はてなキーワード: カーニバルとは
関ジャムでやっていた、「令和に活躍する若手アーティストが選ぶ最強平成ソング BEST30」から、色々抜けているものがあるぞとホッテントリになっていた。
https://guatarro.hatenablog.com/entry/2022/05/08/234252
具体的にトップ30から何が抜け落ちているかというと、安室、TRF、ZARD、WANDS、B'z、GLAY、ラルク、X 、オザケン、ミッシェル、イエモン、久保田利伸、mihimaruGT、浜崎あゆみ、湘南乃風というのがあげられている。
ブコメの方ではそれに加えて、フリッパーズとかピチカートとか、ドリカム、エレカシ、ミスチルが挙げられた。
自分も平成3年生まれで、それらの言っていることはちゃんとわかるんだけど、それでも、やっぱりどちらかというなら関ジャムの方のランキングに共感する。
というのも、挙げられているそれらって、自分にとっては大なり小なり、どこかに「昭和の残り香」を感じる曲だからだ。
関ジャムの方もたとえばサザン、たま、スピッツあたりにその種の残り香を感じないこともない。でも、確実にその種の残り香を、ひとつずつ消しては平成の香りに塗り替えていった曲たちが並んでいるように感じる。
自分にとって生まれていないゾーンである平成元年や2年というのは、正直まだ昭和だというイメージしかない。
平成31年が最も「平成」で、平成の到達点、最極地であり、そこへ向けて元年から順々に昭和の香りを消しては新しいものを付け加えていった、そういうイメージである。
もっというと、今は令和であるけども、今の曲調こそが「平成」という時代が最終的に完成させたもの、という感じ。(ここからまた何十年かけて令和の香りになるのだろう)
そういう意味で、ランキング10位であるヒゲダンのPretenderは、最も平成らしい曲というイメージ。
さよなら人類→真夏の果実→空も飛べるはず→ロビンソン→Automatic→丸ノ内サディスティック→おジャ魔女カーニバル→First Love→LOVEマシーン→本能→カブトムシ→TSUNAMI→エイリアンズ→天体観測→小さな恋のうた→世界に一つだけの花→さくらんぼ→ロコローション→マツケンサンバ→栄光の架橋→群青日和→チキンライス→POP STAR→青春アミーゴ→Love so sweet→若者のすべて→愛をこめて花束を→新宝島→STAY TUNE→Pretender
となる。
昭和の残り香が平成の香りにだんだん変わっていくまでの(Pretenderに辿り着くまでの)曲調の変遷というのが見事に見えてこないだろうか。
平成が定義されていく様子というか、昭和ではなくなっていく様子というか。
そこに、小室とかフリッパーズとか久保田利伸とかの並びは、あえていなくても流れを追うのに支障がないように感じないだろうか。
まして、「令和に活躍する若手アーティストが選ぶ」のだから、今の音楽に影響のあるものが選出されるのが、当然という話に思える。
全体的に、時代や音楽性の【ありさま】ではなく【変わりゆくさま】を、駆動・象徴・定義した曲が選出されているのかなと、感覚的にはそう思った。
YouTubeでリオのカーニバルとかサンパウロのカーニバルとか見るとね、すごいんですよ。
まあ、だいぶセクシーな感じのイベントであることは薄々知ってた。
知ってたけど、マイクロビキニとかニップレスどころか、トップレスが普通にいた。これほどまでとは。
勢い余って脱いじゃったとかじゃなくて、コスチュームのデザインが乳を丸ごと見せるようになってる。巨大な山車の上にずらりと並ぶおっぱい、おっぱい、おっぱい……。
世界最大規模の超メジャーなお祭りがこれでいいの? 子供とか見るんだろ。見ないのか。大人向けのイベントなの?
って思った。
ともあれ、今後とも積極的に見せていくスタイルでやっていってほしい、とも思った。
あと、ついでに日本のサンバイベントの映像も見たんだけど、んー、あれだね、本場のを見た後だからだけど、ありゃあ平均的日本人のプロポーションでしていいカッコじゃないね。当人の自由ですけど。
ちょっと照れがあるせいでブラジルの裸よりもむしろ淫靡なムードになっちゃってるし。
あとどう見ても小中学生みたいな子供たちのきわどいサンバ衣装姿にカメコが群がってるの見てげんなりした。
不道徳。
29歳の時、このまま彼氏いないアニバーサリー30周年を迎えるのが嫌すぎてどうしても彼氏が欲しかった。
皆男っ気はあまりなかったが気の合うオタク友達と付き合い結婚しそれなりに幸せそうで羨ましい。
私にはなぜ男ができたことがないのか。
それは持ち前のノットビューティーフェイスと積極性のなさが原因なのではないか。
女もちゃんと前に出なければならぬ。いけそう感を出さねばならぬ。
唯一当時参加していたサークルみたいなのがあり、そこで探すしかないと思った。
幸い、そのサークルには冴えない男がちらほらいた。
私は5歳上のチビデブハゲの三種の神器を備えた男に目を付けた。
鏡を見れば私が清潔感のある男を求めることは到底無理であり、人のことは言えないが見た目に難があるということは中身は意外といいのかもしれないと思ったからだ。
表面的にはそれなりに温厚そうであり、婚活をしていた等出会いも求めていそうなので私にしては頑張って接近をした。
なるべく隣に座って話をしたり、相手のことを褒めたり大げさに喜んだりした。
その甲斐あってか、ラインを交換しその数日後デートをすることになったのだ。
待ち合わせの時間、相手は特に遅刻することもなかったが私はそれよりもかなり早く来てしまった。
男と会うなんてことがほぼないので、もっと時間ギリギリの方がよかったのかと集合からわからないことだらけだった。
デートの間、なるべく楽しんで見えるように頑張って大げさに喜んだりした。
そうした方がブスッとしているより喜んでもらえるかと思って……。
相手の方も相手なりに気を使っているのを感じた。相手も童貞らしかった。それは予想の範囲内だったので特に思うことはなかった。
デートが終盤になるにつれ、相手は何回か手を繋ごうとしてきた。
その時、なるべく手を遠ざけた。
あれ……想像以上にこの人に触りたくない……
とその時思ってしまったのだ。
日が暮れる少し前、静かなところにきた。
「あのさ、俺たち付き合わない?」
初めて言われた言葉だった。
でも……全然うれしくなかった。
でも贅沢は言えない。好きになれるような男と付き合えるような女ではないのだ私は。
サーティー喪女カーニバルアニバーサリーを阻止するんだろう!!私!!
