はてなキーワード: 地域限定とは
以下、その理由を述べる。
なんと甲子園の球場利用料がかからないのだ。これは甲子園の保有者が阪神電鉄であり、甲子園への電車賃で十分ペイ出来るからである。
ちょっと前に女子、男子ともサッカーW杯の放映権料が何十何百億とかかって日本のTV局には手が出ないという話が出てたが、春夏甲子園の放映権料は0円である。だからNHKは全試合生中継できる。
受信料の使われ方に対する批判が多い昨今ではあるが、甲子園中継に対しては批判要素がまったくない。何しろお金かかってないのだから。
もちろんアナウンサーなどの人件費はかかるが、NHKが女子サッカーW杯を4試合中継するためだけにFIFAに払った金額の何百分の1未満だろう。
外野席の場合700円で丸1日試合が見れる。これは決勝でも同じ。
高校サッカー選手権決勝、高校ラグビー選手権決勝の最安チケットは1500円なので、半額以下だ。
ちなみにアルプス席は1400円でこれも十分安い。
今年は61万人弱となった。コロナ前は84万人、その前は100万人を超えていたのでまだ戻りきってないが、十分過ぎるだろう。
決勝戦の視聴率は20%というデータが出た。平日昼間ということを考えたら驚異的だ。
球場使用料0円、放映権料0円というスポーツイベントの視聴率とは思えない。
慶応の応援に国民的な賛否が集まってるが、それは高い視聴率に裏付けされる「国民的な興味をひいた」ことの証左である。
以上、甲子園のコスパの良さを列挙していったが、夏の甲子園は日本一、いや世界一コスパの良いスポーツエンタメと言ってよいだろう。
構造が近しいのはアメリカの高校アメフト・バスケであるが(詳細は説明を割愛するが、地域の代表校が吹奏楽部の応援付で出てくるのは一緒)、それらは試合内容や結果に対して国民的な興味を引くことはない。地域限定的な興味にとどまる。
テレビの天気予報で、「今日の最高気温は30度です」と発表されていますが、それが東京の気温であることが前提として説明されていない場合。このことから、東京の気温が日本全体の気温であるという印象を与える可能性があります。
東京のメディアが、地方の地域限定の商品やイベントについて報道する際に、「近くのコンビニで買えます」や「来週このイベントに行きましょう」と発言すること。これは、東京で買える商品や開催されるイベントが全国どこでも手に入るかのような印象を与える可能性があります。
テレビ番組で東京の有名な場所や施設が映される際に、それが東京特有のものであるという前提説明がない場合。これは、その場所や施設が日本全国に存在するかのような印象を与える可能性があります。
このように東京の人やメディアが、日本全土が東京だと言うように思い込んでるかのような振る舞いをなんといいますか?
一般的には東京中心主義みたいな言葉になると思うんだけど、実際は東京の人は自分たちが中心主義をしていることを自覚してないんよな。だから主義という言葉を使うのは適切じゃないと思っていて、
そして昔あった江戸しぐさな。江戸しぐさはまぁみんなが知ってる通り偽の歴史なんだけど、ちょうどいいネガティブな言葉になってて使いやすい。
しかも「日本全土が東京」という幻覚を自覚なしに信じ込んでるところが江戸しぐさという妄想を自覚なしに信じていた人たちと同じに見える。
また江戸と東京が同じ場所であることも重なって、表現するのにちょうどよい言葉である。
ここまでお膳立てされてて、東京仕草って言葉が存在しないの、俺の頭がバグってるんじゃなくて、世間の思考が俺の無意識についてこれてないだけじゃないのか?
