はてなキーワード: 内包とは
時代の流れに合わせて生まれ変わる言葉の一つ、「ダイバーシティ」。それは一体何を指しているのだろう。今回はその「ダイバーシティ」の意味について深堀りする。
初めに、その音色に耳を傾けてみよう。「ダイバーシティ」。独特の響きがあり、切れ目のない流れるような音列が特徴的だ。この言葉は、まるで自然の流れ、風の音、流水の音を思わせる。
次に、その言葉の形状に目を向けてみよう。「ダイバーシティ」。一つの言葉だが、「ダイバー」と「シティ」という二つの要素に分割することもできる。それぞれどのような意味を持つのだろうか。
「ダイバー」は、深く潜る者を示す。見知らぬ世界を探索し、自身を未知の領域に投じる。これは探求心や冒険心、未知への挑戦を表現していると考えられる。
一方、「シティ」は都市を思い起こさせる。人々が集い、さまざまな文化や考えが混ざり合う場所。それは人々の集まりであり、一つの場所に多くの要素が混在する状態を示す。
それぞれを見てみると、「ダイバーシティ」は「未知への挑戦」と「多くの要素が混在する状態」の二つの要素を持つと解釈できる。未見の世界への探求と、そこに存在するさまざまな要素が混在する状態、それが一つの全体を形成するという考え方を含んでいる。
しかしながら、「ダイバーシティ」が本当に指すものは、単純な二つの要素の組み合わせ以上のものかもしれない。それぞれの要素が交錯し、融合することで新たな意義を生む。未知の世界に対する挑戦と、そこに存在する多くの要素を受け入れること。「ダイバーシティ」は、この二つの概念を統合した挑戦的な思考や行動を表現しているともいえる。
このような視点から「ダイバーシティ」を捉えることで、その深い意味が見えてくる。それは私たちが遭遇するさまざまな事象に対する新たな視点を提供し、私たちの生活に新たな色彩をもたらす。そしてこの言葉を理解し、行動に反映することで、私たちはより豊かな人生を歩むことができるだろう。
言葉は、その形成と進化を通じて、私たちの意識に強力な影響を及ぼす。そして、「ダイバーシティ」はその良い例である。
考察を深めることで、この言葉が内包する本質は、「未知への挑戦」そして「多くの要素が混在する状態」であることが明らかになった。しかし、それだけではなく、これら二つの要素が相互に作用し合うことで生まれる新たな価値もまた、「ダイバーシティ」の一部と考えられる。未知への挑戦が多くの要素の混在を可能にし、その混在が新たな挑戦を生む、この循環こそが「ダイバーシティ」の真髄である。
これは、何か新しいものを追求し、その過程でさまざまな要素が交錯する経験を重ねることの重要性を私たちに教えてくれる。また、新たな挑戦が更なる混在を生み出し、その結果として生まれる新しい価値が、次の挑戦への道筋を示す。この循環的なプロセスは、私たちが日々の生活の中で経験し、学び、成長するための鍵となる。
私たちが「ダイバーシティ」を理解し、その思考を行動に反映することで、私たちは自身の視野を広げ、新たな価値を見つけ出すことができる。また、それは他者との関わりの中で生まれる新たな絆や共感を可能にし、共存共栄の社会の実現へとつながる。つまり、「ダイバーシティ」は新たな挑戦と多様な要素の混在を通じて、私たち個々の成長だけでなく、社会全体の発展をも促進すると言えるだろう。
私たちは日々進化し続けるこの世界で生きていく中で、新たな言葉に出会い、その意味を理解することで自己成長を遂げる。そして、「ダイバーシティ」は、その一つの言葉として私たちの生活に深い影響を与え、私たちの思考や行動に対する新たな視点を提供してくれるのだ。
「ワンチャンいけんじゃね?」若者の間で「ワンチャン」という言葉が流行した深い理由 | ニュースな本 | ダイヤモンド・オンライン
この記事がバズっていて、著者は若者論とか世相を絡めて自論を展開してるけど、結論から言うと、ただ便利だから使われているだけだと思う。
ワンチャンはブコメでもあるとおり、元は麻雀用語だし、今の意味に近い格ゲー用語だとしてもアラフォー世代が普通に使っていた。
麻雀用語時代は「ワンチャンス」と略していなかった。ちなみに同じように「ノーチャンス」、「ツーチャンス」などもあった。
詳しくは麻雀の説明になるので省くが、面白いのはこの時のチャンスは、相手にとってのチャンスを指していたことだ。
「相手にとってはワンチャンスしかないからノーチャンスほど安全ではないが、なんとか見逃してくれ」
この麻雀勢のワンチャンスがいつから使われたかは流石に不明だが、相当古いと思われる。
ところで、アラフォーより上の世代にとってゲーセンというのは色々な属性の人たちを内包する場所だった。
オタク、ヤンキーだけでなく、格ゲー勢、ミニ四駆勢、ボドゲ勢など、おもちゃ屋に来るようなやつがたくさんいた。
今ほどジャンルのボーダーがなく、いろんなゲームをやる人が多かったのだ。
当然麻雀も同じゲームということで格ゲー勢でたしなむ人が多かった。
格ゲー界のレジェンドであるウメハラ氏が雀荘で働き、一時はプロを目指していたことを知っている人も多いだろう。
当然格ゲー勢にもワンチャンスという言葉が広がっていくのだが、ここではっきりと意味が変わる。
格ゲーにおいては「劣勢の状況においても、一度チャンスを掴めば逆転できるような状態があること」を指すようになるのだ。(格ゲーWIKIより)
ピンチな状況であることはもとより、さらにプラスな状況に持っていける状況を指すことになる。
ここが麻雀との大きな違いで、麻雀におけるワンチャンスはプラスの状況には持っていけない。
ここでほぼ今の使われ方と同じような意味になるのだが、この格ゲーのワンチャンを使い出した世代はアラフォーがほとんどである。
「ピンチな状況じゃなくても期待値の低い状況でとりあえずやってみる」
だから繰り返しになるが、ワンチャンの言葉を一般に使い出したのはアラフォーあたりの世代で、そもそもその世代でもゲーム以外では「もしかしたら」程度の意味で使っていた。
とりあえずやってみるとかチャンスにかけるといったような意味の略称言葉がなかったと言うだけの話だ。
ちなみに、今では普通に使われているガチ勢エンジョイ勢みたいな、「〇〇勢」という言葉や、
