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2024-10-11

漫画熱帯魚は雪に焦がれる」を読んで腹が立った話

 百合が好きなので、なんだか評判のいい漫画熱帯魚は雪に焦がれる』を読んでみた。

 結果として、2巻か3巻の途中で投げ出してしまった。

 理由としては第一に、あまり面白くなかったから。第二に、読んでいてだんだん腹が立ってきたからだ。

 腹が立った理由は「水族館部」の描写だ。結論から先に言うと、水族館部という珍しい部活をとり上げた理由が「なんかエモいから」でしかないと感じてしまった。

 この作品は、主人公田舎高校入学し、気になる先輩が所属する「水族館部」に入ることにして、その先輩と徐々に関係を深め合う、そんな物語である

 この水族館部というのは愛媛県長浜高校実在する部活動で、作者も現地へ取材に赴き、実質的作品舞台にしたようだ。

 だが、その水族館部の描き方に問題がある。

 まず、水槽が多すぎる。

 実際の水族館部もこれぐらい水槽があるのかもしれない。ただ、長浜高校水族館部の部員数は全校生徒の半分以上を占め、2024年3月時点で68人いる(https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2W4TLBS2RPTLC011.html#:~:text=%E6%B0%B4%E6%97%8F%E9%A4%A8%E9%83%A8%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%93%A1%E3%81%AF,%E5%A4%9A%E3%81%8F%E3%81%AE%E5%AE%A2%E3%81%8C%E8%A8%AA%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82)。

 全国募集部員数が増える前でも、数十人は下らなかっただろう。

 しかし、『熱帯魚は雪に焦がれる』の設定ではなんと部員数は2人。主人公が入部する前は1人だったのだ。

 ……誰が水槽洗ってるんだよ!?

 水生生物を飼ったことがないと想像しづいかもしれないが、水槽管理はなかなか大変だ。

 生体の老廃物や排泄物、食べかすなどで水が汚れるのでフィルター(濾過機)を常時回すのだが、どうしても濾過・分解しきれない物質が増えていくため、定期的に水を換えなければいけない。そしてフィルター掃除しなければ目詰まりしてしまう。さら水槽ガラス部分に藻や苔のようなものが付くので、こそぎ落とさなければならない。また、海水水槽場合は析出した塩を取り除かなければいけない。水温の管理必要だし、当然、生き物に関する知識を身に付けなければそうした調整もできない。

 こうした作業を、数十個の水槽に対して2人で対応していくのは極めて困難だ。

 百歩譲って、大量の水槽を2人で頑張って管理していたとしよう。しかしそうなると今度は、ストーリーとの整合性がつかなくなる。

 この作品主人公ら2人の仲良くなりたい、でも臆病になってしまう、みたいな繊細な心の動きを描いている。が、2人で何十個もの水槽管理し、あるいは重い水槽を一緒に持って動かし、生物水槽管理知識を教え合い、なんてしていたら心の距離が縮まらないわけがない。ましてや、話しかけようかどうしようだの誘おうかどうしようだのでうじうじする距離感ではなくなる。距離感が近付いた結果仲良くなるか仲が悪くなるかは人それぞれだが、距離感が近付かないということはあり得ないのだ。少人数の部活動というのはそういうものだ。

 また、登場人物水族館部および水生生物へのスタンスも気になる。はっきり言って、2人とも生き物にあまり興味がなさそうなのだ

 主人公は生き物どころか水族館部にあまり興味がないけど流れで入部しているし、先輩も水族館部にいる理由を聞かれて「子どもの頃からそれが当たり前だったから」みたいなことしか言わない。途中で顧問先生=先輩の父親も出てくるが、その人もちょろっと話を展開させる要因なだけで、生き物への愛情とかは語らない。(なんなら、作者も生き物のディテール知識は細かく書き込んでおらず、好きではあってもめちゃくちゃ好きというわけではないのだろう。)

 水生生物好きとしては「じゃあ誰がこの子(生き物)たちを好きなんだよ!?」と言いたくなる。別にこれが放課後に駄弁るだけのボドゲ部とかだったらボドゲ愛情がなくても構わないのだが、水族館部というのは一応命を預かっているのだ。色々と心配になる。

 それでも水族館部の活動を通して、生き物への解像度とか、「生」というものへの関心とか、生きるって何なんだろうとか、そういうことに思いを馳せながら2人の関係にも有機的に絡み合ってくるのかなと思ったら、全然話に絡んでこない。岩陰から出てこないサンショウウオを「自分に似てる」と勝手自己投影するぐらいである。そして、お互いにどきまぎしながら日々を過ごす傍らで、なんか水族館部の活動もしているっぽいぐらいである。本当に傍らである

 少し話は逸れるが、先輩が部活をやってる理由想像以上にぼんやりしているのは悪い意味リアルだと感じた。卒業した先輩の意思を継ぐためとか、水族館部を途絶えさせないためとか、過疎化していく地域のためとか、部員が1人になっても意地で続けていたとか、ベタながら物語映えしそうな理由はいくらでも思いつくのに、そうしたエクスキューズ特にないのだ。まあぶっちゃけ高校生なんてぼんやり生きているのが普通ではあるのだが、学校行事として開館日を設定して、他部の生徒にも協力してもらってまで水族館地域開放を成立させているような状況でこのぼんやり具合はうそ寒さすら感じる。