みたいな感じです。
ネガティブな事件や体験はどこにでも転がっているのでそういう事が好きな人にはこの日記は特に意味無いと思います
ポータルと呼ばれるものをスマホの地図上で探して現地に行き、他の同じ色のポータルとリンクさせることで三角を作るゲームです
独特なUIとか用語とかを無視すればやっていることは恐ろしく単純です
ポケモンGoでいうならば、ジム戦を次々に行いいかに多くのポケストを占拠しつつそれらをリンクさせる、というものでしょうか
実はIngressの技術はアイディアは既存のゲームにあったと思います。リリースされた2013年頃には他にも位置情報を利用したゲームは存在しました。有名なのは3DSのすれ違い通信を利用したドラクエ7とかでしょうか。
他にもスポットを登録するゲームはわずかですが存在していたと記憶していますし、ゲーム以外ではFourSquareが有名ですね
けれど、スマホを利用しリアルタイムで自分の位置情報と世界を同期させて現実世界でバトルを行う、という手法は当時としては斬新です
特にポータルに与えられた「異世界から溢れたXMと呼ばれる物質が世界中の歴史的な場所や不思議なものに出現するもの」という設定が魅力に拍車をかけました
地図上にスポットを登録するといえば、有名なレストランや便利な公共施設などを考えますよね
けれどポータルはそういうものを含めて、歴史的・文化的なものであれば基本何でもよく、また普通の人があまり気にしないような寂れた神社や奇抜な銅像なんかでも設定できました
良い意味でポータルはそれまでのスポット登録システムを破壊し、日常に潜む面白いものにスポットを当てて楽しむ構造ができたんですね
便利な物、役に立つ物ばかりではなく、ユニークだけど見過ごしがちなものがゲームとして途端に価値を持つようになりました
そしてそれらを巡ることだけがIngressの面白さではありません
ポータル同士を結ぶという行為自体にも既存の物を凌駕する楽しさがあります
Ingressは単にスポットを巡るだけのスタンプラリーゲームではありません
そこに実際に足を運んで敵陣営を破壊し自分のものにしつつ他のポータルとリンクするという陣地バトルがあります
正直これはとてもハードな遊びです
第一に、ポータルは誰にでも取られる上にリアルタイムで自分以外の人が巡っているわけです
自分が「このポータルとこのポータルを結んで三角にしよう」と考えていても、敵陣営や味方はお構いなしに勝手に三角を作ったり破壊するなどをして、あなたの行動が無事に終わるとは限りません
第二に強さの上限があります
エージェント自身のレベルは16までありますが実質的にレベル8までで強さの上限は止まってしまうため、どんなに経験値を重ねてもアイテムを沢山持っていても、基本的に「おれつえーーー」はしづらい構造です
破壊するためのバースターや構築に必要なレゾネーターやキーといったアイテムは無限に自力で収拾できるわけではありません
高レベルな破壊アイテムは高レベルのポータルからしか入手できず、アイテム総数の上限もあります
自力で作れるポータルのレベルには上限があることから、基本的に仲間と協力し合わないと効率的な補給はできずレベルをあげて無双するなんてのは難しい構造です(現在はそれが大幅に緩和されています)
人間自身が移動しなければならないためどう考えても物理的な側面に阻まれますね
日本中を一日で飛び回り全てのポータルを占拠することは出来ませんし、自身のポータルが破壊されているからといって何十キロと離れた場所に駆けつけて対処することもできません
第四に実績として残りづらい点です
一日掛けて沢山の三角を作っても次の日に全て壊されて地元の人に占拠されてしまうのは普通なんです
いくら補給用のファームを作っても、いくら見栄えの良い三角を作っても、ゼロサムゲームであるIngressでは簡単に取り替えされてしまい自分だけのものを持つことが困難です
何度やっても直ぐに崩れるわけですから
このように、Ingressの陣地取りバトルは自分一人で遊ぶようには設計されていません
一人で黙々と陣地を広げたり他陣営を破壊してうぇーいすることも可能ですけど、そこには現実で同じようなことをしている「他人」が存在します
アイテムの収拾に関しても全てを自己完結するのが難しく、常に他者との競争や協力を前提に作られています
これはIngressの良い面でもありますが、現代のゲームの中では著しく縛りの多く、大変理不尽なゲーム性かと思います
自分の経験値やアイテムがいくらあろうと簡単に盤面が覆るわけですから
こんな感じでIngressは基本的に自分だけで全て完結して遊ぶデザインにはなっていません。例外はミッションですがこれはスタンプラリーなので割愛します。
とはいってもIngressの面白さはやはりこの陣地取りにあるなと常にあると思います
焼いて焼かれて壊して壊される
ただひたすら自分のやりたいとこを追求して、それでも自分ではできない壁に当たりながらあがくのは至高です
「じゃーこんな縛りプレイをするIngressはどう遊べばいいんだ」と思うでしょう
実際、多くの人はIngressをどう遊べばいいのかよくわからないまま終わります
たとえ陣地を占拠してもそれだけで終わるゲームに魅力があるとはあまり思わないでしょう
10年前なら目新しかった要素も既にポケモンGoやドラクエウォークといったものに上書きされています
では他の位置情報ゲームになくてIngressに突出して存在する魅力とは何か?
