はてなキーワード: 二面とは
非常に長文です。読み辛ければ申し訳ない。
昨日、個人の意見や感想が身近な上に大量に見られる現代で、情報の取捨選択ができず、それらの大量の他人の意見に沈黙できないのは病的だ、と書いている人を見かけた。
はっとして、そしてまさに自分のことだ、と思った。
自分は、自身の考えを第三者の前で表明しないと自身が歪んでいくようだと思い込むようになって久しい。
表明する内容も、ジェンダー論や人間性の話など、答えの無い人それぞれ考え方が異なるものばかりだ。
そんなことを発表せずとも幸せに生きている人は多くいるにも関わらず、自信を省みるともはや強迫観念の域に達していると自分でも思える。
「あくまで自分は」を常套句に、ネットの海に放り込まれた誰へ向けるかも明確ではない見知らぬ人の呟きに対して「自分はこう思う」と表明し続けている。
今思うと、今まで表明してきても良い反応も悪い反応も帰ってこなかった。
周りの一生懸命に真っ当に生きて人生を楽しんでいる(ように見える、きっと苦労も経験してきている)人たちは、そんな表明をせずとも健全な精神を得ている。
自分は、交流があまり無い人や関係が続いている親しい人からは元気で親しみやすいと言われる。
場が沈黙するくらいならと、自分から話し始めることは当たり前。
一人での旅行は当然楽しめるし、初めてやる仕事の教えを乞いに上司に声をかけることもどんどんする。
そんな陰キャにしては歪で悩みの種の一因でもある自分の性格を形成する根底にあるものは、家庭環境が大きい。
両親が家にいる事は少なく、父親は仕事で別に住居を構えており、電話もメールも年に数回するかどうかだった。
母親は子育てをしながらも家事を全て一人でこなし、子供の手間が減ってからはパートタイム程度に留めていた仕事を夜勤有りのフルタイム勤務に切り替えた。
上のきょうだいが居るが、訳あって母を伴い施設や病院に行くことも多かった。
そして、五体満足な自分が一人。
自分は基本的に家では一人のことが多く、家に母親が居ても人を呼ぶ余裕など当然無い。
でも小学生の頃の自分は、記憶が曖昧ながらもそれらに悩んだ記憶はあまりない。
なぜならそんな自分には何も与えられなかったわけではなくて、小学生の頃にパソコンを買い与えられていたからだ。
みんなは携帯やスマホで家に帰ってからもゲームをし合っている。
撮った写真をすぐにSNSに載せて、それに反応をして笑っている。
中学生の自分は学校でそれらが行われているのを見ているしかなかったが、急いで家に帰ってパソコンを付ければその輪に自分も加わることができた。
そのためか多少不便を強いながらも自分をハブるような友人はおらず、楽しい生活を送ることができた。
関係がほとんど自然消滅していった今でも、当時の友人達には感謝が尽きない。
問題はその後だった。高校時代から陰りが見え始め、交友関係に失敗する経験をし始めるようになった。
高校生になってしばらくしてから電話機を買い与えられたため、問題はそこではなかった。
きょうだいは居ても、母親が居ない時は部屋が別なのもあり最低限の必要な会話しかしない。
誕生日も年齢も電話番号も覚えていないくらいに関係の薄い父親。
家族に話しかける機会があまりなく、また話しかけた時に相手が迷惑だと考えることを意識してしまい、最低限の会話しかしなくなった。
そしてそのうち、話さないことが当たり前になり、自分も家族への興味が失せてしまって、それ以降話すきっかけを取り戻せていないのを今でも明確に認識している。
家庭での居心地の悪さを自覚しているなら、中学生の頃のように自分から行動を起こせばよかったのに、その発想は頭に浮かばなかった。
家族であるにも関わらず、邪険にされない楽な方へと逃げて、結果的には家族を見捨てたようなものだ。
腹を痛めて産んだ実の子供を邪険にする母親がいるにも関わらず、自分の母親は素っ気ない実子が生きるためにとてつもない努力をしていた。
きょうだいとは喧嘩する事はあれ、きょうだい自身は普通のレールを歩めない体であるにも関わらず心の余裕を持ち、こちらを邪険にすることはなかった。
それらを見てきたのに、自分は自分自身した行動で残った事は、何も行動を起こさず逃げたという事実だけだった。
そんな流れで、学校以外で人と会話をする機会がほとんどなくなった。
家庭で静かに一人で失敗をして学ばず、その孤独感から本ばかり読んで人間関係を学んだ気になりそれを実践していた声の大きい自分は、学校の友人達はさぞ面倒な相手だったことだろう。
鈍感で距離を取られていることに気付かず近寄ってきて、意思のキャッチボールができず一方的に話すことを対話だと思い込んでいて、小説では省略されるリアルの付き合いで起こるやり取りが円滑にできない、そんな人間が煩わしく思われるのは当たり前のことだ。
それでも周りの人達は直接的な何かを言ってくるわけでもなく、それとなくいつものメンツからは省きながらも、さまざまなグループに属する人達がちらほらと自分と浅い付き合いを続けてくれていた。
10代の頃から、10代の頃でも、周りの人達は頭を使い、時にはぐっと我慢をして自分のような化物をいなしながらも人間関係の折衝をしていた。
自分はずっと気付けておらず、当時を振り返って自分の察しの悪さと無神経さを心から反省できるようになったのは社会人になってからだった。
こんな歳になってから自分の愚かさがわかったってどうすればいいんだよ、と思った。
一人で旅行をしても楽しめるのは、目的意識がありそれが一人である必要があるというわけではなくて、一人だと好き勝手できて気楽だから。
周りが緊張している中でも率先して話せるのは、他人の感情を軽視し興味を持てていない無神経さから来ている。
そして悩みに悩んで失敗し続けて今も絶賛落ち込んでいる人間関係の軋轢を作りがちな原因は、自分が人生の中で選択してきた間違いを間違っていると認めるどころか認識すらしてこなかった思い込みの強さと、視野の狭さと愚かさだ。
この日記の冗長さだって、きっと自己保身をしたい気持ちから来ている。
自分を形成しているものがこんなにも身勝手で出来上がっていること、自分自身ですら他人から煙たがられて当然だと感じていることに、今までの人生はなんだったんだと足元が崩れていくような感覚がしている。
自分の自己肯定感が薄く、でもそれをカバーするように間違いを疑わないほどの思い込みで自信を保ち、それを全世界に発信して非難を受けない事で認められたと思い込む。
初対面で自分のことを元気で親しみやすいと感じただろう人達が、その後親しくなっても半数以上に軋轢が生まれ険悪なまま別れることになるのは、相手が誰であれ、こちらのファーストインプレッションと異なる偏りすぎた二面性とそれを隠さなくなっていくことに幻滅したであろうことは確かだ。
家族ですら放り捨てるようなコミュニケーションの取り方、距離感を掴むのが上手くないのに一方的な形で距離感を操作しようとして不安にさせてくる行動、「あくまで自分は」と言って予防線を張りながら自分の偏った意見を非難されないように堂々と述べる。
これをされて、なぜ相手が親しみを感じて喜ぶと思うのか?
