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2018-10-12

日本版文化の盗用」議論

アメリカでは文化の盗用」に関する議論が喧しい。ボストン美術館キモ体験についたクレームだとか、当事者であるはずの日本人から見ても「別にいいじゃん」と思わせられるようなケースさえあり、それ自体差別的発想だという批判もあるくらいだ。実際、例の企画は、元々の画がジャポニスムテーマにした画であり、その画の前で日本人ではない人がkimonoを着て写真を撮る行為は、むしろ「ある時代存在したジャポニスム」そして「それを描いた画」という『オリジナル』を尊重した行為ですらある。たとえば日本人着物を着てその前に立っても全く意味がないどころか、むしろそれこそ「オリジナルへの敬意を欠いた振る舞い」として批判されるおそれさえあるだろう(皮肉)。

(※ちなみに、時間のない方は、このあと太字部分だけ読めば大体の内容が分かります。)

だが、そんな自分が、日本でしばしば気になって仕方ない「文化の盗用」がある。それは、TV番組などでしばしばみられる「関東言語話者による恣意的方言使用である。よく例にあげられる「外国の都会の人の言葉標準語で訳されるが、農夫の言葉東北弁で訳される」みたいな問題だけではない。地方舞台にしたドラマ登場人物が喋る台詞などにおいても、方言が、その地方やその地方言語に対する十分な理解を欠いた人間、つまりネイティブ以外によって「ちょっとした彩り要素」としてカジュアル使用される結果、おそろしくひどい形で表現されている。文化への敬意を欠いた使用は、まさに「盗用」と呼ばれるのにふさわしい。

たとえば、関西ネイティブとして断言するが、TVドラマや公に出版されるフィクションなどで見かける関西弁による会話」をみて「自然だ」と感じることは99%ない。それなりにお金をかけているはずのNHK朝ドラ関西指導:●●、などとクレジットが入っているのに)などは、最もひどい例の筆頭である

そういうひどい例を具体的にあげると枚挙に暇がないので、1%の「よい」例をあげてみよう。たとえば谷崎潤一郎細雪戦前作品だが、関西文化に対する深い理解をもとに、「自然な」関西弁が用いられている数少ないフィクションである。谷崎は江戸っ子だが、言語に対する深い感覚と、関西に移り住み関西ネイティブ結婚して緻密にその文化所作、その背後にある思考法を観察した結果として、たとえば第一章冒頭の流れるような会話描写を実現した。相手の反応を伺うような、どこで途切れるのか分からない古典時代のような会話、相手を立てるように話す長女と蓮っ葉な口をきく三女は、それぞれ阿吽の呼吸で話を推進する役/突っ込みを入れる役/疑問・答によって話のオチを付ける役、などの役割(ロール)を自在に演じながら会話を展開させていく。これに較べれば、NHK朝ドラ等の会話が、いか醜悪な「関西弁モドキ」の会話であり、結局「関東弁を関西弁ぽい口調にしただけ」の底の浅いものかがよく分かる。少なくとも関西ネイティブなら、その違いは明白に感じ取れるものだ。

NHK朝ドラで、たとえばヒロインに対して友人が、あるいはヒロインが知人や親に、時に熱く、あるいは涙を浮かべて関西弁で「○○○○なんや!」と叫ぶ。見ている私の胸には「ああ、またか」と鼻白む思いが広がっていく。あれで関西配慮しているつもりなのか。関西東京にとって単なる感傷的なエキゾチシズムの対象なのか。あん関西人おらへんねん。ほんまに。

関西では、関東人のように「正論」を「熱弁」することは、申し訳ないがノーマルナチュラルな振る舞いとは見なされない。話の半分をジョーク構成し、自分を「落とし」て低姿勢で粘り強く交渉するスタンス疑問形を多用して「相手に語らせる」手法、話にはヤマとオチをつけるという作法、そういうものを欠く会話は、下品で場をわきまえない失礼なものとみなされ、見下される。幼い子供を除けば、自分意志相手に伝えたいときにはもっとも用いないやり方だ。関西ネイティブ一見感情かに見えるが、それはあくまでロールを演じる意味においてでしかない。生の感情を表に出すのは、基本的に大きな怒りを感じている相当限られたケース・シチュエーションであり、その際にはまた普段とは全くことなる口調・態度・話の作法を取る(先ほどの「細雪」では、たとえば上巻九で女中を叱責するときの口調がその好例となるだろう)が、それもまた原則的にはストレート物言いを避けながら結論へと近づいてゆき、「自分の言いたいことを相手に悟らせ言わせる」ことを目指したやり方を取るのが通常である。そして、可能な限りすみやかに、通常の流れの会話への復帰が図られることで、その特異な状況の調停と幕引きが図られるのが常である(たとえば先の「細雪」の例では、女中を叱責して帰したあとすぐ長女が「やっぱり自分に落ち度があったのだろうか」という意味自分の「落とし」を始めることで、通常モードへの復帰を図っている。もっともこのシーンでは、普段無口な次女が想像以上にこの件について腹を立てていたため、復帰があまりうまくいかない、というシーンになっているが)。

真顔で、正論を、熱弁するヒロイン これを関西弁でやられると、演技の上手下手に関わらず(むしろうまければうまいだけ)、申し訳ないが周囲との調和を失い破綻した人格を演じているようにしか見えないのだ。このため、たいていの関西人が、あれを見て「奇妙に大げさで下手な演技をする演出朝ドラスタンダード」という歪んだ認知もつことでスルーしていることを、NHK関係者理解されているだろうか? 役者が上手に真面目に演じれば演じるほど、関西人には「下手糞」な演技に見え、演じたい役と演技の乖離は増してゆく。方言文化に対する敬意を欠いた行為は、こういう一見滑稽な、内実を考えれば誠に悲惨結論を生んでしまうのだ。

いったい、メディア関係者はこの明白な「盗用」行為について、どのように考えているのか。私はこれが何かを「考えた」結果であればまだ救いはあると思っている。しかし、おそらく「何も考えてない」というのが実情だろう。何も考えていないからこそ平気で「盗用」できるのだ。盗まれた側の痛みなどまったく想像もしていないから、平気で盗んで見せびらかすような真似ができるのだ。とんだ裸の王様である

国内メジャー方言である関西弁ですらこの有様だというところから見ると、おそらくそれ以外の方言についてはもっとひどいことになっているのだろう。異文化カジュアルに親しむことが「悪い」ことだとは言わないし、敬意をもって接してもらえるなら、触れてもらう側にとってもそれは喜びとなる。だが、少なからず敬意を欠いた異文化との接触は、しばしば悲劇的な結論しか生まないものだ。国内異文化に対する振る舞いは、必然的国外異文化に対する振る舞いにも敷衍される。奇妙に滑稽な「クールジャパンの現状、昨今の極めて「内向的な」外交のありようと、このことは無関係ではないだろう。私たち自分たちが何ものかも知らず、他者が本当は何者なのかも分からない中で、相手の予想のつかない振る舞いに、奇妙に怖れ、怯え、媚びているのだ。


文化の盗用」議論に実りある内容があるとすれば、こういったことへの自覚が少しでも私たちの中に生まれることにあるのではないだろうか。私たち自分たちのオリジナル文化とは何なのかについてもう少し自覚的になり、「(異)文化とは何か」ということについてもう少し考えてみるべきだと思う。無邪気な子供のように「世界中ミナトモダチ」では片付かない、異文化接触する際には慎重で警戒した身振りが必要となる、そういうリアル感覚をもう少し我々はもつべきだ。そうすれば、外交についてももう少し現実に即した対応が行われるようになり、海外との交流スムースに進み、そして関西に対する誤解をただただ広めるようなフィクション制作されなくなり私がイライラする機会ももう少し減るのではないかと期待する。(←これがオチ

2018-10-08

夕方電車

電車実家のある街へ久しぶりに帰省した際に、ホームで母校の生徒を見て昔を思い出した。

僕の高校時代は、あまりに早く過ぎ去り、今となっては消えゆくおぼろげな記憶くらいしか残っていない。

それでも、高校時代毎日電車通学をしていた僕にとって、この駅にはあまりにも多くの記憶が残っている。

中学時代、口数の少ない僕の唯一の親友がある女の子を紹介してきた。当時、僕は気恥ずかしくそっけない態度を取りがちだったし、そもそも別なクラスだったから、その女の子と会うのは休み時間廊下や、掃除時間くらいしかなかった。

それでもお互い、そういった初々しいコミュニケーションを心地よく感じていたと思う。

駅の改札前に木でできた粗末なベンチがある。僕と彼女はそこで待ち合わせて数駅先の栄えている街へ初めて遊びに行った。中学2年の夏休みのことだったと思う。

それから何度か遊びに行ったけど、それがデートだったのかそれとも一人の「友人」と遊びに行っていたのかはわからない。ただ、その時撮ったプリクラは未だに捨てることができない。

それからすぐに彼女から告白された。休み時間に、学校廊下でのことだった。

彼女は快活な性格で、告白された時も軽いノリで言ってきた。僕は嬉しかった反面、あまりに気恥ずかしくて同じく軽いノリで断ってしまった。

断りたかったわけではないけれど、咄嗟に口に出てしまった。

告白をしてきた女の子とは、告白の一件があったにも関わらず、それからも以前と変わらず心地よい距離で接していた。

しかし、中学校の卒業を間近にした冬のある日、僕は別の女の子 (ここでは仮にAとしたい) からメール告白された。

まり真剣な文面であったため、僕はその告白を受け入れてしまった。告白自体はとても嬉しかったけど、そこに「好き」という感情があったのかはわからない。

僕が女の子Aと付き合ったことはやがて彼女も知ることになった。その時の表情が未だに脳裏に焼き付いている。

付き合い始めてから告白を断った女の子の顔を思い出すようになった。どこかで傷つけてしまったという後悔があったのかもしれない。それに引きずられるように、付き合い始めた女の子Aとは恋人らしいことはなにもできなかった。そしてある日、あっさりとメールで別れを告げられた。部活帰りの夕方電車、その中での出来事だった。僕の街は山の麓の田舎だったから、夕方になるとすっかり光が少なくなる。辺りには虫の声と電車や車といった機械の音だけが響いていた。

