はてなキーワード: 自虐史観とは
いつどこで見たかはすっかり忘れてしまったが、リベラルな言論で著名な方が、以下のようなことを言っていた。
「氷河期世代は不況のせいにして就職できず流されてきて、今になって苦しいという。何故20代の時にお国と闘わなかったんだ。今更苦しいと言っても自業自得」
仰っていることは尤もなのだが、しかし当時は連帯しようとかデモをしよう、国に掛け合おうなどという考えはないに等しかった。何故だろう? と氷河期世代たる増田は考えて、すぐに結論が出た。
左翼の皆さん、我々の世代に嫌われてたんだよ。左翼にも色々あると言われそうだけど、あの頃の左翼的な思想を持った連中なんて、どれもこれも十把一絡げで嫌われていた。
昭和50年代生まれの我々は義務教育期間中、一度や二度はいわゆる日教組のアカ教師と遭遇し、嫌な思いをさせられている。かつて学生闘士と呼ばれていたような、親より少し年上の定年間近の老教師が、特に地方の、子供も少なく1クラス30人にも満たないような増田の学校にも必ず1人はいて、何かと教育現場を引っ掻き回していた。最近あまり聞かれなくなった式典での国旗掲揚不起立や教科書の君が代ページを貼り合わせる問題が、周囲を田んぼと山に囲まれたど田舎の我が母校でも起きた。
増田の担任にはならなかったが、当該クラスにPTA会長の子供もいたことで、その後大人たちの間では大変な騒動にもなっていた。
教師の体罰がまだ当たり前だった時代、アカ教師は手こそ上げないものの、従順な女子児童への露骨な依怙贔屓や反抗的な男子児童への横暴な発言は、学年を超えて伝わってきて嫌われていた。
その頃はインターネットがなく、テレビと新聞が主な情報源だった。番組改編時にはよく衝撃映像や昭和の記録映像として東大講堂での騒乱やよど号ハイジャック事件、あさま山荘に鉄球をぶつけるシーンがよく流れていた。その度に「かつての日本は荒れていたのだな」「その原因を作ったのはあのアカ教師の仲間なんだな」と、幼心に刷り込まれていたのかもしれない。
あの頃は、一部のメディアにも左翼の活動を忌避する空気が作られていたのかもしれない。いわゆる自虐史観が幅を利かせていた教育業界に新しい教科書を作る会が出てくる一方で、司馬遼太郎によるドラマティックな司馬史観がこれでもかともてはやされている時代でもあった。
高校、大学(増田が通ったのは地方の駅弁ですらない田舎にあった)と進学するにつれ、ますます左翼的な勢力は目につかなくなっていった。教師や教授陣にそれっぽい思想を持っている人がいなかったわけではないが、押しつけることはなく、オルグされる同世代も見かけなかった。他の大学の学園祭に行った時、明らかに学生らしくない数人のおっさんが垂れ幕の前で9条がー、と威張り散らしているのを見かけたくらいだ。
ちなみに阪神・淡路大震災も増田の学生時代に起きた。燃え落ちた街、横倒しになった高速道路の映像はあまりにも衝撃的だった。現代でこんなことが起きてしまうのかと呆然としたのを覚えている。救援活動に来た自衛隊を批判する勢力は、露骨に白い目で見られていた。
オウム真理教が問題を起こしたのも同じ年だ。あの頃のマスコミの狂乱は、今の統一教会報道の比では無かった。テレビには毎日のように信者が登場してめちゃくちゃな言動を繰り広げ、一般紙からスポーツ新聞までが彼らについてあらゆることを書き立てた。氷河期世代が過激な新興宗教に拒絶的な態度をとりやすいのも、オウムや、その他宗教団体が原因である。
オウムだけではなく、当時はあらゆる新興宗教団体がしつこい勧誘で嫌われていた時代だったのだ。少し大きな駅に行くと、手相の勉強をしていると称する者は壺や印鑑を売ろうとしてくるし、あなたの幸せを祈らせろとつきまとってくる者もいるし、選挙があれば○○党に投票しろ、新聞をとれとうるさい。個人情報がダダ漏れの時代ということもあり、これらの勧誘を掻い潜るのは至難の業だった。
増田も宗教2世である元同級生からの勧誘に辟易とし、家族の闘病について信仰心が足りないからだと言われた時には速やかに絶縁を申し出た。元同級生が悲しそうな顔をしていたのを、今でも覚えている。かつてはスニーカー文庫を貸しあった仲だったのに残念だった。
働きだしてから、といっても増田は就職できずフリーターになったのだが、ようやく田舎にもインターネットというものが普及してきた。2ちゃんねるが登場したが、そこでも左翼は馬鹿にされる対象でしかなかった。制服を強要されているのが虐待だと国際的な場で主張した政治家の息子が笑われたりしていたのもその頃だ。