さらにそれだけではなく、ただ相手を不安にさせるに留まらず、それを行なった自分自身もそれらの行動に対し利点がほとんどなかった。
その場その場で一時的な自尊心は満たされても、継続しないから自分の立場は悪くはなれど良くはなっていかない。
本で見たような、親しい友達と特別な関係を持ち合い楽しく過ごしたいという自分の理想を得るための行動とあまりにも乖離していることにやっと気付いたのだ。
目標もなく結果も出ない行動は、本当に無益どころか無駄でしかない。
どうしたらいいのかわからなかったが、より落ち込むとしても今までの自分の行動とその意図と、それに対して起きた周りの反応を振り返った結果がこの日記だ。
自分がこのままではいけないと感じ、ではどうするべきかと散々自分の失敗を省みて出した結論は「努力して愚痴を控え、愚痴を言う原因になる交友関係は広く浅くに留め、自分の成果に数えられることに挑戦する」というとりあえずの目標を持つことにした。
これは周りに迷惑をかけず、また他人から自分のことを深く意識されることも減らし、「また自分が同じような失敗をして落ち込まないために自分自身を見つめる必要があるでしょ、またいずれ誰かと深く交流することもあるかもしれないでしょ」と自分に言い聞かせ、自分自身が認められるような形で自分の価値を上げ、自分に合っていそうなその過ごし方に慣れて、余裕のない自尊心の低さからくる失敗をする自分から離れるための挑戦だ。
自尊心が低く余裕がないと、自分を最優先で守ることに固執し、脇目も振らず逃げを選ぶことになって、手元に残るのは周りに不快をまき散らし逃げ回った自分だけだったのは結果が物語っている。
そして徒労をする度に落ち込み、自尊心はどんどん低くなっていくのだ。
孤独感は感じても、自分の言動が人と深く交流することに向いていないのであればその先は失敗しかない。
深い仲の人がいなくとも問題なく生きていける世の中で、それを利用して自分を見つめ直す事ができることを心からありがたいと思う。
もう遅いのではと感じても、生きていくのならば必ず自分のような意志を持った誰かと関わる必要があり、その際に失敗が減ることで友人関係を長く続けられるという経験はいずれ自分の心に余裕をくれることになるのではないだろうか。
「匿名でない自分自身が皆の前で堂々と考えを表明する」ことに固執していた一人の人間が自分の視野の狭さや醜さを認め、自分が変わる挑戦の最初の一歩として、匿名でここに残させてください。
がむしゃらに書き殴ってしまった長文にも関わらず、反応ありがとうございます。
自分はまさにこのような自分は〜だけどといった不必要な主張を、匿名でもない趣味のアカウントでしてしまっていたんですよね・・・自分のことを腫れ物だと考えている人はきっと多い。
自分のための会話ばかりして長文でお気持ちを吐いてしまう所は直したいと強く思っいます。
保身ばかりを考えた会話や主張をせずとも胸を張って生きられるように、この日記以降は吐き出す習慣を無くし、感化されやすい情報の多いSNSを見る時間を減らすなど少しずつ環境を変えていくつもりです。
コメントを読んで、慰めてくれる方や汚点をスルーして付き合いを続けてくれている人達をこれ以上幻滅させないよう意識していこうと思いました。
コメントでご意見をくださった方々、本当にありがとうございました。
0313 花と名無しさん 2024/08/14(水) 05:14:01.24
少女漫画の絵が白くて(または極端に黒くて)冷たい感じがするのは
ルッキズムや自己陶酔じゃなくて「ゆめかわいい」絵がベースだからである
本当はリターントゥオズみたいに温かみや感触萌えの表現もできたりする
少女漫画の絵に攻撃性がないのは、似非平和風の雰囲気に酔ってるのではなく
バトルの描けなさに酔っているのでもなく、女体に触り男に敵意を抱く男読者を読んで話を脱線させないためだ
プリキュアが「ごっこ=メタっぽい動きで」アクションして「浄化」する形で敵を倒すのも攻撃性がNGな理由が分かりやすい
オールバックやハゲが醜いと思ってるんじゃないし、頭の形が描けないのを誤魔化してるのでもないし
老人が皺入れた若者なのは画力がないんじゃなくて老人の中身が若者だからである
平成の少女漫画でもやぶうち優みたいに口の中にピンクやトーンを塗って歯だけを白くくり抜く表現もあったりする
口の中を描いちゃ駄目なんじゃなくて
オーラルセックスを想像させるネチョネチョした口内を描いちゃ駄目なんだと思う
「※ちゃんと笑ってます」と分からせて叙述トリックみたい表現にしないためである
作り笑いなら口は笑ってるのに眉毛がこわばってたり、苦笑いなら笑いながら汗をかいてたりする
相手を惑わす魔性、二面性は女の魅力だがそれは男向けの萌え漫画でしか描けないのである
少女漫画で感じてた違和感が実録?のエッセイ漫画で叩かれ出したのが嫌だった
ちむどんどんみたいなDQNしかいなくて共感できる人物がいない作風はオタ向けで多かった
女児向けでもおねがいマイメロディがこの作風じゃなかったか
マイメロとふたご姫は恋愛以外の社会問題のほうが印象に残るのに恋愛の話しかしないゆとり共が腹が立った
ID:/be4D89f0(1/4)
匿名であることは、自由に意見を述べる機会を与えてくれるが、同時に無責任な発言が生まれやすい環境でもある。
匿名性がもたらす二面性であり、利用者はこの点を理解しておく必要がある。
自由な表現を楽しむ一方で、自分の言葉が他者に与える影響を考慮することが重要だ。
自分の考えを整理し、筋道を立てて伝えることで、他者に理解されやすくなる。
匿名の日記では、他者からの批判的な意見や、時には非常識なコメントに直面することもある。
これを避けることは難しいが、建設的な意見を見極め、自分の考えを再評価する機会とすることができる。
普段は意識しない感情や考えを言葉にすることで、自分自身をより深く理解することができる。
書くことは、物事を深く考える機会でもある。
表面的な事象にとどまらず、その背後にある理由や意味を探ることが求められる。
はてな匿名日記は、自由に考えを表現し、深く考えるための場である。
BNA ビー・エヌ・エー
ゾンビランドサガ 1期
アニメーションのクセは思ったほどなくて、OPラストだけ苦手だったけどOPのほかの部分は大好き。
「少し泣く」ってこの漫画だったのか!と、いいシーンなのに笑ってしまってカナシス。
私は老人・師匠キャラの同窓会展開が好きなので、3人が会する場面が一番好きかも。ポセイドンも悪イメージずっと付かなかったね。まあずっと高校の質が下がってると繰り返し言われ続けてて同情票集まったし。デビル拾う器量が質の低下から来るものかもってのも物悲しい話です…。デビル、よかったよ。こっちも短期間でえらいことになってます。
アニメもキャラも話も面白かったけど、根本的にこの手のお話って苦手なんですよね。この作品ってもの凄い才能があるけどそこそこ卓球が上手いでとどまっていた二人(それも親友!)が本気で努力したら超短期間で最強になるってお話じゃないっすか。年一大会・高校生ってそういう短期間にしなきゃいけないんだけど、それでもやりすぎだよなぁと思っちゃってキャラ愛の障害になる。似た作品ですきなのがはねバド!。あれもピンポンみたいにほぼ急に主人公最強になるから、作品は好きだけど主人公はそんなに…みたいな玉に瑕な評価に落ち着いちゃうのだ。キャラならやはりドラゴンも捨てがたいがオババの息子が一番になるか?