夕方になると気温が下がり、風に寒さを感じ、あたりが薄暗い水色に変わる。その中で一人駅のホームに立っている。ホームライトから出る少ない光だけが僕を照らす。

夕方電車に乗るたびに、二人の女の子のことと、それに紐付いた夕暮れの情景を思い出して感傷的な気持ちになる。

高校時代彼女(ここから出てくる女の子はすべて、告白を断った一番最初女の子となる)とは何度か遊んだ。そしてそのたびに他愛もない会話をし、同じ電車に乗って帰り、「またね」と言って帰った。会話に潜むぎこちなさは会うたびに大きくなっていった。

高校卒業式の日は雨だった。その日の夕方彼女に誘われて遊ぶことになった。お互いの学校近くにあるカフェで談笑をし、それぞれ傘を差して帰路についた。どちらかが言うべき言葉はお互い言えなかった。

そして今は地方大学生をやっている。彼女関東就職した。

中学校、高校と比べて電車に乗ることも、彼女と連絡を取ることもずっと少なくなった。

それでもたまに会っている。

あの時の出来事はまるでタブーのように、お互い話を持ち出そうとしない。

僕の恋は燻っているのか、はたまた消えてしまったのか、自分でもよくわからない。

昔はあれほど通じ合っていた関係だったのに今は彼女気持ちが何もわからなくなってしまった。なにか明確な判断基準があったわけじゃない。それでも昔はお互いがお互いを想っていた。

そしてその恋を終わらせるために、告白をする決心をした。しかし、前日に彼女風邪を引いてしまい会うことができなかった。これが本当に風邪だったのかはわからないけど、それを疑っている自分に嫌気が差す。

次こそは、と思いつつ、その一歩がとてつもなく重い。

時間というものは常に残酷だけど、僕がそれに気づくのにはあまりにも遅すぎた。

あたし、 ウソつきだけど初めて人に好かれたいと思った

あたしも逃げ場失くしたのかもね

2018-10-01

ジオシティーズが無くなってしまうとのこと。

あのささやか手作り感溢れる個人HPが、SNSGoogle一強時代に飲み込まれて行った気がする。

2000年前後は、Yahoo検索をしてもとにかく適切にヒットするHPが少なくて、検索の時に打ち込む言葉ノウハウすら周知されていなかった。(そもそも回線が重たかった)

自分が探していたのは海外アーティスト来日情報アルバム情報なんだけれども、なかなか情報が手に入りにくい、そんな時代だった。

おそらく現地に住んでいる日本人語学に長けた人なんだろうけど、彼ら個人サイトの善意によって、様々な情報を得ることができた。

全然更新されない市井の人HPブックマークに保存して、ぐるぐる、ウロウロと周回していた時代

今は、世界の動向もトレンドも瞬時にネットを駆け巡って伝わる。

便利をあれほど求めていたはずなのに、情報を待ちわびる楽しさともどかしさは、もう無くなってしまった。

懐古厨ってわけじゃないけど、たまには昔を思い出して感傷的な気分になってもいいよね。

2018-09-26

ただの感傷なんだけど

四人家族でずっと布団三枚引いて寝てたんだよ。子供らのことは普通に可愛いなあと思っていて。

しばらく前のことだけど、早朝、夜は明けているけど、まだ奥さん子供も寝ていて。みんなすーすー寝てたんだ。

それを見て、聞いて、あ、これは素晴らしい日々の大事な瞬間なんだ、と気がついて。ただじっと部屋の空気の感じだとか、外から聞こえてくる新聞配達バイクの音とか、やわらかい光の感じだとか、そういうものをぎゅっと、覚えていられるように。

それからも何度かそういう朝はあったのだけれど。

数日前から来年中学生になる上の娘が、一人で別の部屋で寝るようになって。奥さんとなんだか寂しいよねとか、下の子と君もそのうち別の部屋で寝るんだよねえ、なんてちょっと話したりして、なんかわかっている気にはなっていたのであるけれども。

あいう朝は、きっともう二度と来ないのであるね、と。ありがとう

2018-09-23

九大の放火事件大学教員無責任

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/450029/

九大でなんともいえない陰惨な放火自殺があった。46歳、元院生非常勤雇止め経済的困窮…多くの大学教員が彼に感情移入して色々なことを語る。いわく「他人事とは思えない」、いわく「自分が彼だったかもしれない」など、など、など。だけど、特にテニュアを持った教員たちが彼にばかり感情移入しているのに違和感が募る。

あんたが彼だったかもしれないだってテニュア持っててそりゃないだろ。あんたは彼じゃなかったんだよ!

業績か、人柄か、助けてくれる周りの人か、はたまた運か。なんであれ、彼にはなかったものあんたにはあったんだ。彼か彼のような人間を蹴落としてポストを得たんだろう?思うように書けず、書いても今ひとつうだつが上がらない。そうこうしているうちに同年代は職に就いて輝いてみえる。同情してくれる人もいるが解決自分で探さなければならない。研究会に出ればキラキラと光る年下がいて、その彼・彼女就職していく。そんな中で自分をみてしまう。顔向けできない。バイトも忙しいし、研究室には夜にそっと行こう。そんな彼の心象や悩みと、テニュアを得たあんのものが一致することはもはやない。

自分もそうだ。危うくキャリアが途切れそうになったことはある。しかし、結局、年上の任期助教がいるのに旧帝の教授だ。科研費に落ちることもない。今後は大学ともども酷い目に遭うだろうが、それは九大の彼とは全く違う類いのものだ。どっちが悲惨かはともかく。

自分が今後立つこともない地平に立っていた彼に感情移入して、甘美な感傷を味わうのも、その裏からそっと染み出てくる安心感を味わうのもまあよい。

だけど、他にやるべきことがあるんじゃないか。我々が彼に接するとしたら、彼の元指導教員であり、なんとなく薄暗いものを感じつつ関与を避けてきた周辺分野の教員であり、相談を受けて同情と困惑の入り混じった反応を返す先輩同業者であり、あるいは研究室不法占拠する輩を追い出す教員や、焼けた肉片を前に後始末に追い回される教員なのである。いや既に2人目の、あるいはもっとおとなしい彼にそうした立場出会っているかもしれない。その時に、ある種の覚悟をもって彼に別の進路を勧め、占拠している研究室から追い出して彼に引導を渡し、巻き込まれかねない他の学生や周囲の人間を守れるのか。それが彼のような人を蹴落としてポストについた人間責任ではないのか。なぜこっちの立場に立って想像しないのか。

しょせん、安全地帯に立ちつつ抑圧される側の夢を見て、世の中のひどさを嘆きたいだけなのか。心優しい誠実な無責任跋扈する自分業界を見たようであった。

2018-09-11

秋の気配を感じるようになってきた

それと共に感傷的にもなり、、

たまたまネットエドシーランのバラード曲

かかって聴いていたら心打たれ

洋楽は余り興味なんてなかったのが、ちょっとまりかけている。

2018-09-09

朝日新聞災害のたびに超感傷的な記事書くのがものすごく嫌い

悲しいことをわざわざ探しに行ってる感じがすごく嫌なんだ

人のプライベートにズカズカと入り込んでいく感じも嫌だ(もちろん当人同意はあるだろうけどそれでも嫌)

感傷的な記事は突出して朝日が多い

なんというかペンの力を情に訴える感じ

これってともすれば扇「情」的なやり方にも変わりかねない危うさもあるし

朝日って昔からこうだっただろうか

今度図書館で縮刷版調べてみようと思う

2018-09-06

自分に刺さるコンテンツ」が年々なくなってく原因って?

自分に刺さるコンテンツ」が年々なくなっていく問題

https://anond.hatelabo.jp/20180829224019

増田が元記事消したからこっちも転載する。それはそれとして、やらおんはくたばったらいいと思うよ。

http://yaraon-blog.com/archives/134772

まったくもって同意できずに、色々あるだろ!と思って噛み付くコメントしてたら、元増田の人はいつの間にか書き込みを全部消してしまったので中途半端気持ちになった。

そんな中で、同じ記事言及たこブログを見て少し腑に落ちた。

自分に刺さるコンテンツ」が年々なくなっていく問題 | 私の対処

https://www.orangeitems.com/entry/2018/09/05/070000?amp=1&__twitter_impression=true


いろいろ「刺さる」テキストがある。

これら引用

『とてもよくわかる話です。私が40代だというのもあるんでしょうね。VRも手を出しているもののなかなか刺さるまでは至っておりません。いろんなことに対して、ちょっと手を出しては終わり、ということが続くようになってきました。むしろ手すら出さなくなる傾向です。

私も危機感を感じていて、対処している最中なのでまとめておきます。』

『どうも年齢の進行に基づいて、だんだん要求レベルは高くなり、つまらなくて放り出すまでの時間はより短くなり、それを繰り返すことで新しいコンテンツ絶望して手すら出さなくなるという循環を自分の中に発見しています。』

