2024-09-10

さえぼうvs映画評論家たちを眺めながら思ったこ

発端はいかの映画評だ。

https://ohtabookstand.com/2024/08/kansosaiko-3/

かいつまんでいうと、北村紗衣という大学教授ダーティハリーをつまらないと感想を述べたのだ。記事はつまらないという結論からまり、公開当時の映画界の潮流やダーティーハリー立ち位置などを説明し、彼女がなぜ本作をつまらなく感じたかという分析をするという構成であった。

この映画評に対して、須藤にわかというブロガー反論記事note投稿した。

https://note.com/niwaniwaniwaka/n/nf5fd97890657

北村記事内容を「ウソ」と言い切り、反論記事を書いたものだが、これが北村の目に留まったのだ。元々のタイトルが「北村紗衣というインフルエンサーの人がアメリカン・ニューシネマについてメチャクチャなことを書いていたのでそのウソを暴くためのニューシネマとはなんじゃろな解説記事」という完全に喧嘩を売ったものであったので、北村が反応するのは当然であった。こうして戦いの火蓋が切って落とされた。対戦はTwitter上で繰り広げられた。

ただ、結果的には喧嘩にすらならなかった。

両者の記事を読んでいただくとわかるが、北村記事からウソを見つけるのは難しい。というのも、彼女の論はこれまでのニューシネ研究にそったオーソドックス説明引用に過ぎなかった。北村はニューシネマに対する専門家ではないため、自論を述べることに慎重であったのだろう。ちなみに北村シェークスピアをはじめとした芝居や演劇の専門で、映画に関する論文書籍執筆していることは補足しておく。いずれにせよ、須藤北村にたいしてウソというなら、これまでのニューシネマや映画史と対峙することに等しかった。

一方須藤記事はニューシネマに対する熱量敬愛は感じられるが、感想意見事実とが混同していて、素人から見てもツッコミどころが山ほどあった。北村須藤ロジックのほころびをみつけては、ボコボコにしていった。はっきりいって、ロジカル勝負は数回のラリーでついていた。

ここから戦いは違った様相をみせていく。Twitterでの論争に苦戦したためか、須藤およびその周りのアカウント北村映画評以外の部分で攻撃。直接的な攻撃だけでなく、スクショでの晒しや別SNSでの陰口大会が始まった。中には露骨女性蔑視を匂わせるものもあり、ロジカル議論とは程遠かった。

しかし、北村はそれらを全て捕捉し仕留めていった。陰口がバレて「北村さんのことじゃないですよ〜」と言い逃れをしようとしても、ロジックで詰めていってトドメをさした。

興味深いのは北村攻撃していた男たちの中には、日頃はどちらかというとリベラルな考えの持ち主もいた。いつもは保守派女性蔑視を嘆いたり、女性地位向上を望んでいるアカウントも、女性に論争で負けること自体は気に食わなかったようだ。

男は右であっても左であっても、女性に対する潜在的な驕りを持つ同類なんだぞ、と突きつけられてるかのような出来事であった。

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