 ここまで長々と語ってきたが、この作品水族館描写問題点は「リアリティのなさ」とその背景に見え隠れする「リスペクト希薄さ」に集約できそうだ。

 漫画リアリティで言うと、別に幽☆遊☆白書を読んで「死んだ人間が生き返るわけないだろ!」とか言わないし、NARUTOを読んで「実際の歴史上の忍者と違う!」とか言う人もいない。では『熱帯魚は雪に焦がれる』のリアリティのなさは、なぜ問題なのか。

 それはやはり実質的特定高校舞台にしているからだろう。

 創作のために多少手を加えたり省略したりするのは許されるかもしれない。しかし、この作品では生き物を扱う苦労を無視してしまっている。こうした過度な美化は、現実存在をただ作品を飾り付けるためだけに利用してしまっている表象ではないだろうか。

 これがボドゲ部や手芸部ならいい。真剣手芸部もあれば、放課後女子会のような手芸部もあるだろう。他の部活だってそうだ。

 しかし、水族館部は国内で唯一と言われている存在だ。

 手芸部でもなんでもよさそうな内容を、ただ画的にエモいからということで日本で唯一の水族館部に設定してしまうのは厳しいものがある。

 水族館デートというのはさまざまな作品で描かれてきた。現実デートでも定番スポットだし、漫画アニメドラマ描写するにしても水槽が鮮やかで、でも館内は暗くて、なんかエモい水族館を訪れる人はそれで十分だと思うし、水族館職員の奮闘に思いを馳せる必要はない。

 しかしこの作品では、その水族館を「内部化」することでエモさを恒常的に発生させていて、一方でその現実的な苦労を描いていない。それが「いいとこ取り」で「表面的」にしか思えない描写に繋がっているのだと思う。

 以上、水生生物が好きでもないと半分以上理解できない内容ではあると思うが、『熱帯魚は雪に焦がれる』に感じた違和感を記した次第である

 なお、論評するなら最終巻まで読んでからしろと言われそうな気もするが、連載形式漫画にそれをする必要性はないと思っている。

2024-09-19

大島渚岡本喜八もジョンカサベテスも映画のために自宅を抵当に入れてた。高畑勲なんて宮崎駿の自宅を抵当に入れてた。彼らはそんなのを作品の出来のエクスキューズにはしなかった。

2024-09-11

anond:20240911111017

暇空が結構あやういと思ってる人はそれなりにいた記憶

から、「都を追求する姿勢は」みたいな但し書きがついたコメントが多かった

はてブでこういう但し書きがつきがちな場合

「こいつのことはきらいだが、今回の行動は評価する」

みたいなコメントになるばあいが多く

既に暇空自身の人格は今回言及しないというエクスキューズ付のコメントであると読み取れた

2024-08-20

anond:20240820200109

一応、小学校の頃に掛け算の順序で点数を引かれたとか、

子供小学校テストで罰を付けられたとか、

そういうエクスキューズは用意されていない?

anond:20240820173810

ものすごく誤解をまねきやすい話をすると、

安倍晋三はまさに李登輝ポジションで、つまりエスタブリッシュメントの中のエスタブリッシュメントながら、エスタブリッシュメント利益分配機関という旧来の自民党を変質させていこうとしていた。

その企てや結果の全てを礼賛するわけではないが、少なくともアメリカ世界戦略の変化とは平仄が合う方向だったと思う。

進次郎は勘弁してくれと思うのはスカスカイケメンいけ好かねえというだけではなく、自民党先祖返りする方向だと思うからだ。

首相が目まぐるしくすげ変わっていた頃の、腰だけは低いが主権者代理人というスタンスが欠片も見られない時代に。中国の伸長にも無策、日銀もほったらかし、結局森元麻生みたいなジジイが裏で権力を振るっていた時代自民党に、進次郎の首から下はがっしり根を張っている。

安倍氏が死んで流れが止まった、これじゃいかんと感じてる有権者は少なからず居る。




別にエクスキューズしておく意味もないけど俺は別にホシュだの右寄りがお好みというわけではない。

2024-08-03

離婚してよかったこ

子供

(元:以降ほぼ省略)嫁がちょい洗脳というか感化されすぎで、子供もその影響を受けまくってた

一緒に暮らしている(別居しててでも繋がりが太い)と、父親の悪行が(誇張されたり、されなくても高頻度で)伝えられすぎて、子の判断が鈍るというか判断材料が偏る

そういう意味では、新しい材料を嫁に与えず、嫁経由でないありのまま自分で接することが出来てよかった(これは、そういう機会を与えてくれた嫁にも感謝

結局子供精神は(自分のせいも多々あって←こういうエクスキューズいらんよね…)ずたずたになったが、今後簡単には騙されないぐらいの知恵はついたと思うのがよかった

経済的

生活費の浪費(浪費タイプではなかったが、無償奉仕時間が無くなるので結果として浪費が加速)もそうだったが、お布施的なのがすごかった

結婚した時点から(夫の自分自身浪費癖凄いので)お小遣い制で管理してもらってたが、嫁の使い込み(学資保険とか)を見つけて、主導権を返してもらった

離婚までの数年間、実家の援助もかなり受けていたみたいでそこは義父母さんごめんなさいとは思う

無賃金の労働力奉仕も多くて働く喜び(働いては居ないので動く喜び?)より、食わねば食わさねば優先に変わらざるをえなかった影響大きい気がする(という想像

借金して寄付手前でギリギリ食い止まったので、どこの家計破綻しなくてよかった(実際に借金して寄付はしてたが、専業主婦枠での額×数枚だったので返せた)

