はてなキーワード: ダサピンクとは
富士通が昔出してたキティちゃんパソコン、トップの部分だけとってつけたようなピンクにしてて他はFM-Vの黒い筐体で超絶ダサかった
ださピンクってのは、別にピンクである必然性がないアイテムを女性向けに売り出す時点でピンクにしようって安直な発想のことを言うのであり、バービーはもともとピンクがイメージカラーなんだからピンクでOK。(ダサピンクの対義語としてイケピンクってのもあり、あえてピンクを選ぶのが正解でかっこいいケースも当然ある。)
昔は流行色ってのがあって、その色を身に着けてればOKって時代もあったけど、今は特定の色が良いとか悪いとかはない。
特定の色が悪いのではなく、そのアイテムにふさわしい色から外れたり、組み合わせがおかしかったり、使う面積間違えたり、TPOにかなってないとダサいって判断になる。
そいつは人懐っこい性格なのか、たまの帰省でやってくる見知らぬ俺にも触らせてくれるいいやつだった。
猫を挟んだ母との会話も自然、その子の話が中心となり、母は楽しそうで。俺の代わりというよりはもはやかつての俺以上に猫中心で暮らしているんじゃないかと羨ましかったり、母を頼んだぞといった気持ちでいた。
そんな愛の独占者からはじめてプレゼントをもらったのは数年前のお盆だった。
まだ暑い季節。築50年は超えてると思うボロい実家。猫類から人類への贈り物はGだった。Gの死体だった。
フィクションだけの話だと思っていたが、まさか本当にGを咥える猫がいるとは!
俺はGが大嫌いで、ボロ屋で毎年Gが出ても一目散に逃げて母に退治を依頼する軟弱ボーイだった。視界から外れることの方が恐いがそれでも目視も耐え難いので丸投げ一択。依頼して外出だ。一人暮らしをするときも何が一番不安だってGが出たときに一人で対処しないといけないことで恐怖に震えていた。まあガチガチに対策してなんとかシャットアウトしているのだが、毎年夏は憂鬱になる。
閑話休題。
当然俺は飛び起き距離を取り母に報告して玄関で爆発物処理を待ったのだった。
また余談なのだが、俺にもわずかながら彼女といふものが居た期間がある。軟弱学生ボーイだったころだ。そして軟弱学生独りよがりボーイでもあった。
今でも4℃やピケ、ダサピンク、サイゼリヤ問題などの話題が盛り上がるとチクりと胸が痛むのだが、そう、俺は初めてプレゼントでどう考えても喜ばれないアクセサリーをプレゼントしてしまったのだった。当時はそれが彼女に似合うと思っていたんだ。本気で。俺は頭がわいていた。舞い上がっていた。独りよがりボーイだった。
当時これはイケると思ったプレゼントは思ったより喜ばれず(露骨に嫌がられなかったのは感謝しかない)、それが原因じゃないにしろなんだかんだで別れてしまった。
Gをくれた、人の心がわからない哺乳類モンスター。それでも俺はあのキャットが嫌いではなかった。なんせ猫は猫であるだけで愛らしいのである。
一方、人間のやらかしプレゼントは被害甚大だ。俺がGの死体を笑顔でプレゼントしたらその人は俺と絶交を返礼してくれるだろう。あ、爬虫類飼ってる友達はGが餌とか言ってたけど。それでも人to人じゃ喜ばないだろう。
Gを贈られても愛される。猫ってすっごくズルくないか?あるいは人が猫に寛大すぎないか?
人が喜ばないプレゼントを贈っても苦笑されつつ許されるような、そんな猫のような人に私はなりたい。できればついでにあのときに戻ってプレゼントを選びなおしたい……。
なんてことをつらつら考えていた。なぜ今そんなエピソードを書いているかというと、明後日の帰省のときにはもうそいつは居ないからなんだな。Gをプレゼントしたあいつが居ない実家は寂しいなと感じているので、やっぱり猫はズルいよな。
少年院のガキどもにしょーもない字謎噺を聞かせているのをTVで観た。
字謎というのは「人という字は人と人が支え合ってできてる」のたぐいの字源俗解講釈のことだ。
すれっからしの触法少年たちはそんな説教臭い話に興味示さないかというと、否。大いに感動していた。
それが悲しかった。
頭が悪いほど、教養がないほどそういうインスタント感動話が好きなものだ。すぐ感動して、すぐ忘れる。そしてまた何も考えずに誰かを傷つけるだろう。
ネグレクトの犠牲者のガキどもが骨の髄まで大人に利用されている光景。
話変わってバスカフェにダベリにくる「要支援若年女性」ってどういう層なんだろうか。
あの、ひとをバカにしたようなダサピンク空間にいらっしゃいと言われてノコノコやってくる層とは?
むしろそういうのが本当に危うい境界知能発見フィルターになってるのかもな。
でも普通に考えて、「困ってるけどあんな気持ち悪いところに行けるか」という子も多かろう。
アウトリーチっていろいろ手を変え品を変えやってみなければならないもの。
予めこれと決まった形の受け皿を作ってしまって来たいやつだけくればいいというのは無駄に選別性が高い。