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2022-08-13

サマセット=モームのThe Painted Veilを読んだ

サマセット=モーム全集で『月と六ペンス』の次の作品だったので、この作品から続けて読んだ。結果、興味深い点もあったが、全体としてはいまいちだった。

1925年に発表された、中国英国植民地になっている仮想の町を舞台とした作品で、その設定は面白く、簡潔で要領を得た人物描写も巧みで興味深く読んだが、人物書き込みが足りない。またプロットが性急すぎる(展開が早すぎる)。このせいで全体としてやや散漫な印象を受け、作者が連載小説を書くために書いているだけの印象を受けて、全80章を最後まで読むのがだるく感じた。

全編を通してKittyの揺れ動く心理描写テーマになっているといえばいえるが、読後感としては、何だこりゃという感じである。サマセット=モーム人間の多様さを書くのだが、それ以外に何もない。中国を題材に取っているため、タオ人生観として提示してこの小説は終わるのだが、どうもとってつけたような結末だという印象がぬぐえない。

この小説を読んで、もうしばらくサマセット=モームはいいやと思った。


主人公Kitty植民地官僚Charlie不倫をしている。夫で細菌学者のWalterは典型的理系の人として描かれている。非常に真面目で、抑制的で、冷徹な印象を与える。不倫が露見すると、WalterはCharlieを訴えるかわりにKittyをMei-tan-fuという街に連れて転任するよう提案する。この町はコレラ蔓延していて、Walterは医者として派遣される。Kitty自暴自棄でMei-tan-fu行きを承諾する。転任しても二人の間には冷たいもの流れる仮面夫婦だ。ある日Kittyは街の修道院を何の期待もなく訪問し、そこで働く修道女たちの姿に感銘を受ける。また修道女たちはWalterの献身的努力を褒めたたえる。Kitty自分が無価値人間であることを悟り修道院で働き始め、修道院長のMother Superioの人格にも感化されつつ、少しずつ変わっていく。そんな折、Kitty妊娠が発覚する。身体に宿っているのがWalterの子か、Charlieの子か、はっきりしない。そのことをKittyはWalterに正直に言う。Walterはその直後にコレラにかかって死ぬ検視によれば、彼は事故コレラ感染したのか、実験中に故意コレラ感染したのか、判別がつかない。KittyはWalterの死に衝撃を受ける。修道院長に諭されて帰国を決意する。もとの植民地都市に戻った時にCharlieの妻の発案でCharlieの家に寄宿して、憎んでいたはずのこの男に結局再び身体を許してしまい、激しい自己嫌悪に駆られ、英国に帰ることを決意する。帰途、マルセイユKittyは母の病死を知る。ロンドンの家に戻ると、父はバハマ植民地総督として赴任が決まったところであり、Kittyロンドンでの生活を選ばず、父に着いていくことを決める。

https://anond.hatelabo.jp/20220727233051

2022-07-27

anond:20220726235134

読者を意識することが大切です。

自己満足からの脱皮を望みます

冷徹客観性を心がけましょう。

2022-06-02

女みたい名前の男ってなんかやばいよな

温厚に見えるけど冷徹な人が多いイメージ

日本報道機関は今のうちにロシア政府非道に対しての報道冷徹すぎるぐらい客観に徹する姿勢にしといたほうがいい

なぜかっていうと、あと何十年か後に日本が今のロシア同様の海外進出」を試みたときに、国内自国民向けの報道がまるっきり今のロシア自国民向け報道類似してしまわざるを得ない様子を外国報道機関がわざわざ今の日本ロシアに対しての報道姿勢を引っ張り出して対比して「でもお前らロシアん時はこれじゃんwwww」とか言って突っ込んできたら国際的立場がなくなり「進出」の正当性がくずれて「国益」を損ないかねないから。

2022-05-12

anond:20220512143526

自分兵器デザイン好きだし一時期軍事かにもハマってたことあってプラモかにも手を出してたんだけど

ガンダムとかロボットにはあんまり惹かれなかったな

冷徹合理性とかそういった物が好きだし無骨目的達成のことしか考えてないデザインとか運用とかそういうのが好きなんだよなぁ

ゴテゴテ土のうで貧弱な装甲を対処してるシャーマンとか、ああいう泥臭いの好き

ガンダムとかでもまあそういうのあるんだろうけど、やっぱり人形合理性みたいなのがなぁ。ガンダムはまあ色々設定で

ロボット白兵戦必要みたいなのもあるけど、まあかっこいいロボットの話を作るための装置ですわな

どっちが良いとか悪いって話じゃないけど、いまいちロボット戦争ものコンテンツにのめり込めないのはある

2022-04-23

anond:20220423025211

まあ合わなかっただけでしょ

世の中なにを摂取してようと自分に合うもんしか出てこないなんてことはないしの

合わんやつがデデーンと出てきたら「うげっ」と言って飛ばせばいいわけで、それは別に性的コンテンツかに限らんしの

そういうことが多くなってきたらその媒体からは離れればいいだけよ

人間生きてりゃ地雷なんて無数に抱えるもんだし

自分の機嫌は自分で取るしかないんよ

まあその媒体政府広報とかだったらケチつけるんも分かるけどな

企業のやることなんざぁいちいち突っかかるのはエネルギー無駄

みんなもっと自分最適化して毎秒何を消費するか取捨選択してけ?

