はてなキーワード: 人文科学とは
https://togetter.com/li/2139063
「文学部」の言う「文学」というのは「人文科学」のことであって、哲学も史学も言語学も心理学も文学部でしょ。文芸のことを俗に「文学」と呼ぶこともあるけど、それは大学で学ぶ「文学」の部分集合であって全体集合ではない。
理学部の数学の授業でもね、「ところで最近の研究では……」と「無駄話」ばかりして授業がさっぱり進まない人がたまにいる。そういう授業を求めてる人もいるかもしれないけど、私の場合、その人の授業はさっぱり身につかなかった。
そういう話が聞きたいなら研究集会に行った方がいい。授業をわざわざ聞きに来ているのは、基礎固めがしたいからであって、研究の種を探しに来ているわけではない。少なくとも私はそう思った。
間違いない
古谷:ネトウヨが貧乏で憂さ晴らしにやっているというのは、全然違うんですよね。もともとは丸山眞男が“中間階級第一類”と言った、戦前の日本型ファシズム、軍国主義を支えた層。それは圧倒的に貧しい人じゃなくて、日本の戦争を支えてきた中間階級で社会の下士官。つまり、小作人とかじゃなくて独立の自営農業者。工場だったら工場で働いている人じゃなくて、工場主任者など中間管理職です。これに対して日本型ファシズムに対して批判的だったのは、丸山眞男が“中間階級第二類”と呼ぶ、いわゆる“知識人”。大学の先生などです、そういう人は昔から政府に反対したりしていました。なんと現在のネトウヨも、この“中間階級第一類”と全く同じで、自営業が多いです。それから医者や行政書士とか税理士などの士業。旦那さんが結構いい企業に勤めている主婦などもいます。こういうある程度社会の中で成功してきた人が、病気や仕事のトラブルでつまずくと、今まで知らなかった新たな思想に目覚めたりするんです。
たかまつ:心に穴が開いて、それを埋めるためという感じなんですか?
古谷:穴は開いてないですね。むしろネトウヨになってから穴が開きます。自営業は最初は1人でやっているので忙しいのですが、40、50代になって、社員が10人ぐらいに成長すると昼間は暇じゃないですか。そのときに元々歴史や人文科学の素養がないので、保守系言論人の言うことを信じてしまうんです。なのでいわゆる保守系言論人の熱心なファンって、僕の観測する限りでは、超有名な会社の社長さんもいますが、自営業がとても多いですよ。
@fstora
このところ文系への風あたりが厳しいですが、絶対に人文科学(社会学・哲学・文学・歴史学)を生贄に差し出してでも俺たち社会科学(経済学・経営学・法学)は生き残っていこうな。
https://twitter.com/fstora/status/1607202975029825537
まず女性の社会学者はいらないです。全部デタラメで税金チューチュースキームを擁護しています。上野千鶴子から不正に加担しているのは免れようがない。
というわけで社会学者はまじでいらない。
あとジェンダーとかもいらないです。これもでたらめでなんら学問と関係がない。インチキです。
ロシアはなぜ勝っているのか?
https://note.com/jano66/n/naf5e6188b4cd
何故なら、食料の供給が少なくなったのは最近の話ではなく、ロシアのドンバス特別軍事作戦が始まる前の話だから。具体的には2020年から生産量が落ち込み始めた。新型コロナのパンデミックによって経済が鈍化し、その後の回復が必要な時だったんだ。
アメリカの金融・経済機関は大量に紙幣を刷って国民に配る事しか解決策が見つからなかった。
我々ももちろん紙幣をいつもより多く刷ったが、ロシアは期待する結果が得られるように、もっと慎重に正確にやるんだ。マクロ経済指標やインフレ指数などを注意深く見ながらやるからね。
少なくともプーチンは大変優秀な国際マクロ経済学者です。しかし、それにはブレーンがいます。どうせ信じないから書かないけど。女性です。
ポール・クルーグマンもアメリカの経済政策は間違っていたと言っているので、アメリカの経済学者は存在してる意義のない間抜けばかりです。
ロシアが勝利する第2の要因がヨーロッパが緑の党とかグレタみたいなデタラメをやって食料はない、ガスはない、石油はないという地獄に陥りました。
これもロシアは何もしなくても勝ってしまいます。これも経済学者がいたからです。
アメリカには一人も経済学者はいないので、英語の本なんて読んでも意味はないし、アメリカの大学にいかないと出世できないシステムがあるそうですが、そういうのも有害です。
これには日本人が全くできない「外交」が関係しています。外交ができないから日本人は武器を振り回すわけです。だから程度が低いわけです。
