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はてなキーワード: お盆とは

2019-01-08

今日の夢

幼馴染の男の子女の子兄弟がいて、夏休みに会って遊んでたらもう行かなきゃって言われて、お盆が終わるからって。

その時になって兄弟が亡くなってることを思い出して、一人になってわんわん泣いてたらベッドが涙で濡れてた

2019-01-02

京大までの受験の思い出

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

読んだらわたしも書きたくなったので書く。もう10年以上前の話ではある。

元増田と違い中学受験私立とは無縁で、片田舎公立中学公立高校卒業して京大入学した。

中学時代

勉強なんてほとんどしてなかったけど、テストでは常に学年トップで完全にお山の大将だった。

一方で家庭環境的にいろいろあった時期でもあり、また自分自身もいろいろ拗らしてた時期でもあったので、私立組やいわゆる英才教育を受けている人たちへの異常なコンプレックスがあった。塾なんかに頼るやつは元々馬鹿私立高に通って高いお金さないと勉強できないやつに勉強する意味はない、などと誰彼構わず吹聴していた。今思っても最悪の性格だった。

将来の展望なんてこれっぽっちも見えてなかった。大卒大人は周りに全然いなかったし、もちろん官僚なんて言葉も知らない。そんな中、ある日法事だかお盆だか正月だかで叔父に当たる人と久しぶりに会った。聞くと某地方総合大学工学部卒業し、自動車メーカで開発をしているとのこと。元々機械は好きだったので、その仕事をすごくかっこいいと思った。そしてそれ以上に、その人の身なりや車(といっても今で言うアルファードみたいな上位国産車)、余裕、羽振りの良さなど、あらゆるところに今まで自分の周りになかった、ハイクラスな何かを感じ、衝撃を受けた。今思えば(叔父には悪いが)お金持ちのモデルとしてはずいぶん控えめではあるが、それでもこの衝撃は大きかった。自分の目の前に一つの道が示されたような気がした。

そんな自分に両親はとても優しかった。自分選択意見をいつも全力で肯定し続けてくれた。今思えば自分可能性を広げるための最大限の配慮をしてくれていたのだろう。

高校入学受験勉強まで】

結局地元で2番目ぐらいの公立高校に行った。理由はいろいろあるが、自転車で通えるというのは大きかった。自宅から公共交通機関アクセスが最悪だったかである

この高校は一応進学校とは銘打っているものの、毎年東大ゼロ京大が1人いるかいないか旧帝大に数人、といった感じだった。相変わらず高校でもお山の大将だったが、高校は全国模試があるので自動的に全国の高校生と比較される。片田舎の小さなさなサル山で大将を気取っていた少年はここで初めて現実を知る。

1年生の夏、家族京都旅行に行った。古い街並みと近代的な景観が融合するこの街を、わたしはすぐに好きになった。さらに、この旅行の行程には京都大学観光が組み込まれていた。今思えば、両親がわたしのやる気を引き出すために連れて行ってくれたのかもしれない。ともあれ、権威シンボルである時計台自由象徴する立て看板鴨川百万遍の街並み、どれもが自分の心を強く打った。

ここに入ろう。自分にはその資質がある。

本気でそう思った。

そこから勉強を始めた。あんなに嫌いだった塾にも結局行った。恥を忍んで塾に行きたいと親に言ったときも、やはり親は快諾してくれた。塾は大手予備校講師OB地方でやっている個人塾だった。英語数学を教えてもらっていたが、ここの先生方には現在に至るまでお世話になっている。勉強だけでなく、自分の見識を大いに広めてくれた恩人であり、今でも頭が上がらない。

受験勉強受験まで】

高2の終わりぐらいまでは漫然と過ごした。学校の授業は地方国立MARCH関関同立といったところをターゲットにした内容であり、物足りなく思うことは頻繁にあった。しか学校の授業でつまずいているようでは京大もクソもない、という信条があったため、まずは学校の授業で習った部分は確実に押さえることを一番に考えた。

高3になると全国模試ランキング浪人生が入るので、順位や判定が一気に下がって焦った。先生方は「最初は下がるけと徐々に追いついてくる」と言っていたが、秋になっても成績は伸びずにただただ焦った。自分の立てたスケジュール通りにまったく勉強が進捗していないこともあり、更に焦った。焦りすぎてメンタル不安定になり、何度も勉強中に発狂した。振り回したシャーペンは何本も折れた。親には意味不明な理由八つ当たりを繰り返した。親はすべて受け止めてくれた。

高3の大晦日の夜、いつもどおり家の机で勉強していたのだが、うっかりそのまま寝てしまい、気づいたら新年を迎えていた。あまりの不甲斐なさに一人で泣いたのをよく覚えている。

受験勉強はチーム戦、という言葉がある。上でも書いたとおり、自分のいた高校は難関校の受験生が少ない。しかし逆にその分、似たような境遇の我々には妙に強い結束感があった。別に机を並べて一緒に勉強したりするわけではないが、模試の結果や参考書の話、志望校の話などをとりとめもなく話せる人が周りにいるというのはとても心強かった。模試の判定を見て落ち込んでいるとき不安でやる気を失いかけているとき鼓舞してくれたのは彼らであった。結果は人それぞれだったが、今でも年に一度は集まる良き友人たちだ。

試験

京大工学部センター試験の点数配分が恐ろしく低いので、気軽に受けた。特に数学足切りラインを除くと全く評価されないのでろくに対策もせず、1A2Bともに85点程度だった。ただ周りの友人が満点を連発していたので妙な焦りだけがまれた。

私立早稲田慶応を受けた。どちらも全く行きたいと思っていなかったが、練習だと思って受けた。初めての一人東京だったので異常に浮かれた。慶応試験前日、下見ついでに少し街を散策したが、これがよくなかった。壮大に風邪を引いた。熱で全く頭が回らず、とうとう英語試験の途中で医務室に運ばれた。医務室でひたすら泣いた。

京大2次試験の当日、出発前にわたしは親を呼び、これまで支えてくれたことへの感謝を伝えた。いろんな人に支えられてここまで来た。特に親の気苦労とサポートは計り知れない。そのことをどうしても当日伝たかった。わたしも親も泣いてわけがわからんことになった。

