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はてなキーワード: 死生観とは

2024-03-18

タイムリミット世代

地球人類もいつか終わりがくる。

最後世代人類は、その時何人いて、どういう死生観を持ってるのか気になる~~~~~~。

そういうSF小説漫画読みたい~~~~~~。

2024-02-16

anond:20240216093402

日本での死者は古来から三角頭巾「天冠」だ

魂のように表現される場合、こっちが多く使われるはず

この表現で行く場合、足がない幽霊のように描かれる


これに対してキリスト教圏では霊に足があることが許される

死者をどの文化圏存在として【読み取ってもらうか】という記号として

天使の輪は秀逸だ

死後天使になるという事の現れとして、死者の魂は天使のように空に昇るが

それを途中でやめたような状態で、ありえないのかもしれない

だが、見る人には死者と分かり、キリスト教圏の死生観だと説明しなくても分かる

ドラゴンボールはその辺が和洋折衷していて、あれはもう鳥山ファンタジーとして見るのがいい

あの表現閻魔大王が出てくるから

2024-02-13

ミニマリストになってから、私の死生観が大きく変化しました。同じ言葉でも、その意味正反対になっていることに気づきました。

2年前、夫を急病で亡くしました。その後、「いつ死んでもいい」という思いが心の片隅にありました。しかし、ミニマリストになってから、この言葉意味が変わりました。

以前は、他人のために生きている部分が大きかったです。自分の好きなように生きていいのか、よくわかりませんでした。夫が亡くなった後、私は一人で世界に放り出されたような気持ちでした。半ばあきらめの気持ちで「いつ死んでもいい」と思っていました。

しかし、最近は「いつ死んでもいい」という言葉ニュアンスが変わってきました。一日一日を精一杯生きていれば、いつ死んでも悔いはないということです。婚活に対する考えも変わり、一人でも生きていける気がしてきました。

スティーブ・ジョブズ氏の言葉を思い出します。「もし今日人生最後の日だったとしても、今からやろうとしていることをするだろうか」。死が身近になると、一瞬一瞬を大切に生きるようになるのだと感じます

ミニマリストになって、以前より丁寧に暮らすようになったからでしょうか。私の考えるミニマリストは、自分の快適を知っている、あるいは知ることにどん欲な人。ミニマル暮らしとは、実は日々を大切に生きることなのかもしれません。

「いつ死んでもいい」と思えるほど、毎日が充実していたら素晴らしいですね。私もこの記事を書いていて、改めて日々を大切に生きていきたいと思いました。

2024-02-12

はてなを見ていると中学生みたいな恋愛観と死生観丸出しだけど、この歳で戸建て買うか迷ってる俺も金持ちからしたら似たようなもの

ぶんちゃけ地方引っ越してきたのは両親とか親戚から遠ざかりたいためだった

嫁さんも場所を選ばない仕事からついてきたけど、子供が大きくなるごとに賃貸の難しさを若干感じている

では戸建てなのかっていうとそれも微妙というか

まあ不動産関係者やそういうのに詳しい人って東京のど真ん中でマンション眺めるか見下ろすかしている人ばっかりなので、こういう地方都市で生活している人のことなんか理解できないんだろうし、貯金額の桁が違いすぎるしな

じゃあ似た意見がないかなってはてなをみても、なんかそれ以前の婚活がつかれたとか子供部屋で一生過ごしたいとか最後風呂場で汚泥と一体化したいとか尊厳死がどうのかって、創作現実をごっちゃにした人たちばかりなんだよね

たぶん、この人たちを見ている俺って、俺を見ている金持ち東京人とそんなに変わらない

中層がより下層の底辺を見ているだけ

2024-01-30

妹が自殺して2年[追記しました]

追記

 

いっぱい見てくれてありがとう

気遣ってくれたブクマカたち、ありがとう

もちろん、事実真実も今俺がどこでどんな暮らしてるかも全く知らないくせに、書いてもないことを妄想憶測曲解邪推で補完して膨らまして、

俺を批判したり同情したり憐憫したりアドバイスしたりしてくれたブクマカたちにも、ありがとう

それを無意識のうちにやっている人も、自覚的にやってる人も、いるなと思いながら目を通した。

でもまあ、それはいいんだよ。

それが欲しくて増田に書いたし、

俺は生きてるから

俺の言動意図ねじまがった形で波及して、求めてもいない影響をどこかやだれかに及ぼしてしまって、

自身が誤解されたり損害をうけたりすることがあっても、

自身が弁明や訂正をできるから

俺は生きてるから

 

死者にそれをやるのは卑怯だよね。だって死者は、裁判で訴えることも言い返すことも説明することも訂正することも弁明することも謝罪することも、できない。

死者は憐憫してほしいのか称賛してほしいのか忘れてほしいのか助けてほしいのか居なかったことにしてほしいのかも、もう確かめるすべもない。

 

自死について、テロ行為と書いたことで苦しませた人は本当にごめんね。

漫画家さんの自殺テロ行為だなんて言うつもりはなかったんだよ。

自殺者の自死テロ行為にしないために、生きてる人が気をつけるべきことがあるんだって話をしたかったの。

 

俺んとこで言えば、俺は、妹のせいで母が壊れたと思うべきではなかったし、壊れた母から悪影響を受けるべきでないし、母にも妹のためにこそ壊れないでほしかった。

だってこれが成立すると、あの自殺が俺たち家族にとってテロ行為とも呼べるシロモノになってしまうじゃない、って話をしたかったの。

 

こういう現実が、こういう思想自殺メリットを感じる価値観と地続きと思う。

https://anond.hatelabo.jp/20230715095602

 

妻子を気に掛けたくれた人もありがとう

俺の妻から苦しみを聞かされたわけでもない、なんなら妻の顔も名前もしらないのに、妻の気持ちを代弁してくれた人も、ありがとう

これ以上自殺呪い(と言い換えますテロは強すぎたね)の悪影響をひろげないために、妻と子供には、より誠実に向き合って、より大切にしていこうと、あらためて強く思いました。

