はてなキーワード: 反吐とは
行為の是非も言わない
体操の日本代表については年齢を問わず、役員についても、喫煙と飲酒が禁止されている
当然に、役員も飲酒がバレたのなら、規約に則り即退場してもらうべきだろう
で、だ
これについて、重すぎるだの、この程度だのと言う人が多い
これが役員側だったのなら、金返せ位言ってるだろう輩が
WAKAMONOとなると突然大甘になる
その時に決められている規約を守れないなら参加すんなよって思うんだよ
行為の是非じゃないぞ
喫煙はダメとか、着崩しはダメだという規約があるならそれを守るべきで
それが不服なら参加すべきじゃない
選手側に自由意思があるんだから、そんなクソ団体に参加するなよ
着崩しで参加したいなら規約を変えるなりすりゃいい
問題になった選手達はクソ下らん規約を定めてる日本代表になんぞ選抜されんでも
全然やっていけたでしょ
もちろん健常者には健常者なりの苦労があるし、学校や仕事だって大変だろう、趣味に力を入れるのだって、家庭を持つことだって大変だろう、そんなことはわかっている。痛いほどわかっている。だから私が今から語る感情が、全て甘えであることもわかっている。そのうえで私は健常者が憎い。
私は重めの躁うつ病で、躁(調子が良い)のときは仕事に精を出したり趣味である絵に打ち込んだりいろいろなところへ出かけたり様々な人と話したりとThe充実した人生!のようなものを送れている。(なお、この際不眠になったり人と喧嘩したり散財のし過ぎで多額の借金を作ったり性的逸脱をしたりすることについては目を瞑ることとする)
ところが、ある日突然体がまったく動かなくなるのだ。布団から起き上がれない。頭が回らない。頭が、全身が痛い。何も考えられない。仕事も行けないし趣味もできないし食事や風呂もままならない。少し前まで普通に生活できていたぶん、そのショックは大きい。何も出来ない自分のことが本当に情けなくなり、死にたいとすら思うがまず死ぬための行動を起こす元気がない。苦しい。不安と絶望に包まれる。
誰かに相談しようにも、私の人間関係は躁のときに構築されたものなので、うつだなんだと言っても信じてもらえるはずもない。万が一信じてもらえたとして、過度に心配されても申し訳ないだけだ。
フォロワーの描いた可愛らしい絵が流れてくる。絵を描けるだけの肉体的、精神的余裕がある人間が心底羨ましい。きっとあの人は健常者なのだろう。憎い。
そうして闘病垢を開く。流れてくるのは闘病をしながらも趣味やファッションを楽しむフォロワーたちの自撮り。仕事を頑張る旨のツイート。綺麗な面しかSNSに見せていないだけだと言われればそれまでなのだが、とてもキラキラして見える。憎い。きっとファッションメンヘラか、私よりも病気の程度が軽いのだろう。私と同等の人間は、そもそも表に出てこない。これもダメだ、閉じる。
本当はわかっている。自分がただ努力のできないゴミカスのクズ、怠惰に甘えて寝ているだけで、何気なく絵を描いたり仕事に行ったりオシャレをしたりと私のやりたいことをしている人達は血反吐を吐いて頑張ってなんとかそれをこなしていて、本当はずっと死にたいと思って、それでも意地で踏みとどまって生きているんだと。
でももし、そうじゃなかったら?本当に何気なく「あ〜かったりぃなぁ〜ポリポリ」くらいのノリで生きていけているのだとしたら?その考えが頭によぎる度に健常者のことが殺したいほど憎くなる。
でもこの世にいる健常な人間を全て殺して回るより自分が死んだほうが早いから、おとなしく命を絶つ方向で考えます。今はそんな元気もないから布団で横になる。
外野として都知事選見てて石丸さんの言動は気に食わない部分が多かったけど、ホントに良いように消費されて終わるんだなと思った。
石丸さんの過去の言動を見ると規模の小さい蓮舫さんや橋本さんみたいな感じで、何かに噛みついて存在感を出す方法しか知らない人に見えた。
それに加えて都知事選前からポスターの支払いの踏み倒しとか色々火種を抱えていたから、都知事選の間は泳がせて「蓮舫さんに対する駒」として使われて、用が済んだら今度は石丸さん自身が身から出た錆で玩具にされてる。