そういう冷徹選択の態度こそが本当に世の中をよくしていくんだよ

他人良心に訴えてるようじゃダメ

anond:20220422231852

べつにいいよなこっちが判断すればいいんだから

さすがに政府広報とかがヘイトのものをチラつかせ始めたら本気で抗議しなきゃならんと思うけど

日経が実際そんなヘイト系で汚染されたら俺は購読をやめるし、そうなったらなったで別の新しいメディアが立ち上がってくる契機になるかもしれない

いち企業ときに正しさや公益性なんぞ求めようがないってことをあまり理解してない我儘な人が多いよな

どんな立派な思想から始まった企業でも金に困ったらなんでもするようになるもんだ

しろ株主でもない人間勝手な我儘を押し付け企業を捻じ曲げられると思ってる方がモンスター気質で怖いわ

そんな空気圧力利用者お気持ちのせいで本来機能するはずの新陳代謝が効かなくなる社会は不健全まりないし

恣意的公的資金注入なんかよりよっぽどどうにもならんヤバさだ

政府シミュレーションでは敗北が分かってた太平洋戦争を開戦に向かわせたのはメディアひいては国民意識だってことから学んでないんだろうな

思うにどっかの企業がズレ始めたらぶっ叩いて修正してやるなんて思考をしてる人は、それが自身怠惰であることに気づいてない

一度信頼を寄せた企業脳死で一生ついていけたら楽かもしれんが、状況は変化するもんなんだよ

生きてる限り情報アップデートしつづけて常に冷徹自分摂取するものを取捨選択しつづけなきゃいけない

それが賢く生きるってことであり、ボロ船や泥舟に成り果てたものにしがみつく人間が多い社会はどんどん窮状へと追い詰められていくだろう

日本人感情と理性を切り離すことができんから流動性が低すぎるし失敗するには大きすぎる状況までズルズルと突き進んでしまって効率が悪すぎる

そういう悪しき特性を下支えしているのがこの手の思考人間なんだろうということはなんとなく分かるね

2022-04-16

ゴールデンカムイ作者の「単行本で加筆する」宣言について

ゴールデンカムイ作者の「単行本でめちゃくちゃ加筆する」宣言について「本誌派には未完成品を読ませるつもりか」って言われてるようだけど、

そして、それに対して「何が問題なの?」「単行本で加筆があるのは当たり前」って反論されてるようだけど、

反論している人はたぶんゴールデンカムイ単行本21巻が発売された当時(2020年3月)やその前後のいきさつを知らないのだろうと思う。

というわけで、当時~その後に何があったのかということを自分が知っている限りで説明してみようと思う。

自分一人の説明では足りないかもしれないので、補足がある人は遠慮なく補足してほしい。

 

ゴールデンカムイ、完結へ

ゴールデンカムイ」全話無料公開&原作者野田サトルの直筆メッセージ

https://news.livedoor.com/article/detail/21961052/?_clicked=social_reaction

 

ゴールデンカムイがあと3話で完結、しか最終話更新される日まで全話無料公開という企画が発表された。

で、作者が発表した直筆コメントの「単行本でめちゃくちゃ加筆する予定」という文言が物議を醸している。

今までのゴールデンカムイのあれやこれやを知っている人からすれば「またか…」「相変わらず本誌派を馬鹿にしやがって」となり、

最近ゴールデンカムイにハマった人からすれば「単行本で本誌の内容に加筆されるのはよくあることだし、何が悪いの?」

単行本で加筆されたからって本誌版が未完成ってことはないでしょ」となり、両者の間には温度差がある。

 

かに雑誌連載されている漫画単行本化する時に作者が作画台詞などを加筆修正することはよくある。

特に週刊連載なら、本誌掲載時にはどうしても粗くなってしまった絵や多少のミス修正したりするのはある程度仕方ないと思う。

だが、ゴールデンカムイの加筆修正はそんなレベルではないのである。これから説明しよう。

 

単行本21巻発売当時、そしてその後に何が起こったか

ゴールデンカムイ単行本での加筆修正で一番騒動が巻き起こったのは、おそらく単行本21巻だと思う。

ヤンジャンアプリコメント欄やツイッターが大荒れし、離脱する読者も相次いだ。

 

具体的にどこが大きく変わったのかというと、21巻の最後に収録されている211話「怒りのシライシ」だ。

樺太から北海道へ帰ってきたヒロインアシリパ物語ラスボス存在鶴見中尉と初めて正式に対面する重要な話だが、

この話の7~15ページ目の範囲はほぼ全て単行本での加筆修正部分である

単行本を持っている人は確認してみてほしい。

 

まり

鶴見暗号解読必要キーワードを吐かせるために地下にアシリパ幽閉する計画を語るシーン

アシリパ鶴見の会話シーン

鶴見の頭の傷口からドクドクと汁が漏れ出るシーン

などはすべて本誌の時にはなかったものなのだ

 

なぜ作者がこれほど大幅な修正をしたかというと、上記のシーンがなかった本誌掲載時には、

鶴見と会う前のアシリパが「(鶴見が)どんな男かはひと目見ればわかる」と話す

鶴見の顔を一目見たアシリパが、一瞬の隙を突いて突然空に矢を放って逃げ出す

という流れになっており、「せっかくヒロイン鶴見中尉が対面したのに会話なし?」「『ひと目見ればわかる』って何がわかったのか?」

などの批判の声が上がったからだと思われる。

 

それにしても、これほど重要なシーンを単行本で加筆したのはやりすぎだったのではないだろうか。

いくらラスボス存在キャラとは言え鶴見にほぼ一方的に悪を押し付けヒロインアシリパは悪くないことを強調するような加筆にはだいぶ否定的意見も多かった。

 

そもそも、ある漫画ファンが本誌を買う一番の理由単行本派よりもいち早く先の展開を知りたいからだろう。

まり、それだけその漫画を楽しみにしているコアなファンということだ。本誌を読んでそれを元に考察記事を書く人も少なくない。

 

だが単行本でこれほどの加筆が行なわれてしまうと、せっかく本誌を読んで単行本派より早く先のストーリーを知ったとしても無意味になってしまう。

考察記事を書いていた人は、書き直さざるを得なくなる。本誌を買うメリットがあまりなくなってしまうわけだ。

ゴールデンカムイ考察記事が少ないと嘆いている人も見かけたが、単行本での大幅な加筆修正があることも考察勢が減っていってしまった大きな原因の一つだと思う。)

 

しかも、上記のことがあったときゴールデンカムイは当然無料公開中ではなかった。

本誌派の読者は本誌と単行本、それぞれにお金を払って違う展開を読んだことになる。

 

その後の単行本でも21巻レベルでこそなかったものの、やはり本誌で批判された部分を単行本で加筆修正する・

あるいは批判があったわけでもないのになぜか加筆修正するという行為は繰り返され、そのたびに読者の間で論争が起きた。

 

単行本での加筆修正以外の問題

問題単行本での加筆修正だけではない。

21巻以降、もともとエグみのあるネタが多かったこれまでと比べても人を選ぶギャグエピソードが増え、やはり賛否両論が沸き起こった。

 

具体的には、

シマエナガ

(多くの人のトラウマになった話。これまでの動物を食べるシーンと違い、数日を一緒に過ごしたシマエナガを食べようとする際の杉元の表情が恐ろしい)

児童連続殺人犯・上エ地

(様々な殺人犯が登場してきたが、子供ばかりを狙う殺人犯はいなかったため拒否反応を示す人も多かった。

ちなみに本誌では25巻に出てきた少年の飼い犬・タローが惨殺され、上エ地が少年の首を絞めようとするシーンももっと長かったが、

本誌の時点で残虐すぎると批判殺到したためか単行本ではカットされた)

