はてなキーワード: 腕組みとは
そんなの嘘だろ、と吹っ掛けるとその子は少しムッとし、「じゃあ増田君に催眠術かけてあげる」と言って俺を目の前に座らせた。
それからコインを取り出し、5円玉のように中央が空いていて紐で結んであった。
そのコインをゆっくり揺らし、「あなたは今から――」と俺に催眠術をかけようと常套句のようなことをぶつぶつ呟き始めた。
でもその子は胸が大きくて、俺はコイン越しに見えるおっぱいばかりを見つめていた。
結局俺は催眠術にかからず、女の子は頬を膨らませるように憤ったが、近くで見ていた俺の彼女は腕組みしながら俺のことを見下し、機嫌悪そうに出て行った。
その様子を見てキョトンとする催眠女子に俺の友人が声をかける。
俺はこの時の友人が、一番賢く見えた。
以前、格闘技を一般向けのエクササイズにアレンジしたものを教える教室に行ったんだけど、
普段その先生はガチ格闘技を教えてるせいか9割くらい20代から40代始めくらい?の男性だった。
あとはエクササイズに興味ある40代から60代位までの女性が数人。
一通り指導したあと2人組を作って相手に技をかけ合ってみてくださいと先生が言うので自分は近くの女性と組になったんだけど、
女性の数が奇数だったようで、おばさまが男性と組むことになった。
そしたら、相手の男、「おばさんかよ!なんで俺がおばさんなんかと!」みたいな、ものすごい不機嫌な顔して、口をへの字に曲げて腕組みしたまま、全く相手に触れようとしない。
いやー、社会人だよね?キツーと思いながらなんもできん。
後に増田で、
最近調子が悪く、「自分に向き合う」ということをせざるを得なくなった。私はずっと自分を直視することから逃げてきた。
幼い頃に両親が離婚し、私は母親と母方の祖母に育てられた。母は父親から慰謝料を受け取ることを拒否し、公務員として働きながら私を大学に進学させてくれた。家は過疎地帯の小さな町にあり、まともな進学が叶う高校へは片道1時間かけて通う必要があった。祖母は60歳で余命半年を宣告されるレベルの胃がんを患った。寛解はしたが、体力的には勿論大きなダメージがあっただろう。しかし祖母は毎日5時に起き、私を起こして朝食を食べさせてくれた。
私は物質的には何不自由なく育てられた。勉強ができることを常に歓迎されたのも、私が女であることや時代や地域性を考えればとんでもない僥倖だ。母も祖母も(田舎の人間としてはかなり)知的好奇心や教養を重んじる気持ちが大きく、そういう家で育てられたことも幸運だった。ただ、嫌なことも山ほどある家だった。
祖母は80歳を過ぎるまで苛烈な自意識を悪気なく振りまき続けた。とにかく華やかなものや高級感のあるものに目がなく、目立つことが好きで驚くほどの見栄っ張り。そして私からすると異常に闘争心が強かった。祖母にとって他人は「常に勝つべきであり決して負けてはならないもの」「自分を当然に認めて賛美するもの」「自分のお眼鏡にかなうのはほんの一握りしかいないもの」と認識されていた。そして厄介なことにこのような性質を全く客観視できず、自分の考え方に沿わない人間は「馬鹿」もしくは「おかしい」とジャッジした。孫の私でさえもだ。
物心ついた瞬間から私は常に周囲の子たちと比較され、劣っている点を突きつけられた。ゆきこちゃんのように可愛らしくない。さきちゃんみたいに上手な字を書けない。ようこちゃんと違って美人じゃない。ともかちゃんのように性格が良くない。めぐちゃんみたいに明るく如才なく人と接することができない。みゆきちゃんみたいな勝ち気さがない。かなちゃんみたいに女の子らしくない。話はいつも「おばあちゃんは、ああいう子がよかった」と締め括られた。祖母の考えでは、私が奮起して「よし、頑張ってあの子を超えてやる!」とがむしゃらな努力をするはずだったのだと思う。でも私は祖母じゃない。他人と争うのが何より嫌いな、内向的な人間だ。生まれたのは燃えるような向上心などではなく、凍えるような自己否定感と身を焦がすような憎しみだった。憎しみは祖母に向かい、名前を挙げられた女の子たちに向かい、祖母を止めない母親に向かい、自分にも向かった。
私はいつも祖母の虚栄心を満たす在り様を求められた。勉強ができるという点は合格、他は総じて不合格。容姿も趣味も人間性も。私が太っていて内気で運動が苦手で片付けができなくて愛想が良くなくて放っておくと黙っている子供であることが「恥ずかしい」と祖母はいつも言っていた。大学時代に一時的な過食傾向に陥ったことがある。7キロくらい太って帰省した私に、恥ずかしいから日が高いうちは近所を歩くなと祖母は言った。心配はされず、「どうしたの」「何かあったの」と訊ねられすらしなかった。私は常に祖母の虚栄心を損なう悪者だった。
肝心の学業成績も褒められたことは皆無だった。1位じゃない、満点じゃない、進学先がトップ校じゃない。それを論拠に「私の血縁者だけあって頭が悪くはないが、取り立てて優秀でもない子供」と判断された。何かができるようになると、次の瞬間には「それじゃあ次は」と言われ続けた。ゴールがない。苦しかった。
私の母は、その祖母の娘である。私が1歳に満たない頃に私の父親と別居を始め、実家に出戻った。
土地が二束三文で買える田舎町にある実家は敷地が広く、母屋と離れがあった。離れは母屋より小さいが、リビングとベッドルームと和室がひとつ、風呂も台所もあった。母はそこに住んだ。私を母屋に残して。役所勤めから帰ってきて、母は毎晩ひとりでレコードを聴いたり古い映画を観たり純文学を読み耽ったり、妻のいる男の人と長電話をしたりして過ごした。平日に私が母と会話できるのは、彼女が許した1、2時間だけだった。それが限界だったのだろう。