あとOPのような高まった後の二人が喋ったり入場するシーン欲しかった。
今石と吉成曜のネームバリューだけで見ちゃう作品。しかも色彩がいいよね!
んー…。面白かったよ。
アニメーションはグリグリ動くよりはメリハリと嘘で躍動感重視な感じ。トリガーみてんなぁーって気分。ちゃんと見た作品ないけど。
人並の能力プラスアルファで獣の能力といった人の上位互換みたいな獣人が居て太古からひっそり共存してたけど人口の差か現代でもめっちゃ被差別側に追いやられている、なんか変な世界。
そんな獣人のユートピアといわれる特区が舞台なんだけど…、ユートピアの理由は「獣人しか居ないから」。
…うーん…。それ、ユートピアじゃなくて隔離なんじゃね?人と獣人がちゃんと共存してこそユートピアじゃね?文明の発達で生存圏が入り混じったけど、動物園は動物だけだよって。言葉を選んで自然保護区と言い換えてもいいけどそれユートピアかなぁ。
都市も獣人ならではの構造にはなってなくて、ほぼ普通の人間用都市。ビースターズやズートピアの後に見るとガッカリするよね。そもそも獣人の姿になるのは威嚇に等しいと、みんな普段は人の姿で過ごしているから最初の祭りのとき以外、「獣人の街」感は皆無。
ユートピアの負の面も描きたいからか、話は基本、街の暗部ばっかり。ギャングに貧民、窃盗、賭博に宗教。先述の要素もあり良いところがほとんど描かれないから、美点が人(がいないから)に差別されないしかない。(ネットも規制されてるし)
よって獣人にとって大切な街、守るべき街みたいな根本のスタンスを共有できなくて、価値を感じない。人界の差別…もそこそこひどいんだけど、今も相当数獣人も暮らしてるわけだし…そっちでみんなでガンバったほうがよくない?とポリコレが進んだ現代視点で見ると思っちゃう。結局、人が居ない舞台設定にしたいだけの雑な設定に感じられて、獣人アニメとしてはそうとうガッカリだった。(さらにいうとほぼ主人公の人間視点・異文化の来訪者視点が欲しかったからだけの両種が居る設定に感じられた。世界は獣人オンリーでいいよ別に。)
話は結構好きだったよ。男女探偵バディものっぽい雰囲気でよかったし、「俺は間違わない」のカウンターにグッときたし。そういえば終盤のラスボスへのセリフは「すべての獣人は俺が守る」って感じの初期セリフを被せてくれたら皮肉にもなってなおよかったなぁ。これならなおよかった点は主人公のラストもかな。あえて街に留まる選択をしたわけだけど、ラストにSNSの誕生日おめでとう投稿にいいねするとか(中盤迷って押さなかった)、人間界に存在を知らせる感じで終われば、なお選んでここで暮らす感が出たと思う。唐突に獣人化して引きこもって密航して…って背景があるから、どうしても失踪した人の家族や友人目線を考えるとね…。こっちにきた親友のナズナだけが人間界の繋がりじゃないんだからなぁ。(私の獣人街の価値が低すぎて描写が無い家族の方が大事に感じてしまう)
あとこれも微マイナスなんだけど、本編内容にED曲が絡むんだけど、こういうパターンて曲がハマらないと話にも減点しちゃうのよね。曲が好きになれたら加点だけど。二人のあのキャラであの披露場面であの曲調を好きだったり選ぶのは微妙、かな。曲単体で嫌いってほどでないし。毎回ED見てたし。
話のオススメは野球回です。ゲストキャラの声優の演技のおかげで一番好き。絵は繰り返し多めだけど、聞いてるだけで楽しい。
1話15分で脱落。
ごめん、自分はこのキャラデザの目と口から感情を読み取ることができなかった。ずっと人形が喋ってるみたいで驚くぐらい感情がノらなかった……。
どちゃくそ面白かった。いや萌えアニメっぽいし期待値ゼロで見たんだけど、まさかこんな作品だったとは。
OP時点で3Dに驚いた。そして作中でもクオリティそのままですごい、本当にすごい3Dアクションを見せられて、本当にテレビシリーズでこれ見ていいの!?と不安になったぐらい。大満足。こういうアニメーションが見たかったんだよ。日常パートは、最初の干支言えない天丼やまたアキバかよみたいなのをグッとガマンしてもらえれば。そういうのはすぐ消えて、ハイテンポで止まらないスピード感のたたみかけで脳をやられた(デスデスだけは最後までガマンしてくれ)。やっぱ1、2話はこういう強いつかみが大事だよなと痛感した。メタネタ好きですし。中盤は流石に多少落ち着いて進行したけど、総集編すら楽しく見れた構成はよかったし、どうみても捨てキャラに見えた犬猿(猪)に作中で言及したときはコイツぁ信頼できるぜと思いました。
減点なところもあるんすよ。男人間やソルラル設定とか形骸化してるなーとか、人間界に集まってる部分ほぼ要らないなーとかの単純な人間非介入ほんわか干支争奪バトル話でよくない?だとか、ドラたんは覚悟してたけどピヨたん回ほぼ蚊帳の外の将棋回じゃん!(泣)とか。
にゃ~たんの「記憶喪失によるキャラ探し」も最初だけで、ほぼチュウたんのための逆算だよな。とか。
でも2Dの会話劇と3Dのアクション両方で高得点だされたら満点超えるよね。
モ~たんもそんな好きなキャラじゃなかったのに終盤の短い尺でめちゃくちゃキャラが深まる話ぶっこんだりで大幅加点に転じました。
あとはにゃ~たんの記憶喪失がねぇ。元々、飄々かつ深謀遠慮っぽい性格みたいだったから、フジリューの太公望と伏義みたいな記憶喪失後のふざけたキャラ込みの二面性があればよかったよねぇ。せめて衣装チェンジが欲しかった。昔の巫女風な服みたいな。デタッチドスリーブだけでも追加してくれれば…!