 

人の心なんて、生きてようと死んでようと、絵にかいて見せることも形づくって触れさせることもできない、言葉を尽くしても伝わらない、どうやっても想像の域を出ないものから、切ないね

無意識のうちに、自分妄想憶測を、事実と同列に取り扱ってしまう人は、「人とは自分が見たいように物事を見てしまう生き物だ」ということ知ってほしいな。知ってて損はないし上手く使えば得になる。なんなら知らないと損してしまうこともある。

俺もまだまだ勉強中だから、偉そうに言る立場じゃないのだが。

 

追記ここまで

 

はいわゆる境界性パーソナリティ障害っぽいところがあって、思春期はまあ大変だった。

気に入らないことや思い通りにならないことがあれば、ヒステリーリスカハンスト家族を萎縮させる。

妹以外の家族、俺と父と母は割りと温厚というか事なかれ主義というか淡白だったものから

最後の方はYESマンに徹していたな。

とにかく言うことを聞く。「これして」「あれちょうだい」全てその通りに。

心によりそうのは2の次いや3の次、もっと後回しだったかも。

そうすればとりあえず刃物しまってもらえたから。

 

勉強は中の下、外では外交的でないまでもヒスも起こさず我慢だけしてるから、人付き合いは良好でなくても不穏でもなくて、

まり社会生活不具合がなかったから、幼いうちに医療にかかることがなかったのは心残りだ。

 

大学は県外へ行き実家を出た。

卒業と同時に、大学出会った彼氏地元に嫁いだ。

俺たち家族はほっとした。実家環境が合わなかっただけで、家族以外との生活には問題ないんだ。

の子は変な子でも変わった子でもなかったんだ、と。

 

妹が嫁いでまもなく、俺も結婚し、2世住宅を建て、両親を呼んだ。

実家は取り壊した。妹がヒステリーを起こしたとき痕跡が生々しくのこる実家は、みんなにとって黒歴史だった。

妹が壁に書き込み続けた呪詛言葉。蹴ったり殴ったりして開けられたいくつもの穴。食器を投げつけた傷。包丁が刺さったあと。拭いても拭いても落ちない血痕。

リノベーションするにも、業者のひとに見せるのすら憚られたから。

今思えば、何て書いてあったのか、あの子の心の叫びを知っておけばよかったな。

 

新居に引っ越しから一度、妹は旦那さんと一緒に遊びに来た。

旦那さんは、気さくで温厚でいい人だ。嫁の実家なんて気を使うだろうに。

俺ら家族に対して不穏な態度を隠しもしない妹に不満をみせることもない。

一晩泊まって、翌朝になっても客室から出てこない妹とは対象的に、旦那さんは一人早くに起きてきて、朝食の支度を手伝い、妹抜きで朝食を囲んだ。

今思うと、もしかして欠陥品かもしれない妹を押し付けた俺ら家族と、もしかして欠陥品に今現在虐げられる暮らしをしているかもしれない旦那さんと、何も知らない俺の嫁さんで、なんとも言えない緊張感はあったかもしれない。

妹にとって、自分実家とは言えないが自分の両親と兄が暮らすこの家は、居心地がイイとはいえないだろうが、

自分親族の家に来ているというのに朝になっても起きてこない妹に、何も言わないし様子も聞かない俺たちは、旦那さんの目にはどう映ったんだろうな。

 

嫁いで何年経っても、妹に子供はできなかった。

なにかの機会で、旦那さんのご両親と俺と俺の嫁と俺の両親で一緒に食事をした際、

先方のご両親からそのことに触れられたが、俺の両親はなんとも煮えきらない反応をして、話題を変えた。

この頃には俺の嫁も、俺の妹の不穏な雰囲気を察していたかもしれないな。

 

妹が嫁いで8年くらいの頃かな。

仕事から帰ったら母親が血相変えて玄関まで出てきて。

「妹が離婚する」って。

から電話があって、そう言ってたって。もちろんいつものヒステリーからくるヤケクソの話ではなく、その電話旦那さんとも話して、「直接ご挨拶をさせていただきたいのと、離婚届の署名をおねがいしたいので、伺わせてください。この度は誠に申し訳ありません」って感じの話だったらしい。

 

俺たちは困った。嫁いでからずっと妹は働いてなかったはず。

もう30になるという歳で、職務経験もないあの子が、今すぐどこかで働き口をみつけて、住むところをみつけて、一人暮らしをして、ってできるのか?

もしくは、こちらに帰ってきても生家はない以上、ここに住むのか?

そりゃ一時的には問題ないが、ずっととなると。

俺には子供が二人できていた。

言葉にはしなかったけど、妹との暮らしは、子どもたちには悪影響ではないかと思ってしまっていたことは、忘れていない。

 

あのとき俺らは利己的だった。

8年大丈夫だったんだから、なんとかなろう。

妹の癇癪持ちは、もう治ってるって。大人もの

仮にそれが一時的に出てしまったのだとしても、時間が経てば解決する。

離婚なんてしなくても済むはずだ。

だってあの気さくで温厚な旦那さんだもの

妹の問題点も笑って許してくれるさ。

 

母はその晩、妹に電話をかけた。

離婚したとして、どうやって暮らしていくのか?現実的に難しい問題がいくつかあることを妹に話していた。

から、もう少し頑張ってみたらどうか?とも。

今思えば、いつでも帰ってきておいで、って、言ってやるべきだったかなあ。

 

妹はまもなく首を吊った。3日間意識不明をさまよったのち、死亡となった。

俺は妻に子供を任せ、両親を連れて嫁ぎ先へ飛んだ。

 

