はてなキーワード: 外交的とは
追記:
いっぱい見てくれてありがとう。
もちろん、事実も真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想や憶測や曲解や邪推で補完して膨らまして、
俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう。
それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。
でもまあ、それはいいんだよ。
それが欲しくて増田に書いたし、
俺は生きてるから。
俺の言動の意図がねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、
俺自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、
俺は生きてるから。
死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。
死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。
自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。
漫画家さんの自殺はテロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。
自殺者の自死をテロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。
俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。
だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。
こういう現実が、こういう思想で自殺にメリットを感じる価値観と地続きと思う。
https://anond.hatelabo.jp/20230715095602
妻子を気に掛けたくれた人もありがとう。
俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう。
これ以上自殺の呪い(と言い換えます。テロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。
人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものだから、切ないね。
無意識のうちに、自分の妄想や憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。
追記ここまで
妹はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。
気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーやリスカやハンストで家族を萎縮させる。
妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものだから、
とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。
勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、
つまり社会生活に不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。
俺たち家族はほっとした。実家の環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。
あの子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。
妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世帯住宅を建て、両親を呼んだ。
実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたときの痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。
妹が壁に書き込み続けた呪詛の言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。
リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。
今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。
旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。
俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。
一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。
今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。
妹にとって、自分の実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、
自分の親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。
嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。
なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、
先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。
この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。
妹が嫁いで8年くらいの頃かな。
「妹が離婚する」って。
妹から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話で旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。
俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。
もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?
もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?
俺には子供が二人できていた。
言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。
仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。
離婚なんてしなくても済むはずだ。
母はその晩、妹に電話をかけた。
離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。
だから、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。
今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。
妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。
俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。
旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。
俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものだから、両親を残して通夜だけでお暇した。
旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。
この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族に迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。
そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。
俺は本当に浅ましかった。
あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊したかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。
そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。
そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか。
旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。
旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。
はやくこの地を離れたい。
そういう気持ちでいた。
あれから2年が経った。
1周忌は仕事を言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。
今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。
曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。
そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。
そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺だからなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。
法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。
旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物や食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。
2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。
思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。
だから、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。
記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。
幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、
脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。
だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、
妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。
今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。
分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。
妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごまで蔑ろにしてしまったかな。
あの頃俺がつらかったのも事実だし、
そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。
母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。
俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあんな電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。
妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。
俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。
俺の子どもたち、母にとっては孫であるこの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまったことの前では、無価値なのかなあ。
父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから、認知症も進行したように思う。
ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。
俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。
こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。
いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。
最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。
だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分の記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。
それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。
俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。
そして母への怒りを感じた。
俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目だからって、俺に頼り切りでなく、大人として責任を果たしてほしかったよ。
妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。
あの子を病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか。
俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。
色んな感情が渦を巻く。
妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。
妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分の重要性を知らしめたかったのではないか?
他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。
他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。
まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、
妹の思うつぼだということだ。
でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。
本当に逃げたかっただけだ。
俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしまう現実から。
見捨てられる恐怖から。
もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまったかもしれないじゃないか。
そんな弱い子でもない。
あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。
怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。
自殺だって、彼女が彼女なりに選択をしたことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。
同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。
だから、外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測や妄想をして、勝手に因果関係を見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。
とにかく。
自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、
外野が勝手に悲劇のエッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。
にしてもだ、自殺って脳天気なバカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。
自分のクソデカ感情をシェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。
発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。
しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。
フィクションじゃないんだよ。病死や事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。
自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。
自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。
生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。
俺は芸能人や有名人が自殺しても勝手な憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。
死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。
本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。
お互い選び選ばれる側だし、自分のスペックやプロフィール、コミュ力によっては選ぶ側の比率が高かったりする。
就活みたいな変なテンプレ質問もないし盛るとか嘘とかも基本やらない。意味ないし。
自分は自宅大好きマンだし内向的だけど、コミュスキルはそこそこあるし喋るのは好きだからお見合いはまあまあ楽しんでやってる。
あと、婚活の捉え方とか感じ方って人によって違い大きいような気がする。
増田の言う「相性良い人」のレベルが全然わからないけど、普通に婚活してても結婚まで数年かかる場合もあるから「自分から動かないと機会なんて永遠に訪れない」とは思っといたほうが気楽かも。
外交的で男女がいる仕事以外のコミュニティに属してて定期的に会ってて…とかなら可能性はあるかもしれないけど、それだったら恋人ぐらいはいそうな気はするなあ。
長すぎたし読みづらかったので結論だけ先に書く。
(追記)それでも読みづらかったので改行を入れまくった。
それを満たせるだけの大物という意味では、やはり池田大作はひとかどの人物であったのだろうとは思う。
しかしそれだけで内閣総理大臣名で追悼文を出すレベルの文化人だったと言えるだろうか。多分言えないんじゃないかな。
結論終わり。
この結論になった経緯を以下にだらだらと書いているので、暇な人は読んでみてほしい。
---------------
岸田首相が内閣総理大臣名で池田大作への追悼文を出し、賛否両論を浴びている。特にX上でこれを擁護するポストには大まかな類似性があり、興味深い。
彼らの言い分はこうだ。
池田大作は世界中の著名な大学からおびただしい数の名誉博士号を、そして国連から国連平和賞を授与された世界的な文化人であるからして、総理大臣が追悼文を出すのは妥当である。
このうち名誉博士号についてはしばしば「金で買った」という噂が飛び交っている。ディプロマミルと呼ばれる詐欺的な学位授与団体が現実に存在することを踏まえての推測だろうが、真偽は判然としない。
そもそも池田大作は創価大学の創立者ということになっているのだから、提携している大学に要請すれば名誉学位程度は手軽に得られるのではないか。正規の手段とまでは言わないが、少なくとも大手を振って見せびらかすことができるルートで手に入れた学位なのではないかと思われる。
とはいえ、いくら数百もの名誉博士号を持っていても、それだけで現役の総理大臣が追悼文を出すのは尋常なことではない。
そのシンプルな文字列からは権威性がほとばしってやまない。誰がどう見たって「国連が平和活動の関係者に対して贈る賞なのか」とひと目で分かる。
X上では「国連平和賞だけはガチの実績がないと取れない」「国連平和賞が金で買えると思ってんの?w」等のポストが散見される。
ただ引っかかるのは、私が「国連平和賞」なる言葉を知ったのは今回が初めてだということである。
俺が知らなかったのにネットで逆張りイキりしてる有象無象が知ってたわけねえだろ。
そう思ったので少し調べてみた。
皆も検索してみてほしいが、まず国連平和賞をGoogleで検索すると以下のような検索結果に大別される。
実質的にwikipediaくらいしかまともな情報源がないので眺めてみる。
概要についてはこうあった。
> 国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ。国連ピース・メダルとも日本語表記される[1]。受賞者には、ミュージシャン、文化活動家、政治家、宗教家、映画監督などがいる
「国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」とはっきり書かれている。これは驚いた。本当に国連が授与している賞らしい。実はまともな賞なのか?
沿革について。
> 第3代国際連合事務総長ウ・タントによって創設された[2]。各国代表が習慣的に贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになった[2]。また、国際連合総会総長として尽くしたものにも授与される[2]。
ごめんやっぱりまともじゃないかも。
贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになったって......もしかしなくてもコネってこと?
まあコネは金で買える場合とそうでない場合があるので「金で買えない」のは部分的に正しいのかもしれない。
日本人受賞者を眺めてみると、政治家は岸信介、福田赳夫、笹川良一など錚々たる顔ぶれ。宗教関係者では池田大作と立正佼成会青年部......どっからどう見ても国際勝共連合で草生える。これにはマザームーンもニッコリ。てかマザームーンいないの?逆に。
まあ共産主義と戦うことは、広義の平和活動なのかもしれない。国連は立場的にそれでええんか?