「いやいやそんなの普通のゲームでもあるっしょ」「俺はソロで無双したいんだ」という意見が多いと思いますがとりあえずどういうことをするのか考えましょう
Ingressの協力プレイで真っ先に思いつくのが、巨大な三角やそれらを利用したアート作品です
単純な話、Ingressは三角を作って陣地を広げるゲームですが一人で作れる数や大きさには限界があるのでみんなで協力し合って立派な物を作ろう、というだけのことです
大きな三角を作るには大勢が移動して各種ポータルを占拠してポータルキーでそれらを結べばいいわけですが、実際にはそこまで単純ではありません
Ingressのルールではポータル同士を結ぶリンクを横切るようなリンクは作れません
つまりポータル間の距離が開けばそれだけその間に存在する全てのリンクや三角を取り除く労力が増すわけです
例えば東京タワーのポータルと札幌テレビのポータルを結びたいと考えたとします
東京だけでどれくらいあるかわからないくらいあるそれらを横切らないようするには一人の人間の力だけでは到底かなえられないでしょう
もちろん東京タワーから札幌まで車で移動しつつリンクを切ることは可能ですが、当然他の人には勝手に他のリンクを張られておしまいです
ではどうするのか?
大勢の人を集めて目的のポータル同士をリンクできるように緻密な作戦を立てるのです
そのため
日本の内陸を横切るリンクを長距離で作ろうと思えば、その距離に応じて人を集めないといけません
他にもポータルキーの移動などもあり実際以上に繊細な下準備が必要ですし、コロナや天災といった人間にはどうしようもない事象も妨害要因だったりします
「そこまでして頑張ると何か特別な報酬が貰えるの?」と思うでしょうね
いえ全然ないです
仮に50名が参加しても実際に現地で動くのが40名、その現地の人が実績を稼げるかというと殆どはないに等しいかと
失敗したらゼロに終わりますし、成功しても経験値稼ぎやメダルの実績アップが少し増える程度です
それならまだしも移動における交通費を考えると普通は大赤字でしょう
さらに現地に行かないバックアップ要員に至っては何の実績にもなりません
基本的にこういう作戦はエージェントの独自企画である事が多く、公式のイベントとして成立することはまずありません
そうなんですよ、公式が「大きな三角を作るイベントを主催します」なんてことはないんです
ほぼ全てがエージェントが自主的に企画し秘密裏に決行し、できたものをSNSや公式掲示板にアップして作戦内容を公開する、だけです
でもこれが滅茶苦茶面白いんですよ
そしてイエスと言うか言わないうちに作戦部隊のTelegramに招待拉致されます
次に言われるのは「これとこの資料を読んで必要事項を記載してくれ、終わったよね?OK。では君はこの班でリーダーと打合せをして現地で頑張ってくれ。もちろんこれら全ては他言無用だ」とどう考えても仕事と変わらない量の資料と緻密なスケジューリングと各種連携が取れているわけです
殆どの作戦は外部に漏れないようされるため信頼できる人しか案内されず、情報統制なんかも役割毎にしっかりしているのが普通です
普通のゲームにおけるレイド戦なんかとは全然雰囲気が違いますよね
みんなで育成したりレベル上げしてメンバー募ってゴーって気軽に出来ない一方で、秘密裏の作戦はそれだけで高揚感あるものです
決行日にまで自分が何をすべきなのか、どういうツールを用いどこに何時に誰といけばいいのか
そういうことを公にせず、家族にも内緒にしてこっそり行う作戦は非常に魅力的です
ゲームとしてやることは極めて単純ですが、そこに至るまでのプロセスが非常に面白い
なにせ職場に集まって会議するばかりじゃないわけで、遠隔の人や言語の違う人とも連携する以上多くの下準備とコンセンサスがいるわけですから、仕事以上に仕事ですね
これがMMOなどと違うのは、位置情報ゲーム故にその場所にいかないと成り立たない点です
そして他の位置情報ゲームでもこのようなことはまず起こりえません
Ingressは他人との交流が多いのですが、それは端末の中だけのものではありません。実際に生身の人間と出会うことで産まれる相乗効果があります。
「いやいや、そんなの他のゲームでも一緒ですよ?特にドラクエウォークやポケGOは現地で大勢会うじゃん」
まあそうなんですが、元々Ingressはプレイ人数が限られているためプレイしていても必ずしも人と会えるとは限りません
