はてなキーワード: 誤植とは
精神疾患の診断・統計マニュアル第5版(DSM-5)の最初の版にペドフィリア的性的指向(Pedophilic Sexual Orientation)と言う言葉があったのだが、
The American Psychological Association maintains that pedophilia is a mental disorder; that sex between adults and children is always wrong; and that acting on pedophilic impulses is and should be a criminal act. The American Psychological Association has worked for many years to prevent child sexual abuse and will continue to do so. — APA statement regarding pedophilia and the DSM-5
(追記)
ありがとう、助かる。
どっか落としてるだろうとは思ってたが、仕事終わりに自分の文章なんかマトモに読めねえんだよな。
句点イレル。同じ現場だった70過ぎの爺さん校正者もよくやらかしてた。俺もあの歳まで働くんだろうか。元気してるだろうか。
「一番最後」はママで。副詞的用法だと「ぶっちぎり」みたいなニュアンスを感じるから、おっしゃる通り強調表現の範囲内として個人的には違和感ないかな。もちろん要指摘事項だが。
“?”の後ろに文章が続けばスペースあり、後ろが “」”の記号ならスペースなし、“これはいったい何年前の学説なんだ?って” と促音でもスペースなし、が校正ルールってことかなーと思いながら読んだ。
だいたいそう。最後の場合はスペース入れる表記ルールも多いけど、俺は一文としてつながりがあるならアキなしの方が好き。
校正って、文章の体裁を整えるだけじゃなくて、内容のチェックも求められるじゃん。
そこまで求めるのかって思うわ。
この前もゲームの歴史みたいな本が、事実と違うって炎上して回収騒ぎになって、校正は何をしてるんだって出版社が文句言われてたけど、こそまで調べられるなら著者に書かせないで出版社が自分で書くだろっていつも思うわ。
文章の体裁を整えるのは校正で、事実関係の確認や内容に踏み込んだ指摘をするのが校閲であり、それぞれ別の仕事である……ってのは大昔の話。
写植がなくなり、ネットが普及した今じゃどっちもやるのが当たり前になった。
校正しろって言われても最低限の事実確認はするし、校閲しろって言われても行頭二分アキ折り返し天ツキー、だ。
現代じゃ校正も校閲も業務自体はラクになったんだろうが、そのぶん求められることが増えた。どっちの方がマシなんだろうな。
ゲームの歴史も、あんだけミスがありゃ業界素人の校正者でも1個や2個ぐらいは事実との齟齬を見つけてたかもな。でも「校閲は何をしているのか」って増田にも書かれてるように、校閲者のひと声で進行がストップするなんてまずありえない。
「じゃあAIでいいじゃん」ってブコメがあったが、全くその通りだと思うぜ。
(本文)
なんか一瞬だけ校正が話題になったらしいがな、あんなんロクな仕事じゃねえ。
俺はこの業界に入った直後の飲み会で「この仕事、20年くらいで頭おかしくなって失踪しちゃう人多いから気をつけてね」って笑いながら言われたぞ。
俺はあと何年もつんだろうな。もう壊れてるかもな。
だいたい、どこのどいつがしょーもない誤字脱字を見つけられて感謝するんだ。
「いやいや、自分は感謝している」ってか? 嘘つけ、とんちんかんな指摘が来たら逆上してSNSにアップするんだろどうせ。指摘がとんちんかんかどうかも出版社や著者によって変わってくるんだからな、まったくやってられねえ。
ある案件で鉛筆を入れれば烈火のごとく怒られ、ある案件では鉛筆を入れなかったことにねちねち詰められた。
あの時の判断はどっちも間違ってなかったって、俺は今でも思ってるけどな。
一番クソなのは表記統一だな。あんなの気にする奴なんかいるか?
「つながる」だろーと「繋がる」だろーと、混在してようがどっちでもいいだろ。
一文中の漢字と仮名のバランスガーとかそんな高尚なもんじゃなく、単純に気にして読んでる奴なんて誰もいねえんだよ。
「繋」は俗字だから直せだと? うるせーな、てめえは校正者か?
今どき「繫」を使ってるメディアなんかねえだろ、たぶん。
著者をキレさせて、読者にそっぽを向いて、出版の奴らしか気にしないようなエセルールを厳守して満足してるわけだ。
ダーシや3点リーダがひとつだろうとふたつだろうと、どうでもいいんだよ。
誤脱拾わせるのなんてWordにでも任せとけ。
「非常に複雑な判断が求められるからAIには無理」とか言う奴も多いから聞かせてもらうけどよ、人間の脳みそって本当にAIより出来がいいのか?
俺にはとてもそうとは思えねえ。あと5年か10年もすりゃ余裕で超えるだろ。
うさんくせえアフィ記事の段落ひとつをまるまるコピペして、ちょろっと表現変えただけでファクトチェックは全部ぶん投げるクソライター。
専門分野より先に日本語を学べってレベルで主述関係がメチャクチャで、挙げ句の果てに自分とこの専門用語さえ間違えてるクソ学者。
そんなものにセコセコ鉛筆入れてるこの仕事も、ロクなもんじゃないに決まってる。
AIはファクトチェックができないって? なるほど、どうなんだろうな。
だが、専門家でもない俺らのファクトチェックなんざ、たかが知れてるだろ。
どうせパソコンかたかたやって、ネットのマトモっぽいサイト見つけて「うーん……これはたぶん公式!」って適当な認定して、そこから情報がきちんとコピペされてるかチラッと見る……やっぱもう5年か10年もありゃ、普通にAIでもできそうじゃねえか?