同じ行動を延々繰り返す「一生」も、元はゲーセンコミュニティの言葉だから、格ゲー勢の言葉は端的に状況を伝えやすい言葉が多いのだと思う。
サイボーグクロちゃん(漫画)。クソみたいな絵のスラップスティックコメディなのに、その辺のお涙頂戴作品なんかよりもずっと切実なテーマを内包している
どうも「守備範囲(ストライクゾーン)を共有している部分がある」というのが問題を根深くさせているらしい。
「性癖」というのは本来あらゆる趣味嗜好や言動をひっくるめて表現するものなので、現在使われている意味での「性癖」を指して使っても問題はない。
この場合はストライクゾーンの共有というよりも、内包と言ったほうが正しいのかもしれない。
つまり、現在のような狭い使い方の「性癖」が蔓延るより前の時代においても、「性癖」という言葉を使って性に対しての嗜好を表現した文章があったとして何もおかしくないのである。
現在の「性癖」という言葉が指すストライクゾーンは、元々の「性癖」が有していたストライクゾーンに完全に飲み込まれているわけである。
「少女趣味」の場合は被らない部分があるストライクゾーンの共有だ。
一部のロリコンは少女を連想させるものに対して興奮する異常な性癖を持っており、一般によく知られる例をあげるとすれば「ランドセル」「黄色い帽子」といった具合だろう。
もちろんこれらは多くの少女にとって単に野暮ったい類の制服でしかなく憧れるようなものではないので、本来の「少女趣味」としてストライクゾーンに入ってくるものではない。
だがこれが「ガーリーなファッション」になってくると、一部のロリコンはそれらの衣装によって興奮してしまう。
この部分に、本来の「少女趣味」と誤用としての「少女趣味」におけるストライクゾーンの共有が発生しているのだ。
つまり、フリルを多用した服装を指して、「少女趣味」を喚起させると表現した時、それが甘い夢の世界からやってきたものだと感じたのか歪な欲情の餌食とされそうだと感じたのかは、それ以外の文脈を通して初めて決定されるということだ。
そもそもこういった勘違いが最初に起きたとき何が発生したのだろうか?
誰が最初に「少女趣味はロリータコンプレックスの言い換えだ」と言い出したのだろうか?
これは「共有したストライクゾーンをめがけて投げられたボールが、そもそもどこから放たれたかの逆算における失敗」から生じたものだろう。
初めて聞いた言葉、聞き慣れない言葉に対して文脈によって理解したふりをした気になり、それを確かめもせずに自分が言う側に回ったのだ。
よく意味は分からないが周りが使っているのでなんとなく自分も使っているうちに、その意味が社会の中で決定され、最後は多数決のような決まり方がされる。
つまる所、言葉というのは最終的に「その集団が多数決によって決めた意味」こそこそが最も重要視されるので、「性癖」はもはや「性に関する癖」という意味の言葉に置き換わったと考えるべきなのだ。
言葉ってそういうものじゃないだろうと思った人はウィトゲンシュタインを読んで欲しい。
彼がまさにこういう話をしている。
○ご飯
朝:コーンスープ。チーズ。クラッカー。昼:カロリーメイト。玄米ブラン。夜:ヨーグルト。冷奴。キャベツと人参とエノキのスープ。
○調子
・はじめに
あらすじとかジャンルの説明がめちゃくちゃ難しい、一本道のノベルゲーム。
原作の同人ゲームは分割で幾つも販売されており、Switch版では全部まとめて移植されている。
まず、あらすじは引きこもりだった主人公村上太陽が心機一転鏡原高校へ転校し通うことになり、そこは生徒を管理する生徒会と自由を求めるデモ隊とが衝突しており、太陽はメーンヒロインの八月一日宮遥の所属する報道部に入りその二組の対立を調査していく。
ジャンルとしては学園を舞台にしたボーイミーツガールな青春もので、過去に起きた事件と今起こっている対立を探っていくサスペンスなノリもある。
というのが、あらすじとジャンル説明になるっちゃなるんだけど、全くこういうお話ではない。
あまりにも隠されていた設定や予想できない展開が多いので、(普段からだけど)今回はかなりネタを割る感想になります。
・ネタバレなしの推薦文
一応この感想は自分用のものではあるものの、ADVというジャンルを楽しむ人が増えて欲しい気持ちはあるにはあるので、ネタバレなしの140字で魅力を伝えておきたい。
「カガミハラ/ジャスティスは、正義と悪の定義を問う社会派な物語が魅力的なゲームでした。正義を行い続けるための具体的な方法論が提示されていて、普遍的ないつの世でも通じる良い価値観だった。自分自身がこういう娯楽を安寧に楽しめる立場にあるというメタ視点込みで、考えさせられた。カズト好き。」
とはいえ、直接的にトリックのようなものを書く気はないんで、ネタバレの範囲問題は難しいね。
・話の広がりがすごい
話がドンドン大きくなっていき、学生運動から、左翼団体、移民問題、テロリズム、陰謀論、インターネットで増幅する悪意、平和の定義、異なる宗教との付き合い方、ゲリラ、貧富の差、資本主義の限界、民主的な政治の目標、核兵器、戦争などなど現代社会における数多ある課題をテーマにしたエピソードが次から次へと展開していく。
視点人物も沢山おり、最初のうちは高校が舞台なので生徒と先生ぐらいだったのが、主人公とほとんど絡みが無い日本の政治的な地位が高い人や、米国軍人や、中東を取材する記者など、その問題を描くに相応しいキャラがドンドン出てくる。
・始まりに終わりがあった
最初のうちは男女のドギマギするラブコメや、恐ろしいホラー、痛快なアクションなどわかりやすい娯楽作品の味がするのだけれど、
中盤以降は上記した現代社会における様々な課題について問題提起していく展開が続く。
もちろんあくまで美少女キャラが登場するアドベンチャーゲームという媒体の中で出来る範囲ではあるのだけれど、全体的に通してみると真面目な展開が続く。
後半丸ごと使って描かれる戦争を止める方法、というあまりにも壮大な目標は、尺の都合もあるのかサクサク進むものの、現実的な面もあり見応えがあった。
話がドンドン広がっていっても、最初に提示された生徒会VSデモ隊の対立関係を解きほぐした時と同じ手法で解決していくのは、エンタメ作品らしい痛快で爽快な気分になる展開で、その道中で示されてきたキャラクタの魅力を信じたくなる気持ちがあればこそな面白さだった。