冗談はさておき芸術家系の受賞者はあまりそういった政治色はなさそうなので、そういった政治性のある賞ではないようにも見えた。
海外の受賞者にもそういった激烈な党派性は見当たらないので、やはり仲良しグループでコネコネしたという方がしっくり来る。
日本語ではこれ以上まともな情報が出てこなかったので英語で検索することにした。
幸いなことに日本語版wikipediaには "United Nations Peace Medal" という英語表記が載せられている。これで検索すれば国連公式の受賞者リストや受賞基準などが出てくるかもしれない。
United Nations Peace Medalが大量に出品されている (https://jp.mercari.com/search?keyword=united%20nations%20peace%20medal)。
いやそうはならんやろ。何で急にそうなるんだよ。
もしかして界隈では昔から有名な案件だったりするのか?わけがわからん。急に胡乱な話になってきたな。
商品紹介ページを見ていると「国連本部のビルで売ってた」とか「昔は国連に寄付すると記念品としてもらえた」という話が出てきた。なるほどね。なるほどね?
そしてやはり、国連公式の説明文書が引っかからない。United Nations Medalについてはヒットするものの、これは国連の平和維持活動に参加した軍人や警察官に贈られるものと記述があるため、明らかに宗教関係者が授与されるようなものではなさそうだ。
実際日本語版のwikipediaにも「国際連合がPKO要員へ授与するUnited Nations Medal(国連メダル)とは別物である。」とある。
> The United Nations Peace Medal is a commemorative medal produced by the United Nations to promote peace. First made by Franklin Mint in 1971,[1] a new design is produced annually, with limited editions offered for sale in gold, silver, and bronze.[2] Gold medals may be formally presented by UN officials as a diplomatic gift to heads of state, former UN Secretaries-General, and dignitaries visiting the UN Headquarters.[3][4]
「国連平和メダルは、平和を推進するために国際連合が制作した記念メダルです。(中略)。毎年、新しいデザインが制作され、金、銀、銅の限定版が販売されています。金メダルは、国連の高官によって国家元首、元国連事務総長、国連本部を訪れる要人に対する外交的な贈り物として公式に授与されることがあります」
なるほどね。完全に理解した。
私は国連平和賞を胡散臭い賞ではないかと推測したが、それは誤りだった。そもそもこれは「賞」ではない。何というかその......メダルだ。
この訳は流石にミスリードを狙っているとしか思えない。訳した奴は一生反省し続けてほしい。
「国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」
この日本語版wikipediaの記述があまりにも味わい深い。
なるほど、嘘は書いていなかったのだと深く理解できるし、叙述トリックを受けていたかのような感動がある。wikipediaで叙述トリックをするなナメてんのか?
流石に爆笑しかけたが、英語版のwikipediaの内容が捏造されている可能性も当然ある。
そもそもこれを外交的な贈り物としていたのなら、国連の公式ソースがあってしかるべきだ。しかしそれが見当たらないのはどういうことか。
wikipediaの脚注を見ると、公式文書があるようだがリンク切れしている。
幸いなことに国連のデジタルライブラリー (https://digitallibrary.un.org/) にあったので見てみると、なるほど確かに一般人にも売っていたらしい (https://digitallibrary.un.org/record/98028?ln=en)。
メダルの図柄が記載されているほか「国連の職員は20%割引があるよ!」とか書いていて少し笑える。どうも注文書らしいフォーマットだ。
また公式ではないが1981/10/18に書かれたNew York Timesの記事 (https://www.nytimes.com/1981/10/18/arts/numismatics-the-value-of-smart-long-term-investments.html) にもメダルについての記載がある。
この記事は「堅実な投資先としてコインって案外良いんじゃね?」という少し頭の悪そうな内容の記事だが、そこでUnited Nations Peace Medalについての記載があった。
「1981年の国連平和メダルはフランクリン造幣局によって製造されている。(中略)。この作品は、クルト・ヴァルトハイム国連事務総長が各国首脳やその他の訪問高官に公式に贈るために鋳造されているほか、コレクター向けに限定販売されている」
「ゴールドとシルバーのバージョンはどちらも直径39ミリで、価格はそれぞれ1200ドルと55ドルである」
どうやらそういうことらしい。
また、Encyclopedia of Violence, Peace, and Conflict という書籍のp.799でもその旨の記述がある。
URL: https://books.google.co.jp/books?id=TG2kN033mDkC&lpg=PP1&ots=6bsz6qC8-W&dq=Encyclopedia%20of%20Violence%2C%20Peace%20and%20Conflict%2CAcademic%20Press%2C&lr=lang_ja%7Clang_en&hl=ja&pg=PA799#v=onepage&q&f=false
> It is presented to heads of state in the course customary exchanges of gifts, and to those who have served as president of UN General Assembly
「恒例の贈り物交換の際に各国首脳や国連総会議長を務めた人物に贈られる」とある。
高官たちの贈答品交換の際に、国連側の贈答品のオプションとしてあるのだろう。つまり寄付の代価ということにもなりうるのか?
しかしそうなると芸術家に対して贈られているのはよく分からない。というのも、このメダルは元々パブロ・カザルスという著名な音楽家に対して贈られたものらしい。
もしかして平和活動を行う芸術家に対しては真面目に選考して授与しており、政治家たちには贈答品として授与しているということだろうか。
ともあれ特段表に出ている授与基準はなく、もっぱら国連事務総長をはじめとする高官がわりとノリで渡せる程度のものであるらしいことは分かった。そもそも同じ物を1200ドルで売っていたのだから......。
岸田首相が内閣総理大臣名で池田大作への追悼文を出し、賛否両論を浴びている。特にX上でこれを擁護するポストには大まかな類似性があり、興味深い。
彼らの言い分はこうだ。
池田大作は世界中の著名な大学からおびただしい数の名誉博士号を、そして国連から国連平和賞を授与された世界的な文化人であるからして、総理大臣が追悼文を出すのは妥当である。
このうち名誉博士号についてはしばしば「金で買った」という噂が飛び交っている。ディプロマミルと呼ばれる詐欺的な学位授与団体が現実に存在することを踏まえての推測だろうが、真偽は判然としない。
そもそも池田大作は創価大学の創立者ということになっているのだから、提携している大学に要請すれば名誉学位程度は手軽に得られるのではないか。正規の手段とまでは言わないが、少なくとも大手を振って見せびらかすことができるルートで手に入れた学位なのではないかと思われる。
とはいえ、いくら数百もの名誉博士号を持っていても、それだけで現役の総理大臣が追悼文を出すのは尋常なことではない。
そのシンプルな文字列からは権威性がほとばしってやまない。誰がどう見たって「国連が平和活動の関係者に対して贈る賞なのか」とひと目で分かる。
X上では「国連平和賞だけはガチの実績がないと取れない」「国連平和賞が金で買えると思ってんの?w」等のポストが散見される。
ただ引っかかるのは、私が「国連平和賞」なる言葉を知ったのは今回が初めてだということである。
いや国連平和賞って何だよ。俺が知らなかったのにネットで逆張りイキりしてる有象無象が知ってたわけねえだろ。絶対胡散臭い賞だってこんなの。
そう思ったので少し調べてみた。
読者の皆さんも検索してみてほしいが、まず国連平和賞をGoogleで検索すると以下のような検索結果に大別される。
実質的にwikipediaくらいしかまともな情報源がないので眺めてみる。
概要についてはこうあった。
> 国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ。国連ピース・メダルとも日本語表記される[1]。受賞者には、ミュージシャン、文化活動家、政治家、宗教家、映画監督などがいる
「国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」とはっきり書かれている。これは驚いた。本当に国連が授与している賞らしい。実はまともな賞なのか?