母が娘に求めたのは豊かな感受性、繊細さ、抑制が効いていながら豊かな感情表現、心の優しさと清らかさ、従順さ。母の心情に関心を寄せ、いつも注意深く観察し斟酌し、そこに寄り添い肯定すること。母はそれを「素直」というタームで表現した。私は小さい頃から「素直じゃない」と詰られた。自分を偽ってもいないのに素直じゃないと言われるのは心底不可解だった。4歳か5歳の誕生日、私は母からメッセージカードを貰った。「○○ちゃん、たんじょうびおめでとう。○さいのテーマは、すなおになることです」。そう書かれていた。そこから先は「素直とはどういうことか」が説かれていたが内容は忘れた。心臓が止まるかと思うほど嬉しくなかった。
母は癇癪持ちで、定期的に不機嫌の発作を起こした。自分の不手際が契機となり、怒鳴られ人格を否定され「縁を切る」「家から出ていけ」と言われ、数日間まともに話してくれない。そういうことが日常的にあった。ヒステリーを起こすきっかけなど何でもよかったんだと気づいたのは実家を離れて何年も経った後だった。天災のように気まぐれに降りかかる不機嫌の発作を、子供だった私は心を殺して耐えることしかできなかった。
小学校5年からは学校でいじめの標的になった。担任の女性教師から私はすこぶる嫌われていて、ほとんど彼女の主導のもとに王道のいじめを受け続けた。中学は町に一つしかなく、選択の余地がなかった。その女性教師の夫が進路指導主任を務める公立中学に進学した。いじめの続きは入学初日から始まった。合計で5年間、私は一日も欠かさず死にたい死にたいと思いながら生きた。
家族に言っても碌なことにならないと子供心に判断していたが、耐えきれずに吐露したことが2回だけある。最初は祖母に。「そんなのやり返せばいいだろう」と私の弱さを叱責されて終わり。予想どおりだった。絶望はしたがショックではなかった。母に話したのはしばらく後。おそらく苦しくて仕方なかったのだろう、母がいる離れの呼び鈴を夜中に鳴らした。泣きながら「もう何年も学校でいじめられている」と話した記憶がある。母は私を離れの中に入れなかった。玄関先で立ち話をした。片親であることを攻撃されていると話した。「それが何だ」と母は言った。わたしなんか学生運動がいちばん盛んな頃に短大に進学して、父親が警官だって言ったら「お前、『犬』の娘か」って嗤われたんだから。どんなに嫌だったかお前に解るか。腕組みしてまくしたてる母を冷えきった気持ちで見ていた。
それから長い年月が過ぎた。
祖母は80過ぎで二度目の癌を患った。退院した頃から加速度的に穏やかになり、最終的には少し気弱で優しく品のいい老婆として94年の人生を終えた。亡くなる数ヶ月前に実家で倒れて寝たきりになり、帰省した私が「おばあちゃん、私のことわかる?」と問いかけると「わかるに決まってるだろう、たった一人の孫だもの」と必死に笑みを浮かべて私に答えた。帰り際には「そんなに肌が綺麗だったっけ」と言われた。私の見た目を褒めるなんて、おばあちゃん目が悪くなったんじゃないの?と笑って憎まれ口を叩き、来月も来るからねと告げて東京に帰った。それが最後の会話だった。
母は合わない職務で鬱病を患い、50歳を前に役所を辞めた。その数年後には妻子持ちの男とも別れた。相変わらず自意識過剰で感情的で面倒な人だ。でも面白い。知的好奇心を保っているのも心強いし、化粧っ気は全くなくなってしまったが今でも綺麗だ。私は母の顔と字が無類に好きだし、無類に好きなところは他にもたくさんある。今はそう思う。
この度よくよく自分の内心を見てみたら、あまりに汚く混乱していて自分でも驚いた。段階的に補強してきた自己肯定感は思っていたよりもまだまだ脆い。自分を憐れみ庇う気持ちはあるが、これを自分への愛と呼べるだろうか。するべき(と思われる)ことは容易に把握できるのに「したい」ことは分からず、なのに無欲ではない。綺麗になりたい。痩せたい。頭が良くなりたい。お金がほしい。休みがほしい。美味しいものを食べたい。俗な欲求は人並み以上だ。それを捨てることも開き直ることもできない。
脳内には14歳の私が世界の万物に向かって「私に謝れ」と怒鳴る声が反響している。それを恥じて隠蔽しようとしている成人の私がいる。隠蔽しようとする私を「卑小でつまらない人間だ」と蔑視する私もいる。世界観のベースに「私は素敵な誰かの下位互換であり欠陥品だ」という根深い諦念がある。刷り込まれた規範は私の血肉となっていて、私はそれを憎悪しながら切除できない。「本当の自分」とは何か、皆目見当がつかない。
ならば、その正体不明の混乱しきった人間を許してやろうかな、と考え始めた。そしてあわよくば愛してやりたいと。
私は凡庸だ。狭量だ。いろいろと不出来だ。根気がなく三日坊主だ。いい歳して自意識過剰だ。かっこわるい。けれど、別にそれでもいい。誰に馬鹿にされても見下されても、私は「なんでよ、別にいいじゃん」とケラケラ笑いながら私自身を全力で抱きしめる。
言葉でなにか伝えようとしているし、言葉の表現を凝ろうとしているのがすごい伝わってくる
90年代のJ-POP黄金期の歌詞ってなにも考えずに聞けたもん
ラルクは「早く走ったら気持ちいい~」だし、グレイは「別れって悲しい~」ぐらいのことしか言ってない
スピッツなんて文章にすらなってなくて聞いて気持ちいい単語を並べましたって感じだしな
リスナーはそれを電車に乗りながらとか「なんか気持ちいい~」ぐらいの感覚で聞き流していたのよ
今のJ-POPってパソコンの前に座って歌詞見ながら聞く前提になってない?
こだわりのラーメン屋みたいになってるよ
腕組みした職人気取りが「俺の歌詞どやっ!」って迫ってくる感じ
海外で流行っているのが最新のJ-POPじゃなくてシティポップだっていうのも象徴的だよな
「なんか気持ちいい~」ぐらいの抽象度じゃないと世界じゃ勝負できないぜ
だから今の音楽って大衆性がなくなって陰キャっぽいやつしか聞いてないじゃん
90年代はもっと普通のやつに向けて音楽を作っていたからミリオン行ってたんだよ
どう思う?
