「当然の帰結」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 当然の帰結とは

2021-10-27

料理は骨抜き・種無しがいい

魚の骨や鶏の骨を取らずに料理として提供するのは料理人の「怠慢」である。恥を知れと言いたい。

ピーマンの種を取らずに提供するようなものである

料理の「美味しさ」の構成要素には「味」や「香り」「彩り」「食感」などがあるが、その中に「食べやすさ」も入るのは当然である

魚を食べるのにいちいち骨を取りながらでは美味しいはずがない。

スイカの種を飲み込まないよう気をつけて食べるよりも、何も気にせずかぶりつくほうが美味しいのは当たり前だ。

骨なしフライドチキンが売れるのは自明の理

種無しブドウが求められるのは当然の帰結

骨付きの料理を出している店は自分たちが「不味いもの」を提供していると自覚してほしい。

もちろん世の中には問題のない「種」もある。

ナスイチゴの種などは誰しも気にせず食べているし(いや調べたら嫌いな人もいるらしいな)、ピーナッツのように種自体を食べることもある。

そういう揚げ足取りはよくないぞ。わかったな。

2021-10-13

anond:20211012140559

加工品は賞味期限が当日中から夕方処分するが青果は全部を閉店時に冷蔵庫入れるしもうちょっともつからという当然の帰結

ちなみに日配品の半額コーナーもチェック、3キロ800円の酒粕で飲む点滴5リットルは作れるとかあるぞ

はいものを安く買えるテクニックはほかにも知ってるけど(1人1パックの卵に家族総出とかは常識化して1家族1パックになったな)

安物買いの銭失いだけはやめとけよ

ひき肉はちゃんと棚から出してみろよ

2021-10-05

怒らない人

怒らない人って言い方なんかズルいよな。

怒っても配慮して感情を外に出さないよう努めるのが普通

怒って感情のまま不機嫌になるやつが理性働いてないだけなのに

なんで自分らが普通みたいな空気出してんだろ。

まぁ正直に怒ってるけど感情制御するよう努めてるだけっていうとその時点で怒らない人じゃなくなるし

他人に期待してないからかな~みたいなシニカル気取りだけが残るわけだから当然の帰結なのかな。

2021-10-03

タダで食える飯は無い

俺の業界は、いつでもクビを切られる可能性がある。

日本国内なんだから労働契約法適用されそうなものだけど、裁判所は「お前らの業界が気に入らない」らしい。

 

その当然の帰結として、みんな、転職時に通用するような業績以外は気にしない。

どうでもいいプロジェクトクライアント会社から割り当てられた若手や契約社員に任せきりで、契約ぎりぎりの管理しかしない。

 

もちろん、俺たちにも上司がいるけれど、彼らは俺たちに言うことを聞かせられるような武器を持っていない。

日系企業の弊社では上司裁量で変わる給料なんてせいぜい30%程度で、転職の機会と比べたらどうでもいい。

会社としては重要だけど、俺たちが持って歩ける成果にはならないクライアント」はもちろんいるのだけど、

そういうのは会社運命共同体なお偉いさんと、すぐには転職できない残念なやつらと、新卒ひよこたちが回している。

(へっぽことひよこの寄せ集めで仕事を回してしま幹部連中は、間違いなくすごい。やはり仕事指揮官次第だと思う。)

 

で。

これが、雇用の流動的な世界典型だと思うんだよね。

解雇規制が緩まると、会社が要らない社員簡単にクビにできる、だから社員必死こいて働く」

多くの経営者はそんなイメージだと思うけど、そんなに簡単じゃないよ。

有能社員が言うことを聞かなくなったとき無能社員簡単に追い出したりはできない。

現に、雇用の流動的な俺たちの業界では、どこの会社ハイローミックス、そして幹部にはローの寄せ集めで戦う能力が求められている。

また、俺たちのクライアントが俺たちを真面目に働かせるために高い対価を支払っているように、取引だって会社同士の契約だけでは動かせなくなる。

そんな世界で、今の経営者の皆様は生き残れるのかね。

2021-09-29

anond:20210927011443

数学論文では「正しさ」は査読通過の前提です。

ここは科学全般の「正しさ」とは異なります

理由は以下の通りです。

科学全般論文では、最終的に正しさを決めるのは実験です。

ところが、数学では実験により正しさを確かめることはできません。

応用数学では状況が異なるかもしれません。)

そういうわけで、査読通過の際は建前上は正しさが前提になっています

(もちろん、数学論文でも出版後に論文が訂正・撤回されることは珍しくはないです。)

以上が数学科学全般について正しさの認識が異なるということの説明です。

以下に私の認識を述べさせていただきます

論点1

出版された」という意味においては査読は終わったと表現して問題ないと考えます

ただし、上記の通り数学では査読通過は「正しさ」が前提です。

数学論文の正しさへの疑い(それは数学的な内実を伴っているように少なくとも表面上は見える)が表明されている中で、編集委員会がそれに対する何らの注釈論文に付け加えない形で論文出版するというのは、通常では考えられないことです。

前例ほとんどないはずです。

論点2

上述の論点1の通りですので、本件では論文掲載は正しさを特に担保しません。

例えば、「フェルマー予想」では慎重な査読したこと当然の帰結として、査読通過が直ちに論文の(十分信頼できるレベルでの)正しさを意味しました。

一般論として、査読の「慎重さ」の度合いにより、査読通過が担保する論文の「正しさ」が増減するのは当然のことです。

論点3

「皆無」というよりはむしろ、少数ながら存在すると表現する方が正確だと考えます

もちろんその数が今後増減することはあるでしょう。

なお、zbMATH(やMR)で論文の根幹となる部分の正しさに疑義を呈するようなレビュー掲載されるのは非常に稀です。

総論として、本件が数学界ではよくあることなどでは決してないことは間違いありません。

以下は参考です(何か誘導したい結論があるわけではありません)。

本件についてredditでもしばしば議論されています英語)。

否定的意見が多いように見受けられます

また、参考になる事例として「ケプラー予想」を挙げます

(本件とケプラー予想類似を指摘しているのではありません。)

別の事例としては「ポアンカレ予想」があります

この事例では論文査読出版プロセスとして)されなかった(雑誌投稿すらされなかった)にも関わらず、複数検証チーム自然発生的に検証活動を開始して、数年の内に正しさが確認されました。

その検証結果は数学界に受け入れられました。

2021-09-25

結局核融合ってどの段階まで行ってんの?2030年代にどこまで行けんの

https://anond.hatelabo.jp/20210924183546

の続き。核融合についてこんなに見てくれる人が出るとは思わなかったのでびっくり。おじさん続き(というか、前回の記事でまるっとスルーした部分についての補足)を書いちゃうよ。もうバレてると思うけど、増田核融合ベンチャーに頑張ってほしいと思ってる(利害関係はない)タイプ業界人だよ。業界の中にも否定的な人は普通にいるよ。

核融合必要な性能って?

核融合で発電するには、「十分高い温度密度の高純度なプラズマ」が必要。それが十分な性能になったら、あとは発電設備を付ければ発電できるようになる(それも簡単ではないけど)。

プラズマの性能は温度密度・閉じ込めの3つを同時に達成しないといけないので、本当は核融合三重積という指標を使う。そうじゃないと「温度は高いけどスカスカ核融合反応をほとんどしないプラズマ」とかがすごいっぽく見えてしまう。でもここでは長くなるので割愛。というのも、幸いにしてすでに核融合反応を起こした装置は2つあって「実際核融合で何Wを何秒出した」と言えるのでそこで判断してもらって大きな問題はないから。

現状の核融合記録

TFTR: 1994年 米国 (1000 kWの核融合反応)

TFTRは装置名。世界初の大型装置での核融合燃料を使った本格的な核融合反応。(ここまでは取り扱いの面倒な三重水素は使われてなかった。)核融合出力1000 kWをプラズマ的には十分長い0.2秒くらい維持した。

JET: 1997年 EU (1600 kWの核融合反応)

現在までの最高出力記録。このとき、2400kWくらいのエネルギーを投入して1600kW出したので、投入エネルギーの0.6倍は出せた計算。ただし、投入エネルギー=投入電力ではないので注意。電力ベースでは(記録はないけど)おそらく0.1を割るだろうと思われる。

JT-60U: 1998年 日本 (参考記録

ギネス認定の人工での世界最高温度記録である5.2億度を達成した。また、1億度のプラズマを9秒フラットに維持したりもしている。日本放射線管理のあれこれで核融合燃料を使えなかったため、核融合出力はない。しかし、この5.2億度のプラズマでの温度密度から核融合燃料を使っていれば投入エネルギーを超える核融合出力が得られたと推定されている。(JETの0.6を超えて1.2くらい達成したはずという意味

この3つを見てわかるとおり、核融合の記録は90年代ばかり、2000年代以降は更新されていない。iphone13の時代windows meすらない時代の記録が最高記録扱いなのである研究者ベンチャーなんてやりたくなるほどのフラストレーションを感じている理由ちょっとはわかってもらえるだろう。

どこまで行けば良いの?

