はてなキーワード: 倭人とは
ちなみに朝鮮語の起源が日本語であるという意味でなく、逆に日本語の起源が朝鮮語という意味でもない。
日本語と朝鮮語は同祖の可能性があるという学説。
更に言えば同じ民族だったということも意味しないので、未だに嫌韓こじらせていたり、日本叩きを続けてる連中は巣に帰って良いぞ。
そんなことで好悪感情を昂ぶらせても俺たちの祖先みんなアフリカ出身なので学問の邪魔になる党派性は巣に持って帰ってくれ。
これで何がわかるかと言えば、古代朝鮮人と古代倭人はかなり密接に交流していたってのがわかる。
まぁ言語学から見ると過去の朝鮮半島は多民族な地域だったので古代朝鮮人と呼んで良いのか悩みはするが、ここはわかりやすく古代朝鮮人として定義する。
お前らがいくら韓国へ好悪感情持ってても過去の時代から影響されあっていた間柄なんだよ。
言語学が日韓祖語を証明したとき、それをその瞬間の事実として受け入れ、より良い未来と選択し、過去の時代の研究が進んだほうが世の中がほんの少しだけ楽しくなるはずだ。
しかし本論文は言語学だけではなく、分子生物学と考古学の視点からも考察を行っており、特に分子生物学の成果が大きい。
2010年代以降の考古遺伝学の発達はまさに革命といってもよい。2010年代以降と以前では別物と言っても過言ではない。(この発展については「交雑する人類」を読むと良い)
解析方法の発展と古代人骨の収集によるデータの発展が両輪となって、現代の考古遺伝学はほぼ数理科学となっておりこの論文でもデータセットとソースコードが公開されている。
そこには特に異論はないというか、専門外すぎて口出しできない(『交雑する人類』、日本語版が出た直後に読んだけど面白いよね)。「少なくとも言語学の側面からは」と書いたことからわかってもらえてると思うけど、分子生物学とかそのへんの研究成果について否定するつもりは毛頭ないのよ。
ただ、言語学の見地からは証拠が弱いけど、分子生物学とかで補強しまーす! って言われると、いやいやまずは言語学の見地で証明するのが先やろが、って話になっちゃう。ロベーツさんが自分の「トランスユーラシア大語族」仮説の脆弱さを分子生物学とかの虎の威を借りて誤魔化してるようにしか見えんのよ。
言語学を置き去りにして分子生物学と考古学によって答えを出すのはフェアではないというご主張たしかに理解できます。
しかし日本語の起源について、肯定にせよ否定にせよ、答えを出すのは言語学では不可能だと思っています。
世界で最も古くから研究が進んでおり非常に多様な姉妹語が現存している印欧祖語でさえ、6500-4500年前の印欧祖語にはまだたどり着けていません。
それに対して日本語は琉球語しか姉妹語が存在せず、唯一関係がありそうと思われている高句麗語(正確には高句麗の先住民の言語pseudo-Koguryŏ)と濊語も資料がほとんどありません。
このような条件のため言語学によってさかのぼることができるのはせいぜい2500年前程度でしょう。
よって今まで日本語の起源は「まともな言語学者なら手出ししない危ない分野」と見なされていました、2010年代までは。
https://anond.hatelabo.jp/20211111231157 で紹介した文章ですが、以下のように国内の言語学者たちもゲノム研究を軸に研究を進めているのが現状だと思います。
福井:ただ日本語と唯一関係があるかもしれないと思っているのは、河野六郎先生や李基文先生など多くの方が扱ってきたいわゆる高句麗語あるいは濊語、つまり旧高句麗地名から推定される言語で、それが日本語に近いというのはほぼ間違いない。最近は伊藤英人先生も注目すべき発表をなさっています。
遠藤:ええ、だからこのヤポネシアゲノムプロジェクトでも日本以外の言語学的証拠で一番確かな根拠は、いわゆる「高句麗」地名だと狙いを定めて、初年度から重点的にやっています。実際にはたぶんそれが全体として「高句麗語」を反映するというよりも、倭人が半島部で先住民として当時になるとモザイク化して居住していて、倭系の地名を残したとか、そんなイメージではないかと思うんですけど。
福井:そうですね。それを河野六郎先生がはじめて歴史的な資料の中に出てくる濊人の言語ではないかということを言い始めた。その一番きっかけとなった大きな証拠は、もともと朝鮮で日本人のことをなんと呼ぶかというと、jej(예)ですね。これが「濊」の字音(jej)とまったく一致します。その一方で、日本人の呼称は普通は倭人の字音「倭(waj)」となるはずなんですが、中期朝鮮語の資料の中ではそれではなくて、jej(예)と呼ばれている。そこから発想されたのかなと思うんです。
遠藤:それが現在の中国の東北部、古い時代の「夫余」の地域あたりまでJaponicで解ける地名があると以前から言われています。