沿革について。
> 第3代国際連合事務総長ウ・タントによって創設された[2]。各国代表が習慣的に贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになった[2]。また、国際連合総会総長として尽くしたものにも授与される[2]。
ごめんやっぱりまともじゃないかも。
贈答品の交換を行っているうちに贈呈されるようになったって......もしかしなくてもコネってこと?
まあコネは金で買える場合とそうでない場合があるので「金で買えない」のは部分的に正しいのかもしれない。
日本人受賞者を眺めてみると、政治家は岸信介、福田赳夫、笹川良一など錚々たる顔ぶれ。宗教関係者では池田大作と立正佼成会青年部......いやあのこれどっからどう見ても国際勝共連g(ry)。これにはマザームーンもニッコリ。てかマザームーンいないの?逆に。
共産主義と戦うことは、広義の平和活動なのかもしれない。実際一理あるかもしれない。国連は立場的にそれでええんか?というツッコミは置いておこう。
冗談はさておき芸術家系の受賞者はあまりそういった政治色はなさそうなので、そういった政治性のある賞ではないのだろう。
海外の受賞者にもそういった激烈な党派性は見当たらないので、やはり仲良しグループでコネコネしたという方がしっくり来る。
日本語ではこれ以上まともな情報が出てこなかったので英語で検索することにした。
幸いなことに日本語版wikipediaには "United Nations Peace Medal" という英語表記が載せられている。これで検索すれば国連公式の受賞者リストや受賞基準などが出てくるかもしれない。
United Nations Peace Medalが大量に出品されている (https://jp.mercari.com/search?keyword=united%20nations%20peace%20medal)。
いやそうはならんやろ。何で急にそうなるんだよ。
もしかして界隈では昔から有名な案件だったりするのか?わけがわからん。急に胡乱な話になってきたな。
商品紹介ページを見ていると「国連本部のビルで売ってた」とか「昔は国連に寄付すると記念品としてもらえた」という話が出てきた。なるほどね。なるほどね?
そしてやはり、国連公式の説明文書が引っかからない。United Nations Medalについてはヒットするものの、これは国連の平和維持活動に参加した軍人や警察官に贈られるものと記述があるため、明らかに宗教関係者が授与されるようなものではなさそうだ。
実際日本語版のwikipediaにも「国際連合がPKO要員へ授与するUnited Nations Medal(国連メダル)とは別物である。」とある。
> The United Nations Peace Medal is a commemorative medal produced by the United Nations to promote peace. First made by Franklin Mint in 1971,[1] a new design is produced annually, with limited editions offered for sale in gold, silver, and bronze.[2] Gold medals may be formally presented by UN officials as a diplomatic gift to heads of state, former UN Secretaries-General, and dignitaries visiting the UN Headquarters.[3][4]
「国連平和メダルは、平和を推進するために国際連合が制作した記念メダルです。(中略)。毎年、新しいデザインが制作され、金、銀、銅の限定版が販売されています。金メダルは、国連の高官によって国家元首、元国連事務総長、国連本部を訪れる要人に対する外交的な贈り物として公式に授与されることがあります」
なるほどね。完全に理解した。
私は国連平和賞を胡散臭い賞ではないかと推測したが、それは誤りだった。そもそもこれは「賞」ではない。何というかその......メダルだ。
この訳は流石にミスリードを狙っているとしか思えない。訳した奴は一生反省し続けてほしい。
「国連平和賞(こくれんへいわしょう、英語表記:United Nations Peace Medal)とは、国際連合が発行するメダル顕彰のひとつ」
この日本語版wikipediaの記述があまりにも味わい深い。
なるほど、嘘は書いていなかったのだと深く理解できるし、叙述トリックを受けていたかのような感動がある。wikipediaで叙述トリックをするなナメてんのか?
流石に爆笑しかけたが、英語版のwikipediaの内容が捏造されている可能性も当然ある。
そもそもこれを外交的な贈り物としていたのなら、国連の公式ソースがあってしかるべきだ。しかしそれが見当たらないのはどういうことか。
wikipediaの脚注を見ると、公式文書があるようだがリンク切れしている。
幸いなことに国連のデジタルライブラリー (https://digitallibrary.un.org/) にあったので見てみると、なるほど確かに一般人にも売っていたらしい (https://digitallibrary.un.org/record/98028?ln=en)。
メダルの図柄が記載されているほか「国連の職員は20%割引があるよ!」とか書いていて少し笑える。どうも注文書らしいフォーマットだ。
また公式ではないが1981/10/18に書かれたNew York Timesの記事 (https://www.nytimes.com/1981/10/18/arts/numismatics-the-value-of-smart-long-term-investments.html) にもメダルについての記載がある。
この記事は「堅実な投資先としてコインって案外良いんじゃね?」という少し頭の悪そうな内容の記事だが、そこでUnited Nations Peace Medalについての記載があった。
「1981年の国連平和メダルはフランクリン造幣局によって製造されている。(中略)。この作品は、クルト・ヴァルトハイム国連事務総長が各国首脳やその他の訪問高官に公式に贈るために鋳造されているほか、コレクター向けに限定販売されている」
「ゴールドとシルバーのバージョンはどちらも直径39ミリで、価格はそれぞれ1200ドルと55ドルである」
どうやらそういうことらしい。
また、Encyclopedia of Violence, Peace, and Conflict という書籍のp.799でもその旨の記述がある。
URL: https://books.google.co.jp/books?id=TG2kN033mDkC&lpg=PP1&ots=6bsz6qC8-W&dq=Encyclopedia%20of%20Violence%2C%20Peace%20and%20Conflict%2CAcademic%20Press%2C&lr=lang_ja%7Clang_en&hl=ja&pg=PA799#v=onepage&q&f=false
> It is presented to heads of state in the course customary exchanges of gifts, and to those who have served as president of UN General Assembly
「恒例の贈り物交換の際に各国首脳や国連総会議長を務めた人物に贈られる」とある。
高官たちの贈答品交換の際に、国連側の贈答品のオプションとしてあるのだろう。つまり寄付の代価ということにもなりうるのか?
しかしそうなると芸術家に対して贈られているのはよく分からない。というのも、このメダルは元々パブロ・カザルスという著名な音楽家に対して贈られたものらしい。
もしかして平和活動を行う芸術家に対しては真面目に選考して授与しており、政治家たちには贈答品として授与しているということだろうか。
ともあれ特段表に出ている授与基準はなく、もっぱら国連事務総長をはじめとする高官がわりとノリで渡せる程度のものであるらしいことは分かった。そもそも同じ物を1200ドルで売っていたのだから......。
結論:
「国連平和賞」は賞ではない。普通に買えるし、コネがあると貰える。
「国連平和賞はマジで実績が必要」は完全な間違いであることが分かった。何故ならそのような賞がないので。
「国連平和賞が金で買えると思ってんの?」はジョークとして奇跡的な完成を見せている。United Nations Peace Medalはまさしく金で買えるものだった。インターン生も含めた国連職員にはディスカウントもあるよ!