・精〇探偵

(他の人も言っているが、さすがに液体描写はやりすぎだったのではないか

下品すぎると言って脱落した人や、本気でショックを受けていた宇佐美ファンも多かった)

海賊太郎死体ギャグ名前を間違えるギャグ

(これまでもモブキャラ死体を使ったギャグはあったが、登場してからある程度時間が経ち、ファンも付いていた房太郎死体が車から飛び出すギャグには賛否あった。

太郎の死の直後、白石が「大阪太郎(正しくは大沢太郎)」と名前を間違えるギャグにも不謹慎だと非難の声が上がった。このギャグ単行本で削除された)

などだ。

 

「作者が自分漫画で何を描こうと自由じゃないか」という反論もあるだろう。

でも、読者は何も単なるわがまま上記のような描写批判したのではないと思う。

 

ゴールデンカムイは(作者がそれを望もうが望まなかろうが)今やアイヌ文化を扱った代表的漫画としてメディアで取り上げられている作品だ。

せっかくアイヌ文化に興味を持って漫画を読んだ人がエグすぎるネタを拒絶して読むのをやめてしまったら元も子もない。

ただでさえ姉畑やラッコ鍋などの時点で受け付けなかった人もいたのだから、それ以上に過激ネタは控えるべきだったのではないだろうか。

 

「こんなヤバい漫画を展示した大英博物館や、観光客誘致に使っている北海道、心広すぎw」

などとネタにしている人もいるが、そんな場合ではないと思う。

作者と編集部は、アイヌ文化を描いている漫画悪趣味ネタに走ったことを真剣に恥ずかしいと思った方がいい。

 

さらに、謎解きの残念さも読者離れを招いた理由の一つだ。

 

・14巻では七人のアイヌ殺しの謎を知るウイルクが、19巻ではキロランケが死んでしまい、「本当に謎は解けるのか?」と不信感を持った読者が多かった。

結局27巻で鶴見の口から過去真相が明かされたが、この間に離れてしまった読者もいた

暗号解読刺青24必要という設定だったはずが、いつの間にか24枚全部なくても解けるとキャラほぼ全員が知っていたということになる(読者に全く説明はなし)

物語の当初からキャラたちが求め続けていた黄金がようやく見つかったが、黄金の半分が北海道土地権利書の購入に使われてしまっており、読者の感慨も半減してしまった

・謎多きキャラ・尾形が金塊争奪戦に参加している目的は初期から伏せられたままだったが、304話にしてやっと明かされた目的政治的ものではなく、個人的動機に過ぎなかった

鶴見黄金を求める本当の理由が最新話(現時点で312話)になっても曖昧なままになっている。また、部下の月島を騙した事件の詳しい真相不明なまま

 

などが挙げられる。

21巻以降こういう重要な謎がなかなか解決されないまま、いまいち意味があるとも思えない回想シーン

(例えば25巻の「上等兵たち」や28巻の杉元の過去など)をやっていたので、ストーリーが停滞してしまったと思う。

 

数年単位漫画を追っていた身としてはキャラたちの変化も気になる。

良い方への変化なら成長と受け取れるが、どうもキャラが悪い方へばかり向かっている気がする。

 

主人公の杉元は戦闘能力が高いだけではなく、初期にはとっさの機転で危機回避したりとクレバーな面も目立ったが、最近ではほぼ戦闘力(というか暴力)一辺倒のキャラになった。

28巻の回想で士官候補生たちに急に喧嘩を売ったり勇作をビンタしたりするシーンがあったが、初期の杉元はここまで野蛮ではなかった

・以前のアシリパ自分の父が姉畑を脱獄させたのかもしれないと気にしたり、偽アイヌ村でたくさんの敵を殺した杉元のことを地獄に落ちるのではないか心配したりしていたが、

今では父親のしたことや杉元の殺人について気にする描写がなくなった

白石戦闘力こそないもの脱獄脱出侵入)の腕前はピカイチという設定だったが、サッポロビール工場編、五稜郭編、蒸気機関車編のいずれでもその腕前を生かせていない

・尾形は冷徹皮肉屋なスナイパーだったが、だんだんと生い立ちの問題が強調されはじめ、最後には精神錯乱状態に陥って自死という悲惨な結果を迎えた

月島鶴見の忠実な側近として登場したが、徐々に鶴見への不信感を抱えたキャラという設定になり、最終章に入っても鶴見について行くのかどうかはっきりしないキャラになった

鶴見や土方は以前はもっと大物めいたキャラだったが、北海道日本から独立させて新しい国家を作るという壮大な目的に達する気配が少しもないまま、

土方は死亡・鶴見も杉元に倒されるのでは?という展開になっている

 

他にもあるが、ざっとこんなところだろうか。

ゴールデンカムイキャラクター人気も非常に高い作品だ。このようなキャラの変化について行けず、読むのをやめてしまったという人を何人も見かけた。

無料公開で一気読みした人にとっては、上に挙げたようなことはどれも些細なことかもしれない。

だが何年も作品を追いかけ、キャラ応援してきた人にとっては違うのだ。

 

キャラファンキャラに夢を見すぎただけ」という意見もある。確かにそういう面もないわけではないと思う。

でも、ゴールデンカムイキャラグッズを購入していた層はそんな「キャラに夢を見ていた」タイプファンだったのではないだろうか。

ストーリーを壊さない程度に、ファン最後まで応援したくなるようなキャラを描き切ることはできなかったのか。

 

特にそのキャラファンというわけではなくても、どんどん魅力だった面を失いかっこ悪くなっていくキャラたちを見ているのは忍びなかった。

作者が自分で考えたキャラの魅力を把握していないかのような様子には理解に苦しむ。

 

とまあ、思いのほか長くなったが大体このようなことがあって数年来の読者は少しずつ去っていった。

そして、単行本での大幅な加筆修正や癖のあるギャグにも肯定的ファンばかりが目立つようになり、

あまつさえ作品に対するネガティブ感想排除するような攻撃的な読者が増えていった。

 

ゴールデンカムイそもそもそんなに人気なのか

「人が去ったと言ってもそんなに多くないんじゃないの? ネットではこんなに人気だし…」

「読むのをやめた人がいても、無料公開でそれ以上に新規の読者も入ったんじゃない?」と思う人もいるかもしれない。

でも事実、ここ数巻のゴールデンカムイの初動売り上げは下がり続けているのだ。

 

