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はてなキーワード: やんちゃとは

2023-09-22

あれ?卵子凍結したらよくね?

私と恋人と、恋人の友人夫婦とその息子くんとで旅行に行った。

私はその夫婦とはほとんど初対面とかみたいな状態だったんだけど、良い人たちでよかった。楽しかった。

 

私はなぜか子どもと接するのがうまいとよく言われるのだが、

このときも随分と子どもとの距離感の取り方について絶賛された。

なんか昔から知ってる人にも知らない人にも褒められ続けているから、たぶん本当にそうなんだろう。

かに記憶を振り返れば知人友人の子どもという存在に好かれずに終わったという記憶は一度もない。

 

恋人子どもが好きだ。

自分が男だからやんちゃ男の子の方が性に合っている感じはするけれど、

彼も、友人知の子どもと接するときはずいぶんと好かれているらしい。

 

旅行中、息子くんは私たちにずいぶんとなついてくれたと思う。

 

もし、私たち子どもがいたら。

そんな気持ちを少し抱いてしまった。

 

私の恋人は数年前に病気をしてしまって、治療方法の影響もあり、子どもをつくることは現時点では難しい。

無精子症だ)

将来的にもむずかしいだろうし、もし仮につくれるからだになったとしても、

今度は私の体の方がジ・エンドだろう。

(我々は今もう既に30代半ばだからだ)

 

 

 

あれ…?なんか、でもここまで書いてふと「とりあえず卵子凍結でもしとくか?」という気持ちになってきたな。

 

え?卵子凍結よくない?

費用どんぐらいかかるんだろ?保存用って保険適用なのかな?

今の今まで子どもはいなくてもまあいいか〜いない人生を楽しもう〜と思っていただけれど、

私に今のところ生殖機能があるなら、保存すればいいんじゃないかな!?

 

それが例え無駄になったとしても、なんかたっかい保険に入ってぼったくられてたって感じだと思えばまあそういうこともあるよね!?

 

うん、あー、全然考えてなかった。卵子凍結。

いつかのためにとりあえず卵子凍結ってしてる人ってここにいるのかな?

 

うわー、もしいたら話聞かせてくれ。

 

そうだよ、凍結という選択肢もあるよね。

彼も私よりずいぶん早くに死んでしまうかもしれないし、そのときモテちゃうかもしれないもんね!

 

 

とにかく、旅行を通じて、この恋人の子どもがほしいなと、改めて強く思ったのだ。

可能性があるなら、とりあえず調べるぐらいはしてみるかー。

2023-09-15

anond:20230914181924

中一の子供を親に無断で一晩連れ回すのは、子供本人の同意があったとしても、年長の増田達に非がある。

その時点で相手から怒られるのは仕方ない、増田子供から相手の親に連絡させるとかの気が回らなかったのも仕方ないと、誘拐とかの話にならなかっただけ。

親の気持ち自分がその立場になったらの想像だけど。

増田

中3でオールやるようなやんちゃに育った息子が、後輩を無理矢理一晩連れ回した。

13やそこらの子供を親に無断で一晩無理矢理連れ回すって、なんてことをするんだ!

放任主義できたけど流石にこれは二度とやらないようにキツくお灸を据えとかないと。

もう相手親に関わりたくないのに、子供が後輩を脅した?また何やってくれてるんだ、自分がやってないことで一時間も詰られ頭を下げ続けるのはキツい、育て方間違えた、マジ死にたい

と思ったら家出した、何かあったらどうしよう、無事だったら何でもいい、先生仲介に立ってくれて無事帰ってきてくれて良かった。

相手

子供が一晩帰ってこない、事故事件可能性を考え、探していろいろなところに問い合わせ一晩眠れず戦々恐々していたら、帰ってきた子供が先輩に無理矢理一晩中連れ回されたと言う、徹夜で遊ぶのは中学生のする事とは思えない、しかも無理矢理家の子供を連れ回すなんて、なんてたちが悪い先輩だ、二度と息子に近づかないで欲しいから抗議しなければ。子供を脅した?反省してないのか信じられない。