音楽もOPのイントロ、ED大好き。ソルラルチャージバンクもよかったにゃす。(EDのようにちょっとでもいいから毎回変化があると心のゴローさんが喜ぶんだよね)
聞いてね。
半分?12話ぐらいで脱落。
いい点。女の子が可愛い。褐色ワンピ可愛い。魔法ハッカー少女ロジカルかわいい。突然現れるランドセル少女で視聴決定(しかし以後出ない)。敵のエロさは…私、エロはわりとどうでもいい。
悪い点。ロボが活躍しない。
序盤はよかったんですよ。合体バンクがケレン味あって満足度ド高いし(毎回ロケット飛ばすの!?)。説明無し専門用語のラッシュも嫌いじゃないし。しかしいかんせんメインロボが出ない…そもそも設定がかなり迂遠…。
…Uターンしたら成功!と地方の人口維持みたいな目標設定なの。謎。宇宙人が敵じゃねーのかよ(宇宙人だけど)。
で、初期は唐突に手順2から始まって人類は監視して迎撃するんだけど(ファーストコンタクトは主人公の父親のロケット特攻で撃退できる弱さ)、以後はなぜかチャージ装置と小型ロボットが一体になって、手順1を戦いながらチャージするようになる。なので地上で制限時間までに敵を倒せ!に変わる。
主人公も巨大ロボのコアの小型ロボで戦うからかなりスケールダウンするわね。しかもチャージできちゃったら地上で戦ってた主人公は宇宙に行くのに間に合わないから…。実質地上戦が運命の分かれ道。一応2号ロボとかでカバーな話にはなるんだけど…。
毎回ガオガイガーがガイガーで戦って時間がかかったらファイナルフュージョンもせず敗北。みたいな。それって見たいか?
それを敵が敵幹部の覚醒のためにまず5回繰り返すことが確定する。5回は多いて…。しかも一人一話かと思ってたら一話で収まらなかったりで…ギブアップです。
地球に来たら即敗北の敵に一応、世界各国で防衛網は敷いてるものの…
日本の
種子島の
アースエンジンは地球製なの!?動力源は主人公が偶然手に入れた銃でしょ!?主人公が撃つまで動力源無しの置物だったの!?ヒロインの銃は撃たなかったんでしょ!?なんでそんなもんつくってんだよ!?
しかも弱いしさぁ!ガンガン格闘するような機体でもないですって!?
…うん、ダイガードでも見るかぁ。
しかも序盤にいい年した男女の恋愛駆け引きのやりとりを敵・味方2組でやるという謎采配。脚本がなにを考えているのかまったくわからない。
主人公も「久しぶりにあった友人にブーメランみせたろ!」っちゅう、17歳の高2にしてはちょ~と幼すぎるキャラで、全員中学生設定でよかったよ。無知ヒロインも魔法少女も中学生が適正だって。エヴァと交換しよ?
ED曲はめちゃくちゃいいんで。聞いて。後半変わるらしいしここで切ったのは正解か。
またボンズかぁ……………………。
これも色使いが気になった作品。
完走したけど、正直、視聴赤点を0.001点上回った作品。毎回「打ち切るか…」と思いながら見てた。
魔法・妖怪・超能力・ロボなどなどなど、常人を上回る力をもったものを超人と総称した戦後昭和な世界で、今と数年後の未来の場面を平行しつつオムニバスで毎話いろんな超人の話をする。
ボンズ作品なので、OP最後のような主人公の活躍を期待してはいけない。
超人になったからには・超人の力でなにをなすか。そんなテーマと向き合った各話の出来は、正直、よい。けっこうよい。基本は思想のぶつかり合いなので真面目にみてないとかなりわからなかったりするけど、様々なジャンルの超人が活躍するエピソードは面白くできていると思う。だから、余裕で視聴できる。
そんな各話横の出来はいいのだが、それらを貫く縦の物語、「超人課」に関してはうーむ…。やや停滞感が強い。エピソードと変化が弱い。
主人公は超人保護の意識が高く、(一応)普通の人間ポジション。
なのだが、熱血漢はわかるものの、それにしても口調が強い。結構強硬派な言動に感じる。
それでいて超人保護の実績・活躍はというと、それほどは芳しくない。あんまり上手くいかない。
頭脳・知識にしても親や上司世代が勝っているし、駆るロボは同僚の未来人が作ってあげたもの。腕の謎の力は解放したら家族同然の人に封印してもらわなくちゃならず、それら抜きでも普段の行動からかなり人を頼り(使い)気味。
環境に無自覚に甘えていて態度は強気、みたいに写ってしまう部分が多少ある。なんと表現すればよいやら。
適切ではないかもしれないが「THE末っ子」みたいな?ちょっと高慢にも見える態度のでかさだけど彼の地盤ってほぼ志だけで頼りにできるキャラじゃあない。
結局、終始主人公を好きになれなかったという話さね。
主人公が超人課を抜ける未来についてもビジュアル変化が薄いからぼんやりしてるとどっちの話?と偶になったり。一応敵対してるけど各キャラそこそこ普通に喋ったりと絶対的決別じゃなさそうだったりでフックなりえなかった。分割2クール前提のせいか1期範囲でいい感じにまとまるわけでもなく、あぁ、飛び出したけど結局仲間集めで頼り先作ってんなと覚めた感じになっちゃった。
魔法少女やアースちゃん好き。ジャガーさん好き。笑美さんすき。全体を通してやりたいことも多分わかる。各超人のお話も面白い。なーのーに、赤点ギリギリ。超低空飛行。なんだろうかあえて言えば、「全体を通してやりたいことも多分わかる。しかし面白くはなさそう」かな。興味の部分への刺激が低い作品だった。
色彩についても特徴的ではあるが昭和モチーフのせいか薄暗い世界が続くので強い魅力にもならなかったみたい。
曲は…特に無し。EDだけ笑美さんの動きのためだけに毎話見た。
宮野真守だけでおつりが来る!!!!!!(宮野真守と三石琴乃の鳴き真似だけで満腹じゃい!!)