だからその後、若者を中心としたSEALDsが出てきた時はびっくりした。いつのまにか、増田の親世代ですら触れたがらないアカの思想にばっちり染まった彼らは、SNSでつながることに抵抗を持たない世代としての強みを活かし、あっというまに増えていった。いつのまにそんな思想が、もう絶滅したと思っていたアカが若者の口を借りて復活するとは予想外だった。
30歳を超えた増田には、SEALDsの輝きが眩しくうつったが、羨ましくはなかった。主張があまりにも幼く感じたからだ。かつてアカ教師に仕込まれた児童が湾岸戦争時の自衛隊派遣に絡めて「戦争には反対です。憲法9条に反するから、自衛隊はやめた方がいいと思います」と言わされていたのを思い出させた。このときは自衛官を親族に持つ子供が他の学年にいて、家族が学校にクレームを入れて大問題になった。
増田はネットの匿名文化にも浸っていたため、「学生のうちにこんなに顔を晒して発言していたらこの先大変だろうな」と思ったりしたものだ。
結局SEALDsは解散したが、その後、リベラルと言われる勢力は以前よりも目につくようになってきた。だがやはり、氷河期世代の姿は少ない。
そんな中で発せられたのが「氷河期世代は何故闘わなかったのか」である。
正直に言おう。
我々の世代に、国と闘う余裕はなかった。そんな暇があれば働くことを選んだだろう。
そして、あの横暴で陰険な、アカ教師のような人になりたくなかったのだ。
その結果、「闘わなかった」と怒られる。
今の視点で見れば、何とでも言えるよな。あの頃のリベラルなど、今よりずっと情けなかったのに。
ここからは余談。
数年前、増田が住む街の施設で日教組の全国大会があり、警察が規制線を張っていた。警察が守っているのは、会場へ向かう年老いてしょぼくれた、とっくに定年退職を迎えて何年も経た老人の群れである。みんな「日教組○○県支部」と書いた幟をもって、俯きがちにトボトボと歩いている。総じて服の色は地味で、男女問わず髪の毛もボサボサで、見た目にも元気がない。
その規制線の外、ギリギリの場所に愛国的なことを叫ぶ街宣車が止まっていた。車の上から老人たちに向かって元気に「国賊」などとがなりたてている中年男性は、増田と同世代か少し上くらいに見えた。
どこにも若者がいない。交通規制を促している警察官が一番若いくらいだ。
かつてはヘルメットをかぶりゲバ棒を手に機動隊に向かっていたかもしれない人々が、中年にどやしつけられ(ほぼ因縁だが)、国家権力に守られながらトボトボと歩いている。
どんな気持ちで歩いているのだろう。会場には共産党を代表する大物政治家が来場するとポスターにあった。世代交代を頑なに拒み、トップに君臨し続けているその政治家を見て、彼らの心は慰められるのだろうか。
だが天下をとれなかった彼らも、闘わなかったと言われる氷河期世代も、下の世代からは同じに見えているのかもしれない。これを書いている増田に、左翼も日教組も共産主義も新左翼も革マルも中核派も赤軍派もリベラルも、まるで区別がつかないように。
仕方ない、そういうものだ。
これを読んでるみんなは、俺たちのようになるなよ。
東京の文化にも大阪の文化にも挙げられなかったけど浪曲ってのがある
浪花節とも呼ぶけれど、なにわナンバーの浪速が由来じゃないらしく大阪発祥というわけでもないらしい
元々、口説とか説教とかから派生して色々出来たうちの一つを浪曲とか浪花節と名前をつけて呼び込んだのでしょう
三味線+語りの形態が浪曲の原型という説はいくつもあって、例えば
軍談→五色軍談→浪曲
というのがある
Wikipediaに書いてないけど、五色軍談以外にも浪曲の手前のやつが沢山ある
https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0328_01
浪曲は太平洋戦争を扱うものがちょいちょいあって、浪曲では(ほぼほぼ)自虐史観っぽくないからはてなーは嫌いそうだし、東京以外でも大阪以外でも享受できる文化だけど聞いてみて
戸定梨香や温泉むすめプロジェクトに対し、未だにフェミニスト界隈からの嫌がらせ・デマゴーグが続いている。
特に後者に関しては尊師が性搾取コンテンツなどと打ち出している以上フェミニズム教のカルト信者的には止まれないのだろう。
※統一教会へのレッテルが🏺ならフェミニズムの場合は何になるのだろうか?🌈か🐈か🌷か?