「××駅から徒歩10分!」とか書いといて、GoogleMap見たら30分はかかりやがる。
俺ら御用達のコトバンクだって、これはいったい何年前の学説なんだ?ってのがザラにあるじゃねえか。
だが校正ってのはとにかく時間がねえ。出版ルートにおける一番最後、要するに下水道だ。
著者がなかなか書きやがらねえ。編集がなかなか回してこねえ。そのくせ締め切りは動かねえ。ならどうするか? 校正の時間を削るんだよ。
つまり一番どうでもいい工程なんだってことは、出版業界の共通認識なんだろ?
ブルシット・ジョブよりタチが悪い。
若者の台詞なのに「これはら抜き! い抜き!」とか鉛筆入れてる初校を見ると「バカかテメェは?」とか言いたくなるんだよ。
そんときばかしは著者に同情するな。「あの校正者をクビにしろ!」とかクレーム電話の1本や2本入れるかもしれねえ。
仕方ねえから初校にフィードバックすると、すげえ不満そうな顔されんだよな。
正しい日本語ってなんだ? それは著者の表現したいものより大切なのか?
著者の頭の中にある世界を、誤字脱字なんか余計なノイズなしに、そのまま100%伝えるんだって。
気づけば俺は、「十年と一〇年で表記がユレてます」なんてクソどうでもいいことばかり憧れの作家に抜かしてるわけだ。
でも仕方ねえじゃねえか。
木っ葉校正者の地位なんてカスみたいなもんだから、身を守るには野暮な指摘を入れるしかねえんだよ。
「私はちゃんとここに気付いてますけど、あえてママにしているんですよね?」ってアピールをしとくんだ。
誰だって入れたくねえよ、こんな鉛筆。でもそうしなきゃ、いつ契約を切られるか分かりやしねえ。
正直な話、俺は小説より漫画が好きだからよ、いつもジャンプのことを考えてるんだ。
暗殺教室知ってるか。あれに有名な誤字があるんだ。
「転んだ」が「殺んだ」になってるってやつな。
俺は今でも、あの41話をチェックした人のことを思っている。
そんなクソ盛り上がるシーンなんだから、松井先生もそりゃお得意の言葉遊びをするだろうさ。
俺がもし「(念)この『殺んだ』は『転んだ』の誤表記ではありませんね?」なんてお伺いを立ててる奴を見かけたら、もう絶叫しちまうよ。
当たり前だろ。マジで冷めるから鉛筆だろうと死んでも入れるなよ、そんな指摘。
ところがどうだ、実際はマジの誤植で、編集部からお詫びまで出た。
いったいどうするのが正しかったんだろうな。
やっぱり指摘をしとけば、防げるミスだったんだろうよ。
でもな、答えを知っちまった今でも、俺はやっぱり「殺んだ」をスルーするのが一番だと思うんだ。
たとえ校正者として間違った態度だとしても。
「私はあなたとあなたの作品を信頼しています。だからこの表現には何も指摘を入れません」
そういう仕事をしてえよな。
ただまあ、もう一つだけ欲を言えば、俺が恐縮しながら入れた鉛筆が、作品の世界をちょっとだけ広げることにつなげられたなら……。
いいや、それは下心がありすぎだ。何様だよ、お前は。
だから俺は明日も結局、ホームページ代わりにインスタを使ってるオシャレ飯屋に悪態をついたり、聞いたこともねえ企業が前株なのか後株なのかを必死こいて調べたり、シャーペンの先っぽで一字一字ゲラの文字をぷちぷち押さえたりするだけなんだ。
誰にも求められてない仕事のためにな。
ああ、クソッタレ。
つい最近購入した平凡社ライブラリーの『魔法』(カート・セリグマン著)を、読み返している。ほぼ西洋に限定しているし、原著の出版が1948年と古いし、文章も読みにくいが、全体的に見れば楽しい本であることは間違いない。間違い無いのだが…。
この『魔法』の巻末には、参考文献リストが列挙されている。その中に
『ナカルト』
という書名がある。著者の名前は、コリン・ウィルソンとなっている。そう、あのコリン・ウィルソンである。
もちろん、これが『オカルト』の間違いであることは明らかである。文字の形状が似ているために「オ」と「ナ」を取り違えたのであろう。しかし、活字を組んで活版印刷をしていた旧い時代ならばいざ知らず、今どきこんな間違いが起こり得るものなのだろうか? 現代日本の出版物の印刷技術に詳しいハテナーがいたら、ぜひ教えて欲しい。
それにしても、万が一、コリン・ウィルソンの名前も有名な著作『オカルト』のことも知らなかったとして、そもそも魔術・呪術・錬金術・オカルトについて書かれた本なのだから、その参考文献リストとして挙げられていれば「これは『ナカルト』じゃなくて『オカルト』のことなのではないか?」と、出版に携わった編集者その他の人間は、疑問に思わなかったものなのだろうか。長大な本文の中に埋もれている誤植じゃなくて、パッと目につく参考文献リストなのである。あまりにも凡ミス過ぎないだろうか。
なお、参考文献リストの中で挙げられている他の書籍にしても、例えばリチャード・マシスンの有名な小説『地球最後の男』が、1958年に初翻訳された時の古い情報のままで「リチャード・マティスン『吸血鬼』」となっている。セリグマンの『魔法』が最初に翻訳された時に作成した参考文献リストを、チェックせずに右から左に流用したのだろうか。
こういう興醒めさせられる誤植、他にもある?
