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はてなキーワード: 自己決定とは

2021-09-08

anond:20210908151206

男は嫌いだけど、男の金と労働力は好きなのが女だし、女は嫌いだけど、女体とか「女らしい気配り」みたいのは好きなのが男。

管理職にはなりたくないけど金と発言力がほしいのが労働者

あと、たいていの人間政治家になりたくないし政治家が嫌い。

もっというと、たいていの大人子どもが嫌いだけど少子化は困るからかに産み育てるのをアウトソースさせたい。

そして、人間が内心一番嫌ってるのは自己決定とか自己責任だけど、不都合な決定を他人にされた時だけは自己決定権を主張する傾向がある。

anond:20210908014530

日本法律で、リアル司法運用としては「女性」と「子供」の決定はおおむね免責される。

女性はいくつになっても一人で何かを決定できるほどの知能を持ち合わせることがないためである

女性が決定したこと世界マイナスな影響が表れた場合、その決定には必ず男の影があり、その男全面的に悪く、女性を操っており、女性自身に罪は無いのである

これは俺個人がそう思っているわけではなく(むしろ反対の立場司法というか、裁判官の頭の中がそうなっているためである

女性責任が問われるケースは殺人など相当に重大な事件に限る、ほぼ「例外ケース」である

子供」についてはいうまでもなく、対象者が18歳未満であればあらゆる責任免除される。例外として、男子性犯罪普通に送検される。

よって、「女性子供」の人間責任は一切問われない。「18歳未満の女子」について、自分意思というもの日本司法は一切認めないと思っていただいてよろしい。

「18歳未満の女子」の行う、一見自己決定に見えるような所作のすべては、司法の上では受動である

なお、トレードオフとして子供自己決定権はほとんど全く認められないが、まあ致し方あるまい。無限プロテクトされ、すべての責任免除される代償である

18歳未満の男子はちょくちょく責任を認められる(特に性犯罪)のに自己決定も許されないという地獄だが、まあ残念ながら現実なのでこれも致し方ない。

したがって、「私達は買われた」という表現は、日本司法運用を前提とすれば、全面的に正しい。

2021-09-03

anond:20210826162126

普段から論理的に生きてるならある程度のダブスタには行き当たり、かつそれを誰から指摘されずとも自覚してしま

全てのダブスタ自己決定から排除すると餓死するから

そうしていくと「自分ダブスタはどこまで許されるか?」「他人ダブスタをどこまで許すか?」の社会的な線引きに行き当たり、自己の線引きとの折衝する機会が必ずある

まあその機会と言うのが具体的には「増田ダブスタを指摘される」であっても構わないわけだが

ちなみに、普段から論理的に生きてない奴も確かに世の中にはいる。そういう論理を解さない奴を一般的に「馬鹿」とか「愚か」と言う

そして論理的人間は、どうあがいても避けられないダブスタを許容しつつ、子供他者に対してなるべくダブスタでいまいとする言動自然に出てくる

一般的にはそれを「大人になる」と表現する

なので、「馬鹿」ではない「大人」が、他人から「お前はダブスタ!」と指摘されても、自覚しているし、ダブスタであることは正しいので

「まあそうですね…」という感想しか出てこず、お前の示したような疑問の出てくる余地はほぼ無い

整合性を指摘する書き込みを見てお前がそれを書いたということは、お前は馬鹿かガキかその両方か、のどれかだと思われる

2021-08-18

anond:20210818015845

さぞお辛い状況と思う。

成人式を迎える年齢とはいえ学生くらいの自立しきれてない頃の家庭不和というのは本当につらい。

私も高校出るか出ないかくらいの時に親の借金やらなんやらで家庭環境が最悪だった。

まず一番増田に伝えたいのは、あなたの事に使うためとは言え、母親勝手貯金に手を付けた事についてあなたに一切責任はないということだ(他の人はどう思うか知らないが私はそういう立場を取る)

しかに、あなたがもう少し家庭の経済状況について把握していたり、想像をできていれば防げた出費かもしれない。

そういう意味で、あなたにも原因の一端(因果関係)があったとは言えるだろう。

しかし、原因と責任はわけて考えるべきだ。

あくまお金管理する立場にあったのはご両親で、あなたにはその権限はなかったはずだ(おねだりくらいはしたこともあったかもしれないが最終判断をするのは保護者である

今回の件に限らず、責任権限とセットで発生すると考えたほうがよい。

そうしないと口が達者な人や頭のおかしい人に無限責任押し付けられる人生になってしま危険がある。

とはいえ、実際に自分にも原因があるとするとなかなかスッキリとした気分にもなれないかもしれない。

その気持ち自然ものだし、時間解決してくれるまでそのままでも良いと思う。

必要以上に責任を感じてしまうのは良くないが、自分が関わっていることに当事者意識を感じること自体は悪いことではない。

あえて言うならば、この経験(親の失敗)を何らかの形であなた自身人生に活かすことが子供としての責任とも言えるかもしれない。

一方で、ご両親の責任はとても重い。

それは、あなた学費への責任ももちろんあるが、それ以上に本人たちの人生や家庭運営への責任だ。

それぞれに言い分はあるだろうし、いろんな観点から見てどちらが悪いみたいな話はできるだろうが、どちらか一方にまるっと責任がある話ではないと思う。

どちらも自己決定能力のある(ばすの)大人なのだから

から増田もどっちを責めるとか、あるいは許すとか無理に決める必要はない。

別の見方をすると、学費に影響があった増田被害者とも言えるが、あくまで両親の庇護下で生きてきたわけで、責任問題についてとやかくいう権利はないという捉え方もできる。

ただ、過去ひとつひとつ出来事については、自分の中の気持ち大事にしてほしい。

最終的にはどちらかの肩を持つことになるかもしれないが、それはあくま自分好き嫌いとか、心情の部分で決めていいと思う。

2021-08-17

anond:20210817204515

日本フェミサイ起こるしアフガンと一緒や!