それにしても彼女ら・彼らは徹底的にターゲットは悪であり即ちキャンセルされ「健全な社会」から消さなければ気が済まない様だ。
既に法的措置を明言されても尚止まれないのは、自分達の行為を正当化する為には、相手が異常な社会悪でありキャンセル対象として
石を投げリベラル棒で顔面を叩き潰し家族ごと住処を燃やし尽くしても何ら糾弾される事の無い正義の行いでなければならないのだろう。
極めて迷惑なサンクスコストである。勝手にヒートアップして逆ギレしてるのだから話になんねーよ。
さて、闘う相手は徹底的な邪悪であり、多少過激な行為をしてもそれは「正義」「正しき行為」であるから許される。
長く続いた自虐史観、中韓のいつまでも続く謝罪・賠償金要求、朝鮮学校の生徒による治安の悪化。
そんな彼らにすっかり辟易していた若い世代が、ネットの普及と小林よしのりの登場により、保守的主張を唱える者が増えた。
単に事実を指摘し、中韓の過剰な要求やテレビ局・マスゴミの韓流ゴリ推しなどに怒ってれば良いものを
韓国人はマスコミや政権を支配し日本人に対し攻撃をしている!などと電波な主張をする様になり
わざわざ朝鮮学校の前でデモなんかやったりした結果、ネトウヨ=過激に外国人を差別するキチガイファシスト、という扱いになった。
敵は邪悪であり、全てを否定せねばならぬという過激化が、結果として主張や存在自体を受け入れられない異常集団・思想に自らなってしまった。
是々非々が出来なかった結果、バランスを崩し一部の異常思想者しかついていけない領域になってしまったのである。
さて、フェミニズム・フェミニストは、完全にかってのネトウヨを同じ末路を辿っている。
戸定梨香の例にしたって、本当にキャラクターの服装が問題ならば、当事者と話し合い変更を要求すれば良かっただけなのだ。
それをいきなり抗議という形で圧力をかけ、戸定梨香の名誉となる筈だった公的機関とのコラボをキャンセルカルチャーした。
その後のラッピングバスへの抗議とキャンセルに関しては完全に正当性が無い。
フェミニスト曰く「アンフェの象徴」になった「フェミニズムの敵」である戸定梨香を徹底的にキャンセルしようとしたとしか思えない。
主張・意見では無く、ただの嫌がらせ・妨害行為に変わってしまった。
フェミニストがかってのネトウヨの様な扱いをされていくのは最早避けられない流れではあると思うが
所詮ネット時代の徒花として生まれた「ネトウヨ」という事象とは異なり、フェミニズムは先人の女性達が文字通り血を吐いて築き上げた偉大な思想運動だったのだ。
これが今、フェミニストを名乗るネトウヨの様な何かによって、その歴史を終わらせられようとしている。
フェミニストは、ただの過激なジェンダークレーマー集団、悪質なファシストでありキャンセル対象と成り果てる。
非常に悲しく、残念だ。
滅びるまで戦う
👉強国に支配されることを選ぶ
おお にっていよ ほろんでしまうとは なさけない
その歴史が正しかったと認識しているはずの日本人の中に、なぜ強国の支配を拒み戦い続けるウクライナに賛成している者が現れるのか、これが分からない。
自虐史観という言葉に踊らされ、日本の降伏は間違っていたのだと声高に叫ぶつもりなのだろうか?
違うだろ。
強い相手の足を舐めることこそが正しいというのが日本が選んだ価値観だろ。
共産主義を否定し資本主義を掲げた民主主義国家のあるべき形だろ。
理解不能だ。
そもそもウクライナにとってロシアは親、いやソレ以上に遥かに深い歴史を持った先祖のようなものだろう。
その者たちが「君たちを救ってやろう」と手を差し伸べているのを振り払うとはなんと烏滸がましい。
新興宗教に連れ去られた我が子を引き取りに来た親を「無理やり連れ戻すのは暴力ですよ」と避難するようなものではないか。
全く嘆かわしいことだ。
小説などというものを崇めてなろうなろう等とのたまいテレビで漫画なんぞを見て白痴になるからこんな基本的な道徳心さえ失うのだ。
大説を読め。
大切は大説だぞ☺
最近、ネットで日本の歴史、特にタブー視されている天皇関係の物を調べていると面白い説を見つけた
先王から4親等以上離れ、かつ傍系で即位した最初の天皇であり戦後、天皇研究に関するタブーが解かれると、5世王というその特異な出自と即位に至るまでの異例の経緯が議論の対象になった。
そして【継体天皇王朝交替説】とは簡単に言うと「継体天皇はそれ以前の王朝を簒奪した盗人だ!」「今の天皇は盗人の末裔なのだ!」との主張
王朝交代が事実なら、なんで左翼の人はそれ以前の天皇を憎んでるの?