だからこんなパンチを1話から繰り出してくれると見ちゃうんだよね。
非常に面白かったです。
ゾンビ要素・アイドル要素、はぁ、特に加点もないけど、キャラとシナリオがよければよいのだ。
いや主人公のさくらちゃんよかったですね。方言よかったですね。初期のどやんす流されなんとか牽引する姿にグッときて好きになりましたね。最終回は思わず泣いちゃいましたね。受験に落ちた後の悟りさくらちゃんが一番好きです。
アイドルアニメは別に好きじゃないけど、彼女がもろもろ頑張るのを見るアニメとして視聴しました。もちろん主人公を活かす他のキャラの味付けも(ゆうぎりさん以外)よかったからです。(ゆうぎりさん以外)
…全体的によかったら特に書くこともなくなる。
たえちゃんもよかったね。会話中とかダンス中とか、絵が退屈・予想の範疇になりそうなときはたえちゃん見とけばとりあえず普通と違う動きが見れるので退屈しないですね。あれでいて練習もよく頑張ってたりほんわかしますね。
ヤンキーがリーダーになるのはびっくりしたけど、驚くほど邪魔にならずテンポを阻害せず進行したし、リリィは明るく不穏不満分子集団のいいアクセントだったしアイドル二人は普通にアイドルものしてたし。じゅんこのほうがやや好き。
曲。OP。SEが入るOPは問答無用で勝利なんすよ。「んみゃく」これ聞いて。さいつよ。しかもSE増えるとかたまんねぇ。それぞれのキャラが協調性なく好き勝手に歌ってる感じでよき。
作中のライブや曲は…マジメに見てないので特に無いかな。CMソングが一番好き。最初にライブで3Dになったときはそういうアイドルアニメをメタったネタかと笑ったんだけど、後からも普通にアイドルして3Dしててそこはごめんなさいしないといけない。
私は在日コリアン3世だ。
その事を幼稚園から小学生に上がる時に親に知らされた。生まれも育ちも日本で韓国には家族旅行で数日行っただけ。日本にも韓国にも特別な思い入れは無い。
事あるごとに韓国ガー韓国ガーと言って韓国籍の俺より韓国のこと考えてんなって思った。
ちょっと面白半分でネトウヨを釣るために反日的な書き込みをして見ると案の定顔真っ赤にして釣れて面白かった。そこから度々反日を装った書き込みを続けると辞められない。
前述した通り自分は日本で生まれ育ってるし日本に対して何の不満も無い。
もしかすると自分の中の潜めていた韓国人の血がネットで目覚めたのかもしれない。
2024年5月26日、静岡県知事選は自民党推薦の元総務官僚、大村慎一が勝利を収めた。この選挙結果は「劇的な逆転勝利」と報じられたが、県政ウォッチャーとしては予想通りの展開だった。ここでは、その背景とプロセスについて詳しく分析する。
4月初めに川勝前知事が辞任を表明した直後、大村は速やかに出馬を表明。彼は3年前の知事選でも自民党の対抗馬として名前が挙がっていたが、準備不足を理由に辞退していた。その後、彼は静岡県内の中東部政財界とのコネクションを築き、次の選挙に向けた準備を着実に進めていた。
地元紙は公示前から、大村が川勝前知事の4期目の間に自民県連を通じて影響力を強化し、次の知事選への布石を打っていたと報じていた。また、川勝辞任直後から、総務省に影響力を持つ自民党幹部が各市長に「大村を頼む」と直接依頼するなど、密接な連携が見られたという。
鈴木康友元浜松市長が出馬表明後、県内テレビメディアは候補予定者の人となり報道を開始。しかし、その報道内容は明らかに大村寄りだった。各テレビ局は大村のスローガン「オール静岡」を強調し、分断解消への決意を伝えた。一方、鈴木候補については、スズキ自動車の鈴木修会長からの支援を中心に報じられ、企業色を強調される形となった。
さらに、連日のように「今日は伊豆市の市長が大村支持を表明」「今日は伊東市の市長が大村支持を表明」「今日は島田市長が大村支持を…」というニュースが報じられ、県全域が大村を支持しているかのような印象を与えた。ここで県民は「次の知事は大村だろう」と確信するに至った。
浜松市のある県西部には大企業が集まっているが、県内の論調が形作られるのはテレビ局が集まる県中部の静岡市である。このため、多くの静岡県民は早い段階で大村の勝利を予測していた。
県内メディアは、選挙争点をリニア問題などよりも「県営浜松野球場建設の是非」に重きをおいて報道し続けた。大村は建設計画をゼロベースで判断するという白紙撤回もありという立場を主張し、県民VS浜松という対決構図が強調されるようになった。
今回の選挙は「県西部VS県中部」と報じられることが多かったが、正確には「浜松市VS浜松市以外のオール静岡」の対決だった。大村は県内全域の支持を獲得し、浜松市のみが鈴木候補の支持基盤となった。負けは確定的だったと言えるだろう。
日刊ゲンダイなどのタブロイド紙では4月下旬に自民党の情勢調査に基づき、大村が惨敗すると報じた。しかし、この調査は4月前半に行われたものであり、大村の知名度がまだ低い時期のデータに過ぎなかった。元副知事であった大村は、県民には「誰それ?」状態であったが、4月半ばからのメディア攻勢により知名度が急上昇し、4月後半には鈴木候補との差が一気に縮まった。この勢いを見た岸田自民党は、確実な勝利を見込み、大村への推薦を正式に決定した。衆院補選で三連敗して後が無い岸田自民党が、負ける候補者に推薦を出すはずがないのだ。
大村の選挙戦はさらに激化した。出陣式には現静岡市長の難波喬司が登場し、官僚出身のエリートとしての信頼感を強調。県西部での出陣式には、「Suzuki政治を許さない」と書かれたプラカードを持つ集団が応援に駆けつけ、強烈な鈴木康友批判を展開した。
リニア問題でも、大井川流域の島田市長に「川勝が作った県の専門部会を解散させるべき」と発言させ、リニア本工事の早期許可を公約とするなど、川勝前知事の方針とは一線を画す姿勢を示した。このように、公示前に穏健な印象を与えつつ、公示後には支持者・支援者向けにやや過激な戦術を展開するという二面性の戦略が奏功した。
前回の知事選で自民が敗北した際、自民県連は「次は必ず勝つ」と誓い、準備を進めてきた。川勝の失言を徹底的に攻撃し、彼の人間性を問題視するキャンペーンを展開。浜松市を含む施策も戦略的に抑え込み、対川勝の選挙戦を想定して準備を進めてきた。結果、川勝は思わぬところで自爆して対戦相手は別人になったが、その成果は相手が誰であれ、与野党対決の選挙において通用するものとなった。
総じて、大村慎一の勝利は偶然ではなく、長期的な戦略と綿密な準備、メディア戦術の成果であった。静岡県知事選2024は、まさに大村慎一のための選挙戦だったと言えるだろう。
2024年5月26日、静岡県知事選は自民党推薦の元総務官僚、大村慎一が勝利を収めた。この選挙結果は「劇的な逆転勝利」と報じられたが、県政ウォッチャーとしては予想通りの展開だった。ここでは、その背景とプロセスについて詳しく分析する。
4月初めに川勝前知事が辞任を表明した直後、大村は速やかに出馬を表明。彼は3年前の知事選でも自民党の対抗馬として名前が挙がっていたが、準備不足を理由に辞退していた。その後、彼は静岡県内の中東部政財界とのコネクションを築き、次の選挙に向けた準備を着実に進めていた。
