はてなキーワード: 三次元とは
表現の自由戦士の無理筋な擁護(自分は完全否定派では無いが、明らかに「オタクが攻撃されている!」としか思ってない層が存在する)を見ていて、流石に気持ち悪いと考えつつ、彼らには「これ」しか、己のありあまる性欲を解消する手段がないのだなと思う。そう思うとかなり同情的になるが、最近は「モテないやつの最後の砦が二次元」なのではなく「二次元が好きだからモテないキモオタになる」方が大きくないか?と思う。
ここからは全て仮説だが、多くの「キモオタ」は、中高などかなり早い段階から二次元にどっぷりになっている気がする。二次元は基本自分を否定しない・ありのままでも愛してくれる(ストーリーだ)から、「〇〇に好かれるために自分を磨こう」という思考に辿り着くオタクは少ないんじゃないか?二次元は無条件の愛を与えてくれるが、三次元はやれ「金を稼げ」だ「おしゃれしろ」だ、ありのままの自分を愛してはくれない。努力を求めてくるわけだから、端的に言うと面倒なわけだ。だったら二次元でいいや、と諦めて自己研鑽を怠り、現実での性交機会が極端に減っていく、というのがキモオタのおおまかな流れな気がする。「こんな女だったら付き合ってやってもいい」のハードルが、身の程に合わず異常に高いのもキモオタの特徴な気がする。自己批判作用のない萌えコンテンツにどっぷり浸かった結果、メタ認知が狂ってしまうのではないか。
自分もライトではあるがオタクなので、二次元コンテンツが規制されるのは寂しくはあるが、婚姻数を増やすためにはある程度抑える必要があるんじゃないか?と、3/4冗談、1/4本気で考えている。
長い事アニメオタクをやってきて、人生ではじめて三次元の俳優にドはまりした。2.5とかじゃなくて普通の俳優ね。
その推しが今、大炎上している。テレビでは何もやってないけど、ここ数か月ありとあらゆる芸能人の不祥事をSNSに上げまくっている某氏にリークされた。今度出馬するらしいね。
まあ、実際にやったやってないは別、もしやっていたならそれは悪い事だと思うので、とりあえず、オタクのお気持ち長文を。
二次元界隈も炎上がないわけじゃないけど、私の界隈は作品が古いこともあって(最盛期は2000年代じゃないかな?)、ほぼ炎上とは無縁の、幸せなオタク生活を送ってきた。それが突然、コレである。やっても意味ないと分かっていつつ、推しの名前で検索をかけて、バッシングツイートを山ほど見て、ちょっと泣いてから寝る。せっかくの睡眠タイムなんだからもっと幸せな気持ちで寝たらいいのに、検索をかけて自分から傷つきに行く癖があるんだなぁ……。私はもちろん一般人だから炎上なんてしたことないけど、推しがバッシングされているのを見てると、自分がバッシングされているような感覚になる。そこでやめておけばいいのにやめられない。
私個人としては、某氏がまったくの嘘を持ってくるとは考えにくいと思ってる。だとしたら事務所はもっとキビキビ動くだろうし、ターゲットが推しである必要もない。今をときめく人気俳優はもっといるので。ただ、裁判欠席事務所ダンマリ、再来週からの新作ドラマのツイッターアカウントがコメ欄を閉じてるのは「そういうこと」なんだろうなぁと。
私は何も聖人君主であれと思ってない。誰だって、いい面悪い面がある。性格が悪い噂のある芸能人とかたくさんいるしね。けど、犯罪は別じゃない? これは犯罪、って、分かるよね。
今この状況ではっきり「○○が好き」と声を大にして言えないのがとても辛い。犯罪がダメなのは分かってるけど、彼を応援する気持ちとの両立ができない。今応援したら犯罪を擁護しているような気がしてしまって。実際はそんなことないんだろうけど。
そして、推しだけ見ていればいいものを、私はまた余計な部分に注目してしまう。
某氏を応援しているアカウントは星の数ほどあるが、そのどれもが、「応援していた芸能人が某氏にリークされた」という気配が感じられないこと。とりあえず叩けそうなものは叩こう、面白そうな炎上があれば見てみよう、そんな気持ちしか感じられなかった。結局、野次馬根性で、楽しくて叩いているのだろうと感じた。推しをリークした某氏よりもはるかに、彼らへの怒りの方が強かったかもしれない。普段は推しのことなんて見向きもしないくせに。
他トラバでも似たような意見あるが、単純に需要が低いんだろうなぁ。
女性は想像で補完する能力が高いらしく、例えば乙女ゲーでも声無し需要はそれはそれで高いという。
三次元の人間とセックスしようとする人間が持つ「性欲を満たすことへの情熱」がないんだよなあ……。
二次元は肉体がないから三次元の方に興味を感じることはあるけど、魅力の総合値では絶対的に二次元が勝ってる。
たとえ日々のオナニーであっても三次元の女で射精するのに精力を使うこと自体が人生における損失だとさえ思っている。
でも今の二次元にはセックスという概念がなく、風俗という概念さえない。
ここでいう二次元ってのは絵や物語を指していると思って欲しい。
VRにおいてアバターを身にまとった三次元の人間はどこまでいっても三次元の残り香があって気持ち悪い。
Vは生身の人間が吐きだした臓物の臭いがついた息を二次元のモノへと浄化する処理を怠っているフシがあるからだ。
ゲームやアニメでも三次元の臭いが処理しきれてない声が聞こえると途端に気持ち悪くなって海綿体から血の気が引いてしまう。
ソレが怖いのでASMRを買うときは絶対にサンプルボイスを全部聞いて演技のパターンが変わった途端に生身の声帯を感じる羽目にならないかを要チェックだ。
三次元に対して嫌悪感があるというより、オナニーをするのに非常に邪魔なのだ。
台所でつまみ食いをする時に出し忘れた生ゴミの臭いが漂っていたら食欲が失せるのと同じことである。
だが世の中には三次元の生臭さにこそ興奮する人種の方が多いらしい。
そして彼らは自分たちの欲望を満たすために必死にモテるための努力をする。
三次元に好きな奴がいるからって三次元の人間についてオタクと呼ばれるほど詳しいことが期待されるなんてことないだろ?
