はてなキーワード: 身体障害者とは
ご、ゴミー!
昨年に5ちゃんねる上でこんなやりとりがあった
A「(暇空によって福祉団体に)更なる火種か 社会の闇を次々暴いていくの凄いな 」
B「暇空が放火して回ってるだけじゃんw 最早社会の害悪レベルだよw 」
Bの方が暇空に開示請求され、ザンギエフと名乗って開示請求の情報集めをするようになった
一度目は開示に同意するか否かを非請求者側が選べ、ザンギエフは拒絶し、開示されず
二度目に情報開示命令申立が行われたが、法テラス経由の弁護士が無償でザンギエフを弁護、やはり開示されず
暇空は開示が成功したらザンギエフの情報を公開すると宣言しており、脅迫を繰り返しているので多分通りはしない
暇アノンが堀口くんに敗訴した時に暇空は介入するために横から8回ぐらい申し立てをして全部却下された
却下されたといってもそれだけ裁判は長引くし相手の時間や金が消費されるので嫌がらせとしての効果は高い
ザンギエフ相手にもこれから無限リーガルハラスメントが行われる恐れ
ザンギエフ相手の暇空の弁護士は小沢一仁で、石川優実に無惨に負けフェミに一矢報いたい思いから暇空と結託したが
俺身体障害者なんだけど
おじさんはいくらでも叩いていい、気持ち悪い生物だって扱われんだな
40になるまでこんな扱いされるなんて知らなかったよ
自分の家とか友人コミュニティに閉じこもってればキツくはないんだけど
買い物とかで外出ると4回に1回は嫌な思いするわけ
普通の人は知らんでしょ
店内で女の人に「障害者は障害者らしく遠慮してろ!」ってキレられたわけ
もちろん店の人は知らんふりよ
流石に車で泣いたわ
それ以外でも電車降りた時に突き飛ばされることが多くてさ
もう怖くて満員電車も乗れんくてな
荷物引っ掛けられて転んだりな
怖いから右に立ってると、無理矢理押し通られるんよ
エスカレーターも怖すぎて最近はエスカレーター譲るようになったわ
おもしろいよな
エスカレーター譲るってなんだよ
感情のリミッターが外れるみたいなんよな
こいつは悪いヤツだから何してもいいってな
そういう考え方とスペースやリソースを余分に取る
もう何してもいいってなるみたいなんよな
俺はXとかインスタやってねえからわかんないけど
多分俺みたいなのはソーシャルネットワークでも救われない
(そこそこ長いので、さっさと結論の説明してほしい人は本論まで飛ばしてください)
僕はブラック企業で追い詰められて精神科に通い出した、典型的なうつ病患者。
手帳も貰ってるよ。
3級だからポリコレカードバトルだとあんまり環境に刺さってないけど。
会社に行くために電車に乗ってたら突然心臓がバクバクし、まだ秋口なのに全身に悪寒が走り手が震え出した。
近くにあった神経科のクリニックに行くと「新しい環境に馴染めないストレスから出た自律神経失調症」と診断された。
その日から会社は週に2回勤務できたら頑張った方で、基本的に布団から動けない。
動かないんじゃなくてな。
幸いにも手首から先と腰だけは動いたので、トイレに行って戻ったら寝る、そしてまた起きてトイレに行くの繰り返し。
手が震えて×ボタンが正確に押せねぇから広告の嵐を呼ぶジャングルよ。
いやお前らの言う事は分かる。
全くもってその通り。
日光浴してランニングして筋トレして風呂掃除してお湯張って浸かればうつは軽減されるだろうな。
毎朝6時に起きて日光浴して、9時から18時まで、残業も考えたら20時までかな。
それで退勤してからジムで汗流して入浴をこれから数年間続けられる?
あ、出来る人はここでお帰りください。
あなたは強い人なので、弱者の事は気にせず元気に幸せな人生を歩んでください。
比較的マシな日に、どうにかこうにか顔洗って身支度して、さあ出社しようとしたらな、
いや理屈では分かるよ、鍵開けてドアノブ回して前に押し込めば開くよな。
MAXの力を出してドアノブに手をかけたまではいいんだけど、次何すれば良いんだっけってなっちゃうのよ。
そのうち頭が真っ白になって30分以上そのままの体勢を取り続ける。
なぜならもうこれ以上、思考と行動のための脳のリソースが無くなっているから。
全力で100m走ってる人は「ユニフォーム汗でビチャビチャやから後でシャワー浴びよ」なんて考えてないでしょ?
そんな事してたら当然クビだわな。
そりゃそうだ、週に2回来れるか来れないかの人間雇う余裕なんてないもんな。
そうなると、元々少ない給料が無くなって、貯金残高がみるみるうちに減るわけだ。
自立支援医療とかのおかげで病院代と薬代は1割負担になったけど、それ以外の生活コストは減らせない。
自炊して食費を削る?
じゃあ生活保護貰うために役所のどの受付に行ってどんな書類書かないといけないのか、何を提出すればいいのか調べて思考しないとね。
「止まない雨はない」に対して「今降ってるこの雨が耐えられないって言ってんの」状態なんだよ。
僕だって何かを変えようとして、インフォームドコンセントを目的に神経科から精神科に移ろうと初診の予約で電話したよ。
そしたらどの病院やクリニックでも「最短でも1〜2ヶ月後になります」って言われちゃうもんな。
明日の事も考える余裕がない人間が明後日より先の事考えられるワケねぇだろ!