旦那さんの憔悴ぶりは見ていてとても可哀想で、なにより申し訳なかった。

俺は仕事が有るのと、妻に幼い子供2人押し付けてるのも気に掛かかるものから、両親を残して通夜だけでお暇した。

空港までは旦那さんが送ってくれた。

旦那さんは別れ際に、「僕のせいで、申し訳ありません」と言ってくれた。

この時点で俺は、妹の亡骸を見てもなお、妹が死んだ事実よりずっと、俺の妹がこの人やこの人の家族迷惑をかけてしまったということのほうが胸を占めていた。

旦那くんは悪くないよ。一番つらいのは旦那くんだろ。」

そう言って別れた。旦那さんは泣いていた。

 

俺は本当に浅ましかった。

あのまま妹を俺の家に受け入れていれば、妹は俺の家を破壊たかもしれないし、俺の家で首を吊ったかもしれない。

そう思うと、妹が、意識不明から復帰することがなくてよかったし、すべて旦那さんがケツ持ちしてくれてよかった気がする。

そもそも妹が嫁いだとき俺は、「これで妹に縛られた人生から開放される」「死ぬまで妹の面倒見てくれる人ができてよかった」そういう気持ちではなかったか

妹の幸せにも妹の未来にもなんの興味もなかったのではないか

旦那さんは、こんなかたちではあるが、妹が死ぬまで面倒見てくれて、汚れ仕事をすべて請け負ってくれた恩人。

旦那さんの未来は、もしかしてこのことのせいで暗く閉ざされてしまうこともあるかもしれないけど、俺たちは、旦那さんのせいにして、何ら変わらない日々を送れるんだ。

はやくこの地を離れたい。

 

そういう気持ちでいた。

 

あれから2年が経った。

1周忌は仕事言い訳に行かなかった。妻も両親も旦那さんも、俺に何も言わなかった。

今月、妹の3回忌があった。そのため久しぶりに嫁ぎ先を訪れた。

曇天でいまにも降り出しそうな空模様のなか、お経を聞いた。

そんなに多くの法要に顔を出した経験が有るわけではないのだが、よく見るのは、故人の配偶者が存命の場合は、故人と配偶者の馴れ初めや思い出なんかを坊さんが語ってくれたりして、参列者でほっこりして、故人を悼んで…なんてするイメージだった。

そういうのは無かった。離婚が決まっていたからなのか、自殺からなのか。もしくは、旦那さんに新しい女でもいるのかな。見覚えのない女性の参列者を見かけると、そんなことを考えたり考えなかったりした。

法要のあとは、旦那さんと妹が暮らした家に伺って、形見分けをしてもらってから、両親を伴って帰路についた。 

旦那さんと妹が暮らした家は、記憶の奥底に閉じ込め蓋をし忘れたことにしていた、実家を思い出すようだった。刃物食器を投擲することによってついたであろう傷は、しずかに床や壁にこびりついていた。

 

2年間の月日が流れる中で、妹の嫌悪を感じる点も、忌まわしさを感じる点も、憎悪を感じる点も、あまり思い出せなくなっていく。

思い出を美化しているらしく、生前は良い思い出とは思っていなかった記憶さえ、なんだか温かい感情を伴って思い出されることすら有る。

から、本当の妹は、ここに書いているよりもずっと酷い人間だったかもしれない。 

 

記憶の美化は故人の美化で、それは後悔を呼んだ。

幼い頃から妹に手を焼く度に忌まわしく思ったし、

脅しによって周囲の人間を思い通りに操ろうとする様を本気で憎んだときもあったよ。

だけど、俺から見たら「気に入らないこと」「思い通りにならないこと」で感情を爆発させる妹だったけど、

妹にとっては、きっとそれが何より辛くて苦しくて助けてほしいことだったんだよなあ。

 

今でこそ、境界性パーソナリティ障害っぽい、だなんて偉そうにラベルを貼れるけど、あの頃は、そんな妹自身が抱える暗闇について、目を向けることすら無かった。

分かりにくかったけど、きっと助けてほしかったんだろうな。

俺には知識教養も度胸もなくて、何もしてやれなかったな。

妹を大切にする暇もなく、妹より大切なものをいくつも持ってしまって、さいごま蔑ろにしてしまたかな。

あの頃俺がつらかったのも事実だし、

妹がつらかったもの事実なんだろうなあ。

 

そして、この2年の月日で、母はどんどんおかしくなった。

母をまもるため、母を大切にするため、俺はこの家を建てたのだけど、母はいま妹ばかりだ。

俺が妙な助言をしてしまったせいで、母は妹にあん電話をしてしまって、だから妹は死んでしまって、だから母は壊れてしまったのかなあ。

妹がヒステリーを起こして母を殴るたびに、母に刃物を突きつけるたびに、俺は母をかばったものだけど、母はそれももう忘れてしまったのかなあ。

俺が生きていても、母にとって意味はないのかなあ。

の子どもたち、母にとっては孫であるの子達も、母の大切な一人娘が死んでしまたことの前では、無価値なのかなあ。

 

父は、もともと目が見えない人だったが、母がおかしくなってから認知症も進行したように思う。

から、3回忌は、俺もボイコットができなかった。

ハンディキャップが有る父。妹に攻撃される母。人格障害っぽい妹。

俺も、頑張りすぎたのかな、幼い頃から、妹の兄でありながら、妹の父のかわりや、母の夫のかわり、あらゆる自分を演じようと、無理をし過ぎたかな。

こんな俺が、妻や子どもたちを大切にできているのかな。

いろんなことが複雑に絡み合って俺たちはここにいるんだなあって最近よく思う。

 

最初は、「妹が自殺したのは、配偶者である夫とのいさかいのせい」と思い込もうとしていた。本質はどうあれ、そのほうが俺の人生にとって都合が良かったから。

だが、壊れてゆく両親という現実や、美化される自分記憶とともに、その自己暗示も、維持ができなくなってきて、自責の念が強くなってきたと思う。

 