2023-08-26

おしぼりの袋を丁寧に開く彼氏に育ちの違いを感じて別れたというのを昔増田で見て以来、人のおしぼりの袋の開け方に注目してしま

女の人は縦にさいて開ける人より丁寧に袋を開けるように開ける人が多いなという感じ

美人でお淑やかそうな人が雑に開けてるのを見かけたときも、やんちゃそうな若いやつが丁寧に袋を開けて小さく畳んでいるのを見かけたときも、ギャップ萌えを感じた

自分の中では雑でも丁寧でもどっちでも良いな…

anond:20230826091645

男子高校生と括って俯瞰すると

やんちゃ(or 冷徹

・着崩し

ホモ臭い

辺りが共通する感じ

着崩しや動きの一環として、胸がはだけていたり、へそが見えたりするのは普通にあるが

単に【男の側が問題にしないから】認知されないだけ

スカートではなくズボンで、ももチラは不可能

パンになるのでキャラ方向性が変わる

2023-08-20

anond:20230819113649

単なる過去の美化をしているだけでは?

東横キッズというわかりやす名前はなかったけれど、家に居場所が無い深夜徘徊する若者は昔からいたし、そんな子供たちが不良として組織するのことも普通にあった。

未成年による愛人業、売春、その他性的コンテンツ販売はそのころ普通にあったよ。児童ポルノ禁止法もなかったからね。

当時から大人たちはわかりやす小手先対策ばかりやっていたような気がするよ。

服装や髪形についての決まりが厳しくなったのってそういう時代背景だよね。

当時と今の違いは大人の側に余裕があるかどうかなのかもな。

当時の大工棟梁かにはかつてやんちゃ若者だったけれど、大工としてまじめに働き始めて一目置かれるような立場になったという人が少なからずいたと思う。

今、昔はやんちゃだったけれど、まじめに働いてそれなりに稼げるようになったというロールモデルとなる大人ってどれくらいいるんだろう?

「老人喰い」という本を読む限り、どうやら大工はもはやそういう仕事ではないらしい。

国内工業海外移転してしまたこととデフレの影響とで、職人としてまじめに働けばそれなりに稼げるようになるというモデルもそんなにない気がする。

まともな仕事やんちゃ子供たちがまともにまじめに働いて世間を見返すというロールモデルは今何になるんだろう?

実は、悲しいことに今のまじめに"働いて"見返すというロールモデルは闇バイトになってるってことないのかな。

まじめにやれば稼げるというパスが無いのにドラマだけに理由を求めてもねって気がする。

2023-08-14

anond:20230814194644

努力の量や方向性って人によって違うよなって話を、自分経験を元に振り返っただけなんだが。

就活に例えようか?

コミュ障Aさんからすれば、面接練習シミュレーション、座学で努力する。一方で、やんちゃなBさんは髪の毛を黒に染めたり、身だしなみを気にしたり、言葉遣いを丁寧にすることに力を入れる人もいる。

Aさんからすれば「髪が黒色、身だしなみを整える、言葉遣いを丁寧にするのは当たり前。Bは生まれながらにコミュ力があるだけで、努力してない」。

Bさんからすれば「当たり前のことを練習し、ありもしない妄想シミュレーションしてなんの意味があるのか?Aは頭が良くて、努力せずに合格して羨ましい」と思うだろうね。

2023-08-10

ジェネレーションギャップっていうか、なんていうか

クレしん映画でさ

現代うだつの上がらない30歳=不定職者、恋人いない、ドルオタ弱者男性

1990年代初頭のうだつの上がらない35歳=マイホームマイカーサラリーマン専業主婦の嫁、子供2人、ペット

が「同じ時間軸」で対決するの相当キツかったわ

 

個人的にしんちゃん過去改変するパートめっちゃ好きで

現代の30歳弱者男性過去にしんちゃんが乗り込んで「友達」になってくれる

これってクレしんと一緒に歩ってきたクレしん世代のことを表現してるわけじゃん

共働きの両親に放っておかれても、いじめられててもそこにしんちゃんはいたんだよっていうさ

クレしん見てる時だけは笑えてただろっていうさ

 