「うーん…いいよ」
次の瞬間だった。
と言われた。
私はショックだった。
正直、チビデブハゲの三冠王のことを見下していた。女に見向きもされないお前と私が付き合ってあげるんだからくらいの偉そうな気持ちでいた。
なのにその男にただの「すぐいけそうな女」としか思われていなかったのだった。
自分が彼氏いない歴30を阻止したかっただけのように、相手も一刻も早く脱童貞したかっただけだったのである。
「やっぱり付き合えません」
と私は言って即家に帰った。
悲しかった。
でも自分自身も、人を軽視する心があった。
そんな奴が愛される訳なかった。
きっとこれからも、誰とも恋仲にはなれないだろう。
私なんかはずっと1人でいるのがお似合いなんだろう。
周りは子供ができ始めた。
これのブコメ
ロボアニメは「おもちゃ屋スポンサーのシナリオ介入からの脱却」でOVA初期から積極的に移行してたので、大変なんだけど省くと、選択肢が減る。
「おもちゃ屋スポンサーのシナリオ介入からの脱却」という言葉に長めの文で噛み付かせてもらうね。
まず80年代ロボットアニメには、児童向けの商売やりたいスポンサー達に出させた金でティーン層狙いのアニメを作るという、最初から破綻してるビジネスモデルがあった。ガンダムやイデオンもやってたやつね。
これはテレビ放送的にはアレだったけど、マニア人気は超強いので映画にして超儲けるヤマト方式とも一体。
最初期からOVAを積極的に出してたバイファムやボトムズは84年から翌85年にかけてビデオで総集編→新作と出ていて、これはヤマト方式の典型に見える。映画がビデオにスライドした形。つまりテレビシリーズの存在が前提にある。
で、それらが新作を出すのと前後してオリジナル企画のメガゾーン23でしょ。86年はまだダンクーガボトムズレイズナーガリアンといったテレビのビデオ版が多い。テレビでやったやつに依らないロボアニメ企画が一気に出始めるのは次の87年。ロボットカーニバルもこの年。押井パトやトップは88年に第1巻。
でもその後もテレビとは関係ない独自の企画が出続けたかというと、それずっと続けてたのはAICくらいでは?
83年末のダロス第1巻から1年経たずにバイファムの総集編ビデオが出たのは早いけど、いっぺんテレビでやってマニアにウケたやつがビデオになるという流れは、製作委員会や深夜枠でOVA的な企画が深夜アニメ(一時期はWOWWOWアニメ)になっていく90年代後半くらいまで強くあった。
もしおもちゃ屋スポンサーの介入からの脱却が目的なら、まず最初に玩具メーカーをスポンサーにつけないと難しかったテレビ放送を経由させ続ける必要があったのだろうか。
ロボアニメが本当におもちゃ屋スポンサーから脱却できたと言えそうなのは、おもちゃと円盤ビジネスが逆転した00年代以降のこと。脱却に15年以上かかったんじゃ「積極的な移行」とも言えないだろう。脱却できて良かったかどうかもわからん。
それからOVAがおもちゃ屋スポンサーの介入から脱却を目的とした媒体だったとしても、それで出来たアニメがライトニングトラップだったら、あまりに悲しすぎると思わない?
レトロゲームの偽物がここ数年通販サイトなどで目立ってきている。
本稿ではその原因や、「偽物の質」の紹介、偽物の販売方法、買い手側の対策と反応あたりを主軸に語ってみたい。
なお私の専門分野はファミコンカセットのみであり、レトロゲーム全般としては事実と齟齬があったり記述が不十分である可能性がある。ご海容いただきたい。また不備を指摘していただけたらありがたい。
発売から数十年が経過し、ソフトの評価が定まり、さらに希少性も高まっている。
特に、箱や説明書がついている状態のいいものは値段が跳ね上がる傾向がある。
「悪い嘘」「優しい嘘」があるように、偽物にもいろいろなパターンがある。
一般流通していたファミコンで一番高価な『サマーカーニバル92烈火』の偽物は2010年代後半からアジア圏からやってきている。
上述の通り完全品となると値段が跳ね上がるため、箱と説明書と付属の葉書などを偽造するもの。
全部偽造のものもあれば、中身のソフトだけ本物で入れ物その他を偽造するパターンがあるようだ。
後者は、ゲーム芸人フジタという人物がyoutubeで紹介している。
お察しの方も多いかもしれないが、ヤフオク・メルカリあたりが「主戦場」になる。
具体的にはあげないけれども、悪名高い出品者が名前を変えながら活動している(悪名高いのに名前変わるのは変かもしれないが)。
2ch5chにレトロゲームの偽物に関する情報スレがあるので気になる方は見てみると良いだろう。
偽物を買わないようにすることと表裏一体になっている。
よくわからない話だが、本物より安い。コピー商品であることの言い逃れになるのだろうか。
これも言い逃れのために書いている。値段の安さとセットになっており、ある種「誠実」と言える。
もちろん、偽物(データをコピーしたもの)を売るのはどうかとも思うが、後述の、買い手側の「プレイできればそれでいい」という問題につながる。
この辺りは普段鍛えているであろう各自のインターネット筋力が試されるところ。
本稿では深入りしない。
個別のソフトには、もちろん本物と偽物とを見分けるポイントがある。わかりやすいもので言うと、カセットの形状が異なるものがある。
他にラベルのデザインなどで違いを見つけられればよいのだが、実は、違いを指摘してネットで情報発信すればするほど、対策を促してしまうと言う問題がある。
昨今、偽物への注意を促す文章がネット上にも増えてきたがあえてこうした見分け方を書かない場合も多いようだ。
スーパーファミコンはここ数年で地獄の様相を呈しており、中の基盤のニンテンドーのロゴまでも偽造したソフトがあるらしい。
今までは中を見たら一目瞭然だったものが、これで本格的に区別がつかなくなってきているそうだ。
これらはかなり大切なムーブで、お店はプライド持って販売している。偽物売ったら評判が下がる。本当に迷ったらぶっちゃけ駿河屋で買った方がいいに決まっている。
竹馬やベーゴマと違い、テレビゲームはゲームの情報こそが本質だ。そして、テレビゲームではその本質が容易にコピーできてしまう。
偽物でも遊べてしまう。ここに、偽物販売が蔓延する裾野がある。そして頂にはプレミアソフトの偽造の問題がある。
俺はもちろん現物を取り扱ってこそだと思うけれども、エミュレーターの問題なども絡んで、とても難しい問題と思っている。
・レトロゲームソフトは増えないのだから、希少性は増すばかりで、すなわち偽物は増え続けるものと思う。
・普通は商品価値の下がる「カセット背面への名前の書き込み」「ラベルの剥がれ」などは、今後逆にそのソフトが純正品であることの証左となり、むしろこっちの方が値段が高まるかもしれないとも感じている。
YouTubeでレコメンドに表示されたので昔の貞本キャラの動画をいくつか観ていたのだけど、
ロボットカーニバルの女の子とか今になって観ても不細工とは思わないけどなあ
オネアミスの絵柄がそんなに不細工とは子供の頃にも思わなかったんだけど
あと、絵柄は違うのに怒って表情が崩壊したときにどことなくナディアやアスカを感じさせる片鱗がある気がする
今の判で押したように同じ顔で髪型だけ変えるような描き方をした方が他人に評価されるし、
仕事なんだから自分が描きたいものより他人に評価されるものを描くべきだよね、
だったかみたいな話で、これはこれで良くも悪くも老いを感じたし、
庵野氏にもシンゴジラを観ていて、良くも悪くも大人になったというか老いたんだなあ、と思ったので、
不謹慎な言い方だけど、庵野氏も貞本氏も、死ぬ間際ぐらいは若かりし頃のほとばしる熱いパトスでというか、
情熱だけが暴走したような作品を作って○んでくれないかなあ、と思ったりしたけど、
自分は肥満だし持病もあるしそもそも障害者だしコロナで失職したし、
俺の方が明らかに先に氏にそうなので、
8分の5チップスとはちがう
そんな複雑なやつじゃなくていいの。
コピー機これ遅いんだよ!って待ってる間
サンバのリズムに乗ってその場でステップすれば楽しくなるんじゃない?