どっちも変わらへん

日本入管女性死なしてるし

形だけでも自己決定したアフガンのがマシまである

日本を見限って外国に逃げる女性は増えるやろね

anond:20210817203536

バカはこの2点だけ理解できれば良い

 

  1. AIインターネットインフラによるグローバル化で多くの失業者が出るし
    多くの人が失業者のひとりになるのでベーシックインカムは確実に導入されます

  2. ベーシックインカムはすべての人の福音になるでしょうか?
    人間善意を信じているけど、たぶん『いいえ』。警戒するに越したことはないでしょう。
    自己決定が出来るお金を老後も引き続き稼ぐ手段模索することをやめない方が良いです。むしろ強化すべき

2021-08-14

Daigoさんの優生思想選民思想は許さないのに,自由恋愛という優生思想は許されるの?

Daigoさんが本人の誤算によって炎上して,謝罪するに至った話はまだまだ鎮火しない勢いの炎上だと思う.

多くの人にとってDaigoさんの発言は許せなかったと思うし,許されざる発言だったと思う.

さて,この発言において許されなかったのは,「生活保護の人が生きてても得しなくない?」,「ホームレスはいないほうがよくない?邪魔だしさ」といった優生思想選民思想的な発言が原因だ.このような思想人権概念から外れた発言である社会には様々な事情生活保護をとることになった人や,ホームレスとして生きている人がいる.その人達が生きる権利は決して蔑ろにされるべきでないし,その人達が生きることを社会支援することは当然のことだと思う.それを軽視する発言人権尊重する社会では許されざる発言であったといえるだろう.

以上の話は人権の中でも生存権にかかわる話である人権生存権以外に自由権参政権,そして性と生殖権利がある.

性と生殖権利とはセクシュアル・リプロダクティブ・ヘルスライツ(SRHR)と呼ばれ,性や生殖にかかわる自己決定や自認の自由を認める基本的人権のことである(参考{https://www.ippf.org/sites/default/files/ippf_sexual_rights_declaration_japanese.pdf}).この権利によって我々は自由自己の性を決定でき,結婚性交をする相手を選べるのである.このような人権思想のもとで,政略結婚見合い結婚が衰退し,自由恋愛が発達してきたと考えることは至極自然なことであろう.つまり,我々の人権尊重するために自由恋愛は発達し,我々は自由恋愛の中で人権尊重されていると考えているわけである

しかし,本当にそうだろうか?我々全員がこの権利享受できているのだろうか?

実態はそうではなく,自由恋愛の下ではすべての人が権利享受できるわけではなく,選ばれた優生の者のみこ権利享受できていることが実態である.わかりやすい例では,年収が低い男性結婚ができないだとか,容姿が劣る人は結婚ができないなどである(参考{https://toyokeizai.net/articles/-/293571}).自己の決定で結婚しないと決めているならそれは個人自由だが,結婚したいと思いつつも結婚できない状態は,性と生殖権利に反している.特に結婚できない理由年収が低いという理由なら,人権の種類が違うだけで,仕事のないホームレス生存権が認められていないといった状態と似通ているように思う.なぜこのような状態が許されるのだろうか?

これは単純に,誰と生殖するかが自由であるという権利と,生殖をしたいという権利が衝突しているからに他ならない.子供が欲しい人が無理やり生殖することは,他者自由権利侵害するのである.よって,結果的優生の者が生殖でき,劣っているもの生殖ができないという状態に陥る.ただ果たしてこのような状態社会は看過できるのであろうか?

衣食住がない人を生活保護で支えるように,生殖したくてもできない人を何かしらの手段で支えることが人権尊重する社会では必要ではないか.ましてや結婚ができない所謂非モテ犯罪者予備軍のような扱いや,キモイ劣った存在として排除してよいのだろうか.そのような思想は冒頭のDaigoさんのような思想とは言えないだろうか.

かにホームレスの人の窃盗率は高いかもしれない.確かに海外では非モテ所謂インセル)の犯罪が目立つかもしれない.ただそのような理由社会が拒絶してよいのか?

人権尊重する社会ではそのような人の権利を守るためにセーフティネットを用意する必要があるのではないか

今回のDaigoさんの発言人権尊重を訴えた人はもう一度過去自分発言で,他者人権蔑ろにしていなかったかを考え直してほしいと思う.

そして,自身人権尊重するために,他者人権蔑ろにしてはならないということは努々忘れることのなきようお願いしたい.

anond:20210814053402

虚業で儲ける即ちバカってこたぁないだろ

社会福祉は受けれて当然だが現実上級国民お気持ち次第で必ずしもアテにはできない

自己決定出来るお金はあればあるほど良い

2021-08-09

アスリート無罪が納得できない

スポーツ選手は人気職業から戦略として攻撃すべきでないのは事実だが、オリンピック開催による感染拡大について責任がないなどと言う言説は全くのウソであるアスリート達は国から強制的に動員されたわけでもなく、本人の意思東京オリンピックに参加している。自由意志存在する以上、その行為には責任が伴う。

メシの種だとか人生が掛かっているとかい理由は、自粛を強いられる飲食店観光業の人たちも同じであるしかも多くのプロスポーツにはオリンピック以外にもデカ世界大会があり、労働者の日々の仕事なんかよりもよっぽど不要不急であるプロリーグ存在しないマイナースポーツ選手には同情の余地がある)。

