はてなキーワード: 超絶技巧とは
この前、京都で開催されていたるろうに剣心の原画展を女装して見に行った。
るろうに剣心は90年代の週刊少年ジャンプの暗黒期(当時週刊少年マガジンに売上を追い抜かれていたと記憶している)を支える看板作品として、当時リアルタイムで読んでいた。
今回の原画展は、明治政府に対して反旗を翻そう等する志々雄真実と対峙しながら、主人公である緋村剣心の過去にもスポットライトを当てる京都編を中心に構成されており、当時の原画も多数展示されていた。
その原画は一枚一枚が緻密かつ丁寧に作成されており、アナログ作画時代のほぼ最後の時期に差し掛かっており、超絶技巧が施された原稿は、さながら芸術作品としての価値があるのではと思わせる出来であり、満足度が極めて高かった。
作画がアナログからデジタルに移り変わると、アナログならではの立体的な墨やホワイトの跡といった要素もオーパーツとなってしまうのはいささか残念という気持ちになってしまうものである。
ポケットモンスター赤緑のソロプレイに注目が集まっているRiJだが、もう一つの見所が、今何が起こっていて、何が超絶技巧なのかを視聴者に教えてくれる解説である。
現在、YouTubeに上がっているものの中から、「クリアまで1時間以内」「解説が面白さを引き立てている」という視点でピックアップした。
なお、これからアップされるものの中でも、紹介したいもの(例えば、「wallprime」など)があるので、できれば追記したい。
(トラバの助言を受けて、YouTubeからtwitchのリンクに変更した。コメントから当時の臨場感が伝わってくると思う。一方、YouTubeの方は走者さんや解説さんがコメントを書いていることもあるし、視聴者もコメントを残せるので、こちらも見てほしい)
(追記:速報版の6つに、ラストまでの4つを加えて完成。リンクとして張れるのは9本までのようなので、1本は頭を削った)
RITE
https://www.twitch.tv/videos/2221332904
走者兼解説。
フレーム単位で9段階のジャンプを使い分け、精密な十字キー操作を行いながら、淡々と各面のポイントを述べていく解説がクール。
Lonely Mountains: Downhill
https://www.twitch.tv/videos/2221428977
キャラが死ぬたびに、こらえきれずに吹き出す解説さんにつられ、会場も爆笑につぐ爆笑。
人が死んでんねんで!
SkateBIRD
https://www.twitch.tv/videos/2222178941
解説さんがいなければ、プレイの意味が全く分からなかったゲーム。
序盤の「モンチ、モンチモンチモンチスクリームモンチモンチモンチ!!」はぜひ聞いてほしい。
ソロモンの鍵
https://www.twitch.tv/videos/2222216364
超絶テクニックを「うまいー」「はいうまいー」「うまいねー」と妙なテンションで流すのがシュール。
「次の面は癒やし」からの仕事猫案件、グダるけれど、グダった後のトークも面白い。
https://www.twitch.tv/videos/2222276074
一方で、すぐにダウンするためコンボを決めさせてくれない敵に「勝手に倒れてどうするんだ!RTAだぞお前!」と説教したりとやりたい放題。
https://www.twitch.tv/videos/2223151102
時に無茶ぶりをし、時に圧をかけるのもたまらない。
「世界記録って、速いですからね」は今大会で1、2を争う名言。
(追記)
https://www.twitch.tv/videos/2223819722
走者兼解説。ギリギリのシチュエーションを率直に言語化してくれるので、自分がプレイしているような気分になる。
「(天井から石が降ってきて)あっヤバ(瞬間に生存ルートを見つけて)くない…。ヤバくないですよ」と強がるのも面白い。
wallprime
https://www.twitch.tv/videos/2223820910
壁に表示された4桁までの数字を、ひたすら素因数分解していくゲーム。
走者の頭はどうかしているとしか思えない超速「素数パンチ」に加え、
解説さんの「どうやって素因数分解をしているのか…ですが、基本は覚えます(7割は覚えている)」との発言が加わり、
https://www.twitch.tv/videos/2223897031
プレイ時間のうち3分の2ぐらいは、ただ待つだけなのだが、そこを解説に定評あるワイズさんが、
ゲームプレイや、ゲーム周りの情報だけでなく、人間批評、社会批評も含めて解説していく。
tps://www.twitch.tv/videos/2224602471
正確にレゴブロックを組み上げていく走者と、それに合わせてよどみなくストーリーを展開していく解説さんのタッグ。
RTAと知らなければ、Eテレの番組かな?と思うほどの完成度。
さて、最後になるが、実は当初(大会が終了する前)、10本を紹介するつもりであり、10本目はスーパーマリオ64目隠しプレイで締めるつもりでいた。
走者のBubziaさんは、昨年夏のRiJに目隠しゼルダBotWの目隠しプレイを披露し、目隠しときメモとともに社会(の一部)を震撼させたので、覚えている方も多いだろう。
スーパーマリオ64でも、RiJ 2021 Winterで目隠し・スター70枚というレギュレーションを走りきっており、解説はそのときと同じ宇佐見まさむねさん。
Bubziaさんにとって、とても納得のいくプレイではないことは明らかであり、おすすめに挙げることは躊躇せざるを得なかった。
しかし、宇佐見さんの、走者の操作だけでなく心情とも完全に同期し、Bubziaさんが失敗した場面で、各トライアルの何が失敗の要因かを正確に言語化した解説は、
個人的にはある種の美しさを感じた。
おすすめはできないが、一度見てほしいとも思う。
前提、原作未読 改変内容それ自体を良い悪い評価判断することはできない。
けどそれにしたって13話中の12話にあの展開を持ってきておいて大団円!!よかった!!!と言えるかは…微妙じゃない?
