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はてなキーワード: 日本書紀とは

2022-05-22

シン・ウルトラマン ≒ シン・日本神話 説。

 ネタバレは、控えめに頑張るが。

感想なので、どうしても類推可能だと思う。

嫌な人は、ご容赦下さい。

 

3

 

2

 

1

 

 まず、

ウルトラマン大仏

という前提を飲み込んで欲しい。

 根拠としては、

・光の国からやって来ている。

デザインの一部に アルカイック・スマイルが参照されている。

・諸外国でも仏教文化圏では、ウルトラマンの人気が高い。

デカから強い。

 んで、

ウルトラマン大仏 】 という前提から考えると

 シン・ウルトラマン は、何を描いているのか?

増田は、 飛鳥時代仏教伝来、白村江の戦い大化の改新

現代日本外交情勢をモチーフ換骨奪胎したと解釈した。

 

 現代でこそ、仏教日本需要されているが、仏教が伝来した飛鳥時代では〈蕃神〉、つまり異物だった訳だ。

これが、外星人としての斎藤ウルトラマン

 そして、後に日本では護国仏教として受け入れられるけど

これが、ヒーローとしてのウルトラマン

 一方で、仏教は究極的には悟りを目指す宗教であり

これは、光の国から裁定者としての側面。

 作中では、

原理的には超科学によって地球人ウルトラマンと同等の存在になれると示唆されているが

これって、原理的には万人が悟れる(≒阿羅漢)とする仏教よね。

不完全な変身が危険なのも、魔境であるからだとも解釈できる。

 

 仏教は救いの宗教ではあるが。

仏教ヤマトに公伝した時期は、白村江の戦いでの大敗もあり

ヤマトを取り囲む外交情勢が激変した時代でもあった。

 ヤマト日本改新するためには

脅威でもある海外(外星人)の仏教(ウルトラマン)を含めた当時の最新知識

受容し自分のモノにする必要があった訳だ。

 んで、

自国外交情勢が落ち着いて、自国アイデンティティー確認したくなったので

8世紀に『古事記』、『日本書紀』が成立する。

 

シン・ゴジラが、東日本大震災モチーフに作劇したのと同様に

シン・ウルトラマンは、仏教が伝来し、日本神話が成立した飛鳥時代引用しつつ

現代日本外交情勢をモチーフにしているか物語構造が強い。≒面白い

 だが、

モチーフモチーフだけに

『シン・ウルトラマン』の問いかけ そのもの不愉快な層が居ると。

 

 シン・ウルトラマンは、シン・ゴジラと同様に

オリジナル ウルトラマン表現たかったモノまで分解再構成し、

ウルトラマン現代日本も描き切った大作だと増田は思う。

 ここまで長文を読んでくれて thx

2022-04-04

anond:20220404132158

欠史八代はね、いないよ

天皇という概念ができたのは天武天皇の頃で、日本書紀古事記もその頃に作られたのだ

その天武天皇王朝6世紀継体天皇から始まってるんだ

それ以前はかなり潤飾されている

2022-02-21

神功皇后卑弥呼で、福岡の橿日宮から三韓征伐に出立し、公孫康帯方郡を創設するのを支援した

それで帯方郡交易できるようになり、さら勢力をつけた

娘に壱与がおり、息子に応神がいたが神武ともよばれており、234甲寅年に東征

卑弥呼は248年に没し、壱与が筑紫島を治め、応神は近畿を治め、死後に古墳が築造された

 

日本書紀神武東征を先に書いており、神功の三韓征伐が後なのだが、

先に三韓征伐の話が出ると、神武東征に帯方郡の援助が匂うので神話化しにくいし

女性が初代天皇なのはマズかったのかもしれない

 