石丸さんに対する風向きが変わるまではだんまりだったくせに風向きが変わった途端饒舌に石丸さんを貶す人達と、石丸さんを玩具にして遊ぶ人達と、選挙を玩具にして遊ぶ賑やかしと、それら全てがおぞましい。
今の石丸さんに対する環境って、蓮舫さんに対する環境と変わらんよな
「もうこの人はこの先ずっと玩具にしていいんだ」みたいな空気。
全員がそうって訳じゃないが、そういう認識でいる人が沢山居る。
未だに蓮舫さんが「二位がどうの」って茶化されるのと同様に、今後石丸さんもなんかやろうとする度に「石丸構文」とかなんとか茶化され続けるんだろう。
そんな連中の票集めなきゃならんのだから政治家の皆さんも大変だよな。
中学時代、自分は不良では無い不登校になってしまい、中学2年までは中の下だった成績が、中学3年では得意教科以外は完全に下から何番目になった。家には金がなく、親には時間も無く、子供がたくさんいてそれぞれが不良ではないものの学校にいけなくなりつつあった。服は伸びきっていて毛玉が沢山ついていて、靴は擦り切れていた。割れたメガネを接着剤で直した。親は綺麗で流行りの格好をするのは見栄なのだと言っていた。金がなくてそれが原因でよく怒鳴っていたし、私のせいじゃないと親は泣いていた。いやお前のせいじゃん(もちろん今思えば親だけのせいじゃないけど)、なんでバカスカ産んだんだこの人たちは思っているくらいには嫌なガキだった。さすがに言うことは無かったけど。数学と英語が特にダメだった。嫌われるのが怖くて、同世代の人が怖くて、喋れなかった。かじりついてた本が、唯一自分の逃げ場所だった。
定時制に入ろう思っていた。それでも定時制よりかは全日が良いと言われ、名前書けば入れる高校に入った。定員割れしていたので、落ちるとかいうものはなかった。
その高校ではきちんと手間かけて貰ってる子供が殆ど居なかった。放置されて金もかけてもらえない子どもか、女であれば親にこき使われていた子も多かった。そこには知的障害っぽい子も数人混じっていた。入って1週間で3人くらい不良みたいなひとたちが辞めた。
最初の授業は数学は足し算、引き算。英語はアルファベット。国語は平仮名からだった。みんな笑っていたけど、自分は先生たちが好きだった。そこには情報の授業があって、BASICをやった。■の記号で丸を作ったり、お花を作った。楽しかった。卒業の時にはクラスの人数は半分になった。
就職時気に一般就職でITの会社を探して応募したら、何故か受かった。そこは小さい会社だったが旧帝の人間が沢山いたり、要件定義の天才のような人間がいたりした。自分のような覚えの悪い人間は居なかった。文字通り反吐を吐きながら、激しく失望されながら数時間にわたって叱責されつつ、頭を下げたり反発したりして数年で仕事を覚えて、そうしてストレスばかりかかる売上のないシステムを任されて3年で病んで酒を手放せなくなった。ある日いきなりチーム解体が決まりクラッシャーと有名人だった人間の下に着くことを契機に辞めることにした。世話になった会社だったがもう無理だった。コードが読めなくなっていた。安い給料。手取り15万。背中に汗をかきながら電話で要件と不具合を聞いて、見積もりに対するクレームを聞き、不具合を修正しリリースし、不具合の原因と修正内容を説明し、見積もりの説明資料を作って、別日リリース予定のなんかを製造して、明日朝イチリリースの対応予定の何かのために18時に電話がかかってきた。何が一次受けだよ。クソ喰らえ。(それをここに書いたらフィクションって言われたな、いいよな恵まれた所にいてよ)
頭を休ませるため2年、毎日温泉に入ることができる福利厚生がついた職場で仕事をしていた。
そのあとまたIT業界に戻ってきた。次はでかい会社がいいと思ってでかい会社に入った。給料が良さそうだし、役割分担されていそうで、作業が多そうだったからだ。