少なくとも自分は主人公の久美子を通して、久美子の3年間の奮闘や成長を見ていたので、他でよく見る真由の救済のために主人公を放り出しているような構成と終わり方であまり納得できなかった。
再オデで負けた事それ自体は、その後の展開どちらでも組める要素だと思うからいい。
でも負けたなら負けたことを下敷きにして久美子の次への展開なり納得なり、決意なりや、奏者として勝つこと以外の部長としての報われなどをしっかり描いて、今まで久美子を見て応援してきた視聴者を十分に「よくやったな」と納得させて終わらせてほしかったよ。
それが入る後尺がなく、13話はシリーズ思い出ダイジェスト気味に終わってしまい、それが原作的には掴むはずだった勝利を改変した上でとなると…まあ~~~微妙な構成だったなと思う。
全国金は部の悲願であって、久美子のそれと完全にイコールではないはずだし、まして作中で久美子の思想が音楽から別の将来へ移っていったのならますます久美子の3年分の報われはどこへ…?と感じた。
(他所で原作だと全国金が久美子のイコールとなった描写があると見たが、アニメシリーズだけ見ているとそうでもない)
衝撃的な改変展開をもっと早く前に持ってきてフォロー尺や久美子の次への思いや展開を入れたり、シリーズ尺を24話にしたりと上記の急展開オチを回避する方法は他にあるだろうし、比較的取れる制作・会社のはずなのに上記を選択したのは、衝撃度なりバズり度など物語の本筋とは無関係な要素故に選択したと思えて、そこでも微妙だったなと思う。
微妙というか露悪的(?)にさえ見えた。
原作勢が「原作の最後の勝利がご都合気味だった」というのも見たが、それなら突然3年で転校してきて同じ楽器で超絶技巧で今まで合わせたことのないメンバーとも早々に合わせられる真由の超存在自体もご都合と言えてしまうのでは?(原作展開自体に切り込めるならという意味で)
要はご都合要素はその後の辻褄なり展開で納得できたかで希釈されるんだろうけど、アニメ最終話には原作を改変してまで納得できる、活きるものはなかった。
仮説としては原作を通っていると、その後の後日談含めて読み込んでいるからか、ちょっとご都合主義だったなという原作読後感を下敷きにしているから反転展開が響き納得や良かったになっているだけでは?
アニメの道中で久美子が負ける兆しは散りばめられていたともみたが、それなら1期から重ねて来た演出を回想や反芻するように擦ってきてた部分の先には、困難があったけど久美子が報われる事への期待と受け取れる部分なので、最後に梯子を外すも外さないもどちらも揺さぶり要素の1つでしかないと思う。
(単に制作の手抜きだったってならそれはもう何も言えないが…w)
続報で全国大会以降、卒業までの部長としての久美子報われ話をやるってならまた話は変わるが…(それにしてもシリーズとしてちゃんと〆てよとは思うけど)
京アニ事件が絡んでの思想が影響したのか、構成脚本の暴走か知らないけど追ってきた年月の割になんだかなーーーーーーというオチだった。薄味?
ゲームあんま興味ないし、本文もあまり精査して読まずに書くんだけど、
どこかのアニメ監督さんだったかな?インタビュー記事だったかで読んだ記憶がある、うろ覚えなんだけど、
劇伴やらせるなら、音大とか出てないと駄目、独学から出てきたような人は採用しない、って言ってたんだけど、
それって、もっともなことだと思ったんだよね
劇伴、要はアニメとかドラマのBGM、効果音的にも使われたりすることもあるわけだけど、
ああいう仕事をするのに、それこそバンド活動から音楽理論独学してはい上がって来たような人がいたとしても、まあ駄目だと思うんだよね
あらゆる楽器に精通してないといけないし、オケの知識とか必要だし、厚い音楽理論や経験に裏打ちされてないとならない
そこに、突飛さは求められてなくて、監督さんが、というか、シナリオ上こう悲しいんだ、こう嬉しいんだ、こう絶体絶命で、こう快進撃で、
みたいなあらゆる要求に、それに適した楽器とか編成とか、もちろん楽曲を用意しなければならない、あらゆる手配もしなければならない
すごく失礼なこと書くけど、自分は最近は八十八ヶ所巡礼みたいなの好きだし、古くはたまみたいな日本のプログレだって好きだし、
あぶらだこみたいなのも好きだし、ヒカシューみたいなのも好きになっちゃったし(みんなオーガス2のせいだ)、
なんか既存の音楽のセオリー、テンポ、楽器編成、何かを壊してほしいと思ってる
でも、そういう人たちは、劇伴の世界では求められてないと思うんだよね
ギターだけが上手い人、タンバリンやカスタネットだってとんでもないほど奥が深い楽器だということを承知で書くけど、
パーカッションだけ特化した人、一点豪華主義、ギターベースドラムボーカルできますみたいなバンド世界だけの人、
劇伴はそれじゃ駄目だと思うんだよね
もっと、あらゆる楽器に精通してて、音楽理論とかの正規の教育に裏打ちされてて、
だって、最終目標は監督の要求に応えること、というか、音楽は主役ではなくて、あくまでその物語を盛り上げる道具にすぎないわけで、
だから、道具に突飛さを求めるなら、それこそ独学だったり、ちょっと頭おかしい狂ってる(誉め言葉)人を採用するべきなんだろう
そういう人を音大や芸大に求めるのは間違っているんじゃないかな?