それと同時に、なぜか新しく故人である妹への憎しみが湧いた。

俺たちを苦しめる原因って結局すべて妹だ。感情を削ぎ落として考えたらそうだ。

そして母への怒りを感じた。

俺は子供だったし、母は大人だった。夫が盲目からって、俺に頼り切りでなく、大人として責任果たしてしかったよ。

妹が死んだ途端、被害者ぶるのはやめてくれ。

の子病院にかからせることができたのは、あの頃はあなただけだったじゃないか

俺に負債をおしつけて、それで今更被害者面なんて、浅ましいと思わないのか。

 

色んな感情が渦を巻く。

妹はこんなふうに壊れる俺たちが見たかったのだろう。

妹を厄介払いするように嫁にやって、妹以外で結託している俺たちに、自分重要性を知らしめたかったのではないか

まり自殺ってテロ行為なんだ。

他人を変えるために、死というウルトラCを用いて、インパクトを与える。

他人というのは、俺らだったかもしれないし、旦那さんだったかもしれないけど。

まんまと呪われた母は、そして呪われた母に巻き込まれて変わらざるを得なかった俺や父は、

妹の思うつぼだということだ。

彼女は、あの世でほくそ笑んでることだろう。

 

でも、妹はそんなやつじゃないとも思うんだ。

本当に逃げたかっただけだ。

俺たち家族からも、旦那さんからも、厄介者扱いされていると感じてしま現実から

見捨てられる恐怖から

もちろん俺たちだってそんな、あからさまに厄介者扱いなんてしなかったよ。でも繊細で傷つきやすいあの子は、なにかを受け取ってしまたかもしれないじゃないか

 

そんな弱い子でもない。

あいつは、内面にそういうマグマをかかえつつも、無難に人付き合いができる賢い子でもあったよ。

怒りっぽく、傷つきやすく、繊細で、家に帰れば人の悪口ばかりだが、本人の前ではおくびにも出さない。そういうしたたかな子だった。

自殺だって彼女彼女なりに選択したことだ。良し悪しはべつにして、彼女の中にそれなりの正義があったに違いない。

同情がほしいなんてそんな浅ましい理由で、こんな愚かな真似をするわけがない。

から外野に過ぎない俺等が勝手にあれやこれや憶測妄想をして、勝手因果関係見出して、勝手に怒ったり悲しんだり憐憫したりするのは、彼女に失礼ではないか、とも思う。

 

とにかく。

自殺って本当に良くないな。嫌でも思い出すし、

外野勝手悲劇エッセンスに利用してるのを見ると、自分のことのように腹が立つ。

これは俺の認知が歪んでいる自覚は有る。

にしてもだ、自殺って脳天気バカどもが考えてるよりずっとずっと地獄だよ。

自分のクソデカ感情シェアしたくなる気持ちはわかるけど、自死遺族からしたら、それすらもノイズだったりするかもよ。

発信することは、真意が売名でも承認欲求でも吐き出しでも追悼でも救済でも擁護でもなんでも、ノイズになりうるし、エゴイズムだと思う。

しらんけど。ありがたく思う人もいるかもしれんけど。

フィクションじゃないんだよ。病死事故死や老衰とは話が違うんだよ。故人の何を知っているんだ。

自殺するようなことがなきゃ、書かれなかったであろう伸びなかったであろう記事をいくつも見たよ。

自死によって世界が変わるのは、良く変わっても悪く変わっても、なんだかテロリズムを感じて気色悪いんだ。

生きてようと死んでようと、その人間が行ってきた善行も悪行も変わらないから、本質的には同じなのに。

俺は芸能人有名人自殺しても勝手憶測は書かないようにしているし、因果関係も見出さないし、責任追及もしない。憐憫もしない。

死者が物言わないからって、単なる憶測がでかい面をしていい理由にはならない。

本気で愛してんなら、自殺と絡めず書いてくれ。だし、死ぬ前に書いてやれ。愛だけ叫んでろよ。

称賛も憐憫必要ない。ただ愛を込めて心のなかで悼んで差し上げろ。

自分が救われたいだけなら、自分にあう死生観宗教にでもたよってくれ。

セクシー田中さん一件、中世ヘルジャップそのままだな!

中世期に於いて、「指し腹」という慣習があった。

これは、何らかの係争於いて、一方当事者がそれを理由切腹した場合、もう一方の当事者もまた切腹しなければならないというモノである。これは必ず割腹でなければならなかった。この時代切腹の定式は未だなく故に介錯人も不在である。まあまあ痛い。なお、中国史上でもしばしば割腹という自殺手法は誠意を誇示するための手法として古くは春秋期の記録があり、汎アジア的な死生観垣間見られる。


この際、切腹者の言い分は詮議されず、問答無用で被指名者も腹を切らざるを得なかった。係争神明裁判などにもみられるように一種投機行為である。そこで、証憑に対する掛け金を天井まで釣り上げるにはどうするか。究極にして絶対誰でも出せる"テメェの腹"こそシンプルな回答になる。前払いの命によって裏打ちされた証憑は、ために既にして真実にまで昇華している。となれば係争相手も己の証憑に文字通り命を懸けるか、あるいは係争に敗れ命を落とすかのどちらかだ。どっちにしろ死ぬ。そうなった以上、抗弁は不可能無意味なのである

逆に腹一つで取れるのは首一つまでであって同害報復原則ちゃんと生きている。故に係争拡大にはならないという自力救済を旨とする中世ジャップランドにしてはまあまあ抑制の効いたシステムでもあった。


可笑しいのは、このような投機状態に陥ったなら乾坤一擲私闘に至るか闇討ちでもすればいいものを、わざわざ自死してしま中世ジャップの異常行動である。なんならそれを聞いただけで被指名側も恐怖のあまり頓死してしま場合があるというから惰弱にもほどがあるというモノだ。その辺があまり類例を見ない慣習である


