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2021-06-14

戦えなくなった増田を仲間が引っ張るパッ日窯カナを出す間たっなく苗か多々(回文

どーも!

ブラックタイガーです。

「聞いて下さいよーこないだねもの凄く怒り心頭なことがあったんですよ」

「どないしんたん?」

「あまりに怒り心頭で背わたが煮えくりかえるわー!ってね」

ブラックタイガーだけにって?」

おはようございます

きっとお笑いブラックタイガーさんっていたら、

ザイマンのは入りは怒った話しから入って、

背わたが煮えくり返るわーって一笑いある自己紹介だと思うわ。

あのさ、

話し全然変わるんだけど、

ドラクエ死生観というか、

仲間がやられたら棺桶引っ張って歩くって何か結構強烈じゃない?

他は分からないけど、

ファイナルファンタジーなら戦闘不能ってなってあれは一応死んではないってことなのよね?

あの棺桶を引っ張って一緒に歩くって

今までなんとも思ってなかったけど、

大人になってから見ると結構強烈ね。

そして簡単教会で生き返らせられるとかあの死生観よ。

装備は道具屋とか武器屋で今装備していくかい?なんて気の効いたことやってそこで装備し直してくれるけど、

あの生き返らせ方はずっとドラゴンクエストなのね。

そこは真面目か!って突っ込みどころより

あくまファンタジーなんだからそう言った世界観死生観なのかも知れないから、

あんまり深く考えなくてもいいのかも知れないわね。

でもあまりにも敵にやられる回数が多いとさすがにちゃんと真面目に戦闘しなくちゃいけないのかしら?って

何も見ずにコマンド戦う戦う!ばかりを選んでいたら瞬殺されるのは当たり前よね。

腸が煮えくりかえるわ!

今までの作適当に戦って回復だけさせておけば良かった時台が私にもあったけど、

ちゃんと敵の防御力とか下げて殴りに行った方が効果てきめんじゃない。

攻略法を見ずにクリアするって目標を掲げた以上、

これは適当じゃなくて真面目に戦わなくては

いくらゴールドがあるから銀座でベコが買えると言えども

違う違う馬車が買えると言えども

命は大切にしたいところだから

あんまりオート戦闘は信じてないし、

私が命令コマンドするわ!って思うし、

呪文や貴重な回復アイテムをここでバンバン使われたら困るのよ。

またぜんぜん進まないのよね。

途中なんの話しだっけ?って忘れないように

3日1回は話を進めなくちゃってね。

忘れないようにするわ。

うふふ。


今日朝ご飯

beniおにぎりしました。

たまたま何も考えずに紅って変換しようとしたらbeniって出てきたので、

ボニーピンクさん感を超えるとともに

なんかニューヨークスタイルのお洒落おにぎり体裁イメージできるbeniってワードが強いなって思った次第よ。

よく分からないけど、

たまにはおにぎり食もいいわねって。

デトックスウォーター

スイカ買うのが楽しくてそして美味しくて冷たいスイカが今やルービーより欠かせない感じよ。

それをまた半分弱カッツしたスイカウォーラーしました。

今年はスイカの当たり年ね!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2021-05-15

anond:20210515211049

元増田です。

うん、すごく後ろ向きな考え方だと自分でも思う。

でも仕事趣味の面については俺は前向きで向上心があるし、死生観ぐらいは前向きでもいいんじゃないかと思っている。

家族の目が節穴だ、というのは失礼に思われるかもしれないけれど、でもそんな失礼な親族のことはさっさと忘れてもらいたいから、それでいいよ。

私みたいに、って過去にいろいろあったのかな?

2021-05-08

anond:20210508161140

結局自然状態人間普通に持ってるんだろうな。

日本みたいに宗教観が薄れて死生観現実的になった国ほど自然状態に戻っていって強まる。

2021-04-09

解離性障害とかの話

普段文章を書きも読みもしない人間が、備忘録がてら書こうと思ったこと。その昔、10年ほど前のことを思い出したという話。

 

タイトル解離性障害については興味があれば調べてほしい。

解離性健忘、解離性遁走、離人症、…多分一番取り上げられるのは、解離性同一性障害(DID)についてだろう。

今回は、そのどれでもなく、あまり語られないその他の解離性障害について、当時の経験を書こうと思う。

かなりの主観で書いているので、親サイドで見るととんでもない傲慢独りよがり子供の話であることだけは、免罪符として先に言っておこう。

 

 

少し自身のことを掻い摘んで記しておく。一つずつ語るとまぁ長いので、ざっくりと箇条書きで。

・少し裕福な家庭で育った

きょうだいの一番上

なんやかんやあって中学不登校高校不登校再発→退学

・その後、高卒認定を取り、浪人生活を経て大学進学

大学在学中に体調を崩して就活を諦める

・数年フリーター生活ののち、現在会社員

 

冒頭の10年前の時期は、この中の浪人生活辺りの話である

なお、家族名誉の為に表記しておくが、「家族から愛情を持って育てられていた」のは間違いなかろう。

家庭環境については、外から見れば良くも悪くも普通の家庭だった。自分にとっては、休まることのない家だったというだけである

ここについては語るとキリがないので割愛

 

中学高校と相次いで不登校になり、高校で出席が足りずに退学した。

学校に馴染めなかったのが理由だと思っていた当時だったが、家庭環境が合わなかった、性自認やそれ関連のトラウマという理由も含んだものであることを、年が経つと共に察することになる。

朝起きられない、一日中寝ていて起きたら次の日の朝だったという日もあれば、朝まで眠れない日もあり、食事を受け付けないかと思えば、いくら食べてもお腹が満たされないこともしばしば、身体がひたすらだるい…と不健康まりない毎日を過ごしていた。