研修期間中だった自分の目の前で違う人間に高卒には見えないです〜って何がなんでもやりますって何も出来ないくせにと嫌味を言いながら笑っていたクソ女がいた。面接の際に自分が使っていた売り文句をなぞるように言っていたので完全に自分のことだ。でかい会社には本当にこんな女がいるのか、すごい。そいつを人事に刺すためにも、出世しなければ、と思って粛々と仕事して1年で同じ役職なった。なのに、その女は辞めていた。大学まで卒業した人間が、底辺高卒の自分と同じ役職で大したことない仕事しながらピーピー喚いてるのは恥ずかしくないんすかねと言うか、大変そうだったのであなたに仕事を教えてあげようと思って同じ仕事ができるようになりましたけど、何か悩んでることは無いですかというか悩んでいたのに本当に残念だ。
予想通りでかい会社は残業が80時間になろうが多少楽だった。残業代出るし。23日間連続勤務になったりしないし、ある程度役割分担されていた。配属してすぐに炎上して3ヶ月ほどで配属先に入っていた人間はリーダー以外全滅したが、自分は割とピンピンしていた。次はコミニュケーション能力の高さで要件定義補佐でツモった。でも自分の能力は本当はそんなところにない。タフさだと思う。病んでもやるぞ、次の仕事だ。
巷には、『LOVE』だの『フレンド』だの、IQ3くらいの歌詞でヤク中かってくらい明るい曲調の素敵な曲が沢山存在する。
個人の感想だが、テレビに出るアイドルや韓流系アーティスト、ゴリ押しされた若手女性シンガーがそういう曲を歌うイメージがある。
しかし、俺はどうしてもそういう曲が好きになれない。
何なら、最近は子ども向けに作られた曲ですら反吐が出る。純白な幼少期に赤マントのアンパンや青いデブダヌキのテーマ曲を歌っていたことすら黒歴史になりかけている。
だから、最近はめっきり自殺やら死やらメンヘラやら逆襲やら、暗いテーマの歌をよく聞くようになった。
夜に煙草を吸いながら、ノイズキャンセリングのイヤホンでドン底の歌を聴く。
朝に自転車を漕ぎながら、人命を救う職場に行く前に世界をブッ壊す歌を聴く。
おそらくその理由は、俺が本当の意味で社会に適合できず、愛や友情というものを信用できないからなのだと思う。
幼少期から虐められ、教師も生徒も先輩も後輩も敵。親を頼れず、逃げ場はなく、かと言って死ねる程の勇気すら持てず、その場を凌ぐ力を身に着けてここまで生き永らえてしまったから。
一応俺は周りから見れば普通にコミュニケーションが取れる人間だし、温厚で通っている筈だが、内面は絶えず死への重力の支配下にある。
何時だってこの世界を破壊したいと思いながら、笑顔で他人の傷を縫い、病を癒している。
よくニュースで、『あんな人が自殺するなんて』『温厚そうだったのに犯罪に手を染めるとは』なんていうインタビューを見かける。
そして、ワイプに居る何も成し遂げていない自称芸能人が胡散臭い驚きの表情を浮かべる。
結局それは、そのしょうもない関係性の人間が、当該の人間の中にある愛への渇望や破壊衝動を知らなかっただけではないか。或いは、その内面を見つめようとしなかった怠慢の表れではないか。
死とか、絶望とか、満たされない愛欲とか、そういうことを知らない多数派が、自分たちの常識という正論の刃を振り回しているだけではないか。
冒頭の話に戻るが、何も考えていない恋愛や友情や頑張ろうって曲が巷に溢れている現状は、きっとその社会のカラクリを表しているのだろう。
親から無償の愛を受けて、友人と時に喧嘩しながらも楽しく学生生活を過ごし、先輩にイジられ、後輩をイジり、それでも連帯意識を持ちながら社会へと飛び出してきた彼や彼女。
彼らは、きっと愛や友情や努力を信じられるから、こういう歌を楽しく聴いて、誰かを思いながら口ずさんで、能天気に社会を生きている。
しかし、その裏には。
鬱屈した感情や、言葉に表すことすら億劫な衝動、あるいは報われない努力や一向に改善しない自己肯定感を抱えながら、死ぬ思いで生きている人間がいることを忘れてほしくは無い。
周りに笑顔を見せていても、本心では社会に中指を立てている人間がいることを、忘れてほしくは無い。
貴方が何の気なしにイジった彼は、本当に笑ってくれていたのか?