それがワイじゃワイ。
年を取ると三大欲求を満たしたくなっても欲求そのものが弱まる。
そんなときワイのような老人の頭は矛盾でおかしくなりそうになる。
宦官の何割かはなまじ失った性器の名残により終わりのない幻肢性欲に苦しんだという。
そんなときせめてもの慰みに他人に乱交させて眺めたらしいのじゃ。
ワイがしてるのもそれと同じことじゃ。
どうせ固くなりもしないチンチンに手を置いても仕方がないから画面の前にベガ立ちしてハッスルする若造の姿を眺めるのだ。
ガハハハいいぞもっと食え食え若いんだからもっと食えと飯を奢るような気持ちじゃ。
ワイが奮発して数回しか見ないAVをちゃんと円盤で買ったお金が次の作品を作るための予算になると思えば実質ワイが奢ったセックス。
ワイの金で若者がセックスしているのを見るのは不思議な快感が。
必死になって少しでも安くエロを味わおうとして自分の射精だけを追い求めてきた頃が遙かなる太古に思える。
子持ち孫持ちがガキの寝顔を見てニヤニヤしているのも、自分から失われつつある睡眠欲求を他人が大いに満たしている姿に謎の満足を重ねているからなんだろうなあ。
鰻丼大臣って農林水産省の水産庁のウナギの養殖に尽力を尽くして私たちが美味しくしかも安価で鰻を美味しく食べられるように鰻の養殖技術を飛躍的にアップさせる政策を打ち立てた人なのね!
そうやってなんか高騰している鰻が美味しくたくさん食べられますように!って七夕まだ随分と前にしてもう短冊のお願いにして書きたい内容よね。
何年か先の朝ドラのモデルとして『うなてん』ってやって欲しいわ。
まあそれだけじゃ鰻エピソード薄すぎてこれからの鰻丼の大臣の活躍に期待だわ。
そんでさ、
私はうなぎ!って言いがちじゃない、
あれって銀シャリの鰻さんがそう言うシチュエーションになったら、
もうアメリカのホームシチュエーションコメディードラマでは予め用意されている音の爆笑のボタンが連打されるポイントよね!
ややこしい話しよ。
そんで銀シャリの鰻さんがやれやれって両手を上向きにしてやれやれだぜポーズするところまでがセットよね。
「うなぎゅーうなぎゅーうなぎゅーぎゅー!」って出来ないわよね。
そりゃー大臣は鰻丼美味しく頻繁に食べれっかもしれないけど、
ぎゅーしか食べられない!
どんだけお後がよろしいのよ!って思うけど、
ああいう落語の最後の一言で落とすって上手いなぁって思いつつ、
さすがにGPT-4ちゃんでも落語の一席でも書くのは難しいみたいよ。
なんか分かんないけど、
最近本当に問い合わせ多いのよね。
これは本当にビジネスが加速してると言っても言い過ぎじゃないかも知れない過言だって事だと思うから、
まあ両手放しで喜べないのは事実ね。
相変わらずなにが影響しているか分かんないけど、
表っからみたら別にうちのお店のタレはGPT-4だけど!って店主が腕組みして門構えしているわけではない秘伝のGPT-4ちゃんって訳ではないのよね。
たまたまかしら
なので地ー味に忙しいから
この辺にしておくわ
仕事で私がぎゅーぎゅーよ!
なんてね。
うふふ。
早くに起きてみかんの花咲く丘公園前の駅前商店街の喫茶店でモーニングよ。
喫茶店と言えども、
だいたい鮭か鯖かと相場が決まっていて
案の定焼き鯖だったわ。
この2種類しか実質ないのにランダムで魚ガチャ引きたい欲を上手く利用されているわ。
美味しいからいいけど。
今日水筒入れていくの忘れていてカバンに手を突っ込んで確認してないと思っていたけど
さすが自分だわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
グラビアDVDの総合的な価値はモデルのルックスと露出度の積により決定される。
つまり、「よりかわいいモデル」が、「より過激な格好」をするほど「使える」というわけだ。
だが世の中はそううまくいかない。
かわいいモデルは顔がかわいいというだけで価値が高いので、あまり脱がない。
結果として総合的な価値はだいたい同じようなところに落ち着くわけだ。
一般化すれば、「おっぱいをどのくらい生乳に近い姿で見せるか」がバストの露出度だ。(生乳=なまちち≠せいにゅう)
その演出にもこれだけの多様性がある(序列は筆者の独断による)。
《露出度低》
↑ 着衣
│ 着衣の胸元がはだける
│ ブラ+下乳
│ 眼帯ブラ
│ 着衣の胸元が完全にはだける
│ 紐のはずれたブラや着衣+両面テープ
│ Tシャツたくし上げ下乳見せ
│ 前腕ブラ
│ 片乳が手ブラ
│ 両乳が手ブラ
│ 指ブラ(本数により調節)
│ 泡ブラ(泡量により調節)
│ ニップレス
│ 絆創膏
│ ペイント
│ 生乳
↓
《露出度高》
強引に細分化しただけのように思えるかもしれないが、実際にグラビアではこれらの表現がかなり慎重に選ばれ、使い分けられている。
露出度(≒興奮度)の序列には異論があるかもしれないが、この序列は筆者が興奮する順番ではない。
一般にグラビアモデルはその活動の過程で徐々に露出度をアップさせていく。作品を出すたびに表現を少しずつ過激にしていかなければ売上が落ちていってしまうからだ。露出度を足踏みしたままで何十作も作品を出せるのは限られたスーパースターだけだ。
露出度を上げていく過程は、モデルの視点に立てば許容範囲を譲歩していく過程でもあるし、モデル事務所の視点に立てば出し惜しみの緩和の過程と捉えることもできる。