https://www.shogakukan.co.jp/books/09126440
https://seiga.nicovideo.jp/watch/mg165284
江火野、江火野ですよね…。
がたいがよくてデカパイ高身長黒髪ロングストレート幼馴染という明らかに誘引剤かつ負けヒロインにどっぷり引き込まれ、連載当初それがあまりにも(勝手に)露骨に感じたので読むものかと序盤で本を置いておりました。
このたび完結まで読みまして、面白かったです。
特に序盤は主人公の恋愛があまり動かず、ヒロインの指宿くんは正体を隠して敵対、初恋ゾンビのストーリーの動き出しも遅い感じで、江火野というどストレートな魅力がなければ序盤をいい感じに引っ張れなかったかなと思いました。
そんな江火野のすごいと思ったところ。それは彼女が体にコンプレックスが(たぶん)一切、ほとんど?ない・描かれてなかったところ。
彼女が高身長で悩むことも大きな胸に悩むこともない。たとえ服や水着が小さかろうが胸で隙間に詰まろうが体を嫌ったり極度に恥ずかしがったりしないんですよね。服が破けて見えたり胸が他人に当たったりすることは常識として恥ずかしがって嫌がるけれど、コンプレックスとしてではない。(胸が当たっても人を支えるとかの付随だと恥ずかしがらない)
恋敵はいろいろ正反対な指宿くんになるわけだけど体を比較しないし、胸で勝負をしかけたりもしないのはすごかった。(プランは練ってたけど)
ただただ彼女は背が高くて胸が大きいキャラクターだった。でもそんなあまり体に言及しないキャラは他にもいるのだけれど、初恋ゾンビはメタ的に読者に江火野の性的魅力を江火野ゾンビ含めてガンガン押し出してくるわけですよ。21話なんか白いシャツに光が当たってシャツは胸で膨らんで真下に落ちる寸胴系のシルエットだけど胸の影で形がはっきりわかるのがもうね、やりすぎ!≧≦おいおいおいマジかよご褒美すぎるだろという気持ちとスケベ要員じゃないまともな恋愛キャラをこんなに影で、キャラが知らないところでエチエチできる作者の脳はどうなっているんだ!?とあきれかえりました。
いやすごい作者だよ。知ってたけれど。どういう意図で作っていたのかこれは知りたい。
そんなわけでレースはおそらく負けヒロインである江火野をやや応援してましたが、やっぱり負けましたね…。
プレゼントの手袋をしてくれない時点で怪しんでいたとはいえ、決定的な瞬間まで自分はもしかしたらありえるんじゃないかと期待はしていました。
初恋は特別だとしてもそれはそれとして初恋に決着つけつつ今の恋を取るルートも全然アリだよねと思っていたので。そっかーダメだったかー。と。大きな失点もなかったので粛々と受け入れております。
ラブコメもののひとつのパターンはいかに主人公の恋愛を進めず恋愛のエッセンスをお出しするか。のようなものがあるのかなと思います。当然僕ヤバのようにゆっくりと着実に進んでいくラヴも非常によろしいものではあるのですが。
今作は初恋(失恋)ゾンビの実害を回避する名目で他人の恋を推し進めるというパターンで主人公ではない恋を進行させつつ、そばには常に主人公ラブなイヴを配置している。
ほぼ擬似人格で自分じゃない恋愛を進行する神のみぞ知るセカイのようなやつにお供のエルシィはもっとラムちゃんやToLOVEるなどの恋愛要素が高い押しかけヒロインとして、一方的に好かれる心地よさも用意してある。
サブキャラの個々の恋愛ストーリーも良くできていて非常に楽しめた。
とはいえ周囲の障害を排する目的である以上、くっつける対象は身近な友人やクラスメイトになってしまって話が進むとサブキャラのカップルが増えてごちゃってくるしデザイン空間は狭まるしで息苦しさもすこし。
この巻数でまとめるならちょうど良い感じだったけれど、もっと主人公が積極的だったり指宿くんが初恋ゾンビの知識を持ちすぎず調査のために他所の恋愛を観察したりすると2年目ルートもあったのかなと。でも「初めて」がキーならクリスマスや誕生日を繰り返すのもなぁ。単純にもっと見たくなる魅力的なシナリオぢからでしたと。
ラブコメなら主人公タロウの恋の結末はそれとして読者としてはこのキャラの恋が成就してほしいってのはあると思う。そして他のキャラも不幸にはなってほしくない。
初恋ゾンビはその点イヴというキャラを通して非常に悩ましい関係であった。
他人に見えないイヴエンドなら世俗から離れて孤独に過ごすことになり、江火野エンドならイヴは視界で眠り続け、指宿くんエンドなら初恋は叶って、しかし指宿くんとも仲良くなったイヴ消滅。
