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はてなキーワード: サタンとは

2022-05-09

日本神話に、「女神男神告白」したせいで障害児が産まれたので、

障害児を川に捨てたというエピソードがあるけど、女から告白されるような男はクソであるという妬みだろこれ。

アダムとイブも、アダムと付き合ってたリリスアダムを捨ててサタンと付き合うようになったから、

リリス悪霊サタン悪魔という扱いをされて、アダム肋骨からできたイブ最初の女とされているけど、これも捨てられた男の妬みだろこれ。

2022-04-27

マスゴミが、男にはブスとホモ要素を押し付け、女には金持ちイケメンにとってだけ、都合の良いように幻想を植え付けようとする理由

 マスゴミコンテンツは、男向けは、全て、ホモとブス女の押し付けであり、女向けは、金持ちイケメンに全てを捧げれば幸せになれる、みたいなデタラメを植え付けるものばかりだ。

 このイケメン像というのも、歪み、おかしくなった理想化で、要するに、支配階級容姿理想として押し付けているだけ。

 男にブスとホモ押し付けようとするのは、紛れもなく、自分たちが興味ない女か、男同士で我慢してろ、という押し付けだ。

 連中には、男色文化根付いているので、美少年なら犯されるように仕向ける。

 その全てにおいて、ただ、自分たちがヤリ捨てしてゴミのように扱われても、憎むな恨むな、大人しくただ都合の良い存在でいろ、というメッセージが付けられる。

 だから少女漫画なんかは、浮気されて捨てられても、一方的我慢させ、都合の良い女のままでいれば、最期幸せになれる、みたいな展開になる。

 実際は、そんなことしても、上級国民以外の女は、最期は薬漬けにされてポイか、自殺するように仕向けられるか、本当に事故病気などに見せ掛けて殺されるだけだが。

 連中には、鐘と権力を使って、大金がないと摂取し続けられない薬物を、付き合いでやらせポイ捨てした後は、勝手に禁断症状で破滅するように仕向けたり、心臓病に見せ掛けられる薬物を手に入れたり、医師を買収して、カルテ改ざんさせたり、危険海外殺し屋を雇うことだってだって出来る。

 連中とお近づきになり、都合が悪くなったら、後ろ盾のない者は、簡単に始末される。

 すべては、マスゴミ信者で、連中を理想視し、連中に心も体も赦したもの自業自得なのであり、連中と性行為する者は、サタンの一味に加えられる。

2022-03-22

アダムとイブ神話はありえないほどキモい

人類が皆、「自分肋骨セックスしたキモ男」の子孫だなんて考えたくない

しかアダムイブアダム肋骨)が与えられたのって、アダムリリスに振られて惨めな様子を、神様が同情したからでしょ

神様に同情されて自分肋骨に腰振り射精…ゲボ惨め最底辺じゃん

こんな奴が人類共通祖先だなんて最悪の物語だと思う

どうしてこんな物語を受け入れて信仰する人間大勢いるのか理解できんわ

人類リリスサタンの子と考えたほうがましに感じるね

リリスサタン悪魔扱いしてるのは、リリス寝取られ非モテサタンを妬んでるだけでしょ

取られたってよりリリスアダムに腹を立てて振って、サタンを選んだんだけど

まあ人類共通祖先アダムイブでもリリスサタンでもなく絶対アフリカの猿だけどね

2022-02-03

anond:20220203110614

お前は審判の日に「俺に石をフルスイングした罪」によって復活を許されず、地獄の最下層に落とされてユダブルータス共々サタンに頭を齧られ続ける運命が待っている。

2022-01-18

anond:20220118093758

まあ一般漫画で出てくるときは「ふたなり」というより「両性具有」という扱いだからな。

デビルマンサタンみたいに「性別を超越した存在」みたいな感じで扱われることが多くて、

エロ漫画の「ふたなり」ほど気軽に使える感じではない。

2021-12-05

anond:20211205191533

ブックサタンのせいでクルシミマス、ってか!

ブックックッwww

2021-11-29

所詮マスゴミテレビ局も、いつでも殺してオーケーサタンカスゴミ奴隷餓鬼どもでしかない。

カトリックプロパガンダをしてるだけ。

この先、カトリック移民がやってくれば、即用なしで消え去るカス

まあその前でも余裕で消し去ろうと思えば消し去れるけどね

こいつらサタンの犬を出来る限り早く殺しつくせ。

マスゴミに従ってる工作員は、犬の犬という最低ランクのどうしようもないゴミ

高市早苗とその協力者と高市早苗に票を入れた者は一人残らず永遠に赦されず殺せ。このことは他の全てに優先し、このことを全力で行わなかった者は全て私を迫害し、永遠に赦されることはない

今後わざと私がヌケないようにポルノを作った者からは全ての赦しを剥奪し、永遠の滅びに定められる

 連中のコンテンツの中で、やたら女が予言者的な働きをするのは、こうした女のポチ預言者どもが、権力者弱者を虐げても笑って許してくれるからだ。

 それは神のものではない、サタン傀儡だ。

 権力者弱者が踏みにじられるのを見て許すような女を崇める者たちは、みなサタンの徒だ。

 ならば私も、連中に対して何をしても赦そう。

 そのように権力者を赦すというなら、私に従うものも、連中に対してはどんな理不尽権力行使することを赦す。

 糞女どもは、マスゴミ尻尾を振り、一部の男たちをキモいブサいキモオタ侮蔑して笑い、恋愛市場から放逐し、そのくせ結婚できないと喚き散らしている。

 彼女らには結婚は愚か、どんな慈悲にも値せず、むしろそうした女どもを少しでも助けようとする腐れ偽善者のせいで、何の反省もせず、一部の男たちだけが放逐される。

 マスゴミ糞女だけでなく、それらに手を貸す偽善者たちにも、恋愛結婚も愚か、少しでも性的に充足する資格はなく、連中がオタク男たちに封じてきたのだから、少しでも感じたら姦淫として永遠に赦されることはない。

 当然、感じなかったとしても永遠に赦されないが。

私の利益となるために行う工作は、リアルでもネットでも全て赦される。

それ以外の工作は、全て永遠に赦されない。

2021-11-26

男性嫌悪レズの究極の姿がBL

 BLはわざわざ女性的な男性ホモらせるという、本質的レズ願望を秘めたジャンルでありながら、それをわざわざ男にするところに、男から性的なことをされたくない、という男性嫌悪を併発している。

 こうしたもの流行るのは、単に上級国民の間で、娘への性的虐待が常態化しているから、そうした女たちが男性嫌悪を発動し、そのレイプ親が娘にそうしたコンテンツを与えて機嫌を取っているのだ。