地元紙は公示前から、大村が川勝前知事の4期目の間に自民県連を通じて影響力を強化し、次の知事選への布石を打っていたと報じていた。また、川勝辞任直後から、総務省に影響力を持つ自民党幹部が各市長に「大村を頼む」と直接依頼するなど、密接な連携が見られたという。
鈴木康友元浜松市長が出馬表明後、県内テレビメディアは候補予定者の人となり報道を開始。しかし、その報道内容は明らかに大村寄りだった。各テレビ局は大村のスローガン「オール静岡」を強調し、分断解消への決意を伝えた。一方、鈴木候補については、スズキ自動車の鈴木修会長からの支援を中心に報じられ、企業色を強調される形となった。
さらに、連日のように「今日は伊豆市の市長が大村支持を表明」「今日は伊東市の市長が大村支持を表明」「今日は島田市長が大村支持を…」というニュースが報じられ、県全域が大村を支持しているかのような印象を与えた。ここで県民は「次の知事は大村だろう」と確信するに至った。
浜松市のある県西部には大企業が集まっているが、県内の論調が形作られるのはテレビ局が集まる県中部の静岡市である。このため、多くの静岡県民は早い段階で大村の勝利を予測していた。
県内メディアは、選挙争点をリニア問題などよりも「県営浜松野球場建設の是非」に重きをおいて報道し続けた。大村は建設計画をゼロベースで判断するという白紙撤回もありという立場を主張し、県民VS浜松という対決構図が強調されるようになった。
今回の選挙は「県西部VS県中部」と報じられることが多かったが、正確には「浜松市VS浜松市以外のオール静岡」の対決だった。大村は県内全域の支持を獲得し、浜松市のみが鈴木候補の支持基盤となった。負けは確定的だったと言えるだろう。
日刊ゲンダイなどのタブロイド紙では4月下旬に自民党の情勢調査に基づき、大村が惨敗すると報じた。しかし、この調査は4月前半に行われたものであり、大村の知名度がまだ低い時期のデータに過ぎなかった。元副知事であった大村は、県民には「誰それ?」状態であったが、4月半ばからのメディア攻勢により知名度が急上昇し、4月後半には鈴木候補との差が一気に縮まった。この勢いを見た岸田自民党は、確実な勝利を見込み、大村への推薦を正式に決定した。衆院補選で三連敗して後が無い岸田自民党が、負ける候補者に推薦を出すはずがないのだ。
大村の選挙戦はさらに激化した。出陣式には現静岡市長の難波喬司が登場し、官僚出身のエリートとしての信頼感を強調。県西部での出陣式には、「Suzuki政治を許さない」と書かれたプラカードを持つ集団が応援に駆けつけ、強烈な鈴木康友批判を展開した。
リニア問題でも、大井川流域の島田市長に「川勝が作った県の専門部会を解散させるべき」と発言させ、リニア本工事の早期許可を公約とするなど、川勝前知事の方針とは一線を画す姿勢を示した。このように、公示前に穏健な印象を与えつつ、公示後には支持者・支援者向けにやや過激な戦術を展開するという二面性の戦略が奏功した。
前回の知事選で自民が敗北した際、自民県連は「次は必ず勝つ」と誓い、準備を進めてきた。川勝の失言を徹底的に攻撃し、彼の人間性を問題視するキャンペーンを展開。浜松市を含む施策も戦略的に抑え込み、対川勝の選挙戦を想定して準備を進めてきた。結果、川勝は思わぬところで自爆して対戦相手は別人になったが、その成果は相手が誰であれ、与野党対決の選挙において通用するものとなった。
総じて、大村慎一の勝利は偶然ではなく、長期的な戦略と綿密な準備、メディア戦術の成果であった。静岡県知事選2024は、まさに大村慎一のための選挙戦だったと言えるだろう。
漫画家の「儲け」にまつわる話には、ふたつの矛盾するように見えるストーリーがある。
世間一般の思う、一度当たれば「印税」でガッポガポというイメージ。
一方で、例えば「バクマン」に描かれる、(いちおう)漫画家自身の表現によると「連載が終われば数年で貯金も尽きる」という話。
どちらが間違っていて、どちらが正しいのか? というのは誰しも思う疑問。
しかし深掘りして考えてみると、これは「どっちも正しい」。だからこそ、漫画家って商売は他にない特殊な営業形態なんだとわかる。
※以下では、漫画家業のもっとも「売れる」形態として「週刊連載漫画」に限った話を考える。
まずほとんどの漫画家は雑誌に連載するという形で基本的な収入を得ている。
ここではわかりやすく、1万円とする。
すると、1万円×毎週20P×月4本で、月収は約80万円(100万円弱)くらいが一般的な週刊連載漫画家の最低収入の相場と言える。
ジャンプコミックスの場合約40円。連載が続けば年に約5冊出るわけだから、例えば単巻10万部売れていたら2000万円の収入になる計算だ。
もちろんこれは税金等を一切考慮していない売上高であり、これだけの額になれば実際には半分程度持っていかれるだろう。それでも、なかなかの高収入に見える。
しかし問題は、これだけ大きな売り上げが見込める週刊連載漫画には、実際にはスタジオ制作というコストのかかるシステムが必要なことだ。
最低限度で考えても、アシスタントを4人雇えばその人件費だけで40万は下らないだろう。さらに、それだけの人数で描くと、多くの場合自宅作業ではなく別途仕事場を借りる必要もある。
まあこのあたりは人により原稿料もスタッフの給料もさまざまなので一概に言えないのだが、一般論として原稿料の高いベテランほど、大きなスタジオと技術の熟れた固定メンバーを確保して経費も大きくなる傾向がある。
そんなこんなで、よく言われるのは、原稿料はこれらの諸経費だけで全部消えてしまうという話。
増田にも漫画を描いた経験があるが、20Pの原稿を1週間(弱)で仕上げるというのは信じられないような過酷な作業であり、アシスタント制をなくしては、現代の商業誌に載っている平均的なレベルの漫画を毎週仕上げるなんてことは、作家の「画力」がどれだけあろうとほぼ不可能に近い。
商業漫画のクオリティというものは、この自転車操業のほぼ利益0のシステムが必須であるということはよく覚えておきたい。
一方で、出版冬の時代といわれる昨今、単行本はどれだけ売れているのだろう。
実は、漫画雑誌の中でも押しも押されもせぬ発行部数を誇る「週刊少年ジャンプ」と言えども、信じられないような低い数字も珍しくない。
「鬼滅の刃」や「呪術廻戦」の華々しい数字がメディアに踊るので勘違いしがちだが、ジャンプ連載漫画のほとんどは単巻10万部も売れていない。
例えば、最近アニメ化もした「アンデッドアンラック」や「夜桜さんちの大作戦」(どちらも20巻を越える長期連載)でやっと10万部前後だ(総発行部数を巻数で割って大まかに計算)。
ものすごいものになると、大人気漫画「磯部磯兵衛物語」の作者・仲間りょうの次回作「高校生家族」は、ネット上ではちらほら好意的な感想が散見されたものの、実は売り上げは単巻1万部以下(計測不可)で打ち切りとなってしまった。増田も好きだったのでショックを隠しきれない。ドラマ、絶対いけると思たのに!!!!!