上に並べた表現の序列は、おおむねその過程を一般化して並べたつもりだ。だいたい似たような過程をたどるのである。
ちなみに、ECサイトなどで成人向け(R18)に指定されるのは下から2~3番目だけ。乳輪の見えない絆創膏までならば全年齢向けのグラビアDVDで楽しめる。
上では可視範囲という軸だけで序列を行ったが、その乳房に対してどのようなアクションをするかという評価軸もある。
走って揺らす、縄跳びして揺らす、側面や上面をマッサージする、洗う、ガラス面に押し付ける、シャワーヘッドを挟む……など、グラビアDVDは様々な手法でモデルの乳房の質感を視聴者に伝えようとする。
露出度とアクションの過激さでバスト表現から受ける興奮度合いが調節されているわけだ。
ただし、直接的にも間接的にも乳首がいじられることはない。全年齢作品においては禁じ手なのかもしれない。
さて、グラビアDVDにおけるこうしたバスト表現だが、近年はインフレの一途を辿っている。
デビュー作のパッケージ写真がすでにニップレス姿という作品が増えてきた。
バスト露出にとどまらず、表現演出の観点でもR18一歩手前を攻めた作品が相対的にかなりの割合を占めるようになってきている。
製造やサービス業では、競合同士の品質の差がなくなると価格だけで競争しなければならなくなる。
これを過当競争と言ったりコモディティ化と言ったりするが、グラビア界にもそれが起こりつつあるのではないかと思う。
業界全体として露出度・過激度が飽和し、「かなり脱げてる作品」「かなりエロい作品」でないとユーザーの関心を引けなくなっているということだ。
もちろんユーザーにとってはこの上なく喜ばしい話であるが、ファストフードチェーンが価格の叩き合いの末に疲弊していったように、グラビア業界にもいずれこうした傾向の揺り戻しが来るのではないかと危惧している。
他の友人がやれ卒業旅行だの新人研修だの浮かれてる中、娘だけは就職活動を必死で続けている。
ギリギリまでは頑張るそうだけど、この時期に新卒を募集かけてる所なんて、思い切り足元見てるか危なそうな所ばかりだという。
その中からも何とか比較的マシな所を探して応募するも、それでも落とされる。
原因はわかっている。娘は所謂女性学・ジェンダー学の分野のゼミ出身だからだ。
男性の面接官だけでなく、女性の面接官からも良い反応は無く、案の定お祈りされると。
色んな所で似たような反応されて、娘も自分のアピールが致命的だった事に気が付き、方針を変えたらしいが
「ゼミで何をやっていたの?」「大学では何を中心に学んでいたのか?」という質問には、上手く答えられなかったり、正直に答えてしまったりして、駄目だったらしい。
娘が決して悪い訳では無い。少なくとも親としてはそう思いたい。
しかし昨今のフェミニズム・ジェンダー界隈の過激な主張を知っている世代からすれば
熱心にそういったものを学んできた人間など、社内で同様の主張をする「面倒臭そうなタイプ」と思われたのだろう。
コロナ全盛期よりは多少マシになったものの、まだまだ景気も戻っているとは言い難い。
そんな中に、危険分子の可能性が高い、明らかに分かる形で見えている新人など、避けたいというのが企業としては本音だろう。
何より私自身、会社では採用に携わる事はあるが、そういった学生は警戒するし、一面接官として採用は避けたいのが本音だと思っている。
かのシールズやしばき隊のシンパ、参加者、親和性が高い人物を採用したく無い様に、フェミニズムやジェンダーもその「ちょっと関わりたくない類」にカテゴライズされてしまっているのだろう。
少なくとも私から見たら、過激な人達程思想に染まっている様には見えない。
就活が難航しているストレスからか「私はアイツ(某有名な人)みたいに腕組みして睨み付ける様な女じゃないのに!!」って泣きながら怒っていた事もあった。
とても可哀想だと思う。
私の会社は所謂コネ採用には厳しいし、そもそも一個人で新卒枠を一人増やす、なんて事が出来る権限は無い。夫も同様だ。
何の助けにもなれないのが辛い。恐らく娘は、無い内定のまま卒業するだろう。
こうなったのは、誰のせいなのだろうか?
きっと個人の〇〇○が悪い訳では無いのかもしれない。
しかし世間に対し過激な言動・主張を繰り返し、反発・反感を買った結果がこれなのだ。
いつも真っ先に被害に遭って、救済もされないのも末端だ。
正義感の強い方だった娘は、綺麗で正しい、正確に言えば綺麗で正し「そうな」主張を信じて学んだ結果、裏切られてしまった。
○○○が生んでしまった、新たな形の女性差別の対象となり、被害者になってしまった。
〇〇○の個人個人が悪い訳では無いという理性と、〇〇○のせいで娘が大変な思いをして!という感情がせめぎ合う。
〇〇○はいずれ滅ぶべきなのかもしれない。
いくよ〜
・美少女アニメアイコン(90年代以前)→クソサブカル大学生かジジイ
・美少女アニメアイコン(10年代)→独身、関東(もしくは工場しかないクソ僻地)、一人暮らし、料理できない、理系院卒、もうアニメ見てない、一生同じ主題歌しか聞いてない、流行りのことはサブカルもメインカルチャーもわからない
・自分の幼少期(男)→ブス
・後ろ姿(サッカー)→おもんないけど、おもろいと勘違いしてる
・証明写真→斜に構えてる
・パートナー→きしょ
・子ども→まともだと思われたい
みんなはどうだったかな〜?
ほかにはある?