というか絶対楽しくなるし
ずっと起きてる時と消費電力どう違うの!?って
朝まで討論して欲しいんだけど、
後からそんな部があったわよねーって思い出したんだけど
一見普段地味ーな子がサンバメイクしてサンバ衣裳着て尻出してサンバステップしてると
覚醒されるのかしら?
それともなにか生まれ変われるのかな?
私はそれよりも地味な子でも尻だして踊ってるあのギャップに惹かれたわ、
引いてないの惹かれたの!
私は尻まるだしまでは行かなくても、
動画配信サイトでお手軽簡単ステップ動画がレクチャーあると思うので、
でもさ、
結局あれってサンバ衣裳のサンバ羽根を装備して踊らないと効果が下がるのよね。
ザ!サンバ!ってところもあるじゃない。
ネコが飛びついてきそうな勢いのやつ。
でも私もいざサンバ羽根を装備したときにステップが踏めるようにのと
コピー機のスリープが目覚めるのが遅い時間を持て余すのが嫌なので、
さすがにあれは重たくて私一人じゃ担げなかったわ。
そう言う時ってもう踊るしかないじゃない。
浅草に行って浅草寺の早朝ってたまに獅子舞踊るの練習してるときがあるから、
私それ練習と知らずに走って駆け寄って、
私の頭囓って下さい!って言っちゃった恥ずかしい過去があることはここでは内緒にしておくけど
囓ってくれるんかーい!って
本当に人が多くて一人一人頭囓ってもらえること出来ないから、
そういった時を狙って突撃するのも手ね。
あ!
獅子舞の話しじゃなくてサンバステップを見たいって浅草カーニバルの話しだったわね。
早く復活して欲しいものよ。
うふふ。
最近はこればっかりです。
私はどちらかと言うと、
というかハッキリ言うと
あれば好きなものを好きなだけ食べるタイプとはまた違う選び方の続き方よ。
超気に入っていていきなり店先に並ばなくなったら
ちょっとショックだけどね、
朝食とはかけてません。
見栄えは結構映える感じだけど、
それだけでモッツァレラね!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
さて、殺人事件から十日程たったある日、私は明智小五郎の宿を訪ねた。その十日の間に、明智と私とが、この事件に関して、何を為し、何を考えそして何を結論したか。読者は、それらを、この日、彼と私との間に取交された会話によって、十分察することが出来るであろう。
それまで、明智とはカフェで顔を合していたばかりで、宿を訪ねるのは、その時が始めてだったけれど、予かねて所を聞いていたので、探すのに骨は折れなかった。私は、それらしい煙草屋の店先に立って、お上さんに、明智がいるかどうかを尋ねた。
「エエ、いらっしゃいます。一寸御待ち下さい、今お呼びしますから」
彼女はそういって、店先から見えている階段の上り口まで行って、大声に明智を呼んだ。彼はこの家の二階を間借りしているのだ。すると、
「オー」
と変な返事をして、明智はミシミシと階段を下りて来たが、私を発見すると、驚いた顔をして「ヤー、御上りなさい」といった。私は彼の後に従って二階へ上った。ところが、何気なく、彼の部屋へ一歩足を踏み込んだ時、私はアッと魂消たまげてしまった。部屋の様子が余りにも異様だったからだ。明智が変り者だということを知らぬではなかったけれど、これは又変り過ぎていた。
何のことはない、四畳半の座敷が書物で埋まっているのだ。真中の所に少し畳が見える丈けで、あとは本の山だ、四方の壁や襖に沿って、下の方は殆ほとんど部屋一杯に、上の方程幅が狭くなって、天井の近くまで、四方から書物の土手が迫っているのだ。外の道具などは何もない。一体彼はこの部屋でどうして寝るのだろうと疑われる程だ。第一、主客二人の坐る所もない、うっかり身動きし様ものなら、忽たちまち本の土手くずれで、圧おしつぶされて了うかも知れない。
「どうも狭くっていけませんが、それに、座蒲団ざぶとんがないのです。済みませんが、柔か相な本の上へでも坐って下さい」
私は書物の山に分け入って、やっと坐る場所を見つけたが、あまりのことに、暫く、ぼんやりとその辺あたりを見廻していた。
私は、かくも風変りな部屋の主である明智小五郎の為人ひととなりについて、ここで一応説明して置かねばなるまい。併し彼とは昨今のつき合いだから、彼がどういう経歴の男で、何によって衣食し、何を目的にこの人世を送っているのか、という様なことは一切分らぬけれど、彼が、これという職業を持たぬ一種の遊民であることは確かだ。強しいて云えば書生であろうか、だが、書生にしては余程風変りな書生だ。いつか彼が「僕は人間を研究しているんですよ」といったことがあるが、其時私には、それが何を意味するのかよく分らなかった。唯、分っているのは、彼が犯罪や探偵について、並々ならぬ興味と、恐るべく豊富な知識を持っていることだ。
年は私と同じ位で、二十五歳を越してはいまい。どちらかと云えば痩やせた方で、先にも云った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある、といっても、決して豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な、講釈師の神田伯龍を思出させる様な歩き方なのだ。伯龍といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ、――伯龍を見たことのない読者は、諸君の知っている内で、所謂いわゆる好男子ではないが、どことなく愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている。そして、彼は人と話している間にもよく、指で、そのモジャモジャになっている髪の毛を、更らにモジャモジャにする為の様に引掻廻ひっかきまわすのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着物に、よれよれの兵児帯へこおびを締めている。
「よく訪ねて呉れましたね。その後暫く逢いませんが、例のD坂の事件はどうです。警察の方では一向犯人の見込がつかぬようではありませんか」
明智は例の、頭を掻廻しながら、ジロジロ私の顔を眺めて云う。
「実は僕、今日はそのことで少し話があって来たんですがね」そこで私はどういう風に切り出したものかと迷いながら始めた。
「僕はあれから、種々考えて見たんですよ。考えたばかりでなく、探偵の様に実地の取調べもやったのですよ。そして、実は一つの結論に達したのです。それを君に御報告しようと思って……」
私は、そういう彼の目付に、何が分るものかという様な、軽蔑と安心の色が浮んでいるのを見逃さなかった。そして、それが私の逡巡している心を激励した。私は勢込いきおいこんで話し始めた。