気になるのは、天照の命で神武より先に東征していた饒速日が、奈良神武に打ち取られたこ

いわゆる同族の争いだったかもしれず、天照=卑弥呼神功皇后豊玉姫ということになるのかも

2022-01-14

anond:20220114131017

ますだは「アノニマスダイアリ―」の「マスダ」から取られたものといわれているが、本当は「”マ”ジレ”ス”の場”だ”」から取られたものだと日本書紀にも書いてある

2021-12-22

やっぱ継体天皇でしょ

崇神天皇が「実在した可能性のある最初天皇」って言われてるけど、やっぱ初代って継体天皇でしょ。

紀元前1世紀

BC97年-BC30年(日本長暦) 崇神天皇

BC37年頃 高句麗が成立

BC29年-70年(日本長暦) 垂仁天皇

弥生文化関東地方に波及する。

近畿地方を中心に銅鐸、西日本青銅武器形祭器による祭祀が行われる。

階層の秩序化すすむ。

関東地方東北地方南部縄文時代の一墓制である再葬墓が見られる。

北部九州では甕棺墓が盛行し、その中の一部のものが多くの前漢鏡を副葬する。

北部九州では、鉄器や鉄製農具が使用される。また吉野ヶ里遺跡のような巨大集落現れる。

北部九州勢力畿内勢力の間で、鉄の獲得のための軍事的緊張が高まる

1世紀

8年 前漢の滅亡

25年 後漢の成立

57年 倭の奴国王が後漢に朝献して倭奴国王印を授けられる

71年-130年(日本長暦)景行天皇

漢書地理志 倭は百余国に分かれており、その一部は前漢楽浪郡に朝献をする

弥生文化東北地方に波及する

2世紀

107年 倭国王帥升らが後漢の安帝に生口160人を献上する

131年-190年(日本長暦) 成務天皇

147年頃-189年頃 倭国大乱

192年-200年(日本長暦) 仲哀天皇

日本で石器が消滅し、鉄器が普及する(弥生時代後期)

魏志倭人伝倭国乱れ、互いに攻伐しあい倭国大乱)、長い間盟主なし

3世紀

201年-269年(日本長暦) 神功皇后 三韓征伐

220年 後漢の滅亡

239年 邪馬台国卑弥呼帯方郡使者を送り、魏の明帝への奉献を願う

248年頃 女王卑弥呼死す。その後、卑弥呼の宗女・壱与(または台与)が女王となる

3世紀中頃 古墳時代が始まる

266年 倭の女王が晋に使節派遣する(『日本書紀』の神功紀66条に引く晋起居注。『晋書』武帝紀、西晋の泰始二年)

270年-310年(日本長暦) 応神天皇

3世紀後半 大和王権誕生する

3世紀後半 箸墓古墳

日本では弥生時代末期から古墳時代初期にあたる。

樺太西端北海道北端オホーツク文化(初期)が成立する。

日本では銅鐸・武器系祭器による祭祀が終わる。北部九州の甕棺墓も衰退する。西日本各地に、特殊な壺形土器、器台形土器を供献した墳丘墓首長墓)が現れる。

4世紀

313年 楽浪郡高句麗に滅ぼされる

313年-399年(日本長暦) 仁徳天皇

316年 西晋が滅亡

4世紀半ば 百済建国

399年-404年 好太王高句麗と倭の戦い

空白の4世紀

5世紀

400年-405年(日本長暦) 履中天皇

406年-410年(日本長暦) 反正天皇

412年-453年(日本長暦) 允恭天皇

454年-456年(日本長暦) 安康天皇

463年 吉備氏の乱

457年-479年(日本長暦) 雄略天皇 考古学的に実在実証される最古の天皇

478年 倭の五王の武が宋(南朝)に使者を送る

479年 星川皇子の乱

480年-484年(日本長暦) 清寧天皇

485年-487年(日本長暦) 顕宗天皇

488年-498年(日本長暦) 仁賢天皇

大王クラス大形前方後円墳奈良盆地から大阪平野に移り更に巨大化する。

日本では倭国古墳時代中期にあたる。各地で巨大な前方後円墳が築造され、地方ヤマト王権中枢双方の首長たちの祭祀儀礼が執り行われる。この世紀の倭国朝鮮半島諸国間の紛争に活発に武力介入を行っていたことが、日本側と朝鮮半島側双方の歴史記録から伺われる。当時の5代に及ぶ治天下大王東晋から南朝にかけての江南王朝に盛んに朝貢して王号と官職を得ていたことが中国正史記述に残されており、倭の五王として知られている。

北海道北部東部では続縄文文化とは異質な海獣漁労民のオホーツク文化(中期)が拡大する。

6世紀

499年-506年(日本長暦) 武烈天皇

507年-531年 継体天皇

512年 倭が百済に対し任那の四県二郡を割譲する

527年 磐井の乱

531年-535年 安閑天皇

538年 仏教伝来(552年説あり)