説教臭いと一言で評してしまうのは勿体無い、普遍的でいつの世にも通じる「良い(とされる)価値観」が嫌味なく描かれていた。
・対話
この作品を要約してまうと「対話」の二文字で終わってしまうかもしれない。
要してしまうと、武力よりも対話を大切にしようねということなんだけど、
こうやって文章にしてしまうと陳腐だけれど、作中ではその難しさ込みで何度も何度も対話の大切さがとかれる。
綺麗事と言ってしまえばそうなのだろうし、作中にはたまたま利己的な自分の利益しか考えないキャラが少数派だから成り立ったとみるのも容易かもしれない。
けれど、そうやって他人の立場を決めつけて本音を聞こうとしないこと込みで、対話の大切さが幾度も幾度も描かれる。
具体的な対話の内容についてはボカされてしまうのが勿体無いものの、
「ミステリは議論である」のモットーを掲げて数多のフィクションを楽しむ僕としては、議論のベースが対話である以上、非常に納得感があったし、娯楽作品としてもこの作品を楽しめた。
ただ、このあえてこの作品が触れなかった、対話をしてなお、武力的解決を求めてしまう人が多数派な世界も、現実的には存在すると思うと、このような多様な価値観を描いた物語を購入して遊ぶことができるというだけである種恵まれており、自分も何かしないといけない気になった。
テーマ的な部分の感想はここまでにして、以下は気に入ったキャラクタに焦点を当てて感想を書きたい。
・秋沢カズト君が有能すぎる
15歳にして天才的なソフトウェアエンジニアのツンデレな男の子。
僕も業務システムを作る仕事をしているので、彼が振られる無茶振りが理解でき、尊敬できた。
っていう読者の職業ゆえにプロの仕事がわかる話を差し引いても超優秀。
機転が効き、最終盤面では彼の察しの良さで逆転するためMVPは彼なんじゃないかな。
後半になればなるほどインターネットの力を多様するため彼も大活躍するんだけど、技術者なのでサーバールームで一人で仕事してることが示唆されるだけで出番自体はドンドンなくなっていくのは寂しい。
そんな実務的な部分の有能さに加えて、性格的な部分の愛らしい様も見所。
普段はツンケンした態度を取るんだけど、少ししてから反省してデレデレしたメールで謝罪するという、露骨に狙ったツンデレキャラ。
あざとすぎる上に実は好きな女の子がいて彼女にはより一層ツンデレしちゃうのも愛おしい。
一世一代の告白シーンなんかもあり、彼が主人公の方が収まりが良かったのかも感は少しある。
姉キャラ。
序盤は電話口だけの出番が続づき、会話でアドバイスや調査してくれるもだけど、途中からはちゃんと登場してくれる。
姉キャラなので年上の大人の女性なのだけど、作中のどのキャラよりも子供っぽい。
見た目もそうだし、恋愛が奥手すぎる。
ノンアルコールビールで酔ったフリをして誘う(誘えていない)などの搦め手が滑ってることも、半端にお酒の力を借りてる辺りが子供っぽい。
最後の最後で時間が飛ぶのだけれど、そうしてもなお一点も進展が見られないのは、大人なら自分の責任だろう。
好きなのに好きといえず遠回しな表現しかしない臆病さが可愛いキャラだった。
・周大翔が格好いい
なんだけど、まあ格好いい。
自分の命を天秤に乗せられるタイプの格好よさで、だからこそこのカガミハラ/ジャスティスが始まっているという尊さがある。
自己犠牲を否定する展開が多いんだけど、彼だけはかなり特別な立ち位置なので色々と特殊な展開がある。
優秀なシーンも多いが、リーダーとして腹を括る格好いいシーンも多い。
ハルヒ系と言ってしまえばテンプレなのかもだけど、目的のためなら手段を一切選ばない強引で傲慢なのに人情でしか動かないキャラ。
彼女が主役で彼女のためのストーリーだっただけに、中盤彼女が物語が退場していた時期は読み進める手が止まることも多かった。
もちろんこの退場にも意味がある展開なのはわかっていたのだけれど、この辺は魅力的がすぎた。
暴力よりも対話を重視する作品の基本構造だけに口が達者なので、彼女が出てきてドンドン話が前に進むのが面白い。
最大の見どころは何と言っても、最終目標である「戦争を止める」への解決策を導き出すところ。
そこまでの苦難込みで屈指の名シーンだった。
・さいごに
面白かった。
公称ジャンル「サスペンスアクション学園ラブコメミリタリーミステリー」に恥じない超てんこ盛りの大ボリュームな作品だった。
そんな様々で多種多様な展開を「対話」というアプローチでまとめ上げているのが素晴らしい。
それだけに、作中でも言及されている言語の壁については苦しい展開が多くあり、バベルの塔を破壊した神様許せねえってなるね。
大ボリュームではあったが、正直まだまだあの世界の物語を遊びたい気持ちが残っている。
繋がりは無いものの、まずは同じクリエイターが作っているイハナシの魔女を遊ぼうと思う。
面白かった。
内容は二十年前のアニメかな?と思う様な美少女達がてんやわんや日常を謳歌するのに終始するという、昨今の価値のある物語や迫力のアニメーションや強烈なエロスを期待すると特に何も得るものが無い題材
キャラクターの造形は地に足ついてる印象とキャラクターテンプレ感が1人のキャラ内に両方が内包されていて他の作品と比べるとアイマスっぽい感じに見え、男キャラは全員モブ顔で美男子が得に登場せず、敵に至っては物語開始前に大規模作戦があって活動休止中で出てこない。
物語の流れは1話をAパートBパートに2分割した上で最後に1分程度のCパートを重ねるという1クールで2倍満足できる構成で、個人的にはギャラクシーエンジェルという朝のアニメを彷彿とさせる内容。
因みにソシャゲもあるけどそっちの出来もアニメと同じくらい古い感性のオタクにチューニングされていて流行の最先端にいる作品ではないが長く支持しているファンがいたりする。
そんな何もかも20年前なセンスで何でこれが令和の時代に作られ、放送されるに至ってるのか全く奇跡だなぁと思うアニメ
アリス・ギア・アイギス EXPANSION、通称アリスギアEXがマジで面白いというよりは懐かしいというかホッとするというか温かいほうじ茶感凄いからお前ら試しに一回は見ろ
アマゾンプライムビデオで最新話以外無料で観れるしニコニコ動画とかにもある