これもジェンダーとか社会の進歩と何一つ関係がないばかみたいな事をやっているから、全くレベルが低いわけです。いらないのですね。有害です。極めて有害です。国を滅ぼします。
少子化がこの30年間解消していないでしょう?だからジェンダーとか男女共同参画は全く意味がありません。大仏殿でも建てたほうがマシです。
AVのほうがよほど文化や人の幸せに貢献しています。学者は何一つできませんでした。とくに社会学者はマイナスです。なんの意味もない。知る限り唯一の例外は宮台先生くらいでしょう。
まともな学者だからああいう目にあったわけです。日本はジェンダーのおかげで馬鹿になって本当に大事なものがわからなくなっているのです。
定期的に燃えては消えを繰り返すアカデミアのアファーマティブアクション(以下、AA)に対する怒りが止まらないため感情整理のために書く。
東大の准教授以上のポストを今後女性限定で埋める記事を見て日本でのアカデミア就職を諦めかけている。
https://www.asahi.com/sp/articles/DA3S15478221.html
大学のファカルティ職(助教以上のアカポス)の男女比は偏りがあり、教授では7.8%程度になるらしい。そのため、文科省および大学は、女性のアカポス比率を上げるために女性限定の公募を設け女性比率を向上させる事を推奨している。
パッと見ると非常に重要な施策だし、男女平等に向けて良い向きだと思われる。しかし、実際に運営するうえで差別を差別で上塗りする面が拭えず一定数の反対を受けるため、それに対する私見を述べたい。
そもそも論として日本のアカデミアでテニュアのポストは減少傾向にあり、ポストを獲得するという事は簡単な事ではない。そのため有名大(とりわけ大都市で予算の潤沢な大学)はひとつのポストに対して倍率数百倍という応募が殺到する。つまり、年間数万人の博士が誕生するが安定したポストを得ることができるのは男女に関わらず一握りであると言える。ひとつの仮定として、男女平等に一定の優秀層が選ばれた場合、男女比は博士学生の比率とほぼ同一になると予想される。しかし、博士課程学生における女性比率は現在約30%程度となっており、女性に対して選考プロセスで何らかの差別があったと考えても良さそうである。しかし、本当にそうだろうか?
ここで(1)世代間格差, (2)分野間格差, (3)日本における女性のライフスタイルの選好という新たな変数を導入すると、今のAAの問題が浮き彫りになってくる。
(1)世代間格差
これは簡単に言ってしまえば、博士の男女比が世代によって変化しているはずという事である。科学技術政策研究所による調査では、1975年の博士の女性比率は5.8%であり2010年の30%まで上昇傾向にある。
ここで単純な仮定として、現在の教授が60歳とすると博士号の取得年度は1990年となり、その年の博士女性率は12%と推測できる。この場合、選考プロセスにおける差別度は前述の30-7.8 = 22.2から12-7.8 = 4.2と大きくポイントを下げる。また准教授、助教と職位が下がるごとに女性比率は上昇傾向にある事からも、女性の博士取得の上昇とアカポスの女性率は正の相関があり、不合理な差別によって力強い訳圧ある訳ではないと推測できる。
これは男女の分野による好みの違いである。一般に女性はSTEM(科学技術分野)を敬遠する傾向にある。実際に上述の博士数調査に於いても人文科学40%に対し、工学6%と選好に差が生じている。また、議員数や社長の男女比により算出されるジェンダーギャップ指数が高い(男女平等度が高い)国ではSTEM系は敬遠される傾向にある事が報告されている。つまり、完全に平等な選考プロセスを踏んだとしても分野間による男女比の差は生じるため数値目標には分野間の調整が必要だと考えている。もし、理工系などでアカポス男女比を50%すると言ったら、選考に歪みが生じるのは想像に難くないはずである。
(3)ライフスタイルの選好
これが一番燃えそうな気がするが、つまり女性は養うために仕事をしないという事である。
男女における賃金の格差は全業種において大きな問題のひとつだが、独身の場合、差はほとんどない事が各調査で示されている(そもそも同じ職位で性別による給与差があれば労基案件である)。では、どこで差が生まれるかというと、単純に結婚後にフルタイムワークからパートタイムに変更するからである。つまり、女性は結婚後に稼得業務を男性に委託する傾向にあると言える。これは各家庭の家事/稼得の比率を断定するものではなく総体として、女性は結婚、出産後に仕事を辞める傾向にあると言う話である。