出席が足りずに退学したとはいったものの、部活だけは好きだったので、時折顔を出していた。全然学校にも来てない、部活にも不定期にしか来ないのに受け入れてくれた。

あの時、不満を言わないでいてくれたばかりか、こちらの安否を心配してくれていた顧問先生と友人には本当に感謝している。

同級生引退する時期に、一緒に"引退"し、その年の冬に高校を辞めた。

この時期、何度か心療内科カウンセリングに通っていた。親がドクターカウンセラーと話をし、その後自分ひとりで話をする……はずだったのだが、毎回何を言って、何を伝えたらいいのか分からず、そのまま診察の時間は終わった。

心療内科ドクターからは「なんでもいいんですけど、自律神経失調症診断書出しときますね」とダルそうに告げられ、カウンセラーからは「あなたが悪いわね」と言われたのは、よく覚えている。

 

当時、既に無気力ではあったといえ、大学進学という目標があった。高校部活顧問先生がとても良い先生だったので、教師になりたいと思った。

教育学部に進学したいという、高校を辞めた身としてはなんともな目標ではあった。

高卒資格がないと大学には進学できない。在学中に通信制や夜間への転入も考えたが、同級生と一緒に大学進学を果たしたかったので、高卒認定を受けることに決めたのが、18歳の夏。

その年の秋に高卒認定を取得し、センター試験を受け、二次試験合格する……といった算段だったのだが、志望校センター試験できわどいライン

二次試験はかなり難しい学科なのでほぼ無理ゲー。諦めて浪人することになった。

予備校に通うことになった。有名予備校でなく、個人事業主がやっているところ。何でそこを選んだかは覚えていないが、教える内容は"勉強"というより"思考"そのものだった。事務所には漫画が置いてあって、マスターキートンをハマって読んでいた。何故か13巻だけ無かった。

予備校には色々な人がいた。いわゆる陽キャな子、5浪ほどしている人、社会人から出戻りして大学進学を志望する人、モデルをやるといって辞めていった子、いつの間にか来なくなって近場のパチ屋で見かけたと噂が立っていた子。

人付き合いが苦手な自分は、ここでも浮いた。孤立も慣れたもんだと思いながら入校してひと月ほど経った頃に、それは起きた。

 

 

最初の症状は、予備校休みで、家に居た時のことである

中学生の頃から身体の不調も相まって、朝起きられないというのが常態化していた。

朝起きても、身体がだるくて昼過ぎまで布団に入って寝ている。夜は眠れないし、一度寝たら起きられないというのが中学高校の頃の不登校事情だった。だが、その日は違った。

意識ははっきりしている。右手携帯を探す。ここまでは良い。左足が動かない。痛い。神経が締め付けられているような痛み。じわじわと熱くなるような感覚が、上半身に上がってくる。

痛みと眠気でぼーっとする中、徐々に左腕が痺れる感覚に陥る。左半身が動かない。

起きないと、いつものように親に怒られる。そう思いながらも身体が動かない。案の定、怒られた。辛うじて、身体が動かないことを伝える。

呆れた顔をされたが、微妙理解を得られたのは覚えている。この症状は、土日の間続いて、徐々に消えていった。

 

それから一週間ほど後、今度は予備校自習をしていたところに同様の症状が出た。流石にヤバいと察されたのか、親が迎えに来て、大きい病院の緊急外来直行した。

身体症状が出ていたので、最初外科検査、その後脳の検査(案の定だがここが一番検査時間がかかった)、最終的に精神科となった。

どこの診療科に行ってもハンマーみたいなものでコンッとされて、「痺れてるのに動くやん…」となったのは覚えている。あのハンマー、なんかの授業の時に見たなぁとぼんやり

入院して数日くらいで左半身の痛みや痺れは緩和され、日常生活に支障がないくらいに落ち着いた。

退院して帰ってもいいと言われたが、家に帰りたくないとわがままを言って、後一泊だけさせてもらった。後日、親にお金のことを口酸っぱく言われた。

入院中に、精神科先生からさいころの話を尋ねられた。心療内科カウンセリングで言われた時と違って、妙に詳しく話せたことは覚えている。

それをふまえて、「一度別の病院心理テストを受けてみませんか」と打診された。この時点で詳しい人は分かるだろうが、これは解離性障害テストじゃない。

精神科先生曰く、「まだ脳の病気可能性があるので、身体症状については断言できない」ということで、とりあえず心理テストを受けに行くことになる。

ここで診察をしてもらった精神科先生が、その後7,8年の間お世話になる人である

 

 

心理テストを受けに行くまでに数ヶ月も間が空いた。単に初診の予約の問題だ。それほど、受診する人が多いということである。大変な職業だ。

この数ヶ月の間にも、再度MRIを受けに行ったり、なんかよく分からん検査を別の病院に受けに行ったり(これは本当に何だったのか思い出せない)したものの、結局何も異常がなかった。

結局何も異常なかったじゃんと言わんばかりに、この頃からからの風当たりが更に強くなった気がする。

 

心理テスト小学校の時にやったものの延長といった感じで、楽しかった。

空間認識か図形かなんかのテストで高い数値を出したらしく、先生に「学会で発表していいですか!」と興奮気味に言われた。

結論を言うと、アスペルガー症候群(自閉症スペクトラム)だったのだが、なんか褒められたのが嬉しくて、グラフギザギザな診断結果の紙はお守り代わりに取っている。(追記:嘘。今確認したら所在が分からなくなっていた)

 

色々と話が逸れた。

アスペルガー症候群

うつ病

解離性障害

脳の検査心理テストカウンセリングやら色々やって、こういう診断となった。身体が動かなくなってからこの間、半年ほど。

発達障害については「ほーん」という感じで深く考えていなかった。人間関係だけでなく勉強の面でも思い当たる節があったので、どこか腑に落ちたのだろう。

解離性障害についても、この頃には既に左半身の症状も落ち着いていた。うつについては、中学生の頃からだろうという見解だった。

とりあえず受験第一だったので、何か困ったことがあればまた来てくださいね~という感じで通院終了。

 

 