536年-539年 宣化天皇

539年-571年 欽明天皇

562年 任那地方を含む加羅諸国新羅に滅ぼされる

572年-585年 敏達天皇

581年 隋の建国

585年-587年 用明天皇

587年 丁未の乱 蘇我馬子物部守屋を滅ぼす

587年-592年 崇峻天皇

593年 聖徳太子(厩戸王)が摂政となる

598年 隋の高句麗遠征

それまでのヤマト王権王統嫡流が断絶し、誉田別尊大王(後の応神天皇)五世の子孫とされ越前近江地盤を持ち尾張連草香の娘を妃としていた男大迹王(後の継体天皇)が、大伴氏物部氏巨勢氏らにより畿内に迎えられて前王統手白香皇女皇后に迎え、治天下大王として擁立される。やがてこの継体系の王家は新興の蘇我氏と結びつき、武川軍閥系の政権によって大陸華北の再統一から南北朝の統一へと向かう中、前世紀の「倭の五王」後に途絶えていた活発な東アジア外交を再開する。

考古学の発掘研究によればこの世紀の半ばになって日本列島での鉄鉱石からの製鉄遺構が初めて出現する。同時期に大陸では倭国弥生時代以来鉄素材の供給源としていた弁韓の後身加羅諸国新羅併合されている。

前世紀に九州などで造られ始めていた古墳の横穴式石室が全国規模で普及する。

この世紀の後期になると畿内では前方後円墳がつくられなくなり、前方後円墳伝統を保持していた天皇陵含む大型古墳も渟中倉太珠敷大王(後の敏達天皇)の陵墓を最後に以後方墳となる。関東でも群集墳が盛んに造られるようになる。ヤマト王権中央さらには地方首長統治下でも仏教の導入が進行し、前方後円墳と結びついていた首長祭祀は以後氏寺における仏教儀礼が担うようになる。