でも、過去遺物ザ・強者男性ヒロシがただただ必死に生きてきた現代の30歳を応援するパート

まーじでキツかった。

心底うるせええええええええあああああああああああしねえええええええええええって思ったわ。

少なくともお前にだけは現代弱者男性気持ちなんかイチミリわからんだろ。

「俺も嫁さんの尻にしかれて子供やんちゃで大変なんだよwお前も大変だよなw」

とか言われたらマジでブチ◯すわ。

 

なんて言うか、クレしんってもうすっかり「過去」の作品だよな。

設定が平成初期、33年前から何一つ変わってない。

そのくせ、平気な顔で現代問題を扱おうとする。無理だって

文字通り時代が違うんだよ……

2023-07-30

真面目なトーンで核兵器に向き合う時は Nuclear weapon / Atomic bomb

どかーんの最上級的なやんちゃスラングが Nuke なんだろうな

知らんけど

2023-07-29

ゲームのフレンドさんがとても可愛い

トークも小さい子らしくて可愛い、話した感じの体感小学生から中学生くらい

でも働いていてカフェ好きとあるから10代後半から20代前半くらいなんだろうか

そしてゲームの着せ替えがかわいい

課金してる感じではなく、お部屋のアイテムバラバラガチャアイテム

なのにかわいい

フクロウと犬とツバメと、バラバラガチャで集めただろうに全体的には動物王国のおやゆび姫みたいな

魔法使い見習いボリュームツインテールに紫のロングドレスエレキギター、そして王冠をつけて、やんちゃ感ある姫感

まりにも可愛くてそのフレンドさんのアイテムゲームフリマで買い集めてる

課金勢の大人なフレンドさんもいっぱいいる、トータルコーデ素敵な方いっぱいいるけど

彼女ゲーム内での自分ファッションリーダーなのだ

長らく無課金勢だった自分にとって、手の届きそうなオシャレってところが大きいのかな

2023-07-12

弟がげっぷで叱られてた

そろそろ思春期ぐらいの年の離れた弟がいる。

男の子からかまあまあ粗暴な部分もあるけど悪い子じゃない。

その弟が食後にげっぷして母から下品だと怒られてた。

私は弟が赤ちゃんときから見ているから、弟がミルクを飲んで背中を叩かれげっぷして母から「えらいね~」と褒められてた場面を見たことある

だけどもう自主的にげっぷをしても褒められるのとは逆に怒られるようになった。何が変わったのだろうか。

自分のことはよくわかないけど、同じ家族赤ちゃんから見ていて改めて振り返ると「親からの愛され度」は生まれからすごい勢いで右肩下がりしていってたと思う。

まれからは一挙手一投足をほめられ満面の笑みを浮かべていた両親も成長していくとそれがあたりまえになって、やんちゃな時期を経過するとあれをしないさいこれはしちゃだめとお小言が増えていく。

自分物心はもうそんな時期からだったからそれが普通というかデレデレされた記憶がないけど、弟を見ると自分ときも多分そうだったのかもしれない。

それが自立というものかもしれないけれど、客観的に見て愛され度は雲泥の差。今が無いとは絶対言わない。けど愛の形が変わったというにはあの赤ちゃんに対する過剰な喜の感情は今はなさそう。

自分ときは覚えていないだけで、こうやって弟が赤ちゃんときのことを思い出すと今だってあんな風にキャッキャされたいしされないんだなぁと寂しく感じる。

から、世の中のみんなは恋愛をするんだろうね。

覚えて無くても経験はあるはずの赤ちゃんとき無償のあふれんばかりの愛の注がれ方。

育っちゃったらそんなに愛されるのって恋人を作るしかないじゃない?