最近は、対処法というか、反省も兼ねてコンテンツに手を出すときは放り出さないように「面白くなくても一定時間つきあう」ということをやっています。』

この記事最後はこう締められている。

『多分コンテンツは毎年あって、自分が変わっていく問題

ここ最近結論は、新しいコンテンツが変質したのではなく、自分が変質してしまうという問題だということです。そして、変質したことさえわかれば、変質しないように努力することも必要だということも導かれます自分に刺さるようにするためには、忍耐力が必要です。忍耐力が年齢の経過で日々失われていくのではないかという仮説を持っています

2018年現在は、新規コンテンツの量は過去の数倍あるので、もはや全部楽しみ尽くすのは無理です。これだと思って手を出したものは、諦めて数時間、数日、数ヶ月逃げない覚悟が求められていると思います。』




もともとの増田記事や、消されたコメントを見ると、娯楽に対して自然とのめり込みたい、というようなものが多かった気がするけれど、もう読めないしどうでもいい。

自分に刺さるコンテンツ」が年々なくなっているのかもしれない…と思うことは加齢によって、多かれ少なかれ遅かれ早かれ、あるのだと思う。

「もう自分に刺さるコンテンツがないのかもしれない」と思ったときに、どうやって対処するか、それを各々考えるだけな話だと思った。

俺は元増田文章を読んで、無性に腹が立って書き込んでしまったのも、「嘆くだけでなんにもしてない」「その上、最近コンテンツも昔のコンテンツも見てないくせにくさしまくってる」「原因は内外の両面にあるとか言っといて自分のことは棚に上げてる」と思ってムカムカ来てしまったんだと思う。

わざわざ書き込むためにはてな登録しちゃったし、これだって初めて書いた匿名ダイアリーだよ。



自分に刺さるコンテンツが年々なくなってくる問題

無きゃ無い、ハマれないで他人からしたら知ったことじゃないんだけど、リアルタイムでそのハマれないものに刺さってる人はたくさんいるんだよね。

俺も元増田と同じく、youtuberまったくわからないんだけど、これまで会った人で、ヒカキン馬鹿にするとマジで怒る20代若い人が多くてびっくりしたよ。

ところがアラフィフの知り合いで感性若いんだろうな(もしくは暇なんだろうな)って知り合いに、ヒカキン動画ちゃんとしてるっていう人、何人かいるんだよね。年末年始ヒカキンセイキン動画を見て過ごしたって言われたよ。50代の独身男性に。

なんかすごいなぁ、そうなんだ、と思いながらヒカキン動画は見てない。おすすめはされたけど他に興味あることあるし…。


でもこの動画だけはなかなか思うものがあった。

https://youtu.be/k1AHaW3Ir6I

ヒカキン握手会動画

めっちゃ泣いてる若い子とか、好きすぎて近づけない子供とか、なんかリアルタイムで刺さってる人が山程いるんだよね。ヒカキン人気あるんだなぁ。あと動画編集、他と比べると上手いね



元増田感情的に、挑発的にやりあった結果、「オタク評論家になりたいわけではない」「だいたいのジャンルはもうどれくらいの面白さか想像はつく(からやらない)」という言葉を賜った。

感情的なやり取りだし、元増田も消してたから、何か葛藤はあるんだと思うけど。

かにハマれなくて嘆いてるまま、自分以外の何かが悪いって感情だけを高めていったら、なんにでも文句を言う、誰からも嫌われる老害になってしまうんじゃないかな。

ヒカキンにはハマってないし、ヒカキン動画ちゃんと見てないけど、ヒカキン握手会で泣くほど感動してるキッズとその親御さんの姿を見ちゃうと、なかなかdisれない。(その親が自分より若いの、独身だと凹むよね)

でもノレないものはノレない。しょうがないよね。文句disりも好きなようにやればいいんだけどさ。

自分理解できない新しいコンテンツと、それにハマる人をdisるのは老害で間違ってないと思うよ。


人間生きていれば、年々、初体験って減っていくし。嫌いなものは嫌いなままにしておくようになるよね。

自分はこの「老害化」の対処法の一つとして、嫌いな食べ物の克服とか、食べたことのない食べ物積極的に食べたりしてる。

数年前にパクチーが食べられるようになった。パクチー美味いな。アラフィフ突入した今年はホヤが食べられるようになった。ホヤ美味いね

こんなもん一生食える必要なんてないんだけどさ。


新しい発見とか、偏見先入観を無くすとか、良いところを探して見つけるとか。

そういう機会を無理やり増やして脳の老化、感性の老化に抗ってる。っていうか怖い。老害になるのが。

楽しめなくなるのが心底怖い。

適切に幸せ老いたいもんだけどなかなかよくわからん



追記

ツイッターリンクを貼っていただいたので。

老害という発言言葉が強すぎた。申し訳ない。撤回します。

ただ、ツイッターアカウントを流し見した上で言うけど、仕事がきちんとあって、投資みたいな副業にも少し時間を割いて?体調管理にも余念がない。気力もあって自信もある30代。そこそこに楽しめる趣味もある。

30代。同年代友達結婚して話題家族子供人生設計ことなどが増えてくる年代だよな。趣味友達と遊ぶ時間とか、そもそも会う時間すら減る年齢だよな。

そんな状態で刺さるコンテンツ、いる?いい大人だよ?地下アイドル熱狂して何十万、何百万と貢いでるおっさんいるけど、刺さるコンテンツガチで刺さった人ってあんなだよ?ソシャゲに数百万。コンテンツに刺さりまくりだよ!?友達同士と、ツイッターででもなんでも、語りまくりだよ?その状態うらまやしいか?ほんとに?

そんな状態じゃないことに嘆く必要、ある?自分の親御さんとかそんな感じでなにかに刺さってた?30代って世間はい大人だよ?


退屈が娯楽を生むらしいよ。退屈だと楽しいこと探すらしいから。

なんにもない部屋に紙とペンだけ置いて人間監禁したら創作はじめるらしいからね。退屈に耐えられなくなるみたいで。


そこまで時間余ってないでしょ?

ちょっと退屈なくらいなんじゃないの?

嘆いただけとあったけど、本当にただの感傷だよ。共感してほしかったんだろうけど、さんざんいろんなジャンルをあげては、やってない、つまらん、想像がつく、興味ない、オタクと言われて、共感はできないよ。きっちり見ていないくせにって。

キューブリック語りながら、いまさら実写版寄生獣銀魂がってどうこう言いつつコンテンツが刺さらないって、映画きっちり見てる人からしたら、バカにしてる以外のなにものでもないからね。

そこには共感同意もできない。

いい大人になったんだから、刺さるコンテンツが無いとか言ってないでさ。必要ないんだからゆるく卒業したらいいんじゃん。目に入ったそんなに面白くないもの適当に楽しんでさ。刺さるのに当たるまでの時間コストなんかいさら捻出できないから。仕事で成果出すほうが楽しくない?

友達は30超えて自転車ガチ勢になっちゃったけど、自転車中心の遠い世界に行ってしまったよ。


結婚子供、とさんざん他の増田が書いてるけど。

自分に刺さるコンテンツ」が無くなってきた問題コンテンツ不感症になったんならいよいよ、自分以外の他人を喜ばせたり、仕事活躍してお客さん喜ばせたり、そういう時間に入ったってことなんじゃないか

結婚考えられないなら犬でも猫でも飼ったらいいよ。不感症になった心がものすごくウキウキするぞ。もう飼ってるならごめんな。

それでも、この年代からさらに刺さりに行くために貪欲になって鈍っていく感性を磨いて知識を蓄積する人もいるし、クリエイターになる人もいる。大事な人を作って結婚する人もいるだろうし。

俺は仕事絡みでコンテンツもどっぷりだし、仕事相手との話といえばコンテンツの話。新しいコンテンツの良さがわからなくなったら仕事として終わりだから転職か社内で閑職に回される。

立場なんてみんな違うし、共感なんかされなくても構わないよ。想像しても実像なんかわかりっこないんだし、書いたことの本当か嘘もよくわかんないんだから

でも、餓鬼みたいにとにかく刺さるもの楽しいもの趣味に没頭する時間がないと気が狂う、それこそが生きがい、みたいな意味コンテンツに相対してる人もいる。



ちょっと拡散されて、さんざん知らない人から好き勝手言われまくって元増田ものすごくストレスが溜まってるだろうし、それに関してはとても同情するし、マジでまとめサイト死なねえかなって思うけど。野球まとめは好きで見てるからまり厳しく言えない。

ただ増田はそんなにいうほど「刺さるコンテンツ」が年々なくなることに対して危機感があるわけじゃなくて、ただちょっと退屈で、少し寂しくて、昔みたいに盛り上がって燃えられたら退屈がまぎれるんじゃないかな?くらいの気持ちしかないんじゃないか

増田はそんなに刺さるコンテンツが今の人生にそこまで必要ないけど、無きゃないで少し切ないくらいの気持ちなんじゃないか

自分に刺さるコンテンツが年々なくなる問題」は、それでも「刺さるコンテンツ」を探しに行くのか、それは卒業する時期が来てしまったんだということもあると思う。

巷で大ヒットしてるものアンテナが反応しない、やっても楽しくないなら、もうコンテンツ時間かけるコストなんかよりは犬猫飼ったり結婚するほうがよっぽど効率がいいと思うぞ。

おれは自分以外の生き物と心を通わすのは本当に楽しいし、嬉しい。

追記追記

あと、個人的増田についてどうこうではなくて、年々面白作品がなくなっていく、と言うような人に興味があったので、反応が返ってくるように感情的挑発的な書き方を敢えてしました。