なので必死に勧誘をしますし現地で偶然プレイしている人を見かけると声を掛けたりもします
ポケモンなどのように大々的に集まることがゲームの性質上難しく、また現地で会う確率も低いことから、Ingressではエージェント同士の交流を重視する傾向にあります
その象徴がミッションデーなどのお祭り企画、またはバイオカード文化です
ミッションデーはミッションというスタンプラリーゲームを地域限定で行うイベントです
企画する人が独自に考えたルートを巡ることでメダルを獲得するという公式イベント
現代ではこちらのほうがIngressの主流となりつつありますね
もちろんここにもIngressのエージェントの企画力が生かされています
またエージェント同士のコミュニケーション文化としてバイオカードがあります
ようはトレーディングカード状の名刺です
https://fs2018.game-cnt.net/2018_10_25_387
ゲーム内アイテムだったものをエージェントが独自に名刺交換に活用したことから全世界に広まりました
こういうのを交換し合う文化を通じてエージェント同士はコミュニケーションを実際に取ったりしています
世界中を見ても一つのゲームの中で決められたフォーマットを用いて大々的に名刺を交換する、というのはあまり見られない傾向ですね
Ingressのデザインは位置情報ゲームということもあって基本的に歩くことを前提とした非常に簡素なものです
遊び方そのものは15分もあれば説明できてしまえるくらい単純で、はまれば大変面白い
ただ、やっていることの多くは単調なため飽きやすいという側面があります
課金要素も少なく、デザインの面でも他のゲームに大きく劣る面が多々あります
なによりゲームとしてのコンプリートや収集癖を煽るものではなく、自分で目的を探すことでしか続けることは難しいと言われています
さてそんなIngressもリリースから10年が経ち、多くが変わりました
本来のコンセプトを逸脱・破壊する変更もいくつか行われています
でも個人的にはIngressは「ゲームであって欲しくない」と考えています
あれはゲームというのは未熟すぎ、あくまでもツールとしての側面が強いからで酢
他のゲームと同じく課金によって強くなれるというコンセプトを取り入れた場合、当然他のゲームとの比較がされることになります
そうなっては勝ち目がありません
Ingressは位置情報ゲームではありますが他のポケGOやDQWとは明確に違った立ち位置でゲームとは異なる何かでないと生き残ることはできないと思います
だって、Ingressの収益をみてみればこのゲームが10年持つ理由が全く不明なんですよ
収益度外視、実験的且つ先鋭的なオリジナルIPとして「ゲームのようでゲームではない」ものとして扱わないといけないんですよね
Ingressに触れた人に対して「これはゲームと違うな」と思わせて欲しいのが本音です
Ingressのデザインセンスで他のゲームと渡り合うなんて無理なんですから、全く違うベクトルで勝負して下さいよ
自分はIngressの全盛期を駆け抜けて未だに脳が破壊されたままになっている変人です
それだけIngressは他にはないものがあり、いまだ唯一無二の存在だと思っています
似たような人はまだおり、アノマリーやミッションデーに参加する人は結構多いですよね
界隈では有名なGameDeepさんも未だにIngressの同人誌を作っていますからね
http://gamedeep.niu.ne.jp//yapw.cgi/GameDeep?time=1672320494
ふるさと納税の欠点を解消した、ぼくのかんがえた最強の納税システム、名付けて「エスクロー方式」を思いついたので増田に書き増田。
総務省には怒られるかもしれないが、結構行けると思うんだよ。誰か実装してくれ。
積極的にお互いにふるさと納税を行うようして、寄付納税額を全体で概ね「ゼロサム」にすることを保証する。
これによって、ふるさと納税の問題点「税金が流出してしまう」という事を防ぐシステム。
手数料を抑えるなら、いっそ返礼品を地域限定電子商品券に限定してしまえばいいかもしれない。そうすれば発送事務もないので安くできるだろうとは思う。
総務省に微妙に嫌がられそうだが、名目的には行けると思うしどうだろう。賛同者を集めて、自分の所はここからの寄付以外認めないという自治体が増えていけば、面白くなるんじゃないか?