そこらへんの火力や原子力発電所では、電気出力が数十万 kWから百万 kWくらいなので、発電効率を考えて核融合出力で100万kWくらい出せれば核融合発電所第一号としては十分だとすると、JETの記録を600倍は増やさないといけない。600倍とかヤバくね?と思うかもたけど、iterは50万kWの核融合出力を400秒続けられるように設計されている(それは見通せてる)ので、iterの二倍で良いわけである。本当なら今頃はiterの成果を見ながら「iterの2倍程度の出力をもっと長く継続する」「発電設備をつける」にトピックが移ってたはずなんだけど、遅れてるのが現状。元々90年代の成果と知見を元に次の装置設計して建設するため、10年程度の空白期間が出来てしまうことはしょうがないのだけど、2010頃には動いていたはずのiterが遅れたために空白期間かここまで伸びてしまっている。iter複数企業どころか複数国(EU+六カ国)が機器を持ち寄るというみずほ銀行勘定システム以上のゲキヤバ案件でなければ今頃...iterが大失敗して、核融合業界全体が死んでた可能性もあるんだけどね。

なんでベンチャーiterよりすごいものが作れるって言ってるの?

iterの基本設計が古くて保守的から。97年にベース設計が決まって、2007に更新されたのがiter。炉形式も実績はあるが思想の古い保守的なトカマク(上述の3つはこれ)。しかも「失敗は許されない!」と90年代に確実だった(枯れた)技術ばかりが使われている。典型的には超伝導線材(コイル)で、iter日本のLHDで採用された実績のあるニオブチタン合金超電導線材すら「日本しか供給できないので供給力が不安」という理由不採用にして、性能が低いニオブとスズの合金の線材を採用しているくらいに保守的なのである

そういうiterなので、研究者が「リスクを犯してでも最先端技術や炉形式を使えば、もっと安く、もっと良いものができる!」と考えるのは当然の帰結。そんなわけなので、2000年代にようやく工業レベル供給ができるようになってきた高温超伝導導体はベンチャー提案ではスタンダードである

本当に2030年に実現するの?

ここからはより私見が強くなるけど、「2030年代に既存原発や火発なみに発電する核融合発電所ができるか?」なら答えはNo。そもそも建設10年程度かかるものなので、2030年代までに動くのは次の世代の炉だけ。でも、ガチ発電所の前に一世代「お試し発電はするけど、ガチ発電所ほどじゃない」やつが要る。二世代作るのはどう頑張っても間に合わないし、次のやつのデータを見ながら規制法律の整備とかもするからそういう意味でも間に合わない。多分、用地設定とかも含めると、すでに提案済みの新型原発核分裂炉)でも20年たらずで発電開始は無理じゃないかな?

でも、「2030年代にちょっとでも良いか核融合で消費電力を超える発電をする」なら10 %くらいいける確率はあると思う。首相青森の六ケ所(iter候補立候補してた)あたりを特区指定して、原子力規制庁が規制法を爆速で整備して、現存設計案(ベンチャーの案でも、量研機構が準備してる次世代核融合設計案でも良い)の最小限版を速攻で建設開始するシナリオ。当然その時はみずほ勘定システム方式ではなく、日立なり東芝なりの一社に全体を統括してもらう。そこまでお膳立てされれば遅れない。多分遅れないと思う。遅れないんじゃないかな。ま ちょっと覚悟はしておけ。

おまけ、ロッキード・マーチンの案について

記事書いてたとき存在を忘れてた。ロッキード・マーチンのチームはアカデミアとつながっていないので、他の核融合ベンチャー論文などを出してる一方で情報一般向けのニュースくらいしかない。でもまぁ、振動磁場で粒子を閉じ込めるというアイデアちょっと無理がある(そんな早い振動磁場を高強度で作れない)と思うし、車に乗るとかどう考えても無理があることも書いてたのでなぁ(加熱装置も発電装置も電源も車に載るほど軽くない)。核融合ベンチャーは大なり小なり希望的なことを言うものだけど、それと比較しても無理っぽいんじゃないですかね。すでに内部で解散してても驚かないです。

女性表象をめぐる問題というフェミニズムにとっての”鶏肋

1. ある程度既に議論されているかもしれないが、今回の件が今まで問題視された公共空間広告における性的女性表象への批判と決定的に違うのは、Vtuber身体は今まで問題とされたような二次元キャラクターのような意図をもって製作された純粋な”デザインのもの”なのではなく、中の人と結びつけられた疑似的な肉体でもある点だと思う。今までであれば、女性の描かれ方、デザインに関しての作り手の意図という点に着目して、性的に扱う意図をもってデザインされたもの公共空間公共広告で扱われることを問題視する事に理があったように思う。描かれ方・デザイン(その意図)の問題であって単純に胸が大きいとかい問題ではないという話だったからだ(だから宇崎ちゃんの件も現実の胸が大きい人への逆差別”ではない”というフェミニズムを支持する側の理屈にもなっていた)。

 それが今回の件に関しては、Vtuber身体デザインでもある一方、中の人間の動きと外のガワが一体になって(今回の件では)3d空間で動いているVtuberという存在にとっての肉体そのものでもあるというのがややこしいというか、議連批判が今までのフェミニズムから公共広告における性的女性表象への批判と比べて明らかに大きく反発を受けて逆に批判を受けた部分だったなと思う。

 議連の人たちはVtuberを3Ⅾアニメーションぐらいにしか認識していなかったのだろう。そして、今までの広告で扱われる性的女性表象問題においては、その作品がどういう作品なのかという文脈を知る必要はない、その作品を知らない人も目にするのが広告であるから広告それ単体で女性表象がどう扱われているかのみが問題であるという理路が使われていたように思う。それはそれが二次元にとどまる話であれば正しかったように思う。だからこそVtuberがなんなのかよく知らなくても批判するという事が当然の帰結として起きた、今回の件は起こるべくして起こったと思う。

 今回の件はフェミニズムという思想依拠した批判炎上問題の中でもとしてかなりフェミニズムに分が悪い出来事だったなと思う。Vtuber身体とは何かという話は正直自分もきちんとした答えを持っていないし、この文化が今後も発展していけば学術的な議論も深まっていくんだろうなと思う。そんなまだ学術的な議論も深まっていない分野でフェミニズムの名を冠した人々が理論構築の甘い批判をしてしまった(少なくともそう思う人が過去の似た事例に比して格段に多かったと思う)。私はVtuber好きな人間でもあるが、フェミニズムに興味がない人間だったとしたら、フェミニズム自分の好きな文化にとっての敵だとしか思わなかっただろうなと思う。