それから数年、志望校とは違うが大学生活を送っている頃。

無理が祟ってうつ悪化し、更にストレスで声が出なくなり(これも解離だったそうで)、それによって教員への道も就活も諦めたり、再度病院のお世話になったりしたのはまた別の話。

教育実習を控えた直前のことだったので、担当教授にめちゃくちゃ頭を下げに行ったらすごく慰められたのはある意味救いだった。

余談だが、身体が動かなくなったということで運転免許を取る時に適性検査がすごく面倒だった。大事ことなんだけどね。

いかんせんマイナーな例なので、免許センター警察の人にも「?」という顔をされたし説明も難しい。これについては、今も忘れた頃に診断書提出に関しての連絡が来る。

 

解離性障害には、解離性健忘、解離性遁走、離人症解離性同一性障害などあるが、一度解離の症状が出ると他の解離の症状も出やすくなるそうだ。

高校生の頃に友人に「たまに別人みたいになるよね」と言われたのも、予兆というか症状だったのかもしれない。

よく多重人格だとか言われる解離性同一性障害についても、自覚しているくらいにはある。ここでは「自覚症状がある」という程度でしか判断が出来ないので割愛する。

結局、診察中に先生の前で出たことはなかったのだ。

診察の直前まで「今日こそ言う」「今日こそ文章で書いて渡す」という意識はあるのだが、いざ診察室に入ると封印されるかの如く、忘れてしまう。そんな感じだった。

遁走・健忘については、覚えているだけで一度だけ「来るまでの記憶がない」といったことがあった。

過去の期間において記憶がすっぽり抜けているというのはちょいちょいとあるようだ。(10年前の脳の検査の話も最近思い出したところ)

過去についてはトラウマは鮮明かつ歪んで覚えているのに、全体としてみると「あの時しんどかったなぁ」とぼんやりしてしまものだろうか。そこら辺は、ごくごくありふれたこなのだろうなぁ。

 

 

うつ寛解して数年。解離については麻痺したり、声が出なくなったりなどといったものはあれから出ていない。あれからどうやってこう生き延びているのか、不思議ではある。

ここまで書くのに余計な事をいちいち思い出さないで済むようになったという点では、丸くなったものだ。

また覚えていたら、今度は死生観について書こうと思う所存。

では、これにて。

2021-03-01

40代がはじめてゼーガペインを見た

すごくよかった。

私の頭では難しくて、一周ではわからないところも多かったので、何話か見直した。

改めてもう一周しようと思っている。

主人公以外の人々が、ほとんどみんな主人公のことを大好き過ぎるんだけど、納得できるし主人公とはかくあるものなのだろう。

女の子同士なら敵キャラとも友達になれてしまうのが不思議だけども、作者の解釈では女の子とはそういうものなのかもしれない。

ルーシェンの作画が毎回ほぼ崩れないところにこだわりを感じる。素晴らしい。

リョーコの声と喋り方がとにかくかわいい

シズノ先輩が不憫記憶を無くしたままの方が幸せそうな気がする。

ああ書いてたらキリがない。

もし思春期あたりに見てたら、死生観にすごく影響を受けてたと思う。この歳でも、考えさせられるものがあるし。

リアルタイムで見てたら、すごく楽しかっただろうなー。

思春期から30歳過ぎまで、アニメを見るのを封印していたので、リアタイ視聴のしようがなかったんだけど、もったいないことしてたなー。

でもこの歳になったからこそ楽しめるのかもしれない。とにかく見てよかった。

anond:20210301002508

なるほどね。

博士後期課程で学位もおぼつかない状態だと、心理的にも詰みやすい。

20代後半の焦りというのは、それはそれは凄まじいものだら。

親にはもう学位がとれなかったら学生のうちに自殺するとは通告済みで、許さないとの回答を得ている。

しかし、私が死んだ方が親の負担は確実に減るし、私が自殺すれば日本学生支援機構奨学金も死亡時の返済免除を受けられるのでいいことづくめだ。

これはもう少し頑張って、親御さんを説得するところまでは持っていけないのだろうか。

名の知れた大学博士まで行く子を育ててきた聡明な親御さんならば、子の死生観特殊でも理解を示してくれるように思う。

2021-02-01

anond:20210201013731

こうして声をかけてくれてありがとう。人の話を一方的に聞くのは好きだから、また別の機会、気が向いた時に何か書いて投稿してくれたら見にいきたいな。人から死生観を聞くと、救われるのとはまた違うけど、考えすぎてわからなくなった時に一つの指標になるから助かるよ。

2021-01-09

anond:20210108200014

https://web.archive.org/web/20210108152746/http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2021/01/post-3bb9f8.html

 

2021年1月 8日 (金)

緊急事態宣言など

 

 石破 茂 です。

 謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年も何卒よろしくお願い申し上げます

  

 昨日、一都三県を対象とした緊急事態が再宣言され、昨日発表された東京感染者も過去最多の2447人となりました。

 感染者の増加は確かに大事ではありますが、冬になって空気中の水分が減って飛沫が遠くまで飛びやすくなるのは当然のことですし、寒冷地では換気の機会も減少することも考えられますPC検査数の増加によって陽性者が増えるのもまた当然のことです。

 かくなる上は、感染者数ばかりに注目することなく、限界ある国家資源医療資源を、重症者と死亡者を減少させることに重点化して配分すべきなのではないでしょうか。

 「どうすれば重症化・重篤化しないか、どうすれば死に至らないか重要であり、対策情報発信も、このことを重視すべき」と昨年の感染初期よりテレビなどでも何度か申し上げてきたのですが、なかなかそうはなりません。

 医療関係者献身的努力によって、アビガン、レムデシベルヘパリン、デキサメトゾンなどの薬、人工呼吸器類(ネーザルハイフローやECMOなど)、普及率世界一CTなど(この多くを今回初めて知りました)を用いた治療法も随分と進歩し、救命率もかなり上がっているはずなのですが、そのような報道もあまり聞くことがありません。漠然とした感染者数よりも、基礎疾患を持つ方や70代、80代、90代の高齢の方の罹患率感染者数と死亡者数の正確な分析などの方が知りたいと思うのは私だけでしょうか。