7世紀

593年-628年 推古天皇

603年 冠位十二階を制定

604年 十七条憲法を制定

618年 隋の滅亡、唐の建国

629年-641年 舒明天皇

642年-645年 皇極天皇

643年 蘇我入鹿山背大兄王一家(上宮王家)を滅ぼす

645年 乙巳の変

645年-654年 孝徳天皇

646年 大化の改新

655年-661年 斉明天皇

660年 百済滅亡

663年 白村江の戦い

668年 高句麗滅亡

668年-672年 天智天皇

672年-672年 弘文天皇

672年 壬申の乱

673年-686年 天武天皇

2021-12-03

「ヒノカミ」「太陽」「陰陽」がわからないキッズ祖父母

「ヒノカミ」の漫画アニメ祖父母と孫がつながる、一見いいことだ。

中国はここ50年ほど「太陽の気は有毒で鬼や妖怪の源」という『論衡(1世紀)』が人気。

これは現代中国、『三国志』の董卓に関わる陰陽観や天地観なので、漫画レベルお話

・「天狗」は「日食月食を起こす狗(犬)」とは現代中国一般常識文学

・「天狗」が「太陽を食らう犬」なのは日本書紀タイインド北欧神話でも共通だ。

・ヒロアカの「天喰環(太陽すら食らう者)」はもちろんこれ。

呪術廻戦の「カゲの王でカエルウサギに関わる呪術」も同じ「太陽を喰らう犬」。

藤本タツキの『チェンソーマン』や読切は太陽が一切描かれない。

・真女神転生Ⅴで日本代表エジプト代表月神太陽神が出席しない。 

・真女神転生Ⅴは「マガツヒ(禍つ日)」なヒノカミを直す「ナホビノ(直日)」。

巨人ユミルオーディンやソーやロキが出る北欧神話太陽は神ですらない。 

エルフダークエルフドワーフ北欧神話太陽は神ですらない。

・『逃げ上手の若君』の時代、ヒノカミは武家から除外されてる。

太陽・月を喰らうアシュラ神(天狗)」は聖書コーラン「天使」として取り込んだ。

それはアジア中東西洋知識人シェアするところ。

天使がヒノカミを喰らうアシュラ神と知らない】なんて日本だけ。

エルフドワーフにはヒノカミなしと知らない】なんて日本だけ。

日本知識人(笑)日本史や人気マンガすら理解できない老害だらけ。

「ヒノカミ」「太陽」がわからないキッズが「陽キャラ」と言うのは大人責任だ。

「ヒノカミ」「太陽」「陰陽」がわからないキッズ祖父母

「ヒノカミ」の漫画アニメ祖父母と孫がつながる、一見いいことだ。

中国はここ50年ほど「太陽の気は有毒で鬼や妖怪の源」という『論衡(1世紀)』が人気。

これは現代中国、『三国志』の董卓に関わる陰陽観や天地観なので、漫画レベルお話

・「天狗」は「日食月食を起こす狗(犬)」とは現代中国一般常識文学

・「天狗」が「太陽を食らう犬」なのは日本書紀タイインド北欧神話でも共通だ。

・ヒロアカの「天喰環(太陽すら食らう者)」はもちろんこれ。

呪術廻戦の「カゲの王でカエルウサギに関わる呪術」も同じ「太陽を喰らう犬」。

藤本タツキの『チェンソーマン』や読切は太陽が一切描かれない。

・真女神転生Ⅴで日本代表エジプト代表月神太陽神が出席しない。 

・真女神転生Ⅴは「マガツヒ(禍つ日)」なヒノカミを直す「ナホビノ(直日)」。

巨人ユミルオーディンやソーやロキが出る北欧神話太陽は神ですらない。 

エルフダークエルフドワーフ北欧神話太陽は神ですらない。

・『逃げ上手の若君』の時代、ヒノカミは武家から除外されてる。

太陽・月を喰らうアシュラ神(天狗)」は聖書コーラン「天使」として取り込んだ。

それはアジア中東西洋知識人シェアするところ。

天使がヒノカミを喰らうアシュラ神と知らない】なんて日本だけ。

エルフドワーフにはヒノカミなしと知らない】なんて日本だけ。

日本知識人(笑)日本史や人気マンガすら理解できない老害だらけ。

「ヒノカミ」「太陽」がわからないキッズが「陽キャラ」と言うのは大人責任だ。

2021-12-01

anond:20211201145240

ジャップだって明らかにありえん日本書紀記述を元に天皇は2600年の歴史とか言うてんねんから固いこというなや

anond:20211201144335

やはり朝鮮半島からやってきたという事実を消し去るために日本書紀を作り、1300年後もその幻想にすがるしかないのである

2021-11-07

anond:20211107040611

現在、多くの学者継体天皇の時に、皇位簒奪が行われたのではないかと考えている。

私も十中八九そうであろうと思う。

まり皇室継体天皇から始まった王朝ではないか想像できる

十九年も都を定めなかったのも、その間、前王朝一族戦争をしていたと考えればしっくりくる。

天皇万世一系でなければならない」という不文律があったからこそ、『日本書紀』に、このような不自然記述をする必要があったと考えられる

百田尚樹 日本国紀.p.31


百田先生もそう言っている間違いない

2021-11-05

anond:20211105115034

また馬鹿がでたなぁ

あのさぁ

宮崎県神武天皇故郷であり宮崎県高天原があったんだぞ

高天原ってのは天照大神がおわす場所

そしてその天照大神を作ったのがアメノミナカミノヌシだ

日本創世だけじゃなく宇宙創世をした神様

日本世界誕生宮崎県にこそあるんだ

それは古事記日本書紀という歴史書にもしっかり書いている

神は実在している根拠

まり宮崎県神の国

森もそう言ってた

2021-10-13

anond:20211013144235

秦の始皇帝の命を受けた徐福は、不老不死の薬を求めて日本わたり

日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている


始皇帝も本気になった。徐福のいう三神山とは、蓬莱・方丈・瀛州(ほうらい・ほうじょう・えいしゅう)のこと。それは渤海の(遼東半島山東半島に挟まれ内海)の先にある神仙が住むとされた山のことである。さっそく徐福は命を受けて東の海へと出発した。その時には3000人の童男童女若い男女のこと)と百工(多くの技術者)と財宝に五穀の種子を詰めこんでいた。こうして船出した徐福一行が帰ってくることはなかった。「淮南衡山列伝」では、平原広沢(広い平野湿地)を得て王となったと記述されている。