「僕の友達に一人の新聞記者がありましてね、それが、例の事件の係りの小林刑事というのと懇意なのです。で、僕はその新聞記者を通じて、警察の模様を詳しく知ることが出来ましたが、警察ではどうも捜査方針が立たないらしいのです。無論種々いろいろ活動はしているのですが、これという見込がつかぬのです。あの、例の電燈のスイッチですね。あれも駄目なんです。あすこには、君の指紋丈けっきゃついていないことが分ったのです。警察の考えでは、多分君の指紋が犯人の指紋を隠して了ったのだというのですよ。そういう訳で、警察が困っていることを知ったものですから、僕は一層熱心に調べて見る気になりました。そこで、僕が到達した結論というのは、どんなものだと思います、そして、それを警察へ訴える前に、君の所へ話しに来たのは何の為だと思います。
それは兎も角、僕はあの事件のあった日から、あることを気づいていたのですよ。君は覚えているでしょう。二人の学生が犯人らしい男の着物の色について、まるで違った申立てをしたことをね。一人は黒だといい、一人は白だと云うのです。いくら人間の目が不確だといって、正反対の黒と白とを間違えるのは変じゃないですか。警察ではあれをどんな風に解釈したか知りませんが、僕は二人の陳述は両方とも間違でないと思うのですよ。君、分りますか。あれはね、犯人が白と黒とのだんだらの着物を着ていたんですよ。……つまり、太い黒の棒縞の浴衣なんかですね。よく宿屋の貸浴衣にある様な……では何故それが一人に真白に見え、もう一人には真黒に見えたかといいますと、彼等は障子の格子のすき間から見たのですから、丁度その瞬間、一人の目が格子のすき間と着物の白地の部分と一致して見える位置にあり、もう一人の目が黒地の部分と一致して見える位置にあったんです。これは珍らしい偶然かも知れませんが、決して不可能ではないのです。そして、この場合こう考えるより外に方法がないのです。
さて、犯人の着物の縞柄は分りましたが、これでは単に捜査範囲が縮小されたという迄で、まだ確定的のものではありません。第二の論拠は、あの電燈のスイッチの指紋なんです。僕は、さっき話した新聞記者の友達の伝手つてで、小林刑事に頼んでその指紋を――君の指紋ですよ――よく検べさせて貰ったのです。その結果愈々いよいよ僕の考えてることが間違っていないのを確めました。ところで、君、硯すずりがあったら、一寸貸して呉れませんか」
そこで、私は一つの実験をやって見せた。先ず硯を借りる、私は右の拇指に薄く墨をつけて、懐から半紙の上に一つの指紋を捺おした。それから、その指紋の乾くのを待って、もう一度同じ指に墨をつけ前の指紋の上から、今度は指の方向を換えて念入りに押えつけた。すると、そこには互に交錯した二重の指紋がハッキリ現れた。
「警察では、君の指紋が犯人の指紋の上に重って、それを消して了ったのだと解釈しているのですが、併しそれは今の実験でも分る通り不可能なんですよ。いくら強く押した所で、指紋というものが線で出来ている以上、線と線との間に、前の指紋の跡が残る筈です。もし前後の指紋が全く同じもので、捺し方も寸分違わなかったとすれば、指紋の各線が一致しますから、或は後の指紋が先の指紋を隠して了うことも出来るでしょうが、そういうことは先ずあり得ませんし、仮令そうだとしても、この場合結論は変らないのです。
併し、あの電燈を消したのが犯人だとすれば、スイッチにその指紋が残っていなければなりません。僕は若しや警察では君の指紋の線と線との間に残っている先の指紋を見落しているのではないかと思って、自分で検べて見たのですが、少しもそんな痕跡がないのです。つまり、あのスイッチには、後にも先にも、君の指紋が捺されているだけなのです。――どうして古本屋の人達の指紋が残っていなかったのか、それはよく分りませんが、多分、あの部屋の電燈はつけっぱなしで、一度も消したことがないのでしょう。
君、以上の事柄は一体何を語っているでしょう。僕はこういう風に考えるのですよ。一人の荒い棒縞の着物を着た男が、――その男は多分死んだ女の幼馴染で、失恋という理由なんかも考えられますね――古本屋の主人が夜店を出すことを知っていてその留守の間に女を襲うたのです。声を立てたり抵抗したりした形跡がないのですから、女はその男をよく知っていたに相違ありません。で、まんまと目的を果した男は、死骸の発見を後らす為に、電燈を消して立去ったのです。併し、この男の一期いちごの不覚は、障子の格子のあいているのを知らなかったこと、そして、驚いてそれを閉めた時に、偶然店先にいた二人の学生に姿を見られたことでした。それから、男は一旦外へ出ましたが、ふと気がついたのは、電燈を消した時、スイッチに指紋が残ったに相違ないということです。これはどうしても消して了わねばなりません。然しもう一度同じ方法で部屋の中へ忍込むのは危険です。そこで、男は一つの妙案を思いつきました。それは、自から殺人事件の発見者になることです。そうすれば、少しも不自然もなく、自分の手で電燈をつけて、以前の指紋に対する疑をなくして了うことが出来るばかりでなく、まさか、発見者が犯人だろうとは誰しも考えませんからね、二重の利益があるのです。こうして、彼は何食わぬ顔で警察のやり方を見ていたのです。大胆にも証言さえしました。しかも、その結果は彼の思う壺だったのですよ。五日たっても十日たっても、誰も彼を捕えに来るものはなかったのですからね」
この私の話を、明智小五郎はどんな表情で聴いていたか。私は、恐らく話の中途で、何か変った表情をするか、言葉を挟むだろうと予期していた。ところが、驚いたことには、彼の顔には何の表情も現れぬのだ。一体平素から心を色に現さぬ質たちではあったけれど、余り平気すぎる。彼は始終例の髪の毛をモジャモジャやりながら、黙り込んでいるのだ。私は、どこまでずうずうしい男だろうと思いながら最後の点に話を進めた。
「君はきっと、それじゃ、その犯人はどこから入って、どこから逃げたかと反問するでしょう。確に、その点が明かにならなければ、他の凡てのことが分っても何の甲斐もないのですからね。だが、遺憾いかんながら、それも僕が探り出したのですよ。あの晩の捜査の結果では、全然犯人の出て行った形跡がない様に見えました。併し、殺人があった以上、犯人が出入しなかった筈はないのですから、刑事の捜索にどこか抜目があったと考える外はありません。警察でもそれには随分苦心した様子ですが、不幸にして、彼等は、僕という一介の書生に及ばなかったのですよ。
ナアニ、実は下らぬ事なんですがね、僕はこう思ったのです。これ程警察が取調べているのだから、近所の人達に疑うべき点は先ずあるまい。もしそうだとすれば、犯人は、何か、人の目にふれても、それが犯人だとは気づかれぬ様な方法で通ったのじゃないだろうか、そして、それを目撃した人はあっても、まるで問題にしなかったのではなかろうか、とね。つまり、人間の注意力の盲点――我々の目に盲点があると同じ様に、注意力にもそれがありますよ――を利用して、手品使が見物の目の前で、大きな品物を訳もなく隠す様に、自分自身を隠したのかも知れませんからね。そこで、僕が目をつけたのは、あの古本屋の一軒置いて隣の旭屋という蕎麦屋です」
古本屋の右へ時計屋、菓子屋と並び、左へ足袋屋、蕎麦屋と並んでいるのだ。