 だからあらゆる工作流行らせようとする。

 オタク業界は、下手に腐女子なんかに媚びたせいで、目をつけられたのだ。

 対して実写業界は、端から腐女子を胡散臭がっていたので、オタク業界ほど酷いことにはならなかった。

 おぞましいサタンの犬どもの文化である

 いい加減、日本は、親から子へのレイプけが野放し状態な野蛮国である事実に目を向けるべきだ。

 子供のいる連中というのは、みんな上級国民のクソ共なのである

 実のところ、赤の他人からレイプなんて、日本ではほとんど起きておらず、起きても殆ど九割ほどが起訴され、逮捕される。

 子供へのレイプは、逆に殆どが不起訴扱いされるのだ。

 このことから目を逸らし、まるで赤の他人からレイプが野放しになってるかのように印象操作し、責任をその他の男たちに擦り付けて逃れるのが、この工作本質である

 さらに連中は、BLなんていうおぞましい代物を、自分たち隠蔽工作のために流行らせて、無関係文化まで破壊した。

2021-11-22

悟空の才能がベジータ戦で頭打ちになったドラゴンボール

vsベジータ死闘の末なんとかベジータ撃破

vsフリーザ:第1形態では善戦するが第二形態以降では敵わずベジータが頑張って倒す。

vsセル人造人間にはまったく敵わない。未来トランクスがほぼ全部頑張り、最後の瞬間移動だけ悟空がいいとこ見せる。

vsブウ:善ブウ、サタン悟空の3人でコメディパート担当

2021-09-22

聖書を読み終えた

エルサレムのおとめたちよ

野のかもしか、雌鹿にかけて誓ってください

愛がそれを望むまでは

愛を呼びさまさないと。

聖書(新共同訳)

大学2年生をしている。

一昨日、旧約聖書新約聖書を読み終えた。

キリスト系の大学に通ってるんだけど、神学的な講義がぜんぜん意味不明だった。

なので、一生に一度と思い、聖書に挑戦してみることにした。

率直に感想を述べる。

長かった……とにかく長かったー! ぜんぶで2000ページ以上もあった。

そのうえわたしは、本を読むのが遅い。なので、1ページに平均3分ちょっとかかった。詩編だと2分くらいかな。

なので、1ページにつき3分とすると、2000ページで6000分=約96時間も読んでいたことになる。こんな読書体験は初めてだ。

得られる物はもちろんあった。半年もかかって読み終えたのだ。成果なしでは悲しすぎる。

これからつの掌編を引用して、それぞれコメントをつけたい。

全文引用ちょっとどうかなと思うところもあったけど、この聖書の発行元は、250節までは引用OKとしている。

なので、この2編だけグサッとまるまる引用する。ほかにちょっとだけ引用している。冒頭の詩は、『詩編』(追記:雅歌の間違いでした)という閑話休題的な部分から取らせてもらった。(私が持っている)旧約聖書1052ページに載っている。



まずは『放蕩息子』からだ。

子どもの頃、こんな題名ドラマを観たことがあるかもしれない。

放蕩息子のたとえ

また、イエスは言われた。「ある人に息子が二人いた。弟の方が父親に、『お父さん、わたしが頂くことになっている財産の分け前をください』と言った。それで、父親財産を二人に分けてやった。何日もたたないうちに、下の息子は全部を金に換えて、遠い国に旅立ち、そこで放蕩の限りを尽くして、財産無駄遣いしてしまった。何もかも使い果たしたとき、その地方にひどい飢饉が起こって、彼は食べるにも困り始めた。それで、その地方に住むある人のところに身を寄せたところ、その人は彼を畑にやって豚の世話をさせた。彼は豚の食べるいなご豆を食べてでも腹を満たしたかったが、食べ物をくれる人はだれもいなかった。そこで、彼は我に返って言った。『父のところでは、あんなに大勢の雇い人に、有り余るほどのパンがあるのに、わたしはここで飢え死にしそうだ。ここをたち、父のところに行って言おう。「お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。雇い人の一人にしてください」と。』そして、彼はそこをたち、父親のもとに行った。ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、走り寄って首を抱き、接吻した。息子は言った。『お父さん、わたしは天に対しても、またお父さんに対しても罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません。』しかし、父親は僕たちに言った。『急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。それから、肥えた子牛を連れて来て屠りなさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。』そして、祝宴を始めた。

 ところで、兄の方は畑にいたが、家の近くに来ると、音楽や踊りのざわめきが聞こえてきた。そこで、僕の一人を呼んで、これはいったい何事かと尋ねた。僕は言った。『弟さんが帰って来られました。無事な姿で迎えたというので、お父上が肥えた子牛を屠られたのです。』兄は怒って家に入ろうとはせず、父親が出て来てなだめた。しかし、兄は父親に言った。『このとおり、わたしは何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、わたし友達宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか。ところが、あなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなた身上を食いつぶして帰って来ると、肥えた子牛を屠っておやりになる。』すると、父親は言った。『子よ、お前はいつもわたしと一緒にいる。わたしのものは全部お前のものだ。だが、お前のあの弟は死んでいたのに生き返った。いなくなっていたのに見つかったのだ。祝宴を開いて楽しみ喜ぶのは当たり前ではないか。』」

――ルカによる福音書 15.11-32(15章の11節~32節) P.139~140


最初意味不明だった。お前は何を言ってるんだ? そんな気分だった。

「あ、これ講義で習った!限界効用の逓減だ!」とも思った。

さて、解説サイトを巡ったところによると、この掌編というのは――父親を神に、放蕩息子を(いつも罪を犯しがちな)迷える人間に喩えているらしい。

なるほどと思った。イエス説話にはたとえ話がよく登場するが、たとえ話の中でもたとえを使っているのだ。

神は寛容な存在だ。聖書においても、寛容さが重要な徳であると述べた個所が多くある。

現代社会においてもそうだ。昔に比べると、個人に対する寛容さが求められるようになっている。傍目では愚かに見える行いであっても、当人意志尊重する。自己決定権というやつだ(うろおぼえ)。

聖書というのは、なんかもういろいろと今の社会を先取りしているのだ。いや違う、普遍的というやつだ。どんな時代でも共通する大事なことを、ひとつひとつ、じっくりとしっかりと述べている。