 日本人欧米に比べて人口当たりの感染者数や死亡者数が極めて低いのも、同じ都道府県内でも市区町村によって状況が全く異なることにも必ず理由があるはずで、その科学的な分析が進められれば、もっと精緻政策が打てるのではないでしょうか。

 生活習慣の相違、国民皆保険制度存在、極端な格差社会ではなく分厚い中間層存在していることは決定的に重要な要素であり、この持続可能性を維持できるかが最大の課題です。

 

 諸外国特にスウェーデン対応についても様々な論評がありますし、同政府コメント承知していますが、この国において「『寝たきり老人』(とても嫌いな語感です)が居ない」ということとも関連性がある宗教観死生観問題が、改めて問われているように思われてなりません。

 日本特有同調圧力ゼロリスク志向の強さも改めて感じています。「自粛警察」などという不可思議至極な活動は、今のところなりを潜めているようですが、戦争中の「パーマネントはやめませう」「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」などという「愛国的な」活動が想起されて、とても嫌な思いが致しました。ヘルスリテラシーの低さについても、自らを省みて、これもまた然りと思います

 日本においては大勢世論(「空気」)に抗って異論差し挟むことは忌み嫌われますが、政治世論迎合しすぎてポピュリズムに堕してはいけない、よく自重自戒せねばならないと思っております

                                                                 

 失業率1%上がると自殺者が1,000人から2,000人増えると言われていますが、ここ数か月の自殺者の増加、特に女性割合の増加はとても気がかりです。また、病院にあまり行きたくない、ということで、がんの定期健診の受診数も大幅に下がっています

 風邪インフルエンザが「根絶」されることがないように、新型コロナウイルスも「根絶」される、ということはないでしょう。ただし治療法が広く共有され、重篤化を防ぐことができ、ワクチンが広く行きわたり感染拡大が収束した時に、自殺者が激増し、がんによる死亡者が大幅に増えてしまったとすれば、それは「人類コロナに打ち勝った」証とは言えないのだと思います

 政権は厳しい状況の中であらゆる方面から批判に晒されながらも可能な限りの対応をしているのであり、我々は少しでも国民の支持と理解が得られるように努めなくてはなりません。

 

 昨日のアメリカ議会へのトランプ支持者の乱入と死傷者発生の事態について、トランプ大統領責任がないとはとても言えない状況でした。選挙結果について異議を唱えるだけならともかくも、支持者に対して議会への乱入扇動するようなスピーチなどは、民主主義実力行使による否定紙一重であり、見たくもない光景でした。

 トランプ大統領就任した時、「言を左右して相手困惑させ、自分にとって最も有利な取引を仕掛ける『サスペンスとディールの大統領』となるのではないか」と申し上げたと記憶していますが、まさにその通りの4年間であったと思います大統領当選時の勢いをもって議会選挙を経た結果、共和党も明らかに変質を遂げました。昨年の大統領選挙でトランプ氏に投票した米国有権者は7380万人、この人々が更に先鋭化するのかも全く見通しは立ちません。

 自由建国精神とするイデオロギー国家国民の8割が神の存在を信じ、4割が毎週日曜に教会に通う宗教国家アメリカ国民という意味での民族国家、こういったアメリカ本質バイデン政権になっても変わることはありません。そうであれば、それぞれの自画像理想像基本的価値観対立する米中の軋轢は今後一層激しくなり、日本はより一層厳しい選択を迫られることになります安全保障についての法体系も、装備も、運用も、アメリカ依存から脱却し根本から見直すべきだと思いますし、今までのような問題先送りでは国益を損じると考えます

 それでもなお、同盟である米国が新政権によってその美点である復元力を発揮し、アメリカ民主主義理想に立ち戻ることを心より期待しています

 

 年末年始生来怠惰さに加え、雑事に追われて勉強らしい勉強も出来なかったのですが、中川恵一准教授東大附属病院)の「コロナとがん」(海竜社)、小林よしのり氏の「コロナ論」(扶桑社)、橋爪大三郎氏の「中国VSアメリカ」、同氏の大澤真幸氏との対談「アメリカ」(共に河出新書)、加藤陽子氏の「それでも日本人は『戦争』を選んだ」(新潮文庫)、は極めて示唆に富む大変に興味深いものでした。

 合間に久々に再読した、没後50年となる三島由紀夫短編・中編(新潮文庫)の文章の独特の華麗さにも魅了されたことでした。

  

 週末の日本列島はまた寒波の襲来に見舞われそうです。皆様ご健勝にてお過ごしくださいませ。

 

2020-12-31

無限ザオリク

勝手想像だけれど、老衰で死んだ人をザオリクで生き返らせたとしても、すぐにまた老衰で死んでいくような気がする。

しかし、そこでまたザオリクをかけるとする。

するとまた老衰する。

そこで、もう一度ザオリクをかけて、という具合に無限ザオリクによって、死を回避することが出来る。

ザオリク問題

どの程度の期間経過するとザオリクは効かなくなるのか?

ゲーム内では、どれだけ死亡状態放置してもザオリクをかければ生き返る。

肉体がどれだけ腐乱していても、全く問題なく生き返るということだ。

その間、魂はどこに存在しているのか?

別の場所彷徨っているのか?

肉体の中にとどまっているのか?

そもそもザオリクは魂を肯定しているのか?

単に肉体を再生しているだけではないのか?

ザオリクはどこへ向かっていくのか?

パーティ全員を生き返らせる、ザオリクンは存在しているのか?

もし存在しているのなら、パーティ人数をチートすることさえ出来れば、世界中の全員をパーティ化することで不死の世界が構築できる。

世界は一つのパーティであるべきだし、すでにひとつパーティであるともいえる。

魔王におけるザオリク

魔王の死の直後、ザオリクで生き返らせる部下をがいないのはどういうわけだろうか?