「上がやってもいいって言ってたから参加しただけで、罪に問われるのはおかしい」なんてのはアスリート自己決定能力に欠けるとされる未成年だった場合にの適用される言い訳で、いい年こいた大人が僅かばかりの想像力も発揮せず、いや想像していない無邪気なフリをして大規模な人流が発生するイベントに参加するというのは福井県杉本達治知事が自宅の延長とホザいてレストランで会食したのと同じような卑劣行為である

しかし一人のスポーツで身を立てようとする人間が、世間感染拡大なんぞ知ったことかと五輪栄光を掴もうとする行為のものは正しくはないが理解はできる。むしろそういうエゴイスティック姿勢こそが美しいとも思う。前述した通りスポーツ選手は人気商売で、彼らを非難することは政治的立ち位置から戦略として悪手なので、非難する者も非難されるスポーツ選手、そのファンも誰も得をしないのですべきではない。だからといって全方位無罪無責任被害けが残るのも非常にムカつく。よって増田に以下のように書くのみにとどめる。

五輪アスリート達、お前らはクソだ。

2021-08-08

張本発言河村を一緒にするのは少し違わない?

「見ててどうするのかな。嫁入り前のお嬢ちゃんが顔を殴り合ってね。こんな競技好きな人がいるんだ」

サンジャポ女子ボクシングに対する張本発言炎上しているようだ。

しかし、批判派の一部が言うように選手馬鹿にしているようには見えない(リスペクトもないけれど)。

張本くらいの年代の人たちは「女子供は男が体張って守れ」という倫理観を叩きこまれている世代だろうし、その倫理観齟齬が起きて困っている感じに見える。

あの発言からすると、彼には女子ボクシングが「小学生同士のバーリトゥード(馬乗りパンチ流血で決着)」みたいな競技に見えているんだろう。

もし、未来にそういう競技が始まったらはてなー困惑するんじゃないか?(今は小学生自己決定能力がどーので大人の女性ボクシング区別できるが、未来もそうかはわからない)

河村市長の態度は女性を頭から自分パフォーマンスの道具扱いしていたが、張本発言は彼の倫理観的には落ち着きが悪いくらいのボヤキだ。

女がボクシングなんて生意気だとかではなく、痛々しくて正視できないのになぜ「喜んでみている人」がいるんだ!?みたいな戸惑いだろう。

その後で張本は否定だけせずに歩み寄りの姿勢を見せている。

時代に合っていないし、一言謝罪必要だろうし、女性勝手庇護対象扱いするのは河村感性と地続きではあるんだけれど、さすがに同列に並べるのは違うだろうと思う。

身に沁みついた倫理観を捨てろというのは本当に難しいし、「アップデート強要」は一つ間違うとファシズム化する。

から、歩みの遅さ(逆走しているわけではない)までも断罪するのは慎重にしたい。

自分用]タラル・アサドまとめ

以下の内容はあくまで私個人が頭を整理するために書かれたものである

===

[現時点での雑感]

宗教実践に着目した議論にも、世俗主義的な観点にもとづいたものと、世俗主義批判にもとづいたものがある。岡本亮輔宗教日本人』(中公新書)などは前者、アサドや磯前などに準拠した議論後者になる(傾向にある)。

宗教活動政治(あるいは「公共領域)の接点を考察する場合世俗主義的な観点から議論の方がスッキリとした議論ができる。教義だけでなく実践所属といった要素も「宗教」の圏内に含めることで、ビリーフだけを宗教に含める議論では取りこぼしてしま事象が「これは宗教的なものなので(つまり文化伝統や慣習という言葉だけのもとにスルーされるものではないので)、政治宗教に関わるイシューとして取り扱うべきだ」と主張しやすくなる。世俗主義批判議論では、ここで言われる「宗教」や「文化」や「伝統」という概念がどのような歴史的経緯のもとに取り扱われるように至ったかに焦点が行く傾向にある。それは「研究史の問い直し」という点では意義があるものの(=「宗教問題」の問題化)、宗教政治境界あいまいにする(解体する)効果をもちうるし、とくに宗教集団政治活動社会問題として取り上げたい論者にとっては面倒な議論になりうる(つまり宗教者には宗教者の理由があるので、西洋近代的な観点から一方的批判するのは控えましょう、という議論として読まれる)。

・もちろんアサドを踏まえつつ、世俗主義にも立脚しない議論はありうるし、実際にある。つまり宗教カテゴリーに含まれもの政治カテゴリーに含まれもの、その両方をひろく視野に入れつつ、特定領域内におけるそれら要素の折衝や配分を記述していくというスタイル研究がある。おそらくはこれが正解。

・ただ今回検討したいのは、もうすこしラディカルにタラル・アサド立脚した議論世俗主義批判的な観点から議論が「宗教政治」の問題をどのように取り扱えるのか、その可能性を検討するもの上記の整理を越え出るものがあるとの予想のもとに、邦訳から気になった個所を箇条書きで記載する。

===

[箇条書き]

・「イギリス社会人類学における文化翻訳という概念」、ジェイムズ・クリフォードジョージ・マーカス編『文化を書く』、紀伊国屋書店、261ー301頁。

文化翻訳」がテーマゲルナーの『観念社会』の批判検討

268ー9 観念研究する基準として、「論理性」や「一貫性」、文章文章の「符号」をゲルナー要請している、という整理

275ー6 エヴァンス=プリチャードの「双子は鳥である」について。ここではヌアーの宗教の「一貫性」が説明されているだけで、「正当化」や「防御」がなされているわけではない。しかゲルナーは、寛容さが「過度なもの」にならないよう警告する。