「ソーシャルゲームのアニメ化」だから元ゲーム知らんしなーってまず思うじゃん。
大丈夫。
だって、ゲーム原作遊んでなくてもアニメのギャラクシーエンジェルは楽しく観れてたじゃない。深夜アニメだと「ヤミと帽子と本の旅人」とか原作エロゲー遊んでないのに観てたし。
何よりもゲーム原作の話を追体験とか全然やる気ない作品なので尚更大丈夫大丈夫。
で、この作品のウリなんだけど
主人公はアニメオリジナルキャラクターの「高幡のどか」というキャラクターで。ウマ娘のアグネスデジタルみたいな女です。
主人公がデジたんみたいな汚物なんすよ・・・。なるほどそう来たかって感じ。
世界観なんだけど、人類の敵である機械生命体が存在していて、人類は地球から脱出して数百年かけて銀河系を半周ほどぐるりと宇宙船で旅をして
機械生命体に勝てるだけの技術力を獲得して、女の子だけが使える超武装で機械生命体達と戦ってるって世界観なんだけど
アニメの直前に大きな戦いがあった結果、アニメの期間中は敵が出ないだけでなくゲームのプレイヤーキャラクターが何かやらかして戦闘作戦の営業停止しているって設定で
頭空っぽにして笑って投げっぱなしのギャグを美少女がわちゃわちゃしてるっていうそういう、和むアニメと言うか
疲れないアニメなんですよ。
今のコスパとかタイパとか重視する現代人にとっては観ても得るものがないって思われるとじゃあウマ娘や鬼滅やガンダムやプリキュアなんかの話題作だけ観るわサヨナラーってなりそうだとは思うんだけどさ
肩肘張らずに、なんかこう、古いなー懐かしいなーって
○ご飯
○調子
落ち着いた。
○ リベリオンズ Secret Game 2nd Stage
先日遊んだキラークイーンの続編、ちゃんと繋がってるのでそちらを遊んでからの方が面白いやつ。
(こういうの正直に言って欲しいよね、前にEVE GEをコレからでも遊べるって書いてるレビュー読んで、幾ら商業レビューでお決まりの文句とはいえ限度というものがあるだろって思った)
ゲームシステムは似たようなというか、特にシステムはない読むだけのやつ。
前作と同じ世界観で同じ黒幕が行っていた別のデスゲームの物語。
一人増えて14人の登場人物がそれぞれ異なるクリア条件を満たすために殺し合いのゲームが展開していく。
前作とルールは結構違っていて、特徴的なのはデスゲームものながらクリア条件が平和でオリエンテーリング的なノリなところ。
舞台が開放的な山奥の廃村なのも、そんな雰囲気を出しているけど、勿論あのゲスな黒幕がそのままで終わるわけもない。
タイトルになっている2ndStageは続編の2という意味以外にも、この作品自体の意味もある展開が待っている。
四つのシナリオがあるが、登場人物やクリア条件は全て同等で、主人公が出会うヒロインによって話が分岐していく。あるルートでは恋仲になる二人が、別のルートでは戦うことになったりする、読者しか知らない関係性の妙が面白い構成は前作を踏襲している。
ルールの穴をつく展開や、疑心暗鬼の恐ろしさ、キャラの生き死ににまつわるハラハラする描写など、デスゲームらしさがちゃんとしていて、ジャンル自体の楽しみがいっぱい詰まっている。
前作とは違い、キャラクタの戦闘能力が武器よりも、個人の能力(特殊な意味じゃなく筋力とか技術の意味ね)に依存しているシーンが多いのは賛否がありそうかな。
特に主人公とルートヒロインの生死もマチマチなため、常に緊張感を持ちながら読めたのは良かった。
デスゲームは初期設定をちゃんと最後までやるだけで面白い構成だと思っているので、この点で満足できた。
そしてなんといっても魅力的なキャラクタ達が見所。
好きになったキャラがいっぱいいるので一人ずつ紹介したい。
まず全体を通じて超重要な立ち位置でタイトルの意味を強く内包した藤堂悠奈。
彼女の誰も死なせないという目標と「理不尽に屈しない者」「理不尽に曝されている者を救う事」という心情が全員の意識を変えて行くことになる。
美少女ゲームに登場する女性ながら、彼女の心情的に絶対に男性とくっ付かないと言い切れる程芯の通ったキャラだ。(いや全年齢移植で遊んでるから原作では普通にあったら申し訳ないが)
戦闘面の強さは上の中か、上の下で最上位の面々には敵わない感じながら、精神面での恐ろしいほどの強さが凄まじいキャラ。
どんな状況でも目標と心情が一切ブレないため、疑心暗鬼な状況でも、ものすごく安心できた。
彼女が自称するヒーローという役目を常に全うした、今作の真の主人公だった。
次に典型的なチンピラで暴力に躊躇がないことが取り柄の黒河正規。
ところが暴力の強さでは上には上がいるし、倫理観の無さでも上には上がいるしで、かませ犬ポジション……
かと思いきや、これまた真の主人公(感想で言いたくなるフレーズなあまり二人目だ)。
粗暴なキャラが色々なキャラとの交流で変わっていく展開が多く、成長率が凄まじい。
特にルートBでは大活躍しラストの一枚絵はかなり格好良く激るシーンだった。
見た目は怖いが芯は優しいのは創作の類例なのだけど、4ルートを通じてよく伝わってくる多層的なキャラの有り様が好きになった。
それから、暴力最強格の二人、剣術使いのロリな蒔岡玲と、チェーンソーでメイドの粕谷瞳。
女性キャラが体躯に似合わない大きな武器を振り回すのイイよねって言うのもあるけど、超常的な設定は無い物語にしては異能じみた戦闘能力なのが格好いいし頼れる。
二人とも獲物が近接武器なのに当たり前みたいに拳銃と戦えるのは、若干リアリティラインが気になりはした。
倫理観の無さも大概なので、敵に回るとおそろしく、味方だと頼り甲斐があるので、緊張の緩急に毎回使われてたのが印象的。
二人とも自分の意思での戦いより暴力装置として使われる機会が多く、エピソード毎に付き従う相手が違うことで生まれる人間関係の妙が面白い。
そして最後の最後で全部を持って行ったとも言うべき上野まり子。
というデスゲームものでは真っ先に悲惨なことになる立場だけあって色々と大変。
カップリング相手になるボクサーの真島章則との関係性も助けられて、献身的な態度に絆されてなど、ベタをやってるなあと、好きでも嫌いでもない地味な印象のキャラだった。
ところが、最後の最後のオーラスで、この作品の所謂「タイトル回収」の役という大任を果たすことになる。