動物魔王ではなく組織を作る人間魔王ならば、当然そういう存在を配置させているはずなのだが?

ゆえに必ず勇者の装備には魔王の復活をおさえる効力がある、とどめを刺すアイテム必要である

ザオリク無効化必要である

オルテガ問題

なぜオルテガザオリクされなかったのか?

ザオリクの条件とは?

ザオリクがある世界における死生観

ザオリクがある世界ならば、この世界とは死生観が異なるはずである

ザオリク経験

魂はどこにあるのか?という問題の回答はザオリク経験者に聞けばわかる問題だ。

あなたは死んでいる間どうしていましたか

なんの記憶もない。

なんらかの記憶がある。

つのパターン

しかし、記憶があったとして、それが果たして死後の世界肯定につながるのか?

三途の川をみた、というような体験が死後の世界肯定にならないように死後の記憶があることが死後の世界肯定にはならない。

2020-12-21

助けてほしい

何か絶望的なことがあったわけではありません。余命を宣告されたわけでもありません。

社会的地位も多少あって、社会人平均よりも少しは豊かな暮らしをしております。家庭も円満です。

それが故でしょうか、毎日が無情に過ぎていくことが、とても儚くて寂しい。ありとあらゆる思い出が過去のものとなり、これから未来のきっと楽しい出来事ですら過去のものになることが確定ということを考えると、何だか無意味というか、ただただ悲しいのです。かといって、辛いことが起きるのは嫌。

一種死生観のような考えなのでしょうか?

宗教を学ぶべき?科学を学ぶべき?

とにかく、最近毎日ちょっと辛いのです。

2020-12-05

anond:20201205184046

死生観の違いなんかね

認めてない国もあるよな

2020-11-29

理想の死に方はハードルが高い

世の中にはポックリ信仰だのコロリ観音などというものもあり、「ぽっくり死ぬ」のが一つの理想とされている。

まあ確かに死ぬと判っていて長く苦しむのは、特異な死生観を持っている人以外は嫌だろう。

また、認知症などで長く家族負担をかけて、とてつもない醜態さらし続けて「いつ死ぬんだろう」と半ば願われながら死ぬのも、物寂しい話である

ピンピンコロリは、やはり一つの理想である

とはいえ、1人暮らしの人などがいきなり自宅で死ぬと、発見されるまでに時間がかかってしまい、遺体や自宅が無残な状況になりかねないリスクがある。

では仕事中に死ぬのが良いかというと、これも微妙だ。

友達少ないから、全社会議とかで大勢にお別れしてもらえるのはまあちょっと興味あるけど、正直、社長とか上司とかが何言い始めるか分からない危険性があるし、

遺族が過労死労災を疑ったりして、後味が悪い結果にもなりかねない。

かといって通勤中とかに死ぬ電車が止まってしまい、何千何万の通勤客の呪詛を受けながら死ぬ、という割とキツいシチュエーションになってしまう。


なので、ポックリ死ぬなら、旅先が良い。

旅先の人にはちょっと迷惑をかけてしまうが、恨みつらみは残らないし、何か楽しく人生を生きて死んだ感が漂うから、遺される人も若干気が楽だ。

とはいえ、ポックリ死ぬのは、何の準備もしてないので、本人は良くても周囲に面倒をかける。

心の準備もできない。お別れも言えない。喧嘩中だったりしたら後味も悪い。連絡すべき関係先を洗い出すのも一苦労だし、遺品の整理も面倒だし、部屋が汚かったり、恥ずかしい所有物とかが発見される危険性もある。

という事で、お別れを言う時間くらい欲しい。

しかし、お別れを言うには「大病を患っている」という前提が必須である

事故死ぬ場合は、即死を免れても意識不明のまま死ぬ可能性が高いので良くない。ふためと見られない顔になってる可能性もあるし、恨みつらみや相手方保険屋との交渉とかがあって面倒極まりない。

やはり病死である。それも死ぬと判ってから1週間程度の猶予は欲しい。

部屋の整理は諦めるとしても、せめて3日はないと、遠方にいる家族が死に目に会えない危険性があるし、お別れがあわただしくなってしまう。

しか半年以上入院というのも厳しい。最後の方はかなり苦しみそうだし、そんだけ入院すると費用馬鹿にならない。家族金銭負担がかかっているのを気にしながら死ぬというのも、きつい。

という事で、1か月前くらいに余命が判って、家族や親戚・友人に連絡して、身辺整理を済ませて、1週間前くらいに入院して一通りお別れを済ませて、最終的になんか良いセリフを言って眠って3分くらいで、ピー、ご臨終です、というのが理想である


しかし、どういう死因ならそんな事が可能なのか。

コロナは割と近いが、あれは陽性反応が出たら1日かそこらで問答無用入院である身辺整理もできないし、入院する段階ではまだ死ぬと決まってないから、関係者に通知もしにくい。

それに、コロナ死ぬ場合、途中からなんかゴツい機器で呼吸を助けてもらう形になるので、お別れを言えない。感染するといけないから遺族も立ち会えないし、遺体の顔すら見えないという。

じゃあガンならどうかというと、ガンで死ぬのは相当キツい。最後モルヒネ使って痛みを取り除くとしても、そこに到達するまでに、手術や放射線治療などがあり、相当苦しむ。

それに、専門家じゃないから良くわからないけど、末期がんで余命1ヵ月になるまで気づかないというのも、さすがにレアじゃないだろうか。半年前には気づいてしまう気がする。そうすると、死ぬまで長い。

1か月前に死ぬとわかって、あまりしまず、身辺整理をする余裕があり、お別れも言える。

そんなの、何か凄い感じの宇宙船事故で冷たい方程式的な何かが無ければ、ありえないのではなかろうか。(私は宇宙飛行士じゃないし、前述の理由事故死はちょっと問題あるので、どのみち却下である