当日は自分でも驚くほど冷静に試験に取り組めた。数学試験試験官に手紙を書いているような気持ちで答案を作成した。結果的に完答できた問題はなかったのだけれども。


ところで、新年を迎えたこから自分の中のルールとして「前期試験不合格連想させるようなことは一切口に出さないし、心にも思わない」というものを設定した。「浪人したら…」「後期試験対策は…」といったことを考えることも禁止した。発言自由はおろか思想の自由まで侵害するという、今思えばドン引きするルールだ。バックアップを想定することは合理的であるが、その発想自体が心を弱くする、という根性論だった。今の自分根性論が大嫌いだけど、ともかくその時はそれが最善だと思っていた。自分なりに必死だったんだろう。

合格発表掲示開始時間には10分ほど遅れて到着した。すでに合否の熱狂から段落しているところで到着した形だった。手足が震えていた。すがるような気持ち掲示板を見た。番号があったので、また泣いてしまった。声を上げて泣いた。今までずっと無理をしてきて、辛かったんだということをその時理解した。その様子を見たアメフト部の人たちに囲まれて、胴上げされた。

【その後】

入ってから色々あったがここでは割愛する。卒業してからは某メーカで開発職をやっている。結局件の叔父と同じような道を選んだことになる。しんどいこともたくさんあるが、機械が好きなのでなんだかんだ向いていると思っている。


【さいごに】

一番お世話になった参考書の一つにチャート式があるが、この巻頭に記載されている「汗をかけ」という文章わたし世界で一番好きだ。短い詩なのでぜひ全文読んでほしい。

http://www.chart.co.jp/corp/00epitome/01what/asewokake/asewokake.html

「確実な道」を行く者は、「近道」を行く者よりも、汗をかかなくてはならないだろう。だが、その汗は、絶対無駄はらなない。君が、将来“かっこいい大人”“素敵な大人”になれるかどうか――それは、10代の時どれだけ「汗」をかいたかで決まるから

恋でもいい。グラウンドの上でもいい。

そして、エンピツを握ってでもいい。

フィールドは何であれ、思い切り「汗」をかく人であってほしい。


元増田にもあったが、受験はその構造上どうしても他者との競争の構図ができがちだ。しか自分自身の弱いところや意地悪なところや卑怯なところと徹底的に見つめ合い、自分の力で一歩一歩進むことに最大の意義がある。

すべての人に受験勉強というプロセス必要とは思わない。ただ、受験勉強を通して得られるものは決して少なくなく、ただの公式知識暗記ゲームにとどまらない、自分にとって大切なことを教わる大変よい機会だった。大学ではすっかり落ちこぼれ学生だったが、多種多様の人たちに出会い自分の見識を常に広げ続けさせてくれた京都大学には本当に感謝している。

センター試験まであと少し、全国の受験生に幸多からんことを。

anond:20190101172503

まりにも自分に重なったので、トラバする。

私の父親自分勝手で、すぐ怒鳴ったり、酒に酔っておかしくなったり、自分に思い通りに動かない子供が嫌いで、言うことを聞かせるために力一杯殴るような人だった。それに思想昭和男尊女卑だった。

私は就職を機に、一人暮らしをした。

男性並みの仕事をして、平均以上は稼いでいる。

会いたくない人に会わずに済むのは本当に楽だ。

そして、なるべく会わないように心がけている。正月お盆だけ、我慢して会っている。

から増田一人暮らしをしてほしい。きっと、そんな発想もなかったと思うから

適当理由を付けて、実家とは少しでも離れたところで働いて、その近くで暮らせばいい。

一人暮らしの仕方がわからないなら、手元の端末で検索すれば、いくらだって教えてもらえるよ。

いま私も苦しんでいるのは、男性が苦手で仕方がないこと。

一緒に働いたり、友達としているのは平気だ。

しかし、好意を寄せられたり、いざ親密な関係になると、途端に気持ち悪く感じられてしまう。

子どもは欲しいと思っているし、生き物として、結婚はしなければいけないと思っているけれども、自分父親像のせいで、男性の面倒を見ることがあまりに重たいものに感じられてしまう。

まぎれもなく男性嫌悪と、自己評価が低いせいだと思っている。

はてブを見て、同じような境遇女性が多いことが驚きだった。

ここから、新しく家族を持てた人はいるのかな。

いるのなら、教えてほしい。

2018-12-29

インフルエンザで涙が止まらない

喪で長年一人暮らし。もう結婚とかとっくに諦めて、激務だけどそれなりにいいお給料をもらって暮らしている。多分、世間一般から見たら「(ブスだけど)仕事友達関係も充実してて羨ましい」「(ブスだけど)毎日楽しそうに生きてて羨ましい」と言われると思う。実際、職場はみんな激務だけど離職率も低い。激務と言っても毎日同僚と無駄話を楽しむ余裕もあるし、なんといっても、長年勤めてそれなりに出世たからそこそこ裕福に暮らせる。本当にいい職場だと思う。

から、日々夜遅くまで働いて、終電間際で電車に揺られて帰って(たまに終電に間に合わずタクシーで帰ったりホテルに泊まることもあるけど)、たまった録画(主にアニメ)をウトウトしながら消化する生活になんの疑問も持ったことがない。次の日に職場に行けばたくさん人がいるし、実家とはあんまり連絡をとってないけど、お盆正月実家に帰ったら家族もいるし、友達もいる。

ところが、年末仕事納めと同時にインフルエンザにかかってしまった。実家に帰るつもりだったけど、電車に乗ったら周りにうつすし、実家にいれば家族うつしてしまう。だから、今年は帰省できないとと母親に言った。そしたら父親が、食べるものも飲むものもないだろうと、遠く実家からいろいろ持ってきてくれた。多分、新幹線飛行機もいま席もとれないくらいの混雑だろうから自由席で立ってきたのかもしれない。

うつすといけないから早く帰りなー。ほら、結構元気だしマスクしたら自分で買い物できるから。」

朴訥としていて普段あんまり話す機会もない父親が、なんとなく居心地悪そうに、ホッとしたような、寂しそうな、そんな顔をしたのがわかった。うつすといけないという気持ちホント、でも結構元気というのは大嘘。だからキツそうな姿を見せて心配させないように、背中を押してマンションから追い返した。