次は、『不正管理人のたとえ』だ。

不正管理人のたとえ

イエスは、弟子たちにも次のように言われた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この男が主人の財産無駄遣いしていると、告げ口をする者があった。そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『お前について聞いていることがあるが、どうなのか。会計の報告を出しなさい。もう管理を任せておくわけにはいかない。』管理人は考えた。『どうしようか。主人はわたしから管理仕事を取り上げようとしている。土を掘る力もないし、物乞いをするのも恥ずかしい。そうだ。こうしよう。管理仕事をやめさせられても、自分を家に迎えてくれるような者たちを作ればいいのだ。』そこで、管理人は主人に借りのある者を一人一人呼んで、まず最初の人に、『わたしの主人にいくら借りがあるのか』と言った。『油百バトス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。急いで、腰を掛けて、五十バトスと書き直しなさい。』また別の人には、『あなたは、いくら借りがあるのか』と言った。『小麦百コロス』と言うと、管理人は言った。『これがあなたの証文だ。八十コロスと書き直しなさい。』主人は、この不正管理人の抜け目のないやり方をほめた。この世の子らは、自分の仲間に対して、光の子らよりも賢くふるまっている。そこで、わたしは言っておくが、不正にまみれた富で友達を作りなさい。そうしておけば、金がなくなったときあなたがたは永遠住まいに迎え入れてもらえる。ごく小さな事に忠実な者は、大きな事にも忠実である。ごく小さな事に不忠実な者は、大きな事にも不忠実である。だから不正にまみれた富について忠実でなければ、だれがあなたがたに本当に価値あるものを任せるだろうか。また、他人のものについて忠実でなければ、だれがあなたがたのものを与えてくれるだろうか。どんな召し使いも二人の主人に仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛するか、一方に親しんで他方を軽んじるか、どちらかであるあなたがたは、神と富とに仕えることはできない。」

――ルカによる福音書 16.1-13(16章の1節~13節) P.140


それはひょっとしてギャグで言ってるのか!?」という、中学生の時に読んだ漫画台詞を思い出した。

読み始めは、聖書らしい勧善懲悪を期待していた。読了後は、こいつやりたい放題だな! と感じつつ、この物語は何を意味しているのだろう――今度は自分で考えることにした。

こたつ机の上で、通勤途中の自転車で、トイレの中で、サイゼリヤでの雑談中に、神学Web講義中に、何度も考える機会があった。

からなかった。結局。

それで、解説サイトを巡ってみることにした。どうやら聖書のたとえ話の中でもメジャー作品らしい。

しかし、わからない。どの解説サイトを読んでもしっくりこないのだ。

どのサイトにおいても、「どんなに苦しい状況の中でも、神の国に行くために最善の行動を取ることが大事」と書いてあった。不正にまみれた富でいいので、いつか最後の審判が訪れて、永遠の国に住む時のための友達を作っておくべき、みたいなことが書いてあった。

腑に落ちない。聖書には矛盾する箇所がいくつもある。

例えば、主人が召使い3人に、自分が留守の間お金を預ける話がある。3人の召使いの中で、そのお金資産運用によって一番増やした人が主人に一番褒められていた。お金を土の中に埋めておいた人は、主人の命でそれを取り上げられ、一番増やした人に渡ったうえ、彼は外の暗闇に追い出されてしまう。

(だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる)

でも、その一方で、「金持ち神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい」みたいなことを述べた箇所が同じ新約聖書に3つ以上はある。

約二千年前に作り始められたわけだから矛盾する箇所も当然あるだろう。しかし、それにしても不正管理人の話には納得がいかない。

そうこう考えてググっているうち、こんな本をアマゾンで見つけた。

捏造された聖書

要約すると、長い年月に渡って聖書が写本され続けた結果、当初は存在しなかった物語解釈意図が入り込んでいった、とのことだ。

ならば納得できる。この『不正管理人のたとえ』の真実は、こうだ。昔、聖書を写本していた権威ある人が、「このネタ入れたら面白いんじゃね?」的なノリで挿入したシュールギャグだったのだ。それが不正管理人のたとえの正体である――解決

解説サイトヤフー知恵袋なんかでこの掌編を肯定している人は、もしかして、あれじゃない? 権威に弱い人なんじゃないか?? おかしものおかしいとして、はっきり言わないといけないんじゃない??? と、わたしは思いました。(小学生並みの感想



聖書を読んでよかった。

はっきり言おう(ここイエス意識している)。わたしにとって収穫だったのは、多くのコンテンツ原典元ネタであることを確認できたからだ。以下のようなものがある。ネタバレ防止のため、どの作品派生しているか原則述べない。

例えば、①エジプト王宮でのモーセアロン VS ファラオの対決時に、お互いの杖を蛇に変えてバトルする場面とか、②サムソンが今わの際に両手で二本の柱を押し倒して数千人を巻き添えにして死ぬところとか、③ペルシャクセルクセスが、「王妃エステル、どうしたのか。願いとあれば国の半分なりとも与えよう。」って2回も言うところとか、④大岡裁き(どちらが本当の母親か決めるやつ)の元になった母親2人の諍いの話とか、⑤ダビデの三勇士の一人イシュバアルは、槍のひと突きで800人を殺してしまうとか、サラっと書いてあって思わず吹いた……。

かにも、ここには挙げきれないほど多くの漫画小説ゲーム元ネタに会うことができた。これだけでも読んだ甲斐があるというものだ。

特に士師記サムソンには笑わせてもらった。スラップスティックギャグコメディの原型が聖書にあったなんて! 高橋留美子も、これを読んで『うる星やつら』の肥やしにしたのかもしれない。

聖書というのは、宗教書というよりは総合文学の書であって、これを基に、その人がどう人生を生きるか考えるきっかけにする、みたいなコンテンツなんだと思う。

聖書は、各編によって色あいが相当違う。格調高く綴られた世界創造の語りだったり、長い旅と王国繁栄の中で主人公が次々と交代していく群像劇のようにも見えるし、小説上のジャンルはだいたい網羅している(冒頭の詩は兄×妹の恋愛ものだ)し、どんな生き方が正しいのかという論じ合いもあるし、お笑いな感じの喜劇もあるし、いきなり箴言集になったりするし、詩もたくさん出てくる。

ところで、聖書に出てくる神は、その時々によって寛容だったり不寛容だったりする。人によらずとも、矛盾していると感じることがある。

キリスト者を迫害した人や、信心律法の罪を犯した人を赦す場面もあれば、かの有名なオナンさんはあっさりと殺されるし(彼のしたことは主の意に反することであったので、彼もまた殺された。)、聖者エリシャを「禿げ頭出ていけ」と詰った子ども達42人は、突如現れた熊2匹によって皆殺しに遭っている。

しかし、世の中というのは、そういうものではないか

同じ人でもやることなすことに筋が通っていたりいなかったりすることがあるし、理不尽だと感じた運命が後に自らを利するものであることがわかったりするし、法律常識に反した行動がみんなの共感を得ることだってある。