妄想(とずっと言うには序盤から知覚外の情報を得すぎだが)の存在ながらイヴのキャラクターもヒロイン候補と言っていいぐらいに仕上がっていたために彼女の存在にみんなが悩み、読者の自分も最適解がずっと見出せないでいた。
人格があるとはいえ人じゃなく初恋成就を願う初恋ゾンビだという点は途中から見落としちゃっていたぐらいであるし、ラストの展開にもいい意味で裏切られたものである。なるほど。
総括として、この漫画は主人公タロウが自分の初恋と向き合うまでの物語だった。翻って、通常のラブコメのようにタロウと真ヒロインとの恋愛が主眼ではなかったと感じた。指宿くんとの典型的イベントはあるけれど、終始男の指宿くんが実は女じゃないのかという疑いベースのドギマギが多くて、成長後の二人の恋愛はあまりなくて初恋が焦点だったかな、と。もし普通の恋愛モノなら自分の場合、主人公のキャラを好きにならないと気分がノれないのだけれど、この物語は初恋のせいでそこそこひねくれた性格になったタロウが徐々に戻ってく話で、そのタロウはあまり好みではない。だけど初恋を見つめるからがっつりとはタロウの恋愛はせずだったので、好きじゃない主人公がイチャイチャラブコメしてるわけでもなくて。自分の恋愛モノの読書経験では中々異色の、主人公をそんなに好きにならないまま完結まで読みきった不思議なバランスの作品だった。全体ではストーリードリブンで読めた名作だと思います。
https://pocket.shonenmagazine.com/episode/3269754496884229720
がたいがよくてデカパイ高身長黒髪ロングストレート幼馴染というキャラに惹かれて(ん?)連載当初に少し読んでいました。なんか読みにくいなと序盤で投げてましたが、完結したし画力やキャラは魅力的だったので今回読みきった。
魔女が秩序と混沌の派閥に分かれてヒロイン(誤植ではない)の多華宮くんを奪い合うお話なんだけど…。
多華宮が秘めている力はヤヴァイものらしい。しかし世界全体はぽややんとしているんだよ。
敵の混沌側、塔の魔女たちは混沌と勝手に言ったけど利己的で研究のためには他者を厭わないという方向の人たちなので、キャラ自体はコミカル寄りなんだわ。
そんな人たちが襲ってきてはヒーローの火々里さんが一蹴するって話が基本構成。
敵味方で分かれてるはずの派閥は作中ではひたすら馴れ合ってて、封印解除の時間経過を待つクロノワールはともかく同級生の初期敵のケモミミ(KMM)団はサブキャラとして居つく。KMM団の師匠のメデューサも顔見せ一戦少ししたらシリアスは終わり一時の共闘関係を結んでKMM団の母親ポジになってご近所づきあい。作中、規模とシリアスで言えば一番頑張ってる爆弾魔のウィークエンドも負けたら学園の"いい先生"にあっさり落ち着く。秩序の工房側のアルシナも言わずもがなで、ほぼ全員理事長の関係者でちっさく回してるだけ。
ラスボスの火陽すら目的達成の手段は多華宮くんとの結婚式と緊張感の欠片もない。ラストのラスト、後処理のフルカネルリの采配に暗い予想をした読者がはたしてどれくらいいただろうか…。
世界の保護システムで一般人に危害は及ばないのだが、もっと上位のメタ的な意味で「この漫画は人が死なない」。キャラがほぼ減らない漫画なのだ(星組やウィークエンドの部下にすら後でほんのちょっと出番をもらえるし)。
こんな作品で表面上シリアスやられても茶番にしかならない。一番シリアスで怖いのが名前もないモブの火陽の娘達ってどういうことよ。
これは想像になるけど、作者がキャラに愛着がありすぎるから切り捨てできないんじゃないのかと思う。この作者はめちゃくちゃ設定を凝る人で、カバー裏に解説があるけど読みきれないほど世界やキャラに設定がある。自分は途中から裏表紙を見ることをやめた。
ひとりひとり凝りに凝ったキャラだから使い捨てができないのかなと。そのせいで
襲そう
負ける
居つく
ケモミミが好きだからたんぽぽちゃんは残したいとしてもKMM団のほかメンバーはばっさり切っちまえばよかったのよ。結局たんぽぽちゃんだけ多華宮家に居つくし。まあメデューサのキャラがいいからKMM団家族の話も悪いわけじゃないけどさー…。
結局、捨てられずもてあましにもてあまして最後の最後に今まで全然活かせなかった虎徹に超雑に出番作ってさ、あれにはマジあったまキたかんな!あんな設定なら出番無しのほうが良かった…そっとしておいてくれ…。
あとケモミミ好きだからこうしたってところで言うとたんぽぽちゃんの出番が無かったからメデューサの使い魔?をケモミミにしたってのもすごくテンション落ちた…。