遠藤:それで、九州の無アクセント地域と二型アクセントの境界線のあたりにABOの血液型の境界線がひかれるんですね。A型は瀬戸内海から関西にかけて特に多くなって、その周りに別のタイプがあって、その境界線がちょうど無型アクセントになるあたりなんですね。
それから他にも斎藤先生のおっしゃる三段階説または内なる二重構造、イエナのマックス・プランク研究所の人は新幹線モデルといっていましたが、関西から山陽新幹線がはしっている辺りから九州にかけて、身長が高くて、首と胴体の比率が7頭身に割合近いといった形態的な違いもあるそうですね。
それで、服部四郎が『アクセントと方言』の中で、北九州の辺りから関西にかけて移住が起こったかもしれないと書いていますね。
もしかしたら朝鮮半島からも繋がっているかもしれず、弥生人が北九州にもたらした日本語はアクセントをもっていたが、周辺部ではアクセントがなかったとかいったことがもし想定できるとしたら風間先生とか狩俣先生とか、もっと早くは山口幸洋が言っているようなこともあるかもしれませんね。
つまり、一言語内部の比較言語学的な考察からすると対立が少ないところは分化条件が与えられない限り必ずや合流を経たとせざるを得ないので、ウルトラCのような離れ技として民族的ないし言語的なsubstratumを想定に入れないとダメになりますね。
ヤポネシアゲノムが始まる2年前までは我ながらこんなことを言い出すなどとは思いもよりませんでしたね。
もう40年ほど前から日本語の系統論っていうのは、本当に危ない分野なので手出しせずに実証的な研究に没頭すべきだと考えてきた世代なので。
それは「日本人」の原郷であって「日本語」の原郷ではないやんけ。
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もちろん古代の話だから、ヒトという乗り物に乗って言語も一緒にやってきた、と仮定するのが無理のない話だろうし、言語学的に想定された原郷と古人類学の観点から突き止められた原郷が一致するなら「なるほど原日本人=原日本語話者の原郷はここなんだな」という結論になるだろうけど、言語学的に穴だらけの仮説を補強するのに古人類学の成果を持ってくるのは話の順番が違うっしょ。
ちなみに言語学的な原郷が遼河流域という説自体は、個人的にはそれなりに「ありそう」だなと思ってる。大陸倭語の存在もあるから古代の朝鮮半島に日琉語が分布してたのは事実っぽいし、さらに、五十嵐(2021)は関東から東北にかけてを覆う「拡大東日本語派」と九州から沖縄まで連なる「南日本語派」がマトリョーシカ分布を示すことを指摘して、本州西部から四国あたりの地域に日本語の原郷を求めてるけど、仮に日本語の祖先が朝鮮半島から入ってきたとすると「なるほどそこから列島に入ってきたんだな」という感じで辻褄が合うんだよね。ただこれはなんの証明もできない妄想であって、もっとちゃんとした言語学的な証拠が必要だけど。
"Origins of the Japanese Language(2013)"
“From Koguryo to Tamna: Slowly riding to the South with speakers of Proto-Korean(2013)”
“Northeast Asian Linguistic Ecology and the Advent of Rice Agriculture in Korea and Japan(2011)”
オーストラリア国立大学先史学・人類学部 ピーター・ベルウッド
"The Global Prehistory of Human Migration(2013)"
"A History of the Korean language.(2011)"
"The role of contact in the origins of the Japanese and Korean languages.(2019)"
広告に水着が使われづらくなったのは、あれは弾圧によって一つの市場、表現、仕事、働き口が潰された事例だ。
「小人プロレスが倫理的非難で潰されて小人症の稼ぎ先がなくなった」は信憑性が怪しいし古い話だから検証も難しくなっている。
だが、広告に水着が使えなくなったのはここ二十年に私たちの目の前で行われた弾圧だ。
確かに社会や思想はそのように動いたが、その動きが正しかったことは保証されていない。
だから「水着広告もなくなったんだし、他の性的魅力を生かしたプロモーションや仕事も公開範囲を狭めるのが妥当」なんてのは全然正当性がない。
水着が減ってよかったと思ってる人からしたら、運動成果であり倫理進歩なんだろう。
だが私から見れば、アメリカ人がネイティブアメリカンを殺したり改宗を迫ったこと、倭人がアイヌを殺し差別したのと同じくくりだ。
今ではそれらの行為はおおむね過去の過ちとして反省対象となっていて、輝かしき運動成果として扱われることはほぼない。