閑話休題。そもそも、「磯部磯兵衛」も単巻ではやっと30万部売れたくらいだ。「斉木楠雄の災難」も同レベル。ギャグ漫画はヒット作でももともとそんなものだということも注意しておきたい。
上でも計算したように、10万部売れてやっと年収2000万、税金が多く引かれることを考えると、サラリーマンならそれなりに良い会社に勤めているというレベルだが、長くても数年で終わってしまう印税収入であることを考えると、はっきり言って少ない。これが一桁上がると一気に数億円になって生涯年収というクラスになるが、そういう「上がり」の漫画家は本当に一握りなのだ。
原稿料はスタジオ維持費で消える。「もうけ」は単行本売り上げ次第。この二重構造が生むのは、株の売買でいうレバレッジの危うさだ。
株のレバレッジ買いというのは、簡単に言うと「株価が上がった時は2倍儲かるが、下がった時は2倍損する」ような信用買いを言う。らしい。増田も素人なのでそこら辺は聞き流していただきたい。比喩なので。
漫画家の場合、ある意味でなお悪い。連載があるときは、定期収入でスタジオを維持しつつ、漫画が当たれば大きなもうけがザクザク入るが、当たらなければそれなり。連載がなくなるとスタジオの維持費を賄う原稿料もない上に、普通は昔の単行本もそこまで売れ続けないので、ただ金が減るばかり。
当たらない漫画を描くということは、その連載中の儲けが少ないだけでなく、連載を終わらせることのリスクも同時に上げてしまうのだ。
当たらない漫画ほど、原稿料の維持のためにしがみつきたくなるという負のインセンティブが働くのである。
こうした不思議な構造は、漫画家が作品を当てて印税収入で儲けを出すという「作家」の側面を持ちながら、スタジオを抱えて自転車操業で日々口に糊するという「中小企業の経営」を求められるという二面性を持つ仕事であることに起因する。
本来、トキワ壮くらいの時代の漫画家は、前者の性質しか持たなかった。小説家や他のフリーランスのアーティスト業と何も変わらない「作家業」であった。
しかし、彼らが売れていくにつれ、漫画産業が盛んになるにつれ、漫画家は「作家」ではいられなくなって来た。
当たれば天国、外れてもまあまあの貧乏暮らしという気楽な稼業でなくなった漫画は、作家としての挑戦に誘うものよりも、日々の仕事をキッチリキッチリで稼ぐ真面目な仕事という側面が大きくなってきてしまった。それでいて、やはり作家自身の成功の如何は、印税収入という儚い夢だけに支えられているのだ。
たまに当たりはあるけども、当たったところでそれはそれだけ、次の事業拡大には繋がらないビジネスなんて、他にあるのだろうか?
こうした漫画家業の二重性は、もしかすると将来の漫画産業に負の影響をもたらすかも知れない。あるいは、既に?
週刊連載をしないと、ここまでのスタジオワークは必要ない場合がある。
とは言え、多くのメジャーな月刊誌を見ている限り、やはりある程度売れる作品は週刊漫画と同じスタジオワークとクオリティで商品価値を保っている例が多いと感じる。
さらに、やはり週刊連載漫画は漫画界におけるある種の花形である。
「鬼滅」「呪術」の例に漏れず、誰でも知ってる大ヒット作というものは週刊連載作品が多い。
これは作品の展開が早いこと、露出が多くなり話題にあがりやすいことなどが理由としてはあるだろう。
ジャンプ連載作品というブランドがまだまだ強いとも言える。しかし、それでも上で述べたように、大半は10万部も売れない自転車操業なのが現実である。
逆に言うと、この状況を変えれば、週刊連載という危うい綱渡りに賭けなくても良いのかも知れない。
現代はネット社会である。作品を世に出す、露出させることについては技術の恩恵がさまざまに得られる時代である。
漫画産業がこれからの時代も伸びていくかどうかは、こういった状況をうまく利用して、漫画家という「稼ぎ方」をどれだけ変えていけるのかにかかっているのかも知れない。
Xで、プラモデル界隈で上手い人とかフォローしてるけど、それどうやったらいいんですか?とか聞きにくい
なんか趣味系ってやりかた質問したらあとでめっちゃボロカス言われそうなイメージある
(聞く前に手を動かせ、聞いてくるなんて非常識だよ答えるやついねえのわかんねえかな、聞いたら答えが返ってくると思うなよバカ、タダで教えるほど人ができてないですw、などなど)
写真も好きでいろいろフォローしてるけど、写真界隈だとそうやって質問者をさらしあげてフォローの人たちがあざわらう図式はわりと見てきたのでなかなか怖い
身につけた技術を気軽に質問して誰が答えるかバーカ!って理屈もわかるといえばわかるので、オタクの人たちについてはそういう二面性と地雷性を持ってるので距離をとって眺めるのが一番いい
一番いいんだけどたまに時々どうやってるのか知りたい時がある
あと純粋に素晴らしいですと伝えたい時もあるけどビビっていいねボタン以上のことができない
まぁでもそういうもんか
この日が何を意味するのか、インターネットの暗部や特定の文化に精通している増田ならお分かりだろう。
そう、それは「大麻の日」である。しかし、現大日本帝国においては大麻は厳しく禁じられており、THCを含む製品は法の壁に阻まれている。
一方で、若者たちの間での認知度は高まっており、それにも関わらず、社会は変わりゆくペースに追いつけていない。
一方で毎日散々とCMがやられているビールという他の「ドラッグ」は、クリーンなイメージで大々的に広告され、広く社会に受け入れられている。
アルコールによる健康への害は広く知られており、私の友人二人もその犠牲になった。彼らは過労と飲酒により肝臓を痛め、苦しんでいる。
な~んてことを書くと「大麻カス解禁したすぎて必死だな」「大麻で脳をやられた下戸の依存症が僻みで書いている」
「アルコールと大麻を同一扱いする馬鹿」「大麻を使うとこうなります(笑)」
とか色々言われそうな気もするが、まあ今日はそういう日なのでそれくらいは書かせてほしい。