ではアカポスと何の関係があるかというと、博士のアカデミアに残った女性も一定確率で仕事を辞めているという事である。つまり、単純に博士の数と出口であるアカポスの比率を比べても一生その溝は埋まらないのである。これは個人的な観測だが、女性である程度のアカポスにある人は医者や同業者などと結婚しており、男性のように専業主婦を養うようなスタイルは非常に珍しい。同期や友人の博士学生もプロポーズされたから辞めたいなどと言う始末である。これは全業種の女性が収入が高くても専業主夫を養わない事と同根であると考えている。
一方で男性は自己実現としての研究職と家族を養うという両軸のバランスを取りながら、覚悟を決めて科学を職業にしようとしている。実際にめちゃくちゃ優秀なのに家族を養うためにアカデミアを去った人を何人も知っている。
(まとめ)
以上をまとめると、現在のアカポス事情は女性の博士取得者の上昇に従い、男女比は改善しつつある。しかし、一定の低い分野や上昇の鈍さは女性そのものの選好も加味する必要があると言える。
しかしながら、現在進められているAAはこの結果を見ずに、ただ数値目標的に女性比率を上げようとしているものが大半である。これは平等を担保されるべきである選考を無理矢理歪めた結果平等であり、断じて許されるものではない。理工系などでは、その歪みによる若手のダメージは深刻である。
百歩譲って過去に機会レベルで男女差別があった事は認めよう。しかし、男女平等が一定水準でインストールされ育ってきた、我々若手男性が不当に差別を受けなければいけないのだ。看護系や美術系に男性が少ない事は、一切問題にしないのに、一部の理工系だけ捕まえて無理なロジックを使わないでほしい。
こっちは今後家族を養っていく事を踏まえて、覚悟を決めたチャレンジをしているのに"自己実現(笑)"みたいなノリで遊びに来ないでくれ。
実際に現場レベルで何が起きてるかと言えば、外国人留学生の女性とか教え子を2年とか助教として置いて、外国人1 pt, 女性1 ptと点数稼ぎしてるだけじゃないか。何の意味があるんだ。
声のデカい女性研究者が声高にAAを礼賛し、少しでも反論すれば差別者呼ばわりするのも辟易する。謎のポンチ絵で反論したり謎ロジックで脅迫しないでくれ。せめて科学者なんだから論理的な整合性を取ってくれ。
貴方たちが求めるアカデミアが、結果平等で男女比が均質な世界なのなら、立場の弱い私たちは受け入れて生きていくしかない。ならせめて、加害している事を受け入れてくれ。痛みも背負った戦いをしてくれ。アクロバティックに被害者にならないでくれ。いっそ「差別者だった性別の方に産まれたのが運のツキだったな!バーカ!死んでやり直すんだな!」とか言われた方が気持ちがいい。それなら我々は、男としてこの時代に生まれた事を受け入れて去っていくから。
恐らくこれを外で言えば、我々男性は一瞬でアカデミアから消されるだろう。もう動き出したのは止まらないし、誰も変えられない。我々20代からすれば抑圧者はいつだって女性である。
感情的に書き殴ったが、以上が今のAAに対する素直な気持ちである。これだけ間違っていても私は科学が大好きなので、科学をしながら家族と生きていける未来を模索していこうと思う。
科学とは何か、は科学哲学という分野があるくらい大事だけど、自然科学とは何か、はあまり見解の不一致がないので語られないのだと思う
一方で、人文科学とか社会科学にとってのその疑問はその分野のアイデンティティに関わることだから、色々と語られてるんじゃないですかね
何か勘違いしてると思うけど、社会科学は新参で人文科学は人文ではない。それに自然科学は"natural Science"であって、対象が人工のものではない自然に対してのものだから昔からある伝統的な科学のこと。
順番が違う。
「人文科学」って言い方に対して異議がある人へ……本当にすいません………
科学を自然科学・社会科学・人文科学と3つの分野に分ける事があるけど
自然科学の分野にいる人が「科学とは何か」について語る程には「自然科学とは何か」について語る姿を見かけない
一方で「社会科学とは何か」「人文学とは何か」について語る人達はもっといるのに
んでそれが結局何故なのか考えると
やっぱり自然科学が「科学全体から社会科学と人文科学に分類される部分を除いたもの」
現代において先に社会科学・人文科学の分野を定義せずに自然科学を定義するのが凄いしんどい
でも上記のような差集合として自然科学を定義しても全く問題で無い気がする
自然科学の定義にはとりあえず科学の大雑把な分類をするための必要性しか無い
一方で社会科学や人文学には特有の方法論があり、それぞれについて語られる事があるんだろう
そして自然科学の分野に入る研究者は差集合として定義される言葉には興味を持たず、科学全体について語るようになり