに流行ったもの話題が、テレビラジオネットなんかでよく見かけるような気がする。

翻って、俺が20代の頃って、そんなに昔流行ったものって、そんなに話題にされていたっけ?とも思った。

たとえば90年代からの30年前は、60年代になる。60年代ヒット曲ってなんだろ、と思って調べてみたら、なんとなく知っているのが、

上を向いて歩こう

いつでも夢を

こんにちは赤ちゃん

見上げてごらん夜の星を

高校三年生

明日があるさ

幸せなら手をたたこう

君といつまでも

ブルーシャトー

・帰ってきたヨッパライ

ブルーライトヨコハマ

・黒ネコタンゴ

だった。意外に多いな、と思ったし、すぐはでてこないけど、聴けば、あああれか、と思う曲も含めれればもうちょいあるだろう。

今の10代、20代にとっては、俺がこれらの曲を若い時に耳にしていたのと同じような感覚なのかな?

2021-02-13

anond:20210213025552

ヒッピーたちが言ったラブアンドピースと、家庭用小型フィルムカメラが普及した時代が同時代なんじゃない。60年代くらい……?

2021-02-11

フィクション登場人物バンド名にしたバンド

TOTO
児童文学オズの魔法使い』に登場する犬トト(ただし諸説ある)

デュラン・デュラン
60年代SF映画バーバレラ』に登場する科学者名前

シン・リジィ
雑誌連載漫画に出てきたロボット家政婦の名前

 

かにあったらどんどん教えてほしい

2021-02-04

anond:20210204165017

日本ってそんなに優秀ですかね?

1950-60年代まれはそれなりに詰まっていたのは認める。

そっからがね。どうしようもない。

2021-02-03

フェス

毎年、夏にもフェスに出たり、フェスに出れたりしている。

小康時代ランドセルを背負ってコンサートで歌っていた場所は、喜劇劇場ケープタウンのすぐ裏。古い町並みの中を走る国道沿いの大通りで、5時間に1本のペースでフェスを開催する。町中から中へ国道160号線に向かってその小ささなく大きな通り沿いの町のわけを、40分くらい歩く。市内から県道に乗るので、道路沿いも歩く道幅も23くらいある。

さて、初めはいかにHIPHOPバンド。とは言え、重厚感はない。当時、二十代だった私は、若いながらも、威圧感のない、個性のあるバンドが好きだった。して、そんなバンドが、50代になり、また今年、60代になった。

実は思うに、21歳くらいの時からロックフェスに足を運んでいる。

今や、「美」をテーマにしたフェスという基本の中の言葉を飾ってのフェスであるそもそもフェスに行く時には、「美」というテーマを取るバンドがここだったのだが、ノスタルジックで美しいフェスというゲーム存在する限り、何を1曲として伝えるのか、異端として映るフェスはない。

そんなときには、先月、60代を迎えたばかりの界隈の若手バンドと、30回目のさかえとで見比べてみる。ロック好きの目から見ると、他のフェスと比べて、ロックの熱は薄いように思う。

もちろん、他にはロックフェスにも、パンクパンクロックヘヴィロックパンク色の濃いフェスがある。では、60代のロックフェスには、どんな意味合いがあるのだろうか。間違いなくそれが分かる。もしも、70から80年代前半、80年代アイドル80年代クラシックを、ロック解説してみたい。HIPHOPは一時代を通して、1980年から80年代にかけて爆発的に拡大した。その変遷は、令和の時代になってからも変わらない。毎年、夏、そして9月のどこかに出かけた時に、その熱はまだまだ冷めないのが目に見えた。

だが、今年、ノスタルジックになって、なおかつ、熱気に溢れんばかりの方が、画的にも、参加しているバンドも、ロックフェス育ちのオヤジたちは、新社会人になって、そして、新天地ロックフェスを楽しんでいる。今年が半世紀もの時を経て、フェスでお会い出来るというのだ。