さてこれは名前現代にまで伝わっていることからも分かる通り、慣習とは言え相当に強力かつよく知られた代物であった。発祥は少なくとも室町期までは遡ることが出来、後に戦国時代の分国法に採用されている場合散見される。これから逃げんとする者は、上位権力である戦国大名が指揮して成敗するとまで定められている例もあり、むろん実施例もある。一方被指名者が腹を斬ればまあまあそれで済むので、一族郎党にいやいや切らされた奴もいたに違いあるまい。

さて指し腹は近世江戸期に入り、その慣例法治主義によって、切腹者が事前に被指名者を明言して割腹家人使用した脇差文字通り脇を刺した奴だなガハハ)を相手方に届けた場合に成立し、相手方はそれを以て割腹するという様式が完成する。ホント官僚主義社会ってどうしようもねぇな。

2024-01-21

anond:20240117180948

しろ死んだら無になるという死生観デフォルトで、輪廻転生や死後の世界のような死生観の方が宗教の都合で作られた特殊ものなのでは

2024-01-17

「死んだら無になる」って誰が言いだしたんだろう、と思い調べ始めたが……思ったよりも大変だなこれ

近代日本人死生観』という論文……国士舘大学講演会資料?……に以下のような記述がある

一九〇一年、死を宣告された政治思想家の中江兆民は、間近に迫った自己の死を強く意識しながら、『一年有半』、『続一年有半』を著しました。そこでは身体(駆殻)こそがすべてで、精神などというもの実在を想定する必要はない、死とともに個人存在は終わるのだというさっぱりとした考えがけれんみなく提示されています

へぇ~、明治のころにはもう最近日本人がしばしば言いがちな「死んだら無になる」って考えを持った人がいたんだなあ

じゃあこの「死んだら無になる」って考えはどの時代までさかのぼることが出来るんだ?

というわけで、まずは「無神論歴史」で調べてみた

しかしこの路線頓挫する

「神」の存在否定しても「霊魂」の存在否定しない考え方もあるようなのだ

無神論だと範囲が広すぎる

一応、仏教には「断見」という概念存在する

断見 - Wikipedia

断見(だんけん)とは、因果法則無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ[1]。反対語は常見(じょうけん)。

まさしく「死んだら無」の考え方

しかし、この仏教の断見という考え方が現在日本の「死んだら無」という考え方に直接つながっているわけではおそらくないだろう

なお、前述の『近代日本人死生観』ではこのような見解

こうした考え方が広がっていく背景には、近代科学が前提とする唯物論的な世界観の影響があるのは確かです。しかしまた、現世を尊ぶ儒教神道、また霊魂実在ということを否定する仏教伝統が影響を及ぼしていると見ることもできます

じゃあ唯物論について調べるか……と思ったがここで調査打ち切り

哲学に関して調べるための前提知識があまりに不足していた

なんか唯物論西欧での歴史をざっくり眺めてると、神の存在否定していないように見えるんだよな……ここらへんキリスト教の知見が足りないのかもしれない

そしてなぜか途中から共産主義の話になる、わけわからんくなってしまった

キリスト教歴史について書かれた初学者向けの本を先に読むべきかもしれない

もともと私は幕末明治日本人宗教観を調べていたのだが、面白そうなテーマがあってつい脱線してしまった

2002年刊行の『死と唯物論』という本が面白そうなのだがすぐには入手できなさそうだ

日記

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Wikipediaの「無神論歴史」のページの記述関係ありそうなところをピックアップしておくか

「チャールヴァーカ」の項

パーリ経典によれば、紀元前6世紀アジタ・ケーサカンバリン仏教徒と議論をして「身体が滅びるとともに、賢者愚者も等しく滅する。彼らが死後も存在するということはない」といったことを既に説いている[3]。

現世利益を謳うと「死んだら無」の思想になる傾向が見える

江戸時代日本の「浮き世」の考え方(=現世利益)ととても相性がいい

しか日本には先祖崇拝and葬式仏教がある

「死んだら無」とはすなわち祖先もまた無になったということになるので受け入れ難いか

そういえば日本でも儒教で「無鬼論」というのがあったはず

これも「死んだら無」の論理だったが先祖を敬うことは推奨する思想になっていたのが上手いところ

流行りはしなかったようだが

エピクロス主義」の項

ルクレティウスは「神は存在しない[22]」と宣言した。エピクロス主義者は死後の世界存在否定した[23]。

エピクロスは「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」という語録も残しているようだ。原子論的(唯物論的だ)な考えから導き出された思想

西洋啓蒙時代まではキリスト教の影響が大きすぎて無神論の考え方は全然育たなかったみたいだ

ざっと見た感じ現世利益唯物論の合わせ技で生まれる発想みたいね

誰が言い出したんだという話からはズレるが、現代日本で「死んだら無」って言ってる人は漫画の影響とかありそうな気もする、知らんけど

デスノートとかそういう死生観作品だったような気がする

2023-12-30

死生観が若干狂っているので幸せを感じるとここを頂点にして今すぐ死にたいみたいな気持ちになるのまじでオワっとる

2023-12-15

安楽死合法化する一番手っ取り早い方法

安楽死合法化への批判

他人負担をかける(とみなされる)弱者に対して「安楽死しろ」という圧力がかかるのではないか

ソリューション

みんなが等しく安楽死を望む社会を作ればよい

安楽死が「誰もが憧れる癒し」とか「夢の医療」とみなされる社会を目指そう

制度プロセス

①心身の健康な成人男性が高額なお金(数千万円?)を支払った場合にの安楽死許可する法律を作る

②「経済的に恵まれた健常者の男性のみに安楽死を認めるのは差別的だ!」という批判喚起する

女性障碍者貧困者でも安楽死できるよう法改正する

世論操作

「死は万人に訪れるものだ、死ぬ自体は悪いことではない」という認識を広める

苦痛から解放、「安楽死は究極の癒し」というプロパガンダ

インフルエンサーに「死んでみた」動画とか「死・実況」動画とかを流行らせる

(なんかいい感じの宣伝を誰か考えてくれ)