乗り物がおかしいとのご指摘ありがとうございます
撮り鉄やバイクなどが念頭にあるかと思われますが、やっかいなそれらのオタクはアニメアイコンかつ乗り物オタクである(bioに書いてあることが多い)ことが多いです。つまり、乗り物そのものをアイコンにしている方は大多数がまともと判断しこのような偏見になっていることを申し添えておきます
でも、やっぱバイクとトラックは年中アイドルのリプでセクハラしてるし、マナ悪の撮り鉄擁護してる電車アイコンもめちゃくちゃあったからダメだわ
反抗期思春期その他諸々が収まり何とか大人(大学卒業)になったあたしと他の関係がマシになっただけで、割と衝突は絶えない。
特に母と父との仲は最悪だった。昔からよく離婚直前まで話が進んでおり、「我が家もついにか」と思わされたことは数知れない。
最近は父の定年退職の後に離婚、あるいは別居という形で話が落ち着いていたのだけれど、ついに先日父が直接あたしに「話がある」と切り出してきた。
口数の少ない父がわざわざあたしに畏まって話しかけてくるのなんて初めてだった。もう何度も思った「ついにか」を本気で思った。
子どもを作ったら一生縛られるべきだとあたしは思わない。
多感な思春期に片親にしないで、生活の水準を落とさないように頑張ってくれたのだと思う。
弟も今年で大学卒業だし、自由になりたいのなら暖かく送り出してやろうと意気込んだ。
要約するとオンナになるから別居するという話だった。ちいかわみたいに泣いちゃった。
最初頑張ってなんか言った気がするけどなに言ったのか全然覚えていない。
もう「わァ…ア…」みたいに本当に泣いた。人間って本気でびっくりすると泣いちゃうみたい。怖くて有名なお化け屋敷とか全然平気だったのに、新発見だった。
泣いてたけど話は続けたかったので、続けてもらう。父親の言い分は正直だった。
「昔から自分の性に違和感があった。普通に家庭を持ったら普通になれるかと思ったけどダメだった。
もうすぐ定年の中、いつまでも自分を抑え続けて生きていくのは自分にとってどうなのかを考えて自由になりたいと思った。
そこまで言うかと思った。
それってつまり、あたしたちは普通になるために利用されてきたということだ。
けれどそばで話を聞いている母さんが黙っていたから、あたしは何も言わなかった。
性同一性障害の診断は貰いに行って、ホルモン剤は既に飲んでいるらしい。
脂肪と筋肉だろうか?が落ちて顔が細くなったような気はしていた。
白髪交じりの髪も真っ黒に染めて、少し長くなっていた。
二重も前はこんなにハッキリしていたかなと思う。気付かないふりをしていたけれど、気付いていた。
言われるまであたしは会社に若いオンナでもできたのかと心配していたくらいだ。
小四からシャーロック・ホームズが大好きなのに、なんの役にも立ってない。
親父から聞けたのはそこまでだった。
元々寡黙寄りなひとだし、あまり説明したくなかったのかもしれない。
「普通に家庭を持ったら~」のくだりも多分、自分が何を言っているのか理解していないまま言っている。
親父は追い詰められているのだと思う。抑圧されてきた被害者の自分を解放してあげることしか見えていなかった。
漫画や芸能人のニュース記事のコメントで「(カミングアウトされた側が)なんで受け入れないんだろう。その人はその人だ」という旨の意見を見かけることは、あまりそういったことを調べないあたしでもある。
性同一障害とは別だけれど、あたしは前にちょっとしたことで大学の友達が同性愛者だと知ってしまったことがある。
結構仲が良かったからネットのひとには言えてもあたしには言えないのかとちょっとだけ寂しかった。
わざわざ打ち明ける必要なんてないのだけれど、秘密にしていることを特別に共有されることは仲良しの証だと刷り込まれたままの、心の中の中学生のあたしが寂しがった。
けれど同性愛者だと密かに知ったところで友達を見る目は全く変わらなかった。友達は友達。
授業サボって部室でソラマメ茹でて食ってるあたしの隣で見せびらかすみたいにパスタ弁当食ってる最高の友達だった。
正直何も変わらないと思えたことに安堵した。けれど親父は駄目だった。すぐに親父は親父だって言えなかった。ごめん。
正直ショックを受けていることにもショックを受けている。あたしはこんなにも勝手な理想を他人に押し付けられる人種だったのかと思った。
あたしは親父が大好きなんだと思う。
これ書きながらホテルで泣いてるくらい好きだ。楽観的な人間特有の危険高い高いをされていた幼児の頃から、親父は自慢だった。
授業参観の中一番背が高くてスマートで、胃腸風邪で病み上がりのあたしを送り迎えしてくれた時には「(あたし)ちゃんのお父さんカッコイイ!」と同級生の女子たちが盛り上がっていて鼻が高かった。
目付きは悪いけれど迫力があって、年をとってもそれは変わらない。
腕組みすると筋肉が張って強そうで、すね毛やばいけどスラリと長い足の間で『スーパーロボット大戦』のプレイ画面見ているガキの頃のあたしの写真は今でもお気に入りだ。上げていけばキリがない。
これはあえて内容を削って外見だけに拘って書いているだけであり、エピソードも色々ある。
色々あるから、小さい頃は結婚相手の理想を親父だと答えていた。
強要されないと子育てに参加しようとしない無関心と呼べる親父であっても、無邪気なガキには眩しかったのだ。なんでか今も変わらないのが不思議である。
あたしが恋人を作ってはドライブ中に喧嘩して山に捨てられたり口喧嘩激し過ぎて警察呼ばれかけたりしたのは親父を理想としてたからかもしれないと今だから思う。もうこの話やめよう。
ともかく、あたしはこの理想を失う。親父は今の自分でいることを捨てたいのだ。もう見れない。
親父はこうあるべきという押し付けに過ぎないのだから、口に出すつもりはない。
けれどあたしたちのために父親らしくいた日々が、あのひとにとって苦痛を伴っていたのかもしれないと考えた時はやっぱり苦しかった。
美容院で髪を切ったら珍しく部屋から顔を覗かせ「かわいいじゃん」とニヤッと笑ったこと。
安いワンピースばっか入ったショッパーの中身を床に広げていた時、一瞥していったこと。