わたし若者でいられる時間は少ない。あと10年以内には若者ではなくなってしまう。それまでには、ひとかどの人物になっていたい。今回、半年がかりで聖書に向き合った経験が生きたらいいなと思っている。

最後に、物語の背景を知らなければ厨二な詩としか思えない台詞を書き留めて結びとする。

わたしの生まれた日は消えうせよ。

男の子をみごもったことを告げた夜も。

――ヨブ記 3.3(3章の3節) P.777


サタンの弄びにより、死に等しい皮膚病に冒されてしまった義人ヨブの独白の一部だ。

いつかは口に出してみたい台詞ランキングで第1位に入っている。

面白い書物だった。また一度は読んでみたい。

2021-07-05

anond:20210705031321

フェミニズム共産主義は同根。

どちらも権力者たちに都合の悪い連中をまとめあげて管理し、利用してただけ。

まともな福祉人権破壊工作

ただフェミ場合男性差別正当化する口実にしか利用されず、男女の対立差別助長するだけの本当に差別的な運動しかないが、共産主義はそうした差別正当化する理由には一切されず、むしろ共産国労働者地位向上に貢献した。

当の共産国地獄だったが。

まり共産主義は神の怒りとして正当化できても、フェミは底の底までサタンの策略以外の何物でもなかった。

男の容姿や年齢叩きや美少女コンテンツ叩きなどした連中、腐女子やこんなもんを広めたり協力したことのある権力者どもは皆サタンの犬かサタンのものなんだから何をして滅ぼしても赦される。

2021-06-29

雑誌映画秘宝』の記憶臨時復活

 高齢男性コンビニで148円相当のお菓子を盗んで逮捕されたという、佐賀県で起きた窃盗事件報道に対して、町山智浩が「コンビニ店員自分ポケットマネーで代金を立て替えて、犯人逮捕されないようにするべきだった」と店員批判して、物議を醸していることをご存知の方も多いと思います

 事件のものに関する意見として傾聴に値するようなものは、他の方々によって既に概ね出尽くしていると思いますので、それについて浅学非才の私が今さら付け加えることは、特に有りません。

 ここで私が一時的に復活したのは、勿論、町山智浩について書くためです。

 かつて、某有名国際映画祭取材した町山智浩は、その様子を『映画秘宝』に記事として書きました。スピーチをするために招かれて登壇した某有名女優が、彼女自身の出演作品とは丸っきり無関係なことを喋り出して、挙句の果てに「世界平和を!」等のアジテーションを繰り広げた有り様について、面白おかしく書いた記事でした。その場に居合わせ海外メディア関係者町山智浩が「アレは●●をやってハイになってるねw」「●●をやってる奴って、何故か突然『世界平和』とか上から目線説教したがるよねw」と笑い合って、話が盛り上がったというようなことも書いていたと記憶しています

 ここで私が言いたいのは、今の町山智浩自身が、件の『映画秘宝記事の中で揶揄していた「御高説を垂れていた某女優」と五十歩百歩の状態に在るのではないか?ということです。町山智浩が●●をやっていると言いたいのではなく、現在の町山は他人から嗤われているということです。

 地方在住者の方には実感してもらえると思うのですが、佐賀県という土地を考えると、当該のコンビニで働く店員の時給は高々数百円と思料されます。そのような待遇で働くコンビニ店員にとって、自腹で148円を立て替えて払うということは、並大抵のことではなく、相当な痛みを伴う行為と言っても過言ではありません。コンビニで働く店員仕事が、如何に(時給に見合わないほど!)大変なものかを、町山智浩理解していないのでしょう。低賃金労働者の苦境には思いを巡らせず「ポケットマネーによる自己犠牲を払え」と彼らに説く、町山智浩の高邁な精神は甚だ見上げたものです。見上げたもんだよ屋根のフンドシ、見下げたもんだよ蛙のションベン(※ここは『寅さん』の渥美清の口調でお願いします)。

 そんなに自己犠牲精神を説くのが好きならば、高橋ヨシキから「町山さんのこと大好きだから、俺の妻の胸を揉んでも良いですよ」と言われた時、なぜ町山智浩は、高橋に対して「奥さん負担押し付けるな!俺の機嫌を取りたいなら、お前が身体を張れ!お前の身体を俺に差し出せ!」と説教しなかったのでしょうか?そうすれば少なくとも、高橋の元・妻の女性だけは被害を免れることができたでしょう。ホモソーシャル大好き男たちの自己満足のために、女性一方的犠牲を払わねばならない道理が有るでしょうか?

 現在町山智浩が、アメリカ西海岸の、それなりに治安環境が良い地域や家で生活していることは、皆様もご存知のとおりです。しかし、その町山のアメリカ生活可能なのはアメリカ企業バリバリ働いている町山智浩奥さんの稼ぎに依るところが大きいのです。これは、町山智浩自身公言している、周知の事実です。そうです。ここでも、犠牲になっているのは女性なのです。

 そのような、女性(この場合町山智浩奥さん)の犠牲の下に成り立つ、恵まれ環境生活している町山智浩が、低賃金労働者に対して「自己犠牲を払え」と偉そうに説教するとは、一体何の冗談でしょうか?自己犠牲を払って弱者を救済する人は、確かに称賛と尊敬に値すると私も思いますしかし、そのような尊い行為は、自分が率先して行うならまだしも、他人に対して行えと強制することではありません。ましてや、それが出来ない他人非難することもできません。そんなことも考えず、自己を省みず偉そうな御高説を垂れていれば、某女優と同じく他人から嗤われても仕方が無いでしょう。町山智浩奥さんからすれば「アンタこそ私達(妻子)に苦労ばっかり掛けずに、私達の為に自己犠牲精神を発揮したら?」と、嫌味の一つや二つを町山に言っても許されるのではないかと私は思います

 ギンティ小林パトリック・マシアス等に対して行ったパワハラ高橋ヨシキの元・妻である女性に対して行った性的搾取、長年に渡って繰り返し同性愛者に対して行ってきた差別発言他者尊厳を露ほども顧みない町山智浩所業については、これまで何度も書きました。そんな町山が高邁な自己犠牲論を説く姿は、はっきり言えば「醜悪」の一語に尽きます。例えば、心にも無い愛国心を唱えながら、庶民に対しては酷薄政策を執る、自称保守政治家のように。例えば、自分自身が陰では黄色人種差別発言をしていたにも関わらず、訳知り顔でドナルド・トランプ非難していた、ビリーアイリッシュのように。私が挙げた以外にも、これを読んでいる人たち各自が思い浮かべることの出来る「偽善者」がいることと思います。耳に心地良く響く、良い言葉を唱えることで、己を実際の己よりも大きく高く他人に見せようとする偽善者が。そういう偽善者たちと同じく、町山智浩は「醜悪」です。