「池田大作は国連平和賞をもらえるほどの文化人だった」という主張には一考の余地がある。というのも、United Nations Peace Medalを「もらう」ことは一般人にとって極めて難しい。それを可能にする人脈と知名度、そして最低限与えても問題ないだけの外面が要求されるだろう(A級戦犯被疑者の岸信介と笹川良一がもらえるんだから大抵の瑕疵は何とかなるのだろうが)。それを満たせるだけの大物という意味では、やはり池田大作はひとかどの人物であったのだろうとは思う。
イスラエルへの攻撃中、ハマス過激派は北朝鮮製の武器を使用したとされる。これは、イスラエル国防軍(IDF)が公開した鹵獲兵器の写真の専門家の分析によって示された、とポータルNKニュースは書いている
写真では、イスラエル兵士が北朝鮮製F-7手榴弾発射装置用に鹵獲した手榴弾について話し合っている。
「このモデルはソ連の有名な携帯手榴弾発射装置RPG-7をベースにしているが、北朝鮮の弾には弾頭の周りに真っ赤な線が入っている」と軍事専門家のジョスト・オレマンスは言う。
同氏によると、北朝鮮政権と政治的に協力している中東諸国では、同様の手榴弾発射装置とその弾薬が「定期的に出現」しているという。しかし、北朝鮮の兵器の使用はまだ直接の供与を示すものではないとオリマンズ氏は強調する。
同アナリストによると、同グループはパレスチナ人と北朝鮮の間の仲介役を務めたイランや、他の武器供給国である可能性のあるエジプトやシリアからこうした武器を供給された可能性があるという。
NKニュースの記者たちは2021年に北朝鮮とハマスの協力について報じた。北朝鮮の前指導者、金正日氏は駐平壌パレスチナ大使ムスタファ・サファリニ氏の個人的な友人であり、ファタハ運動の指導者ヤセル・アラファト氏は数回平壌を訪問し、金一家を「重要な同盟国」とみなした。シオニズムとの戦いだ。」
1970年から1990年にかけて、北朝鮮軍は、1972年のミュンヘンオリンピックでテロ攻撃を行った「黒い九月」グループのメンバーを含む多数のパレスチナ過激派を訓練した、とポータルコラムニストのベンジャミン・ヤング氏は指摘する。
2014年、イギリスのジャーナリスト、コン・コフリンは、イスラエルの軍事技術者の話として、ガザ地区の地下にトンネルを建設するためのミサイル、通信機器、技術と引き換えにハマスが北朝鮮に数十万ドルを支払ったと述べた。
同年、分析OSINTポータルのオリックスは、北朝鮮が第三国の艦艇を通じてカッサム旅団にファゴット対戦車ミサイルシステムの現地モデルを供給していること、また北朝鮮製の対戦車誘導ミサイルやミサイルが販売される可能性があることについて書いた。パレスチナ人に携行可能な対空ミサイルシステム。
北朝鮮中央通信社(KCNA)のコラムニスト、リ・グァンソン氏は10月13日に掲載したコラムで、パレスチナ組織との関係に関する疑惑をすべて否定した。
「米政府に雇われたメディアと似非専門家は、イスラエルへの攻撃に「北朝鮮製兵器」が使用される可能性について、捏造された根拠のないバージョンを広めている。これは、<...>我々が「外交的脅威戦略」を使用するという不合理な偽情報である。 」と地域の緊張を悪化させている。米国の邪悪な意図は明らかだ」と彼は書いた。
NK News: Северная Корея может поставлять оружие ХАМАС RTVI
先日はてブで見た「インターネットが変わった」といった内容の記事と同じようなことを感じて14年間使ったアカウントを3ヶ月前に削除した。
この3ヶ月間を振り返って感じたことを書いてみる
・Xを見なくてもなんの問題もないしむしろ個人的には見ない方がいいとさえ思った
もちろん楽しくて楽しくて仕方ない人は辞める必要は一切ないと思う。
ただ、今のインターネットというかSNSを見てるとしんどい、でも辞めるのが不安という人の参考になると嬉しい。
ここに投稿するのは初めてなので何かおかしいところがあったら申し訳ない。
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Xを辞めるにあたって自分が一番心配していたのは「娯楽の情報やライフハックを知ることができなかったり素敵な人や大切な情報を見逃してしまい生活の幅が狭くなったらどうしよう」ということだった。しかし、全然問題なかった。
様々な情報を浴びせられ流されていただけだと気付いた。
「よさそうに見えるもの」を良いと思わされ、誰かに意図的に怒らされたり素敵だと思わされたりしていただけなのかもしれない。
今は自分が本当に求めているもの、自分が本当に思っていることが分かりやすいため快適になった。そして情報を得たい時は行ったことのない場所に行ったり話したことのない人と話したり新しいチャレンジをしてみたり…むしろ人生の幅は広がった。
自分の「いいね」や「悪いね」をいいね数やリツイート数に影響されることがない。
【(一部の)ネットに毒されていたのが治った】
もちろんネットの全てがそうではないが、カジュアルに人の人格や行動や人生を批判したりバカにしたりする風潮、自分と違う意見は叩く風潮ができてしまっている。それは異常なのだと改めて気づくことができた。
「それをリアルで言ったらどう思われる?」というような発言をネットで見たりしていると毒されてしまう。
体が食べたものでできているように、心も見たり聞いたりした言葉でできていることを忘れてはいけないと改めて思えた。
【結局自分の世界は自分の周りだけなのだと気付き、自分や周りの人を大切にできるようになった】
Xに入り浸っていたころはとにかく色んな国、日本の色んな地域、色んな人の良い話悪い話が入ってくる。
もちろん日本や世界で今起こっていることを知るのは大事だが、まずは自分のことに目を向けなければならない。
隣の芝生は青いという言葉があるが、Xを見すぎると隣の庭が異常なほど青く見えたり枯れて見えたり隣の芝生の事情を知りすぎたり隣どころか遠く離れた家の芝生の問題を気にしすぎることになる。しかしそれは自分の仕事ではない。しかもそれらが真実とは限らずむしろデマやプロパガンダも多い。
他人の庭に深入りせず、自分の庭をひたすら手入れすることが自分や自分の周りの人の幸福、ひいては社会の幸福につながるのではないかと思う。大袈裟かもしれないが。
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文章が下手なので伝わらないかもしれないが、とにかく自分はXを辞めてよかった。Xで知り合った友達とはLINEやブログで繋がれているし。
最近のSNSにうんざりしている人はとりあえず削除までしなくとも数日ログアウトしてみたらどうかと思う。意外に大丈夫かもしれない。
文鮮明と統一教会のヤバさ(カルト、洗脳、北、麻薬)についてChatGPTに聞いてみた。
ChatGPT:文鮮明と彼の組織である統一教会に対する評価は多様で主観的である。彼らに対する意見は様々であり、支持者と批判者の両方がいることに注意することが重要である。ここでは、文鮮明と統一教会について提起されている一般的な批判や懸念のいくつかを紹介しよう:
論争の的となっている信仰 文鮮明氏の教えは、しばしば異端視され、様々な宗教界や学界から懐疑的な目で見られてきた。文鮮明自身を「真の父母」や「メシア」とする考えなど、彼の神学的概念のいくつかは、論争を呼ぶ型破りなものとみなされてきた。
カルトの告発: 統一教会は、その階層的な構造、会員の生活に対する厳格な管理、操作や孤立の事例が報告されていることから、カルトであるという非難に直面してきた。しかし、どのような宗教団体であれ、「カルト」であるというレッテルを貼ることは、複雑で論争の的となる問題であることに注意することが重要である。