なのに、フェミニストなどが水着広告界を潰したことを疑いなく世の中の進歩であり実績であり「価値観のアップデート」などと呼んでいるのは、死体の山の上で快哉を上げているようでグロテスクに見える。
水着広告を潰したことや、今後性的表現が許される場を狭めていこうとしていることが、果たして先住民虐殺のような過ちとなるか奴隷解放のような偉業となるかは長い時間が経たないとわからないだろう。(なんならその二つも千年後には評価が逆転しているかもしれない)
だが少なくとも、自分達がしているのは絶対に奴隷解放的な正義の行いだと疑わず、反対者を悪だとかアップデートできていない愚か者だとか断じるのは止めるべきだ。
発言者:遠藤光暁、青山学院大学教授、中国語音韻史・方言学、アジア地理言語学
児倉徳和、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所准教授、ツングース満洲語学
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福井:ただ日本語と唯一関係があるかもしれないと思っているのは、河野六郎先生や李基文先生など多くの方が扱ってきたいわゆる高句麗語あるいは濊語、つまり旧高句麗地名から推定される言語で、それが日本語に近いというのはほぼ間違いない。最近は伊藤英人先生も注目すべき発表をなさっています。
遠藤:ええ、だからこのヤポネシアゲノムプロジェクトでも日本以外の言語学的証拠で一番確かな根拠は、いわゆる「高句麗」地名だと狙いを定めて、初年度から重点的にやっています。実際にはたぶんそれが全体として「高句麗語」を反映するというよりも、倭人が半島部で先住民として当時になるとモザイク化して居住していて、倭系の地名を残したとか、そんなイメージではないかと思うんですけど。
福井:そうですね。それを河野六郎先生がはじめて歴史的な資料の中に出てくる濊人の言語ではないかということを言い始めた。その一番きっかけとなった大きな証拠は、もともと朝鮮で日本人のことをなんと呼ぶかというと、jej(예)ですね。これが「濊」の字音(jej)とまったく一致します。その一方で、日本人の呼称は普通は倭人の字音「倭(waj)」となるはずなんですが、中期朝鮮語の資料の中ではそれではなくて、jej(예)と呼ばれている。そこから発想されたのかなと思うんです。
遠藤:それが現在の中国の東北部、古い時代の「夫余」の地域あたりまでJaponicで解ける地名があると以前から言われています。
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風間:2つほどあります。別に私が言い出した事ではなくて、以前Vovinさんらが日文研から刊行した日本語の系統についての本にも書かれていますが、日本語は昔はもっと孤立語的なタイプだったとする説です。先ほど遠藤先生は中国語などと比べると日本語は全然違ったタイプの言語であるとおっしゃっていましたが、日本語は昔はもっと孤立語的なタイプだったとする説を考えていく必要はあると思っています。昨日も木部先生がおっしゃっていましたように、古代日本語の語はほとんど一音節です。一方、母音の数は現在よりおそらくもうちょっと多かった。助詞自体にも個別の声調があって、現代のテ形のテの部分などにも独自の声調があった。つまり膠着的ではなく、文法要素も独立した語の性格を持っていて、孤立語的だったということです。助詞や助動詞には自立語起源で説明されるものがかなりたくさんあり、声調があって単音節、という事になると、まるで孤立語的であるということになります。
風間:はい、今まさしくその歴史時代の日本語の事を考えなくてはいけないんだと思います。それを考えるとやっぱり孤立語だったという可能性についてよく検討していくべきではないかと思います。
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遠藤:文献言語史的な証拠から言うと日本語はせいぜい1500年前ぐらいしか遡れないですね。あるは『魏志倭人伝』とかの頃ですよね。高句麗とかいろんな北方民族の記録については中国側の正史などの東夷伝とかもありますが。考古学の方からするともっと古い情報がわかって、宮本一夫先生の説によると、まず日本語を話す人たちが朝鮮半島に入ってきて、そのあと朝鮮語を話す人たちが現在でいう中国東北部から朝鮮半島に入ってきた、といったことが先史時代に起こっている可能性があるので、そうすると日本語や朝鮮語やツングース語を話す人たちっていうのは中国の東北部で先史時代に非常に密接な接触をしている可能性があることになりますね。われわれは普段そういうことを考えないんですけど、そういうのはどうでしょう。かのアルタイタイプ諸語のTurkic、Mongolic、Tungusic なども地理的な分布範囲が歴史時代・先史時代ともかなり移動しているんじゃないでしょうか。