お前がガキの頃に虐めたあの子は、本当にお前のことを許してくれているのか?
まあ、この駄文を読んでくれている貴方は、きっとそんな少数派がいることを忘れてはいない、素敵な人間だ。
どうせ、我々をゴミのように扱った奴らは、俺らのことなんて忘れて、アホみたいな歌の上でしょうもない人生を楽しく生きているんだから。
昨日結婚式だった。
身内だけの小さな結婚式だったけど、楽しくできるように一生の思い出になるようにって何度も打ち合わせをして、予算度外視でやりたいことをぎゅっと詰め込んだ。嫌な思いをしながら会社の寮で暮らして貯めた自分の貯金みんな使った。せっかくなら田舎から来てくれる家族を喜ばせたかったから。
そこそこ忙しい部署にいるけど休日を返上して、何度も上司に頭を下げてなんとか日程を調整した。
部署に女性一人なこともあるのか、会社のおじさんたちはみんな協力してくれて。みんな仕事大変なはずなのに準備も含めて2日くらい休んでも平気だよ〜って送り出してくれた。
一生の思い出になるなら、って映像まわりも余興のクイズもみんな私が用意した。
私には精神疾患がある。最近人員が減って忙しくて罪悪感でぶり返していたけど、薬で無理やり押さえ込んで、たまに朝吐きながらそれでもやった。私は大好きな旦那と、家族と思い出作りたかった。
元々酒癖が悪いという話はなんとなく聞いていた。でも一度一緒に飲んだ時はそうでもなかった。今回は奥さんと一緒にくるから大丈夫だろうって話も聞いていた。
でもダメだった。式の後の食事会で泥酔した義兄は大声で騒いだりうちの身内に絡んだりしていた。うちの家族は私を含めてそれなりにそういう人にも慣れてるけど、レストランの人やプランナーさんの顔がこわばって行くのを見て私は居た堪れなかった。
その間相手をしてたのは私の家族で、奥さんと義母さんは心配はしてるけど止めに入るわけではなかった。旦那は必死に宥めていたと思う。
なんとか宥めすかしてタクシーにのせたけどなぜかとんぼ返りしてうちの家族が泊まってるホテルの前にいた。
じゃあ一軒だけ、と行った店はキャッチに連れて行かれた店で正直イマイチで、会社から電話が来たので連絡をとって戻ってきたら、義兄は暴言を吐き始め、旦那と喧嘩になり、いつも温厚な弟は酷く怒った。なぜかうちの母が仲裁させられていた。
店先で喧嘩を始めるからお店の人にも謝った。なんで俺が悪いんだ、って義兄には言われたけどなんで悪くねーと思ってんだろと思った。
義母にも連絡したけど、どうしようもなかったら連絡して!と言われたのでしても未読無視。
旦那は義兄をもう一度帰らせてからうちの家族に土下座した。私も何度も謝った。
母たちは物凄く気を遣ってカラオケに行こうと言ってくれた。カラオケ屋にいったら受付中、お店の人に「お連れの方って人が店先にいるんだけどうちの店は出入りをお断りしている方で」と言われた。「警察呼んでください」と謝りながら言ってしまった。
カラオケにいって戻ってきて、私は自分の努力とか我慢とか、色んな人の思いを踏み躙られた気がして、怒った後にゲラゲラ笑ってしまった。3年前に体調崩したときから何も変わってないと思った。結局自分は何をしてもだめなんだなと思った。
義兄にも精神疾患があって、きっと楽しかったのだろうと思う。それか調子悪かったのか、よくわかんない。
でも私のお金と時間を踏み躙られる謂れはなかったと思ってるし、そもそもそれで許されるなら同じものを抱えて準備から何から全部した私は一体なんだったのと思う。金返せよ。