匿名掲示板・5ちゃんねるに「コミックランキング売り上げ議論スレ」というスレッドがある。

オリコンチャート漫画単行本売り上げランキングに載っている売り上げ部数(電子書籍は除く)を元に、

その単行本が発売後およそ1ヶ月程度でどれほど売れたか(=初動売り上げ)をまとめているスレッドだ。

もちろん発売日から日にちが経ってもその漫画を買う人はいるし、電子書籍で買う人もいる。

でも、「紙の単行本を発売日後すぐに買う」人の数はその漫画にどのくらい根強いファンが付いているかというある程度の目安になる。

 

ゴールデンカムイアニメ化した後の15巻から追える範囲で初動売り上げの推移を見ていくと、

(一番右端の矢印は、前巻から売り上げが上がったか下がったかを表す)

 

アニメ1期2期放送後)

15巻 29万 1580部 ‐

16巻 32万 3995部 ↑

17巻 26万 7279部 ↓

18巻 29万 5117部 ↑

19巻 26万 2729部 ↓

20巻 25万 4168部 ↓

21巻 23万 9891部 ↓

22巻 22万 5296部 ↓

23巻 21万 9403部 ↓

アニメ3期放送後)

24巻 データなし

25巻 22万 3234部 ↑

26巻 20万 8601部 ↓

(全話無料公開後)

27巻 20万 5874部 ↓

28巻 20万 0391部 ↓

 

19巻以降しばらく初動売り上げ部数が下がり続け、3期放送後の25巻で少し上がったが、26巻からはまた下がっている。

注目すべきは、去年の全話無料公開後に発売された27巻は初動売り上げが上がる…かと思いきや下がったことだ。

電子書籍で買った人が多かったともとれるが、それにしても単行本の売り上げが下がるという事態普通なら考えにくい。

 

無料で読んだ結果それで満足してしまい(または思ったよりもつまらないと感じ)、単行本を買うまでもないと判断した人が多かったのでは?」

「何度も無料公開を繰り返したことで、お金を払って読んできたファンとしては馬鹿らしくなって愛想を尽かしてしまったのでは?」

 

そう思ってしまう。

 

ゴールデンカムイの累計発行部数は、28巻までが発売されている現在で1800万部だそうだ。

「そんなものなの? もっと売れてると思ってた」という声を見かけたが、確かにネット上でかなり話題になっている割には発行部数が少ないと感じる。

このくらい話題になっていれば、本来なら発行部数が3000万~5000万部くらいは突破していてもおかしくなさそうである

でも、現実には2000万部にも届いていない。

 

これまでの経緯を見るに、作者や編集部は初期からの読者の意見蔑ろにして、単行本での大幅な加筆修正があることを売りにし、

人を選ぶギャグを増やし、謎解きや伏線回収を疎かにし、多くのファンが付いているキャラたちの整合性をとることにも気を遣わなかった。

それで以前からの読者が離れると、そのたびに無料公開をおこなって新規の読者獲得に躍起になってきた。

正直「マッチポンプだな」と思ってしまう。

 

売り上げを伸ばしたいなら無料公開よりも、以前からの読者の意見漫画ストーリーキャラクター、

そして何よりアイヌ北海道という作品テーマもっと大事にした方がよほど良かったと思う。

 

今回の無料公開で公式は「狂った犬の様に伴走(はし)れっ!」というキャッチコピーを使っている。

ゴールデンカムイが本当にアイヌの人々に寄り添っているなら、このキャッチコピーを選ぶことはなかっただろう。

 

一年ほど前、日本テレビの番組スッキリ」でアイヌと犬をかけたギャグ炎上した時、ゴールデンカムイ公式特に抗議の声を上げなかった。

アイヌ文化漫画ネタとして都合よく消費はしたいが、厄介ごとには首を突っ込みたくない。ざっくり言うとそういうことではないのか、と疑ってしまう。

 

日テレスッキリアイヌ差別表現検証 チェック甘く

https://www.asahi.com/articles/ASP8V575NP8VUCVL00C.html?iref=pc_extlink

 

まとめ

今回の全話無料公開を受けて、「すごい大盤振る舞い!」と喜んでいる人をたくさん見かけるが、一方でこう思っている人もいると思う。

 

「少し前にも全話無料公開したばかりなのに、大丈夫なの? 何かウラがあるのでは?」

 

あなたの勘は正しい。

恐らくは減った分の読者を少しでも取り戻そうとして、または最終回に向けて何となく盛り上がってる感を出したくて、

今回の全話無料公開を打ち出したのだろうと個人的には推測している。

最終回の後には「ゴールデンカムイ展」が開催されるが、そこに1話が本誌に掲載された時からの読者は果たして何人くらいやって来るのだろうか。

 

かく言う私も最初アニメ化後にゴールデンカムイを読み始めた勢で、今の読者の中では古参にあたるのかもしれないが最古参ではない。

概ね樺太編(21巻くらい)までは、多少の疑問がありつつも楽しんでいた。

でもその後の展開は上記に書いたような疑問続きで、どんどん読むのが苦痛になっていき、実際に何度か読むのをやめてしまった。

それでも結局戻ってきたのは、せめて結末がどうなるのかだけでも知りたかたからだ。

(かつての面白さが戻ることはないだろうし、失望するだけだとはわかっているのだが。)

それほど、以前のゴールデンカムイストーリーにもキャラにも魅力があった。

 

ともあれ、ここまで来たからには残りの2話も読むつもりだ。

あれほど素晴らしかった作品がなぜこんなことになってしまったのか、本当に残念でならない。

何か事情があるのなら切実に知りたいと思っている。

 

あくま自分が見てきた範囲で経緯を説明したつもりだが、最初にも書いた通り、補足や訂正のある方は遠慮なくお願いします。

2022-04-13

anond:20220413100354

ウクライナ侵攻で「現代戦争合理的」「軍備を整えれば侵略されない」「素人徴兵しても意味ない」「仮想敵国には強気外交しろ」「安倍プーチンはマブダチ」「プーチンみたいな冷徹計算高いリーダーってかっこいいよな」がすべて打ち崩されたウヨクさん…

2022-04-12

ゲーム政治を語る奴

https://twitter.com/hiro_tyun/status/1513629505373437953

別にこの体験談体験談でどうでも良いんだが(外国人ってどこの何語の何文化の何歳の誰だよとか突っ込み所はあるが)

まあリプ欄が地獄だよ

特殊ルール下のたくさんあるプレイの中の一例でしかないエピソード拡大解釈して

「このエピソード道徳社会の授業で扱うべき!」とか「日本もこれを見習え!」とか言ってる

自称愛国者自称教育家の群れがわらわらいる

なんか見覚えあるなと思ったら、

ボードゲームの「フンタ」を教育採用して、子ども政治について学ばせるべき!」みたいなこと言う奴度々いたじゃん

あれみたいな、自分趣味教育世界情勢に通用すると思ってる連中


いや、ディプロマシーでもフンタでも、ボードゲームでもコンピュータゲームでも、教育採用されてる例はたくさんあると思うよ?