扉を閉めた瞬間、いろんな感情が押し寄せて、涙がポロポロと止まらなかった。父親への感謝気持ち、すぐに追い返してしまった父親への申し訳なさ、またひとりぽっちになってしまった心細さ、そしてこんな生活死ぬまで続くんじゃないかという不安。他にも、頭が混乱して、涙があとからあとからまらなかった。そして横になると、ふと

最近飯島愛さんの記事を思い出した。

あん美人でもあんな死に方したんだから絶対に私も行く末は腐乱死体だろうなあ…」

そう思ったら、親に申し訳なくてますます涙が止まらなくなった。

2018-12-27

シュトーレンの美味しさが分からないYO

パサパサのシフォンケーキみたい。ま、シフォンケーキが何でウケてるのかも理解不能なのだが。

お盆に食べるパサパサの和菓子みたいな位置づけなのかな。

2018-12-07

anond:20181207011640

お盆実家帰省したときネットないの不便だなーって思って電気屋無線ルータ買ったけど

何も設定しなくても最初からパスワードかかってんだよね

機器にいちいち打ち込んで設定するのが面倒だからパスワードなしにしちゃうってことなのかしら

パス変更って結構奥の方に設定があるイメージだけど

2018-12-06

anond:20181206105755

スピリチュアル好きの増田だけども仏壇に手を合わせて先祖成仏と運が上がりますようにと毎日真面目に祈ってると3年くらいすると好転してくるよ。

仏壇が無いなら水と米用意して適当お盆の上でやってもいい。

スピリチュアルみたいな非科学的なことは一切大嫌いだってことなスルーしてくれ。

2018-12-02

自分から見たら夢野幻太郎が羨ましい話

話の微妙な重たさゆえに長らく友人にも親にも話せなくて今までずっと溜め込んでいたけれど、夢野幻太郎というキャラクター自己解釈する作業で苦しくなってきたのでようやく吐き出す決意をした。

おそらくこの日記を開いた人であれば夢野幻太郎というキャラクターについての説明不要だと思うので割愛するし、お前の冗長自分語りに付き合ってられないという人に対して要点だけ述べると「昔、父方の従妹二人を亡くしているので「とある青年」がまだ生きている夢野幻太郎が羨ましい」というものである

以下、自分灰色の期間のお話

まず一人目の従妹の話。彼女は私の一つ年下の従妹だった。年が近いこともあり、正月お盆の親戚の集まりがあるたびによく遊んでいた。

彼女家族は隣の市に住んでいたので正月お盆以外で頻繁に会うことはできなかったがそれでも会える日はめいいっぱい遊んだと思う。

しか理不尽なことに、ある日(正確な年数が思い出せないことも自責の念に駆られる)彼女入院した。

手術が必要なほど大きな病気だった。

自分はその時は小学校高学年であり、祖父も既に他界しているので人の死についても経験はしていた。

ただ、人の死について体験はしていても理不尽体験も、理不尽出来事が起こるという想像もできなかった。

一応、従妹の手術は成功した。

退院後、一度我が家に泊りに来たことがあったので、一緒にお風呂に入った時に気遣いのできない自分病気についてあれこれ聞いてしまった。

今でもその時の答えづらそうな表情を覚えているし、どうして不快になることを聞いてしまったのか、今でもひたすら彼女に謝りたい。

暫くして彼女は再入院した。

入院して、それからいつもの様に学校へ行こうと支度をし始めた朝に両親から彼女が亡くなったことを告げられた。

意味が分からなかった。だって手術は成功したはずではなかったのか。

葬儀に参列して、棺に入った彼女の顔をまともに見ることはできなかった。

葬儀中はずっと神様彼女が生き返るようお願いをした。泣きながらお願いをしてもその願いは叶うことなく、この時に神様なんていないという事をぼんやり理解した。

正直、彼女の死について未だに受け入れられないでいる。

何度も何度もも彼女が生きていたら自分はどう成長していたのだろうか、と考えるしどうして死ぬのは自分の方ではなかったのかとも思う時もあった。

彼女が亡くなってから正月お盆の親戚の集まり苦痛しかなかった。

無神経な大人たちは自分の目の前で「もしあの子が生きていれば…」という話を繰り返すし、叔母にいたっては自分の娘でなく私が死ぬべきだったと密かに呪っているのかもしれないという恐怖もあった。

しか田舎であることや父が長男であること、母に対して良い感情を抱いていないこともあって親戚の集まり行きたくない、と言い出せなかった。

そうやって粛々と毎年居場所のない親戚の集まりに参加していた。

二人目の従妹は自分とは年の大分離れたお姉さんだった。

例の親戚の集まりでよく遊んでもらった記憶はあまりないが、可愛がってもらったと思う。

そのお姉さんを亡くしたのは中学二年の時だった。ただ、病気であった事や容態が芳しくないという話をあまり聞かなかったように思える。

お姉さんは結婚をしたばかりで、葬儀には旦那さんも参列していた。

火葬場へ出棺する際に、棺に取りすがって大声で泣いている姿を鮮明に記憶している。

さて、二人目の従妹を亡くした事で自分にある恐怖が芽生えた。

しかしたら自分も将来大きな病気長生きできないのではないか、と。

もちろんこの事は誰にも話せなかったし相談もできなかった。

多分この時から「将来」を考える事が出来なくなったのだと思う。

しかし、社会に出て就職するまでの学生の間は常に進路という将来を考えなければならなかった。

どうせ長生きできないのだ、と強く思い込んでいた事と親に意見する事が面倒だったこともあり高校大学も進路決定は非常に適当であった。

その間特に大きな病気になることもなく、20歳を迎えた。

自分の中で20歳まで生きられないと思っていたので20歳を迎えてしまたことに絶望してしまった。

そうしてこの絶望も誰かに話すことなく更に時は流れ就職活動の時期に差し掛かる。

就職活動に関して過去自分を振り返る自己分析という作業があるが、今の今まで人生投げやりに過ごしてきた人間に中身などなく、その事実にまた絶望した。

故人の為に頑張れるほど立派な人間ではないし、そういった自分矮小さが嫌いで仕方がなかった。

一年ほどニートになったが何やかんやで就職をすることができた。

大学卒業して、社会人になってからほんの少しだけ、意外と自分長生きできるのかもしれないと思い出した。

また自由に使えるお金を得たことでオタク活動に磨きがかかり、色々と思考を逸らすこともできるようになった。

ただ相変わらず何十年先という将来を考えようとしても「人は死ぬとき死ぬ」とブレーキがかかってしまうし、このブレーキについてはそれこそ死ぬまで付き合わないといけないだろうな、と思っている。