結論

死生観を変化させたり、安楽死ポジティブものだという認識を広めたりするとよさそう

2023-12-04

動物福祉繁殖についての日本北欧の違い

デンマークで昔、余剰個体になってしまい行き先がないキリン安楽死させ、ライオンの餌にしたという動物園があった

なんでそんな考えに至ったかというと、繁殖させて子を産ませることまでが動物福祉と考えるかららしい

子の動物としての生存権より親の出産権利重要視してるという考え方である

日本や大抵の海外動物園は余剰個体になりそうな場合避妊処置をしたり、オスメス別居などをして繁殖をさせないという方向になる

これは望まれない子が生まれないようにすることを優先した考え方である

こういう動物福祉の考え方っておそらくその国の人間死生観が大いに反映されてると思うんだよな

そう考えると少子化対策のために日本北欧モデルを参考にするのは少々厳しいのでは?という気がする

日本の考え方は恵まれない子供なら生まれない方がいいって考え方で、その考え方ゆえに少子化になっているのである

から北欧のように親世代環境を良くしたら産むようになるというのとは少し違う

子供幸福担保するなんて国家には無理ぽよなので、この考え方の下だとどんどん少子化するしかないと思う

ちなみにキリンの件は欧州でも大きなセンセーショナルニュースになったので、このような死生観を持つ人ばかりではないことは申し添えたい

だが、日本中国韓国だとまず出てきそうにない考え方だなぁとやはり思う(その代わりサーカスなどにキリンを売るということはやりそうだけど)ので、やっぱ文化的な違いは絶対あると思う

2023-12-02

何で老人が寝たきりでも生かされるのか分かった

医療現場で働くようになって、高齢者が寝たきりで生かされる理由には、明確な理由があると分かったので記録しておく

結論

寝たきり老人を医療で生かす費用高額療養費制度により100万円程度

しかし、年金はその2倍3倍受けっとているので家族は、何としても生かそうとする

これが日本で寝たきり老人が生かされる理由

死生観問題ではない

構造的な欠陥だ

医療従事者のほとんどは知っているが、誰も表立って語らない真実

匿名からこそここに真実を記す

つかこ事実が掘り起こされて日本で抜本的な改革がなされることを切に願う

2023-11-23

anond:20231119190039

攻殻機動隊サイト読んでたらこ増田思い出したよ。

抜粋:昨年、「END展」(2022)という展示を観ました。テクノロジーを通じて死生観を問うもので、たいへん興味深い内容でした。すでに我々は自分ライフログをもとに、生前と同じような身体で、同じような喋り方をするエージェントをつくりだすことができる。このような時代において、情報生命の関わりや、死に対する倫理観はいかに変わっていくでしょうか。

https://theghostintheshell.jp/mma/column/column03

2023-11-22

がんにかかって死にたい

ブラックジャックによろしくの屈指の名言

「僕はがんで死にたいです」

を知らない人はすぐにブラックジャックによろしくを読んで欲しいが

それを知った上で高齢者になることを考えないとダメだと思う

どうせ人間はいつか死ぬのだが、今は死にたくないという矛盾にどう整理を付けるのか

それが死生観なんだろうな、と思うし、その1つの答えががんだったり自死だったりするんだろうな

結局何が正しいか自分の中にしかないのだ

2023-11-19

新興宗教にハマらない死生観を持つ方法

「死んだらみんな骨だけだ」

このルフィセリフを噛み締めて理解しようとすればあの世で救われるとかみたいな価値観などどうでもよくなるはずだ。

生きてる今に何を成すかが大事

2023-11-09

「死なず八一の一生」ってジャンプ漫画を読んで

https://shonenjumpplus.com/episode/14079602755425726897

読み切り漫画を読んだ。

はてブしろジャンプラにしろ、読者の感想では、リアリティが無いだの漫画だろ楽しめよだの、ちょっと揉めてたりして。

  

最初自分も細かい設定の粗を突っ込みたくなったけど、読み返すと、この漫画への突っ込み欲求はそれ以上に、本質的主人公人物像の気持ち悪さに起因しているのだと思った。

 

 

長期間不死で虚無的になった人物が有限な生を持つ人間とのふれあいで変わる、というのは割と使いまわされたプロットだ。

 

この漫画が変わってるのはそこからで、彼女と長年共に過ごしてそして彼女が死んでも特に主人公は変わらない。(主人公が既に3000年生きてきたならともかく、350年のうち50年は短い期間ではないだろう)

数百年ぶりに温かい言葉をかけてもらっても、自分を描いた小説を読んでほしいと言われて喧嘩しても、主人公ゲームやろうぜとしか言わない。

死んだ時も涙も流さないし、彼女が一生をかけて書いた全50巻の原稿書斎で見ても、片づけるの面倒だ、もっとゲームしろよとしか言わない。

 

彼が変わるのは、娯楽を探している時に街中で小説ベストセラー化しているのを見るのがきっかけだ。

それまで数百年にわたり他人社会を拒んでいた主人公は、"売れている"・”売れているなら面白いだろう”という極めて当時代的な価値観を突如受け入れて、それを以て急激に変貌する。

字も数も読まず他者とろくに交流しなかった主人公が、ベストセラーになってるのを見ると急にそれまでの生きざまを翻してしまう。

彼女の思いよりも、過去300年の生涯で築かれた自分人格よりも、世間で売れていることの方が主人公にとって重要事実だったということだ。

 

彼女が死んだ後にうず高く積まれ原稿を見て、そのまま書斎で読みだし自分彼女を顧みるなら、ツッコミはあったろうがここまでは多くはなかったのではと思ってしまう。

彼女視点仮定すると、自分の生涯を費やした作品でありあれだけ言葉を尽くして読んでほしいと願った作品なのに読んでもらえず、世間で売れてるからって理由で初めて読んでもらって嬉しいのかとも思ってしまう。

