はてなキーワード: ムーとは
私がちょこちょこたまに話している
今回で最終回よ。
と言うのも、
向かうところ敵なし!
グループ固定値攻撃の武器ジャベリンの攻撃力2倍のアビリティ装備しての750,000ダメージよりはるかに強いアドレスブレイドでもう物語を終わらせたわ。
ジャベリン最強!って思ってたけど、
さらに噂に聞くモルモットソードはえげつないぐらいどんな敵でも1撃で倒せてしまうと言う、
全ての数値がマックスのモルモット教授もこれはさすがに勝てないかと思ってたけど、
こちらもアドレスブレイドパーティー3本装備で挑んで苦も無く撃破!
おかげさまで、
やっと手が離れたので
久しぶりに銭湯堪能したわよ。
もうこれ物語が終わらないと、
進ませるのが気になって気になって仕方が無かったのよね。
もうこれで私の「ダンジョンエンカウンターズ」呪いは解けたわ。
全滅して凹んだけど、
あれはもう昔の話し!
もう終盤になれば、
全滅よろしく敵にどんどん向かって行くのも怖くなくなったわ。
だって全滅しても救助隊をすぐに向かわせられるテクも身に付けたからね。
それよりも、
終盤はどちらかが攻撃したら負け!って
1発で勝負が決まるので、
あんまり戦闘はいかに相手を攻撃させないか!ってところに論点が集まるのよ。
もちろん、
敵も強いは強いので、
なんか1か0か!って究極よ。
パウダーブラスターとかグループ攻撃で敵を毒に犯すことができるロマンある武器も
まあ使って毒化させても、
クリアまで色々あったけど
概ね大満足!
楽しかったし。
繰り返して遊ぶか?って聞かれるとたぶん遊ばないわ!ってなるけど、
これも何回も何回も楽しめるゲームはすごいなぁって思ったわ。
なかなか簡単にローグライク的に「ダンジョンエンカウンターズ」を楽しめないかな?って思うけどそうは簡単には問屋は海苔を卸屋に卸さないわよね。
であと敵の防御力やヒットポイントが全く見えないモードとかあったら、
さぞ恐怖よね。
そんなことしたらゲームが成り立たないような気もするけど、
やってない人から見ると全く分かんない話だと思うけど。
それだけは綾や親にお謝りなさい級の早口でごめんなさいって言いたいところよ。
でもさー
この日も腰パワーがいまいちで、
出掛けられなかったってのが本当のところなのよね。
調子いいからって動いたらすぐに腰パワーがゼロになってしまう、
もう私の腰はゲーム感覚なのかしら?
おかげで
腰パワーが全快しないので、
この連休中も用心して安静にしておかなくちゃってところかしら。
おかげで
ゲームのみならず
これもまた弊害があって、
横になったまま観ているとまた腰に悪いって
全然腰パワー労って無いじゃん!って
じーっとしているよりも
適度に動かさないともいけないのかしら?って思ったわ。
速く腰パワー異常ステータスを解消したいわ。
腰には気を付けてね。
うふふ。
飲み物なににするか言い忘れてたけど
何も言わなかったらホッツのヒーコーが出てくるのね。
ホッツでよかったけど。
ここの喫茶店はアイランドキッチンで店内中央にキッチンがあって
1~2畳もない狭いところで器用にやりくりして色々なレシィピを作っていて、
いっちゃーあれだけど、
玉子のボリュームが控えめで食べやすいサンドイッチなんだけど、
よく見たら
逆に絶妙よね!って思ったわ。
だんだんと暑くなってきたと思ったら
今朝方の朝はもの凄く寒くて
何度も目が覚めてしまったわ。
昼間は暑くなりそうなんだけど、
気温の大きな変化も身体に堪えるわよね。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
5個かどうかは数えてないけどちょっとやってみっか
「『特定属性の人への嫌がらせを娯楽化した作品』の一面広告を許容するべき(批判するべきでない)」
と主張するなら、
「特定属性の人への嫌がらせを娯楽化した作品である」という前提は合意を得られていない
彼らの「直接に人を身体的に傷つけないなら、その表現は場所を問わず全て許容されるべきだ(批判するのは表現規制だ)」という主張
「許容されるべきだ」と「批判するのは表現規制だ」が同じ主張であるという前提は合意を得られていない
というか「表現する自由があり、批判する自由がある」という主張が存在するくらいなので明確に異なるものとして認識されている