 最近は、一部の町山ウォッチャーたちが「近頃、言うことがオカシイぞ。町山は●●でもやってるのか?」と揶揄するという場面をネットでは見かけます。某女優揶揄した因果が巡り巡ってという感じですが、しかし、現在町山智浩が高説を垂れるのを説明するのに「●●をやってるから」と●●原因説を立てる必要は有りません。

 近頃になってから急にオカシクなったのではなく、ずっと昔から町山智浩の言う事やる事はオカシカッタのです。ただ昔とは異なり、オカシイことはオカシイ気づき忖度せずにそれを指摘するように、町山智浩の周囲が変化しただけのことなのです。その変化の一つは、町山が脚本担当した実写版進撃の巨人』が駄作に終わったこと、映画に関する町山の過去著作発言が掘り起こされて複数のガセ情報的外れ批評が含まれると指摘されたことなどにより、一般人町山智浩能力に対して疑問符を付けるようになったことです。別の変化としては、恫喝DM事件対応失敗で『映画秘宝』を追われたこから、町山に忖度してくれる子分たちが存在するような、町山智浩にとって居心地の良い聖域が失われたことです。

 こうして町山智浩に向けられる第三者から評価は、以前よりも低く、厳しくなりました。しかし、町山智浩自己評価どうでしょうか?

 『映画秘宝』読者ならば知ってのとおり、町山智浩は、自身ダメさ加減を自嘲的なポーズと共に語るという手法を取り続けてきました。しかし、そういう語り口とは裏腹に、実際の町山智浩には「あくまでもポーズだよ、ポーズ!本当の俺はダメじゃないよ!」という自意識自己評価が有るであろうことは、誰の目にも明らかでした。それを如実に示すのが「若い女は物を知らないから、大人の男であるオレが教えてやるよ」という、町山智浩マンスプレイニング体質でした。要するに、町山智浩自己評価は「本当のオレは凄い」というものでした。

 しかし、このように町山智浩自身は高い自己評価を持つにも関わらず、現在の町山に対して現実一般人から寄せられる評価は大方「映画脚本ダメ映画について語ること書くこともダメ町山智浩の言うことは信頼性の無い眉唾で、マジメに聞くに値しない」といった低いものです。とすれば、町山智浩の内部で「高い自己評価」と「第三者による辛い評価」が齟齬を来し始めているのは想像に難くありません。そのような齟齬を埋め合わせる為に、今からでも堅実に努力を始めれば良いのですが、実際に町山がしていることといえば、Twitterを通じて何かしら社会派ぶった発言を繰り返すことです。それによって、手っ取り早く世間の注目を集めたいのでしょう。それと共に「さすが町山さん!」と言われて高い評価を得て、有識者的な何かにポジションチェンジする一発逆転を狙っているのでしょう。とはいえ本業映画関連の仕事でさえも「いい加減で信用ならない」と思われている人間が、幾ら社会派ぶった発言をしたところで、如何ほどの価値が有るものでしょうか。

 社会派発言に何らかの説得力を持たせることが出来る人がいるとすれば、それなりに時間と手間を掛けて学びを重ねて、知性を真摯に地道に積み上げてきた人でしょう。町山智浩がそんな真摯人間だと思いますか?知性に限らず、人間が何かを地道に積み上げようとするならば、己自身ダメさと真剣に向き合う必要があります。けれども、何かあれば「オイラボンクラからさあ」を言い訳女性立場が弱い人間に甘えて、負担他者押し付け続けて生きてきた町山智浩が、己のダメさと真剣に向き合ってきたとはお世辞にも言えません。つまり町山智浩社会派ぶったつもりの発言が頓珍漢なものになってしまうのも、これまでの町山が他人に甘えて己自身ダメさと真剣に向き合ってこなかったこと、何も積み上げてこなかったこと、それなのに付け焼き刃で何とかしようと手抜きをしていることの帰結に過ぎません。分かり易く言えば、かつての唐沢俊一と同じく、町山智浩も中身はカラッポだったということです。

 現在の御高説を垂れるTwitter芸人町山智浩説明するために「●●の影響でハイになっているから」と考える必要は有りません。高邁な御高説を垂れる町山智浩は「ハイになっている」と言うよりも、むしろ「甘えが通じなくなって追い詰められて、切羽詰まっている」という状態なのです。

 町山智浩は、ツケを払う時が来ました。

 とりあえず今回は以上です。ヘイル・サタン

2021-06-11

「この人達もうみんな死んでるんだろうなぁ」と思ってググってみたら、意外とみんな生きてるし中にはTwitterやってる人もいた。とはいえ流石にもう残りのサタン人形ほとんど残ってないだろうし、結局最後氷河期世代が割りを喰うという話。

2021-05-06

anond:20201011021955

長い、白黒、抽象的(寓話的)、東欧

と言えばどうしたって「サタンタンゴ」を連想するわ。

7時間19分には及びもないが、よっぽど気合いが乗らなきゃスルーちゃうよね。

2021-04-30

anond:20210430011518

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私たちファンフィクションについて話すとき私たちはめったに「ジョンミルトン」とは思いません。 それでも、サタン聖書ではほとんど言及されていない)を連れて、この倒れたアーチフィーンドをアンビバレントで壮大なヒーローにする彼のパラダイスロスト(1667)にどのように近づくのが良いでしょうか? ウェルギリウスアエネーイスオウィディウスの変身物語ダンテ神曲スペンサー妖精女王、その他の無数のテキストジャンルから借りた技術テーマに基づいて構築されたミルトンは、古典ルネッサンス形式を再混合して、英文学の(おそらく)最高の設定に聖書宇宙を作り上げました フィリップ・プルマンが信じている詩は、[「決して超えられない」」。

DeepL翻訳

ファン・フィクションというと、「ジョン・ミルトン」を思い浮かべる人はほとんどいないだろう。聖書にはほとんど登場しないサタンを、堕落した弓矢のような存在であるサタンを、アンビバレント叙事詩ヒーローに仕立て上げた『失楽園』(1667年)に、どのようにアプローチすればよいのだろうか。ヴァージルの『エニード』、オヴィッドの『変身』、ダンテの『神曲』、スペンサーの『フェアリークイーン』など、数え切れないほどのテキストジャンルから借りた手法テーマ構成されたミルトンは、古典ルネッサンス形式を再構築し、聖書世界英文学の(おそらく)最高の詩の舞台に仕立て上げました。