財務上の懸念: 資金調達、什分の一、財務の透明性に関する問題を含め、統一教会内では財務上の不正行為が疑われている。一部の元会員は、組織に多額の寄付をするよう圧力をかけられたと主張している。
勧誘戦術: 統一教会はその勧誘方法について批判されており、その勧誘方法には新会員を引き付け、維持するための欺瞞的あるいは高圧的な戦術が含まれていると主張する者もいる。このような勧誘方法は、インフォームド・コンセントや個人の自主性についての懸念を引き起こしている。
孤立と家族への影響: 元会員からの報告によれば、統一教会への関与は、その偏狭な性質と集団のアイデンティティを強調するために、時には組織外の家族や友人との緊張した関係につながることがある。
(略)
増田:統一教会が信者に行ってきたマインドコントロールについて教えて
ChatGPT:「マインド・コントロール」という用語は複雑で物議を醸すものであり、宗教的あるいはイデオロギー的なグループ内の様々な心理的・社会的力学を説明するためにしばしば用いられる。統一教会がその信者たちに対してマインド・コントロールと考えられるような行為を行っているという疑惑や懸念がある一方で、ニュアンスをもってこのトピックに接近し、大雑把な一般化を避けることが重要である。
統一教会の一部の批評家や元信者は、統一教会が操作的あるいは支配的と解釈され得る特定の実践を採用していると主張している。以下は、強調されているいくつかの側面である:
外部からの影響からの隔離: 一部の元信者は、統一教会に属していない友人や家族から距離を置くように勧められたと報告している。このような外部からの影響からの孤立は、潜在的にグループとその教えに対する依存感を助長する可能性がある。
集団のアイデンティティーと忠誠心: 統一教会は強い共同体意識とグループの使命に対する忠誠心を強調する。これは個人のアイデンティティよりも集団のアイデンティティを優先させることにつながり、信者の信念や行動に影響を与える可能性がある。
情報の統制: 批評家たちは、特に統一教会に関する否定的な報道や批判に関連して、統一教会が信者が入手できる情報を統制していると主張してきた。異なる視点に触れることを制限することは、信者たちが十分な情報に基づいた意思決定を行う能力に影響を与えるかもしれない。
認知的不協和: 認知的不協和とは、自分の信念や行動が互いに矛盾するときに、個人が不快感を経験する心理現象である。統一教会は、組織の教えを採用し、反対意見を退けることによって認知的不協和を解消するよう信者を奨励しているのではないかという意見もある。
要求の高い行動: 元メンバーからの報告によれば、大規模な資金集めや勧誘活動など、高レベルの献身に従事するようプレッシャーがあったことが示唆されており、これはグループに対する義務感や依存につながる可能性がある。
(略)
ChatGPT:文鮮明と統一教会は、北朝鮮と複雑かつ多面的な関係を築いてきた。この関係は時を経て発展してきたものであり、さまざまな解釈が可能であることに注意することが重要である。以下は考慮すべき重要なポイントである:
初期の関わり: 文鮮明はもともと北朝鮮出身で、朝鮮戦争中に韓国に逃れてきた。宗教活動の初期において、彼は分断された朝鮮半島を和解させたいという願望を表明し、その過程において自らの運動が役割を果たすと考えた。
北朝鮮の指導者との関わり: 文鮮明と統一教会は、北朝鮮と韓国のより良い関係を促進することを目的とした様々なイニシアチブに関与した。これらのイニシアティブには、文化交流、人道的努力、南北朝鮮間の対話を促進する試みなどが含まれる。
ビジネス・ベンチャー: 文鮮明と統一教会は、観光業、製造業、農業など、北朝鮮におけるさまざまな事業に投資した。これらの事業は、南北朝鮮間の経済協力を促進し、統一朝鮮の理念を推進することを目的としていた。
批判と論争: 文鮮明と北朝鮮との交流は、支持と批判の両方にさらされた。批評家たちは、文鮮明のイニシアチブは北朝鮮の体制を正当化する試みと見なされる可能性があると主張し、一方支持者たちは、平和と和解に貢献するための努力と見なした。
政治的・宗教的配慮: 文鮮明が朝鮮半島の統一を提唱し、北朝鮮の指導者たちと関わったのは、政治的動機と宗教的動機の両方によるものであった。文鮮明は、統一朝鮮が世界的な調和と平和のビジョンにおいて中心的な役割を果たすと信じていた。
力学の変化: 時間の経過とともに、文鮮明と統一教会、そして北朝鮮との関係は変化していった。北朝鮮と国際社会との間の緊張を含む外交的、地政学的な動きが、両者の相互作用の性質に影響を与えた。
文鮮明の死: 文鮮明は2012年に死去し、その死は統一教会の北朝鮮との関わりにおける転換点となった。対話と和解を促進するための教会の努力は続いているが、それらは現在、文鮮明の後継者たちによって率いられている。
(略)
増田:南米で犯罪組織が行ってきた麻薬ビジネスの歴史と規模を教えて
ChatGPT:南米の犯罪組織は歴史的に、麻薬取引のさまざまな側面、特にコカインや、それほどではないがマリファナなどの違法薬物の生産と取引に関与してきた。麻薬取引は、この地域に大きな社会的、経済的、政治的影響を及ぼしてきた。ここでは、南米の犯罪組織が行う麻薬ビジネスの歴史と規模について概観する:
コカイン生産ブーム:20世紀後半、南米諸国、特にコロンビア、ペルー、ボリビアでは、コカ栽培とコカイン生産が急増した。1970年代と1980年代がこの拡大のピークであった。
カルテルの支配 この時期、パブロ・エスコバル率いるメデジン・カルテルやコロンビアのカリ・カルテルなど、強力な麻薬カルテルが台頭した。これらのカルテルはコカイン取引の大部分を支配し、暴力と汚職を駆使して事業を維持した。
(略)
規模
コカイン生産: 南米諸国、特にコロンビアは依然としてコカインの主要生産国である。コカインは主にアンデス地域で栽培されるコカ植物から得られる。
ルートと密売: 犯罪組織は、南米から国際市場へ麻薬を移動させる複雑な密売ルートを確立しており、多くの場合、中米やカリブ海諸国を経由地としている。
暴力と腐敗: 麻薬取引は暴力、組織犯罪、汚職と結びついている。犯罪組織は自分たちの利益を守り、競争相手を排除するために武力を行使してきた。
社会への影響: 麻薬取引は暴力を煽り、統治を弱体化させ、南米の一部地域では社会的不安定を助長してきた。また、コカ栽培や麻薬生産活動による環境悪化にもつながっている。
(略)
増田:南米の犯罪組織による麻薬ビジネスによるアメリカ国民の麻薬中毒への影響を教えて
ChatGPT:南米の犯罪組織が行う麻薬取引は、特にアメリカ国民の薬物中毒や関連問題に大きな影響を与えている。麻薬取引が薬物中毒に与える影響は多面的で、薬物の入手可能性、価格、効能、社会的力学などの要因が含まれます。ここでは、南米の犯罪組織による麻薬ビジネスが、アメリカ国民の薬物中毒にどのような影響を及ぼしているかをいくつか紹介します:
南米の犯罪組織は、米国への違法薬物、特にコカインの主要な供給者である。大量に麻薬を生産し流通させる彼らの能力は、アメリカの地域社会でこれらの麻薬を入手しやすくする一因となっている。
南米からのコカインやその他の薬物の大量供給は、時として価格の低下につながり、潜在的な使用者にとって、これらの薬物をより手頃な価格で入手しやすくしている。
南米の犯罪組織が製造するコカインやその他の薬物の効能は、中毒のリスクを高める可能性がある。より強力な薬物は、より迅速かつ強烈な効果をもたらし、使用者が依存症を発症する可能性を高める可能性がある。
(略)
増田:ロバート・パリー氏のメディアサイト内の記事「Dark Side of Rev. Moon (Cont.): Drug Allies」(https://www.consortiumnews.com/archive/moon6.html)の内容を箇条書きで説明して