重かった。
このリベリオンズという物語を最初から最後の手前まで引っ張った悠奈のバトンを受け継いで、ゴールテープを切るラストランナーが、まり子だ。
僕が脳内で開催していた好きなキャラレースでも最後の瞬間に一気に最後尾から追い上げてきて、めちゃくちゃ好きなキャラになった。
他にも、常に冷静沈着でめちゃくちゃ頼りになるが一人称視点だと弱さが見えるギャップが可愛い司、黒崎のカップリング相手になる非暴力よりの使者荻原、倫理観の無さが異常な伊藤、ヘタレなモヤシ系オタクながらここぞの場面では毎回自分の命を堂々と賭け金にできる充など、良いキャラクタが沢山出てきたゲームだった。
色々なキャラを語ったけど、やっぱり最初に書いた藤堂悠奈が一番好きだ。
彼女がみんなの生き方を変えていくところが面白く、他の挙げたキャラも悠奈との関係値のシーンが印象強い。
原作が美少女ゲームなのでそうはならなかったけど、彼女がもっと主役として出っ張って百合っぽい雰囲気になるのも面白かったかもだ。
シークレットゲームシリーズとしては、本当に悠奈が主役のエピソードが追加されたPC版があるみたいなので、そちらもいつかプレイしたい。
先日、Twitterでスープストック論争が巻き起こっているのをみて、ま〜た色んなところで女の敵は女論やフェミがなんだツイフェミがなんだ言い争ってるんだなぁと思っていたのですが、その中で出てきた「無産様」というワードが想定していた以上に心に刺さってしまって、ちょっとだけ泣いてしまったので、気持ちの整理をつけるために書いています。
誰に見られるものでもない前提ではあるものの、世に放つには随分と乱文になるかと思いますので、もしお読みの方いらっしゃったらご了承ください。
大前提として、スープストックが取り組む施策について、「子ども連れの肩身が狭い」と言われる昨今、すてきな取り組みだと思っています。
それに対して、本当にうれしい!という感想も、無料だと客層大丈夫?という感想が出ることも、いきにくくなるのだとしたら悲しい、という感想が出ることも、それぞれの方の反応なので、それぞれが思っていればよいことだと思います。
無産様がいわゆる「子持ち様」と揶揄されてきてしまった方々へのカウンターとして用いられているということも、この騒動において「お子様連れなんて!」とお怒りの方に対して向けられていることも、理解しているつもりです。
無産様という言葉が、私に向けられた言葉では無いことはわかった上で、それでも傷ついてしまったとき、感情の向け先がなくなってしまった。
まぁ自分で処理しろよ大人なんだから、ということに尽きてしまうのかもしれませんが。
「男性はxxxxxxだ!」という主語の大きい言葉が、よく話題に上がり男女の論争になることを見てきました。
これだから「男」は、「女」は、という言葉が、自分を指していなくても内包されて同一化されることの不快感を、ようやく理解したのかもしれないなとも思っています。
ただ、私のこの気持ちを、「俺たちの/私たちの気持ちがようやくわかったか!」という言わばマウンティングや、今回の件で「無産様」というワードに対して「面白さ」を感じた人たちの免罪符にだけはされたくないとも強く思う。
と言っていた貴方。
あなたは今おいくつですか?
あなたのライフステージは今どこで、それは社会からただしいと見なされている段階に進んでいますか?
私は今回使われた意味ではないとしても、きっと「無産様」として死にます。
私が家族を持つイメージが、どうしてもどうしても持てない。絶対的に「向いていない」のだと思う。
20の頃からきっと1人で生きていくんだろうなと思い、25をこえていよいよ1人であることの現実性が増してきてる。
まだ若いよもまだ分かんないよも、いい人と出会ってないだけだよももう十分だと思っている。
面白いと嘲笑ったあなたが10代のお子様なのであれば、それはもう仕方がないとして、いつかあなたがきちんとしたライフステージを歩まれることを心から願っています。
どうか、親ガチャ失敗wなどとあなた自身が言われないよう、どうぞすてきな20代をお過ごしください。
上手いこと言ったなぁwと高みの見物をしているあなたが20代前半なのであれば、まだ差し迫る恐ろしさを知らないのか、それとも自分はただしいライフステージを歩めるという自信があるのか、それとも開き直ってるのかは分かりませんが、早く大人になれることを願っています。
ツイフェミと馬鹿にし、独身女おわってるなぁと思っているあなたが、20代後半以降なのだとしたら、あなたが何をどう考えて人生を生きているのか、本当に教えて欲しい。本当に本当に切実に。
私は、無産様というワードにここまで、何よりも傷ついているのは、私が女として、生物として子をなさないという、劣等種であるという自覚を強く持ち、社会にプラスを与えない、正しくないライフステージを歩んでいるという思いがあるからに他ならないのかもしれない。
分かっている。
結婚しなくても幸せになれる時代に、というキャッチコピーがいつだったか流行っていた。
分かっている。
子どもを持たない選択をする家庭があることも、心身の理由により子どもを持てない方がいらっしゃることも。
その事により、その方々が「劣っている」とみなされるわけではないことも、分かっている。
まして、子どもがいない方を見下し劣っているというレッテルを、私自身が貼りに行くことなど決して、決してない。
でも、分かってしまった。
正しいライフステージを進めなかった私は、子どもを持つことがない私は、こうして、「無産様」と嘲りを、罵りを受けるステータスの人間であるということが、今回骨身に染みてしまった。
スープストックの対応につっかかったからとか、子持ちに対して怒りを向けたからとか、そういうことではなく、「子どものいない独身女性」に対する社会からの侮蔑がなければ、こんなワード生まれないじゃないですか。
誰かが面白がる前に、止めるじゃないですか。
止まってないじゃないですか。
「無産様」という言葉を面白いと、外野から笑ったあなたが、子を持たず、家庭を持たず、私と同じく正しいライフステージを歩んでいないのだとしたら、どうしてそんな風に生きていけるのかを教えてほしい。
小さい頃から嘲りを受けてきたから今更なにか言われてもということですか?