 Vtuberはなりたい自分になれる文化というのは特に2018年ぐらいの初期の頃のVtuberとは何かという話においてはまさしくその通りだったと思うし、今も個人VとかVRチャットとかの文化ではそうなんだと思う。この世界観Vtuberに親しんでいる人が共有しているというのも議連への批判が大きい点だろう。ただ、企業Vは必ずしもそうじゃない。デビューした後の別の新衣装とかは本人の意を汲んだものになることが多いけれど、最初は既にデザインとしての肉体(ガワ)は決まっていて、そこにオーディションを経て中身が決まっていく流れだと聞く(個々の企業によって差異はあるかもだが)。なりたい自分の姿を選んでいるとは限らない。

 でもさらにややこしいのは、中の人間のプロポーションとガワの肉体のプロポーションをある程度同じにしている企業もあるらしいことで。胸が大きくてすごく揺れるVtuberがいて、そして更に中の人も胸が大きくて、中の人の動きをガワたる3dモデルに反映させている以上、3dモデルの胸の動きも中の人の胸の動きとある程度リンクしているとする(モデルと中の肉体で動き方が同じとは勿論限らないというか多分違うと思うが正直詳しくない)。そしてこのVtuber警察とのコラボのような公的広告に出ることがあった場合、今回と同じような批判フェミニズム立場からそれになされて、企業Vの中の人自分モデル不適切だと批判されることは自分の肉体に対しても差別だと抗議した場合自分は正直フェミニズムから批判を支持できないなと思ってしまう(起きていない仮のケースを想定して支持できないと述べるのは不誠実だとは思うが、起こり得ることだと思う)。今回議連批判している人にとっては、私が例に出したケースと今回の事はほぼ同じだろってなりそうだけど(私にとってはそうではないが)。

 Vtuber文化は今後も発展して警察のような公的機関や催し事とのコラボも増えていく事と思う。そしてそれに付随して、公的ものに相応しくないという批判から炎上も今後も目にしていくのではないかと思う。オリンピック小山田氏やラーメンズ小林氏のような過去不適切発言での問題が、もしVtuberで起きて、そしてそれがVtuberとして活動する前の、Vtuberたるその人ではない純然な中の人間としての過去発言だった場合、それはVtuber〇〇としての問題として扱われるのかどうかとか、そういった事を最近考えている。Vtuberの肉体とはなんなのかというのも、もっと議論必要な部分だし、容易に結論がつくものでもなさそうだ。だからこそ、もし批判するなら真剣理論を立てないといけない分野だと思う。普段思想が近しい人同士でも、Vtuber世界観(個々のVの世界観ではなくVtuberという文化認識の枠組み)を共有している人とそれを知らない人の間で今回かなり意見の相違がある話だったと思うのだが、オタクの内輪の論理Vtuberを知らない人には分からない世界観認識)を持って来られても困るというのは一理あると思うが、この内輪の論理を共有する方が多数派になってしまったら結局そんな言葉もかきけされてしまうんだろうなと思う。知ろうとしない方が悪いとか言いたいのではなく、ただそういう未来がありそうで嫌だなと。

2. 現代日本にはフラワーデモが起こったきっかけでもあった性犯罪判決や、知識の不足や劣悪な環境に置かれたことでやむなく堕胎も出来ず病院にも行けずに一人で出産して赤子を死なせてしまった女性犯罪者となり父親は何も責任を問われないような司法での女性の扱われ方に関する差別問題がある。医学部受験における差別措置記憶に新しい。女性政治家の数は少ないし、女性総理大臣も0だ。ジェンダーギャップ指数世界ランキングなんて参考にしなくても、日本には是正されるべき男女差別があり、その為にフェミニズムという思想がまだまだ必要である事は前提として認められる社会になってほしいと私は思っている。

 公共空間広告における女性表象の扱われ方の問題は勿論大事問題であるし、フェミニズムにとってなおざりにしてよい問題であるとも思わない。だが、先に挙げたような女性差別問題に比べると、人それぞれ色んな価値観があるし、フェミニズムを支持する人間の間でも一番意見バラバラに感じるトピックだと思う。私としては女性表象問題フェミニズムという思想にとっての”鶏肋であると常々思っている。鶏肋とは三国志で有名なエピソードが由来の言葉で、意味は「大して役に立たないが捨てるには惜しいものである

 私は少なくとも今までの女性表象に関する問題フェミニズム立場から批判側に理があると思っている。しかし、一連の女性表象批判は繰り返す度にフェミニズムを嫌う人間を増やしこそすれ、フェミニズムを支持しようという新しい賛同者をそこまで増やしているようには、少なくとも嫌われる人数を上回る程には新たな賛同者を増やしているトピックには思えない。思想政治的勝利するためには賛同者が増えなければいけない、いくら理論で勝っていたとしても民主主義においてはその賛同者の数が力になる、政治で勝つためには賛同者を増やす戦いになる。批判する側が悪いと言いたい訳ではない。これを批判する人々自体必要であるとすら思う。女性表象に関する事で傷つけられた人も過去現在存在していて、その人たちの事を考えたら決して役に立たない問題なんかではない。ただ、女性表象批判賛同者の増減に関しては基本的に分が悪い戦いで、基本的に負け戦を強いられるものだなと見ていて思う。女性表象批判フェミニズムを敵視する人間の声が大きくなる風景がどんどん広がるばかりだ。嫌われるから批判をやめろという話ではない。嫌われるのだからこそ、理屈で負ける批判をしない事が大事だと思う。フェミニズムに興味のない人間にとっては、娯楽への批判なんてのは繰り返せば繰り返す程嫌われるものだ。いかに損害を出さずに負けるかという負け戦なのだと思う。今回の件がニュース番組新聞など今までに比べて大きくメディアで取り上げられているのは、今回の件が華々しい(無惨な)負け戦だからだ。フェミニズムを嫌う人間にとってはこれほど溜飲が下がる事はないであろうし、メディアフェミニズムが叩かれている所が人々の耳目を集める格好の餌だと分かっているから宇崎ちゃんラブライブ!アツギタイツとは比較にならない程大きく取り上げる。自分は今回のメディアの取り上げ方にも不信感というか、怒りというか、やるせなさというか、とにかくいやな気持がした。

 楊脩は”鶏肋”との言葉を聞いて「鶏のあばら骨は捨てるには惜しいが、食べても腹の足しになるほどの肉はついていない。この戦もそれと同じだ」と解釈して軍を撤退させた結果、曹操に首を切られた。私は自分を楊脩になぞらえるような真似をしたい訳ではないが、上記自分意見フェミニズムを支持する人から批判されるだろうと思うし、それは甘んじて受けるつもりだ。正直言って自分が正しいかどうか自信がない。でも、この表現をめぐる問題で一致が見られなくても、社会是正すべき女性差別があるという点で一致できれば連帯していく事が出来ると思う。もっと言えば、件の青識氏とおぎの議員に関しても、表現をめぐる問題議連批判する立場であっても、他の部分でこの社会女性差別があり、それは解消されるべきで、そのためなら議連とも連帯していきたいというメッセージがあるのであれば彼らを支持するのも全くやぶさかではないと思う。私が彼らを支持しないのは、差別是正して社会を良くしたいという動きに対して、方法論の違いで衝突しているのではなく、敵対者としてその理想のものを腐し足を引っ張る為に、自分が支持していない敵対者思想論理だけを借りて相手批判し、批判に使った論理の元の思想フェミニズム)が目指す理想のもの唾棄して見もしないような輩だと思うからだ。今回の件で彼らの影響力が増しても彼らはそれを上記女性差別の解消には向ける気はないだろうし、そんな人間フェミニズム論理フェミニズム議連批判し、そしてフェミニズムに興味のない人間からは彼らの方がよっぽどフェミニストだと思われるであろう現状が死ぬほど馬鹿馬鹿しい。

 山田太郎議員のようなオタクというアイデンティティナショナリズムのようにくすぐって、あおって、票にしていくスタイルは、おぎの議員の登場により今後アンチフェミニズムと結びついて、それだけでシングルイシューとしてオタクから票を集められるような政治勢力に発展していくのだろうなと思う。「フェミニズムから表現を守るオタクの会」なんて党が出来て議席を得るのも時間問題だろう。今後この問題アンチフェミニズム立場から定期的に引き合いに出されるだろうことも想像に難くない。Vtuberという若い文化が今後発展していけばいくほど、この文化若い人間が参加していけばいくほど、「フェミニズムとは僕たちが愛する文化排除しようとする敵なんだ」と先輩オタク達が後輩に囁く風景が見られることだろう。暗澹たる気持ちだ。どうしようもない負け戦だった。

2021-09-19

学生の頃、ゼミで「親の貧富の差子ども暮らし格差が生まれることついてどう思うか」というテーマについて話したことがある

そこに来ていた院生の「それは子どものために親が努力した結果だから当然の帰結」という論旨の発言は衝撃だった

なるほど、彼に言わせると貧乏なのは貧乏から抜け出そうとしない親の家に生まれついたのが悪い、ということらしい

大変な暴論だな、と思った記憶がある

貧困家庭の親は子どものために努力をしていないのか?