その点に関して、あえて決めつけたり失礼な物言いをして、大変申し訳ありませんでした。

【更に追記

自分に刺さるコンテンツ」がなくなったっていいじゃないか - シロクマの屑籠 https://t.co/i1MVi8OIWt

2018-09-04

anond:20180904143733

私はあのシーンを

「そんなもしもは存在しないし、それを選択したのはおまえやん、なに感傷に浸っとんねん」

と思いながら見ていたな

2018-08-31

[] #61-5「一人暮らしバイト

翌日から、俺はエレベーターを使わないようにした。

10階まで行くのに階段というのは、かなり疲れる。

だが、あんな思いをするのは二度と御免だ。

もしも、またあんなことが起きたとして、あの空間では回避しようがないしな。

ただ、階段を使えば安心かといえばそんなわけもなく、登っている間も言い知れぬ不安が頭をもたげた。

あることないことに対して、あることないことを考える、無意味思考サイクル。

精神衛生上、あまり意味がなかったかもしれない。


…………

何はともあれ、滞りなく10階までたどり着き、自分の部屋に入ることができた。

「ただいまー……」

その安堵感から実家に住んでいた頃のクセが思わず出てしまう。

当然、一人暮らしの今は「おかえり」なんて返ってこない。

「……実家なら返ってくるんだけどな」

今の一人暮らしを寂しいとは思わないが、ふと以前の生活を憂いた。

自分でいうのもナンだが、いやはや感傷的かつ無意味機微である

「……はは、バカか俺は。もしも今ここで『おかえり』だとかが返ってきたら、むしろ怖いだろうに」

自嘲気味にそう呟くが、その後すぐに自分言葉にギクリとした。

バカの上塗り。

昨日の今日に、考えなくてもいいことを考えてしまった。

一度でも考えてしまったら、もうダメだ。

自分気持ち次第なのに、自分では制御ができない。

警戒心を強め、俺は変なモードに入ってしまっていた。

「……エレベーターときは忘れていたが、あの構えを使うべきか」

俺は独特の構えをとる。

上半身右は空手の構え、上半身左は柔道の構え。

下半身右は相撲下半身左は剣道

それをマーシャルアーツによって包み込むことで調和させる。

センセイから教わった、全方位どこから来ても対処できる“モリアミマンゾウの構え”である

客観的に見れば滑稽な姿だが、効果の程は確かだ。

高速移動の超能力者ケンカする羽目になったときに、これで勝負を制したことがある。

その時に観戦していた弟は「テキトーに腕を突き出したら偶然ヒットしただけじゃん」と言っていたが、そういうマグレ当たり込みでこの構えは強いんだ。

必然的にも、偶発的にも強い万能の構えである

強いて問題があるのなら、今の状況は完全に“モリアミマンゾウの構え”の無駄遣いという点だろうか。

結局、部屋の中は俺一人。

“モリアミマンゾウの構え”の反動で、俺は無意味に関節を痛めることになった。

だが、未だ違和感が拭いきれない。

自分の住家のはずなのに、言い知れぬ居心地の悪さが気になって仕方なかった。

実家での、とある出来事を思い出す。

俺が知らない間に、親が自分の部屋をこっそり掃除したことがあった。

モノの位置は一切変わっていないため、帰ってきた俺は気づかないのが普通だ。

だが、その部屋に入った瞬間に異変を感じ取った。

部屋の様相はパっと見ほぼ同じ。

細部の違いが分かるほど、俺の記憶力は高くない。

にも関わらず、自分テリトリーを脅かされたような不快感に襲われた。

後にその不快感の正体を知った時、俺はとても驚いた。

部屋を勝手掃除されたこともそうだが、何より自分にそんな繊細さがあったということに、だ。

今のこの状況、感覚を、あえて例えるならソレに近い。

(#61-6へ続く)

2018-08-27

売店のおばちゃんはもう居ない

今日、駅の売店で「アンタのせいで乗り遅れたじゃないか」とキレてるおっさんがいた。売店で買い物をしているうちに乗る予定の電車が行ってしまった様子だったが内心(そりゃねえだろ)、と思いながら見ていた。

俺くらいの年齢でもその印象は色濃く残っているけど、駅の売店には嘗て「超人パフォーマンスで客を捌き倒すおばちゃん」が当たり前に居た。客が手に持った商品を見ただけで釣銭まで瞬時に計算してるんじゃないかと思えてしまう様な超能力者達が当たり前に箱の中に立っていたのだ。その印象は未だ色褪ることな世間に浸透しているのか、売店のおばちゃん超能力に期待して無茶な買い物を実践する層がある程度いるようなのだ。けれど残念ながらいわゆる売店のおばちゃん絶滅寸前の希少種なのらしい。

近頃は、売店での取扱商品が爆発的に増えた代わりに商品は全てPOS管理されており自動釣銭機のレジによって金銭のやり取りがされている。

金銭授受のスピードが期待しているより遅かったとしても、それはレジパフォーマンスのせいだ。売店のおばちゃんPOS接続できるなら良いのだろうけどね。

ああ言ったレジ結構トラブルが起こるらしく、スーパーでの経験だけど札が飲まれてかなり待たされた事がある。

幾らか前になるけど、ある日おばちゃんパフォーマンス見たさに買い物をした事があったけれど、派手で小奇麗になった売店商品バーコードを辿々しく読み取り始めたのを見た時に一時代が終わったのだなと感傷に浸ったのを思い出した。そして、おばちゃん達の能力と引き換えに売店で買える商品は増えたよねっていうね・・・

まぁ、ここまで殆どいつだか見たコンビニ関連のニュース記事受け売りだけれど、おばちゃんにキレても仕方ねぇじゃんって思ってさ。

少なくとも電車ホームに入ってから精算しようとしてキレるのはゆとり無さ過ぎじゃね?と思いながら自分が乗る電車が来たのでさようなら

2018-07-31

anond:20180731000153

実際に割りに合わないのは、感傷によって結婚制度が「子育てのための制度」として骨抜きにされたら、また別の「子育てのための制度」を用意しなきゃなくなることなんだよね。

感傷のための制度無駄かもしれないけど、何より割に合わないのは現時点で機能している「子育てのための制度」がそれでスポイルされることなんだわ。

2018-07-30

anond:20180730232917

そういうことを考えてしまうあたり、結婚感傷混ぜすぎてるんだが。

anond:20180730232045

制度の歪みというよりは、結婚がその「愛の形」の受け皿にされてしまってることの問題だと思うわ。

制度制度として機能は完結してるんだから、そこに余計な感傷を乗っけてくる奴が戦犯だろ。

anond:20180730230348

から、そういう感傷結婚に求めるのを許さない。異常者は異常者らしく疎外感を抱いて生きていかせればいいじゃん。

2018-07-26

anond:20180726163157

ストレート大学卒業して、就活浪人せずに就職

実家にいる間はお金を入れてと言われ入れていたんだ

大学卒業したもの就職せず1年間遊んでいた弟に対して

「あの子は働いていないか実家に金を入れなくていい」

と言った親だったんだ

しかしたら私が見てないところで弟は何かをしていたのかも知れないが

姉の目には食べたら食べっぱなし

掃除洗濯も全てやる人に任せる

自室はカビだらけ

ご飯は上げ膳据え膳

ていう人間として映っていた



情報が後だしですまんな

甘やかしている弟が実家にいるのだから実家を出た私よりも弟を頼ってほしい

と思って書いた

感傷に浸ってる哀れな女の独り言だよ。勘弁な。

2018-07-19

某gex氏の事件に対する外野ブロガー達の考察エントリがことごとく気色悪い

言論に対するテロルだと解釈している!!」だの、

「俺が被害者になっていたかもしれない!」だの、

「いや、一歩間違えれば俺が某能先生になっていたかもしれない!」だの、

「俺たちブロガーは萎縮してはいけない!屈してはいけない!」だの、

報道内容は公平じゃない!」だの、

津田大介は大いに間違ってる!」だの、

「早急に"無敵の人"問題解決せねば!」だの、

とにかく鼻息荒く、他とは違う社会的にも特別事件のような扱いで、各々好き勝手考察まがいの妄言を垂れ流してるけど、

一般的に見ると、「ネット上のトラブルで(逆恨みして)事件を起こした」だからな。

悲しいことに、今回のような事件はいくらでもあるんだよ。

ギリギリラインで愛を感じるイジリかどうか」とか、

ネットリンチだったのかどうか」なんて、結局のところ受け取る人間次第なんだから物差しにならない。

騒音トラブルでも、自動車追い越しでも、注意された逆恨みでも、不味い料理でも、

感情が昂ぶった結果、悲惨事件に発展するなんて、年に何回もニュースで見てるだろ?