端的に言えば、彼らは指示通りに動くわけだから、指示を出してる人、監督さんとかゲーム本体を作ってる側に問題があるのでは?
彼らに求められるのはクライアントのあらゆる要求に応えることであって、突飛なアイディアを出せとか、客の目を引き付ける変なものを作れとか、そういうことじゃないんじゃないかな
音大や芸大を出ている彼らはプロフェッショナルではあるのだろうから、プロにはちゃんとプロに適した指示を出さないと、クライアントは望んだものが得られないと思うよ
つまり、ここから木の枝にタイヤがぶら下げられてるとか、ジェットコースター🎢とか、顧客が本当に必要だったのはガンダムでもジムでもなくてボールだったとか、
どんなに超絶技巧プレイだったのとしても俺は注目されないだろう
というか、俺でなくても、超絶技巧プレイヤーはまったく注目されてない
俺はチェックしてるけど、多分、ほとんどの人は、なんかすごいね、で素通りしてしまっているのだろう
それより、初心者記事とかが強い、ギタースクールの講師とか、スタジオミュージシャンのうんちく語りとか、楽器屋店員の雑談の方が見られてる
あと、エッチなかっこのお姉さんが演奏した方が爆発的に注目される
ぼっちざろっく!でぼっちちゃんに水着でプレイしてもらおうという話はあながち間違っていない
際どいコスプレでピアノを弾くのと、普通のオッサンがピアノを弾くのと、どちらもレベルが同じだったら、みんなはどちらを見るのか?
つまり、デブでキモイ童貞で中年の俺ではギターヒーローどころか、視聴者を不快にさせたと運営に通報される方が近い
なるほど、となると音楽理論のうんちく、というか、俺はちゃんとした教育受けてないから偉そうなこと言えないし、間違ってる可能性もあるけど、
あの有名な曲は、こういう仕組みで作られていて、つまり、作者はこういうことを伝えたいという意図があると考えられる、
耳コピをすることで、作曲者の意図を推察することができる、みたいな話を書けばいいのだろうか
でも、それもそんなネタないしなあ
はなわはベースだったけど、イングヴェイやインペリテリがお笑いやったら面白いだろうか?
いや、それも違うか…
昨日のジャンプ買った?
・ 「アイシールド21」という作品にはひとつの欠点もないと感じる信心深い人
増田もそう思ってるよ。嘘じゃない。
看過できない仕上がりだったとも思っている。
なのでここにその旨のお気持ちを記録しておく。
・今回の読切に少しでも思うところがあった人
・「アイシールド21」という作品全体を通じて積年の思いがある人
向けの内容である。
・筆者について
・はじめに
・読切のストーリーについて
・作画について
・まとめ
の順で触れていく。
あと言っておくが「アイシールド21」の21周年は心から祝っている。
おめでとう。読切企画を実現してくれた関係者各位、先生方、心からありがとう。
・往年のアイシールドファン。連載開始から最終話までリアルタイムでジャンプで読んでた
・連載後半は2ちゃんのアイシスレ見たりもしてた(本スレがアンチスレを兼ねる様相で当時はおどろいた)
かきおろし読切の制作が決定したという作者の告知があってからこの日をずっと楽しみにしていた。
完結して十何年もたった作品の続きが読める、
こんな奇跡はまたとない。
発売日、即ジャンプ買って読んだ。
………………。
昨日からSNSは「アイシールド21が読めて嬉しい!」といった歓喜の声にあふれている。作品名でトレンド入りもしている。
いちファンが作品に真剣に相対したいち記録となることを信じてせっせとこれをネットの海に流している。
まずあの話、どうでした?
…とは思えなかった。
というか読切では当然のように「ヒル魔とセナ、双璧のW主人公」みたいな雰囲気が醸されているのだが、
という確認がなされないまま作られている印象だった。
ヒル魔というキャラクターが大いなる魅力や影響力をもっている、そのこと自体に異論はない。
彼の求心力とある種のカリスマ性が、読者並びに各種ファンダムを今なお牽引していることにも異論はない。
(原作者が格別の思い入れを注いでいることにも、この際異論はないものとする)
それでも、少年漫画としての「アイシールド21」に考えをはせるなら、第1話の構造からいっても、
この物語は「アメフトを通して描かれる小早川瀬那の成長譚」でなくてはならないはずだ。
……にもかかわらず、本作はそこをぶらしていった。
連載半ばから、ヒル魔は悪い意味でどんどん主人公化していった。
そしてそれが改善されていないどころか、全面化していたのが今回の読切だった。
思えば、最終話の落としどころはまだマシだった。
セナの結末とは別のレイヤーで、ヒル魔の着地点を描いていたからだ。
最京大・炎馬大・バベルスという別の進路をとり、三国志の道を選ぶ。
ここの3人が対等なライバルとなる結末は、
にもかかわらず読切で披露されたのは
「セナvsヒル魔、NFLにいくのはどっちだ!?」対決………って、
武蔵と栗田の立場がなさすぎて、あんまりじゃないのか????????