そんなことはないだろう

ではなぜ貧困家庭貧困から抜け出せないのだろうか

能力学歴コネクション? 

そのうちどこまでが努力で埋められるものだろう

格差について考えるたび思い出す、もう十年以上前の話である

追記

表面上はできるということになっているけど現実には誰でも内閣総理大臣になれるわけではないということくらいはみんなわかっていることだと思う

もちろん近代に比べれば可能性があるというだけで進歩しているのは確か

だけど実際の社会構造が建前とは異なっているのに、それを意図的にか無意識にか無視して「努力すればなんとかなるんだから努力しろ努力もせずに飴がもらえると思うな」という言説がはびこっている点で言えば現代のが怖くない?

うんち

2021-09-17

anond:20210917225750

思想的にフェミが敵なんだからフェミがを批判するのか当然の帰結だと思うんだが

取り下げた方も批判しろというなら一理あるかも知れないが、取り下げた方を批判しろというのは意味不明だな

2021-09-07

気持ち悪い性癖」のはなし

気持ち悪い」

高校性の頃などは、仲の良い友人との雑談のなかで話のノリが下ネタの方に流れるなんてことは、日常茶飯事のことと思う。それが世の中にある様々な「性癖」の話題になったとき、友人がとあるややマイナー寄りの性癖について言ったのが、冒頭の言葉だ。

彼にとっては、生理的に受け付けないレベルで「抜けない」ジャンルだったのだ。

その性癖好きな人を傷つけたくないから、具体的にどんな性癖についての話だったかはここで敢えて書かない。それが、本来性的に興奮するべきものではないはずだ、という彼なりの理由づけには一応の筋が通っていた。ゆえに、彼にとっては「気持ち悪い」ものだったのだ。

私は彼の話を理解し、理屈としては納得した。彼の立てた筋に従えば確かにおかしいのかもしれないとも思い、そして私は大変困った。

それが私にとっては全然平気どころかむしろ結構抜ける、なんなら先週あたりそれで抜いた、というジャンルだったからだ。

私は口をつぐんだ。

こないだそれでめっちゃ濃いのが出た、とは言えなかった。

理屈の上でおかしかろうが、ちんちんが立ってしまうからこその「性癖なのだ

この件は私の心に深く刺さった。

自分は人に気持ち悪いと思われるような性癖を持っているのだ」という思いが私を縛るようになった。

彼にとって気持ち悪いものが、ほかのあらゆる人にとっても同じかどうかはわからないわけで、それはいわゆる過度な一般化であり、決めつけだった。そして、あのとき話題に上った性癖自体、多少マイナーではあるけれども割と聞くような、そこまでド変態というほどでもない程度のものだったと、今なら思う。

しかし、彼の「気持ち悪い」という言葉は、私の中の理屈ではない部分に深く刺さって、やがて「他人性癖を知られることに対する恐怖」へと変わっていった。

その後、新しい環境になって新しい友人とも出会いディープ性癖談義になることもたびたびあった。アレは抜ける、これも結構イケる、というあけっぴろげな話になると、私も一応、どういうもので抜けるかという話はした。

しかし、そうできたのは、数ある性癖の中の、まず引かれることはないだろうと思える程度にメジャーものについてだけで、本当に自分ガチで抜けるドチャシコジャンルが何か、ということは誰にも言えずにいた。

そのころには「私は気持ち悪いやつなのだ」という、より直接的な自責の念が芽生えていた。

困ったことに、性癖の先鋭化もまた同時に進んで、私は着実に変態性を高めていった。わざわざ供給の少ないマイナージャンルなどで抜かずに済むのならそれに越したことはないはずなのだが、私の意思とは関係なく、私の性癖はよりマニアックな方へ、ディープな方へと進んでゆく。

一応、ごく普通セックス描写では全く抜けない、という事はない。まともな性欲もあるにはあるので、抜こうと思えば抜くことは可能だ。しかしやはり、本当に魂に刺さるフェチの絵や漫画を使った夜は「立ち」が違う、というのは、ある程度マイナー性癖を持っている人にならば理解してもらえるのではないだろうか。

性癖は魂の発露だ。ネットの海で新しいうわこれめっちゃシコい発見するたび、手入れを怠った植え込みのごとく、性癖は好き勝手に枝葉を伸ばして、際限なく肥大化していく。

私は自身性癖を憎んだ。「気持ち悪い性癖」を抱えてしまった不運を嘆いた。できることならすべて捨ててしまって真人間になれるならどんなによいことかと思った。

だが、いくら自身性癖嫌悪しても、悲しいことに、ちんちんは立ってしまうのだ。結局のところ、それが好きだという感情は私の中で動かしようがない事実だった。

そんな自己矛盾を抱えたまま十年以上が過ぎた。

あるとき、私は趣味として絵を描くようになった。絵は難しい。なかなか思うようには上達できない。がそれは別の話なのでここでは詳しくは語らない。

一応、メインとしてはエロではない普通の絵を描く人間のつもりでいたが、ただでさえ供給が少ないマイナー性癖を抱えてしまっている以上、物狂いに刃物猫に鰹節変態に絵筆、といったことになるのは当然の帰結である。完全なる自家発電用ゆえにそれらをネットで公開することはしていなかったのだが、ある時私は、ネットの片隅でそれらを公開してみることにした。当然、強い抵抗感はあったが、自分の周囲にいるわけではない、不特定多数に対して匿名で公開するのであれば、ギリギリ可能だった。

はじめはほとんど反応はなかった。だが公開するという目的ができたことで、それまでは手抜きも多かった自作エロ絵の完成度は向上し、生産性も上がった。

少しずつだが、ちらほらと反応を貰うようになった。嬉しかった。

そしてしばらく経ったあるとき、「抜きました」というメッセージを貰った。

衝撃的なことだった。

ある変態がビンに詰めて海に流したエロ絵が別の変態のもとに届き、シコらせしめた。

この事実は、私にとって奇跡のように尊いことに思えた。ほとんど雨の降らないマイナー性癖砂漠に、自分が一滴の水滴を垂らして、一時のこととはいえ潤いを与えることができたのだから

私は嬉しくなって、その活動を続けた。反響は少しずつ増えていった。互いの変態性を語り合える人々とも出会えた。もともとがマイナー性癖ゆえに、ネットの片隅でシコシコやっていくという規模に変化はなかったが、救われた思いがした。

こんな変態でも人を喜ばせることが出来る。しかも、ほかならぬ自身が疎ましく思い続けたこ性癖によって。それはまさに救いだった。

現実には決してなしえないマニアックプレイを描くことは、夢の具現化だ。誰にも危害を加えず、ひたすら自分性癖を好きなように表現して、それで喜ぶ変態がいて、それを見て私も喜び、多少の支援も得られる。

この在り方が「気持ち悪い」などということが、果たしてあるのだろうか?やがて私はそう考えるようになった。

これは私にとって大きな変化だった。シコい!という変態たちの声が私の背中を押し、赦しを与え、恐怖心を少しだけ和らげてくれたのである

エロ絵を描いているわけではないほうのアカウント活動を通じて知り合ったなかで、特に信頼できる少数の友人にだけ、自分活動を打ち明けてみた。

とはいえ10年以上も私を縛り続けていたトラウマ簡単に消え去るなどという事は無くて、最初は、実はエロ絵師としても活動しているんだという告白だけで、具体的にどんなものを描いているかまでは言えなかった。