みらい翻訳

ファン・フィクションのことを話すとき、 「ジョン・ミルトン」 とはめったに思いません。しかし、悪魔 (聖書ではほとんど言及されていない) をとり、この倒れた大魔王を両義的で叙事詩的な英雄にする失楽園 (1667) に近づくには、どうしたらよいのだろうか。Virgil's Aeneid、Ovid's Metamorphoses、Dante's Divine Comedy、Spenser's The Faerie Queene、その他無数のテキストジャンルからテクニックテーマを取り入れて構成されたMiltonは、古典ルネッサンス形式リミックスして、聖書世界英国文学 (おそらく) の最高の詩の舞台にし、Philip Pullman [n] が 「超越される」 と信じているようなものにした。



[“n]ever be surpassed”.とか訳しにくそうだな。

2021-04-17

雑誌映画秘宝』の記憶(50)

町山智浩柳下毅一郎問題発言集】(No.20)

 前回の続きです。

 出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』(2004年、洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記記述形式

   [ページ数]

   発言者発言内容

   【※】付随情報や私個人の感想など(適宜)

   (初出)

です。

引用ここから

[p209]

【※】今回も監督ソフィア・コッポラ、出演・スカーレット・ヨハンソンビル・マーレイロスト・イン・トランスレーション』の話題。まずは二人の「女性観」が読み取れる箇所から

 町山:ヨハンソンダンナの知り合いのハリウッド女優が出てくるじゃん。『最終絶叫計画シリーズアンナ・ファリスがキャピキャピ演じてる。

 柳下:あれはスパイク・ジョーンズの『マルコヴィッチの穴』(99年)に出たキャメロン・ディアスモデルでしょ。一人『チャリエン』みたいな女闘美アクション映画プロモーション来日してるという設定でモロバレ。

 町山:あの映画観たいなあ。アンナ・ファリスってインタビューしたことあるけど、礼儀正しいし、一生懸命質問に答えるし、ミラ・ジョヴォヴィッチと並んで性格のいい女優さんだったよ。それに比べてスカーレット・ヨハンソンは…。

 柳下性格悪そうだよね。

 町山:最悪!

(中略)

[p211]

 町山:あと、アンナ・ファリス自分ダンナ冗談言って笑ってるのをヨハンソンがブスーッと見てるんだけど、ソフィア・コッポラもああいう女なんだろうな。

 柳下:男と平気で猥談できちゃう女を軽蔑してるんだよね。キャメロン・ディアスってオリヴァー・ストーンみたいな親父にキスしてやったり、お尻振ってみせたりできちゃう女でしょ。

(中略。『ロスト・イン〜』の物語では、何も起こらないと柳下毅一郎が不満を言う。)

[p212]

【※】ここから町山智浩自分語りが始まる。

 町山:オイラにはあの何も起こらない感じがリアルだったね。オイラ取材でけっこういろんな街に行くじゃん。トロントとかオースティンとかさ、でも現地に誰も友達いないから、淋しくてさ。ビル・マーレイ気持ちがよくわかるよ。

 柳下:淋しいかカミさん電話したりして?

 町山:うん。「子供は淋しがってないか?」って聞くんだけど、「大丈夫よ」って言われちゃうの。それがまた淋しくてなあ。

 柳下:情けないなあ。僕は見知らぬ街を一人で散策するの好きですけどね。博物館とか殺人現場を訪ねたりして。トロントなんて多民族都市うまいレストランがいっぱいあるし。

 町山:一人旅を楽しめるってのは強い人間なんだろうな。オイラさびしんぼうから(笑)うまいレストランに行っても、「こんなにおいしいものも一人で食べてると淋しいなあ」とか思っちゃって。

 柳下:それは中身がないからですよ。

 町山:…そ、それはオレのこと言ってるの?

 柳下:『ロスト・イン〜』という映画のことですよ。異国の地で淋しいなあ、ってところから最後まで一歩も進んでない。

(中略。映画ラストスカーレット・ヨハンソンビル・マーレイキスする場面は脚本には無いアドリブという話。)

[p213]

 町山:たしかに本当は、ヨハンソンと何もないまま、タクシーに乗って帰るというのがリアルな終わり方だよね。映画のような出会いなんてないんだよ…。

 柳下あんた、その年で旅先のロマンスとか期待してるの?

 町山:柳下はもう恋とかしないの?

 柳下:…もしかして奥さんとの仲悪いんですか?

 町山:いや、いろいろあってもう十年以上で円熟しつつあるけど、妻への「愛」が成熟すればするほど、「恋」や「セックス」はなくなっちゃう感じなんだ。ていうか、こっちがそれを求めても、カミさんのほうがケミストリーをなくしちゃって…。

 柳下:はあ…。

 町山:だからさ、若い頃は恋愛セックスは一つだけど、この年になると「愛」「恋」セックス」の三つに分裂するね。『ロスト・イン〜』はその心理をよく描いているよ。ビル・マーレイは家庭を愛してて、妻を愛してるんだけど、淋しいんだよね。

 柳下:情けないですね。日本旅行に来たことでそれに気づくだけで、マーレイもヨハンソンも、もともと淋しいんだよ。別に日本関係ないんですよ。

引用ここまで=

(初出『映画秘宝』04年vol.53)

 以下は感想です。

【※】町山智浩が「インタビューしたことあるけど、あの女優性格が悪かった」と言う話も、単に相手女優町山智浩セクハラ発言によって気分を害されただけなんじゃないでしょうか?

【※】柳下毅一郎発言にも「男がセクハラ的な猥談をしても、それを笑って受け流すのが『いい女』の条件である」という男尊女卑意識を感じます

【※】一人旅に耐えられないか、耐えられるかの部分では、町山智浩柳下毅一郎の差が如実に顕れています

【※】この頃から町山智浩は、家庭での居場所を失くしていたように見えます。だからといって、ここまであからさまな「旅先での浮気願望」を口に出して言うのも「『大人の男』としては少々みっともない」と思うのですが、本人の中では矛盾を感じないのでしょうか。

【※】ケミストリーがどうのこうの言う割りには、町山智浩から出てくる話は性風俗の話ばかりなので、仮に百歩譲って浮気をするにしても、現地アメリカ自力女性との一対一の関係を構築することはできない/できなかったんだろうなあと推察されますマンスプレイニング気質の持ち主だと、アメリカ女性から敬遠されてしまいそうですし、センパイのために女性パートナーを献上してくれる忠実な子分も、アメリカでは作れなさそうですし。

【※】アメリカではイケないから、日本出稼ぎに来た時に…というのが、例の騒動の発端なんでしょうか。

 またも次回に続きます。ヘイル・サタン

2021-04-16

雑誌映画秘宝』の記憶(49)

町山智浩柳下毅一郎問題発言集】(No.19)

