はてなキーワード: 自己決定とは
ウヨ自称はしてなかったけど、ロジックを見る限りは明らかにウヨ
そういう性行為や生殖に関わる時だけ、認知機能や知覚能力が不十分な女性の自己決定能力を認めるんだあ
弱い女子供を守るならそういう時も守れよ
変な男に言いくるめられたらお前ら責任とれんのか
19歳と結婚する37歳は男でも女でもキショと思うけど、別に良いとか悪いとかみたいな理由はなくて、単純にキモいな〜って思うだけ。友達がめっちゃ年上の恋人連れててドン引きする感覚と一緒。グルーミングとか搾取とかそういう倫理的に悪いとか社会的にどうとか全くそういうのはなくて、ただただうわ〜そこ行くんだみたいな。
でもそれと同じくらい、赤の他人で面識もなければこの話題になる以前絶対知らなかっただろみたいな人が親目線で心配してるのがキショすぎる。19歳の性格も思想もそれまでの人生も何も知らない人間が、19歳女性ってだけで急に自分の庇護下に押し込んで勝手に語り出すの、過干渉すぎて一種の虐待じゃないかと思うわ。
別に自分の感覚なんだから19歳と結婚する37歳キモすぎるだろ!だけでいいのに、正しい人間でいたいからってそんなこと言い出すのキショい。将来三船美佳みたいになるかも!ってそれはもうその時に当人が後悔するしかない。だってもうその人の人生だから、今自分で決めたんだから仕方ない。その人が19年生きてきて37歳のおっさんがいいって今思うんだったらそれがベストなんだろ。受け入れる37歳のおっさんはキモいけど、19歳の自己決定に全くの他人が親目線で語ってるのも同じくらいキモい。
って言うか三船美佳とはまたパターンが違うだろ。16歳と40歳はキモさが違う。本当にキモい。19歳もまあまあ子供だけど16歳は本当に子供。
そういう次元の問題じゃあないんだね。ただひたすらに頭がおかしいとしか言えない
自認・自己決定で全てを決めるべきを押し通すなら、
トランスエイジ(本人の自認する年齢と実年齢が違う)もトランスレイシャル(本人の自認する人種・国籍と実際の国籍やルーツが異なる)を認める他ないよね
『個人のアイデンティティ形成は、個人の自己決定に基づいて形成されるべき』は支持するよ
建前とかじゃなくて本気でね
『今日から僕はおばあちゃんでーーーす』『17歳でーーーす』『アフリカ系アメリカ人でーーーーす』とか言われても社会は困っちゃうのよね
社会のロールで人を縛らない世の中にしていこうには賛同するけど、
戸籍法や厚生労働省履歴書様式例のテンプレートとの整合性はつけて欲しい
でもこれ国公立大学内でミスコンやってたりするの許容してるのと根っこは同じだと思う
この時代にあえて「男らしさ」「女らしさ」
ほんとジャップランドはなるべくしてこうなったって感じですわ
ここで言及されている概念GとAとRは「自認・自己決定で全てを決めるべきという理念に基づいている」という共通点を持っているから同じカテゴリだとみなされているのであって
IQを自慢する自称Mensa会員や、何の実績もないのにIQだけが自慢の一部の人々を見て、皆さんも思ったことがあるかもしれませんね。彼らは、あくまでIQだけが全てで、その自己陶酔に陥っているように思えます。しかし、その自己陶酔がどれほど無益であるかに気づいていないようです。
同様のことが学歴にも当てはまります。本当に自信を持っている人々は、自分の学歴について口にする必要はありません。学歴の話をするのは、自分自身を高めようとせず、他人よりも優れているように見せかけるための努力をしている負け犬の典型です。実際には、学歴だけが自己陶酔の対象で、それ以外の価値観やスキルについては深く考えていないことがよくあります。
私はさらに進んで、「学歴は不要である」と言いたいと思います。この立場は、個人の存在そのものを尊重する哲学から出発しています。人間は生まれながらにして意味を持つ存在であり、その存在自体には不可欠な価値があるのです。学歴やスキルは、私たちの存在を完全に定義するものではありません。
また、この立場は、個人の自己決定と自由意志を強調します。人間は自分の道を選び、自分自身の目標や価値観に基づいて行動する自由意志を持っています。学歴に縛られず、自分の道を切り開くことは、個人の自己実現と自己表現に対する尊重を意味します。