最新作の数々、みじんも予想していなかった60年代ロックフェスが、60代の初夏になり、令和2年、令和2年になる。さらに、30年、60年という節目を記念するイベントも多数開催予定で、その一つになると言っても過言ではないと思う。ロック民族楽器演奏で、ぶっつけ本番で、ロックフェスを楽しむのが海辺のまちなのだ

なお、今年のフェスでは、ビーチにバーベキューバーベキュー外遊びをする以外にも、パーティーフェスというユニークな形で開催が予定されている。(本稿は今年のフェスで話したいと思う)さて、今年のフェスに、一本だけでも、何本かある。まだ1本も見たことが無い方々は、ぜひ、観てきて欲しいと思う。とはいえ、40周年、60周年、このタイミングに合わせ、バンドバンド同士の交流は、今の倍以上になりそうな気がする。まだ出たばかりなので、今年のフェスにも足を運ぶ予定があるのは、それからなのだ

バンドはいつも、誰もが自由解釈や曲、サウンドを奏で、そして、唄い、演奏しながら、声を張るという音楽世界を行っている。それは、30周年を迎えたバンドにとっては、非常に大きなことだ。音楽性も、そして、時代によって雰囲気もどんどん変わってきている。いま、時代と共に周りの環境も大きく変わってきているが、それでも、時代に取り残されている音楽というのが、ロックフェスの特徴なのだ。60年以上も前からロックフェス世界にいて、私たち世代の憧れのバンド。どこかで見たような、ラテンっぽい、レトロな、EDM風なサウンド。独特のサウンド。そんなロック自慢の音楽が、20年、30年も、世界に多くのオーディエンスを誘って、地球の裏側で、フェスを行うことになる。

そして、令和2年も、今年で60周年。20年を超えるのに、すでにロックフェスで、しかも、60年を超える必要がある。70、80年のミックスアップ、98年のドック、96年の超結婚。そして、その超絶必勝の方程式

今後も、ロックフェス成功は続くことだろう。ロック好きな大人が存分にロックを楽しんではいけまい。

2021-02-01

20年代アニメをたのしむためには

アニメ過去作品パロディーオマージュ文化が盛んだ。

20年代アニメを骨の髄まで楽しむためには、

それらのパロディーオマージュを楽しむことも必要

ゆえに00年代10年代の人気アニメもみておくべきだ。

  

ところで

アニメ過去作品パロディーオマージュ文化が盛んだ。

00年代10年代アニメを骨の髄まで楽しむためには、それらのパロディーオマージュを楽しむことも必要

ゆえに90年代80年代の人気アニメもみておくべきだ。

    

そして

アニメ過去作品パロディーオマージュ文化が盛んだ。

90年代80年代アニメを骨の髄まで楽しむためには、それらのパロディーオマージュを楽しむことも必要

ゆえに70年代60年代の人気アニメもみておくべきだ。

  

こう考えると100年後のアニメファン人達は大変だ。

2021-01-31

海外駐在がすげー金もらってるかっていうとそうでもないよって話

はじめに断っておくと、給与体系は会社によって違うので、この記事当方の昔の経験に基づく話としてご覧くだされ。

海外駐在を知らない人からよく掛けられる言葉の一つに、「給料たんまり貰ってていいな〜」というものがある。

これはまぁ一定真実を含むが、たぶん世に思われているほど懐が潤ってるわけでもないよってのが本記事趣旨である

まずは駐在員の給与体系について説明しよう。

海外駐在給与算定には、「購買力補償方式」というのが採用されていることが多い。

これは簡単に言うと「本国で頑張ってる同僚と海外駐在を公平に扱いましょーね」というテーマシステムである

元々は欧米製造業グローバル体制が拡大してきた60年代くらいにどっかのコンサル会社が編み出したらしい。

海外駐在というのは赴任する国で労働ができるビザを取得して行くわけだが、向こうの国だってビザを発給する相手の素性は慎重に吟味する必要がある。

なので(国にもよるかもしれないが)、基本的にはその駐在員が赴任先の現法にとって必要不可欠な存在であるというタテマエを付与されている。

また、この関係駐在員というのは下駄を履かされ、日本でいう社長とかマネージャーとか、拠点長みたいなポジションを与えられる。

現法においては、このポジションに則った給与を与えないと会計上やら税金上やらで問題になるので、駐在員にたんまり給与を支払うことになる。昔よく言われていた「海外駐在日本からも赴任先から給与を貰っている」という風説はたぶんこれが発端である