親父にとってあたしってなんだったのかなって思っちゃうんだよ。
図太いことに定評のあるあたしでも流石に眠る気になれなくて、捗らないけれどジャンプの小説新人賞に応募しようと書いてた小説の続きをやってみたりして、朝になった。
親父が仕事に出掛ける。
「いってらっしゃい」を平気なフリして伝えて、あたしは寝るのを後回しにした。
あたしのシフトは夜番だったから、まだ起きていてもなんとかなる。母さんが四時半か五時に起床して家族分の作り置きおかずを作ってくれることは知っていた。
母さんはやっぱり起きていて、なんだかわかっていたみたいにあたしの部屋の前に座り込んだ。
そして親父が教えてくれなかったことを教えてくれた。
母さんは十九年前には知っていたらしい。
あたしが小学一年生の頃だと思う。
当時スーツをクリーニングに出そうとクローゼットの整理をしようとした時、女物のウィッグやワンピースが冗談ではない数出てきたらしい。
会社の忘年会に使うようなものではないことは明らかで、もしかしたら男が好きなのかもしれないと泣いたのだと言う。
十九年前は今のように女装癖だが性自認は男といった場合もある、などと言った情報を簡単に調べることはできない。
オカマはオカマ、オナベはオナベ、母さんにはその程度の知識しかなかった。
すぐに親父に連絡して問いただしたら「ただの趣味」なのだと言われたらしい。
母さんはやめろとは言わなかったが「子どもたちはこれから多感な時期に入る。隠してくれ」と頼んだそうだ。
最初が最初なので母さんは女装癖が高じただけではないかと少し思っているみたいだったけれど、そこは問題じゃない。
問題なのは、親父が自分をどう思っているかだ。親父がなりたいならなりたいんだろう。
それから近年に入って女装はしていないが、日本では認可されていない薬(女性ホルモンの働きを促す錠剤)をネットで買って飲んでいた。
副作用で血管が詰まりやすくなると知って恐ろしくなった母さんが正式に病院に通わせるようにした。
間にも何やらあったようだけれど、まあそうした流れを踏んであたしたちに打ち明けたらしい。
最近は好きな男がいるかもしれないと思っているけれどそれはセクシャル過ぎて聞けないし、夫婦仲も年々悪化していく一方だから、もう限界だろうと。
母は泣いていなかった。平気な顔して「まさか(弟)の方が平気でアンタの方が泣くなんてね」と笑った。「あんたお父さん大好きだったもんね」とまで言った。
デカくなってから口に出したことはないのに見抜かれていたのだと思った。また泣きそうになった。
母さんは悪い意味で凄まじいひとだ。
我が強く元々ヒステリックな質なので、甲高い声で怒鳴る。
大学の頃友達の家で鍋パしようとした時には帰りが遅いと鬼電掛かってきたのをとったら怒鳴り声が漏れてしまって、会を一瞬お通夜にしてしまったこともある。
“殴られたら殴り返す”を座右の銘にしていたクソガキなあたしと母さんの教育的制裁とで殴り合いになったことだってある。
もうあたしは落ち着いたものだけれど、今でも大学四年生の弟や親父との怒鳴り合いはちょこちょこ行われている。
頭に血が上ると手が付けられない、感情で生きているひと。
口論になった時は義務教育の敗北を感じることもあるくらいハチャメチャだった。
話を逸らして自分の強い土俵(家事全般を未だに引き受けてもらっているので頭が上がらない)に持っていき、怒りが収まるまで口撃し続けるのをやめてほしい。
そういう生き方だからガキの頃のあたしとは最悪の仲だったし、弟と父からは嫌われている。
それでも今までやっていけていたのは、母が狂気のひとだからだと思う。
母は片親だった。祖母と祖父が非常に仲が悪く幼い頃に離婚したため、祖母と妹と三人で暮らしていたらしい。
苦労したと言う。
経済的にも、色々。
専門学校は楽しかったそうだが、大学を出ていないことを負い目に感じていた。
親父と結婚する時には、父方の祖父母に片親なことを猛烈に批判され、別れろと言われて破局寸前まで行っていたらしい。
片親なことで苦労してきた人生だから、子どもたちは決して同じ目には合わせないと常日頃から豪語していた。そこから狂気が始まった。
十九年前からの親父の件もそうだけれど、ウチは色々問題が多い。
父方の祖母が首を吊って死んだから、あたしもそうしようと思った。
思ったよりベルトが長くなってしまって短くしたかったけれど足はつかなくて、絞まってきた辺りで母さんに発見された。
あたしのこと抱っこするみたいに持ち上げて叫ばれた時情けなかった。
(いい話風に言っているけれど母さんはあたしが高校に登校する直前、拒否反応で発作的に吐いてしまった時本気でぶん殴った。
掴まれて廊下引きずられて放りだされたけどゲロは片付けてくれた)
不眠症とうつ病(今は双極性障害二型)を診断されて、今も治っていない。
時々ひどくなって寝込んだりするし、色々ある。社員には到底なれないから大学を出て数年経った今もフリーターだ。
なんとかそれが落ち着いて、あたしが一年自宅療養の末に大学に進学し、弟も続く。
そうしたら今度は弟がアムウェイにハマり、終わったと思ったら詐欺事件を起こしてくれた。当時流行った持続化給付金詐欺だった。
親父が封書を見つけてあたしが間に入り、母さんに伝えた。
両親揃って弟を詰め、翌朝警察に自首させた。結果前科はつかず前歴だけついたのだが、当時は弟を放り出すか放り出さないかで少し揉めた。
弟と仲が悪いわけではないけれど、その時のあたしは自棄になってこれ以上のことをされたら困ると放り出す派だった。
親父に至っては既に絶縁の仕方についてスマホで調べていた。ただ母さんだけが弟の味方だった。
「帰る場所がなくなるのが可哀想。見張ってないとなにするかわからない。大学卒業までは家に置く」
この期に及んで可哀想なんて言うとは大物過ぎる。
言っている意味はわかるけれど、弟の性格を考えると当時は本当に前科者が身内から出るリスクが高すぎると思った。
「殺人しても受け入れるのか」と聞けば「怖いし何考えてるのかわからなくなるけど、受け入れる」と言う。母さんは涙を流して言った。