差別表現だという主張は一方だけが言っているものであって、合意を得られたものではない
君らってまず「差別だ」と断定して、以後その前提が絶対崩れない想定で話を進める戦法ほんと好きだよね
それが性的嫌がらせ描写であるという前提は合意を得られていない
あなたがそれを嫌がるのは自由だが、漫画のキャラクターはあなたではない
「本邦外出身者に対するものであるか否かを問わず,国籍,人種,民族等を理由として,差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動はあってはならない」とあるので、当然女性差別もヘイトスピーチ対策法の対象範囲にある。
女性差別がヘイトスピーチ対策法の対象範囲にあるかどうかは別の議論が必要
というか「日本人が日本人を叩くことはヘイトスピーチではない」「もちろん日本人オタクを叩くこともヘイトスピーチではない」という主張はリベラルからさんざん聞いたものだが
これらと「でも日本人男性が日本人女性を叩くのはヘイトスピーチだ」を両立させるのは無理がある
(どうでもいいけどアンチ表自戦士の人がsenbuuと対立するの珍しいな)
「特定属性の人への嫌がらせを娯楽化」の部分が一致してなきゃ意味がないと言っているのだろうが、それはあくまであなたの見解であって合意を得たものではない
たとえば元増の「不快に思う人がいても実害がないなら」という部分が本質だと考えるならこの例で十分一致している
そして既に述べた通り「特定属性の人への嫌がらせであるかどうか」「実害があるかどうか」も意見が分かれている段階なので、仮定の上に仮定を重ねても意味はない
はてブで本論に対する反論をしない表現の自由戦士が多数いるの見て、やっぱ図星かと思った
jzhphy 「載せるべき」ではなく「載ってても別にいい」だからね。わざとすり替えてんだろうけど。月刊ムーあたりが「世界を切り開こう」みたいな良さげフレーズで全面広告しても疑似科学礼賛かなんて反応せずにスルーだよ。
本性あらわしたね
表現の自由戦士にとったら、「中韓ヘイト本が日経の一面広告に載ってても別にいい」らしい
まあ、表現の自由戦士の論理を突き詰めればこうなるのは当然ではある
jzhphyは問いから逃げた他の自由戦士に比べればまだマシな部類だろう
そう、
「『特定属性の人への嫌がらせを娯楽化した作品』の一面広告を許容するべき(批判するべきでない)」
と主張するなら、
「中国人や韓国人への嫌がらせを娯楽化した中韓ヘイト本の一面広告も許容するべき(批判するべきではない)」
と主張しなきゃいけなくなるんだよ
彼らの「直接に人を身体的に傷つけないなら、その表現は場所を問わず全て許容されるべきだ(批判するのは表現規制だ)」という主張は、差別発言(表現)を「人を身体的に傷つけない」という理由で肯定してしまうから
「『一部の人が不快になるだけで、身体的な被害は出ない表現』を批判するな」と言うなら、「土人は知能が低い」「チョンは近親相姦ばかりしてる」「チビには人権がない」といった表現も「一部の人のお気持ちが傷付くだけ」だから「批判してはならない」となる
jzhphyのコメントや、本論には全く反論せず重箱の隅をつつくことしかしない表現の自由戦士が多いのを見て、表現の自由戦士は結局、「場所を選ばず差別をする自由」が欲しいだけなんだと言うことがよくわかった
yujimi-daifuku-2222 ちなみに現実とは異なるセックスファンタジーは実在の人間への嫌がらせという基準を採用した場合、ほぼ全てのBLと理想化された男性が登場する女性向け恋愛ドラマや映画もまた、嫌がらせとして規制対象ですね。
女子高生に「頑張ったねクーパー靭帯」というLINEを送る性的嫌がらせ描写をなかったことにして、「セックスファンタジー=実在の嫌がらせ」という一切主張していない前提からお気持ち批判する国語力のない自由戦士
反論できないとこうやって嫌味を言うことしか出来なくなるのが表現の自由戦士
国語の勉強については読解力のないyujimi-daifuku-2222に言ってくれ
senbuu ヘイトスピーチは違法だ。比較するなら喫煙広告などにしろ。少年漫画雑誌にタバコのCMはありかなしか? 追記で2000字以内で答えなさい