でも軍オタみたいなのが想像するような「他人から徹底的にむしり取るために」「冷徹ゲンジツを知らしめるために」みたいな用法教育をする国なんてどこにもないだろ

そういう奴らがやりたいのは部活とかでだらだら遊んでルール慣れてない下級生相手無双してーみたいな妄想だろ

それに海外に行った時の値切りの体験談とかでその国の「民族性」が分かった様なことを言ってる連中も大概にしろって思うわ

お前らは原宿秋葉原だけみて、商売人間と話しただけで日本分かった気になるか?

少しも真面目に国際関係について考えたことないだろ

昔は偽ユダヤ人(中身は日本人)のビジネス指南とか人生論が大手を振って出回ってて、一時は収まったかと思ったら、

最近はまたこういうエセ文化論がよく出回ってて、次第にマジになってきてるんじゃないかって心配になる

2022-03-29

バナナマンのネトフリで配信されてるコント

赤えんぴつ」という人気のコントシリーズがある

一番初めにやった時の「ドロドロ」という曲が原爆がドカーン!っていう曲だった

おいおいネトフリ大丈夫かよって思った

そういやバナナマンというコンビ名の由来が「見た目は黄色人種だが中身は冷徹白人の男」らしい

そういう部分が一番出てたコントだったなと納得した

ネトフリ自体日本を見下してそうな感じするしな 嵐のドキュメンタリーとか最悪だった

2022-03-26

anond:20220326002920

一ヶ月前に「ウクライナは数日でロシア軍占領されるこれが冷徹現実」とかキメ顔で言ってそう

2022-03-05

ネットでお前頭プーチンかよって悪口が生まれ

今までプーチンって冷徹独裁者ってイメージだった。

でも、もうネットDE真実を信じてウクライナはあっさり落ちると信じて攻めこんだけど、

まだ落とせない頭お花畑無能老害ジジイみたいな扱いに変わってるww

2022-02-27

anond:20220227093616

ウクライナ心配するよりも先にリベラルを嬉々として嘲笑し、

「ほら見ろ、理想を掲げても外交を尽くしても、軍事力ゴリ押しされれば何もできないんだ、日本再軍備してゴリ押しすべきなんだ」

って言ってる連中だろ?

彼らは「綺麗事が踏み躙られること」を喜んでるんだよ。

自分自身低俗から平和を訴える高潔人間が嫌いなんだ。

から暴力平和蹂躙することに仄暗い快感を覚えている。

その怨念を「冷徹リアリズム」だと勘違いしてるんだよ。

2022-02-25

https://anond.hatelabo.jp/20220225093234

ガチな規模の経営者冷徹意思決定をするのが仕事

個々にはリスクがある (しか会社として必要だと考えられる) 決定をしたら個人としてもリスクがあるのだとしたらそういう決断を出来なくなる。

そういう意味では政治家に近い。

全体として失敗すれば支持を失い立場を維持できなくなるが、個々の決定についてはリスクを背負わせてはならない。

ビジネスはいろんな立場から成り立っていて、エリートが担う役割というのもあるんですよ。

2022-02-13

いまの時代に本当に必要なのはこれ

男性陣も女性陣も満足

東京いい店やれる店 単行本 – 1994/8/10

ホイチョイプロダクションズ (著)

 

出版社からコメント

レストランは味ではなく、デートに使えるかどうかで選ぶべきだ! いま東京で一番デートに向いたレストランバーシチュエーションごとに徹底調査。必ず口説ける54章400余店を掲載美女危うし!!

内容(「BOOKデータベースより)

本書は、顔のいい女とセックスしたいと願うスケベな男性諸君に贈る、女を口説くための料理ガイドである

内容(「MARCデータベースより)

一発必中、完全無欠のデートガイド・ブック登場。レストラン200余店を冷徹分析と実地取材をもとにセレクトした、ホイチョイ7年ぶりの新刊

 

出版社 ‏ : ‎ 小学館 (1994/8/10)

発売日 ‏ : ‎ 1994/8/10

言語 ‏ : ‎ 日本語

単行本 ‏ : ‎ 305ページ

ISBN-10 ‏ : ‎ 4093593418

ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4093593410

2022-02-04

一人の中に二人の人格が入ってる人物大全(Not 二重[多重]人格

トラバブクマで大全を作ってくれ。

(注)

こち亀本田バイクに乗ると人格が変わるが二重人格なので適合しない。

ピッコロは神と融合して人格に影響を受けているが、神の人格がもうひとりの人格として表出しないので適合しない。

進藤ヒカル藤原佐為人格が交換されることがないので適合しない。

議論あり)

武藤遊戯と闇遊戯

作品遊戯

遊戯と闇遊戯存在を互いに自覚しあったのはモンスターワールド編。

決闘者の王国編以降、遊戯は闇遊戯のことを「もう一人のボク」、闇遊戯遊戯のことを「相棒」と呼ぶようになる。

御堂島優と翔

作品クロックタワーゴーストヘッド

翔は「ミコシサマ」というお守りを手放している時に優が危機に陥ると現れる。

どのような過程で優の人格となったかは一切不明だが、ファンの間では優の死んでしまった方の双子の兄(弟)という説がささやかれている (これは才堂家の習わしについて女子双子表記されているだけなので、優自身が男女の双子で生まれていた可能性もある為) 。

優は学校で翔の人格が表れ、同級生への傷害事件を起こし転校を余儀なくされる。

おじの鷹野の家へ向かうため弁天町に着いたところからゲーム本編は始まる。

テンジンとみずき

作品天外魔境ZERO

テンジンとみずきは愛し合っていたが、地獄を裏切った代償としてジュリによって殺害されテンジンの体の中に封印されてしまう。

それからはテンジンとみずきは二心一体となり、「マンダラの笛」によって人格は交換することができるが、片方が表に出ている間はもう片方が体内に封印されてしまうため、愛し合いながらも二人は永遠に会うことが叶わなくなった。

2022-01-20

anond:20220119170128

冷徹請求して専念する作業をつくってあげたほうが悲しみがやわらぐんでないの?