やはり、不特定多数に対して「こんにちは変態です」と表明することと、実際に会ったこともある創作仲間にそれをするとではハードルの高さが段違いなのだ。友人たちは「どんなの描いてるか気になるけど無理強いはしない、言えるようになったら言うで良い」と言ってくれた。本当にありがたいことだ。

それからしばらくして、ようやく私は彼らに自分活動をすべて打ち明けた。

反応は思ったよりあっさりしていた。

「まあ変態だとは思うけど別にいいと思う」、

自分にはわからない性癖だけど別に嫌悪感はない」、

ニッチと言うからよっぽどこじれた性癖なのかと身構えたけどそこまで人に言えないほどでもないと思う」

等といったものだ。

私自身も、頭の片隅では理解していたのだ。エロ絵師として活動をする以上、嫌が応にも、私よりさらに細い性癖活動している人などはこの広大なネット世界いくらでも見る。私がある程度の変態性を抱えた人間だということは事実であろうとも、「上には上がいる」のだ。あえて雑な言い方をするならば「私など大して変態でもない」と。

しかし、私が実際に誰と比べてより変態で、誰よりは変態でないか、などという事はあまり重要ではないのだ。逆の立場に立ったならば、他人性癖理解が及ぶかどうかと、嫌悪感を抱くかどうかは全く別のものだ、と私も言うだろう。そもそもエロ表現に対して嫌悪感の強い人ならば私の性癖を聞けばドン引きするだろうし、別に?という人にとっては別にしたことはないし、そのラインは人によるというだけの話だ。

私が抱えていた問題は、自身さらけ出すことへの、『必要以上の恐怖』なのだという極めてシンプルなことだが、それを受け入れるのを阻んでいたのは、古い記憶に残るちょっとした一言だった。何の気なしに出た言葉なのだろうという事は理解できるし、そもそもお互い高校生だったので適切でない言葉を使ってしまうこともあるだろうし、私自身もまたそういった類の失言をしてしまたことは過去にあったので、それを殊更に責めることなどはできないし、するつもりもない。

彼とはいまだに、時折連絡を取り合う腐れ縁の仲で、強い友情を感じつつも、今まで語ってきたようなわだかまりを心の隅に抱えたままでいた。

しかし、私という一人の変態と、ネットの海を漂う無数のギンカクラゲのような、鈍い輝きを放つたくさんの変態とのつながりの中でこの問題に整理をつけることができてからコロナ禍が始まる直前、2019の冬に初めてその件についてあえて切り出して、ようやくわだかまりを解くことが出来た。ついでに、ようやく彼に対して私の性癖表明をすることも出来た。久しぶりに会った彼は父親になっていた。

私は最大限の祝福を送った。

一人の変態として、ようやく地に足がついた感覚を得られた記録と、自身の整理のために。

ちんちんの導きに従うべし。

ザーメン

2021-09-04

anond:20210903201547

エロ表現の自由戦士が生まれるまで】

①昔、表現権力者により検閲されるのが当たり前だった

②中でもポルノは風紀を乱すとし、焚書されることが当然の世であった

時代は移り、民主制が台頭すると、「表現の自由」なる概念が生まれ

 これは、為政者政府批判などを規制したり、投獄するのを防ぐ目的で制定された

本来、「表現の自由」は行政司法により制限されないが、それでは「表現を用いた他人への攻撃」を取り締まることが出来ない

 よって法治国家では「名誉棄損」などに関する法律を定め、権利対立解決できるようにするのが普通

ポルノ規制運動への反発には「表現の自由」が用いられることが多くなる

 ポルノは「世間的にマイナスとみなされる」類の表現であり、規制に対抗する時「有用性」での主張が難しいため

 (二次萌え絵オタクなどが存在しない昔の話)

人権意識が進んでくると、「差別」などの概念も発達し、これを行うことは「正しくない」と規定されるようになる

 昨今では「ヘイト」などの法規制を行う国や地域も出始めた

 これも、権利が衝突するのを解決するため利用される

⑦それらが先鋭化し「ポリティカルコレクトネス」(政治的正しさ)という概念が生まれ

 そこでは、女性差別人種差別などを構成する偏見助長されることすらNGとされた

女性の権利強化が進み、女性性的に扱う表現を「正しくない」と言えるようになる

 この運動は「女性差別」を基底としているため、ポルノ問題が「差別問題」へ変化する

個人的にはここがターニングポイントだと思っている

問題を「差別である」としたことで、玉虫色意見けん制できてしまった

事が差別であれば、「この程度の差別は許容されるべき」という意見構成できない

だって差別なのだから

差別ならば否定されなければならないし

反論しようとしたならば「差別でない」と言わなければならないが、そこで軸が「差別的」にずれる

セクハラ過去を持ち出し、女性性的に扱う表現は、そのような偏見助長すると展開するため

男性性的に消費している事実観測できさえすれば「差別的だ」と主張できてしまう(是々非々あろうが彼らには届かない)

不快感差別の混濁が始まる

 耐えてきたハラスメントなどが「性差別産物なのだ定義されるのだから当然の帰結

人工知能学会誌の表紙がやり玉にあがる(のうりん、宇崎ちゃんと続く)

 「(一部の)女性不快にする」コードで繋がれた家政婦という表象が「性差別である」として炎上した

 最終的には「男性社会偏見の現れ」とかい差別「性」に論がずれ

 「一般社団法人」でしかない人工知能学会に対して、公的機関などの言葉を使って「微細な偏見すら許されない」と攻撃された

 以後、定期的に萌え表現燃える事になるが、「差別」が前面に押し出されるようになる

⑪「お気持ち」返答が始まる

 対する男性側は「差別につながる偏見強化の恐れ」レベルにまで拡大批判してくる相手に対して

 「それ、お気持ちでしょ?」と返すようになる(意訳:差別ではないでしょう?)

 いくつかの事例積み上げの結果、指摘の整合性が取れないからだ

具体的にいけば

少年漫画で「取り柄がないように見える主人公に惚れるヒロイン」がラッキースケベの餌食にあう事は差別的で許されないが

少女漫画で「ヒロインにだけ優しいイケメンだが札付きの悪」が「嫌がるヒロインに強引な壁ドンからキス」するのは許されるのである

そして、それらのイケメンが、性的安全なよう最終ロックがかかった去勢された存在となっていてもオーケーなのである

※それらを享受することすら許さな楠本まきのような人も当然居るが、表象としてはエロセーラームーンなどにも矛先を向ける原理主義者は少ない

そうした不整合を処理するのに生まれ概念が「性的にまなざす」だ

今では忘れられてしまったが、一時「まなざし村」などとして流行った

同じ表象に対しても、女性主体性の結果であればOKで、男の欲望が介在した結果であればアウトという判定

これに「男社会価値観による刷り込みの結果」と「名誉男性」を合わせる事で自由自在批判対象を切断可能となった

ポリコレ集団表現撤去を求めてくるので表現の自由が使われる

 相手の動きが差別を御旗にした「表現規制運動であるため、「表現の自由」が使われることになる

 当然、古の経緯も影響あるだろうが、そも「差別」の解釈を広げすぎて「何でもかんでも差別(の助長)」状態相手と会話など成立しない

エロ表現の自由戦士爆誕

 この動きが一般化すると、それを揶揄する「エロ表現の自由戦士」という言葉が生まれ

 彼らが守っているのはエロコンテンツだけであり、自分が気に入らなければ打ち切りに追い込んだり、削除に追い込んだりする「お気持ち自警団である定義される

ここでバカバカしいと思うのは、そもそも表現戦場は「お気持ち」の戦場

「不人気」だってお気持ちだし、面白い掲載場所が合わず死ぬ作品もある

不快表現」を理由撤去されるポスターや中止されるCMだって普通にある(死霊のはらわたとかサイレン

問題なのは、「お気持ち」だと勝率が悪かったまなざし村村民が、「ポリコレ」という手段を知ってしまった事だ

これまでなら「妻がカレーを作るCM不愉快です」だったのが、「妻がカレーを作るCM性差別」として叩けるようになった

味を占めてしまたから、彼らはもう「自分気持ちを根気強く言葉に変え賛同を集める」事には戻れないだろう

一言言えばいいのだ「SABETSU」と

2021-08-09

親がかわいそうだなと思った話

久しぶりに実家に帰った。

俺は36歳独身男だけど、非モテゆえに結婚することはない。

帰省中である。親は俺のことを心配そうな目で見つめてくる。ああ、配偶者をみつけたしもうこの子安心だなと思わせることはこの先ないんだなと思った。俺のことを一人前になったと思うことはなく、親は俺のことを心配し続ける余生を過ごすことになる。