無条件の愛情、包容。怪しい宗教に入っちゃう人のこともわかるかもしれない。

愛、欲しいよね。愛されたいよね。記憶がはっきりしだしてから家族からそんなにもらえないんだもん。

でもそんなラブラブチュッチュな恋人家族になると両親のようにやっぱり日常になって愛され度は減っていく。子供を作っても、さ。

永遠の愛、なんてクサい言葉なっちゃったけどじゃあそんなものいね

目減りする愛を補給しながらすさんだこの世を生きていくしかないのじゃ。

弟よ、覚えていないだろうけどお前は昔げっぷするだけで喜ばれていたのだ。愛されていたのだ。あの両親にもそんな時期があったのだ。悲しいかな今はこれだけど。頑張れ。いつか恋愛して愛情をリチャージしておくれ。

私はドライに育っちゃったからそういうのは多分ないから、家のこともあとを頼む。

2023-07-11

anond:20230710192848

植物園最後に行ったの多分15年かそれ以上前だな 札幌

園内に生後2か月くらいに見える仔猫がいて、職員にかわいがられててちょっとだけ抱かせてもらった

やんちゃでかわいかった

の子はまだ生きてるのかな

久々に行きたくなった

2023-07-03

ミースマイルってかわいいよね?

学生の頃、やんちゃ同級生が、ガミースマイル女子に対して「歯グッキー」とかい不名誉あだ名をつけてたのだが、今思うと普通にかわいいよね?

ちなみにその同級生はその後ホストになり、反社になったと大学時代に聞いた。グッキーちゃん普通に地元の人と結婚したらしい。

https://kobe-nodadc.com/blog_detail?actual_object_id=174

2023-06-29

私の母親日本人ではない

物心ついたときから私には母と兄しかいなかった。母はまだ幼い兄と私を連れて父と離婚した。暴力を振るわれたとかで離婚したと言っていた

狭いアパート家族3人で暮らしていて、深夜に仕事をしている都合上、夜になると兄と私は同じアパートに暮らす母と同じ国籍夫婦に預けられた。

今では真偽は不明だが、母は私達を預かる代わりにその夫婦お金を渡していたらしい。ほんとうに苦労して育ててくれていたと思う

兄と私が園児になったころ、その夫婦のところに預けられなくなった。トラブルか何かがあり、母はその夫婦に私達を預けることをやめたらしい

母は私達にゲームを買い与えたりして手間を省いてたかもしれない。他にもおもちゃは買い与えられたが、私達が欲しがったのはわかりやすゲーム機で遊ぶことだった。

家に子供けがいる状況で、その頃から私達はおかしくなっていたのだと思う

やんちゃする兄を母は躾としてハンガーで叩いたことがあったらしい。当時はまだ体罰が許されていた時代だったかもしれない。そしてまだ幼い兄はそれを真似て、私が言うことを聞かないときハンガーで叩いて言って聞かせた。

兄は母がいるとき私に躾をすることがないので、私は夜になるのが怖くなっていた。

すぐに言えばいいものを、子供ながら母が苦労していることがわかっていたので言えずにいた。自分けが我慢すればいいことだと思っていたかもしれない

兄の行動は徐々に歯止めが効かなくなり、ある日、本当に怖くなってしまたから泣きながら母に兄のことを話した。

それから母は深夜帯の仕事をやめて昼間に働くようになった。


父は山に囲まれ田舎に住んでいた。亭主関白のもののような人だと思う

私は父が何をしている人なのか職業以外なにもしらないまま育った。それより父を父親だと思うことができなかったのでどうでもよかったまで思っている

まだ読み書きもできなかったころ、母がお父さんと話してほしいと言って電話わたしてくれた。父とは物心ついたとき父親だと言われて会ったことがあったから、電話先にいる人物父親だと私は認識して話していた。