  

不死の人物と有限な人間のふれあいで変わるというありふれたプロットは、最初の数ページで読み手も暗黙のうちにある程度展開が予想できるし、一定の像を期待して読み進む。

読み手もこなれていて、このような設定にハイコンテクストな昨今では、世代を超える不死といえば世俗的な死生観倫理観社会観を越えたもの過去経験から纏っているのだろうと読者は(勝手に)補完する。

しかし、多くの作品に比べるとこの作品主人公の変貌のあり方はあまりに収まりが悪い。

 

そしてもう一つ、主人公の元々の人物造形は極めて幼児的だ。彼女が生涯をかけた創作には50年に渡り目もむけず、彼女が亡くなっても動じず、ゲームボウリングカラオケ…出てくる言葉は相変わらずこれらばかりだ。

不死ゆえの虚無性や刹那主義もあろうし、誰しも大人になっても怠惰流れることはあるが、共感普遍的に得られる人物像ではない。

後半生は変わるし、本来はそこにカタルシスがあるべきシナリオなのだが、上に書いたようにその変貌はあまり説得性が無い。

結局読後感として残るのは突っ込みたくなる人物像だ。

  

  

作品には細かいツッコミどころが多くあり、突っ込みやすさ故にそこを主に突っ込まれている。

しかし、この主人公人物像の気持ち悪さや変貌の説得性の低さがツッコミを招く本質なのだろうと思った。

  

  

付)この作者の前の作品「ぼくははやくなっていく」、「お兄ちゃん抱き枕」も読みましたが、これらは当作とは逆の”時間が止まる”モチーフですが上の様な点の無い面白い作品だという感想です。

2023-10-28

anond:20231028104420

昔は例えばアシモフ小説よんでアルビドがとか出てきて興奮があったんだよね

僕や僕の人類に関するの世界観とか死生観にかなり影響を与えられてる

その後必死で生きてきて

もうどうでも良いかってなった時になんか凄い見たり読んだりしてる

昔読んでたパタリロとかも

2023-10-22

長命種だからまだまだ寿命残りまくりだけど、人間時間間隔だと高齢者キャラ

まとま

フリーレンは老人が若者イチャイチャする話って言われてるけど、そもそもフリーレンって「老人」ではないよね。

・ということについて1人であーだこーだ考えたけど全然考えがまとまらない。

・こういうのについて書かれている本やブログあったら教えてくれ。


フリーレンは「老人」?

「葬送のフリーレンは「老人が若者ドヤ顔したり介護してもらう漫画である」という意味不明の言説が最近ネット流行っており、人間性問題のある人達が「この釣り餌は使えるぞい」と日夜この話題で己の醜い承認欲求を満たすために構ってちゃんを繰り返しています。それ自体の是非は今はどうでもいいので放置します。

私が疑問に思ったのは、「そもそもフリーレンは老人なのか?」ということです。

『老人』の定義は様々でしょうが、私は今回老人を『その種族としての寿命を使い切りつつある(いつ老衰が来てもおかしくない)状態』を意味する言葉として用いたいと思います

たとえば「10歳の犬」は「種族としての寿命が使い切りつつあると言えるので『老犬』である」と定義されますよね?それと同じ考えです。「老エルフ」のような表現を使うとあとあと面倒になるので、老いた人型種族はまとめて「老人」として扱わせていただきます

フリーレンは「老人」?→私は「否」だと思う

これは作中に登場するゼーリエ というエルフフリーレンの会話からの推察です。

ゼーリエ はフリーレンと同じエルフ種であり、フリーレンの師匠であるフランメの師匠に当たります。このことから雑に考察すると恐らくゼーリエはフリーレンよりも年上だと思うのですが、人間と関わり始めた時期の違いだけであり実際にはフリーレンが年上である可能性は否めません。ただし、作中の言動を見るにゼーリエがフリーレンと比較して極端に若いということはないと思われます

そしてこのゼーリエ がフリーレンとの会話中に口にした死生観を見るに、まだまだ彼女達の寿命も尽きそうにありません。

「私達はそれを百年後にやっても二百年後にやってもいい、千年ほったらかしにしたところで何の支障もない。私達の時間永遠に近いのだから。」

第53話「人間時代」より引用

もしもこの二人のエルフが千年、二千年後に死ぬ可能性があるのだとすれば、このような会話をすることは難しいでしょう。

また、彼女たちが100万年寿命を持ち、これまでに90万年生きてきたとしても、このような会話をすることはないと思われます

自分たち永遠に近い時間もいつか尽きるこをまだまだ先だと感じていることが言葉の節々から読み取れます

そのことからエルフ基準においてまだ老人ではない」と考えることが出来ます

フリーレンは「老人」ではない。でも「おばあちゃん」を感じてしまう。

フリーレンは「老人」ではないわけです。

でも読者はついつい自分たち基準を当てはめてフリーレンを「おばあちゃん」のように扱ってしまう。

これはまさしくフリーレンが人間に対して行ってしまった錯誤の真逆なのです。

物語の冒頭、「たった50年先の再開の約束」を果たした「まだ100歳にも満たない若者」と思っていた相手はすっかり老いしまい、その生命を使い切ってこの世界から旅立ったときフリーレンは自分の過ちに気づきます。そして、その後何度となくぶつかる時間感覚の違いが、この作品テーマの一つとなっているわけです。

私も全く同じだったのです。

フリーレンの寿命はまだまだ先であることを知りながら、彼女をどこかで「おばあちゃん」として扱っていた。

どこの馬の骨とも知らない斜め読みレス乞食が投じた的はずれな一石が、意外な所で私のフリーレン観の過ちを暴いてしまったのです。

そもそも長命種族の年齢感ってどう扱えばいいの?