君の言う「違法なものは違法なものとしか比較してはいけない」というメチャクチャな前提に乗ってあげると、
「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律」がヘイトスピーチ対策法だと言いたいなら、
「本邦外出身者に対するものであるか否かを問わず,国籍,人種,民族等を理由として,差別意識を助長し又は誘発する目的で行われる排他的言動はあってはならない」とあるので、当然女性差別もヘイトスピーチ対策法の対象範囲にある。したがって女性への嫌がらせを娯楽化した漫画と中韓ヘイト本を比較するのは君のメチャクチャな前提に従っても問題はない
あとそもそも「違法なものは違法なものとしか比較してはいけない」は論理性が皆無なので君は反論できていない
jzhphy 「載せるべき」ではなく「載ってても別にいい」だからね。わざとすり替えてんだろうけど。月刊ムーあたりが「世界を切り開こう」みたいな良さげフレーズで全面広告しても疑似科学礼賛かなんて反応せずにスルーだよ。
コロナとかウクライナとかトランプとか事あるごとに「ネットだと~~って事になってるけどテレビは隠しますよね~~~」とか事あるごとに言ってくる。
幸いワクチンは打ってくれたしQアノンに入りませんかみたいな勧誘とかもしてこないので煩くて恥ずかしい以外は無害ということで放置されがち。
俺も高校生の頃は親父に使わせてもらったネットから陰謀論みたいのに染まってムーにも載ってない世界の真実!みたいな感じのこと言いまくってたけどクラスメートからドン引きだったんだろうなあ。
いやしかし実際どうすればいいんだろうね。
当事者だったから分かるんだけど、ネットDE真実に染まってしまうと暫くの間は世の中が間違っているから俺が啓蒙しなければと思い込んでしまうんだよな。
ある程度すると「そもそも何が真実で何が嘘なのかを判断できるほどの知識も知能も俺にはない。全てを疑い全てを信じる八方美人ムーブだけが正解のようだ」って気付けるんだが。
そこに至るまでの間に外野が出来ることって本当なにもないんだろうな。
強いて言えば焦って同じ意見の人間を増やす必要性を減らすことなんだろうな。
反ワクチンが暴走してるのもワクチンが次々打たれていくという状況から生まれる焦りを利用されているからだろうし。
そもそもの問題として日常生活に余裕があれば他人から焦らされても耐えられるんだよなあ。
つまり最大の対策は職場に漂っているヤバイ空気を減らすことなのか?
おいおい話がデカくなってきたぞ。
ヤベーなあ。
ウチは割と古い体質があって「最近は舐めた新入りや出入りの業者を思いっきり殴って言う事聞かせるとか出来なくてダルイっすね~~~」みたいなの平気でオッサン達は言ってんだぞ。
キッチィなあ。
無理だわ。
僕が中学生の時に好きだった女の子を書店で見かけたときに手に持っていたのがピラミッドが表紙に描かれたムーでした。
当時、ムーという雑誌を知らなかったのですが好きな女の子が手に持っていたということで興味を持ちました。
しかし、残念ながらその書店に置いているムーは僕が好きな女の子が買っていったのが最後の一冊だったらしく見当たりませんでした。
そもそも、どういうジャンルの雑誌かすら把握してなくて女性向けのファッション雑誌のあたりをちょっと恥ずかしいな、と思いながら入念に探していたので見つかるわけもありません。
仕方なく書店のおばさんにムーって置いていませんか?って聞いてしまったのをムーという雑誌の正体を知った後に随分と後悔したのを覚えています。
こんにちは。アラサーの女です。何よりも嫌いな場所は職場です。
最近行きつけの美容室で雑誌の代わりに雑誌がたくさん見られるアプリの入ったipadを渡されるようになりました。
美容室としては美容百科とかwithとか日経ウーマンとか適当に選んでね、って感じだとは思うのですが、
せっかくだから、普段本屋では絶対に手に取らない雑誌を読もうと思い、人生で初めて「ムー」を読んでみました。
もっと未確認生物の鮮明写真とかあるのかと思ったけど、写真数は少ないし、サイズも小さい。
写真の拙さは文章で補っていく昭和感漂うストロングスタイルが素敵。
(個人的には読書好きなのでいっぱい読めるところあって嬉しかったです。)
②カタカナ多くね?