理想の死に方はハードルが高い。

2020-11-07

おーん?またうっさい奴が……

と思ったら、

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6375815

鬼滅の刃』は本当に「怖いから観ちゃダメ」? カウンセラーが明かす子どもへの影響とは

記者映画劇場版鬼滅の刃無限列車編』のレイティングはPG1212歳未満の観覧には保護者の助言・指導必要)。

命の大切さ、死を受け止める力など、まずは親が『鬼滅の刃』のテーマ理解することが必要かもしれないですね。

カウンセラー】 「『怖いシーンは見ちゃダメ』と隠すのではなく、しっかりと話をしてほしいと思います現代の子どもたちは、

死んでも何度でもリセットできるゲームなどの影響もあり、死生観麻痺しがち。『鬼滅の刃』を親子で観て、

人間死ぬ。だからこそ命を大事にしなくちゃいけない』『守ってあげなくちゃいけない』という話をすることは、とても大切だと思います

良いこと書いてた。

すみません。そこまで考えて読んでいませんでした(36歳)。

2020-09-25

思うに、鹿せんべいが食べられないなら死んでもいいやって 覚悟している鹿もいるんじゃないか

人間のように、どんなに寝たきりになっても長生きしたいと考えるとは限らない。

死生観が鹿と人間では異なる可能性がある。

強盗対応する訓練って戦争中の戦車の下に地雷を持って飛び込むやつと同じ死を恐れぬ洗脳のための訓練なんだな

北朝鮮自爆の授業で死生観を討論する話とも同じだし

イスラム国処刑プロパガンダ映像だと言って死刑練習死刑囚にやらせるのとも同じ

死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ連続して言われると安全バイアスなって死ぬのを軽く考えるようになる

それを利用して洗脳して国や会社の思い通りに動かすんだろうな

【実話】借金2300万…サラ金企業を恨んで襲撃。武富士放火殺人

https://www.youtube.com/watch?v=o-Emt_k1npM anond:20200925121019

明らかに危険局面なのに社員が脱走しないのは変

2020-09-24

これは死生観問題

BIの事だが

現状の死ぬだけの年寄りに過剰な医療を施す仕組みは維持不可能

それより若いうちから消費をして元気にやって年取ったらポックリ行こうやという価値観にどれだけの人が合意できるかだ

問題死ぬほど角が立つからそうとは言いづらいという事だ

2020-09-20

改変を要求してるのはフェミニズムではない

創作物は「A:物語構造意味・内容)」→「B:表面的な要素(表現方法・設定)」→「C:読み手視線時代価値観)」で成立する。

で、Cが変わった時にBがそのままだとAの意味が変わってしまうんだよ。

しか物語で一番重要な部分はAだから、Cが変わったならばBも同じく変える事でAの構造を維持するのさ。

まりCで変わったものジェンダー観だろうが死生観だろうが美的センスだろうが、そこが変わったならBを調整する事は物語構造のもの要請

からこそ銀英伝のように原作者自身がそれを望んだりする場合もあるし、当然読み手側が求める事もある。

創作物が好きなんだったら物語論でも少し勉強してみると良いかも知れないよ。

anond:20200919212538

2020-09-19

舐達麻は死生観が刺さった。

大きな喪失があった時期に出合い自分が感じていた死の危うさや怖さに近いものを感じた。

喪失を受け入れるためのキャパティ作り、感情言語化に役立った。

から好き

2020-09-05

[]

今回は少年ジャンプ+で読める『マナーアプリオリ』の雑感

前提

正直、ひとつ作品として評価するとそこまでじゃないけれども、琴線には触れたね。少なくとも、久々に長文で感想書きたくなる程度には。

私は子供の頃、ハムスターを飼っていて失敗した覚えがある。二匹飼ってたけれども、一匹は脱走して、もう一匹はケージを日なたに長時間置いていたせいで死んでしまった。いや、殺してしまったというべきだろう。あの時、私はペットを飼うべき人間じゃないって思ったよ。

ただ、それから大人になって色々と考えを巡らせるようになると「愛玩動物」という概念文化のものに疑問を持つようになった。だって動物を飼う」という行為自体必要のないことだから。もし、それに必要性があるというならば、それは飼う側(人間側)の都合でしかない。

ペットを飼っている人たちが、他種に対する思いやりやら命の尊さを語ることがあるけれども、あれって本気で言ってたら怖いよね。だって読んで字の如く「愛」する「玩」具として手元に置いている立場なのに、その状態動物死生観客観的に語ると空々しくなってしまう。ペットに服を着せて「飼い主側の都合でそういうことをするのは如何か」みたいな意見は昔からあるけれども、そもそもペットとして飼ってる時点で人間側の都合を押し付けてるから

もちろん、それは動物を飼うということだけではない。食べるため、服の素材にしたり、或いは政治的パフォーマンスのためにお立ち台にあげられる。害獣害虫、益のあるなしなんて人間社会の決めたこと。自分たち生活を豊かにするため、時に排除し、時に利用する。グラデーションに違いはあれど本質は同じで、せいぜい細かな差異人間という第三者たちで語るだけ。結局のところ利己的な対応をとっているに過ぎない。私たちは「命の選り好み」を各々で強いられて、「倫理的バグ」を抱えて現代社会を生きている。

淡々と描かれる命の弄び

といったことを踏まえると、『マナーアプリオリ』という作品はえげつない。本作のテーマが何かって言うと明白で、それは「愛玩動物」。それを人間に置き換え、宇宙人立場から人間社会が抱えた「命の選り好み」と「倫理的バグ」を風刺的に描いている。『鬼滅の刃』で「生殺与奪の権他人に握らせるな」ってセリフがあるけれども、もし握らせて相手倫理に委ねたらこうなるともいえる。言葉意思疎通を図れるヒト対ヒトでそれなのに、動物相手だったら尚さら