ちなみに、企業版ふるさと納税では既にこう言う事がが行われているらしいとも聞いた。
例えば、別々の町の社長さんが結託し、お互いの町に「町営施設の補修に使え」と同じ金額を寄付し合うと、納税額はプラマイゼロになるが、税金とちがって使い道を指定できるので、ダイレクトに政策に反映できるのだそうだ。
以前からAmazonのデリバリープロバイダの配達の質に不満があったし、先日マーケットプレイスの商品を買ったら無在庫転売の疑い濃厚な配送をされたりと色々あったので、脱Amazonをしてみた。
なので、ここではヨドバシカメラとAmazonを比べてみたいと思う。
これは流石にAmazonに軍配が上がる。ヨドバシカメラは動画サービスやクラウドホスティングサービスまでは持ってない。
なので、プライムビデオとAWS(個人のブログをLightsailにホスティングしているのだ)はAmazonの利用を続行している。
これは甲乙つけ難い。ヨドバシカメラは基本的に購入金額の10%のポイントが付くのでその分を差し引いて、Amazonもものによってはポイントが1%くらいついたりするのでその分を差し引いて考えると、大体どっちも同じくらいの値段になる。
ただ、Amazonにはマーケットプレイスの業者も多く、時には配送料トラップ(本体は安くても配送料が不当に高いケース)が存在することを考えると、ヨドバシカメラの方が安心して買い物ができる。
これもAmazonに軍配が上がる。が、この品揃えを支えているのがマーケットプレイスの業者であり、質の悪い業者が残念ながら一定数いることを考えると、あまりAmazon圧勝とは思いたくない。
ちなみにヨドバシカメラでは家電のみならず家具や生活用品、書籍、水やお茶なども売っているので、よほどマニアックな品を求めない限りはヨドバシカメラで用が足りるはずである。
これはヨドバシカメラの圧勝である。うちがヨドバシエクストリームサービス便というヨドバシカメラ独自の配送業者のサービス対象地域にあることを差し引いても、ヨドバシカメラの方が断然いい。まず配送業者を無指定、ゆうパック指定、ヤマト運輸指定から選べる。無指定は配送料無料、ゆうパック、ヤマト運輸を指定するのは(小さなものでしか試していないが)350円の有料である。この時点で配送業者を指定できない上に基本置き配になってしまい、さらに配送料がかかる場合がある(ついでに悪質な業者だと無闇に配送料が高いことがある)Amazonのサービスの質を置き去りにしている。
ヨドバシカメラで配送業者を無指定にすると、場合によってヨドバシエクストリームサービス便だったりゆうパックだったりで荷物が届く。その上これがめちゃくちゃ速い。翌日配送はほぼ当たり前、場合によっては当日配送も全然ありなのだ。
また、ヨドバシエクストリームサービス便だったら注文商品の配達が開始された時点でお届け予想時間が書かれたメールが届き、配達が完了した時点でもまたメールが届く。このお届け予想時間はズレても前後10分程度で、非常に精度が高い。
さらに、これは使ったことがないのだけれど、地域限定でお客様チャーター便というサービスがあり、追加料金として最低でも6,980円かかるサービスであるが、注文後に電話相談で個別の配送事情に対応してもらえるらしい。例えば深夜配送だったり、3時間以内の超速配送だったりがお願いできるようだ。
このお客様チャーター便オプションは、対象地域がお届け先でないとオプション自体が表示されないので注意である。
しかし、ここに述べたようにヨドバシカメラの配送はマジでいい。
知っている人がどれだけいるかわからないが、ヨドバシカメラでは電子書籍サービスを運営している。
これとKindleを比べてみると、まず品揃えとして、Kindleの自費出版みたいなものまでは流石にないが、そういうのを除けばKindleには電子書籍があるのにヨドバシにはないというようなことは経験したことがない。
その上、ヨドバシカメラの電子書籍は20%のポイントが基本的に付く。もちろんその分Kindleよりも高いということもない。
そのポイントはヨドバシカメラでの買い物全般に利用できてしまうので、ヨドバシカメラ経済圏で買い物をしている限り、実質2割引きで電子書籍が買えると思っていい。
この電子書籍を読むのに必要なアプリがDolyというアプリだが、iPad版を利用する限り、Split Viewに対応していないところだけが難点だがそれ以外はKindleアプリと比べて使い勝手が劣っているとは思わない。