ChatGPT:ロバート・パリーによる記事 "Dark Side of Rev. Moon (Cont.): 1997年に掲載されたロバート・パリーによる記事「麻薬の盟友たち」は、文鮮明と麻薬関連活動、および政治的影響力の買収活動との間に疑惑があることを強調している。この記事は、文師と南米の麻薬密売人や右翼政治家とのつながりに焦点を当て、文の影の金融慣行や疑わしい団体に光を当てている。記事の要点は以下の通り:
文鮮明の政治的影響力買収作戦: 記事はまず、文鮮明の膨大な政治的影響力買収活動に対する関心の高さを取り上げている。記事は、文の組織が主要な政治家への秘密裏の支払いによって影響力を購入し、『ワシントン・タイムズ』のようなメディアに資金を提供していることを示唆している。
文師の財務慣行に関する疑惑: 記事では、文氏の組織が資金洗浄や、文氏の息子であるヒョジン氏のためにコカインを購入するなど、個人的な贅沢のために資金を流用していると非難されていることを強調している。これらの行為は、1982年に文氏が脱税で有罪判決を受けた犯罪になぞらえられる。
麻薬に汚染された暴力団とのつながり: アジアの組織犯罪やラテンアメリカの麻薬取引とつながりのある極右主義者との文氏のつながりが議論されている。文氏の麻薬密輸や組織犯罪に関わる人物とのつながりは、アジアにおける統一教会の初期にまでさかのぼる。
文鮮明とヤクザの関係 文氏の組織は、日本のヤクザ組織のリーダーであった笹川良一氏から支援を受けていた。この支援は、麻薬密輸やその他の犯罪活動とつながりのあった日本と韓国で、文氏の組織が進出していくのに役立った。
世界反共産主義者同盟(WACL)との結びつき: 文の組織は、世界反共産主義者同盟のような組織で重要な役割を果たした。世界反共産主義者同盟は、元ナチスや右翼の人物とつながりがあった。文の信奉者たちは、これらの組織を通じてCIAと密接な関係を保っていた。
南米における文鮮明の活動 南米や右翼の軍事指導者たちとのつながりを探る。ボリビアやアルゼンチンといった国々における文の存在は、右翼政権の台頭や麻薬密売活動の疑惑と重なる。
コカインクーデターへの文の関与: この記事では、1980年にボリビアで起きた「コカイン・クーデター」への文鮮明の関与について詳述している。クーデター後、文の組織は主要なクーデター実行者や麻薬密売人とつながりがあると報告されている。
文鮮明の拡大と影響力 ウルグアイやアルゼンチンへの投資を含め、南米における文鮮明の継続的な拡大について記事は論じている。文氏の経済的、政治的基盤の拡大が、監視の目を逃れるための活動の変化とともに指摘されている。
文の政治的コネクションの意味するもの: この記事は、文が影響力を買い、アメリカの有力政治家とのコネクションを持つことで、立ち入った調査から文を守ることができるかもしれないと示唆している。(後略)
解釈:文鮮明は脱北後も北の工作員同然の活動を続け、南米のコカイン利権に食い込み宗教団体に偽装した巨大な犯罪シンジケートを構築。日米他の有力政治家に利益供与を行い庇護を受けつつ、国際政治に大きな影響を与える反米親北の大物フィクサーに成長。死後、妻の韓鶴子(マザームーン)に権力が移行。
1日前
·
私たちは戦争に資金を提供するのではなく、平和を推進すべきです。
私はウクライナへの資金をすべて剥奪し、F-16戦闘機や長距離ミサイルの提供を禁止する修正案をNDAAに提出した。
死と破壊は止められなければならないので、平和を達成するために、戦争の外交的解決が達成されるまで、ウクライナへのあらゆる資金提供を禁止する修正案も提出しました。
2日前
米国の戦争屋から全額資金提供を受け、つい最近選挙を中止し、国営メディアを統制し、ナチス軍を擁するこの俳優が、毎日アーミーグリーンを着ており、どういうわけかこれは非常に理にかなっている。
https://gab.com/repmtg/posts/110630245263372724
私たちの政府がウクライナでのロシアとの代理戦争に1年以上資金を提供してきたことを考えると、現在ロシアで起こっているクーデター未遂に私たちの政府が関与していないことを私は確信している。
核武装国の政権交代は、アメリカ国民が望まない恐ろしい結果を招く可能性がある
現行の運用上、難民認定されるのは、出身国の政府から直接危害を受けていると日本国が認める場合に限られる。クルド人を認定しないのはトルコとの外交的関係を考慮していると言われている。難民認定をするということは、日本国として自国民を迫害するような酷い国家であると宣言するに等しい。
一方で、自国政府に迫害されているわけではないが、特別な事情がある場合には在留特別許可を付与することがある。日本人との婚姻関係や、自国政府の迫害ではないが政治的に困難な事情があると認められる場合だ。後者については、入管法改正により「補完的保護対象者」として保護対象になることになる。
実は、近年は難民認定よりも在留特別許可の数の方が多い。令和2年は難民認定47人に対し、在留特別許可44人、令和3年は難民認定74人に対し在留特別許可580人、令和4年は難民認定202人、在留特別許可1760人。
https://www.moj.go.jp/isa/content/001393014.pdf
コロナ関連での特例もあるとは思うが、特別に在留を認める制度は難民認定だけではないということも言いたかった。
ただ、難民に該当しないことが明らかであるのに、人道上配慮が必要なケースについても、難民申請をしなければ申請中に日本に居続けられない構造になっているのは、変な話ではあると思う。難民認定制度は難民かどうか判定する制度であって、それ以外の事情を判断するのには別個の仕組みがあるべきという意見もある。
単に俺が知らないだけなのかも知れねえけど、少なくとも俺は聞いたことがねえんだよなあ。
満州国とかラスト・エンペラーとかあの辺はやっぱかなりクソでさ、そういやラバウルとかの方にも大分謝らなきゃいけねえ気がするんだよ。
でもその辺を西欧諸国による侵略から救ってやったんだからトントンじゃねーかむしろお釣りが出て感謝されるぜってふんぞり返ってるようなイメージがあんだよ。
なんかニュースでも事あるごとに日本が昔「解放」した地域の人達が「ニホンジンダイスキーアリガトー」と言ってますよみたいな話が聞こえてくるのがなんか大本営発表の続きみたいだよなって。
まあゆーて謝罪半分開き直り半分でやってくしかねえのが歴史との付き合い方だってのは分かるよ。
アメリカが今更インディアンにどんなに謝っても戻せねえものが多すぎるし、侵略の象徴たる銃の携帯を正当化するのを辞めて成立させられる社会構造にするにはあと200年ぐらい必要だろうってこともな。
日本と満州の関係もそういった曖昧な道の途上なのかも知れねえ。
でもさ、なんつーかもうちょい「我が国はちゃんと謝りに行きましたよ。エライ!」ってニュースを定期的に聞きてえんだよなあ。
そこに漬け込まれそうだから謝らないじゃなくて、謝った上で漬け込ませないっていうアメリカナイズされた外交的強さを持って欲しいんだな
付き合って5年、うち3年レス。コロナ禍で同棲始めて2年。それとなく誘われてるかなって時もあったけど、どうすればいいかわかんなくてそのままにしてたら完全レスになった。お互い大学で知り合って処女童貞で付き合ったから、なんか上手い始め方とかわかんなくて。3年のうち、4〜5回抜いてもらったことはある。
以上が前置きとして、昨日の夜にそろそろと思って結婚の話をしたら彼女から「セックスなしで結婚なんかしないよwww」と言われてしまった。できれば子供は1人くらい欲しいし(これは本音だ)、もちろん結婚するからにはセックスのことも考えている、と言ったが「そういうことじゃない、何にも理解してないじゃん」という。何度かレスについての話し合いをしたことはあるけど、俺が上手にできる気がしないのと、ハードルが高くなっちゃってるってことは何度も説明していた。でもその分ハグやキスで愛情表現はしていたし、家事もかなりやっている(水回りやトイレの掃除、ゴミ出し、買い出しなど。料理は彼女がやったほうが早いというので任せている)方だし、コミュニケーションも取れている。最も重要だろう家計についても、6割俺が負担している。