2022-01-16

文学部になんか行くなって言え、の筆者による反省

昨日か一昨日、『文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え』のエントリを書いた人間です。

追加で記事を書くのは言い訳がましい。

でもめっちゃ風評被害をまき散らしてしまったので、ちょっとだけ冷えた頭で過去を捉えなおした記事を書きたいと思いました。

あれを読んで嫌な気持ちになった人に謝れるわけではないし限りなく自己満足ですが、ネットの海に放流しておきたかったので。

文学部は俺の未来に害を及ぼしたわけではない

就活で心が折れてしまった上に、俺の性格が極端で未熟だったことによるところが大きい。

かに客観的に見れば貴重なことを文学部で学んだのかもしれない。

文学部の人や人文学に触れたことがある人は知っていると思うが、文学部感想文を書き散らすところでは断じてない。

まずは対象となる作品に触れて、自分で疑問を発見したり、隠されたものがあるのでは?と気づく。

そしたら、その疑問や発見を足掛かりにさらに深くテクストを読み込み、適切な研究書・論文を探して読んで根拠を集める。

必要場合は、過去理論適用して新たな気づきがないか探したり、自分立場を明らかにする。

そうして根拠を十分集めて、最初の疑問や発見に対する結論を導きだす。これが俺の学んだ手法

思い出してみれば、自分一年生の時から成績がよかったわけではなかった。

なぜなら入学当初、課題発見力が限りなくゼロに近かったから。お得意の受験勉強では全く何もできなくて、最初に書いたレポートは散々でした。

で、レポートを書けるようになりてえと思った。正直言うとその動機はお子様なもので、アカデミック論文冷徹に真理を追究してるみたいでかっこよく見えたから。

まあ悔しかったのか文学が好きだったのか、今ではよく分からんがとにかく少しでも大学学問に触れたいと思って、そこから色々やった。

教授質問したり、レポート上手い友達にどうすればいいか助けを求めたり、『レポートの書き方』とかロジカルシンキングの本を読んだり。

それで成績が上がったんでした。

コメントでも指摘があるように俺は自分評価を限りなく外部に依存する悪癖があり、成績を自分判断基準にしすぎというのは真っ当な指摘です。

でも、その外部から評価を得るために自分でいろいろやったなあ、ということをガン無視していたので、それはちょっと認めてもいいのかもしれないと思った。

ということで、もらったコメントを受けて考えてみれば、文学部に行ったから俺の未来がどうこうなんじゃなかったということです。

それどころか、文学部勉強して知った「テクスト客観的に読んで課題発見し、資料を参考にしながら結論を出す」という手法はどこにでも通用する教訓なのかもしれない。

いや、そうじゃないかもしれない。俺は社会に出てもいないし、就活にしても本選考が始まったわけではないし、本当に社会通用するのかは今知りようがない。

とにかく考え直してみた結果、俺は価値ある学びを身につけられたのかもなあ、と思った。

文学部の人、文学部に行きたいと思ってた人、すみませんでした。グチャグチャメンタル軽率に貶したりして、本当に馬鹿でした。

この謝罪は読んだ人への媚び売りではなく、もらったコメントを読んで自分の学んだもの価値を思い出した結果だと思っている。多分。

これが万人に通用する真理かどうかも知らない。今のところの自分結論というだけ。まだ未熟な部分が腐るほどあるんだろう。

・ただ文学部関係ないけど、俺がやらかしたことに変わりはない

そうは言ったところで、俺が人付き合いから目をそらしてきた事実は変わらない。

なので、自分ゼロ地点にいることを自覚したんだから、今度こそ自分でなんかやろうと思った。

今の時点ではまず進路をどうにか決めるのが先だが、その先はバイトボランティアグループ立ち上げか、とにかく人と会わなきゃと思う。

がむしゃらにただ会うんじゃなくて、自分相手の対流みたいなもんを作ればいいのだろうか、よくわからないけども。

しかも、あれだけ叱責のコメントをもらってすら未だに周りの人間を恨んでいる節がある。

ただ、これもコメントにあったことだが、実際には「コミュニケーションをとれ」というアドバイスをもらいながら目を背けていただけの気がする。

自分には合わないから!机に向かってれば楽だから!そういう自分本位の理由アドバイス無駄にしてたんだろうな。

それで俺に愛想をつかした人、多分たくさんいるだろうと思います

あと根本的な問題点として何かに失敗するのがどうしても嫌というプライド不安があるのも分かった。

なので失敗したら引きこもるのではなく、どこがダメだったか考えて再試行するのを人付き合いで繰り返そうと思う。怖いですが。

・なぜ「勉強頑張った」とガクチカで書けないのか

勉強を頑張れるのは一つの長所」という励ましのコメントをくれた人が数人いました。今はまだ大事ものを取りこぼしたしくじり感が強いけど、将来「勉強したことが血肉になってるんだな」と思える日がくればいいと思う。

その一方、「ガクチカでそれを書けばいいじゃないか」というコメントにはあまり同意しない。

なぜなら、就活本に書いてあったガクチカについての説明がとても筋の通ったものだったからです。

就活始まってたくさん読んだマニュアルの大半には、「ガクチカ大学内でのことを書くと視野が狭いと思われる」という指南が書いてあった。

そして具体的なアドバイスとして、「社会人としての素養コミュ力社会性をアピールするため大学外部のことを書け」という対策が書いてある。

からみんなサークルゼミのことをアピールするのは極力避け、アルバイトボランティアのことを書こうとするんです。

これは筋が通っていると俺は思う。なら、上に書いた文学部での学業ガクチカとして不十分だ。特に俺はほとんど一人で動いてしまたから、社会性とコミュ力アピールにはならない。

で、その上でガクチカをどう書くかはまだ決められてません。とりあえずキャリセンと外部の講座に頼ります

自分語り(コミュニケーションが苦手、人格が幼いことについて)