278ー9 「翻訳者が場合に応じて妥当文脈を決定するのは問題言語を扱う技術によるのであって、寛容か不寛容かというアプリオリな「態度」によるものではないこと、ゲルナーはこのことに気づいていないようにみえる。この技術学習されるものであり、必然的に循環的となるが決して悪循環にはならないのである。われわれが問題にするのは一組の文と文の抽象的な符号でなく、生活様式に根を下ろした社会実践である

285ー6 ゲルナー文化社会テクストとして捉えている。「しかしながら、社会は老練な読者とコミュニケートするようなテクストではない。語っているのは人びとであり、彼らの語りの究極的な意味社会の中には存在しない。社会とは、語り手が働きかけまた働きかけられるような文化の条件にすぎない。」ゲルナー特権的場所に身を置いているが、そこには前提がある。「つまり異文化翻訳とは本質的にふたつの言語で書かれた分を符号させる問題であり、第二の文のセットを第一の文のセットに「真の意味」に適合させる問題(中略)である、という前提である」。

287 「よい翻訳とは、異文化の言説の構造翻訳自身言語の内部に再生産しようとつとめるそれである

288 「よい批判とはつねに「内部の」批判、つまり共有された理解や共有された生活にもとづく批判であって、共有されるものを広げより一貫したものにしようとする批判のことである。」

289 オリジナル一貫性翻訳するには言語の変形が要求される。それは「翻訳家の個人的な行為では決定できない何かが問題」となっている。そこには「硬直性」がある。アサドにとっては「その問題言語生活様式の間の制度的に規定された力関係によって支配されている」。端的にいえば西洋第三世界パワーバランス考慮すべきという話になる。

第三世界西洋列強のようなワーディングではポストコロニアリズムコミットしない研究者にとっては賛同しにくいが、これをマジョリティ-マイノリティ間の問題とするならば理解やすく(あるいは受け止めざるを得なく)なるかもしれない。

292ー3 「翻訳オリジナル言語機械的再生産することでなく、オリジナル意味との間に調和をうちたてることである。」翻訳解釈ではなく作品制作に近づく。「なぜならそれらは人類学的「作品」と観客との関係をまったく違う次元へと移行させ、単にこの作品の書き方読み方(意味)の違いをこえた慣習(実践)の違いの問題喚起するからである

→このあたりに今回の整理を駆動するなにかがある気がする。つまり世俗主義批判を、宗教研究に対するイデオロギー批判のような議論から、より広い文脈に解き放つ何かがある。私たち自身言語の中で「宗教」と「世俗」という言葉がどのような意味を具体的にもっているのか。

299 文化翻訳いか権力が入り込んでいるか、の分析

301 私の提起、それは文化翻訳という人類学者の企ては、支配する社会支配される社会言語の中に非対称的性向圧力があるかぎり、汚されたものになりうる、というものである

 

===

世俗主義をこえて」磯前順一、山本達也編『宗教概念の彼方へ』法藏館、373ー403頁。

テイラー世俗形成』の批判検討

378 儀式は道具的行為ではなく文化的な意味を伝達する(リーチ

379ー380 儀式は抑圧的な機能を持つ=宗教私的な信念の形式をとるべき。儀式は非内面的なので反政治的。

381 モースの関心は態度の形成過程にある。身体技法観念には感覚社会的条件が関与している。

386 ことばは、特定政治的な関係特定感性に埋め込まれている

387 意味喪失としての脱魔術化は概念としてあいまいテイラー批判

390 テイラーにとって危機個人レベルに関するもののみ(リベラルデモクラシー環境問題不安定関係

391 宗教・信念・政治関係考察するためには、肉体・知覚・態度についての検討する必要がある

393 「感覚は人びとが参加する公的生活の中心であり、政治的な生活の諸力を促進したり、それに抵抗したり、服従したり、あるいは無関心のままでいる、その方法にとって中心的なものである。」

394ー395 「こうした行動に信念の観点(中略)から接近するのではなく、人間の力では統御できない世界において、肉体的な感覚いかに育成され、形づくられているかを問うべきであり、どのような政治がこうした形成可能にしたり、難しくしたりしているかを問うべきであろう」 例)チャールズ・ハーシュキント

→磯前のアサド解釈宗教概念論)は、やはり研究史、あるいは研究批判力点が置かれすぎている印象。宗教近代性や構築性の指摘も、焦点は本質主義批判にあるのではく、「そこで何が行われているか」や「それは何なのか」といった対象理解に向けられた関心にあると考えた方が自然だ。実践感性の焦点化も同様の文脈にある。でなければ、信仰とは「継続的実践に基づく関係」「他者に対する(他者を疑うのではない)信頼の態度である」といった言明は出てこない。

===

比較宗教学の古典を読む――W・C・スミス宗教意味目的』」、磯前順一、タラル・アサド編『宗教を語りなおす――近代カテゴリー再考みすず書房24ー50頁。

キャントウェル・スミス宗教意味と終局』についての批判検討宗教実践世俗主義テーマ宗教をつきとめるにはその「物質形態」を理解することが欠かせない。

28ー29、スミス信仰を心の内的状態ととらえている。「実践を通して創出され、実践を通じて保持され、実践のうちに表現されるような関係性」ではなく。「実践というとき、私が意識しているのは、生活する身体が発達させた能力や育成した感官(*ママ)に依拠している活動のこと、また、身体物質社会的条件に関与するときに、有意味経験可能にする活動のこと」