親族

団体代表の)説明が上手いのか(それを流用すれば説得ぢからはある)、寄付先の活動肯定的に捉える身内も多かった。

が、完全に搾取というか詐欺しかないとストップかけるほうも居て当然で、揉めかけてた

なんか頻繁に触れてしまうとヤバい匂いがぷんぷんして、結果的にみんなこそこそしてたので、極端な対立は怒らずに助かった

自分夫婦のせいで無駄な諍いをおこずに済んでよかった

趣味

奉仕を断って趣味してたら、捨てられたりした。

趣味複数あったり、パッと見の価値自身での本質的評価がわかりにくかったりで、致命的なところは捨てられずに済んだ(ゴミ回収車来る前に救い出せたり)

そもそもめっちゃ集めるが冷めやすいとかもあって、20年前のものとか自分で捨ててしまってるのと、

金額はかかってるが、評価額がそもそも低い、上がる見込みがないのと、などなどでほんとにその時一番大事ものは、数点で済んだ

今後は勝手に捨てられなくなってよかった

性欲

嫁のことは異性としてどころか、人としても認めたくないぐらいになったので

(キレ散らかしてくる時は顔見るだけで動けなくなったり、そこまでじゃなくても、動機や汗など。なんとか激高状態対話を試みれるようには慣れた)

もちろん溜まる一方

籍が入ったままだったのとか色々(慰謝料とかの絡みもある)で、浮気風俗も行きたくなかった。行けなかった。

一度だけ、ほんとに自分人生を終わらせたくなって、その覚悟ともに、若い女性の下着を見て というよくわからない衝動で、そういうお店に行った。

所謂下着だけを見せてもらって自分で致すところ。

時間もかからないし、そこまでお金がかかるわけではない(他のことを切り詰めたら、そこそこ通える)

結果的に、初めに指名した人の下着を数回見せていただいて(関わる異性を増やしたくなかったのでリピ)、どうしてもって時に他の女性指名したりした

その、二人目の女性が今の嫁さんです

なんてことはなく、ただ、時間露出サービスレベルが上がっていった(もともとそこのオプションというか別コースでお触りサービスも、ハンドもあった)

たまにデリヘルさんを呼んだりするようにもなった

そっちの話は専門家に譲ることにしま

おやすみなさい

2024-07-17

anond:20240717131043

例えば流行りのキャラばかり描いていたらそれが不満な人もいるじゃん?

そういう意に添えない期待に対するエクスキューズなんや

2024-07-04

役に立たない高学歴の特徴

自分自身はまあまあの学歴だけど、家族や知り合いに高学歴の奴が結構いる。

そういう奴らとプライベートな付き合いをしていて、気付いたことがある。

日本高学歴が役に立たないのには、性別年齢を問わず明確なパターンがある。

それは一言で言えば、

知ってることは出し惜しみするくせに、知らないことにはむやみに口をだしたがる

ということだ。

 

自分が知ってることや専門知識に関することには無駄に慎重になる。そりゃあ、よく知ってるからこそ細かいことが気になって断言しづらいというのはわからなくはない。

でもその場に自分以上の専門家がいない場合、率先して「自分ならこう考える」くらいの意見は出してこそその学歴には意味があるんじゃないか

というより、そういうところでしか役に立たないのが本来学歴だろう。

あそこまで過剰に出し惜しみされると、慎重を通り越してただ間違いの指摘を恐れる学生気分が抜けてないだけにすら見える。

 

さらに、そういう無駄な慎重さはあるわりに、自分の知らない非専門分野では変に自分意見に自信をもって素人見解アピールしてきたりするのでは、もう本当になんのエクスキューズにもならない。

でもこういう場面では、彼らはどうも自分の「なんにでも応用の効く理解力」みたいなものを逆に見せつけてこようとするんだよな。

素人意見は結局素人意見なのに、素人意見のなかでは自分意見には価値があるはずだという謎の思い込みが強い。

 

これはたぶん日本のお勉強文化問題なんだろうね。

彼らはその学歴を通して「学んだこと」自体には価値を置かない割に、「その関門をクリアした能力」には無駄に大きな自信を持ってしまってるんだ。

よく言う「難関大学入試クリアしたことけが評価されて、大学で何を学んだかは問われない」という日本教育制度問題が、こんな風に現れてしまってるんだ。

 

大学で学んだ結果得られるのが、専門教育を受けた人間責任意識ではなく、こんなクイズ王くらいの無駄自尊心しかないのだったら、そりゃいくら教育レベルを誇っても、それが世の中のためになるわけはないよな。

まじ、日本高学歴、役に立たない。

2024-07-02

anond:20240702190821

こうやって人はだまされるのか

①~⑨まであげておいて、⑥までに関して言及するのがだましのテクニック

一応書いておきましたよとエクスキューズしておいて、そこには触れないやりかたな

こういう奴ばっかだからSNSで騙されてる奴が大量にいるんだろうなあ

2024-06-23

anond:20240623065436

アカデミアの中の人です。

(言っとくとオープンレターはうさんくせーと思ったか署名してないんでオープンレター勢の責任を擦り付けないでね。「オープンレターで◯◯って言ってたろ!」とか言われても困るからね)

こういう事案に関しては,2つの矛盾する立ち位置があるように思う。

こんなん,別に大学関係者じゃなくたってちょっと考えれば矛盾してるってわかるんだけど,草津の件が起きるまでみんな本気で冤罪可能性を考えてこなかったんだね……とビビってる。

阿部幸大さんの「クロだった場合でも現時点でのリンチ遡及的に正当化されるわけではない」という発言は,文脈抜きでそこだけ読めばめちゃくちゃ正論なんだけど,そうすると「告発をみんなで支援しよう」みたいな運動基本的に慎むべきという話になるし,私はそれでいいと思ってたし思ってるんでまあ別にいいんだけど,皆さんはそういう立ち位置でいいんでしたっけ? って言いたくなる人が一定数いるんだよな。