ところが、実際には現法における社長というのは大概の場合日本における部長クラスマネージャー拠点長は課長クラスである

まり、現法で貰っている給与というのはその人の日本の職位からすると貰いすぎなわけである

この貰いすぎた差額をどうするかについては国や会社によって対応が異なると思うが、一例としては毎月会社給料の一部を返金したりする。

もちろん上記のような背景あってのことなのだが、それでも毎月自発的給料返上イベントが発生するというのはなかなかモチベーション的にクるものがある。

次に給与の中身の話になるが、駐在員の手当としては、大別すると危険地手当と物価調整の2種類がある。

危険地手当は読んで字の如く日本より危ない地域に赴任した駐在の方が多くもらえる。物価調整は日本より物価が高い国にいる駐在が多くもらえる。

この辺の指数もどっかのコンサル会社が算出する。

ただ、物価が高い国というのは生活コストが高いということなので、より危なくて物価の安い国にいる駐在の方が可処分所得という観点ではメリットがあると思う。

また、控除という観点から日本で支払うのと同等の税金をさっ引いて、駐在員の手取りを調整したりもしている。

で、これでもまだ何となくおちんぎんをたくさん貰えてそうな感じがするが、実際には国によって個人負担してでも揃えないと生活が大変な物が結構あって、この辺の待遇がどうなってるかが会社ごとの待遇差に繋がっている。

大手になると今でも家族用の車購入を補助してくれたりするらしいが、自家用車自己負担する場合はそれだけで結構な金が飛ぶ。

また国によっては治安上の理由ドライバーを雇わないといけない場合(まぁそれ自体普通に考えれば贅沢なことなんだが)があり、これが個人負担だと一気に苦しくなってくる。

あとはそもそも論だが海外への転勤自体トータルで考えるとすげぇ金がかかる。日本の自宅に持っていた家電家具は購入してすぐだろうが何だろうが処分しなければならないし、それらは帰国したら速やかに買い直さなければならない。子供がいる場合教育関連もかなりコストがかかる。

自宅を引き払うなどした場合は置き場を失くした車もセットで処分する場合が多いので、帰国した際の配属先によってはまた車を買い直さないといけなかったりする。(まぁ車については日本でも都市部地方の転勤で同じようなことになるけど)

そんなわけで、確かに日本で勤務している時と比べて額面上では貰っているのだが、日本にいる時の倍もらってるとかは基本無いし、また生活の実情としてメチャ楽かというと言う程でもないというのが実態だと思う。

しかしなー、中国をはじめとしてアジア各国の経済成長が著しい中、日本水準の給与支給を是とするこのシステム加速度的に割に合わない内容になっていくんじゃないかなーと思っている。

当時もぶっちゃけ夫婦で転勤の無い会社に勤めてそこそこの給料2馬力した方が可処分所得という点では楽な感じがしたし。

また、そもそも海外で遜色なく暮らせる語学力とかのスペックがあって、バキバキ仕事する自信があるのであれば外資とか行った方が楽しく稼げるんじゃないかなーとかも思う。

まぁこんな感じの実情ですよというのを知ってもらえたらと思って書いてみた次第。

2021-01-28

anond:20210128153556

自由恋愛で、子供の数はどこまで少なくなるだろうか。

一年の出生数は2030年代末には60万である

2060年代末には40万である

40万を切り出したころに「しまった・・・」って感じかな。

2021-01-03

ジャニー喜多川による少年への性虐待に関する新証言

https://aramajapan.com/aramaexclusive/arama-japan-interviews-former-johnnys-jr-member-koki-maeda/110719/