とはいえ、それは親の自業自得でもある。つまり、その程度のスペックしか産み育てることができなかったという話だ。

こういう話をすると自分の駄目さを見つめずに親のせいにしているという反論も聞こえてきそうだが、むしろとことんまで見つめた結果、親のせいだとおれは気付いた。

俺はダメ人間だ。生きている価値がない。なんでこんなクソみたいな性格をしてクソみたいな人生を送っているんだ。うつになるぐらい考え抜いた。過去のことをひとつづつ紐解いていくと最後は親にぶち当たる。当たり前だ。親の遺伝子を受け継いで、親が用意した環境で育ったんだから

全ての子供は生まれるか生まれいか選択肢を与えられないまま生まれてきているが、親は自分意志で子を産んでいる。産まないという選択肢もあったのに。当時子供を産まないといけないという社会的圧力が強かったにせよ。

から子供には親を怨む権利があると思ってる。親は子を恨む権利はない…お前の選択の結果だろ?じゃあ最初から産まなければよかったのに、という理屈だ。

とはいえ、年を取るにつれて彼らも彼らなりに一生懸命俺のことを育ててくれたんだという考えも芽生えてきた。親を赦す気持ちにもなった。親を怨む権利放棄するようになった。

ただ、反出生主義的な考えは消えないわけで(論破不可能じゃね?)、さらに親を赦したところでスペック値が上昇するわけでもないので、親を安心させるために結婚しようと努力するモチベーションは全く生まれてこない。不細工挙動不審非モテだし。

まあ結婚子供産むでもないんだが(精子も腐ってるだろうし)、どっちにしろモチベーションはわかない。付き合う以前に、男として見られるためのスタートラインがあまりにも遠すぎる。そのスタートラインに立つためにどれだけの努力をしなければならないのかと考えると気が滅入るわけだ。結婚なんて、宝くじに当たる方がはるか簡単だと思える。

ともかく、親がそういう余生を送る羽目になったのはこんなスペックしか産み育てることができなかったことの当然の帰結だと思う。だから言ってしまえば自業自得なのだが、やはり親はかわいそうだと思うわけだ。親を怨む権利はもう放棄たから。ただ、俺としてはどうしようもなく悲しい気持ちになる。スペック的に俺には親を喜ばせることはできない。親の心配そうなまなざしに途方に暮れるしかない。自分を責めても親に刃が向くだけだ。

せめて親孝行ぐらいはしようと思った。結婚して安心させるとか孫の顔を見せるとかは無理だけど。メシおごるくらいは定期的にしてやろう。

ああ、あと、男らしさの呪縛から降りろみたいな話。俺が降りたとしても親が降りるかどうかはわからん、というか無理だろうなと。親が価値観をアップデートしたら心配から解放されるのかどうかは知らんが、まあちょっと無理があるよね。古い人間から

2021-08-02

ルックバック」は修正によって完成した

はじめに断っておくが、以下は私の個人的解釈に過ぎない。そんな奴は居ないだろうが、間違っても「唯一正しい解釈」だとは思わないように。

 

藤本タツキ短編漫画ルックバック」が一部修正され公開された。修正版を読んで、不謹慎ながらニヤリとしてしまった。

この漫画は此度の修正により完成した。

修正がどのような意図の下行われ、どのような結果を齎したのかを見ていくとしよう。

 

やまゆり園への対応

修正版では殺人犯セリフの一部が「社会の役に立てねぇクセしてさああ!?」に差し替えられている。

京都アニメーションでの事件彷彿とさせる「オレのをパクった」という主張から上記優生思想への動機の変更は津久井やまゆり園での相模原障害者施設殺傷事件意識してのものと思われる。

修正前のルックバック公開時、「京アニ事件はこうやって思い出されるが、やまゆり園は無視される」といった(少し言いがかりに近い様な気もする)批判もあったため、それに対応したものかと思われる。

 

そう考えると今回の修正は如何にも優等生的な模範解答のようにも思える。

実際今回の修正について妥当だと矛を収める人は少なくない。しかしそのような模範解答の裏に黒い意思が隠されている、というのが私が提案する読解だ。

 

創作行為の軽視

「絵描いて馬鹿じゃねぇのかああ!?」「社会の役に立てねぇクセしてさああ!?」というセリフの変更は果たして修正前のルックバックへの批判に唯々諾々と従った結果だろうか?

私にはそうではないように思える、この犯人の主張は、むしろ修正前のルックバックへ向けられた批判の態度をコピーしたものではないだろうか?

まりだ、表面上今回の修正批判に対して素直に従った様に見える、しかしその実、「お前らの批判はつまりこういうモノなんだよ」と批判者の眼前に突き付ける嫌味もしくは哄笑なのではないだろうか?

漫画批判され修正を迫られるのは如何なる理由からであろうか?それは漫画有害で無価値だと判断されるからである。従って批判者は修正後の犯人創作行為を軽んじ嘲笑う態度に重なる。

これは非常に雑な読解だ。批判者は「自分漫画創作行為を軽んじてなどいない」と思うだろう。「自分はむしろ漫画を愛している、創作行為を重んじている」とすら主張するかもしれない。

しかしそれは飽くまで「私はそう思っている」事でしかない、自分では愛し重んじているつもりでも心の底では知らないうちに軽んじているかもしれない、そうした奥の奥を突き付けるというのは漫画という表現行為において可能である

 

修正」に対する批評

上記の読解は非常に雑でありもう少し詳しく内実を明らかにしたい所だが、別の論点もある為ここまでにしておく。

私は今回の修正によって「ルックバック」は完成したと考えているが、それは修正によってルックバックが良くなったと思うからではない、逆だ、今回の修正で「ルックバック」は薄っぺらに、作品として完成度が落ちた。

そしてそれが重要なのだ

批判を受け、作者は修正を迫られる、そんな時作者はどうするべきだろうか?批判や読者の要望をきちんと反映した上でより完成度の高い作品を目指す?それもアリだが、今回作者はそうしなかった。

批判者の目の前で作品を捻り潰し、台無しにしてしまったのである

まぁそれは言い過ぎだ、完成度が落ちたとは言っても大幅に変わった訳ではない、しかし作者は批判者の目の前で「修正」し、作品の完成度を落とした。

そしてそんな作品を前にして批判者は「良くなった」「修正してくれてありがとう作品の魅力は減じていない」等と訳知り顔で言う訳である

 

これがどれ位面白いことかあなたに分かるだろうか?wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

 

今回の修正作品の完成度は控えめにではあるが落ちた。犯人像の変更により創作行為表現行為に纏わるネガポジ対照はブレ、

主人公とある意味では同族だった犯人はむしろ創作行為嘲笑う側になった。

藤野事件を知るニュースの後、新聞記事に示される犯人証言は「誰でもよかった」という平板テンプレート動機に書き換えられたわけだが、このコマのやる気の無いことw

修正前と比較すれば明らかだが、意図的にクオリティを落としている様に私には見える、修正前はちゃん新聞記事に見えるよう体裁が整えられていたが、修正後は文字だけ。

更に犯人テンプレート的な平凡な犯人像に置き換えられ、解像度は落ちた。

犯人の背景を想像する事は必要だろうか?いや、可能だろうか?犯人は何らかの属性を持っているはずだが、それがリアリティを持つためには「殺人犯は~~~という属性を持っていそう」という偏見を頼りにしなければならない、