で,まあ,積極的義務消極的義務とを照らし合わせて考えたときに,「告発を見捨てる」は積極的義務の不履行(他人を助けない)に過ぎないけど,「無実の者をネットリンチする」は消極的義務に背いている(他人を害する)わけだから,まあ個人としては現行犯とか自分も見たことありますとか告発者が教え子なので立場上味方をしてあげないととかそういう場合じゃない限りは見捨てる側に全振りしといたほうがいいんじゃないのと思ってます他人を助けないことより無実の他人を害する方が悪いでしょJK

でも皆さんってこれまでそういうご主張でしたっけ? それはそう。さすがにオープンレター署名とか草津町長バッシングとかしてきた人たちに関しては,今回の小山(狂)の告発に乗っからないのは首尾一貫性が取れてなさすぎるから「恥を知れ」という感じ(もちろん,「草津の件で反省したので今後はああい告発に乗っからないようにします」と反省している場合は,草津の件で反省した結果として今回の告発に乗っかっていないということなので,まったく問題ない。無法なネットリンチ過去反省できてえらい!)。

逆に,草津の件で事実確定前のバッシングに反対してた人たちは,今回の告発事実が明らかになるまで静観すべきだと思う。これだけバッシングしておいて,実は神山翼さんは無実でした,みたいな話になったらどうすんの? 草津と同じパターンよ。そういうネットリンチは良くないっていうのが草津の教訓じゃなかったの?

草津胡散臭い告発だったが,今回の告発には迫真性があって真実っぽそうだから支持,というのは危ういと思うよ。町長レイプ犯呼ばわりしたメディア草津の嘘つき町議の主張にリアリティを感じて報道したわけだし,自己判断真実だろう運転をするのは良くない。インターネッツ教習所免許取り直そう。沈黙は金だよ)

被告発者のリアル友人が,「あいつはそんなやつじゃない!」って弁護すること自体はいいんじゃないかなーって思うけど,どうだろう。仲の良い友達が悪いことしたって訴えられてたら,「あいはいいやつなんだ」」って言いたくなるのは人情じゃない? もちろん,告発者を嘘つき呼ばわりしたらそれは積極的な加害になっちゃうけど,「私は彼/彼女の無実を信じる」と発信すること自体は,直接的な加害にはなってないわけだから別にいいのでは。

え? フェミニストの皆様はそういう弁護をセカンドレイプと呼んで非難してきた? ああ,そういう過去発言があると大変っすよねえ。

そういった過去発言との齟齬が,多くの人の憤激を買っている面があるというのを,いい加減一部のアカデミアの人は認識すべきだと思うんだよな。一部のアカデミアっていうか,フェミニズム研究者だよ。「女性悪事告発する側」っていう前提で色んなものごとへの対応基準を設定していってまわった結果,悪女存在とか嘘つき女性の出現とかで自縄自縛になって苦しんでるようにしか見えない。

とある有名人性犯罪疑惑について「もちろん彼が無実の可能性もあるので,現段階では軽々しいことは言えないが」というエクスキューズをつけただけでセカンドレイプだというご指摘をいただいたこともあるぞ。ちょっとでも冤罪について考えたことがあればこんなアホな発言はできんだろ。どうも女性論客弁護士とかを除くと冤罪への危機感が薄い傾向にあるように思う。大崎事件とか東住吉事件とか湖東病院事件とか徳島ラジオ商殺し事件とか,女性人殺し濡れ衣を着せられた事件だっていくつもあるんだが……)

とにかく,「女性感情」を判断基準行動基準にするのをやめろ。公平性とかそういうのをもっと大事しろ。女だろうが男だろうが当てはまる原理原則を設定しろ簡単ことなんだから

追記

いよいよアカデミアの人はSNSをやらないが唯一の正解に見えてくる…(それでいいのか)

これはマジ。「twitterインテリパチンコ」って10年以上前から言われてるから

SNSで身を持ち崩すアカデミシャンはマジでパチンカスと何も変わらん。SNSとの適度な距離は才能が要るやつなので,才能がないやつはSNSやめたほうがいい(SNSの才能がないことは何も悪いことじゃないから恥じなくていい。むしろパチ中になって評判落としたり論文落としたりすることを恐れるべき)。

2024-05-30

anond:20240530174744

夫が言ったってテイでケンカ売られてるだけでしょ

自分責任逃れしながら他人攻撃するってやつ

上司がこれに似たタイプだったわ

自分はいいけど他の人がみたらこう言われるから修正しようねみたいな

いやそういうエクスキューズいらんねんみたいな

すげーいらっとすんのよね

せこすぎて

2024-05-28

ぷらっとば〜す所感

ぷらっとば〜すは、「我々はセキュリティ考慮しており他所様に絶対に怒られないルールを作った」というエクスキューズに極振りした結果、孤独孤立対策目的したメタバースなのにコミュニケーション禁止という狂った地獄を生み出したとこにアートっぽさを感じた

https://www.notalone-cao.go.jp/category/monthly/metaverse/

2024-05-27

美味しいものを食べたい気持ち>>>>>>ダイエットしたい気持ち

特にものは、年を取ったら(胃もたれで)食べられないかもしれないから今のうちに食べておこう!というエクスキューズが生まれがち

多少ぽにょっても許してほしいよ

2024-05-17

anond:20240517170341

正論なので驚かないでくださいね。なろうと思ってオタクになる時点でもうそれは別物なんですよ。

まともな事ができない人間でも何かすごいことをしているかオタクというエクスキューズによって社会に認められたい、なんて甘ったれる道具にオタクを使わないで下さい。

2024-05-14

漱石的な、ポリコレ的な、国語

 ぶっちゃけ増田的にはこれ愚問でしかないんだけど、たぶんみんなタイトルだけ見て完全にこの記事の内容勘違いして想像してると思うんだよね。

 この記事は、実はその勘違いがどっから起きてんのかって話です。

 夏目漱石の有名な一節「精神的に向上心のないもの馬鹿だ」と、昨今みんな当たり前のように理解したつもりで使ってる「政治的な正しさ」が日本語の乱れによってどんな風に誤って解釈されているか