ぬいペニぬいペニ言うけどさ、可愛いぬいぐるみにちんぽが生えてビックリ!っていうのと、お前の使い道のない汚物をこっちに向けんな死ねっていうのを一緒にするのってまずスタート地点から間違ってると思うの。
比喩だってわかるよ、わかるけど、さもペニスなければ自分は無害って言いたげな部分、マジで反吐が出るよね。
別に、その使い道のない汚物を向けられても気にしない女を探すって方法自体はそれほど否定しないよ。
けど、根本から使い道のない汚物って状態をなんとかしろよ。その方が現実的だろう。
ちんこ綺麗にしろって話じゃないぞ、いや、それも大事だが。この人と結婚したら幸せそうだって思えるような人間になれってことだ。
アラサーを迎えて振り返ってみると、リアルはもちろんネットの世界でも友達と呼べる人が皆無な事に気が付く。
仕事の人間関係はあるが、ここには自己を開示できるような関係は無い。
それは自分自身、仕事は自己とビジネスを切り離してきたのもあるし、同僚もそのように考えている人がほとんどなので、押し売りのような事を避けたいからというのもある。
孤独には耐性がある方だとは思っていて、死ぬまで一人でも耐えられるかなとは思っていた。
しかし、それはそれとしてせっかく生きるなら楽しめた方が良いとは思う。
友達がいれば自分の好きなものを共有できるし、自分の知らない世界を見せてくれることもあるだろうし、それはきっと幸せなことなんだろうと思う。
白状すると、わいわいVC繋いでオンラインゲーム楽しんだり、そういうものに憧れがある。それを体験せずに死ぬのもなんだか損な気がしてくる。
こういう問題意識というか、あるいは下心によって、年齢や環境的に既に手遅れかもしれないが友達を作ろうと考えてみる。すると、思考を深めるほどに私には友達の作り方がわからないことが分かる。
結局のところすべての人間関係はギブアンドテイクで成り立つものなんだと思う。
人が友達を作るのは、自分の話したい事柄について1話すと10返ってくるような、そんな知識量があったり、あるいは私もそういうのを期待している通り知らない世界に連れ出してくれるのも嬉しいだろう。
または、ルックスに優れていて関わっているだけで楽しくなったり、趣味に合う創作物があったり……つまり、与えられるものがあるから友人になりたいと思うし、思われるのだろうと。
逆にこれを満たせない人間とは関わりたくないものだろうと。そんなものだと思う。
では自身を顧みるとどうか?私にはいくつか趣味や好きなものがあるが、ミーハー気質で幅は多分あるものの底は浅め。
ただ、それ以上に私の好むコンテンツというのがどれもメジャーではないような、人を選んでしまうようなサブカルばかりなので、多くの人と共有できる話題をほとんど持たない。
何かしら創作を通じて自己表現ができればと苦悩はするものの、将来への不安から金につながる短期的なことばかり、例えば仕事関連の事に時間を割いてしまい、人に見せられるようなものはさらさらできずじまい。
本当は金の事に苦心する生き方なんて反吐が出るほどしたくないのに。人と会話するための話題が不足してしまうのも、こういうのが原因なんだろう。
更に内向的な性格なのでそもそも人と関わること自体が苦手。それはそれとして寂しさは感じるからめんどくさい人間だと思う。
少し愚痴っぽくなってしまったが、こんな人間なので人に提供できるものなんて無いんだろうと思う。
要するに現代においては私よりもよっぽど時間を割くべき価値ある人々で溢れている。SNSを通じてそういう人々とつながることができる。ゲームだって下手くそよりは上手い人としたいだろう。