そしてある時、父にお金がほしいと頼むように母に「おねがい」された。私達は教えられたとおりの内容を電話で話した。

例えば、お母さんがお金がないって言ってるからお金ちょうだい。といった子供が言える最大限の言葉で父に頼むのだ。

そして頼むことができれば褒められ、父が無理だと言った日にはもう1回電話して頼むように言われることもあった。

まだクレヨンとかで絵を描く子供が5万円ちょうだいなんて言うのだから、ほんとうに今考えると気持ちがわるいと思う

うその時点で母に合わせないといけないと思っていたかもしれない。そしてこれは19歳になるまでやっていた。

たぶん離婚したとき養育費について具体的に決めていなかったのだと思う

から父親らしいことをされた記憶は私には数えるくらいしかない。それも本当にたまに会ったときにだけだった。10代半ばあたりからお金を頼む相手しか見てなかった


まだ園児だったこから、私は自分が他の子たちと違うことを認識していた。

母は日本語の読み書きができないのだ。だから私達が通う場所ことなどを理解するのに苦労したのだと思う

持っていく必要もの行事などは、私はいつも忘れていたしできなかった。兄もそうだったのか今では過ぎたことなのでわからない

しかし他の子不自由なく過ごしていて、自分にできないのはなぜかわからなかった。

それと母が昼間に働くようになったときは、いつも私達の迎えだけがすぐには来なかった。

兄が小学生になったあたりで、静かになる施設の中ひとりで迎えを待つ時間が途方もなく感じたのを覚えている。

いつもより早く母が迎えに来たときはすごく嬉しかったと思う


小学生になった私と兄は多少物事理解するようになっていた。引っ越しして前よりもまともな生活ができた。

ここから母は私達の教育学校に任せるようになった。元々、教育などされていないかもしれなかった。教えられたことと言えば、母が帰ってくるま家事をすることだったかもしれない。