 今回の引用は「他人に害を及ぼすという意味での『問題発言』」ではないのですが、虚飾を剥ぐ意味で紹介しておきます

 出典は『ファビュラス・バーカー・ボーイズ映画欠席裁判2』(2004年洋泉社)、発言者を「町山」及び「柳下」と表記記述形式

   [ページ数]

   発言者発言内容

   【※】付随情報や私個人の感想など(適宜)

   (初出)

です。

引用ここから

[p207-208]

【※】監督ソフィア・コッポラ、出演・スカーレット・ヨハンソンビル・マーレイロスト・イン・トランスレーション』の話題

 町山:アメリカでは日本語セリフ英語字幕をいっさい使ってないんだ。

 柳下日本語のわからない主人公たちの孤独感を観客に共有させるためでしょう。

 町山:いや、これは野蛮人扱いだよ。親父コッポラの『地獄の黙示録』にも意味のある言葉をしゃべるベトナム人全然出てこなかったけど、この親娘はアジア人バカにしきってる。

 柳下ソフィア・コッポラ通訳彼女の面倒を見てやってた日本人たちは、この映画を観てどう思うんだろう?だって、ずっとあの女(引用者注:主人公)は「バカみたいな英語ね」って腹の中で笑ってたわけでしょ?

 町山:それ言ったら、主人公が二人とも最後まで一人も日本人を好きにならないってのも問題だよ。日本人カラオケに行って盛り上がるというシーンでも、ビル・マーレイスカーレット・ヨハンソンは二人でばっかり話してて、日本人と打ち解けることはない。

 柳下:だからさ、ソフィア(引用者注:コッポラ)をちやほやしてた日本人友達だと思ってたけど、向こうはサルしか思ってなかったんですよ。

(中略)

 柳下:それにインチキもあるよね。ポールが立ってて、ラップダンスがあるストリップバーが出てくるけど、あんなのアメリカ風俗であって、日本じゃないじゃん。

 町山:え、歌舞伎町にあるよ。

 柳下あんたが僕らを連れてった店でしょ(笑)。あそこはダンサーも客も外人ばっかりじゃん。

 町山:あの店のストリッパー口説いて連れ出して飲んでたら、イスラエルから来た娘で「パパはモサドなの」だって

 柳下:それ、口説いたのは✕✕✕✕✕くんで、あんたはおこぼれもらおうとしてついていっただけじゃん。

 町山:バラすなよ。で、イスラエルから、その娘も兵役経験があってさ、破壊工作班だったって言うんだよ。「建物を爆破するときは片方の柱だけ壊して自重で倒れるようにするのよ」だって

 柳下:何の話してるんだよ!『ロスト・イン〜』でしょ!

 町山:そういえば『ロスト・イン〜』の製作会社で、コッポラ親父が社長やってるアメリカン・ゾートロープって、サンフランシスコでもいちばん風俗街のド真ん中にあるんだよね。向かいストリップクラブがニ軒に、のぞき部屋一軒。ビデオBOXニ軒にファッションヘルスもあるよ。

 柳下:詳しいですね。

 町山:ヘルスはボッタくりだぜ。サンフランの他のヘルスは本番あるのに、ここは手コキのみで…。

 柳下:なんの話だ。ソフィア・コッポラの話でしょ。

引用ここまで=

(初出『映画秘宝』04年vol.53)

 以下は感想です。

【※】二人が『ロスト・イン〜』について言っていること自体には全く同意するのですが「英語能力が不足していて、現居住地アメリカ日本語字幕無しに観ている映画の内容を、町山智浩は正確に理解できていないのではないか?」とか「現地の地域コミュニティ町山智浩は融け込めておらず、現地人の友人がいないのではないか?」との疑惑を持たれるようになってしまった、現在町山智浩視点で『ロスト・イン〜』を観直したら一体どんな感想になるのかは興味深いところです。以前、パトリック・マシアス英語で会話する場面で、町山智浩英語パトリックが聴き取れない、もしくはパトリック英語を町山が聴き取れないと思しき場面もありましたが、今はどうなのでしょうか。

【※】さんざん非・都市部に暮らす非・富裕層アメリカ白人を「土人」呼ばわりして差別していた町山智浩たちが「アジア人バカにしてる」とか言っても「目くそ鼻くそ」ですね。

【※】あいも変わらず性風俗の話をし始める町山智浩は、他にアメリカでの楽しみが無い/無かったのでしょうか?

【※】今回の引用でも柳下毅一郎からは「おこぼれ目当てで後から着いて行った」とバラされているように、性風俗の話はしても「独力で女性口説いたエピソード」を出せないような町山智浩が、何故「オレは『大人恋愛論』を語れる!」と踏んだのか本当に不思議です。

 次回に続きます。ヘイル・サタン

2021-04-13

雑誌映画秘宝』の記憶(48)

ロックの魂とは?】

 コメディ映画スクール・オブ・ロック』(03年)が公開された当時、この映画肯定的評価するか否か、「有りか無しか」を巡って賛否両論となったこから映画秘宝』誌面では、少しばかりの論争が起きました。

 ご存知ない方のために粗筋を説明すると「ロックバンドをクビにされた主人公が、ひょんなことから坊ちゃんお嬢ちゃんたちばかりの通う小学校にニセ教師として潜り込み、生徒たちに『ロック音楽スピリッツ』の教育を施した末に、筋が良い生徒たちをバンドメンバーに従えた主人公が再びステージに立つ」という、ファミリー層向けコメディ映画です。

= = =

 当時の否定派の論調は「『反逆精神』が拠り所であるロックが(たとえニセ教師によるものとはいえ)、学校教育で身につくわけがねえだろ」とか「コメディとはいえ大人が『ロックは素晴らしい』と、特定価値観子供押し付けるのは正直いかがなものか」とか「ガキごときロックができてたまるか」とか、まあ大体そんな感じだったと記憶しています

 しかし「ひょんなことから『未知のカルチャー』に触れた子供若者が、その魅力に思いがけず目覚めて『カルチャー担い手』として育っていく物語」あるいは「大人側の視点で、色々な思いを抱えたり紆余曲折がありつつも『カルチャーの教え手』として年下の人間たちを育成していく物語」は、良くも悪くもありふれたものに過ぎず、そこまで腹を立てることだったのかと今でも疑問です。例えば、労働者階級の家庭に生まれ子供バレエの魅力とか宇宙ロケット打ち上げの夢に目覚めるといった物語が「有り」なのに、この映画がそんなに否定される必要はあったのでしょうか。それとも学校以外の場所舞台だったら許されたのでしょうか。こうして考えると、論争と呼ぶにも非常に掘り下げ不足であったように思えます