33 宗教的物象化の概念は、排他的一神教テーゼと結びついている。統一的な教義という観念は、一神教信者の寛容な実践を顧慮しなくさせる。

36 個人的な「信仰」/現世的な表現としての「伝統」→「この考え方においては、信仰は、公共的に観察可能生活のあり方にいかなる変化ももたらさないかのようである。逆にまた、自己の振る舞い方は、自己の「内的」状態に何の意味ももたないかのようである」。しかしこの両者は信仰現象に関わっている。たとえば回心は「たんなる「内面的な」心理的状態のみならず、行動、完成、社会生活一般根本的な再適応を含めての「信仰喪失である

37 信仰は「継続的実践に基づく関係」「他者に対する(他者を疑うのではない)信頼の態度である」。

自分たち以外を疑うことを信仰重要な要素にしている宗教もあるけれど。

38 伝統も「認知の枠組み」として捉えられている

39 除外された研究領域宗教実践と訓練の場、②近代の構築物としての「宗教」と「世俗主義」との相互依存関係と緊張関係の本性。あるいは実践、訓練、感性といったテーマ

40 伝統もつ規範を育成するための本質的手段としての「生活する身体物質性」

41 特性感性の育成のための儀礼信仰とは特性であり習慣であり性向

42 罰は適切な行為学習にとって必須個人が適切なエージェンシーを獲得する過程は、共同体責任でもある。

44 世俗主義イデオロギーは「実在」についての多数の形而上学的に信条に基づいて、「宗教」の社会的・政治的な場を恒久的に固定しようと努めている。

===

宗教系譜――キリスト教イスラムにおける権力根拠と訓練』岩波書房

キリスト教にたいする人類学的探求。「宗教についての西洋的な概念実践が、”歴史を創る”あり方をどのように定義づけているか

11 ジェイムズ・クリフォード「異質なものには近所で出会い地球の裏側では見慣れたもの出会う」

人類学範疇としての「宗教」の構築」:ギアツ宗教定義批判

34 宗教普遍的定義というものは有り得ない

38 真理の実現の条件としての強制アウグスティヌス)、宗教的真理の条件としての権力

41 象徴実践宗教象徴還元する説明は、宗教世俗二元論に関与。

46 「宗教本質的象徴的な意味に関わるものであり、その象徴的な意味は(中略)一般的秩序の観念に結びついていること、宗教全般共通する機能/特徴があるということ、そして宗教をその個々の歴史的あるいは文化的な形態混同してはいけないということ――は、実のところ、キリスト教固有の歴史を背負った見解なのである

49 カオスへの恐れ→宗教象徴体系による秩序化(ギアツ

50 苦痛意味中世キリスト受難への参与現代→悪であり打ち勝つべもの

51 ギアツ宗教概念の中核は信仰。それは世界の構築行為ではなく精神状態としてのそれ。近代私事化したキリスト教徒の議論

55 聖なる演劇としての儀礼:そうした制度の中で性向形成され、維持されるのであり、またそうした制度を通じて真理獲得の可能性が切り出されるのである

58 宗教象徴は、宗教者の生活や、その読み方を保証する訓練といった、さまさま実践や言説のなかにその場をもつ

「「儀礼概念系譜を描くために」

66 行動/テクスト実践<信念

67 本質的表象的な行動としてのritual

68 象徴は解読を必要とする、という考えを、人類学者はフィールドに持ち込んだのではないか

69 ritualは訓練に依拠するが解読は要さない。「適切な挙行に必要なのは解釈されるべき象徴ではなく、権威ある者から承認された規則に基づいて習得される能力である。それは(中略)むしろ身体的・言語的な技能形成を前提とする」

70 典礼象徴行為ではなく、徳を獲得するための実践

70ー71 「この概念においては、外面における行動と内面における動機の間に、社会儀礼個人感情の間に、表現的行動と技術的行動との間に、いかなる根本的食い違いもあり得ない。」

71 外面における行動と内面における動機を結合するための実践

86 モースのhabitus、「象徴行為媒体」ではなく「身についた能力集合体」としての身体歴史的に構築された実践知識としての実践理性。

87 言説と身振りとは、能力を育てるための学習社会過程の一部をなす原初的感覚とかではなく、感覚は訓練される)

89 秘蹟文化隠喩表彰ではない。「そのPermalink | 記事への反応(0) | 12:50

2021-08-05

書け書けと言われたので

これはid:muchonovによる、id:rag_enさんのエントリ muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから」論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理があるよという話と、あとリテラシー - Click Game. への返信です。

引用されている増田テクスト位置づけについて

まず、rag_enさんがご引用くださっている、自分増田で書いた文章子供の権利は制限されているし、性行為に伴うリスクを判断できない」の位置づけなんですが、これはmuchonovが何か新しい提案をしたぞとか、今からそういう社会を作るぞ、という内容ではありません。このスレッドの親増田の「なぜ、子供が性を売ってはいけないのか」という疑問への応答として、今の社会がそういう風になっている理由として、法律的社会的にこのような背景がありますよ、と説明するものです。言い換えると、これは〈べき論〉ではなく〈である論〉のつもりで書いたものです。このことは、ここから先の話とも繋がってますので、ひとまずスタート地点としてご認識ください。

パターナリズムについて

rag_enさんは以下のように、「『社会コンセンサスがあるから』という理由でのパターナリズム肯定」や(判断力が未熟な当事者保護する)「手段としてのパターナリズム自体を強く批判されています

未成年に対しては愚行権を含む自由権一定の制約を課すべきだという社会コンセンサスがあるからです。未成年に対しては人権を制約するレベルパターナリズム保護者的統制主義当事者能力リソースの不足を社会保護者として補い、庇護する)をとってもよいし、分野・状況によっては積極的にそうしなければいけない

いやもうこれ、『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね。

そもそも『「判断力」によって峻別すべき』だと仰るならば、「ペーパーテストして免許制にでもすれば?」でほぼほぼ終了する話なわけです。『「判断力」によって峻別すべき』ならば、その「判断力」をテストする、というのはどう見ても最も正道な手段なのですから。“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません。


ここを読んでいて、最初「ん?」と混乱してしまったのですが、もしかしてrag_enさんには、「パターナリズム」という概念について重大な誤認がありませんか。rag_enさんが「“パターナリズム”などという手段を用いる必要は全くありません」という主張とともに、代案として展開されている判断力によって(ある問題についての当事者能力責任能力の有無を)峻別する」、そして、判断力がないとみなした対象自由権を(当人保護のために)何らかの形で制限する…という考え方は、まさに『パターナリズム』そのものではないですか? 