世の中にこんだけ人がいると、目についた対象に対して、感情とか欲望制御を超えて、攻撃的な手段を取っちゃうような人もいっぱいいっぱいいるでしょ。

で、そういう事件当事者が、報道で知れる程度のステレオタイプ人物像かっていうと、多分そうじゃないよね。

でも、事情なんて深掘りすればいくらでも掘り返せるんだから、それぞれの視点で都合よく解釈すれば、殺人犯だって英雄になり得るし、組織のイザコザで消されたヤクザだって美化できる。ブレブレだよね。

多分この辺が、報道とか、報道を受け取る俺たち視聴者とか、もっというと多様化しつつある現代人の感性限界なんだと思う。

結局のところ、俺たちに考えられるのは、

リスクが潜在していることを認識しろ

不要リスクはなるべく抱えるな

リスクを抱える場合は、それに見合った心構えと準備を怠るな

以上のことはないよね。

治安の悪い夜の街で知らない路地裏に迷い込むな」とか「軽装で山に行くな」とか「天下の往来で素性の知れない他人罵倒するな」とかと一緒だよ。

十分に準備が整っていると思っても災難にあったとすれば、それはもう運としか言いようがないよね。悔やんでも悔やみきれんだろうけど。

なんか書いててブレてきたけど、とにかく、外野ブロガーたちは感傷めいた戯言を飯の種にするのはやめろ。

2018-07-10

表参道不審者

表参道に革製品の店がある。

今日は、軽くて丈夫なマザーズバッグを買いに来た。

まだ産まれてもないのに気が早いかもしれないが、動けるうちに行っておきたかった。

シャネルディオールの間の道を歩く。この道には、カジュアルブランドのふりをしてとんでもない値段のついている服屋や、モデルエッグベネディクトを食べてそうなカフェがたくさんある。人通りも少なく、歩いていて楽しい

暑いからカフェに寄ろうか、とも思ったけど、カフェは意外と混んでいる。行きたかった革製品の店には行けたし、電車が混む前に早く帰ることにした。

来た道と同じ道を歩く。シャネル寄りのスロープに刺青をした男が道に面して座っている。嫌だな、と少し思った。スロープは狭く、男に距離が近い。車道側はトラックが二台通っていて危ない。仕方なく、スロープを歩くことにした。

「お前、NGデブ。」

刺青の男の前を横切るとき、男が私に聞こえるように言った。

「お前、ブス。NG

今度は後ろの女性に対して言ったようだ。女性も私と同様に無反応のようだ。私は怖くて、男の顔も見ず、振り返らず、足早に歩いた。

怖かった。

そして、悲しかった。

きっと私に対して言ったのだと思う。

かめる術はないし、憶測しかない。しかし、状況からしてそう考えるのが自然ではないだろうか。

原宿表参道には、通りを観察するように座っている男女がたくさんいる。多くはガードレールのようなところに座って、じっと人々を見ている。美容師スカウトマンなのかもしれないと思っていたが、単に通行人を品定めするために居る人もいたのだ。

少し前に、女性にだけわざとぶつかる人の動画話題になった。今回の出来事も、きっと「そういう人」とぶつかってしまったということなのだと思う。私がひとりで歩いていなかったら。もし夫と歩いていたら、同じようなことを言われただろうか?私の夫は細身だし眼鏡をかけているため、とても「そういう人」に勝てそうにないが、それでも男性と歩いていたら突然悪意のあることを言われずに済んだのではないかと考えてしまう。

都会には悪意が人の形をして存在しているのかもしれない。(ただし、田舎が善良とも思わない。)日本に限らず、欧州で急に「中国人!」と言われながら細目の仕草をされたこともある。同じ国で、しつこい客引きを断ったら「背が小さい!」と言われたこともある。私の容姿いまいちなことは置いておいてほしいが、そういう経験をした。もちろん、これらは事故のようなものだ、と思ってはいるのだが。

願わくば、悪意のある言葉が我が子に聞こえていませんように。 私はあなたのために太ったのだとしたら、誇らしいことだと思っているよ。こんな人もいる世界に産んでしまうのだけど、良い人もいると思ってくれるように私は頑張るつもりです。

と、まぁ上記のようなことがあった。しかし、このことを夫にも言えず、吐き出すために書いてみた。夫はきっとこのことを聞いたら、眼鏡を割らんばかりに怒り、悲しむだろう。その姿を見るのが、今は少しつらい。

だんだん、書くことによって、感傷的になってきたのでそろそろ終わりにする。皆さんも、不審者にはご注意を。あの道にいつもいるかは分かりませんが、見かけたら離れた道を通ってください。品定めされたいという人はあまりいないとおもいますので。特に女性のみで歩く人は気をつけてください。創作だと思いたい方はどうぞご自由に。この文章がどう思われても、少しでも読んでくれる人の注意喚起になれば良いと思います。それでは。

2018-07-03

チャットモンチーの「完結」に寄せて その1

昨今の邦楽事情はてんでわからない。ロックの何たるかを語るだけの知識素養も持ち合わせていない。だがしかし、一つの時代がまもなく終わる、と言っても過言ではなかろう。

来月をもって、チャットモンチーというロックバンドが「解散」する。本人たちは解散を「完結」と称している。当初はこの表現にうすら寒さを覚えた。なにカッコつけてるんだよ、脂がのってきたのになんで辞めちゃうんだよ、という憤りが先走り、サムいと思った。

それでも、彼女らの系譜をたどり直し、彼女らの音楽を改めて聴いてみた。すると、今回の件はまったく「完結」としか言い表せないこと、さらには「チャットモンチーは既に終わっている」としか解釈できないことがわかってきた。

チャットモンチーへの弔辞と、メンバーへのはなむけの言葉として、思うところをつらつら書いてみる。

といっても俺がチャットを聴き始めたのは最近のことだ。

昨年1月松居大悟監督映画「アズミハルコは行方不明」を観た。地方都市の倦怠に呑まれながらも強かに戦う女子たち。その生き様暴力的な鮮やかさで映してみせた傑作だった。大都会トーキョーで漂泊していた俺には特に身に刺さるところが多く、新宿武蔵野館で悶絶したことを覚えている。

この映画主題歌が、チャットモンチーの「消えない星」だった。https://www.youtube.com/watch?v=EUin6rB1Yxw

不安言葉にかえて 言葉をくちづけにかえて 夜の永さ 見ないように 待つことにした”

チャットモンチーというのが、かように豊饒言葉を紡ぐバンドだとは知らなかった。松居監督オファーを受けて書き下ろしただけあって、女の子の儚さと逞しさを描いた映画を締め括るのにふさわしい曲であった。シビれた。

それからYouTubeチャットの曲をザッピングし、程なく「シャングリラ」をヘビロテするようになった。

それまでの俺の中でのチャットイメージは、「数多くの流行りのバンドの一つ」であり、言うなれば「あっち側」の存在として勝手に押し込めていた。おそらく、「風吹けば恋」の(表面的には)爽やかな印象が無意識のうちに刷り込まれていたのだろう。2008年から俺が中3のときだ、この曲が制汗剤のCMに使われて流行っていた。

”走り出した足が止まらない 行け! 行け! あの人のところまで”

俺にはほぼ縁がなかったピュアピュア恋愛に胸を焦がす、爽やかな汗が夏空に飛び散る、隣のクラス運動会応援歌に使う、スクールカースト上位層の女子たちがカラオケで歌ってやがる……

ここまで読んでピンときた方もいるだろう。中学の時分といえば、流行もの必死に抵抗するイキった奴がクラスに一人はいものだ。ちっぽけなアイデンティティーを保つため、そして劣等感を秘匿するために。そいつが俺だった。

ましてや小学5年以来の筋金入りの中島みゆき信者ときたら、もう手の施しようがない。ステージ4の中二病末期患者である。かくして俺はチャットモンチーなぞに目もくれず、ポータブルMDプレーヤーで「旅人のうた」を再生して感傷に浸るのであった。

それから10年を経て、チャットモンチーへの偏見が解けることとなる。件の「風吹けば恋」を聴いてみよう。のっけから衝撃的な歌詞である

“はっきり言って努力は嫌いさ はっきり言って人は人だね”

スポ根とか精神論は俺が最も嫌うところだ。かつ、そんな奴らへの醒めた目線。メラメラやキラキラ放擲すれば、ひとまず自我は保たれるし、自我肥大化に慢心もできる。しか歌詞はこう続く。

“だけどなぜ窓ガラスに 映る姿気にしてるんだ? だけどなぜ意地になって 移る流行気にしてるんだ?”

そう、そうなのだ。「これでいいんだ文句あっか」と居直るには、まだあまりに青すぎた。情熱栄光を諦めるには、まだあまりに若すぎた。後半の歌詞は、「多少無理してでも流行へのアタッチを試みる」とも、「意地張ってるけどやっぱり流行ものは気になる」ともとれる。いずれにせよ、羨望と嫌悪がないまぜになることはしばしばある。冒頭十数秒でこれほど揺さぶりをかけてくる音楽があるだろうか。

この葛藤をくぐり抜けた先に、前掲のサビが拓かれるのだ。故に、サビだけ切り取って堀北真希を先輩のところに走らせるあのCMは罪深い。「でもやっぱり」を捨象して、さも純情な青春ソングであるかのように仕立て上げている。

さて、資生堂への怒りとともに考えた。お前はどうなんだ。「走り出した足が止まらな」くなることはなかったのか?いやあっただろ!恋に恋していただけだったとしても、どうしようもなくどうしようもないことをしていた。肥大する自我に執着しつつも、何か圧倒的な他者の介入によって自我が瓦解することを待ち望んでいたのではなかったか

ある種の歴史認識が転換された。勝手に頭の中で理屈をこねくり回してあの不可解な時期を言語化してるきらいは否めない。それを差し置いても、俺のパラダイムシフト惹起するだけのパワーを与えてくれたのが、チャットモンチーだった。(自己認識の転換を迫るという点では、「majority blues」も凄まじい。こちらは橋本江莉作詞。“みんなと同じものが欲しい だけど みんなと違うものも欲しい” https://www.youtube.com/watch?v=xVi0jwNXe3A

中学ン時、誰か無理やりにでもこの曲を通しで聞かせてくれる奴がいればよかった。チャットモンチーのものはもちろんのこと、「風吹けば恋」を作詞した高橋久美子との邂逅がえらく遅れてしまった。

後に俺は、10年間のすれ違いをひどく悔やむことになるのだった。

まだまだ書き足りませんが今日はこのくらいで。続きはまた書きます

ジャニーズが好きだった頃の話

私が小学校高学年の時、ジャニーズグループ、嵐の人気が爆発した。メンバーの主演するドラマが次々に放送され、ゴールデンタイムバラエティスタートし、出したシングルがじゃんじゃん売れていた。当時の私もご多分に漏れず、嵐のファンだった。櫻井翔くんの知的スマートイメージと裏腹に、ひどい運動音痴というギャップが好きだった。