 まあこの辺でちゃんとしてる人はもう気づいてると思うけど、それは「的な」という便利ないいかげんな日本語表現から来てるよってことを述べる記事でござんす。気づかなかった君こそ読もう。

 

精神的な向上心、あるいは向上心精神的にないって何だ?

 「精神的に向上心のないもの馬鹿だ」って言葉は、国語の授業で「こころ」を読んだ中高生はたいてい知ってる。

 ときには授業のあとにクラスで、冗談めかして馬鹿馬鹿だと言い合う遊びが流行ったりしただろう。

 でもその意味を本当には理解できているのか? 「精神的に向上心のないもの」とは何だ? 「精神的にでなく向上心のないもの」とは何が違うんだ?

 その答を見るために、この言葉が使われた文脈を見てみよう。

 この言葉は作中で計二回用いられている。一度めはKが何気ない場面で「私(若き日の先生)」にかけた言葉。そして二度めは、それを反復して「私」がKにやり返した言葉だ。

 最初の場面にはただこう書かれている。

Kは昨日自分の方からしかけた日蓮の事について、私が取り合わなかったのを、快く思っていなかったのです。

 つまりKにとって「精神的に向上心のないもの」とは、ただ「日蓮の事について取り合わなかったもの」のことなのだ。

 次の場面には、これをもうちょっと細かく解説した文がつけられている。

Kは昔から精進という言葉が好きでした。私はその言葉の中に、禁欲という意味も籠っているのだろうと解釈していました。しかし後で実際を聞いて見ると、それよりもまだ厳重な意味が含まれているので、私は驚きました。道のためにはすべてを犠牲にすべきものだというのが彼の第一信条なのですから、摂欲や禁欲は無論、たとい欲を離れた恋そのものでも道の妨害になるのです。

 ここでは「精神的に向上心のないもの」とは、一言で言えば恋をするものということになっている。

 もうだいぶ見えてきた。実はこの「精神的に」という言葉は、君たちが思ってるよりだいぶシンプルで、現代となっては時代錯誤過ぎて本気には取れないような内容なのだ

 最後に、だめ押しで「精神的に」を英訳してみよう。

 spiritually

 そう、Kにとっての「精神的に向上心のないもの」とは、ただ単に宗教的精進をしないものということなのだ。

 普通向上心、つまり立身出世とか勉学の追究とか、そういう現世利益とは程遠いという意味で、わざわざ「精神的に」とつけているのだ。

 

政治的な正しさと、環境的な正しさ

 同じ切り口で、「政治的に正しい」についても分析してみよう。

 つまり、「政治的」以外の正しさには何があるのか?

 これは英語のpolitically correctの訳語なので、英語で調べるのが手っ取り早い。オックスフォード英英辞典のcorrectの項目には、こんな類似表現が紹介されている。

 environmentally correct

 環境的に正しい、とでも訳そうか。これはどういう意味だろうか?

 普通に考えれば、平易な日本語で言う「環境に優しい」くらいの意味だろう。まかり間違っても、本音では違うんだけど環境配慮して用意した建前、なんて入りくんだ意味ではないだろう。

 それなのになぜ、「政治的に正しい」という表現になると、そのような皮肉を含んだ偽善的なニュアンスもつものになると考える人がいるのだろうか? 同じニュアンスで「優しい政治の」くらいにふんわり理解しても良さそうなものなのに。

 

 結論を言えば、これはひとえに「的な」という便利な、それゆえに乱暴に使われがちな日本語表現問題から来ている。もちろんそれと、そういう曖昧さを悪用しようとするずるい詭弁愛好精神にもよるものだけど、これを言い出すと話がややこしくなるので触れません。

 

オレ的オマエ的な解釈を持ち込むな

 「的な」という言葉は、上で見てきた例のように、英語名詞から作られた形容詞を直訳するための便利な接尾語という側面がある。この場合、もとの英語意味内容をそのまま適用して、その名詞事柄に関するものというくらいのニュアンスしか持たないとおおらかに解釈しておくべきだ。

 しかしここに何故、もっと皮肉ニュアンスが含まれると勘違いしてしまいがちなのか。

 君たち的にはどう思う?