全ページに渡って文章の半分以上がカタカナ。8割カタカナのページも割とある。
文字ぎっしりで漢字が多いとごちゃごちゃしてて読みづらいので、カタカナ多めの方がすっきりしててかえって読みやすいかもしれない。
プラズマクラスターみたいなのがいっぱい出てくる。
文章の半分以上がカタカナなのでリアル「パルスのファルシのルシがパージでコクーン」状態
これがどこまで読んでもずっと続く。
④熱量がすごい。
「なんと!!あの!!!パルスの!!!ファルシのそう、そうなのだ、そのルシが!!!!驚くべきことにパージ!!!すなわちコクーンだったのだ!!!」
みたいな感じ。
言ってる意味は全然わかんないけど、この熱量で言われると「そっか、パルスのファルシのルシがパージでコクーンなんだ。」って理解した気になれる。
(ただ、記事によっては熱量は伝わるけど分かった気にはなれないので理解した気になれるのはその記事を書いたライターさんの文章力が高いのかもしれない)
大学で研究された脳波と集中力の関係の記事(リラックスしていた方が集中できるとか)は普通に覚えておこうと思った。
転の部分で大学の研究結果を全て飛び越え最終的にはエイリアンと繋がるのはさすがムーだと思った。
⑥たまに飽きる
心霊とか生まれ変わりの記事はどの事件の記事を読んでも同じことの繰り返しで「いや、もうわかったよ!」ってなる。
途中で飽きて最後まで読めなかった。
「ムー」の特集で一気にたくさん読んで初めて心霊とか前世の記憶の話ってプロットが全部一緒だって気がついた。
サイゼ騒動は一旦落ち着いたみたいだ。皆それぞれに納得を得て帰っていった。
そんな中で私はひとり、モヤモヤを抱えて立ち尽くしている。
渦中で人気になっていたコメントが、どうしても頭から離れないのだ。それは確かこんな意見だった——…
「男が女性をもてなすべき、という考え方は払拭されるべき古臭いセクシズムだ」
でも twitter や ガールズちゃんねる を眺めていると、相変わらず、「恋愛なんだから女をお姫様扱いしないでどーする」「安い女だと思われたくない」のような意見が広く支持されている。
困惑した私が はてなブックマーク に救いを求めていると、こんな感じの意見が目に留まった——…
「大人の女性としての関心を寄せ、敬意を持って相手に誠実に向き合っていれば、同じ時間を過ごす選択肢としてファミレスのような手軽で安易な手段に頼るなんてことはできるはずがない」
大人であることにはコストがかかる。大人の女性であることにはもっとコストがかかる。男性のように髭を剃るだけのスッピンでデートに出掛けるわけにはいかないし、女性の恋愛的な気分を着火させるにはそれにふさわしいムーディーな場所が必要だ。雪が降るだけではしゃいでいた単純な子ども時代から遠く離れ、年齢相応に成長した大人の女性には、複雑な心の機微がある。それを無視し、踏みにじり、理解しようともせずに思考放棄して便利なテンプレートに押し込める、そんな態度をコメントは批判しているのだろう。おそらく。私はこれに反論できない。
だが両者はハッキリと矛盾する。
個人的なことが二人の関係性だけに閉じず、集積されて社会に影響していくのなら。社会全体の「まとも」観が翻って個人にも影響していくのなら。この問題には解く意義がある。
女性特有の文化と、女性の生理的な仕組みそのものは、もちろん性差別ではない。だけど男がそれに合わせた振る舞いをすると直ちに古臭いセクシズムが出現してしまう。かと言って、目をつぶって男と同じように扱うのにはミソジニー的な横暴さがある。どうすればいいのかわからない…
セクシズムか/ミソジニーか。
男がいて、女がいて、彼は彼女をお姫様扱いすべきか/するべきじゃないのか。
お姫様扱いしている誰かがいたとして、彼は自分の態度を誇るべきか/誇るべきでないか。周りはそれを持ち上げるべきか。あるいは、距離を置くべきか。