この出来事紀元前219年頃のことと考えられている。日本ではようやく長い縄文時代が終わり弥生時代を迎えた頃である卑弥呼が登場するのは、ようやくこれから400年ほど後のこと。まだ日本には文字で記録されるような文明はなかった。そのためか『古事記』『日本書紀』には徐福に関する記述はない。

ただ不思議なことに古来より日本の各地には徐福暮らしたという伝承が残っている。冒頭で述べた新宮市徐福公園もその一つだ。ここには公園が整備される以前、江戸時代前期に紀州徳川藩初代の徳川頼宣の命でつくられた「秦徐福之墓」の碑が立っている。

20世紀後半まで伝説だと思われていた徐福

あくまで、伝承人物だったはずの徐福研究が活気づいたのは1990年代初頭からだった。長らく徐福は『史記』に記されながらも、存在疑問視されてきた。『史記』は歴史書として名高いが、一方で批判的な視点での読解が求められる書物である。なにしろ作者である司馬遷自分で見たり聞いたりしたことを書いているわけではない。徐福司馬遷の生きた時代からは100年あまりも前の人物である

史記』のほかに徐福記述がある史書は多かったが、話の荒唐無稽さもあって、あくま伝説上の人物という見方が強かった。

徐福上陸したと伝わる三重県波田

その認識が覆されたのは1982年のことである。当時『中華人民共和国地名辞典編纂に携わっていた徐州師範学院教授の羅其湘は江蘇省の連雲港市郊外に後徐阜村という地名があるのを見つけた。調べてみると、この村は清の初め頃までは徐福村と呼ばれていたのだという。

これを契機に秦・漢代の造船所跡などの遺跡も見つかり、にわか徐福実在性は高まったのである。今では、この村は廟も建てられ徐福生誕の地として観光地になっているという。

2021-09-21

大和朝廷に従わない土蜘蛛の族

日本書紀曰く、土塁に住み、胴は短く、手足が長く、力が強いという

どこか要塞都市に住んだオランダ人のようだ

  

そしてイザナギイザナミが生んだとされる神にスサノヲ(素戔嗚)がいる

天照大神宮殿に馬の死体を投げ込んだ異色の神で、出雲大国主命がその息子

スサノオという響きは和語には珍しいうえ、漢字は「戔:わずか 嗚:嘆きの声」の当て字

  

欧州では1世紀、トイトブルクの森の戦いがあり、ゲルマニア軍がローマ軍を撃退したものの、

結局のところ総督ローマ人になってしまい、ゲルマニア軍を率いたアルミニウス暗殺されたらしい、ということがあった

 

実はスサノヲは Susa, Noah というゲルマニア人で仲間たちとはるばる亡命してきた

なんてことはないのかね(のちに土蜘蛛たちは天皇に征伐されてしまったのだが…)

2021-09-14

野党工作員を使わないの?

自民党増田工作しまくってるという噂だけど、「立民のこことここがダメ。勝つ気あるのか?もうちょっと頑張れよ」と自民工作員が増田マウントを取るメリットあるのか?

じゃあ野党工作員を増田に送り込んで、「自民党を支持して差別を楽しもう」「日本を豊かに貧乏人は置いていく」「女性結婚したら夫の姓に変えて家庭に入るべき。これは日本書紀に書かれてる伝統」「Make Japan Great Again」と自民支持者のふりをして書き込めば自民党ってヤバくね…?という印象を植え付けることができるのではないか

2021-09-12

anond:20210912080451

国家神道というか

日本書紀古事記天之御中主神が全宇宙を創世したって書いてあるから

ゆえに全世界を創成したのは日本の神

したがって全世界日本服従するべき

日本書紀と金総書記ってどっちがすごいの?

ララァは「アカい方が勝つわ」って言ってたけど

2021-09-11

anond:20210823220359

二神が使った アメノヌボコ は 日本書紀では天之瓊矛で、古事記では天沼矛だな

瓊は赤い玉のことを言うらしいし、のちに元寇もあったし、つまりはそれだよな

2021-09-05

どこまで自己責任と見做されるのか?