女は、独身女性としてなった時にはじめて、弱者男性の世界がみえるとでも??
ここで、地獄だよ、なんてわかった顔しないでほしい。
優しさを持てないことを嘆いているのであって、この世界が地獄であることはあなたもわたしも優しさを持てていないことの証明でしかならない。
違うのだとしたら、なぜ、与えられた痛みを与え返すことができるのだろう。
分からない、本当に。
「無産様」として生きている私は、産まないからこそ、生きてきて次の世代に、生物として+1を引き継げないからこそ、子どもは大切に大切に育てられて欲しいなと思っています。
そのために制度が、補償が、サポートが必要なら、未来のために使われるべきと思っています。
ただこんなにも残酷で悲しい言葉を楽しめてしまう環境に、未来なんてあったもんじゃねぇわ、とは思いました。
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こういう形式の投稿がはじめてだったこともあり、色んな意見があるな〜とみてました。
反応があることにわりとびっくりしてたので、強い言葉であってもなんであっても、ありがたいなと思いました。
そもそもどの立場(男/女/主婦/子なしなど、本当に様々)においても蔑称が存在するのはたしかにそうで、私が当該者じゃなかったから痛みに気づいてなかっただけでしかない。
誰であっても何であっても蔑称があり、それが社会からの目線とかでもなく、インターネットにおける悪意なんだとしたら、なんか凹むことないな〜と思えました。
かつての蔑称に怒ってこなかったのだから傷つけられて怒るな、は、今後登場しうる全ての蔑称に耐えるしかない+全員が痛んでいくしかないということ…?とも思ったけど、そういうものだから「痛めつけられる必要がない」なのかもと思えました。
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しばらく「無産様」をTwitterで検索するのをやめて、はてなをみるのもやめて数日たっていたのですが
ありがたいことになのか、バズワードゆえなのか、想像していなかった反応をいただけておりさらにびっくりしました。
心臓どきどきしながらみました、ありがとうございます。
まだ若いんだから、という声やどうせ30になったら結婚して子ども産んでるよ!という言葉もあり
いつか自分が見返した時に本当に恥ずかしくなるかもしれんなぁと思いつつ
長いし乱文です、だらだら日記です。
痛みに過剰反応しがちで被害者ヅラしがち、という意識をもっておかないとこういうことまた起こしちゃうんだろうな~と思ったので学びでした。
後、いくつか見かけた「弱者男性」をスケープゴートにするな、という意見については
私がTwitterでみたときに所謂反ツイフェミの方々が特に反応されているんだ、と思い
反ツイフェミの方は「弱者男性」を自称されている/弱者男性というワードをよく使用されている印象があったので
これが「弱者男性の世界だ、ざまぁみろ!」の気持ちなのかなぁと思って書いてしまっていました。
ガルちゃんという場所から生まれたことを知らなかったので、傷つけてしまってごめんなさい。
『子を持たず、家庭を持たず、私と同じく正しいライフステージを歩んでいない』、『「無産様」という言葉を面白いと、外野から笑ったあなた』が
弱者男性なのだとしたら、という意図で書き、弱者男性が生み出したということを伝えたかったわけではないのですが
文章力が低いので伝えることができず、
かつ結局対立構造をあおってるだけじゃんね、結局加害者なんだね、という意見は
「本当にそうですよね~~~!ごめんなさい」としか言いようがないです。
これまで私が自覚的にしろ無自覚にしろ得てきた、誰かから見た「特権階級」のメリットを受けなくなること、
選択した自由の責任を取ること、覚悟を持つこと、本当にいろんなこと考えないといけない。
そんな中で、何を言うのも何を受け取るのも難しいなとも思いました。
誰かが何かを言ったとしてもそれは「私」にいっていることではないし、
私が何かを言ったとしてもそれは「あなた」に言ったわけではない
主語をでかくするなとはさんざん言われてきていると思うんですが、
内包されると途端に、ということがわかってよかったなとも思っています。
そこそこのWeb企業が基本的に経験者しか採用しないことについて、教育コストを他に転嫁しているとか、IT業界が先細りする行為で未来を潰しているみたいな言い方をされているときがある。
自分もこれについて課題意識はあって、ここ数年Web企業での採用活動と実際の業務に関わりながら、色々考えたので少しまとめてみたい。
ここではいわゆるキャリア採用ではなく、新卒採用やポテンシャル採用の話をしていると前置きしておく。
Web企業でよく求められるスキルは以下の3つだが、これを満たすような人材はもれなく経験者である。
この3つの条件とそれを満たす応募者について、この記事では以下の様に呼称する。
当然レベル4以上はそう多くなく、それを求める企業では応募者のほとんどは書類選考で落とされてしまう。それでも毎年雇いたいレベルの人が来る(来てもらえるように色々やっている)ような企業ではこの採用基準を下げる意味はないため、いわゆる「経験者しか採らない」と言われる状態になる。
一方で世の中はそんな人気企業ばかりではない。それらの企業ではこの基準を落とすのだろうか?自分の感覚としては「一部を諦める」みたいになっていると感じる。つまり、チーム開発の経験はないとか、自社では使ってない言語の経験しかないとか、コンピュータサイエンスはよく分からないなどを許容するという方式になっていそうだ。よってレベル3以上あたりを狙って、レベル2~4くらいのグラデーションで採用する。
よって、本当の未経験者がWeb企業を受けるためにはまず最低レベル2、できればレベル3に到達する必要がある。そこまでしてようやく「面接に到達する資格がある」という状態であり、おそらく有名な企業では軒並み一次面接で落とされてしまう。
一方で満たしている人は本当に全部満たした上でプラスアルファが多数あるみたいな状態で、多数の有名企業の内定を取って手のひらで転がして悩んでいる。
このような一部の外れ値のような人はどんどん内定を取るが最終的に選ぶのは一社なので、それ以外の企業は内定辞退され辞退率が上がる。すると「それなりに合格は出しているのに人は足りない」みたいな状況になってしまう。