ドルオタは別としてな。
しかし二次元で好きな奴いるとドルオタ並みに詳しいことが期待されそうじゃなかったとかで勝手にマウントとられたりすることまである。
理系が恋に落ちたので証明してみたでもやってたが二次元が好きというのはキンゼイスケール上に位置づけできるスペクトラムな性志向でしかない。
つまり二次元が好きというのを即知識偏重主義者と解するのはおかしいってことなわけだけどもそこに気付かない人間がやたら多い。
てか、好きなアイドルがいるってだけでそのアイドルについて知識的に詳しいことが要求されるってのも大概おかしいわな。好きになった人間がたまたまアイドルだっただけの話なんだから。
それが何か?
それはともかくああいう漫画家はなんで漫画家になったんだろうと思う。
物語書きたいならせいぜい脚本家の道とか他にもあっただろ。それなら金とかコスト(監督じゃないんだし)がかかるって反論も成立しないしな
あの手の懐古漫画ってドラマとして作った場合に比べればそのドラマよりも劣ったものにしかならんだろ。
ドラマ化もアニメ化も視覚化という言い方で総称できるが、アニメ化されてるような奴は原作と比べてどうしても画風とか変わっちゃったりするとか静止画として見たときのクオリティーが落ちるとかあって、アニメが漫画の上位互換とは言い切れない関係にある。あれらは相補的なものだ。
一方で高年齢向け漫画とそれがドラマ化されたものを比べた場合。
絵に特段の魅力も出せないのなら、ドラマの情報量の多さというアドバンテージにはどうやったって敵わない。
美少女とかじゃないんならドラマを選ぶよ。ヘタウマ画風じゃその作家の画風に登場人物の見た目が全て縛られるのに比べれば三次元役者のドラマの方が視覚的にもまだ飽きが来ない点で優れてるわ。
ほとんど構図としても人物正面と真横(下手したら生首絵ばっかで体すら書かないで済ませてる)ような物語ありきの漫画ならば、そもそもなんでそれを漫画で表現する道を選んだのって思ったわ。
何か表現したいものがあって、それが漫画よりもドラマで作った方が絶対的に完成度が高いものになると考えるならば、脚本家目指すべきだったと思うんだがね。
なんかの事情とか成り行きで漫画家にならざるを得ない不可抗力が働いてしまって、無理やりでも漫画として作品をねん出しなければならない立場ならば仕方がないが。
自由意志で仕事選ぶ立場にあってああいう漫画しか描けないような奴がなんで漫画家になったのか気になるわ。
しょうもないもの世に送るようなことして申し訳ないとか思わないのかとか思う。
ドラマで作るより(コストみたいな製作者側の都合ではなく読者側にとって)劣ったものにしかなってない作品を、どういう気持ちで作ろうと思ったんだと気になる。どうしう考え方をしてその自分の漫画作りを(金儲けとか以外で)肯定したんだろうか。
そう、そこは純粋素朴に気になる。ブコメ見る限り俺は俺で偏った考え方なのだろうし、ああいう漫画描いてる奴の考え方を知れば純粋に目からうろこが落ちる思いをするかもしれない。
ちなみに漫画はドラマと比べて自分の好きなペースで読めるみたいなブコメあったが、そういう個別の作品、作者の力量に依存しないメタ的な利点挙げるのは「コストがかかる」といったような読者側でなく作者側の長所を挙げるのと同じぐらいに論点がずれてると思うわ。
まず「(黒人に対して)白人は優遇されている」というのは、「黒人と白人」という次元軸を議題としているわけです。一方で、たとえ同じ白人であったとしても、「ユダヤ人は差別されている」という言明は、「黒人と白人」とは異なる次元軸を議題としているわけです。
「フェミニストが文句を付けるのは萌え絵だけで三次元には文句を言わない」というのは、「二次元と三次元」という次元軸を議題としているわけです。一方で、たとえ同じ三次元であったとしても、「フェミニストのクレームのせいでレースクイーンの仕事が奪われた」という言明は、「二次元と三次元」とは異なる次元軸を議題としているのではないでしょうか?
めんどくさいので断っておきますが、私個人はレースクイーンなどにはそれほど興味がなく、どちらかと言えば批判的なくらいです。