実際に王朝交代が行われたなら、それ以前の天皇は完全な被害者のハズ。だが左翼の人はそれ以前の天皇も問答無用で叩きまくってる。それはナゼ?
戦前の日本は天皇制を理由にアジアを侵略し虐殺の限りを尽くし戦後はその反動で極端な自虐史観に掲げるようになったのは、みんなも知っての通りだけど、この説がその系譜なのか、それとも自虐史観の一環なのか、どっちなんだろう?
氷河期世代の成功者がひろゆき、ホリエモン、椎名林檎…って時点で終わってる感しかない
どいつもこいつも、もう絵に描いたような自己責任論と冷笑主義、相対主義の権化ばかりで
この世代は上の世代が作り出した素晴らしい文化に触れて育った筈なのに自らは何ら文化を創れなかったんだなあって思う
かと言って負け組がまともかというと全くそんな事はなく、氷河期世代は見捨てて若い世代を優先すべきだという全体主義と妙な自己犠牲精神に染まりきっているからもうどうしようもない
「子育て世代」のように、普通ーーーに自分達の権利を主張するという事を、何故か全然しないんだよね…
山上も別に権力への反抗としてやった訳じゃなくて、あくまで特殊で異常な環境から来る個人的な復讐だったらしいしなあ
なんでそんなに国が大事なの?自分自身の命や未来よりも日本という国の維持を優先すべきって一体どういう発想?
子供がいる人ならともかくそうでないなら尚更、日本という国がどうなるかなんてどうでもよくない?なんで国の未来よりも今生きている人間の人権を最優先に!って思えないのか不思議だよ。
そもそも親をきっぱり見捨てられる人ばかりでもなく、高齢者福祉の予算が減ればそれだけ親の介護で苦しむ率も上がるだろうに。
自分としてはいわゆる「反日」や「自虐史観」と言われる、リベラルで人権を重んじる教育を受けた記憶しかないんだが(ちなみに東北のど田舎育ち)
そしてAさんは韓国にやってきたが、自分一人GINZA勢なのにβの人間しかいないコミュにいて過剰適応するなと言うのが無理な話だろう。スピーチコンクールで韓国語を褒められた話は、語録の使い方がうまくなって喜んでいるのと同じである。自虐史観をすり込まれ「韓国人になってきたね」と言われて喜んでいた、というのも「やっとらしくなってきたな…」と言われて喜ぶキッズのようだ。
統一教会は日帝の侵略がなければ存在せず、統一教会の教義自体、天皇カルトの単語を入れ替えただけにすぎない。
「韓民族は世界でもっとも優秀な民族である。文鮮明は救世主である。言語はハングルに統一されるべきである。世界は文鮮明の元に統一されることにより万民が幸福になる」
【追記】
オーディオブック版を作ってくださった方がいるようです。お好みでどうぞ。
https://www.nicovideo.jp/watch/sm40784246
続き
【追記ここまで】
趣味の悪い無職なので興味本位で丸二日ほど、統一教会の元・現信者、二世の元・現信者のコミュニティを外部から観察していた。
これが思った以上にわけがわからないのである。たとえば驚いたのは現信者のコミュニティでも「自己破産まで献金させる教会はほんまゴミ」が暗黙ですらないコンセンサスであるようなのだが、一方で信者なので「真のお父様こそメシア」は自明のこととして受け入れていたりする。もちろん完全にあちら側の人もわんさかいる。
一番読んでて疲れるのは「元信者」が書いている文章だ。この肩書きの人は完全に正気度がランダムに分布していて、何を読まされるのかが分からない状態で毎回向かい合うことになるので大変にしんどい。まともな人もいるし、相変わらずそうでない人もいる。
そして二世のコミュニティを見て、想像を絶することが起きているのだなと思った。脱会二世が口々に「カルトがなければ自分が生まれていないのにもかかわらず、カルトを否定しなければならないこと」の間で苦しんでいることを主張していて、その不条理にどう立ち向かえばいいものか。二世信者の「脱会したいが地獄に落ちるのが怖くて決心ができない」という言葉を読むに至っては、もう本当に生まれて初めて「言葉がない」という言葉の意味を知らされた。