ミノウルスの皿』と比較している人もいたけれども、本作は“愛玩動物”という視点から他種の命に対して問題提起を行っていて、食べるかどうかっていうのは一要素、側面的な話だと思う。『ブタがいた教室』っていう、学生たちが育てた豚を食べるかどうかで議論させた話があったけれども、本作がやっていることはそっち路線。「命を学ぶ」という“学ぶ側の唱えたお題目”によって、ブタの「命を弄ぶ」という側面。

テーマについては解釈余地ほとんどないと思う。あと、本筋に対しても解釈余地は少ない。大体のことは作中で語られてるし。最初の1ページで飼い犬が捨てられて、飼い主側の都合やらが語られる。旦那さんの「一日中ケージに閉じ込めてるのはかわいそうだ」だっていうのも、人間フィルターを通して語られる一方的倫理。それが人間の身に降りかかるという分かりやすい構図。

例えば「命の選り好み」と「倫理的バグ」については分かりやすい。主役の宇宙人たちの世界でも共食いは犯罪自分たちと見た目が似ている人間を食うのはゲテモノ扱いで、忌避する者もいるが一応はOK。まあ、これは哺乳類を食べるかどうかとか、クジラを食べるかどうかみたいな感じかな。

人間の子供に情を抱いたサッピは「殺すなんてかわいそうだ」といって、クンダは「それはエゴだ」という。なるほど一理ある。でも後にクンダは「そいつ幸せはとっとと食われて余計なストレスとおさらばすることだ」なんて言う。いや、それもエゴでしょ、ってツッコミは読者がするしかない。けれども、そのツッコミを本気でできるほど私たちは上等じゃない。

個人的に目を引いたのは痛覚のあるなしで是非を決めようとするシーンだね。痛覚がなかったら刻んだり好きなように弄んでもいいのかっていう疑問はあるけれども、これは現代ヴィーガンにも通ずる。痛覚がないか植物で、生物ではない。殺して問題ない命。その判断自体人間の決めたカテゴライズしかなく、それは「命の選り好み」の延長線上でしかない。あまり思慮深くないクンダは時々の感情判断し、サッピの方は独自基準が多少なりともあるが本質は同じ。無差別ではないが公平でもない。

露骨メッセージ性、損なうエンターテイメント

ここまで語っておいてなんだけれども、私は本作を高く評価してはいない。テーマに対して淡々としすぎてて、ストーリーライン起承転結の盛り上がりがあまりない。そうすることで残酷さを如実に浮かび上がらせるって意図なのは分かるけれども、それが一作品としてのエンターテイメントから見たとき、やや面白みに欠けるのは確か。

プロットに対しメッセージ性も露骨で、説教臭さが抜け切れてない。宇宙人文化倫理観、言葉選びが人間社会とほぼ同じで、語られることも作品内で馴染んでない。ひいては宇宙人の二人も本作のテーマ風刺的に描くための舞台装置、配役でしかないことを意味する。なんというか、『寄生獣』の終盤で環境問題について語りだす件があるけれども、あれだけ抜き出した感じ。有り体に言えば浮いてる。

ただ、私からいわせれば物足りないってだけで、現代社会は「命の選り好み」と「倫理的バグ」について、大衆は割り切るかどうか以前の段階。大半は無自覚的に享受し、狭い範囲内で限定的倫理を振りかざすのが精一杯。踏み込んで論じる段階にすらいけてない。それで描いても読者の大半はついていけないだろうし、少年ジャンプ+というサイト掲載マンガとしては丁度いい按配といえなくもないかな。

2020-07-27

こんな感じの死生観宗教観?って名前ある?

世界観

人類の魂はたった一つ

・一つの魂がある人の人生を生き、死んだらまた別の人の人生を生き、を繰り返してる

・魂は時間を遡れる、例えばある子供人生を生きた後でその親の人生を生きたりする

・それでも数百年単位で見れば魂は過去の人間の人生を生きてから未来人間人生を生きている

人類絶滅すれば、魂は最後の一人の人間人生と一緒に消滅する

行動方針

・魂が消滅しないようになるべく長く、多く人類繁栄しないといけない

・なるべく人類の苦しみの総和が少なく、幸せの総和が多くなるように生きる

他人は皆過去未来自分なので親切にしてあげる

漠然とだけど、こんな感じの雰囲気自分は生きてるんだけど、元ネタ?というか発想の元が思い出せないんだ

2020-07-11

東京都の新型コロナ若者中心であり重症者が少ないか大丈夫

東京都の新型コロナ若者中心であり重症者が少ないか大丈夫」は本当か?

https://news.yahoo.co.jp/byline/kutsunasatoshi/20200711-00187636/

著者は「若い人は重症化しないので大丈夫」というのは間違っていると言っており、その理由として「すでに流行若い人だけではない」「若い人も重症化することはある」の2つを挙げている。

だけど正直これを読んでも自分には「いや、若者大丈夫じゃん」としか思えなかった。

1つ目の理由の「すでに流行若い人だけではない」に関しては「スウェーデンのような方針をとればいいだけでは?」としか思えなかった。

2つ目の理由の「若い人も重症化することはある」に関しては、「重症化することはあってもその可能性が極めて低いなら生活を営む上で無視するしかない」としか思えなかった。