福井:考古学との関わりという意味ではやはり今後参考にすべきところはいろいろあると思います。昨日の私の話だと主に韓国語から日本語への借用ということを中心にお話ししましたけど、まあその逆の場合もありうるわけで。日本と朝鮮半島の間で考古学的な遺物が共通している場合があります。これは歴史学の人から聞いた話ですけれども、例えば日本式の甲冑が韓国のある一部の地域でかなりたくさん出てくるとか、その時期そのあたりで接触があったということは明らかであるし、前方後円墳が朝鮮半島でも見つかっていて、それは歴史をやっている人たちからするとむしろ日本から渡ったものではないかという説もあります。
遠藤:古墳時代ぐらいになるとそういう方向もあるみたいですね。遺伝学的な根拠からしても半島南部のところで縄文のDNAが見つかったとかいうこともあります。しかし、文献言語史で考えるくらいのタイムスパンだと日本列島には既に日本語が入っていて朝鮮半島は朝鮮語が優勢であってツングース語はシべリアから中国東北部にいた、といった現代の状況を投影して考えがちですが、もっと全然違った居住地域で一緒に雑居していて遥かにドラスティックな言語接触を考えてもいいんじゃないかってこのプロジェクトに入ってから思うようになりました。言語学的にそれを証明することは非常に難しいと思うんですが。語族単位でやっていると非常に細かい違いが目に入ってくるかもしれませんが、もっと大きいアジア全域といったマクロな範囲で見るとやっぱりアルタイタイプ諸語の共通性が際立って見えるんですね。
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風間:もう1つ目についてお話しするには今日はもう残念ながら時間が残っていないと思います。先の話の続きですが、やや推論の上での推論ということになりますが、孤立語だった日本列島の言語を話していた人々を大陸から来た別の集団が征服して、それが上層言語となり、下層言語は孤立語なものだったけれども、最終的に日本語がSOVで膠着的なアルタイ型の言語の文法のタイプに再編成されたという可能性はあり得ると思います。
遠藤:縄文語(諸語?)が孤立語タイプで基礎語彙がそこから継承されて、弥生時代に大陸から入ってきた膠着語タイプの言語によって文法が組み替えられたというわけですか。私などは『三国史記』で半島・大陸部にJaponic地名が存在するということからして、むしろ日本語が半島とか大陸にあった時代に非常に密接に接触するチャンスがあったのでは、という仮説に傾いているのですが。
風間:大陸で接触してから列島に入ってきたということでもいいとは思いますが、その支配者層はそれほど多くの人数でなかったとしてもかまわないと思います。
遠藤:漢語について言うと、遣隋使や遣唐使が行って、ごく少数のエリートが本をもってきて、仏典も含めてずっと勉強していく過程で日本列島を舞台として日本語の中の漢語の中の比率が増えていくわけですよね。そういう事は文化語彙については英語などでもギリシャ語・ラテン語・フランス語が大量に入るといったことは起こりますが、言語の中核的な部分で民衆の言語まで浸透するためには、そういう文化的な学習だけじゃなくて日常的なレベルで普通の庶民がバイリンガリズムとかの状態になっていないと、そういう風な組み換えは起こりにくいんじゃないでしょうか。あるいは完全に支配者の言語に取って代わられる例っていうのは中南米のスペイン語とか枚挙にいとまないですけど。
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風間:ゲノムをはじめとする他の学問分野での推定とどのような関係にあるのかはわかりませんが、言語学的シナリオとして唯一あり得ると考えられるのは、日本語が孤立語のタイプから現在の膠着語的なタイプへと、何らかの理由で変化してきたという可能性ではないかと思います。それを示唆するような痕跡的特徴は日本語にある程度存在するのではないかと思います。その中でも一番問題になるのはアクセントもしくは声調と呼ばれる現象、さらにはその両方が日本語にあるということだと思います。ただ、アルタイ諸言語がどの言語も弁別的なアクセントを持たない、ということもあり、私は日本祖語は無アクセントの言語だったのではないかという仮説に深く関心をもっています。山口幸洋さんをはじめとする何人かの研究者が提案されている仮説です。
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木部:これから先は想像の世界ですけども、古くは日本列島各地に今の大和ことばではない言語、何語であるか分からないような言語が日本列島にいっぱいあって。