= = =

 そもそも否定派の気持ちの根っこには、特定カルチャーの愛好家が陥り易い「選民思想」が有ったのではないでしょうか?何しろ「女『子供から映画を取り戻せ!」が旧体制の『映画秘宝』の合言葉だった訳ですから否定派には「『ガキ風情』しかも『裕福な部類のお坊ちゃんお嬢ちゃん』が『オレたちの』ロックに手を出すこと自体我慢ならない!」「ファミリー向け映画ロックをイジるな!」という気持ちも有ったことと思います

 もう既にお分かりのように、ここに見られるのは要するに、いい歳したオッサンたちが、いつまでも上の方に居座って「このカルチャーはオレたちだけのモノだ!」「コレは『本物』ではない!」「それが理解できん若い者たちは、まだまだオレたち(=オッサンたち)に及ばんな!」という態度をとることによって、若い世代から敬遠されてジャンル全体の衰退を招くという、非常にありふれた「『本物の✕✕』とは何か論争問題」「サブカルチャーにおける老害問題」の1バリエーションです。

 しかし、この映画が公開されて長い年月が経過しました。今や音楽活動を始める若者たちの中で「バンド形式から/ロックから始める人」が占めるパーセンテージは、昔のように多くはないだろうと思われます外国でも事情は似たようなものです。今ではおじいちゃんになってしまった外国の大物ミュージシャンたちと、日本アイドルBABYMETALが共演した際には、馬鹿にされたり嫌がられたりするのかと思いきや「孫みたいに若い子供たちが、ワシらの音楽に興味を持ってくれた!」と、むしろ喜ばれたと聞き及んでいます若者子供にとって、この映画に出てくるようなロックが既に「何だか知らないけど、お年寄りたちが聴いている懐メロ」となってしまった今日では「映画スクール・オブ・ロック』は有りか無しか論争」をしていた『映画秘宝』編集者ライターたちは、実に贅沢な悩みに基づいて議論していたと言えます

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 無論、あの頃に「ロックカルチャー担い手ファンの『高齢化』が問題になる」などと未来予測ができた人間は少なかったでしょうから現代人の立場で彼らの論争を「贅沢な悩みだった」と批判するのは酷と言われるかもしれません。

 しかし、未来予測とは違い、当時の人間でも『映画秘宝』の関係者や読者であれば、容易に気づくのが可能だったはずのことが有ります

 それは「当時の旧体制映画秘宝』と映画スクール・オブ・ロック』の主人公は、していることが『悪い意味で』五十歩百歩だった」ということです。

 旧体制の『映画秘宝』が「切り株映画は、世界真実を描いている!ヌル作品なんか観るのを止めて、切り株映画を観ろ!」とアジテーションする姿と、この映画主人公が「ロックが最高の音楽だ!ヌル音楽なんか聴くのを止めて、ロック名盤を聴け!」と生徒たちを『洗脳』する姿との間に、果たして本質的な違いが有ると言えるでしょうか?

 そうです。この映画主人公がしていることは「洗脳」です。もちろん「何らかのカルチャーの愛好家が、非・愛好家に対して自分の好きなものを紹介する」という行為は、大なり小なり「洗脳」の側面を持つものです。だから、単に「ロックは良いぞ」と他人に薦めるだけならば、何も批判される謂れは有りません。しかし、もしも「ロックを知らないのは不幸だ」とか「ロック以外のツマラナイ音楽聴くやつは馬鹿だ」とか説教をかまされたらどうでしょうか?そんなことをされたら「うるせえ」「布教するために他人価値観を踏み躙るな」と言いたくなりませんか?そもそも「『反逆精神』を拠り所にしてるくせに、上からモノを押し付けるんじゃねえよ」という話です。

 実際、この映画には、生徒たちが普段どんな音楽を聴いているのかを質問した主人公が、その回答を聞いて嘆息するという場面も出てきます。これを単に作品を彩るギャグとして軽く受け流すのか、見過ごせすに腹立たしく感じるのか、それは観る人によって受け取り方が異なるでしょう。しかし、仮に主人公批判する感性の持ち主ならば、同じことをしている旧体制の『映画秘宝』にも批判的な感情を抱くのが当然と言うか、それが「知的な誠実さ」というものではないでしょうか。仮にも批評活動生業にしている人間たちが雁首を揃えて「この描写は、自分たちみたいな(=若者世代に『本物のカルチャー』とは何かを教えたがる)オッサンのことを風刺しているのではないか?」という可能性に思い至る「内省視点」を少しも持たなかったのでしょうか。そうだとすれば『映画秘宝』関係者は「知的怠惰」と言わざるを得ません。

 まあ、可能性としては「映画主人公の行動と『映画秘宝』の行動は五十歩百歩」という事実に気づいていたけれども、センパイの機嫌を損ねるのを畏れて忖度して言わなかったというのも考えられますね。

 馬鹿なのか、忖度体質なのか、どっちにしても「批評活動を行う人間」としては「致命的な欠陥」だと思うのですが、そういう人たちでも業界デカイ顔をしていられる現状は、いかに本邦の映画ライター業界人材不足なのかを如実に物語ると言えるでしょう。

= = =

 ちなみに映画スクール・オブ・ロック』には、主人公が「ロックの反逆精神とは何か」を生徒たちに実地に教えるために「『権威』に逆らえ!教室では教師、つまりオレが『権威』だ!オレを罵ってみろ!」と命令する場面が出てきます。すると、生徒たちは素直で良い子ばかりだから、色々と頑張った末に「デブ野郎!」という火の玉ストレートを投げてしまい、自分で反逆を命じたのに「オイお前、後でちょっと職員室に来い!」と主人公がマジ切れするというギャグ場面が出てきます。(なお、主人公を演じるのは、ぽっちゃりコメディアンのジャック・ブラックです。)これは「『反逆精神』を『教育』する」という根本的な矛盾表現した、秀逸な場面と言えます

 町山智浩高橋ヨシキてらさわホークも、一度「権威に逆らえ!オレたちを罵ってみろ!」と若手ライターたちに呼びかけて「反・権力/反・権威精神とは何か」を教えて上げたら良いのではないでしょうか。パワハラ説教マンスプレイニングかますよりも、よほど後進の育成に寄与できると思いますよ。

 まあ、センパイの機嫌を取るためにパートナーの肉体を献上する人間、それを享受して面白おかしく語る人間嘘八百解説を書いて間違いを指摘されたらそそくさと逃げる人間には、到底「権力に逆らうとは何か」を若手ライターに教えることなんて無理な話でしょうけど。

 この投稿は以上です。ヘイル・サタン

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