まり犯人の背景を想像する事は必然的偏見を強化することに繋がるのだ。従って犯人からは極力属性を取り除き、犯人は背景を持たない透明な存在にならなければならない、これは修正前の作品に対する批判を受け入れた場合当然の帰結である

しかしそうしたクオリティダウンを当の批判者は気付かない、気付くだけの鑑識眼を持っていないのである。非常に笑える。

一応お願いしておくが(おそらくそんな奴は居ないと思うが)これを読んでも修正後のルックバックに対するあなた感想コメントサイレントで変更はしないで欲しい、変更するならその事を明記しよう。

作者に修正を求めれば、作者はその修正を入れた上で作品の質も上げてくれるだろうか?または作者はその様に在るべきだろうか?馬鹿馬鹿しい。そんな義務は作者には無い。

わざわざ修正を「良い修正」にしてあげる義務など無いのだ、そんな事を期待するのは作者の才能と努力に対するフリーライドしかない、「そんな修正は屑である」と実例を持って示す自由を作者は持っている。

 

今回のルックバックの「修正」は作品改善でも改悪でもなく、批評行為である批評されているのは勿論あなた達読者だ。

修正前のルックバックにどのような反応をし、修正後にどのような反応をするのか、それによってあなた自身がどのような存在であるのかが明らかになってしまう、そのような批評だ。

あなた達が求めた修正は「このようなもの」であり、修正を求める行為はこのような意味を持つ、と仄めかす、そのような批評だ。

今回藤本タツキが示したのは「作者は漫画を必ずしも面白くしなくていい」と言う事でもある。これまでに述べた通り、「ルックバック」は作品としての完成度を落とすことで逆説的に批評性を獲得したのだ。

 

さて、ここまで矢鱈と挑発的な事を書いたが、冒頭にも述べた通り、これはただの一解釈しかない。

作者からすれば全然的外れかもしれないし、その可能性の方が高いかもしれない、ただ、このような解釈可能なのだと頭の隅に入れておいて貰えれば嬉しい。

最後に、この解釈全然的外れであれ、なかれ、作者の藤本タツキ先生には「お疲れ様でした」と言いたい、この解釈的外れでもどうでも、私は一読者としてあなたリスペクトします。

2021-07-28

僕勉の先生人気は想定外っつうより妥協の終着点

ぼくべんならうるか理系先輩すきだし

お前僕勉最初から読んでたか

理系文系スタートしたんだけどまあ見事にキャラ立てに失敗したんだよ

人類史レベル天才的才媛2人って設定だったんだけど

そんなの頭悪い漫画家には表現できないうえに、ラブコメ全然生かしようがねえときた。

 

それで二人ともなんか発達障害っぽい人格まで持ってた。

これ駆け出しの創作者(作者はオリジナル連載は初)がやりがちなやつで

キャラを上手く作れない時に「とりあえず理不尽発言繰り返す発達障害的な人格にしとけばもつやろ」みたいなキャラ立てをしちゃう

 

それ別に全然個性的にならずに面白くないだけ、不快なだけなんだよね。

主人公や周りが何言っても頓珍漢な悪態突くだけの奴を漫画に描いたって面白くなるわけない。

それ面白く出来るような奴は何でも面白く出来るのでキャラ無意味発達障害にしないしな。

 

とにかく文系理系ある意味で作者の創意が詰まってたけど走り出させてみたら全然ダメで。

このまま終わっちゃうかレベルのヤバさだった。

 

そこで急遽三番目に出してきたのが水泳部うるかで、これは素直なキャラだった。

バカスポーツ好きで主人公のことが好き。

わかりやすい。大人気。うるか時間稼いでくれたおかげで持ち直せた。

  

走りながら理系文系をチューンし直して、

理系うどんと言う個性を与えて口数少ないけど考えてることはわかりやすいやつに。

文系発達障害治してむしろ周りの心理を読みまくれてモノローグ常識的な察しや先回りをしまくる傍観者キャラに。

 

  

…でもそういう作者の苦心惨憺の結晶たる理系文系水泳より、

「外ではきりっとした女が家でポンコツ」という使い古されたベタテンプレ乗せた先生が人気出ちゃったの。

なんせもう何十回とお手本見たようなベタベタテンプレから

オリジナリティ捨ててテンプレなぞる覚悟を決めたら幾らでも出来る。

 

そんなのが創意工夫の文系理系水泳より人気出ちゃったのよ。圧倒的に。

そりゃそうかもしれない

作者が自分で1から作って走りながら思考錯誤してるキャラの動きはガタガタしてたり消費の仕方がわかりにくかったりする。

みんなが知ってるベタテンプレは作者も活き活き動かせるし読者も消費の仕方知り抜いてる。

 

そういう安手のアドバンテージはあるけど、そんだけで1位になる時点でな。

作者の愛娘たる理系文系水泳の出来はいまいちだぞと世間から残酷評価を突き付けられたようなもの

 

作者はもう志を捨てたのか心が折れたのか知らんけど全力で先生推しになった。

ベタに次ぐベタ

あしゅみー先輩は作者が連載に慣れてこなれながら作ったいい独自キャラだったと思うけど

うそういう消費し方を手探りで作って読者にも手探りしてもらう必要あるキャラをプッシュする気力がなかったね。 

 

から先生先生先生先生メインヒロインになりました。

先生人気は想定外と言うよりはむしろ当然の帰結であって

その安っぽい当然さに叛逆する気力がなかった作者の降伏宣言だったわけよ。

 

それにしたってうるかの扱いは悪かったなー。

打ち切り救ったのは間違いなくあいつなのにね。 

なんか作者は全然愛してなかったねうるか

 

うるかスキー。まだ増田にいたんだな。

人違いの放置はよくないから一応応答しておくけどぼく勉の話をここでしたのはじめてだし個人的にはあの中ならあしゅみー先輩が好きだしそんな感じでかいたつもり。

うるかについてはなんか功績の割に不遇だったねと。

 

途中の扱いはさておき、本編?ではうるかエンドになったし

自分アニメしか見てないんだが、確かに文系理系人類史天才的才媛という風には全然見えなかったな。ただギャルゲよろしく漫画分岐シナリオになったらしいが、それでも水泳がメインルート扱いだったのでは? 自民党の悪政 大人とは 世も末 老害 犯罪 これはひどい

ミ、ミーには分岐エンドにおいてもその試みを読者に説明するためのチュートリアルにされてるように見えた···

 

ていうかそのタグもしかして話題選ばず常につけてるのか、あん政治ニュースしか見かけなかったから気付かんかった

そのタグのまま普通にラブコメ漫画の話に参加するの気が狂ってるみたいで面白いな

 

それより理珠は脳神経系研究して心理やれよとか、文野は数式アレルギーなのにバリバリ数式の物理に行くより理系学問コミュニケータとかの方がいいだろうにとかの方が気になった。

本人の意思重要とはいえ人類最高レベル天才が向いてない別分野を頑張るっていうのは見ててあんまり乗れなかったよね。

そこに重要アイデアメッセージはなく、秀才主人公が教える立場になるためだけの深い考えのない設定だったように見えたのでなおさらanond:20210727083948