「僕はあすこへ行って、事件の当夜八時頃に、便所を借りて行った男はないかと聞いて見たのです。あの旭屋は君も知っているでしょうが、店から土間続きで、裏木戸まで行ける様になっていて、その裏木戸のすぐ側に便所があるのですから、便所を借りる様に見せかけて、裏口から出て行って、又入って来るのは訳はありませんからね。――例のアイスクリーム屋は路地を出た角に店を出していたのですから、見つかる筈はありません――それに、相手が蕎麦屋ですから、便所を借りるということが極めて自然なんです。聞けば、あの晩はお上さんは不在で、主人丈が店の間にいた相ですから、おあつらえ向きなんです。君、なんとすてきな、思附おもいつきではありませんか。
そして、案の定、丁度その時分に便所を借りた客があったのです。ただ、残念なことには、旭屋の主人は、その男の顔形とか着物の縞柄なぞを少しも覚えていないのですがね。――僕は早速この事を例の友達を通じて、小林刑事に知らせてやりましたよ。刑事は自分でも蕎麦屋を調べた様でしたが、それ以上何も分らなかったのです――」
私は少し言葉を切って、明智に発言の余裕を与えた。彼の立場は、この際何とか一言云わないでいられぬ筈だ。ところが、彼は相変らず頭を掻廻しながら、すまし込んでいるのだ。私はこれまで、敬意を表する意味で間接法を用いていたのを直接法に改めねばならなかった。
「君、明智君、僕のいう意味が分るでしょう。動かぬ証拠が君を指さしているのですよ。白状すると、僕はまだ心の底では、どうしても君を疑う気になれないのですが、こういう風に証拠が揃っていては、どうも仕方がありません。……僕は、もしやあの長屋の内に、太い棒縞の浴衣を持っている人がないかと思って、随分骨を折って調べて見ましたが、一人もありません。それも尤もっともですよ。同じ棒縞の浴衣でも、あの格子に一致する様な派手なのを着る人は珍らしいのですからね。それに、指紋のトリックにしても、便所を借りるというトリックにしても、実に巧妙で、君の様な犯罪学者でなければ、一寸真似の出来ない芸当ですよ。それから、第一おかしいのは、君はあの死人の細君と幼馴染だといっていながら、あの晩、細君の身許調べなんかあった時に、側で聞いていて、少しもそれを申立てなかったではありませんか。
さて、そうなると唯一の頼みは Alibi の有無です。ところが、それも駄目なんです。君は覚えていますか、あの晩帰り途で、白梅軒へ来るまで君が何処どこにいたかということを、僕は聞きましたね。君は一時間程、その辺を散歩していたと答えたでしょう。仮令、君の散歩姿を見た人があったとしても、散歩の途中で、蕎麦屋の便所を借りるなどはあり勝ちのことですからね。明智君、僕のいうことが間違っていますか。どうです。もし出来るなら君の弁明を聞こうじゃありませんか」
読者諸君、私がこういって詰めよった時、奇人明智小五郎は何をしたと思います。面目なさに俯伏して了ったとでも思うのですか。どうしてどうして、彼はまるで意表外のやり方で、私の荒胆あらぎもをひしいだのです。というのは、彼はいきなりゲラゲラと笑い出したのです。
「いや失敬失敬、決して笑うつもりではなかったのですけれど、君は余り真面目だもんだから」明智は弁解する様に云った。「君の考えは却々なかなか面白いですよ。僕は君の様な友達を見つけたことを嬉しく思いますよ。併し、惜しいことには、君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。例えばですね。僕とあの女との関係についても、君は、僕達がどんな風な幼馴染だったかということを、内面的に心理的に調べて見ましたか。僕が以前あの女と恋愛関係があったかどうか。又現に彼女を恨うらんでいるかどうか。君にはそれ位のことが推察出来なかったのですか。あの晩、なぜ彼女を知っていることを云わなかったか、その訳は簡単ですよ。僕は何も参考になる様な事柄を知らなかったのです。僕は、まだ小学校へも入らぬ時分に彼女と分れた切りなのですからね。尤も、最近偶然そのことが分って、二三度話し合ったことはありますけれど」
「では、例えば指紋のことはどういう風に考えたらいいのですか?」
「君は、僕があれから何もしないでいたと思うのですか。僕もこれで却々やったのですよ。D坂は毎日の様にうろついていましたよ。殊に古本屋へはよく行きました。そして主人をつかまえて色々探ったのです。――細君を知っていたことはその時打明けたのですが、それが却かえって便宜になりましたよ――君が新聞記者を通じて警察の模様を知った様に、僕はあの古本屋の主人から、それを聞出していたんです。今の指紋のことも、じきに分りましたから、僕も妙に思って検しらべて見たのですが、ハハ……、笑い話ですよ。電球の線が切れていたのです。誰も消しやしなかったのですよ。僕がスイッチをひねった為に燈ひがついたと思ったのは間違で、あの時、慌てて電燈を動かしたので、一度切れたタングステンが、つながったのですよ。スイッチに僕の指紋丈けしかなかったのは、当りまえなのです。あの晩、君は障子のすき間から電燈のついているのを見たと云いましたね。とすれば、電球の切れたのは、その後ですよ。古い電球は、どうもしないでも、独りでに切れることがありますからね。それから、犯人の着物の色のことですが、これは僕が説明するよりも……」
彼はそういって、彼の身辺の書物の山を、あちらこちら発掘していたが、やがて、一冊の古ぼけた洋書を掘りだして来た。
「君、これを読んだことがありますか、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行許ばかり読んで御覧なさい」
私は、彼の自信ありげな議論を聞いている内に、段々私自身の失敗を意識し始めていた。で、云われるままにその書物を受取って、読んで見た。そこには大体次の様なことが書いてあった。
嘗かつて一つの自動車犯罪事件があった。法廷に於て、真実を申立てる旨むね宣誓した証人の一人は、問題の道路は全然乾燥してほこり立っていたと主張し、今一人の証人は、雨降りの挙句で、道路はぬかるんでいたと誓言した。一人は、問題の自動車は徐行していたともいい、他の一人は、あの様に早く走っている自動車を見たことがないと述べた。又前者は、その村道には二三人しか居なかったといい、後者は、男や女や子供の通行人が沢山あったと陳述した。この両人の証人は、共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、何の利益がある筈もない人々だった。
私がそれを読み終るのを待って明智は更らに本の頁を繰りながら云った。
「これは実際あったことですが、今度は、この『証人の記憶』という章があるでしょう。その中程の所に、予あらかじめ計画して実験した話があるのですよ。丁度着物の色のことが出てますから、面倒でしょうが、まあ一寸読んで御覧なさい」
それは左の様な記事であった。