(※さらに言うなら武蔵に至っては読切に影も形も出演がないの、本当にあんまりだったと思う。回想の円陣にもいないとはいったい…。
※この点について「読切から興味をもった読者に武蔵の存在を伏せたかった・ネタバレを防止したかったからでは」という擁護意見も目にしたが、
そうであるなら円陣では後ろ姿で顔が見えないように描いたりすればいいだけだし、現在軸の観客ポジションにはいてもいいはずである。
読切の大筋を
という骨子にするのならせめて
セナ率いるドリームチーム vs デビルバッツ創立時メンバー3人が再結成するドリームチーム
…みたいな構図にはできなかったものだろうか。
さらに「AIをしのぐのは人間の勇気」みたいなテーマを(是非はともかく)導入したいのだったら、
半端にセナを主人公とせず、いっそいさぎよく「読切なので主人公はヒル魔です。セナは脇役として登場してもらいます」などとして構成してしまうほうが、
まだ「作者のエゴ」と「読者」と「読切作品としての完成度」、すべてに対して誠実な仕上がりをみたのではないだろうか。
このあたりの整合性のとれていなさ、ちぐはぐさが、読み味の違和感、納得感の薄さにつながっているように思う。
(※余談だが、アイシールドがスポーツマンガとして傑出している点であり特色のひとつに、
「天才と凡人」というテーマを残酷なまでに描いているところが挙げられると思う。
それを思うと、読切からその要素が完全に排除されていたのも惜しむべき点だった。
その意味においても、読切では
「身体能力においてはある種の天才であるセナと、今度はそれに挑む身体的凡人ヒル魔」
といったふうにセナとは別の視点≒ヒル魔視点から描いてしまうほうがいっそ面白かったんじゃないだろうか。
原作者のヒル魔描きたい欲も、キャラファン読者の需要も両方満たされただろうし
本作の新たな面を見せることができたんじゃないか、等々。
後述するが、原作者と編集者はそういった検討すらしなかったのだろうか)
「セナvsヒル魔の試合」という今回の読切が、アニメ最終話の追認に近いものになってしまっていることにも絶望しかない。
アニメのアイシールドはあらゆる意味で筆舌尽くしがたい出来栄えなのだが、満を持した読切がそれと今さらカブるって、そんなことがあっていいのか。
村田先生、みんなご存じ、少年漫画界屈指の超絶技巧ハイレベル画力の持ち主。
すなわち『ワンパンマン』のようなアップデートされた村田先生の作画で、
…というファンの期待は儚くも裏切られた。
今回の読切の作画、
……そうか……。
初期からずっと絵がうまくて、
どんどん画力が凄みを増していって、
20巻あたりになってくると最強に脂がのってきて、
強いこだわりや作品愛を感じられて、
あのすばらしい絵が、だいぶ淡泊でラフな方向へ変わってしまった、
そんな、あの頃の絵柄…
遠くにいるキャラには顔描き込みさえなく、
そんな、あの頃の絵柄…
それを誰も指摘しないままジャンプでお届けされていた、
そんな、あの頃の絵柄………
…………そうか………。
掲載日もガチガチに21周年に合わせているわけではなさそうだし、
読切制作告知はずいぶん前に行われていたし、
そんなこまごまとしたミスをチェックして修正する手間すら…惜しかったのだろうか。
もしや、アイシールド、描きたく……なかったのだろうか。
憶測にすぎないけれど、したくもない想像が膨らんでしまう作画がただただ悲しい。
なぜこんなにも失望感が大きいのか。
失望感を覚えるということは、
そもそも「アイシールド21」という漫画に何らかの幻想を抱かせるような霧でもかかっていたんじゃないだろうか。
その正体は何か。
理由をたどると「原作・作画の分業制でつくられた作品であること」が挙げられると思う。
そもそも、原作者の稲垣先生のほうはそこまでキャラの扱いに手厚いタイプではないと見受けられる。
かと思えば突飛なタイミングで再登場させたり、
桜庭のアイドルヘアや阿含のドレッドをある日突然無慈悲に剃り上げてファンを阿鼻叫喚の渦に叩き込んだり等々
(事実アイシ、ドクターストーン、トリリオンゲームと3本つづけて大ヒットを飛ばしている優れたストーリーテラーであるわけだし、どれもとんでもなく面白いし)
バックボーンを想像させる表情や振る舞いなどの魅力を付与して、
色んなキャラの色んな一面を描きまくってくれた。
別冊として出たデータブックでは各校の全チームメイトの顔カットを100人単位で書き起こし、
人物紹介には毎巻のように「ウォーリーを探せ」のようなぎっしり楽しい一枚絵を用意し、
神龍寺戦完結巻にいたっては、カバー絵などの余白をフルに使って、
アイシはただストーリーが面白い・アメフト題材に新規性があるというだけではなく、
そういう層のファンを獲得したという意味でも、商業的な成功をみた。
これは原作・作画別れているからこその、やや特殊な事例であると思う。
それは村田先生が魔法をかけてシナジーを起こしたキャラなのだ。
そして時を経て、魔法は解けていった。
何かのきっかけで、のっぴきならない理由で、本作を作画することへの情熱が失われてしまったのかもしれない。
読者にそれを知るすべはない。
ともあれ、作画による丁寧なフォローや補足はされなくなり、ありし日の熱量は失われ、
原作がある意味むき出しとなった結果が、連載終盤のアイシールドともいえる。
読切でも、魔法は解けたままだった。
そのことが残念でならない。
長々と書いてきたが、ぶっちゃけ少し真面目に作品に相対していればこのくらいのことはいくらでも思い浮かぶはずと思う。
なのにお出しされてきたのは、
そういう出来栄えの読切だった。
これに関して「編集者何やってんだよ」という視座を欠くわけにはいかない。
読切をつくるとなって、まともな打ち合わせの一つもしなかったのか?