そして、「学歴不要論」は、アイデンティティの多元性を尊重する視点からも支持されます。個人のアイデンティティは学歴やスキルだけでなく、文化、価値観、信念、感情など、多くの要素によって形成されています。アイデンティティは固定的なものではなく、変化し成長するものとして捉えられます。
さらに、個人が自己認識や人生の目的について深く考え、内面の豊かさを追求することは、知識やスキルだけでは到達できない領域における重要な価値を示唆しています。
学歴の不要性を認識することは、社会的公正と機会均等にも関連しています。学歴が不要であることは、社会的なバリアを取り払い、異なるバックグラウンドや状況の個人に公平な機会を提供する手段となるのです。
山本一郎の記事で「本件についてツイッターで言及してるのほぼ女性」みたいなことを言っていた。
そんなこたねーだろってまず直感的に思ったわけだが、身近にケースがあった。
ここでは増田の父のケースから、男性から見たジャニーズ問題へのあれこれについて書く。
昨日、父親がテレビの報道を見ながら「嫌なのに嫌と断れなかった軟弱者たちだろ」とぼやいていた。
ツイッターとか会見のYouTube配信に湧いてた醜悪なコメと大差なく、普通にセカンドレイプで不快だったので軽い口論に。
結果、納得させることはできず、そのまま中井貴一の出てる時代劇にチャンネルを変えて停戦。
あ〜こういうコメントする人ってこういう心性のパターンもあるのか…しかもそれが父だったのか…とちょっと落ち込んだ。
・関東圏の田舎在住。コンビニとか徒歩圏内に存在しない結構ガチの山奥。
・現在は父と母ふたり暮らし。両親共に移住者で増田は田舎で育った。本件は帰省中のできごと。
・父は高卒で建築業に就き、結婚し移住後は林業従事者。芸能的な世界とは一切縁がない。
・しかしメインの娯楽はテレビであるため、ニュースで取り扱われるLGBTQとか生成AIとかそういう話題は知っている。
・もちろん「ネット」は見るが我々の思う「ネット(はてな、各種SNSなど)」にアクセスすることはないと思われる。
・プチ左翼。父と仲のいいひとに赤旗新聞購読者がいる。基本的に反自民。
あくまで想像しかできないが、父は「反権力」的な思想を持ちつつ、しかしある種の「自己決定論者」であるためにジャニーズ問題については上のような発言をしたのだと思う。
他のお茶の間パネラー発言を思い返すと、「LGBTQ政策はすすめるべき、なぜなら個人の決定が最大の権力となるべきだから(意訳)」と言っていた。トランスヘイトとかもない。
おそらく、移住者であるという点も重要。越してきたばかりの頃に一定の村八分があったことを聞いている。
それを跳ね除けて現在村議会などにも参加しているという経緯が自己決定論的な心性を育んだのだと思う。増田個人として、そういう父にある程度の尊敬はある。
増田も少しばかり現場系の仕事をしたことがあるが、危険が伴う肉体労働の現場においては、「反権力」と「自己決定論」が至極マッチョに培われる空気がある。
「大学行ってるのにバカだよな」「政治家とか全員頭悪い」「生活保護とかクソだよな」
というのの一部は増田が受けた非難であるが……裏返せば、「自らの選択でキツイ労働をしている自分らほど独立心が強くエライ者はいない」。
まるっきり同じトーンで、かつて、ブラウン管の中のジャニーズタレントを父は非難していた。
放送局の権力に首輪を繋がれ、思考力がなく、筋力もなく、暴力にも見舞われず、美貌だけで父の何十倍もしくは何百倍も稼いでいるから。同じ男なのに。
しかしニュースにより判明したことというのは、放送局の手綱を握っていたのはほかでもないジャニーズ事務所だということ、所属するタレントらは暴力をふるわれていたことである。
情報強者の方は、それは何十年も前に明らかになっていただろう、というかもしれないが、それはお茶の間コメンテーターの父には届いていなかった。
さて2023年BBCの徹底追求以降の現況であるが、ネットではジャニーズ被害者を「負け組のおっさん」と叩き、金銭の要求など筋が通らないだろうという反論が噴出している。
以下、その日の会話(なお、この会話の間母は黙々と家事をしていた)。
父「嫌なら嫌といえばいいだけだろう」
父「未成年だろうが関係ねえよ。だいたいやりたくてやってんだろ」
増「いまさらもなにも、一度つけられた傷だよ。補償されるのは筋が通ると思うけど」