 

 ……そう、つまりこういうことだよね。口語のブロークンな表現として、「オレ的には」「アイツ的には」なんて言い方で、その人にとってはそうだけど、他の人には必ずしも理解されるわけではないよっていうエクスキューズ言葉に使われているからだよね。

 でも注意深く考えてみればわかるけど、それは一般形容詞を作る場合特に外国語を訳して作られた言葉場合には何の関係もない、あくまで「的な」の複数意味内容のひとつにすぎないんだよね。それこそ、「口語的」にはそうだけど、堅い術語では違うわけ。

 こういう解釈で「精神的な」「政治的な」を解釈したら、本来意味が薄れちゃう。「政治的な正しさ」に建前だとか皮肉意味なんてないし、「精神的な向上心」は「気持ち的に高まる」みたいな曖昧意味ではない。

 「的な」ほど、便利だけど危険表現もないわけだ。

 

 増田的には、みんながもっとこの点に注意深く、誠実になってくれることを切に望むよ。将来展望的に。

 

2024-05-08

anond:20240508162205

いい提案だけど (笑) のように形骸化するかもね💢💢

今の時代(笑)冗談ですよーなんてエクスキューズにはならず、煽りしかない💢💢💢

明らかにどうでもいいだろってことに怒りレベル5💢💢💢💢💢を付ける冗談流行って怒りレベル形骸化して…また新しい憤怒記号必要となるかも💢💢💢💢💢

スタッフが美味しくいただきました」や「画像イメージです」の必要性

普段から広告などにおける「スタッフが美味しくいただきました」や「画像イメージです」などの注釈に対して、「バッカじゃねえの」と思ってた。

けど、新しいiPadプロモーションビデオに対する、あまりにもナイーブな反応を見る限り、日本人には必要エクスキューズなんだなと実感した。

あなたたちは、一生「スタッフが美味しくいただきました」や「画像イメージです」で、胸を撫で下ろしてなさい。

2024-05-07

anond:20240507190524

前にも増田で書いた気がするんだけどこれ、話の枠「リーンの翼」なんだよな。

特攻の失敗という「挫折」を抱えて生きてきた主人公が「特攻のやりなおし」の機会を得て自らに決着をつけるという。

リーンの翼は随分古いからまだいいかって思うし、主人公行為は実はそんなに意味は無いって言うエクスキューズもあったわけだけど、令和ですよいま。

あいオチになったんだからいいじゃんじゃないですよほんと。

かいうけど、さすがにゴジラコングの新しいのよりはマシなんだよな。せつないところである

2024-05-04

フーリガンオタクの読解力不足漫画表現を殺す例

インベスターZの炎上事例 https://anond.hatelabo.jp/20240503185920

には、昨今のオタク的ないちゃもんの付け方がどんな風に表現を殺しているか典型例が現れている。

 

それはこの箇所だ。

 作中に「ぼくの見た奴は面白かったから」という理由で、映画を「損切り」出来なかったことを正当化している部員がいる。これ、普通の読解力で普通に読めば、作者のエクスキューズである。(中略)しかし、これすらも、号泣暴走グルグルパンチと化したオタクには「作家自身も気づいてない矛盾を俺が指摘してやる」といういちゃもんのつけどころになる。

 

漫画キャラクターによって論調を緩和する

 インベスターZの作中では、──わかる人はわかって当然なのであえて意識もしないが、──キャラクターの相対化による論調の緩和というものを行っている。

 作中に、ある意見強硬に述べるものがいても、それに明らかに賛成していない人物を出すことで、その論が絶対ではないという作者の立場を示すマーカーである

 当たり前すぎて言っててバカらしくなってくるが、どうもこんなことすらわからないのが今やオタク評論家だを気取ってネットで偉そうにものを語るやつらの一大勢力に成り果てたのだということを、残念ながら痛感せざるを得ない。

 

漫画を読み取るには高い知能が必要

 ではなぜそんなことをするのかと言うと(これもわざわざ説明しなければいけないというのがバカらしいが)、台詞の流れを読みやすくするためである

 漫画文章とは違う。一人の人間がある立場意見を示しながら、その意見絶対ではないしそれを判断するのは相手自由であるなんてことを一人で全部語っていたら、台詞が長くなるし読みにくくなる。

 だからそのかわり、意見の相対化は複数キャラクター不同意空気によって読み取らせることが基本になってくる。そういう意味では漫画の読み取りには、ある種の本などより知能がいるのかもしれない。

 

オタク表現の敵になった

 あるキャラクターが述べていることだけで作品テーマを早合点し、それに反対するキャラクターもまた作者の手による創造であることを忘れるような理解力の低いオタクには、作品を語る資格なんかないし、こういう連中がのさばればのさばるほど漫画表現は萎縮し後退していくしかないのである

 オタク表現の敵だ。

 

2024-05-03

インベスターZの映画損切りの件で、カルト勧誘を思い出した話

俺は個人的にはね、邦キチは映画をサゲないのが良いと思う派なわけよ。

名作も迷作も世の中がそう勝手に言っているだけと言わんばかりの強烈な邦キチの熱量部長が適宜突っ込むという作劇が絶妙バランス映画自体を貶さないで済んでいると思うわけよ。

あと、あん清潔感のある同衾への動線ある?押し入れから枕だけ取り出してswitchと一緒にやってくるみたいな。乾いているわけではなくしっとりもしていない青春空気感俺もう怖いよ。

なんだっけ (( 閑話休題 ))、そうそうXで燃えるほどでもなく話題になってたインベスターZ(インベ)の話ね。良い宣伝だよね。WinWinだよね。

でも俺はカルト勧誘を思い出してゾッとした。

いま公式ポストで該当回読めるから読むと良い経験になると思うんだけど、これ流れがすごい怖いんだよね。

まず、ラーメンおごってもらえると思って部活の先輩についていったら、観ろって言われて「感動作、大ヒット」ってポスターに書いてある映画を"見たくもない"って自分で言っておいて、自分で金払って観始めるんだよね。