しかし、母は「テレビをだらだら見ているとバカになる」と言ってドラマバラエティ音楽番組もどれも見せてくれなかった。皆が寝静まったリビングでコソコソ見ていたところを捕まり、怒鳴られたことが何度もある。

アイドル俳優ライブ舞台といった現場に来ず、タダで見られるコンテンツのみでファンを称する人々の蔑称として「茶の間」がある。私はその茶の間にすらなれなかった。時折哀れんだ父親ガラケーワンセグ番組を見せてくれた。「流星の絆」だったかな、電波が悪く荒れ荒れの画面でも見られるだけで嬉しかった。優しい父のことはずっと大好きだ。

周りにも嵐のファンがたくさんいたから、たまに家に遊びに行って録画した番組を見せてもらったり、雑誌を読んだりした。コンサートも行ってないし、DVDも買ってないのに、何がファンだよは鼻で笑われてしまいそうだなとは思う。 まあ、ブームに乗っていただけなのかもしれない。

ある時私にも初潮が訪れた。保健体育の授業で聞いていたし、すでに「来た」という人はたくさんいたので、特に感傷は無かった。ただ、生理が始まると身体の成長が止まり体重が増えていく、と聞いていたので太ってしまうのは嫌だなあと思った。

生理が始まったら、お母さんにどうしたらいいか聞きなさい」という保健体育の授業の通り、母に相談した。(真面目だ)

話を聞いた母は

ジャニーズなんかにはまってるから生理が来るんだよ」と言って泣き出してしまった。

それを聞いた時のショックは今でも忘れられない。まず「初潮が来たという成長を喜んでくれない」 そして「ジャニーズが好きだから生理が来た」という母の反応は想定外だった。

母は私の体形のことを私以上に気にしていたからそれが心配だったのかもしれない。けれど、まるで私が嵐に性的感情を抱いていて、それがきっかけに性成熟したとでも思っているかのような口ぶりがとても気持ち悪かったし、悲しかった。

多くのアイドルジャニーズファンは、別に彼らに性的に興奮しているわけではないと思う。パフォーマンスや演技、パーソナリティが好きでファンをやっている。もちろん私もそうだった。

そういう「好き」ではないのに、嵐と私の気持ちを汚いもの扱いされて本当にショックだった。コソコソテレビを見ていたことや、音楽を聴いていたことをずっとそういう風に思われていたことにゾッとした。

それ以来、私はぷっつり嵐に対する関心を失った。綺麗な男性が出てくるコンテンツも楽しめなくなった。また母親に同じようなことを言われてしまう気がしたからだ。

今も相変わらず母との関係は最悪だけれど、実家を出してもらえないため一緒に暮らしている。居心地は最悪だけれども、お互い関わらないようにすることで平和を保っている。

友達が、母親コイバナするんだ、互いいい歳なのに……と言って笑っていたのを聞いて別の世界の話みたいだと思った。多分三十路になったら、そろそろ結婚したらどうなの?とか聞いてくるに違いない。

知るか。

2018-06-26

どっちかというと

たかだかネットでよく見る人が死んだ程度でよくそんなに感傷的になれるな、というのが正直な気持ち

2018-06-23

感傷的な曲を聞きながら日記を書いたらエモくなりすぎてしまった

見返すと「きしょ」と思う

2018-05-16

ゆりしぃ引退感情の一部を見つけたオタクの話

よぉオタク、よく来たな。

え?何で読み手オタク呼ばわりするのかって?

そりゃタイトルオタクなんて入ってるのにわざわざ読んでるようなのは

いかなる理由があってもオタクだろうさ。

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さて、attention!

そう、pixivlogかによくあるあれだ。オタクよろしく頼む

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・このエントリにはガルライブ5thの両日ネタバレが含まれます

オタク独りよがり解釈が含まれます

オタク独白がメインです

・例え話がアニメネタで、ネタバレを食らうかもしれません

・流れでラブライブの話もしま

・一発書きなので多分誤字脱字がある(恥ずかしくて通読してない)

・なんでも大丈夫な方のみどうぞ

・無理そうな方は無理せずブラウザバックして、どうぞ。




さて、それでは話を始めます

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私は昔から感情の薄い人間でした。

はいっても感情が無かったわけではありません。

悲しむこともあったし、怒ることもあったし、楽しくなることだって、感動することだってありました。

ただ、小学校低学年を過ぎてから、泣かなくなりました。

CLANNADの汐みたいに、「泣いていいのは~」みたいなのを決めてたわけでもありません。

ただ、とにかく、何か起きても概ね因果関係を把握してしまい、Aが起きたなら結果はBだ、というように世の中を処理するようになりました。

オタクなのでアニメ見たり映画見たりするのですが、「あ、ここ泣き所だな?」みたいな所で

定まった型のような感動を味わおうとする、そんな風な性格をしています

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さて、そんな私の過去ですが、物心いたこから捻たタイプ百合厨でした。

わざわざ百合と銘打って検索し始めたのは少女セクト見てからのような気もしますが、

それ以前の私は女子プロレスキャットファイト的興奮を素で覚えるような人間だったので、

嗜好としては推して知るべきといったところでしょう。

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一方で成績も悪くなく、本が好きデブとしてオタクの例に漏れインドア派の青春を送っていた私は吹部にそれを捧げます

バイエル程度のピアノを履修したことのある私にとって、吹部はい場所でした。田舎だったので周りのレベルが低く、

演奏技術として課されるノルマ相対的に低かったので、熱くなることもなく、無難な日々を過ごしていたと言えるでしょう。

感情に疎いので、コンクールの結果も概ね予想通りだなくらいの感想しかなく

――そりゃ金賞取ったら嬉しかったですし、銅賞なら悲しみもしました。でもそれはメンツレベル推し測ることができるものです――

ユーフォ一期一話の久美子ちゃんみたいに、「あ、皆悔しかったら泣くのか」みたいな感想を持つような人間でした。

まぁそれは今も変わってないのですが。

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そうやって生きてきた感情の薄いオタクは、――まどマギ見て胸がいっぱいになって人生で初めて感動で泣きそうになったりしましたが――

大学受験に失敗し、ラブライブ出会います。あ、ガルパのサービス開始はオタク大学に入ってしばらく経ってからなのでもうちょっとかかるよ。

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高校で悪い友人に音ゲーを仕込まれオタクは、project DIVAにのめり込みます

extendを一日2~3時間くらいやってたのであえなく浪人LPのあるゲームなら大丈夫やろと安易スクフェスに手を出します。

浪人期の私にとって、スクフェス勉強を除けば全てでした。リズムゲー、三話で現実を見るアニメ二次創作無限供給される百合

オタクオタクたる所以がそこには三つの柱として屹立していました。ちなみにデレステサービス開始一年前とかの話です。

オタクラブライブを認めた理由は多岐に渡りますが、大きく三つ、曲と「演者である」というアニメの見せ方とライブです。

曲はスクフェスやってたので無限に聞き込みました。結果、メチャクチャ好きになりました。

アニメは三話が全てでした。オタクは吹部だったので、幕が上がった瞬間に、あれだけの宣伝をしたにもかかわらず客がいないその絶望共感することができたのです。

このときオタクは思い出していました。

自分たちの初めての演奏会、そんなに凄いものじゃなかったことは分かっていたけれど、やはりお客さんが少ないことに一抹の悲しみを覚えたことを。

理屈では分かっていても、目に見えて人が居ない、というのは堪えるものです。シンデレラガールズNG披露目回での未央ちゃんの反応も納得です。

そこを乗り越えてライブをするμ's二年生の姿に共感と誇らしさのようなものを覚えて、かつて一話切りしたアニメを見始めました。

ストーリー死ぬほど面白かったか、と言われると人によって意見が分かれるところですが(いつもの私なら茶化してつまらなさを弄るところです)、

どうしても穂乃果ちゃんから逃げきることができず、オタクは穂乃果ちゃんオタクになります

普段の私からすると元気おバカ、それも主人公にハマるなんてひっくり返っても起こらないことです。

そして何気なく見てたyoutubeで、オタクラブライブライブ映像を目にします。

始めは何気なしにアニメライブか、程度で見ていたのですが、オタク気づきます中の人マジでパフォーマンスしていることに。

ラブライブアニソンの例に漏れ歌唱難易度が高く、その上ライブではもともとアニメーションとして動いているダンス再現しています

このヤバいことを同時にやってのける凄い人たちがいる――。オタクはいよいよラブライブオタクになりました。

しかし時は5thライブ直前、ラブライブオタクとして日々思索するうちに、パフォーマーとしてのμ'sの中の人の体力的限界問題について考えるようになりました。

アニメ二期の流れ、μ'sが実は5周年を迎えていること、そういった諸々を鑑みたオタクは、μ'sの引退を予見し、取り乱し始めます

結局、6thがファイナルとなった訳ですが、オタクは再受験に失敗し、μ'sが終わるという現実にも上手く対応できず、

それまで全て歌えたラブライブ楽曲も、PSYCHIC FIRE以降、把握してるかすらも怪しいまでになります

そうして、初めてコンテンツ興隆寿命なんてものに触れたオタクは色々な感情を整理できないままラブライブから疎遠になっていきました。

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さて、ラブライブ疎遠期のオタクですがデレステやってました。CoolP、主にかえみゆPとして性懲りもなくスマホ音ゲーに手を出し、沼に浸かる日々です。