女の人の性欲というか、女性にとってのセックスは愛情の確認の意味合いが大きいと聞いたことがあるから、たとえセックスなしでも君しかいない、と言っていたはず。でも、彼女は違うという。
「私はセックスがしたいの。浮気も不倫もまっぴらだけど、セックスなしで生きてく意味なんかないの。こんな状況で結婚なんかしたら地獄でしょ」なんてことを、どうでも良さそうな口調で言っていて、背筋が凍った。それって性欲の発散のためだけなのか、相手は誰でもいいのかと聞いたら、「そんなの当然でしょう。ただ誰かと付き合っている状態で他人とするのはフェアじゃないから、我慢してるだけ。私がもっとフットワークの軽い美人なら、さっさと次を探してる」と言われてしまった。流石に問題を放置しすぎたんだなと思って謝罪したけど、「もうどうでもいいことだから、謝らなくていい。別の人を探すなら好きにしていいよ」ととりつく島もない。別れるつもりかと聞いたら、「あなたに任せる。結婚せずに同棲を続けるのは構わない。でも、法的な縛りを求めるなら他に行って欲しい」と言われた。おそらく同棲している家の立地や広さなどの条件がかなりいいこと、まぁ二人暮らしなら経済的に節約できるとか、そういうことだと思う。
腹を割って教えてくれと言って色々聞いたら、俺のことは俺が学生の頃の飲み会で「性欲が強い」と話していたから選んだという。(当時よく下ネタを言うタイプだった)俺がこっそり1人でしていることは知っていて、ティッシュを片付ける(俺はちゃんとゴミ箱に捨てているが、彼女は外出後の俺の態度や、袋にまとめる作業で気づいたりすると言っていた)とき、殺意が湧くそうだ。職場は2人とも同じ駅、プライベートもほぼ一緒なのである程度わかっていたが、浮気をしたことはないのかと聞いたら「モテなくてよかったね」と皮肉で返された。
・子供が欲しい、結婚したいという気持ちよりセックスができないことが嫌
・俺がセックスに関する約束を破り続けていることが嫌(確かに俺は来週はする、次はする、という約束をしがち)
・「仕事が忙しいから」という理由は理由にならない。普通のカップルがしていることだし、それを飲み込むほど俺のことを好きではない
・同棲生活にはメリットがあるため続行しても構わないが、未来のことは前向きに考えてはいない
・モテないので(彼女の名誉のために言えば、そんなことはないと思う。ただあまり外交的ではないので出会いはないんだろう)浮気していないが、チャンスがあればしたい
ということらしい。損得をしっかり考える彼女の性格から考えれば、独身かつ彼女のことを好きで性欲の旺盛な相手がいれば、そっちに行くんだと思う。ただ、あからさまに探しに行ったりするタイプではない。
俺の希望としては、セックスについては譲歩するから、30になる前に結婚したい。彼女のことは好きだし、それこそオナニーで事足りてるけれど全くしたくないというわけではない。2週間に1度とか、決めてくれたら応じる。お互いセフレを作るのはどうかと聞かれたが、それは俺としては寂しい。
彼女の態度から察するに、多分本心だし、俺が悪いだろう。でもセックスしたい理由って愛情表現じゃないのか?と思ってしまう気持ちもある。彼女もこっそりオナニーしてるんじゃないのか。子供を作るとなればセックスはするわけだし、性欲の発散はオナニーと両立ではダメなのか。結局これって相性が悪いってことなんだと思うけど、俺にとってはいい彼女なんだよな……………。彼女は今が繁忙期だからゴールデンウィークも仕事だけど、なんか少し安心しちゃってて辛い。
■ネタ元
http://blog.tatsuru.com/2023/04/02_0947.html
賛成できる部分もあるが、個別の具体例に対して事実認識が古いか間違っている内容が多すぎて、読んでて気分悪くなった
外圧を利用して政策を通す、といういつも通りの政府のやりかたであって、米国のいいなりと言い切ってしまうのは一面的にすぎない。米国が日本に要求している事項は多くあるが、日本にとって都合のいい要求だけ呑んでいる。例えば、米国ははロシアへの経済制裁圧力をかけているが、日本がサハリン2から撤退する気配はない。米国へ徹底的に追従するというなら、今すぐにでもサハリン2から撤退してしかるべきだが、そうしていない。
国民がこの大きな増額にそれほど違和感を覚えないで、ぼんやり傍観しているのは、安全保障戦略について考えるのは日本人の仕事ではないと思っているからである。
でたよ雑な日本人論。安全保障について考えるのが政府の仕事というのは世界共通であり、別に日本に限ったことではない。日本人が平和ボケしているという人は多いが、実際平和なのだからしょうがない。ウクライナ戦争が始まってから慌てて軍縮を撤回しているドイツなど見てわかる通り、平和ボケは別に日本に限ったことではない。紛争を抱えていない国はたいていこんなもんである。ロシアも中国も隣国とは言えども海を隔てているのであり、例えばロシアと陸続きの東欧などとは、安全保障に対する意識の差は比べようもない。世界中で積極的に揉め事を引き起こしているアメリカでさえ、一般国民の大半は安全保障に関しては無関心で、日本人より関心を持っていないまである。共和党の有力な大統領候補のポピュリスト二人がウクライナへの関与を減らせと言って支持を得ているのが、その証左だ。
安全保障戦略は米国が起案する。日本政府はそれを弱々しく押し戻すか、丸呑みする。戦後80年、それしかしてこなかった。その点では日本政府の態度は戦後80年一貫しており、岸田政権は別に安全保障政策の「大転換」したわけではない。政権によって米の要求に従うときの「おもねりかた」の度合いが多少違うだけであり、そこにはアナログ的な変化しかない。だから、国民は誰も驚かないのである。
最近の日本の外交政策を全く追いかけられていない無能アピールか?俺は安倍首相の政策に対してはかなり批判的な方と思っているが、「外交の安倍」に関してはかなり評価している。というのも、QUADを提唱したのが安倍だからだ。QUADが始まったのが2007年、アメリカが対中シフトを始めたのが2011年頃であることを考えると、むしろ日本がアメリカの外交政策を動かしたといっても過言ではない。いや、過言かもしれないが、少なくともアメリカのいいなりになってQUADを始めたわけではないというただ一点において、内田樹の言説は全く持って誤っていると言わざるを得ない。安倍首相時代に安全保障政策は大転換しており、そして、その時の外務大臣は岸田である。安倍政権がクソであったことはさておき、日本の外交・安保政策における主体性は正しく評価されるべきである。
岸田首相の党内の政権基盤は決して堅牢なものではない。だから、長期政権をめざすなら、米国からの「承認」がその政治権力の生命線となる。ホワイトハウスから「米国にとってつごうのよい統治者」とみなされれば政権の安定が保証されるし、少しでも「米国に盾突く 」そぶりを示せば、たちまち「次」に取って替わられ、政権は短命に終わる。
陰謀論。まだGHQが日本に駐留してるならともかく、21世紀の現代でそれは無理がある。日本はアメリカの属国であるという命題から逆算した結果、とんでもない主張をしているとしか思えない。属国であるということは否定しない。外国の軍隊が駐留していて、その駐留費用を日本が負担しており、外国の軍隊が治外法権を享受している事実を列挙してみれば、属国扱いもしょうがない。だが、現代のアメリカに、その時の気分次第で日本の首相の首を挿げ替えるような力があるのだろうか。いやない。あるなら事例を出せよという感想しかない。菅首相はアメリカのいうことを聞かなかったからアメリカに首を挿げ替えられたとでも思っているのだろうか。