批判されている点は?
少しリサーチすれば情報や感想は玉石混交いくらでも掘り出せるはずだ。
それを作品化するとして、最良の形とは?
精査していればもう少しブレや迷走は防げたはずだ。
編集者は作画クオリティ面にまでは口出しできないかもしれない。
にしても、あきらかな作画のミスを校閲し指摘することはできるはずだ。
「どうせ手を抜いたって、愛がなくたって、ファンなら喜んでジャンプを買い、涙を流してありがたがるだろう」
と、作品の知名度にあぐらをかいた編集部によって読者全員がナメられていること、
それが記念読切から透けてみえてくることが、作品を愛読してきた者として慚愧にたえない。
期待は捨てているけれど、改めて言いたい。
そして少しでも反省したなら俺らに誠意を見せてくれ。
すなわち、ファンもアンチもぐうの音も出ずに拍手喝采してしまうような、素晴らしいクオリティに練り上げた「アイシールド21」短期集中連載とか企画してください。金とアンケートならいくらでも出します。わあわあ言うとりますが未だにアイシールド大好きなんです。よろしくお願いします。ほんとマジで。
この記事で言うところの「めちゃくちゃ上手くて心に響く歌手」って既にいくらでもいるんだよね(本来は超難しいことなんだけど だからその「いくらでもいる状況」がおかしいっちゃおかしいんだけど)
本文で例示されてる欧米のスターは勿論そうだし、日本国内でも、なんなら今年の紅白歌手に絞っても、まずMISIAがいて、Superflyがいて、JUJUがいて、miletもいるし長屋晴子もいる、ベテラン演歌勢は言わずもがな、挙げてくとキリがない
この飽和状態で今さら別にAdoにそういうポジションを求めてない、というか、まぁそれはそれで「いい歌だね」ってなるんだけど、新規性がないから「別にMISIAでもいいじゃん」ってなっちゃう 自分はね
>> だから、歌や演奏が、難しいゲームを攻略しているように聞こえてしまう。自らの腕を証明するために、曲中にわざと難所を仕掛けているといったら意地悪でしょうか。 <<
これさ〜クラシックでいうところのパガニーニやリストみたいな「自分の演奏スキルが高すぎるから、自分が上手く弾ける範囲内で曲を作ったら超絶技巧曲ばっかりになっちゃった」に似てるんじゃないかな
Adoの「踊」も「唱」も、King Gnuの曲も、確かに技巧的ではあるけど技巧一辺倒ではなくて、サビは難易度を落としてキャッチーさを優先させてて、曲全体としてはちゃんとポップスとして成立してるから聴きやすくて自分は好きだよ
おそらく作り手もそのバランスは意識してやってる そんな馬鹿じゃない
「はたしてAdoやKing Gnuの曲パガニーニやリストに並ぶほどの歴史的名曲か?」まで問うと、それはこれから時代に長く揉まれても淘汰されないかの検証が必要だから今はわかんないけど
少なくとも記事で批判されてるほどの欠陥が楽曲にあるとは思えないし、そもそも技巧曲はやる人が少ない(できる人が少ない)から数としてはあんまり出てこない、そして極端に技巧に走りすぎると流行らず廃れる
だからAdoやKing Gnuを基準点として日本の今後のトレンドまで危惧するのは杞憂だと思うし
パガニーニやリストは人気だけどベートーベンやバッハも人気だから大丈夫だと思う
それと「『超絶技巧曲を歌いこなせる』ということがAdoの唯一無二の個性なんじゃないか?」って最近思ってて
Adoのカバー曲とか、大物アーティストから楽曲提供されたオリジナル曲とか、いろいろ聴いて「やっぱ歌うめーなー」って思うんだけど、失礼ながらそれ止まりで、「踊」や「唱」を聴いたときのような「これはどう考えてもAdoにしか歌えない」という畏怖や屈服まではいかなくて、ちょっとだけ物足りなさを感じてしまう
いや歌の感想で畏怖や屈服って何?って感じだけど、聴き手にそこまで感じさせるのがAdoの絶対的な個性であり武器だと思う
あとほんとに失礼な話だけど、B’zしかり椎名林檎しかりミセスしかり、「普段は特定のメインボーカルを想定して書いている作曲家」がAdoに楽曲提供したとき、おそらくその曲へのAdo個人なりの楽曲解釈を経て、最終的にAdoの歌声で出力されるわけだけど、ひとえにAdoの理解力と表現力が高すぎる故に「別に本家に寄せにいったわけではないけど、この曲における100点満点の表現を追求したら結果的に本家と似てしまった」ケースが割と多いような…?そう感じるのは自分だけ…?ってずっとモヤモヤしてた
B’z曲のB’z節が濃すぎて(あとAdoが歌うますぎて)結果Adoの背後に稲葉がチラついて見える…誰も悪くないんだけど…というか全員が全力で最高の仕事をした結果こうなってしまった感がある
あと自分は椎名林檎の古参ファンなので、Adoへの提供曲は「新宿系を標榜していた頃の椎名林檎が令和に戻ってきた」感じで懐かしくて嬉しかったけど、あまりにも再現率が高すぎて新規性は無かったし(あれを再現できるのは凄いことなんだけどね)、正直もっと予想を上回る凄いことをやってくれると思ってた…この2人が組むならと期待値が高すぎた感がある
あとヤスタカの「新時代」は、本家?にあたるPerfumeやきゃりぱみゅがAdoとは対極的な歌い方だから新規性がウケて売れた面もあるのかな?と個人的には思ったりする 知らんけど
聴き手それぞれの「Adoにこんな曲を歌ってもらいたい」と思うものがみんなちがってみんないいけど自分は「踊」や「唱」みたいなやついっぱい聴きたいです
重箱の隅をつつくような話しするんだけど
ほろほろチキンの乗っかったほろほろチキン親子重が充実して充分に美味しいわ!