(前略)一例を上げるならば、一昨年(この書物の出版は一九一一年)ゲッティンゲンに於て、法律家、心理学者及び物理学者よりなる、ある学術上の集会が催されたことがある。随したがって、そこに集ったのは、皆、綿密な観察に熟練した人達ばかりであった。その町には、恰あたかもカーニバルの御祭騒ぎが演じられていたが、突然、この学究的な会合の最中に、戸が開かれてけばけばしい衣裳をつけた一人の道化が、狂気の様に飛び込んで来た。見ると、その後から一人の黒人が手にピストルを持って追駆けて来るのだ。ホールの真中で、彼等はかたみがわりに、恐ろしい言葉をどなり合ったが、やがて道化の方がバッタリ床に倒れると、黒人はその上に躍りかかった。そして、ポンとピストルの音がした。と、忽ち彼等は二人共、かき消す様に室を出て行って了った。全体の出来事が二十秒とはかからなかった。人々は無論非常に驚かされた。座長の外には、誰一人、それらの言葉や動作が、予め予習されていたこと、その光景が写真に撮られたことなどを悟ったものはなかった。で、座長が、これはいずれ法廷に持出される問題だからというので、会員各自に正確な記録を書くことを頼んだのは、極く自然に見えた。(中略、この間に、彼等の記録が如何に間違に充みちていたかを、パーセンテージを示して記してある)黒人が頭に何も冠っていなかったことを云い当てたのは、四十人の内でたった四人切りで、外の人達は山高帽子を冠っていたと書いたものもあれば、シルクハットだったと書くものもあるという有様だった。着物についても、ある者は赤だといい、あるものは茶色だといい、ある者は縞だといい、あるものはコーヒ色だといい、其他種々様々の色合が彼の為に説明せられた。ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上衣を着て、大きな赤のネクタイを結んでいたのだ。(後略)
「ミュンスターベルヒが賢くも説破した通り」と明智は始めた。「人間の観察や人間の記憶なんて、実にたよりないものですよ。この例にある様な学者達でさえ、服の色の見分がつかなかったのです。私が、あの晩の学生達は着物の色を見違えたと考えるのが無理でしょうか。彼等は何者かを見たかも知れません。併しその者は棒縞の着物なんか着ていなかった筈です。無論僕ではなかったのです。格子のすき間から、棒縞の浴衣を思付いた君の着眼は、却々面白いには面白いですが、あまりお誂向あつらえむきすぎるじゃありませんか。少くとも、そんな偶然の符合を信ずるよりは、君は、僕の潔白を信じて呉れる訳には行かぬでしょうか。さて最後に、蕎麦屋の便所を借りた男のことですがね。この点は僕も君と同じ考だったのです。どうも、あの旭屋の外に犯人の通路はないと思ったのですよ。で僕もあすこへ行って調べて見ましたが、その結果は、残念ながら、君と正反対の結論に達したのです。実際は便所を借りた男なんてなかったのですよ」
読者も已すでに気づかれたであろうが、明智はこうして、証人の申立てを否定し、犯人の指紋を否定し、犯人の通路をさえ否定して、自分の無罪を証拠立てようとしているが、併しそれは同時に、犯罪そのものを否定することになりはしないか。私は彼が何を考えているのか少しも分らなかった。
「で、君は犯人の見当がついているのですか」
「ついていますよ」彼は頭をモジャモジャやりながら答えた。「僕のやり方は、君とは少し違うのです。物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうでもなるものですよ。一番いい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜
ツッコむ前に前提情報書いとくよ。
今回の旧正月はイベントとよべるほどのものではなく、限定アイテムの販売と動物の会話があるだけ。
「日本の正月イベント」はなくなってて、年末のカウントダウンと新年イベントとして統合されている。
更にいえば、ユーザーも島も次に控えてる大型のカーニバルイベントの準備中で、別に島が旧正月風になってるわけでもない。
任天堂ツイートの日本語読めないの?旧正月の限定アイテム販売してる以外に何の説明がいるの?
じゃあ少し前から販売されたアメフトの大会にちなんだ限定アイテムの販売にも説明がいるの?
他にも毎回限定アイテム販売の度何か特別な説明がいるの?どうかしてんじゃない?
触り過ぎて感じすぎなんじゃない?
shinichikudoh 日本の正月イベント、やってないはず。現在のトップコメのファクトチェックできてるかな。任天堂の元ツイートへのリプ以外に攻略サイトでもそう書いてる。正月アイテムと正月イベントは違う。デマがトップで良いの?
「日本の正月イベント」はカウントダウンに吸収されて一つのイベントになってるから、この指摘自体は正しいが、今回の旧正月もイベントではない。限定アイテム販売といつもの動物の会話があるだけ。
adatom 旧暦イベの有無を批判してるんじゃなく、なぜか旧正月で中国韓国の伝統服をアイテム化するわイベ専用会話で旧正月おめでとう連呼だわ旧正月だけお年玉渡せるわで日本の正月イベより派手で違和感続出でしょ?当然では
多分この人実際プレイしてるんじゃなく、そこらへんから都合のいい情報かいつまんでるんだろうけど、何かの日や催しに関連づけて様々な国のアイテムを出すのはいつもの事だろ。たまたま今回は中国や韓国なだけ。新年はしずえやらたぬきマイレージプログラムの挨拶とかあったがそれはスルーするのかね?やってないから知らないだろうけど新年特有のBGMもあったぞ~旧正月のお年玉わたせるようになったのは、新年にお年玉渡せない事を多くのユーザーが不満に思い声をあげてたから今回できるようになったんだろ。
大体、今回の件に文句言うなら新年に販売された限定のアイテムの「オリビエサラダ」や「ユンノリ」にも言えよ。オリビエはロシア、ユンノリは韓国のもの。「日本の正月イベ」とか言って勘違いしてるが、年末年始はカウントダウンイベントと新年イベントとして「日本の正月イベ」ではなく世界的な年末年始のイベとしてやってるだけ。別に日本をないがしろにしてるわけでもなく(寧ろ日本固有アイテムが一番多いんだから優遇されてるだろ)ましてや今回はただの期間限定アイテムとどうぶつの会話だけで、実際は控えてるカーニバルイベントに島は装飾されてるんだよw
aa_R_waiwai 「No japanは韓国市民の自発的な運動」と称賛していた日本リベラルが、これは批判する不思議。やってることは完全に同じはずだが。
この人は日頃政治的なブコメに目を通さない私も知ってるが、あつ森云々ではなくいつもの事だからしょうがないか。
また仮想のリベラルと戦ってるようでご苦労様。皆が楽しんでるゲームにまでそういうので何か言おうとするのみっともないよ。
その理屈で言うなら、「No japanは韓国市民の自発的な運動と称賛していた日本リベラル」を以前批判していたaa_R_waiwai氏は、そんなリベラルと同じにならないために今回の件では任天堂に絡んでる馬鹿な奴らを批判すべきはずなのにね。そこには触れないんだね(触れてないから、いざとなればどちらにも転がせる卑怯なやり口)
dahlia_osaka 現時点で周辺諸国を侵略している大国に媚びるってのが気持ち悪い。中国、韓国が絡むと、平和じゃなくてヘイワってだけ。
この人もアイコンが特徴的でいつも的外れで頭の悪い事かいてるから覚えてるんだが、「中国、韓国が絡むと、平和じゃなくてヘイワってだけ」の意味が分からないな。