岸田政権にはとりわけ実現したい政策があるわけではない。最優先するのは「政権の延命」だけである。喩えて言えば、船長が目的地を知らない船のようなものである。自公連立政権という「船」を沈めないことだけが目下の急務であり、岩礁や氷山が目の前にきたら必死に舵を切って逃げる。だが、どこに向かっているのかは船長自身も知らない。
岸田首相は安倍首相の外交安保政策を主体的に継承、推進しているので、指摘は当たらない。岸田首相の動機に関しては、本当かどうかはともかく、NHKの以下の記事が示唆的である。
https://www.nhk.or.jp/politics/articles/feature/93812.html
総理周辺はこう解説する。「岸田さんは安倍さんが成立させた、集団的自衛権などを盛り込んだ安全保障法制の体系を機能させるために、防衛力を量的・質的な面で担保していくのが自分の仕事だと、よく語っている」岸田は第2次安倍政権で、4年半余り外務大臣を経験し短期間だが防衛大臣も兼務した。国民の命を守るため、最優先は外交的努力だとしながらも、外交に説得力を持たせるためには防衛力が必要だという考えを持つに至った。「安倍さんの“バトン”を自分はつなぐ」
それが、岸田の信念だという。その言葉の裏には、安倍が亡くなる直前まで防衛費の大幅増を主張し、最大派閥・安倍派の議員たちも、その遺志の実現を重視する声を強めていたという政治状況もあったとみられる。
「国民の声を聴く」とか「個性と多様性を尊重する」とか「新しい資本主義」とか公約を掲げていた時は、首相になれば少しはこのシステムをいじれると思っていたのだろうが、実際に船長になってみたら「お前が動かしてよい舵輪の角度はここからここまで」と言われ、ほとんど政策選択の自由がないことを思い知らされた。
これは同意。まあ選挙向けの適当なアピールだったんだろうが、特に「新しい資本主義」の中身のなさっぷりにはかなり失望した。何をどうやったら再分配が消えて投資の連呼になるんだよ、内容が180度転換してるじゃん。これこそ国民をナメてるとしか思えない。
今回の防衛予算の積み上げも、まず米国からの要求があり、それに合うように予算が組まれ、さらにその予算枠に合うように、「中国や北朝鮮の脅威」なる「現実」が想定されている。ふつうの国なら、まず現実認識があり、それに基づいて国防戦略が立てられ、それに基づいて必要経費が計上されるのだが、今の日本はみごとにそれが逆立しているのである。
ここに関しても同意。金額ありきなのは本当に意味不明。アメリカからの外圧を利用しての2%なのは構わないが、予算の内容について防衛省と調整してから出せよ。それを悠長に待ってたらタイミングを逃すから、という極めて政局的な判断なのであれば、それは批判されてしかるべき。
日本政府が購入を決めたトマホークにしても、その前に「爆買い」したF35戦闘機にしても、米国内でははっきりと「使い物にならないほど時代遅れ(レガシー・プログラム)」の兵器とされている。中国との競争において、米国はAI軍拡で後れを取っている。もう大型固定基地や空母や戦闘機の時代ではない。AIに優先的に予算を投じるべきなのである。しかし、米国には軍産複合体という巨大な圧力団体があって、国防戦略に強い影響を及ぼしている。兵器産業にいま大量の在庫が残されている以上、それを処理しなければならない。だから、それを日本に売りつけるのである。日本に不良在庫を売りつけ、それで浮いた金を軍のヴァージョンアップに投じる。そういう「合理的な」メカニズムである。
ここに関しては完全に誤認している。情報が間違ってるし古い。開発中は開発期間の延期と開発費の高騰で失敗作扱いされることもあったF-35も、今では様々な不具合が改修され、最新鋭の戦闘機として各国に順次導入されている。本当に時代遅れの欠陥機なら、米国と仲が悪いトルコがわざわざF-35供与要求するわけないじゃん。トマホークも初出は古いものの常にアップデートされており、日本が購入するブロックVは2021年開発である。亜音速の巡航ミサイルが古いという言説も、ロシアがウクライナ戦争前に自慢していた超音速ミサイルが期待通りの成果を上げていないことを見れば、何言ってんだこいつとしか思えない。
米国がAI軍拡で後れを取っているという言説に至っては完全に意味不明だ。OpenAIは中国製だったのだろうか。中国が米国と比較して先進的な軍用AIを開発した、というのも聞いたことがない。一応中華ソースのニュース記事も調べてはみたが、中国がAI開発に遅れを取っているというような内容しか見つからない。
不良在庫を言い値で買ってくれるのだから、米国にしてみたら日本の自公連立政権ほど「使い勝手のよい」政権はない。だから、この政権が半永久的に続いてくれることを米国が願うのは当然なのである。
前提があらゆる部分で完全に間違っているため、この結論にもうなずけない。思いやり予算批判でもしてればいいのに。
日本国民は属国身分にすっかり慣れ切っているので、自国の政権の正統性の根拠を第一に「米国から承認されていること」だと思い込んでいる。「国民のための政治を行っていること」ではないのである。米国に気に入られている政権であることが何よりも重要だと日本国民自身が思い込んでいる以上、日本人が岸田政権に不満を持つはずがない。だから、岸田政権が防衛増税を進めても、インボイス制度やマイナンバーカードなどで、国民の負担を増大させても、国民はデモもストライキもしない。それは国民自身が「政府というのは、国民の生活のために政策を実施するものではない」という倒錯に慣れ切ってしまっているからである。
全体的に批判が雑。岸田政権に不満があるから支持率が下がってるんじゃないのか…最近また上がってるけど。デモとストライキをしない=政権支持というのは短絡的すぎるし。
インボイス制度の導入で被害を被るのは零細の個人事業主という狭いターゲットであり、これに対して大規模なデモやストライキは起きにくい。というかデモ自体はやっているが、ニュースにならないだけである。安保闘争の時のように、100万人単位で動員しないとデモ認定されないんだろうか。サラリーマンや非正規というプロレタリアートにとって個人事業主というプチブルは敵であるから、むしろインボイス導入を喜ぶべきであるという冗談はさておき、労働組合は個人事業主に雇われる側なんだから、ストライキにはならんだろ。
またマイナンバーカードは国民の負担を減らすための施策であり、マイナポイントというエサで導入を釣ったり、保険証等からの性急な切り替えに対して文句を言うのはともかく、国民の負担増大というくくりに入れるのは具体事例としてどうなの。復興特別所得税の防衛費へのつけかえとかもっと直球な負担増大の具体例あるじゃん。
そうやって政府に対する国民の期待を下げれば下げるほど、棄権率は高まり、結果的に20%の鉄板支持層を持つ自民党が選挙には勝ち続けることができる。
https://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html
長期的なトレンドとしては下がってますが、ここ数年の国政選挙の投票率は上がっています。この理屈だと菅と岸田政権で国民の期待が上がってるみたいじゃん。
もしお前がさ、その辺のホームレスから「ちょっと話しましょうよ」って言われても、無視するだろ。
でもホームレスが包丁持ってたら、とりあえず「話だけなら」ってなるだろ。
断ったらどうなるかわかんねーからこえーもんな。
仮にホームレスが20人くらい集団で囲んできてもやっぱり「話だけなら」って言わざるを得ないだろ。
相手がホームレスじゃなくて、例えば前澤勇作でもとりあえず「話だけなら」ってなるだろ。
教授が「交渉をおろそかにして軍備を増強しても本末転倒」って言ってたのが掘り起こされてるけど、
・国際社会の仲間に入れてもらう
どっちの上でも必須なんだよな。