もうここが怖い。ナチュラルにその集団の中の指示に従うという刷り込みが終わってる。見ないとラーメンおごってやらないぞって言うエクスキューズ言い訳)も準備してある。

怖い怖い。映画観る金でラーメン自分で食えよ。もうそ集団の中のイベントに参加するためには身銭を切る必要があるって意識に上ることすら無くなってる。

で、まあ映画を観始めてクッソつまんねぇなあって思うこと自体はアリだと思うわけよ。ここを否定する映画好きはまずいないと思う。

ただ、インベ作中の主人公が「客をバカにしているとしか思えない!」みたいな感想に、あれ?みたいな違和感を感じると思うのよ。

で、映画館で席を立ってしまう。まあこれも個人的にはアリだと思う。トイレで席立つ人を想像しなくても、まあ、割と映画祭とかでエログロの時って席を立つ人、いるよね。

個人としてはXでの風潮とは別で、観たくもない映像押し付けられたときに見ないという選択肢を取るのは決して映画嫌いを意味しないと思ってる。

映画って体験として強烈だからトラウマが刺激されるとか全然あると思う。

感情を揺さぶる力が映画にはあると思っているし、だからこそエンタテインメントとしてこの感情の揺さぶられ方は嫌だと言って拒否するのはアリだと思ってる。

から安心してほしい。少なくとも俺は映画の途中で観るのを止める人が映画好きを公言してても別に普通のことだと思う。

ただなあ、インベの席の立ち方って「こんなもの最後まで観たらバカになる!」とか言って席を立つんだよね。

そのあと、実は何分で途中で出てくるかが、その集団投資部)恒例の賭け事の対象ってのは、まあそういう部活の謎の伝統あるよね、みたいなのは判る。

ただね、その後たぶん、ん?って思うセリフがちょくちょく作中の人から語られるのよね。

この賭け事の伝統っていつからやってるんスか?あー、映画大衆化した戦後のことだろう、とか。

映画最初の5分で面白いかツマラナイかわかる、とか。

(5分でツマラナイってわかるヤツがレコードタイム18分っていうのが、微妙リアルちょっと面白いけど。宣伝10分+本編5分+退出3分だとありそう)

まあ、時間無駄だと思った後、惰性でみるこた無いんでは?ってのは、その通りだと思うわけよ。

いやー、映画最後どんでん返しがあるかもよ?という意見があるのはわかるけどさ、ソレ、ホント有言実行してる?とも思うのよ。

あー、一本の映画とあるかもしれないけどさ、アイアンマン観てこういうアクションものは肌に合わないかなーと思ったとしてさ、いや経験になるしそこは映画好きならマーベルシネティックユニバースは全部観てから語るべきでしょ、とホントになってるかなーと。

今期1話で切ろうと思ったアニメちゃんと完走してから1話を語るようにしてますか?という。

もちろんね、エンドレスエンドレスエイトを実況板に張り付きながら見経験は一生の思い出にはなっているけどさ、それを強要できるかな、という。

うそう、で、インベの話ね。

投資部に入るものはさっさと席を立たなければならない、というあたりが、カルトっぽいのよ。

選択肢錯覚に近いんだけど、ここまでで既にインベの世界観共感する読者には刷り込みが終わってるわけよ。

大ヒットするような感動作は、観るとバカになるような映画だ、大衆化した映画なんてものは、投資家が観るようなものでは無いっていうね。

ソコを前提としたうえで、つまらないものをつまらないと思いながら最後まで観ることを何の価値もないと断ずる。

しかしたら最後面白くなるかも、とか、挽回する可能性は低い、ではなく、ハッキリ言いきる。

株価の話で損切りの話もしたうえで、金よりも時間大事と気づいたお前はテストパスしたと言う。

作劇としても大変に巧みで、「いやいやそうは言っても最後最後面白くなるかも」という反論を「それっていずれ株が上がるかもと思って塩漬けしてるのと同じじゃん」と"自分で"気が付けるようにしてある。

インベの主人公も、自分で気づいたという点を評価してもらっている。

これものすごくカルト勧誘っぽいのよ。

インベの主人公は、なんだかんだと言いながら、全て自分で行動している。

自分お金映画チケットを買い、自分映画を観て、自分映画を途中で観るのを止め、その行為を「お金より時間大事とオマエが気が付いた」と評価される。

誘導はされているけれども強要はされず、解説はされているけれども自分で気が付いたことにされており、不満点は相手が聞いたうえで断定的に回答する(「過去は忘れる」)。

ホモソーシャル部活動の体だからそこまで違和感はないけれども、これ、同様の体験大学入学時に魅力的な先輩からなされたときに、それってカルトではって気が付けるか俺には自信は無い。

しかもよ、背景にはうっすらと自分は凡人とは違うっていうエリート意識というか、投資意識みたいなものがあるわけよ。

ラーメン屋に誘うというフレンドリー関係性、映画館で途中で席を立つという"他人とは違う"体験損切りという部内で通じる単語を通じてグループ内の価値観を共有していく。

しかもこれ、漫画としても同じ構成になっていて、漫画というなじみのある媒体で、大衆の感動するような映画には流されない俺というちょっとしたアルアルを追体験させて、損切りという価値観を共有している。

ココに対して、「いやーその価値観はこれこれこういう理由で狭量だよ」と伝えても、おおむね反発を受けるか、わかってないヤツ扱いされると思う。

だってこれカルト洗脳の手順をそっくりなぞっているもの

しかも大変に良くできた作劇なので、漫画を読んでなるほどと納得した人は、映画最後まで観る派に対しては「ああ、こいつは損切り出来ない投資家に向いてないヤツなんだな」と思わせるようになっている。