これを治せないのかは分からない。

ただずっとコミュニケーションが嫌いだったかというとそういうわけではなくて、その方法を限りなく間違え続けたあげく人間関係で病んだのがきっかけだった。

小学生の時にいじめを受けていて、それで辛い人の気持ちが分かったつもりになった。

で、自分は優しい人でありたいと思ったので、それ以来誰彼かまわず相手に尽くしまくった。

ただ人格形成が遅かったのか、はたまたその時から他責性格自分の成長を怠ったのか、自他の区別がつけられず優しさと甘やかしの違いが分からなかった。

その結果メンヘラ製造機になり、それを抱えきれなくて自分メンヘラになった。

横になって壁見ることしかできねえ何もできねえ何も食えねえみたいな時期が続き、高校教室に行けなくなった。

精神科には行かずにスクールカウンセリング一年ぐらい受けたけど、結局克服には至らず。

で、大学に行ったらぼっち謳歌するぞ、友達なんかいらないぞと思って、それを実行した。

ここで周りの「他人と向き合え」というアドバイスが実際あったのに無視したとすれば、それがさら人格形成をサボる分岐点だったんでしょう。

上で「友人にレポートアドバイスを聞き…」と書いたように、確かに数人は大学の友人がいる。しか自分から全く外部に行かなかったので成長できてないんだと思う。

根本的な原因としては「甘やかすことと優しくすることの違いが分かってない」=「自分がない」なんでしょうか。

ただしばらく考えてもこれを解決する方法が分からない。でも今まで頭でっかちで失敗してきたのは確か。なので今までの沈考から趣向を変え、トライアンドエラーを繰り返す方式他人と関わろうと思う。

大学生になる人、俺みたいに「人間関係しんどいから一人でいるぞ!」って逃げずに自分から人を見つけに行け、めちゃくちゃ遠回りすることになるから

・で、将来どうするのか

明確には決められていない。決めたことは、

1.とにかく民間就活は続ける。

2.キャリセンなりガクチカ講座なり行って、相変わらず涙目になりながら自己PR文章を助けを得つつ書く。

(3.橋にも棒にもひっかからなくて全滅したら、大学に推薦があるか聞きにいったり、お金ためて来年公務員試験を狙ったりする。)

これで全部。

コメント読んでて確かにそうだなと思ったのは、そもそも文学部選んだのだって、恵まれ環境があって自分で決めたんだろうということ。

もうこれは客観的に見てそうなんだろうけど主観的にはまだ周りを恨む他責思考が抜けきってない。改心するのは時間がかかる。

本好きだなあ、もっと知りたいなあ、文学部行きたいなあ、って思った高校生を周りが尊重してくれた、というのが事実なんだろう。

今「尊重」と書いてて思ったけど、周囲の人たちは「文学部通用しないと知りながら黙ってた」ではなくて、「周りの忠告も聞こえないぐらいなら尊重してあげよう」と思ったのだろうか。

入学して学業の難しさ、つまり「本好き」だけでは文学研究は成り立たないことを知ったわけだが、学業入り口入り口ぐらいには立てたと思うので、本懐を遂げたと言っていいのだろう。

・まとめ

一言で言うと、「恵まれ環境にあぐらをかいている+おそらく価値あることを学んだのだろうが、価値自分で認めきれない+学んだことの活かし方が分からない+今まで逃げてきたこのしっぺ返しを食らってパニクっている」ですかね。

座学じゃない勉強が足りねえんだわ。

これからどうするかは決められてません。大学三年間ずっと他人との向き合い方を学びませんでしたから、未だに絶望感はあります

ここからは周りに甘えた上に責任転嫁するのはやめて(そもそも周りの責任じゃなかったような気がしてきたので)、自分人生ここから自分で何とかするって気持ちでいたい。

これを書いてもなんかうわべだけの解決になっているような気がして不安だが、もう内にひきこもるのだけはやめる。

ボランティア募集見つけたんで、これ投稿したらそれに応募する。相手クソ迷惑だろうな…ごめんな…

2021-12-05

会話がわからないでござる

雑談が苦手だ。

たぶん、うまい返しをしないといけない、相手が話しているのだからしっかり聞いてあげないといけないと身構えてしまっているからだろう。またそういうことができる人でありたいと思っているから、会話している際に自分発言所作目線に気が合ってしまい、リアルタイム内省しているので、もはや相手の話は聞いてないレベルである。そして汗汗となっている…。

特に冗談を言ってくる人に対してどう返事したらいいのか分からなくて、内心では漫画キャラクターみたいに汗汗となってしまうよ。ただふふっと笑えばいいだけかもしれないけど、自分の笑い方って嘘っぽくなくないかな、おもしろくもないのにぎこちなく笑っててこいつ気持ち悪いなとか思われてないかなって、頭の中で考えちゃう

あと飲みの席とか、相手が話してきてもほーん、とか、ふーん、はあ、としか頭の中に浮かばんのよ(困り)

相手に興味がないからなのかなあ。

芸人さんのラジオ聞くは好きだし、うーん関係いか…。

私はちょっと発達障害的なところがあって(メンクリカウンセラーさんが言うには健常寄り。国語は人並みにできるし、読書も好きだし、人の感情が読み取れないとかはないと思うんだけど)自分から会話の言葉が出てこないから、言葉を無理に捻り出してこないと冷徹無言マンになってしまう。

正確には今までの対人経験テレビなどから人との接し方のパターンが蓄積されてるから、それらしいことをエミュレートしてるだけで(人間みんなそうやろって感じだけど)自分の中にある人との(本当の?)接し方を出せてない気がする。自分の口から出てくる言葉にぎこちなさを感じて苦しい。

から私は人と過ごすのがすごく疲れるし、だれよりも友達がいない。猫は好き。

文章自分の思ってることを書くのはきらいじゃない。

こうして久しぶりに文字にすると、Twitterで生きるのつらいなって連日つぶやいてた10年前となにも変わってないなって、苦笑と微笑みと自分への若干の愛おしさを感じました。

増田どもでした。

2021-11-30

anond:20211130152932

冷徹算盤勘定だけじゃなくて、宗教的文化的イデオロギーも含まれものリアリズムだぞ

つの要素書いてあるんだからちゃんと読めるように「努力」しような

いずれにしても開戦理由が「道義人道に基づいて意思決定を行う」というところからかけ離れてることは歴史的にも明らかだよね

論理性があれば理解できるとおもうけどどうかな?

anond:20211130152533

そもそも戦争大義名分なんて全て建前でどこも冷徹算盤勘定のうえで戦争を仕掛けてるに決まってる」みたいなのをリアリズムだと思ってそうだなー

2021-11-27

宮沢賢治の『ツェねずみ』の話

 宮沢賢治全集を読んでいる。

 清廉なこころのあり方と幻想的な描写、というイメージで語られることが多い作家だと思うが、まだあまり作品を読んだことがない人で、このぐらいの理解でいたら、損をしていると言いたい。