というわけで、ヨドバシカメラ経済圏で生きていくことを決心した私にとっては、Kindleよりもこちらの方が断然いい。
というわけで、ヨドバシではやっていないサービス(動画配信、クラウドホスティング)以外はヨドバシカメラに乗り換えて、とてもとても満足している。
安心して買い物ができるという点がヨドバシカメラでは当たり前に提供されているので体験が良い。本当なら安心して買い物ができるなんていうのは当たり前の話なのに、Amazonでは質の悪いマーケットプレイスの業者がいて、しかもそれが分かりづらいという体験があまりにも悪い。
また、通信販売は配送サービスも商品のうちであるということをヨドバシカメラはちゃんと分かっているのがいい。配送サービスの多様さがその証左である。
本当に、ヨドバシカメラに乗り換えてよかった。
賠償責任:1億円
入院保険金:2000円
以前は100円だったが、値上げしてしまった。
賠償責任:2億円
入院保険金:2000円
通常は170円/月だが、2年契約だと安くなる。
最安のサイクル安心保険 プランAより3円高いだけなので、かなり良い。
過去の例からして安すぎる自転車保険は値上げする傾向にあるが、2年契約すれば先送りできるという利点もある。
TOYOTA Wallet等のプリペイドでも支払えるので、実質的には142円くらいになる。
賠償責任:1億円
入院保険金:0円
誰でも契約できる自転車保険の中では探した限りでは最安。(※地域限定で100円切っているものもある)
賠償責任:1億円
入院保険金:500円
「なぜ人を殺してはいけないのか?」に対するニーチェの答えが「すごい」と騒がれているが、実はもっとぶっ飛んですごい
https://note.com/fromdusktildawn/n/n0781ea1ca467
なる記事を読んで少し思うところがあったので、メモしておこうと思う。
大学時代、もう10年以上前になるが、幼児教育で修士号を取得し、保育園で働くという異彩を放つ友人と二人で酒を飲んだことがある。
なんの話をしていたか忘れたが、その際、その友人が「なぜ人を殺してはいけないのか、子供たちに説明ができないじゃないか。」と言ったことを覚えている。
とかく人は「なぜ人を殺してはいけないのか?」という問いに対して、道徳だとか、哲学だとかに答えを求めがちだが、少し現実をみて、「人を殺しても良い世界」を想像してみたらどうだろうか。
罪なくそのようなことが許される世界であったなら、私は家の扉の外には出ないし、家族も作らないだろう。
自分に少しでも不都合であったり、不愉快である人間は、殺してしまえば全て問題が解決してしまう。
そんな世界に一歩でも足を踏み出すと、いつもふとしたことで殺されるリスクがあるからだ。
そう、「人を殺してはいけない」は社会、いや、主観的な判断では”SOCIETY”が最も意味としては近いと感じる、を成立させるのに”必要条件”なのだ。
ユヴァル・ノア・ハラリの著書によると、人類発展の大きな理由の一つがこの”SOCIETY”の形成だったと書いている。
とかく利口と言われるチンパンジーにおいても、そのグループ構成は多くて100頭程度。他の動物も同程度だろう。グループ間のコミュニケーションネットワークも限られている。
一方、人類は国家でいうと10億人規模のコミュティ形成。会社においても数万規模のコミュニティが形成でき、そのネットワークはチンパンジーのようなアフリカの一地域限定ではなく、世界中、いや、宇宙にまで広がっている。
言わずもがな、コミュニティはコミュニケーションによって成立し、相互の信頼も必要となってくる。「嘘をつかない」、「話や言語が通じる」、「互いの利益を考える」等、信頼を獲得するのに必要な条件は多くあるが、最低条件が「私を殺さない」ではないだろうか。
だから、もし「なぜ人を殺してはいけないのか。」と人に聞かれることがあれば、私は即座に、「社会が成立しなくなるからだよ。」と答えるだろう。
ついで聞かれる質問はおそらく「社会に必要ない人は殺してもいいのでは?」であったり、「死刑はいいの?」とかだろう。
結論から言うと、私は「社会に必要ない人と判断された人」=「死刑となった人」と考えている。
「社会に必要ない人は殺してもいいのでは?」と言う問いに対しては、「そうだろう。だが、殺していい人は厳密に決める必要がある。」と考える。
誰もが主観で「社会に必要ない人だから殺そう」と実行していては、客観的にみて誤った判断による殺人が発生し、やはりコミュニティ形成に問題が発生する。