父「実力がなかったやつらなんだろ、売れてるやつらも同じこんなら、こいつらだけ金もらうのはおかしいだろ」
あれ? たぶん、増田が子供だった頃に攻撃対象だった「軟弱者(=テレビに出ているジャニーズ)」が擁護対象になっている。
さらなる「軟弱者(=ジャニーズ被害者)」の登場により、デビュー組が相対的に強者へとスライドしたのである。
父と同じ強者に仲間入り! なるほどそういうことか。
…という結論は今まさに思いつくままに書いていて導き出されたわけであるが、ウーム、これを一般化するならば、こういう心性により被害者バッシングする男性もいるのだろう。
少なからず誰もが美醜を問われてめんどくせえ世間に生きて、ジャニーズそのものに対して複雑な感情をもつ男性って思ってるより多いと思う。
だからジャニーズの瓦解を祈る男もいるし、今話したケースみたいに屈折しまくってなぜか被害者組を非難する男もいる。山本一郎は適当なこというな。
そしてふたたび増田家の話に戻ると、過去、屈強な父権で一家を統べた父が、白髪も増え腰を痛め事実弱体化したというのもあろうが、帰省した増田が「こんな優しかったっけ?」と思う程度には軟化したのは、強権をふるった過去を取り繕おうとしているのではないか、と、ちょっとセンチな気分にすらなっていたところの本件であったから、だいぶショックというか、はっきりいって気まずい。と同時に、マッチョ思想の根深さを知るというか、マッチョ思想の卑怯な面を見てしまったというか。そのことが一番悲しいかも。書いてて悲しくなったからここらで。終。
女性が自身の自己決定として、ミニスカやへそ出しなどのファッションをする
女性が自身の自己決定として、セクシーな格好でアイドル活動する
胸を大きく描くこともアウト
創作によって提供される情報が、性的消費を肯定している、みたいな作りなんだけど
生物として、女性に魅力を感じないとか、そっちのほうが不自然じゃん?
で、対応したコードを実践したときには、特定の対象には評価されたいはずなのよ
でなければ、「化粧変えてみた」とか「髪切ってみた」とか心底どうでもいいことになるはずで
それに反応しないといけないのおかしいじゃん
意中の男が「いいね」と思う格好は、そのへんの有象無象も「いいね」って思うんだよ
だけども、フェミの理屈を聞くと、平常時は全員まったく無反応無関心であるべきで
でもでもでもでも
女性がそれを評価して欲しいまさにそのジャストタイミングだけにおいては
相手はそれをきちんと評価して、相応の反応することが求められるわけ
馬鹿かと思うんだよね
共通善について考える時は宗教に縋りたくなるが、こういうあたおか(anond:20230709093244)を見るたびに
神が男女を作ったの宗教はやはり悪ってなる
神が男女を作ったので、宗教の人的には、男 or 女 でないと困っちゃうんだよね
『神はAさんを男として作ったが、たまたま外性器異常があった』と考える方が宗教の人的に受け入れやすいのよ
例えば、この増田→https://anond.hatelabo.jp/20230406130433# も性別は二値しかないって言い切って譲らず、
肉体的に男女どちらでもない人たち(性分化疾患(DSD))は4,500~6,000人に1人の割合で出生するので言うほど稀じゃないと言っても通じない
彼・彼女らいわく、脳の性・性自認というアイデンティティーはすべてに最優先され尊重されるべきなのだそう
ワイは、『個人のアイデンティティ形成は、個人の自己決定に基づいて形成されるべき』は支持するけど、
『自分が何を言ってるか理解出来ていない人』(相変わらずブクマカはヤベー→https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230403064024)と、
『宗教に基づいた男女観を持っている。それに配慮しろ』ってちゃんと言えない人は、支持できない
ついでに社会に男女の固定の役割があり、身体を改造しないと固定の役割が出来ないって発想はマジで病気だと思う
病気でもなんでもいいから今すぐ男(もしくは女)の役割で生きたくて気が狂いそうなので
改造するねは大人なら個人の自由だから止めないけど、これから生まれてくる子どもにそれを伝えるのは違うと思うわ
他の増田も言ってたけど、男女どちらの性別であっても、どんな生き方もどちらの服装も自由に出来るを社会が保証すればいいだけ