彼は2012年から2018年までジャニーズJr.としてジャニーズ事務所所属していた前田航気という青年である

「7MEN侍」というジャニーズJr.内のユニットメンバーでもあり、テレビ番組出演やアイドル雑誌に載ったことも何度もある、レッスンに2〜3度出入りしてバックレたような有象無象ではない、言わばバリバリジャニーズJr.として本格的に活動していた人物だ。


その彼が、海外メディアインタビューにこのように答えている。

ジャニー喜多川氏によるアイドル虐待について言えば、彼は同性愛者であり、ジャニーズJr.の何人かは、彼(ジャニー氏)がデビューメンバーに関する決定権を持っていたので、彼と性的関係を持ちたいと思っていました。

これが虐待と見なされるかどうかはわかりませんが、ジャニーズJr.喜多川氏の間に性交があったことは確かです。」


ジャニー喜多川による所属タレントへの同性愛行為は、週刊文春により報道され、ジャニーズ側は名誉毀損として民事訴訟を起こし、その過程2004年裁判所によって事実認定されている。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ジャニー喜多川

このようなグロテスクな背景をもつ事務所アイドルを何故ジャニヲタたちは平気で応援しているのか?と疑問に思っていた人々も少なくなかろう。

私は、その理由の一つとして、これまでの告発60年代から80年代舞台とした「遠い昔の出来事」で、ピンときていなかったのではないかと思う。

SMAP以降のグループファンになった多くのジャニヲタにしてみれば、ジャニーアイドル虐待を…と聞いても、登場人物は懐かし映像でたまに出るか出ないかくらいの芸能人で、さっぱり実感が無かったはずだ。

ジャニー氏が高齢であることから「さすがに今はそんなことはないでしょ」という気持ちもあったのではないか

また、これまでの告発当事者が、家出同然にジャニーズ事務所に転がり込み、芸能界翻弄され半ば身を持ち崩してから暴露本で「半生を語る」という形式告白していたため、金銭目当てにゴシップを吹聴しているように受け止めていた部分もあるであろう(https://www.cyzo.com/2019/08/post_212091_entry.html)。


しかし、前田航気氏の証言事実ならば、つい10年以内のごく最近まで、ジャニー氏が80歳を過ぎてからも、デビューを夢見る少年経営者というパワーバランスの中で性行為が行われていたということである

また、前田氏は実名顔出しでインタビューに答えており、Twitterアカウントも持っている。

有名私大からアメリカでのインターンを経て一般企業就職が決まっていることをツイートしており、金銭や売名目的とも考えづらいだろう。

これはさすがにジャニヲタ看過できないのではないだろうか。


海外メディアということもあり、前田氏のインタビューは今のところ全然話題になっていない。

もっと騒がれるべきだと思ってこうして増田を書いている。

2021-01-01

私は○○を知らなかった。けれども、大学入学から20年もたってしまえば、そんなことはどうでもよくなる。

この話題田舎地方に住まう大学受験生のみならず、東京富裕層にも突き刺さる言葉だと思っている。なんせ、東京最先端情報は全く落ちてないので、結局はインターネットで調べざるを得なくなる。

これは29年以上前の話である

もちろん地方都市に住んでいて語学番組が好きだというだけで何の評価もない私も、昨日今日デビューした作曲家の話は全く入ってこない。世界楽壇がどういう権力闘争をしているか高校1年になってもわからない。当時「音楽芸術」なる雑誌が毎月発売されていたが、その雑誌にすらup-to-date情報は入っているとはとても言えなかった。誰もがアマチュアと変わらんよねこれってのが、当時の感想だった。結構うまい日本人がいたのに、誰もが国際メジャーで木っ端みじんに全滅していた時だ。本屋もないような過疎地に住んでいると「お前はこんなことも知らないのか」と、どこかで絶対説教をされる。説教された増田は少なくないと思われる。