ここまできてようやく夢野幻太郎(以下、幻太郎)のお話ができる。いや、上記体験から言えば正確には寂雷先生の『迷宮壁』がピッタリなのだが、幻太郎の方が共感できた。

太郎の『シナリオライアー』をそのままで受け止めた時に、幻太郎は「とある青年」の元に何度も通ったと言っている。

まさにその点が羨ましいのだ。

一人目の従妹が入院している間自分は一度も彼女の病室を訪れなかった。

病院が隣県だった、というのもあるが両親に頼み込んででもお見舞いに行くべきだったと後悔している。

天寿を全うした人であれば生前の話に花が咲くが、そうでない場合は故人に対してやってしまたこと、やってあげたかたことへの後悔しか残らない。

誰にも赦しを請えないし、救われるということもないと思う。

そんな自分の今までの体験もあって、幻太郎が羨ましいし幻太郎のこれから人生幸せであってほしい、自分と同じ苦しみを抱えないでほしいと強く願う。

2018-11-30

anond:20181130112819

持病で毎月2回午前中休みますとか、お盆年末コミケ行くので休みますとか、

個人個人の抱える事情ってものあるじゃん。そいうのを忘れてたら伝えろってことだよ。

2018-11-23

一人で来てカウンター拒否る人の心理

今日連れとすた丼に入って食べてるときサラリーマンが1人で入ってきた

店内はそこそこ混んでいた。カウンターはぽつぽつ空いてて、テーブルは元々数が少ないので2人用が1つだけ空いてる状態

店員がお一人様カウンターご案内〜と言いながら案内しようとしたがリーマンテーブルがいいと案内を拒否った

店員は少し迷ったものの了承しテーブル席へ案内した

すた丼は基本1人で入る人が多いがたまーにグループも来るので店員としてはテーブルは空けておきたかっただろう

で、なんで一人なのにカウンターが嫌だったのか気になって少し様子を見てたんだが

持ってる荷物を向かい側の椅子に置きたかったのか?(荷物は1つだったが割と大きめだった)と思いきや

狭いのに自分の横にぴったりとくっつけて置いていた。荷物理由ではなかったようだ

次、ガタイ結構良かったので注文をたくさんしてテーブルに並べたかったのか?と思いきや普通お盆1つに収まる量だった

狭いのが嫌だったのか?とも考えてみたが結局4人テーブルを無理やり2人用にしてるだけで隣と近いのはそこまで変わらない

結局理由は分からないまま店内が混み出して2人連れが待ってたので連れが食べ終わったところで慌てて店を出た

強制のものではないがやはり常識的には1人で来たならカウンターに座るよなぁ…と思ったのでモヤモヤした

2018-11-18

帰省したくない

帰省したくない。

と言っても私は旦那実家に帰りたくない妻ではない。普通学生です。

年末年始は毎年母親実家家族総出で帰省している。もう生まれた時からそうしていたからなんの疑いもなく毎年行っていたが、ここ最近はその行事が急に嫌になっている。

まずうちの家から母の実家までは車で4時間半ほど。年末年始帰省ラッシュで高速が渋滞するのでもっとかるときもある。父や兄弟運転実家に向かう。

到着するとド田舎。母の実家の周りには畑以外本当に何もなく、民家すらぽつぽつといった状態

親戚はほぼ全員男で母以外話し相手がいない。だがその母は久しぶりに会う自分家族や親戚と話すため私はほったらかし。暇。

そのくせやれ女が座ってちゃいかんとか手伝いをしろとか彼氏の1人でも連れてこいとか学校はどうだとか進路はどうするんだとかもう酔っ払った親戚に絡まれる絡まれる。仕方ないので集まりを避けて別室でテレビを見ていたらせっかく親戚が集まってるのに本当に空気が読めないのね!と散々叱られた。(もう成人しているのに……)

まりにも暇なので持参した本を読んでいたら目が悪くなるぞ!と言われたりもする。絡み方がいちいち返答に困る感じなので愛想笑いで誤魔化したら○○(私の名前)最近冷たくない?とまた絡まれる。

帰省したくない。

え?それだけの理由で?と思う人が大半だと思うが、自分生活ルーティンが崩されるのは私にとってかなりつらい。実家暮らしている以上親の言うことは聞かなければいけないのは重々承知なのだが、母以外ほぼ男の親戚(全員50代以上)たちと一斉にいつもと違う家でご飯を食べたり同じ部屋で寝たりするのが苦痛だ。今年のお盆は先約があったので帰省回避できたが、それのおかげでより親戚が帰省しろとハッパをかけてくる。

今年は12月30日から帰省するそうなので、29日くらいか家出をしようか悩んでいる。多分母親が怒り狂って殴り倒してくるからしないけど。

追記

先約というのは私が半年ほど前から楽しみにしていたライブです。母はキャンセルしてでも実家に行くぞ、と怒っていたのですが泣いて説得してなんとか帰省回避しました。ただこのときもかなり難航したのでもう同じ手は使えないと思います

親には自分がこういう点がつまらない、苦痛だということを説明しているつもりなのですが、母親実家が大好きなので全く理解してくれず、年末年始家族で過ごすものだ!と言って聞きません。腰が悪く車での長時間移動がつらいことも話したのですが私よりも健康な母は我慢しなさいと言ってそれきりなので、もう何を言っても無理そうな気がします。

あ〜〜あ、年末急にインフルエンザかになってほしいな……

2018-11-14

女子高生女房がほしいか? 

私も田舎出身で、小さなコミュニティの中でノンビリとお馬鹿に育ってた。

その頃の話なんだが。

高校時代夏休み部活から帰ってくると、お客さんが来ていた。

60代くらいの上品そうな女性と、40代くらいの大柄で無口な男性だった。

母が、本家筋の遠い親戚である親子だと紹介した。

「ははあ、お盆さんが近いから何かそんな関係で来たのかな」と思った。

付き合いのない親戚のせいか、母は硬い顔をしていた。

女性は「部活だったの?」「何をやってるの?」と笑顔で聞いてきたので、馬鹿の私は「テニスをやってます。すっごく楽しいです。去年は県大会・・・」とかベラベラ喋った。

女性が「好きな人とかはいるの?」と訊くと、もう恋バナは女子高生人生の糧とばかりに、もっとテンション上げてベラベラ喋った。

「県大会で会った、○○高校の○○君はすっごいテニス上手くて、でも全然感じも良い人でー」とか。

「年上の男性はどう? 好き?」と訊かれ、

「いやーー!! 2歳上まではありですけど、それ以上はちょっとまだまだ!! やっぱり人生経験全然違うじゃないですか!大学出たり、社会人として働いてたり、自活したりとか色々してる人とかってやっぱりもう私とは考え違うはずですよね~人として精神成熟全然違うじゃないですか!!