木部:縄文時代、縄文語かもしれない。それが無アクセントであったという事はあり得るとは思います。そのあと、大和と琉球の共通祖語、日琉祖語が上にかぶさって、元の言語は日琉祖語に取り替えられたけれども、アクセントにはサブストレータム(基層語)としてもとの無アクセントの特徴が残った地域があって、現在、各地に点々と残っているということはあるかもしれません。元々、声調の区別をもっていなかった言語が新しい言語を受け入れたときに、アクセントの区別をしなかったという事はあると思います。無アクセントの言語がアクセントのある言語から借用語を取り入れるときに無アクセントで取り入れるという事はよく起きています。
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遠藤:それで、九州の無アクセント地域と二型アクセントの境界線のあたりにABOの血液型の境界線がひかれるんですね。A型は瀬戸内海から関西にかけて特に多くなって、その周りに別のタイプがあって、その境界線がちょうど無型アクセントになるあたりなんですね。それから他にも斎藤先生のおっしゃる三段階説または内なる二重構造、イエナのマックス・プランク研究所の人は新幹線モデルといっていましたが、関西から山陽新幹線がはしっている辺りから九州にかけて、身長が高くて、首と胴体の比率が7頭身に割合近いといった形態的な違いもあるそうですね。それで、服部四郎が『アクセントと方言』の中で、北九州の辺りから関西にかけて移住が起こったかもしれないと書いていますね。もしかしたら朝鮮半島からも繋がっているかもしれず、弥生人が北九州にもたらした日本語はアクセントをもっていたが、周辺部ではアクセントがなかったとかいったことがもし想定できるとしたら風間先生とか狩俣先生とか、もっと早くは山口幸洋が言っているようなこともあるかもしれませんね。つまり、一言語内部の比較言語学的な考察からすると対立が少ないところは分化条件が与えられない限り必ずや合流を経たとせざるを得ないので、ウルトラCのような離れ技として民族的ないし言語的なsubstratumを想定に入れないとダメになりますね。ヤポネシアゲノムが始まる2年前までは我ながらこんなことを言い出すなどとは思いもよりませんでしたね。もう40年ほど前から日本語の系統論っていうのは、本当に危ない分野なので手出しせずに実証的な研究に没頭すべきだと考えてきた世代なので。
日本語 = 朝鮮半島の言語 + オーストロネシア語 + タイ語
少なくとも日本語は朝鮮半島からの言語とオーストロネシア・タイ語のハイブリッドなのは間違いない
朝鮮語族は南満州あたりに分布していたが南に拡大していき、朝鮮半島の全体に分布していた日本語族を征服して言語を置き換えていった
そして難民として南朝鮮から日本に日本語族話者が大量に移住してきた
その結果、日本人の遺伝子のほとんどは朝鮮半島由来で、日本人と最も遺伝子が近い民族は朝鮮人
日本語は元々は朝鮮半島の主要な言語であったのだから、日本語は元朝鮮語だと言える
稲は紀元前3000~1000年に揚子江あたりに住んでいたオーストロネシア人によって海路で九州に伝えられた
これはオーストロネシア人の拡散の時期と一致しており、同じ頃に彼らは台湾・フィリピンにも到達している
九州南部には熊襲や隼人という異民族の記録が残っており、オーストロネシア人の末裔と考えられる
彼らと日本の倭人とは入れ墨などの共通する文化がり、日本語にはオーストロネシア・タイ語由来の単語が存在するため、日本に移住したことは間違いないと思われる
国立遺伝学研究所の斎藤成也は、1991年に埴原和郎が提唱した縄文人と弥生人が交わることで日本人が誕生したという二重構造説に対し、縄文人弥生人古墳人の三重構造ではないかという新説を提唱している。
弥生人はBC1100-700に遼河流域にあった夏家店上層文化を源流として、朝鮮半島西岸を伝って日本に水稲工作を持ち込んだ。このグループが現代の日本語の祖であり、その言語の痕跡は高句麗百済新羅の地名として残っている。ミシシッピ、札幌など先住民の言語は地名に残るのだ。半島日本語として研究が進んでいるが、三韓の言語資料が少ないため決め手にかける。最終的な結論を出すには朝鮮半島の古代人骨の収集を待つしかない。
次に古墳人とは何か。これはおそらく任那、伽耶諸国の人々であろう。弥生、漢人、韓系民族の混血であると思われる、現代日本人に最もDNA的に近いグループだ。朝鮮半島南部には前方後円墳が残っており、当時の中国の資料でも韓系の新羅百済とは異なる言語を話しており、倭人のように刺青をしていたと記録に残っている。
古代の日本は朝鮮半島と極めて深い関係を有している。領土を持ち、百済王族との婚姻関係を結び、百済が唐と新羅に滅ぼされた折には海外出兵するという歴史上極めて稀な行動をとった。何故朝鮮半島の権益に対してこれほどまでに執着したのか、それは伽耶諸国こそ古墳人の故郷だったからだ。