あたしは呆れた顔で「あたしは親じゃないから好きにして」とその場を離れることにした。
母さんはその後残った親父を何とか説得したらしく、お務めせずに戻ってこられた弟は無事我が家の敷居を跨ぐことができた。
その後もたびたび事件にはならない程度の問題を起こしては母さんと喧嘩しているけれど、無事である。
そうした出来事を思い出しながら今回の親父の件を聞いて、あたしは母さんに対する理解を越えた何かにようやく名前を付けられた。狂気だ。
とっくに崩壊している家庭を一つの家に何とか収めているのは、このひとが“両親の揃った家庭”に“家族”に拘り続けているからだった。
あたしが「死にたい」とこぼしていた頃に我慢して聞いて、親父の秘密を抱え込んで、弟の刑がどうなるかわからないとソワソワした頃を乗り越え、
毎日のようにあたしか弟か親父とやり合って「お母さんもそろそろヤバイよ病んじゃうよ」「最近更年期ひどくて……」なんて言いながら嫌われ疎まれながら毎日四人分の家事こなして
元気に犬の散歩まで行って弟に大学出てないくせにって馬鹿にされたから通信で放送大学卒業して土日はパートに行っているこのひとなんなんだろうなと笑ってしまった。本当狂気だよ。
母さんが途中で挫けていればあたしはあの日かその後の再チャレンジで死んでいる。
帰る場所のなくなった弟はまあ間違いなく自棄になるので今度こそ塀の中に入ったかもしれないし、大学は確実に中退になっていた。
離婚していれば今の家にはもう住めていないし、時期によってはあたしたちを支えた犬猫とは出会えなかった。
険悪すぎる、ほぼ崩壊している家庭だけれど、今の生活を繋ぎとめているのは母さんだ。
親父は抑圧されていたのかもしれないけれど、『トップガン・マーヴェリック』が本気で面白いからって語ったら元祖の『トップガン』を何度も見たという話をしてくれたのは最近だ。
ソーシャルゲームの『マギアレコード』を好きになってストーリーについて二人で話したのも最近のことだ。
なにより親父が「お母さんは嫌いだし弟とは縁を切りたいけど、お前のことまで見捨てるつもりはない」ってある日突然打ち明けてくることもなかったかもしれない。
今の状況は良くも悪くも本当に母さんのおかげである。
「なんか偉そうになっちゃうけど言葉見つからないからそのまま言う。ちょっと見直した」
母さんはちょっとびっくりした顔をして、シャッター押される瞬間に目つむった人みたいに笑った。
「嬉しー! アンタ滅多にひとのこと褒めないからね」
そうかもしれないとその時初めて気付いた。
友達相手にはできるだけ口に出しているのに、家族にはあまり言ったことがなかった。
良くも悪くも正直なあたしが作り置きのおかずをなんとなしに「美味い」って言ったら大袈裟に喜んでた理由がようやくわかった気がする。
イカレてると思ったことは数えきれないし色々あったので毒親チェックリストをスマホで調べて確認して伝えたこともあるし、
このひとがいなくなったらあたしはこんなにキレたり泣いたりしないで済んだのにと考えたこともあったけれど、初めて親相手に後悔した。
親父相手にじゃなかった。なんであたし母さんのこと認めてこなかったんだろうって本気で思った。あたしもあたしで必死だったけれど、もっと報われるべきひとだった。
「親父が『普通になるために家庭を持った』って言った時、利用されてたって驚いたけど、母さんが何も言わなかったからあたしはなにも言わなかった」と伝えたら
「いいこと言うー! それお父さんにも言って!」と喜んだ。やっぱり感情で生きている。後先のことを考えられていない。あたしが親父にそれを言ったら完全に断絶だと思う。
ホルモン剤で多少情緒が不安定になることがあるらしいしその傾向は正直あると思う。
元々デリケートな話題なのも相まって、なにで親父が傷つくかはほぼ手探りだった。母さんほどズケズケは行けない。
そうやって母さんのことを思い出し笑いしながら、ちょっと落ち着いてまた親父のことを考えた。
ていうか折角好きなゲームのオーケストラ聞きに来ているのに親父の下半身のことを考えていた。ちょこちょこ涙があふれた。
おかげで始まる前から死ぬほど感極まっているひとになっていたと思う。マジで近寄りたくない。
ともかく、枕元に性転換手術についての資料があるらしいから今すぐではないにしろ親父は本当にオンナになりたいんだと思う。
アレがなくなって、見た目が変わって、あたしは親父を愛せるかを考えた。愛せるなって思った。
『ロンドンゾンビ紀行』でおじいちゃんがゾンビ吹き飛ばして生還したシーンだけで泣いてしまえるタイプだ。原因は何であれ、きっと泣く。
けれど親父からしたら涙脆いからっていうのは理由にならない。折角あたしには会うって言ってくれているのに台無しになる。
“本当の自分を受け入れなかったひと”のくくりにあたしは入ってしまう。もう入っているけれど、その日の断絶はたぶん決定的だ。
ひとは決断に迷った時、自分のされてきたことを思い出すのかもしれない。
思い出すのは母さんと揉めて珍しく正義があたしにある時「オマエは間違っていない」と味方でいてくれたこと。
僻地への合宿で一時間に一本の電車を逃して泣きついたあたしを、キレながら車で送ってくれたこと。
二日酔い酷くて電車乗れなくてずっとゲロ吐いてるあたしをキレながら迎えに来てくれたこと。あたし最低すぎる。
そして何より、うつ病やって“普通”になれないあたしを肯定してくれた。
受け入れてもらったら受け入れなければならないわけではないけれど、あたしは親父を否定したくなかった。
どう考えても時間が必要だった。考えて考えて考えて考えてどうでもよくなるまで考えてからじゃないとあたしはきっと親父を傷つける。
ひとりよがりだけれどあたしはそれがすごく嫌だ。それにあたしも答えが出たつもりになっているだけで、あとから思うことが出てくるかもしれない。
失うことになったせいで補正が掛かっているかもしれないこと、思い出が美化されているかもしれないこともわかっている。
そして普段にも増して涙脆くなっていることは、あたしがまだ勝手にショックを受けている証拠だった。