そんな人、むこうも私になんて考え合わせられないだろうし、私もも全然出来ないし!! やっぱり歳の近い人と、人生の色々な経験を一緒に積んで~一緒に成長していくってのがいいかな~って、あっ○○君のこと言ってるんじゃないですよ!彼はもう人気者なんで無理無理!!!あっでも来週、合同練習で~」とか話してたら、向こうが「じゃあそろそろ」なんて帰って行った。

玄関で2人を見送った後、母親が急に私を抱いて被さってきて「ごめんなさいごめんなさい」と言った。

なんとあの女性は「私と息子を結婚させないか」と来訪したんだと言う。

馬鹿げてるとやんわり断ったけど、むこうは父の本家筋であんまり怒らせてしまうと地元立場が悪くなるため、「会わせるだけ」と私に会わせてしまったという。

「見た?あの白い顔ども。基地外の白よ。生きてる人間は夏は私やあんたみたいに真っ黒になるのよ。あんたも真っ黒な人と結ばれて真っ黒になって暮らしなさい」と母は私を抱きしめながらつぶやいた。

今の旦那は4歳年上だし、デスクワーク仕事で真っ黒でもないけど、おおよそ母の言う人だと思う。

2018-11-07

覆水さんはお盆に帰らず

夏休みには帰ってこいよと暑中見舞い出したんだけどなぁ

2018-10-31

ハッピーハロウィン!」って言うけど、何がハッピーなんだ?

いや、リア充を僻んでいるとかそういう意味ではなく、文字通り言葉的な意味

本来日本で言う、お盆みたいなイベントな訳で

日本的に言えば「幸せお盆を!」……いや意味分からん

一体何がハッピーハッピーハロウィンって言われるようになったんだろう?

2018-10-30

anond:20181030095704

そう考えたら、やはり文化の盗用など、問題にすべきでないことがわかる。

ハロウィン昔ながらのお盆スタイルに戻しても、別に何もいいことない。

ハロウィンって日本で言うお盆だよね

なんで宗教由来の行事なのにメリークリスマス封印させたアメ公が目をつけないのか不思議

2018-10-29

祭りは持ち上げて良い神輿があって、叩いて良い太鼓があって、踊っていい踊りがあり、暴れて良い会場がある

伝統を重んじる老害が多ければ厳しいかもしれないが、全国そんなこと言ってられない現状だから、意外と受け口あるぞ

そもそもハロウィン仮装して馬鹿する日ってどこが言い出しっぺ?電通博報堂?なんでお盆あるのにもう一度先祖重んじるんだよ

2018-10-27

ハロウィーン古代ケルト人社会において死者に思いを馳せる行事であった

それはまさに日本お盆に相当する

にゆハロウィーンハッピーをつけてしまうのか

2018-10-26

「全部同じじゃないですか」「違いますよ~」の「全部同じじゃないですか」ポジになった

お盆実家に帰った時、甥がライダーの変身ベルトを付けていたので、先日、甥に仮面ライダー変身アイテム誕生日プレゼントとして渡したら「これ違うやつ」と言われた。

店員に最新の奴と言われたから買ったのに…と思ってたら、今の仮面ライダーって9月スタートなのな。だから、甥が8月に持ってたライダーベルトは前のシリーズの変身ベルトだったわけだ。

兄はこっそり(元々クリスマスベルトをあげるつもりだから大丈夫)とフォローしてくれたけど。

なんか、だいぶショック。

2018-10-24

だらだらと長文

どこか、書く場所がほしくて、なんとなく登録してみた。

ここがどういうところか良くは分かっていない。時々ツイッターRTされてきた記事を見る程度でしか知らない。ただ、匿名文章を書ける場所のようだ、と思って登録してみました。間違ってたら消します。

明確に書きたい内容というものが無いので、長くなる。意味もわからないと思う。ただ、なんとなく書きたかったらから書いている状態だ。見かけたとしても、できれば責めないでほしい……。甘ったれんな、と石を投げられそうな内容だと自覚はしています……。

人生って、楽しいのか?ということを最近よく考える。やりがいとか楽しみとか、夢とか。

私は、同人界隈に片足を突っ込んでいて、周りは同人等々で趣味謳歌している人たちばかりだ。すごいな、と思う。好きなキャラを追いかけて、二次創作したり、イベントに出たり、とてもパワフルじゃない?彼女たちはきらきらしてるよう見える。なんでそんなに頑張れるんだろう。仕事をしながらも趣味と両立して生き生きしてるように見えて、羨ましい。

対して私は……というと。そういったものがなくて。目標とか夢とかが存在しない。いや、夢や理想はあるんだけど、到底叶いそうも無くて、心が折れかけている。

私のその叶いそうにもない夢は、完全週休二日制で、お盆休み年末年始休みがあって、台風交通機関麻痺するときは自宅待機……という企業で働くことだ。付け加えるならば、社員一人(私)で、派遣契約社員十人の面倒を見なくていいところ。そして、イベントとかでは有給使って休んで、遠征して、イベント後に数人でアフターをする……。そんな夢。

でも現実はそんなに甘くない。

今も転職活動してるが、自分市場価値が無さすぎて売れる気配がない。書類選考も通らない。理想のような労働環境は、たぶんきっと、一握りの優秀な人くらいにしか枠がないんだろう。私なんかいらないと思う、自分でも。

仕事がだめでも、せめて趣味生き甲斐にすればいいんじゃないか、そうしたら楽しいでしょ?とふと思うこともあった。だけど、そちらもあまり芳しくない。まずそもそも現職だと有給ほとんど取れない。派遣の方々が有給自由に使うので、そのフォローにずっと追われてる。私だって8月13日とか1月4日かに有給使いたいけれど、『用事がある』っていう派遣さんに休みを譲らなくちゃいけない。