現行の日本法律が、年齢によってその人物判断能力推認し、それが十分でないとされた年齢に属する児童保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、別の方法判断能力吟味裁定し(たとえば精神的な障害を持つ人や依存症に苦しむ人や認知症患者などを、家裁判断によって成年被後見人とすることなど)、彼らを保護するために彼らの自由権を一部制約するのも、どちらも法学の分野でいう「弱いパターナリズム」だと思います

憲法学世界で「パターナリズム」といえば、まず未成年者の人権制約の場面が思い浮かぶ。すなわち、十分な判断能力のない未成年者については、親が子に干渉するようなやり方で、国が未成年者の人権を制約することが認められると考えるアプローチである(1)。たとえば佐藤幸治は、未成年者の人権制約について、未成年者が「成熟した判断を欠く行動の結果、長期的にみて未成年自身目的達成諸能力を重大かつ永続的に弱化せしめる見込みのある場合に限って正当化される」とし、これを限定されたパターナリスティックな制約としている(2)。このようなパターナリズムは、個人判断能力の不十分さを補うために後見措置を行うことから、弱いパターナリズムと呼ばれる(3)。

https://webcache.googleusercontent.com/search?q=cache:0RwE-rfojV4J:https://core.ac.uk/download/97063334.pdf+&cd=2&hl=ja&ct=clnk&gl=jp

そして、未成年や年齢が低い児童判断能力が不十分とみなされる理由は、法学世界では、彼らの判断が、それ以上の年齢層による判断に比べ、①知識情報を得た上での判断・②適切な理解に基づく判断・③強要なき自律的判断・④実質上も自発的判断ではない可能性が高く、それによって、当事者自身が想定しない結果や不利益をもたらすリスク懸念されているからです。[^1]

[^1]性的自己決定に関しては、古い調査ですが、10代の人工妊娠中絶についてのアンケート結果(https://www.jaog.or.jp/sep2012/JAPANESE/MEMBERS/TANPA/H15/030217.htm)を読む限り、確かにそのリスク存在しているといえます10代の妊娠中絶経験者の68.1%妊娠して「困った」と回答しており、その多くが①②膣外射精安全日など誤った避妊方法を選んだり(情報理解力の不足した判断)、③相手避妊をしなかったり(強要された判断)、④経済的事情などを踏まえれば出産育児不可能なのに妊娠する可能性のある行為をしてしまう(実質的には非自発的判断)など、当人判断能力の不足によって、望まない妊娠人工妊娠中絶に到っています

この前提において、当事者自由権を法と社会が一部制約することが正当化されています。これはmuchonovが勝手に言ってることじゃなくて、法学におけるパターナリズム議論の中で整理されている話です。

ソフト(弱い)パターナリズム」が自由への介入を正当化できるのは、人の行為が以下の何れかに因って判断された場合です。

1. 実際に情報を知らされないで判断した場合(not factually informed)、

2. 適切に理解していないで判断した場合(not adequately understood)、

3. 強要されて判断した場合(coerced)、または

4. その他、実質的自主的にではなく判断した場合(oterwise not substantially voluntary)。

http://www.fps.chuo-u.ac.jp/~cyberian/personal_responsibility.html

そして、未成年者や特定年齢に満たない児童に対する「弱いパターナリズム」に基づく人権制約は、日本を含め、大半の近代国家法制度に含まれています性交同意年齢という概念もそうですし、制限行為能力者という概念もそうですし、ある面では責任無能力者という概念もそれに関わっています。そのような、未成年者や児童人権を明らかに制約する仕組みが各国の法制度に組み込まれているのは、当然、その国家議会立法などの民主主義手続きを経てその法律を定めた結果であり、『社会コンセンサス』の賜物でしょう。

から先ほどのrag_enさんの、「『社会コンセンサスがあるから』なんていう、ふにゃふにゃな理由での“パターナリズム”を肯定してしまっているの、控えめに言っても完全に思考が狂ってますよね」とか、「muchonovさんの提示した「判断力が未熟だから論法では、年齢による“パターナリズム”を肯定するのは無理がある」という指摘は、日本だけでなく、性交同意年齢や制限行為能力などの概念法制度に組み込んでいる全ての国家社会に対して「完全に思考が狂ってますよね」「論法に無理がある」と非難していることになりませんか

現在日本では、性交同意年齢(13歳)未満の男女と「性交等」をすることは法律で禁じられており、もしそうした場合、それが13歳未満の側の当事者主体的判断によるものであっても、相手強制性交等罪(非親告罪)で処罰されます。13歳未満の側の当事者には、必ずしも性交に関して正しく判断する能力が備わっておらず、その能力の不足による誤った判断不利益から彼らを保護しなければならない、とみなされているからです。これも「完全に思考が狂っている」「無理がある」論法でしょうか。