カタカナにしてるだけで何か言ってるようで何も言っていない、痛い歌詞を読んでるみたい。中国らの侵略行動に異を唱えるのには同意するが、それならこんなゲームのただの限定アイテム販売に難癖付けるより、何もせず指をくわえて中国の靴舐めてる議員や党にでも言えば?貴方の好きな自民党にいっぱいいるよ。
yukitan_i 自国企業は自国の風俗習慣を他国のそれよりも優先して欲しい、と考えるのは、日本人に限らず一般的な反応だと思う。それをまとめて差別扱いネトウヨ扱いして対立を煽るべきではないと思うの。
何言ってんの?あつ森の世界って別に日本ではないし日本文化を発信する道具ではないからね。一企業の商品だぞ?日本が舞台のゲームで他国の文化を優先してるなら文句言うのも分かるが。そんなこと言うなら、勿論日本文化に根差していないゲーム内のイベントやアイテムには当然いちいち文句つけるんだろうね?それが一般的な反応なんだろ?こりゃ、大変だねw「ネトウヨ扱い」もなにも、あつ森で山ほど世界中のアイテムが販売されてるのに、その都度この人達は何も反応しなかったのに、旧正月アイテムには反応するんだからそりゃそんな風に見えるよね。それが一般的な反応だと思うよ。
seachel これどうぶつの森プレイヤー的には背景事情がありまして、3DS版まで日本の風習や暦を元にしたイベントが殆どだったのに、あつ森になってから急にそれらが削られてコレだから不満が溜まってる人達が一部いるんよ…
この指摘自体は間違ってないと思うよ。もっと日本のイベントが楽しみたいユーザーも多くいて不満に思う人も。でもこれは、どうぶつの森が少しずつ世界に広がって(対応言語や販売国の多さを見れば分かるだろう)、日本的なイベントだけでは難しくなった背景があるので個人的には仕方ない流れだと思う。あと、今回任天堂に絡んでのはこの人が指摘する、不満がたまってる人ではないのはツイートたどればすぐわかると思うよ。サンクスギビングとかにも文句言ってるならまだわかるが、そういうのは彼らスルーしてただの限定アイテム販売とどうぶつの会話に文句つけてるんだから。
preciar 日本人にとって一般的ではないイベントがわざわざ入ってるとなると、そりゃ違和感は出るだろうね。ただ、世界展開してる以上ゲームに入れないわけには行かないし、宣伝もせざるを得ない。難しいとこやね
アメフトの大会やサンクスギビングも日本人には一般的ではないが、それらのイベントはスルーして今回の旧正月には文句を言う彼らに違和感を持った方がいいよ。
またこの人か。適切な反論ができないけど、何か一言いいたくてしょうがない人。
建国記念がスルーされがちの意味もよく分からないが。これあつ森の話だよ?
無理に変な憂いをこじつけなくていいよ。
Tatada 棘まとめが詳しいけど、「日本の正月イベントでは門松の販売日が元旦、届くのは2日目」って感じで力の入れようの差が明らかだし。他にもこどもの日イベ削除とか批判はあるそうで
まずこの人はゲームのシステム理解してないな。力の入れようの差が明らかといってるがイベント当日に販売は当たり前だし、翌日届くのはいつもの事。別に正月だけこうなったわけじゃない。当日ほしいなら、時間操作かフレンドと協力すれば当日手に入るし、すればいいだろ。まるで正月だけ「門松の販売日が元旦、届くのは2日目」みたいな印象操作してるが、どうかしてるんじゃないの?
tomoya_edw 日本のソフトなら日本の正月はやっていい気はするけど、グッズくらいもなかったのかな。Steamの旧正月もそうだけど、お金出すところに最大限コミットした結果だろうと思っている。
(1)はこちら。anond:20210212080317
好き。ただし、当時の人にしかわからないパロディやジョークが多く、というかこの本を通じてしか残っていないのもあるので、純粋に笑えるかどうかはわからない。とはいえ、わからないなりにナンセンスさは楽しく(「ぽっぺん先生」シリーズにも引き継がれている)、トーベ・ヤンソンなどいろいろな人の挿絵も楽しめるし、こじらせ文学少年・文学少女とも仲良くなれるかもしれない。大学時代の読書サークルは楽しかったなあ。
ドストエフスキーの小説は基本的に頭がおかしい。ドストエフスキー自身がギャンブル依存症でユダヤ人嫌いのヤバいやつだし。
登場人物は基本的に自己主張が激しくて感情に溺れやすく、数段落数ページにまたがって独白する。プライドが無駄に高くて空想癖がひどく、思い込みが激しくて人の話を聞いちゃおらず、愛されていないのに愛を語る。そしてそんな奴らが大好きだ。
ぜひとも増田をロシア文学沼に落としたいのだが、いかんせん「悪霊」を含む五大長編から挑戦するのはハードルがあまりにも高いので、「永遠の夫」か「賭博者」か「地下室の手記」か「白夜」からがおすすめ。ロシア文学はいいぞ。
ところで、高校時代の友人曰く「ドストエフスキーにはまるのは自己愛と自己嫌悪の衝突を必死にプライドで支える人間、言い換えるとモテない」とのこと。ひどい。
こっちはスマートなほうのロシア文学。一家が没落して家や土地を売らないといけないのに、家の経済状態をわかっておらず(認めず)すぐに物乞いに金貨を上げちゃう、現実の見えていないお母さんのキャラが強烈。ギトギト描写するドストエフスキーに対し、勘所をびしりと抑えるチェーホフ。
実家のお母さんと(特にお金関係で)うまくいっていない人におすすめ。
未読。怪作「木曜日だった男」は読んだんだが。ミステリはあまり読んでいないのでそのうち読む。
誰もが冒頭のマドレーヌの香りから想起されるママンとの思い出についてしか語らず、たぶんみんなちゃんと読んでないからなのだが、実は無職のマザコンが自分の性の目覚め(野外オナニーを含む)やソープ通いや失恋の思い出について延々と語っている話で、何度語り手に向かって「働け!」と言いたくなったことか。
しかし、実のところ登場人物の九割がLGBTという当時としては非常に先進的な小説で、さらに当時炎上していたドレフュス事件という両陣営を真っ二つに分断した冤罪事件をネタにもしているので(今でいえばMeTooやBLMに相当する)、実は差別反差別についていろいろ語っている増田たちにすごく刺さる内容だと思う。俺差別してないし~、あいつは〇〇人だけどいいやつだよ~、的な態度もぐさりとやられている。最高でしかない。
ちなみに、金に苦労しないボンボンがうだうだ恋愛で悩む小説が好きになったのはこの本のせい。「アレクサンドリア四重奏」とかね。
不条理ギャグすれすれで訳もわからずひどい目に合う小説。いきなりこの小説にチャレンジするのはしんどいので、まずは「変身」か岩波文庫の短編集を読んで、カフカのノリが気に入ったら読むといいんじゃないかな。
読んでいるとカフカがお父さんのことめちゃくちゃ苦手だったってのがびりびり伝わってきて気の毒(カフカは線の細い文学青年、父は叩き上げのビジネスマン。想像できるでしょ?)。お父さんとの関係がこじれている人におすすめ。
最高のダメ人間小説。精神勝利法なることばはどこかで聞いたことがあるんじゃないだろうか。作者は当時の中国人の意識の低さを批判したつもりらしいが、万人に刺さる内容。