それに創作者としての自分能力ダメダメだ。中途半端イラスト二次小説を書けるせいで、自分の描いた絵に魅力がなかったり自分の書いた文章面白くなかったり……というのを痛いくらいに実感してしまう。ツイッターでの繋がりで本を手にとって下さった方はいるけれど、申し訳なくて仕方がない。たぶん読まれことなくそのうち捨てられるのかな、なんて深読みもしてしまって、紙とか印刷所さんに対しても申し訳ない気持ちになる。私だけが一方的に神に『読みました!』と感想を伝えてる。……欲深く、手にとってもらえたらなら読んで貰えないかな、と思ってしまうのがいけないんだろう。

先ほどの夢もそうだけど、全体的に高望みしすぎなんだよ、自分。身の丈にあった夢とか希望かにしないといけない、いろいろ諦めたらたぶん楽になれるはず。だというのに、ぐだぐだ現状に不満を漏らしてて、最低だと思う。

その上最低にも、いっそ『余命何ヵ月です』なんて言われたら、仕事も辞めて余生を満喫して死ぬのに、と妄想する始末。懸命に生きようとしている人にはブーイングものかもしれないけれど、生き甲斐とか生きる楽しさとかが見当たらなくて、自分意味がないように感じて仕方がない。

隣の芝が青くみえるだけで、きっと皆さん苦労してると思う。私の状況が酷いものじゃないのも分かってる。だからこそ、皆さんどうやって人生を生きてるんだろう、何を生き甲斐にしてるんだろう。そんな疑問が生まれる。

皆さん人生楽しいですか?

こんな意味のないぐだぐだな文章を、こんな気持ち悪い文章最後まで読んで下さった方、ありがとうございます。出来るならば、石は投げないでいただけるとありがたいです。ごめんなさい……。

2018-10-18

anond:20181018150016

ほかの宗教に沿った生活様式からじゃない?

お盆休みとかクリスマスとかは世間一般に広まってるじゃん

キリスト教徒が日曜の休日出勤宗教理由にして拒むかどうかがちょっと気になってきた

セフレへの片想いをやめた

10月18日。1年以上好きだった人を諦めた。諦めると言えば大そうに聞こえるが、1ミリ希望もない恋だった。

好きでいることをやめる。この1年と4か月、どれだけ冷たい態度をとられても、数少ない友人たちに口をそろえて諭されても、検討すらしなかった選択肢今日自分で選んだ。

好きな人がいた。顔を見た瞬間一目ぼれだった。誰が見てもわかるくらいに整っていた。バンドが好きないまどきの若者だった。

特別可愛いわけでもスタイルいいわけでもない私は、ものの数日で目も当てられないくらい夢中になってあっという間にフラれた。好意プライドもズタボロになって、しばらくは抜け殻みたいだった。一人でいたくなくて、マッチングアプリで知り合った男の子と頻繁に会っていた。彼は、その中の一人だった。

好きだった人と同じ髪型だったかLIKEして、マッチして、しょうもないやりとりをして、初めて会ったとき「ああハズレだな」と思った。タイプじゃなかった。背丈は私と同じくらいで、髪は写真よりもずっと短かった。

「どこか行きますか?」と聞いてもめんどくさそうな声で「どうしましょうね」と返ってきた。待ち合わせ場所でしばらくグズグズしていたけれど、ようやく入ったファミレスで彼はずっと携帯を触っていた。気を遣って話しかけるとようやく液晶から顔を上げる。眠そうな目がこちらを向くのも少し怖かった。

私が「ハズレ」だと思ったように、彼も私を「ハズレ」だと判断したのだろう、と自分を納得させた。ドリンクバーデザートのみの会計は彼が払ってくれたけれど、それくらい自分で払いたかった。

いざ帰るとなったとき、彼は駅のホームまで送ってくれた。自分が乗る反対方面の電車が行ってしまっても、私が乗る電車が来るまで隣で待っていた。乗り込んだ電車が発車するまで見送り、すぐに「気を付けておかえり、また会おうね」とLINEをくれた。

これは「ハズレ」だとは思われていない?しばらく様子を伺いながら連絡を続けたけれど、彼のLINEは会う前と変わらず好意的で、なんなら会う前よりも少しくだけたように思えた。

「変わった人だなあ」が第一印象だった。

その後は以前よりも親しげに、日常的なこともLINEで話すようになった。なんとなくレスしていただけだったけれど、次に会うのが少し楽しみになった。

2回目に会ったときにはもう夏も間近で、2人でかき氷を食べた。くすりとも笑わずに、淡々と話をする彼は、言葉選びから仕草視線の移し方に至るまで私のこれまで知る男の子とは違っていて面白かった。彼は、一通り二股にはげむ友人のクズエピソードを話し終えたあと、最後に残った餡子に向かって「もう1つくらい白玉入ってると思ったのに…」と小さく悪態をついていた。

それからは急速に仲良くなっていったように思う。そう思いたい私の記憶いかもしれないが、7月に入るころには、無愛想な受け答えやつまらなそうな振る舞いに悪気はなく、それが彼の癖のようなものだとわかるようになっていた。「今日はどうしようか」と聞けば相変わらず「どうしようね、決めて」とめんどくさそうな返事が戻って来たけれど、「いつも私が決めるんだけど?」と軽口を返すことができた。彼に興味があった。見ていて飽きなかった。別れ際はいももう少し一緒にいたかった。でもその感情好奇心とよく似ていて、私はまだ自分の恋心が動きつつあることに気づかなかった。

ホテル映画見ようよ」と誘ったのは私だった。彼は一度断ったけれど、不機嫌な私の態度を見てか、「いいよ、行こう」と言い直した。何度も「たぶん俺すぐ寝るよ」と言っていたのに無視をした。私が選んだ映画再生して、眠そうな彼を何度か起こして、エンドロール流れるころには深夜2時を回っていた。彼は髪を撫でたり、頬を触ることはあってもそれ以上のことはしなかった。「ここまできてキスしないんだね」とけしかけたのも私だった。彼は「そういうこと言わなくていいから」と言った。私たちは付き合う前にセックスをした。