今でも母が仕事から帰ってくる時間あたりから何かしなきゃいけないとか、待たなくちゃいけないとか焦ったりする。怒られないようにしなきゃいけないと考えていたと思う

仕事をしなければいけない母は日本語勉強する時間は無い。大きくなったらお母さんを支えてねみたいなことを言われた覚えがある

厳密には仕事で疲れて日本語勉強することができないのが正しいかもしれなかった。

勉強を教えられなかった私達は学校へ行って授業を真面目に受けても、勉強をするということがわからないのだ

宿題をやってくるように言われて家へ持ち帰っても、宿題をするということを教えられていないからやれなかった。

母も口では宿題をやれと言うが、やらせようとはしなかった。

兄もそんな感じで、私達が自分から勉強することができたのは高校生からだったかもしれない

学校関連の保護者が処理すべきプリント用紙や、家での細々とした書類なんかはその頃から兄と私がやるようになっていた。

ここまで読めば予想できるとは思うが、もちろん学校行事に母が来れるはずもなく、私達も親が日本語理解するのが難しく仕事で参加できないのをわかっていた。

保護者込みの学校出来事といえば、三者面談があると思う

それだけはさすがに保護者必要なので仕事を休んでもらって来てもらっていた。

先生宿題や成績のことを言及されたとき、私を責めるような辱めるようなことをその場で母から言われたのを覚えている。

親が外国人の教え子なんて当時はまだまだ珍しかったのだろう、私の担任になった先生たちはあまり触れないようにしてるよう感じた。

それはそうだと思う、明らかに厄介ごとを抱えてるのだから


勉強ができなかった私は高校生になり、片道1時間弱かけて偏差値の低い高校に通っていた。

1年生の時はまったく勉強ができなかったのと、いじめられて孤独だった私は深く傷がついている状態だった。

それでも周りに心配させないように隠して過ごしていたが、途中から環境が良くなったこともあり卒業するまでは一般的高校生だった。

変わらず母は私達に教育などしてくれなかった。私達は家事を手伝っていたが、それは怒られるからやるといった感じでしていた。

私はその頃には周りの顔色を伺ったり合わせようとするような人になっていた。自分さえ我慢すればいいと思っていたのだ。

ある時死にたいと母に泣いて告げたときすごく優しくしてもらったことを覚えている。


兄が成人して家から離れるまで、まだ私達は家族でいたのかもしれない

大学生になった私はいなくなった兄の代わりに家のことをやるようになった。私には無理だった

兄と私は違うのだ。それなのに母と兄は私にも同じように立ち回ってほしかったらしく、できない私を責め続けた。

から私は泣き虫だったのだが、感情を出すのを悪いことだと捉えているかもしれなかった。

怒るときも悲しいときも泣いてしまうし、自分の気分が落ち込んでいるとき自分を責めていた。

母はそんな私に向かって泣けば済むと思っているとか、もう今じゃどんなことを言われたのかここに書けなくなってしまった。

そして悪い出来事が積み重なっていたときのある朝、玄関のドアノブに手をかけた時、開けられなかった。まだ1年生の夏休みすら過ごしたことがなかった

私が引きこもってる間に母はなにもしてくれなかった。普通は親とかが休学手続きなどをしてくれるだろうが、私の母はそんなことわかるはずがなかったのだ。

そして一切大学に連絡がいかない状態が続き、ある日家に届いた退学通知を見た時から、私はそれまでの自分が失くなったように感じたのを覚えている。

兄もたまに家に帰ってきていたが、私が何もしてくれなかった周りを責めたときから帰ってくることはなかった。


それから半年か1年引きこもって半年アルバイトをするかしないかみたいな生活をしている。友達もいなくなってしまった。

引きこもりから脱せた時、低賃金でも収入を得てやり直そうとしている私を見て、母は応援してくれていた。正確には何も言ってこないようになっただけだったが。

仕事をするようになっても上手くいかないことが多かった。馴染めなかったり体力的にも向いてないのに無理やり働いて続かなかった。

まだ家から出れないときから、母は光熱費などの支払いを忘れることが多かった。口座引き落としにすればいいと思われるだろうが、母がそんな手続きできるわけがない

電気やガスが止まるとさすがに私も困るので、何も話し合いをせずに自然と私が家の支払いの一部を負担するようになったのだが、私の貯金たまることがなかった。それよりも本当に忘れているんじゃないかと思うくらいだった。

さらに私からお金を借りていくことが多かった。ある時、私の貯金がたまらないことと支払いについて母に言ったことがあったのだが、今まで世話していた分やるのは当然で一緒に住んでいるのだから当たり前といった感じで喧嘩になった。

私はこの時点で支払いのことや諸々の家のお金にまつわることが嫌いになっていた。喧嘩をしたくないので母が忘れている支払いを全部していたのだ。

働けるようになったのだから私が負担することは自然な通りかもしれないとは思うが、先に進むためのことがなにもできなかった。

安定した収入を得る仕事をする必要があるのはわかっていたが、自信がなくなっていたのと自分はなにがしたいのか今でもよくわからない。

私は甘ったれなんだと思う


母とはいつも喧嘩しているように思える。昔と同じで家事をやらなかったりすると怒るのだ。

一緒に住んでいるならして当たり前だと思うだろうが、感情が爆発してから何かをやろうとするのが本当にできなくなってしまった。私自身もこういうことはできなくちゃいけないと思っているのに上手くできなくなってしまった。

私は母を話が通じない相手として見ている部分があるのでこの家には異常者しかいないんじゃないかと思うことがある。

1年前、心療内科に通うようになってそこで初めて私には精神疾患があることがわかった。処方された薬を服用するようになって母にそれを説明したのだが理解されなかった。

そして私自身ただ薬を服用してるだけで次に繋がっていかないことを自覚してしまって数ヶ月前から通院をやめた。

また半年前にアルバイトをやめてしまったので少しだけの貯金を切り崩しながら家の支払いをしていたが、もうそ貯金もなくなってしまって今に至る。


よくある親エピソードなんだろうと書いてて思うが、日本語理解できる親というのが私には羨ましかった。

私の母はコミュニケーションがとれるくらいには日本語が扱えるが、ひらがなカタカナの一部を除いて日本語の読み書きができないのと難しい言葉などが全くわからない。

故に学校勉強した自分の子供だけが頼りということだ。そしてそんな私がいつまでも家にいるか生活できているんだろうと思うことが何度もある。私の人生は母のためだったかもしれない

わかりやすく言うなら宗教的な考え方を持っていて、科学を話すことができない人だといえばいいのだろうか。言語さえまともに通じる相手ならここまで苦労しなかったのかなとか、こんなふうになることがなかったのかなとか気休めに考えてしま

ほんとうはもっと筆舌に尽くし難いエピソードが多くあるのだが、書いていたらきりがないのでここで終わりにする。


ここまで読んでくれてありがとうございました。

2023-06-24

昔はやんちゃしてた人は今やんちゃするのが楽しいと気づいた人より何倍もマシ

やんちゃするのは楽しくない世界を作ろう

2023-06-15

若いうちにやんちゃした加護ちゃん

40過ぎてもイチャラブした広末

どっちがいい女なのかな

2023-06-07

公園クレーマーの俺が公園クレーマーの考えてることを書くぞ

子供家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からクレームだった」


そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
まりから見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議存在だということになる。