それで私思ったんだけど
あれさー
カヒミカリィさんがカレー屋さんやってかは知らないけれどそれじゃない方のチキンカリーで
今回はほろほろチキン親子重で
ほろほろチキン界隈の業界に突如現れて舞い降りて詳しいわけではないんだけど
ほろほろチキンカリーがカヒミカリィさんじゃない方のほろほろチキンカレーで
たくさんほろほろチキンを使う予定だったけど
え?これ余ったほろほろチキンどうすんの?って
その行き先が
新たな本当に重箱の隅をつつくような
あれどうみても同じほろほろチキン工場のファクトリーオートメーションで炭火焼きされてるんじゃないの?って言うほどペキカンな備長炭アンドターキー!
一旦はほろほろチキン親子重で消費でき売り上がるからいいかー!って節操もなく
完全独占供給かと思っていたほろほろチキンの門戸を開いてもはや同業者にも卸しちゃったのかよく分からないぐらいなそんな世の中重箱の隅をつつくようなことなんて言えないけれど。
私にとっては
ほろほろチキンがご機嫌にパーリーしている陽気な弾けるプリズム級の美味しさ!
コンロで炙ってポップコーンを作るパーリー感あふれるやつの出来立てが食べられる作れる弾けるポップコーンあるじゃない、
文字通りあのポップコーン級に弾ける美味さのほろほろチキンで私はにっこりご機嫌さんなのよ。
うーん、
名探偵コナン君がペロってして
これは薬だ!って
やくみつるさんのそっくりさんがどのぐらいやくみつるさんに似ているか問われたら
ほぼやくみつるさんですね!って言うのは審査員としてはダウト!
約みつるさんですね!って言うのが正解!
また何食わぬ顔してお重の蓋を閉めてよそのお客さんに提供されちゃっても
ペロ行為かも知れないわ。
でも実際のコナン君は同等のほろほろチキンかどうかなんと言うか分からないけど、
画面の右下に針すなお先生の似顔絵がテレビの画面の端に載っているとき
みなやくみつるさんだとしても、
今演じている人はやくみつるさんです!って画面の右下に針すなお先生のお描きになったやくみつるさんのイラストが映るのよ。
で私に、
演目後出来栄えの途中審査の感想をどのぐらいやくみつるさんに似ているかMCの司会の人に問われたら
約みつるですね!って
完全なやくみつるさんではないけれど全然違うやくみつるさんなわけでもない
完全に理解し分かっているような審査員の雰囲気を醸し出す顔が出来るのよ!
見た目の似ている度合いを測るのではなく
そのぐらい多分やくみつるさんそっくりさん選手権の審査員になったら
そう言う「約みつるですね」って言い放つことにかけては創業50年の実績と信頼と自信があるわ。
篠原涼子さんで言うところの愛しさと切なさと心強さとってところかしら。
そのぐらい
どちらも約ほろほろチキン!って田村でも金!谷でも金!級な最終審査結果だと思うわ。
非なる似ているものなのか?
でも約ほろほろチキンって言うことにはマジ間違いないマジチキンと思うから
そのほろほろチキンの供給先のメーカーは同じと言っても言い過ぎではない過言中の過言だわ。
ちなみにやくみつるさんの似ている度合いがリアプノフ時間の限界の上限の100パーセントを超えたらどうなるか。
私では知り得ることではない、
いや人類では知り得ることのできないのよ。
たとえそれが100パーセントを超えるとしても2種類の分類には分けられると思うわ。
とても難しい問題だけど
シンプルに考えて!
そう簡単でしょ?
山アートの油絵を超絶技巧アンド超絶技法で描くボブロス先生もきっとそう言うぐらい簡単でしょ!って言っちゃうし
バクザン発言!でお馴染み世間を賑わしているのは榊莫山先生なのよね。
バンバンにビリーなのかバンバンに坂本冬美さんなのか歌えバンバンなのか、
でも思ったんだけど
そのやくみつるさんそっくりさん選手権の出場者が今誰を演じているかイラストで分かりやすく描いている針すなお先生のやくみつるさんのイラストを
出場者が全員やくみつるさんをやるからって1パターンのやくみつるさんのイラストで賄うんじゃなく、
出場者人数分のバリエーションのやくみつるさんのイラストをお描きになっていたらそれこそ針すなお先生たる所以だわ!って枕を北にして寝れないし頭が上がらないわ。
もうさ、
そうなるとやくみつるさんそっくりさん選手権の出場者のテレビ画面右下のイラストのやくみつるさんイラスト大喜利になっちゃって
いろいろなパターンのバリエーションの針すなお先生がお描きになるやくみつるさんのイラストだけで笑わせられちゃうわ!