それ以降、泊まりが増えた。元々向こうのバイト終わりに会うことが多かったから、時間を気にしなくていいのは嬉しかった。お金に多少ルーズな彼と会うために、ホテル代は私が多めに出すことが多かった。

このころには、「彼のことを好きになれそうだ」と思い始めていた。まだ失恋を引きずっていたし、次に依存できる恋愛を見つけたかっただけかもしれない。

それでも男女の関係にありながら、普通に「この間会った男の子がね、」なんて彼に話していたし、彼はそれを興味なさそうに聞いていた。

彼はたまに、らしくない、思わせぶりなことを言った。「他の男の人の話されるの好きじゃない」と言ってみたり、「俺のあとに他の人に会いに行くって俺は気分良くないよ」と言ってみたり。失恋自尊心を損なった私にはそれがとても気持ち良かった。ある土曜日、私は他の男の子との約束をやめて彼とホテルに泊まった。彼と会う前に少し嫌なことがあって、本当に本当に馬鹿だと思うけれど、抗不安薬オーバードーズした。視界がぐらぐら揺れて、手足がしびれるような感覚がしていた。彼は私の腰を抱いて「馬鹿じゃないの」と叱ってくれた。嬉しかった。どうしようもない女だと思う。そこから記憶は途切れて、次のシーンはホテルのベッド。「他の男のところに行かせなくてよかった」そう言われて抱きしめられて、私はいとも簡単に恋に落ちた。あるいは、いとも簡単に落ちていた恋に気づいてしまった。

そこからはまた、一瞬だった。失恋を忘れたい、新たな恋愛依存したいという気持ちが、このしょうもない恋愛アクセルをかけた。踏み込んだら思った以上に加速した。告白をしたらもう止まれなかった。

「フるわけじゃないけど、今は付き合えない」

保留にされて、少し冷静になって、「あれ、ブレーキのかけ方知らないや」って気が付いたときにはもう遅かった。7月中旬には、彼を好きでいることが私のアイデンティティになっていた。どうして付き合ってくれないの?「もう好きに寄ってるよ」って言ってくれたのは嘘だったの?告白を保留にされていた期間は不安心臓が千切れそうだった。幼稚な私はそれをそのまま彼に伝えて、彼は「わかるよ」とだけ言って肝心なことはいつもはぐらかした。それでも、どれだけ不安でも寂しくても辛くても悲しくても、このころが人生で一番幸せだった。

はいつまで経っても告白の返事をくれなかった。

告白からひと月がすぎ、彼の返信は少しずつ遅くなっていった。「会いたい」といえば「忙しい」と言われた。

「好きでいることは迷惑ですか?」と聞いたことがある。彼は「これまたクズって言われると思うんだけど」と前置きをして、「好きでいてほしい」と言った。

8月14日お盆休みの4日目。ようやく彼と約束を取り付けた。朝10から連絡を取って、会えたのは18時。喫茶店他愛もない話をしながらお茶をして20時には彼は駅のホームまで私を送って行った。「まだ一緒にいたい」というと「もう充分でしょ」と笑い、「充分に見える?」というと「俺はもう充分だから帰るよ」と返された。

ホテル行こうよ」と誘ったのは私だった。彼は初めて誘ったあのときよりもずっとめんどくさそうな顔をして嫌だと言った。「これが最後から」と腕を引っ張ると、「だったらお茶してまた会えた方がいいんだけど」と小さく言っていたけれど、すぐ「ホテル代タダならいいよ」と言い直した。ホテルを出た帰り道、彼は駅の階段の前で「じゃあ元気で」と言い、私の顔を見ると「また泣くじゃん、泣く前に帰ってね」と冷たく言い放って手を振った。ひとりホームまで歩いて電車に乗り、方面を間違えたことに気づいたら我慢できずに泣けてきた。

それでもこの頃の私は、この恋がこれまでしてきた恋と何一つ変わらないと思っていたし、こんな気持ちもまたひと月すれば忘れられると思っていた。

すぐに彼氏ができた。すごく優しい人だった。私に好きな人がいることも知ったうえで、「僕のことを好きにさせます」と言ってくれた。一緒にいれば楽しかったし、だんだん惹かれ

ていったのは確かだった。

でもデートをして、車で送ってもらい、別れ際にキスをして部屋に戻ると見るのは好きな人SNSで、ただでさえ不安定気味な私の情緒さらに揺れて、そう長くは続かなかった。

「好きだけどもう疲れた」と言われたとき、「やっぱり私には好きな人しかいないんだ」なんて馬鹿たことを思った。

そこからまたひと月、ふた月と過ぎて、気持ちは一向に変わらず。最後だと言っておきながら彼に連絡をしては、無視をされたり冷たい言葉で返されるような日々が続いた。毎日毎日彼のことだけを考えた。いつしか私の生活は会うこともできない一人の男の子のためにあると思うようになった。SNSを盗み見るのが習慣になり、彼の友人に彼の写真をもらったり、彼の好きなものを調べては行きそうな場所待ち伏せをした。

彼が手に入るなら何もいらなかったし、彼が手に入らないのなら生きている意味がなかった。それでも私が明日を生きるのは、明日返信が来るかもしれないから。数年先の未来には、彼の隣で私が笑っているかもしれないから。

彼は最後の日から今日にいたるまで、2回だけ、気まぐれに私に会ってくれた。

2月17日、たった1時間ちょっと時間だったけれど、本当にこれまで頑張って生きていてよかったと思った。渡したバレンタインチョコにお返しはなかったけれど、おいしいと言ってくれただけで嬉しかった。

2回目は、そこからまた4ヶ月。1年前、まだ仲が良かったころにも遊んだ6月17日。二人でウィンドウショッピングをした。人がごった返す渋谷駅で、私には彼だけが輝いて見えていた。彼は優しかった。面倒なセフレに対する態度ではなく、親しくない友人にするように。どんどん距離は離れて、それでも私は何も変わらず彼が好きだった。

10月16日。彼のSNSひとつに鍵がついた。もうひとつSNSでは落ち込んでいるような旨の投稿をしていた。彼の友人から、私との出会いきっかけでもあるマッチングアプリを消したときいた。「真面目に生きる」のだそうだ。彼女ができたのだと思った。ついに恐れていた日が来てしまったと思った。