自分は応募者に基本的にレベル4以上を求めている。これは教育に対して年単位で割いているほどの余裕がなく、教育を施しても難しい問題を解決する能力が身につかない可能性のある人を採用段階で落とすことで「当たりを引く確率を上げる」ためである(誤解の無いように言っておくと、単に既にできる人は更に色々と(しかも早く)できるようになる可能性が高いというだけで、レベル4未満は絶対ダメとかそういう話ではない)。
今の会社では新卒であっても入社後半年もすれば手取り足取り教える段階ではなく、社内で自走していけるようになっていると感じる。
これが健全でないと言われればそうであろうと思う。
コンピュータの世界は恐ろしいほどに親の資本力に左右される。レベル4以上の人は早ければ中高生の頃からコンピュータと関わりがあり(自分専用のPCがある、部活動で触る、地域の習い事で……etc)、更に大学に進学して関連分野を学んでいる。これを親の資本力と関わりないと言うのは難しい。
更に地方よりも都会の方が、コミュニティの発達においても、そこに集まってくる人材のレベルについても圧倒的に勝ると学生時代に感じていた。これも当然都心に住居を構える/一人暮らしさせられる親の資本力とは切っても切れない関係にあるだろう。
レベル2くらいに到達することは全くの未経験からでも十分可能である。例えばJava・JavaScript・PHP・Ruby……なんでもいいので一つ選んでちゃんと勉強し、いくつもプロダクトを作ってみればよい。現代ではこれはPCが一台あればできる。動画講座も安価で手に入るし、大抵のことは検索すれば出てくるし、Twitterにいるエンジニアはみんな教えたがりだし、ChatGPTだってある。PC自体もそんな高価な物ではなく、中古で買えるやっすいThinkPadで十分できる。
しかしレベル2~レベル4までの間の壁があまりにも高い。コンピュータサイエンスの広範な知識を身につけるには基本的に大学に行くのが一番コスパが良いと思っているが、誰しもが大学に通える経済力を持つわけではない。チーム開発はやはりどこかのコミュニティに参入できないと難しい。手っ取り早いのは企業のバイトで雇われることだが、これは鶏と卵問題だ。
本来ここの教育は企業が担うべきではなかったか?そういう意識が学生時代から漠然と自分の中にあった。これをやらずに、レベル4以上しか採用しませんというのは他のどこかに教育コストを押し付けていたり、更なる格差拡大に繋がっているのではないかという後ろめたさを感じていた。
企業に入ってもまだしばらくは上記の意識を引きずっていたが、最近は別の考えになってきつつある。
まず、Web企業の使う技術は割とオープンになっていることが多く、隠すインセンティブがあまりないため、企業間での教育はおそらくかなり共通化できる。企業内に囲い込んでから教育を施す意味があまりなく、入る前から知っているという人も多い(Web企業の研修が知っていることばかりでつまらないと思った人も多いのでは無いか)。
これを実現する一つの手段として、入社前の広い母集団に対して何かしらの形で援助を行っていることが多い。例えば以下の様なものだ。
これらは広義の教育であると考え始めた。それらの中で企業はスポンサーセッションなどを通して採用枠をアピールするし、実際それ経由で就職する人も居る。
もちろん支援企業に就職しない人の方が多いが、最終的にどこかWeb企業に入ってくれるなら、これはWeb業界全体で人材教育を行っていると言えないだろうか。
次に、大変残念な現状として「学生時代から触れているのにいまいち地力が伸びていない人」とか「そもそも触れていない人」がその後ぐっと伸びるという事例はかなりレアだと感じる。つまり、未経験ですが頑張りたいです!という人を雇っても伸びず、「これくらいやっています」という人は更に伸びるという(ある意味当たり前の)現実がそこにある。
故に先に挙げた広い範囲での教育を進めていくと、選考よりも前の段階でたくさんの機会をどんどん与えていくことになり、自然と「やったがあまりうまく行かなかった人」とか「機会はあったがやらなかった人」がどんどん可視化されていく。すると選考の段階では今後も投資の価値がある可能性の高い人材が自ずと絞れてしまい、経験者のみが採用されていく状態になるのではないだろうか。
自分はこういったことを考えているうちに、積極的に未経験を雇って教育するよりも、選考よりずっと前の段階から様々な教育機会を提供していく方がお互いにとって幸せなのではないだろうかと思うようになった。
学生は自分の興味ある方向にスキルを伸ばしてそれがマッチする企業を選べば良いし、企業はある程度既存社員を使った教育コストを下げつつ優秀な社員を雇えるようになる。そもそも選考前の段階でエンジニアリング楽しくないなと思う人は素直に向いていないので、参入するのを辞めたほうがよい。
さっき言ったような教育への投資はまだまだ経済的に豊かでない層に届きづらい現実があるように感じている。
実際に自分が大学院時代に奨学金を探すと、地方メーカーが自社への就職を前提に出している奨学金などが多く、国から借りる以外にはあまり選択肢がなかった。
もっと広く機会を提供できると良いなと思っているし、奨学金とかは(下手な条件を付けなければ)かなりフラットな教育への投資であると思うので、企業が給付型奨学金を実施することに対してもっと何らかのインセンティブを付けられないだろうか。
また、イベントやコミュニティはどうしても都心に偏りがちで、地方では開催されなかったりWeb企業の影が薄かったりする。これも年に1回とか2回とかでいいので地方のコミュニティと何かやって、細々とした縁を持てるようにしていけないだろうか。
id:yarukimedesu 岸田首相が「平和」ではなく、ロシア側の敗北も内包される「必勝」を選んだ理由は、問われてしかるべきだと思う。/「好評だから問題なし」で許されるのは、一般人までだと思うのよね。
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当然ですが国際社会で合意されるウクライナの勝利は領土奪還した上での終戦で、
「〇〇に気が付く」ならわかるんよ。
でも「〇〇に気が付け」「〇〇に気が付いて下さい」この"が" ってなんか不自然じゃない?