ルールが必要だ。人間のコミュニティはその規模が大きくなるにつれ、約束事から掟、そして法律とルールを形成していった。
「社会に必要ない人は殺してもいいのでは?」という判断をするのが、日本で言うところの刑法なのだろう。
もっとグループが小さい、例えば国家形成前のTRIBEであったり、VILLAGE規模であれば、殺人については知見者(長老とか?)の判断により、その殺人の是非が決められただろう。だがそれは各々がお互いをよく知っているような小規模集団だから成立していたものであって、国家規模の、知らない人間が大多数のグループでは成立しない。
そう考えると自然と「人を殺してはいけない」ことがわかってくる。
一部、「特権階級は人を殺しても良い」という社会。例えば現状のタリバン政権等が挙げられるが、いずれも後進国であり、そのルールによって、社会の発展を妨げ、結果、国の発展が滞っている。
「人を殺してはいけない」はSOCIETY(家族、親戚、集団、会社、社会、政府、国等)の発展には基本的に必要不可欠な、最低限の決まりごとなのだ。
友人に対しては、酒を飲みながら、上記のようなことを滔々と語った記憶がある(無論、その頃ユヴァル・ノア・ハラリは本を書いていなかっただろうが)。その時の友人の反応をあまり覚えていないが、この答えに対する反論はなかったと記憶している。
あの友人は今、子供の人格形成に大きな影響をもたらすであろう、幼稚園教育に力を注いでいると思う。
どんな教育をしているのか、今度聞いてみよう。
足りない頭でつらつらと書いた本投稿に、いろいろとコメントを書いてくれた人たちにまずはお礼と感謝を。
まず、最初に。小生、正直哲学は全然履修していないし、もうちょっと言うとニーチェなんててんで興味がない。
最初にニーチェの記事を引用したのは「なぜ人を殺してはいけないのか」というテーマを聞いて本稿に書いた友人との問答を思い出したためである(友人はニーチェとか好きそうだけど)。
哲学は…なんというか主観的なんだよね。「まあ、そう言う解釈もあるよね」で終わってしまいそうな問答がいつも並べられている印象。
コメントとかで気になった内容については以下に私見を書いていく。
まず、”社会”より”SOCIETY”が感覚的に近く感じた理由は
一方で
”社会”はもっと大多数の人間で構成されるイメージがあるから。とっても主観的だから、以下は”社会”でまとめる。
君が住んでいる家、来ている服、食べている食べ物は全て”社会”の産物である。
「社会を必要としない人」なんてものが存在するのであれば、どこか孤島で、自給自足で孤独に生きる人になるだろうから、自然と殺人は発生しないかも。
哲学を語っていたわけではなく、社会の必然性を語っていたつもり。
そこに権力が集中している場所(権限が大きい?)はあるかもしれないけれど、それも社会の構成要素の一つ。
だから、「社会を維持するために社会の権力に逆らってはいけない」とか、強制されて行うものではなく自発的に「社会を維持するために人を殺してはいけない」と考えるべきではないかと思う。
また、社会を維持したり、大きくすることは、その社会を存続させることに必要不可欠なことで、いわゆる生物が子孫を残すことと同様なのではないだろうか。
「なぜ人が殺し合わないように進化・発展してきたか」と「なぜ人を殺してはいけないか」は別の話ではないような。
「人が殺しあわないように進化・発展してきた」(すくなくとも自然淘汰されない程度に)からこそ、現在の社会があり、その社会の維持のために「人を殺してはいけない」というルールが維持されていると考えている。
「なぜ社会を成立させなくてはいけないのか」は別に当為の話ではないと思う。
「社会を成立させ続ける」という社会目的があって、初めて社会は存続してる。それがなくては社会は成立し続けない。だから「社会を成立させ続ける」は我々人間が営みを続ける上で、必要条件なのかと。
そう考えると、「人を殺してはいけない」は社会存続のための必須ミームなのかもしれない。
「人を殺してはいけない」という基本概念は「社会の維持」にとっては必須であり、いうなれば、生きる上で必須の事項なんじゃないかな?
ここまで書いて、ふと、確かに死にたい人間や、破滅を望む人間には「人を殺してはいけない」なんて概念は通用しないと感じちゃった。
そういう人は社会性の欠如から考えると、普通の人より、もっと野蛮で野生的…?、粗野な人種なのかな。