はてなキーワード: 時代考証とは
オープンワールドのマップ設計って、まずは地質学とかをベースにして地形の生成があって
それに加えてそこに実際に村が形成されるとどのような文化になるか、みたいな文化学的発想が必要
アイテム生成系はバイオ系・物理系の知識をベースにやってほしい
ミニゲームやパズル要素・謎解き要素なんかは数学的な知識で難易度を上げて欲しいし
ストーリー展開は心理学を駆使してプレイヤーの心を揺さぶって欲しい
大学でポスドクやってる博士を連れてきて副業でやってもらえばいいと思うんだよね
海外とかの大型オープンワールドだと学者とかが監修してたりするけど
それでも片手間でやってるようなものなんだよね
アサクリとかだと時代考証がガチだけど最近はダメダメになっちゃったし
クドカンはワード登録されてんだから文字リンク押せば見れるじゃん
https://anond.hatelabo.jp/keyword/%E3%82%AF%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%B3
ワイは下記のように思いました。
でもまぁ、たとえ一部であったとしても、ちゃんと批判が起きているなら、TVの影響力はまだ完全には死んでないのかもね
増田や5chや𝕏の個人垢が呟いてるくらいだと思ったわ、今どきTVなんて誰も見ねぇだろって思ってたし
クドカンさんは1970年生まれなので1986年には既に物心はついていたと思うのですが、クドカンさんの出身の1986年の宮城県はあんな感じだったんですか?
少なくともドラマの舞台になっている1986年の東京は違いました。
というか長距離・中距離のバスならともかく(このバスもかなり限られている)路線バスってタバコどこも吸えなかったと思いますよ、
今どきTV観てるのはネットと親和性低い情弱(ネットやっていても検索すらろくに出来ないし、反AIやってるかAIって何?って層)か
普段から自分の目の前のことに全力コミットであらゆることに興味ない人は、単なる事実
増田でも謝らないが正解(https://anond.hatelabo.jp/20230103181631#)がバズったろ?
実際、ナチス大学教授はしれっと復活してますしジャニーズも吉本もセクシー田中さんの件もクソやばかったですよね
やりたい放題やってたそして今もやりたいというTVマンの熱い魂を感じさせる
平成少年ダン並みに昭和エアプで時代考証めちゃくちゃで差別のオンパレードの
クドカンの『不適切にもほどがある!』だって悪い意味で話題になっていない
別に、メリケンや韓国のドラマ、恋愛バラエティ(笑)などのリアリティショーが高尚とは言いませんけど、
どう考えても終わったのだと思います
しかしナチス大学教授がしれっと復活しているのもほんとスゲーーーーなって
社会は人種ではなく知能で分断されている
クドカンの時代考証メチャクチャの「不適切にもほどがある!」と同じような
ネットがなかった時代のようにやりたい放題したいTVマンの怨念を感じる
つかクドカンの時代考証メチャクチャのドラマにも言いたいんですけど、
やりたい放題していたのは、TVマンや一部メディア(雑誌等の文業)の人間あって、一般人ではないです
おそらく、クドカンが『好』の感情を持っているだろう、ビートたけし氏も言ってましたよね?
『(熱湯に対するリアクション芸やいじり芸に対して) やらせじゃなかったら大変なことだよ』ってね
今どきTV観てるのはネットと親和性低い情弱(ネットやっていても検索すらろくに出来ないし、反AIやってるかAIって何?って層)か
普段から自分の目の前のことに全力コミットであらゆることに興味ない人は、単なる事実
増田でも謝らないが正解(https://anond.hatelabo.jp/20230103181631#)がバズったろ?
実際、ナチス大学教授はしれっと復活してますしジャニーズも吉本もセクシー田中さんの件もクソやばかったですよね
やりたい放題やってたそして今もやりたいというTVマンの熱い魂を感じさせる
平成少年ダン並みに昭和エアプで時代考証めちゃくちゃで差別のオンパレードの
クドカンの『不適切にもほどがある!』だって悪い意味で話題になっていない
別に、メリケンや韓国のドラマ、恋愛バラエティ(笑)などのリアリティショーが高尚とは言いませんけど、
どう考えても終わったのだと思います
しかしナチス大学教授がしれっと復活しているのもほんとスゲーーーーなって
私の妻が元増田みたいな人で面白かったこと/ものを話してくれるのだが、私も「ふーん」て言ってしまう。
理由が2つあって、
1. 反応方法がわからない。面白かったので見てほしいのか、ただ感想を聞いて共感してほしいのか。確実に言えることは私の意見や面白かったことを広げるエピソードトークは求めてられていない。
2. 興味の対象が少しズレている。本やドラマで面白いと思うポイントがズレている。私は変なところに拘ってしまう(例: 撮影地とか時代考証など)ので、あまり良い返しができない。
要するに、妻と喧嘩をしたくないので守りの「ふーん」を放ってしまう。最近は「ふーん」だけでは興味がないように見えるので、「いいねいいね」とか言ってみたりする。
もしまだ夫氏に期待しているのであれば、話した後の手応えが欲しいことを素直に伝えて、どうやって雑談して欲しいか、ふーんのどこが課題かを一緒に話してみると良いと思います。
いやまあ正直、厳密にはそうなんだけど、
じゃあ実際にそれが今の邦画で実現できてるか?って考えると、「できてない」んだよね。
「試行錯誤すれば」の、
こういうの、昔は「役者たちが自分で」できてたことなんだけど、今の役者はできなくなってる。
だから、衣装係がやらなければいけないんだけど、今の衣装係にも、その知識がない。
さらに、どこの現場でも「(浪人ですらも)着崩れていないこと」が当たり前になっている。
今の時代劇じゃ、安いTVみたいなペカペカした着こなしが普通になっている。
そんな状況で「わざわざ」着崩れさせるリアリティを入れるためには、
監督なり「上の権限がある人間が、気合を入れて指揮してやらないと」いけなくなっている。
けど、そんな面倒くさい(時間がかかる=金がかかる)ことは、できない。
「衣装係」を勉強に行かせるところから金を払わないといけない。
ただでさえ時代劇はセットなどの大道具に金はかかるし、時代考証だの専門的な部分が多くて、
まあとにかく面倒くさい、金がかかる部分が多すぎる。
だから、
結果的に、簡単なノウハウがロストテクノロジー化する、という話。
「そんなわけねえだろ」と思ったのもわかるが、
もうすでに、「そんな惨状」に時代劇は陥ってるんですよ、という話でもある。
「そんなわけねえだろ」が現実。
顔だけはドーランで汚してるけど、全然「浪人に見えない」学芸会みたいなルックの時代劇になるのは、
こういう原因が100万個くらいあるわけよ。
もちろん、
そういう着崩しなりなんなりが「できてる時代劇」だってちゃんとある。
今の映画撮影は「一回の撮影で、現場自体が解体されてしまう」。
せっかくそこで培った技術も、「その場限り」で終わってしまう。
次の現場で監督やプロデューサーから「そんなことしてる余裕ないから」と言われたら、それでおしまい。
現場が知識をもっていても「そんな面倒くさい事いいじゃーん」となる。
こういう状況なわけ。