「気が付く」ってそもそも能動的な行為じゃなくて不随意的な現象じゃん。
行動主体が自分なら自分の気「が」付いていることを現在完了的に把握するという段階を経て
その現象に対する評価として「(自分の)気が付いた」と振り返ることができる。
この場合気が付くという主体は自分だけどその気づきという現象の主役になってるのはあくまで「気」であって自分というのはその現象の観察者に過ぎないんだよな。
他者が命令する場合って命令する対象の能動的な行動への期待みたいなものを内包していると考えるのが通常だよな?
だから不随意的な「気が付く」という現象にその能動的な行動への期待を乗せていることに対する違和感がちょっと生じる。
「気が付いとけよ」って言うなら、「気が付いている状態にある」という意味合いになるからそうなると相手の能動性への期待を感じ取れるからちょっとしっくりくる。
あとは「気付けよ」とかも、「気付く」と書くと"が"で強調されていた「気」の主体性が薄まる気がする。
とても丁寧に女性労働者の視点で自動車製造工程の現実を説明してくれたことについて先ず増田女史の労をねぎらいたい。文章も分りやすく明快で、知的な女性がこれを書いているという印象を持った。
発想が近視眼的になっている。標準男性の体格体力でないと不利なラインはいかに花形扱いしようが給与をあげようが働き手の絶対数が足りない未来では人手不足になる。ヤマトはダンボールのサイズと重量規格を見直した
「近視眼的」などという批判を彼女に向けるのは間違っているのではないか。彼女の文章は現状の報告である。先ずそこを受け入れるべきであろう。そのうえで将来的展望や改善策、それに向けての具体的な案、計画、そういうものを語るべきだろう。ブコメの文字数でそのようなことが記述できるとは思えないが、いきなり批判の言葉を投げつけるのは不躾であるとしか思えない。そして彼女の文章は現状を嘆く愚痴のようなものではなく、丁寧な現状報告であり、その現実がどこからきているのかを分析してもいて
ハッキリと言ってしまえば自動車製造業というノウハウ自体が男性が中心となって蓄積してきた仕事のため、自動車製造は女性ができるようにはなっていない
と明確に記述している。現状の報告と原因の分析もなされている。そして
とも書いている。具体的に皆で考えようと提案してくれているのだ。そのような内容であるにも関わらず「近視眼的」という批判はあまりにも増田女史に対する評価として厳しすぎると言わざるを得ない。
まだある。
"自動車製造業に来て現実を知り、一緒に現場へ立って女でも老人でも自動車を作れる方法を考えよう。"ここだけ主張すれば十分。
その結論に至るまでに現状の報告があるのではないか。このような軽薄で冷笑的な態度は何も建設的なアクションを産まないことを知るべきだ。自分のほうが賢明であることを気取っているようだが、貴様に増田女史と同じレベルの文章が書けるか考えてみるべきだ。
もうひとつ
女性が増えれば女性が働くにはどうすればいいか現場改革も進むのでは。国会議事堂のバリアフリーは車椅子議員が当選して初めて急激に進んだ。当事者が現場にいて困ることから始まる
本文を読んだのだろうか。増田女史は
自動車製造業に来て現実を知り、一緒に現場へ立って女でも老人でも自動車を作れる方法を考えよう。
まずは副ラインを女だらけにしよう!
と書いている。これは先ず副ラインから女性の数を増やし、やがて主ラインでも女性が働けるような環境に持っていこう!という高らかな宣言ではないか。すでに本文で宣言されていることを再提案するブコメの意味は何なのだ?
そしてブコメでは「女性が増えれば」と書かれているが、増田女史は「女でも老人でも」と書いている。フェミニズムの本来の目標は女性解放だけではなく、全ての人々が公平で平等な世界を作ることのはずだ。本来のフェミニズムの目的を理解しているのはブクマカではなく増田女史の方であることは明らかだ。
まだあるぞ。
一体何と戦ってるんだ。自動車工場がどうだろうと、体力は関係ない高給取りの管理職の女性割合が少ないことには変わりあるまい。
増田女史の文章を読んで何と戦っているのか読み取れないのか?文盲か?彼女が今の職場で戦っていることが理解できないのか?
「高給取りの管理職の女性割合が少ないこと」も改善していかなければならない課題だが、工場で働く女性労働者の問題が提示されその改善を訴えることは無駄なことか?すべての改善が必要な場で改革が行われなければならないのではないか?「自動車工場がどうだろうと」といった特定の労働者を置き去りにしてもいいという考え方には職業差別が自身の中に内包されていることに気付くべきだ。
腐すばかりでは能がないので、良いブコメも取り上げておこう。
高身長の人だけが働く場所ならドアも作業台も高いだろうし、逆なら全部低いだろうし、そんな風に全部が男性基準で出来上がっちゃってるんだから最初から不利なんよ。男並を求めるのがもう間違ってんの。
増田女史の文意を読み取った適正な反応と言わざるを得ない。増田女史の文章は「男性基準で出来上がっちゃってる」ことの報告そのものであるし「男並を求めるのがもう間違ってんの」ということが女性進出への障害になっていることも示している。そのことをきちんと理解して100文字制限の中で端的に現している。このようなブコメが人気コメントに入っていることに救いを感じる。
賛同が必要だとか批判するなと言っているのではない。しかしブクマカたちは批判することが文章を提示した者よりも高位であると勘違いしていて、何が何でも批判しようとしているのではないか?必要であれば批判するべきだが、必要でない批判はするべきではない。ましてや筋違いの批判などもってのほかである。ブクマカたちは文章を提示した者よりも自身が賢明であることを誇示するために批判しようとしていないか?よく考え直せ。