なんだったら大抵の場合ChatAIとでも話してたほうがずっと楽しいし有意義なんだろうと思う。
実際私自身も仕事の悩みやスキルアップのメンターのお願い、あるいはこういう人生の悩みの相談をChatGPTにしてもらうことが多々ある。きっとAIがなければ人に投げかけたはずの話題を機械で解消してしまう。
だから、人に声をかけるところまで至れない。友達を作るための最初の一歩を踏み出すことが出来ない。
出来ないと分かりきっていることに時間を割くほど私も暇ではないし、恐らくスパム扱いされるようなリプライを他人に投げかけて時間を無駄にさせてしまうことも申し訳なくなる。
とはいえ、結局自分自身の悩みの原因は自分自身のギブアンドテイクではない人間関係を想定できない狭い世界観とそれに裏打ちされた行動によって縛られているからなんだろうとは思う。
では、世界のすべての人は世界一の人だったり優れた人間とのみ繋がっていれば良いではないか、ということになるものの、実際にはそうはならない。
世の中には明らかに問題のあるような人ですら多くの友人に恵まれているというのを多々見るので、このような砂漠のような人間観に対する反証はいくらでも思い浮かぶ。
きっと世界は自分が思ってるほど厳しさに満ちたものではなく、恐らくもう少し優しさを内包しているんじゃないかなと。
今は「友達が欲しい」という、まだ自分の中では深刻でない悩みとして表出しているものの、他人を頼れないから嫌でもお金を優先して生きなきゃいけないと思いこんでいたり、そういう更に切実な問題に繋がっている気がしないでもない。
閑話休題、だからこそ、私にはわからない、ギブアンドテイクではない友達というのはどうしたら作れるのか?きっと存在するはずのその疑問の答えを見つけたい。
そんなものが本当に成立し得るのか全くわからないし、こういう問題はAIにも答えられないだろう。でも、これを解決しない限りは私は他人に対して希望を見いだせないと思う。
色々詰め込みすぎてしまって長くなってしまって申し訳ないです。こんな長文をここまで読んでくださった稀有な方で、さらにもしも友達に恵まれている方、あるいは同様の問題を抱えていたものの解決できた人がいれば、この哀れで孤独な人間に少しの同情心を持っていただき、その心得を少しでも分けていただきたいです。
私と同じくらいの年齢(35歳前後)の増田だとしたら、10〜15年前(20代前半〜中頃あたり)にこうした異性愛至上主義、自己責任論、冷笑的な空気の中で男と付き合ってなんぼ、結婚は永久就職、男を手のひらで転がして教育♥30くらいには結婚してないとヤバい(笑)みたいなしょうもない論に囲まれてゲロ吐きそうになってた仲間でしょうか。
その当時、男のいる自分に酔ってた女たち、自称賢くうまく社会の波に乗ってる女が今、結婚して子どもが生まれて30〜35歳あたりで産育休を経験しつつ、働き続けないと生活できないけど育児も大変という状況になってから女性差別だのフェミニズムだのと言い始めてるのはよく目にする。
私自身もそういう友人、同級生たち見て反吐が出るなと思っている。
あの頃自分を叩いてた女と、いま自分自身の行動に無反省なままフェミニズムを叫びながら他人も叩いてるやつ、だいたいこの辺多いんだよな…。
だからブコメの「自分を嗤ってた人といまのフェミニストは被ってない」論はそうとは限らなくない?と言っておきます。
実際あの頃フェミニズムやフェミニズムに基づく発言をしていた私を含む人を嗤ってた友人たちは、過去の自分の行動言動に無反省なままめちゃくちゃフェミニズムを掲げて連帯だのシスターフッドだのと言ってすり寄ってきますからね…