そこから派生して考えていくうちに完全に分からなくなりました。

年齢的には3桁4桁だけど外見年齢相応の精神性の長命キャラクターもいれば、外見年齢と全く中身が一致していない長命種のキャラクターもいます

そもそも種族として若者か老人かということは人生経験の有無から独立しているとも考えられます

およその寿命が10日である生き物が10日生きたら、その精神性は老境に相応しいものとなるのでしょうか?

精神年齢は役割によって決定するという考え方も出来ますし、死が迫ることで価値観が変化していくという見方も出来ます

私達が一般に使う精神年齢はおおよそ「人生において失敗や成功を繰り返した結果、少々のことに動じなくなる程度」のように扱われている側面が強く見受けられます

そうなると長命種の種族的な寿命から考えたライフステージとは無関係に、実年齢の高さがそのまま精神年齢となるのでしょうか?

これは大いに疑問です。

そもそもキャラクターに与えられた役割によって決まるという身も蓋もない答はあるにはあります

江戸前エルフのヨルデが600歳超えの年齢に関わらず全体として言動が幼いのは、そういう設定のキャラクターであるからだと結論づけて考察を止めることは可能でしょう。

でも本当にそれでいいのでしょうか?

からない。

もう分からない。

10歳の老犬を擬人化した時、その精神年齢は人間の60歳に相当するものであるべきなのか、人間の10歳にそうとうするものであるべきなのか、その答を延々と探し求めるようなものです。

「答えなんてない」で終わりにすべきだという方向に直感は動いています

でも試しに人に聞いてたり、本を開いてみれば別の答えが返ってくるかも知れない。

聞くべき相手も開くべき本も分かりません。

誰か助けてくれ~~~~。°(´ฅωฅ`)°。

2023-10-08

anond:20210221221639

そらまぁ阿羅漢なら生老病死を克服してるだろうしな。

俗人の死生観で語ったらア(ラ)カンやろ、阿羅漢だけにな!

2023-10-04

anond:20231004083059

作者の罪は、死によって浄化される。

日本人独特の死生観がそこにはある。

2023-09-28

園子温作品生産性のない本能に従ったセックス暴力、また盗撮恫喝恐喝等の犯罪不倫等愚かなことに没頭させる。またはメンタルイカれたもの本能に従った熱量をそのままにぶつけている。

結末がどうであれ、頭のイカれた人間本能を見せつけ人をアブノーマルとは言い留められない思想をどこまでも煽らせる。

そこで肝心なのは登場人物の女は男に従わずを得ない立場に追いやられながらも、女という武器で裏をかいてるという過剰な女としての自信だ。男はそれを「頭の弱い女」と呼ぶ。

この園子温の「頭の弱い女」…言葉は悪いが肉便器のような扱いを受ける女性は、女を自分武器であると過剰な自信を見出す。特にセックスにおける相手を魅了しているという自信は「愛される」という言葉に変換させ、メンタルの死んだ女にとって麻薬のような作用をもたらしている。麻薬となってるのは行為であり、男ではない。だからこそ馬鹿なのだと。

……思えばバカみてーな作品だ。刺激だけ求めている内容だ。これこそが男女敵対哲学のように映画で語りつつも、下衆を極めたゴミだ。しかしながら、「男女の友情は成立するか否か」といった無謀な問答が昔からある限り、創造性のない頭ゆるゆる性欲しかない人間再生産されるだけだ。それらを認めるところから整備を始めなければいけないとこ、性欲のみに従いたいと惰性貪り努力せず「愛される」「愛されたい」などといった耳障りのいい言葉に挿げ替える。今度は若年層に「死」「サディズム」への意識ミックスして新たな創作に刺激的な味付けをし、植え付けようとする。

今度は性欲という本能封殺し、死生観をメインにする。はたまた嫉妬恨み等負の感情を引き出させる。一体何が見えてくるのか。

ちなみに地獄でなぜ悪いチェンソーマン暴力狂気は似ている。いずれにしても破滅が好きだ。ファッション破滅

ここまで書いてクソどうでも良くなった。どうせこんな文章書いたって二番煎じどころじゃねーわ。

あーーーー醜いきしょい俺もお前らも。

2023-09-26

正しい死のために呪霊を払いたい

呪術師に悔いのない死なんてない

死ぬ時は1人

この辺の死生観結構この漫画の好きな要素だったのに

死後の世界あんな満面の笑みならもうみんな死ね

2023-09-12

増田ってすごい

どんな話を始めても嫌な顔をされない。

ここでなら初対面でいきなりうんこの話やセックスの話ができる。

身の回り差別病気死生観だって自由にしてもいい。

現実なら「意味が分からない(困惑)」「いや、ちょっと(苦笑)」「家族相談すれば?(他人事)」と拒否されるような話でも気軽な気持ちで始められる。すごい。

 

それにちゃんと返事が付くのがさらにすごい。

ノイズはかなり多いけどなんだかんだ反応らしきものがもらえる。

時にはとんでもなく博識な人や人情機微を知り尽くした風来の仙人みたいな人が現れて深い滋味のある返事をしてくれる。

どこの馬の骨ともわからない人間駄文時間を割き、親身に文章を考えてくれる、心温かい人がここには住んでいる。

報酬や見返りは一切ないのにだ。

ほとんど奇跡だと思う。

ここは奇跡が起こる場所だ。すごい。

 

また、ここでは自分で始めた話をどんな形でも終わることができる。

今ここで終わってもいいし後で書き足してもいい。

嫌になったら消すこともできる。

この真っ白なページにおいては、まるで編集長になったような気分になれる。すごい。

 

はてな匿名ダイアリー。略して増田

これだけすごい場所なのに「屑の掃き溜め」のように風聞されていることは残念でならない。

やはり昨今はSNS時代なのだろうか。

SNSで容易に付けられるハートやサムズアップに勝る真の愛がここにはあるだろうに。

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