ちなみに自分はダメな人間、情けないやつ、どうしようもないやつが大好きなので「指輪物語」のゴクリ(ゴラム)だとか、「沈黙」のキチジローだとかが大好きです。
さえないおっさんが妻の浮気を知りながら一日中ダブリンの町をウロウロするだけの寝取られ小説で(途中で女の子のスカートをのぞいて野外オナニーもする)、このリストの前に出てきた「オデュッセイア」のパロディでもある。
これだけだと何が面白いのかよくわからないのだが、実は当時の反英的な機運の高まっているアイルランドの空気を活写している。それだけではなく小説の様々な実験的手法の見本市みたいになっており、和訳もすごい。たとえばある章では英文学の様々な文体を歴史順に真似て英文学の発展をパロるのだけれど、和訳ではその章は祝詞に始まって漢文になり、漱石や芥川の文体を経て現代小説になるという離れ業で訳している。これがもっと無茶苦茶になると「フィネガンズウェイク」になるのだけれど、すでに言語の体をなしていないのでまだ読めてない。
上記の説明でドン引きしないでください。「ダブリン市民」をお勧めします。
結核療養サナトリウム小説。北杜夫ファンの間で有名な「ねーんげん的」の元ネタ。あらゆる知識を山のサナトリウムで吸収した主人公の運命やいかに! 「ノルウェイの森」で主人公が京都山中の精神病院にこの本を持っていくのは村上春樹なりのジョークか。
ただし、やっぱり長いので美少年萌えな「ヴェニスに死す」か陰キャの悲哀「トニオ・クレーゲル」にまずチャレンジするのがおすすめ。
はまったら「ブッデンブローク家の人々」や「ファウストゥス博士」を読もう。
洗脳エンドのディストピア小説なんだけど、増田で「一九八四年」が古いと言われてしまうんだったらこれはどうなるんだろ。読むんだったら他の「すばらしい新世界」とか「ハーモニー」とかと読み比べて、ディストピアの概念が現実の社会の変化に合わせてどんな風に発展してきたからを考えながら読むと面白いのかも。
未読。長すぎる。
未読。
文学サークルの友人に勧められて読んだんだけど、とんでもない小説だった。あらすじとしては、野望に取りつかれた南部の人種差別主義者が自分の帝国を作るために理想の女性と結婚するが、その女性に黒人の血が混じっていたために離婚して別の女性と結婚することから始まる、二つの家系の因縁話なのだが、時系列がしっちゃかめっちゃかなのでとにかくその男の妄念とその子孫の不幸ばかりがじりじりと迫ってくる。あまりにもすごかったのでフォークナーの他の作品は読めておらず、黒人差別を扱った小説も怖くて読めていない。
未読。
読んだがよくわからなかった。うつ状態のときには時間の経過さえも苦痛で、それを救ってくれるのは音楽だけだ、的な話だったか。とにかく本を読み漁っていたころ、新潮文庫のサルトル短篇集を意味も分からず読んでいたのを思い出す。わけもわからないままヌーベルヴァーグを観ていた頃だ。さっき出てきた高校時代の友人曰く「フランス映画のあらすじはセックスして車で逃げて殺されるだけだ」とのことだが、起承転結に還元できない小説を楽しむようになったのはこの頃からだった。
未読。
短いのですぐ読める。ゴドーはいまだに再臨しないキリストのアレゴリーだという説もあるが、実際のところはよくわからない。意味の分からない話だけど、僕らの人生も結構意味不明だよね、みたいな感じか。
未読。「愛人」は読んだが記憶のかなた。まだ幼くて没落する富裕層とその爛れた愛を十分に楽しめなかった。
どうでもいいが自分が年上萌えに目覚めたのは「海辺のカフカ」のおねショタシーンです。
レムの作品の中では一番好き。たとえ出てくる科学技術の描写が古くなっても(SFだとこういうことはよくある)、理解できない対象として立ちふさがるソラリスという惑星の描写は古びない。
SFは考えうるあらゆる可能性を検討し、人類の達成しうることや宇宙の中での意味について想像力の境界をどこまでも遠くまで広げていく文学だ。中には人類がろくでもない理由で滅亡してしまったり、人間など取るに足りないという悲観的なヴィジョンに至ってしまったりするものまであるが、それでさえ美しい。なぜなら、想像力がヒトという種の肉体に縛られまいと羽ばたいた結果なのだから。
最近SFをろくに読んでいないが、元気が出たらまた読みたいものだ。
初めて読んだラテンアメリカ文学。起こりえないことが起こり、名前がややこしいので誰が誰だかすぐに混同され、しかもそのすべてが意図的である。混乱してもとにかく読み進めてほしい。目の前で起きる不可解な出来事をまずは楽しもう。
慣れてきたら、これが不条理としか言いようのない南米の歴史の縮図だとかそんなことを考えてみるのもいいかもしれない。この本のおかげでボルヘスに、バルガス=リョサに、ドノソに出会うことができた。
一説によるとこの本が文庫化されるとき世界の終末が近づくという本の一つ(未確認情報)。新潮社がなぜか頑なにハードカバーしか出さない。ちなみに「薔薇の名前」にもそうした風説がある。
インド独立の瞬間に生まれた子供たちが全員テレパシーの使い手だった! こんな話があの岩波文庫に収録されるんだから世の中わからない。
主人公は裕福な家で育つが、じつはそれは出産時の取り違えによるものであり、誤って貧しいほうで育ってしまった子供が復讐にやってくる。それも、真夜中の子どもたち全員を巻き込む恐ろしい方法で。
インドとパキスタンの分裂、人口抑制政策、そういったインドの歴史をちょっと頭の隅っこに入れておくと面白いが、昼ドラ的な入れ替わりの悲劇の要素のあるSFとして娯楽的に読める。権力を持った強い女性に対する嫌悪感がほんのりあるのが難点か。
ちなみに、「悪魔の詩」も読んだが、(亡くなった訳者には本当に申し訳ないが)こっちのほうが面白かった。あれは当時のイギリスのポップカルチャーがわかっていないと理解が難しい。
独自の神話的なヴィジョンで有名らしいんだが、邦訳あったっけ?
未読。
卒業旅行でパリに持って行った。たぶん時期的には最高だったと思う。とにかく血だとか死だとか堕落だとか退廃だとかそういうのに惹かれる人生の時期というのがあり、まさにそのときに読めたのは幸せだった。もっとも、所詮自分はそれらを安全圏から眺めていただけだったが。
同じく卒業旅行でパリに持って行った。残念ながらフランス語はわからないのだが、フランスのサンドイッチは最高だった。当時はまだピュアだったのでキャバレーやフレンチカンカンは見に行っていない。
未読。
未読。
ドストエフスキーの作品がカーニバル的、つまり一斉にいろんな出来事が起きてしっちゃかめっちゃかになって、日常の価値観が転倒する、みたいな内容。確かにドストエフスキーの作品は爆弾抱えた人間が一か所に集まってその爆弾が一斉に大爆発、的な内容が多い。
ただ、これ以上のことは覚えていない。実はあまり文芸批評は読まない。
未読。
疲れたので続編をやるかは不明。日本文学や哲学・思想は海外文学ほど読んでないし。まとめてみて、遠ざかっていた文学に久しぶりに手を伸ばしたくなった。