以前調べたけど、若者重症化率は1%未満とかだし、死亡率に至ってはもっと低い。

ゼロリスクを求めたら他人を轢き殺すリスクがある自動車運転すらできなくなるぞ。

この記事の前提として「老若男女生きていることが何より大事」という、生命至上主義とでもいうような死生観があるように思える。

でもその死生観は(自分を含めた)日本若者にとっては当たり前ではなくなっていると思うんだ。

2020-06-23

BLEACH一護がかわいそうなポイント

ジャンプ漫画ではありがちなのかもしれないが

・15-17歳という若さ、かつ短期間でとんでもない戦闘力を手に入れてしまったのが不幸。競技の才能だけが際立ったスポーツ選手みたいな状態

精神的なケアというか、指導者的な役割を果たす人が少ない。いても短期間、戦闘力のみを高めることに専念するコーチ

父親!色々知っているだろう父親から説明サポートが少ない。サポートしてくれたと思ったらやっぱり戦闘力を高めるコーチ

あの世のいざこざに巻き込まれ、数十歳〜数百歳も歳の離れた化け物と敵対したり協力したりする羽目に。そりゃ話が合わない。

・実はあの世問題死生観の違いや生死の在り方の違いをめぐる対立から生じているっぽいが、誰も説明してくれない。

・誰も説明してくれないから戦う理由は「守るため」しか見つけられない。ダチや街を守るために健気に戦う。付き合いが良い。

・けっこう死にそうになる。

2020-06-09

十二国記の謎と次回の短編集について、勝手に予想し、語る。

初めに

私は一介の十二国記ファンである中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。

記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈思い入れにも立ち入るかもしれない。

記事のおおよその内容

十二国記の今までの流れ。

十二国記シリーズ外伝を含め、次の順に出版された。

物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟視点から見た世界よりも、庶民から見た世界比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆レジスタンス物語であり、それがさら大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。

もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベル出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。

しかし、「丕緒の鳥からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理世界で生きる人々へのエールとなっている。

まり、これから尚隆や陽子視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。

十二国記で一貫してきたテーマは何か

前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。

十二国とはどういう世界

十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。

天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。

しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上奴隷だっている。

そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。

言い換えると、天は王と官吏農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会形成してきた。そして、この世界民衆ルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たち世界大統領首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たち世界鏡像なのだ

今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。

それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。

十二国記女性

十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠出産からの「解放」だ。女性苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観女性に優しい。王も麒麟官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSFフェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。

しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界セックスワーカーがどれほど過酷生活を送っているか不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。

考えてみれば、官吏女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である育児負担こちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。

それと、生理問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。

天帝女性

天帝女性、または西王母兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから天帝西王母より偉い理由別にない。

十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋空想だ。

天帝ラスボス

考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝ラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。

だが、もともと中国道教死生観がそういう面がある。「救急律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国役人賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。

そして、自分天帝ラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。

結論

私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。

また、

そして、長編がありうるとしたら

と考えている。

おまけ1 奏が滅びるとしたらどのような形か

しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。

王朝最後はいくつかの傾向がある。一つは陽子暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実検討する能力に乏しかった。

で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らししろ、という趣旨台詞がある。

これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しか御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険ものはない。ああいう仲のいい家族崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。

おまけ2 「王気」という言葉について

「王気」という言葉一見すると単純な造語であるしかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。

おまけ3 四令門の名前

黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。

おまけ4 「戴史乍書」の記述はなんであんなにそっけないのか

十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人お話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。

また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。

最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力行使可能麒麟がいるとか、かなり危険情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。

おまけ5 登場人物名前元ネタ

楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝盗賊活躍するピカレスクロマンである文人肌の楽俊とはだいぶ違う。

桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。

祥瓊の父の字は仲達で、三国志諸葛亮ライバル司馬懿と同じだ。雁の白沢瑞獣名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国官僚文人たちから名前が取られている。とはいえ名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い

おまけ6 遵帝はなぜ「帝」なのか

「帝」という称号始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである

しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。

語彙だけではない。現実中国文化には、周辺の異民族との交流からまれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートキルトではない、ズボンパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界匈奴西域の影響の薄い中国文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。

おまけ7 景麒の角の文字

十二国記アニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。

終わりに

つらつらと書いてしまった。

残念ながら、小野不由美の他の作品との比較検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。

積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。

そして、次回の新刊のんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語物語を完結させてくださり、ありがとうございました。

2020-06-08

スピってるやつが本当しんどい

スピッツのことじゃないよ。スピリチュアルのやつ

死者に敬意がないとか言っててさ?頭おかしくない?

おかしいは言い過ぎかもしれんけど、こうもナチュラルローカライズされて一部の地域だけでしか通じない思想

さも全人類が共有しているみたいな、全然世の中のことを知らないで上から目線で、自信満々に自分の考えが全宇宙で通じる正義だと思い込んで発言ちゃうのダセェんだよ

日本的霊魂とかの死生観前提のローカル思想だかんな

そんなことも把握できてなくて、今回のダーウィン賞に対して怒られても、そもそういう観点の賞じゃねーからしかならん

気持ちはわかる、俺も日本で生まれ育ってどっぷりそこの生死間前提の宗教観をお前らと共有しているからわかるけど、

それは我々のコミュニティしか通じないことだし、それを宇宙の真理みたいに錯覚するのは、マジでヤバすぎる

ダーウィン賞に怒るのはもっともだけど、それはダーウィン賞がクソなのではなく、日本死生観配慮がないことを怒るべきで、

ダーウィン賞がとち狂った倫理観を持っているわけじゃなく、彼らの世界では日本のように死んだ人間神聖視するようなスピリチュアル文化がないだけで、文化問題であることくらい分かれよ。

そんなこともわからんで怒り踊らされて訳わかんねーたわ言言ってるの、きしょいっつーの

お前の感覚は一つの地域しか通じないスピリチュアル文化だってことくらい、分かれ

わかった上で、怒るべきは、ローカル大事にされているスピリチュアル文化に対してのフォローが欠けていて、多くの同胞を悲しませることです。

というような起こり方がベターでしょうね。

なんだよ使者への尊敬って。尊敬するかどうかはどういった人間だったかによるだろ。死んだらみんなえらい!って

お前ら(我々)固有の文化だろう。少なくとも世界中の人間の間でコンセンサスを得ているような思想じゃねーよ

なのに、なぜそれが、この世の心理であり正義であると、誤解するのか。

もっとTVとかネットニュースかに触れて、世の中のことを見ましょうね

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