私はrag_enさんがそういうチャレンジングな主張を展開されるのは別に構わないと思っていますし、繰り返しそう申し上げてもいますが、だったらその主張はmuchonovという個人に向けて言うべきことじゃなくて、そうした法制度を運用している国家やそれを是認している国民に対して言うべきことなんじゃないかな、と思います。だから自分は、再三「rag_enさんのお考えを、広く世間に問えばいいと思います」と申し上げているんですけども。

あと、これはこちらの邪推ですけど、おそらくここでrag_enさんが問うべきだったのは、「性的自己決定権をめぐるパターナリズム的な人権制約の適用対象を決める上で、年齢という指標を用いて一律に決める(現在法制度に組み込まれている)方法と、ペーパーテストを行って免許付与するという(rag_enさんが提唱する)方法の、どちらが制度設計として筋がよいか」ということだったのではないでしょうか。そうではなく「パターナリズムという手段ではなくペーパーテスト免許制という手段を使えばいい」と主張されている姿勢から、rag_enさんのパターナリズムについての認識は、一般的用法とズレがあるように感じました。もし「そうではない」ということなら、そうおっしゃってください。

※ここでもし自分がrag_enさんを先回りして擁護するとしたら、「rag_enさんの言うペーパーテスト免許制という提案は、パターナリズム的な観点判断力が未熟な当事者保護するため)に基づくものではなく、その行為による他者危害リスクなどを鑑みて、本来無許可では行ってはいけない諸行為に対し、当事者能力知識技術総合的に認証したうえで特別アクセス権を付与するもの、つまり自動車免許医師免許に相当するものであるからパターナリズムにはあたらない」という立場は、かろうじて取りうると思います未成年児童が関わる性行為について、当事者不利益よりも他者危害リスクを先に考慮しなければいけない状況というのは自分には俄には思いつきませんが、まあそこはよしとしましょう。

しかし、そのような制度---国家国民の性行為に関わる知識判断能力ペーパーテスト弁別し、それが当局の定めた水準を満たしているかどうかによって、セックス権利を与えたり奪ったりする制度---というのは、自分国家による生-権力的介入・管理アプローチとしていささか度が過ぎていると思います。というか、「規律化による〈従順身体〉の構築」というフーコーテーゼをそのまま戯画的に具現化したような感じすらします。

また、自動車免許社会実装コストについてのrag_enさんの記述を踏まえると、rag_enさんは、その「セックス免許」の仕組みを社会実装するコストも、免許取得費用として「受験者」から徴収して賄えばいい、とお考えのように見えますセックスへのアクセス権を求める市民自身から試験料を徴収して、セックス免許センター受験者にテストを行って、合格者に免許を発行する。もしそういう制度運用イメージされて仰っているのなら、この構想が現行の法制度にある「年齢によるパターナリズム保護」の仕組みよりもメリットが多くデメリットが少ない現実的提案だと感じる方は、あんまりいないんじゃないでしょうか。もちろん、rag_enさんのような考え方の人たちが社会運動などを通してそのアイディアを人々に受け入れさせて、社会コンセンサスを変えていくことができれば、その状況も変化する可能性はあると思いますが。

https://anond.hatelabo.jp/20210805095853 に続きます

2021-07-22

anond:20210722151516

タイトル通りだが?

増田みたいな逆張りガイジの知能・自己決定能力を上げるって具体的には?って話

 

頑張ろうだけでなんとかなるんです?

上級ソシオパス倫理観逆張りクズの知能と自己決定能力を上げるって具体的にはどうするの?

たとえば海外日本レベルバカはぶっ叩かれまくりラジオTwitterへ逃げ込んでるけど

ジャップランド上級ソシオパス逆張りクズノイジーマイノリティのくせに

自分自身マジョリティ面で大暴れしているけど?

<関連増田

▼米FOXコメント欄ですら不正投・不正選挙がどうこうと騒いじゃいないのに日本の140文字民は

https://anond.hatelabo.jp/20201105100706

 

アメリカ社会人種ではなく“知能”によって分断されている

https://anond.hatelabo.jp/20200919222828 

 

▼彼・彼女らには自分ポリコレで"配慮される側"の人間である自覚がない

https://anond.hatelabo.jp/20210314040227

 

ヤンジャンでやっている『スタンドUPスタート』ってマンガ現実の『ベンチャー』と『500万』

https://anond.hatelabo.jp/20200831230551

 

皮肉でなくてマジの意味普通の日本人はこれらのバカもの相手をしたくなかったので放置してきてしまった

本来であれば、親が躾ける、医療機関で早期に特性を知って特性にあった養育をすべきだけど、しなかった

 

それを頑張ろうだけでなんとかできるもんなんです?

 

  

anond:20210722144152 anond:20210722152037 anond:20210722151446 anond:20210722155559

2021-07-17

anond:20210717224118

わたし世界強制された被害者』なだけだろ

嫌ならただNOって言えばいいだけ、相手にしなきゃいいだけ

 

勉強も進学も就職メイクも靴も服も友達彼氏結婚子どもも全部

かに強制されたことでわたしは望んでいなかったって平然と言うし

 

徹底な自己選択自己決定からの逃避、赤ちゃん

anond:20210717223640

端的に赤ちゃんなんだと思う

自己決定自己選択から逃れてる

そして日本社会もそれを『かわいい』と許してる

 

醜悪だし毒親作りまくるだけだぞ

anond:20210717165246

でもその結果がコレですけど? ↓

DLsiteでも男性向けでショタものとか普通に目につくしな。

まあ俺個人ショタBLで抜くわけじゃなくて、ただ読み物として読んでるだけだが。(ポルノとしてはモンスター娘とかが好き。)

そういう人が存在したとして何の不自然も感じないのは当たり前じゃねぇのとは思う。

anond:20210717144710

 