2021-07-01

anond:20210630233055

恋愛経験値ゼロ同士の付き合いなのだから当然の帰結

しかしながら協力して事を成すつもりがまるで無いって言うのが結婚からは程遠い価値観で趣き深い

2021-05-31

反出生主義は生命体にとって当然の帰結

苦痛を避けることを行動原理にしてたらそりゃ「生まれなかったら苦痛ゼロで最高じゃん」というところに行きつくよな

仮に人類滅亡して他の動物が知性化しても最後にはこうなるだろう

2021-05-28

大坂なおみラケット破壊批判される理由は一目瞭然じゃん

評価されている人は、相応に批評されるってだけの話だろ。

正しさを求めたり標榜したならば、別の正しさを求められる。

当人がやったようにね。当然の帰結

からない振りするの辞めろよ。

2021-05-04

弱者男性属性として語る虚しさ

女性LGBT、(米では黒人)の権利擁護の流れに、弱者男性が語られるのはある意味必然

弱さで言えば十分弱いのは、散々言われる通り

でもそこは論じても仕方ない、虚しくなるばかりだよ

女性排除され、土俵の外側に立たされる差別を受けてきたが、

弱者男性土俵に立ち、そして弱者である証明された人々だ

その人々は来たる格差社会弱肉強食世界先駆者

強い女性、強い黒人はいても、強い弱者男性はいない

機会平等の暁には、結果不平等による弱者が生まれる(大量に)

弱者男性の救済を考えあぐねているうちに、程なく弱者女性弱者白人弱者黒人が大量に供給される

本質的弱者の先駆けであって、同列になる人々はいても、真に掬い上げられる人などいない

女性男性も、白人黒人も、あなた次第で成功できる機会が保証される世界はすぐそこだよ

そしてそれは、女性男性も、白人黒人も、半分は弱者として地に塗れる世界

これは当然の帰結で、悲しく無念なことではあるが、もはやどうしようもないことだ

2021-04-18

そもそも恋愛できる層は男3割女4割しかいないので、自由にまかせたら結婚が減るのは当然の帰結と言える。

2021-04-07

活動家への集中砲火は当然の帰結

戦後ずっとこの国は成長して来ていて(過去完了型)、そんな時代にそこから取り残された者としての障害者や老人なんかへの福祉が叫ばれた。どんどの豊かになっていく暮らしの中で、まるで戦後バラック生活みたいな悲惨暮らしをしている人間がいるという事で、国民理解も得やすかった(朝日訴訟とか)。

翻って、今はどうか?

失われた20年で国民所得は下がり、しか福祉はむしろ充実して行った。障害者の主な収入障害者年金障害者手当、それに生活保護だけど、これらが所得と比べて落ちてないのは周知の通り。バリアフリーも進み、生活用品の支給なんかも充実している。

要するに、弱者のはずの老人が貰う年金が、若者収入が落ちまくってるのに変わらないのと同じで、逆転現象が起きてる。そこへ持って来て、決して待遇が良いとは言えない駅員を、コロナ禍のど真ん中に平日旅行としゃれ込んでる障害者言論でぶん殴ったら何が起きるか?起こるべくして起きた事だと思う。

福祉ってのは経済的繁栄おこぼれなのに、ゼロ成長で没落しつつある国で福祉だけは事前の計画に沿って(多少の減速はありながら)充実している。要するに、あの重度障害者は、不労所得で食ってる地主年金付きの官位持ちみたいになってるわけだ。

先天障害はお気の毒だと思うが、ヘルパー派遣・補装具支給・大量の金を突っ込まれて働かずに生きている彼等が「我こそは弱者なり」と誰かを言論でぶん殴るなら、同じ拳が返ってくるくらいは覚悟するのは当たり前だろう(銃で撃たれたりないだけ日本平和だ)。

エレベータ設置にせよ人員手当にせよ、「お前にかかった金はどこから出てると思ってる?」ってのは、給料の数割を社会保証の名のもとにふんだくられてる貧乏から出る言葉としては、一番穏当な部類だろう。

まあそもそも、各種の「活動」で矢面に立った人間(だいたいは医療関係者行政関係者、あとたかられる企業)はあの手の活動や団体を大っ嫌いになるので、今までたまったもんが吹き出してるって面もあると思うけどね。

外交画面もチェックせずに戦争始めて大同盟に包囲されたようなもんで、良く言って「当てが外れて残念でしたね」悪く言えば「ざまあ」としか思えませんわ。

2021-03-18

anond:20210303070010

攻撃ってのは手段とか規模の話であって目的によって違うだろ

「私は差別されたくないのでその差別(の表出)をやめたまえ」って取り下げるまでいうのって差別された人にしてみれば「総攻撃」じゃないのでは?

大勢にむかって「差別するぞ」っていったら大勢から差別するな」っていいかえされただけのことだよな

まり属性によって他人差別するような言動を全世界がみられるネットにうかつに出しっぱなしにしたことによる当然の帰結だよな

2021-03-03

社会科やってない増田自由の基礎をおしえよう

差別自由について憲法もってきたやつがい

(1)まず31条は監禁禁止っていわれてる法文やね

言論の自由については別の条文やね

法律の読み方しらないのモロバレ。

(2)憲法は土台であってその上に個別法があるよ

憲法31条があったからって、

もちろん犯罪者であれば国によって逮捕され監禁されて自由をうばわれる。

言論の自由に関する条文があったってエロ本や嘘による悪口言論の自由をうばわれるんだよ

まり土台にケースバイケースのやつを上乗せして修正していってるわけよ

その延長上に個人契約SNS規約合法のものとして存在するんよね

(3)もし個別法とかSNS規約が土台である法律憲法にさえ反してる、そんなの無効だ!とおもったのなら最高裁までいって違憲判断もらってね

もちろんこんにちわーと明日いくわけにいかいかちゃん地裁からはじめて高裁までいって最高裁と手順を踏んでね 

SNSに何度凍結されても自分言動が悪であったと理解できない荒らしくんもいるみたいだけど「めんどくさいか増田で煽っとこ」の当然の帰結としての凍結・垢BANやで

(4)これ全員中学校くらいで習うやろ。おまえら中学もでてないアホなん?と見え透いた煽りもつけておこうね

 

なんかいいたいことあったら(n)をつけて反論してね

どうせ(4)だけに反論する脊髄反射増田がいっぱいくるとおもうけど

2021-03-02

anond:20210302222336

能力のない人間にも「職があり」「家があり」「多少なりとも余暇がある」なら尊厳は保たれているのではないか

何故能力のない人間も「結婚」を望む?

結婚には相手がいる。努力というのは「相手を喜ばせる存在になるための努力」だ。自分のための努力ではない。

相手を喜ばせられない人間結婚出来ないのは尊厳が保たれていないのではない、当然の帰結だ。

2021-02-24

明日二次試験

明日とうとう2次試験だ。正直怖い。

この一年、逃げ続けてきた。

高校入試は前日までにどでかい自信がついていた。本番も全然緊張しなかった。なんなら居眠りしたぐらい(3分ぐらいだけど)。合格発表受験番号があって当然だったか全然怖くなかった。高校第一志望に受かった。

しかし、今は真逆だ。

なんだかんだ理由をつけて勉強しなかった。休日はやって6〜7時間。酷いと全く勉強しなかった。

学校からもらったプリントに「不安になったら今までにやった(数学問題集愛称)を積み上げてみなさい。あなたはそれだけやったんだから自信を持ちなさい」的なことが書いてあった。それは私にとって提出期限ギリギリになって必死写経した問題集たちだった。自分の三年間のサボりの集積を見た。

過去問も取れない。物理数学計算とか符号とか式変形でまずミスる。変な答えになるから後の問題が解けない。自分の実力があれば計算ミスカバーできることは分かっている。でもやってこなかった。

当然の帰結だが、自分の(これまでの愚かさを生み出してきた)楽観主義太刀打ちできないほどに自信がない。高校受験の強烈な成功体験があるから尚更だ。

滑り止めの私立も行く気がないところしかからなかった。でも辛いか浪人もしたくない。落ちたら死のうかなとかアホなことも考えてみたりした。

今になって自分の三年間の愚かさを思い知っている。ちなみに勉強していない時間部活もやっていたがそれも中途半端で、あとはアマプラネットに費やすどうしようもない生活だった。友達と過ごした時間も楽しかったけど、思い切りたのしたかというとそうでもなくて、やりきれない?気持ち

本当に三年間何やってたんだろう。愚か。

とにかく明日は、明日の風が吹く(予測変換)。←楽観主義という名の後回し主義スマホにまで浸透してた、ああ。

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