私自身の経験からも、大麻がもたらす影響はアルコールのそれとはまったく異なる。
ここで有能な効能を書くとろくなことにならないのは知っているので詳しくは書かないが、
私はその安全性とポジティブな効果に驚かされた。なぜなら、それは心を開き、新たな認識を促すものだったからだ。
この二面性には明らかな矛盾があり、私はこの認知の破壊を促したい。
アルコールが「無害」として受け入れられ、いや、「有害」であるのにも関わらずそれは当然と黙認され、
飲み会というなのドラッグパーティーが平然と行われる中で大麻での娯楽は一切許されず、
アルコールの広告が出される一方で、より安全である可能性のある大麻がなお禁じられている現状には、根本的な見直しが必要だと感じている。
そんなことを書きながらテレビに目をやるとキンキンに冷えたビールの滴がグラスの外側に流れる様子が強調された
若々しく活動的な人々が友人や家族との楽しいひとときを自然や開放感のある場所で飲酒する広告が否応なしに流れる。
では大麻はどうだ。ラッパーやニット帽を被った子供が路地裏でモクモク吸ってるイメージだろう。
そう一人で悪態をつきながら私は安倍晋三のおかげで安くなった発泡酒の蓋を開けた。
もう終わりだよこの国
この日が何を意味するのか、インターネットの暗部や特定の文化に精通している増田ならお分かりだろう。
そう、それは「大麻の日」である。しかし、現大日本帝国においては大麻は厳しく禁じられており、THCを含む製品は法の壁に阻まれている。
一方で、若者たちの間での認知度は高まっており、それにも関わらず、社会は変わりゆくペースに追いつけていない。
一方で毎日散々とCMがやられているビールという他の「ドラッグ」は、クリーンなイメージで大々的に広告され、広く社会に受け入れられている。
アルコールによる健康への害は広く知られており、私の友人二人もその犠牲になった。彼らは過労と飲酒により肝臓を痛め、苦しんでいる。
な~んてことを書くと「大麻カス解禁したすぎて必死だな」「大麻で脳をやられた下戸の依存症が僻みで書いている」
「アルコールと大麻を同一扱いする馬鹿」「大麻を使うとこうなります(笑)」
とか色々言われそうな気もするが、まあ今日はそういう日なのでそれくらいは書かせてほしい。
私自身の経験からも、大麻がもたらす影響はアルコールのそれとはまったく異なる。
ここで有能な効能を書くとろくなことにならないのは知っているので詳しくは書かないが、
私はその安全性とポジティブな効果に驚かされた。なぜなら、それは心を開き、新たな認識を促すものだったからだ。
この二面性には明らかな矛盾があり、私はこの認知の破壊を促したい。
アルコールが「無害」として受け入れられ、いや、「有害」であるのにも関わらずそれは当然と黙認され、
飲み会というなのドラッグパーティーが平然と行われる中で大麻での娯楽は一切許されず、
アルコールの広告が出される一方で、より安全である可能性のある大麻がなお禁じられている現状には、根本的な見直しが必要だと感じている。
そんなことを書きながらテレビに目をやるとキンキンに冷えたビールの滴がグラスの外側に流れる様子が強調された
若々しく活動的な人々が友人や家族との楽しいひとときを自然や開放感のある場所で飲酒する広告が否応なしに流れる。
では大麻はどうだ。ラッパーやニット帽を被った子供が路地裏でモクモク吸ってるイメージだろう。
もう終わりだよこの国
○ご飯
○調子
むきゅーはややー。おしごとは、それなりー。
○ 月姫-A piece of blue glass moon-
月姫-A piece of blue glass moon-
小さい頃の臨死体験からモノや人の死を見る力を開眼した遠野志貴が街に潜む吸血鬼との戦いに身を投じつつヒロインたちと恋愛関係を結んでいく原作の骨子はそのままに、登場人物が大幅に増えてボリュームもたっぷりになっている。
原作では5名いたヒロインの内、アルクとシエルの2名のルートが今作の内容。
伝奇パートではバトルに燃えて設定の開示にワクワク、恋愛パートでは伝奇部分での活躍を踏まえてのヒロインの魅力にドキドキする、この二面で展開するストーリーが面白かった。
主人公の遠野志貴は人やモノの死を線や点として見ることができる直死の魔眼の持ち主。
力を加えることなく線をなぞるように切るだけで不死身の人外生物であってもあっさりと殺すことができる。
一見するとかなり強い無法な力ながら、それ以外は(本作で開示されいる範囲では)一般人なので、人外の力を持つ吸血鬼にはそもそも近づけずに負けてしまうバランス。
そのため、ヒロインたちと協力して敵を倒す知恵を練るのが面白さだ。
この作戦会議のために、直死の魔眼とは吸血鬼とはの設定開示パートもたっぷりと楽しめる。
特に敵となる吸血鬼の中でも特別な死徒二十七祖が何故特別なのか、彼らが何者なのかの開示は非常に興味深くワクワクした。
死徒二十七祖は原理血戒と呼ばれる今の地球の原理原則とは大きく異なる異能力を持っているんだけど、これが名乗りに使われるシーンはめちゃくちゃ熱かった。
残念ながら本作では死徒二十七祖は一人しか登場しないので一回しか無いんだけど、他作品などでこの原理血戒を使った名乗りシーンがあるなら是非とも遊んでみたい。
これは、吸血鬼の真祖の姫であるアルクは、夜の間は死ぬ可能性が無いため直死の魔眼でも見ても線や点が浮かばず美しい、という伝奇パートの設定を踏まえた上での非常に納得感のある導入が良かった。
遠野志貴にとって世界は死と隣り合わせで脆いものなのに、彼の目で見てもアルクの美しさは特別なのがよく伝わってくる整合性が非常にとれたエピソードでとても良かった。
アルクとシエル以外のヒロインはルートがないのだけど、教師ながらダメなところがいっぱいあって愛おしいノエル先生、部屋を壊すように暴れる人間を看病しなれている様が痛々しい琥珀さん、短い登場ながら主人公へ向ける好意が瑞々しい弓塚さつきなど魅力的なヒロインが他にもいるので、いつかそこら辺も楽しめたらいいな。