あ、ナナシスは曲が好きです。WUGは未履修です。すまない。アイカツは一番古いOPEDしか知りませんが適当に聞く曲が大体好きなので大丈夫そうですね。

プリパラ3Dのやべー奴だしアイドル事変も未履修ですすまない。何を書いているんだ私は。

とりあえず大学に進学し、サークルに授業に忙しいオタクは、またしても感情を動かさなくなりました。人並みの情動はあれど芯が動くことはない、そんな感じでしょうか。

二次創作百合に手を出し、癒され、適宜アニメ干渉するような生活でした。そうしてリア充と言えなくもない時期を過ごし、

他人からホントヤバいやつ」扱いされぬよう感情を覚え、心の外縁でそれが機能してるようなふりすることがちょっとずつできるようになっていきました。

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そんなあるときガルパの配信が始まり、少ししてからオタクの好きな曲がいっぱい収録されていることを知って、オタクは徐々にガルパをやるようになります

大体半年くらい経った頃でしょうか。オタクキョン子、久美子を始めとするクーデレのような何か(久美子は解釈が分かれるところでしょうね)が好きなので、

奥沢君が推しになります。その一方で曲の割合はポピパとRoseliaがメインなので自然とそれを聞くようになりました。配信サービスに乗っかってたのが大きい。

オタク音楽趣味ですが、F、Δ、7といったマクロスが履修済み、シンフォギア(履修中)の曲が好きすぎてパチンコを打つといった具合なので、

大ヒットしたのはRoseliaでした。今も昔も推し奥沢君ですし、バンドとしては昔のアフロ推しから一転、箱推しになりましたがそれはそれとしてRoseliaめっちゃ好きです。

Roseliaの何が好きって、Re:bitrth dayです。バンドストーリー本編最終話から再生の曲、何度聞いても胸が熱くなります

dearestに似た浮遊感すら感じますし、もはやロボットアニメ最終話主人公覚醒シーンとかでかけた方がいいんじゃない?みたいな妄想もよくしてました。

とまあ、いつものようにオタ活に励んでいたわけですが、Roseliaプレイリストを聞くうちに、またうっかり好きな曲が増えました。

ここでようやく登場する本題、陽だまりロードナイトです。attention含めて3500字近い何かになってきましたね。なげぇよ。

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さておき、もともと私はこの曲のサビが大好きでした。今までのRoseliaの曲から一転、ボーカルの友希那を包むようなコーラス

片方が主旋律で片方がハモりのはずなのですが、どうしても主旋律が二つあるように聞こえます普段、好きな曲はある程度聞いたら歌えるようになるのですが、

この「どっちが主旋律か分からない問題」のせいでオタクは久々に一人で歌えない歌に出会いました。しかオタクはこれはこの曲の良さだと素直に受け止めます

それから、忙しさにかまけてRoseliaへの解釈リサゆきメインの百合厨にそれをゆだねる日々を送っていましたが、その中でリサ姉はRoselia精神的支柱だという気付きを得ます

そして友人のゆりしぃオタクから引退の報を聞きます。この友人、プロジェクト東京ドールズガルパにめちゃんこハマっており、それはまぁゆりしぃオタクなのでした。

引退。よくあることですね。ラブライブオタクとしてμ'sの実質的引退経験した身としては、来るべきゆりしぃロストに向けて色々と語る友人に昔の自分を重ねつつ、

Roseliaメンバー中の人が一人交代するのか、位に捉えていました。オタクFGOエンジョイ勢だったので丁度FGOでのマシュみたいなもんかな?といった感じです。

このオタクホント感情の動かなさが種田さんにも高橋さんにも失礼だな?ともあれゆりしぃ引退を聞いた時はそんな印象でした。心の外縁が悲しんでいる様子。

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それから暫くして、ラッキーボーイだったゆりしぃオタクの友人から吉報が届きますガルライブ5thに当たったから一緒に行かね?と。いやほんとこいつ神だな?

ラブライブしか知らなかった頃と違い、大学に行くために実家を出たオタクは、物理的にライブ参戦が可能になっていました。もちろんOKの返事を出します。

もともと田舎出身貧乏学生だったオタクにはライブ参戦という発想がそもそも無く、何もかもが初めてでした。オタクの知っているライブは、youtube公式が上げている

映像か、親切な友人等が貸してくれる円盤かのどちらかでした。そもそもOKした時はワンチャン黒沢さんが出るんか?みたいな印象でした。いやHPくらい見ろよ当時の私。

ラッキーボーイ友人のラッキーは流石に両日は保たず、day2が近所でLVとなりました。その時の私は「初日遠征、二日目がLVRoselia」くらいの認識だったと思います

許せ、リアルがごたごたしとったんや。そうしてライブの週になってようやくライブの中身を把握し、ポピパとRoseliaの聞き込みを始めます。一月前からちょいちょいやってたけどね。

その週、気の利くラッキーボーイGiGSを読ませてくれて、Anfangを貸してくれました。おまけにAnfang付属Roselia1stライブまで見せてくれました。ほんまいい奴やな……。

これが幾つもある今回のタイトルの原因のうち、最大のものでした。

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GiGSに載ってたのはRoselia中の人達が本気で楽器をやっていることの証明でした。吹部だったのでジャンルは違いますが、書いてあることは大体分かります

全ての楽器の詳細な設定とか、横でそれの担当の奴が弄ってたな……。なんて読みながら感慨にふけりました。そしてその全てはたった一年で為されたのです。一年

かつて私の部活にもいたのですが、途中から入部して毎日本気で練習して、最高のパフォーマンスをこなす凄い奴。横でその軌跡の一端を眺めてたからよく分かります

Roseliaは考え得る最高の教育を、最高の形で受け取って、そして最高の形でそれを昇華したんだということを心にすっと感じました。芯に、真っすぐ感情が入ってきたのは久しぶりでした。

そして見せてもらった1stライブ中の人たちのキャラを知るには十分でした。あいあいぽんこつだし、くどはるはアクが強い。めぐちは良い人だし明坂さんはりんりん。

そしてゆりしぃリサでした。まごうことな今井リサでした。ツッコムトークを回すわリサゆきだわでオタクRoselia中の人たちにもメロメロでした。

キャラ作ってるのは知ってますが、そんなことはキャラとしてのRoseliaに、そして中の人としてのRoseliaメロメロオタクにはあまり関係ありません。

というか罹りたくて罹っている催眠が解けるはずないじゃないですか。そんなことより、これはパフォーマーとしてめちゃくちゃ優秀だということの裏返しだということにしましょう。

こうやってライブ数日前、私の中でRoseliaは完全にRoseliaとなりました。

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さて、ライブ当日です。一日目の遠征は最高でした。Light Delightのサビのサーチライト演出とかほんま神だったしポピパの中の人新曲への熱意が凄かったしでオタク普通に楽しんでいました。

ここで、オタクはかなりの感傷に浸ります何となく生きてきた人生とは、全力でパフォーマンスする演者による素晴らしいパフォーマンスとは、そして自分とは――。

ポプテピピックの「明日死んじゃったらどうする?」状態です。今までの情動しかない人生に比べて無限に大きな感情がやって来た。処理しきれなくてバグっていました。

そうして帰りの夜行バスの中で最後に落ちてきた風船を眺めながら、パフォーマンスライブとしてのラブライブちゃんと終わらせてなかった、

ラブライブから逃げ出してしまっていたのかもしれない、というところまで何とか思考が帰ってきました。このぐちゃぐちゃと感動、感傷、とにかく感情のすべてを解くカギとして、

幕張から持って帰ってきた風船は捨てずにとっておこう、なんてことを考えていました。そう、遠征一日目はこんな感情だったのです。外縁で処理しきれることも多かった一日目でしたが、

それでもかつて心の中心に居た何かを呼ぶには十分だったのです。

.

そして二日目、LVでした。始まる前からゆりしぃ引退が頭をよぎり、「今日はタダじゃ帰れないな」と気が気でなかったような思いがありました。

何事もなくライブは進み、そして陽だまりロードナイトが掛かりました。どこか冷めた自分が、「お、陽だまりロードナイトだ」と心の中で平坦に言ったような気がしています

Bメロでもうダメでした。

.

声となって

表情となって

導いてくれる

やさしい人よ

.

リサ姉はほんとにそんな人なんです。こんなにも長い間音楽と触れ合ってきて、歌詞のすべてが心の芯まで揺らしていたのは、人生で初めてのことでした。

.

二番に入り、

.

離れていても 帰る場所がある

どんな時でも 傍にいてくれた

.

Aメロリサであるゆりしぃことなんだな、というのがさっき心にやって来た衝撃以上の共感となって、瞬時に理解できました。

たとえRoseliaパフォーマーとしては離れることになっても、ゆりしぃにとってRoseliaは帰る場所であることができるし、

Roseliaメンバーにとって、ゆりしぃリサとして、ゆりしぃとしていつだってRoseliaに居たんだ、そんなことを思いました。

.

太陽となって

月となって

照らしてく

つよい人よ

.