バトル方面もなんというか、戦略はあるけど戦術がないって印象で、だいたいバーンとやってドーンと終わるみたいなのが多いかなぁ。全員(というか作者が)、よく計画を練って行動しているように感じるものの、終端のやりとりが火々里さんのバーンや巨大人形のドーンで片がつくので…。いえね、絵としては非常に映えるものになってるし月刊誌でこまごまと攻防なんてやってられないとは思うのだけれど。アンバランスさ?空回り?結局茶番のような流れで気分が盛り上がらない。絵はいいんですよ絵は。ただ火々里さんの細かくある炎のレベル表現まで追いきる気分にはならないだけで…。そしてバトルの魅力がないってつまりは魔法の魅力がないってことになって…この魔法好き!とかなかったなって…。摩訶ロンのキャラ好きは魔法好きとは違うし。
漫画世界がぬっるい茶番の日常コメディでもわたくし全然よろしくてよ。普段ならね。
ただこの漫画、守るという名目で火々里さんが多華宮くんをプライベートガン無視の超絶監視体制を敷いてるんですよね。作中の他キャラや読者の自分もドン引きするぐらい。マジヤッベなそれも多華宮くんの、のほほんキャラでほぼ公認されてるわけですが…。いや引くわ~。
火々里さんの言い分はわかるんです。多華宮くんの日常を守りたい。大いに結構。
しかしねぇ、君…この漫画世界は茶番であるのだから…。(自分の人生を生きてという幼少の多華宮くんの願いをやや無視しつつ)そんなにプライバシーを侵害してびったり張り付かなくても悲惨なことにはならないんだよ…。
日常コメディで非常に過剰な警護・侵害をするならフルメタルパニックみたいにガチのシリアスがあって影で実際にシリアスを防いでいてそれでもラスト付近ではコメディを凌駕するガチシリアスで守りたかった日常が一度破壊されてほしい…。
もしあらすじだけを読むと一見それは達成してるように見えるけどそれまでの積み重ねでこっちは茶番としてみてるし実際茶番だし本筋の根っこの根っこはちゃんまともな話をしてても描写が、キャラの動きが、セリフが、コメディなんよ。
そんな世界で一人、無駄にビリビリ気を張っている火々里さんがすごくノイズ。無駄に一人シリアス気取って無駄にプライバシー侵害して無駄に学内外で多華宮くんに実害出てて…。正直、好きになれんかった。
換言すれば、火々里さんがここまでクールを通り越してド重い陰湿なキャラじゃなかったら、こんなド軽い漫画本編の世界でも普通に面白いのです。使命感込みで監視するんじゃなくてちょっと愛が重いクールでおねショタ風味なキャラなら火々里さんも漫画もまるっとまるごと好きと言えるんですよ。逆に本編がドシリアスならこのキャラでも作品ごと好きになってたでしょう。
緻密な重めの世界設定と火々里さんが紐づいていて、その他全部はライトでポップな作風と他キャラがいる。致命的に両者がミスマッチ!
愛が重いだけのヤンデレ気質もあるから最終回後も行動は変わらないだけろうけど、それでももう少しマイルドにしていただけると助かった。
キャラクターとしては唯一無二で好きな人はめちゃくちゃ好きになれるキャラだと思うが、自分には我妻由乃とかみたいな成功したヤンデレにはならなかったというお話です。
漫画にとって重要な主人公の火々里さんが肌に合わず結果つまらない判定ですが、日常コメディやキャラクターは好きなんですよ。
妹ちゃんやりのん先輩はすごく好きだし理事長もメデューサ、アルシナ、小町母さんたち歳増組みも好きで、決して悪い漫画ではないのです。ただただ封印された力をめぐるメインストーリー絡みが合わなかっただけで…。
本編連載を終え、今は番外編のEXTRAが連載してるようです。重い話は終わり多分こっちはコメディ全振りで面白かった成分だけで構成されていてきっと気に入る内容になると思います。サブキャラの出番増えるだろうし。
本編自体も日常コメディの割合かなり多いし、書いた悪い部分も刺さらない人の方が9割だろうから絵が好きな人にはおすすめしておくよ。もし合わなかったら…お家断絶グッバイフォーエバー。
https://harenote.com/58rd-test-general/4
↑じゃあこれ誤植?
もっともそれでも一つ片付いただけで予報士の欠員への対処に関する解釈はいまだ謎
まあ0人はだめと言うのを丸暗記で問題には正解できるんだろうがその先の話として無自覚でも違法なことはしたくないからなあ
そもそも気象庁以外の者は業務上の予想を予報士に「行わせなければならない」っていわれても気象庁の職員と民間事業者で指揮系統つながってるわけないのにどうやって「させる」んだろうね?
たとえばその日たまたま自社所属の予報士の調子が全員悪くてまともに予想ができてないという場合、友人の事業者から誼で無料で業務に使えと気象の予想をもらった場合、これに基づく予報をするのは違法にあたるのかね?