親父はうちのボケ老犬が寿命を全うするまで、もうしばらくは家にいてくれる。
だから今は「おかえり」と「いってらっしゃい」を普通に言って、落ち着いたら好きな漫画とかの話をしてみようと思う。
少年漫画の特殊能力の強い弱いとか、来週の展開の予測とかそんなオチもなんもない話をしたい。創作物ってこういう時本当偉大だ。懸け橋にも味方にもなってくれる。
例えば弟が自首する時に母さんに深刻そうに「なにもってけばいいと思う?」と聞かれて「知るわけないだろ」と笑ってしまった。残念ながらあたしに自首した経験はない。
仕方なくスマホで調べたら留置所持ち込み不可リストみたいなのが出てきてまた笑った。気が早い。
自首することは別に拘留されることとイコールではなかった。そうやってニヤッと笑って、まあなるようになるかと気を持ち直す。そうしたら(全部母さんのおかげだけれど)本当になんとかなった。
今回も親父の一件であたしは「対腐女子相手に禁止カードを手に入れてしまった」と想像してニヤッとした。
あたしは元々BLが苦手なので、今度から一方的に語られた時などに「親父がオンナになって出て行ってるから、生生しい話はちょっと……」とつらそうに言えると思った。
ひとの心があれば謝ってきてそれから疎遠になる。多分一生使わない。
そうやってニヤッとできたのだから、今度もまあなるようになる。
あたしは両親どちらかを支持することはしないで、二人とも尊重したいと思う。
ガキの頃言ってこなかったせいか今になってこういうことになったからか、あたしは二人が大好きだと今気付いた。お恥ずかしい話。
ああ実にイライラするな。
この程度の連中が偉そうに漫画の良し悪しを語りやがって……。
ぎなた式はたった数年前にジャンプGIGAで連載されていた作品だから漫画が好きなら普通に知っているはずじゃん。
ジャンプGIGAなんてジャンプの定期購読をしていれば勝手についてくる。
漫画に使う金がちょっとでもある人間なら大体読んでるレベルだ。
でもはてなーは誰もそれを読んでいない。
読んでいていても思い出さない。
比較しない。
「作者が成長した」とも言わないし「切り口が変わった」とも言えず、ましてや「ぎなた式のが少年漫画っぽくて俺は好きだった」なんて絶対に口にしない。
ありえねえ……この程度の奴らが偉そうに漫画を語るのはありえねえ。
ただザックリと「僕たち漫画とか全然わからないけど~~褒めておくと偉そうにできそうだから持て囃そう~~~」ぐらいの距離感でいるならまだいい。
だがお前らの態度は「漫画に詳しい僕からすると、これはいい作品に感じられますね」なのがマジでありえねえ。
ぎなた式/JC発売記念1話試し読み - 三木有 | 少年ジャンプ+
とはいえ読んだこともない人間しかいないこの地獄のような漫画オンチSNSで語れるのは1話との比較ぐらいだろうな。
俺は相手に合わせられるので1話のURLを貼ってそれと比較する。
お前らと違って立場を分かってるので。
静と弁慶は一点突破で「最後の大会の空気感」なのは流石に説明しなくていいよな。
対してぎなた式は「なぎなたというスポーツのゲーム性」「挑戦することに燃える男子」「男社会にやってきた紅一点の師匠」という3つの柱でバランスを取りつつ少年漫画をしている。
読者はこの3つのうちどれかにヒットすればいいので全体的な当たり判定やフックは多いが、その分個々の突破力は下がりやすく漫画にわかに「すげーの見つけたぜ~~」と褒めてはもらいにくい。
言い方を変えれば作者は少年漫画読者向けの読みやすさを削ってその分を「ネットでイキってる漫画ニワカに褒めてもらいやすくすること」に焦点を当てたと言えるわけだ。
絵柄も「ジャンプ読者に親しみやすい絵柄」から「いい年こいたオッサンが褒めやすい絵柄」へと変更している。
これがまあ見事に現代インターネットというイキリ漫画ニワカだらけのSNSではヒットして大成功だったわけだ。
全2巻で打ち切られた作者の過去を思うと生存戦略を身につけることに成功したというのは腕組みで成長を見守っていた感を思わず出したくなってしまう。
ただ自分としては「+とはいえジャンプ向きの作風からは遠ざかっており、この作風で本誌に帰ってきても成長はないだろうな」という感想を抱いてしまう。
ジャンプ本誌も最近はPPPPPPやアクタージュのような大人向けテイストを持った作品が入り込める余地はあるのだが、それでもそれらは基本的に少年漫画という骨子の中で外側の革を変える程度にとどまっている。
これらの作品は題材とする演劇や落語をある種のスポーツとして描きその中で能力者バトルを行わせることで「勝ち負けによるわかりやすい白黒」や「努力・友情・勝利」を展開出来るように作り込まれている。
静と弁慶のように勝利でも成功でもないものを中心に展開される物語がジャンプで許されるのはギャグ漫画だけだ。
たとえばタツキの短編作品もなんだかんだであれらは「現実とかいうムカツクラスボスを完全勝利でぶん殴るまで」を描く物語としての文脈で組まれている。
いわゆる「男脳」と称されるような問題解決型、勝利追求型の思考回路向けの作品を提供するのがジャンプという雑誌のカラーであり、読者が雑誌やサイトを開く瞬間に期待するのはそれである。
その文脈に逆らうような展開は飛び道具としてはウケるが、長続きはしない。
総じて言えば「ぎなた式はなぎなたという珍しいテーマを使いながらも総合的にはジャンプの文脈としては素直」「静と弁慶は最後までジャンプの文脈に逆らっている」と考えられる。
話題性を作るために一度飛び道具を使って名声を得たのか、それとも作者の才能がジャンプには合わない方向で開花したのか、この部分は実に興味深い。
ぎなた式はロギィの頃と比べて圧倒的に言葉や絵を用いての状況説明が上手くなっていたが、静と弁慶を見るとその能力は曖昧で捕らえ所のないモノを表現する力としてより強く伸ばされている。
この能力は漫画家としての背骨にも出来る強いカードだが、これを使い今後この作家がジャンプで返り咲くのか、別の雑誌で結果を残すのか、漫画をちゃんと読んでいる人間からするとここはものすごく語りたくなるポイントだ。
ガッカリですね。