面白くない?
すなおになりなさい!
もう鈴木杏樹さんばりに
もりもり食べやさい!って言うぐらいな素直さよ。
うふふ。
そのおにぎりを扱っているコーナー自体がなにもないままの陳列棚で
まだ陳列されていないのか?
分からないけど、
買い損ねちゃったわ。
ピンクグレープフルーツとレモンとを1つずつ搾りマジ果汁を炭酸で割った
良い季節になってきたので
本格的なまたデトックスウォーラーにも再挑戦しまくらなくちゃ!とも思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
長崎に「四次元パーラーあんでるせん」というマジックを見せてくれる喫茶店があるらしい。
曰く、
などすごい言葉が並び、気になって調べてみたら興醒めしてしまった。
・お札にペンを通す
・物体を宙に浮かべる
・ルービックキューブを1秒で揃える
・ライターがグニャリと曲がる
これを知った時、この程度でマジックを超えたマジックと言われるのか!?と思った。
マジックが好きな人のレポートはほぼない。行く前に少し調べるだけで程度がわかってしまうからだと思う。
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私はマジックが好きだ。
都内のマジックバーに10回ほど行った程度でも、あんでるせんのマジックの浅さに驚いた。
それなのに行った人は絶賛している。
理由はマジックではなく超能力、不思議な力だと思い込ませているのだ。
マスターはここに来れたのは前世から決まっていたこと、宿命だと言うらしい。
将来結婚できると断言したり、マジックが終わった後には人生相談に乗ることもある。
お客さんにあなた方は前世からここに来ることが決まっていました。これは宿命ですなどスピリチュアル系の発言をばんばかする。
これは本当にやってはいけない事だと思う。
なぜなら、サイババなど自分の権威のために不思議な能力(マジック)を悪用することがあるからだ。
だからこそマジックを行う人ははっきりと「これはマジックです」と伝えてなくてはならない。
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行ったことがある人の中には「マジックだと言っている人がいるけれど、マスターのありがたい言葉が聞けるだけで良い」とまで言っている人がいる。
不思議なものを見せられたからマスターの言葉も信じる、カルトの得意とする手法だ。
マスターは過去に占い喫茶店をやっていたが閑古鳥で、長崎のマジシャンに指導をお願いした経緯がある。仲違いしたけど。
ここらへんの話は、占いバスターズのケンケンさんが詳しく解説してくれている。
https://stop-uranai.com/真実を話します/
呼ばれたから予約が取れた、四次元パワーを注入された(ビリビリ系のおもちゃ)、チャクラが開いたなどパワーワードが並ぶ。
お土産で売っている曲げられたフォークを車に置いていた人々が事故を免れた、という文を読んだ時は頭を抱えてしまった。
マスターはそこまで言っていないだろう。でも信じた人たちが思い込み、スピリチュアル系のコミュニティで発信している。その言葉を信じてあんでるせんに行く人が増えている。
その種を撒いているのはマスターだ。
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ガチのマジックバーにはそんな無粋なものないよね。ちゃんとした技術一本で見せているから、そんな権威付けは必要ない。
有名な人が来ている=これは本物だすごい、と思わせる。マスターがマジックに対して自信がない証拠だ。
出ないんじゃなくて、出られない。
マスターが見せているマジックは陳腐でテレビに出られるレベルではない。
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マスターにはマジックに対しての真摯さが伝わってこない。マジックへの冒涜だ。
市販のマジックばかりで、技術が必要なクロースアップマジックを取得する努力もしていない。
ネタには考えた人がいる。マジシャンはそのネタを買って『マジック』として魅せる。
そのネタを四次元だとか前世だとかの仕込みに使われるのはご法度だと思う。
あんでるせんのマスターはマジシャンに嫌われていると言われている。
クロースアップアップマジックの中にはネタがわかっていても超絶技巧で何百時間練習してやっとできるものが多々ある。その努力をせず、わかりやすい小手先のマジックばかり見せ、大層な事を言う。
信者は金儲けではないといっている。喫茶店の飲食だけでマジックが見られる、と言うがなかなかにすごい金額。
800円以上頼まなくてはならない。
キャパは30。休みは次に2日。飲食だけでも月に696,000円。
ちゃんと稼いでいる。
あんでるせんを絶賛している人達に本格的なマジックを見せたらどうなるのかな。
マジシャンでもわからないネタを見せても、それでもあんでるせんのマスターを絶賛しそう。
マスターが発するうっすい言葉を受け取り、少しでもマジックが好きならわかるネタを見て、人生観が変わりました!次元が移行しました!衝撃を受け生まれ代わりました!魂をマスターに高次元まで引き上げてもらいました!