指揮系統がないという点では気象庁の場合と同じだけど。「させようがない」場合は条文の適用外だとするなら、こういう場合も違法じゃないことにならないと整合性が取れないような気がする。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
趣旨は
このたび、「Colaboと仁藤夢乃さんを支える会」より、森牧師の逮捕報道を受けて、公表済みの賛同メッセージを削除した旨の連絡をいただきましたので、ColaboのHPで公表しているものも差し替えてあります。
Colaboでは、「私たちは『買われた』展」を、パネル貸し出しという形で全国で行っています。各地で開催者として手をあげて下さった個人・団体にパネルを貸し出し、そこで開催して頂くという形です。
(略)
バネルを貸し出しているだけであとは知らない、という意味に取れますが、それでよろしいですか?
「私たちは『買われた』展」について、そこらの有象無象から開催希望があっても、パネルを貸し出しているのでしょうか?主催者の活動や理念に共感してるから貸し出してるのではないでしょうか。
このように、対外的にはかなり密接な団体ととらえられていたと思います。
代表理事の仁藤が森牧師と知り合ったのは、2018年に神戸を訪問する機会があった際、知人から、現地で虐待を受けた子どもを保護するNPO法人を運営しているとしてNPO法人ホザナハウスを紹介されたのがきっかけです。
(現在削除済み)
神戸周辺の女の子たちの近くに頼れるところがないかなと思っていたときに教えてもらい、お会いしたいと思っていた森牧師の記事。ホザナハウス hozana-house.com
元々の文章ではたまたま知人から紹介されたことを「きっかけ」としていますが、ツイートを見る限り仁藤さんの側から会うことを希望していたように読めます。
これは「きっかけ」ではないのでしょうか?
「Colaboとつながった」という文言の定義でなんとでも読める文章です。例えば、
「Colaboには接点がないが、仁藤さんに直接相談した人」
このような人に対して、森さんの団体を紹介したことは一切無かったのでしょうか。
また、仁藤さんが講演等を行った際、森さんの団体を好意的に紹介したことはなかったのでしょうか。これを聞いて森さんの団体を頼ってしまった人がいるかもしれません。
もちろん、その当時は知り得なかった情報ですし、それが悪いと言っているわけではありません。
ただ、どのような繋がりがあるのか、と説明する文章の書き方としていささか相応しくないのではないのかと思います。
これだと、「私たちは『買われた』展」での交流も無かったように思えますが、「その他の」イベントの誤植でしょうか。
せっかく弁護団がいる中で公表する文章なのですから、誤解を生まないように書いていただけたらと思います。
⇒
なお下記のtweetは、2017年時点で森牧師についての記事を読んだという事実と、当時の心境を述べたのみであり、仁藤氏が実際に森牧師と知り合ったのは前述のとおり2018年であることを改めて申し上げます。
いや、誰も「知り合った年」なんて問題にしていませんよ?
2018年に神戸を訪問する機会があった際、知人から、現地で虐待を受けた子どもを保護するNPO法人を運営しているとしてNPO法人ホザナハウスを紹介されたのがきっかけ
これだと、たまたま神戸を訪問した仁藤さんが、たまたまホザナハウス(森さん)を紹介されたのがきっかけで知り合ったように読めるじゃないですか。
でも、仁藤さんのツイートによると、それ以前から会うことをかなり強く希望されてますよね?
仁藤さんの希望を知っているからこそ、2018年に紹介されたのかもしれませんよね?違うんですか?という疑義ですね。
神戸での「私たちは『買われた』展」に参加された方がアップしているチケットによると、同展の中で仁藤さんの講演会も行われていたようです。(https://twitter.com/katteni_ouen4/status/1042742154857144326)
少なくとも、「パネルを貸して開催していただいている」だけの繋がりとは思えませんが、いかがでしょうか?
ブコメ拾いです。
流石に失礼すぎませんか?
と感じたけど書いておきますね。
○こいつら、もう何を書いても言っても叩くフェイズに入ってるよな。その前は「なんでコラボは見解を表明しないんだ!」って言ってて。エコーチェンバーキマってきてるから注意しろよ。
○誤解を受けないように書いてるのに更に曲解して難癖つけようとするの、もうColaboが何言っても叩いてやろうって精神が先行してるじゃん。いい加減ミソジニーで叩いてますって白状しなよ
何を書いても叩きたいとは思っていませんよ。
「誤解を受けないように書いている」のではなく、「誤解を生むような文章」に読めるので指摘しているだけです。
私の読解力が未熟なので恐縮ですが、元の発言では、
「仁藤さんが」
「神戸周辺の女の子たちの近くに頼れるところがないかなと思っていたときに教えてもらい」
「Colaboと繋がった女性」
と微妙に主体も客体も変えている理由をお教えいただいてよろしいでしょうか。
これで誤解を生まないと感じておられるのでしょうか。
渡部隆一・著『差分と和分』(共立出版1982、数学ワンポイント双書)