俺はカルトの脱退のさせ方は詳しくないのであんまり的確なことは言えないんだけど、あの漫画に納得する人を否定したり馬鹿にしたりするだけでは、少なくとも価値観を変えることはできないだろうな、と思う。

そして、インベスターZという漫画の作劇は、少なくともあの映画損切りの回は、とても怖いと思った。

実は同じくらい、今回の件で映画最後までみる経験派も"危うい"と俺は思っている。すごく配慮したコメントしている人もいる一方、そうでない人もいるから。

映画は数あるエンタテインメントのうち一つでしか無いので、それを重視しない人生もまた、俺は尊重したいと思う。

サタンタンゴを観た人類しか得られない経験は間違いなくあるけど、それを貴重な経験だよって誘う勇気は俺には無いから。

あと、最後まで観る強硬派は、MCUのエンドゲーム以降の観る順番を教えて下さい。ワンダヴィジョンくらいからついていけてないです。お願いします。

インベスターZの炎上オタク気持ち悪さを凝縮している件

注意:ここで言う「オタク」は表現の自由戦士とかポリコレリベラルとか一切関係なく、漫画映画必要以上に入れ籠んでる、SNSに常駐するすべてのコメントイナゴのことである

 

https://twitter.com/investorz_mita/status/1785504430030475277

 ↑このインベスターZの切り抜き広告がX上で炎上している。

 自分にはまったくもってよくある誇張した漫画表現以上のものは何も見られず、また誰かを侮辱しているわけでもないので、何をどう炎上させる必要があるのか一切わからないが、これに対しX上のオタクコミュニティが親を殺されたような勢いで群がっている。

 このリプライ、リポスト群を見ると、「オタク」(繰り返すが、エロ表現とかポリコレとか以前に、漫画映画必要以上に入れ籠むオタクすべて)がどうして普通の人に醜悪気持ち悪くて有害存在と感じられるのか、その悪いところがすべて凝縮されている。

 以下ではそのポイントをいくつか挙げるので、人間的におかしオタクをやめたいオタクは読むと良い。

 

バカにされた」と勝手に思い込む当たり屋劣等感

 この漫画の中では、別に映画損切りしない奴はバカ」とか言ってるわけではない。ただ、「映画損切りする奴は投資にも向いている」と言っているだけである。「投資に向いていない」(それだって、作中に出来なかった部員がいるように、完全な落第扱いでもない)と評価されたからと言って、なぜ人格否定されたように怒る必要があるのか? オタクのこういう時折爆発する当たり屋劣等感は、ちょっと常人理解の域を超えている病気である

 

「悪役」属性なら何をしても良いといういじめ体質

 コメントを見ているとわかるが、この異常な拒否反応の裏には「投資家」という、漫画パターンとしては冷酷な悪役と見なされがちな属性に対する先入観に基づく全否定が根源にあるように見られる。「投資家は冷酷だ」「投資家は他人バカにしている」「投資家は豊かな人間生活否定している」という偏見に基づいて、作品普通に読めば読み取れるキャラクター人間性をまったく読み取らずに、何か妄想上の「悪の論理」を勝手に見いだして「どんな無理ないちゃもんをつけても良いもの」という扱いをしている。敬意を持つなんて建前すらない。

 

自分矛盾してるのに相手矛盾してるとすりかえ

 作中に「ぼくの見た奴は面白かったから」という理由で、映画を「損切り」出来なかったことを正当化している部員がいる。これ、普通の読解力で普通に読めば、作者のエクスキューズである。「これは彼らの遊びに過ぎないよ。『つまらない映画』なんて単純な評価はできないし、彼ら自身もそれほど信じてるわけじゃないよ」という意味を込めてなければ、作家はこんなセリフを書かない。しかし、これすらも、号泣暴走グルグルパンチと化したオタクには「作家自身も気づいてない矛盾を俺が指摘してやる」といういちゃもんのつけどころになる。こういうのに絡まれときの面倒臭さは、増田も覚えがある。

 

漫画手法自体否定

 そもそも、これは漫画物語である。極端なキャラクター設定をして、極端な立場からものを言わせることでテーマを浮き彫りにするというのは、シナリオづくりの最も基本的スタイルである差別的思想を語るわけでもなく、ただ「映画損切り出来る奴は投資に向いている」という程度の思想をもって極端なことをするキャラクターぐらいを肯定的に描いただけで否定されるのならば、「漫画面白ければ良い」だって「男なら戦え」だって「命を食べて生きる」だって普通は極端であえて日常の中で主張はしないようなテーマである。これらのオタクは、そもそも漫画表現手法のもの全否定している。

 

結論表現を殺すのはオタクである

 結局のところ「オタク」には、創作に敬意を持っているからこそオタクであるという建前どおりの存在は少ない。少なくとも、SNS等で声の大きい奴らほど、そんなところから全然遠い。奴らにとって本当に大事なのは自分」(劣等感を抱えて何かにすがりたい自分)なのである漫画映画という創作物は、奴らにとっては道具に過ぎない。自分劣等感をすがって誤摩化して糊塗するための道具だ。だからこそ、自分の劣情が発揮された瞬間に、創作物や表現者に対する最低限の敬意すらゴミのように捨ててしまう。作品を好きなように切り取りして読んで、書いてあることをねじ曲げ、ごくごく当たり前のデフォルメ手法すらもあっさりなかったことにして見せる。

 

 オタクと言うのは、漫画映像という他人創作物を身勝手に援用して、自分劣等感攻撃性を解放したいだけの、要するにフーリガンなのである

 

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