二世の実態に関しては、被害弁連の会見で語っていたAさんこと冠木結心さんが書いた電子書籍がKindleUnlimitedに入っているので是非読むべきだ。
全三冊あり文字数は分からないが体感的には文庫本半冊程度で文字数と文章の力量的には読みやすく、脱会者の方の言葉にはいろいろ難しいこともあるが、この方の本に関しては安心して読める。(この紹介とその言い方に関しては熟慮しましたが、ご本人の意図にも背かないだろうと考えて無断で紹介しました。ご本人か周辺からストップがあればすぐに撤回します)
ところでこの脱会者・脱会二世コミュニティがインターネット上のどこかでいま盛り上がっているのだが、これを眺めていて抱いた意外な感想がある。あくまで一部に限ってではあるが、妙に微温的なのである。「統一教会はほんまクソだけどそれはそれとして楽しかったよね」というスタンスの人を結構見た。批判したいわけではない。むしろ逆に、どうしたらそんなに優しくなることが可能なのか、と思った。
それは「統一教会あるあるのキモい思い出」で盛り上がっている脱会二世を見ていると特に感じられたが、冠木さんの著書やなんなら現信者の「教会はクソだけど教義は正しい」という態度にも見て取れる。
これはなんなんだろう、ずっと悩んでいたとき、頭の中にぱあっと光が差したんです(50代女性が穏やかな口調で)。「あなたはもう答えを知っている」そう囁いてくださったのが、そう、野獣先輩なのです。
この瞬間、俺は完全に「世界の全てを理解した」。はっきり言って「普通の日本人」である俺には「両親がともにカルトの信者」である人の気持ちなんて想像のきっかけすら掴めないが、「両親が淫夢厨」であることの悲惨さについては想像できるように思うのである。
全くふざけていない。少なくとも俺にとっては(少なくないネット民もそうだと思うが)「どう考えても滅びるべきであるが、それはそれとして愛着があるもの」としてのリアリティとして圧倒的に淫夢がカルトに勝る。
「親が家に教祖の写真を飾ってる」気持ちは想像もできないが、「親が家にヤジュセンの写真を飾ってる」ことの絶望感は想像できるように思うのである。以下では、Aさんの本を事例をピックアップしながら、淫夢厨二世について考える。
ここに両親が淫夢のコミュニティで知り合い結婚し生まれ、野獣先輩が森羅万象であると教わって育ち、自分の名前は淫夢ファミリーから取られていて、両親ともに淫夢語録しか話さない家庭で育った子供がいるとする。
ところで、淫夢が人権侵害コンテンツであり即刻滅びるべきであることに議論の余地はない。
さて、その子供が「淫夢は無くなったほうがいい」という、まともな社会でまともな人間として認められるためには当然持っていなければならない常識を持つのにいかばかりの困難がともなうだろうか。
あるいは、淫夢語録で喋ったせいで周りの人間関係から拒絶されて、淫夢コミュニティに一度取り込まれてしまったために社会復帰ができない人、ぐらいは実際リアルでいそうな気がするのだがどうか。
Aさんの体験も淫夢2世として考えると相当薄めてではあるが理解できるように思う。
カルトはカルトの顔をしていない。確かに初対面で「FF外から失礼するゾ~」とマジで話しかけてくる淫夢厨はいない。知り合った人が後から淫夢厨だと分かるパターンがほとんどで、気づいた頃には手遅れだ。
そしてAさんは韓国にやってきたが、自分一人GINZA勢なのにβの人間しかいないコミュにいて過剰適応するなと言うのが無理な話だろう。スピーチコンクールで韓国語を褒められた話は、語録の使い方がうまくなって喜んでいるのと同じである。自虐史観をすり込まれ「韓国人になってきたね」と言われて喜んでいた、というのも「やっとらしくなってきたな…」と言われて喜ぶキッズのようだ。
Aさんの3冊目では脱会した後の難しさが語られている。俺は統一教会の両親に育てられた子供が全くそれをなかったように過ごすことが可能かはまったく想像も付かないが、淫夢厨の両親に育てられてまったく何もなかった普通の真人間として生きることはできないだろうなとは思う。
脱会者の方の文章を見ていると、ふとした時に違和感を覚えることが多い。たとえばふつうにメシアはいる前提で話してるとか。これも、淫夢文化を抜けたと思っても、ふとした時に出てしまうようなものかなと思う。