微分方程式をタイトルに含む本は多数、簡単に見つかるのに比べると、差分方程式は、独立して一冊にまとめられた本は少ないようにと感じる。
その差分方程式について一冊にまとめられた本の一つ。ページ数が約140頁と少なく、自分のような初学者が最初の一冊にするのには良いと思う。著者が想定していた読者は、経済学部で数学の苦手な学生と思われ、内容も初歩的、平易であった。
ただし、一部の問題は解答が無いので、独学者の自分は証明問題などを自力では解けず、正解を知らずに終わったものがあった。また、ちょこちょこと誤植が有るから、数値計算問題を解いてテキストの解答と照らし合わせた時、自分の解答と異なっていても、どちらが果たして正しいのか判断に困った。答えが合わない……。まあ、差分方程式の雰囲気は掴めたから、それで良しとするしかない。
一応、線形二階差分方程式までを学ぶ。テキストの最後に、応用問題が出てきて、差分方程式が役に立つと思わせるところは良い。
微分方程式を学んでも、現実の問題に応用しようとすれば、数値的に解く必要が生じて、そこでは差分の考え方が求められる。
離散数学、組合せ数学のテキストを読んでいても「漸化式」の名称で差分方程式が登場する。
数理生物学のテキストを読んでいたら、個体群の個体数変動などを考えるための数理モデルとして、差分方程式を使っていたりする。
案外、と言うよりも、むしろコンピュータを誰もが利用する現代だからこそ、差分方程式について学ぶ必要性は増大しているのではないか。
差分方程式についても、マセマのテキスト、裳華房の「手を動かして学ぶ」シリーズ、講談社の「そのまま使える」シリーズのように、式の変形展開も丁寧に教えてくれるテキストが出版されたら良いと思う。
自分としては、数理生物学や組合せ数学を学ぶのに使えるようになりたいので、別のテキストも読んで、引き続き、差分方程式についての学習を継続しようと思う。
(3)『順列・組合せと確率』(著者名:山本幸一、岩波書店)。数年前に新装版が出たが、現在のところ品切れ中なので、図書館から旧版を数回に分けて借り、順列・組合せの部分まで読み終わったところでギブアップ。
前書きなどから見るに、高校数学から大学数学への橋渡しをすることを目的として執筆・出版されたようだ。しかし、明らかに高校数学のレベルを超えるところが各所にあった。
例えば、母関数を活用して特殊な数列(フィボナッチ数、リュカ数、カタラン数など)の一般項を求める手法が述べられている部分がある。その中で、ベル数についても述べられているが、そこでは微分方程式の解法の知識が必要になる。しかし、この本だけでは、微分方程式の解法に関して述べられていないので分からない。一冊で完結していない。
また、古い数学のテキストに頻繁に見られる、欠点を抱えている。
かつて、数学者・小平邦彦は、数学を学習する若者に向けて「もしも、数学の証明で分からないものがあれば、それを十回、二十回とノートに書き写しなさい」と説いた。数学に限らないが、初学者の段階では、手本を模倣することが大切だからである。
この本には、その若い学習者が模倣すべき手本が、ほとんどと言ってもいいぐらい示されていない。
ページ数の都合もあるであろうが、これは駄目だ。例えば「これら二つの漸化式から、次の漸化式が自然に導かれる」と述べるに留まり、どのような変形・代入・操作を行えば導けるのかを示さないというのは、本書ではザラである。
創造性というものは、十分な模倣を経てからでなければ、発揮できるものではない。しかし、古い数学テキストでは、初学者に平気で創造性を発揮しろと無茶を要求してくることが多々ある。この本もそうだ。
どれぐらい無茶を言っているかといえば、外国語教育に例えると「耳で聞いてコピーすれば発音できます。やりなさい」と言って済ませるぐらいの無茶である。発音記号、それが表す口唇の形や口腔内での舌の位置や形などを教えないで、外国語の発音ができる訳が無い。
他にも、二項係数、第一種・第二種スターリング数、カタラン数などについて、組合せ論的な意味を説明すると言って例を出すが、その例の説明文章が非常に分かりにくい。却って、これらの難解な説明では、読者は無用に混乱する。組合せ論的な意味の説明については、他の本を当たった方が良さそうだ。
無用な混乱といえば、用語や記号表記も他書と異なる独自な呼称や記法を用いている点も好きではない。
誤植もひどい。後半に進むにつれて増えてくる。
一例だが、カタラン数の説明として、二項演算記号○による式の文字の間に「(」「)」を配置する方法と、それに対応する図(交わらない半円弧線で要素どうしを結ぶ)を一緒に記載しているページがあるが、肝心の二項演算式が明らかに誤植でデタラメになっている。これでは、初学者の読者で、この本を読んだせいで組合せ数学が嫌いになった人もいたのではないか。誤植を見分けて訂正するのも、良い勉強であると安易に考えて、軽く済ませる著者や出版社が多いのは良くない。特に、初学者向けでは最悪だ。
この本の組合せ数学に関連する部分を読み終えた後、フィボナッチ数列、リュカ数列、カタラン数のの一般項を母関数を利用して求めたり、第一種・第二種スターリング数の漸化式を導けるようになったが、ほとんどネットで調べたおかげである。この本のおかげではない。