高校時代私はジーメンス財団現代音楽を知らなかった。ジーメンス財団系ですら知らないのだからコロンビア大学現代音楽というのも、名前は知っていても現実理論に接したのは高校卒業後だったような気がしている。こういうのを地域格差というが、その格差是正を試みる日本人はもう誰もいなくなってしまっていた。勝手自分で調べろという説教も飛んだ。

そのような屈辱の日々から30年が経過しようとしている。今、日本人ジーメンス財団現代音楽咀嚼できるだろうか?あるいはコロンビア大学現代音楽でもいい。説教をしていた日本人も、いつの間にやら逃走した。卑怯なようだがこれが日本人の生態だ。私は親切なのですべて教えるが、ジーメンス財団系のトップバッターRebecca Saundersで、コロンビア大学系のトップバッターはKatharina Rosenbergerだ。しかし、もう日本人にこの二人を咀嚼できる知能は残されていない。

日本人は総じて馬鹿になった。修士課程アマチュアの集まりといわれているのだから、そうなんだろう。

ここまで馬鹿になっても、日本人氷河期世代死滅する2060年代まで反省できないだろう。SaundersやRosenbergerを咀嚼する黄色人種の住まう国家などあるのだろうか?まだ中国トリスタン・ミュライユかヨハネス・クライドラーセミナーをするのが関の山だろう。韓国現在は知らないが、Saundersを韓国初演したという話は一切聞かない。かつて韓国にGerald Eckertがいたのは知っているが、もう彼は帰国している。北朝鮮も、今の経済状況だと招聘は難しいだろう。東アジア人は遅れるのが大好きだ。決して進もうとはしてくれない。

どうしてこうなってしまうのか。それは、「私は○○を知らなかった」と言えば、即座に馬鹿にするアジア人特有性格の貧しさではないだろうかと考えている。教材格差講義格差をつけるのは儒教伝統で、なかなか覆らない。こういった東アジア特有の心の貧しさは、いつ改善できるのかわからない。GDPとは関係がないと思っている。今はひどい後進諸国から次々と新鋭がデビューするご時世だ。ここからヨーロッパデビューするのは予想外、などという時代はもう現れないだろう。アカデミアに素人ケチをつけるようになったのが原因の一つであるのは知っているが、素人がいようといまいと、日本人の心の貧しさはそう簡単には治らない。

ここからは私の仮説だが、やはり日本人白人が嫌いなのではないか?好きか嫌いかという問題は、21世紀には特に大きい。20世紀原爆が2度も落とされたときは、追いつけ追い越せが日本人宿題だったので、みんな黙ってて謙虚だった。ところが、黛敏郎が亡くなったときから、もう追いつけ追い越せをやめたように感じている。この種の怠慢な民族性21世紀改善できるのだろうか?

これは私が海外滞在した時の思い出だが、不思議と「『私は○○を知らなかった』と言えば、即座に馬鹿にする性格の貧しさ」には出くわしたことがないのである滞在時に、全く専門外の西洋楽器をいきなりやらされることになり、最初から小学校レヴェルのことをやる私に対して、先生はやさしかった。このような経験日本では感じたことがなかった。国際的には文系理系かを決めるのは22歳になってからでよい。イタリアには26歳でやり直した作曲家がいる。オーストリアには35歳でやり直した作曲家もいる。こういう人たちの音楽は刺激的で面白い。この手の話はほとんど日本では聞かれない。全体主義国家からだろうか。

日本人発明がことごとく21世紀否定され、あらゆる局面で、不利、なのである。不利なのだから、さっさと全否定してしまえば、だれもが国際楽壇の標準水準には到達できると思うが、そのような例は1990年代まれ日本からは出現していない。

2020-12-19

anond:20201219100804

EV擁護勢が携帯テレビみたいな情報進化と比べたがるのが謎すぎる。

どっちかっていうと60年代にこれから原発時代がくる、みたいな無茶なブームなんだけど。

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