 宮沢賢治の良さは他にも、観察眼を突き詰めると対象への愛情とともに冷徹さを伴う好例のような、少し寒気がするほど容赦のない描写や、人を食っているとしか思えない異様な会話劇があって、これはサンドウィッチマン文字起こしされた漫才を読んでいるのと同じくらい笑える。みんな読んだらいいと思う(『気のいい火山弾』『毒もみのすきな署長さん』がおすすめ)。

 さて『ツェねずみ』だ。

 これも宮沢賢治短編で、ある種の人間とそれが引き起こす不幸のことを、他の文芸作品では触れた経験がないぐらい明らかにしており、衝撃だった。

 ツェねずみという一匹の鼠が屋根裏に住んでいる。

 ツェねずみは要領が悪い一方で欲が深く、性格ねじ曲がっているので、誰かから親切を受けても、「もっと自分のためになるように優しくすることもできたのに、それを怠った」という考え方をするため、みんなから死ぬほど嫌われていた。

 本来なら恩を受けた時点でプラス(という表現もアレだが)のはずが、工夫次第でもっとプラスにできたはずのことを、そうしなかったので実質マイナス、というのがツェねずみロジックだ。

 だから「損失」を弁償しろ、とツェねずみは主張する。

 ツェねずみ自分理屈をどう考えているのかは書かれていない。

 不合理だという自覚があるのか、常軌を素で逸しているのか。

 宮沢賢治がここに意識的言及していないのかはわからないが、明示されていないことが実に効果的だと思う。俺は、「最初自分でもムチャな理屈だと思っていたが、言い続けているうちに世の中がこれで渡れることがわかったので、次第に正気を失ってきた」と読む。

 そんな中で、唯一ツェねずみに優しく接するものがいた。「鼠捕り機」だ。

 宮沢賢治作品では、物体でも機械でも平気で人格を持って話し始めてしまう。木の柱だとかバケツだとか、そういうものだ。

 他の物体がツェねずみに嫌気がさして付き合いをやめていく中、鼠捕り機だけはツェねずみと仲良くしようとする。

 その理由は、鼠捕り機が(宮沢賢治時代でさえ)人間社会にはもう不要、という扱いになっており、邪魔者とみなされていたので、鼠捕り機も他に親しく付き合える相手がいなかったからだ。

 鼠捕り機は自分に仕掛けられた魚の頭やハンペンを、あえて罠の扉を閉めないことで、ツェねずみ交流を持つ。本来的には殺される者と殺す者という構造であったはずが、ねずみの強欲(と狂気)、鼠捕り機の孤独によって、いびつな友好が成立する。

 悲劇は、ツェねずみ尊大さに制限がかからなかったこと、そして、鼠捕り機の忍耐が特別優れていたわけではなく、通常の寛大さしかもたなかったことで生まれる。

 ツェねずみは、相手機械の本分を放棄して食べ物を与えてくれているという、ある種の奇跡自分に起きていることに気づかない。この幸運をどん欲に消費し、さらに良い物を鼠捕り機に求める。相手ののしることさえする。

 あるとき、鼠捕り機はののしられて一瞬われを忘れ、罠の扉をおろししまう。ツェねずみは閉じ込められ、お互いは本来の、殺される者と殺す者の関係に戻る。

 機械悲劇の方が、俺には身近に感じる。

 鼠を殺さない鼠捕り機、という存在は非常に奇妙だ。まともに生きにくい変わり者であると同時に、現代社会風で言えば「意識が高い」「キャラクターが立っている」という考え方も、できなくはない。

 ただ、自分が変わっていることを自覚して、それを生きる上での背骨にしてやっていこうとすると破滅が起きる。

 変わり者は、自分変人だと知ると、まるでこれが一種の才能と考えたくなりがちだが(個性が重視されるはずの現代ではなおさら?)、実際は関係がない。世の中的には本当はなんの意味もないことだ。

 なので、「変わり者として生きていこう」という目標基本的破綻するさだめにある。

 社会からは、なんでもいいか普通にやってくれ、と要求されるし、より強大な理由としては、変わり者自身の中にもちゃんと「普通」の部分があるからだ(鼠捕り機でいう罠としての本分)。

 社会と自らの内側の本性によって、人間は結局、まともに生きていかざるを得ない。鼠捕り機でいえば、優しかろうが意識が高かろうが、罠は罠らしく獲物を殺して生きていくしかない、ということだ。

 一方、ツェねずみの強欲と狂気も身に覚えがないこともない。

 対象が親しい人間でも漠然とした世の中全体でもいいが、基本的自我というのは、幸運をあり得ないものとして感謝するのをおこたりがちで、むしろそれを平時ベースとして、さらに豊かなものを求めようとする。

 要求する相手が生身の人間だろうと、社会という概念だろうと、いずれにしてもこんなことはいつまでも続かないので、いつか破綻を迎える。

 破滅した側の人間はこれを不幸だと感じるだろう。

 自分の望むものが度を過ぎていたので客観的には不幸でもなんでもないが、こういう「幸福幸福として認識できないバグ」が心理に埋め込まれていることが、別の意味で「不幸」ではあるかもしれない。

 おそろしいような気がすることとして、ねずみと鼠捕り機のカップリングは、ある種の人間関係として、友人・恋人家族同士の間で、思いのほかこの世で多く起きているような気がする。

 たぶん社会のあちこちで、「自分には特別な才能があるから少し変わった生き方でもやっていけるし、罠としての本分を超克して目の前のねずみと生きていける」と錯覚した鼠捕り機と、「まあこれぐらいは相手要求しても飲むだろう」と思い込んだねずみが、ある日双方のブレーキアクセルをぶっ壊して悲劇を生んでいる。

 また、俺が自分で感じたように、一人の人間の中にも、ねずみと鼠捕り機の両方が住んで同居している場合がある。宮沢賢治の『ツェねずみ』を、俺は『気のいい火山弾』と同じでサンドウィッチマンとか千鳥漫才台本とおなじくらいのつもりで読み始めたが、人間の本性と世界との関わり方の運命的な破滅についておそろしく冷徹に書かれていて感嘆した。すげえと思う。

 難しいのはねずみと鼠捕り機の関係で、鼠捕り機は自分の忍耐が切れて相手をとって食ってしまう前に相手から距離を置いた方がいいと思うが、人間という存在希望も美しさも、鼠捕り機が自分の本性を乗り越えたり、周囲から押し付けられた役割放棄して世の中を意識的サヴァイヴしていくことで描かれがちだということで、実際それに成功した人は素晴らしいと思うし、この辺は正直どうにもならんのかな、と思っている。

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