陽だまりロードナイトを聞くとき、これはリサの歌だと思ってたんですけど、ライブでここが流れたのを聞いた瞬間にその思いは少し変化しました。

Roseliaベーシストとして、太陽のようにファンの前で、Roseliaの中で輝いてきたリサとしてのゆりしぃが、

これからRoseliaとして表舞台に立つことはないけれどメンバーの心を照らし続けるように、Roseliaに、そしてファンの中に残り続ける。そんなことを思いました。

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この曲では、語り手が「語り掛ける相手」が居て、二回出てきますがどちらもリサを想定することができます

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ます魔法のように 囁いたの

あなたがいれば、怖くないよ」

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名前を呼ぶ声

こんなにも特別な事だと

想い あふれてゆく

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です。文字通り、リサが、ゆりしぃがいればもう怖くないし、たとえそれがRoseliaのなかであってもそうでなくとも、という感情がやって来ました。

これからいなくなってしまゆりしぃが呼んでいた誰かの名前Roseliaメンバーが呼んでいたゆりしぃを呼ぶ声。その一つ一つが、全て特別ものだったんだよ、と語り掛けてくるようでした。

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最後は、全てのファンメンバーからリサへの、ゆりしぃへの「感謝を…」

カーマインの海の波間で、たくさんの感情や思いが奔流となって

2018-04-25

過呼吸

その日僕は、様子見のために会社が新しく立ち上げたバルに立ち寄った。

オープン前のまだ穏やかな時間

いつものようにSが近寄ってくる。

彼とは新規事業部に移る前からの付き合だ。

新しく入店した2名の女性スタッフを紹介したいのだという。

1名はすでに履歴書確認していたのでなんとなく人物像を描けていたのだが、もうひとりを見て口から心臓が飛び出そうになった。

Kと名乗るその女性は、僕がまだこの会社ペーペーだった頃に猛烈な恋心をいだいたZに生き写しのようだったのだ。

少し鼻にかかる声、長い手足を更に大げさに振り回すようなリアクション、育ちの良さから来るであろう無自覚に人を見下ろすような言葉選び、そして時折、吸い込まれそうなほど大きな瞳で時が止まったかのようにこちらをじっと見つめてくる癖までも、何もかもが同じだった。

しかし、いくら生き写しのようだとしても初対面の見ず知らずの女性だ。

準備運動もなしに階段を一気に駆け上がったかのような鼓動をさとられないように冷静に挨拶を交わす。

ただ、そうやって話せば話すほど、彼女は隅々までもZと同じだということがわかった。

あれから15年が経とうというのに、まさかこんなに胸が苦しい思いをすることになるとは思いもよらなかった。

そんな時唐突に、Sからそろそろねぎらい食事に連れて行って欲しいと提案を受ける。

この男は全く無神経なところがあるが、今日に限ってはその無神経さが染みるほどにありがたく感じた。

「それならば今日の閉店後はどうか。たまたま予定が空いている。」

そういうとSは早速その場にいる人間に予定の確認を行い、かくして閉店後、すぐ近くにある居酒屋テーブルを囲うことになった。

はすむかいの、Kとの視線が直接交わらない位置に座ると、僕は周囲にさとられないように改めて彼女を観察した。

Zの娘なのではないかと疑わなかったわけでもないが、聞けば23歳だというKの年齢を考えるとそれはあり得なかった。

15年前、Zはまだ19歳でしかなかったのだから

僕を含め、まだあってから日も浅いであろうバル従業員たちに対しても、Kは喜怒哀楽を隠すことなく誰にでも等身大ストレートに交わっていた。

世間に出たての、恐れることも疑うことも知らなかったZと同じ、見ている人間をどこか心配にさせるほどの天真爛漫さに、もう若くないはずの自分の胸の奥にある甘酸っぱい感情が刺激されるのがわかった。

こちらが感傷に浸っていると、Sがこそこそと耳打ちをしてきた。

聞けばキャバクラに行きたいのだが一緒にどうかということらしい。

ある種悶々とした気持ちを引きずったまま妻子の待つ家に帰るのも気が引けると小声で承諾すると、Sは唐突に皆に向かって叫んだ。

「お前ら!次はキャバクラ行くぞ!」

よせばよかったという後悔と、別に自分がそういうところに出入りすることをKに知られたから何になるのかという自問自答に挟まれながらふと顔をあげると、なぜかKは目を輝かせながらSを見て「わたしも行きたい!」と言い放った。

Sは当然のようにそれを受け入れると、Kに加えてもうひとりの新人と、店長であるDを含めた5人でキャバクラに行くことが決まった。

すでに終電も終わっている。ここかはらタクシーに乗らなくてはキャバクラに行くことは出来ない。

Sと新人女性2名、自分店長に分かれて2台で2つ隣の駅までタクシーを走らせる。

タクシーから出ると、Sはなれた様子で客引きに声をかけて早々と値段交渉を始める。

それを待っている間の悪さをさとられないように、残りのメンバーとは当たり障りのない仕事の話を交わす。

いよいよ交渉が成立し、客引きに連れられて店へと入ろうとすると、Sがニヤニヤとしながらこちらに近づいてきた。

「値切って安くさせたのでよろしくおねがいしますね!彼女らも喜んでましたよ!」

こやつ、女性の手前断れないだろうと支払いをこちらに押し付けようとしてきたらしい。

酔いも手伝ってか、この一言で完全に頭に血が上った。

「ふざけるな!どうしてお前はいつもそうなんだ!自分根性見直してこい!」

自分もいつもなら社長が一緒でなければこういった場所はいかない。

お金が勿体無いという以上にそれほど興味がないし、社長と一緒にいく理由も、社長は男同士が腹を割って話すのに必要儀式だと譲らないからだ。

居酒屋で耳打ちしてきたときから、Sは全てを計算の上だったのだろう。

しかし、Sは怒鳴られて悪びれるどころか横目でこちらを一瞥して舌打ちをしただけでその場を去っていってしまった。

怒りにまかせて身を翻し駅前タクシー乗り場へと向かうが様々に渦巻く感情を引きずったまま家に帰る気にはなれずに、しかたなく気持ちが収まるまで立ち飲み屋で過ごすことにした。

Kに対して下心がなかったわけでもなく、見栄を張りたい気持ちがなかったわけでもない。

それをSに見透かされたような気がして、そんな自分に一番に腹が立ったのだ。

それがわかると今度は心底情けくなってしまった。

このままではどちらにしても家族に合わせる顔はない。

唐突孤独感に襲われると、そこから逃れるように8年前に別れたHを携帯電話アドレス帳から探し出して呼び出しをタップした。

である理由はなかったのだが、Hなら電話に出てくれそうな気がしたのだ。

しばらくの呼び出しの後、「どうしたの?」と訝しげな様子のHの声が聞こえてきた。

「すまない。特別理由があるわけではないのだけど、ただ、少し声が聞きたくなって。」

沈黙の後、彼女の口から出てきた言葉は意外なものだった。

「今から来る?」

Hとの付き合いは僕から一方的音信不通になって終わった。

色々とこうでなくてはいけないと押し付けてくる彼女が面倒くさくなったのだ。

何となく彼女もそれに気づいていたのだろう、数回の着信を最後に、一切の連絡はなくなった。

その後半年もせずに僕は、親同士の知り合いによる紹介でお見合い結婚をした。

仲人の方が二人をよく見てくれていたのか、お見合いから早々に意気投合し、半年で挙式、そこからちょうど11ヶ月で長男が生まれた。

結婚生活には満足している。

それまで見ず知らずだった僕に、妻は本当に良くしてくれている。

ただ、2人目の娘が生まれて4年。その妊娠以降、セックスはない。

お酒のせいで冷静な判断が出来なかったのかもしれない。

「30分あれば着きます。」

それだけいって電話を切った。

Hは8年前と同じ様子で僕を迎え入れてくれた。

相変わらず僕の服装や行動一つ一つに、こうでなくてはいけないと色々と注文をしてくる。

今なら笑って受け流せるが、これも半月も持たないだろうと心のどこかで考える。

テーブルをはさんで、何も生み出さない会話と発泡酒けがいたずらに消費されていった。

気がつくと時計は3時を過ぎようとしていた。

何も連絡をしないままでは妻に怪しまれる。

携帯電話を取り出すと、メールをうち始めた。

申し訳ない。少し飲みすぎてしまった。朝までSの家で休んでから帰ります。”

「誰にメールですか?」

Hの問に「あぁ、妻に。」とだけ答える。

Hも「そう。」とだけ答える。

しばらくの沈黙唐突に震える携帯電話。妻からの返信だった。

「わかりました。お気をつけて。子供の出番までには間に合うと、きっと喜びます。」

メッセージと一緒に、体操服を着た長男写真が送られてきた。

忘れていた。明日子供運動会だったではないか

子供の屈託のない笑顔に、急に冷水を頭からかけらたかのようにはっとする。

自分は今どこにいて、今まで何をしてきて、これから何をしようとしているのだ。

猛烈な後悔が押し寄せる。

涙で目の前はかすみアルコールを多分に含んだ血液は音を立てんばかりの勢いで回り始める。

周囲の音は一切が聞こえなくなり、ただただ息が苦しくなる。

いくら息を吸っても苦しさは増すばかりで、体内のありとあらゆるものが溢れ出ようと小さな口へと殺到してくるのがわかった。

身体の内部から気管が塞がれもう吐くことも吸うこともできない。

シャツの上から胸元をひっかきながら床に倒れ込む。

ここで死んでいく理由をHは妻にどのように説明するのだろう。

今日、僕がたどった道のりを妻はSからどのように聞かされるのだろう。

にゆときさえも後悔で終わっていく自分人生に、薄れゆく意識はどうしようもない情けなさと悲しさで滲むように満たされていくばかりだった。

ふと枕から顔をあげると、先程の息苦しさが嘘のように新鮮な空気身体へと流れ込んできた。

肩で呼吸をしながら逸る心臓が収まるのを待つ。

涙で目の周りがぐしゃぐしゃになっているのがわかった。

音色の違う穏やかな寝息が耳に聞こえてくる。

カーテンから差し込む光が、まだ夜が明けたてだということを教えてくれる。

僕は一度死ぬことが出来た。

後悔のない人生の終わりはきっとないだろう。しかし、家族をいたずらに悲しませることは避けることができるかもしれない。

まずはこのぐしゃぐしゃの顔をさっぱりと改めようと、寝室の扉を音を立てないように静かに閉じた。

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