僕の場合は地元の先輩が心配してくれて、引越しの手伝いから生活費を援助してもらったりなど、生きるために必要な事をほとんど支援してくれたから今生きてるけど、大半のうつ病持ちはそんな都合の良い人居ないわな。
引越し先でようやく精神科に通ったら即うつ病認定されて、手帳の交付に必要な診断書とかの支援もしてもらえた。
手帳持ってると便利だぞ、電車の路線によっては半額で定期券が買えたりするからな。
そんなこんなで療養期間を設けて、何とか非正規雇用だけど雇ってくれるところを見つけた。
障害者雇用枠の求人と合わせて200社くらい受けて、9割以上は書類選考で落とされたけどな!
そう、障害者雇用枠における精神障害者の割合は身体障害者の半分以下なのである。
なぜならオフィスをバリアフリーにする等、身体的に関わる問題を解決すれば中身は健常者と同じなのでちゃんと働いてくれる。
しかし精神障害者は朝起きる瞬間まで出勤できるか分からないし、出社しても仕事が大変だとやれ「早退します」だの「身体が動かないので休ませてください」だのカスみたいな事を言い散らかすからである。
僕の場合は「雨が降ってて気分が沈んでいるので休みます」と連絡したのが1番パンチの効いた欠勤理由だったなぁと思う。
これで僕は「障害者と健常者、両方の性質を併せ持つ♡」というヒソカ状態になった。
勿論、就職が決まったからと言ってうつは治ってくれないし、手足の震えも止まらない。
様々な抗うつ薬(うつエアプ勢が分かりやすくする為にまとめて「抗うつ薬」として表記してます)や、普通はパーキンソン病患者に出す震え止め薬を通常使用量の3倍近く常飲し、急な不安が湧き出した時用に頓服の薬も処方された。
軽い運動や入浴など、どんなにセルフマネジメントを重ねてもダメな日はダメなのである。
職場にたどり着く事がまず困難なのに、仕事なんてできないわな。
「いやお前ガイジなんだから普通の人と同じ生活なんて出来るわけないじゃん(※超意訳)」
って言われた。まさに然もありなん。
前置きが長過ぎて既にページ滞在率は激減してると思うが、同じ精神疾患の人にはあるあるネタとして、シンプルに興味を持ってくれた人には感謝として本論書きます。
もう30%は寝てる時間なので何もできません。
人生の自由時間が30%以下なんてどう考えてもおかしいでしょ。
しかも若いうちに取れる自由時間は少なく、本当に自由を満喫できるのが65歳になってからなんて嫌すぎない?
ナウル共和国見てみろよ、生きてるだけで国からお金もらって公共料金全部タダだぜ?
(当然その姿勢が問題になっているのは承知の上で、国や人によって仕事の捉え方って違うよねって話です)
趣味に没頭するために、お金を稼ぐ手段として仕事をしている人も居るでしょう。
何年も無遅刻無欠席で出勤する。
それらをこなしている時点で、少なくとも僕は「貴方は狂ってます」と言います。
だって僕は趣味や好きだったことが全部できなくなったからです。
料理が好きでした。
自分しか食べないものを作る気力が湧かないから全部冷凍食品にしました。
編集画面を開くどころかパソコンの電源ボタンに触れることすら激減しました。
人生の意味なんて人によってあったりなかったり全然違ったりします。
でも意志がなくなってしまうと、もう何もかもができないんです。
毎日「通勤電車にジョーカーが乗ってきて銃で瞬殺してくれないかな」と思ってます。
「心という器は、ひとたび、ひとたび ひびが入れば二度とは 二度とは」
きっとその「何か」が漏れきった時、僕は押入れにしまっている縄と子供用プールを広げる日が来ると思ってます。
会話が繋がってないな
トランス女性は女性オリンピックに出るべきではなく、身体障害者におけるパラリンピックのようなものを作りそちらに出るべきという話だったから
もちろん被支援者は「ありがとう」を発することに、より正確にはいちいち他人の手を借りなければならないことにストレスを感じている。
でもそのことが問題になるのは例えば災害被災者のようなケースだ。
機能回復の見込みがない身体障害者は、そういうことについてはある意味覚悟ができている。乙武洋匡の図太さとかあっけらかんとした態度を見よ。
バリアフリーにまつわる事案は、基本的に銭勘定と技術マターだ。「ありがとうと言え」とか「ありがとうというのも辛いんだ」とか、そんな枝葉末節の感情的要素ばかりに着目する意味がない。
なんでも善悪や感情の話にしてしまう、悪しき心理化のパターン。
そもそも我々みんなが現代文明の技術によって生かされている。助けてあげる側・もらう側などという別は存在しない。
「誰かが騒いで闘わないと何も変わらない」とかいうたわごともバカの口に膾炙しているが、化成肥料の製造技術は弱者のために闘って勝ち取ったものではない。軽い車椅子だってそうだ。単にニーズに応えて優れたものを作ろうとして作っただけ。
車椅子で不便したというインシデントがあったらじゃあ具体的にどうすればカイゼンできるのかなと考えるべきであって、誰かを吊るすことしか思いつかない能無し正義マンはお呼びじゃない。
車いす使ってる身体障害者が映画館で拒まれたからぴえんして炎上の延長線をあちこちでわーわーやっとりますが
車いす使ってる人は介助されたら「ありがとう」って言うのが当たり前だろって話から
車いす使っている人に「ありがとう」を強制する社会はよくないって話になって
車いす使っている人は「ありがとう」を言わなくていい!までエスカレートして
その理屈が健常者は日常生活を送る中で「ありがとう」を言わないだろうとか
自分はお店で親切にされてもサービスなんだから「ありがとう」を言わないとか