などと言う。レポートにはこんな危ない発言がお腹いっぱいになるくらいある。
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いきなりお客さんの名前を言った。
ケンケンさんが説明していたが、その場にいる1人の名前さえ知ればこのマジックはなりたつ。
マジックの前に飲食の時間がある。2ー3時間。その間マスターの奥さんが配膳などをする。
コロナで飲食提供がなかったときにも、始まるまで喫茶店の席に座り水の提供があった。奥さんが水をよく注いでくれた。
これはホットリーディングです。
30人のお客さんは待ち時間に色々話します。それをよく聞き、そのなかで確実に名前がわかる人を奥さんが聞き出します。
1人の名前だけわかれば良いのです。
マスターがいきなり1人の名前を当て、皆がびっくりしている流れで配偶者や彼氏の名前を紙に書いてもらいます。
紙に書かれたらマジシャンにはいかようにも知る手立てはあります。
少しでもマジックに詳しい人なら「紙に書いた」だけで警戒します。いくつも種があるから。
でも普通の人はマジックの流れで「紙に書いた」が記憶から消えているのです。その前の名前当てパフォーマンスで思考が停止して流れで紙に書いた両親の名前を当てられてビックリします。
素人のレポートには名前を当てられた、配偶者の名前も当てられたと書かれています。
マジシャン、もしくはマジックに少しでも詳しい人のレポートには名前を当てられた人がいる、次にマスターは「紙に配偶者や娘の彼氏などの名前と生年月日を書かせる」と書かれています。
この違いが大事なのです。
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たぶんこれを発信しても本当に届いて欲しい人には届かないだろうな。
対人コミュニケーションが苦手な発達障害者がITエンジニアに活路を見出すパターンは多い
発達障害を扱ったウェブサイトでもエンジニアや芸術家が向いていますと言われるからな
流石に芸術家は食っていく上では非現実的なので、必然的に求人が多くホワイトカラーでそこそこ儲かるイメージのITエンジニアに流れるって話
連中の中には異常な集中力を発揮してプログラミング技術に特化するやつがたまにいる
だが現実的なチーム開発ではそもそもそんな超絶技巧など出番がない
現実のサッカーの試合でリフティングの超絶テクニックを使わないのと同じだ
昔の人権無視の3K労働時代ならいざ知らず、現代ではITの開発現場もだいぶ働き方改革が進み、
普通の人が普通の集中力で普通の量の仕事を分担してこなせば終わる仕事がほとんどになってきた
現代の開発現場で発達障害者のアドバンテージとされる特殊能力にはほとんど需要がない
一方で発達障害者の苦手分野である対人コミュニケーション能力の価値は些かも衰えない
気軽に話ができる雰囲気作り、自部署や他部署、自社や他社のステークホルダーと友好的に話を進めるための根回し、情報収集能力
発達障害者がエンジニアを目指したところで、現実には段々と能力不足で疎ましがられる機会が増えていく
こうして窮地に追い込まれた発達障害者は保身のためにチームに害をなす戦略を取りやすい
情報の囲い込みとは自分が得た情報をあえて出し惜しみして自分を情報の出所として位置付けることで、チーム内での価値を高めようとする戦略のことだ
当然必要な情報がチーム全体に行き渡らなくなるのでチーム全体のパフォーマンスの低下を招き、トータルでの生産性が低下してしまう
2つ目のマウティングはチームの他メンバーの仕事にダメ出しをすることで相対的に自分を優位に見せかけ、重要性をアピールしようとする行為だ
例えば設計レビュー、コードレビューでの些末な指摘や部下へのマイクロマネジメントなどだ
重大な問題提起であれば必要なことだが、発達障害者の場合は自身の無駄に発達したプログラミングスキルをテコにした枝葉のこだわりに過ぎない場合が多い
こうしたマウンティング行為はチームメンバーの士気を低下させ、チーム内で軋轢を発生させることでこれまた全体の生産性を低下させてしまう
要するに発達障害者がエンジニアになると、人付き合いが苦手なので自分のスキルを高める職人方向に向かいがちだが、
現実のITビジネスの現場では発達障害者が好む職人的な拘りなど対して価値がなく、
脚本家が伏線張って史実に合わせて回収する自分に酔ってるのが見えちゃってるのが悪いところだと思う。
「どう俺?史実とも整合しててすごいでしょ?」とドヤ顔してるのが見えるのがキツい。
その超絶技巧()を見せつけるために大河の脚本を書いてるからオナニー見せられてる気分になってくる。
しかも早漏で伏線→回収を繰り返し過ぎで伏線の価値も下がって、「あーまたこれですか」って気分になってくる。
伏線を安売りせず、もう少し溜めて経緯も丁寧に描きながら「なるほど!一本取られた!」ってなる方がいいと思うんだよね、特に大河は1年かけてやるモノだし。
ただ、最近流行ってる(?)伏線回収モノが好きな人は伏線を溜めるとその間に飽きて離れるからこの早漏ペースも仕方ないのかもしれない。
ただでさえファンタジーすぎて従来客が離れてるから、新たに開拓しようとしている現代的な伏線回収モノが好きな人を繋ぎ止めるにはこのペースで回収を続けないといけないのかな。
アマプラで昔のアニメばかり見てるが、なぜ今配信されてるのかというと、何周年記念だったり新作アニメ・映画が出るからだったりするんだな。
音楽系アニメが多く作業BGMが増えまくったアニメ視聴だった。今回もまた知らなかった作品と縁ができた。見るものがなくなったらニカ姉とグエルのポケモンでも見る〜?