セックス自己選択自己決定からの逃避

 

彼女たちにとってセックス自己決定で楽しく行うものではなく、

"恋人" "妻" という肩書きを得る為に、直球で "(理解ある夫・彼くん等に) 養って貰うために"

"させてあげるもの"

あるいは一方的暴力的第三者強制されるもの

そして平然と『夫が望んだから子どもを産んだだけ』と言い放つ

 

セックス子どもすら自己選択しないのに他のもの主体性を持って選びとれるわけがないじゃん

社会進出どうこう以前のところでコケます

anond:20210717165032

自己決定自己選択なんて考えない方が社会適応性は高くて生き残りやすいからなあ。多少頭が悪かったとしても問題ないという意味ロバスト戦略だし。

2021-07-16

anond:20210716142303

じゃあまず、女の自己決定の逃避から解決しないとな

次に男は雑に扱って良いという誤ったメッセージ改善

そうすれば弱者男性タフガイから降りずに

しろしがみつく現象がなくなるんじゃないでしょうか

anond:20210716102822 anond:20210716103520

また『わたし世界強要された』系か

日本の女の自己決定自己選択からの逃避は深刻だと思うっすわ

醜形恐怖症』なのに、出会い厨(同性含む)だったり、キャバ嬢風俗嬢だったり、ヤリマンメンヘラだったりすることも含めてね

2021-07-15

anond:20210715223916 anond:20210716003746 anond:20210716121050 anond:20210723050105

そもそも日本メンヘラ女の自己決定自己選択からの逃避についてなぜ触れんのかですよ

わたし世界強制された』これが基本スタンス

成人年齢であってもこんな赤ちゃんを性産業で働かせたり・人の親にしちゃダメでしょ

 

ついでに日本に限らず男を雑に扱っていいという誤った社会メッセージ

軍隊危険作業組織順列のためなんだろうけどな。丁寧に扱ったら危ないことや重労働させられないので

男であっても危険作業や重労働はさせるべきじゃない

なのに弱者男性であってもかっこいいタフガイからは降りねーんだよな

 

男は強制上半身水着だし廊下で着替えさせていいし外見を揶揄してもOK

フィクションで男が酷い目にあってるのは誰も男に対する復讐だとは言わないし

リョナ趣味を発揮する場面を弁えろとさえも言われない

・・・みたいなのは令和では滅ぼそう

 

暴力ヒロインは滅んだしリアクション芸人若者には受けなくなったのだから出来るだろ

フェミニスト原則女性の権利言及していない

「[『フェミニスト原則』は女性の権利言及していない」という意見TwitterやToggeterで見かけた。

全ての人に普遍的権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。

フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。

Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感TwitterTogetter活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。

ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。

日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません

~~呼びかけ団体がLGBTQI関連団体ばかりでは?

そりゃそうでしょう。LGBTQIにも女性はいるのだから

まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。

「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明肯定していないと思う。

それはホモセクシャルヘテロセクシャルトランスジェンダーシスジェンダーもみんな同じだ。

~~「家父長制の権力と闘い、それを解体しなければならない」とは?

この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。

宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダー性別構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャル男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。

その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全社会参画を奪ってきたものではないか

女性から低賃金仕事を割り当てられたり、結婚出産時に転職退職を迫られたり、男性支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。

~~「ジェンダー性別セクシュアリティ経験には均質性などなく」とは?

序文最後の方に「​私たちフェミニズムは、ジェンダー性別セクシュアリティ経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベル差別や抑圧、特権経験していると認識することからまれる力を確認します。」とある

まり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。

例をあげると、母親に比べて父親子ども保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。

男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだから父親育児参加を妨げていると、結果的女性の不利にもなると思う。

母親ばかりが子どものために仕事休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。

実際のところジェンダーだけでなく地域人種階級信仰経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベル差別や抑圧、特権経験」をすることになるのだと思う。

単純化してしまってごめんなさい。

あと「私たちフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別経験するとは限らないということも言っていると思う。

SNS上だと全ての女性痴漢被害経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。

しかし、同じ経験をしていなくても共通目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。

~~「仕事としてのセックスワーク」を容認して良いのか?

経済的困窮や社会の混乱によって女性セックスワークに就かなければいけないのは私も反対。

ましてやセックスワークをする女性妊娠性病暴力などのリスクさらされるのは論外。

ただ、心身の安全保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。

それはセックスワークも同じだ。

~~「自分の法的なジェンダー自己決定できる自由」がなぜ必要なのか?

ジェンダー自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。

誰かの自由を認めることで他の誰かの権利安全が脅かされてはならない。

そもそもの話、性自認私利私欲のために簡単に変えられるものではない。

覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。

自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。

~~「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はフェミニズム無関係なのでは?

宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーインターセックスの人に対する手術について言及している。

女性の権利向上を目的としたフェミニズムには無関係に見える。

ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダー女性にも起こりうる。

女性器切除(FGM)」というものアフリカなどの一部地域で行われている。

女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会

女性器切除 - Wikipedia

「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思いますWikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。

日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピル承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。

他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性同意できるはずだ。

~~「フェミニスト権力分析は、バイナリーを超えたもの」にして良いのか?

第八項のこの部分はまるでフェミニスト女性を見捨てたように感じる。

女性女性の権利のために始めたフェミニズム男性セクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。

この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。

女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。

それらの意見女性という存在理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見ライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。

からこそフェミニスト一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。

その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。

~~最後

フェミニズム活動が「家父長制の権力」の解体目標とする限り、シスジェンダー女性以外のLGBTQIも活動恩恵が得られることは必然だ。

目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。

それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。

フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要宣言になるはずだ。

最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます

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