 新自由主義批判していることで知られる、英国の著名な人文地理学者David Harveyは、彼の著書の中で「『個人自由』を至上の価値に戴く個人集団は、容易に新自由主義に乗っ取られる」と云う箴言を記しています

 福澤諭吉は、おそらく最も本邦のネットウヨクに人気がある思想家です。福澤諭吉は神仏の類いを一切信じず「人間の在り様は全て『個人努力』のみによって決定される」と考えるような「近代日本における『自己責任論者』のパイオニア」でした。ですから、巷間よく言われる「ネットウヨクは『保守』ではない」と云う言葉は、正しいと言えると思います。(四書五経日本儒学者著作仏典古事記日本書紀・万葉集古今和歌集などの国文学等に親しんでいるネットウヨクなどは、ゼロではないしょうが多数派でもないでしょう。)

 その福澤諭吉は、彼の自宅を訪れる人間が貧しかったり地位が低ければ「そいつがそんな状態に在るのは、努力を怠っているそいつ自身自己責任なのだからそいつぞんざいに扱っても構わない」という態度で、わざわざ安物の茶を出すなど対応の仕方を変えていたと伝えられています

 我が国におけるアジア諸国に対する蔑視感情も、福澤諭吉系譜に連なる「日本努力して脱亜入欧を果たした。しかし、彼奴等の国は努力をしなかった。だから、オレたちが彼奴等を見下しても彼奴等の自己責任だ」という考えに帰着します。

 さて、現在はてな界隈では「不寛容な(例えば、人権意識が低い)人間に対しては、こちらも不寛容な態度に出ても構わない」とする考え方が主流のようです。

 そこで、私個人の考えていることは、

(1) 寛容性は、教育学習により身につく知的財産である

(2)_a 格差社会が深刻化すれば教育学習格差も拡大して、貧しい教育しか受けられない人間が発生する。

(2)_b 仮に経済的に貧しい家庭ではなくとも、保護者問題があって、教育ネグレクト洗脳状態に置かれれば、学習機会を得られない人間が発生する。

(3) そうして教育学習の機会が貧しくなり、寛容性を身につけられなかった人間が発生する虞がある。

ということです。なお、(2)_bの教育ネグレクト洗脳被害者に対するセーフティネットも、格差社会が深刻化すれば、貧弱なものになると予測されます

 それを踏まえて、ここで私が問いたいのは、我々が不寛容人間に遭遇した時に「それは、そいつが『不寛容人間』にならないように努力することを怠った結果なのだから、我々もそいつ不寛容な態度をとっても構わないのだ」とすることが許されるのか?と云う点についてです。

 ある人は言うでしょう。「教育学習の機会が貧しくても、そういう人間の全てが『不寛容』になるわけではない。だからそいつ不寛容なのは、やはり、そいつ自身責任なのだ。したがって、こちらも不寛容な態度をとっても構わない」と。

 あるいは「こちらが不寛容な態度をとることによって、奴らに目を覚まさせるのだ」と。

 かつて生活保護バッシングが起きた時(と言うか今でも現在進行形で起きているのですが)に、決り文句のように言われた/言われるのが「貧しい人間の全てが、生活保護に頼っているわけではない。条件に拘らずに働き口を探せば、生活保護を受けるような貧困状態に陥るはずがない。生活保護を受けるような人間は、そいつ怠惰からなのだ」とか「生活保護に頼らざるを得ないような、不健康状態にまで身体を壊したのは、そいつ努力を怠って不節制生活を送っていたからだ」といった言葉です。

 はてな界隈では、リベラル左派の方が多いので、経済的な貧しさ、疾患・障害などの肉体的な貧しさ等に関しては『自己責任』論者が批判される傾向にある一方で、知的な貧しさに関しては『自己責任』論者となる人が屢々見られるので、私は不思議に感じてます

 以前は「攻撃や争いよりも対話教育を」という姿勢の方も多数見かけたような気もしますが、最近では「彼奴等は、あんな奴らだから、関わったり対話を試みるのは徒労だ」として、対話努力放棄たかのような人も増えたように見えます

 はてな界隈は、個人自由を重んじる人が多いので、D. Harveyの言うように新自由主義に乗っ取られてしまい、結果として「自己責任論者」が主流となったのでしょうか?

 もしも、この文を読んで気が向かれた方は、ご自分のお考えを書いていただければと思います。 

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