分からない人間が分かるために読むもののはずなのに、既に分かっている理解している人間が読まねば分からないという、本末転倒な本が古い数学テキストには多すぎると思う。読者が初学者の段階で、手本を示すことなく創造性だけを要求するような無茶をし続けたことは、数学教育には百害あって一利なしだったと思う。この本も、その一冊という感じである。
ノートを取る時には万年筆を使う。自分が使っているのは安価なpreppyだが、サラサラと書けて気持ちが良い。次点でゲルボールペンのSARASAの0.5mm。どうせやるなら、使っていて気持ちが良い文具を利用した方が、学習時の不必要なストレス軽減できて、精神的な負担を減らせるような気がする。
記号や式などに、初見時には必ず読み仮名を振る。声に出して読めない記号や式の存在は、特に初学者には学習時の精神的なストレスを与えて、心を折る可能性がある。理解は出来なくても、声に出して読めるようにしておけば、恐怖感や苦手意識を減らせるように思う。
エレファントな証明でも、それで自分が理解できるのならば、現時点ではそれが最良の答えだと思うようにする。漸化式や∑演算の証明は、面倒がらずに展開して書き連ねたら、意味が分かることもある。
現時点で証明を理解できなくても、数値実験して、式が上手く機能することを試しておく。
独学の孤独感を紛らわすために、ノートの文面には「我々は」と複数形の主語を使い、イマジナリーフレンドと一緒に勉強するようにする。
何故そのような式展開になるのかを書いていないテキスト、解答が少ない或いは全く無いテキスト、初学者を混乱させるような誤植を平気で残しているテキストに対しては、不満や呪詛の言葉を欄外に書く。逆に、解答や証明が丁寧で初学者のことを考えている親切なテキストには、感謝の言葉を欄外に書く。
(1)嘉田勝『論理と集合から始める数学の基礎』(日本評論社)
離散数学を学ぶつもりならば、必要になるはずの数学の基礎について述べた概説。現在の自分はグラフ理論とか組合せ数学に興味があるので、必要かなと思い、一通り読んでみた。演習問題の回答が一部のみで、有っても略解止まり。独学者には辛い。最近は演習問題の詳細な回答をウェブで公開していることも多いが、この本が出版された時には主流ではなかったから仕方が無いか。順序集合、束、ブール代数の解説も有るが、自分には何だかよく呑み込めなかった。でも、本格的に難しい本を読む前に「こういう記号や話題が有る」と顔を見慣れたことで、抵抗感や恐怖心を低減させられたような気もする。おそらく良書。
(2)田中隆幸『RSA暗号を可能にしたEulerの定理』(東京図書出版)
高校生を対象に行った、RSA暗号に関連する合同式などの内容に限定した、初等整数論の講義を元にした書籍。全体で90頁余り、そのうち約30頁は演習問題の解答なので、初心者でも読破が可能な気になる(自分は読破した)。解答や定理の証明は、少し行間を自力で埋めなければならないし、何箇所か誤植が有るが、前の頁に戻って落ち着いて見直せば大丈夫。分からなくても、模範解答を写経すれば良いというつもりで読み始め、実際、全て写経した。代数学に限らず、大学以降の数学は何だか抽象的すぎて「何のためにこれを学んでいるのだろう……」と、数学的な才能に乏しい凡人学生の心が折れやすいが、この薄い本は「RSA暗号の基本的な仕組みに、整数論の初歩が役立っている実例を知る」という明確な目標が有り、頁数も少ないので、ノートとペンと関数電卓で計算実験をしながら学べた。
生きてて未来に期待がないからジェネリックうなぎ製品のクオリティが年を経るごとに上がっていくか観察したい
うないちだとばかり思ってたけど”うなっち”ってルビがふられてたわ
https://www.sugiyo.co.jp/product/11662/
原材料名
【うな一】魚肉(アメリカ、ベトナム)、かば焼きのたれ(大豆を 含む)、植物油、豚脂、発酵調味液、ぶどう糖、こんにゃく 粉、食塩、でん粉(小麦を含む)、酵母エキス、カラメルソー ス/加工でん粉、トレハロース、調味料(アミノ酸等)、pH調 整剤、増粘剤(加工でん粉)、乳化剤、着色料(カラメル、イカ 墨)、香料、水酸化Ca 【蒲焼のたれ】しょう油(小麦・大豆を含む)(国内製造)、砂 糖、発酵調味料、しょう油加工品、たん白加水分解物、うな ぎエキス、酵母エキス/増粘剤(加工でん粉、キサンタン) 【山椒】山椒(中国)、陳皮
栄養成分
<製品2枚(標準115g)当たり>(蒲焼のたれ・山椒を除く)エネルギー 260kcal 、 たんぱく質 11.6g 、 脂質 15.0g 、 炭水化物 19.6g 、 食塩相当量 2.2g
内容量
2枚、蒲焼のたれ・山椒1袋
内容量について製品1枚(標準115g)当たりとなっていたのが2枚(標準115g)当たりとなっているようだ。
2021から2枚入りであり、去年の写真を見てみるとパッケージでは2枚と書かれていたようなので、サイト上の誤植だろうか。
2021年の段階で既にそうであったようだがかなりうなぎっぽい
相変わらず箸を入れると団子汁の団子みたいな切れ方をする
舌で潰れてペースト状になってしまうことはなかった。もしかして2021より硬くなってる?
2021年次は単に温め過ぎただけかもしれない
大き目の魚の身っぽい歯ごたえがあったので+
食べた後の不均一な歯ごたえは大事な気がする
身の部分はウナギっぽいけど皮が不自然な鼠色でかなり偽物っぽさがある
これは2021から全く変わらず
東急で328円
2021とほぼ同じ。