息がすえなくて抗不安薬をたくさん飲んだ。「もう薬たくさん飲んだりしちゃだめだよ」ってあの日優しく言ってくれた彼がちらついてあるだけ飲んだ。気絶するみたいに眠りについて、気がついたら15時間が経っていた。彼女かあ。彼女いいなあ。可愛い子なんだろうな。こんな惨めな女がいることなんて知りもせず、当たり前のように彼と手を繋ぎキスをして、セックスをするんだろうな。

悲しくて悲しくて、だけど好きな気持ちは変わらなかった。好きで好きで好きで好きで、笑った顔を思い出しては、彼がその彼女と楽しそうに過ごしているといいと思ったり、すぐに別れてほしいと思ったり、どうか幸せになってほしいと思ったり、殺してやると思ったりしていた。

これから私は彼女持ちの男に不毛な恋をしていくんだなあ、とぼんやり思っていた。

ただそんなことを考えながら泣いているだけで、丸1日が経った。

彼のSNSには相変わらず鍵がついていたけれど、祝福のコメントひとつでも読んでやろうと彼あてのメッセージ検索した。涙も枯れて、何を見ようとこれ以上悲しいことなんてないと思った。でもこれが、彼を諦めるきっかけになった。

好きな人には、彼女はできていなかった。

「両想いだと思っていた女性から連絡が来ず、傷心している」といった内容のことを彼の友人が茶化して書いていた。投稿に添付された写真には、大好きな彼が写っていた。やっぱり世界中の誰よりもかっこいいと思った。でも私の知らない横顔だった。私の好きな彼じゃなかった。

喉の奥がきゅっと詰まるような感覚がした。虚しくて、寂しくて、吐き気がして何度もえずいて、信じられないような気持ちで見返しても写真は変わらず切なげな表情の私の知らない好きな人だった。

好きな人が、私を好きにならないことにはとっくに諦めがついていた。でも私以外の誰かを好きになる好きな人は見たくなかった。私がどうやっても手に入らない彼の好意が、無下にされていることも虚しかった。私は誰かを好きだと思う彼を知らない。彼の事を知らない。これまで散々私と恋愛をする彼の妄想も私に愛をささやく彼の夢も見てきたけれど、現実の「恋をする彼」は、あまりに遠くて、遠くて、遠くて。もう潮時だと思った。大好きだけどもう好きでいてはいけないのだとようやく気が付いた。

彼の写真を消した。何度も見返したLINEも消した。

SNSももう見ないと決めて、一番そばにいてくれた友人と姉に「諦める」と連絡をした。

私の人生で一番大きな恋が終わった。はたから見れば遊ばれたメンヘラ女の、惨めで愚かなよくある話だと思う。

今はどうしたらいいのかわからない。たった1年と数か月でも、もう彼は私の生活だった。彼に出会う前に何を思い何を考えて生きていたのかわからない。死にたくはない。

やめた方がいいのだとたくさんの人に言われたし、諦めたと言えば「頑張ったね」「よかったね」と大切な人が喜んでくれた。これは進歩なのだと思う。本当にできるのかもわからないけれど、彼を忘れることは喜ばしいことなのだ。私が彼を好きでいることは誰にとっても悪いことのようだったから。でも今はまだそれが悲しい。こうして、何度も思い返すうちにすりきれてしまったような曖昧な昔の記憶を引っ張り出しては誰にも言えない心情とともに匿名日記にするくらいには悲しい。

本当に本当のことを言えば、これは備忘録だ。忘れることを強いられた私の最後の逃げ道だ。たとえ叶わなくても、私は君にずっと好きでいさせてほしかった。毎日がすごく苦しくて悲しくて幸せだった。君は迷惑だったかな。好きになってごめんなさい。ずっと好きでいてごめんなさい。気まぐれに言っただけの「好きでいてほしい」を一年以上も信じてごめんね。君は優しくてかっこよくて面白くて愛おしい、最高の男の子から絶対絶対絶対幸せになってね。

2018-10-06

どうしたらいいんだ

レイプだったと思う

旦那だけど

1週間くらいあるお盆休み初日監禁された

玩具の手錠をベッドと右手に繋げられた

エロ漫画かな?って思った

殴りあった傷は休み中に取れた

手錠はふわふわしてた

今は実家に帰ってきた

仕事もやめて

病気はいってない 外に出たくない

堕ろすのかなあ

手首を眉毛のカミソリで切ろうとしたらイテテってなった

こんなのも我慢出来ないのに堕胎手術うけれるのかな

いま旦那何してるんだろう

ひまわり枯れちゃったかなあ

ミニひまわり 可愛かったのに

2018-10-05

お金がほしい

めっちゃお金欲しい!

稼げ! って言われたらそれまでだし、何もやらないし何の才能もなく伸ばそうともしない自分がだめなんだけど!

奨学金固定費計算して13万で!

将来のためっていうか車検車税保険美容院代で月2万は貯めたくて!

食費とか日用品とか交際費とか5万は出したいんだけど!!!!! 手取りオーバー!!!!!!

転職したくてよりいい条件を探すけど、「フワッとしてるからお前には無理だ」と上司に罵られる始末wwwwww つらwwwwwww でも反論できないwwwwwww 泣くwwwwwwwwwwww

贅沢してぇなあ〜!!!!! お金がほしいし余裕が欲しいわ〜!!!!!! お金幸せが何でも買えるわけじゃねぇって話すげー納得するけど、やっぱりお金が無いと生活立ち行かないんだわ〜!!!!!!

でも27になって親のスネかじってしゃぶってベロベロリン☆ っていうのも「おまwwww何のために大学出たwwwwwww」って話でして!!!!!!!! つら!!!!!!!!

朝出勤して夕方とか夜帰る仕事して!!!!!!! 土日祝日休み!!!!!! お盆とかGWとかもちゃん休みもらえて!!!!!!!! 手取り20万ほしいよ〜!!!!!!!!!! ドラえもォ〜ん!!!!!!!!!

そういう人生設計から上司に「フワッとしてるからお前には無理だバーカ」って罵られるんだろうな〜!!!!!!

自分の弱さに向き合う余裕が欲しい。

自分は駄目なやつだからといって、自分人生を諦めたくない。どこに向き合うべきなのかまだわからないけど。

そんでもってやっぱりお金がほしいわ〜!!!!!!!!!!!!!! 日本もっとお金が巡って私にも回ってくれ〜!!!!!!!!!!!!!!!

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