日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。


次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマー公園クレーマー化するのは、一部の非常識利用者のせいである。
非常識利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。


さて、じゃあ早速冒頭の文章ニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこから問題だ。恐らくここで、普段公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和公園で、何が?」


これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。


じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマー気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマー気持ち理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。


(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい状態だが、便宜上許して欲しい)


俺が公園クレーマーになった原初きっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。


変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボンボン。ギャハハ。ボンボス。ギャハハ。ボン
規則リズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。


ここで、自明事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである
これは誰しもが陥りがちなこであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所である錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである


結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。


夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル
しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイ酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。


そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTok流行りの動画大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである


そのうち、夜に公園に来るすべての人間バカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園24時間警備システム化」してしまったのである


これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
あくま自分要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。


この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。


そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。


大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか
いつしかクレーム」を入れるようになったのだ。


ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなた想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなた想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。


さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?


まずこれらの疑問は、論理的である
だが、解決ではない。


引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホン耳栓というのは応急処置として有効であるしかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつルール自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体ストレスになってくるのだ。


そして最後
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である


公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ
だって公園は良いものである、という世間認識があるのだから
そして既に、公園クレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから
だって、もし街を歩いていてテレビ取材にあたり、「公園クレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所からねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
らくだが、インタビュー公園騒音肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。


とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくま公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマー立場から書いているだけである


ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
しかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。


だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたイメージする「公園」「公園騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなた公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである


何も公園クレーマー理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである


最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?


これはこれでデカテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園バカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。


だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人思想一種しかない。
あえて極端な例を言えば、過去ゲーム感覚万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である
学生の頃イジメを働いた人間社会人になって会社イジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である
そういう因果律人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。


何を言いたいかというと、そのツッコミだけは「効果的でない」ということだ。

男の子家庭に孫が出来るために

いじめっ子扱いされるリスクを持ってでも働きかけをするように言いましょう

の子に泣かれても喜んでいるとおもった、悪ふざけだった、良かれと思ってしたことだと開き直らせて表面上は謝らせましょう

いじめられっ子メンタルから遠ざけましょう

いじめられそうになったら環境を変えてあげましょう

子供集団ボスしましょう

上下関係の厳しい部活に入れるのもいいですね

若いころはやんちゃしてたおじいちゃんの方が孫いそうじゃないですか?

2023-06-01

anond:20230601111034

もともと「品行方正」「清廉潔白」「安全安心」「健全」「知的」「元気」「笑顔」理想のパパ・ママ」みたいな陽のイメージ商売してた人は悪さすると許されない。

一方で、アホとかやんちゃとか胡散臭いとか変態とかキチガイとかそういうイメージの人が多少悪さしても、まあそうだよなって感じになる。

から健全で良い子路線で売ってたベッキーは叩かれて、いかにもゲスそうなマッシュ普通に不倫ネタにしてすぐ復活できた。

現役スポーツマン子供の憧れという前提があるから悪さをすると叱られるけど、現役引退して黒光りした清原クスリで捕まっても「まあそうやろな」って感じ。

ピエール瀧とかまさにそんな感じで、昔から知ってるファンは捕まるのもネタしかないけど、ドラマに出たりCMでお父さん役やってる瀧しかしらない人はガチで怒ってて面白い

前者のほうはピエールがお父さん役って時点で大笑いなんだけど。

から、今後、音楽活動は復帰できて、Vシネとか映画には出れるとは思うけど、ゴールデンタイムドラマとかCMには起用されなくなると思う。

2023-05-31

男はやんちゃもあって子供の頃からかにつけて叱られる教育しか受けてないか大人になって叱られてもノーダメで女は大人いからと子供の頃から褒められる教育しか受けてないか大人になって叱られるとショックを受けるという研究を知って笑うしかなかった。確かに叱られても特に何とも思わんな

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