Aさんは一度やめようと思ったときにまたたまたま出会った人が統一教会の信者で逆戻り、というのも、淫夢から抜けようと思った先で淫夢厨に会って逆戻りくらい普通にありそうだなと思った。奴らはインターネットの隅々にまで入りこんでいるため、ふと使った言葉が淫夢語録であると意識されていない場合すら多い。
生まれてから今までカルトであったひとが、まともに生きるのがどれほど大変であるかは「生まれてから今まで淫夢厨であった人が定型文以外で会話するのがどれほど困難か」を考えてみれば少しは分かる気がする。そして全人類における単なる事実として「定型文で喋った方が楽」というのは事実としてあり、それがいかに行く手を阻むか。フラッシュバックについても、たとえば「警察だ!」というありふれたセリフを聞いてインパルス板倉を思い出さなくなる日は可能であるものなのだろうかと疑問になる。何年経ってもふとした瞬間に「それヤジュセンのネタじゃんw」と脳内で囁かないことは難しい。
そう考えると全ての脱会二世の方はいかに困難なことを超えてきたかが「少なくともこれ以上は大変」という限りなく大きな最小値として理解できるわけで、よくあなたがあなたであれるようになれたものだと尊敬する。
ここにきて、あの微温的な感覚の理由も少し分かるような気もするのである。確かに俺の中では「淫夢は今すぐ滅びるべき」と「それはそれとして楽しかった」という命題はしっかり両立する。あるいは、これは無茶な置き換えでは無く完全に文字通りの意味で「淫夢文化は滅びるべき」と「淫夢文化が救った魂がある」というのも両立すると思う。
テレレレレレ-
教えはどうなってんだ教えは
お前ら禁じられたカルトを
平気で使ってんじゃねえか
分かってんのか!?
「晋」が生まれたのは
金取んのかよ!?
くそったれ!
……さて、ここに淫夢のせいで一家離散した人間がいるとする。そしてある日元首相が「おとわっかのご冥福を」とか言ってたらどうするだろうか、と思うのである。
講師が沖田とかいう数学教師だったんだけど、授業の半分ぐらいが陰謀論だった。
コロナは茶番、ワクチンを打つことで人がどんどん死んでる、マスクは意味ない、大学院で環境学を学んだ俺からすると地球温暖化の原因が二酸化炭素というのは嘘、俺の地元の北海道はアイヌ民族を原住民族として認めておかしなことになってる、台湾で自虐史観から目覚めた、歴史という教科は嘘だらけ、みんな思考停止してる
みたいな内容を2時間近く密室でやられる訳だから、その場の高校生100人ぐらいのうち5人ぐらいは信じ込んだんじゃないかな。
フェミニズムはそもそも性差別是正を掲げるものであって、日本だけが言ってるわけではなく世界人権宣言とか基本的人権とかに似たもので日本も批准してるし憲法に書いてるような事柄なんだよね
基本的人権は人を不幸にする!なくそう!みたいな事を言われてもよくわからない。
それにフェミニズムはバックラッシュがあろうとも進行してきている。
女性は選挙権や財産権を持たないようにしたいし、物を女が所有することはできないし、女は夫の所有物なので好きな時に貸したり家に戻したりしていいし、夫から女への暴力は暴行や傷害にはならないし、女には結婚相手を選ぶ自由はないし、性別によって給料を変えてよい、それが夫や息子にとっては幸せなので、私にとっての1番の幸せである。という主張なら筋は通ってるけど。
先人のフェミニズムの活動の恩恵を得ておきながらバックラッシュとか夫が不幸とか言ってるのはちょっと虫が良すぎる。当時もバックラッシュはあったし夫や息子を不幸にすると言われてたよ
元友人が少しおかしいのは分かるけど、フェミニズムだろうがオタクだろうが先生だろうが男だろうがあらゆる属性の人におかしい人はいる。
これらは当時の露悪的なモノを良しとする時代背景が生んだモノであって、単に当時の人間にほとんど大卒がおらず知能が足りなかったことの結果だろう。
このような怪しい文化の氾濫を避けたいならばやるべきことは教育の投資一択であって、フェミニズムへの誤解と偏見や差別の助長などでは決してない